0279無量寿経釈 まさしく善導ぜんどうによりかたはらにしょしによるならびにかい

天臺黒谷沙門源空記

 

まさにこの ¬きょう¼ を釈せんとするに、 りゃくして五意ごいあり。 いちにはたいりっきょうかいしゅうさんには浄教じょうきょうどうには釈名しゃくみょうにはにゅうもんしゃくなり。

↠釈セント↢此¬経¼↡、略シテ有↢五意↡。一者大意、二立教開宗、三ニハ浄教不同、四ニハ釈名、五ニハ入文解釈ナリ

大意

いちたいとは、 しゃしょうじょうててこの穢土えどでたまふことは、 もとじょうきょうきてしゅじょう勧進かんじんしてじょうしょうぜしめんがためなり。 弥陀みだ如来にょらい穢土えどててかのじょうでたまふことは、 もと穢土えどしゅじょうみちびきてじょうしょうぜしめんがためなり。 これすなはち諸仏しょぶつじょうでて穢土えどでましますほんなり。 善導ぜんどうしゃくして (玄義分) いはく、 「しゃはこのほうより発遣はっけんす」 と。 これすなはちこの ¬きょう¼ のたいなり。

大意者、釈迦捨テヽ↢無勝浄土↡出タマフ↢此穢土↡事↢浄土之教↡勧↢進シテ衆生↡為ナリ↠令ンガ↠生↢浄土↡。弥陀如来捨テヽ↢穢土↡出↢彼浄土↡事↢穢土衆生↡為ナリ↠令↠生↢浄土↡。諸仏↢浄土↡出マス↢穢土↡御本意也。善導釈云、「釈迦此方ヨリ発遣。」 ¬経¼大意也。

立教開宗

りっきょうかいしゅうとは、 またわかちてとなす。 いちにはしょしゅうりっきょうどうまさしくきょうつ。

立教開宗者、↠二。一ニハ諸宗立教不同、二↢二教↡。

立教開宗 諸宗立教不同

いちしょしゅうりっきょうどうとは、 法相ほっそうにはさん 三論さんろんにはぞう 天台てんだいにはあるいは五味ごみ、 あるいはきょうなり ごんにはきょう、 あるいはじっしゅう 真言しんごんにはあるいはきょう、 あるいは十住じゅうじゅうしん

諸宗立教不同者、法相ニハ三時 。三論ニハ二蔵 。天臺ニハ五味、或四教ナリ 。花厳ニハ五教、或十宗 。真言ニハ或二教、或十住心

立教開宗 正立二教

まさしくきょうつとは、 しゃくぜんこころりゃくしてきょうててもつてぶっきょうはんず。 いちにはしょうどうきょうにはじょうきょうなり。 いちしょうどうきょうとは、 もしは小乗しょうじょう、 もしはだいじょう、 もしはけんぎょう、 もしはみっきょうのなか じょうきょうとは、 小乗しょうじょうのなかにはまつたくじょう法門ほうもんかず。 だいじょうのなかにはおおおうじょうじょうほうく、 これをづけてじょうきょうといふ。 いまこの ¬きょう¼ はまさしくこれじょうきょうせっす↢

立↢二教↡者、綽0280禅師意、略シテ↢二教↡以↢仏教↡。一ニハ聖道教、二ニハ浄土ナリ。一聖道教者、若小乗、若大乗、若顕教、若密教。二浄土者、小乗ニハ不↠説↢浄土法門↡。大乗ニハ説↢往生浄土↡、名↠之謂↢浄土教↡。今此¬経¼正↢浄土

つぎに 「横截おうぜつ悪趣あくしゅ (大経巻下) もんをもつて、 もん分別ふんべつするなり。 そもそもさんじょうじょうしょうどうは、 しょうぞうすでにぎて末法まっぽういたるより、 ただきょうのみありて行証ぎょうしょうなし。 ゆゑに末法まっぽう近来このごろ断惑だんわくしょうなし。 断惑だんわくしょうなきがゆゑに、 これをもつてしょうづるともがらなし。 おうじょうじょう法門ほうもんは、 いまだ煩悩ぼんのうまよいだんぜずといへども、 弥陀みだ願力がんりきによりて極楽ごくらくしょうずるもの、 なが三界さんがいはなれて六道ろくどうしょうづ。 ゆゑにおうじょうじょうほう、 これいまだ断惑だんわくせずして三界さんがいづるほうなり

↢「横截五悪趣」文↡、分↢別スル二門↡也。抑三乗・四乗聖道、正像既ヨリ↢末法↡、但有↠教ノミ↢行証↡。故末法近来無↢断惑証理↡。無↢断惑証理↡故、以↠之↧出↢生死↡之輩↥。往生浄土之法門、雖↠未↠断↢煩悩之迷↡、依↢弥陀願力↡生ズル↢極楽、永↢三界↡出↢六道生死↡。故往生浄土之法、是未↢断惑↡出↢三界↡法

ゆゑに末代まつだいしゅつしょうおうじょうじょう、 さらにもつてかなふべからざることなるがゆゑに、 こころあらんひと、 もししょうでんとほっせば、 かならずじょうもんすべし。

末代出離生死・往生浄土、更不↠可↠階事ナルガ、有ラン↠心之人、若欲↠出ント↢生死↡者、必可↠帰↢浄土↡。

ゆゑにどうしゃくぜん (安楽集巻下) この ¬きょう¼ の 「横截おうぜつ悪趣あくしゅ」 のもんしゃくしていはく、 「もしこのほうしゅ断除だんじょによらば、 まづ見惑けんわくだんじてさんいんはなれ、 さんめっす。 のち修惑しゅわくだんじて人天にんでんはなる。 これみなぜん断除だんじょにして、 横截おうぜつづけず。 もし弥陀みだじょうこくおうじょうすることをれば、 しゃどういちにたちまちにつ。 ゆゑに横截おうぜつづく。 ぜつ悪趣あくしゅのそのるなり」 と。

道綽禅師釈↢此¬経¼「横截五悪趣」文↡云、「若依↢此修治断除↡、先↢見惑↡離↢三塗↡、滅↢三塗果↡。後↢修惑↡離↢人天↡。此皆漸次断除ニシテ、不↠名↢横截↡。若得レバ↣往↢生コトヲ弥陀浄国↡、娑婆五道一時。故名↢横截↡。截五悪趣↢其果↡也。」

天台てんだい真言しんごんみなとんぎょうづくといへども、 わくだんずるがゆゑになほこれぜんぎょうなり。 いまだわくだんぜずして三界さんがいながまよいしゅっするがゆゑに、 このきょうをもつてとんちゅうとんとするなり。

天臺・真言皆雖↠名↢頓教↡、断ルガ↠惑漸教也。未↠断↠惑出↢過スルガ三界之長迷↡故、以↢此↡為↢頓中↡也。

浄教不同

さん浄教じょうきょうどうとは、 おうじょうきょうにおいて根本こんぽんあり、 またまつあり。 たとへば真言しんごんのごとし 。 この ¬きょう¼ をもつて根本こんぽんづけ、 きょうをもつてまつづく 。 またこの ¬きょう¼ をもつてまさしくおうじょうきょうづけ、 きょうをもつてかたはらにおうじょうきょうづく 。 またこの ¬きょう¼ をもつてしょおうじょうきょうづけ、 きょうをもつてしょおうじょうきょうづく 。 またこの ¬きょう¼ をばおうじょうそくきょうづけ、 きょうをばそくきょうづく。

0281浄教不同者、於↢往生教↡有↢根本↡、亦有↢枝末↡。例如↢真言。以↢此¬経¼↡名↢根本↡、以↢余経↡名↢枝末。亦以↢此¬経¼名↢正往生↡、以余経↡名↢傍往生教↡ 。亦以↢此¬経¼↡名↢有所往生↡、以↢他経↡名↢無所往生¬経ヲバ¼名↢往生具足↡、他経ヲバ↢不具足↡。

釈名

釈名しゃくみょうとは

釈名

入文解釈

にゅうもんしゃくとは、 この ¬きょう¼ いちかんわかちて三段さんだんとなす。 はじめ 「もんにょ」 より 「がんぎょう欲聞よくもん」 にいたるまでは、 これ序分じょぶんなり。 つぎに 「乃往ないおう過去かこおんりょう」 よりかんの 「しゃくせつ之耳しに」 にいたるまでは、 これ正宗しょうしゅうなり。 つぎに 「其有ごう得聞とくもんぶつみょうごう」 より 「靡不みふかん」 にいたるまでは、 これ*ずうなり。

入文解釈者、此¬経¼一部二巻、分↢三段↡。始自↢「我聞如是」↡至マデハ↢于「願楽欲聞」↡、此序分也。次自↢「乃往過去久遠無量」↡至デハ↢于下巻「略説之耳」↡、正宗也。次↢「其有得聞彼仏名号」↡至デハ↢于「靡不歓喜」↡、流通也。

入文解釈 序

はじめにじょにつきてつうありべつあり。 つうとは べつとは

始付↠序有↠通有↠別。通。別

入文解釈 正宗分

つぎ正宗しょうしゅうにつきて、 りゃくしてだんあり。 いちにはじゅうはちがんこうにはがんしゅぎょうさんには所得しょとくしょうにはおうじょうぎょうごうなり。

↢正宗↡、略有↢四段↡。一ニハ四十八願興意、二ニハ依願修行、三ニハ所得依正、四ニハ往生行業ナリ

入文解釈 正宗分 四十八願興意

いちじゅうはちがんこうといふは、 ¬双巻そうかんぎょう¼ (大経巻上意) にいはく、 「乃往ないおう過去かこおんりょう不可ふか思議しぎこうに、 ぶつでたまふあり、 じょうこう如来にょらいづく つぎぶつをば光遠こうおんづく。 ないだいじゅうさんぶつをばしょ如来にょらいづく

四十八願興意トイハ¬双巻経¼云、「乃往過去久遠無量不可思議劫、有↢仏出↟世、名↢錠光如来↡ 。次ヲバ↢光遠↡。乃至第五十三ヲバ↢処0282世如来

そのつぎぶつましまして、 世自せじ在王ざいおう如来にょらいづく↢

シテ↠仏、名↢世自在王如来

とき国王こくおうあり。 離垢りくじょうおうか、 じょう念王ねんおうか、 所詮しょせん一体いったいみょうなり。 ぶつ所説しょせつきて、 じょう道心どうしんおこす、 すなはち金輪こんりんくらいてて、 ぎょうじて沙門しゃもんとなり、 まんじょうして、 じょうどうもとむ。 高才こうざい勇哲ゆうてつにして、 ちょうせり。 ごうして法蔵ほうぞうといふ。 世自せじ在王ざいおう如来にょらいみもともうでて、 ない

有↢国王↡。離垢浄王歟、無諍念王歟、所詮一体異名也。聞↢仏所説↡、発↢無上道心↡、即棄テヽ↢金輪之位↡、行作↢沙門↡、辞↢万乗之機↡、求↢無上道↡。高才勇哲ニシテ↠世超異セリ。号曰↢法蔵↡。詣↢世自在王如来↡、乃至

ここにおいて世自せじ在王ざいおうぶつ、 すなはちためにひろひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつせつ人天にんでん善悪ぜんあくこくみょうきて、 その心願しんがんおうじてことごとくげんじてこれをあたふ。

於是世自在王仏、即↢二百一十億諸仏刹土人天之善悪、国土之麁妙↡、応ジテ↢其心願↡悉↠之

ときにかの比丘びくぶつ所説しょせつごんじょうこくきて、 みなことごとくけんしてじょうしゅしょうがんちょうほつす。 そのしん寂静じゃくじょうにしてこころざししょじゃくなきこと、 一切いっさいけんによくおよぶものなし。 こうそくし、 ゆいしてしょうごん仏国ぶっこく清浄しょうじょうぎょう摂取せっしゅす。

比丘聞↢仏所説厳浄国土↡、皆悉覩見シテ超↢発無上殊勝之願↡。其心寂静ニシテ志無コト↢所著↡、一切世間無↢能者↡。具↢足五劫↡、思惟シテ摂↢取荘厳仏国清浄之行↡。

なんぶつにまうさく、 かのぶつこく寿じゅりょういくばくかと。 ぶつののたまはく、 そのぶつ寿じゅみょうじゅうこうなりと。 とき法蔵ほうぞう比丘びくひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつみょう清浄しょうじょうぎょう摂取せっしゅす。」 と。

阿難白↠仏、彼国土寿量幾何。仏、其仏寿命四十二劫ナリ。時法蔵比丘摂↢取二百一十億諸仏妙土清浄之行↡。」

また ¬だい弥陀みだきょう¼ (巻上) にいはく、 「そのぶつすなはちひゃくいちじゅうおくぶつこくのなかの諸天しょてん人民にんみん善悪ぜんあくこく好醜こうしゅせんじゃくして、 ためにしんちゅう所欲しょよくがんせんじゃくす。

¬大阿弥陀経¼云、「其仏即選↢択シテ二百一十億国土諸天・人民之善悪、国土之好醜↡、為選↢択心中所欲願↡。

楼夷るいこうぶつ ここには世自せじ在王ざいおうぶつといふ きょうきおはりぬ。 どん摩迦まか ここには法蔵ほうぞうといふ すなはちそのこころいちにして、 すなはち天眼てんげんてっし、 ことごとくみづからひゃくいちじゅうおく諸佛しょぶつこくのなかの、 諸天しょてん人民にんみん善悪ぜんあくこく好醜こうしゅ、 すなはちしんちゅう所願しょがんせんじゃくして、 すなはちこのじゅうがんきょうむすたり。 ¬びょう等覚どうがくきょう¼ またこれにおな

楼夷亘羅仏 ニハ云↢世自在王仏↠経。曇摩迦 ニハ云↢法蔵↡ 便シテ↢其心↡、即得↢天眼↡徹視、悉見↢二百一十億諸佛国土、諸天・人民之善悪、国土之好醜↡、即選↢択心中所願↡、便↢得タリ二十四願経↡。¬平等覚経¼亦復同↠之

このなかにせんじゃくとは、 すなはちこれ取捨しゅしゃなり。 いはくひゃくいちじゅうおく諸佛しょぶつじょうのなかに、 人天にんでんあくてて人天にんでんぜんり、 こくしゅうててこくこうるなり。 ¬だい弥陀みだきょう¼ のせんじゃくかくのごとし。 ¬双巻そうかんぎょう¼ のこころまたせんじゃくありといへり。 「ひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつみょう清浄しょうじょうぎょう摂取せっしゅす」 といふ、 これなり。

選択者、即取捨義也。謂0283↢二百一十億諸佛浄土↡、捨↢人天之悪↡取↢人天之善↡、捨テヽ↢国土之醜↡取↢国土之好↡也。¬大阿弥陀経¼選択義如↠是。¬双巻経¼有↢選択義↡謂。云↣「摂↢取スト二百一十億諸仏妙土清浄之行↡」、也。

せんじゃく摂取せっしゅとそのことばことなりといへども、 そのこころこれおなじ。 しかれば清浄しょうじょうぎょうてて、 清浄しょうじょうぎょうるなり。 かみ天人てんにん善悪ぜんあくこくみょう、 そのまたしかなり。 これにじゅんじてるべし。

選択与↢摂取↡其言雖↠異ナリト、其。然者捨↢不清浄↡、取↢清浄行↡也。上天人之善悪、国土之麁妙、其ナリ。准ジテ↠之↠知

それじゅうはちがんやくして、 一往いちおうおのおのせんじゃく摂取せっしゅろんぜば、 第一だいいちさん悪趣まくしゅがんとは、 けんするところのひゃくいちじゅうおくのなかにおいて、 あるいはさん悪趣まくしゅあるこくあり。 あるいはさん悪趣まくしゅなき国土こくどあり。 そのさん悪趣まくしゅあるあくこくえらてて、 そのさん悪趣まくしゅなきぜんみょうこくえらる。 ゆゑにせんじゃくといふなり。

夫約シテ↢四十八願↡、一往論↢選択摂取之義↡者、第一無三悪趣者、於↧所↢覩見スル↡之二百一十億↥、或有↧有↢三悪趣↡之国土↥。或有↧無↢三悪趣↡之国土↥。選↧捨テヽ↢三悪趣↡麁悪国土↥、選↧取無↢三悪趣↡善妙国土↥。故云↢選択↡也。

だいきょう悪趣あくしゅがんとは、 かのもろもろのぶつのなかにおいて、 あるいはたとひこくちゅうさん悪道まくどうなしといへども、 そのくに人天にんでん寿じゅじゅうのちに、 そのこくよりりてまたさん悪趣まくしゅかえあり。 あるいは悪道あくどうかえらざるあり。 すなはちその悪道あくどうかえあくこくえらてて、 その悪道あくどうかえらざるぜんみょうこくえらる。 ゆゑにせんじゃくといふなり。

第二不更悪趣者、於↢彼仏土↡、或有↧縦雖↣国中↢三悪道↡、其人天寿終之後、従↢其国土↡去カヘ↢三悪趣↡之土↥。或有↧不↠更↢悪道↡之土↥。即選↧捨テヽ↢悪道↡麁悪国土↥、選↧取↠更↢悪道↡善妙国土↥。故云↢選択↡也。

第三だいさん悉皆しっかい金色こんじきがんとは、 かのしょのなかにおいて、 あるいはひとつののなかにこうびゃくるい人天にんでんあるこくあり、 あるいはじゅん黄金おうごんじきこくあり。 すなはちこうびゃくるいあくこくえらてて、 すなはち黄金おうごん一色いっしきぜんみょうこくえらる。 ゆゑにせんじゃくといふなり。

