1238◎六要鈔 第六 旧本 新本
二 Ⅱ ⅵ 化身土
【1】 ◎△当巻大文第六に、 化の身土を顕明す。 中において四となす。 ▽一には題目、 ▽二には標挙、 ▽三には正釈、 ▽四には総結なり。
◎当巻大文第六ニ、顕↢明ス化ノ之身土ヲ↡。於テ↠中ニ為ス↠四ト。一ニハ者題目、二者標挙、三者正釈、四者総結ナリ。
二 Ⅱ ⅵ a 題目
【2】 △初めに題目において、 二を分つこと▲上に準ず。
初ニ於テ↢題目ニ↡、分コト↠二ヲ准ズ↠上ニ。
題目の中に、 「▲方便」 といふはこれ真実に対す、 「▲化身土」 とは真仏土に対す。 真化相対して五・六次でを成ず。 ▲撰号は▲前のごとし。
題目ノ之中ニ、言↢「方便ト」↡者是対ス↢真実ニ↡、「化身土ト」者対ス↢真仏土ニ↡。真化相対シテ五・六成ズ↠次ヲ。撰号ハ如シ↠前ノ。
二 Ⅱ ⅵ b 標挙
【3】 △二に標挙の中に、 並べて二願を挙ぐ。
二ニ標挙ノ之中ニ、並テ挙グ↢二願ヲ↡。
「▲至心発願」 はこれ第十九の誓願なり。
「至心発願ハ」是第十九ノ之誓願也。
「▲邪定聚の機」 とは、
「邪定聚ノ機ト」者、
問ふ。 いまいふところは浄土の正機、 往生極楽の行人なり、 なんぞ邪聚といふ。
問。今所↠言フ者浄土ノ正機、往生極楽ノ之行人也、何ゾ云フ↢邪聚ト↡。
答ふ。 疑端の来たるところ、 まことにもつて難となす。 ただし試みにこれを会せば、 ¬観経¼ の九品衆機の中に、 その下三品はこれまさしき実機なり。 しかるにかの三品、 あるいは 「▲応堕地獄」 と説き、 あるいは 「▲応堕悪道」 と説く。 これすなはち定業能転奇特の益を顕さんがために、 しばらく遇善以前の機に約して 「邪定」 といふか。 このゆゑに下に 「▲観経の意」 といふ。
答。疑端ノ所↠来ル誠ニ以テ為ス↠難ト。但シ試ニ会セバ↠之ヲ、¬観経ノ¼九品衆機ノ之中ニ、其ノ下三品ハ是正シキ実機ナリ。而ニ彼ノ三品、或ハ説キ↢「応堕地獄ト」↡、或ハ説ク↢「応堕悪道ト」↡。斯乃チ為ニ↠顕サンガ↢定業能転奇特ノ之益ヲ↡、且ク約シテ↢遇善以前ノ之機ニ↡云↢「邪定ト」歟↡。是ノ故ニ下ニ云↢「観経ノ意ト」↡也。
「▲双樹林下往生」 とは、
「双樹林下往生ト」者、
問ふ。 その意いかん。
問。其ノ意如何。
答ふ。 「双樹林」 とは、 拘尸那城跋提河の辺、 大聖釈尊入滅の砌なり。 これすなはち化身入滅の処なるがゆゑに、 化土を明かすにおいてこの処を挙ぐるか。
答。「双樹林ト」者、拘尸那城跋提河ノ辺、大聖釈尊入滅ノ砌也。是則化身入滅ノ処ナルガ故ニ、於テ↠明スニ↢化土ヲ↡挙1239ル↢此ノ処ヲ↡歟。
「▲至心回向」 は第二十の本誓願なり。
「至心廻向ハ」第二十ノ之本誓願也。
「▲不定聚の機」 とは、
「不定聚ノ機ト」者、
問ふ。 浄土真宗所被の機、 ひとへに極楽を願じてかならず往生を得。 すべからく正定といふべし、 なんによりてかこれを不定聚といふや。
問。浄土真宗所被ノ之機、偏ニ願ジテ↢極楽ヲ↡必得↢往生ヲ↡。須ク↠言フ↢正定ト↡、何因テカ謂フ↢之ヲ不定聚ト↡乎。
答ふ。 三部の中に、 しばらく ¬小経¼ によるに、 長時の起行をその本意となし、 臨終の来迎をその所期となす。 起行もし懈らば、 所期遂げがたし。 至心信楽の機、 平生業成必得生の辺に対して、 勝劣を示さんがためにこれを称してしばらく 「不定聚」 といふ。
答。三部ノ之中ニ、且ク依ルニ↢¬小経ニ¼↡、長時ノ起行ヲ為シ↢其ノ本意ト↡、臨終ノ来迎ヲ為ス↢其ノ所期ト↡。起行若シ懈ラバ、所期難シ↠遂ゲ。対シテ↢至心信楽ノ之機、平生業成必得生ノ辺ニ↡、為ニ↠示サンガ↢勝劣ヲ↡称シテ↠之ヲ且ク云↢「不定聚ト」↡也。
「▲難思往生」 とは、
「難思往生ト」者、
問ふ。 その意いかん。
問。其ノ意如何。
答ふ。 これまた同じく第十八の願至心信楽、 決定往生、 難思議の義に対してこれを 「難思」 となす。 「議」 の字の有無差別あるべし、 浅深知るべし。
答。是又同ク対シテ↢第十八ノ願至心信楽、決定往生、難思議ノ義ニ↡為ス↢之ヲ「難思ト」↡。「議ノ」字ノ有無可シ↠有↢差別↡、浅深応シ↠知ル。
問ふ。 三種往生の名目は ▲¬法事讃¼ に出でたり。 いま出だすところの義まさしくかの讃に明かすところの義たりや。
問。三種往生ノ之名目者出タリ↢¬法事讃ニ¼↡。今所ノ↠出ス義正ク為リ↢彼ノ讃ニ所ノ↠明ス義↡乎。
答ふ。 三種の往生、 その名目をいふにかの ¬事讃¼ に出でたり。 いま分別の意またかの釈に任す、 さらに異論なし。 ただしその中において、 あるいは三経に約し、 あるいは三聚に約するはこの集の料簡、 愚解いまだ覃ばず。 いま集主の意、 配当定めてその教旨に叶ふか。 仰ぎてこれを信ずべし。
答。三種ノ往生、謂ニ↢其ノ名目ヲ↡出タリ↢彼ノ¬事讃ニ¼↡。今分別ノ意又任ス↢彼ノ釈ニ↡、更ニ無シ↢異論↡。但シ於テ↢其ノ中ニ↡、或ハ約シ↢三経ニ↡、或ハ約スルハ↢三聚ニ↡此ノ集ノ料簡、愚解未 ズ ダ↠覃。今集主ノ意、配当定テ叶↢其ノ教旨ニ↡歟。仰テ可シ↠信ズ↠之ヲ。
二 Ⅱ ⅵ c 正釈
【4】 △三に正釈とは、 長行の初めより当巻の末に ¬論語¼ の詞を引くに至るまで、 これその文なり。 これ一部においてその三段を分つに、 正宗分を終るまで、 この正釈に当る。
三ニ正釈ト者、自↢長行ノ初↡至ルマデ↣当巻ノ末ニ引クニ↢¬論語ノ¼詞ヲ↡、是其ノ文也。是於テ↢一部ニ↡分ニ↢其ノ三段ヲ↡、終ルマデ↢正宗分ヲ↡当ル↢此ノ正釈ニ↡。
二 Ⅱ ⅵ d 総結
【5】 △四に総結とは、 同じき次下に 「竊以」 といふ以下、 これその文なり。 これまた三段判釈の時流通分といふ、 その文これなり。
四ニ総結ト者、同キ次下ニ云フ↢「竊以ト」↡已下、是其ノ文也。是又三段判釈ノ之時云↢流通分ト↡、其ノ文是也。
【6】 この正釈の中に分ちてもつて二となす。
此1240ノ正釈ノ中ニ分テ以テ為ス↠二ト。
▲一に文の初めより 「之願也」▲ に至るまではほぼ当願所起の大旨を標す。 ▲二に 「是以」 の下はまさしく諸文を引く。
一ニ自リ↢文ノ初↡至ルマデハ↢「之願也ニ」↡粗標ス↢当願所起ノ大旨ヲ↡。二ニ「是以ノ」下ハ正ク引ク↢諸文ヲ↡。
二 Ⅱ ⅵ c イ 粗標
【7】 △初めの中に二あり、 まづ標し後に釈す。
初ノ中ニ有リ↠二、先ヅ標シ後ニ釈ス。
▲「謹顕」 とらはこれその標なり。 ▲「仏者」 とらはこれその釈なり。
「謹顕ト」等者是其ノ標也。「仏者ト」等者是其ノ釈也。
問ふ。 弥陀の報化は諸師・今家の異解これなり。 天台・浄影以下の諸師化身の義を立つ。 高祖大師かれらの義を破し、 諸経の文を引きて報身の義を存ず。 その所論をいふに、 もとこれ ¬観経¼ の真身の仏なり。 しかるにいまのごときはしかしながら他家諸師の謬解に同じてたちまちに今師楷定の正義に背く。 すでに真身といふ、 なんぞ化身に属せん。 これ一大事最要の法門なり。 つぶさに宣説に預りて疑滞を開きてその誠信を蓄へんと欲ふ。
問。弥陀ノ報化ハ諸師・今家ノ異解是也。天臺・浄影以下ノ諸師立ツ↢化身ノ義ヲ↡。高祖大師破シ↢彼等ノ義ヲ↡、引テ↢諸経ノ文ヲ↡存ズ↢報身ノ義ヲ↡。謂ニ↢其ノ所論ヲ↡、本是¬観経ノ¼真身ノ仏也。而ニ如↠今ノ者併同ジテ↢他家諸師ノ謬解ニ↡忽ニ背ク↢今師楷定ノ正義ニ↡。已ニ云フ↢真身ト↡、何ゾ属セン↢化身ニ↡。是一大事最要ノ法門ナリ。具ニ預テ↢宣説ニ↡欲フ↧開テ↢疑滞ヲ↡蓄ヘント↦其ノ誠信ヲ↥。
答ふ。 まことにこれ大要なり、 もつとも開解すべし。 解するに二義あり。
答。寔ニ是大要ナリ、尤可シ↢開解ス↡。解スルニ有リ↢二義↡。
一にいはく、 真身観の仏報身たる義置きて論ぜず。 ただしいまの釈の意、 別願酬因の報身土とは、 身はこれ念仏三昧の教主、 土はまた乗願所入の土なり。 しかるにかの真身の仏体は、 まづ観門に約して説くところの身なるがゆゑに、 真実色身の名ありといへども、 もし念仏所見の身に望むればなほ方便を帯す。 この義辺によりて化身とするか。
一ニ云、真身観ノ仏為ル↢報身↡義置テ而不↠論ゼ。但シ今ノ釈ノ意、別願酬因ノ報身土ト者、身ハ是念仏三昧ノ教主、土ハ又乗願所入ノ土也。而ニ彼ノ真身ノ之仏躰者、先約シテ↢観門ニ↡所ノ↠説ク身ナルガ故ニ、雖↠有ト↢真実色身ノ之名↡、若シ望ムレバ↢念仏所見ノ之身ニ↡猶帯ス↢方便ヲ↡。依テ↢此ノ義辺ニ↡為↢化身ト↡歟。
↓二にいはく、 「▲真身観の仏これなり」 といふは、 これかの真身の報仏を指してこれを化身といふにはあらず。 真身観の真身所共の化身を指すなり。 真身の本仏、 その観門所見の辺に約する時は化身に属すといへども、 かの念仏衆生摂取不捨の益に約する時、 その実体はこれ報身なり。
二ニ云、言↢「真身観ノ仏是也ト」↡者、此非ズ↧指シテ↢彼ノ真身ノ報仏ヲ↡謂フニハ↦之ヲ化身ト↥。指↢真身観ノ真身所共ノ之化身ヲ↡也。真身ノ本仏、約スル↢其ノ観門所見ノ辺ニ↡時ハ雖↠属スト↢化身ニ↡、約スル↢彼ノ念仏衆生*接取不捨ノ益ニ↡時、其ノ実躰者是報身也。
いま化身とは、 いはゆる ¬経¼ (観経) にいはく、 「▲円光の中において百万億那由他恒河沙化仏ありと。」 以上 この化仏を指して真身観所説の化仏といふ。 その真身すなはち化身なるにはあらざるなり。 この仏すなはちこれ下の九品の中の来迎の仏なり。
今化身ト者1241、所謂¬経ニ¼云ク、「於テ↢円光ノ中ニ↡有リト↢百万億那由他恒河沙ノ化仏↡。」 已上 指シテ↢此ノ化仏ヲ↡言フ↢真身観所説ノ化仏ト↡。非↢其ノ真身*則化身ナルニハ↡也。此ノ仏*則是下ノ九品ノ中ノ来迎ノ仏也。
これによりて 「玄義」 に ¬同性¼ 等の三経の文を引きて報身の義を証するに、 ¬観経¼ の文を引きてすなはち釈成 (玄義分) していはく、 「▲報身化を兼ねてともに来たりて授手すと。」 以上 この釈の中に、 報身といふは真身の本仏、 兼化といふはかの所共の化身これなり。
因↠茲ニ「玄義ニ」引テ↢¬同性¼等ノ三経ノ之文ヲ↡証スルニ↢報身ノ義ヲ↡、引テ↢¬観経ノ¼文ヲ↡即チ釈成シテ云ク、「報身兼テ↠化ヲ共ニ来テ授手スト。」 已上 此ノ釈ノ之中ニ、言↢報身ト↡者真身ノ本仏、言↢兼化ト↡者彼ノ所共ノ之化身是也。
尋ねていはく、 この義疑あり。 しかれば真身観の中の化仏といふべきか。
尋云、此ノ義有リ↠疑。然者可↠謂↢真身観ノ中ノ之化仏ト↡乎。
答ふ。 上に 「▲謹顕化身土者」 と標す、 その下の釈なるがゆゑに重ねて牒せざらくのみ。
答。上ニ標ス↢「謹顕化身土者ト」↡、其ノ下ノ釈ナルガ故ニ不ラク↢重テ牒セ↡耳。
問ふ。 二義の中にいずれをか正とするや。
問。二義ノ之中ニ何ヲカ為↠正ト乎。
答ふ。 二義ならべて存ず。 おのおのもつて義あり、 所用よろしく学者の意にあるべし。 ただし↑第二の義穏便と称しつべし。
答。二義並ベテ存ズ。各以テ有リ↠義、所用宜クシ↠在↢学者ノ之意ニ↡。但シ第二ノ義可シ↠称シツ↢穏便ト↡。
▲「土者」 とらは、
「土者ト」等者、
問ふ。 いふところの ¬観経¼ 所説の土とは、 十三定善所観の浄土ならびに九品の土、 ともに化土か。
問。所ノ↠言フ¬観経¼所説ノ土ト者、十三定善所観ノ浄土並ニ九品ノ土、共ニ化土歟。
答ふ。 総じて ¬観経¼ と標して分別の言なし、 このゆゑにともに化土といふべし。
答。総ジテ標シテ↢¬観経ト¼↡无シ↢分別ノ言↡、是ノ故ニ可↠云フ↢共ニ化土ト↡也。
問ふ。 ともにもつて疑あり。 まづ定善所観の浄土に就きて、 その土の教主すでにこれ真身なり。 その真実の身所居の土すなはち真土なるべし。 なんぞ化土ならんや。 次に九品に就きて、 極楽世界はこれ弥陀仏本願所成の浄土なり。 九品といふはその浄土において建立するところなり。 弥陀の浄土報土たらば、 なんぞ九品報土にあらずといはんや。 そもそも九品の外になんの浄土ありて報の名を得るぞや。
問。共ニ以テ有リ↠疑。先ヅ就テ↢定善所観ノ浄土ニ↡、其ノ土ノ教主已ニ是真身ナリ。其ノ真実ノ身所居ノ之土即応シ↢真土ナル↡。何ゾ化土ナラン乎。次ニ就テ↢九品ニ↡、極楽世界ハ是弥陀仏本願所成ノ之浄土也。言↢九品ト↡者於テ↢其ノ浄土ニ↡所↢建立スル↡也。弥陀ノ浄土為ラ↢報土↡者、何ゾ言ハン↣九品非ズト↢報土ニ↡乎。抑九品ノ外ニ有テ↢何ノ浄土↡得ルゾ↢報ノ名ヲ↡哉。
答ふ。 弥陀の本願所成の土を判じて報土とすること、 一家の定判異論に及ばず。 ただし九品の土報化の分別、 高祖大師の解釈にいまだ決せず。 諸流面々の異義はみな末学の料簡にあり。 これすなはち諸師の異解まちまちなるがゆゑにおのおの意楽に任せ、 また本習に就きてかれによりてこれを用ゐる。 しかるに集主の意 ¬観経¼ の土をもつて判じて化土となす。 九品の土、 これその摂たり。
答。弥陀本願所成ノ之土ヲ判ジテ為コト↢報土ト↡、一家ノ定判不1242↠及↢異論ニ↡。但シ九品ノ土報化ノ分別、高祖大師ノ解釈ニ未 ズ ダ↠決セ。諸流面々ノ異義ハ皆在リ↢末学ノ料簡ニ↡。是則諸師ノ異解区ナルガ故ニ各任セ↢意楽ニ↡、又就テ↢本習ニ↡依テ↠彼ニ用ル↠此ヲ。而ニ集主ノ意以テ↢¬観経ノ¼土ヲ↡判ジテ為ス↢化土ト↡。九品ノ之土、是為リ↢其ノ摂↡。
おほよそ真の報土はただこれ一種、 不可思議真妙の土なり。 ただしまた九品これ化といふに就きていささか通局あり、 言総意別なり。 しかるゆゑは、 九品の中において、 上品上生の一品はこれ真土なり。 これすなはち名号所入の土、 三心具足得生の土なり。 真化の諸土みなことごとく九品の中に摂在するゆゑに、 総じて九品といふ。 下の八品は仮立の土なり。 ゆゑに九品の名言を帯する辺はこれ化土に属す。 その名目を離ればただこれ一種なり。 退きて標するところの一種をいはば、 かの上品上生の土に当る、 これを分別すべし。
凡ソ真ノ報土ハ唯是一種、不可思議真妙ノ土也。但シ亦就テ↠言ニ↢九品是化ト↡聊有リ↢通局↡、言総意別ナリ。所↢以然ル↡者、於テ↢九品ノ中ニ↡、上品上生ノ之一品者是真土也。是則名号所入ノ之土、三心具足得生ノ土也。真化ノ諸土皆悉ク摂↢在スル九品ノ中ニ↡故ニ、総ジテ云フ↢九品ト↡。下之八品ハ仮立ノ土也。故ニ帯スル↢九品ノ名言ヲ↡辺者是属ス↢化土ニ↡。離レバ↢其ノ名目ヲ↡只是一種ナリ。退テ謂ハ↢所ノ↠標スル之一種ヲ↡者、当↢彼ノ上品上生ノ土ニ↡也、可シ↣分↢別ス之ヲ↡。
