1097◎六要鈔 第三 旧本
二 Ⅱ ⅲ 信
【1】 ◎△当巻大門第三に信を明かす。 中において五を分つ。
◎当巻大門第三ニ明ス↠信ヲ。於テ↠中ニ分ツ↠五ヲ。
▽一には序の題目、 ▽二には別序、 ▽三には正題目、 ▽四には標挙、 ▽五には正釈なり。
一ニハ序ノ題目、二者別序、三ニハ正題目、四者標挙、五者正釈ナリ。
二 Ⅱ ⅲ a 序題目
【2】 △初めに序の題目に二を分つこと▽前のごとし。
初ニ序ノ題目ニ分コト↠二ヲ如シ↠前ノ。
二 Ⅱ ⅲ b 別序
【3】 △二に別序とは、 第一巻の最初の▲総序に対してこれを別序と号す、 これ安心の巻要須たるがゆゑにこの別序あり。
二ニ別序ト者、対シテ↢第一巻ノ最初ノ総序ニ↡号ス↢之ヲ別序ト↡、是安心ノ巻為ガ↢要須↡故ニ有リ↢此ノ別序↡。
問ふ。 二序を用ゐる時常に前後に安ず。 よりて後に安ずるをもつてこれを後序といひ、 あるいは前後をもつてこれを序跋と称す。 その後序にあらずして中間にこれを用ゐる、 その例あるや。
問。用ル↢二序ヲ↡時常ニ安ズ↢前後ニ↡。仍テ以テ↠安コトヲ↠後ニ謂ヒ↢之ヲ後序ト↡、或ハ以テ↢前後ヲ↡称ス↢之ヲ序ハジメ跋モトト↡。非シテ↢其ノ後序ニ↡中間ニ用ル↠之ヲ、有↢其ノ例↡耶。
答ふ。 もし天台によらば ¬法華経¼ の本迹二門においておのおのその序あり、 これその証なり。
答。若シ依ラバ↢天臺ニ↡於テ↢¬法華経ノ¼本迹二門ニ↡各有リ↢其ノ序↡、是其ノ証也。
この序の中に就きて、 文を分ちて四となす。
就テ↢此ノ序ノ中ニ↡、分テ↠文ヲ為ス↠四ト。
▲一に文の初めより 「哀善巧」 に至るまではこれ他力信心の行相を顕す。 上には 「▲如来」 といふ、 これ弥陀に約す。 下には 「▲大聖」 といふ、 これ釈迦に約す。
一ニ自↢文ノ之初↡至マデハ↢「哀善巧ニ」↡是顕ス↢他力信心ノ行相ヲ↡。上ニハ云フ↢「如来ト」↡、是約ス↢弥陀ニ↡。下ニハ云フ↢「大聖ト」↡、是約ス↢釈迦ニ↡。
▲二に 「然末代」 の下はこれ他師その本宗自力の執情に拘はつて、 本願真実の源底を顕わさざることを明かす。 これ実の誤りにあらず。 時機いまだ熟せざれば、 みな後賢のその実義を述べんことを待つらくのみ。 例せば*天台・*浄影等の師、 みなこれ大権、 おのおの明哲なりといへども、 しばらく経旨を隠してひそかに弥陀如来の応化、 善導大師の楷定の述記に譲りしがごとし。
二ニ「然末代ノ」下ハ是明ス↧他師拘テ↢其ノ本宗自力ノ執情ニ↡、不コトヲ↞顕サ↢本願真実ノ源底ヲ↡。此レ非ズ↢実ノ誤ニ↡。時機未ダレバ↠熟セ、皆待ツラク↣後賢ノ述ベンコトヲ↢其ノ実義ヲ↡耳。例セバ如シ↧天臺・浄影等ノ師、皆是大権、各雖↢明哲ナリト↡、暫ク隠シテ↢経旨ヲ↡潜ニ譲シガ↦弥陀如来ノ応化1098、善導大師ノ楷定ノ述記ニ↥。
▲三に 「爰愚禿」 の下はみづからの所解あたかも経論釈義の深旨を得、 かねて謗難を顧みて自謙の言を述ぶることを顕す。
三ニ「爰愚禿ノ」下ハ顕ス↧自ノ所解宛モ得↢経論釈義ノ深旨ヲ↡、兼テ顧テ↢謗難ヲ↡述コトヲ↦自謙ノ言ヲ↥。
▲四に 「欣浄邦」 の下は総結の文なり。
四ニ「*欣浄邦ノ」下ハ総結ノ文也。
二 Ⅱ ⅲ c 正題目
【4】 △三に正題目とは、 二に分つこと▲また同じ。 序の題目に対して正題目といふ、 行信鉤鎖して二三次いでを成ず。
三ニ正題目ト者、分コト↠二ニ又同ジ。対シテ↢序ノ題目ニ↡云フ↢正題目ト↡、行信鉤鎖シテ二三成ズ↠次ヲ。
二 Ⅱ ⅲ d 標挙
【5】 △四に標挙といふは、 題の後の一行第十八の願、 「至心信楽の願」 これなり。 註に 「▲正定聚の機」 といふは、 これ至心信楽の行人、 すなはち摂取不捨の益を蒙るがゆゑに、 現に生死と流を分つ義を明かすなり。
四ニ言↢標挙ト↡者、題ノ後ノ一行第十八ノ願、「至心信楽ノ之願」是也。註言↢「正定聚ノ之機」↡者、是明ス↧至心信楽ノ行人、即蒙ブルガ↢摂取不捨ノ益ヲ↡故ニ、現ニ与↢生死↡分ツ↠流ヲ義ヲ↥也。
二 Ⅱ ⅲ e 正釈
【6】 △五に正釈の中に、 また分ちて二となす。 ▽文の初めより下 「重愛也」 に至るまでは、 まづ信相を標し、 かねて願名を挙ぐ。 ▽二に 「至心信」 の下はまさしく諸文を引く。
五ニ正釈ノ中ニ、又分テ為ス↠二ト。自↢文ノ初↡下至マデハ↢「重愛也ニ」↡、先ヅ標シ↢信相ヲ↡兼テ挙グ↢願名ヲ↡。二ニ「至心信ノ」下ハ正ク引ク↢諸文ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e イ 信相願名
【7】 △初めの文の中において ▲「つつしんで按ず」 とらは、 ▲第二巻の初めにならべて行信を標してその中に行を明かす。 このゆゑに当巻には二を標するにおよばず、 ただちに信を明かすなり。
於テ↢初ノ文ノ中ニ↡「謹按ズト」等者、第二巻ノ初ニ双ベテ標シテ↢行信ヲ↡其ノ中ニ明ス↠行ヲ。是ノ故ニ当巻ニハ不↠及バ↠標スルニ↠二ヲ、直ニ明ス↠信ヲ也。
▲この信心を嘆ずるに、 十二句あり。 その文見つべし。
嘆ズルニ↢此ノ信心ヲ↡、有リ↢十二句。其ノ文可シ↠見ツ。
「▲不顛倒」 といひ 「▲不虚偽」 といふ、 ▲¬論の註¼ の言を借る。
云ヒ↢「不顛倒ト」↡云↢「不虚偽ト」↡、借ル↢¬論ノ註ノ¼↡言ヲ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ 引文
【8】 △二に引文の中に、
二ニ引文ノ中ニ、
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・ 因願成就文
▲因願と▲成就と、 ¬大経¼ と ¬宝積¼ とおのおのもつてこれを引く。 その義見つべし。
因願ト成就ト、¬大経ト¼¬宝積ト¼各以テ引ク↠之ヲ。其ノ義可シ↠見ツ。
▲「又言聞法能不」 とらは、 ¬大経¼ の下巻三十偈の文、 これ聞法不忘の徳を嘆ず。
「又言聞法能不ト」等者、¬大経ノ¼下巻三十偈ノ文、是嘆ズ↢聞法不忘ノ之徳ヲ↡。
▼問ふ。 次上の文は ¬如来会¼ の説、 いまの文は ¬大経¼。 両経各別なり。 なんぞ 「又」 といふや。 また下の二文は ¬如来会¼ の文、 なんぞ ¬大経¼ に対してまた 「又」 といふや。 前後錯乱思ひがたし。 いかん。
問。次上ノ文者¬如来会ノ¼説、今ノ文ハ¬大経¼。両経各別ナリ。何ゾ云↠「又ト」耶。又下ノ二文ハ¬如来会ノ¼文1099、何ゾ対シテ↢¬大経ニ¼↡亦云↠「又ト」耶。前後錯乱難シ↠思ヒ。如何。
答ふ。 まことにもつて思ひがたし。 この書大概類聚の後、 上人いくばくならず帰寂の間、 再治に及ばず、 少々かくのごとき事らなきにあらず。 かつはまた翻訳の異ありといへども、 梵本同じきがゆゑその義辺によるにあながちに苦なきか。
答。誠ニ以テ難シ↠思ヒ。此ノ書大概類聚ノ之後、上人不↠幾帰寂ノ之間、不↠及↢再治ニ↡、少々非ズ↠無ニ↢如↠此ノ事等↡。且ハ又雖↠有↢翻訳ノ之異↡、梵本同ジキガ故依ニ↢其ノ義辺ニ↡強ニ無↠苦歟。
「▲聞法不忘▲即我親友」 は称誉の義、 ↓浄影・↓*憬興はともにかの土に約す、 ↓*義寂はここに約す。 殿最知りがたし。 ただし次の所引異訳の ¬経¼ の文に、 あるいは 「▲当獲重愛聖尊」 といひ、 あるいは 「▲常令諸仏生喜」 といふ。 文勢義趣この土に約する義、 もつともその理を得たり。 よろしく寂の意によるべし。
「聞法不忘即我親友ハ」称誉ノ之義、浄影・憬興ハ共ニ約ス↢彼ノ土ニ↡、義寂ハ約ス↠此ニ。殿最難シ↠知リ。但シ次ノ所引異訳ノ¬経ノ¼文ニ、或ハ云ヒ↢「当獲重愛聖尊ト」↡、或ハ云フ↢「常令諸*仏生喜ト」↡。文勢義趣約スル↢比ノ土ニ↡義、尤得タリ↢其ノ理ヲ↡。宜ク↠依↢寂ノ意ニ↡。
問ふ。 諸師の異解その釈を聞かんと欲ふ。
問。諸師ノ異解欲フ↠聞ント↢其ノ釈ヲ↡。
答ふ。 ↑浄影師 (大経義疏巻下) のいはく、 「聞不忘とは、 弥陀仏所にして法を聞きて忘れず。 見敬といふは、 弥陀仏を見て心に敬重を生ず。 得大慶とは、 前に法を聞き仏を見て恭敬して善利を得ることを明かすなり。 乃至 行釈迦に順ずるをわが善友と名づく。」 以上
答。浄影師ノ云、「聞不忘ト者、弥陀仏所ニシテ聞テ↠法ヲ不↠忘。言↢見敬ト↡者、見テ↢弥陀仏ヲ↡心ニ生ズ↢敬重ヲ↡。得大慶ト者、明ス↣前ニ聞ヽ↠法ヲ見テ↠仏ヲ恭敬シテ得コトヲ↢善利ヲ↡也。 乃至 行順ズルヲ↢釈迦ニ↡名↢我善友ト↡。」 已上
↑憬興師 (述文賛巻下) のいはく、 「すなはち弥陀の所説を忘れず、 またかの仏を見て心に敬重を生じてもつて大喜をなす。 行釈迦に順じて釈迦に摂せらる。 ゆゑに善友といふ。」 以上
憬興師ノ云、「即不↠忘↢弥陀ノ所説ヲ↡、亦見テ↢彼ノ仏ヲ↡心ニ生ジテ↢敬重ヲ↡以テ為ス↢大喜ヲ↡。行順ジテ↢釈迦ニ↡釈迦ニ所ル↠摂セ。故ニ云フ↢善友ト↡。」 已上
↑義寂師 (大乗義記巻下) のいはく、 「聞法能不忘とは、 聞きてよく思ふ。 ゆゑに忘れず。 見敬得大慶とは、 思択の時において、 その深趣を見てしかも敬重し、 その滋味を得てしかもおほきに慶ぶ。 もしよくかくのごとくすれば、 すなはち仏と志を同じくす。 ゆゑに即我親善友なりといふなり。」 以上
義寂師ノ云、「聞法能不忘ト者、聞テ而能ク思フ。故ニ不↠忘也。見敬得大慶ト者、於テ↢思択ノ時ニ↡、見テ↢其ノ深趣ヲ↡而モ敬重シ、得テ↢其ノ滋味ヲ↡而モ大ニ慶ブ。若シ能ク如クスレバ↠此ノ、則与↠仏同ス↠志ヲ。故ニ云フ↢即我親善友也ト↡也。 已上
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『如来会』両文
【9】 ▲次下の両文、 おほきに ¬大経¼ に同じ。
次下ノ両文、大ニ同ジ↢¬大経ニ¼↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『論註』文
【10】▲次に ¬論の註¼ の文は、 五念門の中の讃嘆門の釈なり。
次1100ニ¬論ノ註ノ¼文ハ、五念門ノ中ノ讃嘆門ノ釈ナリ。
いまの所引の中に、 初め ▲「称彼」 より 「相応故」 に至るまでの二十五字は、 これ本論の文。 ▲「称彼如来名者」 以下は、 論文を三に分ちてこれを牒釈すらくのみ。
今ノ所引ノ中ニ、初自↢「称彼」↡至マデノ↢「相応故ニ」↡二十五字ハ、是本論ノ文。「称彼如来名者」以下ハ、論文ヲ分↠三ニ牒↢釈スラク之ヲ↡耳。
第一の句に就きて、
就テ↢第一ノ句ニ↡、
問ふ。 「称彼」 とらは、 いふところの 「称」 は、 称念の義か、 称揚の義か。
問。「称彼ト」等者、所ノ↠言之「称ハ」、称念ノ義歟、称揚ノ義歟。
答ふ。 総じてこれをいはば二義に通ずべし。 別してこれを論ぜば称念を本となす。
答。総ジテ而言ハヾ↠之ヲ可シ↠通ズ↢二義ニ↡。別シテ而論ゼバ↠之ヲ称念ヲ為ス↠本ト。
問ふ。 いまの ¬論¼ に立つるところの五念門の中に、 名号称念の一門を立てず、 すなはち観察をもつて ¬論¼ の正意となす。
*問。今ノ¬論ニ¼所ノ↠立ル五念門ノ中ニ、不↠立↢名号称念ノ一門ヲ↡、即以テ↢観察ヲ↡為ス↢¬論ノ¼正意ト↡。
随ひて ¬註¼ (論註巻下) の文を見るに、 讃嘆を釈していはく、 「▲讃とは讃揚なり、 嘆とは歌嘆なり」 と。
随テ見ルニ↢¬註ノ¼文ヲ↡、釈シテ↢讃嘆ヲ↡云ク、「讃ト者讃揚也、嘆ト者歌嘆也ト。」
すべからく称揚に約すべし、 なんぞ二義に通ぜん。 いはんや称念をもつて論の正意とすること、 その理いかん。
須クシ↠約ス↢称揚ニ↡、何ゾ通ゼン↢二義ニ↡。況ヤ以テ↢称念ヲ↡為コト↢¬論ノ¼正意ト↡、其ノ理如何。
答ふ。 あに前にいはずや、 総じて二義に通ずとは。 いまの讃嘆の釈はすなはち一辺の義なり。 ただし別に称念の門を立てざることは、 讃嘆といふはこれすなはち称の義、 称に称揚・称念の二義あり、 ゆゑに別に立てず。 おほよそ称の字二辺に通ずる義において、 もし所讃に約せばこれすなはち名号を称念するこれなり。 もし能讃に約せば称揚の義なり。 しかるに能讃とは、 所讃の法において勝徳あるがゆゑなり。 もし所讃なくはなんぞ能讃あらん。 その所讃とは名号、 光明第一の句に明かすところ、 すなはちこれ名号の法なり。
答。豈不ヤ↢前ニ云ハ↡、総ジテ通ズトハ↢二義ニ↡。今ノ讃嘆ノ釈ハ則一辺ノ義ナリ。但シ別ニ不コト↠立↢称念ノ門ヲ↡者、言↢讃嘆ト↡者是則称ノ義、称ニ有リ↢称揚・称念ノ二義↡、故ニ不↢別ニ立↡。凡ソ於テ↧称ノ字通ズル↢二辺ニ↡義ニ↥、若シ約セバ↢所讃ニ↡是則称↢念スル名号ヲ↡是也。若シ約セバ↢能讃ニ↡称揚之義ナリ。而ニ能讃ト者、於テ↢所讃ノ法ニ↡有ルガ↢勝徳↡故ナリ。若シ无クハ↢所讃↡何ゾ有ラン↢能讃↡。其ノ所讃ト者名号、光明第一ノ之句ニ所↠明、即是名号ノ法也。
▲第二の句に就きて ▲「仏光」 とらは、 仏の光明は智慧の所生なり。 ゆゑに 「▲如来の光明智相」 といふ。
就テ↢第二ノ句ニ↡「仏光ト」等者、仏ノ之光明ハ智恵ノ所生ナリ。故ニ云フ↢「如来ノ光明智相ト」↡。
▲第三の句に就きて▲「能破」 とらは、 滅罪の徳を明かす。 「▲一切」 の言の中に、 惑障・業障・報障、 もろもろの不善を摂すべし。 ▲「能満」 とらは、 往生の益を明かす。 また 「▲一切」 の言に護念・見仏等を摂すべし。
就テ↢第三ノ句ニ↡「能破ト」等者、明ス↢滅罪ノ徳ヲ↡。「一切ノ」言ノ中ニ、応シ↠摂ス↢惑障・業障・報障、諸ノ不善ヲ↡也。「能満ト」等者、明ス↢往生ノ益ヲ↡。又「一切ノ」言ニ可↠摂ス↢護念・見仏等ヲ↡也。
▲「然有」 とらは、 これその問なり。 ▲「由不」 とらは、 これその答なり。 ▲「云何」 とらは、 これ徴問なり。 「為」 の下 「如」 の上に、 本に 「不」 の字あり、 これ脱落か。 ▲「謂不」 とらは、 これその答なり。 これに二の意あり、 一にはいはく↓二種の身を知らざるをもつて判じて名義不相応義となす。 二にはいはく三種不相応の義に違するを称して如実修行相応となす。
「然有ト」等者、是其ノ問也。「由1101不ト」等者、是其ノ答也。「云何ト」等者、是徴問也。「為ノ」下「如ノ」上ニ、本ニ有リ↢「不ノ」字↡、是脱落歟。「謂不ト」等者、是其ノ答也。此ニ有リ↢二ノ意↡、一ニハ謂ク以テ↠不ルヲ↠知ラ↢二種ノ之身ヲ↡判ジテ為ス↢名義不相応義ト↡。二ニハ謂ク違スルヲ↢三種不相応ノ義ニ↡称シテ為ス↢如実修行相応ト↡。
問ふ。 ↑実相・為物二種の身、 その義いかん。
