1130◎六要鈔 第三 旧末
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ 信一念
【58】◎▲「それ真実の信楽を按ずれば」 とらは、 これわたくしの御釈なり。
◎「夫レ按ズレバト↢真実ノ信楽ヲ↡」等者、是私ノ御釈ナリ。
▲上の第二巻に行の一念および信の一念ありといひて、 行の一念を証するに流通の文を出だす。 いま当巻に至りて信の一念を証するに、 ▲第十八の願成就の文および▲諸文等を出だす。 その意見つべし。
上ノ第二巻ニ言テ↠有ト↢行ノ一念及ビ信ノ一念↡、証スルニ↢行ノ一念ヲ↡出ス↢流通ノ文ヲ↡。今至テ↢当巻ニ↡証スルニ↢信ノ一念ヲ↡、出ス↢第十八ノ願成就ノ文及ビ諸文等ヲ↡。其ノ意可シ↠見ツ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ・『涅槃経』文
【59】▲次の所引の文、 ¬涅槃経¼ は、
次ノ所引ノ文、¬涅槃経¼者、
かの*聞不具足の文を出だして聞具の義を示す。 これ聞とはただ耳に触るるのみにあらず、 よく仏願を聞きて信解を生ずる義を顕す。 ゆゑにこの文を引きてその義を顕すなり。
出シテ↢彼ノ聞不具足ノ之文ヲ↡示ス↢聞具ノ義ヲ↡。是顕ス↧聞ト者非ズ↢只触ノミニ↟耳ニ、能ク聞テ↢仏願ヲ↡生ズル↢信解ヲ↡義ヲ↥。故ニ引テ↢此ノ文ヲ↡顕ス↢其ノ義ヲ↡也。
聞不具足に三重の釈あり。 ▲初めは部数による、 ▲次は読まずして他のために解説することを嫌ふ、 ▲後は諍論・名聞・利養・諸事の意楽を嫌ふ。
聞不具足ニ有リ↢三重ノ釈↡。初ハ依ル↢部数ニ↡、次ハ嫌フ↢不シテ↠読為ニ↠他ノ解説スルコトヲ↡、後ハ嫌フ↢諍論・名聞・利養・諸事ノ意楽ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ 横超五種八難
【60】▲「横超↓五趣↓八難」 とらは、 これ如来本願の威力、 他力信心の勝利を明かすなり。
「横超五趣八難」等者、是明↢如来本願ノ威力、他力信心ノ之勝利ヲ↡也。
「↑*五趣」 といふは五道、 常のごとし。
言↢「五趣ト」↡者五道、如シ↠常ノ。
「↑*八難」 といふは ¬律の名句¼ (巻中) にいはく、 「一には地獄、 二には餓鬼、 三には畜生、 四には長寿天、 五には北州、 六には仏前仏後、 七には世智弁聡、 八には諸根不具。」 以上 章安大師の ¬仁王の私記¼ その説いささか異なり。 初めの四は前のごとし、 五には辺地、 六には諸根不具、 七には邪見、 八には不見仏なり。
言↢「八難ト」↡者¬律ノ名句ニ¼云ク、「一ニハ地獄、二ニハ餓鬼、三ニハ畜生、四ニハ長寿天、五ニハ北州、六ニハ仏前仏後、七ニハ世智辨聡、八ニハ諸根不具。」 已上 章安大師ノ¬仁王ノ私記¼其ノ説聊異ナリ。初ノ四ハ如シ↠前ノ、五ニハ辺地、六ニハ諸根不具、七ニハ邪見1131、八ニハ不見仏也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ○ 十種益
【61】「▲十種の益」 とは、
「十種ノ益ト」者、
問ふ。 いづれの経論によりてこの益を立つるや。
問。依テ↢何ノ経論ニ↡立↢此ノ益ヲ↡乎。
答ふ。 諸経論ならびに師釈の意によりて要を取りてこれを立つ、 広く論ぜば限りなし。
答。依テ↢諸経論並ニ師釈ノ意ニ↡取テ↠要ヲ立ツ↠之ヲ、広ク論ゼバ無シ↠限。
▲第一に 「冥衆護持の益」 とは、 かの ¬観念法門¼ に明かすところの現生護念増上縁の益のごとし。 いはくかの文にいはく、 「▲仏ののたまはく、 もし人もつぱらこの念弥陀仏三昧を行ずれば、 常に一切諸天および四天大王・龍神八部、 随逐影護愛楽相見することを得て、 永くもろもろの悪鬼神、 災障・厄難横に悩乱を加ふることなし。」 以上 この釈これ ¬般舟経¼ の説による。
第一ニ「冥衆護持ノ益ト」者、如シ↢彼ノ¬観念法門ニ¼所ノ↠明ス現生護念増上縁ノ益ノ↡。謂ク彼ノ文ニ云、「仏ノ言ハク、若シ人専ラ行ズレ↢此ノ念弥陀仏三昧ヲ↡者、常ニ得テ↢一切諸天及ビ四天大王・龍神八部、随逐影護愛楽相見スルコトヲ↡、永ク無シ↣諸ノ悪鬼神、災障・厄難横ニ加フルコト↢悩乱ヲ↡。」 已上 此ノ釈是依ル↢¬般舟経ノ¼説ニ↡。
▲第二に 「至徳具足の益」 とは、 ¬大経¼ の下巻流通の文にいはく、 「▲まさに知るべし、 この人は大利を得となす。 すなはちこれ無上の功徳を具足するなり。」 これその益を明かす。
第二ニ「至徳具足ノ益ト」者、¬大経ノ¼下巻流通ノ文ニ云、「当ニシ↠知ル、此ノ人ハ為ス↠得ト↢大利ヲ↡。即是具↢足スルナリ無上ノ功徳ヲ↡。」是明ス↢其ノ益ヲ↡。
▲第三に 「転悪成善の益」 とは、 ¬観経¼ の下品中生の中に、 「▲猛火変じて清涼の風となる」 と説く等、 その証なり。
第三ニ「転悪成善ノ益ト」者、¬観経ノ¼下品中生ノ中ニ、説↣「猛火変ジテ為ト↢清涼ノ風ト↡」等、其ノ証也。
▲第四に 「諸仏護念の益」 とは、 ¬弥陀経¼ に 「▲このもろもろの善男子・善女人、 みな一切諸仏のためにともに護念せらる」 と説く等、 その文なり。
第四ニ「諸仏護念ノ益ト」者、¬弥陀経ニ¼説ク↧「是ノ諸ノ善男子・善女人、皆為ニ↢一切諸仏ノ↡共ニ所ト↦護念セ↥」等、其ノ文也。
▲第五に 「諸仏称讃の益」 とは、 ¬大経¼ の上にいはく、 「▲それしかして後、 仏道を得たらん時に至りて、 あまねく十方の諸仏・菩薩のために、 その光明を歎ぜられん、 またいまのごとくならん」 と。 以上 当益を説くといへども、 理現に及ぶべし。
第五ニ「諸仏称讃ノ益ト」者、¬大経ノ¼上ニ云、「至テ↧其然シテ後、得タラン↢仏道ヲ↡時ニ↥、普ク為ニ↢十方ノ諸仏・菩薩ノ↡、歎ゼラレン↢其ノ光明ヲ↡、亦如ナラント↠今ノ也。」 已上 雖↠説ト↢当益ヲ↡理可シ↠及ブ↠現ニ。
また ¬観経¼ にいはく、 「▲もし念仏する者は、 まさに知るべし、 この人はこれ人中の分陀利華なり。」 以上 釈尊これを歎ず、 諸仏よろしく同じかるべし。
又¬観経ニ¼云ク、「若シ念仏スル者ハ、当ニシ↠知ル、此ノ人ハ是人中ノ分陀利*華ナリ。」 已上 釈尊歎ズ↠之ヲ、諸仏宜クシ↠同カル。
¬観念法門¼ にいはく、 「▲すなはちこれ六道生死の因行を閉絶して、 永く常楽浄土の要門を開くなり。 ただちに弥陀の称願のみにあらず、 またすなはち諸仏あまねくみな同じく慶ぶ。」
¬観念法門ニ¼云ク、「即是閉↢絶シテ六道生死ノ之因行ヲ↡、永ク開ク↢常楽浄土1132ノ之要門ヲ↡也。非ズ↢直ニ弥陀ノ称願ノミニ↡、亦乃諸仏普ク皆同ク慶ブ。」
▲第六に 「心光常護の益」 とは、 ¬観経¼ にいはく、 「▲光明あまねく十方世界を照らして念仏の衆生を、 摂取して捨てたまはず。」 以上
第六ニ「心光常護ノ益ト」者、¬観経ニ¼云ク、「光明遍ク照シテ↢十方世界ヲ↡念仏ノ衆生ヲ、摂取シテ不↠捨タマハ。」 已上
¬観念法門¼ にいはく、 「▲かの仏の心光常にこの人を照らして、 摂護して捨てたまはず。」 以上
¬観念法門ニ¼云ク、「彼ノ仏ノ心光常ニ照シテ↢是ノ人ヲ↡、摂護シテ不↠捨タマハ。」 已上
▲第七に 「心多歓喜の益」 とは、 あるいは (大経巻上) 「▲至心信楽」 といひ、 あるいは (大経巻上・巻下) 「▲歓喜踊躍」 といふ、 真実心を得る時、 かならず歓喜すべき義なり。
第七ニ「心多歓喜ノ益ト」者、或ハ云ヒ↢「至心信楽ト」↡、或ハ云フ↢「歓喜踊躍ト」↡、得ル↢真実心ヲ↡之時、必可キ↢歓喜ス↡義也。
▲第八に 「知恩報徳の益」 とは、 ¬観念法門¼ (意) に ▲¬般舟経¼ を引きて、 この念仏三昧に四事助歓喜あることを明かす。 すなはち 「三世の諸仏この念阿弥陀仏三昧を持ちて、 四事助歓喜してみな成仏することを得」 といへるこれなり。
第八ニ「知恩報徳ノ益ト」者、¬観念法門ニ¼引テ↢¬般舟経ヲ¼↡、明ス↣此ノ念仏三昧ニ有コトヲ↢四事助歓喜↡。即言ヘル↧「三世ノ諸仏持テ↢是ノ念阿弥陀仏三昧ヲ↡、四事助歓喜シテ皆得ト↦成仏スルコトヲ↥」是也。
また ¬法事讃¼ にあるいは (巻下) 「▲砕骨慚謝阿弥師」 といひ、 あるいは (巻上・巻下) 「▲砕身慚謝釈迦恩」 といひて、 かならず二尊の恩を報ずべき義を明かす。 みなその意なり。
又¬法事讃ニ¼或ハ云ヒ↢「砕骨慚謝阿弥師ト」↡、或ハ云テ↢「砕身慚謝釈迦恩ト」↡、明ス↧必ズ可キ↠報↢二尊ノ恩ヲ↡義ヲ↥。皆其ノ意也。
▲第九に 「常行大悲の益」 とは、 当巻の下に引用するところの ▲¬大悲経¼ の説のごとき、 これその義なり。
第九ニ「常行大悲ノ益ト」者、如キ↧当巻ノ下ニ所ノ↢引用ル↡之¬大悲経ノ¼説ノ↥、是其ノ義也。
▲第十に 「入正定聚の益」 とは、 第十一の願所説の益なり。 もとこれ処不退の位を説くといへども、 現生の中にかつがつその益を得。 これすなはち如来摂取の益のゆゑなり。 ゆゑに龍樹尊の ¬十住婆沙¼ (巻五易行品) に判じて 「▲即時入必定」 といふなり。
第十ニ「入正定聚ノ益ト」者、第十一ノ願所説ノ益也。本是雖↠説ト↢処不退ノ位ヲ↡、現生ノ之中ニ且得↢其ノ益ヲ↡。是則如来摂取ノ益ノ故ナリ。故ニ龍樹尊ノ¬十住婆沙ニ¼判ジテ云↢「即時入必定ト」↡也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ・『論註』二文
【62】▲次に ¬論の註¼ の文、 所引に二あり。
次ニ¬論ノ註ノ¼文、所引ニ有↠二。
初めの文は下巻の善巧摂化の章段の釈なり、 ▲前の所引のごとし。 かしこは広引、 ここは略挙。 菩提心すなはち浄土の信心たる義を証すなり。
初ノ文ハ下巻ノ善巧摂化ノ章段ノ釈也、如シ↢前ノ所引ノ↡。彼者広引、此ハ者略挙。証ス↧菩提心即為ル↢浄土ノ信心↡義ヲ↥也。
【63】▲次の文は上巻の荘厳身業功徳成就の釈。 文の下に ¬観経¼ に就きて 「▲諸仏如来是法界身 乃至 従心想生」 と説くにその問答ある答の中の言なり。
次1133ノ文ハ上巻ノ荘厳身業功徳成就ノ釈。文ノ之下ニ就テ↢¬観経ニ¼↡説ニ↢「諸仏如来是法界身 乃至 従心想生ト」↡、有ル↢其ノ問答↡答ノ中ノ言也。
上に▲水像の譬を挙げ、 いま▲木火の喩を出だして、 おのおの凡心およびその仏心不一不異の義趣を顕すらくのみ。 ただしこの釈の意、 もつとも心を措くべし。 かならずしも一切この深理を知りて往生を願ずべきにはあらず、 ただ法においてその功能あることを顕す。 その功能とは、 すなはちこれ弥陀法界身のゆゑに、 帰命の心を発せば機法不離にしてかならず往生を得。
上ニ挙ゲ↢水像ノ譬ヲ↡、今出シテ↢木火ノ喩ヲ↡、各顕スラク↢凡心及ビ其ノ仏心不一不異ノ之義趣ヲ↡耳。但シ此ノ釈ノ意、尤可シ↠*措↠心ヲ。不↧必シモ一切知テ↢此ノ深理ヲ↡可キニハ↞願ズ↢往生ヲ↡、只顕ス↣於テ↠法ニ有コトヲ↢其ノ功能↡。其ノ功能ト者、即是弥陀法界身ノ故ニ、発セバ↢帰命ノ心ヲ↡機法不離ニシテ必ズ得↢往生ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ・「定善義」文
【64】▲次に大師の釈の 「定善義」 の文、 同じき経文を解す、 その意見つべし。
次大師ノ釈ノ「定善義ノ」文、解ス↢同キ経文ヲ↡、其ノ意可シ↠見ツ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ ・『止観』文
【65】▲次に ¬止観¼ の文は、 菩提心を明かす。
次¬止観ノ¼文ハ、明ス↢菩提心ヲ↡。
これすなはちまた聖道・浄土の大菩提心、 その相異に似たれども和会すればこれ一なることを顕す。 菩提といふは所求の果、 心は能求の心、 つひに違せざるがゆゑに。
是則亦顕ス↢聖道・浄土ノ大菩提心、其ノ相似タレドモ↠異ニ和会スレバ是一ナルコトヲ↡。言↢菩提ト↡者所求ノ之果、心ハ能求ノ心、終ニ不ルガ↠違セ故ニ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 横超
【66】▲「横超」 とらは、 二双四重、 教相▲前のごとし。
「横超ト」等者、二双四重、教相如シ↠前ノ。
▲「大願清浄の報土」 とらは、
「大願清浄ノ報土ト」等者、
問ふ。 かの浄土の中に、 品位浅深経説分明なり。 いまの釈いかん。
問。彼ノ浄土ノ中ニ、品位浅深経説分明ナリ。今ノ釈如何。
答ふ。 いまの文に載するがごとく、 三輩九品は横出の教の意、 所生の土はこれ化土なり。 いまは真実報土の相を明かす。
答。如ク↠載ルガ↢今ノ文ニ↡、三輩九品ハ横出ノ教ノ意、所生之土ハ是化土也。今ハ明ス↢真実報土ノ之相ヲ↡。
¬般舟讃¼ には 「▲不覚転入真如門」 といひ、 ¬法事讃¼ (巻下) には 「▲未籍思量一念功」 といふ。 これおそらくは自然流入薩婆若海の深義といふべきか。
¬般舟讃ニハ¼云ヒ↢「不覚転入真如門ト」↡、¬法事讃ニハ¼云フ↢「未籍思量一念功ト」↡。是恐クハ可↠謂↢自然流入薩婆若海之深義ト↡歟。
また同じき讃 (法事讃巻下) にいはく、 「▲正門はすなはちこれ弥陀界。 究竟の解脱根源を断ず。」 以上 すでに究竟といふ、 なんぞ極果といはざらん。
又同キ¬讃ニ¼云、「正門ハ即是弥陀界。究竟ノ解脱断ズ↢根源ヲ↡。」 已上 既ニ言フ↢究竟ト↡、盍ゾラン↠言↢極果ト↡。
ただし 「▲無上正真道」 といふは、 分証の位あり、 究竟の位あり。 もし差別門によらばしばらく分証に約すべし。 もしはこれ初地、 もしはこれ初住、 宗教の意によりて差異あるべし。 もし平等門によらばすなはち極果に約すべし。 往生・成仏始終の益なりといへども、 時に前後なし、 これ同時なるがゆゑに。
但シ言↢「無上正真道ト」↡者、有リ↢分証ノ位1134↡、有リ↢究竟ノ位↡。若シ依ラバ↢差別門ニ↡且ク可シ↠約ス↢分証ニ↡。若ハ是初地、若ハ是初住、依テ↢宗教ノ意ニ↡可↠有↢差異↡。若シ依ラバ↢平等門ニ↡即可シ↠約ス↢極果ニ↡。往生・成仏雖↢始終ノ益也ト↡、時ニ無シ↢前後↡、是同時ナルガ故ニ。
「▲横超」 といふは、 かの自力の次第竪断証入の称に異なり。
言↢「横超ト」↡者、異ナリ↢彼ノ自力ノ次第竪断証入ノ称ニ↡也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『大経』発願文
【67】▲次に ¬大経¼ の文、 所引に三あり。
次ニ¬大経ノ¼文、所引ニ有リ↠三。
初めの文は上巻。 次上の文いはく、 「▲時にかの此丘仏の所説を聞き、 厳浄の国土みなことごとく覩見す。」 下は所引のごとし 上下合して聞法発願となす。 中において上の文は聞法見土、 いまの文はまさしくその勝願を発すことを明かす。
初ノ文ハ上巻。次上ノ文ニ云、「時ニ彼ノ此丘聞ヽ↢仏ノ所説ヲ↡、厳浄ノ国土皆悉ク覩見ス。」 下ハ如↢所引ノ↡ 上下合シテ為ス↢聞法発願ト↡。於テ↠中ニ上ノ文ハ聞法見土、今ノ文ハ正ク明ス↠発コトヲ↢其ノ勝願ヲ↡。
