1271◎六要鈔 第六 旧本 新末
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・「序分義」文
【25】◎次に ▲「又云定善」 とらいふは、 「序分義」 の文、 すなはち七縁の中の第六・第七両縁の名なり。
◎次ニ言↢「又云定善ト」等↡者、「序分義ノ」文、即七縁ノ中ノ第六・第七両縁ノ名也。
問ふていはく、 なんがゆゑぞ略して二縁の名を出だすや。
問テ云ク、何ガ故ゾ略シテ出ス↢二縁ノ名ヲ↡乎。
答ふ。 前に引くところの三心の中に、 第三の心にいふところの 「▲随喜過去今生一切凡聖三業所修世出世間善根」 とらはこれ定散なり。 このゆゑに散善は仏自開として往生の行を顕す。 定善は韋提の請に答へて往生の観を示す。 この定散の機おのおの他力に帰して往生の益を得。 いま名題を表する、 けだしその意か。
答。前ニ所ノ↠引ク之三心ノ之中ニ、第三ノ之心ニ所ノ↠云フ「随喜過去今生一切凡聖三業所修世出世間善根ト」等者是定散也。是ノ故ニ散善ハ為テ↢仏自開ト↡顕ス↢往生ノ行ヲ↡。定善ハ答テ↢韋提ノ請ニ↡示ス↢往生ノ観ヲ↡。此ノ定散ノ機各帰シテ↢他力ニ↡得↢往生ノ益ヲ↡。今表スル↢名題ヲ↡、蓋シ其ノ意歟。
問ふ。 本書のごときは、 顕行は前にあり、 示観は後に居す、 いまなんぞ前後する。
問。如キ↢本書ノ↡者、顕行ハ在リ↠前ニ、示観ハ居ス↠後ニ、今何ゾ前後スル。
答ふ。 序分の説相、 夫人の意まづ当機によりて定善を請ずといへども、 如来一切の諸機を摂せんがためにまづ散善を開きて後に定善を示す。 正宗の説相、 まづ請問に応じ、 後に自開を顕す。 いま正宗説相の次第に就きて前後かくのごとし。
答。序分ノ説相、夫人ノ之意先ヅ依テ↢当機ニ↡雖↠請ズト↢定善ヲ↡、如来為ニ↠摂センガ↢一切ノ諸機ヲ↡先ヅ開テ↢散善ヲ↡後ニ示ス↢定善ヲ↡。正宗ノ説相、先ヅ応ジ↢請問ニ↡、後ニ顕ス↢自開ヲ↡。今就テ↢正宗説相ノ次第ニ↡前後如シ↠此ノ。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・「散善義」文
【26】▲次の一句は、 「散善義」 の奥の後序の文なり。
次ノ一句者、「散善義ノ」奥ノ後序ノ文也。
「▲浄土の要」 とはその二の意あり。 一には要門の義、 すなはち定散なり。 二には要法の義、 すなはち念仏なり。 ¬事讃¼ (法事讃巻下) に 「▲故使如来選要法」 といふがごとし。 すなはち真要の義これを本意となす。
「浄土ノ要ト」者有リ↢其ノ二ノ意↡。一ニハ要門ノ義、即定散也。二ニハ要法ノ義、即念仏也。如シ↣¬事讃ニ¼云ガ↢「故使如来選要法ト」↡也。即真要ノ義是ヲ為ス↢本意ト↡。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『礼讃』二文
【27】▲次の所引の文、 ¬往生礼讃¼ の前序の文なり。 三心の釈、 ほぼ ¬疏¼ の釈に同じ。 ゆゑに別して解せず。
次1272ノ所引ノ文、¬往生礼讃ノ¼前序ノ文也。三心ノ之釈、粗同ジ↢¬疏ノ¼釈ニ↡。故ニ不↢別シテ解セ↡。
「▲乃至」 といふは深心の釈なり。
言↢「乃至ト」↡者深心ノ釈也。
問ふ。 この中になんぞ深心の釈を略するや。
問。此ノ中ニ何ゾ略スル↢深心ノ釈ヲ↡乎。
答ふ。 深心の釈は▲第二巻の中に智昇の釈を載せてすでにもつてこれを引く。 ゆゑにいまこれを略す。
答。深心ノ之釈ハ第二巻ノ中ニ載テ↢智昇ノ釈ヲ↡既ニ以テ引ク↠之ヲ。故ニ今略ス↠之ヲ。
次に 「▲乃至」 とは、 ▲五念・▲四修を明かすところの文なり。
次ニ「乃至ト」者、所ノ↠明ス↢五念・四修ヲ↡文也。
▲「又菩薩」 の下 「足応知」 に至るまでは四修の法を明かす結文なり。 上にまさしくかの四修の法を明かすところの文の意のいはく、 「▲一には恭敬修。 かの仏およびかの一切の聖衆等を恭敬礼拝す。 ▲二には無余修。 もつぱらかの仏名を称して、 かの仏および聖衆等を専念専想専礼讃して余業を雑へず。 ▲三には無間修。 相続して恭敬礼拝、 称名讃歎、 憶念観察、 回向発願す。 心々相続して余業をもつて来し間へず。 また貪瞋煩悩をもつて来し間へず。 随犯随懴して、 念を隔て時を隔て日を隔てずして常に清浄ならしむ。 ▲四には長時修。 畢命を期となして誓ひて中止せず」 以上取意。
「又菩薩ノ」下至マデハ↢「足応知ニ」↡明ス↢四修ノ法ヲ↡之結文也。上ニ正ク所ノ↠明ス↢彼ノ四修ノ法ヲ↡之文ノ意ノ云ク、「一ニハ者恭敬修。恭↢敬礼↣拝ス彼ノ仏及ビ彼ノ一切ノ聖衆等ヲ↡。二者無余修。専ラ称シテ↢彼ノ仏名ヲ↡、専↢念専↣想専↤礼讃シテ彼ノ仏及ビ聖衆*等ヲ↡不↠雑ヘ↢余業ヲ↡。三者無間修。相続シテ恭敬礼拝、称名讃嘆、憶念観察、廻向発願ス。心々相続シテ不↧以テ↢余業ヲ↡来シ間ヘ↥。又不↧以テ↢貪嗔煩悩ヲ↡来シ間ヘ↥。随犯随懴シテ、不シテ↢隔テ↠念ヲ隔テ↠時ヲ隔テ↟日ヲ常ニ使ム↢清浄ナラ↡。四者長時修。畢命ヲ為テ↠期ト誓テ不↢中止セ↡。」 已上取意
問ふ。 四修の法とは、 論蔵等に深位の菩薩の所修の法を論ず。 いはく ¬倶舎論¼ の二十七 (玄奘訳智品) にいはく、 「一には無余修。 福徳・智慧二種の資糧修して遺すことなきがゆゑに。 二には長時修。 三大劫阿僧祗耶を経て修して倦むことなきがゆゑに。 三には無間修。 精勤勇猛にして刹那刹那に修して廃することなきがゆゑに。 四には尊重修。 所学を恭敬して顧惜するところなく修して慢なきがゆゑに。」 以上 この論文宗家の釈義と相違一にあらず。 無余修とは、 かれは福智の資糧円満して遺余なき義に約す、 これは一行余を雑することなき義に約す。 長時修とは、 かれは三大阿僧祇劫長遠の義に約し、 これは一生畢命の期に約す。 なんぞ相違するや。
問。四修ノ法ト者、論蔵等ニ論ズ↢深位ノ菩薩ノ所修ノ法ヲ↡也。謂ク¬倶舎論ノ¼二十七ニ云、「一ニハ無余修。福徳・智*恵二種ノ資糧修シテ無キガ↠遺コト故ニ。二ニハ長時修。経テ↢三大劫阿僧祗耶ヲ↡修シテ無キガ↠倦コト故ニ。三ニハ無間修。精勤勇猛ニシテ刹那刹那ニ修シテ無ガ↠*廃スルコト故ニ。四ニハ尊重修。恭↢敬シテ所学ヲ↡無ク↠所↢顧惜スル↡修シテ無ガ↠慢故ニ。」 已上 此ノ論文与↢宗家ノ釈義↡相違非ズ↠一ニ。無余修ト者、彼ハ約ス↧福智ノ資糧円満シテ無キ↢遺余↡義ニ↥、此ハ約ス↢一行無キ↠雑スルコト↠余1273ヲ義ニ↡。長時修ト者、彼ハ約シ↢三大阿僧祇劫長遠ノ之義ニ↡、此ハ約ス↢ー生畢命ノ之期ニ↡。何ゾ相違スル乎。
答ふ。 論説しかりといへどもいまの修行に就きて随義転用す。 すなはちいまの所引 「▲已勉」 とらは、 かの論説を顧みて設くるところの釈なり。
答。論説雖↠然ト就テ↢今ノ修行ニ↡随義転用ス。即今ノ所引「已勉ト」等者、顧テ↢彼ノ論説ヲ↡所ノ↠設クル釈也。
▲「所作善法」 以下の三句は自利の行に約す。 この中に無余・無間・尊重の三修を含容す。
「所作善法」已下ノ三句ハ約ス↢自利ノ行ニ↡。此ノ中ニ含↢容ス無余・無間・尊重ノ三修ヲ↡。
▲「教化衆生」 以下の三句は利他の行に就きて長時修に約す。
「教化衆生」已下ノ三句ハ就テ↢利他ノ行ニ↡約ス↢長時修ニ↡。
▲「然今」 とらは、 かの大菩薩四修の行、 今時煩悩繋縛の凡夫修行分絶えたり。 ただ回願往生の心を発せば、 一生の一行において分に四修を具する義を明かすなり。
「然今ト」等者、彼ノ大菩薩四修ノ之行、今時煩悩繋縛ノ凡夫修行分絶タリ。只発セバ↢廻願往生之心ヲ↡、明ス↧於テ↢一生ノ一行ニ↡分ニ具スル↢四修ヲ↡義ヲ↥也。
▲「到彼」 以下は論蔵等所説の四修、 かの浄土において自然任運に具足する益を明かす。
「到彼」以下ハ明ス↧論蔵等所説ノ四修、於テ↢彼ノ浄土ニ↡自然任運ニ具足スル益ヲ↥也。
【28】▲「又云若欲捨専」 とらは、 雑修の失を判ずる解釈なり。
「又云若欲捨専ト」等者、判ズル↢雑修ノ失ヲ↡之解釈也。
問ふ。 本書の文の中にはつぶさに専雑二修の得失を挙ぐ。 いまの所引*失を略して得を出だす、 なんの意かあるや。
問。本書ノ文ノ中ニハ具ニ挙グ↢専雑二修ノ得失ヲ↡。今ノ之所引略シテ↠失ヲ出ス↠得ヲ、有ル↢何ノ意カ↡耶。
答ふ。 ▲第二巻の中に得を判ずる文を引き、 当巻の中に失を判ずる釈を引く。 両処あひ照らしてこれを知らしむ。 なかんづく雑修は化土の因なるがゆゑにこの巻にこれを引く。
答。第二巻ノ中ニ引キ↢判ズル↠得ヲ文ヲ↡、当巻ノ之中ニ引ク↢判ズル↠失ヲ釈ヲ↡。両処相照シテ令↠知ラ↠之ヲ也。就テ↠中雑修ハ化土ノ因ナルガ故ニ此ノ巻ニ引ク↠之ヲ。
▲「乃由雑縁乱動」 とらは、 十三の失を挙ぐ。 中において初めの四は▲四の得を翻対してその義を知るべし。 ▲第二巻の新本の鈔に解するがごとし。 第五以下はこの四の中より開出す、 知るべし。
「乃由雑縁乱動」等者、挙グ↢十三ノ失ヲ↡。於テ↠中ニ初ノ四ハ翻↢対シテ四ノ得ヲ↡可シ↠知ル↢其ノ義ヲ↡。如シ↢第二巻ノ新本ノ鈔ニ解スルガ↡。第五以下ハ自リ↢此ノ四ノ中↡開出ス、応↠知ル。
問ふ。 第五の失に 「係念」 とらいひ、 第六の失に 「憶想」 とらいふ。 なんの差別かある。
問。第五ノ之失ニ云ヒ↢「係念ト」等↡、第六ノ之失ニ云フ↢「憶想ト」等↡。有ル↢何ノ差別カ↡。
答ふ。 ▲「係念」 とらはこれ初心に約す、 ▲「憶想」 とらは後心に約するなり。
答。「係念ト」等者是約ス↢初心ニ↡。「憶想ト」等者約スル↢後心ニ↡也。
問ふ。 いま出だすところの失はこれ第九に至る。 ▲第十以下の失を載せざるなんの由かあるや。
問。今所ノ↠出ス失ハ是至ル↢第九ニ↡。不ル↠載1274セ↢第十以下ノ之失ヲ↡有ル↢何ノ由カ↡乎。
答ふ。 別の由なきか。 専修の得をいふにすでに四種を出だす。 よりて雑修の失四種を出でず。 このゆゑに四の失と十三の失とただ開合の異なり。 これをもつてこれをいふに、 四の失の外に広略引用すべからく時に随ふべきか。 しかりといへどもなほあながちにその由を求めばその要なきにあらず。 いはく▲第九の失に慚愧・懴悔あることなしといふに就きて興の釈文を出だして懴悔の相を明かす。 その懴悔を示すに煩悩賊害の劣機に関らず、 つひに真心徹到の勝利を顕す。 その徹到の心はすなはち至誠心、 すなはち三心発得の義を顕す。 これ大要なるがゆゑに前後懴悔の文義を次いでんがために、 自下の失を略して懴悔の釈文を引き具すらくのみ。
答。無↢別ノ由↡歟。云ニ↢専修ノ得ヲ↡既ニ出ス↢四種ヲ↡。仍テ雑修ノ失不↠出↢四種ヲ↡。是ノ故ニ四ノ失ト十三ノ之失ト只開合ノ異ナリ。以テ↠之ヲ言フニ↠之ヲ、四ノ失ノ之外ニ広略引用須クキ↠随↠時ニ歟。雖↠然ト猶強ニ求メ↢其ノ由ヲ↡者非ズ↠無ニ↢其ノ要↡。謂ク第九ノ失ニ就テ↠云ニ↠無ト↠有コト↢慚愧・懴悔↡出シテ↢興ノ釈文ヲ↡明ス↢懴悔ノ相ヲ↡。示ニ↢其ノ懴悔ヲ↡不↠関カラ↢煩悩賊害ノ劣機ニ↡、終ニ顕ス↢真心徹到ノ勝利ヲ↡。其ノ徹到ノ心ハ即至誠心、即顕ス↢三心発得ノ義ヲ↡也。是大要ナルガ故ニ為ニ↠次ンガ↢前後懴悔ノ文義ヲ↡、略シテ↢自下ノ失ヲ↡引キ↢具スラク懴悔ノ之釈文ヲ↡耳。
▲「乃至」 といふは、 前序の終りより六時の下の所引の文前に至るまで省略するがゆゑなり。
言「乃至ト」者、自リ↢前序ノ終↡至マデ↢六時ノ下ノ所引ノ文前ニ↡省略スルガ故也。
▲「上中下」 の下は分別の釈なり。 三品の懴悔その意見つべし。
「上中下ノ」下ハ分別ノ釈也。三品ノ懴悔其ノ意可シ↠見ツ。
▲「久種」 とらは、 出離のためのゆゑに菩提心の上に修するところの善を 「解脱分の善根」 といふものなり。
「久種ト」等者、為ノ↢出離ノ↡故ニ菩提心ノ上ニ所ノ↠修スル之善ヲ云フ↢「解脱分ノ善根ト」↡者也。
▲「能如」 とらは、 聖人等の如法の懴悔を顕す。
「能如ト」等者、顕ス↢聖人等ノ如法ノ懴悔ヲ↡。
▲「若不」 とらは、 これ薄地底下の類自力の懴悔成じがたき義を顕す。 かくのごときの下機三品の懴悔を修することあたはずといへども、 真心徹到その功まつたく上にいふところの三品随分如法の懴悔に同じ。 このゆゑにいま 「上と同じ」 といふなり。
「若不ト」等者、是顕ス↢薄地底下ノ之類自力ノ懴悔難キ↠成ジ義ヲ↡也。如ノ↠此ノ下機雖↠不ト↠能↠修スルコト↢三品ノ懴悔ヲ↡、真心徹到其ノ功全ク同ジ↢上ニ所ノ↠言フ之三品随分如法ノ懴悔ニ↡。是ノ故ニ今云↢「与↠上同ジト」↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『観念法門』文
【29】次の所引の文、 ▲「又云総不論照」 とらは、 ¬観念法門¼ の護念縁の釈、 これ弥陀摂取の心光念仏の人を摂して余に亘らざることを明かす。
次ノ所引ノ文、「又云総不論照ト」等者、¬観念法門ノ¼護念縁ノ釈、是明ス↧弥陀摂取ノ心光摂シテ↢念仏ノ人ヲ↡不コトヲ↞亘ラ↠余ニ也。
つぶさなる文載せて▲第三巻の未にあり。 よりて▲その下においてほぼ註解し畢りぬ。
具ナル文載テ在リ↢第三巻ノ未ニ↡。仍テ於テ↢其ノ下ニ↡粗註1275解シ畢ヌ。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『法事讃』文
【30】次の所引の文、 ▲「又云如来出現」 とらは ¬法事讃¼ (巻下) の釈。 この讃略して一代の説教を標してつひに念仏その出要たることを勧む。
次ノ所引ノ文、「又云如来出現ト」等者¬法事讃ノ¼釈。此ノ讃略シテ標シテ↢一代ノ説教ヲ↡遂ニ勧ム↣念仏為コトヲ↢其ノ出要↡。
▲「如来」 とらは、 これ ▲「能於娑婆国土五悪世」 (小経) 等の経文による。
「如来ト」等者、是依ル↢「能於娑婆国土五濁悪世」等ノ之経文ニ↡。
▲「随宜」 とらは対機の意なり。 「▲或説多聞」 は声聞の教を指す。 「▲或説少解」 は縁覚の教に約す、 以上小乗。 「▲或教福慧」 は菩薩の教を指す、 これはこれ大乗。 前の二乗に加へてすなはち三乗となす。 もし円宗によらば菩薩乗においてまた大小を摂す、 三蔵教の菩薩あるがゆゑなり。 「福慧」 といふは、 六度の中に前の五はこれ福、 後の一は慧なり。 「▲或教禅念」 は仏心宗に約す。 ゆゑにこの中に大小・権実・教内・教外一代の意を含す。
「随宜ト」等者対機ノ意也。「或説多聞ハ」指ス↢声聞ノ教ヲ↡。「或説少解ハ」約ス↢縁覚ノ教ニ↡、已上小乗。「或教福*恵ハ」指ス↢菩薩ノ教ヲ↡、此ハ是大乗。加テ↢前ノ二乗ニ↡即為ス↢三乗ト↡。若シ依ラバ↢円宗ニ↡於テ↢菩薩乗ニ↡又摂ス↢大小ヲ↡、有ガ↢三蔵教ノ菩薩↡故也。言↢「福*恵ト」↡者、六度ノ之中ニ前ノ五ハ是福、後ノ一ハ恵也。「或教禅念ハ」約ス↢仏心宗ニ↡。故ニ此ノ中ニ含ス↢大小・権実・教内・教外一代ノ意ヲ↡也。
