1203◎六要鈔 第五
二 Ⅱ ⅴ 真仏土
【1】◎▲当巻大門第五に、 真仏ならびに真土を明かす。
◎当巻大門第五ニ、明ス↢真仏並ニ真土ヲ↡。
中において四あり。 ▽一には題目、 ▽二には標挙、 ▽三には正釈、 ▽四には総結なり。
於テ↠中ニ有リ↠四。一者題目、二者標挙、三者正釈、四ニハ総結也。
二 Ⅱ ⅴ a 題目
【2】△初めに題目の中に、 二を分つこと▲前のごとし。
初ニ題目ノ中ニ、分コト↠*三ヲ如シ↠前ノ。
上来の四巻は能帰の機に約す。 教より証に至る、 しかして後よろしく所帰の身土を知るべし。 このゆゑに能所由ありて四・五その次第を成ず。
上来ノ四巻ハ約ス↢能帰ノ機ニ↡。自リ↠教至ル↠証ニ、然シテ後宜クシ↠知ル↢所帰ノ身土ヲ↡。是ノ故ニ能所有テ↠由四・五成ズ↢其ノ次第ヲ↡。
二 Ⅱ ⅴ b 標挙
【3】△二に標挙の中に、 並べて両願を標す。 「▲光明無量」 はこれ第十二、 あるいは得勝光明といひ、 あるいは仏光無辺といふ。 「▲寿命無量」 はこれ第十三、 あるいは得寿久往といひ、 あるいは仏寿無量といふ。
二ニ標挙ノ之中ニ、並ベテ標ス↢両願ヲ↡。「光明無量ハ」是第十二、或ハ云ヒ↢得勝光明ト↡、或ハ云フ↢仏光無辺ト↡。「寿命無量ハ」是第十三、或ハ云ヒ↢得寿久往ト↡、或ハ云フ↢仏寿無量ト↡。
二 Ⅱ ⅴ c 正釈
【4】△正釈の中に分ちて二となす。 ▽まづ文の初めより 「是也」 といふに至るまでは略して身土を標す。 ▽次に 「大経」 よりはまさしく諸文を引く。
正釈ノ之中ニ分テ而為ス↠二ト。先ヅ自リ↢文ノ初↡至マデハ↠云ニ↢「是也ト」↡略シテ標ス↢身土ヲ↡。次ニ自ハ↢「大経」↡正ク引ク↢諸文ヲ↡。
二 Ⅱ ⅴ c イ 略標
【5】△初めに略して標する中に、
初ニ略シテ標スル中ニ、
問ふ。 「▲不可思議光如来」 とは、 この名出でていづれの経釈にかあるや。
問。「不可思議光如来ト」者、此ノ名出デヽ在ル↢何レノ経釈ニカ↡乎。
答ふ。 文言に隠れたりといへども義は ¬大経¼ にあり。 いはゆる▲十二光仏の勝徳、 みなこれ不可思議なるがゆゑなり。
答。文言ニ雖↠隠タリト義ハ在リ↢¬大経ニ¼↡。所謂十二光仏ノ勝徳、皆是不可思議ナルガ故也。
あきらかにその名を顕すことは ¬宝積経¼ に出でたり。 これに因りて鸞師の ¬讃弥陀の偈¼ にこの尊号を載す。 ▲¬如来会¼ の文ならびに▲鸞師の釈下の所引のごとし。
明ニ顕スコトハ↢其ノ名ヲ↡出タリ↢¬宝積経ニ¼↡。因テ↠茲ニ鸞師ノ¬讃弥陀ノ偈ニ¼載ス↢此ノ尊号ヲ↡。¬如来会ノ¼文並ニ鸞師1204ノ釈如シ↢下ノ所引ノ↡。
問ふ。 「▲無量光明土」 の名目いづれの文にか出でたるや。
問。「無量光明土ノ」之名目出タル↢何レノ文ニカ↡耶。
答ふ。 これまた下にあり。 ▲いはゆる ¬覚経¼ 六言四句の中にいふところの一句これなり。
答。是又在リ↠下ニ。所謂¬覚経¼六言四句ノ之中ニ所ノ↠云フ一句是也。
当巻の大意この光明・寿命の無量をもつて真報身常住の義を成ず。
当巻ノ大意以テ↢此ノ光明・寿命ノ無量ヲ↡成ズ↢真報身常住ノ義ヲ↡也。
光明無量はまさしく横の義に約して兼ねて竪の義に亘る。 これ衆生無辺なるをもつてのゆゑに。 光明無辺にして無辺のもろもろの有情類を摂化するはこれ横の義なり。 また竪を兼ぬとは、 遠く三世に亘りて断絶することあることなくして利益尽ることなし。
光明無量ハ正ク約シテ↢横ノ義ニ↡兼テ亘ル↢竪ノ義ニ↡。此以テノ↢衆生無辺ナルヲ↡之故ニ。光明無辺ニシテ摂↢化スルハ無辺ノ諸ノ有情類ヲ↡是横ノ義也。又兼ト↠竪ヲ者、遠ク亘テ↢三世ニ↡無シテ↠有コト↢断絶スルコト↡利益無シ↠尽コト。
寿命無量はこれ竪の辺に約す。 しばらく因願によれば十劫成覚の身たりといへども、 諸仏の寿命平等の果海欠減あることなし。 ただこれ本覚弥陀の寿なり。 この義辺に約すれば、 酬因感果はこれ始覚の智、 無為凝然はこれ本覚の理。 理智不二にして始本これ一なり。 すでに始覚に至ればかならず本覚に冥ず。 また釈迦仏の久遠の実寿すなはち阿弥陀の名義なり。
寿命无量ハ是約ス↢竪ノ辺ニ↡。且ク依レバ↢因願ニ↡雖↠為ト↢十劫成覚ノ之身↡、諸仏ノ寿命平等ノ果海無シ↠有コト↢闕減↡。只是本覚弥陀ノ寿也。約スレバ↢此ノ義辺ニ↡、酬因感果ハ是始覚ノ智、無為凝然ハ是本覚ノ理。理智不二ニシテ始本是一ナリ。已ニ至レバ↢始覚ニ↡必ズ冥ズ↢本覚ニ↡。又釈迦仏ノ久遠ノ実寿即阿弥陀ノ之名義也。
ゆゑに ¬法華¼ (巻五寿量品) にいはく、 「慧光照らして無量なり、 寿命無数劫なり。」 以上
故ニ¬法*華ニ¼云ク、「恵光照シテ无量ナリ、寿命无数劫ナリ。」 已上
無量光とは、 仏智観照の妙用なり。 無量寿とは、 法身常住の妙理なり。 体用不離にして理智冥合す。 釈尊の功徳まつたく阿弥陀、 諸仏の功徳またもつて道同なり。 このゆゑにいま光明寿命の無量の功徳によりて真報身を立つこと、 その義可なり。
無量光ト者、仏智観照ノ之妙用也。無量寿ト者、法身常住ノ之妙理也。体用不離ニシテ理智冥合ス。釈尊ノ功徳全ク阿弥陀、諸仏ノ功徳又以テ道同ナリ。是ノ故ニ今依テ↢光明・寿命無量ノ功徳ニ↡立コト↢真報身ヲ↡、其ノ義可也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ 正引
・ 第十二願文
【6】△初めの願の中に、
初ノ願ノ之中ニ、
問ふ。 いまこの仏光はこれ常光か、 現起光か。
問。今此ノ仏光ハ是常光歟、現起光歟。
答ふ。 これ常光なり。 すでに本願に酬ひてこの勝光を感ず、 なんぞ現起光ならん。 もし常光にあらずはなんぞ諸仏に超えん。
答。是常光也。既ニ酬テ↢本願ニ↡感ズ↢此ノ勝光ヲ↡、何ゾ現起光ナラン。若シ非ズハ↢常光ニ↡何ゾ超エン↢諸仏ニ↡。
このゆゑに楞厳の ¬略記¼ (小経略記) に釈していはく、 「常光は一尋、 常なりといへども遍にあらず。 別縁はあまねく照らす、 遍なりといへども常にあらず。 この仏の光明はすなはちかくのごとくならず、 無量劫を経てあまねく十方を照らす。」 以上
是ノ故ニ楞厳ノ¬略記ニ¼釈1205シテ云、「常光ハ一尋、雖↠常ナリト非ズ↠遍ニ。別縁ハ遍ク照ス、雖↠遍ナリト非ズ↠常ニ。此ノ仏ノ光明ハ即不↠如ナラ↠是ノ、経テ↢無量劫ヲ↡遍ク照ス↢十方ヲ↡。」 已上
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ 第十三願文
【7】▲次の願の中に、
次ノ願ノ之中ニ、
問ふ。 いまの無量とは、 有量の無量、 無量の無量の中にはいづれぞや。
問。今ノ无量ト者、有量ノ無量、無量ノ無量之中ニハ何ゾ耶。
答ふ。 弥陀をもつて応身と判ずる諸師の義によらば有量の無量、 彌陀をもつて報身とする大師の義によりては無量の無量なり。 随ひて集主当願の意に約して真仏土を判ず。 真仏土とはすなはちこれ報なり。 無量の無量の義を存ずべきなり。 これはこれ一得永無失なり、 これはこれ無上涅槃常住の寿なり。
答。依ラ↧以テ↢弥陀ヲ↡判ズル↢応身ト↡之諸師ノ義ニ↥者有量ノ无量、依テ↧以テ↢彌陀ヲ↡為ル↢報身ト↡之大師ノ義ニ↥者无量ノ无量ナリ。随テ而集主約シテ↢当願ノ意ニ↡判ズ↢真仏土ヲ↡。真仏土ト者即是報也。可キ↠存ズ↢无量ノ无量ノ義ヲ↡也。此ハ是一得永不失也、此ハ是无上涅槃常住ノ寿也。
問ふ。 「▲下至百千億那由他劫」 とは、 いふところの 「劫」 は所至を指すか、 所超を指すか。
問。「下至百千億那由他劫ト」者、所ノ↠言「劫」者指ス↢所至ヲ↡歟、指↢所超ヲ↡歟。
答ふ。 所至に約せば義有量に当る。 もし所超に約すれば意無量に協ふ。 このゆゑに所超の劫といふべきなり。
答。約セ↢所至ニ↡者義当ル↢有量ニ↡。若シ約スレバ↢所超ニ↡意協フ↢无量ニ↡。是ノ故ニ可キ↠云↢所超ノ劫ト↡也。
問ふ。 なんの道理によりてか所超といふや。
問。依テカ↢何ノ道理ニ↡云↢所超ト↡耶。
答ふ。 余願の中において準知するところあり。 いはく五通の願にみな (大経巻上) 「▲不知」・「▲不見」・「▲不超」 といふ。 当願の中に不至といはず、 すでに 「▲不照」 といふ。 ゆゑに所至にあらず、 これ所超なり。
答。於テ↢余願ノ中ニ↡有リ↠所↢准知スル↡。謂ク五通ノ願ニ皆云フ↢「不知」・「不見」・「不超ト」↡。当願ノ之中ニ不↠云↢不至ト↡、既ニ云フ↢「不照ト」↡。故ニ非ズ↢所至ニ↡、是所超也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ 第十二願成就文
【8】▲次に成就の文。 しばらく一師の科釈の意によりてほぼこれを料簡す。
次ニ成就ノ文。且ク依テ↢一師ノ科釈ノ之意ニ↡粗料↢簡ス之ヲ↡。
▲「仏告阿難無量寿」 の下は別して所成を明かす、 中において二あり。 ▽初めには仏身を明かす いまの所引これなり、 次に ▲「声聞・菩薩」 (大経巻上) の下は身に約して徒衆を明かす いまの所引にあらず。
「仏告阿難無量寿ノ」下ハ別シテ明ス↢所成ヲ↡、於テ↠中ニ有リ↠二。初ニハ明ス↢仏身ヲ↡ 今ノ所引是也、 次ニ「声聞・菩薩ノ」下ハ約シテ↠身ニ明ス↢徒衆ヲ↡ 非ズ↢今ノ所引ニ↡。
△初めの文にまた二。 ▽初めには仏光を明かす 所引の文の初より 「尚未能尽」▲ に至る。 ▽次には仏寿を明かす 次下の 「▲仏語」 より所引の文の終に至る。
初ノ文ニ亦二。初ニハ明ス↢仏光ヲ↡ 自↢所引ノ文ノ初↡至ル↢「尚未能尽ニ」↡。 次ニハ明ス↢仏寿ヲ↡ 自↢次下ノ「仏語」↡至ル↢所引ノ文ノ終ニ↡。
△初めの中にまた四。 ▽一には釈迦の讃嘆 文の初より 「皆蒙解脱」▲ に至る、 ▽二には諸聖の讃嘆 ▲「無量寿仏」 より 「亦復如是」 に至る、 ▽三には衆生の讃嘆 ▲「若有衆生」 より 「亦如今也」 に至る、 ▽四には如来の結嘆 ▲「仏言我説」 以下、 これすなはち初めの願成就の文なり。
初ノ中ニ又四。一1206ニハ釈迦ノ讃嘆 自↢文ノ初↡至ル↢「皆蒙解脱ニ」↡、 二ニハ諸聖ノ讃嘆 自↢「無量寿仏」↡至ル↢「亦復如是ニ」↡、 三ニハ衆生ノ讃嘆 自↢「若有衆生」↡至↢「亦如今也ニ」↡、 四ニハ如来ノ結嘆 「仏言我説」已下、 是則初ノ願成就ノ文也。
▲初めの文の中に、 ▲「最尊第一諸仏」 とらは、
初ノ文ノ之中ニ、「最尊第一諸仏ト」等者、
問ふ。 諸仏の功徳実に差別なし。 なんぞ光明において勝劣あるや。
問。諸仏ノ功徳実ニ无シ↢差別↡。何ゾ於テ↢光明ニ↡有↢勝劣↡耶。
答ふ。 かの ¬礼讃¼ の前序の▲問答のごとし。 その果位においてこれ平等なりといへども、 因位の願によれば差別なきにあらず。 この仏すでに光明・名号をもつて十方を摂化す。 阿弥陀とは、 すなはち無量光・無量寿なり。 弥陀如来その本たるがゆゑに最尊第一なり。 最尊第一なれば余は及ばざるなり。
答。如シ↢彼ノ¬礼讃ノ¼前序ノ問答ノ↡。於テ↢其ノ果位ニ↡是雖↢平等ナリト↡、依レバ↢因位ノ願ニ↡非ズ↠無ニ↢差別↡。此ノ仏既ニ以テ↢光明・名号ヲ↡摂↢化ス十方ヲ↡。阿弥陀ト者、即无量光・无量寿也。弥陀如来為ルガ↢其ノ本↡故ニ最尊第一ナリ。最尊第一ナレバ余ハ不↠及也。
「▲乃至」 といふは、 「▲あるいは仏光の百仏世界を照らすあり、 あるいは千仏世界なり。 要を取りてこれをいへば、 いまし東方恒沙の仏刹を照らす。 南西北方・四維・上下もまたまたかくのごとし。 ◆あるいは仏光の七尺を照らすあり。 あるいは一由旬・二・三・四・五由旬を照らす。 かくのごとくうたた倍して乃至一仏刹土を照らす。」 以上
言↢「乃至ト」↡者、「或ハ有リ↣仏光ノ照↢百仏世界ヲ↡、或ハ千仏世界ナリ。取テ↠要ヲ言ヘバ↠之ヲ、乃シ照ス↢東方恒沙ノ仏刹ヲ↡。南西北方・四惟・上下モ亦復如シ↠是ノ。或ハ有リ↣仏光ノ照↢于七尺ヲ↡。或ハ照ス↢一由旬・二・三・四・五由旬ヲ↡。如ク↠是ノ転倍シテ乃至照ス↢於一仏刹土ヲ↡。」 已上
いまこの文は弥陀の光明の最尊なることを讃ぜんがために、 まづ諸仏の光明の及ばざることを挙ぐ。 まさしく弥陀の光明を讃ずるにあらざるをもつてしばらくこれを除く。
今此ノ文者為ニ↠讃ゼンガ↢弥陀ノ光明ノ最尊ナルコトヲ↡、先ヅ挙グ↢諸仏ノ光明ノ不コトヲ↟及。以テ↠非ルヲ↣正ク讃ズルニ↢弥陀ノ光明ヲ↡且ク除ク↠之ヲ也。
▲十二光仏一々の功能▲下に見えたり。 引くところの憬興師の釈、 かるがゆゑにいま述べず。
十二光仏一々ノ功能見タリ↠下ニ。所ノ↠引ク憬興師ノ釈、故ニ今不↠述。
▲「三垢」 とらは、 ▲第三巻の末に第三十三の触光柔軟の願を引くにおいてほぼ文の意を解しをはんぬ。
「三垢ト」等者、於テ↣第三巻ノ末ニ引ニ↢第三十三ノ触光柔軟ノ願ヲ↡粗解シ↢文ノ意ヲ↡畢ヌ。
▲「若在」 とらは、
「若在ト」等者、
問ふ。 人天善趣なほ仏の境界を見ることあたはず、 三塗の衆生いかでか光を見るや。
問。人天善趣猶不↠能↠見コト↢仏ノ之境界ヲ↡、三塗ノ衆生争カ見↠光ヲ乎。
答ふ。 顕に見ずといへども冥に光照を蒙る、 ゆゑに見るといふか。 あるいはまた現に見る、 これ機感なり。
答。雖↢顕ニ不ト↟見冥ニ蒙ル↢光照ヲ↡、故ニ云↠見ト歟。或ハ又現ニ見ル、是機感也。
あるいは娑婆追福の力によりてその苦悩を離る。 ¬心地観経¼ (巻三報恩品) にいはく、 「その男女の追勝福をもつて、 大金光ありて地獄を照らす。 光の中に深妙の法を演説して、 父母を開悟して意を発せしむ。」 以上 追善の力によりてかの仏光を見る、 仏光を見るによりてその光利を施す。 仏光の功能あへて疑慮することなかれ。
或ハ依テ↢娑婆追福ノ之力ニ↡離ル↢其ノ苦悩1207ヲ↡。¬心地観経ニ¼云ク、「以テ↢其男女ノ追勝福ヲ↡、有テ↢大金光↡照ス↢地獄ヲ↡。光ノ中ニ演↢説シテ深妙ノ法ヲ↡、開↢悟シテ父母ヲ↡令ム↠発セ↠意ヲ。」 已上 依テ↢追善ノ力ニ↡見ル↢彼ノ仏光ヲ↡、依テ↠見ニ↢仏光ヲ↡其ノ光施ス↠利ヲ。仏光ノ功能莫レ↢敢テ疑慮スルコト↡。
【9】 ▲「寿終」 とらは、 次上の三塗の苦機に限らず。 総じて上来所帰の諸機に通ず。
「寿終ト」等者、不↠限↢次上ノ三塗ノ苦機ニ↡。総ジテ通ズ↢上来所帰ノ諸機ニ↡。
「▲解脱」 といふは、 近くは往生を指し遠くは成仏を指す。
言↢「解脱ト」↡者、近クハ指シ↢往生ヲ↡遠ハ指ス↢成仏ヲ↡。
▲次に諸聖の讃嘆の中に 「▲称説」 といふは、
次ニ諸聖ノ讃嘆ノ中ニ言↢「称説ト」↡者、
問ふ。 称揚の義か、 称名の意か。
問。称揚ノ義歟、称名ノ意歟。
答ふ。 これに二の意を含す。 ¬浄土論¼ の讃嘆門の中にいふところの 「▲称彼如来名」 の句にその称揚・称名の義あるがごとくならくのみ。
答。此ニ含ス↢二ノ意ヲ↡。如クナラク↣¬浄土論ノ¼讃嘆門ノ中ニ所ノ↠言フ「称彼如来名ノ」句ニ有ガ↢其ノ称揚・称名ノ義↡耳。
▲「随意」 とらは、 得生の益を明かす。 また生後にもろもろの嘆誉を蒙ることを明かす。
「随意ト」等者、明ス↢得生ノ益ヲ↡。又明ス↣生後ニ蒙コトヲ↢諸ノ嘆誉ヲ↡。
▲「至其」 とらは、 成道の時諸仏の嘆を蒙ることを明かす。
「至其ト」等者、明ス↣成道ノ時蒙コトヲ↢諸仏ノ嘆ヲ↡。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ 第十三願成就文