第三悉皆金色者、於↢彼諸土↡、或↧一土之中↢黄白二類人天↡之国土↥。或有↢純黄金色之国土↡。即選↢捨テヽ黄白二類麁悪国土↡、即↢取黄金一色善妙国土↡。故云↢選択↡也。

だい無有むう好醜こうしゅがんとは、 かの諸仏しょぶつのなかにおいて、 あるいは人天にんでんぎょうしき好醜こうしゅどうこくあり。 あるいはぎょうしき一類いちるいにして好醜こうしゅあることなきこくあり。 すなはち好醜こうしゅどうあくこくえらてて、 無有むう好醜こうしゅぜんみょうこくえらる。 ゆゑにせんじゃくといふなり。

第四無有好醜0284者、於↢彼諸仏、或有↢人天形色好醜不同之国土↡。或有↧形色一類ニシテ↠有ルコト↢好醜↡之国土↥。即選↢捨テヽ好醜不同麁悪国土↡、選↢取無有好醜善妙国土↡。故云↢選択↡也。

ないだいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうがんとは、 かの諸仏しょぶつのなかにおいて、 あるいは布施ふせをもつておうじょうぎょうとするあり。 あるいはかいをもつておうじょうぎょうとするあり。 あるいは忍辱にんにくをもつておうじょうぎょうとするあり。 あるいはしょうじんをもつておうじょうぎょうとするあり。 あるいはぜんじょうをもつておうじょうぎょうとするあり。 あるいは般若はんにゃ 第一だいいちしんずるとうこれなり をもつておうじょうぎょうとするあり。

乃至第十八念仏往生者、於↢彼諸仏、或有↧以↢布施↢往生↡之土↥。或有↧以↢持戒↢往生↡之土↥。或有↧以↢忍辱↢往生↡之土↥。或有↧以↢精進↢往生↡之土↥。或有↧以↢禅定↢往生↡之土↥。或有↧以↢般若信↢第一義↡等 ↢往生↡之土↥。

あるいはだいしんをもつておうじょうぎょうとするあり。 あるいは六念ろくねんをもつておうじょうぎょうとするあり。 あるいはきょうをもつておうじょうぎょうとするあり。 あるいはじゅをもつておうじょうぎょうとするあり。 あるいはりゅう塔像とうぞう飯食ぼんじき沙門しゃもんおよびきょうよう父母ぶも奉事ぶじちょうとう種々しゅじゅぎょうをもつておのおのおうじょうぎょうとするこくとうのあり。 あるいはもつぱらそのくにぶつしょうするをおうじょうぎょうとするあり。

有↧以↢菩提心↢往生↡之土↥。或有↧以↢六念↢往生↡之土↥。或有↧以↢持経↢往生↡之土↥。或有↧以↢持呪↢往生↡之土↥。或有↧以↢起立塔像、飯食沙門及以孝養父母、奉事師長等種種之行↢往生↡之国土等↥。或有↧専スルヲ↢其↢往生↡之土↥。

かくのごとくいちぎょうをもつて一仏いちぶつはいするは、 これしばらく一往いちおうなり。 再往さいおうこれをろんぜば、 そのじょうなり。 あるいはいちぶつのなかに、 ぎょうをもつておうじょうぎょうとするのあり。 あるいはぶつのなかに、 いちぎょうをもつてつうじておうじょうぎょうとするあり。 かくのごとくおうじょうぎょう種々しゅじゅどうなり。 つぶさにぶべからず。

↠此↢一行↡配↢一仏↡者、一往之義也。再往論ゼバ↠之、其義不定ナリ。或有↧一仏土、以↢多行ルノ↢往生↡之土↥。或有↧多仏土、以↢一行↡通↢往生之土↥。如↠是往生行種種不同ナリ。不↠可↢具述↡也。

すなはちいまさき布施ふせかいないきょうよう父母ぶもとうしょぎょうえらてて、 せんしょう仏号ぶつごうえらる。 ゆゑにせんじゃくといふなり。 しばらくいつつのがんやくしてりゃくしてせんじゃくろんずること、 そのかくのごとし。 自余じよ諸願しょがんこれにじゅんじてるべし。

即今選↢捨テヽ布施・持戒、乃至孝養父母等諸行↡、選↢取専称仏号↡。故云↢選択↡也。且シテ↢五↡略シテコト↢選択↡、其義如↠是0285自余諸願准ジテ↠之↠知

ひていはく、 あまねく諸願しょがんやくしてあく選捨せんしゃしてぜんみょう選取せんしゅすることは、 そのしかるべし。 なんがゆゑぞだいじゅうはちがんに、 一切いっさいしょぎょう選捨さんしゃして、 ただひとへに念仏ねんぶついちぎょう選取せんしゅしておうじょう本願ほんがんとなしたまふや。

問曰、普シテ↢諸願↡選↢捨シテ麁悪↡選↢取コトハ善妙↡、其理可↠然。何第十八願、選↢捨一切諸行↡、唯偏選↢取念仏一行↡為シタマフ↢往生本願↡乎。

こたへていはく、 しょうはかりがたし。 たやすくするにあたはず。 しかりといへどもいまこころみに二義にぎをもつてこれをせん。 いちにはしょうれつにはなんなり。

答曰、聖意雖↠測。不↠能↣輒スルニ↡。雖↠然コヽロミニ以↢二義↡解↠之。一者勝劣義、二者難易ナリ

はじめにしょうれつとは、 念仏ねんぶつはこれしょうぎょうはこれれつなり。

勝劣者、念仏勝、余行ナリ

ゆゑはいかんとなれば、 みょうごうはこれ万徳まんどくしょなり。 しかればすなはち弥陀みだ一仏いちぶつしょ四智しち三身さんしんじゅうりき無畏むいとう一切いっさいないしょうどく相好そうごうこうみょう説法せっぽうしょうとう一切いっさいゆうどく、 みなことごとく弥陀みだぶつみょうごうのなかにしょうざいす。 ゆゑにみょうごうどくもつともしょうとするなり。 ぎょうはしからず。 おのおの一隅いちぐうまもる。 これをもつてれつとするなり。

所以者何レバ、名号万徳之所帰也。然弥陀一仏所有四智・三身・十力・四無畏等一切内証功徳、相好・光明・説法・利生等一切外用功徳、摂↢在阿弥陀仏名号之中↡。故名号功徳最↠勝也。余行不↠然↢一隅↡。是↠劣也。

たとへばけん屋舎おくしゃのごとし。 その屋舎おくしゃみょうのなかにはむねはりたるきはしらとう一切いっさい家具けぐせっす、 むねはりとう一々いちいちみょうのなかには一切いっさいせっすることあたはず。 これをもつてるべし。 しからばすなはちぶつみょうごうどく一切いっさいどくしょうたり。 ゆゑにれつててしょうりてもつて本願ほんがんとなしたまふか。

↢世間屋舎↡。其屋舎名字之中ニハ↢棟・梁・椽・柱等一切家具↡、棟・梁等一一名字ニハ不↠能↠摂コト↢一切↡。以↠之応↠知名号功徳タリ↢余一切功徳↡。故テヽ↠劣↠勝シタマフ↢本願↡歟。

つぎなんとは、 念仏ねんぶつしゅしやすく、 しょぎょうしゅしがたし。

難易者、念仏↠修、諸行↠修。

ゆゑに諸仏しょぶつこころは、 慈悲じひたいとす。 このびょうどう慈悲じひをもつて、 あまねく一切いっさいせっするなり。 ぶつ慈悲じひ一人いちにんをもらさず、 あまねく一切いっさいすべし。

諸仏心者、慈悲為↠体。以↢此平等慈悲↡、普摂↢一切↡也。仏慈悲↠漏↢一人ヲモ↡、普↠利↢一切↡。

まづしゅうやくしてこれをいはば、 むかし法蔵ほうぞう比丘びく真言しんごんしゅうこころによらば、 三密さんみつしょうをもつておうじょう別願べつがんとすれば、 無畏むいくう恵果えか法全ほうぜんおうじょうすべし、 自余じよしょしゅうひとしょうずべからず。

シテ↠宗↠之者、法蔵比丘、由↢真言宗↡、以↢三密章句↡為↢往生別願↡、無畏・不空・恵果・法全往生スベシ、自余諸宗之人不↠可↠生

つぎ仏心ぶっしんしゅうこころによりて、 けんしょうじょうぶつをもつて別願べつがんとすれば、 恵可えか僧璨そうさん弘忍こうにんのうおうじょうすべし、 自余じよしょしゅうひとしょうずべからず。

由↢仏心宗↡、以↢見性成仏↡為↢別願↡、恵可0286・僧璨・弘忍・恵能往生スベシ、自余諸宗之人不↠可↠生

つぎほっしゅうこころによりて、 いちじょう実相じっそうをもつて別願べつがんとすれば、 しょうあん天台てんだいみょうらく道邃どうすいしょうずべし、 しょしゅうひとしょうずべからず。

由↢法華宗↡、以↢一乗実相↡為↢別願↡、章安・天臺・妙楽・道邃可↠生、諸宗之人不↠可↠生

つぎごん法界ほっかいこころによりて、 海印かいいん頓現とんげんをもつて別願べつがんとすれば、 賢首けんじゅ清涼しょうりょうしょうずべし、 しょしゅうひとしょうずべからず。

由↢華厳法界↡、以↢海印頓現↡為↢別願↡、賢首・清涼ベシ、諸宗之人不↠可↠生。

つぎそうしゅうこころによりて、 はっちゅうどうをもつて別願べつがんとすれば、 じょう興皇こうおうしょうずべし、 しょしゅうひとしょうずべからず。

由↢無相宗意↡、以↢八不中道↡為↢別願↡、嘉祥・興皇ベシ、諸宗之人不↠可↠生

つぎそうしゅうこころによりて、 唯識ゆいしき唯心ゆいしんをもつて別願べつがんとすれば、 げんじょうおんしょうずべし、 しょしゅうひとしょうずべからず。

由↢有相宗↡、以↢唯識唯心↡為↢別願↡、玄奘・慈恩ベシ、諸宗之人不↠可↠生

つぎぶんしゅうによりて、 ひゃく十戒じっかいをもつて別願べつがんとすれば、 南山なんざん東西とうざいりっしょうずべし、 しょしゅうひとしょうずべからず。

由↢四分宗↡、以↢二百五十戒↡為↢別願↡、南山・東西之律師ベシ、諸宗之人不↠可↠生

つぎに ¬梵網ぼんもう¼ のこころによりて、 じゅう八戒はちかいをもつて別願べつがんとすれば、 恵威えいみょうこうしょうずべし、 しょしゅうひとしょうずべからず。

由↢¬梵網¼意↡、以↢五十八戒↡為↢別願↡、恵威・明曠ズベシ、諸宗之人不↠可↠生

しかるに念仏ねんぶつおうじょうがんは、 真言しんごんかんぎょうにんおなじくこれをしゅし、 ごんだつひとまたもつてこれをしゅするにさまたげなし。 そうそうぎょうにんぶんぶんりっ念仏ねんぶつさまたげなくして、 おうじょうたのみあり。 しかればすなはち真言しんごんとうはっしゅう、 ともにおうじょう慈悲じひ願網がんもうれざるなり。

念仏往生、真言・止観行人同↠之、華厳・達磨スルニ↠之↠妨。無相・有相之行人、四分・五分之律師、念仏無シテ↠妨、往生有↠憑。然真言等八宗、共不↠漏↢往生慈悲願網↡也。

しかのみならずもし布施ふせをもつて別願べつがんとすれば、 戒日かいにちひとおうじょうすべし、 一切いっさいびんひとしょうずべからず。

加之若以↢布施↡為↢別願↡、戒日孤可↢往生↡、一切貧窮之人不↠可↠生

もしとうをもつて別願べつがんとすれば、 育王いくおうひとおうじょうすべし、 一切いっさい困乏こんぼうともがらおうじょうすべからず。

↢起塔↡為↢別願↡、育王一可↢往生↡、一切困ボク之倫不↠可↢往生↡。

もしけい讃仰さんごうをもつて別願べつがんとすれば、 ほうしょうこうともがらしょうずべし。

↢稽古・讃仰↡為↢別願↡、訪・生・光・基之倫可↠生

もしもん広学こうがくをもつて別願べつがんとすれば、 しょうじょうゆうえいたぐいしょうずべし。

若以↢多聞・広学↡為↢別願↡、生・肇・融・叡之類可↠生

もし棄家きけ捨欲しゃよくをもつて別願べつがんとすれば、 しゅっしゅしょうずべし、 ざいりょうはいしょうずべからず。

若以↢棄家・捨欲↡為↢別願↡、出家二衆ベシ、在家両輩不↠可↠生

もし貴家きけそん宿しゅくをもつて別願べつがんとすれば、 一人いちにん三公さんこうしょうずべし、 みんひゃくれいしょうずべからず。

0287以↢貴家・尊宿↡為↢別願↡、一人・三公ズベシ、九民・百黎不↠可↠生

しかるにいまの念仏ねんぶつおうじょうがんは、 有智うち無智むちえらばず、 かいかいきらはず、 しょうもんしょうけんをいはず、 ざい在俗ざいぞくをいはず、 一切いっさいしんのもの、 となへやすくしょうじやすし。 一月いちげつ万水ばんすいかぶにみず浅深せんじんけんのごとく、 太陽たいようかいらして高低こうていえらばざるがごとし。

念仏往生↠選↢有智・無智↡、不↠嫌↢持戒・破戒↡、不↠云↢少聞・少見↡、不↠云↢在家・在俗↡、一切有心之、易↠唱↠生。如↧一月浮↢万水↡無↦嫌水浅深↥、如↧太陽照↢世界↡不↞選↢地高低↡。

ほっしょうしゃくして (五会法事讃巻本) いはく、 「とんえらばず」 と。 たとひしょうもんしょうけんといへども、 みょうごうとなへばすなはちしょうずべし。 たとひもんけんとへども、 ぶつみょうしょうせばすなはちしょうず。 たとひ月卿げっけい雲客うんかくといへども、 念仏ねんぶつするものはすなはちしょうず。 たとひでんにんといへども、 しょうねんすればすなはちしょうずばん一願いちがんせっし、 千品せんぼんじゅうねんおさむ。 このびょうどう慈悲じひをもつて、 あまねく一切いっさいせっするなり このこころしゃくすべし 云々

法照釈云、「不↠簡↠貧。」雖↢少聞・少見↡、唱ヘバ↢名号↡即生ズベシ。設雖↢多聞・多見↡、称↢仏名↡即生。設雖↢月卿・雲客↡、念仏スル即生。設雖↢田夫・野人↡、称念スレバ即生 。万機↢一願↡、千品↢十念↡。以↢此平等慈悲↡、普スル↢一切↡也 可↠釈↢此意↡也 云云

ひていはく、 一切いっさいさつそのがんつといへども、 あるいははじょうじゅあり、 あるいはじょうじゅあり。 いぶかし、 法蔵ほうぞうさつじゅうはちがんはすでにじょうじゅすとやせん、 はたじょうじゅとやせん。

問曰、一切菩薩雖ドモ↠立↢其↡、或有↢已成就↡、或有↢未成就↡。未審、法蔵菩薩四十八願↢成就トヤ↡、↢未成就トヤ也。

こたへていはく、 法蔵ほうぞう誓願せいがんは、 一々いちいちじょうじゅしたまへり。 すべてもつて信受しんじゅす、 あへて狐疑こぎすることなかれ。 なんとなれば、 極楽ごくらくかいのなかにすでにさん悪趣まくしゅなし。 まさにるべし、 これすなはち第一だいいちさん悪趣まくしゅがんじょうじゅするなり。 なにをもつてかることをるは、 すなはち三悪さんまくしゅがんじょうじゅもん (大経巻上) に 「やくごく餓鬼がきちくしょう諸難しょなんしゅ」 といふこれなり。

答曰、法蔵誓願、一一成就シタマヘリ。僉信受、敢莫↢狐疑スルコト↡。ナン者、極楽世界無↢三悪趣↡。当↠知即成就スル↢第一無三悪趣之願↡也。何↠知コトヲ、即無三悪趣願成就云↢「亦無地獄・餓鬼・畜生、諸難之趣」↡也。

またかのくに人天にんでんすでにもつて一人いちにんさんじゅうそうせずといふことあることなし。 まさるべし、 これすなはちだいじゅういちさんじゅうそうがんじょうじゅするなり。 なにをもつてることはるは、 すなはちさんじゅうそうがんじょうじゅもん (大経巻下) に 「しょうこくしゃ皆悉かいしつそくさんじゅうそう」 といへるこれなり。

人天既↠有コト↢一人不↟具↢三十二相↡。当↠知即成↢就スル第廿一具三十二相↡也。以↠何↠知コトハ、即具三十二相願成就↢「生彼国者、皆悉具足三十二相」↡也。

かくのごとくはじさん悪趣まくしゅがんよりおわさん法忍ぼうにんがんいたるまで、 一々いちいち誓願せいがんみなもつてじょうじゅしたまへり。 だいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうがん、 あにひとりもつてじょうじゅせざらんや。 しからばすなはち念仏ねんぶつひとみなもつておうじょうすべし。 なにをもつてることをるは、 すなはち念仏ねんぶつおうじょうがんじょうじゅもん (大経巻下) しょしゅじょうもんみょうごう信心しんじんかんない一念いちねんしんこうがんしょうこく即得そくとくおうじょうじゅう退転たいてん」 といへるこれなり。 およそじゅうはちがんしょうごんじょう華池けち宝閣ほうかく願力がんりきにあらざることなし。 なんぞそのなかにおいてひと念仏ねんぶつおうじょうがんわくすべきや。