おほよそ九品の中に、 上六品は大小乗修善の別に約し、 下三品は軽次重造罪の異に約す。 しかのみならず、 華開の遅疾差降、 華開以後得益の不同、 みなこれ善悪因果の配立、 自力修入の説相なり。 これすなはち余行は仏の本願にあらず、 麁劣の行なるがゆゑに報土に生ぜず。 いま九品の相はみなこれ辺地化土の相なり。 称名念仏かならず報土に生ず。 これはこれ如来本願のゆゑなり。 弥陀如来は酬因の願身、 極楽浄土は酬因の報土、 念仏三昧は宿願の行、 かならず本願所成の報土に生ず。 その報土とは本論所説の二十九句の荘厳功徳、 第一義諦妙境界の相、 これその土なり。
凡ソ九品ノ中ニ、上六品者約シ↢大小乗修善ノ之別ニ↡、下三品者約ス↢軽次重造罪ノ之異ニ↡。加之、花開ノ遅疾差降、花開已後得益ノ不同、皆是善悪因果ノ配立、自力修入ノ之説相也。斯乃余行ハ非ズ↢仏ノ本願ニ↡、麁劣ノ行ナルガ故ニ不↠生ゼ↢報土ニ↡。今九品ノ相ハ皆是辺地化土ノ相也。称名念仏必ズ生ズ↢報土ニ↡。此ハ是如来本願ノ故也。弥陀如来ハ酬因ノ願身、極楽浄土ハ酬因ノ報土、念仏三昧ハ宿願ノ之行、必ズ生ズ↢本願所成ノ報土ニ↡。其ノ報土ト者本論所説ノ二十九句1243ノ荘厳功徳、第一義諦妙境界ノ相、是其土也。
¬平等覚経¼ (巻二) には土を名づけて 「▲無量光明土」 といひ、 ¬浄土論¼ には土を説きて名づけて 「▲蓮華蔵世界」 といふ。 同じき ¬論¼ (浄土論) にまた土の相を説きて 「▲究竟如虚空」 といふ。 これみな真実報土の相、 ただ称仏名所入の土なり。
¬平等覚経ニハ¼名テ↠土ヲ言ヒ↢「无量光明土ト」↡、¬浄土論ニハ¼説テ↠土ヲ名テ言フ↢「蓮花蔵世界ト」↡。同キ¬論ニ¼又説テ↢土ノ相ヲ↡言フ↢「究竟如虚空ト」↡。是皆真実報土ノ之相、唯称仏名所入ノ土也。
問ふ。 上六品は受法の異によりてその階位を分つ。 しばらく化土に属することその義しかるべし。 下三品はともに念仏を行ず。 随ひて十悪・破戒・五逆造罪の機、 ただ一声と聞名と十念とによりて臨終に善に遇ひて浄土に生ずることを得、 これをもつて奇となす。 これによりて余人みな報土といふ、 なんぞ化といはんや。
問。上六品者依テ↢受法ノ異ニ↡分ツ↢其ノ階位ヲ↡。且ク属スルコト↢化土ニ↡其ノ義可シ↠然ル。下三品者共ニ行ズ↢念仏ヲ↡。随而十悪・破戒・五*逆造罪之機、只依テ↢一声ト聞名ト十念トニ↡臨終ニ遇テ↠善ニ得↠生ズルコトヲ↢浄土ニ↡、以テ↠之ヲ為ス↠奇ト。、依テ↠之ニ余人皆言フ↢報土ト↡、何ゾ言ン↠化ト乎。
答ふ。 かの下三品すでに多劫含華の相を説く。 これ正覚華化生の相にあらず、 これ仮立なり。 この義意に約すれば、 念仏を修すといへどもこれ自力起行の往生たり。 ゆゑに下上 (観経) には 「▲三宝の名を聞きて、 すなはち往生を得」 といひ、 以上 釈 (散善義) には 「▲法・僧通念してまた去くことを得」 といふ。 以上
答。彼ノ下三品既ニ説ク↢多劫*含*花ノ之相ヲ↡。此非ズ↢正覚花化生ノ相ニ↡、是仮立也。約スレバ↢此ノ義意ニ↡、雖↠修スト↢念仏ヲ↡是為リ↢自力起行ノ往生↡。故ニ下上ニハ云ヒ↧「聞テ↢三宝ノ名ヲ↡、即得ト↦往生ヲ↥、」 已上 釈ニハ云↢「法・僧通念シテ亦得ト↠去コトヲ也」↡。 已上
もし報土往生の義に約すれば、 多劫の胎生はこれ仮立なるべし。 すなはち (般舟讃) 「▲十劫須臾不覚尽」 とらいふ、 けだしその意なり。 多劫の華開たとひ実義にあらずとも、 仮立の相はこれ化土なり。 このゆゑに九品の名言を帯する義辺に約せば化に属すべし。
若シ約スレバ↢報土往生ノ之義ニ↡、多劫ノ胎生ハ是可シ↢仮立ナル↡。*則云フ↢「十劫須臾不覚尽ト」等↡、蓋シ其ノ意也。多劫ノ花開縦ヒ非ズトモ↢実義ニ↡、仮立ノ相ハ者是化土也。是ノ故ニ約セ↧帯スル↢九品ノ名言ヲ↡之義辺ニ↥者可シ↠属ス↠化ニ也。
▲「復如」 とらは、 懈慢界の相▲下の所引のごとし。
「復如ト」等者、懈慢界ノ相如シ↢下ノ所引ノ↡。
▲「亦如」 とらは、
「亦如ト」等者、
問ふ。 「▲疑城胎宮」 はこれ同処か、 これ別処か。 またこの得名その意いかん。
問。「疑城胎宮ハ」是同処歟、是別処歟。又此ノ得名其ノ意如何。
答ふ。 これ同処なり。 疑惑の行者所止の城なるがゆゑにこれを 「疑城」 といふ、 かの化生に簡びてこれを胎生といふ。 すなはちこの胎生宮殿に処するがゆゑにこれを 「胎宮」 といふ、 すなはち辺地なり。
答。是同処也。疑惑ノ行者所止ノ城ナルガ故ニ謂フ↢之ヲ「疑城ト」↡、簡テ↢彼ノ化生ニ↡謂フ↢之ヲ胎生ト↡。*則此ノ胎生処スルガ↢宮殿1244ニ↡故ニ言フ↢之ヲ「胎宮ト」↡、*則辺地也。
¬大経¼ の下にいはく、 「▲なんぢらよろしくおのおの精進して心の所願を求むべし。 疑惑し中悔してみづから過咎をなしてかの辺地七宝の宮殿に生じて、 五百歳のうちにもろもろの厄を受くること得ることなかれ。」 以上 これ行者疑惑の咎によりてかの辺地宮殿に生ずる失を誡むるなり。
¬大経ノ¼下ニ云ク、「汝等宜クシ↣各精進シテ求ム↢心ノ所願ヲ↡。無シ↠得コト↧疑惑シ中悔シテ自為テ↢過咎ヲ↡生ジテ↢彼ノ辺地七宝ノ宮殿ニ↡、五百歳ノ中ニ受ルコト↦諸ノ厄ヲ↥也。」 已上 是誡ムル↧行者依テ↢疑惑ノ咎ニ↡生ズル↢彼ノ辺地宮殿ニ↡失ヲ↥也。
また同じき下に化生・胎生の得失の相を説く。 ▲下の所引のごとし。 「その胎生」 より 「失大利」 に至る本経 (大経巻下) に三十余行ありといへども、 処々略するがゆゑに十七行あり
又同キ下ニ説ク↢化生・胎生ノ得失之相ヲ↡。如シ↢下ノ所引ノ↡。 自リ↢「其ノ胎生」↡至ル↢「失大利ニ」↡本経ニ雖↠有ト↢三十余行↡処々略スルガ故ニ有↢十七行↡
問ふ。 いまこの辺地は報土の摂か。
問。今此ノ辺地ハ報土ノ摂歟。
答ふ。 集主の意、 判じて化土となすに報土の外なり。 もし報土ならば当巻の中に明かすべからず。
答。集主ノ之意、判ジテ為ニ↢化土ト↡報土ノ外也。若シ報土ナラ者当巻ノ之中ニ不↠可↠明ス也。
問ふ。 自余の諸家皆に辺地報土の中にありといふ。 これすなはち大師唯報非化と定判したまふゆゑなり、 なんぞかの義に背きて化土といふや。
問。自余ノ諸家皆ニ言フ↣辺地在ト↢報土ノ中ニ↡。是則大師定↢判シタマフ唯報非化ト↡故也、何ゾ背テ↢彼ノ義ヲ↡云↢化土ト↡耶。
答ふ。 諸家の所立は是非するところにあらず、 大師の定判はたれか依憑せざらん。 ただしいま唯報非化の義、 自他の領解その意相異なり。 いまいふところの唯報非化は、 諸師の所判、 あるいは報身といひあるいは化身といひ、 あるいはまた報化二身に通ずといふ。
答。諸家ノ所立ハ匪ズ↠所ニ↢是非スル↡、大師ノ定判ハ誰カ不ラン↢依憑セ↡。但シ今唯報非化ノ之義、自他ノ領解其ノ意相異ナリ。今所ノ↠言之唯報非化ハ、諸師ノ所判、或ハ云ヒ↢報身ト↡或ハ云ヒ↢化身ト↡、或ハ又云フ↠通ズト↢報化二身ニ↡。
異義万差にして一決せざるがゆゑに、 彼等蘭菊の異義によらず、 いままさしく楷定の実義を顕さんがために、 ひとへに報身の義を定判するところなり。 これすなはちかの名号所入の土を指して、 釈して (玄義分) 「▲則是酬因之身」 という、 すなはちこの意なり。 これを唯報といひこれを非化といふ。 しかりといひて弥陀仏において応化の身なしといふにはあらず、 化身あらば化土あるべし。 三経の標するところ、 すでにかの仏にその化仏ありと説く、 なんぞ化土なからん。 一切の諸仏みな三身を具す、 弥陀一仏あに随類応現の身土なからんや。
異義万差ニシテ不ガ↢一決セ↡故ニ、不↠依↢彼等蘭菊ノ異義ニ↡、今正シク為ニ↠顕サンガ↢楷定ノ実義ヲ↡、偏ニ所↣定↢判スル報身ノ義ヲ↡也。是則指シテ↢彼ノ名号所入ノ之土ヲ↡、釈シテ云フ↢「則是酬因之身ト」↡、乃チ此ノ意也。謂ヒ↢之ヲ唯報ト↡謂フ↢之ヲ非化ト↡。言テ↠然リト非ズ↠謂ニハ↧於テ↢弥陀仏ニ↡無シト↦応化ノ身↥、有ラ↢化身↡者可シ↠有↢化土↡。三経ノ所↠標スル、既ニ説ク↣彼ノ仏ニ有ト↢其ノ化仏↡。何ゾ无ラン↢化土↡。一切ノ諸仏皆具ス↢三身ヲ↡、弥陀一仏豈无ランヤ↢随類応現ノ身土↡。
問ふ。 九品・辺地ともに化土ならば、 これ同処か。
問。九品・辺地共ニ化土1245ナラ者、是同処歟。
答ふ。 集主の意、 ともに化に属すといへどもいまだ同異を判ぜず。 諸師の意、 あるいは辺地をもつて三輩の内に接し、 あるいは胎宮をもつて九品の外となす。 異解なるによりて同異たやすくもつて定めがたきがゆゑならくのみ。
答。集主ノ之意、共ニ雖↠属スト↠化ニ未 ズ ダ↠判ゼ↢同異ヲ↡。諸師ノ之意、或ハ以テ↢辺地ヲ↡*接シ↢三輩ノ内ニ↡、或ハ以テ↢胎宮ヲ↡為ス↢九品ノ外ト↡。依テ↠為ニ↢異解↡同異輙ク以テ難キガ↠定メ故ナラクノミ耳。
問ふ。 大師の釈の中にこの事を解すや。
問。大師ノ釈ノ中ニ解ス↢此ノ事ヲ↡耶。
答ふ。 宗家の釈の中に同異明らかならず。 宗の釈の中において、 学者おのおの異義を存ずるものなり。
答。宗家ノ釈ノ中ニ同異不↠明ナラ。於テ↢宗ノ釈ノ中ニ↡、学者各存ズル↢異義ヲ↡者也。
問ふ。 諸師の中にいづれの師、 いづれの義趣を立せしむるぞや。
問。諸師ノ之中ニ何レノ師、令ムルゾ↠立セ↢何レノ義趣ヲ↡耶。
答ふ。 鸞師の所立は各別の義を存ず。 ゆゑに ¬略論¼ にいはく、 「▲また一種の安楽に往生するあり、 三輩に入らず。 いはく疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修す。」 以上
答。鸞師ノ所立ハ存ズ↢各別ノ義ヲ↡。故ニ¬略論ニ¼云ク、「*又有リ↣一種ノ往↢生スル安楽ニ↡、不↠入ラ↢三輩ニ↡。謂ク以テ↢疑惑ノ心ヲ↡修ス↢諸ノ功徳ヲ↡。」 已上
元暁これに同じ。 いはくかの釈 (遊心安楽道) にいはく、 「辺地に生ずる者はすなはちこれ一類なり、 九品の摂にあらず。」 以上
元暁同ジ↠之ニ。謂ク彼ノ釈ニ云ク、「生ズル↢辺地ニ↡者ハ即是一類ナリ、非ズ↢九品ノ摂ニ↡。」 已上
法位また同じ。 寂は同の義を存ず。 かの ¬義記¼ (大経義記巻下) にいはく、 「胎生を受くる者はいづれの品の中にかある。 旧の両本によるに、 みな説きて中下品の中に在く。 乃至 疑惑を起すといへどもしかも誹謗せず、 疑惑の心を帯して功徳を修するゆゑに、 かの国に生ずといへどもしかも生じて辺地にあり。 五百歳において仏を見法を聞きて修行することあたはず。 胎中にあるがごとし、 見聞するところなし。 このゆゑに説きて胎生を受くと名づく。」 以上
法位又同ジ。寂ハ存ズ↢同ノ義ヲ↡。彼ノ¬義記ニ¼云ク、「受ル↢胎生ヲ↡者ハ在ル↢何ノ品ノ中ニカ↡。依ルニ↢旧ノ両本ニ↡、皆説テ在ク↢於中下品ノ中ニ↡。 乃至 雖↠起スト↢疑惑ヲ↡然モ不↢誹謗セ↡、帯シテ↢疑惑ノ心ヲ↡修スル↢功徳ヲ↡故ニ、雖↠生ズト↢彼ノ国ニ↡而モ生ジテ在リ↢辺地ニ↡。於テ↢五百歳ニ↡不↠能↢見↠仏ヲ聞テ↠法ヲ修行スルコト↡。如シ↠在ルガ↢胎中ニ↡、无シ↠所↢見聞スル↡。是ノ故ニ説テ名ク↠受ト↢胎生ヲ↡也。」 已上
興師また同じく諸師の釈を挙げておのおのその義を破し、 つひに自義を成ず。 かの ¬疏¼ (述文賛巻下) に釈していはく、
興師又同ク挙テ↢諸師ノ釈ヲ↡各破シ↢其ノ義ヲ↡、遂ニ成ズ↢自義ヲ↡。彼ノ¬疏ニ¼釈シテ云ク、
「あるが説かく、 さらに往生ありしかも三輩にあらず。 いはく下の文の中に五智を疑ふ人なり。 疑惑の心の中にもろもろの功徳を修し、 また罪福を信じ少しき善本を修してかの土に生ぜんと願ず。 信不定なるをもつてのゆゑに前の六にあらず、 少しき福を修するがゆゑにまた後の三にあらず。 これによりて九品の所摂に入らず。 これまたしからず、 帛・謙みな中輩の人狐疑して信ぜず、 かの土に生ずといへども、 その城中にありて五百年において仏を見たてまつらず経を聞かず聖を見ずといふ。 かならずしも疑智の凡夫九品にあらずといふべからざるがゆゑに。
「有ガ説カク、更ニ有リ↢往生↡而モ非ズ↢三輩ニ↡。謂ク下ノ文ノ中ニ疑フ↢五智ヲ↡人ナリ。疑惑ノ心ノ中ニ修シ↢諸ノ功徳ヲ↡、亦信ジ↢罪福ヲ↡少シキ修シテ↢善本ヲ↡願ズ↠生ゼント↢彼ノ土ニ↡。以ノ↢信不定ナルヲ↡故ニ非ズ↢前ノ六ニ↡、少シキ修スルガ↠福ヲ故ニ亦非ズ↢後ノ三ニ↡。由テ↠此ニ不↠入↢九品ノ所摂ニ↡。此亦不↠然ラ、帛・謙皆云フ↧中輩之人狐疑シテ不↠信ゼ、雖↠生ズト↢彼ノ土ニ↡、在テ↢其ノ城1246中ニ↡於テ↢五百年ニ↡不↠見タテマツラ↠仏ヲ不↠聞↠経ヲ不ト↞見↠聖ヲ。必シモ不ルガ↠可ラ↠言↢疑智ノ凡夫不ト↟在ラ↢九品ニ↡故ニ。
あるが説かく、 決せざるを疑といふ。 かの国に生ずといへどもしかも辺地にあり。 別にこれ一類なり、 九品の摂にあらず。 このゆゑにみだりに疑惑を生ずべからず。 これまたしからず、 二経の所説、 中下の属所止の宝城すでに五百年、 この ¬経¼ の疑智の凡夫所在の宝宮のごとくなるべし。 またこれ辺地なるがゆゑに、 しからずはすなはち ¬経¼ に所居の舎宅地にあり、 意に随ひて高大にして虚空の中にあらしむることあたはずといふに違す。 また阿弥陀仏をいへること、 それおほきに違へるがゆゑなり。
有ガ説カク、不ヲ↠決セ曰フ↠疑ト。雖↠生ズト↢彼ノ国ニ↡而モ在リ↢辺地ニ↡。別ニ是一類ナリ、非↢九品ノ摂ニ↡。是ノ故ニ不↠応ラ↣妄ニ生ズ↢疑惑ヲ↡。此亦不↠然、二経ノ所説、中下ノ之属所止ノ宝城既ニ五百年、応シ↠如クナル↢此ノ¬経ノ¼疑智ノ凡夫所在ノ宝宮ノ↡。亦是辺地ナルガ故ニ、不ハ↠爾ラ便チ違ス↣¬経ニ¼云ニ↢所居ノ舎宅在リ↠地ニ、不ト↟能ハ↠令ルコト↣随テ↠意ニ高大ニシテ在ラ↢虚空ノ中ニ↡。復言ルコト↢阿弥陀仏ヲ↡、其大キニ違ヘルガ故ナリ。
あるが説かく、 仏智を疑ふ人はすなはちこの中輩 ¬観経¼ の中品なり、 ゆゑに帛・謙の経の中に中輩を弁じていはく、 持戒・布施・飲食沙門・作寺起塔後に疑ひて信ぜず、 その人しばらく信じしばらく信ぜず、 続きてその善を倍して願じて往生を得。 かの国に生ずといへども前んで無量寿仏の所に至ることを得ず。 遙かに仏国界の辺自然の宝城を見る。 五百歳において見仏・聞法を得ざるゆゑに。 法護の ¬経¼ の中の疑仏の人にあらざるべからざるがゆゑに。 これまたしからず、 帛・謙の下輩また路城にあり、 五百年において見仏を得ず。 いかんぞ疑智ただ中輩にありてしかも下にあらざらんや。 もし中輩の疑智修因相似せるがゆゑに、 中品に属すといへどもしかも下にあらずといはば、 また下輩の受果中品に似たるがゆゑに疑仏智に摂すべし。 果相似せりといへども疑智に摂せず、 因また同じといへどもなんぞ疑智なるべけん。