義寂師 (大経義記巻中) いはく、 「この時に法蔵いまだ初地に登らずといへども、 しかも仏力によりてまたしばらく見ることを得るがゆゑに、 ▲超発無上殊勝願とは、 正発願なり。 この時すでに解発心の終りにあり。 世間の中においてさらに上あることなし。 これによりてすなはちよく証位に入ることを得。 ゆゑに超発無上勝願といふ。」 以上
義寂師ノ云ク、「此ノ時ニ法蔵雖↠未ダ↠登↢初地ニ↡、然モ由テ↢仏力ニ↡亦得ガ↢暫ク見コトヲ↡故ニ、超発無上殊勝願ト者、正発願也。此ノ時既ニ在リ↢解発心ノ終ニ↡。於テ↢世間ノ中ニ↡更ニ無シ↠有コト↠上。因テ↠此ニ便能ク得↠入コトヲ↢証位ニ↡。故ニ云↢超発無上勝願ト↡。」 已上
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『大経』重誓偈文
【68】▲次の文はこれまた同じき重誓の偈最初の二句なり。
次ノ文ハ是又同キ重誓ノ偈最初ノ二句ナリ。
これ法蔵の発願を明かす文なり。 義寂の意によらば、 初めの一行は満願の果を望まんと判ず。
是明ス↢法蔵ノ発願ヲ↡文也。依ラバ↢義寂ノ意ニ↡、初ノ一行ハ判ズ↠望ント↢満願ノ果ヲ↡。
問ふ。 「▲超世の願」 とはいづれの願を指すや。
問。「超世ノ願ト」者指↢何ノ願ヲ↡耶。
答ふ。 諸師不同なり。 影と興との二師は別して摂身・摂土の五願を指す。 寂の意は通じて六八の願を指す。 この中にすべからく義寂の意によるべし。 もし身土に限らば第十八を除く、 仏意に違するがゆゑに。 集主の意によらば広は六八に亘り、 略は十八を指す。 凡夫済度別意の弘願、 諸仏に超えたるがゆゑに 「超世」 といふなり。
答。諸師不同ナリ。影ト興トノ二師ハ別シテ指ス↢摂身・摂土ノ五願ヲ↡。寂ノ意ハ通ジテ指ス↢六八之願ヲ↡。此ノ中ニ須ク↠依↢義寂之意ニ↡。若シ限ラバ↢身土ニ↡除ク↢第十八ヲ↡、違スルガ↢仏意ニ↡故ニ。依ラバ↢集主ノ意ニ↡広ハ亘ル↢六八ニ↡、略ハ指ス↢十八ヲ↡。凡夫済度別意ノ弘願、超タルガ↢諸仏ニ↡故ニ云↢「超世ト」↡也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『大経』勧修益文
【69】▲後の文は下巻修益を勧むる文。
後1135ノ文ハ下巻勧ムル↢修益ヲ↡文。
▲「必得」 とらは、 義寂師 (大経義記巻下) のいはく、 「もしよく精進して五善を持てば、 すなはちよくかならず五悪を超え五痛を絶ちて五焼を去つことを得て、 安身養神の国に往生す。」
「必得ト」等者、義寂師ノ云ク、「若シ能ク精進シテ持テバ↢於五善ヲ↡、則能ク必得テ↧超ヘ↢五悪ヲ↡絶チ↢五痛ヲ↡去コトヲ↦五焼ヲ↥、往↢生ス安身養神ノ之国ニ↡。」
▲「横截」 とらは、 また (大経義記巻下) いはく、 「もし穢土に就きては下三を悪となし人天を善となす、 いま浄土に対しては五をみな悪と名づく。 ひとたび往生を得つれば五道頓に去つ、 ゆゑに横截といふ。 往生しぬれば期せざるに悪を去つ、 生じぬれば悪自然に杜ぐ、 ゆゑに悪道自然閉といふ。」 以上
「横截ト」等者、又云ク、「若シ就テハ↢穢土ニ↡下三ヲ為シ↠悪ト人天ヲ為ス↠善ト、今対シテハ↢浄土ニ↡五ヲ皆名ク↠悪ト。一タビ得ツレバ↢往生ヲ↡五道頓ニ去ツ、故ニ云フ↢横截ト↡。往生シヌレバ不ルニ↠期セ去ツ↠悪ヲ、生ジヌレバ者悪自然ニ杜グ、故ニ言フ↢悪道自然閉ト↡。」 已上
▲「昇道」 とらは、 また (大経義記巻下) いはく、 「ひとたび無為の道に昇りぬれば功を終ふれども窮極あることなし。 十念志をもつぱらにすればかならず往生を得、 ゆゑに易往なり。 百千人の中にしかもその一もなし、 ゆゑに無人なり。」 以上
「昇道ト」等者、又云ク、「一タビ昇ヌレバ↢無為之道ニ↡終レドモ↠功ヲ無シ↠有コト↢窮極↡。十念専ニスレバ↠志ヲ必ズ得↢往生ヲ↡、故ニ易往也。百千人ノ中ニ而モ無シ↢其ノ一モ↡、故ニ無人也。」 已上
▲「其国」 とらは、 また (大経義記巻下) いはく、 「その国逆違して人をして往かざらしむるにあらず、 ただし自然の業牽きて往くことを得ざらまくのみ。」 以上
「其国ト」等者、又云ク、「非ズ↣其ノ国逆違シテ令ルニ↢人ヲシテ不↟往、但シ自然ノ業牽テ不マク↠得↠往コトヲ耳。」 已上
また憬興の釈、 「易往」 (述文賛巻下) 以下▲第二巻のごとし。 かの釈を引くに就きて前後の文を出だしてほぼこれを解すらくみ。
又憬興ノ釈、「易往」以下如シ↢第二巻ノ↡。就テ↠引ニ↢彼ノ釈ヲ↡出シテ↢前後ノ文ヲ↡粗解スラク↠之ヲ耳。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『大阿弥陀経』文
【70】▲次に ¬大阿弥陀経¼ の文は、 言に増減あれどもその意まつたく同じ。
次ニ¬大阿弥陀経ノ¼文者、言ニ有レドモ↢増減↡其ノ意全ク同ジ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 断
【71】次にわたくしの御釈。
次ニ私ノ御釈。
▲「断といふ」 とらは、 仏力によるがゆゑにいまだ惑を断ぜずといへども、 頓に生死を絶ちてすみやかに無生を証す。 この義によるがゆゑにこれを 「断」 といふなり。 これすなはち▲上の横超断の義を解す。
「言ト↠断ト」等者、由ルガ↢仏力ニ↡故ニ雖↠未ダ↠断↠惑ヲ、頓ニ絶テ↢生死ヲ↡速ニ証ス↢無生ヲ↡。依ガ↢此ノ義ニ↡故ニ言↢之ヲ「断ト」↡也。是則解ス↢上ノ横超断ノ義ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・ 二経文
【72】▲次に二経の文。
次ニ二経ノ文。
所引の意、 これ四流すなはち生老病死たる義を証す。 ただ 「▲生死」 といひ 「▲生老死」 といふ、 文字少しといへどもおのおの余の苦を摂す、 彼此広略開合の異なり。 四流の名目▲当巻の本のごとし。
所引ノ之意、是証ス↧四流即為ル↢生老病死↡之義ヲ↥。只云ヒ↢「生死ト」↡云フ↢「生老死ト」↡、文字雖↠少シト各摂ス↢余ノ苦ヲ↡、彼此広略開合ノ異也。四流ノ名目如1136シ↢当巻ノ本ノ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『般舟讃』文
【73】▲次に大師の釈、 その文に二あり。
次ニ大師ノ釈、其ノ文ニ有リ↠二。
▲初めは ¬般舟讃¼ の後序の始めの文なり。 これ穢浄に就きてその厭欣を勧む。
初ハ¬般舟讃ノ¼後序ノ始ノ文ナリ。是就テ↢穢浄ニ↡勧ム↢其ノ厭欣ヲ↡。
「▲凡夫の生死」 といふは、 これ分段生死を指す。 凡夫執著して生死に輪廻す。 このゆゑに誡めて 「▲厭はずはあるべからず」 といふ。 「▲弥陀の浄土」 は菩提の宝所なり。 愚人軽慢して涅槃を遠離す。 このゆゑに勧めて 「▲忻はずはあるべからず」 といふ。
言↢「凡夫ノ生死ト」↡者、是指ス↢分段生死ヲ↡。凡夫執著シテ輪↢廻ス生死ニ↡。是ノ故ニ誡テ言↠「不ト↠可ラ↠不ハアル↠厭ハ」。「弥陀ノ浄土ハ」菩提ノ宝所ナリ。愚人軽慢シテ遠↢離ス涅槃ヲ↡。是ノ故ニ勧テ言↠「不ト↠可ラ↠不ハアル↠忻ハ」。
▲「形名」 とらは、 これ頓証無生の理を顕す。 下の文に判じて (般舟讃) 「▲唯仏与仏得知本元」 といふ、 現生の中にかつがつその理に契ひ、 往生の後よろしくその徳を顕すべし。
「形名ト」等者、是顕ス↢頓証無生ノ之理ヲ↡。下ノ文ニ判ジテ云↢「唯仏与仏得知本元ト」↡、現生ノ之中ニ且契ヒ↢其ノ理ニ↡、往生ノ之後宜クシ↠顕ス↢其ノ徳ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『礼讃』文
【74】▲次の釈は ¬礼讃¼ の前序の終りの文なり。 上に専修・雑修の得失を明かして、 いま専修に就きて信行を勧進す。
次ノ釈ハ¬礼讃ノ¼前序ノ終ノ文ナリ。上ニ明シテ↢専修・雑修ノ得失ヲ↡、今就テ↢専修ニ↡勧↢進ス信行ヲ↡。
▲「善自」 とらは、 いふこころは涯分を顧よとなり。 一本には已とす、 いま己を正とす。
「善自ト」等者、言ハ顧ヨトナリ↢涯分ヲ↡。一本ニハ為↠「巳ト」、今「己ヲ」為↠正ト。
▲「上在」 とらは、 ¬大経¼ (巻下) には説きて 「▲一世勤苦」 といふ。 これすなはち後楽を知らず、 迷ひて一旦の策励をもつて苦となす。 これ実義にあらずゆゑに 「似如」 といふ。
「上在ト」等者、¬大経ニハ¼説テ云フ↢「一世勤苦ト」↡。是則不↠知↢後楽ヲ↡、迷テ以テ↢一旦ノ策励ヲ↡為ス↠苦ト。此レ非ズ↢実義ニ↡故ニ云フ↢「似如ト」↡。
▲「前念」 とらは、 往生を得る利益の速疾なることを明かす。 あるいは (観経) 「▲如弾指頃即生彼国」 といひ、 あるいは (観経) 「▲如一念頃即生彼国」 といふ、 これその義なり。 ただしわが上人別に一義を存じたまふ。
「前念ト」等者、明ス↧得ル↢往生ヲ↡利益ノ速疾ナルコトヲ↥。或ハ云ヒ↢「如弾指頃即生彼国ト」↡、或ハ云フ↢「如一念頃即生彼国ト」↡、是其ノ義也。但シ我ガ上人別ニ存ジタマフ↢一義ヲ↡。
¬愚禿鈔¼ (巻上) にいはく、 「▲本願を信受するは、 前念命終。 即得往生は、 後念即生なり。」 以上 これ平生業成の義に就きて横超頓速の益を顕すところなり。
¬愚禿鈔ニ¼云ク、「信↢受スルハ本願ヲ↡、前念命終。即得往生ハ、後念即生ナリ。」 已上 是就テ↢平生業成ノ之義ニ↡所↠顕ス↢横超頓速ノ益ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 真仏弟子
【75】▲「言真仏弟子」 といふ等は、
言↢「言真仏弟子ト」↡等者、
▲「散善義」 の意。 二尊諸仏の意に随順す、 ゆゑにこの名あり。 ▲¬般舟讃¼ の意、 仏語を行じて安楽土に生ずるをもつてまたこの称を得。 彼此の二文、 同じく浄土修行の人をもつて真仏子と名づく。 もつとも信仰すべし。
「散善義ノ」意。随↢順ス二尊諸仏ノ之意ニ↡、故ニ有リ↢此ノ名↡。¬般1137舟讃ノ¼意、以テ↧行ジテ↢仏語ヲ↡生ズルヲ↦安楽土ニ↥又得↢此ノ称ヲ↡。彼此ノ二文、同ク以テ↢浄土修行ノ之人ヲ↡名ク↢真仏子ト↡。尤モ可シ↢信仰ス↡。
▲「由斯」 とらは、
「由斯ト」等者、
問ふ。 往生の益を得べしというべし。 なんぞ▲大涅槃を超証すといふや。
問。応シ↠言↠可ト↠得↢往生ノ之益ヲ↡。何ゾ云↣「超↢証スト大涅槃ヲ↡」耶。
答ふ。 往生は初益、 涅盤は終益。 また*生即無生の義によれば、 往生すなはちこれ涅槃の極理なり。 このゆゑに勝に従ひて証涅槃といふ。 これ必至滅度の意によるらくのみ。
答。往生ハ初益、涅盤ハ終益。亦依レバ↢生即無生之義ニ↡、往生即是涅槃ノ極理ナリ。是ノ故ニ従テ↠勝ニ云フ↢証涅槃ト↡。是依ラク↢必至滅度ノ意ニ↡耳。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・ 触光柔軟願文
【76】▲次に ¬大経¼ の二文は、 三十三と四との両願なり。 第三十三は触光柔軟の願。
次ニ¬大経ノ¼二文ハ、三十三ト四トノ之両願也。第三十三者ハ触光柔軟ノ願。
問ふ。 光明の功徳は▲第十二にあり、 なんぞ重ねて願ずるや。
問。光明ノ功徳ハ在リ↢第十二ニ↡、何ゾ重テ願ズル耶。
答ふ。 かの摂仏身はすなはち光体たり、 この摂衆生はすなはち光用たり。 体用異なるがゆゑに二願これ別なり。
答。彼ノ摂仏身ハ即為リ↢光体↡、此ノ摂衆生ハ即為リ↢光用↡。体用異ナルガ故ニ二願是別ナリ。
▲「蒙我」 とらは、 ¬▲平等覚経¼ (巻一)・¬▲大阿弥陀¼ (巻上) ともに 「見我」 といふ。 「蒙」 は冥応に約し、 「見」 は顕益に約す。 ただし 「見」 といふといへども心見に約すれば、 同じく冥利に属す。 この願まさしく如来の無瞋善根の利を顕す。 これ歓喜光所照の益なり。
「蒙我ト」等者、¬平等覚経¼・¬大阿弥陀¼共ニ云フ↢「見我ト」↡。「蒙ハ」約シ↢冥応ニ↡、「見ハ」約ス↢顕益ニ↡。但シ雖↠言ト↠「見ト」約スレ↢心見ニ↡者、同ク属ス↢冥利ニ↡。此ノ願正ク顕ス↢如来ノ無嗔善根ノ之利ヲ↡。是歓喜光所照ノ益也。
問ふ。 光明の所治、 瞋恚に限るや。
問。光明ノ所治、限↢嗔恚ニ↡耶。
答ふ。 「▲柔軟」 といふに就きて無瞋に蒙るといへどもかねてまた無貪・無痴を摂すべし。 知るゆゑは、 成就の文 (大経巻上) にいはく、 「▲この光に遇ふ者は、 三垢消滅し、 身意柔軟にして、 歓喜踊躍す。」 以上 柔軟・歓喜は願の意の顕なるに就きて無瞋の益を説く。 三垢消滅はその消滅広く貪痴に亘ることを顕す。
答。就テ↠言ニ↢「柔軟ト」↡雖↠蒙ト↢無嗔ニ↡、兼テ復可シ↠摂ス↢無貪・無癡ヲ↡。所↢以知↡者、*成就ノ文ニ云ク、「遇↢斯ノ光ニ↡者ハ、三垢消滅シ、身意柔軟ニシテ、歓喜踊躍ス。」 已上 柔軟・歓喜ハ就テ↢願ノ意ノ顕ナルニ↡説ク↢無嗔ノ益ヲ↡。三垢消滅ハ顕ス↣其ノ消滅広ク亘コトヲ↢貪癡ニ↡。
問ふ。 ▲身と心とにおいて柔軟の義を論ずること差別いかん。
問。於テ↢身ト与 トニ↟心論ズルコト↢柔軟ノ義ヲ↡差別如何。
答ふ。 ¬論の註¼ の意によるに、 仏三業をもつてもろもろの衆生の虚誑の三業を治したまふ。 すでに三業を治す、 身心ともに柔軟の益を得ることその義分明なり。
答。依ニ↢¬論ノ註ノ¼意ニ↡、仏以テ↢三業ヲ↡治シタマフ↢諸ノ衆生ノ虚誑ノ三業ヲ↡。既ニ治ス↢三業ヲ↡、身心共ニ得コト↢柔軟ノ益ヲ↡其ノ義分明ナリ。
¬論の註¼ の下にいはく、 「▲衆生身見をもつてのゆゑに三塗の身・卑賎の身・醜陋の身・八難の身・流転の身を受く。 ◆かくのごときらの衆生、 阿弥陀如来の相好光明の身を見たてまつれば、 上のごときの種々の身業の繋縛、 みな解脱することを得て、 如来の家に入りて畢竟じて平等の身業を得。」
¬論1138ノ註ノ¼下ニ云、「衆生以ノ↢身見ヲ↡故ニ受ク↢三途ノ身・卑賎ノ身・醜陋ノ身・八難ノ身・流転ノ身ヲ↡。如キ↠是ノ等ノ衆生、見タテマツレバ↢阿弥陀如来ノ相好光明ノ身ヲ↡、如キノ↠上ノ種々ノ身業ノ繋縛、皆得テ↢解脱スルコトヲ↡、入テ↢如来ノ家ニ↡畢竟ジテ得↢平等ノ身業ヲ↡。」
また (論註巻下) いはく、 「▲衆生邪見をもつてのゆゑに心に分別を生じて、 もしは有もしは無、 もしは非もしは是、 もしは好もしは醜、 もしは善もしは悪、 もしは彼もしは此、 かくのごときらの種々の分別あり。 分別をもつてのゆゑに長く三有に淪みて、 種々の分別の苦・取捨の苦を受く。 長く*長夜に寝ねて、 出期あることなし。 ◆この衆生もし阿弥陀如来の平等の光照に遇ひ、 もし阿弥陀如来の平等の意業を聞けば、 これらの衆生上のごときの種々の↓意業の繋縛、 みな解脱することを得て、 如来の家に入りて畢竟じて平等の意業を得。」 以上
又云、「衆生以ノ↢邪見ヲ↡故ニ心ニ生ジテ↢分別ヲ↡、若ハ有若ハ無、若ハ非若ハ是、若ハ好若ハ醜、若ハ善若ハ悪、若ハ彼若ハ此、有リ↢如↠是ノ等ノ種々ノ分別↡。以ノ↢分別ヲ↡故ニ長ク淪テ↢三有ニ↡、受ク↢種々ノ分別ノ苦・取捨ノ苦ヲ↡。長ク寝テ↢長夜ニ↡、無シ↠有コト↢出期↡。是ノ衆生若シ遇ヒ↢阿弥陀如来ノ平等ノ光照ニ↡、若シ聞ケバ↢阿弥陀如来ノ平等ノ意業ヲ↡、是等ノ衆生如ノ↠上ノ種々ノ意業ノ繋縛、皆得テ↢解脱スルコトヲ↡、入テ↢如来ノ家ニ↡畢竟ジテ得↢平等ノ意業ヲ↡。」 已上