如↠是初↢無三悪趣0288願↡終↢三法忍↡、一一誓願成就タマヘリ。第十八念仏往生願、不↢成就↡乎。然念仏之人往生スベシ以↠何↠知コトヲ、即念仏往生願成就↢「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心廻向、願生彼国、即得往生、住不退転」↡也。四十八願荘厳浄土、華池・宝閣無↠非コト↢願力↡。何↢其↡独↣疑↢惑念仏往生↡乎。

しかのみならず一々いちいちがんおわりにみな 「にゃく不爾ふにしゃしゅしょうがく」 といふ。 しかるに弥陀みだぶつじょうぶつらいこん十劫じっこうなり、 じょうぶつもつてじょうじゅしたまへり。 まさにるべし、 一々いちいちがんむなしもうくべからず。 ゆゑにかみくところの ¬おうじょう礼讃らいさん¼ にいはく、 「かのぶついまげんにましましてじょうぶつしたまふ。 まさにるべし、 本誓ほんぜいじゅうがんむなしからず、 しゅじょうしょうねんすればかならずおうじょう」 と。 しゃくがんむねたり、 すべからくぎょうしんすべきのみ。

加之一一云↢「若不爾者不取正覚」。而阿弥陀仏成仏已来於今十劫ナリ、成仏之果以成就タマヘリ。当↠知、一一願不↠可↢虚設↡。故↠引¬往生礼讃¼云、「彼仏今現在↠世成仏。当↠知、本誓重願不↠虚、衆生称念必得↢往生↡。」 釈家得タリ↢願↡、須可↢仰信ノミ

ひていはく、 ¬きょう¼ (大経巻上) には 「じゅうねん」 といひ、 しゃくには 「じっしょう」 といふ。 ねんしょういちいかん。

問曰、¬経ニハ¼云↢「十念」↡、釈ニハ云↢「十声」↡。念声之義、一異如何。

こたへていはく、 ねんしょうこれいちなり。 なにをもつてかることをれば、 ¬かんぎょう¼ ぼんしょうにいはく、 「令声りょうしょうぜつそくじゅうねんしょう南無なも弥陀みだぶつしょうぶつみょう念々ねんねんちゅうじょはちじゅう億劫おくこうしょうざい」 と。 いまこのもんによるに、 しょうすなはちこれねんねんすなはちこれしょうなること、 そのこころあきらかなり。

答曰、念声是一ナリ。何レバ↠知コトヲ、¬観経¼下品下生云、「令声不絶、具足十念称南無阿弥陀仏、称仏名故、於念念中除八十億劫生死之罪」。 今依ルニ↢此↡、声即是念、念即是声ナルコト、其意暁カナリ矣。

しかのみならず ¬だいじゅう月蔵がつぞうきょう¼ (大集経巻四三日蔵分念仏三昧品意) にいはく、 「大念だいねん大仏だいぶつしょうねんしょうぶつる」 と。 かんぜん (群疑論巻七) いはく、 「大念だいねんとはだいしょう念仏ねんぶつするなり、 しょうねんとは小声しょうしょう念仏ねんぶつするなり」 と。 またこのこころによりてねんしょうこれいちなり。 まさにるべし、 ねんはすなはちこれしょうくんなり。

加之¬大集月蔵経¼云、「大念見↢大仏↡、小念見↢小仏↡。」感禅師云、「大念者大声念仏スルナリ、小念者小声念仏スルナリ。」亦依↢此↡念声0289是一ナリ。当↠知、念訓也。

ひていはく、 ¬きょう¼ (大経巻上) には 「ない」 といひ、 しゃくには 「下至げし」 といふ。 ない、 そのこころいかん。

問曰、¬経ニハ¼云↢「乃至」↡、釈ニハ云↢「下至」↡。乃下之義、其意如何。

こたふ。 ない下至げしとそのこころこれいちなり。 ¬きょう¼ に 「ない」 といふは、 じゅうこうしょうことばなり。 とはじょうじんいちぎょうなり。 しょうとは下至げしじっしょういっしょうとうなり。 しゃくに 「下至げし」 といふは、 とはじょうたいすることばなり。 いふところのとは、 下至げしじっしょういっしょうとうなり。 たいするところのじょうとは、 じょうじんいちぎょうなり。

答。乃至与↢下至↡其意是一ナリ。¬経¼云↢「乃至」↡者、従多向少之也。多者上尽一形也。少者下至十声・一声等也。釈云↢「下至」↡者、下者対スル↠上也。所↠言下者、下至十声・一声等也。所↠対スル者、上尽一形也。

じょう相対そうたいもんそのれいいちにあらず。 しばらく宿命しゅくみょうつうがん (大経巻上) にいふがごとし、 「たとひわれぶつんに、 こくちゅうてんにん宿命しゅくみょうらず、 しもひゃく千億せんおく那由他なゆた諸劫しょこうことらざるにいたらば、 しょうがくらじ」 と。 かくのごとく神通じんずうおよびこうみょう寿じゅみょうとうがんのなかに、 一々いちいちにみな 「下至げし」 のことばけり。 これすなはちよりしょういたる、 をもつてじょうたいするなり。 まさにかみ八種はっしゅがんじゅんれいするに、 いまこのがんのなかの 「ない」 とは、 すなはちこれ下至げしなり。 このゆゑにいま善導ぜんどう所引しょいんしゃくの 「下至げし」 のことばは、 そのこころきょうめいせり。

上下相対之文其例非↠一。且如↢宿命通↡、「設我得↠仏、国中天・人不↠識↢宿命↡、下至↠不↠知↢百千億那由他諸劫事↡者、不↠取↢正覚↡。」如↠是五神通及以光明・寿命等、一一皆置ケリ↢「下至」之言↡。則従↠多至↠少、以↠下スル↠上之義也。准↢例スルニ上之八種之願↡、今此「乃至」者、即下至也。是善導所引解釈「下至」之言、其意冥セリ↢経旨↡。

ただこのがんすること、 善導ぜんどうしょとそのこころどうなり。 しょしゃくべっしてじゅうねんおうじょうがんといふは、 もしじゅうてずは、 すなはちしょうずることをず。 善導ぜんどうこころそうじて念仏ねんぶつおうじょうがんといふ。 員数いんじゅかぎらず、 しょうねんすればみなしょうず。 しょべっしてじゅうねんおうじょうがんといふは、 そのこころすなはちあまねからざるなり。 しかるゆゑは、 かみいちぎょうて、 しも一念いちねんつるゆゑなり。 善導ぜんどうそうじて念仏ねんぶつおうじょうがんといふは、 そのこころひろあまねきなり。 しかるゆゑは、 かみいちぎょうり、 しも一念いちねんるがゆゑなり。

但解コト↢此↡、善導与↢諸師↡其意不同ナリ。諸師之釈シテ云↢十念往生、若不↠満↠十、即不↠得↠生ルコトヲ。善導之意ジテ云↢念仏往生↡。不↠限↢員数↡、称念レバ皆生諸師別シテ云↢十念往生↡者、其意即不↠周カラ也。所↢以然、上↢一形↡、下↢一念↡之故也。善導ジテ言↢念仏往生願↡者、其意広也。所↢以然↡者、上↢一形↡、ルガ↢一念↡之故也。

そもそもこのじゅうはちがんは、 みなばっらくあり。 しかるゆゑは、 だいばっなり、 だいらくなり。 第一だいいちさん悪趣まくしゅは、 だいばっなり。 だいきょう悪趣あくしゅは、 またこれだいばっなり。 第三だいさん悉皆しっかい金色こんじきは、 これらくなり。 だい無有むう好醜こうしゅは、 またこれらくなり。

四十八、皆有0290↢抜苦・与楽之義↡。爾、大悲抜苦ナリ、大慈与楽也。第一無三悪趣、大悲抜苦也。第二不更悪趣、亦大悲抜苦也。第三悉皆金色与楽也。第四無有好醜、又与楽也。

ないじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうがんふたつのこころあり。 しゅつしょうはこればっなり、 おうじょう極楽ごくらくはこれらくなり。 しょうしゅいちによくはなれて、 じょう諸楽しょらく一念いちねんによくく。 もし弥陀みだ念仏ねんぶつがんなく、 しゅじょうこの願力がんりきじょうぜずんば、 五苦ごく逼迫ひっぱくしゅじょう、 いかんがかいはなるべし。 過去かこ生々しょうしょう世々せせ弥陀みだ誓願せいがんはざりければ、 いま三界さんがいかいたくにありて、 いまだにとくじょうらくほうじょういたらず。 過去かこみなもつてかくのごとし。 らいまたむなしくおくるべし。

乃至十八念仏往生↢二意↡。出離生死抜苦也、往生極楽与楽也。生死衆苦一時、浄土諸楽一念。若弥陀↢念仏願↡、衆生不↠乗↢此願力、五苦逼迫衆生、云何ンガ↠離↢苦界↡。過去生生世世不リケレバ↠値↢弥陀誓願↡者、于↠今在↢三界皆苦火宅↡、未↠至↢四徳常楽之宝城↡。過去↠此。未来亦空↠送

こんじょういかなるふくありてかこの大願だいがんへる。 たとひふといへども、 もししんぜざれば、 はざるがごとし。 すでにふかくこれをしんず、 いままさしくこれふなり。 ただしたとひこころにこれをしんずといへども、 もしこれをぎょうぜずんば、 またしんぜざるがごとし。 すでにこれをぎょうず、 まさしくこれしんずるなり。 願力がんりきむなしからず、 ぎょうごうまことあり、 おうじょううたがいなし。 すでにしょうはなれ、 しゅはなるべし。 すなはちこれだいばっなり。

今生有テカ↢何ナル福↡値↢此大願↡。設雖↠遇、若不↠信者、如↠不ルガ↠値。既↠之、今正是値ナリ。但設雖↠信↠之、若ンバ↠行↠之、又如↠不↠信。既行↠之、正ナリ。願力↠空カラ、行業有↠誠、往生無↠疑。既離↢生死↡、可↠離↢衆苦↡。即大悲抜苦也。

つぎ極楽ごくらくおうじょうのち身心しんしんもろもろのらくけ、 如来にょらい拝見はいけんし、 しょうじゅ瞻仰せんごうせん、 るごとに眼根げんこんらくし、 みみじんみょうほうき、 くごとにこんらくさん。 はなどく法香ほうこうぎ、 ぐごとにこんらくす。 したほう禅悦ぜんえつあじむ、 むるごとに舌根ぜっこんらくす。 には弥陀みだこうみょうこうむる、 るるごとに身根しんこんらくす。 こころらくきょうえんず、 えんずるごとにこんらくす。

往↢生極楽↡之後、身心受↢諸↡、眼拝↢見如来↡、瞻↢仰セン聖衆↡、毎↠見↢眼根↡、耳聞↢深妙、毎↠聞増↢耳根↡。鼻聞↢功徳法香↡、毎↠聞増↢鼻根↡。舌↢法喜・禅悦↡、毎↠嘗増↢舌根↡。身ニハ↢弥陀光明↡、毎↠触↢身根↡。意↢楽之境↡、毎↠縁増↢意根↡。

極楽ごくらくかい一々いちいちきょうがい、 みな離苦りく得楽とくらくはかりごとなり。 かぜ宝樹ほうじゅくもこれらくなり、 えだこえだはなこのみじょうらくいんず。 かのこがねきしあらふもこれらくなり、 らんとく廻流えるす。 しゅうかくささやくもこれらくなり、 根力こんりき覚道かくどう法門ほうもんなるがゆゑに。 塞鴻さいこうくもこれらくなり、 念仏ねんぶっ法僧ぽうそうみょうほうなるがゆゑに。 ほうあゆむもこれらくなり、 てんあしうらほうるもこれらくなり、 てんがくみみそうす。 これすなはち弥陀みだ如来にょらい慈悲じひおんこころ念仏ねんぶつ誓願せいがんおこして、 われらしゅじょうらくあたふるこころなり。

極楽世界一一境界、0291苦得楽之計ゴト也。風クモ↢宝樹楽也、枝・条・華・菓韻↢常楽↡。彼フモ↢金楽也、微瀾廻↢流四徳↡。洲鶴囀楽也、根力覚道法門ナルガ。塞鴻楽也、念仏法僧妙法ナルガ。歩↢宝地楽也、天衣受↠趺ルモ↢宝宮楽也、天↠耳弥陀如来、慈悲御心発↢念仏之誓願↡、我等衆生↠苦↠楽心也。

つぎべっして女人にょにんやくして発願ほつがんして (大経巻上意) いはく、 「たとひわれぶつんに、 それ女人にょにんありて、 わがみょうき、 かんしんぎょうして、 だいしんおこし、 女身にょしんいとふ、 寿じゅじゅうのち、 また女像にょぞうとならば、 しょうがくらじ」 と。 これにつきてうたがいあり。 かみ念仏ねんぶつおうじょうがん男女なんにょきらはず、 来迎らいこういんじょう男女なんにょわたる。 ねん定生じょうしょうがんまたしかなり。 いまべつにこのがんあり、 そのこころいかん。 つらつらこのことあんずるに、 女人にょにんさわおもくしてあきらかに女人にょにんやくせずは、 すなはちしんしょうぜん。 そのゆゑは、 女人にょにんとがおおさわふかくして、 一切いっさいところきらはれたり。 道宣どうせん (浄心誡観巻上) きょうきていはく、 「十方じっぽうかい女人にょにんあるところにはすなはちごくあり」 と。

シテシテ↢女人↡発願云、「設我得↠仏、其有↢女人↡、聞↢我名字↡、歓喜信楽、発↢菩提心↡、厭↢於女身↡、寿終之後、復為↢女像↡者、不↠取↢正覚↡。」 付↠此有↠疑。上念仏往生不↠嫌↢男女↡、来迎引接↢男女↡。繋念定生也。今別有↢此願↡、其心云何。倩ルニ↢此↡、女人障重シテ不↠約↢女人、即生↢疑心↡。其者、女人過多シテ、一切タリ↠嫌。道宣引↠経、「十方世界↢女人↡処ニハ即有↢地獄↡。」

しかのみならずうちしょうあり、 ほかさんしょうあり。 しょうとは、 「一者いっしゃとく しゃたいしゃく三者さんしゃおうしゃ転輪てんりんおうしゃ仏身ぶっしん(法華経巻四提婆品)

加之内有↢五障↡、外有↢三従↡。五障者、「一者不得 。二者帝釈、三者魔王、四者転輪王、五者仏身。」

一者いっしゃとく梵天ぼんてんのうとは、 色界しきかい初禅しょぜんおう梵衆ぼんしゅぼんおうなり。 かれはなほしょうめつきょう輪転りんでんしつなり。 りょう梵王ぼんのう、 かはるがはるすとも、 まつたく女身にょしんをもつて高台こうだいかくのぼるものなく、 三朱さんしゅえりからふものなし。 これなほかたし、 いかにいはんやおうじょうをやと。 これをうたがふべきがゆゑに、 べっして女人にょにんおうじょうがんおこす。

一者不得作梵天王者、色界初禅之王、梵衆・梵輔之王也。彼尚消滅之境、輪転之質ナリ。無量梵王、カハルガハルトモ、全↢女身↡無↧登↢高台↥、無↧刷ラウ↢三朱之襟↡、何往生。可↠疑↠之故0292、別シテ↢女人往生↡。

しゃたいしゃくとは、 欲界よくかいだいてんしゅ八万はちまんいただきさんじゅうさんてんおうしゅしょう殿でんしゅなり。 かれまたすいかたちめつきょうなり。 そこばくのたいしゃくかわうつるといへども、 いまだ女身にょしんをもつてたいしゃくほうのぼるものあらず。

二者帝釈者、欲界第二天、須弥八万之頂、三十三天王、殊勝殿主也。五衰之形、摩滅之境ナリ。若干帝釈替ルトドモ、未↧以↢女身↡登↢帝釈宝座アラ

三者さんしゃおうとは、 欲界よくかい第六だいろくてん他化たけざいおうなり。 なほ業報ごうほうしつ遷変せんぺんところひゃくせんおううつするといひ、 いまだ女身にょしんおうといふことあらず。

三者魔王者、欲界第六天、他化自在王也。業報之質、遷変之処。百千魔王移ルト、未↠有↢女身魔王云事↡。

しゃ転輪てんりんじょうおうとは、 とう西ざいなんぼくしゅうおうこんごんどうてつりんおうなり。 そのなかにいまだ一人いちにんにょ輪王りんのうといふものあらず。

四者転輪聖王者、東・西・南・北四洲之王、金・銀・銅・鉄四輪之王也。其↣一人↢女輪王ト云モノ↡。

しゃ仏身ぶっしんとは、 ぶつになることはなんなほかたし、 いかにいはんや女人にょにんをや。 大梵だいぼん高台こうだいかくにもきらはれ、 梵衆ぼんしゅぼんくものぞむことなく、 たいしゃくにゅうなんゆかにもくだされて、 さんじゅう三天さんてんはなもてあそぶことなし。 六天ろくてんおうくらいしゅ輪王りんのうあとのぞながえてかげだにもさず。 てんじょうてんのなほいやししょう有漏うろほうじょうしょうめつつたなにだにもならず。 いかにいはんやぶつをや。