【10】△次に仏寿を明かす中にまた分ちて二となす。
次ニ明ス↢仏寿ヲ↡中ニ又分テ為ス↠二ト。
初めには長遠を標す 「▲無量寿仏」 より 「汝寧知乎」 に至る。 次には事に寄せて長を顕す 「▲仮使十方」 より所引の文の終に至る。 これすなはち次の願成就の文なり。 文の意見つべし、 くわしく解するに及ばず。
初ニハ標ス↢長遠ヲ↡ 自↢「无量寿仏」↡至↢「汝寧知乎」↡。 次ニハ寄セテ↠事ニ顕ス↠長ヲ 自↢「仮使十方」↡至↢所引ノ文ノ終ニ↡。 是即次ノ願成就ノ文也。文ノ意可↠見、不↠及↢委ク解ルニ↡。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ 異訳二経文
【11】▲次に ¬如来会¼ の文、 ▲次に ¬平等覚経¼、 おのおのもつて見つべし。
次ニ¬如来会ノ¼文、次ニ¬平等覚経¼、各以テ可シ↠見ツ。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・『大阿弥陀経』文
【12】▲次に ¬大阿弥陀経¼。
次ニ¬大阿弥陀経¼。
「▲諸仏中有仏頂」 とらは、
「諸仏中有仏頂ト」等者、
問ふ。 ¬大経¼ の中に諸仏・弥陀頂光を説かず、 いまなんぞ相違する。 もし頂に限らばこれ挙身の光を具足するにあらざるをや。
問。¬大経ノ¼之中ニ諸仏・弥陀不↠説↢頂光ヲ↡、今何ゾ相違スル。若シ限ラ↠頂ニ者此非ザルヲ↣具↢足スルニ挙身ノ光ヲ↡乎。
答ふ。 異訳の相違これいま始まりたるにあらず、 和会に及ばず。 ただし頂といふといへども挙身を遮せず、 ただ挙身の中にしばらく頂を出だすか。
答。異訳ノ相違此非ズ↢今始タルミ↡、不↠及↢和会ニ↡。但シ雖↠云ト↠頂ト不↠遮↢挙身ヲ↡、只挙身ノ中ニ且ク出↠頂ヲ歟。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・『不空羂索神変真言経』文
【13】▲次に ¬不空羂索神変真言経¼。
次1208ニ¬不空羂索神変真言経¼。
巻数三十巻、 菩提流支三蔵の訳、 清浄の報土その説分明なり。 このゆゑにこれを引きて真仏土を証す。
巻数三十巻、菩提流支三蔵ノ訳、清浄ノ報土其ノ説分明ナリ。是ノ故ニ引テ↠之ヲ証ス↢真仏土ヲ↡。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・『涅槃経』文
【14】▲次に ¬涅槃経¼ の文。
次ニ¬涅槃経ノ¼文。
問ふ。 この経は聖道為聖の説、 いまの所依にあらず。 随ひて所引の経文の中に一句として浄土を説く文なし、 なんぞこれを引くや。
問。此ノ経ハ聖道為聖ノ之説、非ズ↢今ノ所依ニ↡。随而所引ノ経文之中ニ無シ↧一句トシテ而説ク↢浄土ヲ↡文↥、何ゾ引↠之乎。
答ふ。 聖道所依の経たりといへども、 如来の教法もと無二なるがゆゑに、 二門異なりといへども和会すれば違することなし。 集主の御意深くこの義に達して、 あきらかに弥陀の名義功徳まつたく涅槃無上の極理たることを了す。 この義をもつてのゆゑに真仏土極談の己証を明かすとして、 ゆゑに ¬涅槃¼ の妙文を引用せらる。
答。雖↠為ト↢聖道所依ノ之経↡、如来ノ教法元无二ナルガ故ニ、二門雖↠異ナリト和会スレバ无シ↠違スルコト。集主ノ御意深ク達シテ↢此ノ義ニ↡、明ニ了ス↣弥陀ノ名義功徳全ク為コトヲ↢涅槃无上ノ極理↡。以ノ↢此ノ義ヲ↡故ニ明ストシテ↢真仏土極談ノ己証ヲ↡、故ニ被ル↣引↢用セ¬涅槃ノ¼妙文ヲ↡。
▲第三の本にかの経を引用せらる下において、 ほぼ義を述べ畢りぬ。
於テ↧第三ノ本ニ被ルヽ↣引↢用セ彼ノ¬経ヲ¼↡之下ニ↥粗述ベ↠義ヲ畢ヌ。
しづかに ¬大経¼ 一部の説相を案ずるに、 弥陀の功徳を説きて五智となす、 五智の功徳を説きて無上となす。
閑ニ案ズルニ↢¬大経¼一部ノ説相ヲ↡、弥陀ノ功徳ヲ説テ為ス↢五智ト↡、五智ノ功徳ヲ説テ為ス↢无上ト↡。
その経文 (大経巻下) にいはく、 「▲この諸智において疑惑して信ぜず。 しかもなほ罪福を信じ善本を修習す。 ◆このもろもろの衆生かの宮殿に生じて寿五百歳。 乃至 ▲それ菩薩ありて疑惑を生ずる者は、 大利を失すとす。 このゆゑにまさにあきらかに諸仏無上の↓智慧を信ずべし。」 以上
其ノ経文ニ云、「於テ↢此ノ諸智ニ↡疑惑シテ不↠信ゼ。然モ猶信ジ↢罪福ヲ↡修↢習ス善本ヲ↡。此ノ諸ノ衆生生ジテ↢彼ノ宮殿ニ↡寿五百歳。 乃至 其有テ↢菩薩↡生ズル↢疑惑ヲ↡者ハ、為ス↠失スト↢大利ヲ↡。是ノ故ニ応シ↣当ニ明ニ信ズ↢諸仏無上ノ智恵ヲ。」 已上
また (大経巻下) いはく、 「▲それ、 かの仏の名号を聞くことを得て、 歓喜踊躍して乃至一念することあらん。 まさに知るべし、 この人は大利を得とす。 すなはちこれ無上の功徳を具足するなり。」 以上
又云、「其有ラン↧得テ↠聞コトヲ↢彼ノ仏ノ名号ヲ↡、歓喜踊躍シテ乃至一念スルコト↥。当ニ↠知ル、此ノ人ハ為ス↠得ト↢大利ヲ↡。則是具↢足スルナリ無上ノ功徳ヲ↡。」 已上
いまいふところの無上智慧・無上功徳、 これすなはち無上涅槃の義なり。
今所ノ↠言之无上智恵・無上功徳、是則無上涅槃ノ之義ナリ。
↑智慧といふは、 *三徳の中においてしばらく般若を挙ぐ。 この中にすなはち法身・解脱の徳を具す。 阿弥陀とはすなはち三徳の秘蔵たるがゆゑに、 弥陀の仏智をすでに無上といひ、 涅槃の極理をまた無上といふ。 二種の無上その体これ一なり。 自余はみなこれ有上の法なること、 その義必然なり。
言↢智恵ト↡者、於テ↢三徳ノ中ニ↡且ク挙グ↢般若ヲ↡。此ノ中ニ即具ス↢法身・解脱之徳ヲ↡。阿弥陀ト者即為ガ↢三徳ノ之秘蔵↡故1209ニ、弥陀ノ仏智ヲ既ニ云ヒ↢无*上ト↡、涅槃ノ極理ヲ又云フ↢無上ト↡。二種ノ无上其ノ体是一ナリ。自余ハ皆是有上ノ之法ナルコト、其ノ義必然ナリ。
¬瑜伽論¼ (巻六六摂決釈分) にいはく、 「また次にいかなるか有上の法、 いはく涅槃を除きて余の一切の法なり。」 以上
¬瑜伽論ニ¼云ク、「復次ニ云何ナルカ有上ノ法、謂ク除キ↢涅槃ヲ↡余ノ一切ノ法ナリ。」 已上
また諸法の中に大般涅槃を無上とるす義、 ¬智度論¼ に見えたり。 おほよそ大師の意、 名号の功徳すなはち涅槃の徳なり。
又諸法ノ中ニ大般*涅槃ヲ為ル↢无上ト↡義、見タリ↢¬智度論ニ¼↡。凡ソ大師ノ意、名号ノ功徳即涅槃ノ徳ナリ。
¬法事讃¼ (巻下) にいはく、 「▲極楽は無為涅槃の界なり。 随縁の雑善おそらくは生じがたし。 ゆゑに如来の要法を選んで、 教へて弥陀を念ずることもつぱらにしてまたもつぱらならしむ。」 以上
¬法事讃ニ¼云、「極楽ハ無為涅槃ノ界ナリ。随縁ノ雑善恐ハ難シ↠生ジ。故ニ使 シム↧如来選テ↢要法ヲ↡、教ヘテ念ズルコト↢弥陀ヲ↡専ラニシテ復専ナラ↥。」 已上
いまこの一偈、 すでに極楽を讃じてもつて無上涅槃の界となす。 しかも随縁の雑善生じがたしといひて専念弥陀をもつて生因となす。 ゆゑに知んぬ、 遮するところの雑善等は、 有上の法なるがゆゑに涅槃無上の土に生ぜず。 ただ称名を勧むることは無上の法涅槃無上の土に生ずべきをもつてのゆゑに。 これをもつてこれをいふに、 阿弥陀とは涅槃の名号なり。 ゆゑに処々の釈みな涅槃弥陀一法の深旨を顕すらくのみ。
今此ノ一偈、既ニ讃ジテ↢極楽ヲ↡以テ為ス↢無上涅槃ノ之界ト↡。而モ云テ↢随縁ノ雑善難ト↟生ジ専念弥陀ヲ以テ為ス↢生因ト↡。故ニ知ヌ、所ノ↠遮スル雑善等者、有上ノ法ナルガ故ニ不↠生ゼ↢涅槃無上之土ニ↡。唯勧ムルコトハ↢称名ヲ↡以ノ↢無上ノ法可ヲ↟生ズ↢涅槃無上ノ土ニ↡故ニ。以テ↠之ヲ言ニ↠之ヲ、阿弥陀ト者涅槃ノ名号ナリ。故ニ処々ノ釈皆顕スラク↢涅槃弥陀一法ノ之深旨ヲ↡耳。
¬事讃¼ (法事讃巻下) にまたいはく、 「▲弥陀の妙果を号して無上涅槃といふ。」 以上
¬事讃ニ¼又云、「弥陀ノ妙果ヲ号シテ云フ↢无上涅槃ト↡。」 已上
¬般舟讃¼ にいはく、 「▲念仏即是涅槃門」 とは、 これ称名を能入の門となし、 涅槃の理をもつて所入の城となすことを顕す。 所入の城とはすなはち浄土なり。 その義をもつてのゆゑに、 あるいは (法事讃巻上) 「▲直取涅槃城」 といひ、 あるいは (定善義) 「▲入彼涅槃城」 といふ。
¬般舟讃ニ¼云ク、「念仏即是涅槃門ト」者、是顕ス↧称名ヲ為シ↢能入ノ門ト↡、以テ↢涅槃ノ理ヲ↡為コトヲ↦所入ノ城ト↥。所入ノ城ト者即浄土也。以ノ↢其ノ義ヲ↡故ニ、或ハ云ヒ↢「直取涅槃城ト」↡、或ハ云フ↢「入彼涅槃城ト」↡。
また ¬般舟讃¼ にいはく、 「▲もしは往もしは還みな益を得、 本国他方また二なし、 ことごとくこれ涅槃平等の法なり、 諸仏の智慧また同じくしかなり。」 以上
又¬般舟讃ニ¼云ク、「若ハ往若ハ還皆得↠益ヲ、本国他方亦無シ↠二、悉ク是涅槃平等ノ法ナリ、諸仏ノ智恵亦同ク然ナリ。」 已上
その究竟平等の功徳において、 しかも別願によりて名を立つる時阿弥陀と号す。 このゆゑに阿弥陀の義を信知してその名号を称するに、 もろもろの凡夫不平等の見より起すところの罪悪自然に消除して、 涅槃平等無上の功徳自然に円満す。 名号の功徳、 往生の勝利、 決定して空しからざること、 これをもつて知るべし。
於テ↢其ノ究竟平等ノ功徳ニ↡、而モ依テ↢別願ニ↡立ル↠名ヲ之時号ス↢阿弥陀ト↡。是1210ノ故ニ信↢知シテ阿弥陀ノ義ヲ↡称スルニ↢其ノ名号ヲ↡、自↢諸ノ凡夫不平等ノ見↡所ノ↠ス起罪悪自然ニ消除シテ、涅槃平等無上ノ功徳自然ニ円満ス。名号ノ功徳、往生ノ勝利、決定シテ不コト↠空カラ、以テ↠之ヲ可シ↠知。
問ふ。 もししかいはば、 このごときの深理を知らざらん輩、 たやすく浄土に生ずることを得べからざるや。
問。若云↠爾者、不ラン↠知↢如ノ↠此ノ深理ヲ↡之輩、不↠可↢輙ク得↟生ズルコトヲ↢浄土ニ↡乎。
答ふ。 知ると知らざるとともに往生を得。 往生を得ることはただ信心による。 一家の解釈、 その意分明なり。 おほよそ諸経の中にいまだかならずしもことごとく弥陀の名義功徳を顕説せずといへども、 その密意を謂ふに諸仏の内証甚深の至理しかしながら弥陀にあり。 大師釈して (観念法門) 「▲諸経頓教文義歴然」 といふ、 けだしこの謂なり。
答。知ト与 ト ↠不↠知共ニ得↢往生ヲ↡。得コト↢往生ヲ↡者只依ル↢信心ニ↡。一家ノ解釈、其ノ意分明ナリ。凡ソ諸経ノ中ニ雖↠未ダ ズト ↣必シモ悉ク顕↢説セ弥陀ノ名義功徳ヲ↡、謂ニ↢其ノ密意ヲ↡諸仏ノ内証甚深ノ至理併在リ↢弥陀ニ↡。大師釈シテ云フ↢「諸経頓教文義歴然ト」↡、蓋シ此ノ謂也。
しかるに世浄土の法門は浅近有相、 ただこれ如来慰喩の一途方便の化門なり、 諸宗無相の極談に及ばずとおもへり。 集主の意この見を破せんがためにほぼ自解を示す。 かの甚深の理さらにもつて阿弥陀仏仏智無上涅槃平等の深理を離れざるがゆゑに、 識らんと欲はん人のためにこれらの経を引きてこの義を顕さる、 もつともこれを仰ぐべし。
而ニ世以↢為 オモヘリ ラク浄土ノ法門ハ浅近有相、只是如来慰喩ノ一途方便ノ化門ナリ、不ト↟及バ↢諸宗無相ノ極談ニ↡。集主ノ之意為ニ↠破センガ↢此ノ見ヲ↡粗示ス↢自解ヲ↡。彼ノ甚深ノ理更ニ以不ルガ↠離レ↢阿弥陀仏々智无上涅槃平等ノ之深理ヲ↡故ニ、為ニ↢欲ハン↠識ラント人ノ↡引テ↢此等ノ経ヲ↡被↠顕サ↢此ノ義ヲ↡、尤可シ↠仰↠之ヲ。
▲「名一義異」 とらは、 三宝と涅槃と虚空とに通じて常といふを 「一」 と名づく、 仏と法と僧と異なるを 「義異」 といふか。
「名一義異ト」等者、通ジテ↢於三宝ト涅槃ト虚空トニ↡云ヲ↠常ト名ク↠「一ト」、仏ト法ト僧ト異ナルヲ云↢「義異トj↡歟。
▲「名義倶異」 とらは、 仏法僧等その名みな異なり、 覚不覚等その名みな異なるがゆゑに、 「倶異」 の義、 その意見やすし。
「名義倶異ト」等者、仏法僧等其ノ名皆異ナリ、覚不覚等其ノ名皆異ナルガ故ニ、「倶異ノ」之義、其ノ意易シ↠見。
【15】▲「譬如従牛」 とらは、 雪山に草あり、 名づけて忍辱といふ。 牛その草を食して乳より出だすところの味、 これを五味といふ。 天台これに喩へて五時の教を立つ。 乳はすなはち華厳、 酪はこれ阿含、 生蘇は方等、 熟蘇は般若、 醍醐は法華と涅槃となり。
「譬如従牛ト」等者、雪山ニ有リ↠草、名テ曰フ↢忍辱ト↡。牛食シテ↢其ノ草ヲ↡乳ヨリ所ノ↠出ス味、言フ↢之ヲ五味ト↡。天臺喩ヘテ↠之ニ立↢五時ノ教↡。乳ハ即花厳、酪ハ是阿含、生蘇ハ方等、熟蘇ハ般若、醍1211醐ハ法花ト与 ト ↢涅槃↡也。
下の合譬に ▲「仏亦如是」 とらいふこれなり。 「従仏」 とらは、 十二部経はまづ華厳を指す。 「修多羅」 とは次に阿含を指す。 方等・般若・大涅槃とは文にありて顕露なり。
下ノ合譬ニ云↢「仏亦如是ト」等↡是也。「従仏ト」等者、十二部経ハ先ヅ指ス↢花厳ヲ↡。「修多羅ト」者、次ニ指ス↢阿含ヲ↡。方等・般若・大涅槃ト者在テ↠文ニ顕露ナリ。
▲「仏性」 とらはすなはち涅槃なり。 経 (涅槃経) に 「一切衆生悉有仏性」 と説くゆゑなり。
「仏性ト」等者、即涅槃也。¬経ニ¼説ク↢「一切衆生悉有仏性ト」↡故也。
【16】▲「有大楽故名大涅槃」 とらは、 かの浄土を名づけて、 あるいは極楽といひあるいは安楽といふ。 これ涅槃大楽の義に順ず。
「有大楽故名大涅槃ト」等者、名テ↢彼ノ浄土ヲ↡、或ハ曰ヒ↢極楽ト↡或ハ曰フ↢安楽ト↡。是順ズ↢涅槃大楽ノ之義ニ↡。
ゆゑに ¬浄土論¼ の名義摂対の章の中にいはく、 「▲さきに説きつる無染清浄心と安清浄心と楽清浄心と、 この三種の心は略して一処に妙楽勝真心を成就す。」 以上
故ニ¬浄土論ノ¼名義摂対ノ之章ノ中ニ云ク、「向ニ説ツル無染清浄心ト安清浄心ト楽清浄心ト、此ノ三種ノ心ハ略シテ一処ニ成↢就ス妙楽勝真心ヲ↡。」 已上
かの土は浄妙の楽を成就するがゆゑに、 仏土を縁ずる心またこの心を成ず。 これらの義を案ずるに、 涅槃の理と阿弥陀とまつたくもつて契会す。 ただし涅槃とは理に従ふる称、 弥陀の名号は事に随ふる号、 事理異なるに似たれども、 事理不二、 畢竟平等にしてつひに差別なし。 これ楽といふは涅槃の理極楽を表する義を解す。
彼ノ土ハ成↢就スルガ浄妙ノ楽ヲ↡故ニ、縁ズル↢仏土ヲ↡心又成ズ↢此ノ心ヲ↡。案ズルニ↢此等ノ義ヲ↡、涅槃ノ之理ト与 ト ↢阿弥陀↡全ク以テ契会ス。但シ涅槃ト者従フル↠理ニ之称、弥陀ノ名号ハ随フル↠事之号、事理似タレドモ↠異ナルニ、事理不二、畢竟平等ニシテ終ニ无シ↢差別↡。是解ス↧云ハ↠楽ト涅槃之理表スル↢極楽ヲ↡義ヲ↥。
【17】▲「以純浄故名大涅槃」 とらは、 弥陀の依正はみなこれ清浄なり、 これまた弥陀涅槃一法の義を表するところなり。
「以純浄故名大涅槃ト」等者、弥陀ノ依正ハ皆是清浄ナリ、是又所↠表スル↢弥陀涅槃一法ノ義ヲ↡也。
¬大経¼ (巻上) の十二光仏の中には 「▲清浄光」 あり、 ¬平等覚経¼ には阿弥陀仏を名づけて 「▲無量清浄平等覚」 となす。
¬大経ノ¼十二光仏ノ之中ニハ有リ↢「清浄光」↡、¬平等覚経ニハ¼阿弥陀仏ヲ名テ為ス↢「無量清浄平等覚ト」↡矣。