二文次いでのごとく身心の益を明かす。
二文如ク↠次ノ明ス↢身心ノ益ヲ↡。
問ふ。 いまの解釈の中に柔軟の言なし、 いかん。
問。今ノ解釈ノ中ニ無シ↢柔軟ノ言↡、如何。
答ふ。 柔軟の言、 しばらく瞋に約すといへども広く論ぜば貪痴二惑を遮せず。 いまの解釈の中に、 ↑意業の益を解するに柔軟と言はず、 ただ繋縛解脱の徳を明かす。 ここに知んぬ、 この義すなはちこれ柔軟なり。 これに準じて知るべし、 身業に明かすところの繁縛解脱、 同じく柔軟たりといふことを。
答。柔軟ノ之言、且ク雖↠約スト↠嗔ニ広ク論ゼバ不↠遮セ↢貪癡ノ二惑ヲ↡。今ノ解釈ノ中ニ、解スルニ↢意業ノ益ヲ↡不↠言↢柔軟ト↡、只明ス↢繋縛解脱ノ之徳ヲ↡。是ニ知ヌ、此ノ義即是柔軟ナリ。准ジテ↠之ニ可シ↠知ル、身業ニ所ノ↠明ス繁縛解脱、同ク為リトイフコトヲ↢柔軟↡。
問ふ。 如来の所治三業に亘らば、 経文なんがゆゑぞ口業を挙げざる。
問。如来ノ所治亘ラ↢三業ニ↡者、経文何ガ故ゾ不ル↠挙↢口業ヲ↡。
答ふ。 ただこれ文の略せるなり。 義はかならずこれあり、 口をもつて身に摂す。 すなはち開合ならくのみ。 あるいは色・心といひ、 あるいは身・意といふに、 口はこれ身の摂、 また色の摂なり。 その益あまねく三業に渉ることを信ずべし。
答。唯是文ノ略セルナリ。義ハ必有リ↠之、以テ↠口ヲ摂ス↠身ニ。即開合ナラク耳。或ハ云ヒ↢色・心ト↡、或ハ云ニ↢身・意ト↡、口ハ是身ノ摂、又色ノ摂也。可シ↠信ズ↣其ノ益普ク渉コトヲ↢三業ニ↡。
ゆゑに ¬論¼ と ¬註¼ と同じく三業に亘りてその功徳を嘆ず。 ¬註¼ (論註巻下) に荘厳口業の徳を釈していはく、 「▲衆生憍慢をもつてのゆゑに、 正法を誹謗し、 賢聖を毀呰し、 尊長を捐斥す。 ◆かくのごときの人、 抜舌瘖瘂の苦・言教不行の苦・無名聞の苦、 かくのごときらの種々の諸苦を受くべし。 衆生阿弥陀如来至徳の名号説法の音声を聞けば、 上のごときの種々の口業の繋縛、 みな解脱することを得て、 如来の家に入りて畢竟じて平等の口業を得。」 以上
故ニ¬論ト¼与 ト ↠¬註¼同ク亘テ↢三業ニ↡嘆ズ↢其ノ功徳ヲ↡。¬註ニ¼釈シテ↢荘厳口業ノ徳ヲ↡云ク、「衆1139生以ノ↢憍慢ヲ↡故ニ、誹↢謗シ正法ヲ↡、毀↢呰シ賢聖ヲ↡、捐ステ↢斥キラフス尊長ヲ↡。如ノ↠是ノ人、応シ↠受ク↢抜舌瘖瘂ノ苦・言教不行ノ苦・無名聞ノ苦、如↠是ノ等ノ種々ノ諸苦ヲ↡。衆生聞ケバ↢阿弥陀如来至徳ノ名号説法ノ音声ヲ↡、如ノ↠上ノ種々ノ口業ノ繋縛、皆得テ↢解脱スルコトヲ↡、入テ↢如来ノ家ニ↡畢竟ジテ得↢平等ノ口業ヲ↡。」 已上
問ふ。 摂取の益を蒙ることは、 十二と当願といづれの願の益ぞや。
問。蒙コトハ↢摂取ノ益ヲ↡、十二ト当願ト何ノ願ノ益ゾ耶。
答ふ。 一仏の光明さらに隔つるところなし。 両願の利益あながちに違害せず。 ただ第十二は摂法身なるがゆゑに仏の自利に約す。 第三十三は摂衆生なるがゆゑに仏の利他に約す。 ゆゑに摂取の益は利他の辺に就きて、 しばらく当願に約するにその義便あり。
答。一仏ノ光明更ニ無シ↠所↠*隔ル。両願ノ利益強ニ不↢違害セ↡。但第十二ハ摂法身ナルガ故ニ約ス↢仏ノ自利ニ↡。第三十三ハ摂衆生ナルガ故ニ約ス↢仏ノ利他ニ↡。故ニ摂取ノ益ハ就テ↢利他ノ辺ニ↡、且ク約スルニ↢当願ニ↡其ノ義有リ↠便。
このゆゑに憬興は当願を名づけて (述文賛巻中) 「蒙光獲利」 といふ、 寂は (大経義記巻中) 「光明摂益の願」 といふ。 両師の立名その意ここにあり。
是ノ故ニ憬興ハ当願ヲ名テ云↢「蒙光獲利ト」↡、寂ハ云↢「光*明摂益ノ之願ト」↡。両師ノ立名其ノ意在リ↠斯ニ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・ 聞名得忍願文
【77】▲第三十四は聞名得忍の願。
第三十四ハ聞名得忍ノ願。
問ふ。 ただ聞名の力ただちに無生を得ること、 たとひ仏願なりといへども信じがたし、 いかん。
問。唯聞名ノ力直チニ得コト↢無生ヲ↡、縦ヒ雖↢仏願也ト↡難シ↠信ジ、如何。
答ふ。 四十八願みな徒設ならず。 すでにこれ仏願なり、 なんぞ疑惑を抱かん。 もしこの願を疑はば余願もまたしかるなり。 たとひただ聞くといへどもただ仰信すべし。 いはんや聞名とはすなはち称名なるべし。
答。四十八願皆不↢徒設ナラ↡。既ニ是仏願ナリ、何ゾ抱カン↢疑惑ヲ↡。若シ疑ハヾ↢此ノ願ヲ↡余願モ亦然ナリ。縦ヒ雖↢但聞ト↡唯可シ↢仰信ス↡。況ヤ聞名ト者即可シ↢称名ナル↡。
なにをもつてか知ることを得る。 次下の▲女人往生の願、 聞名と説くといへども、 ¬観念法門¼ にこの願を引きて 「▲称仏名号」 といふ。 もつとも準拠すべし。
何ヲ以テカ得ル↠知コトヲ。次下ノ女人往生ノ之願、雖↠説ト↢聞名ト↡、¬観念法門ニ¼引テ↢比ノ願ヲ↡云フ↢「称仏名号ト」↡。尤可シ↢准拠ス↡。
問ふ。 所被の機、 衆生といふは凡聖の中にはいづれぞ。
問。所被ノ之機、言↢衆生ト↡者凡聖ノ中ニハ何ゾ。
答ふ。 これはこれ凡夫。 衆生の名凡聖に通ずといへども、 その聖においてはみな菩薩といふ。 いま衆生といふ、 ただこれ凡夫なり。
答。此ハ是凡夫。衆生ノ之名雖↠通ズト↢凡聖ニ↡、於↢其ノ聖ニ↡者皆云↢菩薩ト↡。今云フ↢衆生ト↡、只是凡夫ナリ。
問ふ。 いふところの 「▲無生」 はいづれの位に得るや。
問。所ノ↠言フ「無生ハ」何1140ノ位ニ得耶。
答ふ。 地上の無生なり。 ただしあるいは初地、 あるいは第七地、 得無生の位異説ありといへどもともに地上なり。
答。地上ノ無生ナリ。但シ或ハ初地、或ハ第七地、得無生ノ位雖↠有↢異説↡共ニ地上也。
問ふ。 当巻の中にこの二願を引く、 なんの意かあるや。
問。当巻ノ之中ニ引ク↢此ノ二願ヲ↡、有↢何ノ意カ↡耶。
答ふ。 まづ上の願を引くことは、 触光柔軟はこれ光明の益なり。 けだし光明・名号の勝利によりてその往益を得ること肝要たるがゆゑに。
答。先ヅ引コトハ↢上ノ願ヲ↡、触光柔軟ハ是光明ノ益ナリ。蓋シ依テ↢光明・名号ノ勝利ニ↡得コト↢其ノ往益ヲ↡為ガ↢肝要↡故ニ。
¬礼讃¼ の釈にいはく、 「▲以光明名号摂化十方。」 以上
¬礼讃ノ¼釈ニ云ク、「以光明名号摂化十方。」 已上
黒谷 ¬三部経の講釈¼ (三部経大意) にいはく、 「光明の縁・名号の因、 因縁和合してしかも摂取不捨の益を蒙る。」 以上
黒谷¬三部経ノ講釈ニ¼云、「光明ノ之縁・名号ノ之因、因縁和合シテ而モ蒙ル↢摂取不捨ノ之益ヲ↡。」 已上
次の願は同じく聞名の益を説くがゆゑに。
次ノ願ハ同ク説ガ↢聞名ノ益ヲ↡故ニ。
問ふ。 聞名の益を説くことはただこの願のみにあらず、 その数これ多し。 なんぞ限りて引くや。
問。説コトハ↢聞名ノ益ヲ↡非ズ↢但此願ノミニ↡、其ノ数多シ↠之。何ゾ限テ引耶。
答ふ。 多を引き一を引く、 その義妨げなし。 聞名を尽さずは、 この難尽ることなからん。 しかるに無生忍は行者の所期なり。 その勝益に就きてことにこれを引くか。
答。引キ↠多ク引ク↠一ヲ、其ノ義無シ↠妨。不ハ↠尽↢聞名ヲ↡、此ノ難無ラン↠尽コト。而ニ無生忍ハ行者ノ所期ナリ。就テ↢其ノ勝益ニ↡殊ニ引↠之歟。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『如来会』文
【78】▲次に ¬如来会¼ の文、
次ニ¬如来会ノ¼文、
意 ¬大経¼ に同じ。 かれは 「▲柔軟」 と説き、 これは 「▲安楽」 といふ。 安楽はすなはちこれ柔軟の義広く三業に亘る、 その義知んぬべし。
意同ジ↢¬大経ニ¼↡。彼ハ説キ↢「柔軟ト」↡、此ハ云フ↢「安楽ト」↡。安楽ハ即是柔軟ノ之義広ク亘ル↢三業ニ↡、其ノ義応シ↠知ル。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・ 諸経文
【79】▲次に ¬大¼・¬観¼ 等の経文。
次ニ¬大¼・¬観¼等ノ経文。
あるいは上に引きあるいは下にこれを引くといへども、 もしは一句を略しもしは一言を抜きて、 上の文を助成して讃揚すらくのみ。
雖↢或ハ上ニ引キ或ハ下ニ引ト↟之ヲ、若ハ略シ↢一句ヲ↡若ハ抜テ↢一言ヲ↡、助↢成シテ上ノ文ヲ↡讃揚スラク而已。
▲「其有」 とらは、 下巻 (大経) の中 「▲仏告弥勒」 の下、 勧人修捨の文なり。 義寂師 (大経義記巻下) 同じき科段を釈していはく、 「これすなはち勧めて無染清浄心を修習せしむ。」 以上
「其有ト」等者、下巻之中「仏告弥勒ノ」之下、勧人修捨ノ文也。義寂師釈シテ↢同キ科段ヲ↡云、「此即勧テ令ム↣修↢習セ無染清浄心ヲ↡。」 已上
▲「智慧明達功徳」 とらは、 その徳まづ生後の益を指す。 ただしまた現生に通ずる義あるべし。 もしその義に約せば、 念仏修行の人かならずしも智慧功徳を獲得すべしといふにはあらず。 その頓断生死の功を謂ふに、 義智を得功徳を得るに当るなり。
「智恵明達功徳ト」等者、其ノ徳先ヅ指ス↢生後之益ヲ↡。但シ亦可シ↠有↧通ズル↢現生ニ↡義↥。若シ約セバ↢1141其ノ義ニ↡、非ズ↠謂ニハ↤念仏修行ノ之人可シト↣必シモ獲↢得ス智恵功徳ヲ↡。謂フニ↢其ノ頓断生死ノ之功ヲ↡、義当ル↣得↠智得ルニ↢功徳ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『安楽集』五文
【80】▲次に ¬安楽集¼ の上の文。 所引に総じて五段あり、 「乃至」 の言を置きてその文の別を示す。
次ニ¬安楽集ノ¼上ノ文。所引ニ総ジテ有リ↢五段↡、置テ↢「乃至ノ」言ヲ↡示ス↢其ノ文ノ別ヲ↡。
【81】▲最初の文は、 第一大門に九門を作る中に、 いまの文は第二の章段の釈なり。 また当章の中に六ある内、 いまの文は初めに ¬大集経¼ の説による。
最初ノ文者、第一大門ニ作ル↢九門ヲ↡中ニ、今ノ文ハ第二ノ章段ノ釈也。又当章ノ中ニ有ル↠六之内、今ノ文ハ初依ル↢¬大集経ノ¼説ニ↡。
よりて ¬集¼ (安楽集巻上) の正文 「方軌者」 の下、 「大集経」 の上に見るに、 「▲於中有六第一」 等の六字あり。 初めの所引四行余はこれその釈なり。
仍テ¬集ノ¼正文「方軌者ノ」下、「大集経ノ」上ニ見ニ、有リ↢「於中有六第一」等ノ之六字↡。初之所引四行余者是其ノ釈也。
次に 「▲乃至」 とは、 上巻の終りならびに下巻の始めを略す、 ゆゑにこの言あり。
次ニ「乃至ト」者、略ス↢上巻ノ終並ニ下巻ノ始ヲ↡、故ニ有リ↢此ノ言↡。
【82】▲次の文は下巻の大門第四に三番ある中に、 二に彼此の諸経を引きて多く念仏三昧を明かして宗とする中に八番の釈あり。 いまの文はその第三番に ¬涅槃経¼ による文なり。
次ノ文ハ下巻ノ大門第四ニ有↢三番↡中ニ、二ニ引テ↢彼此ノ諸経ヲ↡多ク明シテ↢念仏三昧ヲ↡為ル↠宗ト之中ニ有リ↢八番ノ釈↡。今ノ文ハ其ノ第三番ニ依ル↢¬涅槃経ニ¼↡文也。
▲「而作」 とらは、 ある一本を見るに、 「作」 をもつて 「▲住」 となす。 もし 「作」 の義によらば、 諸仏世尊、 その行人のためにかつは供養を受けかつは利益を施す。 もし 「住」 の義によらば、 諸仏世尊、 その人の辺に住して前のごとく受施す。 いまの文はかの ¬経¼ の第十八巻取意の文なり。
「而作ト」等者、見ニ↢或ル一本ヲ↡、以テ↠「作ヲ」為ス↠「住ト」。若シ依ラバ↢「作ノ」義ニ↡、諸仏世尊、為ニ↢其ノ行人ノ↡且ハ受ケ↢供養ヲ↡且ハ施ス↢利益ヲ↡。若シ依ラバ↢「住ノ」義ニ↡、諸仏世尊、住シテ↢其ノ人ノ辺ニ↡如ク↠前ノ受施ス。今ノ文ハ彼ノ¬経ノ¼第十八巻取意ノ文也。
次に 「▲乃至」 とは、 同じき八番の中に、 これ第四・第五の両番を除く。
次ニ「乃至ト」者、同キ八番ノ中ニ、此レ除ク↢第四・第五ノ両番ヲ↡。
【83】▲次は ¬智論¼ による第六番の文なり。
次ハ依ル↢¬智論ニ¼↡第六番ノ文ナリ。
これによりて本の中に 「依大」 の*下に 「第六」 (安楽集巻下) の字あり。 いまの文はかの ¬論¼ の第七巻の中の取意の文なり。
依テ↠之ニ本ノ中ニ「依大ノ」之下ニ有リ↢「第六ノ」之字↡。今ノ文ハ彼ノ¬論ノ¼第七巻ノ中ノ取意ノ文也。
【84】▲次の文は上巻第三大門に三番ある中に、 第一に発菩提を明かす文にまた四番あり。 その中の第一に菩提の心の功用を出だす初めの文なり。
次1142ノ文ハ上巻第三大門ニ有ル↢三番↡中ニ、第一ニ明ス↢発菩提ヲ↡文ニ又有リ↢四番↡。其ノ中ノ第一ニ出ス↢菩提ノ心ノ功用ヲ↡初ノ文ナリ。
「▲大経にのたまはく」 とは、 三輩の文を指す。 現行の本文にいささかその異あり。 「周遍法界」 をあるいは 「▲遍周」 といふ。 また 「法界」 の下にさらに二句あり、 「▲此心究竟等若虚空」 の八字これなり。
「大経ニ云ト」者、指ス↢三輩ノ文ヲ↡。現行ノ本文ニ聊有リ↢其ノ異↡。「周遍法界ヲ」或ハ云フ↢「遍周ト」↡。又「法界ノ」下ニ更ニ有リ↢二句↡、「此心究竟等若虚空ノ」八字是也。
▲「傾無」 とらは、 いふこころは無始輪回の苦報を断つ。 ¬止観¼ の一 (巻一上) にいはく、 「善悪輪環す。」 ¬弘決¼ (輔行巻一) に釈していはく、 「善は非想に通じ、 悪は無間に極まる。 昇りてまた沈む、 ゆゑに名づけて輪となす。 無始無際なり、 これを喩ふるに環のごとし。」 以上
「傾無ト」等者、言ハ断ツ↢無始輪廻ノ苦報ヲ↡。¬止観ノ¼一ニ云ク、「善悪輪環ス。」¬弘決ニ¼釈シテ云ク、「善ハ通ジ↢非想ニ↡悪ハ極マル↢無間ニ↡。昇而復沈ム、故ニ名テ為ス↠輪ト。無始無際ナリ、喩ニ↠之ヲ如シ↠環ノ。」 已上
この文の前後におのおの 「乃至」 といふ。 ▲上の 「乃至」 に就きて、
此ノ文ノ前後ニ各言フ↢「乃至ト」↡。就テ↢上ノ「乃至ニ」↡、
問ふ。 常途の義に準ずるに、 乃至といふは、 もしは一段、 もしは一部の中において、 中を略する言なり。 いま ¬大経¼ の釈文を引くは上巻、 上に ¬智論¼ の釈文を引くは下巻。 逆次の引用錯乱の上、 「乃至」 の言その義思ひがたし、 いかん。
問。准ズルニ↢常途ノ義ニ↡、言↢乃至ト↡者、於テ↢若ハ一段、若ハ一部ノ中ニ↡、略スル↠中ヲ言也。今引クハ↢¬大経ノ¼釈文ヲ↡上巻、上ニ引クハ↢¬智論ノ¼釈文ヲ↡下巻。逆次ノ引用錯乱ノ之上、「乃至ノ」之言其ノ義難シ↠思ヒ、如何。
答ふ。 所難まことにしかなり。 ただし試みにこれを解せば、 上下の 「乃至」 ともに所引の ¬大悲経¼ の文に対す。 かの文は下巻の第五大門に四番ある中に、 第一にひろく修道の延促を明かして、 すみやかに不退を獲しめんと欲する中に、 多くの経説を引くその一の文なり。 ただし中間に上巻の文を引く意は、 ¬大論¼ に明かすところの念仏三昧と ¬大悲経¼ の相続念仏と、 これ一法なるがゆゑに。 その二文の中に、 菩提心を挙げてこの心念仏を信行する信心たることを顕さんがためのゆゑに、 中間にこれを引きて上下に被らしむるなり。