五者仏身者、成コトハ↠仏男子、何女人之哉。大梵高台閤ニモ被↠嫌、無↠望ムコト↢梵衆・梵輔之雲↡、帝釈柔軟ニモ↠下、無↠翫コト↢三十三天之華↡。六天魔王之位、四種輪王之跡、望ダニモ不↠指。天上・天下生死有漏果報、無常消滅ニダニモ↠成。何仏位哉。

もうすにはばかりあり、 おもへばおそれあり。 三惑さんわくたちまちに二死にしながくのぞきて、 じょうここにけて覚月かくげつまさにまどかなり。 四智しちえんみょうはるそのさんじゅうそうはなあざやかにひらき、 三身さんしん即一そくいつあきそらはちじゅう種好しゅこうつききよめり。 くらいみょうがくこうくらいかいかんじょう法王ほうおうなり。 かたちぶっ円満えんまんかたち三点さんてんほっしょう円融えんゆう聖容せいようなり。

有↠憚、思ヘバ↠恐。三惑頓二死永、長夜爰明覚月正ナリ也。四智円明之春三十二相之華鮮カニ、三身即一之秋ソラ八十種好之月清メリ。位妙覚高貴之位、四海潅頂之法王也。形仏果円満之形、三点法性円融之セイ容也。

じつにはなんだにも善財ぜんざいだいいっぴゃくいちじゅうしろもとめんがごとく、 雪山せっせんどう四句しくはんげんがごとく、 ぶつにはなるべしともうしてそうろふに、 ゆるおこなおろそかもとめては、 まつたくかなふべからずそうろふ。 されば せんじょうまんこれなんなれども、 じょうぶつりてしかもつ。 闡提せんだい沙門しゃもんなる、 けんごうむすびてしかもつ。 およそ仏道ぶつどうきらはれ、 ぶってらるるもの、 しょうすべからず。

ニハ男子ダニモ如↢善財大士一百一十ンガ↡、如シテ↢雪山童子四句半偈ンガ↡、仏ニハシト↠成申シテ、緩テハ、全不↠可↠叶候。サレ0293 五千上慢男子ナレドモ、去↢成仏↡而。五闡提羅沙門ナル、結↢無間之業↡而。凡仏道被↠嫌、仏家被↠棄、不↠可↢勝計↡。

いかにいはんや女人にょにんしょきょうろんのなかにきらはれ、 在々ざいざい所々しょしょひんしゅつせられたり。 さん八難はちなんにあらずはおもむくべきかたもなく、 六趣ろくしゅしょうにあらずは、 くべきかたちもなし。

女人諸経論↠嫌、在在所所タリ↢頻出↡。非↢三塗八難↡無↢可↠趣↡、非↢六趣四生↡、無↢可↠受形↡。

しかればすなはち富楼ふる尊者そんじゃじょうぶつくにには (法華経巻四五百弟子授記品) 無有むうしょ女人にょにんやくしょ悪道あくどうとうといへり。 さん悪道まくどうひとしめてなが女人にょにんあとけずる。 天親てんじんさつの ¬おうじょうろん¼ のなかには、 「女人にょにんぎゅう根欠こんけつじょうしゅしょう」 と、 根欠こんけつ敗種はいしゅおなじくして、 とおおうじょうのぞみ諸仏しょぶつじょうおもるべからず。

富楼那尊者成仏ニハヘリ↢「無有諸女人、亦無諸悪道」等↡。等メテ↢三悪道↡永ヅル↢女人↡。天親菩薩¬往生論¼中ニハ、云↢「女人及根欠、二乗種不生」↡、同シテ↢根欠・敗種↡、遠↢往生之望。諸仏浄土不↠可↢思↡。

この日本にっぽんこくに、 さしも とうとくやむごとなきれい霊験れいげんみぎりには、 みなことごとくきらはれたり

日本国サシモ無↠止霊地・霊験ニハタリ↠嫌

まづ叡山えいざんはこれでんぎょうだいこんりゅうかん天皇てんのうがんなり。 だいみづから結界けっかいしてたにさかひ、 みねかぎりて女人にょにんかたちれず。 いちじょうみねたくて、 しょうくもそびゆることなく、 いちたにふかくしてさんしょうみずながすことなし。 やくおう霊像れいぞうみみきてず、 だい結界けっかいれいとおちかのぞまず。

比叡山伝教大師建立、桓武天皇之御願也。大師自結界シテ↠谷、局↠峯↠入↢女人↡。一乗峯高、五障之雲無↠聳コト、一味之谷深クシテ三従之水無↠流コト。薬師医王霊像聞↠耳不↠視↠眼、大師結界霊地遠↠臨。

こうさん弘法こうぼうだい結界けっかいみね真言しんごん上乗じょうじょうはんじょうなり。 三密さんみつ月輪がつりんあまねくらすといへども、 女人にょにん非器ひきやみをばらさず。 びょうすいひとしながるといへども、 女身にょしん垢穢くえしつにはそそがず。 これらのところにおいて、 なほそのさわりあり。 いかにいはんやしゅっ三界さんがいごうじょうにおいてをや。

高野山弘法大師結界峯、真言上乗繁昌之地ナリ。三密之月輪雖ドモ↢普スト↡、↠照↢女人非器之闇ヲバ↡。五瓶之智水雖ドモ↢等ルト↡、↠灑↢女身垢穢之質ニハ↡。於↢此等所↡、↢其障↡。何於↢出過三界道之浄土↡之哉。

しかのみならずまたしょう天王てんのうがんじゅうろくじょう金銅こんどうしゃみまえはるかにこれを拝見はいけんすといへども、 なほとびらうちにはらず。 てん天王てんのうこんりゅうじょう石像せきぞうろくみまえたかあおぎてこれを拝礼らいはいすといへども、 なほだんじょうにはさわりあり。

加之聖武天王御願、十六丈金銅遮那ミマヘ、遥ドモ↣拝↢見スト↡、↠入↢扉ニハ↡。天智天王0294之建立五丈石像、弥勒ミマヘドモ↣拝↢礼スト↡、壇上ニハ有↠障。

ないこんくもうえだいかすみのなか、 女人にょにんかげをせず。 かなししきかな、 りょうそくそなふといへども、 のぼらざるほうみねあり、 まざるぶつにわあり。 はずかしきかな、 りょうがんはあきらかなりといへども、 ざるれいあり、 はいせざる霊像れいぞうあり。 この穢土えどりゃくけいきょくやま泥木でいもくぞうぶつにだにもさわりあり。 いかにいはんや衆宝しゅほうごうじょうじょう万徳まんどくきょうぶつをや。 これによりておうじょうそのうたがいあるべきがゆゑに、 このかんがみべつにこのがんあり

乃至金峯上、醍醐中、女人↠影ヲセ。悲哉、雖ドモ↠備↢両足↡、有↢不↠登法峯↡、有↢不↡。恥哉、雖ドモ↢両眼ナリト↡、有↢不↠見霊地↡、有↢不↠拝霊像↡。此穢土瓦礫・荊棘之山、泥木素像ニダニモ有↠障。何衆宝合成之浄土、万徳究竟之仏乎。因↠茲往生可↠有↢其疑↡故、鑑↢此↡別有↢此願↡

善導ぜんどう (観念法門) このがんしゃくしていはく、 「すなはち弥陀みだ大願だいがんりきによるがゆゑに、 女人にょにんぶつみょうごうしょうして、 まさしくいのちおわときにすなはち女身にょしんてんじてなんとなることを弥陀みだ接手せっしゅし、 さつたすけてほううえして、 ぶつしたがひておうじょうし、 ぶつだいりてしょうしょうす。 また一切いっさい女人にょにんもし弥陀みだみょう願力がんりきによらずは、 千劫せんごう万劫まんごうごうしゃとうこうにも、 つひに女身にょしんてんずることをべからず。 あるいは道俗どうぞくありていはく、 女人にょにんじょうしょうずることをずとは、 これはこれ妄説もうせつなり、 しんずべからず」 と。 これすなはち女人にょにんきて女人にょにんらくあたへる慈悲じひおんこころ誓願せいがんしょうなり。

善導釈シテ↢此↡云、「乃由↢弥陀大願力↡故、女人称↢仏名号↡、正命終即転↢女身↡得↠成コトヲ↢男子↡。弥陀接手、菩薩扶↠身↢宝華↡、随↠仏往生、入↢仏大会↡証↢悟無生↡。一切女人若不↠因↢弥陀名願力、千劫・万劫・恒河沙等ニモ、終不↠可↠得↠転↢女身↡。或有↢道俗↡云、女人不↠得↠生コトヲ↢浄土↡者、此妄説ナリ、不↠可↠信也。」 ↢女人↡与ヘル↢女人↡慈悲御意誓願利生也。

入文解釈 正宗分 依願修行

またそののち不可ふか思議しぎちょうさい永劫ようごうさつりょうぎょうがんしゃくじきして、 なんぎょうぎょうしてこうとくかさぬ。 あるひといはく、 そのいんぎょうおおろくせっす。 そのとくとといふはおお三身さんしんせっす。 ¬ほっ¼ (巻一序品巻六常不軽品) にいはく、 「しょうもんもとめんとするものには、 説応せつおうたいほう」 と。

後不可思議兆載永劫積↢植菩薩無量行願↡、難行苦行シテ↠劫↠徳。或人云、其因行者多↢六度↡。云↢其果徳↡者多↢三身↡。¬法華¼云、「為↠求↢声聞↡者、説応四諦法。」

ろくとは、 いちにはだんにはかいさんにはにんにはしんにはぜんろくにはなり。 はじめのだんにつきてりょうあり。 いはくこくじょうさい奴卑ぬひぼくじゅう聚落じゅらくでん園林おんりんぞうしゃじょう珍宝ちんぽうれん輿とう、 もろもろのしん一切いっさい財物ざいもつ、 よくこれを施与せよす。 ないげんぜつしん頭目とうもく髄脳のうずい一切いっさいうえ諸根しょこん、 よくこれをしゃす。 しからばすなはち弥陀みだ如来にょらいさつどうぎょうずるときだんしゅして劫海こうかいおくる。

六度者、一ニハ檀、二ニハ戒、三ニハ忍、四ニハ進、五ニハ禅、六ニハ恵也。付↢初↡有↢無量↡。謂国城・妻子・奴卑・僕従・聚落・田地0295・園林・象馬・車乗・珍宝・輦輿等、諸身外一切財物、能施↢与↡。乃至眼・耳・鼻・舌・身、頭目・髄脳、一切諸根、能捨↢与↡。然弥陀如来行↢菩薩道↡之時、修シテ↠檀↢劫海↡。

¬きょう¼ (悲華経巻九檀波羅蜜品意) にいはく、 「しょいちごうしゃのごとく、 乞眼こつげん婆羅ばらもんのごとし。 飲血おんけつしゅじょうありて身分しんぶんしょうけつへる、 ほどこすところのしょうけつ大海だいかいみずのごとし。 噉完だんかんしゅじょうありて身分しんぶんにくふ、 ほどこすところのかんせんしゅせんのごとし。 しかのみならずつるところのしたは、 だいてっせんのごとし。 つるところのみみは、 じゅん陀羅だらせんのごとし。 つるところのはなは、 毘布びふせんのごとし。 つるところのは、 しゃ崛山くっせんのごとし。 つるところのしんは、 三千さんぜん大千だいせんかいしょのごとし」 と。

¬経¼云、「所施目如↢一恒河沙↡、如↢乞眼婆羅門↡。有↢飲血衆生↡乞ヘル↢身分生血↡、所↠施生血如↢四大海↡。有↢噉完衆生↡乞↢身分脂肉↡、所↠施完↢千須弥山↡。加之所↠捨、如↢大鉄囲山↡。所↠捨、如↢純陀羅山↡。所↠捨、如↢毘布羅山↡。所↠捨、如↢嗜闍崛山↡。所↠捨身皮、如↢三千大千世界諸有↡。」

しかのみならずあるときには肉山にくせんとなりてしゅじょう食噉じきだんせられ、 あるときには大魚だいぎょとなりて身分しんぶんしゅじょうあたふ。 さつ慈悲じひ、 これをもつてるべし しゅじょう貪欲とんよく、 これをもつてるべし 飲血おんけつ噉肉だんにくしゅじょうなさけなし、 さつしょうはだえやぶり、 じきじゃくぼんはばかりなし、 さっ慈悲じひにくじきす。 かくのごとく一劫いっこうこうにあらず、 ちょうさい永劫ようごうあいだだい海水かいすいながし、 せんしゅせんにくつくす。 てがたきをよくて、 しのびがたきをよくしのびてだんまんじ、 尸羅しら波羅はらみつ満足まんぞく

加之或ニハ↢肉山↡被↣食↢噉衆生↡、或ニハ↢大魚↡与↢身分衆生↡。菩薩慈悲、以↠之↠知 。衆生貪欲、以↠之↠知 。飲血・噉肉之衆生、破↢菩薩利生之膚↡、求食著味之凡夫無↠憚、食↢薩埵慈悲之肉↡。如↠是非↢一劫二劫↡、兆載永劫之間、流↢四大海水之血↡、ツク↢千須弥山之肉↡。難キヲ↠捨、難↠忍能満↢檀度↡、満↢足尸羅波羅蜜

忍辱にんにくしょうじんぜんじょう智恵ちえろく円満えんまんし、 まんぎょうそく

忍辱・精進・禅定・智恵六度円満、万行具足

入文解釈 正宗分 所得依正

つぎ果位かい三身さんしん つねのごとし

果位三身 如↠常

法身ほっしんとは つねのごとし

法身如↠常

報身ほうじんとは、 前因ぜんいんむくいて感得かんとくするところのしんなり。 かみきてどろおおへるこうこん瑠璃るりちょうかんじ、 ながにくきておさ紫磨しまごんとらきんだいむなしからずして、 はやおうそうじゅうだいまことありて、 はるかに鹿王ろくおうはぎかんず。 のうやぶりてやまいせしがゆゑに、 いまおうだいおうとなる。 にくほどこしてしょうにんあたへんがゆゑに、 いませんだいせんとなる。 とうしょくほどこせるがゆゑに、 こうみょうりょうぶつとなる。 せっしょうだんずるがゆゑに、 寿じゅみょうりょうひじりとなる。 たからをもつてひとあたへしかば衆宝しゅほうこくしゅとなる、 じょうをもつてひとほどこして大宝だいほうおうたり。

報身者、報↢前因↡所↢感得スル↡身也。布↠髪掩↠泥之0296功感↢紺瑠璃頂↡、流↠血割↠肉之勒得↢紫磨金↡。代↠禽之慈不シテ↠空カラ、早得↢鵝王之相↡。代↠獣之悲有↠誠、遥↢鹿王之ハギ↡。破↠脳シガ↢他↡故、今成↢医王・大医王↡。施↠肉ンガ↢商人↡故、今成↢船師・大船師↡。施↢灯燭↡故、成↢光明無量↡。断↢殺生↡故、成↢寿命無量↡。以↠宝カバ↠人↢衆宝国土之主↡、以↠床↠人タリ↢大宝華王之座↡。

布施ふせぞうとなしてひゃっぷくしょうごんざいおさめ、 かいりょうでんとなしてさんだいしゅうくだす。 忍辱にんにくよろいかたおうじゅうぐんたたかひ、 しょうじん駿しゅんりてはや嶮難けんなんろくゆ。 じょうりょけんをもつてけっ使くびり、 ぜんじょう深水じんすいをもつて諸欲しょよくあかあらひ、 智恵ちえ船筏せんばつをもつてしょう大海だいかいわたり、 般若はんにゃみょうとうかかげてみょうじょうらす。 およそまんぎょういんこたへて万徳まんどくかんずること、 いんかんはなむすぶがごとし。 ごうむくひてほうまねく、 ひびきこえしたがふにたり。 これすなはち法蔵ほうぞう比丘びく実修じっしゅまんぎょうむくひて、 弥陀みだ如来にょらいじっしょう万徳まんどくたまへる報身ほうじん如来にょらいなり。

布施シテ↢庫蔵↡収↢百福荘厳之財↡、持戒シテ↢良田↡下↢三菩提之種子↡。著↢忍辱↡固↢魔王之十軍↡、乗↢精進駿馬↡早超↢嶮難之六度↡。以↢静慮利剣↢結使↡、以↢禅定深水↡洗↢諸欲↡、以↢智恵船筏↡渡↢生死大海↡、挑↢般若明灯↡照↢無明長夜↡。凡↢万行↡感コト↢万徳↡、依因感果如↢華↟果。酬↠業招↠報、似タリ↢響フニ↟声。是則↢法蔵比丘実修万行↡、弥陀如来得タマヘル↢実証万徳↡報身如来也。

つぎ応身おうじんとは、 じゅう応同おうどうしんなり

応身者、始終応同身也

つぎぶつ色身しきしん相好そうごうどくとは、 そのしんりょうをいへば、 ろくじゅう万億まんおく 。 その身色しんじきをいへば、 ひゃくせん万億まんおく 。 このしんりょう所得しょとくしょうは、 これすなはちべつのものにあらず、 ろくまんぎょう修因しゅいんむくひたり。 じゅうはちがん一々いちいちそうなし。 本願ほんがんのごとし。 あらわれたる所得しょとくしょうは、 ちょうもん人々ひとびともうさずともさきにこれをじきせん。 もしこれをしゃくせば一々いちいちしょうじゅうはちがんによりてしゃくす。 べつにこれあり、 これをむべし。