有ガ説カク、疑フ↢仏智ヲ↡人ハ即此ノ中輩¬観経ノ¼中品ナリ、故ニ帛・謙ノ経ノ中ニ弁ジテ↢中輩ヲ↡云ク、持戒・布施・飲食沙門・作寺起塔後ニ疑テ不↠信ゼ、其ノ人暫ク信ジ暫ク不↠信ゼ、続テ*倍テ↢其ノ善ヲ↡願ジテ得↢往生ヲ↡。雖↠生ズト↢彼ノ国ニ↡不↠得↣前ンデ至コトヲ↢无量寿仏ノ所ニ↡。遙ニ見ル↢仏国界ノ辺自然ノ宝城ヲ↡。於テ↢五百歳ニ↡不↠得↢見仏・聞法ヲ↡故ニ。不ルガ↠応ラ↠非ル↢法護ノ¬経ノ¼中ノ疑仏ノ人ニ↡故ニ。是亦不↠然、帛・謙ノ下輩亦在リ↢路城ニ↡、於テ↢五百年ニ↡不↠得↢見仏ヲ↡。如何ゾ疑智唯在テ↢中輩ニ↡而モ非ラン↠下ニ耶。若シ言↧中輩ノ疑智修因相似セルガ故ニ、雖↠属スト↢中品ニ↡而モ非ズト↞下ニ者、亦可シ↧下輩ノ受果似タルガ↢中品ニ↡故ニ摂ス↦疑仏智ニ↥。果雖↢相似セリト↡不↠摂セ↢疑智ニ↡、因雖↢復同ジト↡何ゾ容ケン↢疑智ナル↡。
またかのいふところ九品の内に中上に属すること、 理かならずしもしからず。 ¬観経¼ の中上、 この経の疑智・華開・見仏・聞法・獲利みな不同なるがゆゑに。 もし中上におのづから多種あるがゆゑにこの過なしといはば、 もし中下にまた多種あるがゆゑに疑を摂せざるがゆゑに。 いますなはち仏の五智を疑ふは中下・下下二生の所摂なり。 これによりて帛・謙、 後の二輩みな城にありて五百年において仏を見法を聞き聖を見ること得ずといふがゆゑに、 もしは三輩もしは九品、 みな寛狭なく往生を摂して尽す。」 以上
又彼ノ所↠言九品ノ之内ニ属スルコト↢於中上ニ↡、理必シモ不↠然ラ。¬観経ノ¼中上、此経ノ疑智・花開・見仏・聞法・獲利皆不同ナルガ故ニ。若シ言↧中上ニ自有1247ルガ↢多種↡故ニ无シト↦此ノ過↥者、若シ不ガ↧中下ニ亦有ガ↢多種↡故ニ摂セ↞疑ヲ故ニ。今即疑フハ↢仏ノ五智ヲ↡中下・下々二生ノ所摂ナリ。由テ↠此ニ帛・謙、後ノ之二輩皆言ガ↧在テ↠城ニ於テ↢五百年ニ↡不ト↞得↢見↠仏ヲ聞ヽ↠法ヲ見コト↟聖ヲ故ニ、若ハ三輩若ハ九品、皆无ク↢寛狭↡摂シテ↢往生ヲ↡尽ス。」 已上
▽同じき師また ¬経¼ (大経巻下) に胎宮を説きて 「百由旬」・「五百由旬」 といふ義の意を釈して (述文賛巻下) いはく、 「百由旬とはすなはち下輩の疑仏所生の宮、 五百由旬とはすなはち中輩の疑智所止の宮なり。」 以上 この師の意、 三輩の内に胎生を摂するなり。
同キ師又釈シテ↧¬経ニ¼説テ↢胎宮ヲ↡云フ↢「百由旬」・「五百由旬ト」↡之義ノ意ヲ↥云ク、「百由旬ト者即下輩ノ疑仏所生ノ之宮、五百由旬ト者*則中輩ノ疑智所止ノ之宮ナリ。」 已上 此ノ師ノ之意、三輩ノ之内ニ摂スル↢胎*生ヲ↡也。
問ふ。 出だすところの釈、 みな三輩に約して九品といはず、 いかん。
問。所ノ↠出ス之釈、皆約シテ↢三輩ニ↡不↠云↢九品ト↡、如何。
答ふ。 三輩九品同異の義、 異解ありといへども、 ¬撰択集¼ の意すでに▲輩品開合の義を存ず、 ゆゑに相違なし。
答。三輩九品同異ノ之義雖↠有ト↢異解↡、¬撰択集ノ¼意既ニ存ズ↢輩品開合ノ之義ヲ↡、故ニ無シ↢相違↡。
▲「而有」 とらはその願力を挙ぐ。
「而有ト」等者挙グ↢其ノ願力ヲ↡。
その願力の中に 「▲修諸功徳」 はその因行に約し、 「▲臨終現前」 はその利益に約す。 静照所立の 「▲現前導生」 その意これ同じ。 智光 (無量寿経論釈巻三) ・御廟 (九品往生義) ともにこの名を立つ、 ただし四字の上にまた 「行者命終」 の一句あり。
其ノ願力ノ中ニ「修諸功徳ハ」約シ↢其ノ因行ニ↡、「臨終現前ハ」約ス↢其ノ利益ニ↡。静照所立ノ「現前導生」其ノ意是同ジ。智光・御廟共ニ立ツ↢此ノ名ヲ↡、但シ四字ノ上ニ又有リ↢「行者命終ノ」一句↡。
「▲来迎引接」 その意また同じ。 真源は名づけて 「聖衆来迎」 といふ、 かれは所与に約し、 いまは能与に約す。 能所異なりといへどもともに来迎をもつてその願意となす。
「来迎引接」其ノ意又同ジ。真源ハ名テ云フ↢「聖衆来迎ト」↡。彼ハ約シ↢所与ニ↡、今ハ約ス↢能与ニ↡。能所雖↠異ナリト共ニ以テ↢来迎ヲ↡為ス↢其ノ願意ト↡。
「▲至心発願」 は心願に約すらくのみ。
「至心発願ハ」約スラク↢心願ニ↡耳。
二 Ⅱ ⅵ c ロ 正引
・ 第十九願文
【8】 ▲まさしく文を引く中に、 まづ願文を挙ぐ。
正ク引ク↠文ヲ中ニ、先挙グ↢願文ヲ↡。
▲「発菩」 とらは、
「発菩ト」等者、
問ふ。 菩提心とは、 安心・起行の中にはいづれぞや。
問。菩提心ト者、安心・起行ノ之中ニハ何ゾ耶。
答ふ。 もし↓導家によらば意起行にあり、 もし安心ならば未発心の人生ずべからざるがゆゑに。 随ひて黒谷の ¬選択集¼ の中に判じて起行に属す。 いはゆる三輩念仏往生の章の中に釈していはく、 「▲捨家棄欲而作沙門、 発菩提心とはこれ助行なり、 またこれ能助なり。」 以上 また (選択集) いはく、 「▲いはくこの三輩の中に通じてみな菩提心等の諸行あり。」 以上
答。若シ依バ↢導家ニ↡意在リ↢起行ニ↡、若シ安心ナラバ者未発心ノ人不ガ↠可ラ↠生ズ故ニ。随テ而黒谷1248ノ¬選択集ノ¼中ニ判ジテ属ス↢起行ニ↡。所謂三輩念仏往生ノ章ノ中ニ釈シテ云ク、「捨家棄欲而作沙門、発菩提心ト者是助行也、亦是能助也。」 已上 又云、「謂ク此ノ三輩ノ中ニ通ジテ皆有リ↢菩提心等ノ諸行↡。」 已上
もし鸞師によらばこれ安心なるべし。 いはく ¬論の註¼ (巻下) にいはく、 「▲三輩の生の中に、 行に優劣ありといへども、 みな無上菩提の心を発さざることなし。」 以上
若依ラバ↢鸞師ニ↡是応シ↢安心ナル↡。謂ク¬論ノ註ニ¼云ク、「三輩ノ生ノ中ニ、雖↣行ニ有ト↢優劣↡、莫シ↠不コト↣皆発サ↢無上菩提ノ之心ヲ↡。」 已上
問ふ。 二師の釈その義各別なり、 いづれによるべきや。
問。二師ノ之釈其ノ義各別ナリ、可↠依↠何ニ耶。
答ふ。 ↑導家によるべし、 黒谷また起行に属するがゆゑなり。
答。可シ↠依ル↢導家ニ↡、黒谷又属スルガ↢起行ニ↡故也。
「▲修諸功徳」 はこれ起行なり。 「菩提心」 は別、 「諸功徳」 は総、 総別合して 「発菩提心修諸功徳」 といふ。
「修諸功徳ハ」是起行也。「菩提心ハ」別、「諸功徳ハ」総、総別合シテ云フ↢「発菩提心修諸功徳ト」↡。
「▲至心発願」 はこれ安心なり。
「至心発願ハ」是安心也。
「▲仮令」 といふは、 あるがいはく、 不現は実にあらず、 ゆゑに仮令といふ。 いまいはく、 しからず。 来迎は仮益なり、 ゆゑに 「仮令」 といふ。 当巻の下にいはく、 「▲仏心の光明、 余の行者を照摂せざるなり。 ◆仮令の誓願まことに由あるかな。 仮門の教、 欣慕の釈、 これいよいよ明らかなり。」 以上
言↢「仮令ト」↡者、有ガ云ク、不現ハ非ズ↠実ニ、故ニ云フ↢仮令ト↡。今云ク、不↠爾ラ。来迎ハ仮益ナリ、故ニ云フ↢「仮令ト」↡。当巻ノ下ニ云ク、「仏心ノ光明、不↣照↢摂セ余ノ行者ヲ↡也。仮令ノ之誓願良ニ有↠由哉。仮門ノ之教、忻慕之釈、是弥明也。」 已上
問ふ。 来迎はこれ行者の所期たり、 なんぞ仮益といふ。
問。来迎ハ是為リ↢行者ノ所期↡、何ゾ云フ↢仮益ト↡。
答ふ。 これに二義あり。
答。此ニ有リ↢二義↡。
一にいはく、 ¬法事讃¼ (巻上) にいはく、 「▲浄土の荘厳・諸聖衆、 篭々として常に行人の前にあり。」 以上
一云、¬法事讃ニ¼云、「浄土ノ荘厳・諸聖衆、篭々トシテ常ニ在リ↢行人ノ前ニ↡。」 已上
¬観経¼ に説きていはく、 「▲無量寿仏化身無数なり、 観世音・大勢至と常にこの行人の所に来至したまふ。」 以上
¬観経ニ¼説テ云ク、「無量寿仏化身無数ナリ、与↢観世音・大勢至↡常ニ来↢至シタマフ*此ノ行人ノ之所ニ↡。」 已上
また同じき ¬経¼ (観経) の中に念仏の益を説きていはく、 「▲観世音菩薩・大勢至菩薩、 その勝友となりたまふ。」 以上
又同キ¬経ノ¼中ニ説テ↢念仏ノ益ヲ↡云ク、「観世音菩薩・大勢至菩薩、為タマフ↢其ノ勝友ト↡。」 已上
「散善義」 にこの経文を釈していはく、 「▲もつぱら弥陀の名を念ずる者には、 すなはち観音・勢至常随影護して、 また親友知識のごとし。」 以上
「散善義ニ」釈シテ↢此ノ経文ヲ↡云ク、「専ラ念ズル↢弥陀ノ名ヲ↡者ニハ、即観音・勢至常随影護シテ、亦如1249シ↢親友知識ノ↡也。」 已上
ゆゑに仏・菩薩眼の前にありといへども、 煩悩障蔽して見ることを得ることあたはず。 しかるに命終の時、 時至りて顕現す、 始めて来るにあらざるなり。 おほよそ弥陀仏は名体不二の道理あるによりて、 その名号を称するにすなはち仏体を具す。 華座観 (定善義) に 「▲応声即現証得往生」 といふ、 けだしその義なり。 このゆゑに心行具足の行人、 命終の時に臨みて仏名を称するに当りて、 仏体すなはち現ず、 外より来るにあらず。 この義理に約すればこれを不来といふ。 ただし顕現をもつてこれを来迎と名づく。 釈文の顕説常途の談ならくのみ。
故ニ仏・菩薩雖↠在スト↢眼ノ前ニ↡、煩悩障蔽シテ不↠能↠得コト↠見コトヲ。而ニ命終ノ時、時至テ顕現ス、非↢始テ来ルニ↡也。凡ソ弥陀仏ハ依テ↠有ニ↢名体不二ノ道理↡、称スルニ↢其ノ名号ヲ↡*則具ス↢仏体ヲ↡。*花座観ニ云フ↢「応声即現証得往生ト」↡、蓋シ其ノ義也。是ノ故ニ心行具足ノ行人、臨テ↢命終ノ時ニ↡当テ↠称スルニ↢仏名ヲ↡、仏体*則現ズ、非ズ↢従↠外来ルニ↡。約スレバ↢此ノ義理ニ↡謂↢之ヲ不来ト↡。但シ以テ↢顕現ヲ↡是ヲ名ク↢来迎ト↡。釈文ノ顕説常途ノ談ナラク耳。
二にいはく、 ¬法事讃¼ (巻下) にいはく、 「▲ひとたび坐して移ることなくまた動ぜず。」 ¬般舟讃¼ にいはく、 「▲ひとたび華台に坐していまだかつて動ぜず。」 以上 これ真実報身の相を顕すなり。 ゆゑに来といふはただしばらく迷情に応ずるところの方便、 これ実義にあらず。
二云、¬法事讃ニ¼云ク、「一タビ坐シテ無キ↠移コト亦不↠動ゼ。」¬般舟讃ニ¼云ク、「一タビ坐シテ↢*花台ニ↡未ダ↢曽テ動ゼ↡。」 已上 是顕ス↢真実報身ノ相ヲ↡也。故ニ言↠来ト者只且ク所ノ↠応ズル↢迷情ニ↡方便、是非ズ↢実義ニ↡。
ゆゑに ¬涅槃¼ (北本巻一六梵行品意南本巻一四梵行品意) にいはく、 「われ実に往かず、 かれまた来らず、 慈善根の力、 かくのごとき事を見る。」 以上 これに準じて思ふべし。 ただし心に来迎を期する機に対せばかならず感応すべし、 もし至理に達するところの機に約せばかならずしも来るべからず。 来りてしかも来らず来らずしてしかも来る、 さらに違するところなし。 偏見に拘ることなかれ、 深く思択すべし。
故ニ¬涅槃ニ¼云ク、「我実ニ不↠往、彼亦不↠来ラ、慈善根ノ力、見ル↢如↠此ノ事ヲ↡。」 已上 准ジテ↠之可シ↠思。但シ対セバ↧心ニ期スル↢来迎ヲ↡之機ニ↥必ズ可シ↢感応ス↡、若シ約セバ↧所ノ↠達スル↢至理ニ↡之機ニ↥不↠可↢必シモ来ル↡。来テ而モ不↠来ラ不シテ↠来ラ而モ来ル、更ニ無シ↠所↠違スル。莫レ↠拘ハルコト↢偏見ニ↡、深ク可シ↢思択ス↡。
また ¬群疑論¼ 第二巻にいはく、 「問ふていはく、 ¬金剛般若¼ にいはく、 如来とは従来するところなく、 また去るところなし。 ゆゑに如来と名づくと。
又¬群疑論ノ¼第二巻ニ云ク、「問テ曰ク、¬金剛般若ニ¼言ク、如来ト者无シ↠所↢従来スル↡、亦无シ↠所↠去ル。故ニ名ク↢如来ト↡。
¬維摩経¼ にいはく、 われ如来を観ずるに、 前際よりも来らず、 後際にも去らず、 いまもすなはち住せず。 文殊師利のいはく、 住せずしてまた去らず、 取らずしてまた捨てず。 六入を遠離するがゆゑに無所観を敬礼す。 この大乗のもろもろの聖教に準ずるに、 仏はもとより来らずまた去ることあることなしと説く。
¬維摩経ニ¼言ク、我観ズルニ↢如来ヲ↡、前際ヨリモ不↠来ラ、後際ニモ不↠去ラ、今モ*則不↠住セ。文殊師利ノ言ク、不↠住セ亦不↠去ラ、不↠取セ亦不↠捨セ。遠↢離スルガ六入ヲ↡故ニ敬↢礼ス无所観ヲ↡。准ズルニ↢此ノ大乗ノ諸ノ聖教ニ↡、説ク↢仏ハ本ヨリ不↠来亦无シト↟有コト↠去コト。
なんに因りてか ¬観経¼ に化仏ありて来迎し化仏に随ひて住くと説きて、 来あり去ありて前の経と相違するや。 釈していはく、 甚深実相平等の妙理には、 法身の如来もとより生滅なけれども、 仏の本願無限の大悲をもつて衆生を接引するに、 真より化を十方世界に起して、 如来三輩九品を引接したまふ。 化すなはち真なるをもつては不来不去なり、 機に随ひ物に応ずるには往あり還あり。 前の経には化の体すなはち真なるに拠りて来去なしと説く。
何ニ因テカ¬観経ニ¼説テ↧有テ↢化仏↡来迎シ随テ↢化1250仏ニ↡住クト↥、有リ↠来有テ↠去与↢前ノ経↡相違スルヤ。釈シテ曰ク、甚深実相平等ノ妙理ニハ、法身ノ如来本ヨリ无ケレドモ↢生滅↡、以テ↢仏ノ本願无限ノ大悲ヲ↡接↢引スルニ衆生ヲ↡、従リ↠真起シテ↢化ヲ十方世界ニ↡、如来引↢接シタマフ三輩九品ヲ↡。以テハ↢化*即真ナルヲ↡不来不去ナリ、随ヒ↠機ニ応ズルニハ↠物ニ有リ↠往有リ↠還。前ノ経ニハ拠テ↢化ノ体*即真ナルニ↡説ク↠无ト↢来去↡。
¬観経¼ には真より化を流すに拠りて現に往還あり。 また西方にあるが釈していはく、 実に仏かの西方よりしかもここに来至して授手迎接することあることなし、 また仏かの衆生を引きて浄土に往生せしむることあることなし。 ただしこれ如来の慈悲、 本願の功徳、 種子の増上縁力をもつて、 もろもろの衆生をして仏と縁ありて念仏修福して十六観をなす。 もろもろの功徳力をもつて因縁となして、 自心に阿弥陀仏行者を来迎し仏に随ひて往くことを変現せしむ。
¬観経ニハ¼拠テ↢従リ↠真流スニ↟化ヲ現ニ有リ↢往還↡。又西方ニ有ガ釈シテ言ク、実ニ无シ↠有コト↧仏従リ↢彼ノ西方↡而モ来↢至シテ此ニ↡授手迎接スルコト↥、亦无シ↠有コト↧仏引テ↢彼ノ衆生ヲ↡往↦生セシムルコト浄土ニ↥。但シ是如来ノ慈悲、本願ノ功徳、種子ノ増上縁力ヲモテ、令テ↢諸ノ衆生ヲ↡与↠仏有テ↠縁念仏修福シテ作ス↢十六観ヲ↡。諸ノ功徳力ヲ以テ為シテ↢因縁ト↡、自心ニ変↧現セシム阿弥陀仏来↢迎シ行者ヲ↡随テ↠仏ニ往コトヲ↥。
かの仏遣はし来るといふは、 これ実に遣はすにはあらず。 ただこれ功徳の種子と所化の生と、 時機まさしく合して化仏来迎すと見せしむ。 ゆゑにかれ遣はすといへども実には遣はさず。 阿弥陀仏悲願の功徳は、 湛然常寂にして無去不来なり。 衆生の識心仏の本願功徳の勝力に託して、 自心に変化して来あり去ありて、 行人を迎接して往生することあると見る。 これ自心の相分なり、 化に関かるにあらず。」 以上