問。実相・為物二種ノ之身、其ノ義如何。
答ふ。 これに二義あり。 一義にいはく、 実相の身とはこれはこれ理仏、 すなはち法性法身といふこれなり。 為物の身とはこれはこれ事仏、 すなはち方便法身といふこれなり。 ↓一義にいはく、 実相・為物二種の法身、 ともにこれ事仏、 二種の法身これ自利利他の徳に約す。 すなはち名と義となり。 実相は義に約す。 すなはちこれ光明、 摂法身のゆゑに。 為物はこれ名、 すなはちこれ名号、 摂衆生のゆゑに。
答。此ニ有リ↢二義↡。一義ニ云、実相ノ身ト者此ハ是理仏、即云↢法性法身ト↡是也。為物ノ身ト者此ハ是事仏、即云↢方便法身ト↡是也。一義ニ云ク、実相・為物二種ノ法身、共ニ是事仏、二種ノ法身是約ス↢自利利他之徳ニ↡。即名ト与 トナリ↠義。実相ハ約ス↠義ニ。即是光明、摂法身ノ故ニ。為物ハ是名、即是名号、摂衆生ノ故ニ。
問ふ。 ↑しばらく後の義に就きてすでに実相といふ、 なんぞ事仏たらん。
問。且ク就テ↢後ノ義ニ↡既ニ云フ↢実相ト↡、何ゾ為ン↢事仏↡。
答ふ。 いふところの実相は無相の義にあらず、 これ虚実の義なり。 すなはち生仏に約す。 いはく仏を実となし衆生を虚となし、 悟をもつて実となし迷をもつて虚となす。
答。所ノ↠言フ実相ハ非ズ↢無相ノ義ニ↡、是虚実ノ義ナリ。即約ス↢生仏ニ↡。謂ク仏ヲ為シ↠実ト衆生ヲ為シ↠虚ト、以テ↠悟ヲ為シ↠実ト以テ↠迷ヲ為ス↠虚ト。
問ふ。 二義の中に、 いづれをもつてか正とする。
問。二義ノ之中ニ、以テカ↠何ヲ為ル↠正ト。
答ふ。 二義ともに存ず、 用捨学者の意にあるべし。 ただし名義に約する、 なほ文に親しきか。
答。二義共ニ存ズ、用捨可シ↠在ル↢学者ノ之意ニ↡。但シ約スル↢名義ニ↡、猶親シキ↠文ニ歟。
▲「又有」 とらは、 これ如実・不如実の義を釈す。
「又有ト」等者、是釈ス↢如実・不如実ノ義ヲ↡。
▲「一者」 とらは、 第一の不信は、 これ心弱に約す。 心弱によるがゆゑにあるいは行ずる時あり、 ある時は行ぜず。
「一者ト」等者、第一ノ不信ハ、是約ス↢心弱ニ↡。由ルガ↢心弱ニ↡故ニ或ハ有リ↢行ズル時↡、或時ハ不↠行ゼ。
また字訓を窺ふに、 「▲淳」 ¬玉篇¼ にいはく、 「之純、 是倫二の切、 淑なり。」 ¬広韻¼ にいはく、 「常倫切、 清なり、 朴なり。」 これらの訓によるに、 不善・不浄・不直等の義に通ずべきか。 註の 「▲常偸反」、 「偸」 の字おそらくは非なり、 書生の誤りか。 ¬広韻¼ のごとくなるべし。
又窺フニ↢字訓ヲ↡、「淳」¬玉篇ニ¼云ク、「之純、是倫二切、淑也。」¬広韻ニ¼云ク、「常倫切、清也、朴也。」依ニ↢此等ノ訓ニ↡、可キ↠通↢不善・不浄・不直等ノ之義ニ↡歟。註ノ「常偸反」、「偸ノ」字恐ハ非ナリ、書1102生ノ誤歟。可シ↠如ナル↢¬広韻ノ¼↡。
▲第二の不信、 すでに 「▲不一」 といふ、 不一によるがゆゑに行一準ならざるを 「▲不相続」 といふ。 余行を雑するがゆゑに弥陀を念ずる心、 念々に間断す、 釈に 「▲余念間故」 といふこれなり。
第二ノ不信、既ニ云フ↢「不一ト」↡、由ガ↢不一ニ↡故ニ行不ルヲ↢一准ナラ↡云フ↢「不相続ト」↡。雑スルガ↢余行ヲ↡故ニ念ズル↢弥陀ヲ↡心、念々ニ間断ス。釈ニ云フ↢「余念間故ト」↡是也。
▲「是故」 とらは、
「是故ト」等者、
問ふ。 上に*三信を挙げてさらに一といはず。 一心の文をもつて三信の義を結す。 註釈の引文はなはだあひ順せず、 いかん。
問。上ニ挙テ↢三信ヲ↡更ニ不↠云↠一ト。以テ↢一心ノ文ヲ↡結ス↢三信ノ義ヲ↡。註釈ノ引文甚不↢相順セ↡、如何。
答ふ。 上に三信を挙げてその心を開すといへども、 三信あひ成じてつひに別心にあらず。 これをもつてこれをいふにただこれ開合、 その意を顕さんがために、 ゆゑにこの義を結するにこの文を引くなり。 よりて▲下のわたくしの釈、 もつぱら三心一心の義を成ず。 もつともこの理に叶ふ、 ことに信受すべし。
答。上ニ挙テ↢三信ヲ↡雖↠開スト↢其ノ心ヲ↡、三信相成ジテ遂ニ非ズ↢別心ニ↡。以テ↠之ヲ謂ニ↠之ヲ只是開合、為ニ↠顕ンガ↢其ノ意ヲ↡、故ニ結スルニ↢此ノ義ヲ↡引ク↢此ノ文ヲ↡也。仍テ下ノ私ノ釈、専ラ成ズ↢三心一心ノ之義ヲ↡。尤叶フ↢此ノ理ニ↡、殊ニ可シ↢信受ス↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『讃弥陀偈』文
【11】▲次に ¬讃弥陀の偈¼、 この文第十八の願を讃ずる文たるがゆゑに、 この偈を引くなり。
次ニ¬讃弥陀ノ偈¼、此ノ文為ガ↧讃ズル↢第十八ノ願ヲ↡文↥故ニ、引↢此ノ偈ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・「定善義」文
【12】▲次の所引の文は 「定善義」 の釈、 雑想観 (観経) の 「▲阿弥陀仏神通如意、 於十方国変現自在」 の文を解する釈なり。
次ノ所引ノ文ハ「定善義ノ」釈、解スル↢雑想観ノ「阿弥陀仏神通如意、於十方国変現自在ノ」之文ヲ↡釈也。
▲「言如」 とらは、 如意の言において二義ある中に、 後の義ほぼ他力の利益を標す。 これ造悪流転の凡夫、 開悟得脱おのれが所堪にあらず、 ひとへに仏徳たることを顕す。 定善観門の説たりといへども、 所観の仏に就きてその益を明かすなり。
「言如ト」等者、於テ↢如意ノ言ニ↡有ル↢二義↡中ニ、後ノ義粗標ス↢他力ノ利益ヲ↡。是顕ス↧造悪流転ノ凡夫、開悟得脱非ズ↢己ガ所堪ニ↡、偏ニ為コトヲ↦仏徳↥。雖↠為ト↢定善観門之説↡、就テ↢所観ノ仏ニ↡明↢其ノ益ヲ↡也。
「▲五眼」 といふは▲第一巻に載す。
言↢「五眼ト」↡者載ス↢第一巻ニ↡。
「▲六通」 といふは ¬倶舎論¼ の第二十七 (玄奘訳智品) にいはく、 「一には神境智証通、 二には天眼智証通、 三には天耳智証通、 四には他心智証通、 五には宿住随念智証通、 六には漏尽智証通。 六通の中に第六はただ聖なり、 しかれどもその前の五は*異生また得といへども、 総想によりてまたともに異生なりと説く。」 以上
言↢「六通ト」↡者¬倶舎論ノ¼第二十七ニ云、「一ニハ神境智証通、二ニハ天眼智証通、三ニハ天耳智証通、四ニハ他心智証通、五ニハ宿住随念智証通、六ニハ漏尽智証通。雖↢六通ノ中ニ第六ハ唯聖ナリ、然モ其ノ前ノ五ハ異生亦得ト↡、依テ↢総*想ニ↡説ク↢亦共ニ異生ナリト↡。」 已上
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・「序分義」文
【13】▲次の所引の文は 「序分義」 の釈なり。
次1103ノ所引ノ文ハ「序分義ノ」釈ナリ。
問ふ。 いまこの文を引くなんの由かあるや。
問。今引ク↢此ノ文ヲ↡有↢何ノ由カ↡耶。
答ふ。 上来の引文明かすところ、 みなこれ如来済度の利生方便、 如実相応真実の信心なり。 その所被の機は、 これ罪悪生死の凡夫、 煩悩賊害の衆生たるがゆゑに、 五濁・五苦・八苦逼悩の有情、 もつぱらその機たることを顕さんがためにことさらにこれを引く。
答。上来ノ引文所↠明、皆是如来済度ノ利生方便、如実相応真実ノ信心ナリ。其ノ所被ノ機ハ、是為ガ↢罪悪生死ノ凡夫、煩悩賊害ノ之衆生↡故ニ、為ニ↠顕サンガ↣五濁・五苦・八苦逼悩ノ有情、専為コトヲ↢其ノ機↡故ニ引ク↠之ヲ也。
現行の本、 「五苦」 (序分義) の下に 「八苦」 の二字あり、 いま除かるるか、 また異あるか。
現行ノ之本、 「五苦ノ」下ニ有リ↢「八苦ノ」二字↡、今被↠除歟、又有↠異歟。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・「散善義」五文
【14】▲次の所引は 「散善義」 の文、 三心の釈なり。 この三心は、 出離の直因、 行者の最要、 解信仰信よろしく機根によるべし。 ともに仏智に帰すれば往生疑なし。 この三心において二の意を存ずべし。
次ノ所引者「散善義ノ」文、三心ノ釈也。此ノ三心者、出離ノ直因、行者ノ最要、解信仰信宜ク↠依↢機根ニ↡。共ニ帰スレバ↢仏智ニ↡往生無シ↠疑。於テ↢此ノ三心ニ↡可シ↠存ズ↢二ノ意ヲ↡。
↓一にはこれ定散諸機の発起するところなるがゆゑに、 まづ行者に被らしめてその信相を明かす。 ゆゑに初心の勧門を明かす時、 まづその機に約して解行真実なるべき義を勧む。 誡門の時、 同じくその機に約して貪瞋を侵め虚仮を離るべしと誡しむ。 内外相応する、 これを真実といふ。 しかるにいまだ自力・他力を分たず。 下の二心これに準じて知るべし。
一者是為ルガ↣定散諸機ノ所↢発起スル↡故ニ、先ヅ被シメテ↢行者ニ↡明ス↢其ノ信相ヲ↡。故ニ明ス↢初心ノ勧門ヲ↡之時、先ヅ約シテ↢其ノ機ニ↡勧ム↧可キ↢解行真実ナル↡之義ヲ↥。誡門之時、同ク約シテ↢其ノ機ニ↡誡シム↧侵メ↢貪嗔ヲ↡可ト↞離ル↢虚仮ヲ↡。内外相応スル、謂フ↢之ヲ真実ト↡。然而未ダ↠分↢自力・他力ヲ↡。下ノ之二心准ジテ↠之ニ応シ↠知ル。
↓二には三心みなこれ加来回向成就の利益なり。 さらに凡夫自力の心にあらず。 凡心さらに真実の義なし。 ひとへに他力に帰すればその仏徳をもつて往生を証得す。 このゆゑに機において信相を論ぜず。 この義辺に約して ¬大経¼ ¬観経¼ 三信・三心、 もとこれ一意なり。 いまの至誠心、 勧誡の二門その文点を読みてよろしく領解せしむべし。 口伝にあるべし。 またその文に至りてほぼ解すべからくのみ。
二者三心皆是加来廻向成就ノ之利益也。更ニ非ズ↢凡夫自力ノ之心ニ↡。凡心更ニ無シ↢真実ノ之義↡。偏ニ帰スレバ↢他力ニ↡以テ↢其ノ仏徳ヲ↡証↢得ス往生ヲ↡。是ノ故ニ於テ↠機ニ不↠論ゼ↢信相ヲ↡。約シテ↢此ノ義辺ニ↡¬大経¼¬観経¼三信・三心、本是一意ナリ。今ノ至誠心、勧誡ノ二門読テ↢其ノ文点ヲ↡宜クシ↠令ム↢領解セ↡。可シ↠在↢口伝ニ↡。又至テ↢其ノ文ニ↡粗可ラク↠解ス耳。
二義の中に、 ↑初めの義は常の義、 ↑後の義は今師相伝の義なり。 次下の三心・一心の釈の中につぶさにこの意あり。
二1104義ノ之中ニ、初ノ義ハ常ノ義、後ノ義ハ今師相伝ノ之義ナリ。次下ノ三心・一心ノ釈ノ中ニ具ニ有リ↢此ノ意↡。
▲「弁定」 とらは、 いまのこの三心 「▲正因」 といふに就きて、 正とは邪に対し、 また傍に対する言なり。 いまここに正といふその義知んぬべし。 因とは果に対し、 また縁に対する言なり。
「辨定ト」等者、今ノ此ノ三心就テ↠云ニ↢「正因ト」↡、正ト者対シ↠邪ニ、又対スル↠傍ニ言ナリ。今此ニ言フ↠正ト其ノ義可↠知ヌ。因ト者対シ↠果ニ、又対スル↠縁ニ言ナリ。
これすなはち ¬観念法門¼ の中に見仏縁を釈していはく、 「▲至誠心・信心・願心を内因となし、 また弥陀の↓三種の願力に藉りてもつて外縁となして、 外内の因縁和合す。 ゆゑにすなはち仏を見る。」 以上
是則¬観念法門ノ¼中ニ釈シテ↢見仏縁ヲ↡云ク、「至誠心・信心・願心ヲ為シ↢内因ト↡、又籍テ↢弥陀ノ三種ノ願力ニ↡以テ為シテ↢外縁ト↡、外内ノ因縁和合ス。故ニ即見↠仏。」 已上
↑三力といふは、 同じき縁の中に、 ¬般舟経¼ の説によりて引き截するところの▲大誓願力・三味定力・本功徳力、 これその三なり。 見仏の益すでに内外因縁によりてこれを得。 往生の益もつとも準知すべし。
言↢三力ト↡者、同キ縁ノ中ニ、依テ↢¬般舟経ノ¼説ニ↡所ノ↢引キ截スル↡之大誓願力・三味定力・本功徳力、是其ノ三也。見仏ノ之益既ニ由テ↢内外因縁ニ↡得↠之ヲ。往生ノ之益尤可シ↢准知ス↡。
これによりてこの書の第二巻 (行巻) に 「▲真実信の業識、 これすなはち内因とす。 光明・名の父母、 これすなはち外縁とす。 内外の因縁和合して報土の真身を得証す」 といへる、 けだしこの義なり。
因テ↠茲ニ此ノ書ノ第二巻ニ云ヘル↧「真実信ノ業識、斯則為↢内因ト↡。光明・名ノ父母、斯則為↢外縁ト↡。内外ノ因縁和合シテ得↦証スト報土ノ真身ヲ↥」、蓋シ此ノ義也。
▲「随機」 とらは、 「機」 とはすなはちこれ定散の諸機、 「▲益」 とはすなはちこれ諸機の往生、 その往生を得ることひとへに仏願難思の利益、 名号の一法による。 しかるに仏いまだその勝利を顕したまはず、 これを 「▲意密」 といふ。 このゆゑに自問・自懲・自答したまふ。 もしかくのごとくならずは、 衆生なにをもつてかこの要義を聞かん。 慇懃の意、 その義貴むべし。
「随機ト」等者、「機ト」者即是定散諸機、「益ト」者即是諸機ノ往生、得コト↢其ノ往生ヲ↡偏ニ由ル↢仏願難思ノ利益、名号ノ一法ニ↡。而ニ仏未 ズ ダ↠顕ハシタマハ↢其ノ勝利ヲ↡、言フ↢之ヲ「意密ト」↡。是ノ故ニ自問・自懲・自答シタマフ。若シ不ハ↠如ナラ↠是ノ、衆生何ヲ以テカ聞カン↢此ノ要義ヲ↡。慇懃ノ之意、其ノ義可シ↠貴。
【15】▲「経にいはく一者至誠心」 とは、 これ経文を牒す。
「経ニ云ク一者至誠心ト」者、是牒ス↢経文ヲ↡。
問ふ。 依文の三巻、 一々に ¬経¼ を釈す。 なんぞこの文に限りてこの言を置くや。
問。依文ノ三巻、一々ニ釈ス↠¬経ヲ¼。何ゾ限テ↢此ノ文ニ↡置ク↢此ノ言ヲ↡耶。
答ふ。 いふところの三心は、 一経の眼目、 出離の要道なり。 ゆゑに仏言を挙げて信順を勧むるなり。
答。所ノ↠言三心ハ、一経ノ眼目、出離ノ要道ナリ。故ニ挙テ↢仏言ヲ↡勧ル↢信順1105ヲ↡也。
▲「至者」 とらは、 これ字釈なり。 「至」 の字 「真」 の訓、 管見いまだ覃ばず。 ただしかくのごときの例、 聖典にこれ多し。 いはんや大権の釈、 仰いでこれを信ずべし。 天台のごときは 「専」 をもつて 「至」 に訓ず。 これまたいまだ知らず、 おのおの拠あるか。
「至者ト」等者、是字釈也。「至ノ」字「真ノ」訓、管見未 ズ ダ↠覃。但シ如ノ↠此ノ例、聖典ニ多シ↠之。況ヤ大権ノ釈、仰テ可シ↠信ズ↠之ヲ。如↢天臺ノ↡者以テ↠「専ヲ」訓ズ↠「至ニ」。是又未ダ↠知、各有↠拠歟。
▲「欲明」 とらは、 勧門の釈なり。 「▲須」 の字の訓、 「用」 の訓を用ゐるべし。
「欲明ト」等者、勧門ノ釈也。「須ノ」字ノ之訓、可シ↠用↢「用ノ」訓ヲ↡。
「▲心中作」 とは行者の作にあらず。 仏の所作に約す、 これすなはち凡心は真実にあらざるがゆゑに。 仏心真実の徳に帰するによりてその仏徳となして往生の益を得。 その所帰に就きて真実心といふ、 依主釈なり。