次仏色身相好功徳者、云↢其身量↡者、六十万億 。言↢其身色↡者、百千万億 。此身量之所得依正者、非↢別↡、酬タリ↢六度万行之修因↡。四十八願一一無↢相異↡。如↢本願↡。顕タル↠名所得依正者、聴聞人人不↠申前知↢食↡。若釈↠之一一依正、依↢四十八願↡釈。別0297、可↠読↠之

入文解釈 正宗分 往生行業

おうじょうぎょうごうとは、 らい云々うんぬん これにあり。 いちにはぎょうわかち、 にはもんによりてべっしゃくす。

往生行業者、来意云云↠二。一ニハ分↢二行↡、二ニハ↠文別釈

入文解釈 正宗分 往生行業 二行

いちぎょうわかつとは、 またわかちてさんとなす。 いちにはまさしくぎょうわかち、 には善導ぜんどうによりて得失とくしつろんず、 さんにはかんとうをもつて善導ぜんどうたすく。

↢二行↡者、亦分↠三。一ニハ分↢二行↡、二ニハ↢善導↡論↢得失↡、三ニハ↢感師等↡助↢善導之義↡。

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 正分二行

いちぎょうわかつとは、 またわかちてとす。

分↢二行↡者、亦分為↠二

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 正分二行 分

いちにはまさしくぎょうわかつ。 善導ぜんどうらによらば、 おうじょうぎょうおおきにわかちてとす。 いちには念仏ねんぶつぎょうにはしょぎょう しょはいまだかならずしもかくのごとく分別ふんべつせず 。 これによりておうじょう正行しょうぎょうぼんたやすくもつてさとるべきことかたし

ニハ↢二行↡。依ラバ↢善導等↡、往生之行大為↠二。一ニハ念仏行、二ニハ諸行 。余諸師↢必如↠此分別↡ 。依↠之往生正行、凡夫輒↠可コト↠了

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 正分二行 釈

りゃくしてそうしゃくせば、 これにまたとなす。 いちには念仏ねんぶつしゃくし、 にはぎょうしゃくす。 いち念仏ねんぶつとは、 あるいはぶつ相好そうごうかんじ、 あるいはこうみょうかんず、 あるいはみょうそうにより、 あるいはいんじょうそうによりて、 一心いっしん弥陀みだぶつみなしょうねんす、 これをづけて念仏ねんぶつとなす。 相好そうごうかんずとは こうみょうとは みょうそうとは いんじょうそうとは 。 たとひまた観念かんねんなきも、 ただ称名しょうみょうしんずるもまたおうじょう

シテ釈↠相者、此亦為↠二。一ニハ↢念仏↡、二ニハ↢余行↡。一念仏者、或観↢仏相好↡、或観↢光明↡、或依↢帰命↡、或↢引接想↡、一心称↢念弥陀仏↡、名↠之↢念仏↡。観ズト↢相好↡者 。光明。帰命想。引接想。設亦無キモ↢観念↡、但信ズル↢称名↡亦得↢往生↡

しょぎょうしゃくすとは、 極楽ごくらくもとむは、 かならずしも念仏ねんぶつのみにあらず。 おのおのぎょうよくしたがひて種々しゅじゅぎょうしゅす、 そのぎょうそうひろきょうろんにあり、 つぶさにこれをくにあたはず。

スト↢余諸行↡者、求↢極楽↡者、必シモ↢念仏ノミ↡。各随↢楽欲↡修↢種種↡、其行相広↢経論↡、不↠能↢具引↟之

しょきょうくところそのごうおおしといへども、 そのようけっするにさんでず。 ゆゑに ¬おうじょうようしゅう¼ (下巻) にいはく、 「しょきょうぎょうごうそうじてこれをいはば、 ¬梵網ぼんもう¼ の戒品かいぼんでず。 べつのしかもこれをろんぜば、 ろくでず。 くわしくそのそうかすにそのじゅうさんあり。 いちにはざい法等ほうとうにはさんかい八戒はっかい十戒じっかいとうしょうかいぎょうさんには忍辱にんにくにはしょうじんにはぜんじょうろくには般若はんにゃ 第一だいいちしんずるとうこれなりしちにはほつだいしんはちにはしゅぎょう六念ろくねん ぶつほうそうかいてんと、 これを六念ろくねんといふには読誦どくじゅだいじょうじゅうにはしゅ仏法ぶっぽうじゅういちには孝順きょうじゅん父母ぶも奉事ぶじちょうじゅうにはしょうきょうまんじゅうさんにはぜんようなり」 と。

諸経所↠説ドモ↢其業多シト↡、結ルニ↢其↡不↠出↢三意↡。故¬往生要集¼云、「諸経行業、総而言↠之、不↠出↢¬梵網¼戒品↡。別↠之、不↠出↢六度↡。細スニ↢其↡有↢其十三。一ニハ財・法等施。二ニハ三帰・五戒・八戒・十戒等多少0298戒行。三ニハ忍辱。四ニハ精進。五ニハ禅定。六般若 信↢第一義↡等是也。七ニハ発菩提心。八ニハ修行六念 、謂↢之六念、九ニハ読誦大乗。十ニハ守護仏法。十一ニハ孝順父母・奉事師長。十二ニハ不生憍慢。十三ニハ不染利養也。」

いちには布施ふせとは 読誦どくじゅだいじょうとは 。 このなかにきょうじゅあり

ニハ布施。九読誦大乗。此有↢持教・持呪↡

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依善導

つぎ善導ぜんどうによるにあり。 いちにはまづぎょうしゃくす、 にはまさしく得失とくしつろんず。

ルニ↢善導↡有↠二。一ニハ↢二行↡、二ニハ↢得失↡。

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依善導 釈二行

いちぎょうとは、 いちには正行しょうぎょうにはぞうぎょうなり。 (散善義) 正行しょうぎょうといふは、 もつぱらおうじょうきょうによりてぎょうぎょうずるもの、 これを正行しょうぎょうづく。 何者なにものかこれなるや。 一心いっしんにもつぱらこの ¬かんぎょう¼・¬弥陀みだきょう¼・¬りょう寿じゅきょう¼ とう読誦どくじゅし、 一心いっしんにかのくにほうしょうごんせんちゅうそう観察かんざつ憶念おくねんす。 もしらいするにはすなはち一心いっしんにもつぱらかのぶつらいす、 もしくちとなへんにはすなはち一心いっしんにもつぱらかのぶつとなへ、 もし讃嘆さんだんようせんにはすなはち一心いっしんにもつぱら讃嘆さんだんようす、 これをづけてしょうとなす。

二行者、ニハ正行、二ニハ雑行也。「言↢正行↡者、専依↢往生経↡行ズル↠行、是↢正行↡。何者ナルヤ也。一心読↢誦¬観経¼・¬弥陀経¼・¬無量寿経¼等↡、一心専↢注思↣想観↤察憶↯念二報荘厳↡。若礼ニハ即一心礼↢彼↡、若口ンニハ即一心称↢彼↡、若讃嘆供養ンニハ即一心讃嘆供養、是↠正

またこのしょうのなかにつきて、 またしゅあり。 いちには一心いっしんにもつぱら弥陀みだみょうごうねんじて、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがせつごんはず念々ねんねんてざるもの、 これを正定しょうじょうごうづく、 かの仏願ぶつがんじゅんずるがゆゑに。 もし礼誦らいじゅとうによるをばすなはちづけて助業じょごうとなす。 このしょうじょぎょうのぞきて以外いげ自余じよ諸善しょぜんをばことごとくぞうぎょうづく。 もしさきしょうじょぎょうしゅすには、 しんつねに親近しんごんして憶念おくねんだんぜざれば、 づけてけんとするなり。 もしのちぞうぎょうぎょうずるには、 すなはちしんつねに間断けんだんす、 こうしてしょうずることをべしといへども、 すべてぞうぎょうづく」 と。

↢此↡、↢二種↡。者一心念↢弥陀名号↡、行住坐臥不↠問↢時節久近↡念念↠捨、是名↢正定之業↡、順ルガ↢彼仏願↡故ルヲバ↢礼誦等↡即名↢助業↡。除↢此正助二行↡已外自余諸善ヲバ↢雑行↡。ニハ↢前正助二行↡、心常親近シテ憶念不レバ↠断、名↢無間↡也。若ニハ↢後雑行↡、即心常間断、雖ドモ↢可↢廻向シテ得↟生コトヲ、衆↢疎雑之行↡。」

わたくしにいはく、 このもんにつきてふたつのこころあり。 いちにはおうじょうぎょうそうかし、 にはぎょう得失とくしつはんず。

、就↢此↡有↢二意↡。一ニハ明↢往生行相↡、二ニハ↢二行0299得失↡。

はじめにおうじょうぎょうそうかすとは、 善導ぜんどうしょうこころによるに、 おうじょうぎょうおおしといへどもおおきにわかちてとなす。 いちには正行しょうぎょうにはぞうぎょうなり。

スト↢往生行相↡者、依ルニ↢善導和尚↡、往生行雖ドモ↠多↠二。一ニハ正行、二ニハ雑行ナリ

はじめに正行しょうぎょうとは、 これにつきて開合かいごう二義にぎあり。 はじめにはかいしてしゅとし、 のちにはがっしてしゅとす。

正行者、就↠此有↢開合二義↡。初ニハ為↢五種↡、後ニハシテ為↢二種↡。

はじめにかいしてしゅとすとは、 いちには読誦どくじゅ正行しょうぎょうには観察かんざつ正行しょうぎょうさんには礼拝らいはい正行しょうぎょうには称名しょうみょう正行しょうぎょうには讃嘆さんだんよう正行しょうぎょうなり。

為↢五種↡者、一ニハ読誦正行、二ニハ観察正行、三ニハ礼拝正行、四ニハ称名正行、五ニハ讃嘆供養正行也。

第一だいいち読誦どくじゅ正行しょうぎょうとは、 もつぱら ¬かんぎょう¼ とう読誦どくじゅするなり。 すなはちもんに 「一心いっしんせん読誦どくじゅ ¬かんぎょう¼・¬弥陀みだきょう¼・¬りょう寿じゅきょう¼ とう」 といへるこれなり。

第一読誦正行者、専読↢誦スル¬観経¼等↡也。即文ヘル↢「一心専読誦此¬観経¼・¬阿弥陀経¼・¬無量寿経¼等」↡是也。

いふところのとうとはかみさんぎょうす。 いまきょう諸典しょてん等取とうしゅするにはあらず、 たとへばかの ¬ほっ¼ のだい (法華文句記巻六上) のなかにみょうらくだい十力じゅうりきとうどくもんしゃくするに 「所言しょごん等者とうしゃゆいぶつけんじょうぎょう」 といふがごとし。

↠言等者指↢上三経↡。今非↣等↢取ルニハ余経諸典↡、例↧彼¬法華¼第五妙楽大師釈ルニ↢十力等功徳↡云↦「所言等者、非唯供仏兼浄土行」↥。

かくのごときらのれいはなはだおおし。 しげきをおそれてださず。 学者がくしゃさらにかんがへよ。 しかのみならずしゅ正行しょうぎょうみな弥陀みだ一仏いちぶつどくかぎる。 ゆゑに観察かんざつ礼拝らいはい称名しょうみょう讃嘆さんだん四箇しか正行しょうぎょう、 すでにただかの弥陀みだしょうにあり。 あに読誦どくじゅぎょうひときょうねんや。

如↠此例甚多也。恐↠繁不↠出。学者更ヘヨ。加之五種正行↢弥陀一仏功徳↡。所以観察・礼拝・称名・讃嘆四箇正行、既唯在↢彼弥陀依正↡。豈読誦行独ンヤ↢他経↡。

だい観察かんざつ正行しょうぎょうとは、 もつぱらかのくにしょうほう観察かんざつするなり。 すなはちもんに 「一心いっしんせんちゅうそう観察かんざつ憶念おくねんこくほうしょうごん」 といへるこれなり。

第二観察正行者、専観↢察スル依正二報↡也。即文ヘル↢「一心専注思想観察憶念彼国二報荘厳」↡也。

第三だいさん礼拝らいはい正行しょうぎょうとは、 もつぱら弥陀みだ礼拝らいはいするとうなり。 すなはちもんに 「にゃく礼即らいそく一心いっしん専礼せんらいぶつ」 といへるこれなり。

第三礼拝正行者、専礼↢拝スル弥陀↡等ナリ。即文ヘル↢「若礼即一心専礼彼仏」↡也。

だい称名しょうみょう正行しょうぎょうとは、 もつぱら弥陀みだみょうごうしょうするなり。 すなはちもんに 「にゃくしょうそく一心いっしんせんしょうぶつ」 といへるこれなり。

第四称名正行者、専スル↢弥陀名号↡也。即文ヘル↢「若口称即一心専称彼仏」↡也。

だい讃嘆さんだんよう正行しょうぎょうとは、 もつぱら弥陀みだ讃嘆さんだんようするなり。 すなはちもんに 「にゃく讃嘆さんだんようそく一心いっしんせん讃嘆さんだんようみょうしょう」 といへるこれなり。 もし讃嘆さんだんようとをかいしてとすれば、 六種ろくしゅ正行しょうぎょうづくべきなり。 いまはごうによるがゆゑにしゅといふ。

第五讃嘆供養正行者、専讃↢嘆供↣養スル弥陀↡也。即文ヘル↢「若0300讃嘆供養即一心専讃嘆供養是名為正」↡也。↣讃嘆↢供養↡而為↠二者、可↠名↢六種正行↡也。依↢合↡故云↢五種↡。

つぎがっしてしゅとすとは、 いちにはしょうごうには助業じょごうなり。

為↢二種↡者、一者正業、二者助業ナリ

はじめにしょうごうとは、 かみしゅのなかのだい称名しょうみょうをもつて正定しょうじょうごうとす。 すなはちもんに 「一心いっしん専念せんねん弥陀みだみょうごう行住ぎょうじゅう坐臥ざがもんせつごん念々ねんねんしゃしゃみょう正定しょうじょうごうじゅん仏願ぶつがん」 といへるこれなり。

正業者、以↢上五種之中第四称名↡為↢正定之業↡。即文云↢「一心専念弥陀名号、行住坐臥不問時節久近念念不捨者、是名正定之業。順彼仏願故」↡也。

つぎ助業じょごうとは、 だいしょうのぞきてほかの、 読誦どくじゅとうしゅをもつてしかも助業じょごうとなす。 すなはちもんに 「にゃく礼誦らいじゅ等即とうそくみょう助業じょごう」 といへるこれなり。

助業者、除↢第四口称↡之外、以↢読誦等四種↡而↢助業↡。即文云↢「若依礼誦等即名為助業」↡也。

ひていはく、 なんがゆゑぞしゅのなかにひと称名しょうみょう念仏ねんぶつをもつて正定しょうじょうごうとするや。

問曰、何五種之中↢称名念仏↢正定↡乎。

こたへていはく、 かの仏願ぶつがんじゅんずるがゆゑに。 こころのいはく、 称名しょうみょう念仏ねんぶつはこれかのぶつ本願ほんがんぎょうなり。 ゆゑにこれをしゅするもの、 かのぶつがんじょうじてかならずおうじょうすることをがんむなしからざるによるがゆゑに、 念仏ねんぶつをもつて正定しょうじょうごうとなす。 本願ほんがんしもいたりてべんずべし。

答曰、順ルガ↢彼仏願↡故。意、称名念仏本願行也。故スル↠之、乗↢彼↡必得↢往生スルコトヲ↡。由ルガ↢願不↟虚故、以↢念仏↡為↢正定之業↡。本願↠下↠辨

ただし正定しょうじょうとは、 法蔵ほうぞうさつひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつ誓願せいがんかいのなかに、 念仏ねんぶつおうじょうがんせんじょうするがゆゑにじょうといふなり。 せんじゃく、 またさきのごとし、 これらのこころによるがゆゑに、 念仏ねんぶつをもつてづけて正定しょうじょうごうとするものなり。 読誦どくじゅとうぎょうはすなはち本願ほんがんせんじゃくぎょうにあらざるがゆゑにづけてじょとなす。 念仏ねんぶつはまたこれ正中しょうちゅうしょうなり、 読誦どくじゅとうはこれ正中しょうちゅうじょなり。 しょうじょことなりといへども、 おなじく弥陀みだにあるがゆゑにしょうとなすといへども、 しかもしょうれつなきにあらず。

但正定者、法蔵菩薩於↢二百一十億諸仏誓願海↡、撰↢定念仏往生之願↡故云↠定也。選択之義、亦如↠前。依ルガ↡故、以↢念仏↡名↢正定之業也。読誦等即非ルガ↢本願選択之行↡故↠助。念仏正中之正ナリ、読誦等正中之助ナリ。正助雖↠異ナリト、同↢弥陀↡故雖↠為スト↠正、然↠無↢勝劣之義↡。

つぎぞうぎょうとは、 すなはちもんに 「じょしょうじょぎょう以外いげ自余じよ諸善しょぜんしつみょうぞうぎょう」 といへるこれなり。 こころのいはく、 ぞうぎょうりょうなり、 つぶさにぶるにいとまあらず。 いましばらくしゅ正行しょうぎょう翻対ほんたいしてもつてしゅぞうぎょうかす。 いちには読誦どくじゅぞうぎょうには観察かんざつぞうぎょうさんには礼拝らいはいぞうぎょうには称名しょうみょうぞうぎょうには讃嘆さんだんようぞうぎょうなり。

雑行者、即文ヘル↢「除此正助二行已外自余0301諸善悉名雑行」↡也。意、雑行無量ナリ↠遑アラ↢具ルニ↡。今且翻↢対シテ五種正行↡以明↢五種雑行↡也。一ニハ読誦雑行、二ニハ観察雑行、三ニハ礼拝雑行、四ニハ称名雑行、五ニハ讃嘆供養雑行也。

