1231◎蓮0525如上人御一代記聞書 本
(1)
◎一 ^▼勧修寺村の*道徳、 *明応二年正月一日に御前へまゐりたるに、 *蓮如上人仰せられ候ふ。 道徳はいくつになるぞ。 道徳念仏申さるべし。 自力の念仏といふは、 念仏おほく申して仏にまゐらせ、 この申したる功徳にて仏のたすけたまはんずるやうにおもうてとなふるなり。
^他力といふは、 弥陀をたのむ一念のおこるとき、 *やがて御たすけにあづかるなり。 そののち念仏申すは、 御たすけありたるありがたさありがたさと思ふこころをよろこびて、 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すばかりなり。 されば他力とは他のちからといふこころなり。 この一念、 臨終までとほりて往生するなりと仰せ候ふなり。
(2)
一 ^▼あさの御*つとめに、 「▲いつつの不思議をとくなかに」 (*高僧和讃) より 「▲尽十方の無礙光は 無明のやみをてらしつつ 一念歓喜するひとを かならず1232滅度にいたらしむ0526」 (高僧和讃) と候ふ段のこころを御*法談のとき、 「▲光明遍照十方世界」 (*観経) の文のこころと、 また 「▲*月かげのいたらぬさとはなけれども ながむるひとのこころにぞすむ」 とある歌をひきよせ御法談候ふ。
^なかなかありがたさ申すばかりなく候ふ。 上様 (蓮如) 御立ちの御あとにて、 北殿様 (*実如) の仰せに、 *夜前の御法談、 今夜の御法談とをひきあはせて仰せ候ふ、 ありがたさありがたさ*是非におよばずと*御掟候ひて、 御落涙の御こと、 かぎりなき御ことに候ふ。
(3)
一 ^▼御つとめのとき*順讃御わすれあり。 *南殿へ御かへりありて、 仰せに、 聖人 (*親鸞) 御すすめの ¬和讃¼、 あまりにあまりに殊勝にて、 *あげばをわすれたりと仰せ候ひき。 ありがたき御すすめを信じて往生するひとすくなしと御述懐なり。
(4)
一 ^▼*念声是一といふことしらずと申し候ふとき、 仰せに、 おもひ内にあればいろ外にあらはるるとあり。 されば信をえたる体はすなはち南無阿弥陀仏なりと1233こころうれば、 口も心もひとつなり。
(5)0527
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 本尊は掛けやぶれ、 聖教はよみやぶれと、 対句に仰せられ候ふ。
(6)
一 ^▼仰せに、 南無といふは帰命なり、 帰命といふは弥陀を一念たのみまゐらするこころなり。 また発願回向といふは、 たのむ機にやがて大善大功徳をあたへたまふなり。 その体すなはち南無阿弥陀仏なりと仰せ候ひき。
(7)
一 ^▼加賀の*願生と*覚善又四郎とに対して、 信心といふは弥陀を一念御たすけ候へとたのむとき、 やがて御たすけあるすがたを南無阿弥陀仏と申すなり。 総じて罪はいかほどあるとも、 一念の*信力にて消しうしなひたまふなり。
^されば 「▲無始以来輪転六道の妄業、 一念南無阿弥陀仏と帰命する仏智無生の*妙願力にほろぼされて、 涅槃畢竟の真因はじめてきざすところをさすなり」 (*真要鈔・本) といふ御ことばを引きたまひて仰せ候ひき。 さればこのこころを御*かけ1234字に*あそばされて、 願生にくだされけり。
(8)
一 ^▼三河の*教賢、 伊勢の*空賢とに対して、 仰せに、 南無といふは帰命、 このこころは0528御たすけ候へとたのむなり。 この帰命のこころ*やがて発願回向のこころを感ずるなりと仰せられ候ふなり。
(9)
一 ^▼「▲他力の願行をひさしく身にたもちながら、 よしなき自力の執心にほだされて、 むなしく流転しけるなり」 (*安心決定鈔・末意) と候ふを、 *え存ぜず候ふよし申しあげ候ふところに、 仰せに、 ききわけてえ信ぜぬもののことなりと仰せられ候ひき。
(10)
一 ^▼「▲弥陀の大悲、 かの常没の衆生のむねのうちにみちみちたる」 (安心決定鈔・本意) といへること不審に候ふと、 *福田寺申しあげられ候ふ。 仰せに、 仏心の蓮華はむねにこそひらくべけれ、 はらにあるべきや。 「▲弥陀の身心の功徳、 法界衆生の身のうち、 こころのそこに入りみつ」 (安心決定鈔・本) ともあり。 しかれば、 ただ1235領解の心中をさしてのことなりと仰せ候ひき。 ありがたきよし候ふなり。
(11)
一 ^▼*十月二十八日の*逮夜にのたまはく、 「*正信偈和讃」 をよみて、 仏にも聖人 (親鸞) にも*まゐらせんとおもふか、 あさましや。 他宗にはつとめをもして回向するなり。 *御一流0529には他力信心をよくしれとおぼしめして、 聖人の和讃にそのこころをあそばされたり。 ことに七高祖の御ねんごろなる御釈のこころを、 和讃に*ききつくるやうにあそばされて、 その恩をよくよく存知して、 あらたふとやと念仏するは、 仏恩の御ことを聖人の御前にてよろこびまうすこころなりと、 くれぐれ仰せられ候ひき。
(12)
一 ^▼聖教をよくおぼえたりとも、 他力の安心を*しかと決定なくはいたづらごとなり。 弥陀をたのむところにて往生決定と信じて、 ふたごころなく臨終までとほり候はば往生すべきなり。
(13)
一 ^▼*明応三年十一月、 報恩講の二十四日*あかつき八時において、 聖人の御前 ˆにˇ1236 参拝申して候ふに、 すこしねぶり候ふうちに、 ゆめともうつつともわかず、 *空善拝みまうし候ふやうは、 御厨子のうしろよりわたをつみひろげたるやうなるうちより、 上様 (蓮如) あらはれ御出であると拝みまうすところに、 御相好、 *開山聖人 (親鸞) にてぞおはします。 あら不思議やとおもひ、 やがて御厨子のうちを拝みまうせば、 聖人御座なし。
^さては開山聖人、 上様に現じましまして、 御一流を御再興にて御座候ふ0530と申しいだすべきと存ずるところに、 *慶聞坊の讃嘆に、 聖人の御流義、 「▲たとへば木石の縁をまちて火を生じ、 瓦礫のをすりて玉をなすがごとし」 と、 ¬御式¼ (*報恩講私記) のうへを讃嘆あるとおぼえて夢さめて候ふ。 ▽さては開山聖人の御再誕と、 それより信仰申すことに候ひき。
(14)
一 ^▼教化するひと、 まづ信心をよく決定して、 そのうへにて聖教をよみかたらば、 きくひとも信をとるべし。
(15)
一 ^▼仰せに、 弥陀をたのみて御たすけを決定して、 御たすけのありがたさよと1237よろこぶこころあれば、 そのうれしさに念仏申すばかりなり。 すなはち仏恩報謝なり。
(16)
一 ^▼*大津近松殿に対しましまして仰せられ候ふ。 信心をよく決定して、 ひとにもとらせよと仰せられ候ひき。
(170531)
一 ^▼*十二月六日に*富田殿へ御下向にて候ふあひだ、 五日の夜は大勢御前へまゐり候ふに、 仰せに、 今夜はなにごとに人おほくきたりたるぞと。 *順誓申され候ふは、 まことにこのあひだの御*聴聞申し、 ありがたさの御礼のため、 また明日御下向にて御座候ふ。 御目にかかりまうすべしかのあひだ、 歳末の御礼のためならんと申しあげられけり。 そのとき仰せに、 *無益の歳末の礼かな、 歳末の礼には信心をとりて礼にせよと仰せ候ひき。
(18)
一 ^▼仰せに、 ときどき懈怠することあるとき、 往生すまじきかと疑ひなげくものあるべし。 しかれども、 もはや弥陀如来をひとたびたのみまゐらせて往生1238決定ののちなれば、 懈怠おほくなることのあさましや。 かかる懈怠おほくなるものなれども、 御たすけは*治定なり。 ありがたやありがたやとよろこぶこころを、 ▲他力大行の催促なりと申すと仰せられ候ふなり。
(19)
一 ^▼御たすけありたることのありがたさよと念仏申すべく候ふや、 また御たすけあらうずることのありがたさよと念仏申すべく候ふやと、 申しあげ候ふとき、 仰せに、 0532いづれもよし。 ただし正定聚のかたは御たすけありたるとよろこぶこころ、 滅度のさとりのかたは御たすけあらうずることのありがたさよと申すこころなり。 いづれも仏に成ることをよろこぶこころ、 よしと仰せ候ふなり。
(20)
一 ^▼*明応五年正月二十三日に富田殿より御上洛ありて、 仰せに、 当年よりいよいよ信心なきひとには御あひあるまじきと、 かたく仰せ候ふなり。 安心のとほりいよいよ仰せきかせられて、 また*誓願寺に能をさせられけり。
^*二月十七日にやがて富田殿へ御下向ありて、 *三月二十七日に*堺殿より御上洛ありて、 二1239十八日に仰せられ候ふ。 「▲自信教人信」 (*礼讃) のこころを仰せきかせられんがために、 *上り下り辛労なれども、 御出であるところは、 信をとりよろこぶよし申すほどに、 うれしくてまたのぼりたりと仰せられ候ひき。
(21)
一 ^▼四月九日に仰せられ候ふ。 安心をとりてものをいはばよし。 用ないことをばいふまじきなり。 一心のところをばよく人にもいへと、 空善に御掟なり。
(220533)
一 ^▼*同じき十二日に堺殿へ御下向あり。
(23)
一 ^▼*七月二十日御上洛にて、 その日仰せられ候ふ。 「▲五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて ながく生死をすてはてて 自然の浄土にいたるなれ」 (高僧和讃)。 ▲このつぎをも御法談ありて、 この二首の讃のこころをいひてきかせんとてのぼりたりと仰せ候ふなり。 さて 「自然の浄土にいたるなり」、 「ながく生死をへだてける」、 さてさてあら*おもしろやおもしろやと、 くれぐれ御掟ありけり。
(241240)
一 ^▼のたまはく、 「*南旡」 の字は聖人 (親鸞) の御流義にかぎりてあそばしけり。 「南旡阿弥陀仏」 を*泥にて写させられて、 御座敷に掛けさせられて仰せられけるは、 不可思議光仏、 無礙光仏もこの南無阿弥陀仏をほめたまふ*徳号なり。 しかれば南無阿弥陀仏を本とすべしと仰せられ候ふなり。
(25)
一 ^▼「▲十方無量の諸仏の 証誠護念のみことにて 自力の大菩提心の かなはぬほどはしりぬべし」 (*正像末和讃)。 御讃のこころを聴聞申したきと順誓申しあげられ0534けり。 仰せに、 諸仏の弥陀に帰せらるるを*能としたまへり。
^▼「*世のなかに*あまのこころをすてよかし *妻うしのつのはさもあらばあれ」 と。 これは御開山 (親鸞) の御歌なり。 さればかたちはいらぬこと、 一心を本とすべしとなり。 世にも 「かうべをそるといへども心をそらず」 といふことがあると仰せられ候ふ。
(26)
一 ^▼「*鳥部野をおもひやるこそあはれなれ ゆかりの人のあととおもへば」。 これも聖人の御歌なり。
(271241)
一 ^▼*明応五年九月二十日、 御開山 (親鸞) の*御影様、 空善に*御免あり。 なかなかありがたさ申すにかぎりなきことなり。
(28)
一 ^▼*同じき十一月報恩講の二十五日に、 御開山の ¬御伝¼ (*御伝鈔) を聖人 (親鸞) の御前にて上様 (蓮如) あそばされて、 いろいろ御法談候ふ。 なかなかありがたさ申すばかりなく候ふ。
(29)
一 ^▼*明応六年四月十六日御上洛にて、 その日御開山聖人の*御影の正本、 あつがみ一0535枚につつませ、 *みづからの御筆にて御座候ふとて、 上様御手に御ひろげ候ひて、 皆に拝ませたまへり。 この正本、 まことに宿善なくては拝見申さぬことなりと仰せられ候ふ。
(30)
一 ^▼のたまはく、 「▲諸仏三業荘厳して 畢竟平等なることは 衆生虚誑の身口意を 治せんがためとのべたまふ」 (高僧和讃) といふは、 諸仏の弥陀に帰して衆生をたすけらるることよと仰せられ候ふ。
(311242)
一 ^▼一念の信心をえてのちの相続といふは、 さらに別のことにあらず、 はじめ発起するところの安心を相続せられてたふとくなる一念のこころのとほるを、 ▲「憶念の心つねに」 とも 「仏恩報謝」 ともいふなり。 いよいよ帰命の一念、 発起すること肝要なりと仰せ候ふなり。
(32)
一 ^▼のたまはく、 朝夕、 「正信偈和讃」 にて念仏申すは、 往生の*たね0536になるべきかなるまじきかと、 おのおの坊主に御たづねあり。 皆申されけるは、 往生のたねになるべしと申したる人もあり、 往生のたねにはなるまじきといふ人もありけるとき、 仰せに、 いづれもわろし、 「正信偈和讃」 は、 衆生の弥陀如来を一念にたのみまゐらせて、 後生たすかりまうせとのことわりをあそばされたり。 よくききわけて信をとりて、 ありがたやありがたやと聖人 (親鸞) の御前にてよろこぶことなりと、 くれぐれ仰せ候ふなり。
(33)
一 ^▼南無阿弥陀仏の六字を、 他宗には大善大功徳にてあるあひだ、 となへてこの功徳を諸仏・菩薩・諸天にまゐらせて、 その功徳をわがものがほにするなり1243。 一流にはさなし。 この六字の名号わがものにてありてこそ、 となへて仏・菩薩にまゐらすべけれ。 一念一心に後生たすけたまへとたのめば、 やがて御たすけにあづかることのありがたさありがたさと申すばかりなりと仰せ候ふなり。
(34)
一 ^▼三河国浅井の*後室、 御いとまごひにとてまゐり候ふに、 富田殿へ御下向の*あしたのことなれば、 ことのほかの御*取りみだしにて御座候ふに、 仰せに、 名号をただとなへて仏にまゐらするこころにてはゆめゆめなし。 弥陀をしかと御たすけ候へと0537たのみまゐらすれば、 やがて仏の御たすけにあづかるを南無阿弥陀仏と申すなり。 しかれば、 御たすけにあづかりたることのありがたさよありがたさよと、 こころにおもひまゐらするを、 口に出して南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申すを、 仏恩を報ずるとは申すことなりと仰せ候ひき。
(35)
一 ^▼順誓申しあげられ候ふ。 一念発起のところにて、 罪みな消滅して正定聚不退の位に定まると、 *御文にあそばされたり。 しかるに罪はいのちのあるあひだ1244、 罪もあるべしと仰せ候ふ。 御文と別にきこえまうし候ふやと、 申しあげ候ふとき、 仰せに、 一念のところにて罪みな消えてとあるは、 一念の信力にて往生定まるときは、 罪はさはりともならず、 されば*無き分なり。 命の娑婆にあらんかぎりは、 罪は尽きざるなり。 順誓は、 はや悟りて罪はなきかや。
^聖教には 「一念のところにて罪消えて」 とあるなりと仰せられ候ふ。 罪のあるなしの沙汰をせんよりは、 信心を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいくたびもよし。 罪消えて御たすけあらんとも、 罪消えずして御たすけあるべしとも、 弥陀の御はからひなり、 われとしてはからふべからず。 ただ信心肝要なりと、 くれぐれ仰せられ候0538ふなり。
(36)
一 ^▼「▲真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる」 (正像末和讃) といふは、 弥陀のかたより、 *たのむこころも、 たふとやありがたやと念仏申すこころも、 みなあたへたまふゆゑに、 とやせんかくやせんとはからうて念仏申すは、 自力なればきらふなりと仰せ候ふなり。
(371245)
一 ^▼*無生の生とは、 極楽の生は三界をへめぐるこころにてあらざれば、 極楽の生は無生の生といふなり。
(38)
一 ^▼回向といふは、 弥陀如来の、 衆生を御たすけをいふなりと仰せられ候ふなり。
(39)
一 ^▼仰せに、 一念発起の義、 往生は決定なり。 罪消して助けたまはんとも、 罪消さずしてたすけたまはんとも、 弥陀如来の御はからひなり。 罪の沙汰無益なり。 たのむ衆生を本とたすけたまふことなりと仰せられ候ふなり。
(400539)
一 ^▼仰せに、 *身をすてて*おのおのと同座するをば、 聖人 (親鸞) の仰せにも、 ▲四海の信心の人はみな兄弟と仰せられたれば、 われもその御ことばのごとくなり。 また同座をもしてあらば、 不審なることをも問へかし、 信をよくとれかしとねがふばかりなりと仰せられ候ふなり。