▲「種々」 とらは、 すなはち随分得度の益を許す。 これ根性利者の類に就きてしばらく論ずるところなり。 かの鈍根無智の機においてはその益を得がたし。 これがために設くるところは称名の行なり。 このゆゑに結して 「▲無過念仏往西方」 といふなり。
「種々ト」等者、即許ス↢随分得度ノ之益ヲ↡。是就テ↢根性利者ノ之類ニ↡且ク所↠論ズル也。於テ↢彼ノ鈍根無智ノ機ニ↡者難シ↠得↢其ノ益ヲ↡。為ニ↠之ガ所ハ↠設ル称名ノ行也。是ノ故ニ結シテ云↢「無過念仏往西方ト」↡也。
問ふ。 いふところの結句、 まことに宗旨なり。 ただし▽いまこれを除く、 要須を失するをや。
問。所ノ↠云結句、誠ニ宗旨也。但今除ク↠之ヲ、失スルヲヤ↢要須ヲ↡耶。
答ふ。 一代の化儀、 聖道・浄土転入の教旨、 利根・鈍根潤益の次第、 念仏往生終窮の極談、 文の意分明なり。 しかるに一句を除くことは、 ことさらにその由を標す。 万善諸行は化土の業因なり。 このゆゑに広く上の諸句 「種々」 以下 「往西方」 に至るまでを引く。 末後の二句は▲↓下において別載す。
答。一代ノ化儀、聖道・浄土転入ノ教旨、利根・鈍根潤益ノ次第、念仏往生終窮ノ極談、文ノ意分明ナリ。而ニ除コトハ↢一句ヲ↡、故ニ標ス↢其ノ由ヲ↡。万善諸行ハ化土ノ業因ナリ。是ノ故ニ広ク引ク↢上ノ之諸句「種々」已下至マデヲ↢「往西方ニ」↡。末後ノ二句ハ於テ↠下ニ別ニ載ス。
問ふ。 ↑下において載するところ同じくこれ当巻▲二十の願の下にこれを引くところなり。 かの願すなはちまた諸行の願なり。 なんぞ別となすや。
問。於テ↠下ニ所↠載スル同ク是当巻二1276十ノ願ノ下ニ所↠引↠之ヲ也。彼ノ願即亦諸行ノ願也。何ゾ為↠別ト乎。
答ふ。 植諸徳本の願たりといへども、 また▲聞其名号と説くゆゑなり。
答。雖↠為ト↢植諸徳本之願↡、又説↢聞其名号ト↡故也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『般舟讃』二文
【31】次の所引の文、 ▲「又云」 とらは、 ¬般舟讃¼ の釈。
次ノ所引ノ文、「又云ト」等者¬般舟讃ノ¼釈。
▲「万劫」 とらは、 これ十信一万劫の修行長遠にして煩悩間隔し修功続きがたきことを明かす。 これ ¬瓔珞¼ 所説の漸教によりてこの義相を明かす。 ¬観経¼ 所説の頓教に引入せしめんがためなり。
「万劫ト」等者、是明ス↢十信一万劫ノ之修行長遠ニシテ煩悩間隔シ修功難コトヲ↟続キ。是依テ↢¬瓔珞¼所説ノ漸教ニ↡明ス↢此ノ義相ヲ↡。為↠令ンガ↣引↢入セ¬観経¼所説ノ之頓教ニ↡也。
▲「門々」 とらは、 所引のいまの文の中間に五十句二十五行あり。 彼等の偈を除きてかくのごとく引かるることは、 漸教の難行修習の説相・義趣隣れるがゆゑに、 いま次いでこれを引きすなはち 「▲修功」 といひまた 「▲苦行」 といふ、 その功相同じ、 「▲証法忍」 といひ 「▲証無生」 といふ、 その益また同じ。
「門々ト」等者、所引ノ今ノ文ノ中間ニ有リ↢五十句二十五行↡。除テ↢彼等ノ偈ヲ↡如ク↠此ノ被ヽコトハ↠引、漸教ノ難行修習ノ説相・義趣隣レルガ故ニ、今引キ↢次テ之ヲ↡即云ヒ↢「修功ト」↡又云フ↢「苦行ト」↡、其ノ功相同ジ、云ヒ↢「証法忍ト」↡云フ↢「証無生ト」↡、其ノ益又同ジ。
しかるに上の文には 「▲六道恒沙劫未期」 といひて難行の堪へざることを示し、 いまこの讃には 「▲須臾命断仏迎将」 といひて易行の頓益を勧む。 上下あひ扶けて勧入せしむるなり。
而ニ上ノ文ニハ云テ↢「六道恒沙劫未期ト」↡示シ↢難行ノ不コトヲ↟堪、今此ノ讃ニハ云テ↢「須臾命断仏迎将ト」↡勧ム↢易行ノ頓益ヲ↡。上下相扶テ令ル↢勧入セ↡也。
▲「一食」 とらは、 あるいは一念といふ、 なほ短時たり。
「一食ト」等者、或ハ云フ↢一念ト↡、猶為リ↢短時↡。
▲「貪瞋」 とらは、 貪瞋はこれ因、 能障の路たり。 人天はこれ果、 所障の報たり。 その生因をいへば五戒・十善、 しかるに貪瞋によりてかの戒善を障ふ。 このゆゑに人天の善果を受けず、 ただいたづらに身を三悪四趣に安ず。 いまこの義を示して大要を鈔すらくのみ。
「貪瞋ト」等者、貪瞋ハ是因、為リ↢能障ノ路↡。人天ハ是果、為リ↢所障ノ報↡。言ヘバ↢其ノ生因ヲ↡五戒・十善、而ニ依テ↢貪瞋ニ↡障フ↢彼ノ戒善ヲ↡。是ノ故ニ不↠受ケ↢人天ノ善果ヲ↡、只徒ニ安ズ↢身ヲ三悪四趣ニ↡。今示シテ↢此ノ義ヲ↡鈔スラク↢大要ヲ↡耳。
【32】次の所引の文、 ▲「又云定散倶回」 とらは、
次ノ所引ノ文、「又云定散倶廻ト」等者、
上に ¬観経¼ の序分 ▲「汝是凡夫」 等の句を料簡する下においていまの▲定散倶回の文を出だし、 また ▲「諸仏如来」 等の句を解了する下においていまの ▲「韋提即是」 の釈を載せておのおの愚解を加ふ。 当巻新本の鈔を見るべきなり。
上ニ於テ↧料↢簡スル¬観経ノ¼序分「汝是凡夫」等ノ句ヲ↡之下ニ↥。出シ↢今ノ定散倶廻ノ之文ヲ↡、又於テ↧解↢了スル「諸仏如来」等ノ句ヲ↡之下ニ↥載テ↢今ノ「韋1277提即是ノ」之釈ヲ↡各*加フ↢愚解ヲ↡。可キ↠見ル↢当巻新本ノ鈔ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『論註』文
【33】次の所引の文、 「▲論註釈」 とは、 上巻本論の 「▲真実功徳相」 (浄土論) の文を解するところの註の釈なり。
次ノ所引ノ文、「論註釈ト」者、上巻所ノ↠解スル↢本論ノ「真実功徳相ノ」文ヲ↡之註ノ釈也。
いま 「▲不実功徳」 の文を引きて真実功徳を顕すところの釈に翻対す。 つぶさには▲第二巻の中にあり。
今引テ↢「不実功徳ノ」之文ヲ↡翻↧対ス所ノ↠顕ス↢真実功徳ヲ↡之釈ニ↥。具ニハ在リ↢第二巻ノ中ニ↡。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『安楽集』二文
【34】▲次の所引は ¬安楽集¼ の文、 上巻の釈なり。
次ノ所引者¬安楽集ノ¼文、上巻ノ釈也。
十二門の内、 大文第三に四番の釈あり。 その第三番にまた五番あり、 いまの所引は第五番なり。
十二門ノ内、大文第三ニ有リ↢四番ノ釈↡。其ノ第三番ニ亦有↢五番↡、今ノ所引者第五番也。
▲「大集」 とらは、 ¬大集¼ 一部三十巻の外に 「日蔵分」 および 「月蔵分」 おのおの一十巻あり。 ゆゑに 「大集月蔵分」 といふなり。
「大集ト」等者、¬大集¼一部三十巻ノ外ニ有リ↢「日蔵分」及ビ「月蔵分」各一十巻↡。故ニ云↢「大集月蔵分ト」↡也。
▲「我末法」 とは、 これ滅後三時の中末法の時において聖道の修行証を得がたきことを明かす。
「我末法ト」者、是明ス↧滅後三時ノ之中於テ↢末法ノ時ニ↡聖道ノ修行難コトヲ↞得↠証ヲ也。
問ふ。 本経の中にいまだこの文を勘へず、 いかん。
問。本経ノ之中ニ未 ズ ダ↠勘↢此ノ文ヲ↡、如何。
答ふ。 取意の文なり。 この ¬集¼ の上巻大文第一に教興の由を明かし、 時機に約する下に截するところの文なり。 いはくかの ¬経¼ の中に、 つぶさに五箇の五百年の間法住および隠没の相を顕す、 あきらかに初めの三の五百年の中には次いでのごとく戒定および慧堅固なり、 第四の五百には造寺堅固なり、 第五の五百には闘諍堅固にして白法隠没することを説く文の意なり。
答。取意ノ文也。此ノ¬集ノ¼上巻大文第一ニ明シ↢教興ノ由ヲ↡、約スル↢時機ニ↡下ニ所ノ↠截スル文也。謂ク彼ノ¬経ノ¼中ニ、具ニ顕ス↢五箇ノ五百年ノ間法住及以ビ隠没ノ之相ヲ↡、明ニ説ク↢初ノ三ノ五百年ノ中ニハ如ク↠次ノ戒定及ビ恵堅固ナリ、第四ノ五百ニハ造寺堅固ナリ、第五ノ々百ニハ闘諍堅固ニシテ白法隠没スルコトヲ↡之文ノ意也。
この正文の言、 ▲当巻の奥に重ねてこの ¬集¼ を引くにこの文あり。
此ノ正文ノ言、当巻ノ之奥ニ重テ引ニ↢此ノ¬集ヲ¼↡有↢此ノ文↡也。
問ふ。 起行修道簡別の言なし、 浄土に亘るべし。 なんぞ聖道に限る。
問。起行修道無シ↢簡別ノ言↡、可シ↠亘ル↢浄土ニ↡。何ゾ限ル↢聖道ニ↡。
答ふ。 聖道の修行は戒定慧にあり、 これ自力を策む。 浄土の得道は功を他力に帰す。 ゆゑに綽公の意、 深く聖道修入の方軌に達してこの釈を設くなり。
答。聖道ノ修行ハ在リ↢戒定恵ニ↡、是策ム↢自力ヲ↡。浄土ノ得道ハ帰ス↢功ヲ他力ニ↡。故ニ綽公ノ意、深ク達シテ↢聖道修入ノ方軌ニ↡設ク↢此ノ釈ヲ↡也。
問ふ。 聖道の教、 末法の中に修行得果その証なきにあらず。 なんぞ ▲「未有一人」 とらいふや。
問。聖道ノ之教、末法ノ之中1278ニ修行得果非ズ↠無ニ↢其ノ証↡。何ゾ云↢「未有一人ト」等↡乎。
答ふ。 いまの釈の意、 少はこれ無に属す、 多分に約するか。 末法に少分また諸教の証あらんことを遮せず。
答。今ノ釈ノ之意、少ハ是属ス↠無ニ、約スル↢多分ニ↡歟。不↠遮セ↣末法ニ少分又有ランコトヲ↢諸教ノ証↡也。
▲「当今」 とらは、 綽公の釈なり。
「当今ト」等者、綽公ノ釈也。
問ふ。 綽公の伝によるに大宋貞観一十九年乙巳入滅、 年八十四。 仏滅の時代異説ありといへども、 しばらく一説に拠るに仏滅以来かの乙巳に至るまで一千一百九十三年なり、 しかれば正像おのおの千年の内像法の半ばなり。 なんぞ 「末法」 といふ。
問。依ニ↢綽公ノ伝ニ↡大*宗貞観一十九年乙巳入滅、年八十四。仏滅ノ時代雖↠有ト↢異説↡、且拠ルニ↢一説ニ↡仏滅已来至マデ↢彼ノ乙巳ニ↡一千一百九十三年ナリ。然レ者正像各千年ノ内像法ノ半也。何ゾ云↢「末法ト」↡。
答ふ。 いま問ふところはこれ正像おのおの千年の説による。 これはこれ一義。 いま正法五百年の説を存じてかくのごとく釈するなり。
答。今所↠問者是依ル↢正像各千年ノ説ニ↡。此ハ是一義。今存ジテ↢正法五百年ノ説ヲ↡如ク↠此ノ釈スル也。
問ふ。 前の答のごとくは聖道に少しき修証あらんことを遮せずと。 云々 しかるにいまの釈に 「▲唯有一門」 といふ。 唯の言は余を遮す、 なんぞ矛盾せるや。
問。如ク↢前ノ答ノ↡者不ト↠遮セ↣聖道ニ少シキ有ランコトヲ↢修証↡ 云云 。而ニ今釈ニ云↢「唯有一門ト」↡。「唯ノ」言ハ遮ス↠余ヲ、何ゾ矛楯セル乎。
答ふ。 聖道の修行は少分得道、 浄土の修行は全分獲益、 みな仏加を蒙りて一としても虚しからず。 ゆゑに 「唯」 といふなり。
答。聖道ノ修行ハ少分得道、浄土ノ修行ハ全分獲益、皆蒙テ↢仏加ヲ↡不↢一トシテモ而虚カラ↡。故ニ云↠「唯ト」也。
【35】次に ▲「又云」 とは、 同じき (安楽集) 下巻の文、 大門第七に両番ある内二番の釈なり。
次「又云ト」者、同キ下巻ノ文、大門第七ニ有ル↢両番↡内二番ノ釈也。
上のつぶさなる文 (安楽集巻下) にいはく、 「▲第二段の中に此彼の修道功を用ゐる軽重あつて報を獲る真偽を明かすとは、 ◆もし発心して西に帰せんと欲せば、 ひとへに少時の礼観念等を用ゐよ。 寿の長短に随ひて、 臨命終時に光台迎接して、 迅くかの方位に至りて不退に階ふ。 ◆このゆゑに ¬大経¼ にいはく、 十方の人天わが国に来生せんもの、 もしつひに滅度に至らずしてさらに退転あらば、 正覚を取らじ。 この方には多時につぶさに施・戒・忍・進・定・慧を修す。」 以上
上ノ具ナル文ニ云ク、「第二段ノ中ニ明スト↢此彼ノ修道用ヰル↠功ヲ経重アテ而獲ル↠報ヲ真偽ヲ↡者、若シ欲セ↢発心シテ帰セント↟西ニ者、単ニ用ヰヨ↢少時ノ礼観念等ヲ↡。随テ↢寿ノ長短ニ↡、臨命終時ニ光台迎接シテ、迅ク至テ↢彼ノ方位ニ↡階フ↢不退ニ↡。是ノ故ニ¬大経ニ¼云、十方ノ人天来↢生センモノ我ガ国ニ↡、若シ不シテ↣畢ニ至ラ↢滅度ニ↡更ニ有ラ↢退転↡者、不↠取↢正覚ヲ↡。此ノ方ニハ多時ニ具ニ修ス↢施・戎・忍・進・定・恵ヲ↡。」 已上
また下に ¬経¼ によりてつぶさに横に五悪趣を截る義を述ぶ。 その大意 「▲もし弥陀の浄刹に往生することを得つれば、 娑婆の五道一時に頓に捨つ。 ゆゑに横截と名づく」 といへる文等なり。 繁きによりてこれを略す。
又下ニ依テ↠¬経1279ニ¼具ニ述ブ↧横ニ截ル↢五悪趣ヲ↡義ヲ↥。其ノ大意云ヘル↧「若得ツレバ↣往↢生スルコトヲ弥陀ノ浄刹ニ↡、娑婆ノ五道一時ニ頓ニ拾ツ。故ニ名クト↦横截ト↥」之文等也。依テ↠繁ニ略ス↠文ヲ。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ○ 私釈
【36】▲「然今」 以下 「之願也」▲ に至るまで四丁半余百十二行はわたくしの御釈なり。 中において三とす。
「然今」以下至マデ↢「之願也ニ」↡四丁半余百十二行ハ私ノ御釈也。於テ↠中ニ為↠三ト。
▽一に文の始めより 「一異之義答竟」▲ といふに至るまでは、 三経の意に就きてくわしく信心一異の義を明かし、 また諸機の心行、 往生の差別の相等を判ず。
一ニ自↢文ノ之始↡至マデハ↠云ニ↢「一異之義答竟ト」↡、就テ↢三経ノ意ニ↡委ク明シ↢信心一異ノ之義ヲ↡、又判ズ↢諸機ノ心行、往生ノ差別ノ相等ヲ↡。
▽二に次下の問答は、 また三経に就きて隠顕の義を明かし、 つひに三経一心の義を成ず。
二ニ次下ノ問答ハ、又就テ↢三経ニ↡明シ↢隠顕ノ義ヲ↡、終ニ成ズ↢三経一心ノ之義ヲ↡。
▽三に 「夫濁世」 の下は、 標するところの第二十の願を引かんがために、 まづほぼ願意を叙しまた願名を出だす。
三ニ「夫濁世ノ」下ハ、為ニ↠引ンガ↢所ノ↠標スル第二十ノ願ヲ↡、先ヅ粗叙シ↢願意ヲ↡又出ス↢願名ヲ↡。
△初段の中に、 初めより 「是也」▲ といふに至るまで二十一行余は、 ほぼ三経に亘りて自解の義を述ぶ。 一流の深義短解に及びがたし。 志と智とあらん後弟等、 かつは師伝を稟け、 かつは料簡を加へて領解すべからくのみ。
初段ノ之中ニ、自↠初至マデ↠云ニ↢「是也ト」↡二十一行余者、粗亘テ↢三経ニ↡述ブ↢自解ノ義ヲ↡。一流ノ深義難シ↠及↢短解ニ↡。有ラン↢志ト与 ト ↟智之後弟等、且ハ稟ケ↢師伝ヲ↡、且ハ加テ↢料簡ヲ↡可カラク↢領解ス↡耳。
▲「然常没」 の下はまた大師釈義の言を借りて、 ほぼ定散難成の義を弁ず。
「然常没ノ」下ハ又借テ↢大師釈義之言ヲ↡、粗弁ズ↢定散難成之義ヲ↡。
▲息慮・▲廃悪は▲序題門の意、 ▲立相住心は▲像観の意なり。
息慮・*廃悪ハ序題門ノ意、立相住心ハ像観ノ意也。
▲「縦尽」 とらは華座観の釈、 ▲「無相離念」 以下はまたこれ像観の意なり。
「縦尽ト」等者*花座観ノ釈、「無相離念」以下ハ又是像観ノ意也。
▲「門余」 といふは、 ▲上の所引の序題門の釈に拠る。
言↢「門*余ト」↡者、拠ル↢上ノ所引ノ序題門ノ釈ニ↡。
▲竪出・竪超・▲横出・横超、 これらの名義▲第三の本にあり。 このゆゑに愚解▲かの下に載せ畢りぬ。