答。所難誠ニ然ナリ。但シ試ニ解セバ↠之ヲ、上下ノ「乃至」共ニ対ス↢所引ノ¬大悲経ノ¼文ニ↡。彼ノ文ハ下巻ノ第五大門ニ有ル↢四番↡中ニ、第一ニ汎ク明シテ↢修道ノ延促ヲ↡、欲スル↠令ント↣速ニ獲↢不退ヲ↡之中ニ、引ク↢多ノ経説ヲ↡其ノ一ノ文也。但シ中間ニ引ク↢上巻ノ文ヲ↡意ハ、¬大論ニ¼所ノ↠明ス念仏三昧ト与 ト ↢¬大悲経ノ¼相続念仏↡、是一法ナルガ故ニ。其ノ二文ノ中ニ、挙グ↢菩提心ヲ↡為ノ↠顕サンガ↧此ノ心信↢行スル念仏ヲ↡之信心タルコトヲ↥故ニ、中間ニ引テ↠之ヲ被シムル↢上下ニ↡也。
【85】▲後の文の中に ▲「若専」 とらは、 これ自利に約して往生の益を明かす。 ▲「若能」 とらは、 これ利他に約して大悲の益を明かす。
後ノ文ノ之中ニ「若専ト」等者、是約シテ↢自利ニ↡明ス↢往生ノ益ヲ↡。「若能ト」等者、是約シテ↢利他ニ↡明ス↢大1143悲ノ益ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『般舟讃』三文
【86】▲次に大師の釈、 総じて八文あり。
次ニ大師ノ釈、総ジテ有リ↢八文↡。
初めの釈の中に ▲「唯恨」 とらは、 疑を誡め信を勧めてその冥応自然に忤はざることを示す。 「忤」 ¬玉篇¼ にいはく、 「五故切、 逆なり。」
初ノ釈ノ之中ニ「唯*恨ト」等者、誡メ↠疑ヲ勧テ↠信ヲ示↢其ノ冥応自然ニ不コトヲ↟忤ハ。「忤」¬玉篇ニ¼云、「五故切、逆也。」
▲「莫論」 とらは、 これ念仏すればかならず摂取に預りて求めざるにおのづから益することを顕す。
「莫論ト」等者、是顕ス↧念仏スレバ必預テ↢摂取ニ↡不ルニ↠求メ自益スルコトヲ↥。
▲「意在」 とらは、 いふこころは仏願の意ただ専心決定して回心するにあり。 「▲専心」 といふは、 すなはちこれ一心専念の心ならくのみ。
「意在ト」等者、言ハ仏願ノ意唯在リ↢専心決定シテ廻心スルニ↡。言↢「専心ト」↡者、即是一心専念ノ心ナラク耳。
【87】▲次の文はこれ弥陀の仏恩を讃ず。 苦の娑婆を出づることはひとへに如来の恩なり。
次ノ文ハ是讃ズ↢弥陀ノ仏恩ヲ↡。出コトハ↢苦ノ娑婆ヲ↡偏ニ如来ノ恩ナリ。
【88】▲次の文はこれ釈迦の仏恩を嘆ず。 「▲本師」 といふは、 教主釈尊。 二尊の力によりて往生の益を得。 報恩を勧めんがためにこの二文を引く。
次ノ文ハ是嘆ズ↢釈迦ノ仏恩ヲ↡。言↢「本師ト」↡者、教主釈尊。依テ↢二尊ノ力ニ↡得↢往生ノ益ヲ↡。為ニ↠勧メンガ↢報恩ヲ↡引ク↢此ノ二文ヲ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『礼讃』二文
【89】▲次の文は初夜の ¬礼讃¼ の偈なり。
次ノ文ハ初夜ノ¬礼讃ノ¼偈也。
▲「仏世」 とらは、 総じて仏出の世に遇ひがたきことを明かし、 兼ねて仏法難遇の意を含む。 ¬大経¼ (巻下) に 「▲如来の興世、 値ひがたく見たてまつりがたし。 諸仏の経道、 得がたく聞きがたし。 菩薩の勝法諸波羅蜜、 聞くことを得ることまた難し」 といへる意によるがゆゑなり。
「仏世ト」等者、総ジテ明シ↠難コトヲ↠遇↢仏出ノ之世ニ↡、兼テ含ム↢仏法難遇ノ之意ヲ↡。依ルガ↧¬大経ニ¼云ヘル↢「如来ノ興世、難ク↠値ヒ難シ↠見タテマツリ。諸仏ノ経道、難ク↠得難シ↠聞。菩薩ノ勝法諸波羅蜜、得コト↠聞コトヲ亦難シト」↡之意↥故也。
▲「遇聞」 とらは、 別して浄土の法に遇ひがたきことを明かす。
「遇聞ト」等者、別シテ明ス↠難コトヲ↠遇↢浄土ノ之法ニ↡。
「▲希有法」 とは、 弥陀の教なり。 同文 (大経巻下) に 「▲善知識に遇ひて、 法を聞きて↓よく行ずること、 これまた難しとなす」 といへる意によるがゆゑなり。
「希有法ト」者、弥陀ノ教也。依ルガ↩同文ニ云ヘル↧「遇テ↢善知識ニ↡、聞テ↠法ヲ能ク行ズルコト、此亦為スト↞難シト」之意ニ↨故也。
▲「自信」 とらは、 これみづから信じ他を教ふる、 ともにまことに仏恩を報ずるにあることを明かす。 上に↑能行といふその言の中に、 自利利人の二益を含すなり。
「自信ト」等者、是明ス↤自信ジ教フル↠他ヲ、共ニ在コトヲ↣真ニ報ズルニ↢仏恩ヲ↡。上ニ云フ↢能行ト↡其ノ言ノ中ニ、含ス↢自利々人ノ之二ノ益ヲ↡也。
【90】▲次に同じき (礼讃) 日中の真身観の讃。
次1144ニ同キ日中ノ真身観ノ讃。
▲「唯有」 とらは、
「唯有ト」等者、
問ふ。 経文にはただ 「▲念仏衆生摂取不捨」 と説きて (観経) 余を遮する言なし、 なんぞ 「唯」 といふや。
問。経文ニハ只説テ↢「念仏衆生摂取不捨ト」↡無シ↢遮スル↠余ヲ言↡、何ゾ云↠「唯ト」耶。
答ふ。 次下の句に 「▲本願為強」 といふ。 ここに 「唯有」 といふ義を知るべし。 如来、 もと深重の願を発したまふ時、 諸行を選び捨てて本願となさず、 念仏を選び取りて独り本願となしたまふ。 因位の本願すでに諸行を遮す、 正覚の心光利益なんぞ違せん。 捨つるところの行なるがゆゑに余行を照らさず、 取るところの行なるがゆゑにただ念仏を摂す。 彼此の行人摂不、 知んぬべし。
答。次下ノ句ニ云フ↢「本願為強ト」↡。可シ↠知ル↧此ニ云フ↢「唯有ト」↡之義ヲ↥。如来、本発シタマフ↢深重ノ願ヲ↡時、選ビ↢捨テゝ諸行ヲ↡不↠為↢本願ト↡、選↢取テ念仏ヲ↡独為シタマフ↢本願ト↡。因位ノ本願既ニ遮ス↢諸行ヲ↡、正覚ノ心光利益何ゾ違セン。所ノ↠捨行ナルガ故ニ不↠照サ↢余行ヲ↡、所ノ↠取ル行ナルガ故ニ唯摂ス↢念仏ヲ↡。彼此ノ行人摂不、応シ↠知ヌ。
ゆゑにこの ¬讃¼ において三経の説を出だす。 ▲初めの二句は総じて当観の説を標す、 唯有の一句は別して当観に就きて摂取の益の限りて念仏にあることを示す。
故ニ於テ↢此ノ¬讃ニ¼↡出ス↢三経ノ説ヲ↡。初ノ二句ハ総ジテ標ス↢当観ノ説ヲ↡、唯有ノ一句ハ別シテ就テ↢当観ニ↡示ス↣摂取ノ益ノ限テ在コトヲ↢念仏ニ↡。
▲「当知」 とらは、 ¬大経¼ の意を明かす。 ▲「十方」 とらは、 ¬小経¼ の意による。 ▲「専称」 とらは、 別して ¬小経¼ を指して総じて三経名号を宗とすることを明かす。
「当知ト」等者、明ス↢¬大経ノ¼意ヲ↡。「十方ト」等者、依ル↢¬小経ノ¼意ニ↡。「専称ト」等者、別シテ指シテ↢¬小経ヲ¼↡総ジテ明ス↢三経名号ヲ為コトヲ↟宗ト。
▲「十地」 とらは、 これ衆生本有の具徳、 法性の土に至りてまさに顕現すべきことを明かす。 これ十地究竟の徳を顕す、 さらに本無今有の徳にあらず。 もし酬因感果の理によりてその自力修入の義を論ずれば、 成といふべきか、 彰といふべからず。 また自然といふべからざるのみ。
「十地ト」等者、是明ス↧衆生本有ノ具徳、至テ↢法性ノ土ニ↡方ニ可コトヲ↦顕現ス↥。是顕ス↢十地究竟ノ之徳ヲ↡、更ニ非ズ↢本無今有之徳ニ↡。若シ依テ↢酬因感果ノ之理ニ↡論ゼバ↢其ノ自力修入ノ之義ヲ↡、可↠云↠成ト歟、不↠可↠云↠彰ト。又不↠可カラ↠云↢自然ト↡而已。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『観念法門』文
【91】▲次の文は ¬観念法門¼ の釈なり。
次ノ文ハ¬観念法門ノ¼釈也。
この文同じく真身観の意による。 上の文には 「▲唯」 といひこの釈には 「▲但」 といふ。 雑業の行者照摂を蒙らず、 念仏の行人独り光摂を得。 深く経の意を解すること解釈分明なり。
此ノ文同ク依ル↢真身観ノ意ニ↡。上ノ文ニハ云ヒ↠「唯ト」此ノ釈イハ云フ↠「但ト」。雑業ノ行者不↠蒙↢照摂ヲ↡、念仏ノ行人独得↢光*摂ヲ↡。深ク解スルコト↢¬経ノ¼意ヲ↡解釈分明ナリ。
▲「心光」 といふは、 これ光に身相・心想を分ちてその体各別なるにあらず、 ただ義門に就きてよろくその意を得べし。 仏の慈悲摂受の心をもつて照触するところの光、 これを 「心光」 と名づく。 これ念仏の行、 仏心と相応す。 その仏心とは慈悲を体となす。
言↢「心光ト」↡者、此非ズ↧光ニ分テ↢身相・心想ヲ↡其ノ体各別ナルニ↥、只就テ↢義門ニ↡宜クシ↠得↢其ノ意ヲ↡。以テ↢仏1145ノ慈悲摂受ノ之心ヲ↡所ノ↢照触スル↡光、名ク↢之ヲ「心光ト」↡。是念仏ノ行、相↢応ス仏心ト↡。其ノ仏心ト者慈悲ヲ為ス↠体ト。
これをもつて経 (観経) にいはく、 「▲仏心とは大慈悲これなり。 無縁の慈をもつてもろもろの衆生を摂す。」 以上 このゆゑに称名の行人を照触する大悲の光、 心の称を得らくのみ。 これに準じてわたくしに案ずるに、 観仏三昧所観所見の光明等、 身光の名に預かるべきものか。
是ヲ以テ¬経ニ¼ク云、「仏心ト者大慈悲是ナリ。以テ↢無縁ノ慈ヲ↡摂ス↢諸ノ衆生ヲ↡。」 已上 ノ故ニ照↢触スル称名ノ行人ヲ↡之大悲ノ光、得ラク↢心ノ称ヲ耳。准ジテ↠之ニ私ニ案ズルニ、観仏三昧所観所見之光明等、可キ↠預カル↢身光之名ニ↡者耶。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・「序分義」文
【92】▲次の所引の文、 「序分義」 の中の示観縁の釈なり。
次ノ所引ノ文、「序分義ノ」中ノ示観縁ノ釈ナリ。
▲「心といふ」 とらは、 観成の相に約す。 ただし外に観門の益を標すといへども、 内に念仏所得の益を顕す。 知るゆゑは、 清浄業といふ。 まづ懴悔に約して清浄を釈すといへども、 後に念仏滅罪の義に就きて清浄の義を釈す。
「言↠心ト」等者、約ス↢観成ノ相ニ↡。但シ雖↣外ニ標スト↢観門ノ之益ヲ↡、内ニ顕ス↢念仏所得ノ之益ヲ↡。所↢以知ル↡者、云フ↢清浄業ト↡。先ヅ約シテ↢懴悔ニ↡雖↠釈スト↢清浄ヲ↡、後ニ就テ↢念仏滅罪之義ニ↡釈ス↢清浄ノ義ヲ↡。
すなはちかの文 (序分義) にいはく、 「▲下の観門によりて専心に念仏すれば、 想を西方に注めて、 念々に罪除こるゆゑに清浄なり。」 以上 その機また (序分義意) 「▲煩悩賊害失此法財」 といふ。
則彼ノ文ニ云、「依テ↢下ノ観門ニ↡専心ニ念仏スレバ、注テ↢想ヲ西方ニ↡、念々ニ罪除コル故ニ清浄也。」 已上 其ノ機又云フ↢「煩悩賊*害失此法財ト」↡。
これ念仏所被の機を顕す。 ゆゑに知んぬ、 得るところの無生の益、 これまた念仏の益にあるべし。 ゆゑに 「▲踊躍」 といふ。 「▲この喜びによる」 といひ、 「▲喜忍を得」 といふ、 これ信心歓喜の得益を顕す。
是顕ス↢念仏所被ノ之機ヲ↡。故ニ知ヌ、所ノ↠得ル無生ノ之益、是又可シ↠在ル↢念仏ノ之益ニ↡。故ニ云フ↢「踊躍ト」↡。云ヒ↠「因ト↢此ノ喜ニ↡」、云フ↠「得ト↢喜忍ヲ↡」、是顕ス↢信心歓喜ノ得益ヲ↡。
「▲悟忍」 といふは、 仏智を悟るがゆゑに。 「▲信忍」 といふは、 すなはちこれ信心成就の相なり。 上人当巻にこの文を引かるること、 さらに観門の益に備へられず、 これ念仏得益の辺によりて引かるるところなり。
言↢「悟忍ト」↡者、悟ガ↢仏智ヲ↡故ニ。言↢「信忍ト」↡者、即是信心成就ノ相也。上人当巻ニ被コト↠引↢此ノ文ヲ↡、更ニ不↠被↠備↢観門ノ之益ニ↡、是依テ↢念仏得益ノ之辺ニ↡所↠被↠引也。
▲「此乃」 とらは、 玄に正説に先だつてその利益を挙げて、 人をしてこれを悕はしむ、 ゆゑに 「玄談」 といふ。 ▲「未標」 とらは、 得忍といふといへどもいまだ分斉を明さず、 ゆゑに 「未標」 といふ。
「此乃ト」等者、玄ニ先テ↢正説ニ↡挙テ↢其ノ利益ヲ↡、令 シム↢人ヲシテ悕↠之ヲ、故ニ云フ↢「玄談ト」↡。「未標ト」等者、雖↠言ト↢得忍ト↡未↠明↢分斉ヲ↡、故ニ云フ↢「未標」↡。
▲「勇猛」 とらは、 しばらく観法修行の相貌に就きてその策励を勧む。 ¬智度論¼ (巻五初品意) にいはく、 「禅定・智慧精進にあらざれば成ぜず。」 以上 けだしこの義なり。
「勇猛ト」等者、且ク就テ↢観法修行ノ相貌1146ニ↡勧ム↢其ノ策励ヲ↡。¬智度論ニ¼云、「禅定・智恵非レ↢精進ニ↡者不↠成ゼ。」 已上 蓋シ比ノ義也。
▲「此多」 とらは、 薄地信外の凡夫たりといへども、 いま他力超絶の強縁によりて信根を成就す。 ゆゑに得忍に就きてこれを十信といふ。
「此多ト」等者、雖↠為ト↢薄地信外ノ凡夫↡、今依テ↢他力超絶ノ強縁ニ↡成↢就ス信根ヲ↡。故ニ就テ↢得忍ニ↡謂フ↢之ヲ十信ト↡。
このゆゑに上人の 「正信偈」 (行巻) にいはく、 「▲韋提と等しく三忍を獲て、 すなはち法性の常楽を証す。」 下の文にまたいはく、 「▲金剛心を獲るもの、 すなはち韋提と等しく、 すなはち喜・悟・信の忍を獲得すべし。」
是ノ故ニ上人ノ「正信偈ニ」云ク、「与↢韋提↡等ク獲テ↢三忍ヲ↡、即証ス↢法性之常楽ヲ↡。」下ノ文ニ亦云フ、「獲↢金剛心ヲ↡者、則与↢韋提↡等ク、即可シ↣獲↢得ス喜・悟・信ノ之忍ヲ↡。」
▲「非解」 とらは、 これ古来諸師の義を嫌ふなり。
「非解ト」等者、是嫌↢古来諸師ノ義ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・「散善義」文
【93】▲次に 「散善義」 流通分の中にその七ある内、 第四段の文。
次ニ「散善義」流通分ノ中ニ有ル↢其ノ七↡内、第四段ノ文。
▲「正顕」 とらは、 よく仏意を得深く経旨を探りて、 念仏の徳の余の雑業に超えたることを嘆ず。 「定善義」 には 「▲自余の衆行はこれ善と名づくといへども、 もし念仏に比ぶればまつたく比校にあらず」 といひ、 いまの文にはまた 「▲まことに雑善をもつて比類とすることを得るにあらず」 といふ。 二尊の正意、 大師の高判、 念仏諸行勝劣、 よろしく知るべし。
「正顕ト」等者、能ク得↢仏意ヲ↡深ク探テ↢経旨ヲ↡、嘆ズ↣念仏ノ徳ノ超タルコトヲ↢余ノ雑業ニ↡。「定善義ニハ」云ヒ↧「自余ノ衆行ハ雖↠名ト↢是善ト↡、若シ比ブレ↢念仏ニ↡者全ク非ズト↢比挍ニ↡也」↥、今ノ文ニハ亦云フ↣「実ニ非ト↢雑善ヲモテ得ニ↟為コトヲ↢比類ト↡。」二尊ノ正意、大師ノ高判、念仏諸行勝劣、宜ク↠知。
「▲分陀利」 とは、 蓮の中の好華、 西天にこれを翫ぶことここの桜梅のごとし。 このゆゑにこれをもつていまの行人に喩ふ。
「分陀利ト」者、蓮ノ中ノ好花、西天ニ翫ブコト↠之ヲ如シ↢此ノ桜梅ノ↡。是ノ故ニ以テ↠之ヲ喩フ↢今ノ行人ニ↡。
憬興師のいはく、 「分陀利華はすなはち白蓮華なり、 水陸の華の中にもつとも尊勝となす。」
憬興師ノ云ク、「分陀利花ハ即白蓮*華ナリ、水陸ノ花ノ中ニ最モ為ス↢尊勝ト↡。」
¬大日経¼ によるに蓮華に五あり。 一には鉢頭摩、 二には優鉢羅、 おのおの二色あり、 いはく赤と白と。 三には倶勿頭、 また二色あり、 いはく赤と白と。 四には泥盧鉢羅、 この華極めて香し、 牛糞より生ず。 五には分荼利迦、 葉々あひ承けて円整して愛しつべし、 最外の葉極めて白く、 内色やうやく微黄なり、 この華極めて香し。
依↢¬大日経ニ¼↡蓮花ニ有↠五。一ニハ鉢頭摩、二ニハ優鉢羅、各有リ↢二色↡、謂ク赤ト与 ト ↠白。三ニハ倶勿頭、亦有リ↢二色↡、謂ク赤ト与 ト ↠白。四ニハ泥盧鉢羅、此ノ花極テ香シ、従リ↢牛糞↡生ズ。五ニハ分荼利迦、葉々相承テ円整シテ可シ↠愛シツ、最外ノ葉極テ白ク、内色漸ク微黄ナリ、此ノ花極テ香シ。
「▲蔡華」 といふは、 これ蓮華の名。