(411246)
一 ^▼「▲愛欲の広海に沈没し、 名利の大山に迷惑して、 定聚の数に入ることを喜ばず、 真証の証に近づくことを快しまず」 (信巻・末) と申す沙汰に、 *不審のあつかひどもにて、 往生せんずるか、 すまじきなんどとたがひに申しあひけるを、 ものごしにきこしめされて、 愛欲も名利もみな煩悩なり、 されば*機のあつかひをするは雑修なりと仰せ候ふなり。 ただ信ずるほかは別のことなしと仰せられ候ふ。
(42)
一 ^▼*ゆふさり、 *案内をも申さず、 ひとびとおほくまゐりたるを、 *美濃殿、 *まかりいで候へと、 あらあらと御申しのところに、 仰せに、 さやうにいはんことばにて、 *一念のことをいひてきかせて帰せかしと。 東西を走りまはりていひたきことなりと0540仰せられ候ふとき、 慶聞房涙を流し、 あやまりて候ふとて讃嘆ありけり。 皆々落涙申すことかぎりなかりけり。
(43)
一 ^▼*明応六年十一月、 報恩講に御上洛なく候ふあひだ、 *法敬坊御使ひとして、 当年は御*在国にて御座候ふあひだ、 *御講をなにと御沙汰あるべきやと、 1247たづね御申し候ふに、 当年よりは夕の*六つどき、 朝の六つどきをかぎりに、 みな退散あるべしとの▲御文をつくらせて、 かくのごとくめさるべきよし御掟あり。 *御堂の夜の宿衆もその日の*頭人ばかりと御掟なり。 また上様 (蓮如) は七日の御講のうちを富田殿にて三日御つとめありて、 二十四日には*大坂殿へ御下向にて御勤行なり。
(44)
一 ^▼*おなじき七年の夏よりまた御*違例にて御座候ふあひだ、 *五月七日に御いとまごひに*聖人へ御まゐりありたきと仰せられて、 御上洛にて、 やがて仰せに、 信心なきひとにはあふまじきぞ。 信をうるものには召してもみたく候ふ、 逢ふべしと仰せなりと云々。
(450541)
一 ^▼今の人は古をたづぬべし。 また古き人は古をよくつたふべし。 物語は失するものなり。 書したるものは失せず候ふ。
(46)
一 ^▼赤尾の*道宗申され候ふ。 一日の*たしなみには朝つとめにかかさじとたしなむ1248べし。 一月のたしなみにはちかきところ*御開山様 (親鸞) の御座候ふところへまゐるべしとたしなめ、 一年のたしなみには*御本寺へまゐるべしとたしなむべしと云々。 これを*円如様きこしめしおよばれ、 よく申したると仰せられ候ふ。
(47)
一 ^▼わが心にまかせずして心を責めよ。 仏法は心のつまる物かとおもへば、 信心に御なぐさみ候ふと仰せられ候ふ。
(48)
一 ^▼法敬坊九十まで存命候ふ。 この歳まで聴聞申し候へども、 これまでと存知たることなし、 あきたりもなきことなりと申され候ふ。
(49)
一 ^▼*山科にて御法談の御座候ふとき、 あまりにありがたき御掟どもなりとて、 これを0542忘れまうしてはと存じ、 御座敷をたち御堂へ六人よりて*談合候へば、 面々にききかへられ候ふ。 そのうちに四人はちがひ候ふ。 大事のことにて候ふと申すことなり。 聞きまどひあるものなり。
(501249)
一 ^▼蓮如上人の御時、 *こころざしの衆も御前におほく候ふとき、 このうちに信をえたるものいくたりあるべきぞ、 一人か二人かあるべきか、 など御掟候ふとき、 おのおの肝をつぶし候ふと申され候ふよしに候ふ。
(51)
一 ^▼法敬申され候ふ。 讃嘆のときなにもおなじやうにきかで、 聴聞は*かどをきけと申され候ふ。 *詮あるところをきけとなり。
(52)
一 ^▼「▲憶念称名いさみありて」 (報恩講私記) とは、 称名は*いさみの念仏なり。 信のうへはうれしくいさみて申す念仏なり。
(53)
一 ^▼御文のこと、 聖教は読みちがへもあり、 こころえもゆかぬところもあり。 御0543文は読みちがへもあるまじきと仰せられ候ふ。 御慈悲のきはまりなり。 これをききながらこころえのゆかぬは*無宿善の機なり。
(54)
一 ^▼御一流の御こと、 このとしまで聴聞申し候うて、 御ことばをうけたまはり1250候へども、 ただ心が御ことばのごとくならずと、 法敬申され候ふ。
(55)
一 ^▼*実如上人、 *さいさい仰せられ候ふ。 仏法のこと、 わがこころにまかせずたしなめと御掟なり。 こころにまかせては、 *さてなり。 すなはちこころにまかせずたしなむ心は他力なり。
(56)
一 ^▼御一流の義を承りわけたるひとはあれども、 聞きうる人はまれなりといへり。 信をうる機まれなりといへる意なり。
(57)
一 ^▼蓮如上人の御掟には、 仏法のことをいふに、 世間のことに*とりなす人のみなり。 それを*退屈せずして、 また仏法のことにとりなせと仰せられ候ふなり。
(580544)
一 ^▼たれのともがらも、 われはわろきとおもふもの、 一人としてもあるべからず。 これ*しかしながら、 聖人 (親鸞) の御*罰をかうぶりたるすがたなり。 これによりて一人づつも心中をひるがへさずは、 ながき世 ˆはˇ *泥梨にふかく沈む1251べきものなり。 これといふもなにごとぞなれば、 真実に仏法のそこをしらざるゆゑなり。
(59)
一 ^▼「皆ひとのまことの信はさらになし ものしりがほの風情にてこそ」。 *近松殿の*堺へ御下向のとき、 *なげしに*おしておかせられ候ふ。 あとにてこのこころをおもひいだし候へと御掟なり。 *光応寺殿の御不審なり。 「ものしりがほ」 とは、 われはこころえたりとおもふがこのこころなり。
(60)
一 ^▼法敬坊、 安心のとほりばかり讃嘆するひとなり。 「▲言南無者」 (*玄義分) の釈をば、 いつもはづさず引く人なり。 それさへ、 *さしよせて申せと、 蓮如上人御掟候ふなり。 ことばすくなに安心のとほり申せと御掟なり。
(610545)
一 ^▼*善宗申され候ふ。 *こころざし申し候ふとき、 わがものがほにもちてまゐるははづかしきよし申され候ふ。 なにとしたることにて候ふやと申し候へば、 これはみな*御用のものにてあるを、 わがもののやうにもちてまゐると申され候ふ1252。 ただ上様 (蓮如) のもの、 とりつぎ候ふことにて候ふを、 *わがものがほに存ずるかと申され候ふ。
(62)
一 ^▼*津国郡家の主計と申す人あり。 ひまなく念仏申すあひだ、 ひげを剃るとき切らぬことなし。 わすれて念仏申すなり。 人は口はたらかねば念仏もすこしのあひだも申されぬかと、 こころもとなきよしに候ふ。
(63)
一 ^▼*仏法者申され候ふ。 わかきとき仏法はたしなめと候ふ。 としよれば行歩もかなはず、 ねぶたくもあるなり。 ただわかきときたしなめと候ふ。
(64)
一 ^▼衆生をしつらひたまふ。 「しつらふ」 といふは、 衆生のこころをそのままおきて、 よきこころを御くはへ候ひて、 *よくめされ候ふ。 衆生のこころをみなとりかへて、 仏智ばかりにて、 別に御みたて候ふことにてはなく候ふ。
(650546)
一 ^▼わが妻子ほど*不便なることなし。 それを勧化せぬはあさましきことなり。 宿1253善なくはちからなし。 わが身をひとつ勧化せぬものがあるべきか。
(66)
一 ^▼慶聞坊のいはれ候ふ。 信はなくて*まぎれまはると、 日に日に地獄がちかくなる。 まぎれまはるがあらはれば地獄がちかくなるなり。 *うちみは信不信みえず候ふ。 とほくいのちをもたずして、 今日ばかりと思へと、 古き*こころざしのひと申され候ふ。
(67)
一 ^▼一度の*ちかひが一期のちかひなり。 一度のたしなみが一期のたしなみなり。 そのゆゑは、 そのままいのちをはれば一期のちかひになるによりてなり。
(68)
一 ^▼「今日ばかりおもふこころを忘るなよ *さなきはいとどのぞみおほきに」 *覚如様御歌
(690547)
一 ^▼*他流には、 名号よりは絵像、 絵像よりは木像といふなり。 *当流には、 木像よりは絵像、 絵像よりは名号といふなり。
(701254)
一 ^▼*御本寺北殿にて、 法敬坊に対して蓮如上人仰せられ候ふ。 われはなにごとをも*当機をかがみおぼしめし、 十あるものを一つにするやうに、 かろがろと理のやがて叶ふやうに御沙汰候ふ。 これを人が考へぬと仰せられ候ふ。 御文等をも近年は御ことばすくなにあそばされ候ふ。 いまはものを聞くうちにも退屈し、 物を聞きおとすあひだ、 肝要のことをやがてしり候ふやうにあそばされ候ふのよし仰せられ候ふ。
(71)
一 ^▼法印*兼縁、 幼少の時、 *二俣にてあまた*小名号を申し入れ候ふ時、 信心やある、 おのおのと仰せられ候ふ。 信心は ˆそのˇ 体名号にて候ふ。 いま思ひあはせ候ふとの義に候ふ。
(72)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 *堺の日向屋は三十万貫を持ちたれども、 死にたるが仏には成り候ふまじ。 大和の*了妙は帷一つをも着かね候へども、 このたび仏に成るべきよと、 仰せられ候ふよしに候ふ。
(731255) 0548
一 ^▼蓮如上人へ久宝寺の*法性申され候ふは、 一念に後生御たすけ候へと弥陀をたのみたてまつり候ふばかりにて往生一定と存じ候ふ。 *かやうにて御入り候ふかと申され候へば、 ある人わきより、 それはいつものことにて候ふ。 別のこと、 不審なることなど申され候はでと申され候へば、 蓮如上人仰せられ候ふ。 それぞとよ、 わろきとは。 めづらしきことを聞きたくおもひしりたく思ふなり。 信のうへにてはいくたびも心中のおもむき、 かやうに申さるべきことなるよし仰せられ候ふ。
(74)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 一向に*不信のよし申さるる人はよく候ふ。 ことばにて安心のとほり申し候ひて、 口にはおなじごとくにて、 *まぎれて空しくなるべき人を悲しく覚え候ふよし仰せられ候ふなり。
(75)
一 ^▼聖人 (親鸞) の御一流は阿弥陀如来の御掟なり。 されば御文には 「▲阿弥陀如来の仰せられけるやうは」 とあそばされ候ふ。
(761256) 0549
一 ^▼蓮如上人、 法敬に対せられ仰せられ候ふ。 いまこの弥陀をたのめといふことを御教へ候ふ人をしりたるかと仰せられ候ふ。 順誓、 存ぜずと申され候ふ。 いま御をしへ候ふ人をいふべし。 *鍛冶・番匠なども物ををしふるに*物を出すものなり。 一大事のことなり。 なんぞものをまゐらせよ。 いふべきと仰せられ候ふ時、 順誓、 *なかなか*なにたるものなりとも進上いたすべきと申され候ふ。 蓮如上人仰せられ候ふ。 このことををしふる人は阿弥陀如来にて候ふ。 阿弥陀如来のわれをたのめとの御をしへにて候ふよし仰せられ候ふ。
(77)
一 ^▼法敬坊、 蓮如上人へ申され候ふ。 あそばされ候ふ御名号焼けまうし候ふが、 六体の仏になりまうし候ふ。 不思議なることと申され候へば、 前々住上人 (蓮如) そのとき仰せられ候ふ。 それは不思議にてもなきなり。 仏の仏に御成り候ふは不思議にてもなく候ふ。 悪凡夫の弥陀をたのむ一念にて仏に成るこそ不思議よと仰せられ候ふなり。
(78)
一 ^▼*朝夕は如来・聖人 (親鸞) の御用にて候ふあひだ、 *冥加のかたをふかく存1257ずべきよし、 折々前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふよしに候ふ。
(790550)
一 ^▼前々住上人仰せられ候ふ。 「*噛むとはしるとも、 呑むとしらすな」 といふことがあるぞ。 妻子を帯し魚鳥を服し、 罪障の身なりといひて、 さのみ思ひのままにはあるまじきよし仰せられ候ふ。
(80)
一 ^▼仏法には無我と仰せられ候ふ。 われと思ふことはいささかあるまじきことなり。 われはわろしとおもふ人なし。 これ聖人 (親鸞) の御罰なりと、 御詞候ふ。 他力の御すすめにて候ふ。 ゆめゆめわれといふことはあるまじく候ふ。 無我といふこと、 前住上人 (実如) もたびたび仰せられ候ふ。
(81)
一 ^▼「▲日ごろしれるところを善知識にあひて問へば*徳分あるなり」 (*浄土見聞集・意)。 しれるところを問へば徳分あるといへるが殊勝のことばなりと、 蓮如上人仰せられ候ふ。 知らざるところを問はばいかほど殊勝なることあるべきと仰せられ候ふ。
(82)
一 ^▼聴聞を申すも大略わがためとはおもはず、 ややもすれば*法文の一つをもききおぼえて、 人に*うりごころあるとの仰せごとにて候ふ。
(831258) 0551
一 ^▼一心にたのみたてまつる機は、 如来のよくしろしめすなり。 弥陀のただしろしめすやうに心中をもつべし。 冥加を*おそろしく存ずべきことにて候ふとの義に候ふ。
(84)
一 ^▼前住上人 (実如) 仰せられ候ふ。 前々住 (蓮如) より御相続の義は*別義なきなり。 ただ弥陀たのむ一念の義よりほかは別義なく候ふ。 これよりほか御存知なく候ふ。 いかやうの御誓言もあるべきよし仰せられ候ふ。
(85)
一 ^▼おなじく仰せられ候ふ。 *凡夫往生、 ただたのむ一念にて仏に成らぬことあらば、 いかなる御誓言をも仰せらるべき。 証拠は南無阿弥陀仏なり。 十方の諸仏、 証人にて候ふ。
(861259)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 物をいへいへと仰せられ候ふ。 物を申さぬものはおそろしきと仰せられ候ふ。 *信不信ともに、 ただ物をいへと仰せられ候ふ。 物を申せば心底もきこえ、 また人にも直さるるなり。 ただ物を申せと仰せられ候ふ。
(87)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 仏法は、 つとめの*節はかせもしらでよくすると思ふなり0552。 つとめの節わろきよしを仰せられ、 慶聞坊をいつも*とりつめ仰せられつるよしに候ふ。 それにつきて蓮如上人仰せられ候ふ。 *一向にわろき人は違ひなどといふこともなし。 ただわろきまでなり。 わろしとも仰せごともなきなり。 法義をもこころにかけ、 ちとこころえもあるうへの違ひが、 ことのほかの違ひなりと仰せられ候ふよしに候ふ。
(88)
一 ^▼人のこころえのとほり申されけるに、 わがこころはただ篭に水を入れ候ふやうに、 仏法の御座敷にてはありがたくもたふとくも存じ候ふが、 やがてもとの心中になされ候ふと、 申され候ふところに、 前々住上人 (蓮如) 仰せられ候1260ふ。 その篭を水につけよ、 わが身をば法に*ひてておくべきよし仰せられ候ふよしに候ふ。
^▼万事信なきによりてわろきなり。 善知識のわろきと仰せらるるは、 信のなきことを*くせごとと仰せられ候ふことに候ふ。
(89)
一 ^▼聖教を拝見申すも、 *うかうかと拝みまうすはその詮なし。 蓮如上人は、 ただ聖教をば*くれくれと仰せられ候ふ。 また百遍これをみれば*義理おのづから得ると申すこともあれば、 心をとどむべきことなり。 聖教は*句面のごとくこころうべし。 そのうへにて*師伝*口業はあるべきなり。 *私にして会釈することしかるべからざることなり。
(900553)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 他力信心他力信心とみれば、 あやまりなきよし仰せられ候ふ。
(91)
一 ^▼わればかりと思ひ、 *独覚心なること、 あさましきことなり。 信あらば仏の慈悲をうけとりまうすうへは、 わればかりと思ふことはあるまじく候ふ。 ▲触光柔1261軟の願 (第三十三願) 候ふときは、 心もやはらぐべきことなり。 されば縁覚は独覚のさとりなるがゆゑに、 仏に成らざるなり。
(92)
一 ^▼一句一言も申すものは、 われと思ひて物を申すなり。 信のうへはわれはわろしと思ひ、 また報謝と思ひ、 ありがたさのあまりを人にも申すことなるべし。
(93)