竪出・竪超・横出・横超、是等ノ名義在リ↢第三ノ本ニ↡。是ノ故ニ愚解載↢彼ノ下ニ↡畢ヌ。
▲「已顕真実行之中」 とは、
「已顕真実行之中ト」者、
問ふ。 第二巻のいづれの釈文を指すや。
問。指↢第二巻ノ何ノ釈文ヲ↡乎。
答ふ。 かの巻の終りに念仏・諸善の比校対論を挙ぐるに、 初めに▲四十八対を出だすよりこのかた終り 「他力真宗之正意也」▲ (行巻) といふに至るまで二丁有余、 ことに浄土超勝の至徳を嘆ず。 彼等を指すか。
答。彼ノ巻ノ終ニ挙ルニ↢念仏・諸善ノ比校対論ヲ↡、初ニ出スヨリ↢四十八対ヲ↡已来終至マデ↣于云ニ↢「他力真宗之1280正意也ト」↡二丁有余、殊ニ嘆ズ↢浄土超勝ノ至徳ヲ↡。指ス↢彼等ヲ↡歟。
▲「復就」 とらは、
「復就ト」等者、
また問ふ、 あるいは 「専行」 といひあるいは 「雑心」 といふまた 「▲五専」 といふ。 これらの名目いづれの典に出でたるぞや。
又問。或ハ云ヒ↢「専行ト」↡或ハ云ヒ↢「雑心ト」↡又云フ↢「五専ト」↡。此等ノ名目出タルゾヤ↢何ノ典ニ↡耶。
答ふ。 あながちに本拠なし。 所対あるがゆゑに義をもつてこれを名づく。 すでに 「雑行」 といふ、 「専行」 あるべし、 専雑を対するがゆゑに。 すでに 「専心」 といふ、 「雑心」 あるべし、 所対前に同じ。 また 「雑行」 といふ、 「雑心」 あるべし、 心行を対するがゆゑに。 五種を合する時なんぞ五専と言はざらん。 今師処々にかくのごとき名目等を用ゐらる、 もつとももつて巧なりとなす。
答。強ニ無シ↢本拠↡。有ガ↢所対↡故ニ以テ↠義ヲ名ク↠之ヲ。既ニ云フ↢「雑行ト」↡、可シ↠有ル↢「専行」↡、対スルガ↢専雑ヲ↡故ニ。已ニ云フ↢「専心ト」↡、可シ↠有ル↢「雑心」↡、所対同ジ↠前ニ。又云フ↢「雑行ト」↡、可↠有↢「雑心」↡、対スルガ↢心行ヲ↡故ニ。合スル↢五種ヲ↡時盍ゾン↠言↢五専ト↡。今師処々ニ被ル↠用↢如↠此ノ之名目等ヲ↡、尤以テ為ス↠巧ナリト。
¬愚禿鈔¼ (巻下) の中に ▲「七深信」 といひ、 「六決定」 といひ、 また ▲「六即」・「三印」・「三無」・「▲三随順」 等といふ。 けだし一轍なり。
¬愚禿鈔ノ¼中ニ云ヒ↢「七深信ト」↡、云ヒ↢「六決定ト」↡、又云フ↢「六即」・「三印」・「三無」・「三随順」等ト↡。蓋シ一轍也。
△第二段の中に
第二段ノ中ニ
▲「此経応有顕彰」 とらは、 この経はこれ ¬小経¼ を指す。 その顕説とは、 ただ善本徳本の功能を憑みて、 心を利他の願力に措かず自力の心を励ます、 この分斉に約す。
「此経応有顕彰ト」等者、此ノ経ハ是指ス↢¬小経ヲ¼↡。其ノ顕説ト者、只*憑テ↢善本徳本ノ功能ヲ↡、不↠措カ↢心ヲ於利他ノ願力ニ↡励ス↢自力ノ心ヲ↡、約ス↢此ノ分斉ニ↡。
その隠説とは難信の法、 これすなはち願力不思議の法、 信心を本となす。 これを甚難となす。 諸仏の証誠その意ここにあり。 ゆゑに顕説に約してあるいはこの ¬経¼ の▲多善根の文を引き、 あるいは▲無過念仏の解釈を引く。 △前にこの句を除くはここに載せんがためなり。 口称自力の行門は二十の願の分、 聞名を説くがゆゑに、 これによりていまこの文等を引くなり。
其ノ隠説ト者難信之法、是則願力不思議ノ法、信心ヲ為ス↠本ト。是ヲ為ス↢甚難ト↡。諸仏ノ証誠其ノ意在リ↠斯ニ。故ニ約シテ↢顕説ニ↡或ハ引キ↢此ノ¬経ノ¼多善根ノ文ヲ↡、或ハ引ク↢無過念仏ノ解釈ヲ↡。前ニ除クハ↢此ノ句ヲ↡為↠載ンガ↠此也。口称自力之行門者二十ノ願ノ分、説ガ↢聞名ヲ↡故、因テ↠茲ニ今引↢此ノ文等ヲ↡也。
▲「言彰者」 の下は隠説の意に約す。 所引の文に述ぶるところの義深く思択すべし。
「言彰者ノ」下ハ約ス↢隠説ノ意ニ↡。所引ノ之文ニ所ノ↠述ル之義深ク可シ↢思択ス↡。
▲「是以」 以下はその三経一致の旨を結し、 また信為能入の要を彰す。
「是以」以下ハ結シ↢其ノ三経一致ノ之旨ヲ↡、又彰ス↢信為能入ノ之要ヲ↡。
▲「大信心海甚以」 とらは、
「大信心海甚以ト」等者、
問ふ。 仏力によるがゆゑに発起せしめばなんぞ入りがたからんや。
問。由ガ↢仏力ニ↡故ニ令メ↢発1281起セ↡者何ゾ叵カラン↠入リ乎。
答ふ。 他力の信を得ることはなはだ難きがゆゑなり。 もし他力真実の信を得ばはなはだ往きやすかるべし。 ▲「真実」 以下、 下の句の意この義を顕すなり。
答。得コト↢他力ノ信ヲ↡甚ハダ難キガ故也。若シ得↢他力真実ノ信ヲ↡者甚ハダ応シ↠易カル↠往キ。「真実」以下、下ノ句ノ之意顕ス↢此ノ義ヲ↡也。
△第三段は二十の願に就きてその大意を述べ、 また得名を出だす。 大意見つべし。
第三段者就テ↢二十ノ願ニ↡述ベ↢其ノ大意ヲ↡、又出ス↢得名ヲ↡。大意可シ↠見ツ。
得名といふは、 「▲植諸徳本」・「▲不果遂者」・「▲至心回向」、 ともに経文に就きてこの願名あり。 「▲係念定生」 は真源これを名づく、 黒谷これに拠る。
言↢得名ト↡者「殖諸徳本」・「不果遂者」・「至心廻向」、共ニ就テ↢経文ニ↡有リ↢此ノ願名↡。「係念定生ハ」真源名ク↠之ヲ、黒谷拠ル↠此ニ。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・ 第二十願文
【37】▲次の引文の中に、 所引の願は第二十なり。
次ノ引文ノ中ニ、所引ノ願者第二十也。
当願の意は、 ひとへに善本徳本の功力を憑みて仏智難思の他力を信ぜず。 しかりといへどもつひに係念の因によりて果遂せしむるなり。
当願ノ意者、偏ニ*憑テ↢善本徳本ノ功力ヲ↡不↠信ゼ↢仏智難思ノ他力ヲ↡。雖↠然リト終ニ依テ↢係念ノ之因ニ↡令ル↢果遂セ↡也。
問ふ。 ▲「果遂」 といふは、 御廟・黒谷ともに三生果遂の義を判ず。 今師同じや。
問。言↢「果遂ト」↡者、御廟・黒谷共ニ判ズ↢三生果遂ノ之義ヲ↡。今師同ジヤ乎。
答ふ。 三生の義違害すべからず。
答。三生ノ之義不↠可↢違害ス↡。
問ふ。 当願の益化土たらば、 果遂する所は報土往生の益たるべきか。
問。当願ノ之益為ラ↢化土↡者、所↢果遂スル↡者可キ↠為↢報土往生ノ益↡歟。
答ふ。 一生聞名・一生化生・一生報土、 かくのごとく意を得ば果遂の益報土なるべからくのみ。 ¬大経¼ の下にいはく、 「▲もしこの衆生、 その本罪を識りて、 深くみづから悔責して、 かの処を離れんと求めば、 すなはち意のごとく無量寿仏の所に往詣することを得ん。」 以上 かの往詣仏所の時を指して果遂といふなり。
答。一生聞名・一生化生・一生報土、如ク↠此ノ得バ↠意果遂ノ之益可カラク↢報土ナル↡耳。¬大経ノ¼下ニ云ク、「若シ此ノ衆生、識テ↢其ノ本罪ヲ↡、深ク自悔責シテ、求メバ↠離レント↢彼ノ処ヲ↡、即得ン↣如ク↠意ノ往↢詣スルコトヲ無量寿仏ノ所ニ↡。」 已上 指シテ↢彼ノ往詣仏所ノ之時ヲ↡云↢果遂ト↡也。
問ふ。 かの転生とはその生を改めず、 なんぞ三生ならんや。
問。彼ノ転生ト者不↠改メ↢其ノ生ヲ↡、何ゾ三生ナラン乎。
答ふ。 生を改めずといへども、 三種の障を離れて三種の益を得。 義転生に当る。 例せば変易生死のごときこれなり。
答。雖↠不ト↠改メ↠生ヲ、離テ↢三種ノ障ヲ↡得↢三種ノ益ヲ↡。義当ル↢転生ニ↡。例セバ如キ↢変易生死ノ↡是也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・ 胎生文
【38】次に ▲「又言」 とは、 同じき (大経) 下巻の文、 これ衆生仏智を疑惑して罪福を信ずる者胎生を受くることを説く。
次ニ「又言ト」者、同キ下巻ノ文、是説ク↧衆生疑↢惑シテ仏智ヲ↡信ズル↢罪福ヲ↡者受コトヲ↦胎生ヲ↥也。
この下の所引は果遂の益に就きて名号の利を説く諸文を出だす。
此下1282ノ所引ハ就テ↢果遂ノ益ニ↡出ス↧説ク↢名号之利ヲ↡諸文ヲ↥。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・ 三十偈文
【39】次に ▲「又言」 とは、 三十偈の文。
次ニ「又言ト」者、三十偈ノ文。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『如来会』文
【40】▲次の所引は、 ¬如来会¼ の文。 不果遂をもつて 「▲不生」 と説くことは、 いふところの果遂即往生なるゆゑなり。
次ノ所引者、¬如来会ノ¼文。以テ↢不果遂ヲ↡説コト↢「不生ト」↡者、所ノ↠言フ果遂即往生ナル故ニ。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『平等覚経』文
【41】▲次に ¬覚経¼ の文。 五言六言、 字数異なりといへども、 文言・義趣おほきに ¬大経¼ の三十偈に同じ。
次ニ¬覚経ノ¼文。五言六言、字数雖↠異ナリト、文言・義趣大ニ同ジ↢¬大経ノ¼三十偈ニ↡矣。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『観経』文
【42】▲次に ¬観経¼ の文。 流通に至りて仏名を付属する仏語なり。
次ニ¬観経ノ¼文。*至テ↢流通ニ↡附↢属スル仏名ヲ↡之仏語也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『小経』文
【43】▲次に ¬小経¼ の文。 「生彼国」 に至るまでは少善根不生の義を説く。 ▲「聞説」 以下は名号執持の益を説くところなり。
次ニ¬小経ノ¼文。至マデハ↢「生彼国ニ」↡説ク↢少善*根不生之義ヲ↡。「聞説」已下ハ所↠説↢名号執持ノ益ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・「定善義」文
【44】▲次の所引等は、 宗家の解釈、 総じて九段あり。
次ノ所引等ハ、宗家ノ解釈、総ジテ有リ↢九段↡。
初めは 「定善義」。 ¬経¼ の念仏摂取の文を解する釈、 三経の意を標す、 その文見つべし。
初ハ「定善義」。解スル↢¬経ノ¼念仏摂取ノ文ヲ↡釈、標ス↢三経ノ意ヲ↡、其ノ文可シ↠見ツ。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・「散善義」三文
【45】次の所引の文、 ▲「又云決定深信」 とらは、 「散善義」 の釈。
次ノ所引ノ文、「又云決定深信ト」等者、「散善義ノ」釈。
三経の意に就きて深信を釈する中に、 ¬弥陀経¼ による解釈以下要を取りて引かる。 ▲第三巻の本につぶさに三心の釈を載せらるによりてこの文あるがゆゑに、 ▲その所引の下にほぼ註を加へ畢りぬ、 よりて重ねて解せず。
就テ↢三経ノ意ニ↡釈スル↢深信ヲ↡中ニ、依ル↢¬弥陀経ニ¼↡解釈以下取テ↠要ヲ被↠引。第三巻ノ本ニ由テ↢具ニ被ルニ↟載セ↢三心ノ之釈ヲ↡有ガ↢此ノ文↡故ニ、其ノ所引ノ下ニ粗加ヘ↠註ヲ畢ヌ、仍テ不↢重テ解セ↡。
問ふ。 第三にこれを引く、 なんぞ重ねて引くや。
問。第三ニ引ク↠之ヲ、何ゾ重テ引耶。
答ふ。 第三には広く引き当巻には略して引く。 また両巻においてたがひに除取あり、 異なきにあらず。
答。第三ニハ広ク引キ当巻ニハ略シテ引ク。又於テ↢両巻ニ↡互ニ有リ↢除取↡、非↠無ニ↠異也。
「得生」 の下に 「▲乃至」 といふは、 ▲「又深心」 の下四重の難の中に第四に 「推験明知」▲ といふに至るまで二十丁半余、 除くところこれなり。 ただし除くところの内 「大益也」▲ に至るまで十八丁余、 ▲第三巻の本にこれを引くがゆゑに除く。 ▲「又深心」 の下四十余行、 かの巻に同じく除く。 ただしこの文に 「▲諸仏言行不相違失縦令」 といふ十字、 かの巻にこれを除きてこの巻にこれを引く。
「得生ノ」之下ニ言↢「乃至ト」↡者、「又深心ノ」下四重ノ難ノ中ニ至マデ↣第四ニ云ニ↢「推験明知ト」↡*二丁半余1283、所↠除ク是也。但シ所ノ↠除ク内至マデ↢「大益也ニ」↡十八丁余、第三巻ノ本ニ引ガ↠之ヲ故ニ除ク。「又深心ノ」下四十余行、彼ノ巻ニ同ク除ク。但シ此ノ文ニ云フ↢「諸仏言行不相違失縦令ト」↡十字、彼ノ巻ニ除テ↠之ヲ此ノ巻ニ引ク↠之ヲ。
「経中説」 の下に 「▲乃至」 といふは、 「▲釈迦讃嘆極楽種々荘厳」 といふところの十字これなり。
「経中説ノ」下ニ言↢「乃至ト」↡者、所ノ↠云↢「釈迦讃嘆極楽種々荘厳ト」↡十字是也。
【46】次の所引の文、 ▲「又云然望仏願」 とらは、 「散善義」 の釈に下上品の 「▲称仏名故我来迎汝」 (観経意) の文を解する釈なり。
次ノ所引ノ文、「又云然望仏願ト」等者、「散善義ノ」釈ニ解スル↢下上品ノ「称仏名故我来迎汝ノ」之文ヲ↡釈也。
その上の文にいはく、 「▲所聞の化讃ただ称仏の功を述べて、 われ来りてなんぢを迎ふといふ、 聞経の事を論ぜず。」 已上
其ノ上ノ文ニ云、「所聞ノ化讃但述テ↢称仏之功ヲ↡、我来テ迎フト云↠汝ヲ、不↠論ゼ↢聞経ノ之事ヲバ↡。」 已上
「▲雑散の業」 とは、 経の題を聞くはこれ雑行なり。 また餐受の心浮散せしむるがゆゑに雑散の業と名づく。 称名の業とはこれ正業なり、 散を摂して心を住せしむ。 ゆゑに同じからず。
「雑散ノ業ト」者、聞ク↢経ノ題ヲ↡者是雑行也。又餐受ノ心令ムルガ↢浮散セ↡故ニ名ク↢雑散ノ業ト↡。称名ノ業ト者是正業也、摂シテ↠散ヲ住セシム↠心ヲ。故ニ不↠同也。
▲「如此」 とらは、 これに三義あり。 一にいはく、 「三部経」 を指す。 いはく 「この経」 とはすなはちこれ ¬観経¼、 「および諸部」 とはすなはち大小二部の経を指す。 二にいはく、 一代の教を指す。 「如此経」 とはこれ三部を指す、 「諸部」 中とは広く諸経を指す。 三にいはく、 広く一代の諸大乗経をもつていま浄土の三部に収むる意なり。
「如此ト」等者、此ニ有リ↢三ノ義↡。一ニ云、指ス↢「三部経ヲ」↡。謂ク「此ノ経ト」者即是¬観経¼、「及ビ諸部ト」者即指ス↢大小二部ノ経ヲ↡也。二ニ云、指ス↢一代ノ教ヲ↡。「如此経ト」者是指ス↢三部ヲ↡、「諸部」中ト者広ク指ス↢諸経ヲ↡。三ニ云、広ク以テ↢一代ノ諸大乗経ヲ↡今収ムル↢浄土ノ三部ニ↡意也。
【47】▲次の所引は、 同じき (散善義) 流通の釈、 ▲上の所引の付属阿難の仏語を解する釈なり。
次ノ所引者、同キ流通ノ釈、解スル↢上ノ所引ノ附属阿難ノ仏語ヲ↡釈也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『法事讃』三文
【48】▲次の所引の文、 三段ともにこれ ¬事讃¼ の下の釈。
次ノ所引ノ文、三段共ニ是¬事讃ノ¼下ノ釈。
その中に▲初めは ¬経¼ の少善不生の意を解する讃、 ▲次の両偈はこれ五濁劫末の衆生邪見にして信じがたきことを明かす。 意は堅固の信心を勧発して永く輪回を絶つにあり。 ▲後の一偈半は、 あるいは一句を載せあるいは二句を載せて処々にこれを引く。 諸教念仏勝劣を対比する簡要の文なり。