言コトハ↢彼ノ仏遣シ来ト↡、不↢是実ニ遣スニハ↡。但是功徳ノ種子ト与↢所化ノ生↡、時機正ク合シテ令ム↠見セ↢化仏来迎スト↡。故ニ言ヘドモ↢彼遣スト↡而モ実ニハ不↠遣。阿弥陀仏悲願ノ功徳ハ、湛然常寂ニシテ无去不来ナリ。衆生ノ識心*託シテ↢仏ノ本願功徳ノ勝力ニ↡、自心ハ変化シテ有リ↠来有テ↠去、迎↢接シテ行人ヲ↡見ル↠有ト↢往生スルコト↡。是自心ノ相分ナリ、非ズ↠関カルニ↠化ニ也。」 已上
▲「大衆」 とらは所与の衆を挙ぐ。 ¬大阿弥陀経¼ には菩薩・声聞の二衆ありと説く。 かの ¬経¼ (大阿弥陀経巻上) に説きていはく、 「▲われすなはちもろもろの菩薩・阿羅漢とともに飛行してこれを迎ふ。」 以上 ¬平等覚¼ (巻一) にいはく、 「▲われ不可計の比丘衆と飛行してこれを迎ふ。」 以上 ¬如来会¼ (荘厳経巻上) にいはく、 「▲われ無数の苾芻をして現前囲遶せしめてかの人を来迎す。」 以上 下の二経にはただ比丘を説く。
「大衆ト」等者挙グ↢所与ノ衆ヲ↡。¬大阿弥陀*経ニハ¼説ク↠有ト↢菩薩・声聞ノ二衆↡。彼ノ¬経ニ¼説テ云ク、「我即与↢諸ノ菩薩・阿羅漢↡共ニ飛行シテ迎フ↠之ヲ。」 已上 ¬平等覚ニ¼云ク、「我与↢不可計ノ比丘衆↡飛行シテ迎フ↠之ヲ。」 已上 ¬如来会ニ¼云ク、「我令 シメテ↢无数ノ苾芻1251ヲシテ現前囲遶セ↡来↢迎ス彼ノ人ヲ↡。」 已上 下ノ之二経ニハ只説ク↢比丘ヲ↡。
問ふ。 所与の衆、 なんぞ不同なるや。
問。所与ノ之衆、何ゾ不同ナル乎。
答ふ。 ¬大阿弥陀¼ は上品の生に約す、 自余の二経は中品の生に約してしばらくこれを説くか。 あるいはまたことさらに所与の不定を説きてその来迎化益の義を顕すか。
答。¬大阿弥陀ハ¼約ス↢上品ノ生ニ↡、自余ノ二経ハ約シテ↢中品ノ生ニ↡且ク説ク↠之ヲ歟。或ハ又故ニ説テ↢所与ノ不定ヲ↡顕ス↢其ノ来迎化益ノ義ヲ↡歟。
問ふ。 なんぞ所与を標して能与なきや。
問。何ゾ標シテ↢所与ヲ↡无キ↢能与↡耶。
答ふ。 所与あらば能与あるべきこと理在絶言なり。 随ひて異訳の経等の中にみな我の字あり、 これ能与なり。 その所与を挙ぐるにかならず能与の弥陀仏あるなり。
答。有ラ↢所与↡者可コト↠有↢能与↡、理在絶言ナリ。随テ而異訳ノ経等ノ之中ニ皆有リ↢我ノ字↡、是能与也。挙ルニ↢其ノ所与ヲ↡必ズ有↢能与ノ弥陀仏↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『悲華経』文
【9】 ▲次に ¬悲華経¼、 その文おほきに同じ。
次ニ¬悲花経¼、其ノ文大ニ同ジ。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ○ 私釈
【10】▲次に 「この願」 の下一行余は、 わたくしの御釈なり。
次ニ「此ノ願ノ」下一行余者、私ノ御釈也。
▲「観経」 とらは、
「観経ト」等者、
問ふ。 九品の行はこれ散善なり、 なんぞ 「定散」 といふ。
*問。九品ノ之行ハ是散善也、何ゾ云フ↢「定散ト」↡。
答ふ。 総じて定散を標す。 その二善の中に別して散善の中の九品を挙ぐ。 三輩九品は一機たるがゆゑに九品を標するなり。
答。総ジテ標ス↢定散ヲ↡。其ノ二善ノ中ニ別シテ挙グ↢散善ノ之中ノ九品ヲ↡。三輩九品ハ為ガ↢一機↡故ニ標スル↢九品ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・ 道場樹文
【11】▲次に ¬大経¼ の文、 道場樹を明かす。
次ニ¬大経ノ¼文、明ス↢道場樹ヲ↡。
問ふ。 道場樹とは、 すでにこれ極楽浄土の道樹さだめてこれ報なるべし、 なんぞ化に属するや。
問。道場樹ト者、既ニ是極楽浄土ノ道樹定テ是可シ↠報ナル、何ゾ属スル↠化ニ耶。
答ふ。 この道場樹と仏の身量と相応せざるがゆゑに、 諸師おのおの種々の異解を作る。 その中に興師は仏身は報、 この道場樹は化土たる義を存ず。 また玄一師は三義を設くる中に初めの義はこれに同じ。 集主の意、 これらの義によりて判じて化に属するなり。
答。此ノ道場樹ト与 ト ↢仏ノ身量↡不ガ↢相応セ↡故ニ、諸師各作ル↢種々ノ異解ヲ↡。其ノ中ニ興師ハ存ズ↧仏身ハ報、此ノ道場樹ハ為ル↢化土↡義ヲ↥。又玄一師ハ設クル↢三義ヲ↡中ニ初ノ義ハ同ジ↠之ニ。集主ノ之意、依テ↢此等ノ義ニ↡判ジテ属スル↠化ニ也。
いはく興師 (述文賛巻中) のいはく、 「また無量寿仏より随応而現に至るまでは、 述していはく、 第二に道場樹を弁ずるに三あり。 これは初め道樹の昇相なり。 一里三百歩なるがゆゑに、 四百万里は十二万由旬なり。 知るべし、 前の菩薩小土見道場の願として成ずるところなり。 あるが説かく、 かの仏身の高さ六十万億那由他恒河沙由旬なるに随ひて、 仏の神力をもつてのゆゑにたとひ小道場樹なれどもあひ妨礙せず。
謂ク興師ノ云、「又無量寿仏ヨリ至マデ↢随応而現ニ↡者、述シテ云、第二ニ弁ズルニ↢道場樹ヲ↡有リ↠三。此ハ初メ道樹ノ昇相也。一1252里三百歩ナルガ故ニ、四百万里ハ十二万由旬ナリ。応↠知、前ノ菩薩小土見道場ノ願トシテ而所↠成ズル也。有ガ説カク、随テ↢彼ノ仏身ノ高サ六十万億那由他恒河沙由旬ナルニ↡、以ノ↢仏ノ神力ヲ↡故ニ縦ヒ小道場樹ナレドモ不↢相ヒ妨セ↡。
もししからば所余の宮殿もおのおのその形の大小に称ふべからざるがゆゑに、 いますなはちかの ¬経¼ の仏量はすでに他受用身なるがゆゑに、 この道樹はすなはち化土なるがゆゑに、 相違せず。 二十万里とは六十千由旬、 その本量に称はざるべきがゆゑに。 またあるがいはく、 二百万里けだしこれ正なり。」 以上
若爾ラバ所余ノ宮殿モ不ガ↠応カラ↣各称フ↢其ノ形ノ大小ニ↡故ニ、今*則彼ノ¬経ノ¼仏量ハ既ニ他受用身ナルガ故ニ、此ノ道樹ハ*則化土ナルガ故ニ、不↢相違セ↡也。二十万里ト者六十千由旬、応ガ↠不↠称ハ↢其ノ本量ニ↡故ニ。又有ガ云ク、二百万里蓋シ是正也。」 已上
玄一師 (大経記巻上) のいはく、 「¬観経¼ に明かすところの仏は他受用門に約してしかも殊勝なることを顕す、 この ¬経¼ に明かすところの樹は変化の辺に約す。 ゆゑに相違なし。 いはく、 もし変化身ならば樹よりも短きがゆゑに。 二にいはく、 仏徳不可思議なり。 かの広長の身一尺の樹に蔭さんに、 仏において難にあらず、 いはんや四百万里なる者をや。 三にいはく、 ここに四百万里といふは仏頂以上なり。 仏足を去る量は、 もし仏身相称の長を弁ぜば、 すなはちこれ六十万億那由他恒河沙由旬にして余り四百万里あるなり。 またかの仏尺をもつて所計の四百万里を出だすなるべし。」 以上
玄一師ノ云ク、「¬観経ニ¼所ノ↠明ス仏ハ約シテ↢他受用門ニ↡而モ顕ス↢殊勝ナルコトヲ↡、此ノ¬経ニ¼所ノ↠明ス樹ハ約ス↢変化ノ辺ニ↡。故ニ無シ↢相違↡。謂ク、若変化身ナラ者短ガ↢於樹ヨリモ↡故ニ。二云ク、仏徳不可思議ナリ。彼ノ広長ノ身蔭サンニ↢於一尺ノ樹ニ↡、於テ↠仏ニ非ズ↠難ニ、況ヤ四百万里ナル者也。三云ク、此ニ云↢四百万里ト↡者仏頂已上ナリ。去ル↢仏足ヲ↡量ハ、若シ弁ゼバ↢仏身相称ノ之長ヲ↡、*則是六十万億那由他恒河沙由旬ニシテ有ル↢余四百万里↡也。亦可シ↣彼ノ仏尺ヲモテ出スナル↢於所計ノ四百万里ヲ↡。」 已上
文の中に 「▲高四百万里」 とは、 この樹の量において経説不同なり。
文ノ中ニ「高四百万里ト」者、於テ↢此ノ樹ノ量ニ↡経説不同ナリ。
¬宝積経¼ (大宝積経巻一七如来会) には 「▲もしは百千由旬」 といふ。 しかるにかの ¬宝積¼ (大宝積経巻一七如来会) の願成就には 「▲高さ十六億由旬」 といふ。 願文のごときは、 百千といふはこれ十万に当る。 すなはちこれ一億なり。 成就の文に高さ十六億由旬といふは、 その上の量に倍して十万億なり。 この相違を会するに、 百千といふは十万を指すにあらず、 ただ数を標すらくのみ。
¬宝積経ニハ¼云フ↢「若ハ百千由旬ト」↡。而ニ彼ノ¬宝積ノ¼願成就ニハ云フ↢「高サ十六*億由旬ト」↡。如↢願文ノ↡者、言↢百千ト↡者是当ル↢十万ニ↡。*則是一億ナリ。成就ノ文ニ言↢高十六億由旬ト↡者、倍シテ↢其ノ上ノ量ニ↡十万億也。会スルニ↢此ノ相違ヲ↡、言↢百千ト↡者非1253ズ↠指スニ↢十万ヲ↡、只標スラク↠数ヲ耳。
また ¬悲華¼ (巻三大施品) にいはく、 「縦広正等にして一万由旬なり」。 異訳意別なり、 すべからく和会すべからず。
又¬悲花ニ¼云ク、「縦広正等ニシテ一万由旬ナリ。」異訳意別ナリ、不↠須クカラ↢和会ス↡。
▲「月光」 とらは、 摩尼珠の中にその多種あり、 月光・持海ともにこれその摂なり。
「月光ト」等者、摩尼珠ノ中ニ有リ↢其ノ多種↡、月光・持海共ニ是其ノ摂ナリ。
「而荘厳」 の下 「阿難若」 の上に 「▲乃至」 といふは、 ▲「周帀条」 より 「無悩患」▲ (大経巻上) に至るまで九行これなり。 かの文の中になほ樹相を明かし、 また樹徳を明かす。 その徳といふは、 見聞獲利、 自土他土の得益等なり。 繁きがゆゑにこれを略す。
「而荘厳ノ」下「阿難若ノ」上ニ言↢「乃至ト」↡者、自↢「周帀条」↡至マデ↢「無悩患ニ」↡九行是也。彼ノ文ノ之中ニ猶明シ↢樹相ヲ↡、又明ス↢樹徳ヲ↡。言↢其ノ徳ト↡者、見聞獲利、自土*他土ノ得益等也。繁ガ故ニ略ス↠之ヲ。
次に▲「阿難」 の下は得忍の別を列ぬ。 次に▲「此皆」 の下は得忍の由を明かす。 興師 (述文賛巻中意) これを 「本願獲利」 といふ。 この経文に就きて設くるところの興の釈、 ▲第二巻にあり。 よりて▲新末の中にほぼ愚勘を加ふ。 この仏力によりて得るところの益なるがゆゑに、 いまの三法忍かの巻の中に引かれずといへども、 同じく註解し訖りぬ。
次ニ「阿難ノ」下ハ列ヌ↢得忍ノ別ヲ↡。次ニ「此皆ノ」下ハ明ス↢得忍ノ由ヲ↡。興師言フ↢之ヲ「本願獲利ト」↡。就テ↢此ノ経文ニ↡所ノ↠設クル興ノ釈、在リ↢第二巻ニ↡。仍テ新末ノ中ニ粗加フ↢愚勘ヲ↡。依テ↢此ノ仏力ニ↡所ノ↠得ル益ナルガ故ニ、今ノ三法忍彼ノ巻ノ之中ニ雖↠不ト↠被↠引カ、同ク註解シ訖ヌ。
次に 「▲乃至」 とは、 ▲「仏告」 の下 「為第一」▲ (大経巻上) に至るまで五行余なり。 かの文の中に極楽界の宝樹の伎楽音声を嘆ずるに、 まづ余の楽を挙げて比校顕勝し、 後に極楽世界の伎楽を嘆ず。 繁きがゆゑにしばらく略す。
次ニ「乃至ト」者、「仏告ノ」之下至マデ↢「為第一ニ」↡五行余也。彼ノ文ノ之中ニ嘆ズルニ↢極楽界ノ宝樹ノ伎楽音声ヲ↡、先ヅ挙テ↢余ノ楽ヲ↡比校顕勝シ、後ニ嘆ズ↢極楽世界ノ伎楽ヲ↡。繁キガ故ニ且ク略ス。
次に引くところの ▲「又講堂」 の下はこれ宮殿を明かす。 文の初めより 「化成」 といふに至るまでは宮殿の相を明かす。
次ニ所ノ↠引ク之「又講堂ノ」下ハ是明ス↢宮殿ヲ↡。自↢文ノ之初↡至マデハ↠云ニ↢「化成ト」↡明ス↢宮殿ノ相ヲ↡。
「講堂」 といふはこれ説法の処、 下巻 (大経) に説きて 「▲七宝の講堂にして広く道教を宣ぶ」 といふすなはちこの処なり。 「▲精舎」 といふはすなはち寺の名なり。
言↢「講堂ト」↡者是説法ノ処、下巻ニ説テ云フ↣「七宝ノ講堂ニシテ広ク宣ブト↢道教ヲ↡」*則此ノ処也。言↢「精舎ト」↡者*則寺ノ名也。
▲「復以」 以下 「蓋其上」 に至るまでは荘厳の相を明かす。
「*復以」以下至マデハ↢「蓋其上ニ」↡明ス↢荘厳ノ相ヲ↡。
「真珠」 とらは能荘厳を挙ぐ。 一義にいはく、 真珠すなはち明月珠なり。 いま愚案を加ふるに、 真珠はこれ総、 明月は別か。 「摩尼」 といふはこれ別の珠なり、 ゆゑに ¬法華¼ にいはく、 「真珠瓔珞・摩尼珠瓔珞。」 以上
「真珠ト」等者挙グ↢能荘厳ヲ↡。一義ニ云ク、真珠即明月珠ナリ。今加ニ↢愚案ヲ↡、真珠ハ是総、明月ハ別歟。言↢「摩尼ト」↡者是別ノ珠也。故ニ¬法*花ニ¼云、「真珠瓔珞、摩尼珠1254瓔珞。」 已上
「▲衆宝」 といふは、 いふこころは摩尼等の衆宝なり。 一義にいはく、 明月珠とはすなはち摩尼なり。 摩尼の中に明月珠あり。 明月珠とはすなはち上にいふところの月光摩尼なり。 ¬千手経¼ に 「日精摩尼」・「月精摩尼」 と説く。 その月精とはすなはちこの珠なり。
言↢「衆宝ト」↡者、言ハ摩尼等ノ之衆宝也。一義ニ云ク、明月珠ト者*則摩尼也。摩尼ノ之中ニ有リ↢明月珠↡。明月珠ト者即上ニ所ノ↠言月光摩尼ナリ。¬千手経ニ¼説ク↢「日精摩尼」・「月精摩尼ト」↡。其ノ月精ト者*則此ノ珠也。
▲「内外」 以下は宝池の相を明かす。
「内外」以下ハ明ス↢宝池ノ相ヲ↡。
「内外」 といふは、 いまこの宝池宮内にあり、 宮外にあり。 ゆゑに 「内外」 といふ。 この義かの ¬▲平等覚経¼・¬▲大阿弥陀経¼ に見えたり。
言↢「内外ト」↡者、今此ノ宝池在リ↢于宮内ニ↡、在リ↢于宮外ニ↡。故ニ云フ↢「内外ト」↡。此ノ義見タリ↢彼ノ¬平等覚経¼・¬大阿弥陀経ニ¼↡。
「▲或十」 とらは、 これ浴池深広の不同を明かす。 「▲各皆」 とらは、 池の分量に随ひて縦広深浅みな池の量に同じ。 十由旬ならば縦広また同じ、 乃至池の量千由旬ならば縦広また等し。
「或十ト」等者、是明ス↢浴池深広ノ不同ヲ↡。「各皆ト」等者、随テ↢池ノ分量ニ↡縦広深浅皆同ジ↢池ノ量ニ↡。十由旬ナラバ者縦広亦同ジ、乃至池ノ量千由旬ナラバ縦広亦等シ。
「▲八功徳」 とは、 これ池水にその八徳あることを明かす。 このゆゑに称して八功徳池といふ。 八功徳とは、 「定善義」 にいはく、 「▲一には清浄潤沢なり、 すなはちこれ色入の摂なり。 二には臭からず、 すなはちこれ香入の摂なり。 三には軽し。 四には冷し。 五には軟らかなり。 すなはちこれ触入の摂なり。 六には美なり、 これ味入の摂なり。 七には飲む時調適す。 八には飲みをはりて患ひなし、 これ法入の摂なり。」 以上 いま 「▲清浄香潔甘露」 といふは、 八徳の中にしばらく第一・二・六の徳を挙ぐるなり。
「八功徳ト」者、是明ス↣池水ニ有コトヲ↢其ノ八徳↡。是ノ故ニ称シテ云↢八功徳池ト↡。八功徳ト者、「定善義ニ」云、「一者清浄潤沢ナリ、即是色入ノ摂ナリ。二者不↠臭カラ、*則是香入ノ摂ナリ。三者軽シ。四者冷シ。五者軟ナリ、*則是触入ノ摂ナリ。六者美ナリ、是味入ノ摂ナリ。七者飲ム時調適ス。八者飲已テ無シ↠患、是法入ノ摂ナリ。」 已上 今言↢「清浄香潔甘露ト」↡、八徳ノ之中ニ且ク挙ル↢第一・二・六ノ徳ヲ↡也。