一 ^▼信もなくて、 人に信をとられよとられよと申すは、 われは物をもたずして人に物をとらすべきといふの心なり。 人、 *承引あるべからずと、 前住上人 (蓮如) 申さると順誓に仰せられ候ひき。 「▲自信教人信」 (礼讃) と候ふ時は、 まづわが信心決定して、 人にも教へて0554仏恩になるとのことに候ふ。 自身の安心決定して教ふるは、 すなはち 「▲大悲伝普化」 (礼讃) の道理なるよし、 おなじく仰せられ候ふ。
(94)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 聖教よみの聖教よまずあり、 聖教よまずの聖教1262よみあり。 一文字をもしらねども、 人に聖教をよませ聴聞させて信をとらするは、 聖教よまずの聖教よみなり。 聖教をばよめども、 真実によみもせず法義もなきは、 聖教よみの聖教よまずなりと仰せられ候ふ。
^*自信教人信の道理なりと仰せられ候ふこと。
(95)
一 ^▼聖教よみの、 仏法を申したてたることはなく候ふ。 *尼入道のたぐひのたふとやありがたやと申され候ふをききては、 人が信をとると、 前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふよしに候ふ。 なにもしらねども、 仏の*加備力のゆゑに尼入道などのよろこばるるをききては、 人も信をとるなり。 聖教をよめども、 *名聞がさきにたちて心には法なきゆゑに、 人の信用なきなり。
(960555)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 当流には、 *総体、 *世間機わろし。 仏法のうへよりなにごともあひはたらくべきことなるよし仰せられ候ふと云々。
(97)
一 ^▼おなじく仰せられ候ふ。 世間にて、 *時宜しかるべきはよき人なりといへども1263、 信なくは*心をおくべきなり。 *便りにもならぬなり。 たとひ*片目つぶれ、 腰をひき候ふやうなるものなりとも、 信心あらん人をばたのもしく思ふべきなりと仰せられ候ふ。
(98)
一 ^▼*君を思ふはわれを思ふなり。 善知識の仰せに随ひ信をとれば、 極楽へまゐるものなり。
(99)
一 ^▼久遠劫より久しき仏は阿弥陀仏なり。 仮に*果後の方便によりて誓願をまうけたまふことなり。
(100)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 弥陀をたのめる人は、 南無阿弥陀仏に*身をばまるめたることなりと仰せられ候ふと云々。 いよいよ冥加を存ずべきのよしに候ふ。
(1010556)
一 ^▼*丹後法眼 蓮応 衣装ととのへられ、 前々住上人の御前に*伺候候ひし時1264、 仰せられ候ふ。 衣のえりを御たたきありて、 南無阿弥陀仏よと仰せられ候ふ。 また前住上人 (実如) は御たたみをたたかれ、 南無阿弥陀仏にもたれたるよし仰せられ候ひき。 南無阿弥陀仏に身をばまるめたると仰せられ候ふと*符合申し候ふ。
(102)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 仏法のうへには、 事ごとにつきて空おそろしきことと存じ候ふべく候ふ。 ただよろづにつきて油断あるまじきことと存じ候へのよし、 折々に仰せられ候ふと云々。 ▼仏法には明日と申すことあるまじく候ふ。 仏法のことはいそげいそげと仰せられ候ふなり。
(103)
一 ^▼おなじく仰せに、 今日の日はあるまじきと思へと仰せられ候ふ。 なにごともかきいそぎて物を御沙汰候ふよしに候ふ。 ながながしたることを御嫌ひのよしに候ふ。 仏法のうへには、 明日のことを今日するやうにいそぎたること、 *賞翫なり。
(1041265)
一 ^▼おなじく仰せにいはく、 聖人 (親鸞) の*御影を申すは大事のことなり。 昔は御本尊よりほかは御座なきことなり。 信なくはかならず御罰を蒙るべきよし仰せられ候ふ。
(1050557)
一 ^▼時節到来といふこと、 用心をもしてそのうへに事の出でき候ふを、 時節到来とはいふべし。 無用心にて出でき候ふを時節到来とはいはぬことなり。 聴聞を心がけてのうへの宿善・無宿善ともいふことなり。 ただ信心はきくにきはまることなるよし仰せのよし候ふ。
(106)
一 ^▼前々住上人、 (蓮如) 法敬に対して仰せられ候ふ。 まきたてといふもの知りたるかと。 法敬御返事に、 まきたてと申すは一度たねを播きて*手をささぬものに候ふと申され候ふ。 仰せにいはく、 それぞ、 まきたてわろきなり。 人に直されまじきと思ふ心なり。 心中をば申しいだして人に直され候はでは、 心得の直ることあるべからず。 まきたてにては信をとることあるべからずと仰せられ候ふ云々。
(1071266)
一 ^▼何ともして人に直され候ふやうに心中を持つべし。 わが心中をば同行のなかへ打ちいだしておくべし。 *下としたる人のいふことをば用ゐずしてかならず*腹立するなり。 あさましきことなり。 ただ人に直さるるやうに心中を持つべき義に候ふ。
(1080558)
一 ^▼人の、 前々住上人 (蓮如) へ申され候ふ。 一念の処決定にて候ふ。 ややもすれば、 善知識の御ことばをおろそかに存じ候ふよし申され候へば、 仰せられ候ふは、 もつとも信のうへは*崇仰の心あるべきなり。 さりながら、 凡夫の心にては、 かやうの心中のおこらん時は勿体なきこととおもひすつべしと仰せられしと云々。
(109)
一 ^▼蓮如上人、 兼縁に対せられ仰せられ候ふ。 たとひ*木の皮をきるいろめなりとも、 *なわびそ。 ただ弥陀をたのむ一念をよろこぶべきよし仰せられ候ふ。
(110)
一 ^▼前々住上人仰せられ候ふ。 上下老若によらず、 後生は油断にてしそんず1267べきのよし仰せられ候ふ。
(111)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 御口のうち御煩ひ候ふに、 をりふし御目をふさがれ、 ああ、 と仰せられ候ふ。 人の信なきことを思ふことは、 身をきりさくやうにかなしきよと仰せられ候ふよしに候ふ。
(1120559)
一 ^▼おなじく仰せに、 われは人の機を*かがみ、 人にしたがひて仏法を御聞かせ候ふよし仰せられ候ふ。 いかにも人のすきたることなど申させられ、 うれしやと存じ候ふところに、 また仏法のことを仰せられ候ふ。 いろいろ御方便にて、 人に法を御聞かせ候ひつるよしに候ふ。
(113)
一 ^▼前々住上人仰せられ候ふ。 人々の仏法を信じてわれによろこばせんと思へり。 それはわろし。 信をとれば自身の*勝徳なり。 さりながら、 信をとらば、 恩にも御うけあるべきと仰せられ候ふ。 また、 聞きたくもなきことなりとも、 まことに信をとるべきならば、 きこしめすべきよし仰せられ候ふ。
(1141268)
一 ^▼おなじく仰せに、 まことに一人なりとも信をとるべきならば、 身を捨てよ。 それはすたらぬと仰せられ候ふ。
(115)
一 ^▼あるとき仰せられ候ふ。 御門徒の心得を直すときこしめして、 *老の皺をのべ候ふと仰せられ候ふ。
(1160560)
一 ^▼ある御門徒衆に御尋ね候ふ。 そなたの坊主、 心得の直りたるをうれしく存ずるかと御尋ね候へば、 申され候ふ。 まことに心得を直され、 法義を心にかけられ候ふ。 一段ありがたくうれしく存じ候ふよし申され候ふ。 その時仰せられ候ふ。 われはなほうれしく思ふよと仰せられ候ふ。
(117)
一 ^▼をかしき*事態をもさせられ、 仏法に退屈仕り候ふものの心をもくつろげ、 その気をも失はして、 またあたらしく法を仰せられ候ふ。 まことに*善巧方便、 ありがたきことなり。
(1181269)
一 ^▼*天王寺土塔会、 前々住上人 (蓮如) 御覧候ひて仰せられ候ふ。 あれほどのおほき人ども地獄へおつべしと、 *不便に思し召し候ふよし仰せられ候ふ。 またそのなかに御門徒の人は仏に成るべしと仰せられ候ふ。 これまたありがたき仰せにて候ふ。
蓮如上人御一代*記聞書 本
1270蓮如0561上人御一代*記聞書 末
(119)
一 ^▼前々住上人 (*蓮如) 御法談以後、 四五人の*御兄弟へ仰せられ候ふ。 四五人の衆*寄合ひ談合せよ。 かならず五人は五人ながら*意巧にきくものなるあひだ、 よくよく談合すべきのよし仰せられ候ふ。
(120)
一 ^▼*たとひなきことなりとも、 人申し候はば、 *当座領掌すべし。 当座に詞を返せば、 ふたたびいはざるなり。 人のいふことをばただふかく*用心すべきなり。 これにつきてある人、 あひたがひにあしきことを申すべしと、 *契約候ひしところに、 すなはち一人のあしきさまなること申しければ、 われはさやうに存ぜざれども、 人の申すあひださやうに候ふと申す。 さればこの返答あしきとのことに候ふ。 さなきことなりとも、 当座はさぞと申すべきことなり。
(1211271)
一 ^▼一宗の繁昌と申すは、 人のおほくあつまり、 *威のおほきなることにてはなく候ふ。 一人なり0562とも、 人の信をとるが、 一宗の繁昌に候ふ。 しかれば、 「▲専修正行の繁昌は遺弟の念力より成ず」 (*報恩講私記) とあそばされおかれ候ふ。
(122)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 聴聞*心に入れまうさんと思ふ人はあり、 信をとらんずると思ふ人なし。 されば極楽はたのしむと聞きて、 まゐらんと願ひのぞむ人は仏に成らず、 弥陀をたのむ人は仏に成ると仰せられ候ふ。
(123)
一 ^▼聖教を*すきこしらへもちたる人の子孫には、 仏法者いでくるものなり。 ひとたび仏法をたしなみ候ふ人は、 おほやうなれどもおどろきやすきなり。
(124)
一 ^▼御文は如来の*直説なりと存ずべきのよしに候ふ。 ▲形をみれば*法然、 詞を聞けば弥陀の直説といへり。
(1251272)
一 ^▼蓮如上人御病中に、 *慶聞に、 なんぞ物をよめと仰せられ候ふとき、 御文をよみまうすべきかと申され候ふ。 さらばよみまうせと仰せられ候ふ。 三通二度づつ六遍よませられて0563仰せられ候ふ。 わがつくりたるものなれども、 殊勝なるよと仰せられ候ふ。
(126)
一 ^▼*順誓申されしと云々。 常にはわがまへにてはいはずして、 *後言いふとて腹立することなり。 われはさやうには存ぜず候ふ。 わがまへにて申しにくくは、 かげにてなりともわがわろきことを申されよ。 聞きて心中をなほすべきよし申され候ふ。
(127)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 仏法のためと思し召し候へば、 なにたる御辛労をも御辛労とは思し召されぬよし仰せられ候ふ。 御*心まめにて、 なにごとも御沙汰候ふよしなり。
(128)
一 ^▼法には*あらめなるがわろし。 *世間には微細なるといへども、 仏法には微細に1273心をもち、 こまかに心をはこぶべきよし仰せられ候ふ。
(129)
一 ^▼とほきはちかき道理、 ちかきはとほき道理あり。 灯台もとくらしとて、 仏法を*不断聴聞申す身は、 *御用を厚くかうぶりて、 いつものことと思ひ、 法義におろそかなり。 とほく候ふ人は、 仏法をききたく大切にもとむるこころありけり。 仏法は0564大切にもとむるよりきくものなり。
(130)
一 ^▼ひとつことを聞きて、 いつもめづらしく*初めたるやうに、 信のうへにはあるべきなり。 ただ珍しきことをききたく思ふなり。 ひとつことをいくたび聴聞申すとも、 めづらしく初めたるやうにあるべきなり。
(131)
一 ^▼*道宗は、 ただ一つ御詞をいつも聴聞申すが、 初めたるやうにありがたきよし申され候ふ。
(132)
一 ^▼念仏申すも、 人の*名聞げにおもはれんと思ひてたしなむが*大儀なるよし、 ある1274人申され候ふ。 常の人の心中にかはり候ふこと。
(133)
一 ^▼同行同侶の目をはぢて*冥慮をおそれず。 ただ*冥見をおそろしく存ずべきことなり。
(134)
一 ^▼たとひ*正義たりとも、 *しげからんことをば停0565止すべきよし候ふ。 まして世間の儀停止候はぬことしかるべからず。 いよいよ増長すべきは信心にて候ふ。
(135)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 仏法には*まゐらせ心わろし。 これをして御心に叶はんと思ふ心なり。 仏法のうへはなにごとも報謝と存ずべきなりと云々。
(136)
一 ^▼人の身には*眼・耳・鼻・舌・身・意の*六賊ありて善心をうばふ。 これは諸行のことなり。 念仏はしからず。 *仏智の心をうるゆゑに、 *貪瞋痴の煩悩をば仏の方より刹那に消したまふなり。 ゆゑに 「▲貪瞋煩悩中 能生清浄願往生心」 (*散善義) といへり。 「正信偈」 には、 「▲譬如日光覆雲霧 雲霧之下明1275無闇」 といへり。
(137)
一 ^▼一句一言を聴聞するとも、 ただ*得手に法を聞くなり。 ただよくきき、 心中のとほりを同行にあひ談合すべきことなりと云々。
(138)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 神にも仏にも馴れては、 ▼手ですべきことを足にてするぞと仰せられける。 如来・聖人 (*親鸞)・善知識にも馴れまうすほど0566御こころやすく思ふなり。 馴れまうすほどいよいよ*渇仰の心をふかくはこぶべきこともつともなるよし仰せられ候ふ。
(139)
一 ^▼口と身のはたらきとは似するものなり。 *心根がよくなりがたきものなり。 *涯分、 心の方を嗜みまうすべきことなりと云々。
(140)
一 ^▼衣装等にいたるまで、 わが物と思ひ踏みたたくること*あさましきことなり。 ことごとく聖人の*御用物にて候ふあひだ、 前々住上人は召し物など御足1276にあたり候へば、 御いただき候ふよし承りおよび候ふ。
(141)
一 ^▼王法は*額にあてよ、 仏法は内心にふかく蓄へよとの仰せに候ふ。 *仁義といふことも、 *端正あるべきことなるよしに候ふ。
(142)
一 ^▼蓮如上人御若年のころ、 御*迷惑のことにて候ひし。 ただ*御代にて仏法を*仰せたてられんと思し召し候ふ御念力一つにて御繁昌候ふ。 御辛労ゆゑに候ふ。
(1430567)
一 ^▼御病中に蓮如上人仰せられ候ふ。 御代に仏法を是非とも御*再興あらんと思し召し候ふ御念力一つにて、 かやうにいままでみなみな心やすくあることは、 *この法師が冥加に叶ふによりてのことなりと御自讃ありと云々。
(144)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) は、 昔は*こぶくめをめされ候ふ。 白小袖とて御心やすく召され候ふ御ことも御座なく候ふよしに候ふ。 いろいろ御かなしかりけること1277ども、 折々御物語り候ふ。 今々のものはさやうのことを承り候ひて、 冥加を存ずべきのよしくれぐれ仰せられ候ふ。
(145)
一 ^▼よろづ御迷惑にて、 油をめされ候はんにも御*用脚なく、 やうやう京の*黒木をすこしづつ御とり候ひて、 聖教など御覧候ふよしに候ふ。 また少々は月の光にても聖教を*あそばされ候ふ。 御足をもたいがい水にて御洗ひ候ふ。 また二三日も御膳まゐり候はぬことも候ふよし承りおよび候ふ。
(146)
一 ^▼人をも*かひがひしく召しつかはれ候はであるうへは、 幼童の*むつきをもひとり御洗ひ候ふなどと仰せられ候ふ。
(1470568)
一 ^▼*存如上人召しつかはれ候ふ*小者を、 御雇ひ候ひて召しつかはれ候ふよしに候ふ。 存如上人は人を五人召しつかはれ候ふ。 *蓮如上人御隠居の時も、 五人召しつかはれ候ふ。 *当時は御用とて心のままなること、 そらおそろしく、 身もいたくかなしく存ずべきことにて候ふ。