また ¬理趣経¼ には 「得自性清浄法性如来」 といひ、 ¬月灯三昧経¼ (巻五) には 「離垢穢如来」 といふ。 ともにこれ弥陀如来の名なり。 離垢穢とはすなはち清浄の義なり。
又¬理趣経ニハ¼云ヒ↢「得自性清浄法性如来ト」↡、¬月灯三昧経ニハ¼云フ↢「離垢穢如来ト」↡。共ニ是弥陀如来ノ名也。離垢穢1212ト者即清浄ノ義ナリ。
また ¬智論¼ (大智度論巻三八釈往生品) の中にはかの浄土を判じて名づけて 「一乗清浄無量寿世界」 といふ。 ¬十住毘婆沙論¼ (巻五易行品) にはあるいはこの仏を讃じて 「無量清浄慧」 といひ、 あるいは礼して 「▲帰命清浄人」 といふ。
又¬智論ノ¼中ニハ判ジテ↢彼ノ浄土ヲ↡名テ云フ↢「一乗清浄無量寿世界ト」↡。¬十住毘婆沙論ニハ¼或ハ讃ジテ↢此ノ仏ヲ↡云ヒ↢「無量清浄恵ト」↡、或ハ礼シテ云フ↢「帰命清浄人ト」↡。
まさに知るべし、 涅槃清浄の理弥陀と同じといふことを。 これ浄の義に就きて阿弥陀無上涅槃一法の深旨を解するものなり。 集主処々にこの ¬経¼ の文を引く。 この義にあらずは領解しがたしとなす。 よりて推義を加へて形のごとくこれを解す。 短解恐れあり、 ただ冥慮を仰ぐ。 違するところあらば、 後賢よろしく改むべし。 ただ大意を述ぶ、 一々の文言つぶさに解するに及ばず。
当ニシ↠知ル、涅槃清*浄ノ理与↢弥陀↡同ト云コトヲ。是就テ↢浄ノ義ニ↡解スル↢阿弥陀無上涅槃一法ノ深旨ヲ↡者也。集主処々ニ引ク↢此ノ¬経ノ¼文ヲ↡。非↢此ノ義ニ↡者為ス↠難ト↢領解シ↡。仍テ加テ↢推義ヲ↡如ク↠形ノ解ス↠之ヲ。短解有リ↠恐レ、只仰グ↢冥慮ヲ↡。有ラ↠所↠違スル者、後賢宜クシ↠改ム。只述ブ↢大意ヲ↡、一々ノ文言不↠及↢具ニ解スルニ↡。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・『浄土論』文
【18】▲次に ¬浄土論¼。
次ニ¬浄土論¼。
▲初めの一行の偈は上巻の文なり。 ¬註論¼ の意によるに、 初めの一行は五念門の中の三念門なり。 「世尊」 といふは、 釈迦仏を指す、 天親菩薩教主に告ぐる言なり。 「我一心」 とは、 一心に無礙光仏を念じたてまつりて安楽に生ぜんと願じて、 心々相続し他想なきなり。 「帰命」 といふは、 これ礼拝門、 「尽十方」 等の二句十字はこれ讃嘆門、 「願生」 の一句は作願門なり。
初ノ一行ノ偈ハ上巻ノ文也。依ニ↢¬註論ノ¼意ニ↡、初ノ一行者五念門ノ中ノ三念門也。言↢「世尊ト」↡者、指ス↢釈迦仏ヲ↡、天親菩薩告ル↢教主ニ↡言ナリ。「我一心ト」者、一心ニ奉テ↠念ジ↢无光仏ヲ↡願ジテ↠生ゼント↢安楽ニ↡、心々相続シ無↢他想↡也。言↢「帰命ト」↡者、是礼拝門、「尽十方」等ノ二句十字ハ是讃嘆門、「願生ノ」一句ハ作願門也。
次に ▲「我依修多羅」 (浄土論) 等の成上起下の一行の偈頌あり、 いましばらくこれを略す。
次ニ有リ↢「我依修多羅」等ノ成上起下ノ一行ノ偈頌↡、今且ク略ス↠之ヲ。
▲後の一行は、 これより以下観察門なり。 これに就きて二あり。 一は器世間、 二は衆生世間なり。 器世間の中に十七種あり。 しかるにいまの所引一行の中に、 初めの二句はその第一なり、 荘厳清浄功徳成就これその名なり。
後ノ一行者、自↠此以下観察門也。就テ↠此ニ有↠二。一者器世間、二*者衆生世間ナリ。器世間ノ中ニ有↢十七種↡。而ニ今ノ所引一行ノ之中ニ、初ノ二句者其ノ第一也、荘厳清浄功徳成就是其ノ名也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・『論註』六文
【19】▲下に引くところの註釈はすなはちこれこの偈の註なり。
下1213ニ所ノ↠引ク之註釈ハ即是此ノ偈ノ註也。
▲第四巻の中にこの荘厳を引く。 よりて▲その下においていささか義を述べ畢りぬ。
第四巻ノ中ニ引ク↢此ノ荘厳ヲ↡。仍テ於テ↢其ノ下ニ↡聊述↠義ヲ畢ヌ。
▲後の二句は次の荘厳量功徳成就、 いまは註釈を除く。 かの註釈 (論註巻下) にいはく、 「▲しかもかの世界は常に虚空のごとくして迫迮の相なし。 ◆かしこの中の衆生、 かくのごときの量の中に住す。 志願広大なることまた虚空のごとくして限量あることなし。」 以上要を取る
後ノ二句者次ノ荘厳量功徳成就、今ハ除ク↢註釈ヲ↡。彼ノ註釈ニ云ク、「而モ彼ノ世界ハ常ニ若クシテ↢虚空ノ↡无シ↢迫迮ノ相↡。彼ノ中ノ衆生、住ス↢如ノ↠此ノ量ノ中ニ↡。志願広大ナルコト亦如クシテ↢虚空ノ↡無シ↠有コト↢限量↡。」 已上取↠要
【20】▲「又云」 とらは、 その第三なり。
「又云ト」等者、其ノ第三也。
▲「性是」 とらは、 性の義を釈する中に四重の釈あり。 しかもその中において▽初めの一は理に約し、 ▽後の三は事に約す。
「性是ト」等者、釈スル↢性ノ義ヲ↡中ニ有リ↢四重ノ釈↡。而モ於テ↢其ノ中ニ↡初ノ一ハ約シ↠理ニ、後ノ三ハ約ス↠事ニ。
△初めに理に約すとは、 ▲法性に随順すとらの義これなり。
初ニ約スト↠理ニ者、随↢順スト法性ニ↡等ノ義是也。
▲「事同」 とらは、 ¬六十華厳¼ の三十六 (巻三三・三四性起品意) にいはく、 「その時に普賢菩薩摩訶薩、 如来性起妙徳菩薩等のもろもろの大衆に告げたまわく、 仏子、 如来・応供・正覚は性起正法不可思議なり。 ゆゑんはいかん。 小因縁をもつて等正覚を成じて世に出興するにあらず。 仏子、 十種の無量無数百千阿僧祇の因縁をもつて、 等正覚を成じて世に出興す。 乃至
「事同ト」等者、¬六十花厳ノ¼三十六ニ云ク、「爾ノ時ニ普賢菩薩摩訶薩、告タマハク↢如来性起妙徳菩薩等ノ諸ノ大衆ニ↡、仏子、如来・応供・正覚ハ性起正法不可思議ナリ。所以者何。非ズ↧小因縁ヲモテ成ジテ↢等正覚ヲ↡出↦興スルニ於世ニ↥。仏子、以テ↢十種ノ无量无数百千阿僧祇ノ因縁ヲ↡、成ジテ↢等正覚ヲ↡出↢興ス于世ニ↡。 乃至
如来性起と名づくることはもろもろの功徳の宝をもつて荘厳となす。 譬へば大千界国土初成の時これ少因縁をもつてよく世界を成ずるにあらず、 無量の方便力一切の因縁をもつて三千大千界を起して諸仏群生を安置するがごとし。 かくのごとくもろもろの最勝如来の性起の法、 無量の功徳蔵、 一切よく知ることなし。」 以上
名クルコトハ↢如来性起ト↡諸ノ功徳ノ宝ヲ以テ為ス↢荘厳ト↡。譬バ如シ↧大千界国土初成ノ時非ズ↣是少因縁ヲモテ能ク成ズルニ↢於世界ヲ↡、无量ノ方便力一切ノ因縁ヲモテ起シテ↢三千大千界ヲ↡安↦置スルガ諸仏群生ヲ↥。如ク↠是ノ諸ノ最勝如来ノ性起ノ法、無量ノ功徳蔵、一切莫シ↢能ク知コト↡。」 已上
「▲宝王如来」 はこれ仏名にあらず、 これ法性を指す。
「宝王如来ハ」此非ズ↢仏名ニ↡、是指ス↢法性ヲ↡。
▲「性起」 といふは、 一切の諸法ただ法性をもつてその所依となして縁起する意なり。
言↢「性起ト」↡者、一切ノ諸法唯以テ↢法性ヲ↡為シテ↢其ノ所依ト↡縁起スル意也。
△「又言」 とらは、 事に約する釈の中にこれ第一なり。 これ法蔵因位の修行に約す。 かの万行諸度積習の大功力によりてその性を成就す、 自然の徳なり。
「又言1214ト」等者、約スル↠事ニ釈ノ中ニ是第一也。此約ス↢法蔵因位ノ修行ニ↡。依テ↢彼ノ万行諸度積習ノ之大功力ニ↡成↢就ス其ノ性ヲ↡、自然ノ徳也。
▲「亦言」 とらはその第二なり。 これ因中発願の位に約す。 「▲聖種姓」 とはこれ十地の名、 初地の中において六八の願を発す、 その種姓によりてこれを名づけて性となす。
「亦言ト」等者其ノ第二也。此約ス↢因中発願ノ之位ニ↡。「聖種姓ト」者是十地ノ名、於テ↢初地ノ中ニ↡発ス↢六八ノ願ヲ↡、依テ↢其ノ種姓ニ↡名テ↠之ヲ為ス↠性ト。
▲「又言」 とらはこれその第三なり。 この釈はこれ安楽浄土畢竟清浄成就当体の性に約してこれを解す。 初めに 「又言」 といひ、 次に 「▲又如」 といふ。 二種の解釈はともに譬喩に寄せて不改の義を成ず、 これ第四の釈なり。 ▲「安楽浄土」 以下の釈はまさしく浄土果成の現量に就きてその義を解するなり。
「又言ト」等者是其ノ第三ナリ。此ノ釈ハ是約シテ↢安楽浄土畢竟清浄成就当体ノ之性ニ↡解ス↠之ヲ。初ニ云ヒ↢「又言ト」↡、次ニ云フ↢「又如ト」↡。二種ノ解釈ハ共ニ寄セテ↢譬喩ニ↡成ズ↢不改ノ義ヲ↡、是第四ノ釈ナリ。「安楽浄土」以下ノ之釈ハ正ク就テ↢浄土果成ノ現量ニ↡解スル↢其ノ義ヲ↡也。
▲「平等の道」 とらは、 ここにおいて理等・心等・道等・慈等あり、 これを四等といふ。
「平等ノ道ト」等者、於テ↠此ニ有リ↢理等・心等・道等・慈等↡、謂フ↢之ヲ四等ト↡。
「▲平等是諸法体相」 とは、 これ理等なり。 理等といふは理に約す。 真理平等にして自他の別なく、 諸法平等にして体相本有なることを明かさんと欲す。 もし現文に就きてこれをいはば、 また法等といふべきか。
「平等是諸法体相」者、是理等也。言↢理等ト↡者約ス↠理ニ。欲ス↠明ト↧真理平等ニシテ無ク↢自他ノ別↡、諸法平等ニシテ体相本有ナルコトヲ↥。若シ就テ↢現文ニ↡言ハヾ↠之ヲ、又可↠謂↢法等ト↡歟。
▲「以諸法平等」 とらは、 これ心等なり。 これ如理平等の心より発すところの心なるがゆゑにこれを心等といふ。
「以諸法平等ト」等者、是心等也。是自↢如理平等ノ之心↡所ノ↠発ス心ナルガ故ニ謂フ↢之ヲ心等ト↡。
▲「発心等故道等」 とらは、 これ道等なり。 「道等」 といふは、 これいはく所履の道これなり。
「発心等故道等ト」等者、是道等也。言↢「道等ト」↡者、是謂ク所履ノ之道是也。
▲「道等故」 の下はこれ慈等なり。 これいはく能履の慈等なり。
「道等故ノ」下ハ是慈等也。是謂ク能履ノ之慈等也。
いまこの四等、 その句々において 「故」 の字を置くがゆゑに展転相成して等の義あるべし。 しかるゆゑは、 諸法平等にして理性本浄なり、 これを離れて諸余の別法あることなし。 この平等無相の理より発すところの心なるがゆゑにその心これ等し。 所等の心より修するところの道なるがゆゑにその道これ等し、 所等の道より垂るるところの慈なるがゆゑに慈また等しきなり。
今此ノ四等、於テ↢其ノ句々ニ↡置ガ↢「故ノ」字ヲ↡故ニ展転相成シテ可シ↠有↢等ノ義↡。所↢以然↡者、諸法平等ニシテ理性本浄ナリ、離テ↠此ヲ無シ↠有コト↢諸余ノ別法↡。自↢此ノ平等无相ノ之理↡所ノ↠発ス心ナルガ故ニ其ノ心是等シ。自↢所等ノ心↡所ノ↠修1215スル道ナルガ故ニ其ノ道是等シ、自↢所等ノ道↡所ノ↠垂ルヽ慈ナルガ故ニ慈又等シキ也。
▲「慈悲有三縁」 とらは、 この三縁において横竪の義あり、 いまの釈の意はこれ竪の義なり。 いはく、 小と中と大と、 次いでのごとくかの凡夫と菩薩と仏果との慈悲に約す。
「慈悲有三縁ト」等者、於テ↢此ノ三縁ニ↡有リ↢横竪ノ義↡、今ノ釈ノ意者是竪ノ義也。謂ク、小ト中ト大ト、如ク↠次ノ約ス↢彼ノ凡夫ト菩薩ト仏果トノ慈悲ニ↡。
横の義といふは、 天台の ¬観経の疏¼ に ¬智度論¼ を引きていはく、 「一には衆生縁、 心に一切衆生を攀縁することなけれども、 しかも衆生において自然に現益す。 乃至 二は法縁、 心に法を観ずることなけれども、 しかも諸法において自然にあまねく照らす。 日の物を照らすに分別するところなきがごとし。 三は無縁、 心に理を観ずることなけれども、 しかも平等第一義の中において自然に安住す。」 以上
言↢横ノ義ト↡者、天臺ノ¬観経ノ疏ニ¼引テ↢¬智度論ヲ¼↡云ク、「一ニハ衆生縁、無ケレドモ↣心ニ攀↢縁スルコト一切衆生ヲ↡、而モ於テ↢衆生ニ↡自然ニ現益ス。 乃至 二者法縁、無ケレドモ↢心ニ観ズルコト↟法ヲ、而モ於テ↢諸法ニ↡自然ニ普ク照ス。如シ↢日ノ照ニ↠物ヲ無キガ↟所↢分別スル↡。三者無縁、無ケレドモ↢心ニ観ズルコト↟理ヲ、而モ於テ↢平等第一義ノ中ニ↡自然ニ安住ス。」 已上
三種ありといへども三位に渉らず、 ともに如来に約す、 これ横の義なり。
雖↠有ト↢三種↡不↠渉↢三位ニ↡、倶ニ約ス↢如来ニ↡、是横ノ義也。
問ふ。 いまの ¬註¼ の意に就きて竪の義に約せば、 なんぞ因位において大悲といふや。
問。就テ↢今ノ¬註ノ¼意ニ↡約セ↢竪ノ義ニ↡者、何ゾ於テ↢因位ニ↡云↢大悲ト↡乎。
答ふ。 分に約してこれを論ず。 竪にその別をいふに、 階位ありといへども総じて菩薩において大悲の名を立つること常途の詞なり。 これすなはち仏に対してはこれを言ひて小となし、 その凡夫に対してはこれを言ひて大となす。 相対異なるがゆゑに、 大といふに過なし。
答。約シテ↠分ニ論ズ↠之ヲ。竪ニ謂ニ↢其ノ別ヲ↡、雖↠有ト↢階位↡総ジテ於テ↢菩薩ニ↡立コト↢大悲ノ名ヲ↡常途ノ詞也。是則対シテハ↠仏ニ言テ↠之ヲ為シ↠小ト、対シテハ↢其ノ凡夫ニ↡言テ↠之ヲ為ス↠大ト。相対異ナルガ故ニ、云ニ↠大ト無シ↠過。
▲「安楽」 とらは、 これかの土は三慈悲の中に無縁の慈をもつて浄土の報となすことを明かす。 ゆゑに ¬観経¼ にいはく、 「▲無縁の慈をもつてもろもろの衆生を摂す。」 以上 三縁の慈をもつて建立するところの妙浄土なるがゆゑに、 その大慈をもつて願生のもろもろの衆生を摂取すらくのみ。
「安楽ト」等者、是明ス↧彼ノ土ハ三慈悲ノ中ニ以テ↢无縁ノ慈ヲ↡為コトヲ↦浄土ノ報ト↥。故ニ¬観経ニ¼云ク、「以テ↢無縁ノ慈ヲ↡摂ス↢諸ノ衆生ヲ↡。」 已上 以テ↢三縁ノ慈ヲ↡所ノ↢建立スル↡之妙浄土ナルガ故ニ、以テ↢其ノ大慈ヲ↡摂↢取スラク願生ノ諸ノ衆生ヲ↡耳。
【21】次に ▲「又云」 とは、 同じき第十六の荘厳大義門功徳成就の註釈の中に三の問答あり、 その第三なり。
次ニ「又云ト」者、同キ第十六ノ荘厳大義門功徳成就ノ註釈ノ之中ニ有リ↢三ノ問答↡、其ノ第三也。
この荘厳の意はこれかの国大乗界なるがゆゑに二乗なき義を成ず。 しかも仏力によりて二乗生ずといへども小を転じて大に向かふ。 このゆゑに大義門を成就するなり。 問答の意その文見つべし。
此ノ荘厳ノ意ハ是成ズ↧彼ノ国大乗界ナルガ故ニ無キ↢二乗↡義ヲ↥。而モ依テ↢仏力ニ↡二乗1216雖↠生ズト転ジテ↠小ヲ向フ↠大ニ。是ノ故ニ成↢就スル大義門ヲ↡也。問答ノ之意其ノ文可シ↠見ツ。
「▲鴆鳥」 といふはこれ毒鳥なり。 「鴆」 ¬玉篇¼ にいはく、 「除禁の切、 その羽毒あり、 酒をもつて飲めばすなはち死す。」 ¬広韻¼ にいはく、 「直禁の切、 鳥の名。 ¬広志¼ にいはく、 大きさ鴞のごとし。 紫緑の色、 毒あり、 頸の長さ七八寸、 蛇蝮を食らふ。 雄を運日といひ雌を陰諧と名づく。 その毛をもつて飲食に歴ればすなはち人を殺す。」
言↢「鴆鳥ト」↡者是毒鳥也。「鴆」¬玉篇ニ¼云、「除禁ノ切、其ノ羽毒アリ、酒ヲモテ飲バ即死ス。」¬広韻ニ¼云、「直禁ノ切、鳥ノ名。¬広志ニ¼云ク、大サ如シ↠鴞ノ。紫緑ノ色、有リ↠毒、頸ノ長サ七八寸、食フ↢蛇蝮ヲ↡。雄ヲ曰ヒ↢運日ト↡雌ヲ名ク↢陰諧ト↡。以テ↢其ノ毛ヲ↡歴バ↢飲食ニ↡即殺ス↠人ヲ。
「▲魚蜯」 といふは、 「蜯」 ¬玉篇¼ にいはく、 「歩項の切、 蜯蛤。」 ¬広韻¼ これに同じ。
言↢「魚蜯ト」↡者、「蜯」¬玉篇ニ¼云、「歩項切、蜯蛤。」¬広韻¼同ジ↠之ニ。
問ふ。 言ふところの 「鴆鳥」・「犀牛」・「魚蜯」 おのおの二類か、 また一物か。
問。所ノ↠言「鴆鳥」・「犀牛」・「魚蜯」各二類歟、又一物歟。