問ふ。 いふところの 「講堂精舎」 以下、 なんぞ化土に属する。
問。所ノ↠言「講堂精舎」以下、何ゾ属スル↢化土ニ↡。
答ふ。 その真土の相は究竟して空のごとし、 つぶさに見るべからず、 つぶさに説くべからず、 不可説の妙境界なり。 このごときの荘厳はみなこれ有相、 他方の凡聖類を引せんがためなり。 よりて化相に属す。 すなはち経文に説きてまさしく 「▲化成」 といふ、 「化」 の字よろししく思ふべし。 宮殿等もしかなり、 宝池これに準ず。
答。其ノ真土ノ相ハ究竟シテ如シ↠空ノ、不↠可↢具ニ見↡、不↠可↢具ニ説↡、不可説ノ之妙境界也。如ノ↠此ノ荘厳ハ皆是有相、為↠引センガ↢他方ノ凡聖類ヲ↡也。仍テ属ス↢化相ニ↡。*則経文ニ説テ正ク言フ↢「化成ト」↡、「化ノ」字宜クシ↠思。宮殿等モ然ナリ、宝池准ズ↠之ニ。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・ 胎生化生相文
【12】▲次の所引は同じき下巻の文。 これ化生・胎生の相を説きて仏智信疑の得失を顕明する誠説なり。
次1255ノ所引者同キ下巻ノ文。是説テ↢化生・胎生ノ之相ヲ↡顕↢明スル仏智信疑ノ得失ヲ↡之誠説也。
当段の中所引の上において除くところの文二十行に余る。 ▲「仏告阿難汝起」 (大経巻下) 以下、 これその文なり。 かの除くところは如来の告命、 阿難の対曰ならびに所見等なり。 いまの所引の下はまさしき所説なり。
於テ↢当段ノ中所引ノ之上ニ↡所ノ↠除ク之文余ル↢二十行ニ↡。「仏告阿難汝起」*以下、是其ノ文也。彼ノ所↠除者如来ノ告命、阿難ノ対曰並ニ所見等ナリ。今ノ所引ノ下ハ正キ所説也。
▲「其胎」 とらは、
「其胎ト」等者、
問ふ。 胎生・辺地同異いかん。
問。胎生・辺地同異如何。
答ふ。 これ同処なり。 鸞師所造の ¬略論¼ に釈していはく、 「▲安楽国土にこれを辺地といひ、 また胎生といふ。 辺地とは、 いふこころはその五百歳の中に三宝を見聞せず、 義辺地の難に同じ。 乃至 ▲辺はその難をいひ、 胎はその闇をいふ。」 以上
答。是同処也。鸞師所造ノ¬略論ニ¼釈シテ曰ク、「安楽国土ニ謂ヒ↢之ヲ辺地ト↡、亦曰フ↢胎生ト↡。辺地ト者、言心ハ其ノ五百歳ノ中ニ不↣見↢聞セ三宝ヲ↡、義同ジ↢辺地ノ之難ニ↡。 乃至 辺ハ言ヒ↢其ノ難ヲ↡、胎ハ言フ↢其ノ闇ヲ↡。」 已上
「▲或百由旬或五百由旬」 とは、 △上の所引興師の釈に見えたり。
「或百由旬或五百由旬ト」者、見タリ↢上ノ所引ノ興師ノ釈ニ↡也。
▲「爾時慈氏菩薩」 以下は、 つぶさに胎・化二生の因果を説く。
「爾時慈氏菩薩」以下ハ、具ニ説ク↢胎化二生ノ因果ヲ↡。
▲「不了」 とらは、 ¬略論¼ にくはしく釈す、 よろしくかの解を見るべし。 鸞師の意は仏智を総となし、 次の四を別となす。 法位師の意は不思議等の四智を次いでのごとく大円鏡智等の四智に配す。 元暁師の意は逆次に配当す。 また憬興師は ¬仏地経¼ 所説の五法をもつて立てて五智となす。 いはゆる清浄法界をもつて初めの仏智となし、 大円鏡等を次いでのごとくかの不思議等の四智に配するなり。 また玄一師は仏智は前のごとし、 後の四智をもつて逆に成事等の四に対するなり。
「不了ト」等者、¬略論ニ¼委ク釈ス、宜クシ↠見ル↢彼ノ解ヲ↡。鸞師ノ之意ハ仏智ヲ為シ↠総ト、次ノ四ヲ為ス↠別ト。法位師ノ意ハ不思議等ノ四智ヲ如ク↠次ノ配ス↢大円鏡*智等之四智ニ↡。元暁師ノ意ハ逆次ニ配当ス。又憬興師ハ以テ↢¬仏地経¼所説ノ五法ヲ↡立テヽ為ス↢五智ト↡。所謂清浄法界ヲ以テ為シ↢初ノ之仏智ト↡、大円鏡等ヲ如ク↠次ノ配スル↢彼ノ不思議等ノ之四智ニ↡也。又玄一師ハ仏智ハ如シ↠前ノ、以テ↢後ノ四智ヲ↡逆ニ対スル↢成事等ノ之四ニ↡也。
「▲乃至」 といふは、 この経文において略するに五処あり。 あるいは重説に似たればその前の文に譲り、 あるいは繁きを恐るるがゆゑに至要にあらざるを除く。
言↢「乃至ト」↡者、於テ↢此ノ経文ニ↡略スルニ有リ↢五処↡。或ハ似タレバ↢重説ニ↡譲リ↢其ノ前ノ文ニ↡、*或ハ恐ルヽガ↠繁ヲ故ニ除ク↠非ルヲ↢至要ニ↡。
▲「仏告弥勒譬如」 とらは、 胎生の楽ふべからざる義を示さんがために、 まづ譬喩を説く。
「仏告弥勒譬如ト」等者、為ニ↠示サンガ↢胎生ノ不ル↠可ラ↠楽フ義ヲ↡、先ヅ説ク↢譬喩1256ヲ↡。
▲「此諸」 とらは、 これ合譬なり。 「▲生彼胎」 とは、 本 (大経巻下) には 「▲宮殿」 といひ、 いまは 「胎宮」 といふ。 経の異本か。 「定善義」 の中に判じて 「▲宮胎」 といふ。 胎生といふは宮殿なるがゆゑにこれらの名あり。
「此*諸ト」等者、是合譬也。「生彼胎ト」者、本ニハ云ヒ↢「宮殿ト」↡、今ハ云フ↢「胎宮ト」↡。経ノ異本歟。「定善義ノ」中ニ判ジテ云フ↢「*宮胎ト」↡。言↢胎生ト↡*者宮殿ナルガ故ニ有リ↢此等ノ名↡。
問ふ。 「生疑惑」 の機、 宮中にしてかならず五百歳を満ずや。
問。「生疑惑ノ」機、宮中ニシテ必ズ満ズ↢五百歳ヲ↡耶。
答ふ。 経文のごときは処々にみな五百歳を経と説く。 まづ満ずといふべし。 ただし嘉祥 (大経義疏) のいはく、 「かならずしも一種ならず、 もしよく悔ゆればすなはち出づ、 悔ゐざればかならず五百歳を満ずることを明かす。」 以上
答。如↢経文ノ↡者処々ニ皆説ク↠経ト↢五百歳ヲ↡。先ヅ可シ↠云フ↠満ズト。但シ嘉祥ノ云ク、「明ス↧不↢必シモ一種ナラ↡、若シ能ク悔レバ*則出ヅ、不レバ↠悔必ズ満ズルコトヲ↦五百歳ヲ↥。」 已上
「▲失大利」 とは、 三宝を見ざる、 これを名づけて失となす。
「失大利ト」者、不ル↠見↢三宝ヲ↡、名テ↠之ヲ為ス↠失ト。
【13】▲次に ¬如来会¼ の文、 言おほきに同じ。
次ニ¬如来会ノ¼文、言大ニ同ジ。
▲「汝観殊勝智者」 とらは信智の人を指す。 ¬大経¼ (巻下) には説きて 「▲かの化生の者は智慧勝れたるがゆゑに」 といふ。 以上 ゆゑに 「殊勝智者」 といふらくのみ。 「▲於導華」 とは、 「導」 異本か、 「蓮」 の字を正となす。
「汝観殊勝智者ト」等者指ス↢信智ノ人ヲ↡。¬大経ニハ¼説テ言フ↢「彼ノ化生ノ者ハ智恵勝タルガ故ニト」↡。 已上 故ニ云ラク↢「殊勝智者ト」↡而*已。「於導華ト」者、「導」異本歟、「蓮ノ」字ヲ為ス↠正ト。
「▲下劣の輩」 とは疑智の人を指す。 ¬大経¼ (巻下) には説きて 「▲智慧あることなし疑惑の致すところなり」 といふ。 以上 これその人なり。
「下劣ノ輩ト」者指ス↢疑智ノ人ヲ↡。¬大経ニハ¼説テ言フ↧「無シ↠有コト↢智恵↡疑惑ノ所ナリト↞致ス。」 已上 是其ノ人也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・ 菩薩往生文
【14】▲次に ¬大経¼ の文。 これ菩薩かの仏智に乗じて往生することを説く文なるがゆゑに、 次下にこれを引く。 かれ此土・他方の菩薩の往生を明かす。 その中にいま此土の中に最下浅位の往生を説く文なり。
次ニ¬大経ノ¼文。是説ク↧菩薩乗ジテ↢彼ノ仏智ニ↡往生スルコトヲ↥文ナルガ故ニ、次下ニ引ク↠之ヲ。彼明ス↢此土他方ノ菩薩ノ往生ヲ↡。其ノ中ニ今説ク↢此土ノ之中ニ最下浅位ノ往生ヲ↡文也。
「▲諸小行」 とは、 これ十信外凡の位を指す。 上の説に (大経巻下) 「▲不退」 といふに対するゆゑなり。 その不退とはこれすなはち三賢不退の位なり。
「諸小行ト」者、是指ス↢十信外凡ノ之位ヲ↡。対スル↣上ノ説ニ云ニ↢「不退ト」↡故也。其ノ不退ト者是則三賢不退ノ位也。
問ふ。 なんぞ上位の不退の菩薩の往生を除くや。
問。何ゾ除ク↢上位ノ不退ノ菩薩ノ之往生ヲ↡哉。
答ふ。 かの文▲第三巻の未にあり、 ゆゑにこれを略するか。
答。彼ノ文在リ↢于第三巻ノ未ニ↡、故ニ略スル↠之ヲ歟。
【15】▲次の所引の文、 「又」 とは▲例のごとし。
次1257ノ所引ノ文、「又ト」者如シ↠例ノ。
問ふ。 いまの二文信仏智の往生の菩薩を説く。 これ化生なり。 当巻に化生・化土の往生を説く中において、 なんぞこれを引くや。
問。今ノ之二文説ク↢信仏智ノ往生ノ菩薩ヲ↡。是化生也。於テ↧当巻ニ説ク↢化生・化土ノ往生ヲ↡之中ニ↥、何ゾ引↠之ヲ耶。
答ふ。 経文の所説、 信疑・化胎たがひに相対してその勝劣を顕す、 このゆゑにこれを引く。
答。経文ノ所説、信疑・化胎更互ニ相対シテ顕ス↢其ノ勝劣ヲ↡、是ノ故ニ引ク↠之ヲ。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・「定善義」文
【16】▲次に宗師の釈。 これ地観の中に 「▲必生彼国心得無疑」 (観経) の文を解する釈なり。
次ニ宗師ノ釈。是地観ノ中ニ解スル↢「必生彼国心得無疑ノ」之文ヲ↡釈也。
▲「含華」 とらは、 これ疑心往生の相を明かす。 けだし疑ありといへどもなほ往生を得、 仏の大悲のゆゑに。 往生を得といへども、 これはこれ化土なり、 本願にあらざるがゆゑに。 辺界・宮胎、 名異処同なり。
「含華ト」等者、是明ス↢疑心往生ノ之相ヲ↡。蓋シ雖↠有ト↠疑猶得↢往生ヲ↡、仏ノ大悲ノ故ニ。雖↠得ト↢往生ヲ↡、此ハ是
化土ナリ、非ガ↢本願ニ↡故ニ。辺界・宮胎、名異処同ナリ。
「▲辺界」 といふは、 これ化土にしてその報土にあらざることを顕す。
言↢「辺界ト」↡者、是顕ス↣化土ニシテ非コトヲ↢其ノ報土ニ↡。
「▲宮胎」 といふは、 これ宮に処し胎に処する失を顕す、 ただこれ言を綺へて得失を示すなり。 その得といふはこれ往生を得、 その失といふは報土にあらざらくのみ。
言↢「宮胎ト」↡者、是顕ス↢処シ↠宮ニ処スル↠胎ニ之失ヲ↡。只是綺テ↠言ヲ示ス↢得失ヲ↡也。言↢其ノ得ト↡者是得↢往生ヲ↡、言↢其ノ失ト↡者非ザラク↢報土ニ↡耳。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『述文賛』文
【17】▲次に憬興の釈、 これまた意同じ。
次ニ憬興ノ釈、是又意同ジ。
仏智を疑ふはこれ罪咎なりといへども、 浄土に生ずるは仏の悲心なり。 しかも生ずることを得といへどもその辺地にありて聖化を被らず。 これ疑惑の失なり。 信疑別なるがゆゑに報化また異なり、 胎生の失重く捨つべきなり。
疑↢仏智ヲ↡者雖↢是罪咎ナリト↡、生ズル↢浄土ニ↡者仏ノ悲心也。而モ雖↠得ト↠生ズルコトヲ在テ↢其ノ辺地ニ↡不↠被↢聖化ヲ↡。是疑惑ノ失ナリ。信疑別ナルガ故ニ報化又異ナリ、胎生ノ之失可キ↢重ク捨ツ↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・『要集』文
【18】▲次に ¬要集¼ の文、 懈慢界を明かす下巻の釈なり。
次ニ¬要集ノ¼文、明ス↢懈慢界ヲ↡下巻ノ釈也。
「▲処胎経」 とは、 一部五巻、 あるいは四巻となしあるいは八巻となす、 竺仏念の訳。
「処胎経ト」者、一部五巻、或ハ為シ↢四巻ト↡或ハ為ス↢八巻ト↡、竺ノ仏念ノ訳。
「▲乃至」 といふは、 ▲「国土快楽作倡」 以下二行余なり、 かれは土の相を明かす。 あながちに要にあらざるがゆゑに、 いまその文を略す。
言↢「乃至ト」↡者、「国土快楽作倡」以下二行余也、彼ハ明ス↢土ノ相ヲ↡。強非ガ↠要ニ故ニ、今略ス↢其ノ文ヲ↡。
「▲感師の釈」 とは、 かの ¬群疑論¼ 七巻の内、 いまの所引の釈かの第四にあり。
「感師ノ釈ト」者、彼¬群疑論¼七巻之内、今ノ所引1258ノ釈在リ↢彼ノ第四ニ↡。
導師の釈を指して 「▲前の文」 といふは、 ¬集¼ (要集巻下意) の次上にいはく、 「▲導和尚のいはく、 もしよく上のごとく念々相続して、 畢命を期とする者は、 十はすなはち十ながら生じ、 百はすなはち百ながら生ず。 もし専を捨てて雑業を修せんと欲する者は、 百の時に希に一二を得、 千の時に希に五三を得。」 以上
指シテ↢導師ノ釈ヲ↡言↢「前ノ文ト」↡者、¬集ノ¼次上ニ云、「導和尚ノ云、若シ能ク如ク↠上ノ念々相続シテ、畢命ヲ為ル↠期ト者ハ、十ハ*則十ナガラ生ジ、百ハ*則百ナガラ生ズ。若シ欲スル↣捨テヽ↠専ヲ修セント↢雑業ヲ↡者ハ、百ノ時ニ希ニ得↢一二ヲ↡、千ノ時ニ希ニ得↢五三ヲ↡。」 已上
いまこの釈は ▲¬往生礼讃¼ 前序の文なり。 ¬論¼ の所引は取意の文なるがゆゑに、 その言いささか異なり。 かの釈文 (群疑論巻四) にいはく、 「善導禅師もろもろの四衆を勧めて、 もつぱら西方浄土の業を修せん者、 四修墜することなく三業雑することなく、 余の一切の諸願諸行を廃して西方の一行を唯願唯行せば、 雑修の者は万に一も生ぜず、 専修の人は千に一りも失することなし。」 以上
今此ノ釈者¬往生礼讃¼前序ノ文也。¬論ノ¼所引者取意ノ文ナルガ故ニ、其ノ言聊異ナリ。彼ノ釈文ニ云、「善導禅師勧テ↢諸ノ四衆ヲ↡、専ラ修セン↢西方浄土ノ業ヲ↡者、四修靡ク↠墜コト三業無ク↠雑スルコト、*廃シテ↢余ノ一切ノ諸願*諸行ヲ↡唯↢願唯↣行セバ西方ノ一行ヲ↡、雑修ノ之者ハ万ニ不↢一モ生ゼ↡、専修ノ之人ハ千ニ無シ↢一リモ失スルコト↡。」 已上
「▲みづから助成す」 とは、 すなはち 「この経の下の文」 といふ以下、 これその釈なり。
「自助成スト」者、*則云↢「此経ノ下ノ文ト」↡以下、是其ノ釈也。
「生極楽」 の下 「又報浄」 の上に 「▲乃至」 といふは、 ¬集¼ にこの言を置きて略するところの文七行余なり。 かの解釈 (群疑論・四) にいはく、 「妙に ¬随願往生経¼ の旨に符へり。 経にいはく、 娑婆世界の人貪濁多くして、 信正の者は少なく習邪の者は多し。 正法を信ぜずして専一なることあたはず、 心乱れて志なし。 実に十方の浄土差別なけれども、 もろもろの衆生をして心をもつぱらにしてあることあらしむ。 このゆゑにかの国土を讃嘆すらくのみ。 もろもろの往生の者、 ことごとくかの願に随ひて果を獲ざることなしといへり。 ゆゑに知んぬ、 その行を雑すれば懈慢の邦に堕し、 その業を専すれば安楽国に生ず。 これすなはちさらに浄門は専行にして往生を得ることを顕す。 あにこれかの国の往きがたくして生ずることなきに勖めしめんや。 学徒その道をもつぱらにせずはあるべからず。」 以上