「心中作ト」者非ズ↢行者ノ作ニ↡。約ス↢仏ノ所作ニ↡、是則凡心ハ非ガ↢真実ニ↡故ニ。依テ↠帰スルニ↢仏心真実ノ之徳ニ↡為シテ↢其ノ仏徳ト↡得↢往生ノ益ヲ↡。就テ↢其ノ所帰ニ↡云フ↢真実心ト↡、依主釈也。
▲「不得」 とらは、 誡門の釈なり。 この句の文点 「▲現」 より 「▲得」 に還る、 当流の学者定めて存知せるか。
「不得ト」等者、誡門ノ釈也。此ノ句ノ文点自↠「現」還ル↠「得ニ」、当流ノ学者定テ存知歟。
いまこの釈意雑行を誡むるなり。 しかるゆゑは、 凡夫の心さらに賢善精進の義なし。 ただこれ愚悪懈怠の機なり。 しかるに人自心の愚悪を顧ず、 随縁起行して、 もし賢善精進の諸行を修することを求めんと欲せば、 悪性の心なるがゆゑに煩悩賊害して、 かならずこれ虚仮雑毒を免れじ、 「▲内懐虚仮」 これその義なり。 しかれば賢善等の相を現ぜず、 自心三毒の悪性を識知して自力の行を捨て他力の行に帰して、 真実清浄の業を得べきなり。 この心を勧むるをもつていまの釈の要となす。
今此ノ釈意誡↢雑行ヲ↡也。所↢以然↡者、凡夫ノ之心更ニ无シ↢賢善精進ノ之義↡。只是愚悪懈怠ノ機也。而ニ人不↠顧↢自心ノ愚悪ヲ↡、随縁起行シテ、若シ欲セ↠求メント↠修スルコトヲ↢賢善精進之諸行ヲ↡者、悪性ノ心ナルガ故ニ煩悩賊害シテ、必是不↠免レ↢虚仮雑毒ヲ↡、「内懐虚仮」是其ノ義也。然者不↠現ゼ↢賢善等ノ相ヲ↡、識↢知シテ自心三毒ノ悪性ヲ↡捨テ↢自力ノ行ヲ↡帰シテ↢他力ノ行ニ↡、可キ↠得↢真実清浄ノ業ヲ↡也。以テ↠勧ムルヲ↢此ノ心ヲ↡為ス↢今ノ釈ノ要ト↡。
▲「雖起」 とらは、 三業を外となし悪性を内となす。 常の義のごときは、 外をば身・口に名づけ、 内をば意業に名づく。 しかのごとくならば雖起二業といふべし。 すでに三業といふ。 知るべし、 三業はただこれ外なり。 内は悪性なり。
「雖起ト」等者、三業ヲ為シ↠外ト悪性ヲ為ス↠内ト。如↢常ノ義↡者、外ヲバ名ケ↢身・口ニ↡、内ヲバ名ク↢意業ニ↡。如ナラバ↠然ノ可シ↠云↢雖起二業ト↡。既ニ云フ↢三業ト↡。可シ↠知ル、三業ハ只是外也。内ハ悪性也。
▲「若作」 とらは、 自力の善雑毒たるがゆゑに身心を励ますといへども往生を得ざることを明かす。
「若作ト」等者、明ス↧自力ノ善為ガ↢雑毒↡故ニ雖↠励スト↢身心ヲ↡不コトヲ↞得↢往生ヲ↡。
「▲何以故」 とは、 徴問の言なり。 これ雑毒虚仮の行不生の由を徴す。
「何以故ト」者、懲問ノ言也。是懲ス↢雑毒虚仮ノ之行不生ノ之由ヲ↡。
▲「正由」 とらは、 これその答なり。 いふこころはかの浄土弥陀の因行・果報より起る、 因中の所修みなこれ真実なり。 ゆゑに生ぜんと欲はんものは真実なるべしとなり。
「正1106由ト」等者、是其ノ答也。言コヽロハ彼ノ浄土起ル↠自↢弥陀ノ因行・果報↡、因中ノ所修皆是真実ナリ。故ニ欲ハン↠生ゼント者ハ可シト↢真実ナル↡也。
問ふ。 凡夫の心はもとこれ不実なり、 いかでかかの仏の所行の真実に斉しからん。
問。凡夫ノ心者本是不実ナリ、争デカ斉カラン↢彼ノ仏ノ所行ノ真実ニ↡。
答ふ。 仏願に帰するをもつて真実と名づくるなり。 仏の因中の真実心の相を尋ぬるに、 ただ仏心に帰す。 いまもまた同じかるべし。 能修の行者、 その心においては、 かの仏心に比するに、 浄穢・善悪等の差ありといへども、 仏願に帰するは真実心を発す。 この心凡夫の所発に似たりといへども、 これ仏智所施の心たるがゆゑに真実心といふ。 さらに衆生随情の心にあらず。 ゆゑに等同ならしむるなり。
答。以テ↠帰スルヲ↢仏願ニ↡名ク↢真実ト↡也。尋ヌルニ↢仏ノ因中ノ真実心ノ相ヲ↡、唯帰ス↢仏心ニ↡。今モ又可シ↠同カル。能修ノ行者、於↢其ノ心ニ↡者、比スルニ↢彼ノ仏心ニ↡、雖↠有ト↢浄穢・善悪等ノ差↡、帰スル↢仏願ニ↡者発ス↢真実心ヲ↡。此ノ心雖↠似タリト↢凡夫ノ所発ニ↡、是為ガ↢仏智所施ノ心↡故ニ云フ↢真実心ト↡。更ニ非ズ↢衆生随情ノ心ニ↡。故ニ令ムル↢等同ナラ↡也。
おほよそいまの文においてその真実を解するに二重の釈あり。 一には因中の行道真実、 二にはおほよそ施したまふところ趣求をなすなり。 初めは兆載の行、 次はかの行をもつて衆生に施したまふゆゑに、 衆生これを行ずれば、 如来因中の願に契当するがゆゑに、 これ凡夫所発の心にあらず。 しかしながら如来利他の心たり。 このゆゑに生ぜんと欲はば、 仏に帰して自力虚仮雑毒の善を用ゐざれ。
凡ソ於テ↢今ノ文ニ↡解スルニ↢其ノ真実ヲ↡有リ↢二重ノ釈↡。一者因中ノ行道真実、二者凡所↠施シタマフ為ス↢趣求ヲ↡也。初ハ兆載ノ行、次ハ以テ↢彼ノ行ヲ↡施シタマフガ↢衆生ニ↡故ニ、衆生行ズレバ↠之ヲ、契↢当スルガ如来因中ノ願ニ↡故ニ、是非ズ↢凡夫所発ノ之心ニ↡。併ラ為リ↢如来利他ノ之心↡。是ノ故ニ欲ハヾ↠生ゼント、帰シテ↠仏ニ不レ↠用↢自力虚仮雑毒ノ之善ヲ↡。
「施為趣求」 は二利に配当す、 「施為」 は利他、 「趣求」 は自利、 これ常の義なり。 いま文点あり、 施為の名目これを依用せず。 「▲凡所施」 とは、 これ如来の施、 仏はこれ能施。 「▲為趣求」 とは、 これ行者に約す、 仏道の趣求なり。 これすなはち仏に対して衆生は所施なり。 これ如来施与の行をもつてすなはち衆生趣求の行となす。 能所異なりといへどもともにこれ如来利他の行なるがゆゑにこれを真実といふ。
「施為趣求ハ」配↢当ス二利ニ↡、「施為ハ」利他、「趣求ハ」自利、是常ノ義也。今有リ↢文点↡、施為ノ名目不↣依↢用セ之ヲ↡。「凡所施ト」者、是如来ノ施、仏ハ是能施。「為趣求ト」者、是約ス↢行者ニ↡、仏道ノ趣求ナリ。是則対シテ↠仏ニ衆生ハ所施ナリ。是以テ↢如来施与ノ之行ヲ↡即為ス↢衆生趣求ノ之行ト↡。能所雖↠異ナリト倶ニ是如来利他ノ行ナルガ故ニ謂↢之ヲ真実ト↡。
「▲亦皆」 といふは、 上の因位の行、 すなはちいまの所施なり。 上には 「▲仏行」 といひいまは 「▲所施」 といふ、 能施の仏行、 所施の行体、 ともにこれ真実なり、 ゆゑに 「亦」 といふなり。
言↢「亦皆ト」↡者、上ノ因位ノ行、即今ノ所施ナリ。上ニハ云ヒ↢「仏行ト」↡今ハ云フ↢「所施ト」↡、能施ノ仏行、所1107施ノ行体、共ニ是真実ナリ、故ニ云↠「亦ト」也。
▲「又真」 とらは、 重ねて真実を釈す。 中において三あり。 ▲一には総じて捨悪修善に就きて真実の義を解す。 ▲二には三業に就きて別に欣厭を明かす。 ▲三には善悪に就きて真実の義を結す。 その文見やすし。
「又真ト」等者、重テ釈ス↢真実ヲ↡。於テ↠中ニ有リ↠三。一者総ジテ就テ↢捨悪修善ニ↡解ス↢真実ノ義ヲ↡。二ニハ就テ↢三業ニ↡別ニ明ス↢欣厭ヲ↡。三ニハ就テ↢善悪ニ↡結ス↢真実ノ義ヲ↡。其ノ文易シ↠見。
問ふ。 二種ありと標して、 利他真実を釈せず、 いかん。
問。標シテ↠有ト↢二種↡、不↠釈セ↢利他真実ヲ↡、云何。
答ふ。 学者種々の義を存ずといへども、 しばらく当流一義の意によらば、 上来にいふところの所施真実・趣求真実は、 いま標するところの 「▲利他真実」 なり。 ゆゑに別に解せず。 いまいふところの 「▲自利真実」 は、 これ尋常の真実の相を明かす。 これすなはち機に上中下の差あり。 もしその上機は上の安心の上にこの所為あり。 虎の角を戴くがごとし。 ただしこの行儀諸機に通じがたし。 たとひかくのごとくならざれども上の利他真実の相に契ひ、 帰仏の心あればまた往生を得。 煩悩賊害の下機、 もつぱら正機たるゆゑなり。
答。学者雖↠存ズト↢種々之義ヲ↡、且ク依ラ↢当流一義ノ意ニ↡者、上来ニ所ノ↠言フ所施真実・趣求真実ハ、今所ノ↠標スル之「利他真実ナリ」。故ニ別ニ不↠解セ。今所ノ↠言之「自利真実ハ」、是明ス↢尋常ノ真実ノ之相ヲ↡。是則機ニ有リ↢上中下ノ差↡。若シ其ノ上機ハ上ノ安心ノ上ニ有リ↢此ノ所為↡。如シ↢虎ノ戴クガ↟角ヲ。但シ此ノ行儀難↠通ジ↢諸機ニ↡。縦ヒ不ドモ↠如クナラ↠此ノ契ヒ↢上ノ利他真実ノ之相ニ↡、有レバ↢帰仏ノ心↡亦得↢往生↡。煩悩賊害ノ下機、専為↢正機↡故也。
▲「不簡」 とらは、 ▲下のわたくしの解釈に ¬涅槃経¼ を引きてその内外明闇の義を明かす。 その解を待つべし。
「不簡ト」等者、下ノ私ノ解釈ニ引テ↢¬涅槃経ヲ¼↡明ス↢其ノ内外明闇ノ之義ヲ↡。可シ↠待ツ↢其ノ解ヲ↡。
【16】次に深心を釈する中に、
次ニ釈スル↢深心ヲ↡中ニ、
▲「二者」 とらは、 これ経文を牒す。 ▲「深」 等といふは、 能信の相を明かす。 ▲「亦有」 とらは、 所信の事を顕す。 これすなはち機法二種の信心なり。
「二者ト」等者、是牒ス↢経文ヲ↡。言↢「深」等ト↡者、明ス↢能信ノ相ヲ↡。「亦有ト」等者、顕ス↢所信ノ事ヲ↡。是則機法二種ノ信心ナリ。
▲「無有」 とらは、 まさしく有善・無善を論ぜず、 自の功を仮らず、 出離ひとへに他力にあることを明かす。 聖道の諸教さかんに生仏一如の理を談ず。 いまの教は自力の功なきことを知るによりてひとへに仏力に帰す。 これによりてこの信ことに最要なり。
「無有ト」等者、正ク明ス↧不↠論ゼ↢有善・無善ヲ↡、不↠仮ラ↢自ノ功ヲ↡、出離偏ニ在コトヲ↦他力ニ↥。聖道ノ諸教盛ニ談ズ↢生仏一如ノ之理ヲ↡。今ノ教ハ依テ↠知ニ↢自力ノ無コトヲ↟功偏ニ帰ス↢仏力ニ↡。依テ↠之ニ此ノ信殊ニ最要也。
▲「無疑」 とらは、 「▲若不生者不取正覚」 (大経巻上)、 正覚すでに成ず、 ゆゑに 「無疑」 といふ。 「▲即得往生住不退転」 (大経巻下)、 一念誤ることなし、 ゆゑに 「▲無慮」 といふ。
「無疑ト」等者、「若不生者不取正覚」、正覚既ニ成ズ、故ニ云フ↢「無疑ト」↡。「即得往生住往不退転」、一1108念无シ↠誤コト、故ニ云↢「無慮ト」↡。
また二の釈あり。
又有リ↢二ノ釈↡。
初めに▲「又決定深信」 とらは、 これ ¬観経¼ によりて釈迦の説を信ず。
初ニ「又決定深信ト」等者、是依テ↢¬観経ニ¼↡信ズ↢釈迦ノ説ヲ↡。
次に▲「又決定深信」 とらは、 ¬弥陀経¼ によりて諸仏の証を信ず。 すなはちこれ三経具足して信心決了することを信ずることを明かす。
次ニ「又決定深信ト」等者、依テ↢¬弥陀経ニ¼↡信ズ↢諸仏ノ証ヲ↡。即是明ス↠信ズルコトヲ↢三経具足シテ信心決了スルコトヲ↡。
▲「又深」 とらは、 この文の中において、 「仏弟子」 に至るまでは三経によりてかくのごとく信ずる者は*二尊および諸仏の意に信順してすなはち自利を得ることを明かす。
「又深ト」等者、於テ↢此ノ文ノ中ニ↡、至マデハ↢「仏弟子ニ」↡明ス↧依テ↢三経ニ↡如ク↠此ノ信ズル者ハ信↢順シテ二尊及ビ諸仏ノ意ニ↡即得コトヲ↦自利ヲ↥。
▲「又一切」 の下は利他の徳を明かす。
「又一切ノ」下ハ明ス↢利他ノ徳ヲ↡。
「▲若仏」 とらは、 了教・不了経論釈義、 その説同じからず。 おのおのもつて義あり。 いま分満に就きて、 その不了・了義の別を明かす。
「若仏ト」等者、了教・不了経論釈義、其ノ説不↠同。各以テ有リ↠義。今就テ↢分満ニ↡、明ス↢其ノ不了・了義之別ヲ↡。
「▲乃至」 といふは、 ▲「又深心深信者」 より下四十余行、 これ四重の難破の文の中、 初めの三重および四重の初めを除く。 これ仏語によりて道同の義を験むるに、 たとひ報仏・化仏の説なりといへども、 いまの仏説に違せばあへて依信せじ、 これ極成の理なり。 ゆゑに三重を除きて第四重肝要の文を出だすに、 その理足りぬとなす。 ゆゑに省略すらくのみ。
言↢「乃至ト」↡者、自↢「又深心深信者」↡下四十余行、是除ク↢四重ノ難破ノ文ノ中、初ノ之三重及ビ四重ノ初ヲ↡。是依テ↢仏語ニ↡験ルニ↢道同ノ義ヲ↡、縦ヒ雖↢報仏・化仏ノ之説ナリト↡、違セバ↢今ノ仏説ニ↡敢テ不↢依信セ↡、是極成ノ理ナリ。故ニ除テ↢三重ヲ↡出スニ↢第四重肝要ノ之文ヲ↡、其ノ理為ス↠足ヌト。故省略スラク耳。
▲「釈迦」 とらは、 この文以下はこれ教証を引く。 その文に四あり。 初めの二文は釈迦の讃勧、 ▲次の二文は諸仏の讃勧。
「釈迦ト」等者、此ノ文以下ハ是引ク↢教証ヲ↡。其ノ文ニ有リ↠四。初ノ二文者釈迦ノ讃勧、次ノ二文者諸仏ノ讃勧。
▲「此名*就↓人立信」 とらは、
「此名就人立信ト」等者、
問ふ。 いふところの 「↑人」 とは何人を指すや。
問。所ノ↠言「人ト」者指↢何人ヲ↡耶。
答ふ。 解するに二義あり。 一義にいはく、 四重の難破を受けざる意、 還りてその難に就きてなほ信心を増す。 ゆゑに人といふはかの別解異学の人を指すなり。 一義にいはく、 因位不了の説を信ぜず、 ひとへに仏智決了の語を信じて、 永く疑殆を除き信心を建立す。 もしこの義によらば仏をもつて人となす。 これ能説の人たるがゆゑなり。
答。解スルニ有↢二義↡。一義ニ云、不ル↠受↢四重ノ難破ヲ↡之意、還テ就テ↢其ノ難ニ↡猶増ス↢信心ヲ↡。故ニ言↠人ト者指ス↢彼ノ別解異学ノ人ヲ↡也。一義ニ云ク、不↠信ゼ↢因位不了ノ之説ヲ↡、偏ニ信ジテ↢仏智決了ノ之語ヲ↡、永ク除キ↢疑殆ヲ↡建↢立ス信心ヲ↡。若シ依ラバ↢此ノ義ニ↡以テ↠仏ヲ為ス↠人ト。是為ガ↢能説ノ之人↡故也。
「▲乃至」 といふは、 ▲「就行」 以下六行余なり。 二行を標すといへども、 五種を挙ぐといへども、 立信の行にあらず。 このゆゑに除く。 いま立信の正意正定の業にあることを顕明せんがために▲「又就」 以下の文を引くところなり。
言↢「乃至ト」↡者、「就行」已1109下六行余也。雖↠標スト↢二行ヲ↡、雖↠挙ト↢五種ヲ↡、非ズ↢立信ノ行ニ↡。是ノ故ニ除ク也。今為ニ↤顕↣明センガ立信ノ正意在コトヲ↢正定ノ業ニ↡所↠引↢「又就」以下ノ文ヲ↡也。
▲「一心」 とらは、 総じて常念相続の相を勧む。
「一心ト」等者、総ジテ勧ム↢常念相続ノ之相↡。
▲「行住」 とらは、 別して他力相続の徳を明かす。 ただし 「▲念々不捨者」 の句に就きてその二義あり。
「行住ト」等者、別シテ明ス↢他力相続之徳ヲ↡。但シ就テ↢「念々不捨者ノ」句ニ↡有リ↢其ノ二義↡。
一義にいはく、 これ行者の用心意楽を釈す、 すみやかに衆事を抛ちて一心に称名を励むべき義なり。
一義ニ云、此レ釈ス↢行者ノ用心意楽ヲ↡、速ニ抛テ↢衆事ヲ↡一心ニ可キ↠励↢称名ヲ↡義也。
↓一義にいはく、 凡夫の行者この義得がたし。 一食の間なほその間あり、 一期念々いかでか相続することを獲ん。 すでに仏願に帰すれば*機法一体、 *能所不二にて、 おのづから不行而行の理あり、 ゆゑに不捨といふ。 機の策励にあらず、 これ法の徳なり。