(1481278)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 昔は仏前に伺候の人は、 本は*紙絹に輻をさし着候ふ。 いまは白小袖にて、 *結句きがへを所持候ふ。 これそのころは*禁裏にも御迷惑にて、 質をおかれて御用にさせられ候ふと、 *引きごとに御沙汰候ふ。
(149)
一 ^▼また仰せられ候ふ。 御貧しく候ひて、 京にて古き綿を御とり候ひて、 御一人ひろげ候ふことあり。 また御衣はかたの破れたるをめされ候ふ。 白き御小袖は美濃絹のわろきをもとめ、 やうやう一つめされ候ふよし仰せられ候ふ。 当時はかやうのことをもしり候はで、 あるべきやうにみなみな存じ候ふほどに、 冥加につきまうすべし。 一大事なり。
(150)
一 ^▼同行・善知識にはよくよくちかづくべし。 「▲親近せざるは雑修の失なり」 と ¬*礼0569讃¼ (意) にあらはせり。 あしきものにちかづけば、 それには馴れじと思へども、 悪事*よりよりにあり。 ただ仏法者には馴れちかづくべきよし仰せられ候ふ。 *俗典にいはく、 「人の善悪は近づき習ふによる」 と、 また 「その人をしら1279んとおもはば、 その友をみよ」 といへり。 「善人の敵とはなるとも、 悪人を友とすることなかれ」 といふことあり。
(151)
一 ^▼「*きればいよいよかたく、 仰げばいよいよたかし」 といふことあり。 物をきりてみてかたきとしるなり。 本願を信じて殊勝なるほどもしるなり。 信心おこりぬれば、 たふとくありがたく、 よろこびも増長あるなり。
(152)
一 ^▼凡夫の身にて後生たすかることは、 ただ易きとばかり思へり。 「▲難中之難」 (*大経・下) とあれば、 *堅くおこしがたき信なれども、 仏智より得やすく成就したまふことなり。 「▲往生ほどの一大事、 凡夫のはからふべきにあらず」 (*執持鈔(2)) といへり。 前住上人 (実如) 仰せに、 後生一大事と存ずる人には御同心あるべきよし仰せられ候ふと云々。
(153)
一 ^▼仏説に*信謗あるべきよし説きおきたまへり。 信ずるものばかりにて謗ずる人なくは0570、 説きおきたまふこといかがとも思ふべきに、 はや謗ずるものあるうへ1280は、 信ぜんにおいてはかならず往生決定との仰せに候ふ。
(154)
一 ^▼同行のまへにてはよろこぶものなり、 これ名聞なり。 信のうへは一人居てよろこぶ法なり。
(155)
一 ^▼仏法には*世間のひまを闕きてきくべし。 世間の隙をあけて法をきくべきやうに思ふこと、 あさましきことなり。 仏法には明日といふことはあるまじきよしの仰せに候ふ。 「▲たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり」 と、 ¬和讃¼ (*浄土和讃) にあそばされ候ふ。
(156)
一 ^▼*法敬申され候ふと云々。 人寄合ひ、 雑談ありしなかばに、 ある人ふと座敷を立たれ候ふ。 *上人いかにと仰せければ、 一大事の急用ありとて立たれけり。 その後、 先日はいかにふと立たれ候ふやと問ひければ、 申され候ふ。 仏法の物語、 約束申したるあひだ、 *あるもあられずしてまかりたち候ふよし申され1281候ふ。 法義にはかやうにぞ心をかけ候ふべきことなる0571よし申され候ふ。
(157)
一 ^▲仏法をあるじとし、 世間を客人とせよといへり。 仏法のうへよりは、 世間のことは時にしたがひあひはたらくべきことなりと云々。
(158)
一 ^▼前々住上人 (蓮如)、 *南殿にて、 *存覚*御作分の聖教ちと不審なる所の候ふを、 いかがとて、 *兼縁、 前々住上人へ御目にかけられ候へば、 仰せられ候ふ。 名人のせられ候ふ物をばそのままにて置くことなり。 これが名誉なりと仰せられ候ふなり。
(159)
一 ^▼前々住上人へある人申され候ふ。 開山 (親鸞) の御時のこと申され候ふ。 これはいかやうの*子細にて候ふと申されければ、 仰せられ候ふ。 われもしらぬことなり。 なにごともなにごともしらぬことをも、 開山のめされ候ふやうに御沙汰候ふと仰せられ候ふ。
(1601282)
一 ^▼*総体、 人にはおとるまじきと思ふ心あり。 この心にて世間には物を*しならふなり。 仏法には無我にて候ふうへは、 人にまけて信をとるべきなり。 *理をみて*情を折る0572こそ、 仏の御慈悲よと仰せられ候ふ。
(161)
一 ^▼一心とは、 弥陀をたのめば如来の仏心とひとつになしたまふがゆゑに、 一心といへり。
(162)
一 ^▼ある人申され候ふと云々。 われは井の水を飲むも、 仏法の御用なれば、 水の一口も、 如来・聖人 (親鸞) の御用と存じ候ふよし申され候ふ。
(163)
一 ^▼蓮如上人御病中に仰せられ候ふ。 御自身なにごとも思し召し立ち候ふことの、 成りゆくほどのことはあれども、 成らずといふことなし。 人の信なきことばかりかなしく御なげきは思し召しのよし仰せられ候ふ。
(164)
一 ^▼おなじく仰せに、 なにごとをも思し召すままに御沙汰あり。 聖人の御一流1283をも御再興候ひて、 本堂・御影堂をもたてられ、 御*住持をも*御相続ありて、 *大坂殿を御建立ありて御隠居候ふ。 しかれば、 われは 「▼功成り名遂げて身退くは天の道なり」 (*老子) といふこと、 それ御身のうへなるべき0573よし仰せられ候ふと。
(165)
一 ^▼敵の陣に火をともすを、 火にてなきとは思はず。 いかなる人なりとも、 *御ことばのとほりを申し、 御詞をよみまうさば、 信仰し、 承るべきことなりと。
(166)
一 ^▼蓮如上人、 折々仰せられ候ふ。 仏法の義をばよくよく人に問へ。 物をば人によく問ひまうせのよし仰せられ候ふ。 たれに問ひまうすべきよしうかがひまうしければ、 *仏法だにもあらば、 上下をいはず問ふべし。 仏法はしりさうもなきものが知るぞと仰せられ候ふと云々。
(167)
一 ^▼蓮如上人、 無紋のものを着ることを御きらひ候ふ。 殊勝さうにみゆるとの1284仰せに候ふ。 また、 墨の黒き衣を着候ふを御きらひ候ふ。 墨の黒き衣を着て、 御所へまゐれば仰せられ候ふ。 衣紋ただしき殊勝の御僧の御出で候ふと、 仰せられ候ひて、 いやわれは殊勝にもなし。 ただ弥陀の本願殊勝なるよし仰せられ候ふ。
(168)
一 ^▼大坂殿にて、 紋のある御小袖をさせられ、 *御座のうへに掛けられておかれ候ふよしに候ふ。
(1690574)
一 ^▼御膳まゐり候ふ時には、 御合掌ありて、 如来・聖人 (親鸞) の御用にて*衣食ふよと仰せられ候ふ。
(170)
一 ^▼人はあがりあがりて*おちばをしらぬなり。 ただつつしみて不断そらおそろしきことと、 毎事につけて心をもつべきのよし仰せられ候ふ。
(171)
一 ^▼往生は一人の*しのぎなり。 一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり1285。 よそごとのやうに思ふことは、 *かつはわが身をしらぬことなりと、 *円如仰せ候ひき。
(172)
一 ^▼大坂殿にて、 ある人、 前々住上人 (蓮如) に申され候ふ。 今朝暁より老いたるものにて候ふがまゐられ候ふ。 *神変なることなるよし申され候へば、 やがて仰せられ候ふ。 信だにあれば辛労とはおもはぬなり。 信のうへは仏恩報謝と存じ候へば、 苦労とは思はぬなりと仰せられしと云々。 老者と申すは*田上の了宗なりと云々。
(1730575)
一 ^▼南殿にて人々寄合ひ、 心中をなにかと*あつかひまうすところへ、 前々住上人御出で候ひて仰せられ候ふ。 なにごとをいふぞ。 ただなにごとのあつかひも思ひすてて、 一心に弥陀を疑なくたのむばかりにて、 往生は仏のかたより定めましますぞ。 その証は南無阿弥陀仏よ。 このうへはなにごとをかあつかふべきぞと仰せられ候ふ。 もし不審などを申すにも、 *多事をただ御一言にてはらりと不審はれ候ひしと云々。
(1741286)
一 ^▼前々住上人 (蓮如)、 「おどろかすかひこそなけれ*村雀 耳なれぬれば*なるこにぞのる」、 この歌を御引きありて折々仰せられ候ふ。 ただ人はみな耳なれ雀なりと仰せられしと云々。
(175)
一 ^▼心中をあらためんとまでは思ふ人はあれども、 信をとらんと思ふ人はなきなりと仰せられ候ふ。
(176)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 方便をわろしといふことはあるまじきなり。 方便をもつて真実をあらはす*廃立の義よくよくしるべし。 弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、 真0576実の信をばうることなるよし仰せられ候ふと云々。
(177)
一 ^▼御文はこれ凡夫往生の鏡なり。 御文のうへに法門あるべきやうに思ふ人あり。 大きなる誤りなりと云々。
(178)
一 ^▼信のうへは仏恩の称名*退転あるまじきことなり。 あるいは心よりたふとく1287ありがたく存ずるをば仏恩と思ひ、 ただ念仏の申され候ふをば、 それほどに思はざること、 大きなる誤りなり。 おのづから念仏の申され候ふこそ、 仏智の御もよほし、 仏恩の称名なれと仰せごとに候ふ。
(179)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 信のうへは、 たふとく思ひて申す念仏も、 またふと申す念仏も*仏恩にそなはるなり。 他宗には親のため、 またなにのためなんどとて念仏をつかふなり。 聖人 (親鸞) の御一流には弥陀をたのむが念仏なり。 そのうへの称名は、 なにともあれ仏恩になるものなりと仰せられ候ふ云々。
(1800577)
一 ^▼ある人いはく、 前々住上人 (蓮如) の御時、 南殿とやらんにて、 人、 蜂を殺し候ふに、 *思ひよらず念仏申され候ふ。 その時なにと思うて念仏をば申したると仰せられ候へば、 ただ*かわいやと存ずるばかりにて申し候ふと申されければ、 仰せられ候ふは、 信のうへはなにともあれ、 念仏申すは報謝の義と存ずべし。 みな仏恩になると仰せられ候ふ。
(1811288)
一 ^▼南殿にて、 前々住上人 (蓮如)、 *のうれんを打ちあげられて御出で候ふとて、 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と仰せられ候ひて、 法敬この心しりたるかと仰せられ候ふ。 なにとも存ぜずと申され候へば、 仰せられ候ふ。 これはわれは御たすけ候ふ、 御うれしやたふとやと申す心よと仰せられ候ふ云々。
(182)
一 ^▼蓮如上人へ、 ある人安心のとほり申され候ふ。 西国の人と云々 安心の*一通りを申され候へば、 仰せられ候ふ。 申し候ふごとくの心中に候はば、 それが*肝要と仰せられ候ふ。
(183)
一 ^▼おなじく仰せられ候ふ。 当時ことばにては安心のとほりおなじやうに申され候ひし。 しかれば、 *信治定の人に紛れて、 往生をしそんずべきことをかなしく思し召し候ふよし仰せられ候ふ。
(1840578)
一 ^▼信のうへは*さのみわろきことはあるまじく候ふ。 あるいは人のいひ候ふなどとて、 あしきことなどはあるまじく候ふ。 今度生死の*結句をきりて、 安楽に生1289ぜんと思はん人、 いかんとして*あしきさまなることをすべきやと仰せられ候ふ。
(185)
一 ^▼仰せにいはく、 仏法をばさしよせていへいへと仰せられ候ふ。 法敬に対し仰せられ候ふ。 信心・安心といへば、 愚痴のものは文字もしらぬなり。 信心・安心などいへば、 別のやうにも思ふなり。 ただ凡夫の仏に成ることををしふべし。 後生たすけたまへと弥陀をたのめといふべし。 なにたる愚痴の衆生なりとも、 聞きて信をとるべし。 当流には、 これよりほかの法門はなきなりと仰せられ候ふ。
^¬*安心決定鈔¼ (本) にいはく、 「▲浄土の法門は、 第十八の願をよくよくこころうるのほかにはなきなり」 といへり。
^しかれば、 御文には 「▲一心一向に仏たすけたまへと申さん衆生をば、 たとひ罪業は深重なりとも、 かならず弥陀如来はすくひましますべし。 これすなはち第十八の念仏往生の誓願の意なり」 といへり。
(1860579)
一 ^▼信をとらぬによりてわろきぞ。 ただ信をとれと仰せられ候ふ。 善知識のわろき1290と仰せられけるは、 信のなきことをわろきと仰せらるるなり。 しかれば、 前々住上人 (蓮如)、 ある人を、 *言語道断わろきと仰せられ候ふところに、 その人申され候ふ。 なにごとも*御意のごとくと存じ候ふと申され候へば、 仰せられ候ふ。 *ふつとわろきなり。 信のなきはわろくはなきかと仰せられ候ふと 云々。
(187)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 ▼なにたることをきこしめしても、 御心には*ゆめゆめ叶はざるなりと。
^▼一人なりとも人の信をとりたることをきこしめしたきと、 御ひとりごとに仰せられ候ふ。 御一生は、 人に信をとらせたく思し召され候ふよし仰せられ候ふ。
(188)
一 ^▼聖人 (親鸞) の御流はたのむ一念のところ肝要なり。 ゆゑに、 たのむといふことをば代々あそばしおかれ候へども、 くはしくなにとたのめといふことをしらざりき。 しかれば、 前々住上人の御代に、 御文を御作り候ひて、 「▲雑行をすてて、 後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめ」 と、 あきらかにしらせられ1291候ふ。 しかれば、 御再興の上人にてましますものなり。
(1890580)
一 ^▼よきことをしたるがわろきことあり、 わろきことをしたるがよきことあり。 よきことをしても、 われは法義につきてよきことをしたると思ひ、 *われといふことあればわろきなり。 あしきことをしても、 心中をひるがへし本願に帰すれば、 わろきことをしたるがよき道理になるよし仰せられ候ふ。 しかれば、 蓮如上人は、 まゐらせ心がわろきと仰せらるると云々。
(190)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 思ひよらぬものが分に過ぎて物を出し候はば、 一子細あるべきと思ふべし。 わが*こころならひに人よりものを出せばうれしく思ふほどに、 なんぞ用をいふべき時は、 人がさやうにするなりと仰せられ候ふ。
(191)
一 ^▼行くさきむかひばかりみて、 あしもとをみねば、 *踏みかぶるべきなり。 人のうへばかりみて、 わが身のうへのことを*たしなまずは、 一大事たるべきと仰せ1292られ候ふ。
(1920581)
一 ^▼善知識の仰せなりとも、 成るまじなんど思ふは、 大きなるあさましきことなり。 成らざることなりとも、 仰せならば成るべきと存ずべし。 この凡夫の身が仏に成るうへは、 *さてあるまじきと存ずることあるべきか。 しかれば道宗、 *近江の湖を一人してうめよと仰せ候ふとも、 *畏まりたると申すべく候ふ。 仰せにて候はば、 成らぬことあるべきかと申され候ふ。
(193)
一 ^▼「*至りてかたきは石なり、 至りてやはらかなるは水なり、 水よく石を*穿つ、 *心源もし徹しなば*菩提の覚道なにごとか成ぜざらん」 といへる古き詞あり。 いかに不信なりとも、 聴聞を心に入れまうさば、 御慈悲にて候ふあひだ、 信をうべきなり。 ただ仏法は聴聞にきはまることなりと云々。
(194)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 信決定の人をみて、 あのごとくならではと思へばなるぞと仰せられ候ふ。 あのごとくになりてこそと*思ひすつること1293、 あさましきことなり。 仏法には身をすててのぞみもとむる心より、 信をば得ることなりと云々。
(1950582)