其ノ中ニ初ハ解スル↢¬経ノ¼少善不生ノ意ヲ↡讃、次ノ両偈1284者是明ス↢五濁劫末ノ衆生邪見ニシテ難コトヲ↟信ジ。意ハ在リ↧勧↢発シテ堅固ノ信心ヲ↡永ク絶ツニ↦輪廻ヲ↥。後ノ一偈半ハ、或ハ載セ↢一句ヲ↡或ハ載テ↢二句ヲ↡処々ニ引ク↠之ヲ。諸教念仏対↢比スル勝劣ヲ↡簡要ノ文也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『般舟讃』文
【49】▲次の両偈は、 ¬般舟讃¼ の文。
次ノ両偈者、¬般舟讃ノ¼文。
初めの文に ▲「一切如来」 とらは、 これ諸仏道同の義を明かす。 ▲「随機」 とらは、 これ諸教一分の利益を明かす。 根性利なる者はみな益を蒙る。 ▲「各得」 とらは、 かの諸教つひに真門に入るをその益とすることを明かすなり。
初ノ文ニ「一切如来ト」等者、是明ス↢諸仏道同ノ之義ヲ↡。「随機ト」等者、是明ス↢諸教一分ノ利益ヲ↡。根性利ナル者ハ皆蒙↠益ヲ也。「各得ト」等者、明↧彼ノ諸教終ニ入ルヲ↢真門ニ↡為コトヲ↦其ノ益ト↥也。
「▲乃至」 といふは、 ▲「門々不同八万四」 の下九行これなり。
言↢「乃至ト」↡者、「門々不同八万四ノ」下九行是也。
▲次の一偈の内、 初めの二句は▲第三巻の末に略してこれを引くといへども、 いま当巻においてまつたく一偈を引く。 「仏教」 とらは、 これまたまさしく一代の説教あまねく諸機に応ずることを明かす。 下根の修行もし成ぜずはたやすく常住の果を得べからず。 ゆゑに西方の門に入るべしと勧むるなり。
次ノ一偈ノ内、初ノ之二句ハ第三巻ノ末ニ略シテ雖↠引ト↠之ヲ、今於テ↢当巻ニ↡全ク引ク↢一偈ヲ↡。「仏教ト」等者、是又正ク明ス↣一代ノ説教普ク応ズルコトヲ↢諸機ニ↡。下根ノ修行若シ不↠成ゼ者不↠可↣輙ク得↢常住ノ之果ヲ↡。故ニ勧ムル↠可シト↠入↢西方ノ門ニ↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『礼讃』文
【50】次の所引の文、 ▲「又云」 とらは、 ¬礼讃¼ の序の釈、 前の専雑二修の得失を結する釈なり。
次ノ所引ノ文、「又云ト」等者、¬礼讃ノ¼序ノ釈、結スル↢前ノ専雑二修ノ得失ヲ↡釈也。
▲「千中」 とらは、
「千中ト」等者、
問ふ。 前には一二、 三五の往益を許す。 いまなんぞ相違する。
問。前ニハ許ス↢一二、三五ノ往益ヲ↡。今何ゾ相違スル。
答ふ。 与奪の意なり。 与へて少分を許し奪ひて 「無一」 といふ。 また教意によるに、 化土の生においてしばらく一二、 三五の往生を許す。 しかるに自力の道は化益なほ難し。 ゆゑに見聞するところ現在の得益いまだその証を得ず。 ゆゑに千が中にその一もなしといふ。
答。与奪ノ意也。与ヘテ許シ↢少分ヲ↡奪テ云フ↢「無一ト」↡。又依ニ↢教意ニ↡、於↢化土ノ生ニ↡且ク許ス↢一二、三五ノ往生ヲ↡。而ニ自力ノ道ハ化益猶難シ。故ニ所↢見聞スル↡現在ノ得益未ダ↠得↢其ノ証ヲ↡。故ニ云↣千ガ中ニ無ト↢其ノ一モ↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・ 元照釈文
【51】▲次に元照の釈 (弥陀経義疏)。
次ニ元照ノ釈。
文の意見やすし。 ただし ▲「碑の経」 に就きて、
文ノ意易シ↠見。但シ就テ↢「碑ノ経ニ」↡、
問ふ。 ¬選択集¼ の中に龍舒 ¬浄土の文¼ を勘載していはく、 「▲一心不乱よりしかも下にいはく、 もつぱら名号を持つ、 称名をもつてのゆゑに諸罪消滅す。 すなはちこれ多善根福徳の因縁なり。 いまの世に伝はれる本にはこの二十一字を脱す。」 以上 いま用ゐるところは 「▲持」 をもつて 「▲称」 となす。 また 「▲多功徳」 の三字加増す。 また 「▲福徳」 の上に 「▲多」 の一字あり。 字数の増減相違いかん。
問。¬選択集ノ¼中ニ勘↢載テ龍舒¬浄土ノ文1285ヲ¼↡云ク、「自リ↢一心不乱↡而モ下ニ云ク、専持↢名号ヲ↡、以ノ↢称名ヲ↡故ニ諸罪消滅ス。即是多善根福徳ノ因縁ナリ。今ノ世ニ伝レル本ニハ脱ス↢此ノ二十一字ヲ↡。」 已上 今所↠用者以テ↠「持ヲ」為↠「称ト」。又「多功徳ノ」三字加増ス。又「福徳ノ」上ニ有リ↢「多ノ」一字↡。字数ノ増減相違云何。
答ふ。 試みに二義を出だす。 一には ¬経¼ (小経) には 「▲不可思議功徳」 と説き、 ¬論¼ (浄土論) には 「▲真実功徳相」 と判ず。 ゆゑに言にこれを略すといへども義かならずあるべし、 ゆゑに功徳といふ。 すでにこれ無上大利の功徳なり。 大は多勝に通ず、 ゆゑにいひて多善根福徳となす。 みなことごとく円備せり、 ゆゑに 「福徳」 の上に 「多」 の字を加ふるか。 二には石碑の本において異本あるか。 「持」 と 「称」 との両字すなはちこれによるらくのみ。
答。試ニ出ス↡二義ヲ↡。一ニハ¬経ニハ¼説キ↢「不可思議功徳ト」↡、¬論ニハ¼判ズ↢「真実功徳相ト」↡。故ニ言ニ雖↠略スト↠之ヲ義必可シ↠在ル、故ニ云↢功徳ト↡。既ニ是無上大利ノ功徳ナリ。大ハ通ズ↢多勝ニ↡、故ニ曰テ為↢多善根福徳ト↡。皆悉円備セリ、故ニ「福徳ノ」上ニ加↢「多ノ」字ヲ↡歟。二ニハ於テ↢石碑ノ本ニ↡有↢異本↡歟。「持ト」「称トノ」両字即由ルラク↠此ニ耳。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『弧山疏』文
【52】次の所用の文、 ▲「弧山の疏」 とは、 智円法師の ¬小経の疏¼ なり。
次ノ所用ノ文、「弧山ノ疏ト」者、智円法師ノ¬小経ノ疏¼也。
▲「執持」 とらは、 ¬智度論¼ (巻五六滅諍乱品) にいはく、 「信力のゆゑに受け念力のゆゑに持つ。」 以上 寂師の ¬大経の義記¼ の下に受持の義を釈していはく、 「受とは心に領納をなすがゆゑに、 持とは記を得ること忘れざるがゆゑに。」 以上 これらの釈、 その意みな同じ。
「執持ト」等者、¬智度論ニ¼云、「信力ノ故ニ受ケ念力ノ故ニ持ツ。」 已上 寂師ノ¬大経ノ義記ノ¼下ニ釈シテ↢受持ノ義ヲ↡云、「受ト者作ガ↢心ニ領納ヲ↡*故ニ、得コト↠記ヲ不ルガ↠忘レ故ニ。」 已上 此等ノ之釈、其ノ意皆同ジ。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『大経』文
【53】次に ▲「大本」 とは、 ¬大経¼ の下巻流通の文なり。
次ニ「大本ト」者、¬大経ノ¼下巻流通ノ文也。
▲「仏語弥勒其有」 以下を流通とする中に四段ある内、 第一の嘆経勧学に五あり。 その五の中においていまの所引は四・五両段。 ▽所引の初めより ただしまさしくは上の ▲「仏語弥勒」 より 「之難無過此難」 といふに至る、 四に難を挙げて信を勧む。 ▲「故我法」 より下 「信順如法修行」 といふに至るまでは五に結して修行を勧む。
「仏語弥勒其有」已下ヲ為ル↢流通ト↡中ニ有ル↢四段↡内、第一ノ嘆経勧学ニ有リ↠五。於テ↢其ノ五ノ中ニ↡今ノ所引者四・五両段。自リ↢所引ノ初↡ 但シ正ハ自リ↢上ノ「仏語弥勒」↡ 至ル↠云ニ↢「之難無過此難ト」↡、四ニ挙テ↠難ヲ勧ム↠信ヲ。「故我法ヨリ」下至マデハ↠云ニ↢「信順如法修行ト」↡、五ニ結シテ勧ム↢修行ヲ↡。
△第四に難を挙げて信を勧むる中にまた分ちて二となす。 ▽文の初めより 「亦為難」 に至るまでは、 これまづ総に約す。 ▲「若聞」 以下は、 次に別に約するなり。
第四ニ挙テ↠難ヲ勧ル↠信ヲ之中ニ又分テ為↠二ト。自1286リ↢文ノ之初↡至マデハ↢「亦為難ニ」↡、是先ヅ約ス↠総ニ。「若聞」已下ハ、次ニ約スル↠別ニ也。
△総に約する中に浄影の意 (大経義疏巻下意) によるに、 「▲難値とらは、 生れて仏時に当る、 これを名づけて値となす、 目に覩るを見と称す。 これみな難し。 ▲難得とらは、 手に経巻を得る、 これを名ずけて得となす、 耳に聴くを聞といふ。 また領誦すべし、 これを目けて得となす。 耳に餐するを聞と称す。 これらみな難し。 ▲菩薩とらは、 菩薩勝の下はその行法これを聞くことはなはだ難きことを明かす。 ▲遇善知識能行亦難は修行の難を明かす。
約スル↠総ニ之中ニ依ニ↢浄影ノ意ニ↡、「難値ト等者、生レテ当ル↢仏時ニ↡、名テ↠之ヲ為ス↠値ト、目ニ覩ヲ称ス↠見ト。此皆難シ也。難得ト等者、手ニ得ル↢経巻ヲ↡、名テ↠之ヲ為ス↠得ト、耳ニ聴ヲ曰フ↠聞ト。亦可シ↢領誦ス↡、目テ↠之ヲ為↠得ト。耳ニ餐スルヲ称ス↠聞ト。此等皆難シ。菩薩ト等者、菩薩勝ノ下ハ明ス↢其ノ行法聞コト↠之ヲ甚難コトヲ↡。遇善知識能行亦難ハ明ス↢修行ノ難ヲ↡。
△別に約する中に▲難中とらは、前の三に約対す。 いまいふところは見仏の難を除く この ¬経¼ の中に修学することもっとも難きことを明かす、 余義・余法は処々によろしく説くべし。 浄土を開顕して人をして往生せしめ、 独りこの一経これをもつとも難しとなす。」 以上遠の意
約スル↠別ニ之中ニ難中ト等者、約↢対ス前ノ三ニ↡。 今所↠言者除↢見仏ノ難ヲ↡ 明ス↢此ノ¬経ノ¼中ニ修学スルコト最モ難コトヲ↡、余義・余法ハ処処ニ宜ク↠説ク。開↢顕シテ浄土ヲ↡教↢人ヲシテ往生セ↡、独リ此ノ一経為ス↢是ヲ最モ難シト↡。」 已上遠意
この釈の意に就きてわたくしに解するところあり。 いはゆる初めの中に 「聞亦難」 に至るまでは広く一代に約す。 まさしくこれを総となす。 その文の中において▲「如来」 とらは、 仏の在世においてその仏宝に約す、 ▲「諸仏」 以下はその滅後においてこれ法宝に約す。 ▲「菩薩」 とらは、 これ僧宝に約す。 ▲「遇善」 とらは、 これ総に属すといへども別の意を帯するか。 これすなはちこの文浄教の意を存ず。 その中にいまは起行の辺に約す。 ▲「若聞」 以下は別の中の別なり。 いはく安心に約してこの信心を得る、 難が中の難なり。 この信行を結して下に 「▲信順如法修行」 と説く。 かつは一流口伝の宗旨により、 かつは一分短慮の領解に就きていささかもつてこれを記す。 他は与すべからず、 愚意を述ぶらくのみ。
就テ↢此ノ釈ノ意ニ↡私ニ有リ↠所↠解スル。所謂初ノ中ニ至マデハ↢「聞亦難ニ」↡広ク約ス↢一代ニ↡。正ク為ス↢之ヲ総ト↡。於テ↢其ノ文ノ中ニ↡「如来ト」等者、於テ↢仏ノ在世ニ↡約ス↢其ノ仏宝ニ↡。「諸仏」已下ハ於テ↢其ノ滅後ニ↡是約ス↢法宝ニ↡。「菩薩ト」等者、是約ス↢僧宝ニ↡。「遇善ト」等者、是雖↠属スト↠総ニ帯スル↢別ノ意ヲ↡歟。是則此ノ文存ズ↢浄教ノ意ヲ↡。其ノ中ニ今ハ約ス↢起行ノ之辺ニ↡。「若聞」已下ハ別ノ中ノ之別ナリ。謂ク約シテ↢安心ニ↡得ル↢此ノ信心ヲ↡、難ガ中ノ難也。結シテ↢此ノ信行ヲ↡下ニ説ク↢「信順如法修行ト」↡。且ハ依リ↢一流口伝ノ宗旨ニ↡、且ハ就ク↢一分短慮ノ領解ニ↡聊以テ記ス↠之ヲ。他ハ不↠可ラ↠与ス、述ラク↢愚意ヲ↡耳。
△第五に結勧修行の文の中に、 ▲「是故」 とらは、
第五ニ結勧修行ノ文ノ中ニ、「是故ト」等者、
浄影師 (大経義疏巻下) のいはく、 「我法といふはこの経法を挙ぐ。 如是作とは、 この ¬経¼ 弥陀如来の修願修行を宣説して身を得土を得るを如是作と名づく。 如是説とは、 如来衆のために宣説するを如是説と名づく。 如是教とは、 如来上来に人を教へて往生せしむるを如是教と名づく。」 以上
浄影師ノ云ク、「言↢我法ト↡者挙グ↢此ノ経法ヲ↡。如是作ト者、此ノ¬経¼宣↢説シテ弥陀1287如来ノ修願修行ヲ↡得↠身ヲ得ヲ↠土ヲ名ク↢如是作ト↡。如是説ト者、如来為ニ↠衆ノ宣説スルヲ名ク↢如是説ト↡。如是教ト者、如来上来ニ教ヘテ↠人ヲ往生セシムルヲ名↢如是教ト↡。」 已上
義寂師 (大経義記巻下) のいはく、 「如是作とは、 いはく神通輪、 かれをして発心せしむるがゆゑに。 如是説とは、 いはく記説輪、 心を知りて説くがゆゑに。 如是教とは、 いはく教誡輪、 教授教誡するがゆゑに。」 以上
義寂師ノ云、「如是作ト者、謂ク神通輪、令 シムルガ↢彼ヲシテ発心セ↡故ニ。如是説ト者、謂ク記説輪、知テ↠心ヲ而説クガ故ニ。如是教ト者、謂ク教誡輪、教授教誡スルガ故ニ。」 已上
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『涅槃経』三文
【54】▲次に ¬涅槃経¼ の文。
次ニ¬涅槃経ノ¼文。
これ上の ¬大経¼ に知識信心の勝徳を説くに就きて、 他経たりといへどもひそかに上の文に会す。 すなはち上来処々にこれを述ぶるがごとし。 弥陀の名号は涅槃の義なるがゆゑに、 その内証に付きてこれを得合せらる。 今師の己証由あるものなり。 この ¬経¼ の所引にその三段あり。
是上ノ¬大経ニ¼就テ↠説ニ↢知識信心ノ勝徳ヲ↡、雖↠為ト↢他経↡竊ニ会ス↢上ノ文ニ↡。即如シ↢上来処々ニ述ルガ↟之ヲ。弥陀ノ名号ハ涅槃ノ義ナルガ故ニ、付テ↢其ノ内証ニ↡被ル↣得↢合セ之ヲ↡。今師ノ己証有ル↠由者也。此ノ¬経ノ¼所引ニ有リ↢其ノ三段↡。
▲「如経中」 とは、 これ初めに善知識の徳ならびに信心の益を讃説す。 ▲「又言」 の下は次に信不具足の相を説きて信の相を知らしむ。 また ▲「又言」 の下は後に譬喩を説きてまた知識を嘆ず。 初めの段は見つべし。
「如経中ト」者、是初ニ讃↢説ス善知識ノ徳并ニ信心ノ益ヲ↡。「又言ノ」之下ハ次説テ↢信不具足ノ之相ヲ↡令ム↠知ラ↢信ノ相ヲ↡。又「又言ノ」下ハ後ニ説テ↢譬喩ヲ↡又嘆ズ↢知識ヲ↡。初ノ段ハ可シ↠見ツ。
【55】△第二段の中に、 ▲「是名没没已」 とらいふは、
第二段ノ中ニ、言↢「是名没々已ト」↡等者、
かの ¬経¼ の第三十二巻 (北本巻三二師子吼品 南本巻三〇師子吼品) にいはく、 「恒河の辺に七種の人あるがごとし、 寇賊を恐畏れてすなはち河中に入る。 第一の人は水に入りてすなはち沈む。 第二の人は没すといへども還りて出づ、 出でをはりてまた没す。 第三の人は没しをはりてすなはち出づ、 出でてさらに没せず。 第四の人は入りをはりてすなはち没す、 没しをはりて還りて出づ、 出でをはりてすなはち住してあまねく四方を観る。 第五の人は入りをはりてすなはち沈む、 沈みをはりて還りて出づ、 出でをはりてすなはち住す、 住しをはりて方を観、 観をはりてすなはち去る。 第六の人は入りをはりてすなはち去る。 浅き処にすなはち住して賊の近遠を観る。 第七の人はすでに彼岸に至りて大山に登り上りてまた恐怖なし。 もろもろの怨賊を離れて大快楽を受く。」 以上