一義ニ云、凡夫ノ行者此ノ義難シ↠得、一食ノ之間猶有リ↢其ノ間↡、一期念々争デカ獲ン↢相続スルコトヲ↡。既ニ帰スレバ↢仏願ニ↡機法一体、能所不二ニシテ、自有リ↢不行而行ノ之理↡、故ニ言フ↢不捨ト↡。非ズ↢機ノ策励ニ↡、是法ノ徳也。
当流の意によらば↑後の義を本となす。
依ラバ↢当流ノ意ニ↡後ノ義ヲ為ス↠本ト。
次に 「▲乃至」 とは、 これ正助二行の得失を判ずる二行余なり。 正行の中において、 ▲上に正助を分ちて、 その称名をもつて正定の業となして仏願に順ずと嘆ず。 ゆゑに正行の徳これその最要なり。 ゆゑにいまこれを略す。 次に雑行の失、 義趣まちまちなりといへども疎雑の行と名づくるにその義足りぬべし。 ゆゑに中間を略して結文を引くなり。
次ニ「乃至ト」者、是判ズル↢正助二行ノ得失ヲ↡二行余也。於テ↢正行ノ中ニ↡、上ニ分テ↢正助ヲ↡、以テ↢其ノ称名ヲ↡為シテ↢正定ノ業ト↡嘆ズ↠順ズト↢仏願ニ↡。故ニ正行ノ徳是其ノ最要ナリ。故ニ今略ス↠之ヲ。次ニ雑行ノ失、義趣雖↠区也ト名ルニ↢疎雑ノ行ト↡其ノ義可シ↠足ヌ。故ニ略シテ↢中間ヲ↡引ク↢結文ヲ↡也。
【17】次に回向発願心を解する中に、
次ニ解スル↢回向発願心ヲ↡中ニ、
▲「三者」 とらは、 また経文を牒す。 まづこの心を釈するに二種の意あり。
「三者ト」等者、亦牒ス↢経文ヲ↡。先ヅ釈スルニ↢此ノ心ヲ↡有リ↢二種ノ意↡。
▲「回向」 といふより 「願心也」 に至るまで五行余は回因向果、 いま 「▲乃至」 といひて略するところこれなり。 これ自力に約す、 ゆゑにしばらくこれを除く。
自↠言↢「廻向ト」↡至マデ↢「願心也ニ」↡五行余者廻因向果、今言テ↢「乃至ト」↡所↠略スル是也。是約ス↢自力ニ↡、故ニ且ク除ク↠之ヲ。
いまの所引 ▲「又回向」 の下 「大益也」▲ に至るまでは回思向道、 これ他力に約して証得の義を明かす。
今ノ之所引「又廻向ノ」下至マデハ↢「大益也ニ」↡廻思向道、是約シテ↢他力ニ↡明ス↢証得ノ義ヲ↡。
▲「問曰」 以下 「得益也」▲ に至るまではこれ問答なり。
「問曰」已下至マデハ↢「得益也ニ」↡是問答也。
問ふ。 いまこの問答、 ▲深心の中に致すところの問答となんの別かあるや。
問。今此ノ問1110答、与 ト ↢深心ノ中ニ所ノ↠致問答↡有↢何ノ別カ↡耶。
答ふ。 上は無有出離之縁の機に約してこれをいふ。 ゆゑに凡夫難生の義に就きてその四重問答の釈あり。 いまは一生修福の念仏、 過現三業の悪業を消しがたきことを問して、 答ふるに仏力不思議の益を明かす。 上下の問答の差異ここにあり。
答。上ハ約シテ↢無有出離之縁ノ之機ニ↡言フ↠之ヲ。故ニ就テ↢凡夫難生ノ之義ニ↡有リ↢其ノ四重問答ノ之釈↡。今ハ問シテ↢一生修福ノ念仏、難コトヲ↟消シ↢過現三業ノ悪業ヲ↡、答フルニ明ス↢仏力不思議ノ益ヲ↡。上下ノ問答差異在リ↠斯ニ。
▲「諸仏」 とらは、 まづ疑者の偏見を対治せんがために、 仏教において多門あることを述ぶ。
「諸仏ト」等者、先ヅ為ニ↣対↢治センガ疑者ノ偏見ヲ↡、述ブ↧於テ↢仏教ニ↡有コトヲ↦多門↥也。
▲「譬如」 とらは、 これ世間浅近の事相を挙げて、 かの仏力難思の益に況す。
「譬如ト」等者、是挙テ↢世間浅近ノ事相ヲ↡、況ス↢彼ノ仏力難思ノ之益ニ↡。
▲「随出」 とらは、 これ所治の八万四千の塵労門の中に、 その一門を出づればすなはちよくつひに余の煩悩の門を出づることを明かす。
「随出ト」等者、是明ス↧所治ノ八万四千ノ塵労門ノ中ニ、出レバ↢其ノ一門ヲ↡即能ク遂ニ出コトヲ↦余ノ煩悩ノ門ヲ↥。
▲「随入」 とらは、 これ能治の八万四千の解脱門の中に、 その一門に入ればすなはちよくつひに余の解脱の門に入ることを明かす。 いはく三毒の中にもし多貪の人は、 無貪の善をもつて貪煩悩を治して、 しかして後自然に瞋と痴と治す。 多瞋・多痴、 また無瞋・無痴の善根をもつて対治してしかして後またその余を治すること例してもつて知るべし。
「随入ト」等者、是明ス↧能治ノ八万四千ノ解脱門ノ中ニ、入レバ↢其ノ一門ニ↡即能ク遂ニ入コトヲ↦余ノ解脱ノ門ニ↥。謂ク三毒ノ中ニ若シ多貪ノ人ハ、以テ↢无貪ノ善ヲ↡治シテ↢貪煩悩ヲ↡、然シテ後自然ニ治ス↢嗔ト与 トヲ↟痴。多嗔・多痴、又以テ↢無嗔・無痴ノ善根ヲ↡対治シテ而後又治スルコト↢其ノ余ヲ↡例シテ以テ応シ↠知ル。
▲「若欲学解」 とらは、 学は初心究竟の一切諸位に通ずべきことを明かす。
「若欲学解ト」等者、明ス↢学ハ可コトヲ↟通ズ↢初心究竟一切ノ諸位ニ↡。
▲「若欲学行」 とらは、 行はすべからく有縁の法によるべきことを明かす。 「▲有縁の法」 とは意は念仏にあり。
「若欲学行ト」等者、明ス↢行ハ須クコトヲ↟依↢有縁之法ニ↡。「有縁ノ法ト」者意ハ在リ↢念仏ニ↡。
▲「又白」 以下はこれ譬喩を明かす。 この譬喩をいふにあるいは二河の譬喩といひ、 あるいは守護心の釈といふ。
「又白」以下ハ是明ス↢譬喩ヲ↡。言ニ↢此ノ譬喩ヲ↡或ハ云ヒ↢二河ノ譬喩ト↡、或ハ云フ↢守護心ノ釈ト↡。
中において二あり。 初めに標、 次に説。 説の中にまた三、 ▲喩と▲合と▲結となり。 一々の文義、 つぶさに述ぶることあたはず。
於テ↠中ニ有リ↠二。初ニ標、次ニ説。説ノ中ニ亦三、喩ト合ト結ト也。一々ノ文義、不↠能↢具述↡。
▲「又言」 とらは、 重ねて回向を釈す。 これすなはち還相回向の意なり。
「又言ト」等者、重テ釈ス↢廻向ヲ↡。斯乃還相廻向ノ意也。
【18】▲「三心」 以下はこれ総結の文なり。 これに二の意あり。
「三心」已下ハ是総結ノ文ナリ。此ニ有リ↢二ノ意↡。
一にいはく、 三心広く万善諸行にわたる義なり。 これによりてこれをいへば、 もし三心を具すれば諸行みな成ず。
一ニ云ク、三心広ク亘ル↢万善諸行ニ↡義也。依テ↠之1111ニ言ヘバ↠之ヲ、若シ具スレバ↢三心ヲ↡諸行皆成ズ。
¬選択集¼ に 「▲総じてこれをいへば、 もろもろの行法に通ず」 といへる、 すなはちその意なり。
¬選択集ニ¼云ヘル↣「総ジテ而言ヘバ↠之ヲ、通ズト↢諸ノ行法ニ↡」、即其ノ意也。
↓一にいはく、 いまこの三心はこれ念仏に約す。 一往諸行に通ずる辺ありといへども、 実に拠りてこれを論ずれば、 自力の諸行は作業成じがたし。 たやすく願行すでに成ずといふべからず。 また往生を得ることはひとへにこれ他力念仏の利益なり。 もし諸行に約せばすなはち▲若不生者といふべからず。 ゆゑにいまいふところは、 三心を具すればすなはち正業を成じてかならず往益を得る宗旨なり。
一ニ云、今此ノ三心ハ是約ス↢念仏ニ↡。一往雖↠有ト↧通ズル↢諸行ニ↡辺↥、拠テ↠実ニ論ズレバ↠之ヲ、自力ノ諸行ハ作業難シ↠成ジ。輙ク不↠可↠云↢願行既成ト↡。又得コトハ↢往生ヲ↡偏ニ是他力念仏ノ之利益也。若シ約セバ↢諸行ニ↡即不↠可↠云↢若不生者ト↡。故ニ今所ハ↠言、具スレ↢三心ヲ↡者即成ジテ↢正業ヲ↡必得ル↢往益ヲ↡之宗旨也。
同じき (選択集意) 次の句に 「▲別してこれをいへば、 念仏の行にあり」 といへる、 これその義なり。
同キ次ノ句ニ云ヘル↣「別シテ而言ヘバ↠之ヲ、在ト↢念仏ノ行ニ↡」、是其ノ義也。
問ふ。 二義の中にいづれをもつてか正とする。
問。二義ノ之中ニ以テカ↠何ヲ為ル↠正ト。
答ふ。 当流の意によらば、 ↑後の義を本となす。
答。依ラバ↢当流ノ意ニ↡、後ノ義ヲ為ス↠本ト。
▲「またこれ」 等は、 もし広く諸行に通ずる義によらば、 散に限らずまた定善に通ずることを顕す。 おほよそ三心においてその二の意あり。 初めの義はこれ定散諸機、 自力各別発心の義に約す。 後の義はこれ如来利他、 他力成就仏願の利益に約す。 三心の大綱ただ一端を示す。
「又此レ」等者、若シ依ラ↧広ク通ズル↢諸行ニ↡義ニ↥者、顕ス↣不↠限↠散ニ亦通コトヲ↢定善ニ↡。凡ソ於テ↢三心ニ↡有リ↢其ノ二ノ意↡。初ノ義ハ是約ス↢定散諸機、自力各別発心ノ之義ニ↡。後ノ義ハ是約ス↢如来利他、他力成就仏願ノ利益ニ↡。三心ノ大綱只示ス↢一端ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『般舟讃』文
【19】次の所引の文、 ▲「敬白」 とらは、 ¬般舟讃¼ の序の最初の文なり。
次ノ所引ノ文、「敬白ト」等者、¬般舟讃ノ¼序ノ最初ノ文也。
いふところの三心は、 これ凡夫発起の心にあらず。 ひとへに如来利他の善巧にあり。 また釈尊種々の方便によりてわれらが無上の信心を発起す。 これすなはち東岸・西岸、 発遣・招喚の義なり。 この義を顕さんがためにいまこの文を引く。
所ノ↠言三心ハ、此レ非ズ↢凡夫発起ノ之心ニ↡。偏ニ在リ↢如来利他ノ善巧ニ↡。又依テ↢釈尊種々ノ方便ニ↡発↢起ス我等ガ無上ノ信心ヲ↡。是則東岸・西岸、発遣・招喚ノ義也。為ニ↠顕サンガ↢此ノ義ヲ↡今引ク↢此ノ文ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『礼讃』文
【20】▲次の所引の文。
次ノ所引ノ文。
問ふ。 上は▲第二巻にすでにいまの文を引く。 なんぞ重ねて出だすや。
問。上ノ第二巻ニ已ニ引ク↢今ノ文ヲ↡。何ゾ重テ出耶。
答ふ。 同文たりといへども、 所用すでに異なり。 このゆゑに重ねて引く。
答。雖↠為↢同文↡、所用既ニ異ナリ。是ノ故ニ重テ引ク。
そのゆゑに前の巻には行に就きてこれを引く。 「▲及称名号下至十声一声」 (行巻) 等なり。 当巻の中には信に就きてこれを引く。 あるいは 「▲即是真実信心」 といひ、 あるいは 「▲信知弥陀本弘誓願」 といひ、 あるいは▲「乃至一念無有疑心」 といふ等なり。
所以前ノ巻ニハ就テ↠行ニ引ク↠之ヲ。「及称名号下至十声一声」等1112也。当巻之中ニハ就テ↠信ニ引ク↠之ヲ。或ハ云ヒ↢「即是真実信心ト」↡、或ハ云ヒ↢「信知弥陀本弘誓願ト」↡、或ハ云フ↢「乃至一念無有疑心ト」↡等也。
おほよそこの鈔のごときの、 あるいは経釈の文、 あるいは譬喩等、 その所用に就きて重ねて引用するところその例なきにあらず。 かの ¬要集¼ の▲住水宝珠の譬、 広略ありといへども再びもつてこれを出だすがごとし。 また観察門の総相・雑略の両観に、 同じく 「▲光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」 (観経) の文を挙げて、 わたくしの釈に同じく 「▲七百五倶胝六百万の光明」 (要集巻中) の計校を載する等これなり。
凡ソ如ノ↢此ノ鈔↡、或ハ経釈ノ文、或ハ譬喩等、就テ↢其ノ所用ニ↡重テ所↢引用スル↡非ズ↠無ニ↢其ノ例↡。如シ↧彼ノ¬要集ノ¼住水宝珠ノ之譬、雖↠有ト↢広略↡再以テ出ガ↞之ヲ。又観察門ノ総相・雑略ノ両観ニ、同ク挙テ↢「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」之文ヲ↡、私ノ釈ニ同ク載スル↢「七百五倶胝六百万ノ光明ノ」之計校ヲ↡等是也。
▲「其有得聞」 とらは、 ¬大経¼ の流通の文の意、 「▲歓喜至一念」 とは、 これ信心を顕す貌なり。 このゆゑにこの次にこれを出だす。
「其有得聞ト」等者、¬大経ノ¼流通ノ文ノ意、「歓喜至一念ト」者、是顕ス↢信心ヲ↡貌也。是ノ故ニ此ノ次ニ出ス↠之ヲ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『要集』二文
【21】▲次に ¬要集¼ の文は、 上巻の釈なり。
次ニ¬要集ノ¼文ハ、上巻ノ釈也。
大文第四正修念仏作願門の中に、 菩提心の行相を明かす文なり。 前後に挙ぐるところ多くの譬喩あり。 いまはその二を出だす。 ▲前の巻に出だすところの波利質多樹の譬喩、 すなはちその類なり。
大文第四正修念仏作願門ノ中ニ、明ス↢菩提心ノ行相ヲ↡文也。前後ニ所↠挙ル有リ↢多ノ譬喩↡。今出ス↢其ノ二ヲ↡。前ノ巻ニ所ノ↠出波利質多樹之譬喩、即其ノ類也。
【22】▲次の所引の釈は、 中巻の初めの文。
次ノ所引ノ釈ハ、中巻ノ初ノ文。
同じき観察門に分ちてもつて三となす。 一には別相観、 二には総相観、 三には雑略観なり。 いまの釈は第三の雑略観の文、 真身観 (観経) の 「▲光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」 の意によりてこれを釈す。 経文定善の文の中にありといへども、 これ称名念仏の利益を顕す。 かの ¬疏¼ (定善義) の釈に 「▲唯標専念名号得生」 といひて、 広く三経を引きて名号の義を成ず。 いまの釈また同じ。 この文観察門の中にありといへども、 念仏の益を明かすことかれに準じて知るべし。
同キ観察門ニ分テ以テ為ス↠三ト。一ニハ別相観、二ニハ総相観、三ニハ雑略観ナリ。今ノ釈ハ第三ノ雑略観ノ文、依テ↢真身観ノ「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨ノ」之意ニ↡釈ス↠之ヲ。経文雖↠在ト↢定善ノ文ノ中ニ↡、是顕ス↢称名念仏ノ利益ヲ↡。彼ノ¬疏ノ¼釈ニ云テ↢「唯標専念名号得生ト」↡、広ク引テ↢三経ヲ↡成ズ↢名号ノ義ヲ↡。今ノ釈1113又同ジ。此ノ文雖↠在ト↢観察門ノ中ニ↡、明コト↢念仏ノ益ヲ↡*准ジテ↠彼ニ応シ↠知。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 総結
【23】次にわたくしの御釈。
次ニ私ノ御釈。
▲「爾者」 とらは、 総じて上来の諸文を結して、 みな如来の回向成就の義を顕すらくのみ。
「爾者ト」等者、総ジテ結シテ↢上来ノ諸文ヲ↡、皆顕スラク↢如来ノ廻向成就ノ義ヲ↡耳。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 初問答(字訓釈)
【24】次に二重の問答ある中に、 ▲初めの問答は、
次ニ有ル↢二重ノ問答↡之中ニ、初ノ問答者、
▲広く字訓を挙げて三心一心の義を成ずることを明かす。 字訓いまだことごとく本文を勘へ得ず。 ▼博覧の宏才仰ぐべし、 信ずべし。
広ク挙テ↢字訓ヲ↡明ス↠成ズルコトヲ↢三心一心ノ之義ヲ↡。字訓未ダ↣悉ク勘↢得本文ヲ↡。博覧ノ宏才可シ↠仰、可シ↠信。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 次問答(法義釈)
【25】▲次の問答は、
次ノ問答者、
この三心さらに凡夫発起の心にあらず、 如来の回向成就のゆゑに、 この信心を得、 このゆゑに名づけて真実心となすことを明かすなり。