一 ^▼人のわろきことはよくよくみゆるなり。 わが身のわろきことは*おぼえざるものなり。 わが身にしられてわろきことあらば、 よくよくわろければこそ身にしられ候ふとおもひて、 心中をあらたむべし。 ただ人のいふことをばよく信用すべし。 わがわろきことはおぼえざるものなるよし仰せられ候ふ。
(196)
一 ^▼世間の物語ある座敷にては、 *結句法義のことをいふこともあり。 さやうの*段は*人なみたるべし。 心には油断あるべからず。 あるいは*講談、 または仏法の*讃嘆などいふ時、 一向に物をいはざること大きなる違ひなり。 仏法讃嘆とあらん時は、 いかにも心中をのこさず、 あひたがひに信不信の義、 談合申すべきことなりと云々。
(197)
一 ^▼金森の*善従に、 ある人申され候ふ。 *このあひだ、 *さこそ*徒然に御入り候ひ1294つらんと申しければ、 善従申され候ふ。 わが身は八十にあまるまで徒然といふことをしらず。 そのゆゑは、 弥陀の御恩のありがたきほどを存じ、 和讃・聖教等を拝見申し候へば、 心おもしろくも、 またたふときこと充満するゆゑに、 徒然なることも*さらになく候ふと申され候ふよしに候ふ。
(1980583)
一 ^▼善従申され候ふとて、 前住上人 (実如) 仰せられ候ふ。 ある人、 善従の宿所へ行き候ふところに、 履をも脱ぎ候はぬに、 仏法のこと申しかけられ候ふ。 またある人申され候ふは、 履をさへぬがれ候はぬに、 いそぎかやうにはなにとて仰せ候ふぞと、 人申しければ、 善従申され候ふは、 出づる息は入るをまたぬ*浮世なり。 もし履をぬがれぬまに死去候はば、 いかが候ふべきと申され候ふ。 ただ仏法のことをば、 さし急ぎ申すべきのよし仰せられ候ふ。
(199)
一 ^▼前々住上人 (蓮如)、 善従のことを仰せられ候ふ。 いまだ*野村殿御坊、 その沙汰もなきとき、 *神無森をとほり国へ下向のとき、 輿よりおりられ候ひて、 野村殿の方をさして、 この*とほりにて仏法がひらけまうすべしと申され候ひ1295し。 人々、 これは年よりてかやうのことを申され候ふなど申しければ、 つひに*御坊御建立にて御繁昌候ふ。 不思議のことと仰せられ候ひき。 また善従は法然の化身なりと、 *世上に人申しつると、 おなじく仰せられ候ひき。 かの往生は八月*二十五日にて候ふ。
(200)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) *東山を*御出で候ひて、 いづかたに御座候ふとも、 人存ぜず候ひしに、 この善従あなたこなた尋ねまうされければ、 ある所にて御目にかかられ候ふ。 *一段*御迷惑の体にて候0584ひつるあひだ、 前々住上人にも*さだめて善従かなしまれまうすべきと思し召され候へば、 善従御目にかかられ、 あらありがたや、 *はや仏法はひらけまうすべきよと申され候ふ。 つひにこの詞*符合候ふ。 善従は不思議の人なりと、 蓮如上人仰せられ候ひしよし、 上人 (実如) 仰せられ候ひき。
(201)
一 ^▼前住上人 (実如)、 先年*大永三、 蓮如上人*二十五年の三月始めごろ、 御夢御覧候ふ。 御堂上壇南の方に前々住上人御座候ひて、 紫の御小袖をめさ1296れ候ふ。 前住上人 (実如) へ対しまゐらせられ、 仰せられ候ふ。 仏法は讃嘆・談合にきはまる。 よくよく讃嘆すべきよし仰せられ候ふ。 まことに*夢想ともいふべきことなりと仰せられ候ひき。 しかればその年、 ことに讃嘆を肝要と仰せられ候ふ。 それにつきて仰せられ候ふは、 仏法は一人居て悦ぶ法なり。 一人居てさへたふときに、 まして二人寄合はばいかほどありがたかるべき。 仏法をばただ寄合ひ寄合ひ談合申せのよし仰せられ候ふなり。
(202)
一 ^▼心中を改め候はんと申す人、 なにをかまづ改め候はんと申され候ふ。 よろづわろきことを改めてと、 かやうに仰せられ候ふ。 *いろをたて、 きはを立て申しいでて改むべきことなりと云々。 なににてもあれ、 人の直さるるをききて、 われも直るべきと思うて、 わが0585*とがを申しいださぬは、 直らぬぞと仰せられ候ふと云々。
(203)
一 ^▼仏法談合のとき物を申さぬは、 信のなきゆゑなり。 わが心に*たくみ案じて申すべきやうに思へり。 よそなる物をたづねいだすやうなり。 心にうれしきこと1297はそのままなるものなり。 寒なれば寒、 熱なれば熱と、 そのまま心のとほりをいふなり。 仏法の座敷にて物を申さぬことは、 不信のゆゑなり。 また油断といふことも信のうへのことなるべし。 *細々同行に寄合ひ讃嘆申さば、 油断はあるまじきのよしに候ふ。
(204)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 一心決定のうへ、 弥陀の御たすけありたりといふは、 *さとりのかたにしてわろし。 たのむところにてたすけたまひ候ふことは歴然に候へども、 御たすけあらうずというてしかるべきのよし仰せられ候ふ云々。 一念帰命の時、 不退の位に住す。 これ不退の*密益なり、 これ*涅槃分なるよし仰せられ候ふと云々。
(205)
一 ^▼*徳大寺の唯蓮坊、 摂取不捨の*ことわりをしりたきと、 *雲居寺の阿弥陀に*祈誓ありければ、 夢想に、 阿弥陀の*いまの人の袖をとらへたまふに、 にげけれどもしかと0586とらへてはなしたまはず。 摂取といふは、 にぐるものをとらへておきたまふやうなることと、 ここにて思ひつきたり。 これを引き言に仰せられ候ふ1298。
(206)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 御病中に、 *兼誉・*兼縁御前に伺候して、 ある時尋ねまうされ候ふ。 冥加といふことはなにとしたることにて候ふと申せば、 仰せられ候ふ。 冥加に叶ふといふは、 弥陀をたのむことなるよし仰せられ候ふと云々。
(207)
一 ^▼人に仏法のことを申してよろこばれば、 われはそのよろこぶ人よりもなほたふとく思ふべきなり。 仏智をつたへまうすによりて、 かやうに存ぜられ候ふことと思ひて、 *仏智の御方をありがたく存ぜらるべしとの義に候ふ。
(208)
一 ^▼御文をよみて人に聴聞させんとも、 報謝と存ずべし。 一句一言も*信のうへより申せば人の信用もあり、 また報謝ともなるなり。
(209)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 弥陀の光明は、 たとへばぬれたる物をほすに、 うへ1299より*ひて0587、 したまでひるごとくなることなり。 これは日の力なり。 決定の心おこるは、 これすなはち他力の*御所作なり。 罪障はことごとく弥陀の御消しあることなるよし仰せられ候ふと云々。
(210)
一 ^▼信心治定の人はたれによらず、 まづみればすなはちたふとくなり候ふ。 これその人のたふときにあらず。 仏智をえらるるがゆゑなれば、 弥陀仏智のありがたきほどを存ずべきことなりと云々。
(211)
一 ^▼蓮如上人御病中の時仰せられ候ふ。 御自身なにごとも思し召しのこさるることなしと。 ただ御兄弟のうち、 その外たれにも信のなきをかなしく思し召し候ふ。 世間には*よみぢのさはりといふことあり。 われにおいては往生すともそれなし。 ただ信のなきこと、 これを歎かしく思し召し候ふと仰せられ候ふと。
(212)
一 ^▼蓮如上人、 *あるいは人に御酒をも下され、 物をも下されて、 かやうのこと1300どもありがたく存ぜさせ近づけさせられ候ひて、 仏法を御きかせ候ふ。 さればかやうに物を下され候ふことも、 信をとらせらるべきためと思し召せば、 報謝と思し召し候ふよし仰せられ候ふと云々。
(2130588)
一 ^▼おなじく仰せにいはく、 *心得たと思ふは心得ぬなり。 心得ぬと思ふは心得たるなり。 弥陀の御たすけあるべきことのたふとさよと思ふが、 心得たるなり。 少しも心得たると思ふことはあるまじきことなりと仰せられ候ふ。 されば ¬*口伝鈔¼ (4) にいはく、 「▲さればこの機のうへにたもつところの弥陀の仏智を*つのらんよりほかは、 凡夫いかでか往生の*得分あるべきや」 といへり。
(214)
一 ^▼加州菅生の*願生、 *坊主の聖教をよまれ候ふをききて、 聖教は殊勝に候へども、 *信が御入りなく候ふあひだ、 たふとくも御入りなきと申され候ふ。 このことを前々住上人 (蓮如) きこしめし、 *蓮智をめしのぼせられ、 御前にて不断聖教をもよませられ、 法義のことをも仰せきかせられて、 *願生に仰せられ候ふ。 蓮智に聖教をもよみならはせ、 仏法のことをも仰せきかせられ候ふ1301よし仰せられ候ひて、 国へ御下し候ふ。 その後は聖教をよまれ候へば、 いまこそ殊勝に候へとて、 ありがたがられ候ふよしに候ふ。
(215)
一 ^▼蓮如上人、 幼少なるものには、 まづ物をよめと仰せられ候ふ。 またその後は、 いかによむ0589とも*復せずは*詮あるべからざるよし仰せられ候ふ。 ちと物に心もつき候へば、 いかに物をよみ声をよくよみしりたるとも、 *義理をわきまへてこそと仰せられ候ふ。 その後は、 いかに*文釈を覚えたりとも、 信がなくは*いたづらごとよと仰せられ候ふ。
(216)
一 ^▼心中のとほり、 ある人、 法敬坊に申され候ふ。 *御詞のごとくは*覚悟仕り候へども、 ただ油断・不沙汰にて、 あさましきことのみに候ふと申され候ふ。 その時法敬坊申され候ふ。 それは御詞のごとくにてはなく候ふ。 *勿体なき申されごとに候ふ。 御詞には、 油断・不沙汰*なせそとこそ、 あそばされ候へと申され候ふと云々。
(2171302)
一 ^▼法敬坊に、 ある人*不審申され候ふ。 これほど仏法に御心をも入れられ候ふ法敬坊の*尼公の不信なる、 いかがの義に候ふよし申され候へば、 法敬坊申され候ふ。 不審さることなれども、 これほど朝夕御文をよみ候ふに、 驚きまうさぬ心中が、 なにか法敬が*申し分にて聞きいれ候ふべきと申され候ふと云々。
(218)
一 ^▼*順誓申され候ふ。 仏法の物語申すに、 *かげにて申し候ふ段は、 なにたるわろきことをか申0590すべきと存じ、 脇より汗たりまうし候ふ。 前々住上人 (蓮如) 聞し召すところにて申す時は、 わろきことをばやがて御なほしあるべきと存じ候ふあひだ、 心安く存じ候ひて、 物をも申され候ふよしに候ふ。
(219)
一 ^▼前々住上人仰せられ候ふ。 不審と一向しらぬとは*各別なり。 知らぬことをも不審と申すこと、 いはれなく候ふ。 物を分別して、 あれはなにと、 これはいかがなどいふやうなることが不審にて候ふ。 子細もしらずして申すことを、 不審と申しまぎらかし候ふよし仰せられ候ふ。
(2201303)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 *御本寺・御坊をば聖人 (親鸞) 御存生の時のやうに思し召され候ふ。 御自身は、 *御留主を*当座御沙汰候ふ。 しかれども御恩を御忘れ候ふことはなく候ふと、 *御斎の御法談に仰せられ候ひき。 御斎を御*受用候ふあひだにも、 すこしも御忘れ候ふことは*御入りなきと仰せられ候ふ。
(221)
一 ^▼*善如上人・*綽如上人両御代のこと、 前住上人 (実如) 仰せられ候ふこと、 両御代は*威儀を本に御沙汰候ひしよし仰せられし。 しかれば、 いまに御影に御入り候ふよし仰せられ候ふ。 黄袈裟・黄衣にて候0591ふ。 しかれば、 前々住上人の御時、 あまた御流にそむき候ふ本尊以下、 *御風呂のたびごとに焼かせられ候ふ。 この二幅の御影をも焼かせらるべきにて御取りいだし候ひつるが、 いかが思し召し候ひつるやらん、 表紙に書付を 「よし・わろし」 とあそばされて、 とりておかせられ候ふ。
^このことをいま御思案候へば、 *御代のうちさへかやうに御違ひ候ふ。 ましていはんや*われら式のものは違ひたるべきあひだ、 一大事と存じつつしめよとの御ことに候ふ。 いま思し召しあはせられ候ふよし仰1304せられ候ふなり。
^また 「よし・わろし」 とあそばされ候ふこと、 わろしとばかりあそばし候へば、 先代の御ことにて候へばと思し召し、 かやうにあそばされ候ふことに候ふと仰せられ候ふ。 また前々住上人 (蓮如) の御時、 あまた*昵近のかたがた違ひまうすこと候ふ。 いよいよ一大事の仏法のことをば、 心をとどめて細々人に問ひ心得まうすべきのよし仰せられ候ふ。
(222)
一 ^▼仏法者のすこしの違ひを見ては、 *あのうへさへかやうに候ふとおもひ、 わが身をふかく嗜むべきことなり。 しかるを、 あのうへさへ御違ひ候ふ、 ましてわれらは*違ひ候はではと思ふこころ、 おほきなるあさましきことなりと云々。
(223)
一 ^▼仏恩を嗜むと仰せ候ふこと、 世間の物を嗜むなどといふやうなることにてはなし。 信0592のうへにたふとくありがたく存じよろこびまうす透間に懈怠申す時、 かかる広大の御恩をわすれまうすことのあさましさよと、 仏智にたちかへりて、 ありがたやたふとやと思へば、 *御もよほしにより念仏を申すなり。 嗜むとはこれなるよしの義に候ふ。
(2241305)
一 ^▼仏法に*厭足なければ、 法の不思議をきくといへり。 前住上人 (実如) 仰せられ候ふ。 たとへば世上にわがすきこのむことをばしりてもしりても、 なほよくしりたう思ふに、 人に問ひ、 いくたびも*数奇たることをば聞きても聞きても、 よくききたく思ふ。 仏法のこともいくたび聞きてもあかぬことなり。 しりてもしりても存じたきことなり。 法義をば、 幾度も幾度も人に問ひきはめまうすべきことなるよし仰せられ候ふ。
(225)
一 ^▼*世間へつかふことは、 仏の物を*いたづらにすることよと、 おそろしく思ふべし。 さりながら、 仏法の方へはいかほど物を入れてもあかぬ道理なり。 また報謝にもなるべしと云々。
(226)
一 ^▼人の辛労もせで徳をとる*上品は、 弥陀をたのみて仏に成るにすぎたることなし0593と仰せられ候ふと云々。
(227)
一 ^▼皆人ごとによきことをいひもし、 働きもすることあれば、 *真俗ともにそれを1306、 わがよきものにはやなりて、 その心にて御恩といふことはうちわすれて、 *わがこころ本になるによりて、 *冥加につきて、 世間・仏法ともに悪しき心がかならずかならず出来するなり。 一大事なりと云々。
(228)
一 ^▼*堺にて兼縁、 前々住上人 (蓮如) へ*御文を御申し候ふ。 その時仰せられ候ふ。 年もより候ふに、 *むつかしきことを申し候ふ。 まづわろきことをいふよと仰せられ候ふ。 後に仰せられ候ふは、 ただ仏法を信ぜば、 いかほどなりともあそばしてしかるべきよし仰せられしと云々。
(229)
一 ^▼おなじく堺の御坊にて、 前々住上人、 夜更けて蝋燭をともさせ、 名号をあそばされ候ふ。 その時仰せられ候ふ。 御老体にて御手も振ひ、 御目もかすみ候へども、 明日越中へ下り候ふと申し候ふほどに、 かやうにあそばされ候ふ。 辛労をかへりみられずあそばされ候ふと仰せられ候ふ。 しかれば、 御門徒のために御身をばすてられ候ふ。 人に辛労をもさせ候は0594で、 ただ信をとらせたく思し召し候ふよし仰せられ候ふ。
(2301307)
一 ^▼*重宝の珍物を調へ*経営をしてもてなせども、 食せざればその詮なし。 同行寄合ひ讃嘆すれども、 信をとる人なければ、 珍物を食せざるとおなじことなりと云々。
(231)
一 ^▼物にあくことはあれども、 仏に成ることと弥陀の御恩を喜ぶとは、 あきたることはなし。 焼くとも失せもせぬ*重宝は、 南無阿弥陀仏なり。 しかれば、 弥陀の広大の御慈悲殊勝なり。 信ある人を見るさへたふとし。 よくよくの御慈悲なりと云々。
(232)
一 ^▼信決定の人は、 仏法の方へは*身をかろくもつべし。 仏法の御恩をばおもくうやまふべしと云々。