答ふ。 これに差別あり。 鴆鳥は別にあらず。 鴆は鳥類なるがゆゑに、 これを鴆鳥といふ。 犀また牛類なり、 ゆゑに犀牛といふ。 魚蜯はこれ別なり。 魚は一類、 蜯は虫類。 魚類・蜯蛤ともに死活するなり。
答。此ニ有リ↢差別↡。鴆鳥ハ非ズ↠別ニ。鴆ハ鳥類ナルガ故ニ言フ↢之ヲ鴆鳥ト↡。犀又牛類ナリ、故ニ云フ↢犀牛ト↡。魚蜯ハ是別ナリ。魚者一類、蜯者虫類。魚類・蜯蛤共ニ死活スル也。
「▲五不思議」 は次下の釈のごとし。
「五不思議ハ」如シ↢次下ノ釈ノ↡。
【22】▲「又云」 とらは、 同じき下巻の観行体相において文を分ちて二となす。 一には器体、 二には衆生体。 その器体の中にまた三重あり。 その中に一には国土の体相を明かし、 ↓二には自利利他を示現し、 三には第一義諦に入ることをいふ。 いまの文は第一に国土の体相を明かさんと欲して、 初めに (論註巻下) 「▲彼仏国土荘厳功徳成就者、 成就不可思議力故」 とらいふ以下の註釈なり。
「又云ト」等者、於テ↢同キ下巻ノ観行体相ニ↡分テ↠文ヲ為ス↠二ト。一者器体、*二衆生体。其ノ器体ノ中ニ又有リ↢三重↡。其ノ中ニ一ニハ明シ↢国土ノ体相ヲ↡、二者示↢現シ自利々他ヲ↡、三者言フ↠入コトヲ↢第一義諦ニ↡。今ノ文ハ第一ニ欲シテ↠明ント↢国土ノ体相ヲ↡、初ニ云フ↢「彼仏国土荘厳功徳成就者、成就不可思議力故ト」等↡已下ノ註釈也。
次上に引用するところの五不思議を示さんがために次下にこれを引く。 また五種の不思議を出だすことは、 仏法不思議を顕さんがためなり。 いふところの仏法不思議とは、 総じてこれをいはば、 広く諸教の利益に通ずべしといへども、 いまは別して弥陀の因果所成所摂の不可思議功徳力を顕さんと欲す。 因はすなはち願力、 果は住持力なり。 その文見つべし。
為ニ↠示サンガ↧次上ニ所ノ↢引用スル↡之五不思議ヲ↥次下ニ引ク↠之ヲ。又出コト↢五種ノ不思議ヲ↡者、為↠顕ンガ↢仏法不思議ヲ↡也。所ノ↠言仏法不思議ト者、総ジテ而言ハヾ↠之ヲ、広ク雖↠可ト↠通ズ↢諸教ノ利益ニ↡、今ハ別シテ欲ス↠顕1217ント↢弥陀ノ因果所成所摂ノ不可思議功徳力ヲ↡也。因ハ即願力、果ハ住持力ナリ。其ノ文可シ↠見ツ。
【23】▲「又云」 とらは、 ↑上に標するところの第二段なり。
「又云ト」等者、上ニ所ノ↠標スル之第二段也。
初めの文段の中に十七種の荘厳等を挙げ畢りて、 この荘厳成就は如来の自利利他大功徳力なることを示す解釈なり。
初ノ文段ノ中ニ挙ゲ↢十七種ノ荘厳等ヲ↡畢テ、示ス↢此ノ荘厳成就ハ如来ノ自利々他大功徳力ナルコトヲ↡之解釈也。
▲「須弥」 とらは、 ¬維摩経¼ の中に不思議解脱を説く意なり。 これ大小容受の義をもつていまこれに比例す。 いはゆるかの極楽の荘厳をもつてこれを須弥および大海に譬へ、 十七種をもつてかの 「芥子」 および 「毛孔」 に喩ふるなり。
「須弥ト」等者、¬維摩経ノ¼中ニ説ク↢不思議解脱ヲ↡意也。此以テ↢大小容受之義ヲ↡今比↢例ス之ニ↡。所謂以テ↢彼ノ極楽ノ荘厳ヲ↡譬ヘ↢之ヲ須弥及以ビ大海ニ↡、以テ↢十七種ヲ↡喩ル↢彼ノ「芥子」及ビ「毛孔ニ」↡也。
▲「豈山海之神乎」 とらは、 能納・所納さらに須弥・大海・芥子・毛孔の力にあらず。 能神の者の力はすなはち不思議解脱力なり、 所神はすなはちこれ山海等なり。 文の意につぶさにこの十七句仏の自利利他功徳力、 かの如来の不可思議神力を摂することを明かすらくのみ。
「豈山海之神乎ト」等者、能納・所納更ニ非ズ↢須弥・大海・芥子・毛孔ノ之力ニ↡。能神ノ者ノ力ハ即不思議解脱力也、所神ハ即是山海等也。文ノ意具ニ明スラク↣此ノ十七句摂スルコトヲ↢仏ノ自利々他功徳力、彼ノ如来ノ不可思議神力ヲ↡而已。
【24】▲「又云」 とらは、 同じき下の如来八種荘厳功徳の中の第八の荘厳功徳の文なり。
「又云」等者、同キ下ノ如来八種荘厳功徳ノ之中ノ第八荘厳功徳ノ文也。
この荘厳において、 ¬論¼ と ¬註¼ とあひあはせて三の文段あり。 ▲まず偈頌を引きてこの荘厳を顕す。 次に ▲「不虚作住持」 以下は得名の由を釈し、 またその義を述ぶ。
於テ↢此ノ荘厳ニ↡¬論ト¼¬*註ト¼相并セテ有リ↢三ノ文段↡。先引テ↢偈頌ヲ↡顕ス↢此ノ荘厳ヲ↡。次ニ「不虚作住持」已下ハ釈シ↢得名ノ由ヲ↡、亦述ブ↢其ノ義ヲ↡。
後に (論註巻下) ▲「即見彼仏」 といふ以下はまさしく住持不虚の相を明かす。 ただしその文▲第四巻の中に載す。 ゆゑにいまこれを残す。
後ニ云↢「即見彼仏ト」↡以下ハ正ク明ス↢住持不虚ノ之相ヲ↡。但シ其ノ文載ス↢第四巻ノ中ニ↡。故ニ今残ス↠之ヲ。
初めの文の中に、 「▲乃至」 といふは、 まづ虚作の相を示す文なり。 翻対して不虚の義を顕さんと欲すといへども、 まさしく不虚住持の文にあらざるがゆゑに繁きを恐れてしばらく除く。
初ノ文ノ之中ニ、言↢「乃至ト」↡者、先ヅ示ス↢虚作ノ之相ヲ↡文也。雖↠欲スト↣翻対シテ顕ント↢不虚ノ義ヲ↡、正ク非ガ↢不虚住持ノ文ニ↡故ニ恐テ↠繁1218ヲ且ク除ク。
▲「願以」 とらは、 願力を二となす。 「願」 とは因位の四十八願、 「力」 とは果位の自在神力。 因願・果力ともに徒然虚設の義なし、 「あひ符して差はず」。 これすなはち住持成就の義なり。
「願以ト」等者、願力ヲ為ス↠二ト。「願ト」者因位ノ四十八願、「力ト」者果位ノ自在神力。因願・果力共ニ无シ↢徒然虚設ノ之義↡、「相符シテ不↠差ハ」。是則住持成就ノ義也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・『讃弥陀偈』文
【25】▲次に ¬讃阿弥陀仏偈¼、 一巻の典なり。
次ニ¬讃阿弥陀仏偈¼、一巻ノ典也。
問ふ。 題の後文の前に▲六字の名を安ずる、 なんの意あるや。
問。題ノ後文ノ前ニ安ズル↢六字ノ名ヲ↡、有↢何ノ意↡耶。
答ふ。 題目に ¬讃阿弥陀仏偈¼ といふといへども、 いまだ名号の功徳を讃嘆することを顕さず、 ただこれ讃嘆なり。 このゆゑにいふ所の讃嘆は名号の徳にあることを示さんがために、 かくのごとく題するか。 ¬選択集¼ の初めに▲まづ名号を安ずる、 あたかもこの例による。 かれは観念、 諸仏の名号等に簡異せんがためなり。
答。題目ニ雖↠云↢「讃阿弥陀仏偈ト」↡、未ダ↠顕サ↣讃↢嘆スルコトヲ名号ノ功徳ヲ↡、只是讃嘆ナリ。是ノ故ニ為ニ↠示ンガ↣所ノ↠言讃嘆ハ在コトヲ↢名号ノ徳ニ↡、如ク↠是ノ題スル歟。¬選択集ノ¼初ニ先ヅ安ズル↢名号ヲ↡、宛モ由ル↢此ノ例ニ↡。彼ハ為↣簡↢異センガ観念、諸仏ノ名号等ニ↡也。
▲「釈名」 とらは、 上の梵号においてその漢語を示して 「釈名」 とらいふ。 ▲「傍経」 とらは、 これ ¬経¼ に副へてなして讃じたてまつるををいふか。 「▲亦曰安養」 の四字有無、 諸本の異なり。 この ¬讃¼、 ある本いまの所引の上、 最初にまづ一四句偈あり。 その文 (讃弥陀偈) にいはく、 「▲西方に現在してこの界を去ること、 十万億刹にして安養の土あり。 仏世尊を阿弥陀と号す。 われ往生を願じて、 帰命して礼す。」 以上
「釈名ト」等者、於テ↢上ノ梵号ニ↡示シテ↢其ノ漢語ヲ↡云フ↢「釈名ト」等↡。「傍経ト」等者、是云↢副ヘテ↠¬経ニ¼作シテ奉ルヲ↟讃ジ歟。「亦曰安養ノ」四字有無、諸本ノ異也。此ノ¬讃¼、或本今ノ所引ノ上、最初ニ先ヅ有リ↢一四句偈↡。其ノ文ニ云、「現↢在シテ西方ニ↡去コト↢此ノ界ヲ↡、十万億刹ニシテ安養ノ土アリ。仏世尊ヲ号ス↢阿弥陀ト↡。我願ジテ↢往生ヲ↡帰命シテ礼ス。」 已上
▲「成仏」 とらは、 いまの二句まづ寿命に就きて無量の徳を讃ず。
「成仏ト」等者、今ノ之二句先ヅ就テ↢寿命ニ↡讃ズ↢无量ノ徳ヲ↡。
「法身」 以下は次に光明に就きて種々の徳を嘆ず。 光明を嘆ずる中にまづ*三徳に約す。 「▲法身の光輪」 はすなはちこれ法身、 「▲智慧の光明」 はこれ般若に約す。 「▲解脱の光輪」 はすなはちこれ解脱。
「法身」以下ハ次ニ就テ↢光明ニ↡嘆ズ↢種々ノ徳ヲ↡。嘆ズル↢光明ヲ↡中ニ先ヅ約ス↢三徳ニ↡。「法身ノ光輪ハ」即是法身、「智恵ノ光明ハ」是約ス↢般若ニ↡。「解脱ノ光輪ハ」即是解脱。
「▲離有無」 とは、 有無はすなはちこれ断常の二見、 この二によるがゆゑに生死を出でず。 しかるにもろもろの凡夫これを離れずといへども、 いまこの名号は中道実相、 清浄無生の深法なるがゆゑに、 この名号を称すれば仏の願力によりてかならず光触を蒙る。 光触を蒙る者は自然に有無の迷妄を遠離す。 これはこれ光明照触の力なり。
「離有無ト」者、有无ハ即是断常ノ二見、依ガ↢此ノ二ニ↡故ニ不↠出↢生死ヲ↡。而ニ諸ノ凡夫雖↠不ト↠離↠之ヲ、今此ノ名号ハ中道1219実相、清浄無生ノ之深法ナルガ故ニ、称スレバ↢此ノ名号ヲ↡依テ↢仏ノ願力ニ↡必蒙ル↢光触ヲ↡。蒙ル↢光触ヲ↡者ハ自然ニ遠↢離ス有無ノ迷妄ヲ↡。此ハ是光明照触ノ力也。
▲「聞光」 とらは、 摂取の光益を聞く力によりて心々相続してかならず生ずること疑ひなし。 もし自力に約すれば間断ありといへども、 もし他力に約すれば信心相続す。 これすなはち聞光力のゆゑなり。
「聞光ト」等者、由テ↧聞ク↢摂取ノ光益ヲ↡之力ニ↥心々相続シテ必生ズルコト無シ↠疑。若シ約スレバ↢自力ニ↡雖↠有ト↢間断↡、若シ約スレバ↢他力ニ↡信心相続ス。是則聞光力ノ之故也。
▲「其光」 とらは、 かの如来の大智慧海より生ずるところの光なるがゆゑに、 仏を除きて外はその測るところにあらず。 ¬大経¼ (巻下) に説きて 「▲二乗非所測、 唯仏独明了」 といふ。 けだしこの義なり。
「其光ト」等者、自↢*彼ノ如来ノ大智恵海↡所ノ↠生ズル光ナルガ故ニ、除テ↠仏ヲ之外ハ非ズ↢其ノ所ニ↟測。¬大経ニ¼説テ云↢「二乗非所測、唯仏独明了ト」↡。蓋シ此ノ義也。
「▲乃至」 といふは、 この中間において除くところ一百五十行なり。
言↢「乃至ト」↡者、於テ↢此ノ中間ニ↡所↠除ク一百五十行也。
【26】▲「本師」 とらは、 この文の始めより 「生安楽」 に至るまで、 別して龍樹を讃ず。 讃主はもとこれ四論の高徳、 後に浄土宗なり。 龍樹菩薩は千部の論師、 八宗の高祖、 承けるところの二宗ともに大祖となす。 ゆゑに別して讃ず。
「本師ト」等者、自↢此ノ文ノ始↡至マデ↢「生安楽ニ」↡、別シテ讃ズ↢龍樹ヲ↡。讃主ハ本是四論ノ高徳、後ニ浄土宗ナリ。龍樹菩薩ハ千部ノ論師、八宗ノ高祖、所ノ↠承ル二宗共ニ為ス↢大祖ト↡。故ニ別シテ讃ズ也。
「▲理頽綱」 とは、 頽きなんと欲する仏法の綱要を興すことを嘆ず。 「▲邪扇」 といふは、 外道の見を指す。 「▲開正轍」 とは、 これ仏法の正徹を開闡することを顕す。 「正徹」 といふは、 すなはち正道なり。 その正道において総別の意あり。 総じては一代に被らしむ、 龍樹広く諸宗の祖たるがゆゑに。 別して浄土を指す、 往生安楽かれの本意なるがゆゑに。
「理頽綱ト」者、嘆ズ↠興コトヲ↢欲スル↠頽ナントカタブキ 仏法ノ綱要ヲ↡。言↢「邪扇ト」↡者、指ス↢外道ノ見ヲ↡。「開正轍ト」者、是顕ス↣開↢闡スルコトヲ仏法ノ正徹ヲ↡。言↢「正徹ト」↡者、即正道也。於テ↢其ノ正道ニ↡有リ↢総別ノ意↡。総ジテハ被シム↢一代ニ↡、龍樹広ク為ガ↢諸宗ノ祖↡故ニ。別シテ指ス↢浄土ヲ↡、往生安楽彼ノ本意ナルガ故ニ。
▲「伏承」 とらは、 いま 「尊語」 といふ。 この義のごとくならば、 この語といふは釈迦尊の語、 仏語を伏承する意ならくのみ。 ある本には 「尊悟」 、 「語」 と 「悟」 と異なり。 もし 「悟」 の本によらば、 いはく尊に伏承す。 「悟」 とはこれ歓喜地を悟るなり。
「伏承ト」等者、今云フ↢「尊語ト」↡。如ナラ↢此ノ義ノ↡者、言↢此ノ語ト↡者釈迦尊ノ語、伏↢承スル仏語ヲ↡之意ナラク而已。或本ニハ「尊悟」、「語ト」与 ト ↠「悟」異ナリ。若シ依ラバ↢「悟ノ」本ニ↡、謂ク伏↢承ス尊ニ↡。「悟ト」者是悟↢歓喜地ヲ↡也。
▲「我従」 とらは、 これより以下総結の意なり。 文の初めより 「滞三途」 に至るまでは、 これ流転生死の長遠なることを顕し、 兼ねて諸趣の業繋截りがたきことを述ぶ。 ▲「唯願慈光」 以下の二句はまづ自利に約して仏の摂受を請ふ。 ▲「我讃仏慧」 以下の六句は次に利他に約してあまねくみな回向す。 ▲「南無不可」 以下の二句はまた別して弥陀如来を礼讃す。
「我従ト」等者、自↠此已下総結ノ意也。自↢文ノ之初↡至マデハ↢「滞三1220途ニ」↡、是顕シ↢流転生死ノ長遠ナルコトヲ↡、兼テ述ブ↢諸趣ノ業繋難キコトヲ↟截リ。「唯願慈光」以下ノ二句ハ先ヅ約シテ↢自利ニ↡請フ↢仏ノ摂受ヲ↡。「我讃仏恵」以下ノ六句ハ次ニ約シテ↢利他↡普皆廻向ス。「南無不可」以下ノ二句ハ又別シテ礼↢讃ス弥陀如来ヲ↡。
▲「十方三世」 以下の四句は道同の理によりて総じて諸仏を礼す。 ▲「我帰阿弥」 以下の二句は一仏を讃ずるに徳十方に遍ぜんことを願ず。 また弥陀一仏に帰命すればすなはちあまねく十方一切の諸仏に帰する理ある義あり。 ▲「如是十方」 以下の二句はその道理を憶ひてことごとく礼敬するなり。
「十方三世」以下ノ四句ハ依テ↢道同ノ理ニ↡総ジテ礼ス↢諸仏ヲ↡。「我帰阿弥」以下ノ二句ハ願ズ↧讃ズルニ↢一仏ヲ↡徳遍ゼンコトヲ↦十方ニ↥。又有リ↩帰↢命スレバ弥陀一仏ニ↡乃チ有ル↧遍ク帰スル↢十方一切ノ諸仏ニ↡理↥義↨。「如是十方」以下ノ二句ハ憶テ↢其ノ道理ヲ↡咸ク礼敬スル也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・「玄義分」文
【27】▲次に大師の釈、 「玄義」 二乗門の釈なり。
次ニ大師ノ釈、「玄義」二乗門ノ之釈也。
問ふ。 かの釈の初めに 「▲第六会通二乗種不生義者」 (玄義分) といふ一十一字あり。 いまかの標を略する、 なんの意かあるや。
問。彼ノ釈ノ初ニ有リ↧云フ↢「第六会通二乗種不生義者ト」↡一十一字↥。今略スル↢彼ノ標ヲ↡、有↢何ノ意カ↡耶。
答ふ。 当章の中に五番の問答あり。 中において初めの三は身土の義を明かし、 後の二の問答はまさしく二乗種不生の義を明かす。 いまは身土を明かすゆゑに初めの三を引きて後の二番を略す。 いまの標はまさしく後の二番に被らしむるがゆゑに、 その文を除くによりてその標を除くなり。
答。当章ノ中ニ有リ↢五番ノ問答↡。於テ↠中ニ初ノ三ハ明シ↢身土ノ義ヲ↡、後ノ二ノ問答ハ正ク明ス↢二乗種不生ノ義ヲ↡。今ハ明ス↢身土ヲ↡故ニ引テ↢初ノ三ヲ↡略ス↢後ノ二番ヲ↡。今ノ標ハ正ク被シムルガ↢後ノ二番ニ↡故ニ、依テ↠除クニ↢其ノ文ヲ↡除↢其ノ標ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ Ⅰ 第一番
【28】▲「問曰」 以下はこれ正釈なり。 いまの問答は第一番なり。
「問曰」已下ハ是正釈也。今ノ問答者第一番也。
▲「弥陀」 とらは、
「弥陀ト」等者、
問ふ。 仏に三身あり、 すなはち法報応なり。 なんぞ法身を除きて報化を問ふや。 また三身によらば応の中に化を摂す。 もし四身によらば応の外に化を立つ。 なんぞ応といはずしてただちに化といふや。