明ス↧此ノ三心更ニ非ズ↢凡夫発起ノ之心ニ↡、如来ノ廻向成就ノ之故ニ、得↢此ノ信心ヲ↡、是ノ故ニ名テ為コトヲ↦真実心ト↥也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ 至心
【26】▲次に 「答」 言の下に、 ▲至心を解する中に、
次ニ「答」言ノ下ニ、解スル↢至心ヲ↡中ニ、
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・『大経』文
▲引くところの ¬大経¼ の上巻の文は、
所ノ↠引ク¬大経ノ¼上巻ノ文者、
これ法蔵菩薩因中所修の行、 みな衆生得脱の因、 大悲回向成就の相たることを説く。
是説ク↣法蔵菩薩因中所修ノ之行、皆為コトヲ↢衆生得脱ノ之因、大悲廻向成就ノ之相↡。
▲「不生」 とらは、 離煩悩を明かす。
「不生ト」等者、明ス↢離煩悩ヲ↡。
これに就きて二あり、 初めには自行を明かし、 次には↓利他を明かす。 自行を明かす中にまた四事あり。 いまの文以下の六句は離煩悩の因縁を明かす。
就テ↠此ニ有リ↠二、初ニハ明シ↢自行ヲ↡、次ニハ明ス↢利他ヲ↡。明ス↢自行ヲ↡中ニ又有リ↢四事↡。今ノ文以下ノ六句ハ明ス↢離煩悩ノ因縁ヲ↡。
「不生」 とらは、 浄影師 (大経義疏巻上) のいはく、 「覚に八種あり、 ¬地持¼ に説くがごとし。 一にはこれ欲覚、 財を思ひ色を思ふ。 二にはこれ瞋覚または恚覚と名づく、 思ひ他を瞋らんと欲す。 三には害覚また悩覚と名づく、 他人の所において念ひ害を加へんと欲す。 四には親覚、 追ひて親縁を憶ふ。 五には国土覚、 世の安危を念ふ。 六には不死覚、 身死せじと謂つて広く資生を集む。 七には族姓覚、 氏族の下れることを念ふ。 八には軽誣覚、 他人を陵がんことを念ふ。 この八種の中に、 初めの三は過重し、 これがためにひとへに挙ぐ。」 以上
「不生ト」等者、浄影師ノ云ク、「覚ニ有リ↢八種↡、如シ↢¬地持ニ¼説ガ↡。一ニハ是欲覚、思ヒ↠財ヲ思フ↠色ヲ。二ニハ是瞋覚亦ハ名ク↢恚覚ト↡、思ヒ欲ス↠瞋ント↠他ヲ。三者害覚亦ハ名ク↢悩覚ト↡、於テ↢他人ノ所ニ↡念欲ス↠加ント↠害ヲ。四者親覚、追テ憶フ↢親縁ヲ↡。五ニハ国土覚、念フ↢世ノ安危ヲ↡。六ニハ不死覚、謂テ↢身不ト↟死セ広ク集ム↢資生ヲ↡。七ニハ族姓覚、念フ↢氏族ノ下レルコトヲ↡。八ニハ軽誣シコツ覚、念フ↠陵ンコトヲ↢他人ヲ↡。此ノ八種ノ中ニ、初ノ三ハ過重シ、為ニ↠是ガ偏ニ挙グ。」 已上
▲「欲想」 とらは、
「欲想ト」等者1114、
また同師 (浄影観経義疏巻上) いはく、 「不起欲想・瞋想・害想は、 重ねてまたこれを顕す。」 以上
又同師云、「不起欲想・瞋想・害想ハ、重テ復顕ス↠之ヲ。」 已上
憬興師 (述文賛巻中) いはく、 「いまはすなはち三覚の因、 次いでのごとく三想、 境の分斉を取りて、 まさに欲等を生ずるがゆゑに、 しかもすなはち名利を貪せざるがゆゑに欲覚を生ぜず。 衆生を悩まさざるがゆゑに瞋覚を生ぜず。 物の命を損せざるがゆゑに害覚を生ぜず。 三覚生ぜざればかならず三想を絶つ。」 以上
憬興師云、「今ハ即三覚ノ之因、如ク↠次ノ三想、取テ↢境ノ分斉ヲ↡、方ニ生ズルガ↢欲等ヲ↡故ニ、然モ即不ルガ↠貪セ↢名利ヲ↡故ニ不↠生ゼ↢欲覚ヲ↡。不ルガ↠悩サ↢衆生ヲ↡故ニ不↠生ゼ↢嗔覚ヲ↡。不ルガ↠損セ↢物ノ命ヲ↡故ニ不↠生ゼ↢害覚ヲ↡。三覚不レバ↠生必絶ツ↢三想ヲ↡。」 已上
▲「不著」 とらは、
「不著ト」等者、
また同じき師 (述文賛巻中) のいはく、 「内因すでに離れ外縁ここに止む、 ゆゑに不著といふ。」 以上
又同キ師ノ云、「内因既ニ離レ外縁斯ニ止ム、故ニ云フ↢不著ト↡。」 已上
▲「忍力成就」 以下の二句は法の対治を明かす。
「忍力成就」以下ノ二句ハ明ス↢法ノ対治ヲ↡。
同師 (述文賛巻中) のいはく、 「忍力とは、 安受苦と、 耐怨害と察法忍となり。 この忍力をもつてよく損悩を忍ぶ、 ゆゑに三覚と三想とを離る。」 以上
同師ノ云、「忍力ト者、安受苦ト、耐タヘタリ怨害ト、察法忍ト也。以テ↢此ノ忍力ヲ↡能ク忍ブ↢損悩ヲ↡、故ニ離ル↢三覚ト三想トヲ↡。」 已上
▲「少欲」 とらは、
「少欲ト」等者、
法位師 (大経義疏巻上) のいはく、 「未来において多く求めざるを少欲と名づく。 現在において希望満ずるを知足と名づく。」 以上
法位師ノ云ク、「於テ↢未来ニ↡不ルヲ↢多ク求メ↡名ク↢少欲ト↡。於テ↢現在ニ↡希望満ズルヲ名ク↢知足ト↡。」 已上
「▲無染恚痴」 とは、 煩悩の体を離るることを明かす。 煩悩の体とはすなはちこれ三毒、 いはく貪・瞋・痴、 また婬・怒・痴なり。
「无染恚痴ト」者、明ス↠離コトヲ↢煩悩ノ体ヲ↡。煩悩ノ体ト者即是三毒、謂ク貪・嗔・痴、又婬・怒・痴ナリ。
ゆゑに法位 (大経義疏) のいはく、 「無染恚痴とは三毒を絶つ。」 以上
故ニ法位ノ云ク、「无染恚痴ト者絶ツ↢三毒ヲ↡。」 已上
また義寂師 (大経義記巻中) ¬般若¼ を引きていはく、 「菩薩は婬・怒・痴を遠離す、 婬・怒・痴不可見のゆゑにこれを婬・怒・痴を遠離すと名づく。」 以上
又義寂師引テ↢¬般若ヲ¼↡云、「菩薩ハ遠↢離ス婬・怒・痴ヲ↡、婬・怒・痴不可見ノ故ニ是ヲ名ク↣遠↢離スト婬・怒・痴ヲ↡。」 已上
▲「三昧」 とらは、
「三昧ト」等者、
浄影の意によるに、 「三昧」 は止に約し、 「▲智慧」 は観に約す。 「▲常寂」 を深といひ 「▲無礙」 を勝といふ。
依ニ↢浄影ノ意ニ↡、「三昧ハ」約シ↠止ニ「智恵ハ」約ス↠観ニ。「常寂ヲ」云ヒ↠深ト「無ヲ」云フ↠勝ト。
▲「無有虚偽」 以下の四句は、 これ↑化他を明かす。
「无有虚偽」以下ノ四句ハ、是明ス↢化他ヲ↡。
浄影・憬興同じく三業に約す。 ゆゑに浄影 (大経義疏巻下) のいはく、 「無有諂曲は心過を離るることを明かす、 和顔といふは身過を離るることを明かす、 愛語先問は口過を離るることを明かす。」 以上
浄影・憬興同ク約ス↢三業ニ↡。故ニ浄影ノ云ク、「無有諂曲ハ明ス↠離コトヲ↢心過ヲ↡、言↢和顔ト↡者明ス↠離コトヲ↢身過ヲ↡、愛語先問ハ明ス↠離コトヲ↢口過ヲ↡。」 已上
▲「勇猛」 の下は善法を修することを明かす。
「勇猛ノ」之下ハ明ス↠修スルコトヲ↢善法ヲ↡。
中において三あり。 初めの四句は無間修を明かす。 ▲「恭敬三宝」 以下の六句は恭敬修を明かす。 ▲「住空」 以下は行成修礼、 ただしいまの所引は恭敬修に至る第三を除くなり。
於テ↠中ニ有リ↠三。初ノ之四句1115ハ明ス↢無間修ヲ↡。「恭敬三宝」以下ノ六句ハ明ス↢恭敬修ヲ↡。「住空」已下ハ行成修礼、但シ今ノ所引ハ至ル↢恭敬修ニ↡除ク↢第三ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・『如来会』文
【27】▲次に ¬無量寿如来会¼ の文。 文言いささか異なれども意 ¬大経¼ に同じ。
次ニ¬無量寿如来会ノ¼文。文言聊異ナレドモ意同ジ↢¬大経ニ¼↡。
「▲法処」 といふはすなはちこれ法蔵。 「▲世間自在王如来」 とはすなはち世自在王仏これなり。 「間」 の字の有無、 両経の異ならくのみ。
言↢「法処ト」↡者即是法蔵。「世間自在王如来ト」者即世自在王仏是也。「間ノ」字ノ有無、両経ノ異ナラク耳。
問ふ。 至心を釈する中に両経の文を引く。 これなんの意や。
問。釈スル↢至心ヲ↡中ニ引ク↢両経ノ文ヲ↡。是何ノ意耶。
答ふ。 如来の至心を真実心となす。 その真心をもつて衆生に回施す。 仏の因中の真実心の相を説き、 また回施功徳の義を説くこと、 これらの経説ともにもつて分明なり。 ゆゑにこれを引くなり。
答。如来ノ至心ヲ為ス↢真実心ト↡。以テ↢其ノ真心ヲ↡廻↢施ス衆生ニ↡。説キ↢仏ノ因中ノ真実心ノ相ヲ↡、又説コト↢廻施功徳之義ヲ↡、此等ノ経説共ニ以テ分明ナリ。故ニ引↠之ヲ也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・「散善義」文
【28】▲次の所引の文は、 ¬観経義¼ (散善義) の釈。
次ノ所引ノ文ハ、¬観経義ノ¼釈。
いまの文▲前にあり。 なんぞ重ねて引くや。
*今ノ文在リ↠前ニ。何ゾ重テ引耶。
答ふ。 その当要に就きて重引を憚らざること子細▲上に述ぶ。 いままた同前。 いはんや広略を存ず。 異なきにあらざるか。 いはく上の所引は三心の総釈、 わたくしの釈を加へず。 いまは▲別にみづから三心の義を解す。 その中にほぼ本文の言を引きて広博に及ばず。 これ前と異なり。
答。就テ↢其ノ当要ニ↡不コト↠憚↢重引ヲ↡子細述ブ↠上ニ。今又同前。況ヤ存ズ↢広略ヲ↡。非ル↠無ニ↠異歟。謂ク上ノ所引ハ三心ノ総釈、不↠加↢私ノ釈ヲ↡。今ハ別ニ自解ス↢三心ノ之義ヲ↡。其ノ中ニ粗引テ↢本文ノ之言ヲ↡不↠及↢広博ニ↡。是与↠前異ナリ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・『涅槃経』文
【29】問ふ。 ▲¬涅槃経¼ を引きて何事を証するをや。
問。引テ↢¬涅槃経ヲ¼↡証スルヲ↢何事ヲ↡耶。
答ふ。 真実心とは、 如来の意、 衆生に関らず、 この義を証せんがためにこの文を引くなり。
答。真実心ト者、如来之意、不↠関カラ↢衆生ニ↡、為ニ↠証センガ↢此ノ義ヲ↡引ク↢此ノ文ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ○ 私釈(内外明暗釈)
【30】▲「釈に不簡明闇といふ」 とらは、 これまた同じく ¬涅槃経¼ の説によりてその内外明闇の義を解す。
「*釈ニ云↢不簡明闇ト↡」等者、是又同ク依テ↢¬涅槃経ノ¼説ニ↡解ス↢其ノ内外明闇之義ヲ↡。
弥陀の妙果は無上涅槃、 念仏はすなはちこれ涅槃の門なり。 このゆゑに聖道の教理を説くといへども、 悉有仏性、 如来常住、 甚深の極理、 ただこれ弥陀如来の果徳なり。 聖人の賢慮しかしながらこの義を存じたまふ。 仰ぎて依信すべし、 疑慮を懐くことなかれ。
弥1116陀ノ妙果ハ無上涅槃、念仏ハ即是涅槃ノ之門ナリ。是ノ故ニ雖↠説ト↢聖道ノ教理ヲ↡、悉有仏性、如来常住、甚深ノ極理、唯是弥陀如来ノ果徳ナリ。聖人ノ賢慮併ラ存ジタマフ↢此ノ義ヲ↡。仰テ可シ↢依信ス↡、勿レ↠懐コト↢疑慮ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ 信楽
【31】▲次に信楽の中に、
次ニ信楽ノ中ニ、
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ○ 私釈
▲「即以利他回向」 とらは、
「即以利他廻向ト」等者、
問ふ。 至心・信楽・欲生の三信その相各別なり、 なんぞ至心を釈して信楽の体とする。 また ▲「貪愛之心常能」 とらは、 これ回向心の譬喩なり。 また下にあるいは ▲「急作急修」 といひ、 あるいは ▲「衆名雑毒」 とらいふは至誠心の釈なり。 なんぞ猥りがはしく三心の解釈を混乱する。
問。至心・信楽・欲生ノ三信其ノ相各別ナリ、何ゾ釈シテ↢至心ヲ↡為ル↢信楽ノ体ト↡。又「貪愛之心常能ト」等者、是廻向心ノ之譬喩也。又下ニ或ハ云ヒ↢「急作急修ト」↡、或ハ云↢「衆名雑毒ト」等↡者至誠心ノ釈ナリ。何ゾ猥ク混↢乱スル三心ノ解釈ヲ↡。
答ふ。 開すれば三信たり、 合すれば一心たり。 よりて三心一異の義あり。 このゆゑに三心すなはちこれ一心なる義を標せんがために、 ことさらに三信彼此の文を綺へて釈せらるところなり。
答。開スレバ為リ↢三信↡、合スレバ為リ↢一心↡。仍テ有リ↢三心一異之義↡。是ノ故ニ為ニ↠標センガ↢三心即是一心ナル之義ヲ↡、故ニ綺テ↢三信彼此ノ之文ヲ↡所↠被↠釈セ也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・『大経』¬如来会』文
【32】▲次の所引二文の中に、
次ノ之所引二文ノ*之中ニ、
▲後の文は異訳の経説たりといへども、 △*前の巻に述ぶるがごとく、 梵本同じきによりて 「又云」 といふか。
後ノ文ハ雖↠為ト↢異訳ノ経説↡、如ク↢前ノ巻ニ述ルガ↡、依テ↢梵本同キニ↡言↢「又云ト」↡歟。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・『涅槃経』三文
【33】▲次に ¬涅槃経¼、 文に三段あり。 初めの文の中に就きて、
次ニ¬涅槃経¼、文ニ有リ↢三段↡。就テ↢初ノ文ノ中ニ↡、
「▲仏性」 といふは大信心に名づく。 また下に説きて 「▲大信心とはすなはちこれ仏性なり」 といふ。 その大信心はすなはちこれ如来回向利他の信心、 これはこれ証得往生必至涅槃の真因なり。 一切この他力往生清閑の一道によりて、 ことごとくみな凡聖斉円の妙理を顕すべし。 ゆゑに一切衆生ことごとく仏性あり。 その仏性とはすなはちいまの信心なり。 深くこの義を得てこの文を引用す。
云↢「仏性」↡者名ク↢大信心ニ↡。又下ニ説テ云↢「大信心者即是仏性也ト」↡。其ノ大信心ハ即是如来廻向利他ノ信心、此ハ是証得往生必至涅槃ノ之真因也。一切依テ↢此ノ他力往生清閑ノ一道ニ↡、咸ク皆可↠顕ス↢凡聖斉円ノ之妙理ヲ↡。故ニ一切衆生悉ク有リ↢仏性↡。其ノ仏性ト者即今ノ1117信心ナリ。深ク得テ↢此ノ義ヲ↡引↢用ス此ノ文ヲ↡。
「▲一子地」 とは初*歓喜地、 安養の報土、 衆生生ずる者みなこれ*阿鞞跋致の位、 往生の人すなはち*初地に登りて無生を証悟す。 涅槃醒醐真常の説、 ひそかにこの義に契ふ。
「一子地ト」者初歓喜地、安養ノ報土、衆生生ズル者皆是阿鞞跋致之位、往生之人即登テ↢初地ニ↡証↢悟ス無生ヲ↡。涅槃醒醐真常ノ之説、潜ニ契フ↢其ノ義ニ↡。
【34】▲次の所引の文、 菩提の妙果、 信心を因となす。 また浄土真実の信心を顕す。
次ノ所引ノ文、菩提ノ妙果、信心ヲ為ス↠因ト。又顕ス↢浄土真実ノ信心ヲ↡。
【35】▲後の所引の文、
後ノ所引ノ文、
これに二重あり。 ともに信不具足の義を明かす。 ここに翻して信心具足を知るべし。 ゆゑに文の意を案ずるに、
此ニ有リ↢二重↡。共ニ明ス↢信不具足ノ之義ヲ↡。翻シテ↠此ニ可シ↠知↢信心具足ヲ↡。故ニ案ズルニ↢文ノ意ヲ↡、
▲上は聞思の所生に就きて信具不の義を解す。 信心もし思より生ぜば、 信心具足と名づくべし。