言↢「蔡*華ト」↡者、是蓮*花ノ名。
¬論語¼ の意によるに、 「蔡」 とは亀なり。 意は亀の遊ぶところの華なるがゆゑにすなはち亀といふ、 その体蓮華なり。 華の中に蓮勝れ、 蓮華の中にこの華ことに勝れたり。 むべなるかな、 この華、 経には題目たり、 仏にはまた眼たり、 あに凡種に比せんや。 しかるに仏世尊念仏の人をもつて、 この好華に譬へたまふ。 もつとも奇とするに足れり。
依ニ↢¬論語ノ¼意ニ↡、「蔡ト」者亀也1147。意ハ亀ノ所ノ↠遊ブ之花ナルガ故ニ即云フ↠亀ト、其ノ体蓮*花ナリ。花ノ中ニ蓮勝レ、蓮*花ノ之中ニ此ノ花殊ニ勝タリ。宜ナル哉、此ノ花、経ニハ為リ↢題目↡、仏ニハ亦為リ↠眼、豈ニ比センヤ↢凡種ニ↡。而ニ仏世尊以テ↢念仏ノ人ヲ↡、譬タマフ↢此ノ好*花ニ↡。尤足レリ↠為ニ↠奇ト。
¬妙法蓮華¼ に当体・譬喩の二義ありといへどもともに所行の法、 いまの ¬観経¼ の説は能行の人を嘆ず。 もし所行に約せば定めてまた同じかるべし。 能所殊なりといへども、 おそらくは弥陀・妙法同体の深旨を顕すか。
¬妙法蓮花ニ¼雖↠有ト↢当体・譬喩ノ二義↡共ニ所行ノ法、今ノ¬観経ノ¼説ハ嘆ズ↢能行ノ人ヲ↡。若シ約セバ↢所行ニ↡定亦応シ↠同カル。能所雖↠殊也ト、恐クハ顕ス↢弥陀・妙法同体ノ之深旨ヲ↡歟。
また ¬涅槃¼ (北本巻一八梵行品 南本巻一六梵行品) にいはく、 「これ人中の蓮華、 芬陀利華。」 以上
又¬涅槃¼云、「是人中ノ蓮*花、芬陀利*華。」 已上
しかるにかの文の意は、 仏に譬へてこれを説く。 これに準じてこれを思ふに、 念仏の行人すなはち如来功徳の義分を備ふ。 この喩かの染香人の身にその香気あるがごとし。 これすなはちいまこの弥陀の名号は、 かの法性無漏の果徳より流出するところの妙好香なり。 これを唱へこれを念ずるに、 口に薫じ心に薫じて、 知らざるにおのづから無量万徳の功徳の香気あり。 ゆゑに潜かに仏の功徳の気分を備ふ。 このゆゑに弥陀の五智の功徳を信知して、 名号を称念すれば、 本覚の心蓮冥にやうやく生長して、 諸法無生甚深の一分の理を開発するなり。 もつともこれを貴むべし。
而ニ彼ノ文ノ意ハ、譬ヘテ↠仏ニ説ク↠之ヲ。准ジテ↠之ニ思ニ↠之ヲ、念仏ノ行人即備フ↢如来功徳ノ義分ヲ↡。此ノ喩如シ↣彼ノ染香人ノ身ニ有ガ↢其ノ香気↡。是則今此ノ弥陀ノ名号ハ、自リ↢彼ノ法性无漏ノ果徳↡所↢流出スル↡之妙好香也。唱ヘ↠之ヲ念ズルニ↠之ヲ、薫ジ↠口ニ薫ジテ↠心ニ、不ルニ↠知自有リ↢無量万徳ノ功徳ノ香気↡。故ニ潜ニ備フ↢仏ノ功徳ノ気分ヲ↡。是ノ故ニ信↢知シテ弥陀ノ五智ノ功徳ヲ↡、称↢念スレバ名号ヲ↡、本覚ノ心蓮冥ニ漸ク生長シテ、開↢発スル諸法無生甚深ノ一分ノ理ヲ↡也。尤可シ↠貴ブ↠之ヲ。
▲「即入」 とらは、 すなはちこれ往生すなはち始益たり。 ▲「道場」 とらは、 すなはちこれ成仏すなはち終益たり。
「即入ト」等者、即是往生即為リ↢始益↡。「道場ト」等者、即是成仏即為リ↢終益↡。
問ふ。 ¬経¼ の文のごときは、 まづ (観経) 「▲当座道場」 といひて初めに成仏の果を説き、 次に (観経) 「▲生諸仏家」 といひて後に往生の益を挙ぐ。 いまの釈前後相違いかん。
問。如↢¬経ノ¼文ノ↡者、先ヅ云テ↢「当坐道場ト」↡初ニ説キ↢成仏ノ之果ヲ↡、次ニ云テ↢「生諸仏家ト」↡後ニ挙グ↢往生之益ヲ↡。今ノ釈前後相違如何。
答ふ。 ¬経¼ は従果向因の義により、 釈は従因至果の意を存ず。 影略互顕、 その義炳然たり。
答。¬経ハ¼依リ↢従果向因ノ之義ニ↡、釈ハ存ズ↢従因至果ノ之意ヲ↡。影略互顕、其ノ義炳然ナリ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『浄土文』文
【94】▲次の文は龍舒の ¬浄土の文¼ なり。
次1148ノ文ハ龍舒ノ¬浄土ノ文¼也。
龍舒は所の名、 「王日休」 とは、 字これ虚中、 王虚中といふ。 これはこれ儒士国学進士なり。 ただしいまの引文日休が言にあらず。 この ¬浄土の文¼ に三人跋をば加ふ。 その中に最初に加ふるところの参政周大資が作なり。 しかるにいまただちに 「日休がいはく」 といふは、 これ言の総ぜるなり。 例せば経の中にその言弟子の語たるありといへども総じて経にいはくといふがごとし。 意は日休が所作の文にいはくといふ、 作者を著さざることはただ省略すらくのみ。
龍舒ハ所ノ名、「王日休ト」者、字是虚中、云フ↢王虚中ト↡。此ハ是儒士国学進士ナリ。但シ今ノ引文非ズ↢日休ガ言ニ↡。此ノ¬浄土ノ文ニ¼三人加フ↠跋ヲバ。其ノ中ニ最初ニ所ノ↠加ル参政周大資ガ作ナリ。而ニ今直ニ言↢「日休ガ云ト」↡者、是言ノ総ゼル也。例セバ如シ↧経ノ中ニ雖↠有ト↣其ノ言為ル↢弟子ノ語↡総ジテ云フガ↦経ニ言ト↥。意ハ云フ↢日休ガ所作ノ文ニ云ト↡、不コトハ↠著サ↢作者ヲ↡只省略スラク耳。
▲「謂弥勒菩薩」 とらいふは、 「涌出品」 (法華経巻五寿量品) にいはく、 「われらが阿惟越致地に住せる、 この事の中において、 また達せざるところなり。」 以上
言↢「謂弥勒菩薩ト」↡等者、「涌出品ニ」云ク、「我等ガ住セル↢阿惟越致地ニ↡、於テ↢是ノ事ノ中ニ↡亦所ナリ↠不ル↠達セ。」 已上
弥勒菩薩は釈尊の付属、 当来の導師、 衆の帰仰するところ、 所得の地をいふに、 阿惟越致なり。 ▲念仏の行者さらに自力修行の功なくして、 ただ南無他力の一念をもつて往生の時得るところ、 同じく阿惟越致たり。 この奇特を嘆ず。 このゆゑにこれを引く。
弥勒菩薩ハ釈尊ノ付属、当来ノ導師、衆ノ所↢帰仰スル↡、謂フニ↢所得ノ地ヲ↡阿惟越致ナリ。念仏ノ行者更ニ無シテ↢自力修行ノ之功↡、只以テ↢南無他力ノ一念ヲ↡往生之時所↠得、同ク為リ↢阿惟越致↡。嘆ズ↢此ノ奇特ヲ↡。是ノ故ニ引ク↠之ヲ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『大経』文
【95】▲次に ¬大経¼ の文。
次ニ¬大経ノ¼文。
広く此土他方の仏土および無量の土の大小の菩薩、 みな仏智に乗じてかの土に往生することを説く。 中においていま初めに大菩薩の往生を明かす文なり。
広ク説ク↧此土他方ノ仏土及ビ無量ノ土ノ大小ノ菩薩、皆乗ジテ↢仏智ニ↡往↦生スルコトヲ彼ノ土ニ↥。於テ↠中ニ今初ニ明ス↢大菩薩ノ往生ヲ↡文也。
「▲この世界」 とはすなはちこれ娑婆なり。
「此ノ世界ト」者即是娑婆ナリ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『如来会』文
【96】▲次の文見易し。 「又言」 は▲前の如し。
次ノ文易シ↠見。「又言ハ」如シ↠前ノ。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『超玄記』文
【97】▲次に用欽の釈。
次ニ用欽ノ釈。
これ往生しぬればすなはち不退に至りてすみやかに一生補処に登る益を嘆ずるなり。
是歎ズル↧往生シヌレバ即至テ↢不退ニ↡速ニ登ル↢一生補処ニ↡益ヲ↥也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 私釈
【98】▲次にわたくしの解釈。
次ニ私ノ解釈。
問ふ。 ▲上の所引の龍舒の文のごときは、 ▲弥勧菩薩現在に得るところ、 阿惟越致不退の位なり。 ▲念仏の行者は安楽土に生じて同じくかの位を得。 弥勧は現益、 行者は当益、 その位あひ同じ。 ゆゑに 「▲便同」 といふ。 しかるにいまの釈は、 弥勧の所得、 行者の所得、 彼此ともに極果の当益に約す、 その意いかん。
問。如↢上ノ所引ノ龍舒ノ文ノ↡者、弥勧菩薩現在ニ所↠得ル、阿惟越致1149不退ノ之位ナリ。念仏ノ行者ハ生ジテ↢安楽土ニ↡同ク得↢彼ノ位ヲ↡。弥勧ハ現益、行者ハ当益、其ノ位相同。故ニ云フ↢「便同ト」↡。而ニ今ノ釈者、弥勧ノ所得、行者ノ所得、彼此共ニ約ス↢極果ノ当益ニ↡、其ノ意如何。
答ふ。 以前の料簡はその意まことにしかり。 ただしいまの釈の意は弥勧菩薩はいま等覚補処の位に居して▲当来に三会の正覚を唱ふべし。 念仏の行者はいま薄地なりといへども、 ▲往生の時すなはち地上に至りて分に涅槃常楽の理を証す。
答。以前ノ料簡ハ其ノ意実ニ爾リ。但シ今ノ釈ノ意ハ弥勧菩薩ハ今居シテ↢等覚補処ノ之位ニ↡当来ニ可↠唱↢三会ノ正覚ヲ↡。念仏ノ行者ハ今雖↢薄地也ト↡、往生ノ之時便至テ↢地上ニ↡分ニ証ス↢涅槃常楽ノ之理ヲ↡。
¬論の註¼ (巻下) にいはく、 「▲煩悩を断ぜずして涅槃の分を得。」 以上
¬論ノ註ニ¼云、「不シテ↠断ゼ↢煩悩ヲ↡得↢涅槃ノ分ヲ↡。」 已上
¬般舟讃¼ にいはく、 「▲ひとたび到りぬればすなはち清虚の楽を受く。 清虚はすなはちこれ涅槃の因なり。」 以上
¬般舟讃ニ¼云、「一タビ到ヌレバ即受ク↢清虚ノ楽ヲ↡。清虚ハ即是涅槃ノ因ナリ。」 已上
¬*往生礼讃¼ (玄義分) にいはく、 「▲すなはちかの法性の常楽を証す。」 以上
¬往生礼讃¼云、「即証ス↢彼ノ法性之常楽ヲ↡。」 已上
分極殊なりといへども開悟これ同じ。 前後の領解おのおのその意あり。
分極雖↠殊開悟是同ジ。前後ノ領解各有リ↢其ノ意↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『楽邦文類』二文
【99】▲次に*智覚禅師。
次智覚禅師。
神棲安養の賦を作る、 載せて ¬楽邦文類¼ の第五にあり。 かの賦総じて四百二十一言あり、 その中にいまこの所引の十字はその結句なり。
作ル↢神棲安養ノ之賦ヲ↡、載テ在リ↢¬楽邦文類ノ¼第五ニ↡。彼ノ賦総ジテ有リ↢四百二十一言↡、其ノ中ニ今此ノ所引ノ十字ハ其ノ結句也。
次上の句にいはく、 「それあるいは三宝を誹謗し律儀を破壊する、 風刀体を解く際に逼り、 業鏡形を照らす時に当りて、 善知識に遇ひて不思議を現ず。 剣林七重の行樹に変じ、 火車八徳の蓮池に化す。 地獄消沈し湛爾として怖心まつたく息し、 天華飛引し俄然として化仏これを迎ふ。 慧眼心に明らかに、 香炉手に随ふ。 懴に応じて蓮華萎まず、 記を得て宝林久しきにあらず。」 以下所引のごとし
次上ノ句ニ云、「其或ハ誹↢謗シ三宝ヲ↡破↢壊スル律儀ヲ↡、逼リ↢風刀解ク↠体ヲ之際ニ↡、当テ↢業鏡照ス↠形ヲ之時ニ↡、遇テ↢善知識ニ↡現ズ↢不思議ヲ↡。剣林変ジ↢七重之行樹ニ↡、火車化ス↢八徳之蓮池ニ↡。地獄消沇湛爾トシテ而怖心全ク息シ、天*華飛引シ俄然トシテ而化仏迎フ↠之ヲ。慧眼明カニ↠心ニ、香炉随フ↠手ニ。応ジテ↠懴ニ而蓮*花不↠萎マ、得テ↠記ヲ而宝林非ズ↠久キニ。」 已下如シ↢所引ノ↡
また初めの句にいはく、 「弥陀の宝刹安養の嘉名、 報土に処して楽を極め、 十方においてもつとも清し。 二八の観門、 定慧を修して冥に往き、 四十の大願、 散心を運びて化生す。 しかしてすなはち世を畢るまで受持し一生帰命すれば、 仙人雲に乗りて法を聴き、 空界唄を作して讃詠す。 紫金台の上に身登りて本願虚しきにあらず。 白玉毫の中に神化して一心にみづから慶ぶ。」 以上
又初ノ句ニ云、「弥陀ノ宝刹安1150養ノ嘉名、処シテ↢報土ニ↡而極メ↠楽ヲ、於テ↢十方ニ↡而最モ清シ。二*八ノ観門、修シテ↢定*恵ヲ↡而冥ニ往キ、四十ノ大願、運テ↢散心ヲ↡而化生ス。爾シテ乃畢マデ↠世ヲ受持シ一生帰命スレバ、仙人乗テ↠雲ニ而聴ヽ↠法ヲ、空界作テ↠唄ヲ而讃詠ス。紫金台ノ上ニ身登テ而本願非ズ↠虚キニ。白玉毫ノ中ニ神化而一心ニ自慶ブ。」 已上
繋じてことごとく引かず、 いささか冠履を出だす。
繋ジテ不↢悉ク引↡、聊出ス↢冠履ヲ↡。
【100】▲次に元照の釈。
次ニ元照ノ釈。
同じき ¬文類¼ の三に、 無量院に弥陀の像を造る記、 おほよそ六百五十字ある中に、 いまこの所引は中間の九十二字これなり。
同キ¬文類ノ¼三ニ、無量院ニ造ル↢弥陀ノ像ヲ↡記、凡ソ有ル↢六百五十字↡中ニ、今此ノ所引ハ中間ノ九十二字是也。
「▲嗚呼」 といふは傷嘆の声なり。
言↢「嗚呼」↡者傷嘆ノ声也。
次上の詞 (楽邦文類巻三) にいはく、 「▽あるいは名相に束縛し、 あるいは豁達に沈冥す。 ゆゑに念仏を貶じて麁行となし、 浄業をいるかせにして小の道とするものあり。 隅を執してみづから蔽し、 盲にして聞くところなし。 聞くといへども信ぜず、 信ずといへども修せず、 修すといへども勤めず。 ここにおいて浄土の教門あるいはほとんどにして息す。」 以上
次上ノ詞ニ云、「或ハ束↢縛シ於名相ニ↡、或ハ沈↢冥ス於豁達ニ↡。故ニ有リ↧貶ジテ↢念仏ヲ↡為シ↢麁行ト↡、忽ニシテ↢浄業ヲ↡為モノ↦小ノ道ト↥。執シテ↠隅ヲ自蔽シ、盲ニシテ無シ↠所↠聞ク。雖↠聞ト而不↠信ゼ、雖↠信ズト而不↠修セ、雖↠修スト而不↠勤メ。於↠是浄土ノ教門或ハ幾ニシテ乎息ス矣。」 已上
念仏を麁となし浄業を小となして、 信ぜず勤めざる、 痛むところここにあり。
念仏ヲ為シ↠麁ト浄業ヲ為シテ↠小ト、不↠信ゼ不ル↠勤メ、所↠痛ム在リ↠斯ニ。
▲「明教」 とらは、
「明教ト」等者、
三大の部の中にかの ¬玄義¼・¬文句¼ に就きてこれをいふ。 一代の高覧、 数三五遍、 五時八教一宗の恢弘、 天台に至りてよりこのかた分別熾盛なり。 このゆゑに世挙りてその十徳を称す。 その教相に明らかなること智解知んぬべし。 観に就きてこれを言はば ¬止観¼ の意による、 止観の明静なること前代いまだ聞かず。 円頓実相一念三千、 己心中所行の法門を説く。 観解の明了なることまたもつて知んぬべし。
三大ノ部ノ中ニ就テ↢彼ノ¬玄義¼・¬文句ニ¼↡言フ↠之ヲ。一代ノ高覧、数三五*遍、五時八教一宗ノ恢弘、至テヨリ↢天臺ニ↡来分別熾盛ナリ。是ノ故ニ世挙テ称ス↢其ノ十徳ヲ↡。明ナルコト↢其ノ教相ニ↡智解応シ↠知ヌ。就テ↠観ニ言ハヾ↠之ヲ依ル↢¬止観ノ¼意ニ↡、止観ノ明静ナルコト前代未↠聞。円頓実相一念三千、説ク↢己心中所行ノ法門ヲ↡。観解ノ明了ナルコト亦以テ可シ↠知ヌ。
▲「臨終」 とらは、
「臨終ト」等者、
¬霊応伝¼ の一、 天台大師の別伝の中にいはく、 「二部の経を唱へて最後の聞慧となす。 ¬法華¼ を聴きをはりて讃じていはく、 法門の父母慧解して由生なり。 本迹広大にして微妙にして測りがたし。 乃至 ↓¬無量寿経¼ を聴きをはりて讃じていはく、 ↓四十八願浄土を荘厳す。 華池宝閣 ¬瑞応刪伝¼ には宝樹といふ 往き易くして人なし。 ↓火車あひ現ずれどもよく改悔すればなほまた往生す。 いはんやわが戒慧薫修せるをや。 乃至 三昧に入るがごとくして大隋の開皇十七年歳の次丁巳十一月二十四日未の時をもつて入滅す。」 以上
¬霊応伝ノ¼一、天臺大師ノ別伝ノ中ニ云ク、「唱テ↢二部ノ経ヲ↡為ス↢最後ノ聞恵1151ト↡。聴↢¬法*華ヲ¼↡竟テ讃ジテ云ク、法門ノ父母恵解シテ由生ナリ。本迹広大ニシテ微妙ニシテ難シ↠測リ。 乃至 聴↢¬無量寿経ヲ¼↡竟テ讃ジテ曰、四十八願荘↢厳ス浄土ヲ↡。*花池宝閣 ¬瑞応刪伝ニハ¼云↢宝樹ト↡ 易シテ↠往無シ↠人。火車相現ズレドモ能ク改悔スレバ者尚復往生ス。況ヤ吾ガ戒恵薫修セルヲヤ耶。 乃至 如シテ↠入ルガ↢三昧ニ↡以テ↢大隋ノ開皇十七年歳ノ次丁ノ巳十一月二十四日未時ヲ↡入滅ス。」 已上