第一だいいち読誦どくじゅぞうぎょうとは、 かみの ¬かんぎょう¼ とうおうじょうじょうきょうのぞきて以外いげだい小乗しょうじょう顕密けんみつしょきょうにおいてじゅ読誦どくじゅするを、 ことごとく読誦どくじゅぞうぎょうづく。

第一読誦雑行者、除↢上¬観経¼等往生浄土↡已外於↢大小乗顕密諸経↡受持読誦スルヲ、悉名↢読誦雑行↡。

だい観察かんざつぞうぎょうとは、 かみ極楽ごくらくしょうのぞきて以外いげの、 だいしょう顕密けんみつ事理じりかんぎょうをみなことごとく観察かんざつぞうぎょうづく↢。

第二観察雑行者、除↢上極楽依正↡已外、大小、顕密、事理観行↢観察雑行↡。

第三だいさん礼拝らいはいぞうぎょうとは、 かみ礼拝らいはい弥陀みだのぞきて以外いげの、 一切いっさいしょぶつさつとうおよびもろもろのてんとうにおいて礼拝らいはいぎょうするをばことごとく礼拝らいはいぞうぎょうづく。

第三礼拝雑行者、除↢上礼拝弥陀↡已外、於↢一切諸余仏・菩薩等及世天等↡礼拝恭敬スルヲバ↢礼拝雑行↡。

だい称名しょうみょうぞうぎょうとは、 かみしょう弥陀みだみょうごうのぞきて以外いげ自余じよ一切いっさい諸仏しょぶつさつとうおよびもろもろのてんとうみょうごうしょうするをば、 ことごとく称名しょうみょうぞうぎょうづく。

第四称名雑行者、除↢上称弥陀名号↡已外ヲバ↢自余一切諸仏・菩薩等及世天等名号↡、悉↢称名雑行↡。

だい讃嘆さんだんようぞうぎょうとは、 かみ弥陀みだぶつのぞきて以外いげ一切いっさいしょぶつさつとうおよびもろもろの天等てんとうにおいて讃嘆さんだんようするをば、 ことごとく讃嘆さんだんようぞうぎょうづく。

第五讃嘆供養雑行者、除↢上弥陀仏↡已外↢一切諸余仏・菩薩等及諸世天等↡讃嘆供養スルヲバ、悉↢讃嘆供養雑行↡。

このほかにまた布施ふせかいとうりょうぎょうあり、 みなぞうぎょうことばしょうじんすべし。

有↢布施・持戒等無量之行↡、↠摂↢尽雑行之言↡。

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依善導 論得失

つぎぎょう得失とくしつはんずとは、 「もしさきしょうじょぎょうしゅするには、 しんつねに親近しんごんして憶念おくねんだんぜざれば、 づけてけんとするなり。 もしのちぞうぎょうぎょうずるにはすなはちしんつねに間断けんだんす。 こうしてしょうずることをといへども、 すべてぞうぎょうづく」 と、 そなはちそのもんなり。

↢二行得失↡者、「若ニハ↢前正助二行↡、心常親近シテ憶念不レバ↠断、名↢無間↡也。若ニハ↢後雑行↡、即心常間断。雖ドモ↠可シト↢廻向シテ得↟生コトヲ、衆クト↢疎雑之行↡」、即其文也。

このもんこころあんずるに、 しょうぞうぎょうにつきてばん相対そうたいあり。 いちにはしんたいには近遠ごんおんたいさんにはけんけんたいにはこうこうたいにはじゅんぞうたいなり。

ルニ↢此↡、就↢正雑二行↡有↢五番相対↡。一ニハ親疎対、二ニハ近遠対、三ニハ無間有間0302対、四ニハ不廻向廻向対、五ニハ純雑対也。

第一だいいちしんたいとは、 まづしんとは、 しょうじょぎょうしゅするものは、 弥陀みだぶつにおいてはなはだもつて親昵しんじつむすぶ。 ゆゑに ¬しょ¼ のかみもん (定善義) にいはく、 「しゅじょうぎょうおこして、 くちにつねにぶつしょうすれば、 ぶつすなはちこれをきたまふ。 につねにぶつらいきょうすれば、 ぶつすなはちこれをたまふ。 こころにつねにぶつねんずれば、 ぶつすなはちこれをりたまふ。 しゅじょうぶつ憶念おくねんすれば、 ぶつまたしゅじょう憶念おくねんしたまふ。 彼此ひし三業さんごうあひしゃせず。 ゆゑに親縁しんえんづくるなり」 と。

第一親疎対者、先者、修スル↢正助二行、於↢阿弥陀仏↡甚↢親昵↡。故¬疏¼上云、「衆生起シテ↠行、口常称レバ↠仏、仏即聞タマフ↠之。身礼↢敬レバ↡、仏即見↠之。心常レバ↠仏、仏即知↠之。衆生憶↢念レバ↡者、仏亦憶↢念タマフ衆生↡。彼此三業不↢捨離↡。故クル↢親縁↡也。」

つぎとは、 ぞうぎょうなり。 しんほんじてこれをいはば、 しゅじょうぶつしょうせずは、 ぶつすなはちこれをこしめさず。 ぶつらいせずは、 ぶつすなはちこれをたまはず。 こころぶつねんぜずは、 ぶつすなはちこれをろしめさず。 しゅじょうぶつ憶念おくねんせずは、 ぶつしゅじょう憶念おくねんしたまはず。 彼此ひし三業さんごうつねにあひしゃするがゆゑにぎょうづくるなり。

者、雑行也。翻↠親謂↠是者、衆生不↠称↠仏、仏即不↠聞メサ↠之。身不↠礼↠仏、仏即不↠見↠之。心不↠念↠仏、仏即不↠知メサ↠之。衆生不↣憶↢念↡者、仏不↣憶↢念タマハ衆生↡。彼此三業常捨離スルガ名↢疎行↡也。

だい近遠ごんおんたいとは、 まづごんとは、 しょうじょぎょうしゅするものは、 弥陀みだぶつにおいてはなはだもつて隣近りんごんとするなり。 ゆゑに ¬しょ¼ のかみもん (定善義) にいはく、 「しゅじょうぶつんとがんぜば、 ぶつすなはちねんおうじて、 げんまえにまします。 ゆゑに近縁ごんえんづくるなり」 と。

第二近遠対者、先者、修スル↢正助二行、於↢阿弥陀仏↡甚為↢隣近↡也。故¬疏¼上云、「衆生願↠見↠仏、仏即応ジテ↠念、現↢目↡。故クル↢近縁↡也。」

つぎおんとは、 これぞうぎょうなり。 ごんほんじてこれをいはば、 しゅじょうぶつんとがんぜざれば、 ぶつすなはちねんおうぜず、 まえげんじたまはず。 ゆゑにおんづくるなり。 ただし親近しんごんこれいちたりといへども、 善導ぜんどうこころわかちてしかもとなす。 そのむね ¬しょ¼ のもんえたり。 ゆゑにいまいんしゃくするところなり。

者、雑行也。翻↠近謂↠是者、衆生不レバ↠願↠見↠仏、仏即↠応↠念、不↠現タマハ↢目↡。故↠遠也。但親近ドモ↠似タリ↠一、善導之↠二。其旨見タリ↢¬疏¼文↡。故今所↢引釈↡也。

第三だいさんけんけんたいとは、 まづけんとは、 しょうじょぎょうしゅするものは弥陀みだぶつにおいて憶念おくねん間断けんだんせざるがゆゑに、 「みょうけん」 といへるこれなり。

第三無間有間対者、先無間者、修スル↢正助二行於↢阿弥陀仏↡憶念不ルガ↢間断↡故、云ヘル↢「名為無間」↡也。

つぎけんとは、 これぞうぎょうなり。 けんほんじてこれをいはば、 ぞうぎょうしゅするものは、 弥陀みだぶつにおいて憶念おくねんつねに間断けんだんす。 すなはちもんに 「若行にゃくぎょうぞうぎょう即心そくしんじょう間断けんだん」 といへるこれなり。

有間者、雑行也。翻↢無間↡謂↠是者、修スル↢雑行、於↢阿弥陀仏↡憶念常間断。即文云↢「若行後雑行即心常0303間断」↡也。

だいこうこうたいとは、 しょうじょぎょうしゅするものはたとひべっしてこうもちゐずといへども、 ねんにしかもおうじょうごうとなる。 ゆゑに ¬しょ¼ のかみもん (玄義分) にいはく、 「いまこの ¬かんぎょう¼ のなかのじっしょうしょうぶつ、 すなはちじゅうがん十行じゅうぎょうありてそくす。 いかんがそくする。 南無なもといふはすなはちみょう、 またこれ発願ほつがんこうなり。 弥陀みだぶつといふはすなはちこれそのぎょうなり。 このをもつてのゆゑにかならずおうじょう」 と。

第四不廻向廻向対者、修スル↢正助二行縦令シテ雖↠不↠用↢廻向↡、自然↢往生之業↡。故¬疏¼上、「今此¬観経¼中十声称仏、即有↢十願十行↡具足。云何ンガ具足スル。言↢南無↡者即帰命、亦発願廻向之義ナリ。言↢阿弥陀仏↡者即ナリ。以テノ↢斯↡故必得↢往生↡。」

つぎこうとは、 これぞうぎょうなり。 こうほんじてこれをいはば、 すなはちぞうぎょうしゅするものは、 かならずこうもちゐるときおうじょういんとなる。 もしこうもちゐざるときおうじょういんとならず。 ゆゑに 「すいこうとくしょう」 といへるこれなり。

廻向者、雑行也。翻↢不廻向↡謂↠是者、即修スル↢雑行↡、必↢廻向↡之↢往生之因↡。若↠用↢廻向↡之時不↠成↢往往之因↡。故云↢「雖可廻向得生」↡也。

だいじゅんぞうたいとは、 まづじゅんとは、 しょうじょぎょうしゅするものは、 もっぱらこれ極楽ごくらくぎょうなり。

第五純雑対者、先者、修↢正助二行、純極楽之行也。

つぎぞうとは、 これぞうぎょうなり。 じゅんほんしてこれをいはば、 ぞうぎょうしゅするものは、 これもっぱ極楽ごくらくぎょうにあらず。 人天にんでんおよびさんじょうつうじ、 また十方じっぽうじょうつうず。 ゆゑにぞうといふなり。 しかれば西方さいほうぎょうじゃすべからくぞうぎょうてて正行しょうぎょうしゅすべきなり。

者、雑行也。翻シテ↠純謂↠是者、修↢雑行↡者、↢極楽之行↡。通↢於人天及以三乗↡、↢於十方浄土↡。故云↠雑也。然者西方行者須↧捨↢雑行↡修↦正行↥也。

ひていはく、 このじゅんぞうは、 きょうろんちゅうにおいてそのしょうあるや。

問曰、此純雑、於↢経論中↡有↢其証拠↡也。

こたへていはく、 だい小乗しょうじょうきょうりつろんのなかにおいてじゅんぞうもんつること、 そのれいいちにあらず。

答曰、於↢大小乗経・律・論之中↡立ルコト↢純雑二門↡、其例非↠一

だいじょうにはすなはち八蔵はちぞうのなかにしかも雑蔵ぞうぞうつ。 八蔵はちぞうとは、 安然あんねんしょうの ¬きょう時義じぎ¼ (巻四) のなかに ¬さつ処胎しょたいきょう¼ をきていはく、 「いちにはたいぞうにはちゅう陰蔵いんぞうさんには摩訶まかえん方等ほうどうぞうには戒律かいりつぞうには十住じゅうじゅうぞうろくには雑蔵ぞうぞうしちには金剛こんごうぞうはちには仏蔵ぶつぞう」 と。 まさにるべし、 七蔵しちぞうはこれじゅんなり、 一蔵いちぞうはこれぞうなり。

大乗ニハ即於↢八蔵之中↡而立↢雑蔵↡。八蔵者、安然和尚¬教時義¼中引↢¬菩薩処胎経¼↡云、「一ニハ胎化蔵、二ニハ中陰蔵、三ニハ摩訶衍方等蔵、四ニハ戒律蔵、五ニハ十住蔵、六ニハ雑蔵、七ニハ金剛蔵、八ニハ仏蔵。」当↠知、七蔵ナリ、一蔵ナリ

小乗しょうじょうにはすなはちごんのなかにしかも雑含ぞうごんてたり。 ごんとは、 いちには ¬増一ぞういつごん¼、 には ¬じょう増一ぞういつごん¼、 さんには ¬ちゅう増一ぞういつごん¼、 には ¬ぞう増一ぞういつごん¼ なり。 まさにるべし、 三含さんごんはこれじゅんなり、 一含いちごんはこれぞうなり。

小乗ニハ即於↢四含之中↡而立0304タリ↢雑含↡。四含者、一ニハ¬増一阿含¼、二ニハ¬長阿含¼、三ニハ¬中阿含¼、四ニハ¬雑阿含ナリ¼。当↠知、三含ナリ、一含ナリ

りつにはすなはちじゅうけんのなかにしかもぞうけんてたり。 じゅうけんとは、 いちには受戒じゅかいけんには説戒せつかいけんさんにはあんけんには自恣じしけんにはかくけんろくにはけんしちにはやくけんはちには迦絺かちけんにはせんけんじゅうにはせんけんじゅういちにはしゃくけんじゅうにはにんけんじゅうさんにはぞうけんじゅうにはしゃけんじゅうにはそうけんじゅうろくにはめつじょうけんじゅうしちにはけんじゅうはちには説法せっぽうけんじゅうにはぼうけんじゅうにはぞうけんなり。 まさにるべし、 さきじゅうはこれじゅんなり、 のちいちぞうけんなり。

ニハ↢二十犍度之中↡而タリ↢雑犍度↡。二十犍度者、一ニハ受戒犍度、二者説戒犍度、三者安居犍度、四ニハ自恣犍度、五ニハ皮革犍度、六ニハ衣犍度、七ニハ薬犍度、八ニハ迦絺那犍度、九ニハ鳩睒弥犍度、十ニハ瞻婆犍度、十一ニハ呵責犍度、十二ニハ人犍度、十三ニハ覆蔵犍度、十四ニハ遮犍度、十五ニハ破僧犍度、十六ニハ滅諍犍度、十七ニハ尼犍度、十八ニハ説法犍度、十九ニハ房犍度、二十ニハ雑犍度ナリ。当↠知、前十九ナリ、後雑犍度也。

ろんにはすなはちはちけんのなかにしかもぞうけんてたり。 はちけんとは、 いちにはごうには使さんにはにはじょうにはこんろくにはだいしちにはけんはちにはぞうなり。 まさにるべし、 さきしちはこれじゅんなり、 のちいちはこれぞうけんなり。

ニハ↢八犍度之中↡而タリ↢雑犍度↡。八犍度者、一ニハ業、二ニハ使、三ニハ智、四ニハ定、五ニハ根、六ニハ大、七ニハ見、八ニハナリ。当↠知、前ナリ、後雑犍度也。

また小乗しょうじょう経量きょうりょうに、 ぞうのなかにしかも雑蔵ぞうぞうてたり。 ぞうとは、 いちにはしゅ多羅たらぞうには毘尼びにぞうさんには阿毘あびどんぞうには雑蔵ぞうぞうには呪蔵じゅぞうなり。 まさにるべし、 じゅんなり、 いちぞうなり。

小乗経量部、於↢五蔵之中↡而タリ↢雑蔵↡。五蔵者、一ニハ修多羅蔵、二ニハ毘尼蔵、三ニハ阿毘曇蔵、四ニハ雑蔵、五ニハ呪蔵ナリ。当↠知、四ナリ、一ナリ

またげんじょうしゅうのなかに、 唐宋とうそうりょうでんじっのなかにしかもぞうてたり。 じっほうとは、 いちにはやくきょうには義解ぎげさんには習禅しゅぜんにはみょうりつにはほうろくには感通かんつうしちには読誦どくじゅはちには遺身ゆいしんには興福こうぶくじゅうにはぞうなり。 まさにるべし、 さきはこれじゅんなり、 のちいちはこれぞうなり。

賢聖集、唐宋両伝於↢十科之中↡而タリ↢雑科↡。十科法者、一ニハ訳経、二ニハ義解、三ニハ習禅、四ニハ明律、五ニハ護法、六ニハ感通、七ニハ読誦、八ニハ遺身、九ニハ興福、十ニハ雑科ナリ。当↠知、前ナリ、後雑科也。

ない ¬だいじょうしょう¼ にはじゅ法門ほうもんてたり。 そのなかに雑聚ぞうじゅあり。 じゅとは、 いちにはきょうじゅにはじゅさんには染聚ぜんじゅにはじょうじゅには雑聚ぞうじゅなり。 まさにるべし、 さきじゅはこれじゅんなり、 のちいちはこれぞうなり。

乃至¬大乗義章ニハ¼立タリ↢五聚法門↡。其有↢雑聚↡。五聚者、一ニハ教聚0305、二ニハ義聚、三ニハ染聚、四ニハ浄聚、五ニハ雑聚ナリ。当↠知、前四聚ナリ、後雑也。

またけんぎょうのみにあらず、 みっきょうのなかにじゅんぞうほうあり。 いはくさんの ¬仏法ぶっぽうけちみゃく¼ (意) にいはく、 「いちには胎蔵たいぞうかいまん荼羅だらけちみゃく一首いっしゅには金剛こんごうかいまん荼羅だらけちみゃく一首いっしゅさんにはぞうまん荼羅だらけちみゃく一首いっしゅ」 と。 さきしゅはこれじゅんなり、 のちいちはこれぞうなり。