問。仏ニ有リ↢三身↡、即法報応ナリ。何ゾ除テ↢法身ヲ↡問↢報化ヲ↡耶。又依ラバ↢三身ニ↡応ノ中ニ摂ス↠化ヲ。若シ依ラバ↢四身ニ↡応ノ外ニ立ツ↠化ヲ。何ゾ不シテ↠言↠応ト直ニ云↠化ト耶。
答ふ。 三身・四身・二身・一身、 開合の不同にして実に増減せず。 法身および土はその名相を離る。 その三身相即の理によるがゆゑに報化の身をいふにかならず法応を具す。 しばらく合の門によりて報化の身を立つ。 浄土宗の意は指方立相にして、 法を報に属するがゆゑに別してこれを挙げず、 応と化と同じ。 ゆゑに報化を挙げてその義、 足りぬとなす。 真に法報を含し化に応身を摂す。 この義辺に約して報化といふ。 いはんやまた古今諸師の異解、 みな報化にあり。 ゆゑにいままた同じ。
答。三身・四身・二身・一身、開合ノ不同ニシテ実ニ不↢増減セ↡。法身及ビ土ハ離ル↢其ノ名相ヲ↡。依ガ↢其ノ三身相即ノ理ニ↡故ニ言ニ↢報化ノ身ヲ↡必1221具ス↢法応ヲ↡。且ク依テ↢合ノ門ニ↡立ツ↢報化ノ身ヲ↡。浄土宗ノ意ハ指方立相ニシテ、法ヲ属スルガ↠報ニ故ニ別シテ不↠挙↠之ヲ、応ト与 ト ↠化同ジ。故ニ挙ニ↢報化ヲ↡其ノ義為ス↠足ヌト。真ニ含シ↢法報ヲ↡化ニ摂ス↢応身ヲ↡。約シテ↢此ノ義辺ニ↡言↢報化ト↡也。況又古今諸師ノ異解、皆在リ↢報化ニ↡。故ニ今又同ジ。
問ふ。 諸師の異解その義いかん。
問。諸師ノ異解其ノ義如何。
答ふ。 天台は判じて応身・応土となす浄影これに同じ。 嘉祥師は江南・北地の人師の所解を挙げて報土の義を出だす。 綽公また報身・報土と判ず。 慈恩の意のいはく、 正は報土となし兼ねては化土に通ず。 これらの義古来の異途なり。 このゆゑに大師古今を楷定して唯報非化の義を定判するなり。
答。天臺ハ判ジテ為ス↢応身・応土ト↡浄影同ジ↠之ニ。嘉祥師ハ挙テ↢江南・北地ノ人師ノ所解ヲ↡出ス↢報土ノ義ヲ↡。綽公又判ズ↢報身・報土ト↡。慈恩ノ意ノ言ク、正ハ為↢報土↡兼テハ通ズ↢化土ニ↡。此等ノ之義古来ノ異途ナリ。是ノ故ニ大師楷↢定シテ古今ヲ↡定↢判唯報非化ノ義ヲ↡也。
▲「如大乗」 の下は証を引きて義を成ず。 これに三経あり、 その経、 文のごとし。 初めの ¬経¼ は名を証す、 ▲次の ¬経¼ は義を証す、 ▲後の ¬経¼ は通じて両経の意を成ず。
「如大乗ノ」下ハ引テ↠証ヲ成ズ↠義ヲ。此ニ有↢三経↡、其ノ経如シ↠文ノ。初ノ¬経ハ¼証ス↠名ヲ、次ノ¬経ハ¼証ス↠義ヲ、後ノ¬経ハ¼通ジテ成ズ↢両経ノ之意ヲ↡。
「▲同性経」 は、 上下二巻、 闍那耶舎三蔵の訳なり。
「同性経」者、上下二巻、闍那耶舎三蔵ノ訳也。
かの下巻 (大乗同性経意) にいはく、 「その時に世尊自仏の刹を現ず。 かくのごときの仏刹功徳厳浄なり、 身清浄なり、 衆清浄なり。 仏ののたまはく、 これはこれ仏の初地なり、 また阿弥陀如来・蓮華開敷星王如来・龍主王如来・宝徳如来あり。 かくのごときらの清浄仏刹所得道の者あり、 かのもろもろの如来は初めの仏地を得たまへり。 この地の中にありてこの神通をなす。 わが今日の神通のごとくして異なることなし。 乃至
彼ノ下巻ニ云ク、「爾ノ時ニ世尊現ズ↢自仏ノ刹ヲ↡。如ノ↠是ノ仏刹功徳厳浄ナリ、身清浄ナリ、衆清浄ナリ。仏ノ言ハク、此ハ是仏ノ之初地ナリ、復有↢阿弥陀如来・蓮花開敷星王如来・龍主王如来・宝徳如来↡。有リ↢如↠是ノ等ノ清浄仏刹所得道ノ者↡、彼ノ諸ノ如来ハ得タマヘリ↢初ノ仏地ヲ↡。在テ↢此ノ地ノ中ニ↡作ス↢是ノ神通ヲ↡。如クシテ↢我ガ今日ノ神通ノ↡無シ↠異コト。 乃至
海妙深持自在智通菩薩また仏に問ひてまうさく、 世尊仏身にいくばくの種かある。 仏ののたまはく、 善丈夫、 略して説くに三あり。 なんらをか三とする。 一には報、 二には応、 三には真身なり。 乃至
海妙深持自在智通菩薩復問テ↠仏ニ言サク、世尊仏身ニ幾ノ種カアル。仏ノ言ハク、善丈夫、略シテ説ニ有リ↠三。何等ヲカ為ル↠三ト。一者報、二者応、三者真身ナリ。 乃至
世尊、 何者をか名づけて如来の報とする。 仏ののたまはく、 善丈夫、 もしかの仏の報を見んと欲はば、 なんぢいままさに知るべし、 今日我を見よ、 現にもろもろの如来清浄仏刹にして、 現に得道する者、 まさに得道すべき者、 かくのごときの一切すなはちこれ報身なり。 乃至
世尊何者ヲカ名テ為ル↢如1222来ノ報ト↡。仏ノ言ハク、善丈夫、若シ欲↠見ント↢彼ノ仏ノ報ヲ↡者、汝今当↠知、今日見ヨ↠我ヲ、現ニ諸ノ如来清浄仏刹ニシテ、現ニ得道スル者、当ニキ↢得道ス↡者、如ノ↠是ノ一切即是報身ナリ。 乃至
世尊、 何者をか名づけて如来の応身とする。 仏ののたまはく、 善丈夫、 なほし今日の踊歩健如来・魔恐怖如来・大慈意如来のごとし。 かくのごときらの一切あり、 かの如来穢濁世の中にして現に成仏する者、 まさに成仏すべき者、 如来影現して兜率天より乃至一切の正法・一切の像法・一切の滅法を住持す。 善丈夫、 なんぢいままさに知るべし、 かくのごときの化事みなこれ応身なり。」 以上
世尊何者ヲカ名テ為ル↢如来ノ応身ト↡。仏ノ言ハク、善丈夫、猶シ若シ↢今日ノ踊歩健如来・魔恐怖如来・大慈意如来ノ↡。有リ↢如↠是等ノ一切↡、彼ノ如来穢濁世ノ中ニシテ現ニ成仏スル者、当ニキ↢成仏ス↡者、如来影現シテ従↢兜率天↡乃至住↢持ス一切ノ正法・一切ノ像法・一切ノ滅法ヲ↡。善丈夫、汝今当ニ↠知、如ノ↠是ノ化事皆是応身ナリ。」 已上
この下に仏の真法身を説くといへどもいまの所論にあらず、 ゆゑにこれを載せず。 この ¬経¼ の中に浄土の中にして成仏するはことごとくこれ報身なりと説きて、 随ひて阿弥陀以下の如来を出だす。 また穢土成道の如来はことごとくこれ応身なりと説きてまた仏名を挙ぐ。 ゆゑにこの ¬経¼ を引きて報身を証するなり。
此ノ下ニ雖↠説ト↢仏ノ真法身ヲ↡非ズ↢今ノ所論ニ↡、故ニ不↠載↠之ヲ。此ノ¬経ノ¼之中ニ説テ↢浄土ノ中ニシテ成仏スルハ悉ク是報身ナリト↡、随テ出ス↢阿弥陀以下ノ如来ヲ↡。又説テ↢穢土成道ノ如来ハ悉ク是応身ナリト↡又挙グ↢仏名ヲ↡。故ニ引テ↢此ノ¬経ヲ¼↡証↢報身ヲ↡也。
¬大経¼ を引く中に ▲「法蔵」 とらは、 行菩薩道は総の願行に約し、 四十八願は別の願行に約す。 しかれども総の願行は別願を成ぜんがためなり。 ゆゑに 「▲酬因」 とは総別に亘るといへども、 その本意に就きて称して別願酬因の身といふ。
引ク↢¬大経ヲ¼↡中ニ「法蔵ト」等者、行菩薩道ハ約シ↢総ノ願行ニ↡、四十八願ハ約ス↢別ノ願行ニ↡。然モ総ノ願行ハ為ナリ↠成ゼンガ↢別願ヲ↡。故ニ「酬因ト」者雖↠亘ト↢総別ニ↡、就テ↢其ノ本意ニ↡称シテ曰↢別願酬因ノ身ト↡也。
▲「一々」 とらは、
「一々ト」等者、
問ふ。 所引の文は第十八なり、 一々の言その義いかん。
問。所引ノ文者第十八也、一々ノ之言其ノ義如何。
答ふ。 第十八の願これを願王となす。 これすなはち衆生生因の願なるがゆゑに、 余の四十七はみな欣慕の願なり。 一々の願の中に随一・随二欣慕の機ありて願生の心を発さば、 一々に生因の願に帰すべきがゆゑに、 一々の願みな第十八の願を離るべからざるをもつて、 ゆゑに一々といいひてしかもこの願を引く、 まことにゆゑあるかな。
答。第十八ノ願為ス↢之ヲ願王ト↡。是則衆生々因ノ願ナルガ故ニ、余ノ四十七ハ皆欣慕ノ願ナリ。一々ノ願ノ中ニ随一・随二有テ↢欣慕ノ機↡発サバ↢願生ノ心ヲ↡、一々ニ可ガ↠帰ス↢生因ノ願ニ↡故ニ、以テ↢一々ノ願皆不ルヲ↟可ラ↠離ル↢第十八ノ願ヲ↡、故ニ言テ↢一々ト↡而モ引ク↢此ノ願ヲ↡、良1223ニ有カナ↠以矣。
▲「称我」 とらは、
「称我ト」等者、
問ふ。 願文の中に 「称我名号」 の言なしといへどもことさらにもつてこれを加へ、 「至心信楽」 (大経巻上) の説ありといへどもことさらにもつてこれを除く、 その意いかん。
問。願文ノ之中ニ雖↠无↢「称我名号ノ」之言↡故ニ以テ加ヘ↠之ヲ、雖↠有ト↢「至心信楽ノ」之説↡故ニ以テ除ク↠之ヲ、其ノ意如何。
答ふ。 除くところ加ふるところともにこれ妄ならず、 いはゆる彼此一なることを顕さんがためなり。 いはくこの三信、 仏の名号を称して往生を願ずる外にさらに異途なし。 その意いかんとなれば、 至心信楽はこれなんらをか信ずる。 余法を信ぜず、 ただこの法を楽ひて一心に別意の弘願に帰依してただ名号を称す。 その称名とはこれ仮名にあらず。 至心信楽、 帰命の念、 称名・信心さらにあひ離せず、 影略互顕してこの義を示す。
答。所↠除所↠加フル共ニ是不↠妄ナラ、所謂為↠顕ンガ↢彼此一ナルコトヲ↡也。謂ク此ノ三信、称シテ↢仏ノ名号ヲ↡願ズル↢往生ヲ↡外ニ更ニ无シ↢異途↡。其ノ意何ト者、至心信楽ハ是信ズル↢何等ヲカ↡。不↠信ゼ↢余法ヲ↡、唯楽テ↢此ノ法ヲ↡一心ニ帰↢依シテ別意ノ弘願ニ↡唯称ス↢名号ヲ↡。其ノ称名ト者是非ズ↢仮名ニ↡。至心信楽、帰命之念、称名・信心更ニ不↢相離セ↡、影略互顕シテ示ス↢此ノ義ヲ↡也。
▲「今既」 とらは、 まさしく別願酬因の義をもつて報の義を証するなり。
「今既ト」等者、正ク以テ↢別願酬因ノ之義ヲ↡証スル↢報ノ義ヲ↡也。
¬観経¼ を引く中に、 ▲「然報」 以下はこれまさしく能与は報身、 所与は仮身なり、 このゆゑに本仏は報身たることを釈成するなり。
引ク↢¬観経ヲ¼↡中ニ、「然報」以下ハ是正ク釈↣成スル能与ハ報身、所与ハ仮身ナリ、是ノ故ニ本仏ハ為コトヲ↢報身↡也。
そもそもこの三経次第して義を成ず。 しかるゆゑは、 疑者ありていはく、 前の ¬同性経¼ にその名を説くといへども、 かの説相は余教所説の三身同証の仏の相なり、 いまの仏に関らずと。 この疑を遣らんがために、 次に ¬大経¼ を引きてこれ常途の三身の中の報にしてしかも別願に酬ひて成ずるところの身なることを顕すなり。 彼此対論するに同あり異あり、 不二而二なり、 不一にして一なり。 ここにまた疑ひていはく、 かの ¬大経¼ には凡夫を引摂すと説く、 知んぬ化身なるべし。 この疑を蕩らんがために次に ¬観経¼ を引きて、 この経にまさしく能与・所与を説く。 あきらかに知んぬ、 能与の本身はこれ報なり。 ゆゑにこの ¬観経¼ は上の両経所説の義を助くらくのみ。 かくのごとく鉤鎖してその義を顕すなり。
抑此ノ三経次第シテ成ズ↠義ヲ。所↢以然ル↡者、有テ↢疑者↡云ク、前ノ¬同性経ニ¼雖↠説ト↢其ノ名ヲ↡、彼ノ説相者余教所説ノ三身同証ノ之仏ノ相也、不ト↠関カラ↢今ノ仏ニ↡。為ニ↠遣ンガ↢此ノ疑ヲ↡、次ニ引テ↢¬大経ヲ¼↡是顕↧常途ノ三身ノ中ノ報ニシテ而モ酬テ↢別願ニ↡所ノ↠成ズル身ナルコトヲ↥也。彼此対論スルニ有リ↠同有リ↠異、不二而二ナリ、不一ニシテ而一ナリ。爰又疑テ云ク、彼ノ¬大経ニハ¼説ク↣引↢摂スト凡夫ヲ↡、知ヌ可シ↢化身ナル↡。為ニ↠蕩ンガ↢此ノ疑ヲ↡次ニ引テ↢¬観経ヲ¼↡、此ノ経ニ正ク説ク↢能与・所与ヲ↡。明知ヌ、能与ノ本身ハ是報ナリ。故此ノ¬観経ハ¼助クラク↢上ノ両経所説ノ義ヲ↡耳。如ク↠此ノ鉤鎖シテ顕↢其ノ義ヲ↡也。
▲「しかれども報応」 の下は他師の解を破す。 この釈の意第二の身をもつて報といひ応といふ、 経論の異説なり。 この中に ¬摂論¼ に第二の身に応身の名を立つるあり、 これ報身なり。 ▽しかるに浄影師の ¬観経の疏¼ の中に弥陀の身を明かすに、 応身の名に就きてかの身を判じて八相現成となす。 すなはち弥陀をもつてその能与となし、 所与の仏をもつてすなはち無而欻有の身となす。 この解を破せんがためにこの釈を設く。
「然モ報応ノ」下ハ破ス↢他師ノ解ヲ↡。此ノ釈ノ之意以テ↢第二ノ身ヲ↡云1224ヒ↠報ト云フ↠応ト、経論ノ異説ナリ。此ノ中ニ¬摂論ニ¼有リ↣第二ノ身ニ立ル↢応身ノ名ヲ↡、是報身也。而ニ浄影師ノ¬観経ノ疏ノ¼中ニ明ニ↢弥陀ノ身ヲ↡、就テ↢応身ノ名ニ↡彼ノ身ヲ判ジテ為ス↢八相現成ト↡。即以テ↢弥陀ヲ↡為シ↢其ノ能与ト↡、以テ↢所与ノ仏ヲ↡即為ス↢无而欻有ノ之身ト↡。為ニ↠破サンガ↢此ノ解ヲ↡設↢此ノ釈ヲ↡也。
▲「前翻」 とらは、 ¬摂大乗論¼ はこれ無著の造、 三代の訳あり、 後魏と梁と隋となり。 前後といふは、 これに二義あり。 一には魏梁相対、 二には梁隋相対なり。
「前翻ト」等者、¬摂大乗論ハ¼是无著ノ造、有リ↢三代ノ訳↡、後魏ト梁ト隋トナリ。言↢前後ト↡者、此ニ有リ↢二義↡。一ニハ魏梁相対、二ニハ梁隋相対ナリ。
問ふ。 三代の所対その義いかん。
問。三代ノ所対其ノ義如何。
答ふ。 一には後魏の仏陀扇多の所訳、 上下二巻。 かの ¬論¼ に仏の三身を明かすに、 列ねて真身・報身・応身といふ。 上下巻の説、 説相これ同じ。
答。一ニハ後魏ノ仏陀扇多ノ所訳、上下二巻。彼ノ¬論ニ¼明ニ↢仏ノ三身ヲ↡、列テ云フ↢真身・報身・応身ト↡。上下巻ノ説、説相是同ジ。
二には梁の真諦の訳、 分ちて三巻となす。 上には自性・応身・化身と説き、 下には自性・受用・変化といふ。
二ニハ梁ノ真諦ノ訳、分テ為ス↢三巻ト↡。上ニハ説キ↢自性・応身・化身ト↡、下ニハ云↢自性・受用・変化ト↡。
三には隋の笈多の訳、 天親の ¬釈論¼ これ十巻なり。 その所説とは、 自性・受用・化身これなり。 もし魏梁を対してその意を得れば、 前の翻の魏論にいふところの報をば、 後の翻の梁論にこれをもつて応となし、 後の翻の梁論にいふところの応をば、 前の翻の魂論にはこれを報とす。 もし梁隋を対してその意を得れば、 前の梁論の中には報を翻じて応となし、 後の隋論の中には応を翻じて報となす。 かくのごとく解すべし。
三ニハ隋ノ笈多ノ訳、天親ノ¬釈論¼是十巻也。其ノ所説ト者自性・受用・化身是也。若対シテ↢魏梁ヲ↡得↢其ノ意ヲ↡者、前ノ翻ノ魏論ニ所ノ↠言之報ヲバ、後ノ翻ノ梁論ニ以テ↠之ヲ為シ↠応ト、後ノ翻ノ梁論ニ所ノ↠言フ之応ヲバ、前ノ翻ノ魂論ニハ是ヲ為↠報ト也。若シ対シテ↢梁隋ヲ↡得↢其ノ意ヲ↡者、*前ノ梁論ノ中ニハ翻ジテ↠報ヲ為シ↠応ト、後ノ隋論ノ中ニハ翻ジテ↠応ヲ作↠報ト。如ク↠此ノ可シ↠解ス。
いま 「▲報となす」 とは受用身なり、 「作」 とは為なり。
今「作スト↠報ト」者受用身也、「作ト」者為也。
▲「凡言」 とらは、 これ報の義を釈す。
「凡言ト」等者、是釈ス↢報ノ義ヲ↡。
▲「又三」 とらは、 これ応の義を釈す。 報といひ応といふ、 ともにこれ酬因感果の義なり。 これすなはち眼目異名の義を釈成すらくのみ。
「又三ト」等者、是釈ス↢応ノ義ヲ↡。云ヒ↠報ト云↠応ト、共ニ是酬因感果ノ之義也。是則釈↢成スラク眼目異名ノ之義ヲ↡而已。
▲「過現」 とらは、 これ一切諸仏の所証三身を出でざることを明かす。
「過現ト」等者、此明ス↢一切諸仏ノ所証不コトヲ↟出↢三身ヲ↡。
▲「無窮」 とらは、 これ諸仏の八相現成はみなこれ第三の身の所摂なることを明かす。 いふこころは、 △遠所立の合真開応、 開真合応等の義門理に当らずとなり。
「无1225窮ト」等者、此明↢諸仏ノ八相現成ハ皆是第三ノ身ノ所摂ナルコトヲ↡也。言心ハ、遠所立ノ合真開応、開真合応等ノ義門不ト↠当ラ↠理ニ也。
▲「今彼」 とらは、 この道理をもつてまさしく是報非化の義を結するなり。