彼ノ¬経ノ¼第三十二巻ニ云、「如シ↣恒河ノ辺ニ有ガ↢七種ノ人↡、恐↢畏テ寇賊ヲ↡則入ル↢河中ニ↡。第一ノ人者入テ↠水ニ即沈ム。第二ノ人者雖↠没スト還テ出ヅ、出已テ復没ス。第三ノ人者没シ已テ即出、出デヽ更ニ不↠没セ。第四ノ人者入リ已テ便チ没ス、没シ已テ還テ出ヅ、出デ已テ即住シテ遍ク観ル↢四方ヲ↡。第五ノ人者入リ已テ即沈ム、沈ミ已テ還テ出ヅ、出已テ即住ス、住シ已テ観↠方ヲ、観已テ即去ル。第六ノ人者入リ已テ即去ル。浅キ処1288ニ即住シテ観ル↢賊ノ近遠ヲ↡。第七ノ人者既ニ至テ↢彼岸ニ↡登リ↢上テ大山ニ↡無シ↢復恐怖↡。離テ↢諸ノ怨賊ヲ↡受ク↢大快楽ヲ↡。」 已上
これはこれ譬喩なり。 譬の意に合せば、 第一は闡提、 第二は造悪、 第三は内凡、 第四は四果、 第五は支仏、 第六は菩薩、 第七は仏なり。 この中にいまは第二の人を出だすなり。
此ハ是譬喩ナリ。合セ↢譬ノ意ニ↡者、第一ハ闡提、第二ハ造悪、第三ハ内凡、第四ハ々果、第五ハ支仏、第六ハ菩薩、第七ハ仏也。此ノ中ニ今ハ出ス↢第二ノ人ヲ↡也。
▲「云何名為聞不」 とらは、
「云何名為聞不ト」等者、
問ふ。 この所引の文、 まつたく載せてもつて▲第三巻の末にあり、 なんぞ重ねて引くや。
問。此ノ所引ノ文、全載テ以テ在リ↢第三巻ノ末ニ↡、何ゾ重テ引ク耶。
答ふ。 かの所引はその文多きにあらず。 いまは一具の文、 所引これ多し。 広略を異となす。 また第三巻には聞具足をもつて信心を顕さんと欲す。 当巻の中には不具足をもつて不信を顕さんと欲す。 両処の所引異なきにあらざらくのみ。
答。彼ノ所引者其ノ文非ズ↠多ニ。今ハ一具ノ文、所引是多シ。広略ヲ為↠異ト。又第三巻ニハ以テ↢聞具足ヲ↡欲ス↠顕サント↢信心ヲ↡。当巻ノ之中ニハ以テ↢不具足ヲ↡欲ス↠顕サント↢不信ヲ↡。両処ノ所引非ラク↠无キニ↠異耳。
【56】△第三段の中に、 ▲「第一真実善知」 とらは、
第三段ノ中ニ、「第一真実善知ト」等者、
問ふ。 すでに諸仏ならびに諸菩薩をもつて善知識となす。 浄教を伝ふといへども、 凡夫の知識その分に関りがたし。 さらに仰信の義あるべからざるか。
問。已ニ以テ↢諸仏並ニ諸菩薩ヲ↡為ス↢善知識ト↡。雖↠伝ト↢浄教ヲ↡、凡夫ノ知識難シ↠関カリ↢其ノ分ニ↡。更ニ不↠可↠有↢仰信ノ義↡歟。
答ふ。 体に剋してこれをいはば、 その本は仏と菩薩とにあるべし。 ただしたしかに如来の教意を相承して伝来せしめば、 またすなはち善知識たるべし。 諸教の相承みなもつてかくのごとし。 かれらかならずしも仏・菩薩等ならず。 なんぞ浄教に限らん。 なかんづく ¬観経¼ 中下以下四品の知識、 みなこれ凡夫末代の劣機。 その知識に遇ひて往生を得べきことこれ仏意なり。
答。剋シテ↠体ニ言ハヾ↠之ヲ、其ノ本ハ可シ↠在↣仏ト与 トニ↢菩薩↡。但シ慥ニ相↢承シテ如来ノ教意ヲ↡令メ↢伝来セ↡者、又即可↠為↢善知識↡也。諸教ノ相承皆以テ如シ↠此ノ。彼等不↢必シモ仏・菩薩等ナラ↡。何ゾ限ラン↢浄教ニ↡。就↠中¬観経ノ¼中下已下四品ノ知識、皆是凡夫末代ノ劣機。遇テ↢其ノ知識ニ↡可コト↠得↢往生ヲ↡是仏意也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『華厳経』二文
【57】▲次に ¬華厳経¼ の文、 また二段あり。
次ニ¬*花厳経ノ¼文、又有↢二段↡。
初めの文は総じて善知識の義を説く、 ▲次はまた別して如来の大恩を説く。 「▲大師」 といふは、 すなはちこれ釈迦牟尼仏なり。
初ノ文ハ総ジテ説ク↢善知識ノ義ヲ↡、次ハ又別シテ説ク↢如来ノ大恩ヲ↡。言1289↢「大師ト」↡者、即是釈迦牟尼仏也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『般舟讃』文
【58】▲次に大師の釈、 これに四段あり。 初めの三偈および一句は ¬般舟讃¼ の文。
次ニ大師ノ釈、此ニ有リ↢四段↡。初ノ之三偈及一句者¬般舟讃ノ¼文。
▲初めの偈の中に▲「莫論」 とらは、 疑礙の心を誡めて不疑の心を勧む、 不疑の心とはすなはち信心なり。 ▲「浄土」 とらは、 日中の礼 (礼讃) に 「▲行者心を傾けて常に目に対せよ」 といふはすなはちこの意なり。 「▲忤」 とは、 ¬玉篇¼ にいはく、 「五故の切、 逆なり。」 ¬広韻¼ にいはく、 「宜故の切、 逆なり。」 「莫論」 とらは、 仏の引摂と不引摂とその回心と不回心とによることを明かす。
初ノ偈ノ之中ニ「莫論ト」等者、誡テ↢疑碍ノ心ヲ↡勧ム↢不疑ノ心ヲ↡、不疑ノ心ト者即信心也。「浄土ト」等者、日中ノ礼ニ云↢「行者傾テ↠心ヲ常ニ対セヨト↟目ニ」者乃此ノ意也。「忤ト」者、¬玉篇ニ¼云ク、「五故切、逆也。」¬広韻云、「宜故切、逆也。」「莫論ト」等者、明ス↫仏ノ引接ト与 ト ↢不引接↡由コトヲ↪其ノ廻心ト与 トニ↩不廻心↨。
▲次の一偈はこれその次にあらず、 その中間に七十九行を隔つ。 ▲「讃仏」 とらは弥陀の恩を讃ず。 次下の句に ▲「不蒙」 とらいふ、 弥陀なるがゆゑなり。
次ノ一偈者此非ズ↢其ノ次ニ↡、其中間ニ隔ツ↢七十九行ヲ↡。「讃仏ト」等者讃ズ↢弥陀ノ恩ヲ↡。次下ノ句ニ云フ↢「不蒙ト」等↡、弥陀ナルガ故也。
▲次の一偈は中に一句を隔つ。 「▲本師」 といふはこれ釈迦を讃ず。 前後あひあはせて二尊を嘆ずるなり。
次ノ一偈者中ニ隔ツ↢一句ヲ↡。言↢「本師ト」↡者是讃ズ↢釈迦ヲ↡。前後相并セテ嘆ズル↢二尊ヲ↡也。
▲次の一句すなはち同じき次なり。 浄土に生ずるは本師の力なり。 生ずることを得ればすなはちまた仏恩を報ずるなり。
次ノ一句即同キ次也。生ズル↢浄土ニ↡者本師ノ力也。得レバ↠生ズルコトヲ乃又報ズル↢仏恩ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『礼讃』文
【59】▲第二段の文、 「仏世」 の下この八句は初夜の礼 (礼讃) なり。
第二段ノ文、「仏世ノ」之下此ノ八句者初夜ノ礼也。
▲「仏世」 とらは、 ¬経¼ (大経巻下) に ▲「如来興世」 とら説く意なり。
「仏世ト」等者、¬経ニ¼説ク↢「如来興世ト」等↡意ナリ。
▲「人有」 とらは、 ¬経¼ (大経巻下) に ▲「聞法能行」 とら説く意、 ▲「自信」 とらは、 ¬経¼ (大経巻下) に ▲「若聞斯経」 とら説く意、 ▲「大悲」 とらは、 総じて上来の聞法能行信楽受持の勝益を結するなり。 「伝」 の字と 「弘」 とおのおの一本による、 ともに乖かざるか。 伝はすなはち伝通、 弘は弘通なり。
「人有ト」等者、¬経ニ¼説ク↢「聞法能行ト」等↡意、「自信ト」等者、¬経ニ¼説↢「若聞斯経ト」等↡意、「大悲ト」等者、総ジテ結スル↢上来ノ聞法能行信楽受持ノ之勝益ヲ↡也。「伝ノ」字ト与 ト ↠「弘」各依ル↢一本ニ↡、共ニ不↠乖カ歟。伝ハ即伝通、弘ハ々通也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『法事讃』二文
【60】▲第三段の文、
第1290三段ノ文、
▲「帰去」 とらは、 *第三巻の末に引用するところの ¬疏¼ の 「定善義」 水観の讃、 けだし一徹なり。 かしこには 「▲魔郷」 といひここには 「▲他郷」 といふ。 一字殊なりといへども大意これ同じ。
「帰去ト」等者、第三巻ノ末ニ所ノ↢引用スル↡之¬疏ノ¼「定善義」水観ノ之讃、蓋シ一*徹也。彼ニハ云ヒ↢「魔郷ト」↡此ニハ云フ↢「他郷ト」↡。一字雖↠殊ナリト大意是同ジ。
▲「帰家」 とらは、 日中の礼 (礼讃) に 「▲努力翻迷還本家」 といふなり。 いまこの ¬鈔¼ の本に 「▲帰本家」 といふ。 流布の本に 「本」 の一字なし、 これ異本か。 「本家」 といふはあたかも ¬礼讃¼ に 「▲本国」 といふがごとし。 たとひ 「本」 の字なくとも本家の義なり。
「帰家ト」等者、日中ノ礼ニ云↢「努力翻迷還本家ト」↡也。今此ノ¬鈔ノ¼本ニ云フ↢「帰本家ト」↡。流布ノ本ニ無シ↢「本ノ」之一字↡、是異本歟。云↢「本家ト」↡者宛モ如シ↣¬礼讃ニ¼云ガ↢「本国ト」↡也。縦ヒ無トモ↢「本ノ」字↡本家ノ義也。
▲「一切」 とらは、 十地の願行自然に成ずるなり。 ▲「悲喜」 とらは唱讃の偈なり。 これまた二世尊の恩を頂載して報じがたき志を述ぶ。 いまこの一偈別段たりといへども又云といはず、 よりて前段に属す。
「一切ト」等者、十地ノ願行自然ニ成ズル也。「悲喜ト」等者唱讃ノ偈也。是又頂↢載シテ二世尊ノ恩ヲ↡述ブ↢難キ↠報ジ志ヲ↡。今此ノ一偈雖↠為↢別段↡不↠云↢又云ト↡、仍テ属ス↢前段ニ↡。
【61】▲第四段の初めに、
第四段ノ初ニ、
▲「十方」 とらは、 同じき (法事讃) 後序の文、 まづ生死の輪回無際なることを述べ、 しかして後に難得の人身、 難聞の浄土、 難発の信心においてたちまちに得たちまちに聞きたちまちに発すことを述ぶらくのみ。
「十方ト」等者、同キ後序ノ文、先ヅ述ベ↢生死ノ輪廻無際ナルコトヲ↡、然シテ後ニ述ラク↧於テ↢難得ノ人身、難聞ノ浄土、難発ノ信心ニ↡忽ニ得忽ニ聞ヽ忽ニ発スコトヲ↥而已。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ○ 私釈
【62】▲「真知」 以下は、 わたくしの御釈なり。
「真*知」以下ハ、私ノ御釈也。
▲「無念」 とらは、 ¬礼讃¼ の前序に雑修の失を判ずる解釈なり。 十三の失の内に初めの九の失は▲当巻の始めにおいてすでにこれを挙げ訖りぬ。 いまの所引は、 かの失の余残、 第十以下四の失これなり。
「無念ト」等者、¬礼讃ノ¼前序ニ判ズル↢雑修ノ失ヲ↡之解釈也。十三ノ失ノ内ニ初ノ之九ノ失ハ於テ↢当巻ノ始ニ↡既ニ挙ゲ↠之ヲ訖ヌ。今ノ所引者、彼ノ失ノ余残、第十以下四ノ失是也。
▲「悲哉」 とらは、 集主悲情を述べらるる意なり。
「悲哉ト」等者、集主被ルヽ↠述ベ↢悲情ヲ↡意也。
▲「大小」 とらは、 本願の嘉号、 けだしこれ如来不可思議他力の功徳なり。 しかるに諸善に準じておのが善根となすゆゑに信を生ぜず、 このゆゑに真の報土に入らず。 釈意かくのごとし。
「大小ト」等者、本願ノ嘉号、蓋シ是如来不可思議ノ他力ノ功徳ナリ。而ニ准ジテ↢諸善ニ↡為ス↢己ガ善根ト↡故ニ不↠生ゼ↠信ヲ、是ノ故ニ不↠入↢真ノ報土ニ↡也。釈ノ意如シ↠斯ノ。
▲「久出」 とらは、 ▲万行諸善はこれ聖道の意。 ▲双樹林下はこれ ¬観経¼ に約す、 十九の願の意。 ▲善本徳本はこれ ¬小経¼ に約す、 二十の願の意、 すなはちこれ難思往生の心なり。 ▲選択願海はこれ ¬大経¼ の意、 すなはち難思議往生これなり。
「久出ト」等者、万行諸善ハ是聖道ノ意1291。双*樹下ハ是約ス↢¬観経ニ¼↡、十九ノ願ノ意。善本徳本ハ是約ス↢¬小経ニ¼↡、二十ノ願ノ意、乃是難思往生ノ心也。選択願海ハ是¬大経ノ¼意、即難思議往生是也。
▲「果遂」 とらは、 かくのごとく展転して仮より真に入る、 方便の門を出でて真実の門に入る、 すなはち果遂の願の成ずるところなり。 これひとへに今師不共の別意、 人これを知らず仰ぎて信ずべきなり。
「果遂ト」等者、如ク↠此ノ展転シテ従リ↠仮入ル↠真ニ、出デヽ↢方便ノ門ヲ↡入ル↢真実ノ門ニ↡、即果遂ノ願ノ之所↠成ズル也。是偏ニ今師不共ノ別意、人不↠知↠之ヲ可キ↢仰テ信↡也。
▲「信知」 以下は聖道の教その利これ短く、 浄土真宗その益長きことを明かすなり。
「信知」以下ハ明ス↢聖道ノ教其ノ利是短ク、浄土真宗其ノ益長キコトヲ↡也。
▲「拠経家披師釈」 とらは、 ¬観経¼ の 「玄義」 説人門の釈。 この門を立つることはこれ余人の諸説に簡異してただ仏説をもつて依憑せしめんがためなり。
「拠経家披師釈ト」等者、¬観経ノ¼「玄義」説人門ノ釈。立ルコト↢此ノ門ヲ↡者是為↧簡↢異シテ余人ノ諸説ニ↡唯以テ↢仏説ヲ↡令ンガ↦依*憑セ↥也。
この釈文において、 ▲「弁説」 とらはまづ章門を標す。 ▲「凡諸」 以下は総じて五種起説の不同を挙ぐ。 いふところの五種はもと ¬大論¼ に出でたり。 ¬論¼ の第二 (大智度論初品) にいはく、 「一には仏自口説、 二には仏弟子説、 三には仙人説、 四には諸天説、 五には変化説なり。」 以上
於↢此ノ釈文ニ↡、「辨説ト」等者先ヅ標ス↢章門ヲ↡。「凡諸」以下ハ総ジテ挙グ↢五種起説ノ不同ヲ↡。所ノ↠言五種ハ本出タリ↢¬大論ニ¼↡。¬論ノ¼第二ニ云、「一者仏自口説、二者仏弟子説、三者仙人説、四者諸天説、五者変化説ナリ。」 已上
¬論¼ といまの釈と開合の異なり。 ¬論¼ には仙天を開してもつて両説となして鬼神を立てず。 これすなはち仙は内外ありといへどもともにこれ人類、 天は六欲および四禅これみな天道。 人天異なるがゆゑに開して二種となして鬼神を立てず。 諸天みな八部鬼神を兼ぬ。 このゆゑに天に摂して別にこれを立てず。 釈には天仙を合す、 ともに五通を備へて徳あひ似たるがゆゑに別してこれを立てずして別に鬼神を立つ。 諸経の中にまさしくその説あり。 いはく ¬法華¼ の十羅刹女、 ¬薬師¼ の十二神将のごときらなり。 ゆゑに別してこれを立つ。 論説・釈義おのおのその由あり。
¬論ト¼与 ト ↢今ノ釈↡開合ノ異也。¬論ニハ¼開シテ↢仙天ヲ↡以テ為シテ↢両説ト↡不↠立↢鬼神ヲ↡。是則仙者雖↠有↢内外↡共ニ是人類、天者六欲及以ビ四禅是皆天道。人天異ナルガ故ニ開シテ為シテ↢二種ト↡不↠立↢鬼神ヲ↡。諸天皆兼ヌ↢八部鬼神ヲ↡。是ノ故ニ摂シテ↠天ニ不↢別ニ立↟之ヲ。釈ニハ合ス↢天仙ヲ↡、共ニ備ヘテ↢五通ヲ↡徳相似セルガ故ニ不シテ↢別シテ立↟之ヲ別ニ立ツ↢鬼神ヲ↡。諸経ノ之中ニ正ク有リ↢其ノ説↡。謂ク如キ↢¬法*花ノ¼十羅刹女、¬薬師ノ¼十二神将ノ↡等也。故ニ別シテ立ツ↠之ヲ。論説・釈義各有リ↢其ノ由↡。
▲「爾者」 以下一行余は、 聖人わたくしにまさしく四種の権説によらずしてただ仏自口説三経の説を依用すべきことを明かすことを結するなり。
「爾者」以下1292一行余者、聖人私ニ結ス↧正ク明コトヲ↦不シテ↠依ラ↢四種ノ権説ニ↡唯可コトヲ↞依↢用ス仏自口説三経ノ説ヲ↡也。
問ふ。 説人門の釈にその三段あり。 初めはまづ総じて五種の起説を挙ぐ。 いまの所引はこれ初段なり。 次に今 ¬経¼ 仏の自説たることを明かす。 いはゆる下に (玄義分) 「▲今此 ¬観経¼ 是仏自説」 といふ八字これなり。 後に ▲「問曰」 の下、 問答料簡はその説処・所為等を明かす。 第三の問答たとひ略を存ずといへども、 第二の文段もつともこれを引くべし。 初めに五説を挙ぐることはその中にいまの ¬経¼ まさしくこれ仏説たることを明かさんがためなり。 しかるにその文を略す。 所詮を忘れたるに似たり、 その意いかん。