上ハ就テ↢聞思ノ所生ニ↡解ス↢信具不ノ之義ヲ↡。信心若シ従↠思生ゼバ、可シ↠名ク↢信心具足ト↡。
▲下の文の意は、 所得の道と能得の人とに就きて具不の義を解す。 またもし得道の人ありと信ぜば、 これを名づけて信心具足といふべし。
下ノ文ノ意者、就テ↣所得ノ道ト与 トニ↢能得ノ人↡解ス↢具不ノ義ヲ↡。又若シ信ゼバ↠有ト↢得道ノ之人↡、名テ↠之ヲ応シ↠言フ↢信心具足ト↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・『華厳経』三文
【36】▲次に ¬華厳経¼ に、 また三段あり。
次ニ¬*花厳経ニ¼、又有リ↢三段↡。
▲初めに五言の一四句偈あり。
初ニ有リ↢五言ノ一四句偈↡。
問ふ。 この経文を引くなんの要かあるや。
問。引ク↢此ノ経文ヲ↡有↢何ノ要カ↡乎。
答ふ。 いまの経文の意、 ほぼ歓喜信楽の説に会し、 また無疑無慮の信に順ず。 このゆゑに歓喜・信楽・深信の義を助けんがためにこれを引かるるか。
答。今ノ経文ノ意、粗会シ↢歓喜信楽ノ之説ニ↡、又順ズ↢無疑無慮ノ之信ニ↡。是ノ故ニ為ニ↠助ンガ↢歓喜・信楽・深信ノ之義ヲ↡被↠引↠之ヲ歟。
ただし彰灼に弥陀浄土の利生を説かずといへどもその意ひそかに通ず。 また天台 (法華玄義巻十下) のいはく、 「初後の仏慧、 円頓義斉し。」 以上 ¬華厳¼ の意、 また違すべからず。 随ひて普賢の十願の意、 勧むるところもつぱら安養の往詣にあり。
但シ雖↢彰灼アキラカニ不ト↟説↢弥陀浄土ノ利生ヲ↡其ノ意潜ニ通ズ。又天臺ノ云、「初後ノ仏恵、円頓義斉シ。」 已上 ¬*花厳ノ¼之意、又不↠可↠違ス。随而普賢ノ十願ノ之意、所↠勧ル専在リ↢安養ノ往詣ニ↡。
これらの意によるに、 ¬法華¼・¬華厳¼ 以下の諸経、 みな隠にかの弥陀の利生を顕す。 上人深く一代の諸教、 みな弥陀大悲の利益を顕すことを解したまふ。 これらの意を得て諸文を見つべし。
依ニ↢此レ等ノ意ニ↡¬法*花¼・¬華厳¼以下ノ諸経、皆隠ニ顕ス↢彼ノ弥陀ノ利生ヲ↡。上人深ク解シタマフ↣一代ノ諸教、皆顕コトヲ↢弥陀1118大悲ノ利益ヲ↡。得テ↢此等ノ意ヲ↡可シ↠見↢諸文ヲ↡。
【37】▲後の所引の文、 これに七言四十七行九十四句あり。
後ノ所引ノ文、此ニ有リ↢七言四十七行九十四句↡。
挙ぐるところの偈頌句数多しといへども、 信を根本となしてみなその徳を嘆ず。 いまこの文を引く。 その意ここにあり。 ただし諸句の中に嘆ずるところその信心にあらざるありといへども、 展転の勝利しかしながら信の功たり。 一々の句義、 その意見つべし。
所ノ↠挙ル偈頌句数雖↠多ト、信ヲ為シテ↢根本ト↡皆嘆ズ↢其ノ徳ヲ↡。今引ク↢此ノ文ヲ↡。其ノ意在リ↠斯ニ。但シ諸句ノ中ニ雖↠有ト↣所↠嘆ズル非ザル↢其ノ信心ニ↡、展転ノ勝利併ラ為リ↢信ノ功↡。一々ノ句義、其ノ意可シ↠見ツ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・『論註』文
【38】▲次に ¬論の註¼ の文、 文言少しといへどもこれに二段あり。 二文ともにこれ下巻の釈なり。
次ニ¬論ノ註ノ¼文、文言雖↠少シト此ニ有リ↢二段↡。二文共ニ是下巻ノ釈也。
その中に▲上の文は讃嘆門の釈、 ▲下の文は末後の結文ならくのみ。
其ノ中ニ上ノ文ハ讃嘆門ノ釈、下ノ文ハ末後ノ結文而已。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ 欲生
・ 願成就文
【39】▲次に願成就の文、 これ全文にあらず。
次ニ願成就ノ文、此レ非ズ↢全文ニ↡。
▲次の所引の文、 「又言」 △前のごとし。
次ノ所引ノ文、「又言」如シ↠前ノ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・『論註』三文
【40】▲次に ¬浄土論¼ (論註)、 これに三段あり。
次ニ¬浄土論¼、此ニ有リ↢三段↡。
初めの文は引きて▲第二巻の中にあり。 ただし▲「還相とは」 以下の釈文、 いまこれを引き加ふ。
初ノ文ハ引テ在リ↢第二巻ノ中ニ↡。但シ「還相ト者」以下ノ釈文、今引↢加フ之ヲ↡。
中において、 初めより 「悲心故」 に至るまではこれ本論の文。 ▲「回向」 以下はこれ ¬註¼ の釈なり。
於テ↠中ニ自↠初至マデハ↢「悲心故ニ」↡是本論ノ文。「廻向」以下ハ是¬註ノ¼釈也。
【41】▲次の所引の文は、 下巻の十重解義分の中に、 第四の*浄入願心の釈なり。
次ノ所引ノ文ハ、下巻ノ十重解義分ノ中ニ、第四ノ浄入願心ノ釈也。
▲「又向説」 の下 「応知」 といふに至るまではこれ本論の文。 ▲「応知者」 の下はまた ¬註¼ の釈なり。
「又向説ノ」下至マデハ↠云ニ↢「応知ト」↡是本論ノ文。「応知者ノ」下ハ又¬註ノ¼釈也。
「▲浄入願心」 といふは、 「浄」 とは三種の荘厳、 その体無漏なり。 すなはちこれ果浄、 「入」 といふは因位の願心に酬入する義なり。 「願心」 はすなはちこれ四十八願、 体また無漏なり。 すなはちこれ因浄、 六八の願心その因浄なるがゆゑに、 三種の荘厳その果また浄なり。
言↢「浄入願心ト」」↡者、「浄ト」者三種ノ荘厳、其ノ体無漏ナリ。即是果浄、言フ↠「入ト」意者酬↢入スル因位ノ願心ニ↡義也。「願心ハ」即是四十八願、体亦無漏ナリ。即是因浄、六八ノ願心其ノ因浄ナルガ故ニ、*三種ノ荘厳其ノ果亦浄ナリ。
【42】▲後の所引の文は、 同じき第十重の利行満足、 本論の文なり。
後1119ノ所引ノ文ハ、同キ第十重ノ利行満足、本論ノ文也。
この文の註釈、 ▲第二巻の重釈の初めにあり。 ゆゑにかの文に就きて▲愚解を加へ訖んぬ。
此ノ文ノ註釈、在リ↢第二巻ノ重釈ノ之初ニ↡。故ニ就テ↢彼ノ文ニ↡加↢愚解ヲ↡訖ヌ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・「散善義」文
【43】▲次の所引の文は、 回向心の釈。
次ノ所引ノ文ハ、廻向心ノ釈。
▲上の所引の三心の釈の中にあり、 上は総引、 広く三心に亘る。 いまは別引、 回向心に限る。
在リ↢上ノ所引ノ三心ノ釈ノ中ニ↡。上者総引、広ク亘ル↢三心ニ↡。今者別引、限ル↢廻向心ニ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ○ 私釈
【44】▲「真知」 以下わたくしの御釈の中に、
「真知」以下私ノ御釈ノ中ニ、
問ふ。 ▲「道」 「路」 の差別大小思ひがたし。 字訓のごときは、 *路に大の訓あり。 ほとんど勝の義に配当すべし、 いかん。
問。「道」「路ノ」差別大小難シ↠思ヒ。如↢字訓ノ↡者、路ニ有↢大ノ訓↡。殆可シ↣配↢当ス勝ノ義ニ↡、云何。
答ふ。 かくのごときの解釈、 一分の理によりて一往の配釈、 これ常の事なり、 一概すべからず。 ただいまの釈を思ふに、 道とは理なり。 またいはく、 *道の義にまた衆妙所寄の文あり。 この義によるがゆゑに釈に 「▲本願一実の直道」 といふ。 路の字大の訓ありといへども、 いまだ道の字の訓に及ばず、 ゆゑにこの釈あり。
答。如ノ↠比ノ解釈、依テ↢一分ノ理ニ↡一往ノ配釈、是常ノ事也、不↠可↢一概ス↡。但思ニ↢今ノ釈ヲ↡、道ト者理也。又云ク、道ノ義ニ又有リ↢衆妙所寄之文↡。依ガ↢此ノ義ニ↡故ニ釈ニ云↢「本願一実ノ直道ト」↡。路ノ字雖↠有↢大ノ訓↡、未ダ↠及↢道ノ字ノ之訓ニ↡。故ニ有リ↢此ノ釈↡。
▲「言四五寸」 とらいふは、
言↢「言四五寸ト」等↡者、
問ふ。 「四五寸」 とは白道の分量、 その 「白道」 とはこれ信心なり。 その体清浄なり。 その性真実なり。 *五陰*四大は体・性相異なり。 法・譬不斉の過あるに似たり、 いかん。
問。「四五寸ト」者白道ノ分量、其ノ「白道ト」者是信心也。其ノ体清浄ナリ。其ノ性真実ナリ。五陰四大ハ体・性相異ナリ。似タリ↠有ニ↢法・譬不斉ノ之過↡、云何。
答ふ。 この疑決しがたし。 しばらく一義を述ぶ。
答。此ノ疑難シ↠决シ。且ク述ブ↢一義ヲ↡。
弥陀の名号念仏三昧は、 広大の善根無上の法なり、 ゆゑに ¬華厳¼ (晋訳巻三一不思議法品) には 「修大善根念仏三昧」 といひ、 ¬大経¼ (巻下意) には説きて 「▲一念大利無上功徳」 といひ、 ¬要決¼ (西方要決) には釈して 「故成大善不廃往生」 といひ、 ¬十因¼ (往生拾因) には判じて 「即成広大無尽善根」 といふ。 自余の文証つぶさに挙ぐるに遑あらず。
弥陀ノ名号念仏三昧ハ広大ノ善根無上ノ法也。故ニ¬*花厳ニハ¼云ヒ↢「修大善根念仏三昧ト」↡、¬大経ニハ¼説テ云ヒ↢「一念大利無上功徳ト」↡、¬要决ニハ¼釈シテ云ヒ↢「故成大善不*廃往生ト」↡、¬十因ニハ¼判ジテ云フ↢「即成広大無尽善根ト」↡。自余ノ文証不↠遑アラ↢具ニ挙ニ↡。
これによりて今師 「▲大信心」 といひ 「▲大信海」 といふ。 所行の行体これ大善なるがゆゑに、 能信の信心また広大なり。 いかにいはんや三心すなはち菩提心なり。
依テ↠之1120ニ今師云ヒ↢「大信心ト」↡云フ↢「大信海ト」↡。所行ノ々体是大善ナルガ故ニ、能信ノ々心亦復広大ナリ。何ニ況ヤ三心即菩提心ナリ。
¬安楽集¼ (巻上) に菩提心を釈していはく、 「▲この心広大にして法界に周遍す。 ▲この心長遠にして未来際を尽す」 と。 以上
¬安楽集ニ¼釈シテ↢菩提心ヲ↡云ク、「此ノ心広大ニシテ周↢遍ス法界ニ↡。此ノ心長遠ニシテ尽スト↢未来際ヲ↡。」 已上
まさに知るべし、 いふところの信心の白道、 広大無辺にして実に辺際なし。 これに就きてこれを思ふに、 凡夫の行者所発の信心、 他力によるがゆゑにこれ広大なりといへども、 貪瞋覆ふがゆゑにその心微なりといふ。 実には狭小にあらず。 これ四大五陰所成の凡身の上において発すところの心なるがゆゑに四五寸といふ。
当ニ↠知ル、所ノ↠言信心ノ白道、広大無辺ニシテ実ニ無シ↢辺際↡。就テ↠此ニ思ニ↠之ヲ、凡夫ノ行者所発ノ信心、由ガ↢他力ニ↡故ニ是雖↢広大也ト↡、貪嗔覆フガ故ニ謂フ↢其ノ心微也ト↡。実ニハ非ズ↢狭小ニ↡。是於テ↢四大五陰所成ノ凡*身ノ上ニ↡所ノ↠発ス心ナルガ故ニ云フ↢四五寸ト↡。
もしこの義によりてこの釈あるか。 これ愚推をもつてこの料簡を致す。 請ふ、 後の学者、 用否心にあるべし。
若シ依テ↢此ノ義ニ↡有↢此ノ釈↡歟。是以テ↢愚推ヲ↡致ス↢此ノ料簡ヲ↡。請フ、後ノ学者、用否在ベシ↠心ニ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・「玄義分」文
【45】▲次に ¬観経義¼、 文に三段あり。 いまの信心を金剛心と名づくるに就きてみなその証をひく。
次ニ¬観経義¼、文ニ有リ↢三段↡。就テ↣今ノ信心ヲ名ルニ↢金剛心ト↡皆引ク↢其ノ証ヲ↡。
中において▲初めの文はこれ 「玄義分」 勧衆偈の文なり。
於テ↠中ニ初ノ文ハ是「玄義分」勧衆偈ノ文ナリ。
「▲金剛志」 とは、 総じてこれをいはば広く三心に通ず。 三心を具する者はかならず横超四流の益を得るがゆゑに。 別してこれをいはばこれ深心に約す。 *深心の釈に 「▲この心深く信ぜることなほし金剛のごとし」 といふこれその証なり。
「金剛志ト」者、総ジテ而言ハヾ↠之ヲ広ク通ズ↢三心ニ↡。具スル↢三心ヲ↡者ハ必得ガ↢横超四流ノ益ヲ↡故ニ。別シテ而言ハヾ↠之ヲ此レ約ス↢深心ニ↡。深心ノ釈ニ云フ↣「此ノ心深ク信ゼルコト由シ若シト↢金剛ノ↡」是其ノ証也。
「▲四流」 といふは、 三界見思の諸惑これなり。 一には欲爆流、 二十九物あり。 五部の三毒と、 四諦の下の疑と、 十纏とこれなり。 十纏といふは、 無慚と無愧と嫉と慳と悔と眠と掉挙と惛沈と、 これを八纏といふ。 忿と覆とを加へて十纏といふなり。 二には有瀑流、 二十八物あり。 色・無色界の五部の貪と慢と、 同じき界の四諦におのおの疑あるなり。 三には見爆流、 三十六物あり。 苦の下に五あり、 いはゆる身見と辺見と戒取と見取と邪見となり。 集の下に二あり、 身と辺と戒とを除く。 滅諦に除くところ、 まつたく集諦のごとし。 道の下に三あり、 戒を加ふるを異となす。 合して十二となす。 三界みな同じ。 ゆゑにこの数あり。 四には無明瀑流、 十五物あり。 これ三界五部の痴をもつて合してこの数を成ず。 これを百八煩悩といふならくのみ。 これを四瀑流と名づく。 ¬倶舎論¼ の意なり。
言↢「四流ト」↡者、三界見思ノ諸惑是也。一者欲爆流、有リ↢二十九物↡。五部ノ三毒ト、四諦ノ下ノ疑ト、十纏ト是也。言↢十纏ト↡者、無慚ト無愧ト嫉ト慳ト悔ト眠ト掉挙ト惛沈ト、謂フ↢之ヲ八纏ト↡。加テ↢忿ト与 トヲ↟覆云↢十纏ト↡也。二者有瀑流、有リ↢二十八物↡。色・無色界ノ五部ノ貪ト慢ト、同キ界ノ四諦ニ各有↠疑也。三者見爆流1121、有リ↢三十六物↡。苦ノ下ニ有↠五、所謂身見ト辺見ト戒取ト見取ト邪見トナリ。集ノ下ニ有↠二、除ク↢身ト辺ト戒トヲ↡。滅諦ニ所↠除ク、全ク如シ↢集諦ノ↡。道ノ下ニ有↠三、加ルヲ↠戒ヲ為↠異ト。合シテ為ス↢十二ト↡。三界皆同ジ。故ニ有リ↢此ノ数↡。四ニハ無明瀑流、有リ↢十五物↡。是以テ↢三界五部ノ之痴ヲ↡合シテ成ズ↢此ノ数ヲ↡。謂フナラク↢之ヲ百八煩悩ト↡而已。是ヲ名ク↢四瀑流ト↡。¬倶舎論ノ¼意也。
▲「正受」 とらは、 同じき偈の文なり。
「正受ト」等者、同キ偈ノ文也。
問ふ。 帰三宝の偈にあまねく因分・果分の諸位を挙ぐとして、 仏・僧に帰する中に、 極果を挙げんがために、 まづ因位を挙げてその転勝を顕す。 「▲果得」 とらは、 その極位を指す。 すなはち妙覚なり。 「正受」 とらは、 その因位を挙ぐ。 いはゆる 「▲正受金剛心」 とは、 金剛喩定、 これ妙覚に入る無礙道。 「▲相応」 とらは、 ¬大品¼ の意によるに、 すなはち一念相応の恵をもつて余残の習を断ずるを 「正受」 とらいひ 「相応」 とらいふ。 みなこれかの等覚の後心を指す。 「果得」 とらは、 これすなはち妙覚、 これ解脱道なり。 しかるにいまなんぞ薄地の凡夫所発の信心を証すとして、 この等覚の金剛心に類するや。