↢顕教ノミニ↡、密教之中有↢純雑法↡。謂山家¬仏法血脈¼云、「一ニハ胎蔵界曼荼羅血脈譜一首、二ニハ金剛界曼荼羅血脈譜一首、三ニハ雑曼荼羅血脈譜一首。」前二首ナリ、後ナリ

かくのごときのじゅんぞうおおしといへども、 しましばらくりゃくしてしょうぶんぐのみ。 まさにるべし、 じゅんぞうほうしたがひてじょうなり。 しかればすなはちいま善導ぜんどうしょうこころ、 しばらくじょうぎょうにおいてしかもじゅんぞうろんずるなり。

如↠斯純雑之義雖ドモ↠多、今且シテ↢少分↡而已。当↠知、純雑之義、随↠法而不定ナリ。然善導和尚、且↢浄土↡而↢純雑↡也。

またこのじゅんぞうただ内典ないでんのみにかぎらず、 てんのなかにそのれいはなはだおおし。 しげきをおそれてださず。

純雑義唯↠局↢内典ノミ↡、外典之中例甚。恐↠繁不↠出

ようりてこれをいはば、 しょうにはすなはち読誦どくじゅ観察かんざつ礼拝らいはい讃嘆さんだんとうしゅどうありといへども、 称名しょうみょうりて正行しょうぎょうとなす。 ぞうにはすなはちおんけんこうぞうとう五義ごぎどうありといへども、 じゅんぞうりてづけてぞうぎょうとなす。

取↠要↠之、正ニハ即雖ドモ↠有リト↢読誦・観察・礼拝・讃嘆等五種不同↡、取↢於称名↡為↢正行↡。雑ニハ即雖ドモ↠有リト↢疎遠・有間・廻向・雑等五義不同↡、取↢純雑↡名↢雑行↡。

ただしおうじょうぎょうにおいてかくのごとくぎょうわかつこと、 ただひと善導ぜんどういっかぎるにあらず。 どうしゃくぜんこころによらば、 おうじょうぎょうおおしといへどもつかねてとす。 いちにはいはく念仏ねんぶつおうじょうにはいはくまんぎょうおうじょうなり。 念仏ねんぶつはこれしょうなり、 まんぎょうはこれぞうなり。 もしかんぜんこころによらば、 おうじょうぎょうおおしといへどもつかてしかもとなす。 いちにはいはく念仏ねんぶつおうじょうにはいはくしょぎょうおうじょうなり しんこれにおな念仏ねんぶつさきのごとし、 しょぎょうはこれぞうなり。 かくのごとくさんは、 ことばにしてこころいちなり。 おのおのぎょうてておうじょうぎょうせっすること、 はなはだそのむねたり。 もつとも帰依きえあるべし。 余師よしはしからず。 ぎょうじゃちゃくすべし。

但於↢往生↡如↠此コト↢二行↡、非↣唯独ルニ↢善導一師↡。依↢道綽禅師↡者、往生行雖ドモ↠多而為↠二。一ニハ念仏往生、二ニハ万行往生ナリ。念仏ナリ、万行ナリ依↢懐感禅師↡者、往生行雖ドモ↠多↠二。一ニハ念仏往生、二ニハ諸行往生ナリ 恵心同↠之。念仏↠前、諸行ナリ如↠是三師、言異ニシテ意一ナリ。各テヽ↢二行↡摂コト↢往生↡、甚タリ↢其↡。最可↢帰依有↡。余師不↠然。行者思択スベシ

また善導ぜんどうしょう ¬おうじょう礼讃らいさん¼ (意) のなかにくわしぎょう得失とくしつはんず。 つつしんでかのもんあんずるにいはく、 「もしよくかみのごとく念々ねんねん相続そうぞくして、 ひつみょうとするものは、 じゅうはすなはちじゅうながらしょうじ、 ひゃくはすなはちひゃくながらしょうず。 なにをもつてのゆゑに。 雑縁ぞうえんなくしてしょうねんるがゆゑに。 ぶつ本願ほんがん相応そうおうするがゆゑに。 きょうせざるがゆゑに。 ぶつずいじゅんするがゆゑに。

善導和尚¬往生礼讃¼中↢二行0306得失↡。謹ルニ↢彼↡云、「若如↠上念念相続シテ、畢命為↠期、十即十ナガラ、百即百ナガラ。何。無シテ↢外雑縁↡得ルガ↢正念↡故。与↢仏本願↡相応スルガ。不ルガ↠違↠教。随↢順スルガ仏語↡故

もしせんてて雑業ぞうごうしゅするものは、 ひゃくときまれいちせんときまれさん。 なにをもつてのゆゑに。 雑縁ぞうえん乱動らんどうしてしょうねんしっするによるがゆゑに。 ぶつ本願ほんがん相応そうおうせざるがゆゑに。 きょうそうするがゆゑに。 ぶつじゅんぜざるがゆゑに。 ねん相続そうぞくせざるがゆゑに。 憶想おくそう間断けんだんするがゆゑに。 がんおんじゅう真実しんじつならざるがゆゑに。 貪瞋とんじん諸見しょけん煩悩ぼんのうきたりて間断けんだんするがゆゑに。 ざん悔過けかしんあることなきがゆゑに。 また相続そうぞくしてねんじてかのぶつおんほうぜざるがゆゑに。 しんきょうまんしょうじて、 ごうぎょうをなすといへどもつねにみょう相応そうおうするがゆゑに。 にんみづからおおひてどうぎょうぜんしき親近しんごんせざるがゆゑに。 雑縁ぞうえんこのちかづきてみづからもおうじょう正行しょうぎょうをもふるがゆゑなり。

若捨テヽ↠専スル↢雑業、百得↢一二↡、千得↢五三↡。テノ。由↣雑縁乱動シテルニ↢正念↡故。与↢仏本願↡不ルガ↢相応↡故。与↠教相違ルガ。不↠順↢仏語↡故。係念不ルガ↢相続↡故。憶想間断ルガ。廻願不ルガ↢慇重真実↡故。貪瞋諸見煩悩来間断ルガ。無キガ↠有ルコト↢慚愧悔過心↡故ルガ↣相続シテジテ報↢彼↡故。心ジテ↢軽慢↡、雖↠作スト↢業行↡常与↢名利↡相応ルガ。人我自ルガ↣親↢近同行善知識↡故。楽↢近雑縁↡自↢他往生正行ヲモ↡故ナリ

なにをもつてのゆゑに。 このごろみづから諸方しょほう道俗どうぞく見聞けんもんするに、 ぎょうどうにして専雑せんぞうことなるあり。 ただこころをもつぱらにしてなさしむるものは、 じゅうはすなはちじゅうながらしょうず。 ぞうしゅしてしんならざるものは、 せんがなかにいちもなし。 このぎょう得失とくしつさきにすでにべんずるがごとし。

テノ。餘比日コノゴロ見↢聞ルニ諸方道俗↡、解行不同ニシテ専雑有↠異。但使↢専シテ↠意、十即十ナガラ。修シテ↠雑不↢至心↡、千↠一。此二行得失、如↢前ルガ↡。

あおねがはくは一切いっさいおうじょう人等にんとうよくみづからりょうすべし。 すでによく今身こんじんにかのくにしょうぜんとがんぜんものは、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがにかならずずすべからくこころはげましおのれをこくしてちゅうはいすることなくひつみょうとなすべし。 かみいちぎょうにありてしょうたれども、 前念ぜんねん命終みょうじゅうしてねんにはすなはちかのくにしょうじて、 じょう永劫ようごうにつねに無為むい諸楽しょらくく。 ないじょうぶつしてまたしょうず。 あにこころよきにあらずや。 るべし」 と。

一切往生人等善思量スベシ。已今身↠生↢彼、行住坐臥↠心昼夜莫↠廃畢命為↟期。上在↢一形↡似↢如ドモ小苦↡、前念命終シテ後念ニハ即生↢彼↡、長時永劫受↢無為諸楽↡。乃至成仏不↠逕↢生死↡。非↠快キニ哉。応↠知。」

わたくしにいはく、 およそこのもんはこれぎょうじゃようなり。 専雑せんぞうおしえ得失とくしついましめ、 はなはだもつてねんごろなり。 極楽ごくらくもとひと、 なんぞすんたくわへざらんや。 もしそれぞうなげうちてせんしゅするものは、 ひゃくはすなはちひゃくながらしょうずべし。 ててじきむかふがごとし、 あにもつていたらざらん。 せんててぞうしゅするものは、 せんがなかにいちもなし。 ててけんおおむくがごとし、 つひにもつてたっせざらん

、凡行者至要也。専雑之訓・得失之誡、甚 ゴロ也。求0307↢極楽↡之人、盍↠貯↢寸府↡哉。若↠雑スル↠専、百即百ナガラベシ。如↢棄↠迂↟直イタ也。捨↠専スル↠雑、千↠一。如↢捨テヽ↠夷クガ↟嶮、遂↠達

¬おうじょうようしゅう¼ のにいはく、 「ふ。 もしぼんともがらまたおうじょうれば、 いかんが、 近代ごんだいかのこくにおいてもとむるものは千万せんまんるものはいちきや。 こたふ。 しゃくしょうのいはく、 信心しんじんふかからず、 ぞんずるがごとくもうずるがごときゆゑに。 信心しんじんいちならず、 けつじょうせざるがゆゑに。 信心しんじん相続そうぞくせず、 ねんへだつるがゆゑに。 このさん相応そうおうせざるがゆゑにおうじょうすることあたはず。 もし三心さんしんするものおうじょうせずは、 このことわりあることなし。 どうしょういはく、 もしつぶさによくかみのごとく念々ねんねん相続そうぞくしてひつみょうとするものは、 じゅうそくじっしょうひゃくそく百生ひゃくしょうにゃく欲捨よくしゃ専修せんじゅ雑業ぞうごうしゃひゃくとくいちせんとくさん」 と。

¬往生要集¼下云、「問。若凡下輩亦得↢往生↡、云何、近代於↢彼国土↡求ムル千万。得ルモノハキヤ↢一二↡。答。綽和尚云、信心不↠深、若↠存ルガ↠亡ルガ。信心不↠一、不ルガ↢決定↡故。信心↢相続↡、余念間ルガ。此三不ルガ↢相応↡故不↠能↢往生ルコト↡。若具↢三心↡者不↢往生↡者、無↠有ルコト↢是↡。導和尚云、若如↠上念念相続シテ畢命為↠期、十即十生、百即百生。若欲捨専修雑業者、百時希得一二。千時希得三五。」

この問答もんどうこころあきらかなり。 善導ぜんどうしょうしゅをもつて、 極楽ごくらくおうじょうするぎょうけっせんとほっするものなり。 こころのいはく、 もし専修せんじゅによりてぎょうゆうするものは、 千万せんまんことごとくしょうず。 もし雑業ぞうごうによりてごんするものは、 いちしょうじがたし。 すでにしんこころ西方さいほうぎょうにおいては、 どうしょうをもつてしかもなんとなす。 その末学まつがく、 むしろひょうせざらん。 すでにりぬ、 しんなほもつて叙用じょゆうす、 いかにいはんやそのにんにおいてをや。

問答意明ナリ。以↢善導和尚二修↡、欲スル↠決↧往↢生極楽↡之行也。意、若依↢専修↡而行用スル、千万悉。若↢雑業↡而欣求スル、一二↠生。既恵心意、於テハ↢西方↡、以↢導和尚↡而↢指南↡。其末学、寧ラン↢依馮↡。既、恵心叙用、何於↢其世人↡乎。

なかんづく、 わがともがらげんへだつることは、 万々まんまんなり。 ひとこころ念々ねんねんれつのゆゑに、 だいることはきゃくなり 仏法ぶっぽう日々にちにちぎょうはくするがゆゑに、 いかんぞ近代ごんだい浅識せんしきともがらしょしてげんそしり、 すえしてもとせんや。 しからばすなはちけつじょうしてかの極楽ごくらくこくしょうずることをんとほっす。 このこたえこころによりて、 ぞうててせんしゅすべし。 これ先徳せんどくこころなり。 まんすべからず、 ゆめゆめ。

就↠中、我ルコト↢賢愚、万万里ナリ焉。人念念下劣之故、去ルコト↢時代↡者二百廻ナリ 。仏法日日澆薄スルガ之故、云何近代浅識之 ガラ、処↠愚↠賢、居シテ↠末センヤ↠本。然決定シテ欲↠得↠生↢彼極楽国土↡。由↢此↡、捨↠雑スベシ↠専先徳ナリ。不↠可↢懈慢0308↡、努力努力。

またしゃくぜん三信さんしんさん、 またこれ専雑せんぞうしゅなり。 こたえのなかのもんいちじょうぜんがためなり、 師資しし儡同らいどうしてたがふことなきのみ。

綽禅師三信三不、亦専雑二修之義ナリ。答二文ナリ↠成ンガ↢一意↡、師資儡同シテ無↠差コト而已ノミ

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義

つぎかんようとうによりて善導ぜんどうじょせば、 これにしちあり。 いちにはようにはしんちゅうさんにはかんには天竺てんじく覚親かくしんには日本にっぽん源信げんしんろくには禅林ぜんりんしちにはえっしゅうなり。

↢感師・智栄等↡補↢助善導之義↡、是有↠七。一ニハ智栄、二信仲、三ニハ感師、四ニハ天竺覚親、五ニハ日本源信、六ニハ禅林、七ニハ越州。

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 感師

いちかんとは、 ¬ぐんろん¼ (巻四意) にいはく、 「ひていはく、 ぜんこころおこしゅじょう弥陀みだ仏国ぶっこくしょうぜんとほっするもの、 ふかまんこくぜんじゃくして、 すすみて弥陀みだぶつこくしょうずることあたはず。 千万せんまんしゅとき一人いちにんありて、 弥陀みだくにしょうず。 この ¬きょう¼ をもつてなぞらふるにしょうずることをべきことかたし、 いかん。

感師者、¬群疑論¼云、「問曰、前後↠意衆生欲↠生↢阿弥陀仏国、深染↢著シテ懈慢国土↡、進不↠能↠生ルコト↢阿弥陀仏国土↡。千万衆、時有↢一人↡、生↢阿弥陀↡。以↢此¬経¼↡准ルニ難↠可↠得↠生ルコト、何

こたへていはく、 この ¬きょう¼ このごんきょうあるによるがゆゑに、 善導ぜんどうぜんもろもろのしゅじょうすすめて、 もつぱら西方さいほうじょうごうしゅすは、 しゅすることなく、 三業さんごうまじることなくして、 一切いっさいのもろもろのがんぎょうはいして、 西方さいほういちぎょう唯願ゆいがんゆいぎょうせしむ。 雑修ざっしゅのものはまんいちしょうぜず。 専修せんじゅひとせんいちしつなし。 すなはちこの ¬きょう¼ のしももんにのたまはく、 なにをもつてのゆゑにみなまんにしてしゅうしんろうならざるによる。 ここにりぬ、 雑修ざっしゅのものはしゅうしんろうひととす。 ゆゑにまんしょうずるなり。 まさしく ¬処胎しょたいきょう¼ のもんとあひあたれり。 もし雑修ざっしゅせず、 もつぱらこのごうぎょうずる、 これすなはちしゅうしんろうにして、 さだめて極楽ごくらくこくしょうず」 と。

答曰、由↣此¬経¼有↢斯言教↡故、善導禅師勧↢諸衆生↡、専修↢西方浄土、四修靡↠墜、三業無シテ↠雑、廃シテ↢余一切諸願行↡、唯↢願唯↣行セシム西方一行↡。雑修之不↢一生↡。専修之人↢一失↡。即此¬経¼下、何テノ皆由↣懈慢ニシテ執心不↢牢固↡。是、雑修之為↢執心不牢之人↡。故ズル↢懈慢↡也。正与↢¬処胎経¼文↡レリ。若不↢雑修↡、専行ズル↢此↡、即執心牢固ニシテ、定↢極楽国↡。」

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 智栄

ようとは そのもんべっにありこれをつべし

智栄文在↢別紙↡可↠見↠之

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 信仲

さんしんしゅう そのもんべつにありこれをつべし

信仲 文在↠別可↠見↠之

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 覚親

天竺てんじく覚親かくかん そのもんべつにありこれをつべし、 あるいはしゅあんにこれをしゃくすべし

天竺覚親 文在↠別可↠見↠之、或取意暗可↠釈↠之

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 源信

日本にっぽん源信げんしんこころあり。 いちにはさんじゅう問答もんどうには専修せんじゅとう じゅうもんつ。 もつぱら念仏ねんぶつおうじょうかして、 しょぎょうつ 云々 そのなかに第八だいはちもんいたりて、 念仏ねんぶつしょぎょうとを相対そうたいして、 三番さんばん問答もんどうあり。 じつにこれをしゃくすべし。 これすなはちしょぎょうてて、 念仏ねんぶつる、 取捨しゅしゃこころなり。 つぎだいじゅうもんいたりて、 またじゅうもんりょうけんあり。 いはく極楽ごくらくしょうないだいじゅう助道じょどう人法にんぽうなり。 そのなかにだいおうじょうかいのなかに、 問答もんどうあり。 善導ぜんどう専雑せんぞうしゅをもつて、 問答もんどうけsつちゃくす。 その問答もんどうべつにこれをしょす、 るべし。 ゆゑにりぬ、 しんこころ、 はじめにはぎょうにおいて取捨しゅしゃろんじ、 つぎには善導ぜんどう得失とくしつもちいる