「今彼ト」等者、以テ↢此ノ道理ヲ↡正ク結スル↢是報非化ノ義ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ Ⅱ 第二番
【29】▲「問曰既言報者」 とらは、 第二番なり。
「問曰既言報者」等者、第二番也。
「▲既言」 といふは、 すでに三経引証の明文を聞きて唯報非化の義を信伏す。 ただし ¬授記経¼ の所説違するがゆゑに、 かの ¬経¼ に説く涅槃に入る文を引きて問難を致す。
言↢「既言ト」↡者、既ニ聞テ↢三経引証ノ明文ヲ↡信↢伏ス唯報非化ノ之義ヲ↡。但シ¬授記経ノ¼所説違スルガ故ニ、引テ↧彼ノ¬経ニ¼説ク入ル↢涅槃ニ↡文ヲ↥致↢問難ヲ↡也。
問ふ。 ¬授記経¼ に入涅槃の義を説く、 その説いかん。
問。¬授記経ニ¼説ク↢入涅槃ノ義ヲ↡、其ノ説如何。
答ふ。 かの『経¼ に説きていはく、 「阿弥陀仏、 寿命無量百千億劫にしてまさに終極あるべし。 善男子、 当来曠遠不可計劫に阿弥陀仏まさに般涅槃したまふべし。 般涅槃の後、 正法世に住すること仏の寿命に等し。 在世滅後度するところの衆生、 ことごとくみな同等ならん。 仏涅槃の後、 あるいは衆生の見仏せざる者あり。 もろもろの菩薩の念仏三昧を得るもののみありて常に阿弥陀仏を見たてまつる。
答。彼ノ¬経ニ¼説テ云ク、「阿弥陀仏、寿命無量百千億劫ニシテ当ニ↠有↢終極↡。善男子、当来曠遠不可計劫ニ阿弥陀仏当ニシ↢般涅槃シタマフ↡。般涅槃ノ後、正法住スルコト↠世ニ等シ↢仏ノ寿命ニ↡。在世滅後所ノ↠度スル衆生、悉ク皆同等ナラン。仏涅槃ノ後、或ハ有リ↧衆生ノ不ル↢見仏セ↡者↥。有テ↣諸ノ菩薩ノ得ルモノヽミ↢念仏三昧ヲ↡常ニ見タテマツル↢阿弥陀仏ヲ↡。
また次に善男子、 かの仏の滅後に一切の宝物・浴池・蓮華・衆宝・行樹常に法音を演ぶること仏と異なることなし。 善男子、 阿弥陀仏正法滅後、 中夜の分を過ぎて、 明相出でん時、 観世音菩薩、 七宝菩提樹下にして結跏趺坐して、 等正覚を成ずべし。 普光功徳山王如来と号せん。」 以上 これその文なり。
復次ニ善男子、彼ノ仏ノ滅後ニ一切ノ宝物・浴池・蓮*花・衆宝・行樹常ニ演コト↢法音ヲ↡与↠仏無シ↠異ナルコト。善男子、阿弥陀仏正法滅*後過テ↢中夜ノ分ヲ↡明相出デン時、観世音菩薩、於テ↢七宝菩提樹下ニ↡結跏趺坐シテ、成ズベシ↢等正覚↡。号セン↢普光功徳山王如来ト↡。」 已上 是其ノ文也。
▲「答曰」 とらは、 問は ¬授記¼ によりてその疑難を致す、 答は ¬大品¼ によりてその疑問を会す。 この答の中において、 文を分ちて四となす。
「答曰ト」等者、問ハ依テ↢¬授記ニ¼↡致ス↢其ノ疑難ヲ↡、答ハ依テ↢¬大品ニ¼↡会ス↢其ノ疑問ヲ↡。於テ↢此ノ答ノ中ニ↡分テ↠文ヲ為ス↠四ト。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ Ⅱ ⅰ 約実理
一に▲文の始めより 「能知也」 に至るまでは、 これ実理に約す。 また凡師に準じて卑謙の詞を述ぶ。
一ニ自↢文ノ之1226始↡至マデハ↢「能知也ニ」↡、是約ス↢実理ニ↡。亦准ジテ↢凡師ニ↡述ブ↢卑謙ノ詞ヲ↡。
古来の人師この経説を看て応身の解をなす。 種々の異論その理に当らず。 ゆゑに 「▲ただこれ諸仏の境界なり」 といひ、 また 「▲小凡たやすくよく知らんや」 といふなり。
古来ノ人師看テ↢此ノ経説ヲ↡作ス↢応身ノ解ヲ↡。種々ノ異論不↠当ラ↢其ノ理ニ↡。故ニ云ヒ↢「唯是諸仏ノ境界ナリト」↡、又云↢「小凡輙ク能ク知ランヤト↡也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ Ⅱ ⅱ 引経意
二に ▲「雖然」 といふより 「為明証」 に至るまでは、 ¬経¼ を引く意を宣ぶ。
二ニ自リ↠言↢「雖然ト」↡至マデハ↢「為明証ニ」↡、宣ブ↢引ク↠¬経ノ¼意ヲ↡。
「▲必欲知」 とは、 問を設け答を設くる、 おのおの二の意あり。 一にはひとへに貢高・勝他・破法・邪執の心をもつて問ふ。 これはすべからく答ふべからず。 二にはただちに聞法・開解・得益・結縁のためにして問ふ。 これはすなはち答ふべし。 いま後の問のために証を引かんと欲ふ。 ゆゑに 「欲知」 といふ。
「必欲知ト」者、設ケ↠問ヲ設ル↠答ヲ、各有リ↢二ノ意↡。一ニハ偏ニ以テ↢貢高・勝他・破法・邪執ノ心ヲ↡問フ。是ハ不↠須クカラ↠答フ。二ニハ直ニ為ニシテ↢聞法・開解・得益・結縁ノ↡而問フ。此ハ即応シ↠答。今為ニ↢後ノ問ノ↡欲↠引ント↠証ヲ也。故ニ云フ↢「欲知ト」↡。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ Ⅱ ⅲ 正引文
三に ▲「何者」 以下はまさしき引文なり。
三ニ「何者」已下ハ正キ引文也。
問ふ。 所引の本経の正文には題して (大品経巻二六意) 「↓涅槃如化」 といふ、 なんぞ 「▲↓非化」 といふ。
問。所引ノ本経ノ正文ニハ題シテ云フ↢「涅槃如化ト」↡、何ゾ云↢「非化ト」↡。
答ふ。 当品 (大智度論巻九六釈涅槃如化品) の中に涅槃の理を説くに、 初めには 「非化」 と説き 「後」 には如化と説く。 ¬経¼ は後の題に従へ、 釈は初めの標に就く。 経釈の両題始終違せず。 おほよそ問の中に ¬授記経¼ を引く意は、 すでに報身常住の義を挙げてしかも弥陀入滅の文証を出だす。 これ報身土にあらずといはんがためなり。 しかるにいま答の意は ¬大品経¼ を引きて、 もし非化に約せば入滅難からず、 もし如化に約せば入滅の義なし。 ゆゑにこれ報身たりといへども随宜の入滅なきにあらず。 しかりといひて報身の義を妨ぐべからず。 この義を存ずるがゆゑに両の意ある中に、 非化の義によりてかくのごとく題するなり。
答。当品ノ之中ニ説ニ↢涅槃ノ理ヲ↡、初ニハ説キ↢「非化ト」↡後ニ説ク↢「如化ト」↡。¬経ハ¼従ヘ↢後ノ題ニ↡、釈ハ就ク↢初ノ標ニ↡。経釈ノ両題始終不↠違セ。凡ソ問ノ中ニ引ク↢¬授記経ヲ¼↡意ハ、既ニ挙テ↢報身常住ノ之義ヲ↡而モ出ス↢弥陀入滅ノ文証ヲ↡。是為↠謂ンガ↠非ト↢報身土ニ↡也。而ニ今答ノ意ハ引テ↢¬大品経ヲ¼↡、若シ約セバ↢非化ニ↡入滅不↠難カラ、若シ約セバ↢如化ニ↡无シ↢入滅ノ義↡。故ニ是雖↠為ト↢報身↡非ズ↠无ニ↢随宜ノ入滅↡。不↠可↣謂テ↠爾ト妨グ↢報身ノ義ヲ↡。存ガ↢此ノ義ヲ↡故ニ有ル↢両ノ意↡中ニ、依テ↢非化ノ義ニ↡如ク↠此ノ題スル也。
所引の文の中に如来善吉をその所対となして問答するに七あり。
所引ノ文ノ中ニ如来善吉為シテ↢其ノ所対ト↡問答スルニ有リ↠七。
一
一に▲如来の問の中に、 「化人」 とらは、 能作の五陰もと自性なし、 ゆゑに実事なし。 所作の衆生、 五陰和合して仮に衆生と名づく、 ゆゑにみな空なり。 ▲善吉その皆空の理を領解す、 ゆゑに 「不也」 といふ。
一ニ如来ノ問ノ中ニ、「化人ト」等者、能作ノ五陰本无シ↢自性↡、故ニ无シ↢実事↡。所作ノ衆生、五陰和合シテ仮ニ名ク↢衆生ト↡、故ニ皆空也。善吉領↢解ス其1227ノ皆空ノ理ヲ↡、故ニ云↢「不也」↡。
二
二に▲仏の自説の中に挙ぐるところの 「色受想行識」 はこれ五陰の法、 いはゆるこれ世間の法を空ずるなり。 「一切種智」 はこれ仏智なり、 いはゆるこれ出世の法を空ずるなり。 出世の法において、 仏を除きて以外三乗の法あり。 これみな所空の法体たりといへどもいま略して挙げず、 ゆゑに 「↓乃至」 といふ。
二ニ仏ノ自説ノ中ニ所ノ↠挙ル之「色受想行識ハ」是五陰ノ法、所謂是空ズル↢世間ノ法ヲ↡也。「一切種智ハ」是仏智也、所謂是空ズル↢出世ノ法ヲ↡也。於テ↢出世ノ法ニ↡、除テ↠仏ヲ已外有リ↢三乗ノ法↡。是皆雖↠為ト↢所空ノ法体↡今略シテ不↠挙、故ニ云フ↢「乃至ト」↡。
三
三に▲善吉の問の意、 如来、 乃至種智みなこれ変化なりと説きたまふに就きて、 重ねて三乗所学の法を挙げてこれらの法ことごとく化なりやと尋ぬ。 すなはち上に略するところの諸法これなり。
三ニ善吉ノ問ノ意、就テ↣如来説タマフニ↢乃至種智皆是変化ナリト↡、重テ挙テ↢三乗所学ノ之法ヲ↡尋↢此等ノ法悉ク化ナリヤト耶↡也。乃上ニ所ノ↠略スル諸法是也。
問ふ。 「↑乃至」 の言の中にこれらの法を摂して重ねて挙ぐるに及ばず、 いかにいはんや一切種智すでにあきらかにこれを出だす。 なんぞいま重ねて仏世尊を問ふや。
問。「乃至ノ」言ノ中ニ摂シテ↢此等ノ法ヲ↡不↠及↢重テ挙ルニ↡、何ニ況ヤ一切種智既ニ明ニ出ス↠之ヲ。何今重テ問↢仏世尊ヲ↡耶。
答ふ。 乃至といふといへどもいまだその名を出ださず、 一々に所空の法体を聞かんがためにこれを問ふに失なし。 「▲世尊」 に至るは、 一切種智は仏の功徳の一なり、 これはこれ別なり。 いま総徳に就きてこれを問ふを異とす。
答。雖↠言↢乃至ト↡未ダ↠出サ↢其ノ名ヲ↡、一々ニ為ニ↠聞ンガ↢所空ノ法体ヲ↡問ニ↠之ヲ無シ↠失。至↢「世尊ニ」↡者、一切種智ハ仏ノ功徳ノ一ナリ、此ハ是別也。今就テ↢総徳ニ↡問フヲ↠之ヲ為↠異ト。
「▲四念処」 とは、 またはこれ念住、 慧をもつて体とす。 一には身念処、 身は不浄なりと観じて浄顛倒を破す。 二には受念処、 受はこれ苦なりと観じて楽顛倒を破す。 三には心念処、 心は無常なりと観じて常顛倒を破す。 四には法念処、 法は無我なりと観じて我顛倒を破す。 三賢の位なり。
「四念処ト」者、亦ハ是念住、以テ↠恵ヲ為ス↠体ト。一ニハ身念処、観ジテ↢身ハ不浄ナリト↡破ス↢浄顛倒ヲ↡。二ニハ受念処、観ジテ↢受ハ是苦也ト↡破ス↢楽顛倒ヲ↡。三ニハ心念処、観ジテ↢心ハ无常也ト↡破ス↢常顛倒ヲ↡。四ニハ法念処、観ジテ↢法ハ无我也ト↡破ス↢我顛倒ヲ↡。三賢ノ位也。
「▲四正勒」 とは、 一にはまた正断といふ。 一には已生の悪をして方便して断除せしむ。 二には未生の悪をして方便して生ぜざらしむ。 三には已生の善をして方便して増長せしむ。 四には未生の善をして方便して生ぜしむ。 煗法の位なり。
「四正勒ト」者、一ニハ亦云フ↢正断ト↡。一ニハ令 シム↢已生ノ悪ヲシテ方便シテ断除セ↡。二ニハ令 シム↢未生ノ悪ヲシテ方便シテ不ラ↟生ゼ。三ニハ令 シム↢已生 シム善ヲシテ方便シテ増長セ↡。四ニハ令 シム↢未生ノ善ヲシテ方便シテ而生ゼ↡。煗法ノ位也。
「▲四如意足」、 または神足といふ。 四神足とは、 一には欲神足、 欲をもつて主となして三摩地を得。 二には勤神足、 精進を主となして三摩地を得。 三には心神足、 心をもつて主となして三摩地を得。 四には観神足、 観をもつて主となして三摩地を得。 頂法の位なり。
「四如意足」、亦ハ云フ↢神足ト↡。四神足ト者、一ニハ欲神足、以テ↠欲ヲ為シテ↠主ト得↢三摩地ヲ↡。二ニハ勤神足、精進ヲ為シテ↠主ト得↢三摩地ヲ↡。三ニハ心神1228足、以テ↠心ヲ為シテ↠主ト得↢三摩地ヲ↡。四ニハ観神足、以テ↠観ヲ為シテ↠主ト得↢三摩地ヲ↡。頂法ノ位也。
「▲五根」 といふは、 一には信根、 信心強勝にして正道の法を信ず。 二には精進根、 正道の中において勤めて息せず。 三には念根、 善心増長して念々に失せず。 四には定根、 いはゆる心を摂して正道に在く。 五には慧根、 いはゆる分明に境を覚するゆゑなり。 忍法の位なり。
言↢「五根ト」↡者、一者信根、信心強勝ニシテ信ズ↢正道ノ法ヲ↡。二ニハ精進根、於テ↢正道ノ中ニ↡勤テ而不↠息セ。三者念根、善心増長シテ念々ニ不↠失セ。四者定根、所謂摂シテ↠心ヲ在ク↢正道ニ↡也。五者恵根、所謂分明ニ覚スル↠境ヲ故也。忍法ノ位也。
「▲五力」 といふは、 いはく前の五根の増長するこれなり。 これはこれ世第一法の位なり。
言↢「五力ト」↡者、謂ク前ノ五根ノ増長スル是也。此ハ是世第一法ノ位也。
「▲七覚分」 とは、 あるいはまたこれを称して七覚支といふ。 一には択法覚支、 いはく慧、 善悪の法を簡択するがゆゑに。 二には精進覚支、 いはゆる善法を勤修して退せず。 三には軽安覚支、 いはゆる身心よく調適するがゆゑに。 四には念覚支、 いはゆる憶念失せざるがゆゑなり。 五には捨覚支、 善法の中において平等に修習す。 六には定覚支、 善法の中において心散ぜざるがゆゑに。 七には喜覚支、 善法の中において勤楽修習す。
「七覚分ト」者、或ハ復称シテ↠之ヲ言フ↢七覚支ト↡。一ニハ択法覚支、謂ク恵簡↢択スルガ善悪ノ法ヲ↡故ニ。二ニハ精進覚支、所謂勤↢修シテ善法ヲ↡不↠退セ。三ニハ軽安覚支、所謂身心能ク調適スルガ故ニ。四者念覚支、所謂憶念不ガ↠失故也。五者捨覚支、於テ↢善法ノ中ニ↡平等ニ修習ス。六者定覚支、於テ↢善法ノ中ニ↡心不ガ↠散ゼ故ニ。七ニハ喜覚支、於テ↢善法ノ中ニ↡勤楽修習ス。
「▲八聖道分」、 あるいはまたこれを称して八正道支といふ。 一には正見、 いはゆる正直に四諦の理を見る。 二には正思惟、 四諦の理において法のごとく思惟す。 三には正語、 いはゆる正直に邪僻語を離る。 四には正業、 いはく悪業を滅して浄業に住するがゆゑに。 五には正命、 浄命自活して貪欲所生の三業を起さず。 六には正精進、 善法を勒修して懈怠せざるがゆゑに。 七には正念、 いはく無漏の念、 境を失せず。 八には正定、 いはく無漏の慧、 相応の定なり。 八正は見道、 七覚は修なり。
「八聖道分」、或ハ復称シテ↠之ヲ言フ↢八*正道支ト↡。一者正見、所謂正直ニ見ル↢四諦ノ理ヲ↡。二ニハ正思惟、於テ↢四諦ノ理ニ↡如ク↠法ノ思惟ス。三者正語、所謂正直ニ離ル↢邪僻語ヲ↡。四者正業、謂ク滅シテ↢悪業ヲ↡住スルガ↢浄業ニ↡故ニ。五者正命、浄命自活シテ不↠起サ↢貪欲所生ノ三業ヲ↡。六ニハ正精進、勒↢修シテ善法ヲ↡不ガ↢懈怠セ↡故ニ。七者正念、謂ク无漏ノ念不↠失セ↠境ヲ也。八者正定、謂ク无漏ノ恵、相応ノ定也。八正ハ見道、七覚ハ修也。
「四念処」 より 「八聖道」 に至るまで、 総じてこれを七科の道品となす。 七科を合して*三十七品菩提分法となす。 上来みなこれ二乗所修の法門等なり。
自↢「四念処」↡至マデ↢「八聖道ニ」↡、総ジテ而1229是ヲ為ス↢七科ノ道品ト↡。七科ヲ合シテ為ス↢三十七品菩提分法ト↡。上来皆是二乗所修ノ法門等也。
「▲三解脱門」 とは、 または三三昧といふ。 三昧といふは当体に名を得、 解脱といふは能通の用に従へてもつて名を立つ。 これはこれ菩薩所行の法なり。 一には空解脱門、 いはく諸法を空じ我我所を空ず。 二には無相解脱門、 いはく男女・色香等の相を離る。 三には無願解脱門、 いはく寂滅を求めて有為を願ぜず。
「三解脱門ト」者、亦ハ言フ↢三々昧ト↡。言↢三昧ト↡者当体ニ得↠名ヲ、言↢解脱ト↡者従ヘテ↢能通ノ用ニ↡以テ立↠名ヲ也。此ハ是菩薩所行ノ法也。一ニハ空解脱門、謂ク空ジ↢諸法ヲ↡空ズ↢我々所ヲ↡。二ニハ無相解脱門、謂ク離ル↢男女・色香等ノ相ヲ↡。三ニハ无願解脱門、謂ク求テ↢寂滅ヲ↡不↠願ゼ↢有為ヲ↡。
浄影遠師の ¬大経の疏¼ (巻上) にいはく、 「衆生および法ことごとく自性なし、 ゆゑに名づけて空となす。 乃至因縁の相またあらざるを説きて無相となす。 これは所取を離る。 妄想能願の心を遠離す、 ゆゑに無願と名づく。」 以上