問。帰三宝ノ偈ニ普ク挙グトシテ↢因分・果分ノ諸位ヲ↡、帰スル↢仏・僧ニ↡中ニ、為ニ↠挙ンガ↢極果ヲ↡、先ヅ挙テ↢因位ヲ↡顕ス↢其ノ転勝ヲ↡。「果得ト」等者、指ス↢其ノ極位ヲ↡。即妙覚也。「正受ト」等者、挙グ↢其ノ因位ヲ↡。所謂「正受金剛心ト」者、金剛喩定、是入ル↢妙覚ニ↡之無道。「相応ト」等者、依ニ↢¬大品ノ¼意ニ↡、即以テ↢一念相応ノ之恵ヲ↡断ズルヲ↢余残ノ習ヲ↡云ヒ↢「正受ト」等↡云フ↢「相応ト」等↡。皆是指ス↢彼ノ等覚ノ後心ヲ↡。「果得ト」等者、此即妙覚、是解脱道ナリ。而ニ今何ゾ証ストシテ↢薄地ノ凡夫所発ノ信心ヲ↡、類スル↢此ノ等覚ノ金剛心ニ↡乎。
答ふ。 難勢に載るがごとく、 等・妙二覚、 仏・僧二宝、 説相みなしかなり。 ただいま出だすところはさらに等覚の菩薩四十一品の無明を断除し、 四十一分の法性を証悟して、 金剛心に住し、 一念に相応して、 その妙覚極果の位に入ることを混乱するにはあらず。 凡聖異なりといへども浅深殊なりといへども、 その功用を論ずるにともに金剛心の勝利たり。 よりていまこれを引く、 よろしくその意を得べし。
答。如ク↠載ルガ↢難勢ニ↡、等・妙二覚、仏・僧二宝、説相皆然ナリ。但今所ハ↠出ス更ニ非ズ↫混↪乱スルニハ等覚ノ菩薩断↢除シ四十一品ノ無明ヲ↡、証↢悟シテ四十一分ノ法性ヲ↡、住シ↢金剛心ニ↡、相↢応シテ一念ニ↡、入コトヲ↩其ノ妙覚極果ノ之位ニ↨。凡聖雖↠異也ト浅深雖↠殊也ト、論ズルニ↢其ノ功用ヲ↡共ニ為リ↢金剛心ノ之勝利↡。仍今引ク↠之ヲ、宜クシ↠得↢其ノ意ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・「序分義」文
【46】▲次の所引の文は、 ¬疏¼ の 「序分義」 欣浄縁の釈なり。
次1122ノ所引ノ文ハ、¬疏ノ¼「序分義」欣浄縁ノ釈ナリ。
これ ¬観経¼ の ▲「願我未来」 以下の経文を釈する解釈なり。 この 「▲金剛志」 は釈尊に帰する心、 かの三心は弥陀に帰する心、 二尊殊なりといへども、 その心これ同じ。 ゆゑにいまこれを引く。
此レ釈スル↢¬観経ノ¼「願我未来」以下ノ経文ヲ↡之解釈也。此ノ「金剛志ハ」帰スル↢釈尊ニ↡心、彼ノ三心者帰スル↢弥陀ニ↡心、二尊雖↠殊也ト、其ノ心是同ジ。故ニ今引ク↠之ヲ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ ・「定善義」文
【47】▲後の一句は、 「定善義」 の釈、
後ノ一句者、「定善義ノ」釈、
宝地観 (観経) の 「▲渠下皆以雑色金剛以為底沙」 の文を解する釈なり。 上のつぶさなる文 (定善義) にいはく、 「▲渠下の底沙雑宝の色をなすことを明かす。」 所引の文この次なり この文依報の勝徳を釈すといへども、 金剛の体性彼此異ならず。 このゆゑにこれを引く。
解スル↢宝地観ノ「渠下皆以雑色金剛以為底沙ノ」之文ヲ↡釈也。上ノ具ナル文ニ云ク、「明ス↣渠下ノ底沙作コトヲ↢雑宝ノ色ヲ↡。」 所引文此次也 此ノ文雖↠釈スト↢依報ノ勝徳ヲ↡、金剛ノ体性彼此不↠異ナラ。是ノ故ニ引ク↠之ヲ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ 私釈(三心結釈)
【48】▲わたくしの料簡の中に
私ノ料簡ノ中ニ
▲「真実信心必具」 とらは、
「真実信心必具ト」等者、
問ふ。 所発の信心たとひ真実たりとも、 なんぞかならずしもその中に名号を具足せん。 また六字の中に南無といふは、 すなはちこれ帰命、 すなはちこれ安心なり。 なんぞ名号願力の信心を具せずといふや。
問。所発ノ信心縦ヒ為トモ↢真実↡、何ゾ必シモ其ノ中ニ具↢足セン名号ヲ↡。*又六字ノ中ニ言↢南無ト↡者、即是帰命、即是安心ナリ。何ゾ云↢名号不ト↟具↢願力ノ信心ヲ↡。
答ふ。 信心といふはこれ能帰の心、 所帰の法に対して発するところの信なり。 ゆゑに信心を発せばかならず名号を具す。 これすなはち ¬経¼ (観経) に 「▲発三種心即便往生」 といへる、 これその義なり。
答。言↢信心ト↡者是能帰ノ心、対シテ↢所帰ノ法ニ↡所ノ↠発ル信也。故ニ発セバ↢信心ヲ↡必ズ具ス↢名号ヲ↡。是則¬経ニ¼云ヘル↢「発三種心即便往生ト」↡、是其ノ義也。
もし行を具せずはすでに唯願に同じ。 なんぞ往生を得ん。 すでに往生の因なり。 まさに知んぬ、 発心すればかならず名号を具すといふことを。 このゆゑにいま 「真実信心必具名号」 といふ。
若シ不ハ↠具セ↠行ヲ既ニ同ジ↢唯願ニ↡。何ゾ得ン↢往生ヲ↡。既ニ往生ノ因ナリ。方ニ知ヌ、発心スレバ必具スト云コトヲ↢名号ヲ↡。是ノ故ニ今云フ↢「真実信心必具名号ト」↡。
またたとひ名を唱ふとも、 もし信心なくは往生を得がたし。 ¬経¼ (大経巻上) に 「▲至心信楽欲生」 といふ、 信によりて生ずべきことその理灼然なり。 称名の人いまだかならずしもことごとく真実信心を具せず。 またこれ現量なり、 ゆゑにこの釈あり。
又縦ヒ唱フトモ↠名ヲ、若シ無クハ↢信心↡難シ↠得↢往生ヲ↡。¬経ニ¼云フ↢「至心信楽欲生ト」↡、依テ↠信ニ可コト↠生ズ其ノ理灼然ナリ。称名ノ之人未ダ↣必シモ悉ク具セ↢真実信心ヲ↡。又是現量ナリ、故ニ有リ↢此ノ釈↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ 大信海
【49】▲「不簡」 とらいひ▲「不謂」 とらいふは、 機を簡ばざることを明かす。 十方衆生簡ぶところなきがゆゑに。
云1123ヒ↢「不簡ト」等↡云ハ↢「不謂」等↡、明ス↠不コトヲ↠簡↠機ヲ。十方衆生無ガ↠所↠簡ブ故ニ。
▲「不問」 とらは、 罪によりて往生を得ざるにあらざることを明かす。
「不問ト」等者、明ス↠非コトヲ↧依テ↠罪ニ不ルニ↞得↢往生ヲ↡。
▲「不論」 とらは、 生ずること自力の功によらざることを明かす。
「不論ト」等者、明ス↢生ズルコト不コトヲ↟由↢自力ノ之功ニ↡。
「散善義」 には 「▲不問時節久遠」 といひ、 ¬法事讃¼ (巻下) には 「▲無問罪福時多少」 とらいふ、 これその意なり。
「散善義ニハ」云ヒ↢「不問時節久遠ト」↡、¬法事讃ニハ¼云フ↢「無問罪福時多少ト」等↡、是其ノ意也。
▲「非行」 とらは、
「非行ト」等者、
問ふ。 称名念仏はすでにこれ正行、 またこれ大行なり。 なんぞ 「行にあらず」 といふ。 すでにこれ勝善またこれ大善なり、 なんぞ 「善にあらず」 といふ。 すでにこれ頓教なり、 なんぞ 「頓にあらず」 といふ。 すでにこれ散称なり、 なんぞ 「散にあらず」 といふ。 ▽もと観念にあらず、 なんぞ邪正を諭ぜん。 すでに所念あり、 なんぞ有念にあらざらん。 尋常・臨終ともに修行の時なり、 なんぞみな非といふ。 多念・一念ともに往生を許す、 なんぞおのおの非といふ。
問。称名念仏ハ既ニ是正行、又是大行ナリ。何ゾ云フ↠「非ト↠行ニ」。既ニ是勝善又是大善ナリ、何ゾ云フ↠「非ト↠善ニ」。既ニ是頓教ナリ、何ゾ云フ↠「非ト↠頓ニ」。既ニ是散称ナリ、何ゾ云フ↠「非ト↠散ニ」。本非ズ↢観念ニ↡、何ゾ論ゼン↢邪正ヲ↡。既ニ有リ↢所念↡、何ゾ非ラン↢有念ニ↡。尋常・臨終共ニ修行ノ時ナリ、何ゾ皆云フ↠非ト。多念・一念倶ニ許ス↢往生ヲ↡、何ゾ各云フ↠非ト。
▲答ふ。 名号は大行大善たりといへども、 これ所行の法なり。 いまは能信の心なり。 このゆゑにしばらく行にあらず善にあらずといふ。
答。名号ハ雖↠為ト↢大行大善↡、是所行ノ法ナリ。今ハ能信ノ心ナリ。是ノ故ニ且ク云フ↢非↠行ニ非ト↟善ニ。
▲漸頓といふはこれ宗旨に約す。 信心に関らざるがゆゑにまた非といふ。
言↢漸頓ト↡者是約ス↢宗旨ニ↡。不ガ↠関カラ↢信心ニ↡故ニ亦云フ↠非ト。
▲定散といふはこれに二の意あり。 一には法を指す、 二には心を指す。 いまはまた心を指す。
言↢定散ト↡者此ニ有リ↢二ノ意↡。一者指ス↠法ヲ、二者指ス↠心ヲ。今ハ亦指ス↠心ヲ。
ただし心を指すに就きて 「定散にあらず」 とは、 いふところの信心は散心たるがゆゑにしばらく定にあらずといふ。 しかも念仏三昧の名あり。 三昧は定なるがゆゑにしばらく散にあらずといふ。
但シ就テ↠指スニ↠心ヲ「非ト↢定散ニ↡」者、所ノ↠言信心ハ為ガ↢散心↡故ニ且ク云フ↠非ト↠定ニ。而モ有リ↢念仏三昧ノ之名↡。三昧ハ定ナルガ故ニ且ク云フ↠非ト↠散ニ。
ゆゑに ¬観念法門¼ にいはく、 「▲もし定心三昧および口称三昧を得つれば、 心眼すなはち開けてかの浄土の一切の荘厳を見る、 説くとも窮尽することなけん。」 以上
故ニ¬観念法門ニ¼云、「若シ得ツレ↢定心三昧及ビ口称三昧ヲ↡者、心眼即開ケテ見ル↢彼ノ浄土ノ一切ノ荘厳ヲ↡、説クトモ無ケン↢窮尽スルコト↡也。」 *已上
また (観念法門) いはく、 「▲三昧といふは、 すなはちこれ念仏の行人心口に称念してさらに雑想なく、 念々に心を住し声々に相続して、 心眼すなはち開けて、 かの仏を見ることを得て了然として現ずるをすなはち名づけて定となす。 また三昧と名づく。」 以上
又云ク、「言↢三昧ト↡者、即是念仏ノ行人心口ニ称念シテ更ニ無ク↢雑想↡、念念ニ住シ↠心ヲ声声ニ相続シテ、心眼即開ケテ、得テ↠見コトヲ↢彼ノ仏ヲ↡了然トシテ而現ズルヲ即名テ為ス↠定ト。亦名ク↢三昧ト↡。」 已上
口称の力すでにかの土の依正二報を見る。 ゆゑに見仏に約すれば非散の義あり。 たとひ眼見なけれどもかならず心見あり。 たとひ現に見ざれども臨終の時および順次生に必定して見仏す。 この義あるがゆゑに三昧の名あり。 この理に約するがゆゑに非散といふなり。
口称ノ之1124力已ニ見ル↢彼ノ土ノ依正二報ヲ↡。故ニ約スレバ↢見仏ニ↡有リ↢非散ノ義↡。縦ヒ无ケレドモ↢眼見↡必有リ↢心見↡。縦ヒ現ニ不レドモ↠見臨終ノ之時及ビ順次生ニ必定シテ見仏ス。有ガ↢此ノ義↡故ニ有リ↢三昧ノ名↡。約スルガ↢此ノ理ニ↡故ニ云↢非散ト↡也。
「▲正観にあらず邪観にあらず」 といふは、 △問端に載するがごとくもと観心にあらず。 ゆゑに邪正に関らざる義を顕す。
言↧「非ズ↢正観ニ↡非ズト↦邪観ニ↥」者、如ク↠載ルガ↢問端ニ↡本非ズ↢観心ニ↡。故ニ顕ス↧不ル↠関↢邪正ニ↡之義ヲ↥。
「▲有念にあらず無念にあらず」 といふは、 有念たりといへどもひとへに有に拘らず。 無念にあらずといへども有念に滞らず。 これすなはち世俗の人の浄土宗の意はこれ有相の教なり、 ゆゑに権乗たりと謂へる邪見を遣らんがためのゆゑに、 「有念にあらず無念にあらず」 といふなり。
言↧「非ズ↢有念ニ↡非ズト↦無念ニ↥」者、雖↠為ト↢有念↡不↢偏ニ拘ラ↟有ニ。雖↠非ト↢无念ニ↡不↠滞↢有念ニ↡。是則為ノ↠遣ンガ↧世俗ノ人ノ謂ル↣浄土宗ノ意ハ是有相ノ教ナリ、故ニ為ト↢権乗↡之邪見ヲ↥故ニ、言↧「非↢有念ニ↡非ト↦無念ニ↥」也。
これによりて長盧の𦣱禅師の蓮華勝会の序にいはく、 「それ念をもつて念とし生をもつて生とするは常見の失するところなり。 無念をもつて無念とし無生をもつて無生となすは邪見の惑ふところなり。 念にして念なく生にして無生なるは第一義諦なり。 以上 「けだし念仏三昧還源の要術ありて往生の一門を示開す。 ゆゑに終日に念仏すれどもしかも無念に乖かず。 熾然に往生すともしかも無生に乖かず。」 以上
依テ↠之ニ長盧ノ𦣱禅師ノ蓮華勝会ノ序ニ云ク、「夫レ以テ↠念ヲ為↠念ト以テ↠生ヲ為ル↠生ト者常見ノ之所↠失スル也。以テ↢无念ヲ↡為↢無念ト↡以テ↢無生ヲ↡為↢無生ト↡者邪見ノ之所↠惑也。念ニシテ而無ク↠念生ニシテ而無生ナル者第一義諦也。 已上 「蓋シ有テ↢念仏三昧還源ノ要術↡示↢開ス往生ノ一門ヲ↡。所以ニ終日ニ念仏スレドモ而モ不↠乖カ↢於無念ニ↡。熾然ニ往生ストモ而モ不↠乖カ↢於無生ニ↡。」 已上
また ¬正観記¼ に ¬経¼ の一心不乱の義を解するに、 事の一心および理の一心を出だす。 事の一心に約すればこれ散心たり、 理の一心に約すればこれ定心たり。 これ非定非散の義に叶ふ、 またすなはち亦定亦散の義なり。 甚深の義、 和会して意を得よ。
又¬正観記ニ¼解スルニ↢¬経ノ¼一心不乱ノ之義ヲ↡、出ス↢事ノ一心及ビ理ノ一心ヲ↡。約スレバ↢事ノ一心ニ↡是為↢散心↡、約スレバ↢理ノ一心ニ↡是為リ↢定心↡。是叶フ↢非定非散ノ之義ニ↡、又則亦定亦散ノ義也。甚深ノ之義、和会シテ得ヨ↠意ヲ。
「▲尋常にあらず臨終にあらず」 といふは、 もし臨終遇善の機に約すればこれ尋常にあらず。 もし平生業成の機に約すればこれ臨終にあらず。 尋常をいはず臨終を論ぜず。 ただ仏法に逢ふ時節の分済なり。 ゆゑにともに非といふ。
言↧「非ズ↢尋常ニ↡非ズト↦*臨終ニ↥」者、若シ約スレバ↢臨終遇善之機ニ↡此レ非ズ↢尋常ニ↡。若シ約スレバ↢平生業成ノ之機ニ↡是非ズ↢臨終ニ↡。不↠謂↢尋常ヲ↡不↠論ゼ↢臨終ヲ↡。只逢フ↢仏法ニ↡時節ノ分1125済ナリ。故ニ共ニ云↠非ト。
「▲多念にあらず一念にあらず」 といふは、 その多念とはこれ尋常の機、 その一念とはこれ臨終の機、 その機に望むるがゆゑにこれをたがひに非といふ。 上に準じて知るべし。
言↧「非ズ↢多念ニ↡非ト↦一念ニ↥」者、其ノ多念ト者是尋常ノ機、其ノ一念ト者是臨終ノ機、望ルガ↢其ノ機ニ↡故ニ言フ↢之ヲ互ニ非ズト↡。准ジテ↠上ニ応シ↠知。
「▲智愚の毒を滅す」 とは、
「滅スト↢智愚ノ毒ヲ↡」者、
問ふ。 毒は愚に限るべし、 なんぞ智に亘らんや。
問。毒ハ可シ↠限↠愚ニ、何ゾ亘ラン↠智ニ耶。
答ふ。 一向の無智は平信なほ足りぬ。 もし小智に対しまた邪智あるは還りて謬解を生じてみづから往生を障ふ。 この障を嫌ふがゆゑにかくのごとく釈するなり。
答。一向ノ無智ハ平信尚足ヌ。若シ対シ↢小智ニ↡又有ルハ↢邪智↡還テ生ジテ↢謬解ヲ↡自障フ↢往生ヲ↡。嫌フガ↢此ノ障ヲ↡故ニ如ク↠此ノ釈スル也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ 菩提心
【50】▲「然就」 とらは、 これに二双四重の釈あり。 いはゆる竪出・竪超、 横出・横超これなり。 所立の差異文にありて見つべし。
「然就ト」等者、此ニ有リ↢二双四重ノ之釈↡。所謂竪出・竪超、横出・横超是也。所立ノ差異在テ↠文ニ可シ↠見ツ。
また▲第六巻および ▲¬愚禿鈔¼ にくはしくこの事あり。 かの文を見るべし。
又第六巻及ビ¬愚禿鈔ニ¼委ク有リ↢此ノ事↡。可↠見ル↢彼ノ文ヲ↡。
問ふ。 いまの名目なんの典に出でたりや。
問。今ノ之名目出タリ↢何ノ典ニ↡耶。
答ふ。 ¬楽邦文類¼ の第四、 桐江の択瑛法師横竪二出を弁ずる文にいはく、
答。¬楽邦文類ノ¼第四、桐江ノ択瑛法師弁ズル↢横竪二出ヲ↡文ニ云ク、