「生極楽ノ」下「又報浄ノ」上ニ言↢「乃至ト」↡者、¬集ニ¼置テ↢此ノ言ヲ↡所ノ↠略スル之文七行余也。彼ノ解釈ニ云、「妙ニ符ヘリ↢¬随願往生経ノ¼旨ニ↡。経ニ言ク、娑婆世界ノ人多シテ↢貪濁↡、信正ノ者ハ少ク習邪ノ者ハ多シ。不シテ↠信ゼ↢正法ヲ↡不↠能↢専一ナルコト↡、*心乱テ無シ↠志。実ニ十方ノ浄土無カレドモ↢差別↡、令↢諸ノ衆生ヲシテ専シテ↠心ヲ有ラ↟在コト。是ノ故ニ讃↢嘆スラク彼ノ国土ヲ↡耳。諸ノ往生ノ者、悉ク随テ↢彼ノ願ニ↡無シトイヘリ↠不コト↠獲↠果ヲ。故ニ知ヌ雑スレバ↢其ノ行ヲ↡堕シ↢於懈慢ノ之邦ヽ↡、専スレバ↢其ノ業ヲ↡生ズ↢於安楽国ニ↡。斯乃チ更ニ顕ス↣浄門ハ専行ニシテ而得コトヲ↢往生ヲ↡。豈是彼ノ国ノ難シテ↠往而無ニ↠生ズルコト勖メシメン哉。学徒不↠可↠不ハアル↠専ニセ↢其ノ道ヲ↡也。」 已上
二 Ⅱ ⅵ c ロ ○ 私釈
【19】▲次に 「爾者」 の下はわたくしの御釈なり。
次1259ニ「爾者ノ」下ハ私ノ御釈也。
この自解の意は、 もつぱら定散諸善の業仏願にあらざるがゆゑに報土に生ぜず、 しかも諸善を説くことはこれ念仏三昧の方便たることを明かす。
此ノ自解ノ意ハ、専ラ明ス↧定散諸善ノ之業非ルガ↢仏願ニ↡故ニ不↠生ゼ↢報土ニ↡、而モ説コトハ↢諸善ヲ↡是為コトヲ↦念仏三昧ノ方便↥。
「▲念仏証拠門の中の第十八の願」 とは、 ¬要集¼ に明かすところの十門の中の第八の門、 下巻にこれを明かす。 かの門の内において十文を出だす中に、 第三に挙ぐるところの十八の願なり。
「念仏証拠門ノ中ノ第十八ノ願ト」者、¬要集ニ¼所ノ↠明ス十門ノ之中ノ第八ノ之門、下巻ニ明ス↠之ヲ。於テ↢彼ノ門ノ内ニ↡出ス↢十文ヲ↡中ニ、第三ニ所ノ↠挙ル十八ノ願也。
▲「顕開」 とらは、
「顕開ト」等者、
問ふ。 いまのつぶさなる文 (要集巻下) にいはく、 「▲四十八願の中に念仏の門において別して一願を発していはく、 乃至十念せんに、 もし生ぜずは、 正覚を取らじ。」 以上 彼此の二文にただ 「別願」 といふ、 二重の別なんの拠かあるや。
問。今ノ具ナル文ニ云、「四十八願ノ中ニ於テ↢念仏ノ門ニ↡別シテ発シテ↢一願ヲ↡云、乃至十念センニ、若シ不↠生ゼ者、不↠取↢正覚↡。」 已上 彼此ノ二文ニ唯云フ↢「別願ト」↡、二重ノ之別有↢何ノ拠カ↡乎。
答ふ。 念仏の門とは、 諸善の中にその別門たり。 しかるに念仏においてその言観念ならびに諸仏の名に亘るべし。 いま選択本願の称名これをもつて別とすることを顕す、 ゆゑに二重あり。 ¬選択集¼ の釈、 その意また同じ。 いはく当願をもつて▲願王とするこれなり、 例せば ¬観経¼ (玄義分) にはただ 「頓教」 といふに、 黒谷の ¬観経の講釈¼ (大経釈) の中に 「▲頓中頓」 といふがごとしなり。
答。念仏ノ門ト者、諸善ノ之中ニ為リ↢其ノ別門↡。而ニ於テ↢念仏ニ↡其ノ言可シ↠亘ル↢観念並ニ諸仏ノ名ニ↡。今顕ス↢選択本願ノ称名以テ↠之ヲ為コトヲ↟別ト、故ニ有リ↢二重↡。¬選択集ノ¼釈、其ノ意又同ジ。謂ク以テ↢当願ヲ↡為ル↢願王ト↡是ナリ。例セバ如シ↧¬観経ニハ¼唯言ニ↢「頓教ト」↡、黒谷ノ¬観経ノ講釈ノ¼中ニ云ガ↦「頓中頓ト」↥也。
▲「観経定散諸機」 とらは、 同じき証拠門の第四の文なり。
「観経定散諸機ト」等者、同キ証拠門ノ第四ノ文也。
▲次に問答の中に問の意見つべし。
次ニ問答ノ中ニ問ノ意可シ↠見ツ。
その答の中に、 「▲釈家」 といふは導大師なり。 いま ¬観経¼ に就きて自解を述べらる。
其ノ答ノ之中ニ、言↢「釈家ト」↡者導大師也。今就テ↢¬観経ニ¼↡被ル↠述↢自解ヲ↡。
▲「顕彰」 とらは、
「顕彰ト」等者、
問ふ。 顕と彰とにおいてなんの別あるや。
問。於テ↢顕ト与 トニ↟彰有↢何ノ別↡乎。
答ふ。 いまの釈の意、 顕は方便を帯し、 彰は実義を標す。 随ひて字訓を勘ふるに、 「顕」 ¬広韻¼ にいはく、 「呼典の切、 明著。」 ¬玉篇¼ にいはく、 「虚典の切、 明なり。」 「彰」 ¬広韻¼ にいはく、 「渚良の切、 明なり。」 ¬玉篇¼ にいはく、 「諸楊の切、 明なり。」 彼此の字訓異なきに似たりといへども、 ¬宋韻¼ のごときは 「明」 の上に 「著」 といふ、 明々の義か。 ただ明といふに軼ぎたり。 このゆゑに顕をば分明顕示の義に属し、 彰の字をばいささか隠示の義に属するか。 分別の釈由なきにあらざらくのみ。
答。今ノ釈ノ之意、顕ハ帯シ↢方便ヲ↡彰ハ標ス↢実義ヲ↡。随テ勘ニ↢字訓ヲ↡、「顕」¬広韻ニ¼云ク、「呼典ノ切、明著。」¬玉篇ニ¼云、「虚典切、明也。」「彰」¬広韻ニ¼云、「渚良切、明也。」¬玉篇ニ¼云、「諸楊ノ切、明也。」彼此ノ字訓雖↠似タリト↠无ニ↠異、如↢¬宋韻ノ¼↡者「明ノ」上1260ニ云フ↠「著ト」、明々ノ義歟。軼タリ↢唯云ニ↟明ト。是ノ故ニ顕ヲバ属シ↢分明顕示ノ之義ニ↡、彰ノ字ヲバ聊属スル↢隠示ノ義ニ↡歟。分別ノ之釈非ラク↠無キニ↠由耳。
▲「縁達多闍世」 とらいふは▲第一巻のごとし。
言↢「縁達多闍世ト」等↡者如シ↢第一巻ノ↡。
「▲彰釈迦微笑素懐」 とは、 ¬経¼ (観経) にいはく、 「▲その時に世尊、 すなはち微笑したまふ。」 以上 「序分義」 にいはく、 「▲これ如来夫人を見たまふに極楽に生ぜんと願じ、 さらに得生の行を請するをもつて、 仏の本心に称ひ、 また弥陀の願意を顕すことを明かす。 この↓二請によりて広く浄土の門を開く。 ただちに韋提の去くことを得るのみにあらず、 有識これを聞きてみな往く、 この益あるがゆゑにそのゆゑに、 如来微笑したまふなり。」 以上
「彰釈迦微笑素懐ト」者、¬経ニ¼云ク、「爾ノ時ニ世尊、*則便微笑シタマフ。」 已上 「序分義ニ」云ク、「此明ス↪如来以テ↧見タマフニ↢夫人ヲ↡願ジ↠生ゼント↢極楽ニ↡、更ニ請スルヲ↦得生ノ之行ヲ↥、称ヒ↢仏ノ本心ニ↡、又顕スコトヲ↩弥陀ノ願*意ヲ↨。因テ↢斯ノ二請ニ↡広ク開ク↢浄土ノ之門ヲ↡。非ズ↢直チニ韋提ノ得ノミニ↟*去コトヲ、有識聞テ↠之ヲ皆往ク、有ルガ↢斯ノ益↡故ニ、所以如来微笑シタマフ也。」 已上
問ふ。 ↑二請といふは、 上の欣浄縁の▲別去行思惟・正受の二請これなり。 その二請とは、 これ定善にあり。 その定善とは仏の本願にあらず、 なんぞ仏心に称ひて微笑の由たる。
問。言↢二請↡者、上ノ欣浄縁ノ之別去行思惟・正受ノ二請是也。其ノ二請ト者、是在リ↢定善ニ↡。其ノ定善ト者非ズ↢仏ノ本願ニ↡、何ゾ称テ↢仏心ニ↡為ル↢微笑ノ由↡。
答ふ。 ¬観経¼ の所説は定・散・弘願の三門なり。 しかるに定散を説くことは弘願を顕さんがためなり。 ¬選択集¼ にいはく、 「▲また定散を説くことは、 念仏の余善に超過せることを顕さんがためなり。 もし定散なくは、 なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さん。 例せば ¬法華¼ の三説の上に秀でたるがごとし。 もし三説なくは、 なんぞ ¬法華¼ の第一なることを顕さん。 ゆゑにいま定散は廃のためにして説き、 念仏は立のためにして説く。」 以上
答。¬観経ノ¼所説ハ定・散・弘願ノ之三*門也。而ニ説コトハ↢定散ヲ↡為ナリ↠顕サンガ↢弘願ヲ↡。¬選択集ニ¼云、「又説コトハ↢定散ヲ↡、為ナリ↠顕サンガ↣念仏ノ超↢過セルコトヲ余善ニ↡。若シ無クハ↢定散↡、何ゾ顕サン↢念仏ノ特ニ秀タルコトヲ↡。例セバ如シ↣¬法花ノ¼秀タルガ↢三説ノ上ニ↡。若シ無クハ↢三説↡、何ゾ顕サン↢¬法花ノ¼第一ナルコトヲ↡。故ニ今定散ハ為ニシテ↠*廃ノ而説キ、念仏ハ為ニシテ↠立ノ而説ク。」 已上
ゆゑに定善を請ずるは随他の教を顕す。 その定善の外に、 仏散善を開して散動の機に応ず。 その散機の中になほ廃悪修善に堪へざるあり、 仏その機のために念仏の行を説く。 この義によるがゆゑに初めに微笑したまふところ定機に約すといへども、 仏の本懐つひに念仏にあり。 いまこの解釈この義を顕す。
故ニ請ズルハ↢定善ヲ↡顕ス↢随他ノ教ヲ↡。其ノ定善ノ外ニ、仏開シテ↢散善ヲ↡応ズ↢散動ノ機ニ↡。其ノ散機ノ中ニ猶有リ↠不↠堪↢*廃悪修善ニ↡、仏為ニ↢其ノ機ノ↡説ク↢念仏ノ行ヲ↡。依ガ↢是ノ義ニ↡故ニ初ニ所↢微笑シタマフ↡雖↠約スト↢定機ニ↡、仏ノ之本懐遂ニ在リ↢念仏ニ↡。今此ノ解釈顕↢此ノ義ヲ↡也。
▲「因韋提」 とは、 別所求の意、 経文および 「序分義」 の釈▲第一巻の鈔の中に出だすところのごとし。 かの文を見るべし。
「因韋提ト」者、別所求ノ意、経文及以「序分義ノ」釈1261如シ↢第一巻ノ鈔ノ中ニ所ノ↟出ス。可シ↠見ル↢彼ノ文ヲ↡。
▲「教我」 とらは、
「教我ト」等者、
問ふ。 いまこの文は欣浄縁の下の▲通所求なり。 いまだ西方に関からず、 なんぞ 「本願成就の土」 といふや。
問。今此ノ文者欣浄縁ノ下ノ通所求也。未 ズ ダ↠関ラ↢西方ニ↡、何ゾ云↢「本願成就ノ土ト」↡耶。
答ふ。 もとよりいふところこの一段は、 今師聖人己心の領解、 隠彰の意なり。 通別の所求、 十方・西方転入の教義は、 さらに濫すべきにあらず。 ゆゑにいまの指すところ十方に亘るといへども、 つひにその剋するところ志西方にあり。 ゆゑに本意に従へてこれを釈するに過なし。 しばらく心を常途所談の教門の外に遊ばしめ、 深意徹到の趣を信ずべきなり。
答。元自所↠言此ノ一段者、今師聖人己心ノ領解、隠彰ノ意也。通別ノ所求、十方・西方転入ノ教義ハ、更ニ非ズ↠可ニ↠濫ス。故ニ今ノ所↠指ス雖↠亘ト↢十方ニ↡、遂ニ其ノ所↠剋スル志在リ↢西方ニ↡。故ニ従ヘテ↢本意ニ↡釈スルニ↠之無シ↠過。暫ク遊シメ↢心ヲ於常途所談ノ教門ノ之外ニ↡、可↠信ズ↢深意徹到ノ趣ヲ↡也。
▲「教我思惟」 とらは、
「教我思惟ト」等者、
問ふ。 ▲大師の釈を窺ふに、 「思惟」 はすなはちこれ観の前方便、 「正受」 はすなはちこれ観成の位に約す。 しかるにいまの料簡、 思惟を釈するにおいて方便といふといへども定前といはず。 その意つまびらかならず。 また正受を解するになんぞ 「金剛の真心なり」 といふや。
問。窺フニ↢大師ノ釈ヲ↡、「思惟ハ」*則是観ノ前方便、「正受ハ」*則是約ス↢観成ノ位ニ↡。而ニ今ノ料簡、於テ↠釈スルニ↢思惟ヲ↡雖↠云ト↢方便ト↡不↠云↢定前ト↡。其ノ意不↠詳ナラ。又解スルニ↢正受ヲ↡何ゾ云↢「金剛ノ真心也ト」↡耶。
答ふ。 この義すなはちまた隠彰の意なり。 まづ思惟を釈するに観前といはず深浅を分たず、 ただ定善方便たる義を顕す。 如来方便答請随他之教なるがゆゑなり。 次に正受をもつて真心に配する意は、 定・散・弘願次第に転入するは ¬観経¼ の密意なり。 これすなはち散動の根機、 定善不堪の時かの散善を行ずるに、 その散善において廃悪修善成じがたき時、 つひに念仏に帰してまさしく往生見仏の益を得。 ゆゑに落居に就きてかくのごとくこれを釈す。
答。此ノ義*乃又隠彰ノ意也。先釈スルニ↢思惟ヲ↡不↠*言↢観前ト↡不↠分↢深浅ヲ↡、只顕ス↧定善為ル↢方便↡義ヲ↥。如来方便答請随他之教ナルガ故也。次ニ以テ↢正受ヲ↡配スル↢真心ニ↡意ハ、定・散・弘願次第ニ転入スルハ¬観経ノ¼密意ナリ。此乃チ散動ノ根機、定善不堪ノ之時行ズルニ↢彼ノ散善ヲ↡、於テ↢其ノ散善ニ↡*廃悪修善難キ↠成ジ之時、終ニ帰シテ↢念仏ニ↡正ク得↢往生見仏ノ之益ヲ↡。故ニ就テ↢落居ニ↡如ク↠此ノ釈ス↠之ヲ。
▲「諦観彼国浄業」 とらは、
「諦観彼国浄業ト」等者、
問ふ。 「序分義」 の釈にこの文を解していはく、 「▲まさしく凡惑障り深くして心多く散動す、 もし頓に攀縁を捨てずは、 ↓浄境現ずることを得るに由なきことを明かす。 これすなはちまさしく安心住行を教ふ。 もしこの法によらば名づけて浄業成ずとなす。」 以上 この釈のごとくならば、 教ふるところの心行のごとく観修するを浄業成と名づく、 これ能観に約す。 しかるにいま相違に二あり。 なんとなれば、 一にはまづ所観に約す、 二にはたとひ所観たりとも彼国といふがゆゑに依報たるべし、 なんぞ正報に約する。
問。「序分義ノ」釈ニ解シテ↢此ノ文ヲ↡云ク、「正ク明ス↧凡惑障リ深シテ心多ク散動ス、若シ不ハ↣頓ニ捨↢攀縁ヲ↡、浄境无コトヲ↞由↠得ルニ↠現ズルコトヲ。此*則正ク教フ↢安心住行ヲ↡。若シ依ヲバ↢此ノ法ニ↡名1262テ為ス↢浄業成ズト↡也。」 已上 如クナラ↢此ノ釈ノ↡者、如ク↢所ノ↠教フル之心行ノ↡観修スルヲ名ク↢浄業成ト↡、是約ス↢能観ニ↡。而ニ今相違ニ有リ↠二。何トナレバ者、一ニハ先ヅ約ス↢所観ニ↡、二ニハ縦ヒ為リトモ↢所観↡*云ガ↢彼国ト↡故ニ可シ↠為↢依報↡、何ゾ約スル↢正報ニ↡。
答ふ。 疑難一往その理あるに似たり。 ただし 「序分」 の釈はしばらく観門に就きて業成を論ずるがゆゑに、 この方法によりて説のごとく修観するを浄業成と名づく、 ゆゑに能観に約すること道理よろしくしかるべし。 ただし能観あればさだめて所観あり。 いま所観に就きて設くるところの料簡、 その義違せず。 随ひてかの釈すでに (序分義) 「↑浄境現ずることを得るに由なし」 といふ、 ゆゑに観成じて境現ずるをもつて詮となす。 しかるにその観法実に成じがたきがゆゑに、 つひに弘願に乗じて見仏往生すること実益なるべきがゆゑに、 その義辺をもつてこの自解あり。 このゆゑにその所観に約するに咎なし。
答。疑難一往似タリ↠有ニ↢其ノ理↡。但シ「序分ノ」釈ハ且ク就テ↢観門ニ↡論ズルガ↢業成ヲ↡故ニ、依テ↢此ノ方法ニ↡如ク↠説ク修観スルヲ名ク↢浄業成ト↡、故ニ約スルコト↢能観ニ↡道理宜クシ↠然ル。但シ有レバ↢能観↡定テ有リ↢所観↡。今就テ↢所観ニ↡所ノ↠設ル料簡、其ノ義不↠違セ。随而彼ノ釈既ニ云フ↢「浄境無ト↟由↠得ニ↠現ズルコトヲ」、故ニ以テ↢観成ジテ境現ズルヲ↡為ス↠詮ト。而ニ其ノ観法実ニ難キガ↠成ジ故ニ、遂ニ乗ジテ↢弘願ニ↡見仏往生スルコト可ガ↢実益ナル↡故ニ、以テ↢其ノ義辺ヲ↡有リ↢此ノ自解↡。是ノ故ニ約スルニ↢其ノ所観ニ↡無シ↠咎。
次に所観の中に主伴あるべし、 ゆゑにまず主に約す。 すなはちいまの釈の中にすでに浄境といふ。 浄境の中に広く二報を含す。 このゆゑに諸師多くこの義を存ず。
次ニ所観ノ中ニ可シ↠有↢主伴↡、故ニ先ヅ約ス↠主ニ。*則今ノ釈ノ中ニ既ニ云フ↢浄境ト↡。浄境ノ之中ニ広ク含ス↢二報ヲ↡。是ノ故ニ諸師多ク存ズ↢此ノ義ヲ↡。
いはく浄影 (観経義疏巻本) のいはく、 「汝観彼国は勧めて依果を観ぜしむ、 浄業成とは勧めて正報を観ぜしむ。 諸仏・菩薩および三品の往生人等とを浄業者と名づく。」 以上