浄影遠師ノ¬大経ノ疏ニ¼云、「衆生及ビ法悉ク无シ↢自性↡、故ニ名テ為ス↠空ト。乃至因縁ノ相亦不ルヲ↠有ラ説テ為ス↢无相ト↡。此ハ離ル↢所取ヲ↡。遠↢離ス妄想能願ノ之心ヲ↡、故ニ名ク↢无願ト↡。」 已上
また憬興師の同じき経の ¬疏¼ (述文賛巻中) にいはく、 「大涅槃に入らんと欲するにかならず三昧をもつて門となす、 ゆゑにひとへにこの三を説く。 ¬瑜伽論¼ にいふがごとし。 我法無なるがゆゑに空なり、 空なるがゆゑに無相なり、 無相なるがゆゑに願求すべからず。」 以上
又憬興師ノ同キ経ノ¬疏ニ¼云ク、「欲スルニ↠入ント↢大涅槃ニ↡必以テ↢三昧ヲ↡為ス↠門ト、故ニ偏ニ説ク↢此ノ三ヲ↡。如シ↢¬瑜伽論ニ¼云ガ↡。我法无ナルガ故ニ空ナリ、空ナルガ故ニ无相ナリ、无相ナルガ故ニ不↠可↢願求ス↡。」 已上
「▲仏の十力」 とは、 ▲第二巻新本の中に見えたり。
「仏ノ十力ト」者、見タリ↢第二巻新本ノ之中ニ↡。
「▲四無畏」 とは、 一には等覚無畏の仏、 諸法においてみな正等に覚る。 二には漏尽無畏の仏、 諸漏においてみな永く尽すことを得。 三には説障法無畏の仏、 弟子のために能障の法を説く。 四には説出苦道無畏の仏、 弟子のために能出の道を説く。 修すればかならず苦を出ず、 これを無畏と称す。 この四、 外難じてもし障礙を成すに、 理のごとくために釈して怖畏なきがゆゑに無畏といふなり。
「四無畏ト」者、一ニハ等覚无畏ノ仏、於テ↢諸法ニ↡皆正等ニ覚ル。二ニハ漏尽无畏ノ仏、於テ↢諸漏ニ↡皆得↢永ク尽スコトヲ↡。三ニハ説障法无畏ノ仏、為ニ↢弟子ノ↡説ク↢能障ノ法ヲ↡。四ニハ説出苦道无畏ノ仏、為ニ↢弟子ノ↡説ク↢能出ノ道ヲ↡。修スレバ必出ヅ↠苦ヲ、称ス↢之ヲ无畏ト↡。此ノ四、外難ジテ若シ成ズニ↢障ヲ↡、如ク↠理ノ為ニ釈シテ無ガ↢怖畏↡故ニ言↢无*畏ト↡也。
「▲四無礙智」 といふは、 または四無礙解といふ。 一には法無礙解、 いはく無礙解能詮の法の名句文身を縁ず。 二には義無礙解、 いはく無礙智所詮の義を縁ず。 三には辞無礙解、 いはく無礙智もろもろの方域種々の言辞を縁ず。 四には弁無礙解、 いはく無礙智応正理を縁じて障礙なきがゆゑに。
言↢「四无智ト」↡者、亦ハ云↢四無解ト↡。一ニハ法无解、謂ク无解縁ズ↢能詮ノ法ノ名句文身ヲ↡。二ニハ義无解、謂ク无*智縁ズ↢所詮1230ノ義ヲ↡。三ニハ辞无解、謂ク无智縁ズ↢諸ノ方域種々ノ言辞ヲ↡。四ニハ弁无解、謂ク无智縁ジテ↢応正理ヲ↡无ガ↢障↡故ニ。
「▲十八不共法」 とは、 もし ¬倶舎論¼ の意によらば、 いま挙ぐるところの十力・四無所畏の外に、 大悲と三念住とを加へて十八の数を成ずるところなり。 大悲といふは、 五の義によるがゆゑにこれを言ひて大となす。 いはゆる資糧と行相と所縁と平等と上品と、 これ五義なり。 三念住とは、 一には順境を縁じて歓喜を生ぜず、 二には違境を縁じて憂戚を生ぜず、 三には違順の境を縁じて歓戚を生ぜず。 この三、 みな正知・正念に住す。 かくのごときの十八はただ仏のみ具足して余はことごとく具せず、 このゆゑに不共法と名づく。
「十八不共法ト」者、若シ依ラバ↢¬倶舎論ノ¼意ニ↡、今所ノ↠挙ル之十力・四无所畏ノ之外ニ、加テ↢大悲ト三念住トヲ↡所↠成ズル↢十八ノ数ヲ↡也。言↢大悲ト↡者、由ガ↢五ノ義ニ↡故ニ言テ↠之ヲ為ス↠大ト。所謂資糧ト行相ト所縁ト平等ト上品ト、是五義也。三念住ト者、一ニハ縁ジテ↢順境ヲ↡不↠生ゼ↢歓喜ヲ↡、二ニハ縁ジテ↢違境ヲ↡不↠生ゼ↢憂戚ヲ↡、三ニハ縁ジテ↢違順ノ境ヲ↡不↠生ゼ↢歓戚ヲ↡。此ノ三、皆住ス↢正知・正念ニ↡。如ノ↠此ノ十八ハ唯仏ノミ具足シテ余ハ悉ク不↠具セ、是ノ故ニ名ク↢不共法ト↡。
「▲諸煩悩断所謂」 とらは、 二乗の断道四果等なり。 ▲第二巻の鈔の新本にこれを明かす。
「諸煩悩断所謂ト」等者、二乗ノ断道四果等也。第二巻ノ鈔ノ新本ニ明ス↠之ヲ。
▲仏答の中に、 「声聞の法」 とは、 これ四諦・七科の道品等の諸法を指す。 「支仏の法」 とは、 これ十二縁起の観を指す。 「菩薩の法」 とは、 六波羅密等の万行を指す。 「諸仏の法」 とは、 すなはち十八不共法等を指す。 「煩悩法」 とは三毒の苦因。 「業因縁」 とは十悪等か。
仏答ノ之中ニ、「声聞ノ法ト」者、是指↢四諦・七科ノ道品等ノ諸法ヲ↡也。「支仏ノ法ト」者、是指↢十二縁起ノ観ヲ↡也。「菩薩ノ法ト」者、指↢六波羅蜜等ノ万行ヲ↡也。「諸仏ノ法ト」者、即指ス↢十八不共法等ヲ↡。「煩悩法ト」者三毒ノ苦因。「業因縁ト」者、十悪等歟。
四
四に▲善吉の問の中に、
四ニ善吉ノ問ノ中ニ、
問ふ。 上の文ことごとく声聞四果・支仏・菩薩および仏世尊を挙ぐ、 なんぞいま重ねてその五果を挙ぐるや。
問。上ノ文悉ク挙グ↢声聞四果・支仏・菩薩及ビ仏世尊ヲ↡、何ゾ今重テ挙ル↢其ノ五果ヲ↡耶。
答ふ。 上は四向に約し、 いまは四果に約す。 支仏においてはこれ住果・非住果に約するか。
答。上ハ約シ↢四向ニ↡、今ハ約ス↢四果ニ↡。於↢支仏ニ↡者是約スル↢住果・非住果ニ↡歟。
▲仏答見つべし。
仏答可シ↠見ツ。
五
五に▲善吉の問の意、 当段の▲仏答ならびに▲第六の問、 おのおのもつて見やすし。
五ニ善吉ノ問ノ意、当段ノ仏答并ニ第六ノ問、各以テ易シ↠見。
六
六に▲仏答の中に 「無誑相涅槃」 とらいふは、 外道小乗所執の涅槃はみなこれ虚妄なり。 これ衆生を誑す、 ゆゑに誑相と名づく。 仏は人を誑さず、 このゆゑに如来所説の涅槃を無誑相と名づく。
六ニ仏答ノ中ニ言↢「無誑相涅槃」等↡者、外道小乗所執ノ涅槃ハ皆是1231虚妄ナリ。是誑ス↢衆生ヲ↡、故ニ名ク↢誑相ト↡。仏ハ不↠誑サ↠人ヲ、是ノ故ニ如来所説ノ涅槃ヲ名ク↢无誑相ト↡。
七
▲七に 「世尊如仏自説」 とらは、 善吉の問なり。 「仏自説」 とは、 △上の所説の 「平等品」 の意を指す。 問の意に二あり。
七ニ「世尊如仏自説ト」等者、善吉ノ問也。「仏自説ト」者、指ス↢上ノ所説ノ「平等品ノ」意ヲ↡。問ノ意ニ有↠二。
↓一には▲平等の法の中になんぞ生滅・不生滅あるや。 これ一
一ニハ平等ノ法ノ中ニ何ゾ有↢生滅・不生滅↡耶。 是一
↓また▲如来の上の所説の如きは、 諸法の当体すなはちこれ涅槃なり。 ▲諸法の外になんの涅槃ありてか生滅せざるや。 これ二
又如キ↢如来ノ上ノ所説ノ↡者、諸法ノ当体即是涅槃ナリ。諸法之外ニ有テカ↢何ノ涅槃↡不↢生滅セ↡乎。 是二
▲仏答の中に、 「如是」 といふは、 これ両問を可す。
仏答ノ之中ニ、言↢「如是ト」↡者、是可ス↢両問ヲ↡。
▲「非声聞所作」 とらいふは、 ↑初めの諸法平等の問を可するなり。 「乃至」 といふは、 問に挙ぐるところの辟支仏ならびに諸菩薩諸仏の作にあらざる義を摂す。
言↢「非声聞所作ト」等↡者、可スル↢初ノ諸法平等ノ問ヲ↡也。言↢「乃至ト」↡者、摂ス↧問ニ所ノ↠挙ル非↢辟支仏并ニ諸菩薩諸仏ノ作ニ↡義ヲ↥。
▲「性空即是涅槃」 とらは、 これ↑諸法の実相すなはち涅槃なる義を可す。
「性空即是涅槃ト」等者、是可ス↢諸法ノ実相即涅槃ナル義ヲ↡。
▲「若新」 とらは、 これ如来分別随宜の説に異あることを明かす。 これすなはちかの ¬授記経¼ の意に合するに三の意あるべし。 一には涅槃↑非化、 二には↑涅槃如化、 三には性空涅槃なり。 前の二の涅槃は隨宜の説なり、 第三の涅槃はこれ実理なり。
「若新ト」等者、是明ス↢如来分別随宜ノ之説ニ有コトヲ↟異、此乃合スルニ↢彼¬授記経ノ¼意ニ↡可シ↠有↢三ノ意↡。一ニハ涅槃非化、二ニハ涅槃如化、三ニハ性空涅槃ナリ。前ノ二ノ涅槃ハ隨宜ノ説也、第三ノ涅槃ハ是実理也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ Ⅱ ⅳ 総結成
四に ▲「今既」 とらは、 これ総じて ¬授記経¼ を会することを結成す。 「以斯」 とらは、 これ上の所引の三経乃至 ¬大品¼ 等の文を指す。
四ニ「今既ト」等者、是総ジテ結↣成ス会スルコトヲ↢¬授記経ヲ¼↡。「以斯ト」等者、是指ス↢上ノ之所引ノ三経乃至¬大品¼等ノ文ヲ↡。
▲「縦使」 とらは、 もし与へてこれをいはば ¬授記経¼ のごとくその意を得べし、 これ ¬大品¼ に新発意の菩薩に被らしむる説に同じ、 ゆゑに 「妨げなし」 といふ。
「縦使ト」等者、若シ与ヘテ謂ハヾ↠之ヲ如ク↢¬授記経ノ¼↡可シ↠得↢其ノ意ヲ↡、是同ジ↧¬大品ニ¼被シムル↢新発意ノ菩薩ニ↡之説ニ↥、故ニ云フ↠「無ト↠妨」。
▲「諸有」 とらは、 学者心を措きてもつとも領解すべし。 いはく入と不入とはこれ事・理の異なり。 ¬授記¼ は事に約して入涅槃と説き、 ¬大品¼ は理に約して平等の義を説く。 如来随宜の説教ここにあり。 いまこの深旨を知るべしといふなり。
「諸有ト」等者、学者措テ↠心ヲ尤可シ↢領解ス↡。謂ク入ト不入トハ是事理ノ異ナリ。¬授記ハ¼約シテ↠事ニ説キ↢入涅槃ト↡、¬大品ハ¼約シテ↠理ニ説ク↢平等ノ義ヲ↡。如来随宜ノ説教在リ↠斯ニ。今言↠応ト↠知↢此ノ深旨ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・ Ⅲ 第三番
【30】▲「問曰彼仏及土」 とらは、 第三番なり。
「問1232曰彼*仏及土ト」等者、第三番也。
問の意はすでに報土の義を許して能生の機を疑ふ。 中において四とす。
問ノ意ハ既ニ許シテ↢報土ノ義ヲ↡疑フ↢能生ノ機ヲ↡。於テ↠中ニ為↠四ト。
一には報身報土の義を牒す。
一ニハ牒ス↢報身・報土ノ之義ヲ↡。
二には報法高妙の理を領す。 実修・実証・殊妙の報土高く地前教道の外に出でたり、 ゆゑに 「▲高妙」 といふ。
二ニハ領ス↢報法高妙ノ之理ヲ↡。実修・実証・殊妙ノ報土高ク出タリ↢地前教道ノ之外ニ↡、故ニ云フ↢「高妙ト」↡。
三には小聖なほ生じがたき義を挙ぐ。 「▲小聖」 といふは、 大乗の賢位、 小乗の聖位、 並してこの中に摂す。 これらの下位ことごとくみな及ばず、 ゆゑに 「難階」 といふ。
三ニハ挙グ↢小聖猶難キ↠生ジ義ヲ↡。言↢「小聖ト」↡者、大乗ノ賢位、小乗ノ聖位、並シテ摂ス↢此ノ中ニ↡。斯等ノ下位咸ク皆不↠及、故ニ云フ↢「難諧ト」↡。
四には小聖なほもつて入らず、 いはんや底下の機望を絶つべしといふなり。
四ニハ言↢小聖猶以不↠入、況ヤ底下機可ト↟絶ツ↠望ヲ也。
▲答の中に二とす。
答ノ中ニ為↠二ト。
▲一には問難に順じてしばらく垢障の凡夫生じがたきことを許す。
一ニハ順ジテ↢問難ニ↡且ク許ス↢垢障ノ凡夫難コトヲ↟生ジ。
▲二にはまさしく仏願の強縁によりて小聖・凡夫みなことごとく往生することを明かす。 これひとへに別意難思超絶不可思議の本願なるがゆゑなり。
二ニハ明ス↧正ク由テ↢仏願ノ之強縁ニ↡小聖・凡夫皆悉ク往生スルコトヲ↥。是偏ニ別意難思超絶不可思議ノ本願ナルガ故也。
「▲斉入」 といふに就きて総別の意あり。
就テ↠言ニ↢「斉入ト」↡有リ↢総別ノ意↡。
総とは斉しく仏願に乗ずる意。 機根を論ぜず、 善悪を簡ばず、 ただ仏願によりて生ずることを得る義なり。
総ト者斉ク乗ズル↢仏願ニ↡之意。不↠論ゼ↢機根ヲ↡、不↠簡↢善悪ヲ↡、唯依テ↢仏願ニ↡得ル↠生コトヲ義也。
別とは二あり、 いはゆる斉上・斉下の義なり。 斉下といふは、 いはく浄土の教はもと凡夫に被らしむ。 よりて凡夫をもつてその正機となす。 このゆゑに三乗みな凡夫に同じてかの報土に入る。 斉上といふは、 いはゆる報土所入の機はもとこれ十地の菩薩等なり。 凡夫所入の限りにあらずといへども、 仏力によるがゆゑにその上機に同じて斉しく生ずることを得るなり。
別ト者有リ↠二、所謂斉上・斉下ノ義也。言↢斉下ト↡者、謂ク浄土ノ教ハ本被シム↢凡夫ニ↡。仍テ以テ↢凡夫ヲ↡為ス↢其ノ正機ト↡。是ノ故ニ三乗皆同ジテ↢凡夫ニ↡入ル↢彼ノ報土ニ↡。言↢斉上ト↡者、所謂報土所入ノ之機ハ本是十地ノ菩薩等也。凡夫雖↠非ト↢所入ノ之限ニ↡、由ガ↢仏力ニ↡故ニ同ジテ↢其ノ上機ニ↡斉ク得↠生ズルコトヲ也。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・「序分義」文
【31】▲次に ¬序分義¼ 欣浄縁の文。 八句ある中に、 いまこの所引は第七の科の釈なり。
次ニ「序分義」欣浄縁ノ文。有ル↢八句↡中ニ、今此ノ所引ハ第七ノ科ノ釈ナリ。
当科の中において、 文を分ちて五となす。 ▽一に 「弥陀」 以下は、 ¬大経¼ の意に約して弥陀仏本願の別意を顕す。 ▽二に 「依楽」 以下は、 ¬観経¼ の意によりて釈迦仏摂生の益を明かす。 ▽三に 「諸余」 以下は、 総じては一代により、 別しては三経によりて広く衆経にあまねく西方を勧むることを明かす。 ▽四に 「衆聖」 以下は、 十方仏同讃の証を述ぶ。 ▽五に 「有此」 以下は、 総じて夫人別選の意を結するなり。
於テ↢当科ノ中ニ↡、分テ↠文ヲ為ス↠五ト。一ニ「弥陀」以下ハ、約シテ↢¬大経ノ¼意ニ↡顕ス↢弥陀仏本願ノ別意ヲ↡。二ニ「依楽」已下ハ、依1233テ↢¬観経ノ¼意ニ↡明ス↢釈迦仏摂生ノ之益ヲ↡。三ニ「諸余」已下ハ、総ジテハ依リ↢一代ニ↡、別シテハ依テ↢三経ニ↡広ク明ス↣衆経ニ普ク勧コトヲ↢西方ヲ↡。四ニ「衆聖」以下ハ、述ブ↢十方仏同讃ノ之証ヲ↡。五ニ「有此」已下ハ、総ジテ結スル↢夫人別選ノ意ヲ↡也。
△¬大経¼ に約する中に
約スル↢¬大経ニ¼↡中ニ
「▲本国」 といふは、 「本」 はこれ末に対す。 諸仏の浄土を称して末国となし、 弥陀の浄土を号して本国といふ。 これすなはち弥陀は諸仏の本師、 極楽は諸土の本国なるがゆゑなり。
言↢「本国ト」↡者、「本ハ」是対ス↠末ニ。諸仏ノ浄土ヲ称シテ為シ↢末国ト↡、弥陀ノ浄土ヲ号シテ曰フ↢本国ト↡。斯乃弥陀ハ諸仏ノ本師、極楽ハ諸土ノ本国ナルガ故也。
▲「四十」 とらは、 選取の由を明かす。 その由に二あり。
「四十ト」等者、明ス↢選取ノ由ヲ↡。其ノ由ニ有リ↠二。
一には荘厳勝れたるがゆゑに。 第六の科 (序分義) にいはく、 「▲夫人総じて十方の仏国を見るに、 ならびにことごとく精華なれども極楽の荘厳に比せんと欲するに、 まつたく比況にあらず。」 以上 ¬礼讃¼ の釈にいはく、 「▲四十八願の荘厳より起る、 諸仏の刹に超えてもつとも精たり。」 以上
一ニハ荘厳勝タルガ故ニ。第六ノ科ニ云ク、「夫人総ジテ見ニ↢十方ノ仏国ヲ↡、並ニ悉ク精華ナレドモ欲ニ↠比セント↢極楽ノ荘厳ニ↡、全ク非ズ↢比況ニ↡。」 已上 ¬礼讃ノ¼釈ニ云ク、「四十八願ノ荘厳ヨリ起ル、超テ↢諸仏ノ刹ニ↡最モ為リ↠精。」 已上
二には本願勝れたるがゆゑに。 ¬大経¼ の上にいはく、 「▲無上殊勝の願を超発す。」 以上 また (大経巻上) いはく、 「▲われ超世の願を建つ、 かならず無上道に至らん。」 以上 これすなはち弥陀仏智所成の真妙の報土、 無善薄地の凡夫を隔てず、 仏力横に引きてただちに涅槃を取らしむ。 諸仏の浄土はみな機見によりてその優劣を感ず、 西方の浄土は機の功を仮らずただ仏徳による。 まつたく機によりて優劣を判ぜざるがゆゑに、 これを別異超勝の宗旨となす。