問ふ。 この文の中にただ ↑¬大経¼ を讃ず。 「▲観経を挙す」 といふなんの拠かあるや。
問。此ノ文ノ之中ニ唯讃ズ↢¬大経ヲ¼↡。云フ↠「挙ト↢観経ヲ↡」有↢何ノ拠カ↡乎。
答ふ。 この文の中に↑火車あひ現ずれども改悔すれば往生すといふ。 この文によるがゆゑに 「観経を挙す」 といふ。
答。此ノ文ノ中ニ云フ↢火車相現ズレドモ改悔スレバ往生スト↡。由ガ↢此ノ文ニ↡故ニ云フ↠「挙ト↢観経ヲ↡。」
「▲浄土を讃ず」 とは、 ¬双巻¼ を讃じて↑四十八願荘厳浄土といふ文の意なり。
「讃ズト↢浄土ヲ↡」者、讃ジテ↢¬双巻ヲ¼↡云フ↢四十八願荘厳浄土ト↡之文ノ意也。
▲「達法」 とらは、 法界唯心、 ¬華厳経¼ の意。
「達法ト」等者、法界唯心、¬花厳経ノ¼意。
隋朝終南の*杜順法師、 よく ¬経¼ 旨に達す。 このゆゑにしかいふ。 かの華厳宗、 震旦の弘通五師の中に立てて初祖となす。 この後智儼・法蔵・澄観・宗密ならくのみ。
隋朝終南ノ杜順法師、能ク達ス↢¬経¼旨ニ↡。是ノ故ニ云フ↠爾。彼ノ花厳宗、震旦ノ弘通五師ノ之中ニ立テヽ為ス↢初祖ト↡。此ノ後智儼・法蔵・澄観・宗*密ナラク而已。
▲「参禅」 等は、
「参禅」等者、
智覚禅師禅の大祖なりといへども、 弥陀仏を念じ西方国を欣ひて安養の賦を造る。 心行知んぬべし。 また所造あり、 いはゆる ¬万善同帰集¼ これなり。
智覚禅師雖↢禅ノ大祖ナリト↡、念ジ↢弥陀仏ヲ↡欣テ↢西方国ヲ↡造ル↢安養ノ賦ヲ↡。心行可シ↠知。又有↢所造↡、所謂¬万善同帰集¼是ナリ。
かの第二 (巻上) にいはく、 「問ふ。 唯心の浄土十方に周遍す、 なんぞ質を蓮台に託し形を安養に棄てて、 しかも取捨の念を興すことを得ん。 あに無生の門に達せんや。 欣厭の情生ず、 なんぞ平等を成ぜん。 答ふ。 唯心の仏土は心を了してまさに生ず。
彼ノ第二ニ云ク、「問。唯心ノ浄土周↢遍ス十方ニ↡、何ゾ得ン↧託シ↢質ヲ蓮台ニ↡棄ヽ↢形ヲ安養ニ↡而モ興コトヲ↦取捨ノ之念ヲ↥。豈達センヤ↢無生ノ之門ニ↡。欣厭ノ情生ズ、何ゾ成ゼン↢平等ヲ↡。答。唯心ノ仏土者了シテ↠心ヲ方ニ生ズ。
¬如来不思議境界経¼ にいはく、 三世一切の諸仏みな所有なし、 ただ自心による。 菩薩もしよく了知すれば、 諸仏および一切の法みな唯心量なり。 随順忍を得てあるいは初地に入り、 身を捨ててすみやかに極楽仏土に生ず。 ゆゑに知んぬ、 識心まさに唯心の浄土に生ず。 境に著すればただ所縁の境の中に堕す。 すでに因果を明むるに差なし。 すなはち知んぬ、 心外に法なしといふことを。 また平等の門、 無生の旨、 すなはち教を仰いで信を生ずといへども、 それ力量いまだ充たずして心浮かび境強く習重きにいかん。 すべからく仏国に生じてもつて勝縁によりて、 忍力成じやすくしてすみやかに菩薩の道を行ずべし。
¬如来不思議境界経ニ¼云ク、三世一切ノ諸仏皆無シ↢所有↡、唯依ル↢自心ニ↡。菩薩若シ能ク了知スレバ、諸仏及ビ一切ノ法皆唯心1152量ナリ。得テ↢随順忍ヲ↡或ハ入リ↢初地ニ↡、捨テヽ↠身ヲ速ニ生ズ↢極楽仏土ニ↡。故ニ知ヌ、識心方ニ生ズ↢唯心ノ浄土ニ↡。著スレバ↠境ニ祗堕ス↢所縁ノ境ノ中ニ↡。既ニ明ムルニ↢因果ヲ↡無シ↠差。乃チ知ヌ、心外ニ無トイフコトヲ↠法。又平等ノ之門、無生ノ之旨、雖↢即仰テ↠教ヲ生ズト↟信ヲ、其奈↢力量未ダシテ↠充タ心浮ビ境強ク習重キニ↡。須クシ↧生ジテ↢仏国ニ↡以テ仗テ↢勝縁ニ↡、忍力易シテ↠成ジ速ニ行ズ↦菩薩ノ道ヲ↥。
¬起信論¼ にいはく、 衆生初めてこの法を学して正信を求めんと欲するに、 その心怯弱にして娑婆に住せば常に仏に値はずして信心成じがたきをもつて、 意に退せんと欲せば、 まさに知るべし、 如来に勝方便ましまして信心を摂護す。 いはく意をもつぱらにして念仏する因縁をもつて、 願に随ひて仏土に生ずることを得て、 常に仏を見たてまつりて永く悪道を離る。 もし人もつぱら西方の阿弥陀仏を念ずればすなはち往生することを得、 常に仏を見るがゆゑにつひに退あることなし。
¬起信論ニ¼云、衆生初テ学シテ↢是ノ法ヲ↡欲スルニ↠求メント↢正信ヲ↡、其ノ心怯弱ニシテ以テ↧住セバ↢娑婆ニ↡不シテ↢常ニ値↟仏ニ信心難キヲ↞成ジ、意ニ欲↠退セント者、当ニシ↠知、如来ニ有マシテ↢勝方便↡*摂↢護ス信心ヲ↡。謂ク以テ↢専ニシテ↠意ヲ念仏スル因縁ヲ↡、随テ↠願ニ得テ↠生コトヲ↢仏土ニ↡、常ニ見タテマツリテ↢於仏ヲ↡永ク離ル↢悪道ヲ↡。若シ人専ラ念ズレバ↢西方ノ阿弥陀仏ヲ↡即得↢往生スルコトヲ↡、常ニ見ルガ↠仏ヲ故ニ終ニ無シ↠有コト↠退。
¬往生論¼ にいはく、 遊戯地門とは、 かの国土に生じて無生忍を得をはりて、 生死の園に還り入り地獄を教化して苦の衆生を救ふ。 この因縁をもつて浄土に生ぜんことを求む。
¬往生論ニ¼云ク、遊戯地門ト者、生ジテ↢彼ノ国土ニ↡得↢無生忍ヲ↡已テ、還リ↢入リ生死ノ園ニ↡教↢化シテ地獄ヲ↡救フ↢苦ノ衆生ヲ↡。以テ↢此ノ因縁ヲ↡求ム↠生ゼンコトヲ↢浄土ニ↡。
¬十疑論¼ にいはく、 智者は熾然に浄土に生ぜんことを求めて生体不可得なりと達す。 すなはちこれ真の無生、 これを心浄なるがゆゑにすなはち仏土浄なりといふ。 愚者は生のために縛せられて、 生を聞きてはすなはち生の解をなし、 無生を聞きてはすなはち無生の解をなす、 生即無生、 無生即生なることを知らず。 この理に達せず横にあひ是非す、 これはこれ謗法邪見の人なり。」 以上
¬十疑論ニ¼云ク、智者ハ熾然ニ求テ↠生ゼンコトヲ↢浄土ニ↡達ス↢生体不可得ナリト↡。即是真ノ無生、此ヲ謂フ↢心浄ナルガ故ニ即仏土浄ナリト↡。愚者ハ為ニ↠生ノ所テ↠縛セ、聞テハ↠生ヲ即作シ↢生ノ解ヲ↡、聞テハ↢無生ヲ↡即作↢無生ノ解ヲ↡、不↠知↢生即無生、無生即生ナルコトヲ↡。不シテ↠達セ↢此ノ理ニ↡横ニ相是非ス、此ハ是謗法邪見ノ人也。」 已上
すべて六重の問答ある中に、 いま初重を挙げて後の五これを略す。
都テ有ル↢六重ノ問答↡之中ニ、今挙テ↢初重ヲ↡後ノ*五略ス↠之ヲ。
「▲上品に登りき」 とは、
「登ト↢上品ニ↡」者、
真歇の了禅師の ¬浄土説¼ にいはく、 「智覚禅師のごときはすなはち宗門の標準、 浄業の白眉なり。 仏法を興隆し、 億万人を勧めて白業を修せしむ。 臨終にあらかじめ時の至るを知りて種々の殊勝はなはだ至る、 舎利鱗のごとくに身に砌まる。 むかし撫州の一の僧ありて、 年を経て禅師の塔を旋遶す。 すなはちいまの西湖の浄慈寺の寿 わたくしにいはく、 つぶさには延寿といふ 禅師の塔頭なり、 人そのゆゑを問ふ。 いはく病によりて冥に入りしに、 閻王陽数いまだ艾せざるをもつて放してまた生けることを得しむ。 次に殿の左を見るに画僧一幀を供養せり。 閻王礼拝すること勤致なり。 つひに主吏に扣ふ、 これはこれ何人ぞと。 吏のいはく、 杭州の永明寺の寿禅師なり。 天下に死する者、 冥俯に経由して判生を案ぜられずといふことなし。 ただこの人のみ修行精進にして、 ただちに極楽の上品に生ず。 王希有なりとおもへらく、 ゆゑに像を図して恭敬す。」 以上
真歇ノ了禅師ノ¬浄土説ニ¼云ク、「如キハ↢智覚禅師ノ↡乃チ宗門ノ之標准、浄業ノ之白眉也1153。興↢隆シ仏法ヲ↡、勧テ↢億万人ヲ↡修セシム↢白業ヲ↡。臨終ニ預ジメ知テ↢時ノ至ルヲ↡種々ノ殊勝甚ハダ至ル、舎利鱗ノ如ニ砌ル↢于身ニ↡。嘗有テ↢撫州ノ一ノ僧↡、経テ↠年ヲ旋↢遶ス禅師ノ之塔ヲ↡。即今ノ西湖ノ浄慈寺ノ寿 私ニ云ク、具ニハ云↢延寿ト↡ 禅師ノ塔頭也、人問↢其ノ故ヲ↡。謂ク因テ↠病ニ入シニ↠冥ニ、閻王以テ↢陽数未ダルヲ↟艾セ得シム↢放シテ還生コトヲ↡。次ニ見ニ↢殿ノ左ヲ↡供↢養セリ画僧一*幀ヲ↡。閻王礼拝スルコト勤致ナリ。遂ニ扣フ↢主吏ニ↡、此ハ是何人ゾト。吏ノ曰ク、杭州ノ永明寺ノ寿禅師也。天下ニ死スル者、無↠不云コト↧経↢由シテ冥俯ニ↡案ゼラレ↦判生ヲ↥。唯此ノ人ノミ修行精進ニシテ、径ニ生ズ↢極楽ノ上品ニ↡。王*以↢為 オモヘリ 希有也ト↡、故ニ図シテ↠像ヲ恭敬ス。」 已上
▲「業儒」 とらは、
「業儒ト」等者、
「▲劉」 は*劉遺民、 「▲雷」 は*雷次宗。 ともにこれ*廬山の十八賢の中、 俗士六人のその二なり。
「劉ハ」劉遺民、「雷ハ」雷次宗。共ニ是廬山ノ十八賢ノ中、俗士六人ノ之其ノ二也。
¬楽邦文類¼ の第三、 元照の無量院造弥陀の像の記にいはく、 「弥陀の教観、 大蔵に載りて多からずとせず。 しかるに仏化東流して数百年の間、 前人ほとんど知る者なし。 晋の*慧遠法師、 廬山の東林に居して神機独抜して天下の倡たり。 池を鑿り蓮を栽へ、 堂を建て誓を立てて、 もつぱら浄業を崇む。 号して*白蓮社となす。 当時の名僧・巨儒期せずしてみづから至る。 慧持・道生は釈門の俊彦、 劉遺民・雷次宗は文士の豪傑、 みな伏膺して教を請ひてその社に預る。 このゆゑに後世浄社をいふ者、 かならず東林をもつて始めとなす。 その後、 善導・懐感おほいに長安に闡き、 智覚・慈雲さかんに淅石に振ふ。 末流狂妄して正道梗塞す。」 上の所引△或*束以下この次なり
¬楽邦文類ノ¼第三、元照ノ無量院造弥陀ノ像ノ記ニ云ク、「弥陀ノ教観、載テ↢于大蔵ニ↡不↠為↠不ト↠多カラ。然ニ仏化東流シテ数百年ノ間、前人殆無シ↢知ル者↡。晋ノ*恵遠法師、居シテ↢廬山ノ之東林ニ↡神機独抜シテ為リ↢天下ノ*倡↡。鑿リ↠池ヲ栽ヘ↠蓮ヲ、建テ↠堂ヲ立テヽ↠誓ヲ、専崇ム↢浄業ヲ↡。号シテ為ス↢白蓮社ト↡。当時ノ名僧・巨儒不シテ↠期而自至ル。*恵持・道生ハ釈門ノ之俊彦、劉遺民・雷次宗ハ文士ノ之豪傑、皆伏膺シテ請テ↠教ヲ而預ル↢其ノ社ニ↡焉。是ノ故ニ後世言↢浄社ヲ↡者、必以テ↢東林ヲ↡為ス↠始ト。厥ノ後、善導・懐感大ニ闡キ↢於長安ニ↡、智覚・慈雲盛ニ振フ↢于*淅石ニ↡。末流狂妄シテ正道梗塞ス。」 上ノ所引或ハ東以下此次也
「▲*柳子厚」 はこれまた儒士、 官礼部たり、 もつぱら西方を修す。 この人の作、 龍興寺に浄土院を修する記あり。
「柳子1154厚」者是又儒士、官為リ↢礼部↡、専ラ修ス↢西方ヲ↡。此ノ人ノ作、有リ↧龍興寺ニ修スル↢浄土院ヲ↡記↥。
この元照の記とこの記碑と、 同じき ¬文類¼ 同巻の中にあり。 その記の初め (楽邦文類巻三) にいはく、 「中州の西、 数万里に国あり、 身毒といふ。 釈迦牟尼如来示現の地なり。 かの仏ののたまはく、 西方過十万億の仏土に世界あり、 極楽といふ。 仏を無量寿如来と号す。 その国三毒・八難あることなし、 衆宝もつて飾となす。 その人十纏・九悩あることなし、 群聖もつて友たり。 よく誠心の大願ありて心をこの土に帰する者、 まことに念力具足すれば、 すなはちかの国に往生す。 しかして後三界の外に出ず。 それ仏道において退転する者なし、 その言欺くところなし。」 以上 総じて四百三十ばかりの字あり。 いま少しき始めを挙げて多く文を略すらくのみ。
此ノ元照ノ記ト与 ト ↢此ノ記碑↡、在リ↢同キ¬文類¼同巻ノ之中ニ↡。其ノ記ノ初ニ云、「中州之西、数万里ニ有リ↠国、曰フ↢身毒ト↡。釈迦牟尼如来示現之地ナリ。彼ノ仏ノ言ハク、西方過十万億ノ仏土ニ有リ↢世界↡、曰↢極楽ト↡。仏ヲ号ス↢無量寿如来ト↡。其ノ国無シ↠有コト↢三毒・八難↡、衆宝以テ為ス↠*飾ト。其ノ人無シ↠有コト↢十纏・九悩↡、群聖以テ為リ↠友。有テ↢能ク誠心ノ大願↡帰スル↢心ヲ是ノ土ニ↡者、苟ニ念力具足スレバ、則往↢生ス彼ノ国ニ↡。然シテ後出ヅ↢三界ノ之外ニ↡。其於テ↢仏道ニ↡無シ↢退転スル者↡、其ノ言無シ↠所↠欺ク也。」 已上 総ジテ有リ↢四百三十許字↡。今少シキ挙テ↠始ヲ多ク略スラク↠文ヲ耳。
「▲白楽天」 とは、 字を居易といふ。 太子の賓客、 *翰林の主人、 名を禅派に列ね、 心を浄土に帰す。 世みなこれを文殊の化身と称す。 文殊師利は ¬阿弥陀経¼ の同聞衆の中の菩薩の上首、 また ¬観経¼ の耆闍の上首たり。 また法照に対して教ふるに念仏をもつてす。 その化身として自行化他もつぱら西方を修する、 まことに由あり。
「白楽天ト」者、字曰フ↢居易ト↡。太子ノ賓客、翰林主人、烈ネ↢名ヲ禅派ニ↡、帰ス↢心ヲ浄土ニ↡。世皆称ス↢之ヲ文殊ノ化身ト↡。文殊師利ハ¬阿弥陀経ノ¼同聞衆ノ中ノ菩薩ノ上首、又為リ↢¬観経ノ¼耆闍ノ上首↡。又対シテ↢法照ニ↡教ルニ以ス↢念仏ヲ↡。為テ↢其ノ化身ト↡自行化他専ラ修スル↢西方ヲ↡、誠ニ有リ↠由也。
白氏西方浄土の幀を画する記 (白氏文集) にいはく、 「わが本師釈迦如来説きていはく、 これより西方に十万億の仏土を過ぎて世界あり、 極楽と号す。 乃至
白氏画スル↢西方浄土ノ*幀ヲ↡記ニ云ク、「我本師釈迦如来説テ言ク、従↠是西方ニ過テ↢十万億ノ仏土ヲ↡有リ↢世界↡、号ス↢極楽ト↡。 乃至
あきらかにこの娑婆世界の微塵の衆生を観ずるに、 賢愚となく貴賎となく幼艾となく、 心を起して仏に帰することある者、 手を挙げ掌を合わせてかならずまづ西方に向ひ、 怖厄苦悩ある者、 口を開き声を発してかならずまづ阿弥陀仏を念ず。 また金に範し土を合はせ、 石に刻み紋に織り、 乃至水に印し沙を聚めて、 童子の戯るる者ことごとく阿弥陀仏をもつて上首とせざることなし。 そのしかしてしかることを知らず、 これによりて観ずれば、 これかの如来この衆生に大誓願あり、 かの国土に大因縁あり。 乃至
諦ニ観ズルニ↢此ノ娑婆世界ノ微塵ノ衆生ヲ↡、無ク↢賢愚ト↡無ク↢貴賎ト↡無ク↢幼艾ト↡、有ル↢起シテ↠心ヲ帰スルコト↟仏ニ者、挙ゲ↠手ヲ合テ↠掌ヲ必先ヅ向ヒ↢西方ニ↡、有ル↢怖厄苦悩↡者、開キ↠口ヲ発シテ↠声ヲ必ズ先ヅ念ズ↢阿弥陀仏ヲ↡。又1155範シ↠金ニ合セ↠土ヲ、刻ミ↠石ニ織リ↠紋ニ、乃至印シ↠水ニ聚テ↠沙ヲ、童子ノ戯ルヽ者、莫シ↠不コト↧卒ク以テ↢阿弥陀仏ヲ↡為↦上首ト↥。不↠知↢其ノ然シテ而然コトヲ↡、由テ↠是ニ而観ズレバ、是彼ノ如来有リ↣大↢誓願於此ノ衆生ニ↡、有↣大↢因縁於彼ノ国土ニ↡矣。 乃至
弟子居易、 焚香稽首し、 仏前に跪きて慈悲心を起し、 弘誓願を発す。 願はくはこの功徳一切衆生に回施す。 一切衆生わがごとく老いたる者、 わがごとく病する者あらば、 願はくはみな離苦得楽、 断悪修善せん。 南瞻部を越えずしてすなはち西方を覩て、 白毫の大光念に応じて来感し、 青蓮の上品願に随ひて往生せん。 現在の身より未来際を尽すまで、 常に親近するを得て供養せん。 重ねてこの願を宣べんと欲してしかも偈をもつて讃じていはく、 極楽世界清浄の土にはもろもろの悪道および衆苦なし。 願はくは老身が病苦のごとくならん者、 同じく無量寿仏の所に生ぜん。」 以上
弟子居易、焚香稽首シ、跪テ↢於仏前ニ↡起シ↢慈悲心ヲ↡発ス↢弘誓願ヲ↡。願クハ此ノ功徳廻↢施ス一切衆生ニ↡。一切衆生有ラバ↢如ク↠我ガ老タル者、如ク↠我ガ病スル者↡、願クハ皆離苦得楽、断悪修善セン。不シテ↠越↢南瞻部ヲ↡便覩テ↢西方ヲ↡、白毫ノ大光応ジテ↠念ニ来感シ、青蓮ノ上品随テ↠願ニ往生セン。従リ↢現在ノ身↡尽スマデ↢未来際ヲ↡、常ニ得テ↢親近スルコトヲ↡而供養セン也。欲シテ↣重テ宣ント↢此ノ願ヲ↡而モ偈ヲモテ讃ジテ曰ク、極楽世界清浄ノ土ニハ無シ↢諸ノ悪道及ビ衆苦↡。願クハ如ナラン↢老身ガ病苦ノ↡者、同ク生ゼン↢無量寿仏ノ所ニ↡。」 已上