問。説人門ノ釈ニ有リ↢其ノ三段↡。初ハ先ヅ総ジテ挙グ↢五種ノ起説ヲ↡。今ノ之所引ハ是初段也。次ニ明ス↣今¬経¼為コトヲ↢仏ノ自説↡。所謂下ニ云フ↢「今此¬観経¼是仏自説ト」↡八字是也。後ニ「問曰ノ」下、問答料簡ハ明ス↢其ノ説処・所為等ヲ↡也。第三ノ問答縦雖↠存ズト↠略ヲ、第二ノ文段尤可シ↠引ク↠之ヲ。初ニ挙コトハ↢五説ヲ↡為メ↠明サンガ↣其ノ中ニ今ノ¬経¼正ク是為コトヲ↢仏説↡也。而ニ略ス↢其ノ文ヲ↡。似タリ↠忘タルニ↢所詮ヲ↡、其ノ意如何。
答ふ。 かくのごときの引文、 広略時に随ふ。 かの文を略するによりてわたくしに詞を加へられてまさしく釈の意を述ぶ。 これに二の意あり。 一にはかの釈これ仏の自説といふといへども四種信用に足らずといはず。 ただしいはずといへどもその意顕然なり。 ゆゑに釈の意を探りてかくのごとく釈せらる、 由なきにあらざるか。 二にはかの釈にはただ今此観経といひて三経に亘らず、 ゆゑに仏説をもつて三経に通ぜんがためにわたくしにこの釈あり。 これ自由にあらず、 三部同じく仏説と標するゆゑなり。
答。如ノ↠此ノ引文、広略随フ↠時ニ。依テ↠略スルニ↢彼ノ文ヲ↡私ニ被テ↠加ヘ↠詞ヲ正ク述ブ↢釈ノ意ヲ↡。此ニ有リ↢二ノ意↡。一ニハ彼ノ釈雖↠言フト↢是仏ノ自説ト↡不↠言↢四種不ト↟足↢信用ニ↡。但シ雖↠不ト↠言其ノ意顕然ナリ。故ニ探テ↢釈ノ意ヲ↡如ク↠此ノ被ル↠釈セ、非ザル↠無ニ↠由歟。二ニハ彼ノ釈ニハ只云テ↢今此観経ト↡不↠亘↢三経ニ↡、故ニ以テ↢仏説ヲ↡為ニ↠通ゼンガ↢三経ニ↡私ニ有リ↢此ノ釈↡。是非ズ↢自由ニ↡、三部同ク標スル↢仏説ト↡故也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『大論』文
【63】▲次に ¬大論¼ の文。 四依の釈、 その意顕著なり。 くわしく述ぶるにあたはず。
次ニ¬大論ノ¼文。四依ノ之釈、其ノ意顕著ナリ。不↠能↢委ク述ルニ↡。
「依義」 の下 ▲「如人」 とらは、 指をもつて語に譬へ、 月をもつて義に喩ふ。 玄悟の賓は直爾に月を看て指を見ず。
「依義ノ」之下「如人ト」等者、以テ↠指ヲ譬ヘ↠語ニ、以テ↠月ヲ喩フ↠義ニ。玄悟ノ之賓ハ直爾ニ看テ↠月ヲ不↠見↠指ヲ也。
「依了義」 の下に ▲「有一」 とらは、 了不了の義。 諸経の異説、 諸宗の所談、 領解まちまちなりといへども、 いまの教の宗ただ仏説をもつて了義経となすこと、 この論灼然なり。
「依了義ノ」下ニ「有一ト」等者、了不了ノ義。諸経ノ異説、諸宗ノ所談、領解雖↠区ナリト、今ノ教ノ之宗唯以テ↢仏説ヲ↡為コト↢了義経ト↡、此ノ論灼然ナリ。
¬大経¼ の下にいはく、 「▲如来の智慧海は、 深広にして涯底なし。 二乗測るところにあらず、 ただ仏のみ独り明了なり。」 以上 弥陀の五智深奥の理、 三乗・五乗その境界にあらず。 このゆゑにいま菩薩等の説は信用に足らざることを談ず。 この義をもつてのゆゑに了義経の名は仏説に被らしむるなり。
¬大経ノ¼下ニ云、「如来ノ智恵海ハ、深広ニシテ無シ↢涯底↡。二乗1293非ズ↠所ニ↠測ル、唯仏ノミ独リ明了ナリ。」 已上 弥陀ノ五智深奥之理、三乗・五乗非ズ↢其ノ境界ニ↡。是ノ故ニ今談ズ↢菩薩等ノ説ハ不コトヲ↟足↢信用ニ↡。以テノ↢此ノ義ヲ↡故ニ了義経ノ名ハ被シムル↢仏説ニ↡也。
深心の釈 (散善義) にいはく、 「▲仏を除きて已還は、 智行いまだ満ぜずして、 その学地にあり。 正習ありて二障いまだ除こらず、 果願いまだ円かならざるによりて、 ◆これらの凡聖はたとひ諸仏の教意を測量すれども、 いまだ決了することあたはず。 平章することありといふともかならずすべからく仏証を請じて定となすべし。」 以上
深心ノ釈ニ云、「除テ↠仏ヲ已還ハ、智行未ダシテ↠満ゼ、在リ↢其ノ学地ニ↡。由テ↧有リテ↢正習↡二障未 ズ ダ↠除コラ、果願未ダルニ↞円ナラ、此等ノ凡聖ハ縦使ヒ測↢量スレドモ諸仏ノ教意ヲ↡、未 ズ ダ↠能↢決了スルコト↡。雖↠有ト↢平章スルコト↡、要ズ須クシ↧請ジテ↢仏証ヲ↡為ス↞定ト也。」 已上
▲「一切衆中比丘」 とらは、
「一切衆中比丘ト」等者、
問ふ。 仏を除きて已還はみな所信にあらず。 いまの釈のごときはこれを用ゐるべしや。
問。除テ↠仏ヲ已還ハ皆非ズ↢所信ニ↡。如↢今ノ釈ノ↡者可シ↠用ル↠之ヲ耶。
答ふ。 信用するところの仏自口説了義経とは、 所説の理に約す。 いま 「比丘僧第一」 とらは、 無仏世の時その形体に約してこれを判ずるところなり。
答。所ノ↢信用スル↡之仏自口説了義経ト者、約ス↢所説ノ理ニ↡。今「比丘僧第一ト」等者、無仏世ノ時約シテ↢其ノ形体ニ↡所↠判ズル↠之ヲ也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ○ 私釈
【64】▲「爾者」 以下は、 またわたくしの御釈。 四依を知りて行を修法すべきことを結す。
「爾者」以下ハ、又私ノ御釈。結ス↧知テ↢四依ヲ↡可コトヲ↞修↢法行ヲ↡。
▲また浄教末法五濁の機に相応してたしかに道を得べきことを明かすとして、 広く本文を引きて人を勧めらる。
又明ストシテ↧浄教相↢応シテ末法五濁ノ*之機ニ↡慥可コトヲ↞得↠道ヲ、広ク引テ↢本文ヲ↡被ル↠勧メ↠人ヲ也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『安楽集』四文
【65】▲次に綽公の釈、 ¬安楽集¼ の文、 所引に四あり。
次ニ綽公ノ釈、¬安楽集ノ¼文、所引ニ有リ↠四。
初めに ▲「然修道之身」 とらは下巻の文。 大文第五に四の料簡あり、 その中に一にひろく修道の延促を明かす文なり。
初ニ「然修道之身ト」等者下巻ノ之文。大文第五ニ有リ↢四ノ料簡↡、其ノ中ニ一ニ汎ク明ス↢修道ノ延促ヲ↡文也。
▲「経一」 とらは、 これ十信外凡の退位を指す。 ▲「証不退」 とは、 これ三賢の位、 内凡不退なり。 ▲「当今」 とらは、 信外常没の凡夫の類なり。
「逕一ト」等者、是指ス↢十信外凡ノ退位ヲ↡。「証不退ト」者、是三賢ノ位、内凡不退ナリ。「当今ト」等者、信外常没ノ凡夫ノ類也。
【66】第二に▲「有明教興」 とらは、 上巻大文第一の初めの文。
第二ニ「有明教興ト」等者、上巻大文第一ノ初ノ文。
▲「勧帰」 とらは、 「浄土」 の下 「若機」 の上に 「▲若教赴時機、 易修易悟」 の九字あり。 また 「難入」 の下 「正法念」 の上に ▲「是故」 の字あり。 これらの字至要にあらざるによりておのおの除かるるか。
「勧帰ト」等者、「浄土ノ」之下「若1294機ノ」之上ニ有リ↢「若教赴時機、易修易悟ノ」九字↡。又「難入ノ」之下「正法念ノ」上ニ有リ↢「是故ノ」字↡。是等ノ之字依テ↠非ルニ↢至要ニ↡各被ヽ↠除歟。
▲所引の経文その意見つべし。
所引ノ経文其ノ意可シ↠見ツ。
▲次に ¬月蔵¼ の文、 この ¬集¼ 聖道の証しがたきことを証せんがためにこの ¬経¼ を引く。 ときに 「▲我末法時中」 とらいう文、 いまの ¬経¼ の説による取意の文なり。
次ニ¬月蔵ノ¼文、此ノ¬集¼為ニ↠証センガ↢聖道ノ難コトヲ↟証シ引ク↢此ノ¬経ヲ¼↡。時云↢「我末法時中ト」等↡文、依ル↢今ノ¬経ノ¼説ニ↡取意ノ文也。
▲「計今」 以下は綽公のわたくしの釈。 ▲この釈の上にまた同じき ¬経¼ を引きて仏の出世に四種の法ありて衆生を化度することを明かす。 一には説経、 二には光明、 三には神通、 四には名号なり。 この ¬経¼ の意を引きてその後に結して 「今時」 とらいふ。
計*今」以下ハ綽公ノ私ノ釈。此ノ釈ノ之上ニ又引テ↢同キ¬経ヲ¼↡明ス↧仏ノ出世ニ有テ↢四種ノ法↡化↦度スルコトヲ衆生ヲ↥。一者説経、二者光明、三者神通、四者名号ナリ。引テ↢此ノ¬経ノ¼意ヲ↡其ノ後ニ結シテ云↢「*今時ト」等↡也。
▲「即当」 とらは、 綽公の在世第四の五百年中たるによりてかくのごとく釈するなり。
「即当ト」等者、綽公ノ在世依テ↠為ニ↢第四ノ五百年中↡如ク↠此ノ釈スル也。
【67】▲第三は下巻第六大門に三番ある中の第三段なり。
第三ハ下巻第六大門ニ有ル↢三番↡中ノ第三段也。
「▲この経」 といふはすなはちこれ ¬大経¼、 ¬大経¼ はすなはちこれ念仏なり。 ¬選択集¼ にいはく、 「▲この経の止往は、 すなはち念仏の止住なり。」 已上 けだしこの義なり。
言↢「此ノ経」↡者即是¬大経¼、¬大経ハ¼即是念仏ナリ。¬選択集ニ¼云、「此ノ経ノ止往者、即念仏ノ止住也。」 已上 蓋シ此ノ義也。
【68】▲次に ¬大集¼ の文、 大文第三の小科にこれを載す。
次ニ¬大集ノ¼文、大文第三ノ小科ニ載ス↠之ヲ。
▲当巻の初めにこの文を引くといへども、 おのおの至要によりて重引をはばからずこれを載せらるるか。
当巻ノ之初ニ雖↠引ト↢此ノ文ヲ↡、各依テ↢至要ニ↡不↠憚カラ↢重引ヲ↡被↠載↠之ヲ歟。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ○ 私釈
【69】▲「爾者」 以下は、 わたくしの御釈なり。
「爾者」以下ハ、私ノ御釈也。
▲「至我」 とらは、 下に引かるるところの ¬末法灯明記¼ 両説の内 ¬周異記¼ の意。 仏涅槃の後わが延暦二十年辛巳に至るまで、 一千七百五十歳なり。 これに就きてこれを勘ふるに、 同じき二十一年壬午より元仁元年甲申に至るまで、 四百二十三箇年なり。 よりて仏涅槃、 件の甲申に至るまで二千一百七十三年なり。 しかるに 「八十」 といふ。 その 「八」 の字、 書生の誤りか。 よろしく 「七」 といふべきなり。
「至我ト」等者、下ニ所ノ↠被ヽ↠引¬末法灯明記¼両説ノ内¬*周異記ノ¼意。仏涅槃ノ後至マデ↢我ガ延暦二十年辛巳ニ↡、一千七百五十歳也。就1295テ↠之ニ勘ルニ↠之ヲ、自↢同二十一年壬午↡至ルマデ↢于元仁元年甲申ニ↡、四百二十三箇年也。仍テ仏涅槃、至マデ↢件ノ甲*午ニ↡二千一百七十三年ナリ。而ニ云フ↢「八十ト」↡。其ノ「八ノ」之字、書生ノ誤歟。宜クキ↠云↠「七ト」也。
▲「已以」 とらは、 しばらく正法五百年の説による。 もしこの説によらば、 欽明天皇治十五年、 貴楽二年壬申の暦、 始めて末法に入る。 その壬の申よりこの元仁元年甲申に至るまで、 六百七十三箇年なり。
「已以」等者、且ク依ル↢正法五百年ノ説ニ↡。若シ依ラバ↢此ノ説ニ↡、欽明天皇治十五年、貴楽二年壬申ノ之暦、始テ入ル↢末法ニ↡。自↢其ノ壬ノ申↡至マデ↢此ノ元仁元年甲申ニ↡、六百七十三箇年也。
しかるに 「八十」 といふその 「八」 の字誤りまた前に同じ、 よろしく 「七」 といふべし。 もし正法千年の説によらば、 後冷泉院の御宇、 永承七年壬辰始めて末法に入る。 かの壬辰よりこの元仁元年甲申に至るまで、 一百七十三箇年なり。 次いでをもつてこれを検ふるに、 かの元仁甲申の翌年、 嘉禄元年乙酉の暦よりいま延文五年庚子に至るまで、 一百三十六箇年なり。 ゆゑに仏涅槃当年庚子に迄るまで、 二千三百九箇年なり。
而ニ云フ↢「八十ト」↡其ノ「八ノ」之字誤又同↠前ニ、宜クシ↠云↠「七」也。若シ依ラ↢正法千年ノ説ニ↡者、後冷泉院ノ御宇、永承七年壬辰始テ入ル↢末法ニ↡。自リ↢彼ノ壬辰↡至マデ↢此ノ元仁元年甲申ニ↡、一百七十三箇年也。以テ↠次ヲ検ルニ↠之ヲ、自↢彼ノ元仁甲申ノ翌年、嘉禄元年乙酉之暦↡今至マデ↢延文五年庚子ニ↡、一百三十六箇年也。故ニ仏涅槃迄ルマデ↢于当年庚子↡、二千三百九箇年也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『末法燈明記』文
【70】▲「披閲」 とらは、 これより以下当巻の終りに至るまでは、 ただし六の本なり ことごとくこれ ¬末法灯明記¼ の文なり。
「披閲ト」等者、自↠此已下至マデハ↢当巻ノ終ニ↡、 但六本也 悉ク是¬末法灯明記ノ¼文ナリ。
作者最澄、 謚号伝教、 山家の大師。 本書の位署にすなはち 「伝教大師の作集」 といふ。 これすなはち後の人これを安ずるところなり。 この書はこれ仏法・王法治化の理を演べ、 すなはち真諦・俗諦相依の義を明かす。 また正像末の三時異なるがゆゑに機に利鈍あり。 ゆゑに一法においてみな讃毀あり、 たがひに取捨あり。 かくのごとき事等つぶさにもつてこれを明かす。 一々の文言つぶさに解するにあたはず。 引用の意は、 この ¬記¼ の意、 能修の機所学の教、 機教あひ順じて益を獲べきがゆゑに、 つぶさに末世五濁の衆生、 無戒・放逸にして修行立ちがたきことを明かす。 ゆゑに引きて浄教の修行をあひ勧めて、 ひとへにひとたび仏名を称しひとたび信を生ずる者、 所作の功徳つひに虚しからざることを知らしめんと欲するなり。
作者最澄、謚号伝教、山家ノ大師。本書ノ位*署ニ即云フ↢「伝教大師ノ作集ト」↡。是則後ノ人所↠安ズル↠之ヲ也。此ノ書ハ是演ベ↢仏法・王法治化ノ之理ヲ↡、乃チ明ス↢真諦・俗諦相依ノ之義ヲ↡。又正像末ノ三時異ナルガ故ニ機ニ有↢利鈍↡。故ニ於テ↢一法ニ↡皆有リ↢讃毀↡、互ニ有リ↢取捨1296↡。如キ↠此ノ事等具ニ以テ明ス↠之ヲ。一々ノ文言不↠能↢具ニ解スルニ↡。引用ノ意者、此ノ¬記ノ¼之意、能修ノ之機所学ノ之教、機教相順シテ可ガ↠獲↠益ヲ故ニ、具ニ明ス↢末世五濁ノ衆生、无戒・放逸ニシテ修行難コトヲ↟立。故ニ引テ相↢勧メテ浄教ノ修行ヲ↡、偏ニ欲スル↠令ント↠知ラ↧一タビ称シ↢仏名ヲ↡一タビ生ズル↠信ヲ者、所作ノ功徳終ニ不コトヲ↞虚カラ也。
▲「於中」 とらは三段の総標、 ▲「初決」 以下はその別釈なり。
「於中ト」等者三段ノ総標、「初決」已下ハ其ノ別釈也。
【71】「▲大乗基」 は、 法相の祖師慈恩大師窺基これなり。 「▲賢劫経」 とは、 旧 ¬賢劫三昧経¼ といふ。 十三巻あり、 あるいは十巻となす、 法護これを訳す。 正像の法の時節の延促において多くの説ありといへども、 常に二説を存ず。 一には正法・像法おのおの一千年、 二には正法五百・像法千年なり。 ゆゑに正法の時これ異説なり。 しかるに基師の意、 いま正法五百の説によりて ¬賢劫経¼ を引きてこの義を成ずるなり。
「大乗基」者、法相ノ祖師慈恩大師窺基是也。「賢劫経ト」者、旧云↢¬賢劫三昧経ト¼↡也。有リ↢十三巻↡、或ハ為ス↢十巻ト↡、法護訳ス↠之ヲ。於テ↢正像ノ法ノ時節ノ延促ニ↡雖↠有ト↢多ノ説↡、常ニ存ズ↢二説ヲ↡。一ニハ正法・像法各一千年、二ニハ正法五百・像法千年ナリ。故ニ正法ノ時是異説也。而ニ基師ノ意、今依テ↢正法五百ノ之説ニ↡引テ↢¬賢劫経ヲ¼↡成ズル↢此ノ義ヲ↡也。
「▲此千五百年」 とは、 ¬本書¼ 「年」 の字の下において 「後」 の一字あり、 異本あるか。 かの字ある本もつとも理に叶ふか。