二ニハ本願勝タルガ故ニ。¬大経ノ¼上ニ云ク、「超↢発ス無上殊勝之願ヲ↡。」 已上 又云、「我建ツ↢超世ノ願ヲ↡、必至ラン↢无上道ニ↡。」 已上 是則弥陀仏智所成ノ真妙ノ報土、不↠隔↢无善薄地ノ凡夫ヲ↡、仏力横ニ引テ直ニ取シム↢涅槃ヲ↡。諸仏ノ浄土ハ皆依テ↢機見ニ↡感ズ↢其ノ優劣ヲ↡、西方ノ浄土ハ不↠仮↢機ノ功ヲ↡唯拠ル↢仏徳ニ↡。全ク不ガ↣由テ↠機ニ判ゼ↢優劣ヲ↡故ニ、是ヲ為ス↢別異超勝ノ宗旨ト↡。
夫人の選取この二にあるらくのみ。
夫人ノ選取在ラク↢此ノ二ニ↡耳。
▲「勝因」 といふは、 これ六八の願、 「勝行」 といふはこれ六度の行、 「勝果」 といふはすなはちこれ菩提、 「勝報」 といふはすなはち涅槃なり。
言↢「勝因ト」↡者、是六八ノ願、言↢「勝行ト」↡者是六度ノ行、言↢「勝果ト」↡者即是菩提、言↢「勝報ト」↡者即涅槃也。
△¬観経¼ による中に
依ル↢¬観経ニ¼↡中ニ
「▲悲化」 といふは、 利他の益に約す。 「▲智慧門」 とは自利の徳に約す。
言↢「悲化ト」↡者、約ス↢利他ノ益ニ↡。「智恵門ト」者約ス↢自利ノ徳ニ↡。
▲「広開」 とらは、 序題門 (玄義分) にいはく、 「▲甘露を灑ぎて群萌を潤す。」 けだしその義なり。 ただしかの釈は総じて一代を叙し、 この釈の意は別して真門に約す。
「広開ト」等者、序題門ニ云、「灑テ↢於甘露ヲ↡潤ス↢於1234群萌ヲ↡。」蓋シ其ノ義也。但シ彼ノ釈者総ジテ叙シ↢一代ヲ↡、此ノ釈ノ意者別シテ約ス↢真門ニ↡。
「▲甘露」 といふは、 不死の妙薬、 すなはち無量寿常住の法なり。 ¬大経¼ の上に八功徳水の功能を説きていはく、 「▲清浄香潔にして味甘露のごとし。」 以上 ¬礼讃¼ の釈にいはく、 「▲心を洗ふ甘露の水。」 以上 これみな浄土殊妙の徳なり。 このゆゑにいま甘露の門を開くとは、 すなはち浄土の真門を開く意なり。 これすなはち一代八万の諸教、 みなことごとく弥陀の仏智に帰入する一乗の義なり。
言↢「甘露ト」↡者、不死ノ妙薬、即无量寿常住ノ法也。¬大経ノ¼上ニ説テ↢八功徳水ノ之功能ヲ↡云ク、「清浄香潔ニシテ味如シ↢甘露ノ↡。」 已上 ¬礼讃ノ¼釈ニ云ク、「洗フ↠心ヲ甘露ノ水。」 已上 是皆浄土殊妙ノ徳也。是ノ故ニ今開クト↢甘露ノ門ヲ↡者、即開ク↢浄土ノ真門ヲ↡意也。是則一代八万ノ諸教、皆悉ク帰↢入スル弥陀ノ仏智ニ↡一乗ノ義也。
▲「法潤」 とらは、 しばらく定散を説きてまづ衆機を摂し、 つひに弘願に引入せしむる意なり。
「法潤ト」等者、且ク説テ↢定散ヲ↡先ヅ摂シ↢衆機ヲ↡、遂ニ令ル↣引↢入セ弘願ニ↡意也。
△衆経による中に 「勧処」 とらは、 総じては化前に亘り、 別しては三経による。 隠顕ありといへども、 みな釈迦一代の設化仏意、 安養往詣の本懐を顕すにあることを明かす。
依ル↢衆経ニ↡中ニ「勧処ト」等者、総ジテハ亘リ↢化前ニ↡、別シテハ依ル↢三経ニ↡。雖↠有ト↢隠顕↡、皆明ス↢釈迦一代ノ設化仏意、在コトヲ↟顕スニ↢安養往詣ノ之本懐ヲ↡也。
△総結の文の中に、 「致使」 とらは、
総結ノ文ノ中ニ、「致使ト」等者、
問ふ、 経 (観経) に 「▲我今楽生極楽」 といふ。 その文のごときは、 夫人ただみづからこれを選取するか、 いまの釈いかん。
問。¬経ニ¼云フ↢「我今楽生極楽ト」↡。如↢其ノ文↡者、夫人只自選↢取スル之ヲ↡歟、今ノ釈如何。
答ふ。 証定の釈義深く経旨を得てこの義を釈成す、 仰いでこれを信ずべし。 このゆゑにこの鈔の第一の序 (総序) にいはく、 「▲釈迦韋提をして安養を選ばしめたまへり。」 以上 この釈の趣、 いまの釈を守る。 ゆゑに▲かの序の下にほぼ愚解を註す。
答。証定ノ釈義深ク得テ↢経旨ヲ↡釈↢成ス此ノ義ヲ↡、仰テ可シ↠信ズ↠之ヲ。是ノ故ニ此ノ鈔ノ第一ノ序ニ云ク、「釈迦韋提ヲシテ選シメタマヘリ↢安養ヲ↡。」 已上 此ノ釈ノ之趣、守ル↢今ノ釈ヲ↡也。故ニ彼ノ序ノ下ニ粗註ス↢愚解ヲ↡。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・「定善義」文
【32】▲次の二文は、 ともに 「定善義」 水観の讃なり。
次二文者、共ニ「定善義」水観ノ讃也。
いまこの二文▲第四巻の初めにこれを引用せらる。 ゆゑに▲その下においていささか義を述べ訖りぬ。
今此ノ二文第四巻ノ初ニ被↢引用セ之ヲ↡。故ニ於テ↢其ノ下ニ↡聊述↠義ヲ訖ヌ。
問ふ。 なんがゆゑぞ両処にこれを引かるるや。
問。何ガ故ゾ両処ニ被↠引↠之ヲ乎。
答ふ。 すでに▲前に述ぶるがごとく、 この書もとよりただ文集なり。 その要あるごとに繁重を憚らず。 真実の証を明かし真仏土を顕すに、 その義に順ずるがゆゑにおのおの引かるるか。 はたまた第四にはこの両文の中に、 初めの文の余残、 「▲或現神通而説法」 (序分義) 等つぶさにこれを引かる、 いまはかの文の一四句偈を除く。 いささか加減あり、 差別といふべし。
答。如ク↢已前ニ述ガ↡、此ノ書元自只文集也。毎ニ↠有↢其ノ要↡不↠憚カラ↢繁重ヲ↡。明シ↢真実ノ証ヲ↡顕スニ↢真仏土ヲ↡、順ズルガ↢其ノ義ニ↡故ニ各1235被↠引歟。将又第四ニハ此ノ両文ノ中ニ、初ノ文ノ余残、「或現神通而説法」等具ニ被↠引↠之ヲ、今ハ除ク↢彼ノ文ノ一四句偈ヲ↡。聊有↢加減↡、可シ↠謂↢差別ト↡。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・『法事讃』三文
【33】▲次に ¬法事讃¼ 下巻の釈なり。
次ニ¬法事讃¼下巻ノ釈也。
▲「極楽」 とらは、 ¬大経¼ の下にいはく、 「▲かの仏国土は無為自然なり。」 以上
「極楽ト」等者、¬大経ノ¼下ニ云、「彼ノ仏国土ハ無為自然ナリ。」 已上
「▲涅槃界」 とは、 かの土に生ずる者はすなはち法性の常楽を証するがゆゑなり。 これ必至滅度の願によりてなり。
「涅槃界ト」者、生ズル↢彼ノ土ニ↡者ハ即証スルガ↢法性ノ常楽ヲ↡故也。是依テナリ↢必至滅度ノ願ニ↡也。
▲「随縁」 とらは、 これ雑行を指す。 「序分義」 にいはく、 「▲随縁起行して、 進道の資糧をなさんと擬するに、 なんぞそれ六賊知聞して、 競ひ来りて侵奪する。」 以上
「随縁ト」等者是指ス↢雑行ヲ↡。「序分義ニ」云ク、「随縁起行シテ、擬スルニ↠作ント↢進道ノ資糧ヲ↡、何ゾ其六賊知聞シテ、競ヒ来テ侵奪スル。」 已上
「▲恐難生」 とは、 かの雑行生ずることを得ざることを明かす。 この文少善不生を消釈する文釈なるがゆゑに、 恐慮の言なりといへども意不生を存ず。
「恐難生ト」者、明↢彼ノ雑行不コトヲ↟得↠生コトヲ也。此ノ文消↢釈スル少善不生ヲ↡之文釈ナルガ故ニ、雖↢恐慮ノ言ナリト↡意存ズ↢不生ヲ↡。
「▲要法」 といふはこれ念仏を指す。 これ定散二善の要門にはあらず。 ¬般舟讃¼ に 「▲まづ要行を求めて真門に入れ」 といひ、 「*玄義分」 (散善義) に 「▲浄土の要逢ひがたし」 といふこれなり。
言「要法ト」者是指ス↢念仏ヲ↡。是非ズ↢定散二善ノ要門ニハ↡。¬般舟讃ニ¼云ヒ↧「先ヅ求テ↢要行ヲ↡入レト↦真門ニ↥」、「玄義分ニ」云フ↢「浄土ノ之要難ト↟逢」是也。
「▲専復専」 とは、 ふたたび 「専」 といふことは慇懃の意なり。 また上の 「専」 はこれ一心を表し、 その下の 「専」 はこれ一行を表す。 また上の 「専」 はこれ雑行に対し、 下は助業に対す。 おのおのその意あり、 ともにこれを存ずべし。
「専復専ト」者、再タビ言コト↠「専ト」者慇懃ノ意也。又上ノ「専」者此表シ↢一心ヲ↡、其ノ下ノ「専」者是表ス↢一行ヲ↡。又上ノ「専」者是対シ↢雑行ニ↡、下ハ対ス↢助業ニ↡。各有リ↢其ノ意↡、共ニ可シ↠存ズ↠之ヲ。
【34】▲次の文はまた同じき下巻の讃なり。
次ノ文ハ又同キ下巻ノ讃也。
「▲帰自然」 とは、 ¬大経¼ の上にいはく、 「▲建立常然にして、 衰なく変なし。」 以上 これ国土自然の義を明かす。 また (大経巻上) いはく、 「▲みな自然虚無の身、 無極の体を受けたり。」 これ正報自然の徳を明かす。
「帰自然ト」者、¬大経ノ¼上ニ云ク、「建立常然ニシテ、無ク↠衰無シ↠変。」 已上 是明ス↢国土自然ノ之義ヲ↡。又云、「皆受タリ↢自然虚无ノ之身、无極ノ之体ヲ↡。」是明ス↢正報自然ノ之徳ヲ↡。
「▲無漏」 といふは漏染なきがゆゑに。 「▲無生」 といふは、 法忍を悟るがゆゑに。
言↢「無漏ト」↡者无ガ↢漏染↡故ニ。言↢「無生ト」↡者、悟ガ↢法忍ヲ↡故ニ。
【35】▲次の少文は同じき (法事讃) 後序の釈なり。
次1236ノ少文者同キ後序ノ釈ナリ。
▲上に「極楽無為」 とらいふは、 すでに極楽を判じて名づけて無為涅槃の界となす。 しかるに随縁の雑善生じがたしと遮してただ専々称名の一因を勧む。 このゆゑに阿弥陀とは涅槃の名号なりといふことを知るべし。
上ニ言↢「極楽无為ト」等↡者、已ニ判ジテ↢極楽ヲ↡名テ為ス↢无為涅槃ノ之界ト↡。而ニ遮シテ↢随縁ノ雑善難ト↟生ジ唯勧ム↢専々称名ノ一因ヲ↡。是ノ故ニ応シ↠知↢阿弥陀ト者涅槃ノ名号也ト云コトヲ↡。
▲いまの釈また弥陀涅槃一法の義を顕す。 これをもつてこれを思ふに、 例してまた無上涅槃の妙果を号して阿弥陀といふといふべきか。
今ノ釈亦顕ス↢弥陀涅槃一法ノ之義ヲ↡。以テ↠之ヲ思ニ↠之ヲ、例シテ又可↠謂↣无上涅槃ノ妙果ヲ号シテ曰ト↢阿弥陀ト↡歟。
二 Ⅱ ⅴ c ロ ・『大経義疏』文
【36】▲次に興の釈は、 ¬大経の義疏¼ 中巻の文なり。
次ニ興ノ釈者、¬大経ノ義疏¼中巻ノ文也。
▲十二光の釈、 その意見つべし。
十二光ノ釈、其ノ意可シ↠見ツ。
▲「皆是」 とらは、 次に 「▲其有衆生」 といふより 「皆蒙解脱▲」 (大経巻上) といふに至るまでの文を釈する中の結文なり。 所引の次上のつぶさなる解釈 (述文賛巻中) にいはく、 「三垢滅すとはすなはち除障の利、 身意歓喜はすなはち生善の利、 苦得休息とはすなはち抜苦の利、 皆蒙解脱とはすなはち得楽の利なり。」 以上いまの所引にあらず 「身心柔軟の願」 とは第三十三の願なり。
「皆是ト」等者、次ニ釈スル↧自↠言フ↢「其有衆生ト」↡至マデノ↠言ニ↢「皆蒙解脱ト」↡文ヲ↥中ノ之結文也。所引ノ次上ノ具ナル解釈ニ云ク、「三垢滅ト者即除障ノ利、身意歓喜ハ即生善ノ利、苦得休息ト者即抜苦ノ利、皆蒙解脱ト者即得楽ノ利。」 已上非ズ↢今ノ所引ニ↡ 「身心柔軟ノ願ト」者第三十三ノ願也。
二 Ⅱ ⅴ d 総結
【37】△「爾者」 以下はこれ総結の文、 わたくしの御釈なり。 中において二となす。
「爾者」已下ハ是総結ノ文、私ノ御釈也。於テ↠中ニ為ス↠二ト。
二 Ⅱ ⅴ d イ 彼土得証
まづ文の初めより 「略抄」▲ といふに至るまでは諸経の意、 この土の衆生仏性を見がたし、 仏力によるがゆゑに安楽国に至りてかならず仏性を見ることを明かす。
先ヅ自↢文ノ初↡至マデハ↠言ニ↢「略抄ト」↡明ス↧諸経ノ意、此ノ土ノ衆生難シ↠見↢仏性ヲ↡、由ガ↢仏力ニ↡故ニ至テ↢安楽国ニ↡必見コトヲ↦仏性ヲ↥。
▲この義を証せんがために ¬起信論¼ を引きて無念に契ふこと下位易からず、 このゆゑに念より無念に至るべきことを明かす。 いふところの 「▲念」 とは、 意念仏にあり。 「▲無念」 といふは、 かしこにしてまさに法性無生の悟を開くべき意なり。
為ニ↠証センガ↢此ノ義ヲ↡引テ↢¬起信論ヲ¼↡明ス↧契コト↢无念ニ↡下位不↠易カラ、是ノ故ニ従リ↠念可コトヲ↞至ル↢无念ニ↡。所ノ↠言「念ト」者、意在リ↢念仏ニ↡。言↢「无念ト」↡者、於テ↠彼ニ当ニキ↠開ク↢法性无生ノ之悟ヲ↡意也。
▲「惑染」 とらは、 上に引くところの ¬涅槃経¼ (北本巻三五迦葉品 南本巻三二迦葉品) にいはく、 「▲一切衆生ことごとく仏性あり、 煩悩覆ふがゆゑに見ることを得るにあたはず。」 以上 もつぱらこの文によりていまこの解あり。
「惑染ト」等者、上ニ所ノ↠引ク之¬涅槃経ニ¼云ク、「一切衆生悉ク有リ↢仏性↡、煩悩覆フガ故1237ニ不↠能↠得ニ↠見コトヲ。」 已上 専依テ↢此ノ文ニ↡今有リ↢此ノ解↡。
また ¬無上依経¼ (巻上如来界品意) にいはく、 「法身の体はもろもろの衆生に遍す。 客塵の煩悩に覆はるるがためにわが身に如来あることを知らず、 生死に流転して出期なし。」 以上 ¬玄義¼ の釈 (玄義分) にいはく、 「▲ただし垢障覆深なるをもつて浄体顕照するに由なし。」 以上 これらの意なり。
又¬无上依経ニ¼云ク、「法身ノ体ハ遍ス↢諸ノ衆生ニ↡。客塵ノ煩悩ニ為ニ↠所ルヽガ↠覆不↠知↣我ガ身ニ有コトヲ↢如来↡、流↢転シテ生死ニ↡無シ↢出期↡。」 已上 「玄義ノ」釈ニ云ク、「但シ以テ↢垢障覆深ナルヲ↡浄体無シ↠由↢顕照スルニ↡。」 已上 此等ノ意也。
▲「経言我説十住」 とらは、 当巻の上に ¬涅槃経¼ を引く中にすでに▲この言あり、 いまその意による。 このゆゑにさらに経名を載せざるなり。
「経言我説十住ト」等者、当巻ノ上ニ引ク↢¬涅槃経ヲ¼↡中ニ既ニ有リ↢此ノ言↡、今依ル↢其ノ意ニ↡。是ノ故ニ不↣更ニ載セ↢経名ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅴ d ロ 真仮二土
【38】次に ▲「夫案」 の下は、 これ願に就きて真と仮とあり、 随ひてまた仏において差降あることを明かす。
次ニ「夫案ノ」下ハ、此明ス↧就テ↠願ニ有リ↢真ト与 ト ↟仮、随テ又於テ↠仏ニ有コトヲ↦差降↥也。
▲「無量光明」 とらは、 ▲当巻の初めにおいて標するところこれなり。
「無量光明ト」等者、於テ↢当巻ノ初ニ↡所↠標スル是也。
▲「良仮仏土業因」 とらは、
「良仮仏土業因ト」等者、
問ふ。 弥陀の浄土はすでにこれ報土、 その生因をいふにただこれ称名念仏の一行なり。 因といひ土といひ、 千差あるべきことその義当らず、 いかん。
問。弥陀ノ浄土ハ既ニ是報土、謂フニ↢其ノ生因ヲ↡只是称名念仏ノ一行ナリ。云ヒ↠因ト云ヒ↠土ト、可コト↠有↢千差↡其ノ義不↠当、如何。
答ふ。 弥陀の浄土もと報土なりといへども、 三身の化用みな浄土を立してもつて群生を導く。 なんぞ一機のために化土を現ぜざらん。 このゆゑに念仏すればかならず願力成就の報土に生ず。 自力随縁の諸善万行は往生を得といへども、 所生の浄土みなこれ化土なり。 雑善の業因千差万別なれば、 感見の化土またもつて同じかるべし。 因果炳然なり、 あへて疑ふことなからくのみ。
答。弥陀ノ浄土本雖↢報土ナリト↡、三身ノ化用皆立シテ↢浄土ヲ↡以テ導ク↢群生ヲ↡。何ゾ為ニ↢一機ノ↡不ラン↠現ゼ↢化土ヲ↡。是ノ故ニ念仏スレバ必生ズ↢願力成就ノ報土ニ↡。自力随縁ノ諸善万行ハ雖↠得ト↢往生ヲ↡、所生ノ浄土皆是化土ナリ。雑善ノ業因千差万別ナレバ、感見ノ化土又以テ可シ↠同カル。因果炳然ナリ、莫ラク↢敢テ疑コト↡耳。
六要鈔 第五 全
延書は底本の訓点に従って有国が行った(固有名詞の訓は保証できない)。
玄義分 ¬散善義¼ の誤りか。
底本は ◎本派本願寺蔵明徳三年慈観上人書写本。 Ⓐ本派本願寺蔵文安四年空覚書写本、 Ⓑ興正派興正寺蔵蓮如上人書写本 と対校。
花→Ⓐ華
則→Ⓐ即
上→Ⓑ白
涅→Ⓑ上
浄→Ⓐ浄[之]
者→Ⓐになし
二→Ⓑ二[者]
註→Ⓐ注
彼→Ⓑ被
前 Ⓑになし
後→Ⓐ度
正→Ⓐ聖
畏→Ⓑ
→Ⓐ解
仏→Ⓑ土
華→Ⓐ花