また白の詩にいはく、 「余が年七十一、 また吟哦を事とせず、 経を看れば眼力を費し、 福をなせば奔波を畏る、 もつて心眼を度することなし。 一声せよ阿弥陀、 行きても阿弥陀、 坐しても阿弥陀。 たとひ忙しきこと鑚るに似たれども、 阿弥陀を廃せず。 日暮れて途遠し、 余が生すでに蹉跎たり。 あまねく勧む法界の衆、 同じく阿弥陀を念ぜよ。 達せる人はわれを笑ふべし、 多く阿弥陀を却く。 達せるもまたいかん、 達せざるもまたいかん、 旦暮に清浄の心をもつて、 ただ阿弥陀を念ぜよ。」 以上
又白ノ詩ニ云、「余ガ年七十一、不↣復事トセ↢吟哦ヲ↡、看レバ↠経ヲ費シ↢眼力ヲ↡、作セバ↠福ヲ畏ル↢奔波ヲ↡、無シ↣以テ度スルコト↢心眼ヲ↡。一声セヨ阿弥陀、行テモ也阿弥陀、坐シテモ也阿弥陀。縦然忙シキコト似タレドモ↠鑚ルニ、不↠*廃セ↢阿弥陀ヲ↡。日暮テ而途遠シ、余ガ生已ニ蹉跎タリ。普勧ム法界ノ衆、同ク念ゼヨ↢阿弥陀ヲ↡。達セル人ハ応シ↠笑フ↠我ヲ、多ク却ク↢阿弥陀ヲ↡。達セルモ又作麼生、不ルモ↠達セ又如何。旦暮ニ清浄ノ心ヲモテ、但念ゼヨ↢阿弥陀ヲ↡。」 已上
▲「然皆」 とらは総結なり。
「然皆ト」等者総結ナリ。
上のごときの高僧・碩儒、 おのおの仏教に達せる。 みな所解を記するにみづからも西方を念じ、 他をしても生を願ぜしむ。 ただこの人のみにあらず、 しばらく少を挙ぐらくのみ。
如ノ↠上ノ高僧・碩儒、各達セル↢仏教ニ↡。皆記スルニ↢所解ヲ↡自モ念ジ↢西方ヲ↡、令 シム↢他ヲシテモ願ゼ↟生ヲ。非ズ↢唯此ノ人ノミニ↡、且ク挙ラク↠少ヲ耳。
所引の文の次下の詞 (楽邦文類巻三) にいはく、 「これをもつてこれを観ずるに、 剛明卓抜の識を屓き、 生死変化の数を達するにあらざるよりは、 それたれかよくこれを信ぜんや。」 以上
所引ノ之文ノ次下ノ詞ニ云ク、「以テ↠是ヲ観ズルニ↠之1156ヲ、自↠非↧屭キ↢剛明卓抜ノ之識ヲ↡、達スルニ↦生死変化ノ之数ヲ↥者、其孰カ能ク信ゼン↢於此ヲ↡哉。」 已上
まさに知るべし、 明智博達を恃まず、 急に生死迅速の理数を顧みて、 もつぱら仏力を憑みよろしく西に帰すべきなり。
当ニ↠知、不↠恃マ↢明智博達ヲ↡、急ニ顧テ↢生死迅速ノ理数ヲ↡、専憑ミ↢仏力ヲ↡宜クキ↠帰ス↠西ニ也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 仮
【101】▲「仮」 等といふは、 集主のわたくしの釈。
言↢「仮」等ト↡者、集主ノ私ノ釈。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・ 大師釈三文
【102】▲大師の解釈。 三文を引く中に、 ▲初めの二句は ¬般舟讃¼ の文、 ▲次の一句は ¬法事讃¼ の下。 あるいは 「仮」 を 「化」 となす、 本の不同か。 ▲後の二句はまた ¬般舟讃¼。 これらの諸文みな聖道八万の諸教広く諸機に被らしむることを顕す。
大師ノ解釈。引ク↢三文ヲ↡中ニ、初之二句ハ¬般舟讃ノ¼文、次ノ之一句ハ¬法事讃ノ¼下。或「仮ヲ」為ス↠「化ト」、本ノ不同歟。後ノ之二句ハ又¬般舟讃¼。此等ノ諸文皆顕ス↢聖道八万ノ諸教広ク被シムルコトヲ諸機ニ↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 偽
【103】▲「偽」 等といふは、 外道の教を明かす。
言↢「偽」等ト↡者、明ス↢外道ノ教ヲ↡。
「▲六十二見」 といふは、 ¬律宗の名句¼ の意によるに、 総じて五陰に就きて六十見あり。 まづ色陰においてその四句を作る。 一には即色是我、 二には離色是我、 三には我大色小色在我中、 四には色大我小我在色中なり。 下の四陰、 これに準じて知るべし。 もしは受もしは想もしは行もしは識、 色の一字を改めて前のごとく句を作る。 ゆゑに一陰においておのおの四見あり。 五陰の四見四五の数合して二十となる。 しかも三世に歴てこの二十あり、 すなはち六十となる。 この外別に断・常の二見を加ふ。 このゆゑに総じて六十二見あり。
言↢「六十二見ト」↡者、依ニ↢¬律宗ノ名句ノ¼意ニ↡、総ジテ就テ↢五陰ニ↡有リ↢六十見↡。先ヅ於テ↢色陰ニ↡作ル↢其ノ四句ヲ↡。一ニハ即色是我、二ニハ離色是我、三ニハ我大色小色在我中、四ニハ色大我小我在色中ナリ。下ノ之四陰、准ジテ↠之ニ可シ↠知。若ハ受若ハ想若ハ行若ハ識、改テ↢色ノ一字ヲ↡如ク↠前ノ作ル↠句ヲ。故ニ於テ↢一陰ニ↡各有リ↢四見↡。五陰ノ四見四五之数合テ成ル↢二十ト↡。而モ歴テ↢三世ニ↡有リ↢此ノ二十↡、則成ル↢六十ト↡。此ノ外別ニ加フ↢断・常ノ二見ヲ↡。是ノ故ニ総ジテ有リ↢六十二見↡。
▲「九十五種」 といふは、 これ外道の種類を挙ぐ。 九十五種、 九十六種、 経論の異説、 除取由あり。 六師外道、 弟子おのおの一十五人あり、 合して九十人、 師弟合論すれば九十六種なり。 かの九十六種の中において、 その一類の小乗の計に同じきあり。 ゆゑにその一を除きて九十五といふ。 その計小乗に同じき辺ありといへども、 実にこれ旧法なり。 このゆゑに斥けて九十六種みなこれ邪道なりといふ。 九十六とは、 ¬華厳¼・¬智論¼・¬薩婆多論¼ 多分の説。 九十五とは ¬涅槃経¼ の説、 この ¬経¼ の意は九十六種の所計みなこれ戒禁取見なり。 しかるにこの中においてその一種真の涅槃四禅等にありと執するあり、 ゆゑに説きてただちに三途に堕すといはず、 この義辺によりて九十五といふ。
言↢「九十五種ト」↡者、是挙グ↢外道ノ種類ヲ↡。九十五種、九十六種、経論ノ異説、除取有リ↠由。六師外道、弟子各有リ↢一十五人↡、合テ九十人、師弟合論スレバ九十六種ナリ。於テ↢彼ノ九十六種之中ニ↡、有リ↣其ノ一類1157ノ同ジキ↢小乗ノ計ニ↡。故ニ除テ↢其ノ一ヲ↡云フ↢九十五ト↡。雖↠有ト↧其ノ計同ジキ↢小乗ニ↡辺↥、実ニ是旧法ナリ。是ノ故ニ斥テ言フ↢九十六種皆是邪道ナリト↡。九十六ト者、¬花厳¼・¬智論¼・¬薩婆多論¼多分ノ之説。九十五ト者¬涅槃経ノ¼説、此ノ¬経ノ¼意者九十六種ノ所計皆是戒禁取見ナリ。而ニ於テ↢此ノ中ニ↡有リ↤其ノ一種執スル↣真ノ涅槃在ト↢四禅等ニ↡、故ニ不↤説テ云↣直ニ堕スト↢三途ニ↡、依テ↢此ノ義辺ニ↡言フ↢九十五ト↡。
▲大師の解釈この説によるらくのみ。
大師ノ解釈由ラク↢斯ノ説ニ↡耳。
▲「唯仏」 とらは、 五種たりといへども、 六種たりといへども、 その外の一なり。
「唯仏」等者、雖↠為ト↢五種↡、雖↠為ト↢六種↡、其ノ外ノ一也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 傷嘆
【104】▲「誠知」 とらは、 傷嘆の詞なり。
「誠知ト」等者、傷嘆ノ詞也。
ただし悲痛すといへどもまた喜ぶところあり、 まことにこれ悲喜交流といふべし。 「▲不喜」・「▲不快」 はこれ恥傷を顕す。 定聚の数に入ると真証に近づくとひそかに自証を表す、 喜快なきにあらず。
但シ雖↢悲痛スト↡又有リ↠所↠喜ブ、寔ニ是可シ↠謂フ↢悲喜交流ト↡。「不喜」・「不快ハ」是顕↢恥傷ヲ↡。入ト↢定聚ノ数ニ↡与 ト ↠近ク↢真証ニ↡*表ス↢潜ニ自証ヲ↡、非ズ↠無ニ↢喜快↡。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『涅槃経』文
【105】▲次に ¬涅槃経¼、 所引広博なり。 つぶさに解するにあたはず、 よろしく大意を知るべし。
次ニ¬涅槃経¼、所引広博ナリ。不↠能↢具ニ解スルニ↡、宜クシ↠知ル↢大意ヲ↡。
問ふ。 いまこの文を引く、 なんの要かある。
問。今引ク↢此ノ文ヲ↡、有↢何ノ要カ↡耶。
答ふ。 弥陀の名号と涅槃の理と、 その名異なりといへどもその性これ同じ。 この義、 ↓文↓義ともに分明なり。
答。弥陀ノ名号ト与 ト ↢涅槃ノ理↡、其ノ名雖↠異也ト其ノ性是同ジ。此ノ義、文義共ニ分明也。
まづ↑文といふは、
先ズ言↠文ト者、
¬大経¼ の下にいはく、 「▲それ菩薩ありて疑惑を生ずる者は、 大利を失すとなす。 このゆゑにまさにあきらかに諸仏の無上の▽智慧を信ずべし。」 以上
¬大経ノ¼下ニ云ク、「其有テ↢菩薩↡生ズル↢疑惑ヲ↡者ハ、為ス↠失スト↢大利ヲ↡。是ノ故ニ応シ↣当ニ明ニ信ズ↢諸仏ノ無上ノ智恵ヲ↡。」 已上
また (大経巻下) いはく、 「▲まさに知るべし、 この人は大利を得となす。 すなはちこれ無上の功徳を具足するなり。」 以上
又云、「当ニシ↠知ル、此ノ人ハ為ス↠得ト↢大利ヲ↡。則是具↢足スルナリ無上ノ功徳ヲ↡。」 已上
あるいは智慧といひあるいは功徳といふ、 その言殊なりといへどもともにこれ名号なり。 これ弥陀を指して嘆じて無上といふ。 しかるに諸教の中に無上と称するは涅槃の一法なり。
或ハ云ヒ↢智恵ト↡或ハ云フ↢功徳ト↡、其ノ言雖↠殊也ト共ニ是名号ナリ。是指シテ↢弥陀ヲ↡嘆ジテ云↢無上ト↡。而ニ諸教ノ中ニ称スル↢無上ト↡者涅槃ノ一法ナリ。
いはく ¬智論¼ の意、 大乗の法の中に大般涅槃をもつて無上となす。 また ¬喩伽¼ (巻六六摂決択分意) にいはく、 「また次にいかなるか有上の法、 いはく涅槃を除きて余の一切の法なり。 まさに知るべし、 涅槃はこれ無上の法なり。」 以上
謂ク¬智論ノ¼意、大乗ノ法ノ中ニ大1158般涅槃ヲ以テ為ス↢無上ト↡。又¬喩伽ニ¼云、「復次ニ云何ナルカ有上ノ法、謂ク除テ↢涅槃ヲ↡余ノ一切ノ法ナリ。当ニ↠知ル、涅槃ハ是無上ノ法ナリ。」 已上
彼此の無上知るべし、 一法なり。
彼此ノ無上可シ↠知、一法ナリ。
次に↑義といふは、
次言↠義ト者、
上に出だすところの ¬大経¼ の文の中に△智慧といふは、 三徳の中にしばらく般若を挙ぐ。 もし一徳を挙ぐれば三徳具足す。 これはこれ三徳離れざるがゆゑなり。 無上の功徳はすなはちこれ名号、 名号はすなはちこれ三徳の秘蔵なり。 しかるにその名号はまつたくこれ弥陀、 弥陀はすなはちこれ涅槃の妙理なり。
上ニ所ノ↠出之¬大経ノ¼文ノ中ニ言↢智恵ト↡者、三徳ノ之中ニ且ク挙↢般若ヲ↡。若シ挙レバ↢一徳ヲ↡三徳具足ス。此ハ是三徳不ルガ↠離故也。無上ノ功徳ハ即是名号、名号ハ即是三徳ノ秘蔵ナリ。然ニ其ノ名号ハ全ク是弥陀、弥陀ハ即是涅槃ノ妙理ナリ。
ゆゑに ¬事讃¼ (法事讃巻下) にいはく、 「▲弥陀の妙果を号して無上涅槃といふ。」 以上 これ正報に就きて涅槃の名を立つ。
故ニ¬事讃ニ¼云ク、「弥陀ノ妙果ヲ号シテ云フ↢無上涅槃ト↡。」 已上 是就テ↢正報ニ↡立ツ↢涅槃ノ名ヲ↡。
また (法事讃巻下) いはく、 「▲極楽は無為涅槃の界なり。」 これ依報に約して涅槃の義を論ず。
又云、「極楽ハ無為涅槃ノ界ナリ。」是約シテ↢依報ニ↡論ズ↢涅槃ノ義ヲ↡。
また (法事讃巻上) いはく、 「▲畢命にただちに涅槃の城に入る。」 以上 これ所入の城を名づけて涅槃といふ。
又云、「畢命ニ直ニ入ル↢涅槃ノ城ニ↡。」 已上 是所入ノ城ヲ名テ曰フ↢涅槃ト↡。
¬般舟讃¼ にいはく、 「▲念仏はすなはちこれ涅槃の門なり。」 以上 ここに涅槃といふは能入の門に約す。
¬般舟讃ニ¼云、「念仏ハ即是涅槃ノ門ナリ。」 已上 此ニ云ハ↢涅槃ト↡約ス↢能入ノ門ニ↡。
依正・能所、 ただこれ弥陀円満無上涅槃の功徳なり。
依正・能所、唯是弥陀円満無上涅槃ノ功徳ナリ。
また阿闍世五逆の重罪、 さだめて阿鼻獄の中に入るべしといへども、 この経会に来りて滅罪解脱す。 この重病を療するは醍醐の妙薬なり。 いまこの念仏またこの病を滅す。 これによりて先徳、 この念仏をもつてかの醍醐に同ず、 これ一法なるがゆゑに。
又阿闍世五逆ノ重罪、定テ雖↠可ト↠入ル↢阿鼻獄ノ中ニ↡、来テ↢此ノ経会ニ↡滅罪解脱ス。療スルハ↢此ノ重病ヲ↡醍醐ノ妙薬ナリ。今此ノ念仏又滅ス↢此ノ病ヲ↡。依テ↠之ニ先徳、以テ↢此ノ念仏ヲ↡同ズ↢彼ノ醍醐ニ↡、是一法ナルガ故ニ。
かくのごときの甚深の義あるをもつてなり。 処々に多く引き、 いま文これを引く。
以↠有ヲ↢如ノ↠此ノ甚深ノ義↡也。処々ニ多ク引キ、今文引↠之ヲ。
▲邪臣並びに外道の名を挙ぐるに就きて、
就テ↠挙ルニ↢邪臣並ニ外道ノ名ヲ↡、
一より四に至るまでは列ぬるところ見つべし。 上は大臣の名、 下は外道の名。
自↠一至マデハ↠四所↠列ヌル可シ↠見ツ。上ハ大臣ノ名、下ハ外道ノ名。
▲第五行の下に 「婆蘇仙」 とは、 経に出だすところの六師の内にあらず、 かの 「吉徳」 闍世を誘ふる言に引くところの古仙の名字なり。
第五行ノ下ニ「婆蘇仙ト」者、非ズ↢¬経ニ¼所ノ↠出ス六師ノ之内ニ↡、彼ノ「吉徳」誘フル↢闍世ヲ↡言ニ所ノ↠引ク古仙ノ之名字也。
▲第六行の上に 「迦羅鳩駄迦旃延」 とは、 六師の第五、 この名よろしく第五行の下婆蘇仙の所にあるべし。 第六の邪臣を無所畏と名づく、 いまこれを挙げず。 もしこれを挙ぐれば、 これすなはち第六行の上 「尼揵陀若提子」 を挙ぐる所にあるべし。 「若提子」 はその下にあるべし。
第六1159行ノ上ニ「迦羅鳩駄迦旃延ト」者、六師ノ第五、此ノ名宜クシ↠在↢第五行ノ下婆蘇仙ノ所ニ↡。第六ノ邪臣ヲ名ク↢無所畏ト↡、今不↠挙↠之ヲ。若シ挙ゲレ↠之ヲ者、是則可シ↠在ル↧第六行ノ上挙ル↢「尼揵陀若提子ヲ」↡所ニ↥。「若提子」者可シ在↢其ノ下ニ↡。
問ふ。 名字在没、 次第前後、 なんぞかくのごときなるや。
問。名字存没、次第前後、何ゾ如ナル↠此ノ耶。
答ふ。 かくのごときの用捨、 時によりて不定なり。 「婆蘇仙」 は要なきに似たりといへども、 邪臣所用の本説の名なるがゆゑに、 また由なきにあらず。 第六行の上に 「尼揵陀若提子」 を置くことは、 「婆蘇仙」 を除きて 「吉徳」 に次ぐがゆゑにこれを上に置くにあらず、 ただ隣次による。 また無所畏の名を挙げずといへども、 本文にあるがゆゑに省略すらくのみ。
答。如キノ↠此ノ用捨、依テ↠時ニ不定ナリ。「婆蘇仙」者雖↠似タリト↠無ニ↠要、邪臣所用ノ本説ノ名ナルガ故ニ、亦非ズ↠無ニ↠由。第六行ノ上ニ置コト↢「尼揵陀若提子ヲ」↡者、除テ↢「婆蘇仙ヲ」↡次ガ↢「吉徳ニ」↡故ニ非ズ↢之ヲ置ニ↟上ニ、只依ル↢隣次ニ↡。又雖↠不ト↠挙↢無所畏ノ名ヲ↡、在ガ↢本文ニ↡故ニ省略スラク而已。
問ふ。 もし文にあるに譲らば、 上の五も同じかるべし、 なんぞ上の五を出だして下の一を略するや。
問。若シ譲ラバ↠在ニ↠文ニ、上ノ五モ可シ↠同カル、何ゾ出シテ↢上ノ五ヲ↡略スル↢下ノ一ヲ↡耶。
答ふ。 初めを出だして後を略し、 多を挙げて少を省す。 初めに就き多に就く、 なんの過あらんや。 また挙ぐるところの六師の名において文字これ異なり。 ただし異ありといへども、 音の通ずるにおいては異とするに足らず、 その音の異なるにおいてはよろしく異本とすべし。