謂ク浄影ノ云ク、「汝観彼国ハ勧テ観ゼシム↢依果ヲ↡、浄業成ト者勧テ観ゼシム↢正報ヲ↡。諸仏・菩薩及ビ与ヲ↢三品ノ往生人等↡名ク↢浄業者ト↡。」 已上
また龍興のいはく、 「諦観彼国浄業成とは、 その次第のごとく二清浄を観ず。 いはく器世間清浄と衆生世間清浄となり。」 以上
又龍興ノ云ク、「諦観彼国浄業成ト者、如ク↢其ノ次第ノ↡観ズ↢二清浄ヲ↡。謂ク器世間清浄ト衆生世間清浄トナリ。」 已上
また元照 (観経義疏巻中) のいはく、 「浄業成とは総じてかの土の依正二報に目づく。」 以上
又元照ノ云、「浄業成ト者総ジテ目ク↢彼ノ土ノ依正二報ニ↡。」 已上
いまの述ぶるところ、 かたがた拠なきにあらず。 いふところの浄境は真実の報土、 その教主とはこれ尽十方無礙光仏なり、 ゆゑにしかいふなり。
今ノ之所↠述ル、旁非ズ↠無ニ↠拠。所ノ↠言浄境ハ真実ノ報土、其ノ教主ト者是尽十方无光仏ナリ、故ニ云↠爾也。
▲「言広」 とらは、
「言広ト」等者、
問ふ。 いま定善をもつて名づけて 「衆譬」 となすことなんの証かあるや、 意またいかん。
問。今以テ↢定善ヲ↡名テ為コト↢「衆譬ト」↡有1263ル↢何ノ証カ↡乎、意又如何。
答ふ。 「序分義」 の中にこの事を釈せず。
答。「序分義ノ」中ニ不↠釈セ↢此ノ事ヲ↡。
ただし浄影 (観経義疏巻本) のいはく、 「この方の日・水等の相をもつてし、 ならびにこの方の仏・菩薩の像をもつてかの方に類度するを、 名づけて衆譬となす。」 以上
但シ浄影ノ云ク、「以シ↢此ノ方ノ日・水等ノ相ヲ↡、並ビ以テ↢此ノ方ノ仏・菩薩ノ像ヲ↡類↢度スルヲ彼ノ方ニ↡、名テ為ス↢衆譬ト↡。」 已上
また元照 (観経義疏巻中) のいはく、 「極楽の境界、 衆生いまだ識らず、 物をもつて比擬す。 ゆゑに衆譬といふ。」 以上
又元照ノ云ク、「極楽ノ境界衆生未 ズ ダ↠識、以テ↠物ヲ比擬ス。故ニ云フ↢衆譬ト↡。」 已上
この外の諸師おのおの釈を設くるといへども大概異なし、 ゆゑにことごとく挙げず。 その証かくのごとし、 義の意ほぼこれらの解釈に見えたり。
此ノ外ノ諸師各雖↠設ト↠釈ヲ大概無シ↠異、故ニ不↢悉ク挙ゲ↡。其ノ証如シ↠斯ノ、義ノ意粗見タリ↢此等ノ解釈ニ↡。
▲「汝是凡夫心想」 とらは、 「序分義」 にいはく、 「▲韋提は実にこれ菩薩仮に凡身を示す、 われらは罪人なり、 比及するに由なし。 この疑を断ぜんがためにゆゑに汝是凡夫といふなり。」 以上 ¬般舟讃¼ にいはく、 「▲韋提はすなはちこれ女人の相、 貪瞋具足の凡夫の位なり。」 以上 たとひ大権なりといふとも、 いま凡教発起の本意に約すれば、 凡夫といふをもつて浄教の致となす、 ゆゑにこの釈あり。
「汝是凡夫心想ト」等者、「序分義ニ」云ク、「韋提ハ実ニ是菩薩仮ニ示ス↢凡身ヲ↡、我等ハ罪人ナリ、無シ↠由↢比及スルニ↡。為ニ↠断ンガ↢此ノ疑ヲ↡故ニ言フ↢汝是凡夫ト↡也。」 已上 ¬般舟讃ニ¼云、「韋提ハ*則是女人ノ相、貪瞋具足ノ凡夫ノ位ナリ。」 已上 縦ヒ雖↢大権ナリト↡、今約スレバ↢凡教発起ノ本意ニ↡、以テ↠謂ヲ↢凡夫ト↡為ス↢浄教ノ致ト↡、故ニ有リ↢此ノ釈↡。
▲「諸仏如来有異」 とらは、
「諸仏如来有異ト」等者、
問ふ。 「玄義分」 にいはく、 「▲日想・水想・氷想乃至十三観このかたをことごとく異方便と名づく。」 以上 いまの釈のごときは異方便の言ひとへに定善にあり。 なんぞ定散を方便となすといふや。
問。「玄義分ニ」云ク、「日想・水想・氷*想乃至十三観已来ヲ尽ク名ク↢異方便ト↡。」 已上 如↢今ノ釈ノ↡者異方便ノ言偏ニ在リ↢定善ニ↡。何ゾ言↣定散ヲ為スト↢方便ト↡乎。
答ふ。 経文に説きて (観経) 「▲異方便」 といふは、 まさしく定善を指す、 ゆゑに十三と釈す。 このゆゑに釈して (玄義分) 「▲方便の由序」 といふ。 方便といふは十三定善なり、 由序といふは示観縁なり。 ただし大師異方便の言を釈するに定善に約すといへども、 再往これを論ぜば十六に通ずべし。 ゆゑに ¬般舟讃¼ にこの義を述べていはく、 「▲定散ともに回して宝国に入る、 すなはちこれ如来の異方便なり。」 以上
答。経文ニ説テ言↢「異方便ト」↡者、正ク指ス↢定善ヲ↡、故ニ釈ス↢十三ト↡。是ノ故ニ釈シテ云↢「方便ノ由序ト」↡。言↢方便ト↡者十三定善ナリ、言↢由序ト↡者示観縁也。但シ大師釈スルニ↢異方便ノ言ヲ↡雖↠約スト↢定善ニ↡、再往論ゼバ↠之ヲ可シ↠通ズ↢十六ニ↡。故ニ¬般舟讃ニ¼述テ↢此ノ義ヲ↡云ク、「定散倶ニ廻シテ入ル↢宝国ニ↡、*則是如来ノ異方便ナリ。」 已上
「玄義」 の釈は ¬経¼ の顕説に任せ、 ¬般舟讃¼ は仏の密意を探る。 今家かの ¬舟讃¼ の釈による。
「玄義ノ」釈者任セ↢¬経ノ¼顕説ニ↡、¬般舟讃ハ¼者探ル↢仏ノ密意ヲ↡。今家依ル↢彼ノ¬*舟讃ノ¼釈1264ニ↡也。
▲「以仏力故見彼」 とらは、 釈 (序分義) にいはく、 「▲これ夫人仏意を領解するに、 上の光台所見のごとき、 これすでによく向に見つと謂ひき、 世尊開示したまふに始めてこれ仏の方便の恩なりと知ることを明かす。」 以上 かれは釈迦に約しこれは弥陀を存ず、 かれは見土に被らしむこれは往生にあり。 準拠してこれを示すゆゑに意を顕すといふ。
「以仏力故見彼ト」等者、釈ニ云、「此明ス↧夫人領↢解スルニ仏意ヲ↡、如キ↢上ノ光台所見ノ↡、謂ヒキ↢是已ニ能ク向ニ見ツト↡、世尊開示シタマフニ始テ知コトヲ↦是仏ノ方便ノ之恩ナリト↥。」 已上 彼ハ約シ↢釈迦ニ↡此ハ存ズ↢弥陀ヲ↡、彼ハ被シム↢見土ニ↡此ハ在リ↢往生ニ↡。准拠シテ示ス↠之ヲ故ニ云フ↠顕ト↠意ヲ。
▲「若仏滅後諸衆」 とらは、 釈 (序分義) にいはく、 「▲まさしく夫人の悲心物のためにすること、 おのれが往生に同じく、 永く娑婆を逝りて、 長く安楽に遊ばしめんといふことを明かす。」 以上 また (序分義) いはく、 「▲これ夫人苦機を挙出して、 これらの罪業きわめて深し、 また仏を見ず、 加備を蒙らずは、 いかんしてかかの国を見るべきといふことを明かす。」 以上 如来の大悲はもと未来に被らしむ、 ゆゑに往生において正機たり。
「若仏滅後諸*衆ト」等者、釈ニ云ク、「正ク明ス↧夫人ノ悲心為ニスルコト↠物ヽ、同ク↢己ガ往生ニ↡、永ク逝テ↢娑婆ヲ↡、長ク遊シメント云コトヲ↦安楽ニ↥。」 已上 又云ク、「此明ス↧夫人挙↢出シテ苦機ヲ↡、此等ノ罪業極テ深シ、又不↠見↠仏ヲ、不ハ↠蒙↢加備ヲ↡、云何シテカ見ベキト云コトヲ↦於彼ノ国ヲ↥也。」 已上 如来ノ大悲ハ本被シム↢未来ニ↡、故ニ於テ↢往生ニ↡為リ↢正機↡也。
▲「若有合者名為」 とらは像観の意なり。
「若有合者名為ト」等者像観ノ意也。
問ふ。 当観の釈 (定善義) にいはく、 「▲令与修多羅合より下見極楽世界に至るこのかたは、 観の邪正の相を弁ず。」 以上 なんぞ 「定観難成」 の証とするや。
*問。当観ノ釈ニ云ク、「従↢令与修多羅合↡下至ル↢見極楽世界ニ↡已来ハ、弁ズ↢観ノ邪正ノ之相ヲ↡。」 已上 何ゾ為ル↢「定観*難成ノ」証ト↡耶。
答ふ。 邪正を弁ずるは、 意難成にあり。 修観の人いまだかならずしもことごとく修多羅に合すべからず、 もし合せずはすなはち妄想なり。 難成の義その意知るべし。
答。弁ズル↢邪正ヲ↡者、意在リ↢難成ニ↡。修観ノ之人未 ズ ダ↢必シモ悉ク応カラ↟合ス↢修多羅ニ↡、若シ不↠合セ者*則妄想也。難成ノ之義其ノ意可シ↠知。
▲「於現身中得念」 とらは、 これまた像観の結文なり。
「於現身中得念ト」等者、是又像観ノ之結文也。
問ふ。 いまいふところの 「念仏三昧」 は観称の中にいづれの法を指してや。
問。今所ノ↠言之「念仏三昧ハ」観称ノ之中ニ指シテ↢何ノ法ヲ↡乎。
答ふ。 念仏三昧はかねて観称に亘る。 観念三昧は真身観観成の位に約す、 称念三昧はすなはち同じき観念所詮の法、 念仏衆生摂取不捨の益これなり。 かの観の詮ずるところは摂取不捨、 これを弥陀願意の宗旨となす。 集主聖人深くその義に達してこの釈あり。
答。念仏三昧ハ兼テ亘ル↢観称ニ↡。観念三昧ハ約ス↢真身観々成ノ之位ニ↡、称念三昧ハ*則同キ観念所詮ノ之法、念仏衆生摂取不捨ノ之益是也。彼ノ観ノ所ハ↠詮ズル摂取不捨、是ヲ為ス↢弥陀願意ノ宗旨ト↡。集主聖人深ク達シテ↢其ノ義ニ↡有1265↢此ノ釈↡*也。
尋ねていはく、 当文の釈 (定善義) にいはく、 「▲まさしく剋念修観して現に利益を蒙ることを明かす。」 以上 剋念とらはこれ当観を指す、 現蒙とらは下の真身を指す。 ただ観門に就きてこれを釈するところなり、 なんぞ称念に約する。
尋云、当文ノ釈ニ云ク、「正ク明ス↣剋念修観シテ現ニ蒙コトヲ↢利益ヲ↡。」 已上 剋念ト等者是指ス↢当観ヲ↡、現蒙ト等者指ス↢下ノ真身ヲ↡。只就テ↢観門ニ↡所↠釈スル↠之ヲ也、何ゾ約スル↢称念ニ↡。
答ふ。 現蒙利益といふ言においてその重々あり。 初めに像観を修し次に真観を得、 真観を得て後摂取の益に帰す。 その摂取を蒙ることは称念にあるがゆゑに広く三経を引きて称の益たることを成ず。 いまの釈もつぱら経の極致を顕す。
答。於テ↧云フ↢現蒙利益ト↡之言ニ↥有リ↢其ノ重々↡。初ニ修シ↢像観ヲ↡次ニ*得↢真観ヲ↡、得テ↢真観ヲ↡後帰ス↢摂取ノ益ニ↡。蒙ブルコトハ↢其ノ摂取ヲ↡在ガ↢称念↡故ニ広ク引テ↢三経ヲ↡成ズ↠為コトヲ↢称ノ益↡。今ノ釈専ラ顕ス↢経ノ極致ヲ↡也。
▲「発三種心即便」 とらは、 信心の人かならず往生を得ることを明かす。 その往生とは、 これ報土なり。 ▲「復有」 とらは、 定散の諸機、 世・戒・行の人、 また往生することあり、 ただし化土なり。 ▲「依此」 とらは、 三輩においておのおの三心あることを明かす。 すなはち上にいふところの 「復有三種衆生の往生」 これなり。
「発三種心即便ト」等者、明ス↣信心ノ人必得コトヲ↢往生ヲ↡。其ノ往生ト者、是報土也。「復有ト」等者、定散ノ諸機、世・戒・行ノ人、復有リ↢往生スルコト↡、但シ化土也。「依此ト」等者、明ス↧於テ↢三輩ニ↡各有コトヲ↦三心↥。即上ニ所ノ↠言「復有三種衆生ノ往生」是也。
▲「良知」 以下 「可知」 といふに至るまでは、 これ両経所説の三心を弁ず。 顕と彰とに異と同とあるによりてなり。
「良知」已下至マデハ↠云ニ↢「可知ト」↡、是弁ズ↢両経所説ノ三心ヲ↡。依テナリ↣顕ト与 トニ↠彰有ニ↢異ト同ト↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・「玄義分」二文
【20】▲「爾者」 とらは、 証を引きて義を成ず。 所引の釈は序題門の釈なり。
「爾者ト」等者、引テ↠証ヲ成ズ↠義ヲ。所引ノ釈者序題門ノ釈ナリ。
問ふ。 三心一異の義を成ぜんがためにいまこの釈を引く、 その意いかん。
*問。為ニ↠成ゼンガ↢三心一異ノ之義ヲ↡今引ク↢此ノ釈ヲ↡、其ノ意云何。
答ふ。 教主世尊定散の門を開き、 弥陀如来その弘願を顕す。 しかるに弘願をいふに ¬大経¼ の説を引く。 まさに知るべし、 ¬観経¼ 所説の義はただこれ定散なり。 三心を説くといへどもいまだかならずしも念仏他力の安心ならず、 広く定散自力の安心に亘る。 その意趣に約すれば両経これ異なり。 またいふところの別意の弘願、 まさしく ¬観経¼ 第七観の住立の三尊にあり。 この義辺に約すれば両経これ一なり、 ゆゑに引くところなり。
答。教主世尊開キ↢定散ノ門ヲ↡、弥陀如来顕ス↢其ノ弘願ヲ↡。而ニ言ニ↢弘願ヲ↡引ク↢¬大経ノ¼説ヲ↡。当ニ↠知ル、¬観経¼所説ノ之義ハ只是定散ナリ。雖↠説クト↢三心ヲ↡未ダ↢必シモ念仏他力ノ安心ナラ↡、広ク亘ル↢定散自力ノ安心ニ↡。約スレバ↢其ノ意趣ニ↡両経是異ナリ。又所ノ↠言フ之別*意ノ弘願、正ク在リ↢¬観経¼第七観之住立三尊ニ↡。約スレバ↢此義辺ニ↡両経是1266一ナリ、故ニ所↠引ク也。
【21】▲「又云今此観経」 とらは宗旨門の釈なり。
「又云今此観経ト」等者宗旨門ノ釈ナリ。
「▲観仏」 といふは真身観の意。 これすなはち心を摂してかの仏の相好・光明および依正等を観想す。 「▲念仏」 といふは、 同じき観の意において称名を選び取る。 これすなはち念仏衆生摂取不捨の本願の宗源に帰入す。
言↢「観仏ト」↡者真身観ノ意。是則摂シテ↠心ヲ観↢想ス彼ノ仏ノ相好・光明及ビ依正等ヲ↡。言↢「念仏ト」↡者、於テ↢同キ観ノ意ニ↡選ビ↢取ル称名ヲ↡。是則帰↢入ス念仏衆生摂取不捨ノ本願ノ宗源ニ↡。
問ふ。 観仏・念仏は一法の異名なり、 ゆゑに念仏の名観と称とに通ず。 これ諸経論の通例なり、 なんぞ両宗とする。
問。観仏・念仏ハ一法ノ異名ナリ、故ニ念仏ノ名通ズ↢観ト与 トニ↟称。是*諸経論之通例也、何ゾ為ル↢両宗ト↡。
答ふ。 これはこれ浄土不共の妙談なり。 かの諸教通途の談のごときは正助いまだ別ならず。 いま観称を分ちて称を正業と名づく、 仏の本願に順ず。 観行は助業、 仏の本願にあらず。 この門を立つるに就きて両三昧あり。
答。此ハ是浄土不共ノ妙談ナリ。如↢彼ノ諸教通途ノ談ノ↡者正助未 ズ ダ↠別ナラ。今分テ↢観称ヲ↡称ヲ名ク↢正業ト↡、順ズ↢仏ノ本願ニ↡。観行ハ助業、非ズ↢仏ノ本願ニ↡。就テ↠立ルニ↢此ノ門ヲ↡有リ↢両三昧↡。
問ふ。 観仏においては、 観もし成ぜばすなはち見仏すべし、 ゆゑに三昧と称することその義しかるべし。 念仏においては、 散称の行見仏することを得ず、 なんぞ三昧と称する。
*問。於↢観仏ニ↡者、観若シ成ゼ者*則可シ↢見仏ス↡、故ニ称スルコト↢三昧ト↡其ノ義可シ↠然。於↢念仏ニ↡者、散称ノ之行不↠得↢見仏スルコトヲ↡、何ゾ称スル↢三昧ト↡。
答ふ。 たとひ散称なりといへども、 心を一境に繋けて声々連注すれば、 功行積累して念仏定を得て見仏することを得べし。 ¬観念門¼ に 「▲口称三昧」 といふ、 けだしこの義なり。 また現身に念仏定を得ざる人、 命終の時に臨みてかならず見仏すべし。 当得の益に約してあらかじめ三昧と名づく、 これすなはち因中説果の義なり。
答。縦ヒ雖↢散称ナリト↡、繋テ↢心ヲ一境ニ↡声々連注スレバ、功行積累シテ得テ↢念仏定ヲ↡可シ↠得↢見仏スルコトヲ↡。¬観念門ニ¼云↢「口称三昧ト」↡、蓋シ此ノ義也。又現身ニ不ル↠得↢念仏定ヲ↡人、臨テ↢命終ノ時ニ↡必ズ可シ↢見仏ス↡。約シテ↢当得ノ益ニ↡予メ名ク↢三昧ト↡、是則因中説果ノ義也。