(233)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 *宿善めでたしといふはわろし。 御一流には*宿善ありがたしと申すがよく候ふよし仰せられ候ふ。
(2341308) 0595
一 ^▼他宗には法にあひたるを宿縁といふ。 当流には信をとることを宿善といふ。 信心をうること肝要なり。 さればこの御をしへには*群機をもらさぬゆゑに、 弥陀の教をば*弘教ともいふなり。
(235)
一 ^▼法門をば申すには、 当流のこころは信心の一義を申し披き立てたる、 肝要なりと云々。
(236)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 *仏法者には*法の威力にて成るなり。 威力でなくは成るべからずと仰せられ候ふ。 されば仏法をば、 *学匠・物しりは*いひたてず。 ただ*一文不知の身も、 信ある人は仏智を加へらるるゆゑに、 仏力にて候ふあひだ、 人が信をとるなり。 このゆゑに聖教よみとて、 しかもわれはと思はん人の、 仏法をいひたてたることなしと仰せられ候ふことに候ふ。 ただなにしらねども、 *信心定得の人は仏よりいはせらるるあひだ、 人が信をとるとの仰せに候ふ。
(2371309)
一 ^▼弥陀をたのめば南無阿弥陀仏の主に成るなり。 南無阿弥陀仏の主に成るといふは、 信心をうることなりと云々。 また、 当流の真実の宝といふは南無阿弥陀仏、 これ一0596念の信心なりと云々。
(238)
一 ^▼一流真宗のうちにて法をそしり、 わろさまにいふ人あり。 これを思ふに、 他門・他宗のことは*是非なし。 一宗のうちにかやうの人もあるに、 われら宿善ありてこの法を信ずる身のたふとさよと思ふべしと云々。
(239)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) には、 なにたるものをもあはれみかはゆく思し召し候ふ。 大罪人とて*人を殺し候ふこと、 一段御悲しみ候ふ。 存命もあらば心中を直すべしと仰せられ候ひて、 御*勘気候ひても、 心中をだにも直り候へば、 やがて御*宥免候ふと云々。
(240)
一 ^▼安芸の**蓮崇、 *国をくつがへし、 くせごとにつきて、 *御門徒をはなされ候ふ。 前々住上人 (蓮如) 御病中に*御寺内へまゐり、 御詫言申し候へども、 とりつぎ候1310ふ人なく候ひし。 その折節、 前々住上人ふと仰せられ候ふ。 安芸を*なほさうと思ふよと仰せられ候ふ。 *御兄弟以下御申すには、 一度仏法に*あだをなしまうす人にて候へば、 いかがと御申し候へば、 仰せられ候ふ。
^それぞとよ、 あさましきことをいふぞとよ。 心中だに直らば、 なにたるものなりとも、 *御0597もらしなきことに候ふと仰せられ候ひて、 御赦免候ひき。 その時御前へまゐり、 御目にかかられ候ふ時、 感涙畳にうかび候ふと云々。 しかうして御中陰のうちに、 蓮崇も寺内にて*すぎられ候ふ。
(241)
一 ^▼奥州に御一流のことを申しまぎらかし候ふ人をきこしめして、 前々住上人奥州の*浄祐を御覧候ひて、 もつてのほか御腹立候ひて、 さてさて開山聖人 (親鸞) の御流を申しみだすことのあさましさよ、 にくさよと仰せられ候ひて、 御歯をくひしめられて、 さて切りきざみても*あくかよあくかよと仰せられ候ふと云々。 仏法を申しみだすものをば、 一段あさましきぞと仰せられ候ふと云々。
(2421311)
一 ^▼思案の頂上と申すべきは、 弥陀如来の*五劫思惟の本願にすぎたることはなし。 この御思案の道理に同心せば、 仏に成るべし。 同心とて別になし。 機法一体の道理なりと云々。
(243)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 御身一生涯御沙汰候ふこと、 みな仏法にて、 御方便・御*調法候ひて0598、 人に信を御とらせあるべき御ことわりにて候ふよし仰せられ候ふ云々。
(244)
一 ^▼おなじく御病中に仰せられ候ふ。 いまわがいふことは*金言なり。 *かまへてかまへて、 よく意得よと仰せられ候ふ。 また御詠歌のこと、 三十一字につづくることにてこそあれ。 これは法門にてあるぞと仰せられ候ふと云々。
(245)
一 ^▼「*愚者三人に智者一人」 とて、 なにごとも談合すれば面白きことあるぞと、 前々住上人 (蓮如)、 前住上人 (実如) へ御申し候ふ。 これまた仏法がたにはいよいよ肝要の御金言なりと云々。
(2461312)
一 ^▼蓮如上人、 *順誓に対し仰せられ候ふ。 法敬とわれとは兄弟よと仰せられ候ふ。 法敬申され候ふ。 これは*冥加もなき御ことと申され候ふ。 蓮如上人仰せられ候ふ。 信を*えつれば、 さきに生るるものは兄、 後に生るるものは弟よ。 法敬とは兄弟よと仰せられ候ふ。 「▲仏恩を*一同にうれば、 信心一致のうへは四海みな兄弟」 (*論註・下意) といへり。
(2470599)
一 ^▼南殿*山水の*御縁の床のうへにて、 蓮如上人仰せられ候ふ。 物は思ひたるより大きにちがふといふは、 極楽へまゐりてのことなるべし。 ここにてありがたやたふとやと思ふは、 *物の数にてもなきなり。 かの土へ生じての歓喜は、 *ことのはもあるべからずと仰せられしと。
(248)
一 ^▼人はそらごと申さじと嗜むを、 *随分とこそ思へ。 心に偽りあらじと嗜む人は、 さのみ多くはなきものなり。 またよきことはならぬまでも、 世間・仏法ともに心にかけ嗜みたきことなりと云々。
(2491313)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 ¬*安心決定鈔¼ のこと、 四十余年があひだ御覧候へども、 御覧じあかぬと仰せられ候ふ。 また、 金をほりいだすやうなる聖教なりと仰せられ候ふ。
(250)
一 ^▼大坂殿にておのおのへ対せられ仰せられ候ふ。 このあひだ申ししことは、 ¬安心決定鈔¼ のかたはしを仰せられ候ふよしに候ふ。 しかれば、 当流の義は ¬安心決定鈔¼ の義、 いよいよ肝要なりと仰せられ候ふと云々。
(2510600)
一 ^▼法敬申され候ふ。 *たふとむ人より、 たふとがる人ぞたふとかりけると。 前々住上人仰せられ候ふ。 面白きことをいふよ。 たふとむ体、 *殊勝ぶりする人はたふとくもなし。 ただありがたやとたふとがる人こそたふとけれ。 面白きことをいふよ、 もつとものことを申され候ふとの仰せごとに候ふと云々。
(252)
一 ^▼*文亀三、 正月十五日の夜、 兼縁夢にいはく、 前々住上人、 兼縁へ御問ありて仰せられ候ふやう、 いたづらにあることあさましく思し召し候へば、 稽古1314かたがた、 せめて一巻の経をも、 日に一度、 みなみな寄合ひてよみまうせと仰せられけりと云々。 あまりに人のむなしく月日を送り候ふことを悲しく思し召し候ふゆゑの義に候ふ。
(253)
一 ^▼おなじく夢にいはく、 *同年の*極月二十八日の夜、 前々住上人 (蓮如)、 御袈裟・衣にて襖障子をあけられ御出で候ふあひだ、 御法談聴聞申すべき心にて候ふところに、 *ついたち障子のやうなる物に、 御文の御詞御入れ候ふをよみまうすを御覧じて、 それはなんぞと御尋ね候ふあひだ、 御文にて候ふよし申し上げ候へば、 それこそ肝要、 信仰してきけと仰せられけりと云々。
(2540601)
一 ^▼おなじく夢にいはく、 *翌年極月二十九日夜、 前々住上人仰せられ候ふやうは、 家をばよく作られて、 信心をよくとり念仏申すべきよし、 かたく仰せられ候ひけりと云々。
(255)
一 ^▼おなじく夢にいはく、 近年、 *大永三、 正月一日の夜の夢にいはく、 *野村殿1315南殿にて前々住上人 (蓮如) 仰せにいはく、 仏法のこといろいろ仰せられ候ひて後、 田舎には雑行雑修あるを、 かたく申しつくべしと仰せられ候ふと云々。
(256)
一 ^▼おなじく夢にいはく、 *大永六、 正月五日夜、 夢に前々住上人仰せられ候ふ。 一大事にて候ふ。 *今の時分がよき時にて候ふ。 ここをとりはづしては一大事と仰せられ候ふ。 畏まりたりと御うけ御申し候へば、 ただその畏まりたるといふにてはなく候ふまじく候ふ。 ただ一大事にて候ふよし仰せられ候ひしと云々。
^▼*つぎの夜、 夢にいはく、 *蓮誓仰せ候ふ。 吉崎 ˆにてˇ 前々住上人に当流の肝要のことを習ひまうし候ふ。 一流の依用なき聖教やなんどをひろくみて、 御流を*ひがざまにとりなし候ふこと候ふ。 幸ひに肝要を抜き候ふ聖教候ふ。 これが一流の*秘極なりと、 吉崎にて前々住上人に習ひまうし候ふと、 蓮誓仰0602せられ候ひしと云々。
^わたくしにいはく、 夢等をしるすこと、 前々住上人世を去りたまへば、 いま1316はその一言をも大切に存じ候へば、 かやうに夢に入りて仰せ候ふことの金言なること、 まことの仰せとも存ずるまま、 これをしるすものなり。 まことにこれは夢想とも申すべきことどもにて候ふ。 総体、 夢は妄想なり、 さりながら、 *権者のうへには*瑞夢とてあることなり。 なほもつてかやうの金言のことばはしるすべしと云々。
(257)
一 ^▼仏恩がたふとく候ふなどと申すは聞きにくく候ふ、 *聊爾なり。 仏恩をありがたく存ずと申せば、 *莫大聞きよく候ふよし仰せられ候ふと云々。 御文がと申すも聊爾なり。 御文を聴聞申して、 御文ありがたしと申してよきよしに候ふ。 仏法の方をばいかほども尊敬申すべきことと云々。
(258)
一 ^▼仏法の讃嘆のとき、 同行をかたがたと申すは*平懐なり。 御方々と申してよきよし仰せごとと云々。
(259)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 家をつくり候ふとも、 *つぶりだにぬれ1317ずは、 なにともかとも0603つくるべし。 万事過分なることを御きらひ候ふ。 衣装等にいたるまでも、 よきもの着んと思ふはあさましきことなり。 冥加を存じ、 ただ仏法を心にかけよと仰せられ候ふ云々。
(260)
一 ^▼おなじく仰せられ候ふ。 いかやうの人にて候ふとも、 *仏法の家に奉公申し候はば、 昨日までは他宗にて候ふとも、 今日ははや仏法の御用とこころうべく候ふ。 たとひ*あきなひをするとも、 仏法の御用と心得べきと仰せられ候ふ。
(261)
一 ^▼おなじく仰せにいはく、 雨もふり、 また*炎天の時分は、 つとめながながしく仕り候はで、 はやく仕りて、 *人をたたせ候ふがよく候ふよし仰せられ候ふ。 これも御慈悲にて、 人々を御いたはり候ふ。 大慈大悲の御あはれみに候ふ。 つねづねの仰せには、 御身は人に御したがひ候ひて、 仏法を御すすめ候ふと仰せられ候ふ。 御門徒の身にて御意のごとくならざること、 *なかなかあさましきことども、 なかなか*申すもことおろかに候ふとの義に候ふ。
(2621318)
一 ^▼将軍家 *義尚 よりの義にて、 *加州一国の一揆、 御門徒を放さるべきとの義にて、 *加0604州居住候ふ御兄弟衆をもめしのぼせられ候ふ。 そのとき前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 加州の衆を門徒放すべきと仰せいだされ候ふこと、 御身をきらるるよりもかなしく思し召し候ふ。 なにごとをもしらざる尼入道の類のことまで思し召さば、 なにとも御迷惑このことに極まるよし仰せられ候ふ。 御門徒を*やぶらるると申すことは、 一段、 善知識の御うへにてもかなしく思し召し候ふことに候ふ。
(263)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 御門徒衆の*はじめて物をまゐらせ候ふを、 他宗に出し候ふ義あしく候ふ。 一度も二度も受用せしめ候ひて、 出し候ひてしかるべきのよし仰せられ候ふ。 かくのごとくの子細は存じもよらぬことにて候ふ。 いよいよ仏法の御用、 御恩をおろそかに存ずべきことにてはなく候ふ。 驚き入り候ふとのことに候ふ。
(264)
一 ^▼法敬坊、 大坂殿へ下られ候ふところに、 前々住上人仰せられ候ふ。 *御往1319生候ふとも、 十年は生くべしと仰せられ候ふところに、 なにかと申され、 *おしかへし、 生くべしと仰せられ候ふところ、 御往生ありて一年存命候ふところに、 法敬にある人仰せられ候ふは、 前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふにあひまうしたるよ。 そのゆゑは、 一年も存命候ふは、 命を前々住上人より御あたへ候ふこと0605にて候ふと仰せ候へば、 まことに*さにて御入り候ふとて、 手をあはせ、 ありがたきよしを申され候ふ。 それより後、 前々住上人仰せられ候ふごとく、 十年存命候ふ。 まことに冥加に叶はれ候ふ。 不思議なる人にて候ふ。
(265)
一 ^▼毎事無用なることを仕り候ふ義、 冥加なきよし、 *条々、 いつも仰せられ候ふよしに候ふ。
(266)
一 ^▼蓮如上人、 *物をきこしめし候ふにも、 如来・聖人 (親鸞) の御恩にてましまし候ふを御忘れなしと仰せられ候ふ。 一口きこしめしても、 思し召しいだされ候ふよし仰せられ候ふと云々。
(2671320)
一 ^▼御膳を御覧じても、 *人の食はぬ飯を食ふことよと思し召し候ふと仰せられ候ふ。 物をすぐにきこしめすことなし。 ただ御恩のたふときことをのみ思し召し候ふと仰せられ候ふ。
(268)
一 ^▼*享禄二年十二月十八日の夜、 兼縁夢に、 蓮如上人、 御文をあそばし下され候ふ。 その御詞に、 梅干のたとへ候ふ。 梅干のことをいへば、 みな人の口一同に酸し。 一味の安心はかやうにあるべきなり。 「▲同一念仏無別道故」 (論註・下) の心にて候ひつるやう0606におぼえ候ふと云々。
(269)
一 ^▼仏法を好かざるがゆゑに嗜み候はずと、 *空善申され候へば、 蓮如上人仰せられ候ふ。 それは、 好まぬは嫌ふにてはなきかと仰せられ候ふと云々。
(270)
一 ^▼*不法の人は仏法を*違例にすると仰せられ候ふ。 仏法の御讃嘆あれば、 あら気づまりや、 *疾くはてよかしと思ふは、 違例にするにてはなきかと仰せられ候ふと云々。
(2711321)
一 ^▼前住様 (実如) 御病中、 *正月二十四日に仰せられ候ふ。 前々住 (蓮如) の早々われに来いと、 左の御手にて御まねき候ふ。 あらありがたやと、 くりかへしくりかへし仰せられ候ひて、 御念仏御申し候ふほどに、 おのおの*御心たがひ候ひて、 かやうにも仰せ候ふと存じ候へば、 その義にてはなくして、 御まどろみ候ふ御夢に御覧ぜられ候ふよし仰せられ候ふところにて、 みなみな安堵候ひき。 これまた*あらたなる御事なりと云々。
(272)
一 ^▼*おなじき二十五日、 兼誉・兼縁に対せられ仰せられ候ふ。 前々住上人 (蓮如) *御世を譲りあそばされて0607以来のことども、 種々仰せられ候ふ。 *御一身の御安心のとほり仰せられ、 一念に弥陀をたのみまうして往生は一定と思し召され候ふ。 それにつきて、 前住上人 (蓮如) の御恩にて、 今日までわれと思ふ心をもち候はぬがうれしく候ふと仰せられ候ふ。 まことにありがたくも、 または驚きいりまうし候ふ。 われ、 人、 かやうに心得まうしてこそは、 他力の信心決定申したるにてはあるべく候ふ。 いよいよ一大事の御ことに候ふ。
(2731322)
一 ^▼¬*嘆徳の文¼ に、 ▲親鸞聖人と申せば、 その*恐れあるゆゑに、 祖師聖人とよみ候ふ。 また開山聖人とよみまうすも、 おそれある子細にて御入り候ふと云々。
(274)
一 ^▼ただ 「聖人」 と*直に申せば、 聊爾なり。 「この聖人」 と申すも、 聊爾か。 「開山」 とは、 略しては申すべきかとのことに候ふ。 ただ 「開山聖人」 と申してよく候ふと云々。
(275)
一 ^▼¬嘆徳の文¼ に、 「▲以て弘誓に託す」 と申すことを、 「以て」 を抜きてはよまず候ふと云々。