答。出シテ↠初ヲ略シ↠後ヲ、挙テ↠多ヲ省ス↠少ヲ。就キ↠初ニ就ク↠多ニ、有ラン↢何ノ過カ↡乎。又於テ↢所ノ↠挙ル六師ノ之名ニ↡文字是異ナリ。但シ雖↠有ト↠異、於↢音ノ通ズルニ↡者不↠足↠為ニ↠異ト、於テハ↢其ノ音ノ異ナルニ↡宜クシ↠為↢異本ト↡。
第三の名の中に、 一本には 「那闡」、 一本には 「刪闍」 、 一本には 「耾子」 、 一本には 「𦕑子」。
第三ノ名ノ中ニ、一本ニハ「那闡」、一本ニハ「刪闍」、一本ニハ「耾子」、一本「𦕑子」。
第四の名の中に、 一本には 「翅金」、 一本には 「翅舎」。
第四ノ名ノ中ニ、一本ニハ「翅金」、一本ニハ「翅舎」。
第六の名の中に、 一本には 「犍子」、 一本には 「提子」。
第六ノ名ノ中ニ、一本ニハ「犍子」、一本ニハ「提子」。
以上参差、 本に異あるか。 ただし二説の中に、 「刪闍」・「𦕑子」・「阿耆舎」・「欽若」・「提子」 の名、 ¬止観¼ の第十これらの字たり、 ゆゑに予そのかみ円宗を学せし時、 明師の説を受くなり、 この名字なり。
已上参差、本ニ有↠異歟。但シ二説ノ中ニ、「刪闍」・「𦕑子」・「阿耆舎」・「欽若」・「提子ノ」名、¬止観ノ¼第十為リ↢比等ノ字↡。故ニ豫*当初学セン↢円宗ヲ↡時、受也↢明師ノ説↡、此ノ名字也。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 私釈
【106】▲「是以」 とらは、 わたくしの解釈なり。
「是以ト」等者、私ノ解釈也。
この解釈の意、 上に述ぶるところのごとく、 弥陀の真教、 涅槃の極理、 内証これ一にして差別あることなし。 このゆゑにともに難治の三機を治す。 もつてこの義を顕すをこの釈の意とす。
此ノ解釈ノ意、如ク↢上ニ所ノ↟述ル、弥陀ノ真教、涅槃ノ極理、内証1160是一ニシテ無シ↠有コト↢差別↡。是ノ故ニ共ニ治ス↢難治ノ三機ヲ↡。以テ顕スヲ↢此ノ義ヲ↡為ス↢斯ノ釈ノ意ト↡。
「▲三機」 といふは、 ▲文の始めに挙ぐるがごとし。 一には謗大乗、 二には五逆罪、 三には一闡提、 これその機なり。
言↢「三機ト」↡者、如シ↠挙ガ↢文ノ始ニ↡。一ニハ謗大乗、二ニハ五逆罪、三ニハ一闡提、是其ノ機也。
「▲三病」 といふは、 すなはちこの三機、 根に約すれば三機。 喩に寄せては病といふ。
言↢「三病ト」↡者、即此ノ三機。約スレバ↠根ニ三機、寄テハ↠喩云フ↠病ト。
「▲聖聞」 といふは、 「聖」 の字正しからず、 書生の誤りか。 「声」 をもつて本となす。
言↢「聖聞ト」↡者、「聖ノ」字不↠正、書生ノ誤歟。以テ↠「声ヲ」為↠本ト。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ○ 私問
【107】▲「夫拠」 以下 「思量耶」 に至るまでは、 わたくしの問の詞なり。
「夫拠」以下至マデハ↢「思量耶ニ」↡、私ノ問ノ詞也。
▲「報導」 以下答の中に所引 ¬論の註¼ の文は、 上巻の釈なり。 総説をはりての後、 都べて八重の問答ある中に、 第二以下七番の問答、 巻を尽すに至るまでなり。
「報導」以下答ノ中ニ所引¬論ノ註ノ¼文者、上巻ノ釈也。総説竟ノ後、都テ有ル↢八重ノ問答↡之中ニ、第二以下七番ノ問答、至マデ↠尽スニ↠巻ヲ也。
問ふ。 ▲かの初重の意、 何事をか問答する。
問。彼ノ初重ノ意、問↢答スル何事ヲカ↡。
答ふ。 念仏所被の機を問ふに就きて、 答の中に意のいはく、 ¬大経¼ には説きて諸有衆生といひてしかも五逆と誹謗正法とを除き、 ¬観経¼ はつぶさに九品の機を説きてしかも五逆を摂してなほ謗法を除く。 ゆゑにその余はことごとく信仏の因縁によりてみな生ずることを述ぶ。
答。就テ↠問ニ↢念仏所被ノ之機ヲ↡、答ノ中ニ意ノ云ク、¬大経ニハ¼説テ云テ↢諸有衆生ト↡而モ除キ↢五逆ト誹謗正法トヲ↡、¬観経ハ¼具ニ説テ↢九品ノ之機ヲ↡而モ摂シテ↢五逆ヲ↡猶除ク↢謗法ヲ↡。故ニ述ブ↧其ノ余ハ尽ク依テ↢信仏ノ因縁ニ↡皆生ズルコトヲ↥。
▲第二の問答はこの義に就きて来る、 その意見つべし。
第二ノ問答ハ就テ↢此ノ義ニ↡来ル、其ノ意可シ↠見。
▲「一者五逆二者誹謗正法」 とらは、
「一者五逆二者誹謗正法ト」等者、
問ふ。 鸞師の意、 まつたく謗法の機往生の益を許すべからざるや。
問。鸞師之意、全ク不↠可↠許ス↢謗法之機往生ノ益ヲ↡乎。
答ふ。 いまの文のごときはこれを許さざるか。 ただし下巻の荘厳心業功徳成就の解釈のごときは、 かの謗法なほ解脱を得ることを許す。 その解釈△当巻の初めに三十三の願の身心柔軟の利益を解する段に載す、 ゆゑにいまこれを略す。 かの釈に生ずることを許すは摂受門の意、 これ回心に約す。 いまの釈に許さざるは抑止門の意、 未回心に約す。
答。如↢今ノ文ノ↡者不↠許↠之ヲ歟。但シ如↢下巻ノ荘厳心業功徳成就ノ之解釈ノ↡者、許ス↣彼ノ謗法尚得コトヲ↢解脱ヲ↡。其ノ解釈載ス↧当巻ノ初ニ解スル↢三十三ノ願ノ身心柔軟ノ利益ヲ↡之段ニ↥、故ニ今略ス↠之ヲ。彼ノ釈ニ許スハ↠生コトヲ*摂受門ノ意、是約ス↢廻心ニ↡。今ノ釈ニ不ルハ↠許サ抑止門ノ意、約ス↢未廻心ニ↡。
第六重の中に、 ▲初めに 「在心」 とは、 すなはちこれ心に約す。 次に 「在縁」 とは、 これはこれ境に約す。 後に 「在決定」 といふはこれ時に約すなり。
第六重ノ中1161ニ、初ニ「在心ト」者、即是約ス↠心ニ。次ニ「在縁ト」者、此ハ是約ス↠境ニ。後ニ「在決定ト云ハ」是約スル↠時ニ也。
▲「無後心」 とは、 四修の中に長時修の意。 「無間心」 とは、 すなはち無間修なり。
「無後心ト」者、四修ノ之中ニ長時修ノ意。「無間心ト」者即無間修ナリ。
問ふ。 「無間心」 とは、 平生に約すとやせん、 臨終に約すとやせん。
問。「無間心ト」者、為ン↠約ストヤ↢平生ニ↡、為ン↠約ストヤ↢臨終ニ↡。
答ふ。 いまの釈のごときは、 時分の急なるをもつてこの心に依止す、 ゆゑに臨終に約す。 ただし総じてこれをいはば平生を遮せず。 機根まちまちなるがゆゑに、 たとひ尋常なりといへどもこの心に住する類、 なんぞこれなからんや。
答。如↢今ノ釈ノ↡者、以テ↢時分ノ急ナルヲ↡依↢止ス此ノ心ニ↡、故ニ約ス↢臨終ニ↡。但シ総ジテ言ハヾ↠之ヲ不↠遮セ↢平生ヲ↡。機根区ナルガ故ニ、縦ヒ雖↢尋常ナリト↡住スル↢此ノ心ニ↡類、何ゾ無ラン↠之哉。
▲「此中」 とらは、 念に三義あり。 いはゆる時節と観念と称念となり。 いまはただ時を嫌ふ。 観念と称名とはその用捨なし。 鸞師の意二義を存ずるか。 もし導家によらば、 ただこれ称名なり。 十八の願文、 下々の十念、 ともに異論なし。
「此中ト」等者、念ニ有リ↢三義↡。所謂時節ト観念ト称念トナリ。今ハ唯嫌フ↠時ヲ。観念ト称名トハ無シ↢其ノ用捨↡。鸞師ノ之意存ズル↢二義ヲ↡歟。若シ依ラバ↢導家ニ↡、唯是称名ナリ。十八ノ願文、下々ノ十念、共ニ無シ↢異論↡。
▲第八の問の意は、 その観と称とたがひに妨げあるべきことを訝る。 ▲答の意すでに業事成弁といふ。 いふこころは称に約するにおいてしかもその頭数を記すべからざるか。
第八ノ問ノ意ハ、訝ル↢其ノ観ト称ト互ニ可コトヲ↟有↠妨。答ノ意已ニ云フ↢業事成辨ト↡。言心ハ於テ↠約スルニ↠称ニ而モ不ル↠可↠記ス↢其ノ頭数ヲ↡歟。
▲「不縁」 とらは、 口授を伝へず、 また筆点なし。 先徳これを嘆く、 たれか恨とせざらん。 ただしその涯分推知の領解開発、 よろしく人の根性によるべきか。
「不縁」等者、不↠伝↢口授↡、又無シ↢筆点↡。先徳嘆ク↠之ヲ、誰カ不ラン↠為↠恨ト。但シ其ノ涯分推知ノ領解開発、宜クキ↠依↢人ノ根性ニ↡乎。
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・ 大師釈二文
【108】▲次に大師の釈、 所引に二あり。
次ニ大師ノ釈、所引ニ有↠二。
初めは ¬散善義¼ 下品下生二種の重罪除取の問答、 ▲問端は見つべし。
初ハ「散善義」下品下生二種ノ重罪除取ノ問答、問端ハ可シ↠見ツ。
▲答の中の意に就きて、
就テ↢答ノ中ノ意ニ↡、
問ふ。 「抑止門」 に約するなんの証かあるや。
問。約スル↢「抑止門ニ」↡有↢何ノ証カ↡耶。
答ふ。 諸願みな不取正覚をもつて当願の意を結す。 しかるに 「唯除」 (大経巻上大経巻下) の句その言の外にあり。 これをもつて証とす。
答。諸願皆以テ↢不取正覚ヲ↡結ス↢当願ノ意ヲ↡。而ニ「唯除ノ」句在リ↢其ノ言ノ外ニ↡。以テ↠之ヲ為↠証ト。
問ふ。 「▲五逆の已作」 なんの証かあるや。
問。「五逆ノ已作」有ル↢何ノ証カ↡耶。
答ふ。 ¬経¼ の序分の中に、 闍世これを造り、 調達これを作る、 ゆゑに 「已作」 といふ。
答。¬経ノ¼序分ノ中ニ、闍世造リ↠之ヲ、調達作ル↠之ヲ、故ニ云フ↢「已作ト」↡。
▲「此義」 とらは、 この釈の意、 ただ二種の重罪を抑止するのみにあらず、 また多劫を抑止する義あり。 もしただその重罪を抑止せば、 この言、 上に 「▲もし造らば還りて摂して生ずることを得しめん」 といふ句の下にあるべきか。 すでにかの土多劫の華合、 三種の障礙を挙げて、 その次にこれを結す。 知んぬべし、 上は罪業の抑止を標し、 下は多劫障重の抑止を結すといふことを。 純一の報土一向化生なり、 仮に華合と説くはこれすなはち胎生、 化土の相に約す、 よろしくこれを思択すべし。
「此義1162ト」等者、此ノ釈ノ之意、匪ズ↣啻抑↢止スルノミニ二種ノ重罪ヲ↡、又有リ↧抑↢止スル多劫ヲ↡之義↥。若シ只抑↢止セ其ノ重罪ヲ↡者、此ノ言、可↠在ル↧上ニ云↢「若シ造ラバ還テ*摂シテ得シメント↟生ズルコトヲ」之句ノ下ニ↥歟。已ニ挙テ↢彼ノ土多劫ノ花合、三種ノ障ヲ↡、其ノ次ニ結ス↠之ヲ。可↠知、上ハ標シ↢罪業ノ抑止ヲ↡、下ハ結スト云コトヲ↢多劫障重ノ抑止ヲ↡。純一ノ報土一向化生ナリ、仮ニ説クハ↢「*花合ト」↡是即胎生、約ス↢化土ノ相ニ↡、宜クシ↣思↢択ス之ヲ↡。
【109】▲次は ¬法事讃¼ 序の中の文なり。
次ハ¬法事讃¼序ノ中ノ文也。
▲「到彼」 とらは、 華開・華合の差なきことを顕す。 ▲「以仏」 とらは、 まさしく逆謗闡提みな生ずることを顕す。 すなはち不生と示すは抑止の意たり、 ゆゑに上の釈に次いでこの文を引くなり。
「到彼ト」等者、顕ス↠無コトヲ↢花開・花合ノ之差↡。「以仏ト」等者、正ク顕ス↢逆謗闡提皆生ズルコトヲ↡。即示スハ↢不生ト↡為リ↢抑止ノ意↡、故ニ次デ↢上ノ釈ニ↡引↢此ノ文ヲ↡也。
・ 逆謗摂不 ・ 智周
二 Ⅱ ⅲ e ロ ・『往生十因』文
【110】▲次の所引の文。
次ノ所引ノ文。
「▲淄州」 といふは、 これ居所の名。 名をば智周といふ、 法相の祖師。 いまの釈は ¬最勝王経の疏¼ の文なり。
言↢「淄州ト」↡者、是居所ノ名。名ヲバ曰フ↢智周ト↡、法相ノ祖師。今ノ釈ハ¬最勝王経ノ疏ノ¼文ナリ。
問ふ。 いまの引文は ¬十因¼ の第三の章の中に載るがごとし、 いかんぞ ¬十因¼ 云はくといはざるや。
問。今ノ引文者、如シ↠載ルガ↢¬十因ノ¼第三ノ章ノ中ニ↡、如何ゾ不↠云↢¬十因ニ¼云ト↡耶。
答ふ。 禅林の先徳淄州の釈を引く、 いまこの ¬文類¼ また淄州を引く。 彼此の引用おのおのかの師による。 「淄州による」 といふにすでに本拠あり、 ただちにその名を載するその科なし。
答。禅林ノ先徳引ク↢淄州ノ釈ヲ↡、今此ノ¬文類¼又引ク↢淄州ヲ↡。彼此ノ引用各依ル↢彼ノ師ニ↡。云フニ↠「依ルト↢淄州ニ↡」既ニ有リ↢本拠↡、直ニ載スル↢其ノ名ヲ↡無↢其ノ科↡耶。
いま引用の意は、 上に引くところの註家・宗家二師の釈、 すでに五逆・謗法の往生を明かす。 しかるに謗法の相は ¬論の註¼ にこれを釈す、 五逆はいまだ解せず。 このゆゑにその罪相を示さんがためなり。 なかんづくにもし▲小乗の五逆によらば、 人みなたやすくこれを犯さずとおもへらく。 もし▲大乗五逆の説によらば、 人々一々にこの罪を遁れがたし。 常に十悪を行ずる、 すなはちこの摂なるがゆゑに、 よりてかつは慚愧悔過の心を生ぜんがため、 かつは済度の大悲深重の仏恩を念報せしめんがために、 これを引かるるか。
今引用ノ意ハ、上ニ所ノ↠引ク之註家・宗家二師ノ之釈、既ニ明ス↢五逆・謗法ノ往生ヲ↡。而ニ謗法ノ相ハ¬論ノ註ニ¼釈ス↠之ヲ、五逆ハ未ダ↠解セ。是ノ故ニ為↠示サンガ↢其ノ罪相ヲ↡也。就ニ↠中若シ依ラバ↢小乗ノ五逆ニ↡、人皆以↢為ヘリラク輙ク不ト↟犯サ↠之ヲ。若シ依ラバ↢大乗五逆ノ之説ニ↡、人々一々ニ難シ↠遁レ↢此ノ罪ヲ↡。常ニ行ズル↢十悪1163ヲ↡、即此ノ摂ナルガ故ニ、仍テ且ハ為↠生ゼンガ↢慚愧悔過ノ之心ヲ↡、且ハ為ニ↣念↢報セシメンガ済度ノ大悲深重ノ仏恩ヲ↡、被↠引↠之ヲ歟。
「▲薩遮尼乾子経」 といふは、 訳者は流支、 この経十巻、 あるいは八巻あり、 また七巻あり。
言↢「薩遮尼乾子経ト」↡者、訳者流支、此経十巻、或ハ有リ↢八巻↡、又有リ↢七巻↡。
「▲彼の経にいはく」 とは、 ¬十因¼ (往生拾因) のごときは、 次上の文にいはく、 「もし ¬十輪経¼ によらば、 この四重の中において近無間業を説くがゆゑに。」 以上 次にいまの文あり、 しかるあひだ 「彼」 は ¬十輪経¼ を指す。 しかるにいまのごときは ¬薩遮尼乾子経¼ に混ずべし。 このゆゑに彼の字意を得て見るべし。 いま出だすところの罪、 かの ¬経¼ (地蔵十輪経巻三無依行品) にこの四を説きて 「四近無間大罪悪業」 といふ、 正逆をば説きて 「根本罪」 といふなり。
「彼経ニ云ト」者、如↢¬十因ノ¼↡者、次上ノ文ニ云、「若シ依ラバ↢¬十輪経ニ¼↡、於テ↢此ノ四重ノ中ニ↡説ガ↢近無間業ヲ↡故ニ。」 已上 次ニ有リ↢今ノ文↡、然ニ間「彼」者指ス↢¬十輪経ヲ¼↡。而ニ如↠今ノ者可シ↠混ズ↢¬薩遮尼乾子経ニ¼↡。是ノ故ニ彼ノ字得テ↠意ヲ可シ↠見ル。今所ノ↠出ス罪、彼ノ¬経ニ¼此ノ四ヲ説テ云フ↢「四近無間大罪悪業ト」↡、正逆ヲバ説テ云↢「根本罪ト」↡也。
六要鈔 第三 旧末
延書は底本の訓点に従って有国が行った(固有名詞の訓は保証できない)。
下 ¬安楽集¼ の本文では 「第六に ¬大智度論¼ によるに」 とある。 下は上の間違いか。
往生礼讃 所引の文は 「玄義分」 に見える。
束 底本では 「東」。 既引文に合わせて改めた。
底本は ◎本派本願寺蔵明徳三年慈観上人書写本。 Ⓐ本派本願寺蔵文安四年空覚書写本、 Ⓑ興正派興正寺蔵蓮如上人書写本 と対校。
花→Ⓐ華
則→Ⓐ即
華→Ⓑ花
措→Ⓑ借
成就文 Ⓐ「第十二願」と右傍註記
隔→Ⓑ摂
明→Ⓑ故
恨→Ⓑ限
摂→Ⓑ接
害→Ⓑ苦
華→Ⓑ花
華→ⒶⒷ花
華→Ⓑ花
八→◎Ⓑ人
恵→Ⓐ慧
遍→Ⓐ返
華→Ⓑ花
密→Ⓑ察
摂→Ⓑ接
五→◎Ⓐ六(Ⓐ「五歟」と右傍註記)
幀→◎ⒶⒷ Ⓐ「[玉云洗列切残帛又音雪 広云子悦切―縷桃花也今製綾花]」と上欄註記
以為 右Ⓐオモヘラク
恵→Ⓐ慧
倡 Ⓐ「倡歯羊切説文云楽也」と上欄註記
淅 Ⓐ「之列反」と左傍註記
飾→Ⓐ錦
幀→◎
廃→◎ⒶⒷ癈
表潜→Ⓐ潜表
当初 右Ⓐソノカミ
摂→Ⓑ接
摂→Ⓑ接