「▲宗」 とは、 妙楽大師釈して (釈籖巻二意) いはく、 「宗は尊のごとし、 国に二の主なし。」 以上 また度律師三義をもつて解す。 いはゆる独尊・統接・帰趣の義これなり。
「宗ト」者、妙楽大師釈シテ云ク、「宗ハ猶↠尊ノ也、国ニ無シ↢二ノ主↡。」 已上 又度律師以テ↢三義ヲ↡解ス。所謂独尊・統*接・帰趣ノ之義是也。
問ふ。 宗は主たらばなんぞ二宗ある。
問。宗ハ為ラ↠主者何ゾ有ル↢二宗↡。
答ふ。 もし釈迦によらば定散の要門、 真身の観仏をその宗旨となす、 「観仏三昧為宗」 これなり。 もし弥陀によらば別意の弘願、 念仏衆生摂取不捨をその宗旨となす、 「念仏三昧為宗」 これなり。 しかるに流通付属の意によれば、 念仏は立のためにして説き、 定散は廃のためにして説く。 もしこの義によればつひに念仏三昧の一宗に帰す。 ゆゑに独尊の義違諍するところなし。 これすなはちまた隠顕の義に約してよろしくその意を得べし。 もし顕の義によらば両三昧あり、 もし隠の義によらばただ一宗なり。
答。若シ依ラバ↢釈迦ニ↡定散ノ要門、真身ノ観仏ヲ為ス↢其ノ宗旨ト↡、「観仏三昧為宗1267」是也。若シ依ラバ↢弥陀ニ↡別意ノ弘願、念仏衆生*接取不捨ヲ為ス↢其ノ宗旨ト↡、「念仏三昧為宗」是也。而ニ依レバ↢流通付属ノ之意ニ↡、念仏ハ為ニシテ↠立ノ而説キ、定散ハ為ニシテ↠*廃ノ而説ク。若シ依レバ↢此ノ義ニ↡遂ニ帰ス↢念仏三昧ノ一宗ニ↡。故ニ独尊ノ義無シ↠所↢違諍スル↡。是*則又約シテ↢隠顕ノ義ニ↡宜クシ↠得↢其ノ意ヲ↡。若シ依ラバ↢顕ノ義ニ↡有リ↢両三昧↡、若シ依ラバ↢隠ノ義ニ↡唯一宗也。
▲「一心」 とらは、 これその体を明かす。 これに二義あり。 一にいはく、 「一心回願」 はこれ観仏に約す、 「往生浄土」 はこれ念仏に約す。 二にいはく、 ともに念仏の体を顕す、 観仏三昧はつひに廃すべきがゆゑに体を立せず。
「一心ト」等者、是明ス↢其ノ体ヲ↡。此ニ有↢二義↡。一ニ云ク、「一心廻願ハ」是約ス↢観仏ニ↡、「往生浄土ハ」是約ス↢念仏ニ↡。二ニ云ク、共ニ顕ス↢念仏ノ之体ヲ↡、観仏三昧ハ遂ニ可キガ↠*廃ス故ニ不↠立↠体ヲ也。
▲「言教」 とらは、 その教相を明かす。 「▲二蔵」 といふは三乗教なり。 声聞蔵とはこれ小乗教、 縁覚乗をもつてこの蔵に摂するなり、 断道同じきがゆゑに。 菩薩蔵とはこれ大乗教、 二乗に異なるがゆゑに。 この二蔵の名はもと ¬智論¼ に出でたり。 もつぱら三論宗にこの名目を用ゐる。 宗家の大師またこれを依用したまふ、 龍樹菩薩高祖たるがゆゑに。 「▲二教」 といふは、 菩薩蔵において分別するところなり。
「言教ト」等者、明ス↢其ノ教相ヲ↡。言↢「二蔵ト」↡者三乗教也。声聞蔵ト者是小乗教、以テ↢縁覚乗ヲ↡摂スル↢此ノ蔵ニ↡也、断道同キガ故ニ。菩薩蔵ト者是大乗教、異ナルガ↢二乗ニ↡故ニ。此ノ二蔵ノ名ハ本出タリ↢¬智論ニ¼↡。専ラ三論宗ニ用ル↢此ノ名目ヲ↡。宗家ノ大師又依↢用シタマフ之ヲ↡、龍樹菩薩為ガ↢高祖↡故ニ。言↢「二教ト」↡者、於テ↢菩薩蔵ニ↡所↢分別スル↡也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・「序分義」二文
【22】▲次の所引の文は 「序分義」 の釈。
次ノ所引ノ文ハ「序分義ノ」釈。
「如是」 の句を釈するに三重の釈あり、 ことごとくこれを引かる。 初めは定散に約す、 文にありて分明なり。
釈スルニ↢「如是ノ」句ヲ↡有リ↢三重ノ釈↡、悉ク被↠引↠之ヲ。初ハ約ス↢定散ニ↡、在テ↠文ニ分明ナリ。
▲「定辞」 といふ下は別釈。 言に錯謬なしといふけだしその意なり。
言↢「定辞ト」↡下ハ別釈。云フ↣言ニ無シト↢錯謬↡、蓋シ其ノ意也。
▲「機行」 とらは、 釈名門 (玄義分) にいはく、 「▲定散機に随ひて義零落せず。 よく修趣の者をして、 かならず教行の縁因によりて、 願に乗じて往生してかの無為の法楽を証せしむ。」 以上 これまた隠顕の義あるべし。 顕説によれば、 定散の機おのおの己行を修してその利益に預る。 隠説によれば、 定散の機おのおの仏願に乗じて往生の益を得。 これ宗旨なり。
「機行ト」等者、釈名門ニ云、「定散随テ↠機ニ義不↢零落セ↡。能ク令 シム↧修趣ノ之者ヲシテ、必ズ籍テ↢教行ノ之縁因ニ↡、乗ジテ↠願ニ往生シテ証セ↦彼ノ無為ノ之法楽ヲ↥。」 已上 是又可シ↠有↢隠顕之義↡。依レ↢顕説ニ↡者、定散1268ノ之機各修シテ↢己行ヲ↡預ル↢其ノ利益ニ↡。依レ↢隠説ニ↡者、定散之機各乗ジテ↢仏願ニ↡得↢往生ノ益ヲ↡。是宗旨也。
次は弘願に約す。 ▲「如衆」 とらは、 称名の行をもつて仏の本願となして、 衆生の意のごとく浄土に生ぜしむゆゑに。 「定善義」 に雑想観の神通如意の文を解するに二あり。 その一の釈にいはく、 「▲衆生の意のごとし。 かの心念に随ふにみな応じてこれを度す。」 以上 すなはちその意なり。
次ハ約ス↢弘願ニ↡。「如衆ト」等者、以テ↢称名ノ行ヲ↡為シテ↢仏ノ本願ト↡、如ク↢衆生ノ意ノ↡令ム↠生ゼ↢浄土ニ↡故ニ。「定善義ニ」解スルニ↢雑想観ノ神通如意ノ之文ヲ↡有リ↠二。其ノ一ノ釈ニ云ク、「如シ↢衆生ノ意ノ↡。随テ↢彼ノ心念ニ↡皆応ジテ度ス↠之ヲ。」 已上 *則其ノ意也。
▲後は諸教に約す。 この釈の中に十双二十重あり、 その文見つべし。
後ハ約ス↢諸教ニ↡。此ノ釈ノ中ニ有リ↢十双二十重↡、其ノ文可シ↠見ツ。
【23】▲次の所引の文は顕行縁の釈なり。
次ノ所引ノ文ハ顕行縁ノ釈ナリ。
▲「機有」 とらは、 定散所修の行たりといへども、 仏の本願に望むれば意専称にあり。 ゆゑにその定散はただこれ機分なり。 このゆゑに二機ともに仏願に帰して往生を得べし。 ゆゑに 「衆生の機に二種あり一には定二には散」 といふなり。
「機有ト」等者、定散雖↠為ト↢所修ノ之行↡、望ムレバ↢仏ノ本願ニ↡意在リ↢専称ニ↡。故ニ其ノ定散ハ只是機分ナリ。是ノ故ニ二機共ニ帰シテ↢仏願ニ↡可↠得↢往生ヲ↡。故ニ云フ↧「衆生ノ機ニ有↢二種↡一者定二者散」↥也。
▲「顕開」 とらは、 この釈 「▲もし定行によれば、 すなはち生を摂するに尽きず。 ここをもつて如来方便して三福を顕開して、 もつて散動の根機に応ず」 (序分義) といふに就きて、 ひそかに宗旨を伺ふにこの次に言ふべし。 散動の機においてまた二種あり、 善人と悪人となり。 もし三福によれば生を摂するに尽きず、 ゆゑに仏弘願の一行を顕開してその悪機に応ず。 その悪機においてまた二種あり、 長命と短命となり。 上尽一形・七日・一日乃至十念、 みなこれもつて長命の類に応ず。 乃至一念聞名往生短命の機に応ず。 これ仏の大悲衆機を漏らしたまはざる深要なり。
「顕開ト」等者、此ノ釈就テ↠云ニ↧「若シ依レバ↢定行ニ↡、*則摂スルニ↠生ヲ不↠尽キ。是以如来方便シテ顕↢開シテ三福ヲ↡、以テ応ズト↦散動ノ根機ニ↥、」竊ニ伺ニ↢宗旨ヲ↡此ノ次ニ可シ↠言。於テ↢散動ノ機ニ↡亦有↢二種↡、善人ト悪人トナリ。若シ依レバ↢三福ニ↡摂スルニ↠生ヲ不↠尽キ、故ニ仏顕↢開シテ弘願ノ一行ヲ↡応ズ↢其ノ悪機ニ↡。於テ↢其ノ悪機ニ↡亦有リ↢二種↡、長命ト短命トナリ。上尽一形・七日・一日乃至十念、皆是以テ応ズ↢長命之類ニ↡。乃至一念聞名往生応ズ↢短命ノ機ニ↡。是仏ノ大悲不ル↠漏シタマハ↢衆機ヲ↡之深要也。
二 Ⅱ ⅵ c ロ ・「散善義」文
【24】▲次の所引の文は三心の釈 (散善義) なり。
次ノ所引ノ文ハ三心ノ釈也。
問ふ。 この三心の釈、 ▲第三巻の初めにすでにこれを引用す、 なんぞ重ねて戴するや。
問。此ノ三心ノ釈、第三巻ノ初ニ既ニ引↢用ス之ヲ↡、何ゾ重テ戴スル哉1269。
答ふ。 彼此の所引たがひに除取あり。 すなはち第三巻には自利利他の標釈を戴すといへども細釈を引かず。 このゆゑにいまつぶさにこれを引く等なり。 ただしその本文の詞を引かずといへども、 前後を知らんがためにわたくしにいささかこれを解す、 載せてかの巻にあり。 いはゆる総じては捨悪修善に約し、 別しては三業に約してその欣厭を明かす。 また善悪に就きて真実の義を解する、 これ大意なり。 これすなはち諸機自力の心なり。 これによりてこれを自利真実と名づく。 かの利他真実の心においては、 まづこれを標すといへどもその相を釈せず。 けだしこれ如来利他の心、 すなはち上の釈の中に (信巻) 「▲おほよそ施為趣求するところ」 の義趣をいふこれなり。
答。彼此ノ所引互ニ有リ↢除取↡。即第三巻ニハ雖↠戴スト↢自利々他ノ標釈ヲ↡不↠引↢細釈ヲ↡。是ノ故ニ今具ニ引ク↠之ヲ等也。但シ雖↠不ト↠引カ↢其ノ本文ノ詞ヲ↡、為ニ↠知ンガ↢前後ヲ↡私ニ聊解ス↠之ヲ、載テ在リ↢彼ノ巻ニ↡。所謂総ジテハ約シ↢捨悪修善ニ↡、別シテハ約シテ↢三業ニ↡明ス↢其ノ欣厭ヲ↡。又就テ↢善悪ニ↡解スル↢真実ノ義ヲ↡、是大意也。是*即諸機自力ノ心也。因テ↠茲ニ名ク↢之ヲ自利真実ト↡。於↢彼ノ利他真実ノ心ニ↡者、先ヅ雖↠標スト↠之ヲ不↠釈セ↢其ノ相ヲ↡。蓋シ是如来利他ノ之心、*則上ノ釈ノ中ニ言↧「凡ソ所ノ↢施為趣求スル↡」之義趣ヲ↥是也。
「▲乃至」 といふは、 至誠心の中にいふところの ▲「不善三業必須」 (信巻) 以下、 ならびに深心の中の機法二種の信心の釈を除く七行余なり。 かれは第三巻にを引用するがゆゑにいまこれを略すらくのみ。
言↢「乃至ト」↡者、除ク↢至誠心之中ニ所ノ↠言フ「不善三業必須」以下、並ニ深心ノ中ノ機法二種ノ信心ノ之釈ヲ↡七行余也。彼ハ第三巻ニ引用スルガ之故ニ、今略スラク↠之ヲ耳。
▲「又決定深信釈迦仏」 とらは、
「又決定深信釈迦仏ト」等者、
問ふ。 この釈同じく▲第三にあり。 一段の文を略してなんぞあながちにこの一文を引用するや。
問。此ノ釈同ク在リ↢第三ニ↡。略シテ↢一段ノ文ヲ↡何ゾ強ニ引↢用スル此一文ヲ↡耶。
答ふ。 かれを除きこれを取ることかならずしも一準ならず。 ただし由なきにあらず。 機法二種の信心とは真実の信心なり。 しばらく定散二種の機に約してこれを宣説すといへども、 つひに如来利他の三信に同じ。 いま ¬観経¼ の中に説くところの定散は、 まさしくこれかの報土所生の真因にあらず。 この義をもつてのゆゑに、 当巻にこれを引きて化土の生因たることを表するものか。
答。除キ↠彼ヲ取コト↠此ヲ不↢必シモ一准ナラ↡。但シ非ズ↠無ニ↠由。機法二種ノ之信心ト者真実ノ信心ナリ。暫ク約シテ↢定散二種ノ之機ニ↡雖↣宣↢説スト之ヲ↡、遂ニ同ジ↢如来利他ノ三信ニ↡。今¬観経ノ¼中ニ所ノ↠説ク定散ハ、正ク是非ズ↢彼ノ報土所生ノ真因ニ↡。以ノ↢此ノ義ヲ↡故ニ、当巻ニ引テ↠之ヲ表スル↠為コトヲ↢化土ノ生因↡者歟。
次に 「▲乃至」 とは、 ▲「又決定深信弥陀経」 以下 「往生之大益也」▲ といふに至るまで二十行なり。 これまた同じく第三巻の所引たるがゆゑに。
次ニ「乃至ト」者、「又決定深信弥陀経」以下至マデ↠云ニ↢「往生之大益也ト」↡二十行也。是又同ク為ガ↢第三巻ノ之所引↡故ニ也。
次に ▲「又深心深信者」 の下二行余は第三巻の中に引き残すところの解釈の初めなり。 ゆゑにいまこれを引く。
次ニ「又深心深信者ノ」下二行余者第1270三巻ノ中ニ所ノ↢引キ残ス↡之解釈ノ初也。故ニ今引ク↠之ヲ。
次に 「▲乃至」 とは、 ▲四重難破以下 「就人立信也」▲ に至るまで五十七行有余これなり。 四重の難答除くべからずといへども、 第三巻の中に初めの三重および四重の初めを略して、 中間以下簡要の文言十六行余引用することすでに訖りぬ。 このゆゑに大概前に譲りて略すらくのみ。
次ニ「乃至ト」者、四重難破以下至マデ↢「就人立信也ニ」↡五十七行有余是也。四重ノ難答雖↠不ト↠可ラ↠除ク、第三巻ノ中ニ略シテ↢初ノ三重及ビ四重ノ初ヲ↡、中間以下簡要ノ文言十六行余引用スルコト既ニ訖ヌ。是ノ故ニ大概譲テ↠前ニ略スラク耳。
▲「次就行立信者」 といふ下 「名為正」▲ に至るまで六行余は、 第三巻の中に除くがゆゑにこれを引く。
言フ↢「次就行立信者ト」↡下至マデ↢「名為正ニ」↡六行余者、第三巻ノ中ニ除ガ故ニ引ク↠之ヲ。
▲「又就此正中」 の下 「悉名難行」▲ といふに至るまで往生の行相を明かす文、 かの巻の中にこれを引くといへども ▲「若修前」 の下 「雖可回向得生」▲ といふに至るまで二行の得失を明かす文、 かの巻に除くがゆゑに、 いまつぶさにこれを引く。 くはしく二行を挙ぐることはその得失を識知せしめんがためなり。
「又就此正中ノ」下至マデ↠言ニ↢「悉名難行ト」↡明ス↢往生ノ行相ヲ↡文、彼ノ巻ノ中ニ雖↠引ト↠之ヲ「若修前ノ」下至マデ↠言ニ↢「雖可廻向得生ト」↡明ス↢二行ノ得失ヲ↡文、彼ノ巻ニ除クガ故ニ、今具ニ引ク↠之ヲ。委ク挙ルコトハ↢二行ヲ↡為↠令ンガ↣識↢知セ其ノ得失ヲ↡也。
▲「三者回向発願」 とらは、 この心の中において三重の釈あり。 いまの所引はこれその初重、 回因向果自力の心なり。 このゆゑに当巻にことさらにこれを引かる。 下の二重、 回思向道・回入向利は▲第三巻の中にすでにこれを引き訖りぬ。 かの二重他力に約するがゆゑなり。
「三者廻向発願ト」等者、於テ↢此ノ心ノ中ニ↡有リ↢三重ノ釈↡。今ノ所引者是其ノ初重、廻*因向果自力ノ心也。是ノ故ニ当巻ニ故ニ被↠引カ↠之。下ノ之二重、廻思向道・廻入向利ハ第三巻ノ中ニ既ニ引キ↠之ヲ訖ヌ。彼ノ二重約スルガ↢他力ニ↡故也。
六要鈔 第六 旧本 新本
延書は底本の訓点に従って有国が行った(固有名詞の訓は保証できない)。
底本は ◎本派本願寺蔵明徳三年慈観上人書写本。 Ⓐ本派本願寺蔵文安四年空覚書写本、 Ⓑ興正派興正寺蔵蓮如上人書写本 と対校。
花→Ⓐ華
則→Ⓐ即
接→Ⓐ摂
逆→◎Ⓑ戒
含→Ⓑ合
接→Ⓐ摂
又 Ⓐになし
倍 →◎Ⓐ僖
生→Ⓐ宮
此 Ⓐになし
託→Ⓐ詫
経 Ⓐになし
問→Ⓐ同
億 ◎ⒶⒷになし
他→Ⓐ化
復以→Ⓐ後
以→Ⓐ已
智 Ⓐになし
或→Ⓐ惑
諸→◎Ⓑ説
宮胎→◎ⒶⒷ胎宮
者→Ⓐ者[即]
已→Ⓐ也
廃→Ⓐ癈
諸 Ⓐになし
心 Ⓐになし
則→Ⓐ即
意→Ⓐ主
去→Ⓐ生
門→Ⓑ聞
廃→◎ⒶⒷ癈
廃→Ⓐ癈
則→Ⓐ即 Ⓑになし
乃→Ⓐ及
言→Ⓐ云
云 ◎「観歟」と上欄註記
想→Ⓐ相
舟→◎ⒶⒷ生
衆→Ⓐ衆[生]
問→Ⓐ同
難 Ⓑになし
也 Ⓐになし
得真観 Ⓐになし
問→Ⓐ門
意→Ⓐ異
諸→Ⓐ経
問→Ⓐ同
接→Ⓐ摂
接→Ⓐ摂
廃→◎ⒶⒷ癈
廃→◎Ⓑ癈→Ⓐ度
即→Ⓐ則
因 Ⓑになし