(2760608)
一 ^▼蓮如上人、 堺の御坊に御座の時、 兼誉御まゐり候ふ。 御堂において卓のうへに御文をおかせられて、 一人二人 乃至 五人十人、 まゐられ候ふ人々に対し、 御文をよませられ候ふ。 その夜、 蓮如上人御物語りの時仰せられ候ふ。 このあひだ面白きことを思ひいだして候ふ。 つねに御文を一人なりとも来ら1323ん人にもよませてきかせば、 *有縁の人は信をとるべし。 このあひだ面白きことを思案しいだしたると、 くれぐれ仰せられ候ふ。 さて御文肝要の御ことと、 いよいよしられ候ふとのことと仰せられ候ふなり。
(277)
一 ^▼今生のことを心に入るるほど、 仏法を心腹に入れたきことにて候ふと、 人申し候へば、 世間に*対様して申すことは*大様なり。 ただ仏法をふかくよろこぶべしと云々。
^▼またいはく、 一日一日に仏法はたしなみ候ふべし。 *一期とおもへば*大儀なりと、 人申され候ふ。 またいはく、 大儀なると思ふは不足なり。 人として命はいかほどもながく候ひても、 あかずよろこぶべきことなりと云々。
(278)
一 ^▼坊主は人をさへ勧化せられ候ふに、 わが身を勧化せられぬはあさましきことなりと云々。
(2790609)
一 ^▼道宗、 前々住上人 (蓮如) へ*御文申され候へば、 仰せられ候ふ。 文はとりおとし候ふことも候ふほどに、 ただ心に信をだにもとり候へば、 おとし候はぬ1324よし仰せられ候ひし。 またあくる年、 あそばされて、 下され候ふ。
(280)
一 ^▼法敬坊申され候ふ。 仏法をかたるに、 *志の人をまへにおきて語り候へば、 力がありて申しよきよし申され候ふ。
(281)
一 ^▼信もなくて大事の聖教を所持の人は、 をさなきものに剣を持たせ候ふやうに思し召し候ふ。 そのゆゑは、 剣は重宝なれども、 をさなきもの持ち候へば、 手を切り怪我をするなり。 持ちてよく候ふ人は重宝になるなりと云々。
(282)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 ただいまなりとも、 われ、 死ねといはば、 死ぬるものはあるべく候ふが、 信をとるものはあるまじきと仰せられ候ふと云々。
(2830610)
一 ^▼前々住上人、 大坂殿にておのおのに対せられて仰せられ候ふ。 一念に凡夫の往生をとぐることは*秘事・秘伝にてはなきかと仰せられ候ふと云々。
(2841325)
一 ^▼御普請・御造作の時、 法敬申され候ふ。 *なにも不思議に、 御眺望等も御上手に御座候ふよし申され候へば、 前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 われはなほ不思議なることを知る。 凡夫の仏に成り候ふことを知りたると仰せられ候ふと。
(285)
一 ^▼蓮如上人、 善従に*御かけ字をあそばされて、 下され候ふ。 その後善従に御尋ね候ふ。 以前書きつかはし候ふ物をばなにとしたると仰せられ候ふ。 善従申され候ふ。 *表補絵仕り候ひて、 箱に入れ置きまうし候ふよし申され候ふ。 そのとき仰せられ候ふ。 それは*わけもなきことをしたるよ。 不断かけておきて、 そのごとく*心ねなせよといふことでこそあれと仰せられ候ふ。
(286)
一 ^▼おなじく仰せにいはく、 *これの内に居て聴聞申す身は、 *とりはづしたらば仏に*成らんよと仰せられ候ふと云々。 ありがたき仰せに候ふ。
(2870611)
一 ^▼仰せにいはく、 坊主衆等に対せられ仰せられ候ふ。 坊主といふものは大罪人1326なりと仰せられ候ふ。 その時みなみな*迷惑申され候ふ。 さて仰せられ候ふ。 罪がふかければこそ、 阿弥陀如来は御たすけあれと仰せられ候ふと云々。
(288)
一 ^▼毎日毎日に、 御文の御金言を聴聞させられ候ふことは、 宝を御賜り候ふことに候ふと云々。
(289)
一 ^▼開山聖人 (親鸞) の御代、 *高田の 二代 *顕智上洛の時、 申され候ふ。 今度は*すでに御目にかかるまじきと存じ候ふところに、 不思議に御目にかかり候ふと申され候へば、 それはいかにと仰せられ候ふ。 舟路に難風にあひ、 *迷惑仕り候ふよし申され候ふ。 ▼聖人仰せられ候ふ。 それならば、 船には乗らるまじきものをと仰せられ候ふ。 その後、 *御詞の末にて候ふとて、 一期、 舟に乗られず候ふ。
^▼また*茸に酔ひまうされ、 御目に遅くかかられ候ひしときも、 かくのごとく仰せられしとて、 一期受用なく候ひしと云々。 かやうに仰せを信じ、 ちがへまうすまじきと存ぜられ候ふこと、 まことにありがたき殊勝の覚悟との義に候ふ。
(2901327) 0612
一 ^▼身あたたかなれば、 眠気さし候ふ。 あさましきことなり。 その覚悟にて身をもすずしくもち、 眠りをさますべきなり。 身随意なれば、 仏法・*世法ともにおこたり、 *無沙汰・油断あり。 この義一大事なりと云々。
(291)
一 ^▼信をえたらば、 同行にあらく物も申すまじきなり、 心和らぐべきなり。 ▲触光柔軟の願 (第三十三願) あり。 また信なければ、 *我になりて詞もあらく、 諍ひもかならず出でくるものなり。 あさましあさまし、 よくよくこころうべしと云々。
(292)
一 ^▼前々住上人 (蓮如)、 北国のさる御門徒のことを仰せられ候ふ。 *なにとしてひさしく上洛なきぞと仰せられ候ふ。 *御前の人申され候ふ。 さる御方の御*折檻候ふと申され候ふ。 その時御機嫌もつてのほか悪しく候ひて、 仰せられ候ふ。 開山聖人 (親鸞) の御門徒をさやうにいふものはあるべからず。 御身一人聊爾には思し召さぬものを、 なにたるものがいふべきとも、 *とくとくのぼれといへと仰せられ候ふと云々。
(2931328)
一 ^▼*前住上人仰せられ候ふ。 御門徒衆をあしく申すこと、 ゆめゆめあるまじきなり。 ▲開山 (親鸞) は0613御同行・御同朋と御*かしづき候ふに、 聊爾に存ずるはくせごとのよし仰せられ候ふ。
(294)
一 ^▼開山聖人の一大事の御客人と申すは、 御門徒衆のことなりと仰せられしと云々。
(295)
一 ^▼御門徒衆上洛候へば、 前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふ。 *寒天には御酒等のかんをよくさせられて、 *路次の寒さをも忘られ候ふやうにと仰せられ候ふ。 また炎天の時は、 酒など冷せと仰せられ候ふ。 御詞をくはへられ候ふ。 また、 御門徒の上洛候ふを、 遅く*申し入れ候ふことくせごとと仰せられ候ふ。 御門徒をまたせ、 おそく対面することくせごとのよし仰せられ候ふと云々。
(296)
一 ^▼万事につきて、 よきことを思ひつくるは御恩なり、 悪しきことだに思ひ捨てたるは御恩なり。 捨つるも取るも、 いづれもいづれも御恩なりと云々。
(2971329)
一 ^▼前々住上人 (蓮如) は御門徒の*進上物をば、 御衣のしたにて御拝み候ふ。 また仏の物と思し召し候へば、 御自身の召し物までも、 御足にあたり候へば、 御いただき候ふ。 御門徒の0614進上物、 すなはち聖人 (親鸞) よりの御あたへと思し召し候ふと仰せられ候ふと云々。
(298)
一 ^▼仏法には、 万*かなしきにも、 *かなはぬにつけても、 なにごとにつけても、 後生のたすかるべきことを思へば、 よろこびおほきは仏恩なりと云々。
(299)
一 ^▼仏法者になれ近づきて、 損は一つもなし。 なにたるをかしきこと、 *狂言にも、 是非とも心底には仏法あるべしと思ふほどに、 わが方に徳おほきなりと云々。
(300)
一 ^▼蓮如上人、 権化の再誕といふこと、 その証おほし。 △まへにこれをしるせり。 御詠歌に、 「▼かたみには六字の御名をのこしおく なからんあとのかたみともなれ」 と候ふ。 弥陀の化身としられ候ふこと歴然たり。
(3011330)
一 ^▼蓮如上人、 細々*御兄弟衆等に御足を御見せ候ふ。 御わらぢの緒くひ入り、 *きらりと御入り候ふ。 かやうに京・田舎、 御自身は御辛労候ひて、 仏法を仰せひらかれ候ふよし仰せられ候ひしと云々。
(3020615)
一 ^▼おなじく仰せにいはく、 悪人のまねをすべきより、 信心決定の人のまねをせよと仰せられ候ふ云々。
(303)
一 ^▼蓮如上人御病中、 大坂殿より御上洛の時、 *明応八、 二月十八日、 *さんばの浄賢 ˆのˇ 処にて、 前住上人 (実如) へ対し御申しなされ候ふ。
^御一流の肝要をば、 御文にくはしくあそばしとどめられ候ふあひだ、 いまは申しまぎらかすものもあるまじく候ふ。 この分をよくよく御心得あり、 御門徒中へも仰せつけられ候へと御遺言のよしに候ふ。 しかれば、 前住上人 (実如) の御安心も御文のごとく、 また諸国の御門徒も、 御文のごとく信をえられよとの*支証のために、 *御判をなされ候ふことと云々。
(3041331)
一 ^▼*存覚は*大勢至の化身なりと云々。 しかるに ¬*六要鈔¼ には *三心の字訓そのほか、 「▲勘得せず」 とあそばし、 「▲聖人 (親鸞) の宏才仰ぐべし」 と候ふ。 権化にて候へども、 聖人の*御作分をかくのごとくあそばし候ふ。 まことに聖意はかりがたきむねをあらはし、 自力をすてて他力を仰ぐ本意にも叶ひまうし候ふ物をや。 かやうのことが名誉にて御入り候ふと云々。
(3050616)
一 ^▼¬*註¼ を御あらはし候ふこと、 御自身の*智解を御あらはし候はんがためにてはなく候ふ。 御詞を*褒美のため、 *仰崇のためにて候ふと云々。
(306)
一 ^▼存覚御辞世の御詠にいはく、 「いまははや一夜の夢となりにけり 往来あまたのかりのやどやど」。 この言を蓮如上人仰せられ候ふと云々。 さては釈迦の化身なり、 ▲往来娑婆の心なりと云々。 わが身にかけてこころえば、 六道輪廻めぐりめぐりて、 いま臨終の夕、 さとりをひらくべしといふ心なりと云々。
(307)
一 ^▼*陽気・*陰気とてあり。 されば陽気をうる花ははやく開くなり、 陰気とて日陰1332の花は遅く咲くなり。 かやうに宿善も遅速あり。 されば*已今当の往生あり。 弥陀の光明にあひて、 はやく開くる人もあり、 遅く開くる人もあり。 とにかくに、 信・不信ともに仏法を心に入れて聴聞申すべきなりと云々。 已今当のこと、 前々住上人 (蓮如) 仰せられ候ふと云々。 昨日あらはす人もあり、 今日あらはす人もありと仰せられしと云々。
(3080617)
一 ^▼蓮如上人、 御廊下を御とほり候ひて、 紙切れのおちて候ひつるを御覧ぜられ、 *仏法領の物を*あだにするかやと仰せられ、 両の御手にて御いただき候ふと云々。 総じて紙の切れなんどのやうなる物をも、 仏物と思し召し御用ゐ候へば、 あだに御沙汰なく候ふのよし、 前住上人 (実如) 御物語り候ひき。
(309)
一 ^▼蓮如上人、 近年仰せられ候ふ。 御病中に仰せられ候ふこと、 なにごとも金言なり。 心をとめて聞くべしと仰せられ候ふと云々。
(310)
一 ^▼御病中に慶聞をめして仰せられ候ふ。 御身には不思議なることあるを、 気1333をとりなほして仰せらるべきと仰せられ候ふと云々。
(311)
一 ^▼蓮如上人仰せられ候ふ。 世間・仏法ともに、 人は*かろがろとしたるがよきと仰せられ候ふ。 黙したるものを御きらひ候ふ。 物を申さぬがわろきと仰せられ候ふ。 また*微音に物を申すをわろしと仰せられ候ふと云々。
(3120618)
一 ^▼おなじく仰せにいはく、 仏法と*世体とは嗜みによると、 対句に仰せられ候ふ。
^また法門と庭の松とは*いふに*あがると、 これも対句に仰せられ候ふと云々。
(313)
一 ^▼*兼縁、 堺にて、 蓮如上人御存生の時、 *背摺布を買得ありければ、 蓮如上人仰せられ候ふ。 かやうの物はわが方にもあるものを、 無用の買ひごとよと仰せられ候ふ。 兼縁、 *自物にてとりまうしたると答へまうし候ふところに、 仰せられ候ふ。 それはわが物かと仰せられ候ふ。 ことごとく仏物、 如来・聖人 (親鸞) の御用にもるることはあるまじく候ふ。
(3141334)
一 ^▼蓮如上人、 兼縁に物を下され候ふを、 冥加なきと御辞退候ひければ、 仰せられ候ふ。 つかはされ候ふ物をば、 ただ取りて信をよくとれ。 信なくは冥加なきとて仏の物を受けぬやうなるも、 それは*曲もなきことなり。 *われするとおもふかとよ。 皆御用なり。 なにごとか御用にもるることや候ふべきと仰せられ候ふと云々。
*実如 (御判)
蓮0619如上人御一代記聞書 末
底本は真宗法要所収本ˆ聖典全書と同じˇ。
月かげの… 法然上人の歌。 ¬続千載集¼ 所収。 月かげは月の光の意。
是非におよばず 是非の判断を超えている。 いいようがない。
あげば 調声する番。
覚善又四郎 底本に 「覚善と又四郎」 とあるのを改めた。 底本では二人の名のようにみえるが、 覚善も又四郎も同一人物の名である。 →
覚善
妙願力 すぐれた本願の力。 「名願力」 とする異本もある。
あそばされて ここではお書きになってという意。
まゐらせん (勤行の功徳を) さしあげよう。
御一流 ここでは浄土真宗を指す。
ききつくる 聞いて知る。 聞いて理解する。
あかつき八時 午前二時頃。
誓願寺 誓願寺の了祐。 あるいは能の曲目 「誓願寺」 を指すか。。
上り下り 上洛と下向。
おもしろや よろこばしいことよ。
南旡 親鸞聖人は南無の 「無」 の字は古字の 「旡」 を用いられた。
泥 金粉を膠水にときまぜた絵具。
能 役目。 はたらき。
世のなかに… 以下は ¬空善聞書¼ ¬蓮如上人御一期記¼ では別の条になっている。
あまのこころ 出家して尼になりたいという心。
妻うしのつのは… 牝牛の角は曲がっているけれども、 それはそれでよい。
御影 掛軸装の肖像。
御免 授与して安置を許すこと。
みづからの御筆にて… 御影像の上下にある讃文は親鸞聖人の御真筆であるという意。
たね 因種。 原因。
後室 ここでは浅井氏の先代の夫人。
取りみだし 忙しくすること。
無き分なり 無いのと同じである。
たのむこころ 阿弥陀仏におまかせする信心のこと。
身をすてて 身分や地位の違いを問わず。
おのおの…をば ¬空善聞書¼ には 「平座にてみなと同座するは」、 ¬蓮如上人御一期記¼ には 「平座にておのおのと同座するは」 とある。
不審のあつかひどもにて どう理解すればよいのか思い悩む。 思い悩むのは蓮如上人の弟子たち。
機のあつかひ 本願の教示をさしおいて、 機 (救われるものとしての自己) の善悪のみをあげつらうこと。
まかりいで候へ 退出しなさい。
一念のこと ここでは信心のいわれ。
在国 大坂に滞在すること。
御堂の夜の宿衆 夜中御堂にとまって守護する人。
頭人 当番の人。
聖人 ここでは山科本願寺の親鸞聖人の御影像。
御開山様… 親鸞聖人の御影像を安置している寺。
御本寺 御本山。
こころざしの衆 仏法に志の篤い人々。
かど 肝要。 要点。 かなめ。
詮あるところ 肝要。 要点。 かなめ。
いさみの念仏 喜びいさんで称える仏恩報謝の念仏のこと。
無宿善の機 宿善のない者。 仏の教えを聞く機縁が熟していない者。
さてなり 駄目である。
罰 擯罰。 叱責。 きらいしりぞけること。
おして はりつけて。
善宗 下間光宗のこと。 玄英の第三子。 善宗は法名。
こころざし 懇志。
わがものがほに存ずるか 文末の 「か」 を格助詞の 「が」 と解すれば、 「自分のものをさしあげるように思っているのが恥しい」 という意になる。 清音の場合には、 「自分のものと思っているのか、 恥しいことである」 という疑問・反語の意となる。
津国郡家の主計 摂津郡家 (現在の大阪府高槻市) の妙円寺の開基。
よくめされ候ふ 立派になさることである。
まぎれまはる 紛れ回る。 信心を得ていないのに、 得たような顔をしてごまかすこと。