「竪出とは、 声聞は四諦を修し、 縁覚は十二因縁を修し、 菩薩は六度万行を修す。 これ地位を渉る。 たとへば及第のすべからくみづから才学あるべきがごとし。 また歴任転官のすべからく功効あるべきがごとし。
「竪出ト者、声聞ハ修シ↢四諦ヲ↡、縁覚ハ修シ↢十二因縁ヲ↡、菩薩ハ修ス↢六度万行ヲ↡。此レ渉ル↢地位ヲ↡。譬ヘバ如シ↤及第ノ須 ベ クキガ↣自有ル↢才学↡。又如シ↢歴任転官ノ須クキガ↟有ル↢功効↡。
横出とは、 念仏して浄土に生ぜんことを求む。 たとへば蔭叙の功祖父の他力によりて学業の有無を問はざるがごとし。 また恩を覃すこと普博にして功国王によりて歴任の浅深を論ぜざるがごとし。
横出ト者、念仏シテ求ム↠生ゼンコトヲ↢浄土ニ↡。譬ヘバ如シ↧蔭叙ノ功由テ↢祖父ノ他力ニ↡不ルガ↞問ハ↢学業ノ有無ヲ↡。又如シ↧覃スコト↠恩普博ニシテ功由テ↢国王ニ↡不ルガ↞論ゼ↢歴任ノ浅深ヲ↡。
横出の中において定散の二善あり。 ゆゑに善導和尚専雑二修を立つ。 雑修とは、 いはく散謾にしてもろもろの善業を修して回向荘厳す。 専修とは、 身にすべからく阿弥陀仏を専礼して余礼を雑せざるべし。 口にすべからく阿弥陀仏を専称して、 余号を称せず、 余の経呪を誦せざるべし。 意にすべからく阿弥陀仏を専想して余観を修せざるべし。
於テ↢横出ノ中ニ↡有リ↢定散ノ二善↡。故ニ善導和尚立ツ↢専雑二修ヲ↡。雑修ト者、謂ク散謾ニシテ修シテ↢諸ノ善業ヲ↡廻向荘厳ス也。専修ト者、身ニ須 ベ クシ↧専↢礼シテ阿弥陀仏ヲ↡不ル↞雑セ↢余礼ヲ↡。口ニ須 ベ クシ↧専↢称ス阿弥陀仏ヲ↡、不↠称セ↢余号ヲ↡、不ル↞誦セ↢余ノ経呪ヲ↡。意ニ須 ベ クシ↧専↢想シテ阿弥陀仏ヲ↡不ル↞修セ↢余観ヲ↡。
もし専修の者は、 十即十生し、 百即百生す。 もし雑修の者は、 百の中にあるいは一両人生ずることを得、 千の中にあるいは三五人生ずることを得。
若シ専修ノ者ハ、十即十生シ、百1126即百生ス。若シ雑修ノ者ハ、百ノ中ニ或ハ得↢一両人生ズルコトヲ↡、千ノ中ニ或ハ得↢三五人生ズルコトヲ↡。
いま世人を見るに一日に阿弥陀仏を礼すること三千拝する者、 日に阿弥陀仏十万声を称する者あり。 昼夜に阿弥陀仏を専想する者あり。 ならびに感応あり。 ここに験しつべし。」 以上 もとこの釈によりてまたわたくしの義を加ふ。
今見ニ↢世人ヲ↡、有リ↧一日ニ礼スルコト↢阿弥陀仏ヲ↡三千拝スル者、日ニ称スル↢阿弥陀仏十万声ヲ↡者↥。有リ↧昼夜ニ専↢想スル阿弥陀仏ヲ↡者↥。並ニ有リ↢感応↡。斯ニ可シ↠験シツ也。」 已上 本依テ↢斯ノ釈ニ↡又加フ↢私ノ義ヲ↡。
問ふ。 いまの釈のごときは、 ただ二出ありて二超を載せず。 ゆゑに竪出の中に権実を分たずあまねく諸教を摂す。 横出の中に浅深を弁たず、 総じて浄教に約す。 これすなはち定散専雑等なり。 なんぞ二超を加へてしかもかの説に違する。
問。如↢今ノ釈ノ↡者、唯有テ↢二出↡不↠載↢二超ヲ↡。故ニ竪出ノ中ニ不↠分↢権実ヲ↡普ク摂ス↢諸教ヲ↡。横出ノ之中ニ不↠弁↢浅深ヲ↡総ジテ約ス↢浄教ニ↡。是則定散専雑等也。何ゾ加テ↢二超ヲ↡而モ違スル↢彼ノ説ニ↡。
答ふ。 聖道門において三乗家あり一乗家あり。 三乗教の意は権実を分たず。 一乗教の意はもつぱら権実を存ず。 いま一乗によりて差別あるべし。 よりて竪超を立てて別に速疾成仏の一門となす。 また聖道の意、 浄教を立つといへども定散弘願の分別に及ばず。 また正助二門の差降なし。 宗家の意によるにすでにその差を分つ。 随ひて釈の中に横超の言あり。 これによりて択瑛の 「横出」 の言と高祖師の 「横超」 の言と、 彼此を校合して、 横の一門の中に出をば権教迂廻の教に名づけ、 超をば実教速疾の道に象る。 また横超に対して、 竪の中に超の義あるべきがゆゑにこの分別あり。 本説を守りながらしかも義門を開きて巧みに両師所立の名義に叶ふ。 もつとも依憑すべし。
答。於テ↢聖道門ニ↡有リ↢三乗家↡有リ↢一乗家↡。三乗教ノ意ハ不↠分↢権実ヲ↡。一乗教ノ意ハ専ラ存ズ↢権実ヲ↡。今依ニ↢一乗ニ↡可シ↠有↢差別↡。仍テ立テヽ↢竪超ヲ↡別ニ為ス↢速疾成仏ノ一門ト↡。又聖道ノ意、雖↠立ト↢浄教ヲ↡不↠及↢定散弘願ノ分別ニ↡。又無シ↢正助二門ノ差降↡。依ルニ↢宗家ノ意ニ↡既ニ分ツ↢其ノ差ヲ↡。随テ而釈ノ中ニ有リ↢横超ノ言↡。依テ↠之ニ択瑛ノ「横出ノ」之言ト与 ト ↢高祖師ノ「横超ノ」之言↡、校↢合シテ彼此ヲ↡、横ノ一門ノ中ニ出ヲバ名ケ↢権教迂廻ノ之教ニ↡、超ヲバ象ドル↢実教速疾ノ之道ニ↡。又対シテ↢横超ニ↡、竪ノ中ニ可ガ↠有↢超ノ義↡之故ニ有リ↢此ノ分別↡。乍↠守↢本説ヲ↡而モ開テ↢義門ヲ↡巧ニ叶フ↢両師所立ノ名義ニ↡。尤可シ↢依*憑ス↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ・『論註』文
【51】▲次に ¬論の註¼ の文。
次ニ¬論ノ註ノ¼文。
下巻の解義分の中に、 第五の善巧摂化の章の釈なり。 名づけて善巧摂化といふ意は、 巧方便回向の善根をもつて衆生を摂化する義ならくのみ。
下巻ノ解義分ノ中ニ、第五ノ善巧摂化ノ章之釈也。名テ曰↢善巧摂化ト↡意者、以テ↢巧方便廻向ノ善根ヲ↡摂↢化スル衆生ヲ↡之義而已。
▲「三輩生の中」 とらは、
「三輩生ノ中ト」等者、
問ふ。 ¬寿¼・¬観¼ の両経はこれ開合の異なり。 しかるに ¬観経¼ の中には未発心往生の人を説く、 いはく九品の中に中三・下三の六品これなり。 ¬寿経¼ の三輩にはともに発心と説く、 相違いかん。
問1127。¬寿¼・¬観ノ¼両経ハ是開合ノ異ナリ。而ニ¬観経ノ¼中ニハ説ク↢未発心往生ノ之人ヲ↡。謂ク九品ノ中ニ々三・下三ノ六品是也。¬寿経ノ¼三輩ニハ共ニ説ク↢発心ト↡、相違如何。
答ふ。 異義ありといへどもしばらく一義にいはく、 ¬大経¼ の説相は常途の説に順ず。 聖道の諸教みな発心得道の義を談ずるがゆゑに。 ¬観経¼ の中には未発心みな往生を得と説く。 仏力によるがゆゑに。 諸師の所立、 その義不同なり。 つぶさに述ぶるにあたはず。
答。雖↠有ト↢異義↡且ク一義ニ云ク、¬大経ノ¼説相ハ順ズ↢常途ノ説ニ↡。聖道ノ諸教皆談ズルガ↢発心得道ノ義ヲ↡故ニ。¬観経¼之中ニハ説ク↣未発心皆得ト↢往生ヲ↡。由ガ↢仏力ニ↡故ニ。諸師ノ所立、其ノ義不同ナリ。不↠能↢具ニ述ルニ↡。
問ふ。 註家の意、 この義を許すや。
問。註家ノ之意、許↢此ノ義ヲ↡耶。
答ふ。 これに二の意あり。
答。此ニ有リ↢二ノ意↡。
一には許さざるなり。 いまの釈にあるいは 「▲莫不発皆菩提之心」 といひ、 あるいは 「▲若人不発菩提心」 といふがゆゑに。
一ニハ不↠許也。今ノ釈ニ或ハ云ヒ↢「莫不発皆菩提之心ト」↡、或ハ云ガ↢「若人不発菩提心ト」↡故ニ。
↓二には許すところなり。 ただ三不を嫌ひてまさしく三信の往生を許すがゆゑなり。 第二の義に就きて、 すなはち ¬大経¼ 所説の菩提心はすなはち三信を指すといふ義趣あるべきなり。
二ニハ所↠許ス也。唯嫌テ↢三不ヲ↡正ク許スガ↢三信ノ往生ヲ↡故也。就テ↢第二ノ義ニ↡、可↠有ル↧即云フ↣¬大経¼所説ノ菩提心者則指スト↢三信ヲ↡之義趣↥也。
ちなみに問ふ。 宗家の意、 なんの義にかよる。
因ニ問。宗家之意、依ル↢何ノ義ニカ↡耶。
答ふ。 ↑未発心の人の往生を許す。 これ凡夫済度の弘願の本意たるがゆゑなり。
答。許ス↢未発心ノ之人ノ往生ヲ↡。是為ルガ↢凡夫済度ノ弘願ノ本意↡故也。
▲「おほよそ回向の名義を釈せば」 とらは、 その意見つべし。
「凡ソ釈セバト↢廻向ノ名義ヲ↡」等者、其ノ意可シ↠見ツ。
¬安楽集¼ の下にいはく、 「▲回向の名義を釈せば、 ◆ただしおもんみれば一切衆生にすでに仏性あり、 人々みな願成仏の心あり。 しかれども所修の行業によりていまだ一万劫を満ぜざるこのかたはなほいまだ火界を出でず、 輪廻を免れず。 このゆゑに聖者この長苦を愍みて、 回して西に向へてために大益を成さんことを勧む。
¬安楽集ノ¼下ニ云、「釈セ↢廻向ノ名義ヲ↡者、但シ以レバ一切衆生ニ既ニ有リ↢仏性↡、人人皆有リ↢願成仏ノ心↡。然モ依テ↢所修ノ行業ニ↡未ダル↠満ゼ↢一万劫ヲ↡已来ハ猶未ダ↠出↢火界ヲ↡、不↠免レ↢輪廻ヲ↡。是ノ故ニ聖者愍テ↢斯ノ長苦ヲ↡、勧ム↣廻シテ向ヘテ↠西ニ為ニ成サンコトヲ↢大益ヲ↡。
◆しかるに回向の功六を越えず。 なんらをか六とする。 ◆一には所修の諸業をもつて弥陀に回向して、 すでにかの国に至りて、 還りて六通を得て衆生を済運す。 これすなはち不住道なり。 ◆二には因を回して果に向ふ。 ◆三には下を回して上に向ふ。 ◆四には遅を回して速に向ふ。 これすなはち不住世間なり。 ◆五には衆生に回施して、 悲念して善に向ふ。 ◆六には分別の心を回入去却す。 ◆回向の功ただこの六を成ず。」 以上
然ニ廻向ノ之功不↠越↢於六ヲ↡。何等ヲカ為ル↠六ト。一者将テ↢所修ノ諸業ヲ↡廻↢向シテ弥陀ニ↡、既ニ至テ↢彼ノ国ニ↡、還テ得テ↢六通ヲ↡済↢運ス衆生ヲ↡。此即不住道也。二ニハ廻シテ↠因ヲ向フ↠果ニ。三ニハ廻シテ↠下ヲ向フ↠上1128ニ。四ニハ廻シテ↠遅ヲ向フ↠速ニ。此即不住世間ナリ。五ニハ廻↢施シテ衆生ニ↡、悲念シテ向フ↠善ニ。六ニハ廻↢入去↣却ス分別ノ之心ヲ↡。廻向ノ之功只成ズ↢斯ノ六ヲ↡。」 已上
いまの ¬論の註¼ の文いまの回向の第五の義とその意同じなり。
今ノ¬論ノ註ノ¼文与↢今ノ廻向ノ第五ノ之義↡其ノ意同ジ也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ・『弥陀経義疏』三文
【52】▲次の元照の釈、 文に三段あり、 ともに ¬弥陀経の義疏¼ の文なり。
次ノ元照ノ釈、文ニ有リ↢三段↡、共ニ¬弥陀経ノ義疏ノ¼文也。
初めは諸仏互讃の中に、 諸仏釈迦の仏徳を称讃して、 すなはち (小経) 「▲能為甚難希有之事」 といふ経文を解する釈文なり。
初ハ解スル↧諸仏互讃ノ之中ニ、諸仏称↢讃シテ釈迦ノ仏徳ヲ↡、即言フ↢「能為甚難希有之事ト」↡経文ヲ↥之釈文也。
【53】▲次の文は、 二の難ある中に法難を説きて、 (小経) 「▲説是一切世間難信之法」 といふ経文を解する釈文なり。
次ノ文者、解スル↧有ル↢二ノ難↡中ニ説ヲ↢法難ヲ↡、云フ↢「説是一切世間難信之法ト」↡経文ヲ↥之釈文也。
【54】▲後の文は、 すなはちかの二の難を出だす釈なり。
後ノ文ハ、即出ス↢彼ノ二ノ難ヲ↡釈ナリ。
問ふ。 後の釈はこれ初めの釈の次の詞たり。 もつともあひ隣るべし。 ▲承前の下は次の釈の末の詞たり。 これ↓顕実の文なり。 なんぞともに一具の文段に加へずして、 おのおの別の文を隔てて前後に引くや。
問。後ノ釈ハ是為リ↢初ノ釈ノ次ノ詞↡。尤可シ↢相隣ル↡。承前ノ下ハ為リ↢次ノ釈ノ末ノ詞↡。是顕実ノ文ナリ。何ゾ共ニ不シテ↠加↢一具ノ文段ニ↡、各隔テヽ↢別ノ文ニ↡前後ニ引耶。
答ふ。 まことに思ひがたきに似たり。 ただし推義を加ふるに、 まづ初めの文は、 甚難希有の経文の中にこの二の難を含む。 このゆゑに疏主その科の下においてこの解釈あり。 しかるに▲第一の難はこれ仏の自利、 ▲第二の難はこれ仏の利他、 その利他とは、 この一切世間難信の念仏を説くこれなり。 このゆゑに五濁悪世の成道、 ただこれこの難信の法を説かんがためなり。 この義を顕さんがために法難を説く。 下にことさらに加へらるるか。
答。誠ニ似タリ↠難ニ↠思ヒ。但シ加ルニ↢推義ヲ↡、先ヅ初ノ文者、甚難希有ノ之経文ノ中ニ含ム↢此ノ二ノ難ヲ↡。是ノ故ニ疏主於テ↢其ノ科ノ下ニ↡有リ↢此ノ解釈↡。而ニ第一ノ難ハ是仏ノ自利、第二ノ之難ハ是仏ノ利他、其ノ利他ト者、説ク↢此ノ一切世間難信ノ念仏ヲ↡是也。是ノ故ニ五濁悪世ノ成道、唯是為ナリ↠説ンガ↢此ノ難信ノ法ヲ↡。為ニ↠顕ンガ↢此ノ義ヲ↡説ク↢法難ヲ↡。下ニ故ニ加↠之ヘ歟。
次に↑顕実の文、 前の二の難を挙ぐる下にあひ次ぐるに便あり、 これを思択すべし。
次ニ顕実ノ文、挙ル↢前ノ二ノ難ヲ↡下ニ相次ツルニ有リ↠便、可シ↣思↢択ス之ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ・『超玄記』文
【55】▲次に*用欽の釈、
次1129用欽ノ釈、
▲上の ¬義疏¼ に法難を解する文を釈す。 このゆゑにこれを引く。
釈ス↧上ノ¬義疏ニ¼解スル↢法難ヲ↡文ヲ↥。是ノ故ニ引ク↠之ヲ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ・『聞持記』文
【56】▲次に ¬*聞持記¼ は、 *戒度律師かの ¬疏¼ を解する書なり。
次ニ¬聞持記ハ¼、戒度律師解スル↢彼ノ¬疏ヲ¼↡書ナリ。
いまの所引は、 ▲上に用ゐるところの本書の文言を釈す。 今疏を疎となし、 記の釈を註となす。 解しやすからしめんがために截するところかくのごとし。
今ノ所引者、釈ス↢上ニ所ノ↠用ル本書ノ文言ヲ↡。今疏ヲ為シ↠疎ト、記ノ釈ヲ為ス↠註ト。為ニ↠令ンガ↠易カラ↠解シ所↠截スル如シ↠此ノ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ・『楽邦文類』文
【57】▲次に ¬*楽邦文類¼ の後序、 無為子の作。
次ニ¬楽邦文類ノ¼後序、無為子ノ作。
いまの所引は最初の詞、 この奥になほ十七行余あり。 つぶさに載するに及ばず。 志あらん人はこれを尋ね見るべし。
今ノ所引者最初ノ之詞、此ノ奥ニ猶有↢十七行余↡。不↠及↢具ニ載ルニ↡。有ラン↠志之人ハ可シ↣尋↢見ル之ヲ↡。
六要鈔 第三 旧本
延書は底本の訓点に従って有国が行った(固有名詞の訓は保証できない)。
前の巻 実際には当巻。 (二末にも 「又云」 の釈があるが、 別内容)
路に大の訓 ¬広韻¼ の説と思われる。
道の義にまた衆妙所寄の文あり ¬広韻¼ の説と思われる。
深心 実際には回向発願心釈の釈にある。
底本は ◎本派本願寺蔵明徳三年慈観上人書写本。 Ⓐ本派本願寺蔵文安四年空覚書写本、 Ⓑ興正派興正寺蔵蓮如上人書写本 と対校。
花→Ⓐ華
則→Ⓐ即
花→Ⓐ華
則→Ⓐ即
欣→ⒶⒷ忻
仏 Ⓑになし
問→Ⓑ門
想→Ⓐ相
准→Ⓑ唯
今→[問]今Ⓐ
釈云不簡明闇等→◎釈云↢不簡明闇等↡
之 Ⓐになし
三→Ⓑ[故]三
廃→◎ⒶⒷ癈
身→Ⓐ身[之]
又→Ⓐ亦
已上→Ⓐ乃至
臨終→◎ⒶⒷ平生
憑→Ⓐ馮