「此千五百年ト」者、¬本書¼於テ↢「年ノ」字ノ*下ニ↡有リ↢「後ノ」一字↡、有↢異本↡歟。有ル↢彼ノ字↡本尤叶↠理歟。
▲「准余」 とらは、 ¬賢劫経¼ の外余経の説を指す。 これ諸説によらば正法千年を満足すべしといへども、 女人の出家得度を許すによりてその半分を減ず。 ここに千年の義には尼八敬を修するをもつて減ぜずといふ。 しかるにいま 「▲尼不順」 とらいふは、 もし八敬を修せば減ずべからずといへども修せざるがゆゑに更増せずといふなり。 「▲不依彼」 とは、 いふこころはこれ八敬によらざらくのみ。
「准余ト」等者、¬賢劫経ノ¼外指ス↢余経ノ説ヲ↡。是依ラバ↢諸説ニ↡雖↠可↣満↢足ス正法千年ヲ↡、依テ↠許ニ↢女人ノ出家得度ヲ↡減ズ↢其ノ半分ヲ↡。爰ニ千年ノ義ニハ云フ↧尼以テ↠修スルヲ↢八敬ヲ↡不ト↞減ゼ。而ニ今言↢「尼不順ト」等↡者、若シ修セバ↢八敬ヲ↡雖↠不ト↠可↠減ズ云フ↣不ガ↠修セ故ニ不ト↢更ニ増セ↡也。「不依彼ト」者、言ハ是不ラク↠依↢八敬ニ↡而已。
「▲八敬」 といふは ¬律の名句¼ (巻中) にいはく、 「一には百歳の尼初夏の比丘の足を礼す。 二には比丘を罵謗することを得ず。 三には比丘の罪を挙げてその過失を説くことを得ず。 四には僧に従ひて受戒す。 五には僧に従ひて出罪す。 六には半月教授を求む。 七には僧によりて安居す。 八には僧によりて自恣す。」 以上
言↢「八敬ト」↡者¬律ノ名句1297ニ¼云、「一ニハ百歳ノ尼礼ス↢初夏ノ比丘ノ足ヲ↡。二ニハ不↠得↣罵↢謗スルコトヲ比丘ヲ↡。三ニハ不↠得↧挙テ↢比丘ノ罪ヲ↡説コトヲ↦其ノ過失ヲ↥。四ニハ従テ↠僧ニ受戒ス。五ニハ従テ↠僧ニ出罪ス。六ニハ半月求ム↢教授ヲ↡。七ニハ依テ↠僧ニ安居ス。八ニハ依テ↠僧ニ自恣ス。」 已上
▲また ¬涅槃¼ を引きて末法の中に法を持ちて滅せざることは菩薩の堪ゆるところ凡愚に関らざることを証す。 このゆゑにいま ▲「上位による」 とらいふ。 「▲亦不同」 とは、 「同」 の字これまた異本 「用」 となす。 「同」 の字 「用」 の字おのおの一途あり。 もし 「同」 の字によらばこれ菩薩と凡夫と同じからずといふ、 もし 「用」 の字によらば凡夫に被らしめず、 いふこころは凡愚の輩さらにかの上位の菩薩の法を持つことを慣れざる意なり。
又引テ↢¬涅槃ヲ¼↡証ス↢末法ノ中ニ持テ↠法ヲ不コトハ↠滅セ菩薩ノ所↠堪ル不コトヲ↟関↢凡愚ニ↡。是ノ故ニ今云↧「拠ルト↢上位ニ↡」等↥。「亦不同ト」者、「同ノ」字是又異本為ス↠「用ト」。「同ノ」字「用ノ」字各有リ↢一途↡。若シ依ラバ↢「同ノ」字ニ↡是云↢菩薩ト凡夫ト不ト↟同、若シ依ラバ↢「用ノ」字ニ↡不↠被シメ↢凡夫ニ↡、言ハ凡愚ノ輩更ニ不↠慣↢彼ノ上位ノ菩薩ノ持コトヲ↟法ヲ意也。
▲次に千五百年の問答の答の中に、 ▲「大迦葉等七賢」 とらは、
次ニ千*五百年ノ問答ノ々ノ中ニ、「大迦葉等七賢ト」等者、
問ふ。 附法蔵を案ずるに、 馬鳴以前にその十人あり。 いはく大迦葉・阿難尊者・商那和修・優婆鞠多ならびに提多迦、 弥遮迦・仏陀難提・仏陀密多と、 脇比丘および富那奢比丘とこれなり。 いかんぞいひて 「七賢聖」 とするや。
問。案ズルニ↢附法蔵ヲ↡、馬鳴以前ニ有リ↢其ノ十人↡。謂ク大迦葉・阿難尊者・商那和修・優婆鞠多並ニ提多迦、与↢弥遮迦・仏陀難提・仏陀密多↡、与↢脇比丘及ビ富那奢比丘↡是也。云何ゾ言テ為↢「七賢聖ト」↡乎。
答ふ。 その数まことにしかなり。 いま試みにこれを推するに、 これ七人の賢聖といふにはあらざるべし。 けだしその位を顕して七賢七聖に登る人といふか。
答。其ノ数誠ニ爾ナリ。今試ニ推スルニ↠之、是応シ↠非ザル↠云ニハ↢七人ノ賢聖ト↡。蓋シ顕シテ↢其ノ位ヲ↡云↧登ル↢七賢七聖ニ↡人ト↥歟。
▲「至六百年九十」 とらは、 馬鳴菩薩は附法蔵の中には第十一代の祖師なり。 すなはち富那奢比丘の弟子。 いま ¬摩訶摩耶経¼ の意によるに、 かの ¬経¼ (摩訶摩耶経巻下意) に説きていはく、 「如来滅後六百歳をはりて、 九十六種 六種五種これ異説なり もろもろの外道等、 邪見競ひ起りて仏法を毀滅するに、 一の比丘あり、 名づけて馬鳴といふ。 善く法要を説きて一切のもろもろの外道の輩を降伏す。」 以上
「至六百年九十ト」等者、馬鳴菩薩ハ附法蔵ノ中ニハ第十一代ノ之祖師也。即富那奢比丘ノ弟子。今依ルニ↢¬摩訶摩耶経ノ¼意ニ↡、彼ノ¬経ニ¼説テ云、「如来滅後六百歳已テ、九十六種 六種五種是異説也 諸ノ外道等、邪見競ヒ起テ毀↢滅スルニ仏法ヲ↡、有リ↢一ノ比丘↡、名テ曰フ↢馬鳴ト↡。善ク説テ↢法要ヲ↡降↢伏ス一切ノ諸ノ外道1298ノ輩ヲ↡。」 已上
▲「七百年中に龍樹」 とらは、 龍樹はまたこれ附法蔵の中の比羅比丘の弟子第十三代の祖師なり。 また同じき ¬経¼ (摩訶摩耶経巻下意) にいはく、 「如来滅後七百歳をはりて、 一の比丘あり、 名づけて龍樹といふ。 善く法要を説きて邪見の幢を滅し、 正法の炬を燃さん。」 以上
「七百年中ニ龍樹ト」等者、龍樹ハ又是附法蔵ノ中ノ比羅比丘ノ弟子第十三代ノ祖師ナリ。亦同キ¬経ニ¼云、「如来滅後七百歳已テ、有リ↢一ノ比丘↡、名テ曰フ↢龍樹ト↡。善ク説テ↢法要ヲ↡滅シ↢邪見ノ幢ヲ↡、燃サン↢正法ノ炬ヲ↡。」 已上
▲「一千年中開不」 とらは、 智者不浄観の意を説くといへども、 多欲の人愛境に着するがゆゑに信受にあたはず、 還りて瞋を起す。 ただし 「開」 と 「聞」 とその異本あり。 「開」 は能化のこの観を教ふる意による開演の義なり。 「聞」 は所化に約す、 聴聞の意なり。
「一千年中開不ト」等者、智者雖↠説ト↢不浄観ノ意ヲ↡、多欲ノ之人着スルガ↢愛境ニ↡故ニ不↠能↢信受ニ↡、還テ起ス↠瞋ヲ也。但シ「開ト」与 ト ↠「聞」有リ↢其ノ異本↡。「開ハ」拠ル↧能化ノ教フル↢此ノ観ヲ↡意ニ↥開演ノ義也。「聞ハ」約ス↢所化ニ↡、聴聞ノ意也。
▲「ここにいはく千五百年」 とらは、 本書の中に 「爰曰」 の字なし、 異本あるか。 「▲拘睒弥」 とは、 第二の字あるいは 「睒」 あるいは 「𦖠」、 本に異あるか。 「睒」 ¬玉篇¼ にいはく、 「式冉の切、 しばらく視る貌。」 ¬広韻¼ にいはく、 「失染の切、 しばらく見る。」 以上 「𦖠」 字においてはいまだこれを勘見せず。 またこの国の名俗に陜の音を用ゐる。 かたがた睒の字をもつて正とすべきか。
「爰曰ク千五百年ト」等者、本書ノ之中ニ无シ↢「爰曰ノ」字↡、有↢異本↡歟。「拘睒弥ト」者、第二之字或ハ「睒」或ハ「𦖠」、本ニ有↠異歟。「睒」¬玉篇¼云、「式*冉切、暫視ル貌。」¬広韻ニ¼云ク、「失染切、暫見。」 已上 於↢「𦖠」字ニ↡者未ダ↣勘↢見之ヲ↡。又此ノ国ノ名俗ニ用ヰル↢陜ノ音ヲ↡。旁以テ↢「睒ノ」字ヲ↡可↠為↠正ト乎。
▲次に ¬大集経¼ の第五十一。 ▲¬安楽集¼ に末法の時中に聖道の証しがたきことを判ずるに、 この経文による。 末法の時において戒定慧の三学なきがゆゑなり。
次ニ¬大集経ノ¼第五十一。¬安楽集ニ¼判ズルニ↢末法ノ時中ニ聖道ノ難コトヲ↟証シ、依ル↢此ノ経文ニ↡。於テ↢末法ノ時ニ↡无ガ↢戒定恵ノ三学↡故也。
▲「基般若会釈云」 とらは、
「基般若会釈云ト」等者、
問ふ。 ▲上にこの文を出だす重累いかん。
問。上ニ出ス↢此ノ文ヲ↡重累如何。
答ふ。 上に正法・像法の時分を定め、 かねて末法の時代をいはざることを示す。 いまは前に末法の時分をいはざることは法の滅尽に約す。 ただし法滅すといへども末法なきにあらず。 この義を顕さんがために重ねてこれを引用す、 所引異なるがゆゑにその過なし。 上人この ¬鈔¼ に再用を痛まず、 よろしく準拠とすべし。
答。上ニ定メ↢正法・像法ノ時分ヲ↡、兼テ示ス↠不コトヲ↠言↢末法ノ時代ヲ↡。今ハ前ニ不コトハ↠言↢末法ノ時分ヲ↡約ス↢法ノ滅尽ニ↡。但シ雖↢法滅スト↡非ズ↠無ニ↢末法↡。為ニ↠顕サンガ↢此ノ義ヲ↡重テ引↢用ス之ヲ↡、所引異ナルガ故ニ無↢其ノ過↡也。上人此ノ¬鈔ニ¼不↠痛↢再用ヲ↡、宜クシ↠為↢准拠ト↡。
▲次の問答の中に仏滅の時代に両説を挙ぐる中にいづれを用ゐるべきや。
次ノ問答ノ中ニ仏滅ノ時代ニ挙ル↢両説ヲ↡中ニ可↠用↠何ヲ耶1299。
答ふ。 ただ両説を挙げて殿最を判ぜず。 いかんが是いかんが非、 たやすく用捨しがたし。 ただわが聖人 ¬周異記¼ による。 上に如来涅槃の時代をいふに、 周の第五の主穆王壬申わが元仁に至るまで、 その年記を勘ふるにすでに二千百余と結するゆゑなり。 はたまたただ聖人これを用ゐたまふのみにあらず、 常途の所用大略また同じ。
答。只挙テ↢両説ヲ↡不↠判ゼ↢殿最ヲ↡。何ガ是何ガ非、難シ↢輙ク用捨シ↡。但我ガ聖人依ル↢¬周異記ニ¼↡。上ニ云ニ↢如来涅槃ノ時代ヲ↡、周ノ第五ノ主穆王壬申至マデ↢我ガ元仁ニ↡、勘ルニ↢其ノ年記ヲ↡既ニ結スル↢二千百余ト↡故也。将又匪ズ↢啻聖人用タマフノミニ↟之ヲ、常途ノ所用大略亦同ジ。
▲次に ¬大集¼ の文。
次ニ¬大集ノ¼文。
問ふ。 この文にただ 「仏涅槃の後」 といひて時分を指さず。 なんぞ末法無戒の義を証するや。
問。此ノ文ニ唯云テ↢「仏涅槃ノ後ト」↡不↠指↢時分ヲ↡。何ゾ証スル↢末法無戒ノ義ヲ↡耶。
答ふ。 文段の前後いまだ広くこれを撿へず。 山家の高覧疑を成ずべからず、 さだめて末法においてこの義を説くか。 ただ所引の文つぶさならざらくのみ。
答。文段ノ前後未 ズ ダ↢広ク撿ヘ↟之ヲ。山家ノ高覧不↠可↠成ズ↠疑ヲ、定テ於テ↢末法ニ↡説ク↢此ノ義ヲ↡歟。只所引ノ文不ラク↠具サナラ而已。
【72】▲次に問答の下 「▲次に破持僧の事を定む」 といふ文段に当るか。
次ニ問答ノ下当ル↧云↣「次ニ定ムト↢破持僧ノ事ヲ↡」之文段ニ↥歟。
当段の中、 問答に四あり、 いまは初重なり。 この問の意のいはく、 仏教は破戒を聴さず、 いはんや無戒をや。 しかるに末法無戒の義を立せば、 今時の僧侶すでに世宝にあらず、 供を受くるに足らず。 なんぞ過を表するやとなり。
当段ノ之中、問答ニ有リ↠四、今ハ初重也。此ノ問ノ意ノ云、仏教ハ不↠聴サ↢破戒ヲ↡、況ヤ无戒ヲヤ哉。而ニ立セ↢末法无戒ノ義ヲ↡者、今時ノ僧侶既ニ非ズ↢世宝ニ↡、不↠足↠受ルニ↠供ヲ。何ゾ表スルヤト↠過ヲ也。
▲「豈無」 とらは譬をもつてこれを責む。 他疵を加へざるにあにみづからこれを傷まんや。 いふこころは益なしとなり。 いま本書を見るに 「豈」 と 「無」 との中に 「非」 の一字あり。 本に異あるか。 この字あるに対してその意得やすし。 ただしこれなしといへども、 その文点を読むに違するところなきか。
「豈无ト」等者以テ↠譬ヲ責ム↠之ヲ。他不ルニ↠加↠疵ヲ豈自傷マンヤ↠之ヲ。言ハ无ト↠益也。今見ニ↢本書ヲ↡「豈ト」与 トノ↢「无」↡中ニ有リ↢「非ノ」一字↡。本ニ有↠異歟。対シテ↠有ニ↢此ノ字↡其ノ意易シ↠得。但シ雖↠无ト↠之、読ニ↢其ノ文点ヲ↡无↠所↠違スル歟。
▲答の意趣は、 三時の行事経説わたくしなし、 みだりに邪活を存じてあに正理を枉げんや。 ただし世供を受くるさらに虚受にあらず。 末法の中には名字の比丘世宝たるがゆゑに痛むべきにあらずとなり。
答ノ意趣者、三時ノ行事経説无シ↠私、妄ニ存ジテ↢邪活ヲ↡豈枉ケンヤ↢正理ヲ↡。但シ受ル↢世供ヲ↡更ニ非ズ↢虚受ニ↡。末法ノ之中ニハ名字ノ比丘為ガ↢世宝↡故ニ非ズト↠可ニ↠痛ム也。
▲第二重の問は、 前の答に末法の比丘名字を上となすといふに就きてその説を問ふ。 ▲これによりてその答に ¬大集経¼ の第九巻の文を出だす。 文の意見つべし。
第二重ノ問ハ、就テ↠云ニ↢前ノ答ニ末法ノ比丘名字ヲ為スト↟上ト問↢其ノ説ヲ↡也。依テ↠之ニ其ノ答ニ出ス↢¬大集経ノ¼第九巻ノ文ヲ↡。文1300ノ意可シ↠見ツ。
▲第三重の問は、 ¬涅槃経¼ に破戒の僧を供して現当の益を失ふことを明かす、 いはんや無戒をや。 また ¬大集¼ を引きて名字の比丘を尊むべきことを証すといへども、 同じき ¬経¼ の中にまた ¬涅槃¼ にあひ同じき説あり。 よりて一仏の所説の中に讃毀異なることを問ふ。
第三重ノ問ハ、¬涅槃経ニ¼明ス↧供シテ↢破戒ノ僧ヲ↡失コトヲ↦現当ノ益ヲ↥、況ヤ无戒ヲヤ乎。又引テ↢¬大集ヲ¼↡雖↠証スト↠可コトヲ↠尊ム↢名字ノ比丘ヲ↡、同キ¬経ノ¼之中ニ又有リ↧相↢同ジキ¬涅槃ニ¼↡之説↥。仍テ問↢一仏ノ所説ノ之中ニ讃毀異ナルコトヲ↡也。
▲答の意趣は、 制許時に随ふ。 破戒を制するは正法の時に約し、 名字を許すはこれ像法および末法に約す。
答ノ意趣者、制許随フ↠時ニ。制スル↢破戒ヲ↡者約シ↢正法ノ時ニ↡、許ス↢名字ヲ↡者是約ス↢像法及ビ末法ニ↡也。
▲第四重の問は、 前の所立に就きてその拠を問ふ。
第四重ノ問ハ、就テ↢前ノ所立ニ↡問↢其ノ拠ヲ↡也。
▲答の中に証を出だすに重々の義においてその十三あり。
答ノ中ニ出スニ↠証ヲ於テ↢重々ノ義ニ↡有リ↢其ノ十三↡。
▲一には▲以前に引くところの ¬大集経¼ の説をすなはちまづ証となす。
一ニハ以前ニ所ノ↠引ク¬大集経ノ¼説ヲ即先ヅ為ス↠証ト。
▲二には ¬涅槃¼ の第三、 この文の中に略するところ三あり。 初めに 「丘尼」 の下 「有破」 の上に 「▲乃至」 といふは二行余あり。 その欠文にいはく、 「優婆塞・優婆夷このもろもろの国王・大臣および四部の衆、 まさにもろもろの学人等を勧励して、 上の定・戒・智慧を増長することを得しむべし。 もしこの三品の法を学せざることあらば懈怠なり。」 以上
二ニハ¬涅槃ノ¼第三、此ノ文ノ之中ニ所↠略スル有↠三。初ニ「丘尼」下「有破ノ」之上ニ言↢「乃至ト」↡者有リ↢二行余↡。其ノ闕文ニ云、「優婆塞・優婆夷是ノ諸ノ国王・大臣及ビ四部ノ衆、応シ↧当ニ勧↢励シテ諸ノ学人等ヲ↡、令ム↞得↣増↢長スルコトヲ上ノ定・戒・智恵ヲ↡。若シ有バ↠不コト↠学セ↢是ノ三品ノ法ヲ↡懈*怠ナリ。」 已上
次に 「功徳」 の下 「是我」 の上に 「▲乃至」 といふは一行余あり。 その欠文にいはく、 「まさに小罪あることなかるべし、 わが涅槃の後その方面に持戒の比丘ありて正法を護持せん。 壊法の者を見てはすなはちよく駆遣し呵責し恋治せよ。」 以上
次ニ「功徳ノ」下「是我ノ」之上ニ言↢「乃至ト」↡者有リ↢一行余↡。其ノ闕文ニ云ク、「当ニシ↠无カル↠有コト↢小罪↡、我ガ涅槃ノ後其ノ方面ニ有テ↢持戒ノ比丘↡護↢持セン正法ヲ↡。見テハ↢壊法ノ者ヲ↡即能ク駆遣シ呵*責シ恋治セヨ。」 已上
後に 「無量」 の下 「如是」 の上に 「▲乃至」 といふは除くところの文言に六行余あり。 その中に前の ¬涅槃¼ の文の残り一行余。