こころざしのひと 仏法に深く帰依する人。
ちかひ 「誓」 とする説と 「違」 とする説とがある。 本文では 「たしなみ」 に対比されているので、 「違」 すなわち過失、 誤りの意であろう。
他流 浄土真宗以外の宗派。
御本寺北殿 山科本願寺の北殿。 蓮如上人隠居後、 実如上人が住した。。
当機をかがみ… 相手のことをよく考え。
二俣 底本では 「役」。 現在の石川県金沢市二俣町にある
本泉寺を指す。
小名号… 小名号は六つ切の小型の名号のこと。 小名号をいただきたいという同行たちの申し出を兼縁 (蓮悟) 師が取り次いだ。
堺の日向屋 和泉堺 (現在の大阪府堺市) の富豪。
かやうにて… これでよろしいでしょうか。
不信 信心を得ることができない。 疑いがはれない。
まぎれて… ごまかしたまま死んでしまうような人。
鍛冶番匠 鍛冶屋と大工。
物 礼物。
なかなか もちろん。 いかにも。
なにたるものなりとも どんなものでも。
朝夕 ここでは日々の食事の意。
噛むとはしるとも… 噛みしめ味わうことを教えても、 鵜呑みにすることを教えてはならない。
徳分 得るところ。 ためになること。
うりごころ 人に法を説いてその見返りを期待する心。
おそろしく… 恐れ多いことだと心得なければならない。
別義 特別な教え。
凡夫往生 煩悩を断ち切ることができない者が、 阿弥陀仏の浄土に往き生れること。
信不信 信心を得た者と得ていない者。
節はかせ 声明 (仏教の儀式音楽) の節の長短高低の定め。
とりつめ ここでの 「とりつむ」 は叱るの意。
一向にわろき人 (仏法を) 全く知らない人。
ひてておく 浸しておく。
くれくれ くり返しくり返し読め。
句面のごとく 文面にあらわれている通り。
口業 ここでは口伝のこと。
私にして会釈すること 自分勝手に解釈すること。
独覚心 自分一人のさとりで満足するような心。
承引 承知すること。
自信教人信の… 第九五条の標示ととる説もある。
世間機 世俗的な心持ち。
時宜しかるべきは… 何でもうまくこなしてそつがない人を立派な人だというが。
心をおく 気をつける。
便り たより。
君 主君。
果後の方便 久遠の昔に成仏した阿弥陀仏が、 衆生を救うためのてだてとして、 法蔵菩薩の発願修行、 十劫の昔の成道の相を示したことをいう。
身をばまるめたる その身を包まれている。
賞翫 ほめること。
御影を申す 御影像の交付を本山に願い出ること。
手をささぬ 手を加えない。
下としたる人 目下の人。
木の皮をきるいろめ 木の皮を編んで身にまとうような貧しい身なり。
なわびそ 悲しく思うな。 気落ちするな。
かがみ 鑑み。 よく考え。
老の皺をのべ候ふ 非常によろこばしく気持ちの晴々とするさまをいう。
事態 能狂言のしぐさの意か。 「事能」 とする異本もある。
天王寺土塔会 天王寺は四天王寺 (大阪市天王寺区) の略称。 同寺南大門の前に牛頭天王をまつった社があり、 毎年四月十五日にその祭礼が行われた。
記 底本は 「記」 の字を欠く。
御兄弟 蓮如上人の子息たちのこと。
寄合ひ 村落などでの会合のこと。 講の別称としても用いられる。 ここでは法談のために集合すること。
意巧に 各自の都合のよいように。 各自の好むように。
たとひなきことなりとも たとえ事実でないことであっても。
当座領掌すべし とりあえず受け入れるのがよい。
用心 ¬実悟旧記¼ では 「心用」 となっている。
威のおほきなること 勢いが盛んなこと。
心に…思ふ人 熱心であろうとする人。
すきこしらへもちたる人 すすんで求め持っている人。
心まめにて 心まじめに。
あらめなる 大まかなこと。
世間には… 世間ではあまり細かすぎるのはよくないというがという意であろう。
不断 たえず。 いつも。
御用 ここでは仏法を聴聞する縁を恵まれること。
初めたるやうに はじめて耳にするかのように。
名聞げに よい評判を求めているかのように。
冥慮 仏祖のおぼしめし。
冥見 仏祖がつねに衆生をみていること
しげからんこと 冗長なこと。 繁雑なこと。
まゐらせ心 自分が積んだ善根功徳を仏にさしむけようとする自力の回向心。
仏智の心 仏の智慧を頂いた心、 すなわち信心。
得手に 自分の都合のよいように。
御用物 おはたらきによって恵まれたもの。
額にあてよ 表にかかげて守れ。
端正 「端々」 とする異本もある。
迷惑 困ること。 ここでは主として経済的な困窮をいう。
御代 自分の生涯。
仰せたてられん ここではひろめようというほどの意。
この法師 蓮如上人が自身のことを指していう。
あそばされ候ふ ここでは書写されたという意。
かひがひしく 思いどおりに。
小者 召使。 名は竹若といったという。
紙絹に輻をさし 紙をもみ柔らげて柿渋を引いた紙子の着物の襟や袖に普通の布でへりをつけるという意。
引きごと 例をあげて説明すること。
きれば… ¬論語¼ 子罕篇に 「仰之弥高鑽之弥堅 (これを仰げばいよいよ高く、 これを鑽ればいよいよ堅し)」 とある。
堅く 「輒く」 とする異本がある。
世間のひまを闕きて 世間の用事をさしおいて。
上人 ここでは座に居合わせた目上の人、 長老格の人物。
あるもあられずして おるにおられず。
御作分 つくられたもの。 御制作になったもの。
理 ことわり。 道理。
情 我執。 我情。
住持 住職。 ここでは本願寺住職。
御相続ありて 実如上人に本願寺住職を譲ったことを指す。
御ことば ここでは蓮如上人の教化のことば。
仏法だにもあらば 仏法を心得ている者でありさえすれば。
衣食ふ 着物を着、 食事をいただくこと。
おちば… 落ちるところのあることを知らない。
しのぎ 事を成し遂げること。 成就すること。
田上の了宗 摂津 (現在の大阪府) 田上に住んでいた人。 また、 加賀河北郡 (現在の石川県金沢市上田上、 下田上) 住んでいた人とする説もある。
あつかひ 話題にして語り合うこと。 あれこれ思いはからうこと。
多事 こみいった複雑な事がら。
村雀 群をなす雀。
退転 あともどりすること。 ここでは怠ることをいう。
仏恩にそなはる 仏恩を報謝したことになる。
思ひよらず 思いもよらず。
かわいや かわいそうなことだ。
のうれん 暖簾。
一通り あらまし。 一部始終。
信治定 信心が決定すること。 信心がたしかに定まること。
結句をきりて (迷いの世界の) 絆を断ち切ってというほどの意。
あしきさまなること 悪いと思われるようなこと。
われといふことあれば 自分こそがという我執の心があるなら。
踏みかぶる 踏みはずして水たまりや穴などに落ち込むこと。
たしなまずは 心がけなければ。
さてあるまじき そのようなことはあるはずがない。
近江の湖 琵琶湖。
畏まりたる 承諾の意。 かしこまりました。
至りて きわめて。
穿つ 穴をあける。 つらぬく。
菩提の覚道 仏のさとり。
思ひすつる (なれるはずがないと) あきらめる。
おぼえざる 気づかない。 わからない。
段 とき。 場合。
人なみたるべし (われ先にものをいわないで) 人並みに振舞っておきなさい。
このあひだ この頃。
徒然 することがなくて退屈なさま。
神無森 現在の京都市山科区小山神無森町。
二十五日 法然上人の命日は一月二十五日。 なお、 善従は長亨二年 (1488)、 八十歳で没した。。
御出で候ひて 出てゆかれまして。
*寛正六年 (1465)、
延暦寺衆徒が大谷本願寺を破却し、 蓮如上人は大谷より避難した。 蓮如上人五十一歳。
一段 大変に。 たいそう。
御迷惑の体 お困りの様子。
二十五年 二十五回忌。
いろをたてきはを立て 心の内をはっきりと表に出して。
とが 悪いところ。 あやまち。 罪。
たくみ案じて うまく考えて。 うまく思案して。
細々 しばしば。 たびたび。
さとりのかたにして 現在のこの身でさとりを開いたようで。
密益 行者の表面に明らかにあらわれない利益。 信心の徳としての利益をいう。 顕益に対する語。
ことわり いわれ。
雲居寺 京都東山にあった天台宗の寺。 八坂東院ともいい洛東の大仏として有名であった。 現在の京都市東山区下河原町に旧跡がある。
いまの人 唯蓮坊のこと。
仏智の御方 仏の智慧のおはたらき。
信のうへより 信心をいただいた上で。
御所作 おはたらき。
よみぢのさはり 死出の旅路のさまたげ。
あるいは ある時には。
心得た 人間の知解をもって理解できたと思っていることをいう。
つのらんよりほかは たよりとする以外。 おまかせする以外。
加州菅生 現在の石川県加賀市菅生。
坊主 蓮智を指す。
信が御入りなく… 信心がございませんので。
蓮智 加賀大聖寺荻生 (現在の石川県加賀市大聖寺) の願成寺の住持。
願生 底本には 「願将」 とある。
復せずは 繰り返し読まなければ。
詮あるべからざる かいのあるはずがない。 益のあるはずがない。
御詞 ここでは蓮如上人の教化の言葉。
なせそ してはいけない。
不審 疑問を問いただすこと。
尼公 法敬坊の母を指すのであろう。
申し分にて 申すくらいのことで。 教えたくらいのことで。
かげにて 蓮如上人がいないところで。
御本寺御坊 御本寺は山科の本願寺、 御坊は大坂などの坊舎を指す。
御留主 主人が不在の時、 その家を守ること。
受用 食べること。
御入りなき ございません。
威儀 ここでは外見をおごそかにすること。
御風呂 仏像や仏具を洗うのに用いる湯風呂。
御代 御歴代の宗主。
われら式のもの わたしたちのようなもの。
昵近のかたがた 親しく仕えていた人々。
あのうへ あの方。
違ひ候はでは 間違えないはずがない。
御もよほし 仏のうながし。
数奇たること 好きなこと。
世間へつかふ (仏のおかげで与えられたものを) 世間のことに使う。
いたづらにする むだにする。
上品 最上のこと。
わがこころ本になる 自分の心を中心にする。
冥加につきて 仏の加護から見放されてしまう。
御文を御申し候ふ 御文を書いていただきたいとお願いした。
むつかしき 難儀な。 わずらわしい。 めんどうな。
重宝の珍物 珍しい食べ物。
経営 接待のために奔走すること。 ここでは料理すること。
身をかろくもつべし わが身を軽くして報謝に努めなければならない。
宿善めでたしといふ 「めでたし」 はすばらしいの意。 宿善をわがもののように思って、 すばらしいということ。
宿善ありがたしと申す 阿弥陀仏より信心を得るよい因縁を与えていただいてありがたいと感謝すること。
群機 凡夫・聖者、 善人・悪人、 賢者・愚者、 老少、 男女等さまざまな人すべて。 あらゆる人々。
仏法者 ここではみずから仏法を信じ、 他人をも教え導く人。
法の威力 仏法のすぐれた力。
いひたてず 述べ伝えて仏法を盛んにすることはない。
信心定得 信心をたしかに獲得すること。
是非なし とやかくいっても仕方がない。
人を殺し候ふこと ここでは死刑にすること。
国をくつがへし ここでの国は加賀 (現在の石川県南部) のこと。 文明六年 (1474)、 加賀守護の富樫家に起った内紛に際し、 蓮崇が門徒の一揆を誘導した事件を指す。
御門徒をはなされ候ふ 破門となったという意。
御寺内へまゐり *明応八年 (1499) 三月、
山科本願寺の蓮如上人の所へ
赦免を乞いに参上したことを指す。 蓮如上人八十五歳。
なほさう 許してやろう。
御兄弟以下 蓮如上人の子息たちなど寺内の人々。
御もらしなき 阿弥陀仏の本願は回心の者をもらさず救うという意。
すぎられ候ふ 亡くなりました。
蓮崇は
*明応八年 (1499) 三月二十八日に死去した。
あくかよ 満足できようか。
かまへて 必ず。
愚者三人に智者一人 三人集まるとよい知恵が浮ぶ。
冥加もなき 恐れ多い。 もったいない。
えつれば 得たなら。
一同 同じように。
御縁 庭に面した縁側。
物の数にてもなき 大したことではない。 取り立てていうほどもない。
ことのはもあるべからず 言葉ではいい表すことができない。
随分 精一杯。 全力を尽くしていること。
たふとむ人より… 「たふとむ人」 は法義を尊んでいるようにふるまう人、 「たふとがる人」 は法義をただありがたくよろこんでいる人の意であろう。
殊勝ぶりする人 ありがたそうにふるまう人。
ついたち障子 衝立。
大永六 1526年。 蓮如上人没後二十七年。
今の時分がよき時 今がよい機会。
ひがざま 間違ったふう。
秘極 ここではきわめて大切なという意。
権者 ここでは蓮如上人を指す。
平懐 無作法。 底本に 「平外」 とあるのを改めた。
つぶりだにぬれずは 頭さえ雨に濡れなければ。
仏法の家 浄土真宗の法義をよろこぶ家。
あきなひ 商売のことであるが、 ここではあらゆる職業をいう。
人をたたせ 参詣の人々を帰らせるのがよいといいう意。
なかなか 大変。
申すもことおろかに候ふ 言葉が足りない。
義尚 (1465-1489) 足利九代将軍。
やぶらるる 破門なさる。
はじめて物をまゐらせ候ふ 初物を納める。
御往生候ふとも… わたしが往生してもあなたはその後十年は生きるであろう。
おしかへし 繰り返し。
さにて御入り候ふ そのようでございます。
条々 逐一の箇条。 一つ一つ。
物をきこしめし候ふ 食物をいただく。
人の食はぬ飯 仏祖からいただく飯、 すなわち御仏飯のこと。
不法の人 仏法を信じない人。
違例にする 病気のようにきらう。
疾くはてよかし 早く終わればよい。
御心たがひ お心が乱れ。
あらた ここでは尊い、 不思議なというほどの意。
御世 ここでは本願寺住職のこと。
御一身 実如上人御自身。
恐れある (実名を口にすることになって) 恐れ多い。
直に じかに。 直接に。
御文申され候へば 御文を書いていただきたいとお願いしたところ。
志の人 仏法に志の篤い人。
秘事秘伝 深遠な教え。 深い教え。 ここでは秘事法門といわれる異義で用いられる秘事秘伝の語を逆手にとっている。
御普請御造作 普請・造作はともに建築すること。
なにも不思議に… 何もかも不思議なほど立派で、 ながめなども見事でございます。
御かけ字 掛軸にするための法語。
表補絵 表装。
わけもなきこと わけのわからないこと。 無意味なこと。
心ね 心持ち。
これの内に居て聴聞申す身 蓮如上人の側近くにいて仕え、 いつも仏法を聴聞している者。
とりはづしたらば (役目、 仕事という思いを) 忘れたならという意か。 あるいは (教えの趣旨を) 取りそこなってもという意か。
成らんよ ここでの 「ん」 は推量の助動詞。 なるであろうことよ。
御詞の末 仰せになったことの一つ。
茸に酔ひまうされ きのこの毒にあたって。
世法 世間のこと。
無沙汰油断 粗略で不注意なこと。
我になりて 自分中心の考え方になって。
御前の人 (蓮如上人の) お側の者。
前住上人 異本には 「前々住上人」 とある。 前々住上人とは蓮如上人のこと。
申し入れ ここでは取り次ぐこと。
進上物 贈物。 献上品。
狂言 ここではばかげた言葉、 たわごとの意。
御兄弟衆 蓮如上人の子息たち。
きらりと はっきりと。
さんばの浄賢 当時のさんば (
三番) は大坂湾岸沿いの神崎川と中津川の三角州にあった。 浄賢は大坂
定専坊の住職。
御判 花押。 書判。
三心の字訓 本願に示される至心・信楽・欲生の三心の文字の解釈。
御作分 つくられたもの。 御制作になったもの。 ここでは ¬教行信証¼ を指す。
註 ¬六要鈔¼ のこと。
智解 学識。
あだにする 粗末にする。 無駄にする。
微音に 小さな声で。
世体 世間のこと。
いふ 「言ふ」 と 「結ふ」 (縄などで縛り、 形を整えること) との掛詞。
あがる ここでは値うちが出るという意。
背摺布 麻布に山藍で模様をすりこんでつくったかたびら。
自物 自分のもの。 自身の所有するお金のこと。
曲もなきこと つまらないこと。 おもしろくないこと。 すげないこと。
われするとおもふかとよ 私が与えると思うのか。