後ニ「無量ノ」下「如是ノ」之上ニ言↢「乃至ト」↡者所ノ↠除ク文言ニ有リ↢六行余↡。其ノ中ニ前ノ¬涅槃ノ¼文ノ残一行余。
▲三に ¬大集経¼ の文第二十八、 一行有余。
三ニ¬大集経ノ¼文第二十八、一行有余。、
▲四に同じき三十八、 二行有余。 彼此の文にいはく、 「もしは善比丘法を壊する者を見て、 置きて嘖むべからず。 まさに知るべし、 この人は仏法の中の怨なり。 また ¬大集経¼ の二十八にいはく、 もし国王ありてわが法の滅せんを見て捨てて擁護せずは、 無量世において修する施と戒と慧とことごとくみな滅失して、 その国の内に三種の不祥の事を出だし、 乃至命終して地獄に生ぜん。 また同じき ¬経¼ の三十一にいはく、 仏ののたまはく、 大王なんぞ如法の比丘一人を守護して無量のもろもろの悪比丘を護らじ。 いまわれただ二人の賞護を聴す。 一には羅漢八解脱を具する、 二には須陀洹人なり。」 以上
四ニ同キ三十八、二行有余。彼此ノ文ニ云ク、「若ハ善比丘見テ↢壊スル↠法ヲ者ヲ↡、置テ不↠可↠嘖。当↠知、是ノ人ハ仏法ノ中ノ怨ナリ。又¬大集経ノ¼二十八ニ云ク、若シ有テ↢国王1301↡見テ↢我ガ法ノ滅センヲ↡捨テヽ不ハ↢擁護セ↡、於テ↢无量世ニ↡修スル施ト戒ト恵ト悉ク皆滅失シテ、其ノ国ノ内ニ出シ↢三種ノ不祥ノ事ヲ↡、乃至命終シテ生ゼン↢地獄ニ↡。又同キ¬経ノ¼三十一ニ云、仏ノ言、大王寧守↢護シテ如法ノ比丘一人ヲ↡不↠護↢无量ノ諸ノ悪比丘ヲ↡。今我唯聴ス↢二人ノ賞護ヲ↡。一ニハ羅漢ノ具スル↢八解脱ヲ↡、二ニハ須陀洹人ナリ。」 已上
▲五には ¬涅槃¼ の第七。
五ニハ¬涅槃ノ¼第七。
この文の中に 「如是」 の下 「聴諸」 の上に 「▲乃至」 といふは、 略するところの文言三行余あり。 その欠文にいはく、 「須陀洹の身を化作し 本書この二字の上に如是の二字見えず 乃至阿羅漢の身および仏の色身を化作し、 魔王この有漏の形をもつて無漏の身となしてわが正法を壊せん。 これ魔波旬は正法を壊せんがためにまさにこの言をなすべし。 仏舎衛国祇陀精舎にましまして。」 以上
此ノ文ノ之中ニ「如是ノ」之下「聴諸ノ」之上ニ言↢「乃至ト」↡者、所ノ↠略スル文言有リ↢三行余↡。其ノ闕文ニ云ク、「化↢作シ 本書此ノ二字ノ上ニ如是ノ二字不↠見 須陀洹ノ身ヲ↡乃至化↢作シ阿羅漢ノ身及ビ仏ノ色身ヲ↡、魔王以テ↢此ノ有漏ノ之形ヲ↡作テ↢无漏ノ身ト↡壊セン↢我ガ正法ヲ↡。是魔波旬ハ為ニ↠壊センガ↢正法ヲ↡当ニシ↠作↢是ノ言ヲ↡。仏在テ↢舎衛国祇陀精舎ニ↡。」 已上
問ふ。 この ¬経¼ を引きをはりて解釈の中に 「▲八不浄物」 といふ、 何物を指すや。
問。引キ↢此ノ¬経ヲ¼↡已テ解釈ノ中ニ云フ↢「八不浄物ト」↡、指ス↢何物ヲ↡乎。
答ふ。 上の ¬経¼ の中にいふところの ▲「奴婢僕使」 等か。 「奴婢」 を一となし、 「僕使」 を一となし、 「牛羊象馬」 を分ちて四となす。 「銅鉄」 異なりといへども 「釜鑊」 を一となし、 「大小」 別なりといへども 「銅盤」 を一となす。 合して八種なり。
答。上ノ¬経ノ¼之中ニ所ノ↠言フ「奴婢僕使」等歟。「奴婢ヲ」為シ↠一ト、「僕使ヲ」為シ↠一ト、「牛羊象馬ヲ」分テ而為ス↠四ト。「銅鉄」雖↠異ナリト「釜鑊ヲ」為シ↠一ト、「大小」雖↠別ナリト「銅盤ヲ」為ス↠一ト。合シテ八種也。
▲六に同じき ¬経¼ (北本如来性品意南本四依品意) の第六。
六ニ同キ¬経ノ¼第六。
ただ経名を挙げて言句を載せず。 ▲その現文にいはく、 「仏菩薩に告げてのたまはく、 善男子譬へば迦羅林のごとし。 その樹衆多にして閼菓いまし九分あり。 この人識らずして齎つて来り市に詣でて衒る。 この林の中にただ一樹あり、 鎮頭迦と名づく。 この迦羅樹、 鎮頭迦樹と二菓相似して分別すべからず。 その菓熟する時一の女人ありてことごとくみな拾ひ取る。 鎮頭迦菓は載せてただ一分あり。 迦羅迦これを売るに凡愚なる小児はまた別たざるがゆゑに、 迦羅迦菓を買ひて噉ひをはりて命終す。 智人の輩ありてこの事を聞きをはりてすなはち女人に問う、 姉いづれの処においてこの菓を持りて来れる。 この時に女人すなはち方所を示す。 諸人すなはちいふ、 かくのごときの方所に無量の迦羅迦樹ありてただ一根の鎮頭迦樹あり。 諸人これを知りをはりて笑ひて捨て去りぬ。 善男子、 大衆の中の八不浄の法もまたかくのごとし。 この衆の中においてかくのごときの八法を受用すること多し。 ただ一人清浄持戒なるありてかくのごときの八不浄の法を受けず、 しかも諸人非法を受畜することを知れり。 しかして同事にしてあひ捨離せざること、 かの林の中の一の鎮頭迦樹のごとし。」 以上
但挙テ↢経名ヲ↡不↠載セ↢言句ヲ↡。其ノ現文ニ云、「仏告テ↢菩薩ニ↡言、善男子譬ヘバ如シ↢迦羅林ノ↡。其ノ樹衆多ニシテ閼菓乃シ有リ↢九分↡。是ノ人不シテ↠識ラ齎テ来テ詣デヽ↠市ニ而衒ル。是ノ林ノ中ニ唯有リ↢一樹↡、名ク↢鎮頭迦ト↡。是ノ迦羅樹与↢鎮頭迦樹↡二菓相似シテ不↠可↢分別ス↡。其ノ菓熟スル時有テ↢一ノ女人↡悉ク皆拾ヒ取ル。鎮頭迦菓ハ載唯1302有リ↢一分↡。迦羅迦売ルニ↠之ヲ凡愚ナル小児ハ復不ガ↠別タ故ニ、買テ↢迦羅迦菓ヲ↡噉ヒ已テ命終ス。有テ↢智人ノ輩↡聞↢是ノ事ヲ↡已テ即問フ↢女人ニ↡、姉於テ↢何ノ処ニ↡持テ↢是ノ菓ヲ↡来レルゾ。是ノ時ニ女人即示ス↢方所ヲ↡。諸人即言フ、如ノ↠是ノ方所ニ有テ↢無量ノ迦羅迦樹↡唯一根ノ鎮頭迦樹アリ。諸人知リ↠之ヲ已テ笑テ而捨テ去ヌ。善男子、大衆ノ之中ノ八不浄ノ法モ亦復如シ↠是ノ。於テ↢是ノ衆ノ中ニ↡多シ↣受↢用スルコト如ノ↠是ノ八法ヲ↡。唯有テ↢一人清浄持戒ナル↡不↠受↢如ノ↠是ノ八不浄ノ法ヲ↡、而モ知レリ↣諸人受↢畜スルコトヲ非法ヲ↡。然而同事ニシテ不コト↢相捨離セ↡、如シ↢彼ノ林ノ中ノ一ノ鎮頭迦樹ノ↡。」 已上
▲七に ¬十輪経¼ の文、
七ニ¬十輪経ノ¼文、
▲八にまた同じき ¬経¼ の文、
八ニ又同キ¬経ノ¼文、
▲九に ¬大集経¼ の文第五十二、
九ニ¬大集経ノ¼文第五十二、
▲十に ¬賢愚経¼ の文、
十ニ¬賢愚経ノ¼文、
▲十一にまた同じき ¬経¼ の文。
十一ニ又同キ¬経ノ¼文。
この文の中に 「所印也」 の下に 「▲乃至」 といふは、 この経文の残り三行余あり。 その終りの文にいはく、 「この人なほよくもろもろの人天のために涅槃の道を示す。 この人すなはちすでに三宝の中において心に敬信を生ず、 一切の九十五種の外道に勝れたり。 その人かならずよくすみやかに涅槃に入る、 一切の在家の俗人に勝れたり。 ただし在家得忍の人を除く。 このゆゑに天人まさに供養すべし。」 以上
此ノ文ノ之中ニ「所印也ノ」下ニ言↢「乃至ト」↡者、此経文ノ残有リ↢三行余↡。其ノ終ノ文ニ云、「是ノ人猶能ク為ニ↢諸ノ人天ノ↡示ス↢涅槃ノ道ヲ↡。是ノ人便已ニ於テ↢三宝ノ中ニ↡心ニ生ズ↢敬信ヲ↡、勝タリ↢於一切ノ九十五種ノ外道ニ↡。其ノ人必ズ能ク速ニ入ル↢涅槃ニ↡、勝タリ↢於一切ノ在家ノ俗人ニ↡。唯シ除ク↢在家得忍ノ人ヲ↡。是ノ故ニ天人応シ↢当ニ供養ス↡。」 已上
▲次に ¬大悲経¼ は十二番なり。 本書所引の経名の上に 「又」 の一字あり。
次ニ¬大悲経ハ¼十二番也。本書所引ノ経名ノ之上ニ有リ↢「又ノ」一字↡。
この経文の終り 「法界故」 の下に 「▲乃至」 といふは、 ¬維摩経¼ の文十三番なり。 経名文言合して一行余。 その現文にいはく、 「次に ¬維摩経¼ にいはく、 仏の十号の中に初めの三号を聞く、 仏もし広く説かば劫を経るとも尽きじ。」 以上
此ノ経文ノ終「法界故ノ」下ニ言↢「乃至ト」↡者、¬維摩経ノ¼文十三番也。経名文言合シテ一行余。其ノ現文ニ云、「次¬維摩経ニ¼云、仏ノ十号ノ中ニ聞ク↢初ノ三号ヲ↡、仏若シ広ク説カバ経トモ↠劫ヲ不↠尽キ。」 已上
問ふ。 多くの文の中にこの経文を除く、 なんのゆゑかあるや。
問1303。多ノ文ノ之中ニ除ク↢此ノ経文ヲ↡、有ル↢何ノ故カ↡乎。
答ふ。 上の諸文は、 みな像末に名字の僧を貴ぶことを証すること、 その義分明なり。 ゆゑにつぶさにこれを引く。 いまは仏号を讃ず、 その義いささか異なり。 ゆゑにしばらく略すらくのみ。
答。上ノ諸文者、皆証スルコト↣像末ニ貴コトヲ↢名字ノ僧ヲ↡、其ノ義分明ナリ。故ニ具ニ引ク↠之ヲ。今ハ讃ズ↢仏号ヲ↡、其ノ義聊異ナリ。故ニ且ク略スラク耳。
問ふ。 この義のごとくならば本書になんぞ煩はしくこの文を引くや。
問。如クナラ↢此ノ義ノ↡者本書ニ何ゾ煩ク引↢此ノ文ヲ↡乎。
答ふ。 上に名字の比丘の行状を説きて、 もろもろの沙門ひとたび仏名を称するに功徳虚しからざることを嘆ず。 この ¬経¼ にまた仏号の徳を説くがゆゑに、 その義を助けんがために引用するところなり。
答。上ニ説テ↢名字ノ比丘ノ行状ヲ↡、嘆ズ↧諸ノ沙門一タビ称スルニ↢仏名ヲ↡功徳不コトヲ↞虚カラ。此ノ¬経ニ¼亦説ガ↢仏号ノ徳ヲ↡故ニ、為ニ↠助ンガ↢其ノ義ヲ↡所↢引用スル↡也。
【73】そもそも▲後に教を挙げて比例する中に五経の文を出だす。 ただし経題を挙げてみなその文を略す。 これ文繁きによりて本書に譲るか。 しかして後学をして見やすからしめんために、 ひとへに本書に任せ重ねて経名を牒してことごとくもつてこれを載す。
抑後ニ挙テ↠教ヲ比例スル之中ニ出ス↢五経ノ文ヲ↡。但シ挙テ↢経題ヲ↡皆略ス↢其ノ文ヲ↡。是依テ↢文繁キニ↡譲ル↢本書ニ↡歟。然而為ニ↠令シメンガ↢後学ヲシテ易カラ↟見、偏ニ任セ↢本書ニ↡重テ牒シテ↢経名ヲ↡悉ク以テ載ス↠之ヲ。
そのつぶさなる文 (末法灯明記) にいはく、 「▲しばらく ¬像法決疑¼ にいふがごとし。 もしまた人ありて塔寺を造り三宝を供養すといへども敬重を生ぜず。 僧を請じて寺に在くとも飲食・衣服・湯薬を供養せず、 返りてさらに乞貸して僧の食を噉す。 貴賎を問はず一切もつぱら衆僧の中において不饒益をなし、 侵損し悩乱せんと欲す。 かくのごとき人の輩永く三塗に堕す。 いま俗間を見るにさかんにこの事を行ず。 時運おのづからしかなり、 人にあらざるがゆゑに。 しかるに檀越すでに檀越の志なし、 たれか僧に僧の行なしと誹ることを得ん。
其ノ具ナル文ニ云、「且ク如シ↢¬像法決疑ニ¼云ガ↡。若シ復有テ↠人雖↧造リ↢塔寺ヲ↡供↦養スト三宝ヲ↥不↠生ゼ↢敬重ヲ↡。請ジテ↠僧ヲ在ドモ↠寺ニ不↣供↢養セ飲食・衣服・湯薬ヲ↡、返テ更ニ乞貸シテ噉ス↢僧ノ食ヲ↡。不↠問↢貴賎ヲ↡一切専ラ欲ス↧於テ↢衆僧ノ中ニ↡作シ↢不饒益ヲ↡、侵損シ悩乱セント↥。如↠此ノ人ノ輩永ク堕ス↢三塗ニ↡。今見ニ↢俗間ヲ↡盛ニ行ズ↢此ノ事ヲ↡。時運自爾ナリ、非ガ↠人ニ故ニ。爾ニ檀越既ニ无シ↢檀越ノ志↡、誰カ得ン↠誹ルコトヲ↣僧ニ無シト↢僧ノ行↡。
▲また ¬遺教経¼ にいはく、 一日車馬に乗ずれば五百日の斉を除く、 当代行者の罪なんぞ持斉の徳を呈さん。
又¬遺教経ニ¼云、一日乗ズレバ↢車馬ニ↡除ク↢五百日ノ斉ヲ↡、当代行者ノ之罪何ゾ呈サン↢持斉ノ之徳ヲ↡。
▲また ¬法行経¼ にいはく、 わが弟子もし別請を受けば、 国王の地の上を行くことを得ざれ、 国王の地の水を飲むことを得ざれ。 五百の大鬼常にその前に遮り、 五千の大鬼常に従ひて罵りて仏法の大賊なりといふ。
又¬法行経ニ¼云、我ガ弟子若シ受ケバ↢別請ヲ↡、不レ↠得↢国王ノ地ノ上ヲ行コトヲ↡、不レ↠得↠飲コトヲ↢国王ノ地ノ水ヲ↡。五百ノ大鬼常ニ遮ギリ↢其ノ前ニ↡、五千ノ大鬼常ニ従テ罵テ言フ↢仏法ノ大賊ナリト↡。
▲¬鹿母子経¼ にいはく、 別請せば五百の羅漢なほ福田と名づくることを得ざれ、 もし一の似像の悪比丘に施すれば無量の福を得。 当代の道人すでに別請を好む。 いづれの処にか福を殖へん、 持戒の人あにこれに加へんや。 すでに王地の上を践まず、 また王地の水を飲むことを許さず、 五千の大鬼常に大賊なりと罵る。 ああ持戒の僧の罪、 なんぞそれにおいて過を改めんや。
¬鹿母子経ニ¼云ク、別請セバ五百ノ羅漢猶不↠得↠名コトヲ↢福田ト↡、若シ施スレバ↢一ノ似像ノ悪1304比丘ニ↡得↢无量ノ福ヲ↡。当代ノ道人已ニ好ム↢別請ヲ↡。何ノ処ニカ殖ヘン↠福ヲ、持戒ノ之人豈ニ加ヘンヤ↠之ニ。既ニ不↠践マ↢王地ノ上ヲ↡、亦不↠許サ↠飲コトヲ↢王地ノ水ヲ↡、五千ノ大鬼常ニ罵ル↢大賊ナリト↡。嗟呼持戒ノ僧ノ罪、何ゾ於テ↠其ニ改メン↠過ヲ乎。
▲また ¬仁王経¼ にいはく、 もしわが弟子官のために使へらればわが弟子にあらず、 大小の僧統を立ててともにあひ摂縛せばその時に当りて仏法滅没しなん。 これを仏法を破し国を破する因縁なりとなす。 云々
又¬仁王経ニ¼言ク、若シ我ガ弟子為ニ↠官ノ所レバ↠使ヘ非ズ↢我ガ弟子ニ↡、立テヽ↢大小ノ僧統ヲ↡共ニ相摂縛セバ当テ↢爾ノ之時ニ↡仏法滅没シナン。是ヲ為ス↧破シ↢仏法ヲ↡破スル↠国ヲ因縁ナリト↥。 云云
¬仁王¼ 等を推するに、 僧統を拝するをもつて破僧の俗となす。 かの ¬大集¼ 等に無戒を称してもつて世を済ふ宝となす。 あに破国の蝗を留めんとしてつひに保家の宝を棄てんや。 すべからく二類を分たずしてともに一味を餐すべし。 僧尼跡を絶たずして鳴鐘時を失はず。 しかればすなはち末法の教に允ひて国を有つ道を令せん。」 以上
推スルニ↢¬仁王¼等ヲ↡、拝スルヲ↢僧統ヲ↡以テ為ス↢破僧之俗ト↡。彼ノ¬大集¼等ニ称シテ↢无戒ヲ↡以テ為ス↢済フ↠世ヲ之宝ト↡。豈留メントシテ↢破ノ国ノ之蝗ヲ↡遂ニ棄ンヤ↢保家ノ之宝ヲ↡。須クシ↧不シテ↠分↢二類ヲ↡共ニ餐ス↦一味ヲ↥。僧尼不シテ↠絶ヽ↠跡ヲ鳴鐘不↠失ハ↠時ヲ。然レバ乃允テ↢末法ノ之教ニ↡令セン↢有ツ↠国ヲ之道ヲ↡。」 已上
六要鈔 第六 旧本 新末
延書は底本の訓点に従って有国が行った(固有名詞の訓は保証できない)。
失を略して得を出だす 「得を略して失を出だす」 の間違いか。
第三巻の末 信巻にはこの文の引用はない。 (証巻・化身土巻には引用されている。)
底本は ◎本派本願寺蔵明徳三年慈観上人書写本。 Ⓐ本派本願寺蔵文安四年空覚書写本、 Ⓑ興正派興正寺蔵蓮如上人書写本 と対校。
花→Ⓐ華
則→Ⓐ即
等→Ⓑ等[不]
恵→Ⓐ慧
廃→◎Ⓑ癈
恵→Ⓐ慧
加→Ⓑ迦
宗→◎ⒶⒷ宋
廃→◎Ⓑ癈
余→◎ⒶⒷ依(◎「余」と右傍註記)
憑→Ⓐ馮
至→Ⓐ至[経]
根→Ⓑ提
二→(本派本願寺蔵版)二十(延書はこれによる)
故→(本派本願寺蔵版)故[持者](延書はこれによる)
徹→Ⓐ轍
知→Ⓑ如
樹→Ⓐ樹[林](延書はこれによる)
憑→Ⓐ馮
之 Ⓐになし
今→Ⓑ命
今→◎ⒶⒷ爾
周→Ⓑ同
午→Ⓐ「申歟」と右傍註記(延書はこれによる)
署→◎ⒶⒷ暑
下 Ⓑになし
五→Ⓐ二
冉→◎ⒶⒷ由
怠→Ⓐ怠[有破戒等也]
責→Ⓐ嘖