日本源信有↢二意↡。一ニハ三重問答、二ニハ専修等 立↢十門↡。専明↢念仏往生↡、捨↢諸行↡ 云云↢第八門↡、相↢対シテ念仏諸行トヲ↡、有↢三番0309問答↡。後日可↠釈↠之。テヽ↢諸行↡、取↢念仏↡、取捨意也。次至↢第十門↡、有↢十門料簡↡。謂極楽依正乃至第十助道人法也。其第二往生階位、有↢二問答↡。以↢善導専雑二修↡、問答決択。其問答、別↠之、可↠見。故、恵心意、始ニハ↢二行↡論↢取捨↡、次ニハ↢善導得失

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 禅林

ろく禅林ぜんりんとは、 すなはちとうごんりっ永観ようかんなり。 すなはち善導ぜんどうどうしゃくこころによりて、 ¬おうじょうじゅういん¼ をつくりてながしょぎょうはいして、 念仏ねんぶつ一門いちもんにおいてじゅういんかいす。 あにたん念仏ねんぶつぎょうにあらずや。

禅林者、即当寺権律師永観也。即依↢善導・道綽↡、作↢¬往生十因¼↡永シテ↢諸行↡、於↢念仏一門↡開↢十因↡。↢但念仏↡哉。

入文解釈 正宗分 往生行業 二行 依感師等義 越洲

しちえっしゅうとは、 またおなじくとう三論さんろん碩徳せきとくえっしゅう珍海ちんかいなり。 これまたおなじく ¬けつじょうおうじょうしゅう¼ 一巻いっかんつくりて、 じゅうもんてて、 おうじょうほうかす。 そのなかにまた善導ぜんどうさきもんによる。 かたはらにしょぎょうじゅつすといへども、 まさしくは念仏ねんぶつおうじょうもちゐる。 ここにりぬ、 おうじょうぎょうごうにおいて、 専雑せんぞうしゅろんじて、 ぞうぎょうててもつぱら正行しょうぎょうしゅすることは、 天竺てんじく震旦しんたん日域じちいき、 その伝来でんらいひさししのみ

越洲者、亦同当寺三論碩徳、越洲珍海也。↢¬決定往生集¼一巻↡、立テヽ↢十門↡、明↢往生↡。其依↢善導↡。傍ドモ↠述↢諸行↡、正クハ↢念仏往生↡。爰、於↢往生之行業↡、論ジテ↢専雑二修↡、捨テヽ↢雑行↡専修↢正行↡事、天竺・震旦・日域、其伝来ヒサシヽ

入文解釈 正宗分 往生行業 別釈

にはらいかみにはもんによりてべつしゃくすとは、 きょうもんによりてべつしゃくすとは、 きょうもんによりて念仏ねんぶつぎょうしゃくするなり。 そのもんしちあり。 いちにはさきじゅうはちがんのなか 「ないじゅうねんにゃくしょうじゃ」 のもんにはがんじょうじゅの 「しょしゅじょうもんみょうごうとうもんさんには三輩さんぱいおうじょうのなかじょうはいしょうかす 「一向いっこう専念せんねん」 のもんにはおなじくちゅうはいしょうのなか 「一向いっこう専念せんねん」 のもんにはおなじくはいのなか 「一向いっこう専念せんねん」 のもんろくにはずうはじめ 「其有ごう得聞とくもんぶつみょうごうとうもんしちにはおなじくずうのなかの 「当来とうらいとうもんなり。 この七文しちもんみなもつぱら一向いっこう念仏ねんぶつおうじょうかす

ニハ来意。上ニハ依↠文スト者、依↢経↡別釈者、依↢経文↡釈↢念仏↡也。其有↠七。一者前四十八願中「乃至十念若不生者」文、二ニハ願成就「諸有衆生聞名号」等文、三ニハ明↢三輩往生中上輩生↡「一向専念」文、四ニハ中輩生中「一向専念」文、五ニハ下輩中「一向専念」文、六ニハ流通初「其有得聞0310彼仏名号」等文、七ニハ流通「当来之」等ナリ。此七文一向明↢念仏往生

入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 本願文

いちたとひわれぶつんに、 十方じっぽうしゅじょうないじゅうねんして、 もししょうぜずは」 (大経巻上意)、 これじゅうはちがんのなかのだいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうがんなり じゅうはちがんひとしみょうしゅしょうなりといへども、 なかにおいてまたようありようあり。 第一だいいちさん悪趣まくしゅないだいじゅうはちとく三法さんぼうにん、 いづれのがん最要さいようなり そういまだらず 祖師そし善導ぜんどう (法事讃巻上) そのようだしていはく、 「ぜいもんにしてじゅうはち、 ひとへに念仏ねんぶつひょうしてもつともしんとす。 ひとよくぶつねんずればぶつかえりてねんじたまふ。 専心せんしん想仏そうぶつすれば、 ぶつひとろしめす」 と。 つぎ念仏ねんぶつもんにおいてひとりこのがんおこす、 しょぎょうもんべつにこのがんなし 願力がんりきおうじょうこれをしゃくすべし。

「設我得↠仏、十方衆生乃至十念、若不↠生者」、四十八願第十八念仏往生願也 。四十八願等ドモ↢微妙殊勝ナリト↡、於↠中↠要有↢不要↡。第一無三悪趣乃至第四十八得三法忍、何願最要ナリ 。愚僧未↠知 。祖師善導出↢其↡云、「弘誓多門四十八、偏標↢念仏↡最為↠親。人能念↠仏仏還念。専心想仏、仏知↠人。」於↢念仏門↡独発↢此↡、於↢諸行門↡別無↢此願由↡ 。願力往生義可↠釈↠之。

入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 願成就文

がんじょうじゅの 「もろもろのしゅじょうありてそのみょうごうき、 信心しんじんかんしてない一念いちねんせん」 (大経巻下) とうとは、 これにさんあり。 いちにはらいには一念いちねんじゅうねんとうしょどうなり、 さんには唯除ゆいじょぎゃく いちらいとは 一念いちねんじゅうねんしょどうとは さん唯除ゆいじょぎゃくとは 。 このもんをもつてこれをあんずるに、 念仏ねんぶつおうじょうことすでに切畢せっぴつす、 なんうたがいかあらんや

願成就「諸有↢衆生↡聞↢其名号↡、信心歓喜乃至一念」等者、此↠三。一ニハ来意、二ニハ一念・十念等義諸師不同ナリ、三ニハ唯除五逆。一来意。二一念・十念義与↢諸師↡不同。三唯除五逆。以↢此二文↡案ルニ↠之、念仏往生義事已切畢、有ラン↢何↡哉

入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 上輩文

さんには三輩さんぱいのなか、 じょうはいに 「一向いっこう専念せんねんりょう寿じゅ (大経巻下) とは、 かみもんをもつて念仏ねんぶつおうじょうかすといへども、 いまだその品秩ほんちつわかたず。 ゆゑにいまいち念仏ねんぶつをもつて三品さんぼんとして、 もつてその品秩ほんちつわかつ。 これにこころあり。 いちには念仏ねんぶつおうじょうにつきて三品さんぼんあり、 ちゅうててじょうぼんねがはしめんとして、 品秩ほんちつわかつ。 にはぎょうじゃをしてみづから念仏ねんぶつくらい分斉ぶんざいらしめんとす。 いちちゅうててじょうぼんねがふとは 次位じいるとは

ニハ三輩中、上輩「一向専念無量寿」者、上以↢二文↡雖ドモ↠明↢念仏往生↡、未↠分↢其品秩↡。故今開↢一念仏↡為↢三品↡、以↢其品秩↡。此↢二意↡。一0311ニハ付↢念仏往生↡有↢三品↡、捨テヽ↢中下↡為↠令↠欣↢上品↡、分↢品秩↡。二ニハ為↠使↣行者知↢自念仏分斉↡。一テヽ↢中下↡欣↢上品↡者 。二知↢次位↡者

ふ。 いま三輩さんぱいもんるに、 念仏ねんぶつほかにもろもろのぎょうごうく。 なんぞただ念仏ねんぶつといふや。 ゆゑにじょうぼんのなかに、 念仏ねんぶつほかしゅっ受戒じゅかい発心ほっしん修諸しゅしょどくげたり。 ちゅうぼんのなかに、 念仏ねんぶつほかだいしんおよび斎戒さいかいとうぜんく。 ぼんのなかに、 念仏ねんぶつほかほつだいしんく。 なんがゆゑぞただ念仏ねんぶつおうじょうといふや。

問。見↢今三輩之文↡、念仏之外説↢諸行業↡。何唯謂↢念仏↡哉。所以上品、念仏タリ↢出家・受戒・発心・修諸功徳↡。中品、念仏↢菩提心及斎戒等↡。下品、念仏説↢発菩提心↡。何唯云↢念仏往生↡乎。

こたふ。 このといもつともしかるべし。 ぶつはかりがたし、 ぼんたやすくしがたし。 しかるにいま善導ぜんどうとうこころによりて、 いまこのもんあんずるにりゃくしてこころあり。 いちにはたん念仏ねんぶつおうじょうにはじょ念仏ねんぶつおうじょう

答。此問最可↠然。仏意難↠測、凡下輒↠解。然今依↢善導等↡、今案ルニ↢此↡略シテ有↢二意↡。一ニハ但念仏往生、二ニハ助念仏往生。

いちたん念仏ねんぶつとは、 およそ三品さんぼんろんずることは、 もと一法いっぽうにつきてこれをろんず、 ぼん煩悩ぼんのうとうのごとし。 いまおうじょうぎょうも、 またしかるべし。 なんぞかならずしもぎょうしょうにつきて、 三品さんぼんろんぜん。 ゆゑにいま本願ほんがん念仏ねんぶつぎょうにつきて、 三品さんぼんおうじょうむねくなり。 なにをもつてこれをる、 三品さんぼんもんにともに念仏ねんぶつにおいて一向いっこうことばけり。

但念仏者、凡↢三品之義↡事者、本付↢一法↡論↠之、如↢九品煩悩等↡。往生之行可↠然。何↢行多少↡、論↢三品↡。故今付↢本願念仏↡、説↢三品往生之旨↡也。以↠何知↠之、三品↢念仏↡置ケリ↢一向之言↡。

いはくじょうぼん (大経巻下) に 「一向いっこう専念せんねんりょう寿じゅぶつ」 とき、 ないぼん (大経巻下) に 「一向いっこう専念せんねんりょう寿じゅぶつ」 とく。 およそしょじゅんずるに、 一向いっこうといふはぎょうきらはざるこころなり。 ゆゑにいま念仏ねんぶつにつきて三品さんぼんてて、 品秩ほんちつ分別ふんべつするなり

上品↢「一向専念無量寿仏」↡、乃至下品↢「一向専念無量寿仏」↡。凡ルニ↢余所↡、云↢一向↡者不↠嫌↢余行↡意也。故今付↢念仏↡立テヽ↢三品↡、分↢別スル品秩↡也

これもまたわたくしのにあらず。 ゆゑに善導ぜんどうしゃく (観念法門) にいはく、 「この ¬きょう¼ のかんはじめにいはく、 ぶつ一切いっさいしゅじょうこんじょうどうくに、 じょうちゅうあり。 そのこんじょうしたがひて、 ぶつみなすすめてもつぱらりょう寿仏じゅぶつみなねんぜしむ。 そのひといのちおわらんとほっするときに、 ぶつしょうじゅとみづから来迎らいこうしたまふ」 と。 しゃくこころによりて、 三輩さんぱいともに念仏ねんぶつおうじょうといふなり。

亦非↢私↡。善導云、「此¬経¼下巻云、仏説クニ↢一切衆生根性不同↡、有↢上・中・下↡。随↢其根性↡、仏皆勧シム↢無量寿仏↡。其人命欲↠終ント、仏与↢聖0312衆↡自来迎タマフ。」↢釈↡、三輩共云↢念仏往生↡也。

ひていはく、 このしゃくいまださきなんしゃせず、 なんぞぎょうててただ念仏ねんぶつといふや。

問曰、此釈未↠遮↢前↡、何↢余行↡唯云↢念仏↡乎。

こたへていはく、 これにさんこころあり。 いちにはしょぎょうはいして念仏ねんぶつせんがためにしかもしょぎょうく。 には念仏ねんぶつじょじょうせんがためにしかもしょぎょうく。 さんには念仏ねんぶつしょぎょうもんやくして、 おのおの三品さんぼんてんがためにしかもしょぎょうく。

答云、此↢三意。一ニハ↧廃シテ↢諸行↡帰ンガ↦於念仏↥而↢諸行↡也。二ニハ為↣助↢成ンガ念仏↡而↢諸行↡也。三ニハ約↢念仏・諸行二門↡、各為↠立↢三品↡而説↢諸行↡也。

いちしょぎょうはいして念仏ねんぶつせしめんがためにしかもしょぎょうくとは、 善導ぜんどうの ¬かんぎょうしょ¼ (散善義) のなかに 「じょうらい雖説すいせつじょうさんりょうもんやく望仏もうぶつ本願ほんがんざいしゅじょう一向いっこうせんしょう弥陀みだぶつみょう」 といへるしゃくこころじゅんじて、 しばらくこれをせば、 じょうはいのなかにだいしんとうぎょうくといへども、 かみ本願ほんがんこころのぞめば、 ただしゅじょうをしてもつぱら弥陀みだみなしょうせしむるにあり。 しかるに本願ほんがんのなかにさらにぎょうなし。 三輩さんぱいともにかみ本願ほんがんによるがゆゑに、 (大経巻下) 一向いっこう専念せんねんりょう寿仏じゅぶつ」 といふなり。

↧廃↢諸行↡帰↦於念仏↥而説クト↢諸行↡者、准↧云ヘル↢善導¬観経¼中「上来雖説定散両門之益、望仏本願、意在衆生一向専称弥陀仏名」↡之釈↥、且解↠之、上輩之中ドモ↠説↢菩提心等余行↡、望メバ↢上本願↡、唯在↣衆生ヲシテムルニ↢弥陀↡。本願↢余行↡。三輩共ルガ↢上本願↡故、云↢「一向専念無量寿仏」↡也。

一向いっこう」 とはこうとうたいすることばなり。 れいせばかの天竺てんじくさんてらあり。 いちには一向いっこうだいじょう、 このてらのなかには小乗しょうじょうがくすることなし。 には一向いっこう小乗しょうじょう、 このてらのなかにはだいじょうがくすることなし。 さんにはだいしょうけんぎょう、 このてらのなかにはだいしょう兼学けんがくす。 ゆゑにけんぎょうといふ。 まさにるべし、 だいしょうりょうには一向いっこうことばあり。 けんぎょうてらには一向いっこうことばなし。

「一向」者対スル↢二向等↡之言也。五天竺↢三寺↡。一者一向大乗寺、此之中ニハ無↠学↢小乗↡。二者一向小乗寺、此寺ニハ無↠学↢大乗↡。三者大小兼行寺、此寺之中ニハ大小兼学。故云↢兼行寺↡。当↠知、大小両寺ニハ有↢一向言↡。兼行之寺ニハ↢一向言↡。

いまこの ¬きょう¼ のなかの一向いっこうもまたしかなり。 もし念仏ねんぶつほかにまたぎょうくわへば、 すなはち一向いっこうにあらず。 もしてらじゅんぜば、 けんぎょうといふべし。 すでに一向いっこうといふ、 ねざることをかしぬ。 すでにまづぎょうくといへども、 のち一向いっこう専念せんねんといふ。 あきらかにりぬ、 しょぎょうはいして、 ただ念仏ねんぶつもちゐるゆゑに一向いっこうといふ。 もししからずは一向いっこうことばもつとももつてしがたきか。

今此¬経¼中一向亦然ナリ。若念仏ヘバ↢余行↡、即非↢一向↡。若准↠寺者、可↠云↢兼行↡。云↢一向↡、不ルコト↠兼↠余矣。既先雖ドモ↠説↢余行↡、後云↢一向専念↡。明、廃シテ↢諸行↡、唯用↢念仏↡故云↢一向↡。若不↠爾者一向之言最0313↠消歟。

には念仏ねんぶつじょじょうせんがためにこのしょぎょうくとは、 これにまたこころあり。 いちには同類どうるい善根ぜんごんをもつて念仏ねんぶつじょじょうす。 にはるい善根ぜんごんをもつて念仏ねんぶつじょじょうす。

ニハ↣助↢成ンガ念仏↡説クト↢此諸行↡者、此亦有↢二意↡。一ニハ以↢同類善根↡助↢成念仏↡。二ニハ↢異類善根↡助↢成念仏↡。

はじめに同類どうるいじょじょうとは、 さき善導ぜんどう専修せんじゅ正行しょうぎょうのなかの助念じょねんこれなり。 さきにくはしくもうしおはりぬ

同類助成、前善導専修正行助念也。前

るいぜんとは、 これ ¬おうじょうようしゅう¼ のこころなり。 かの ¬しゅう¼ のなかに、 じゅうもんてて念仏ねんぶつおうじょうしゃくす。 しばらくそのなかのだいしょうしゅ念仏ねんぶつだい助念じょねん方法ほうほうなり

異類者、¬往生要集¼意也。彼¬集¼中、立↢十門↡釈↢念仏往生↡。且第四正修念仏、第五助念方法ナリ

しょうしゅ念仏ねんぶつとは、 これにねんもんあり。 そのなかのだい観察かんざつもんはまさしくこれ念仏ねんぶつもんなり

正修念仏者、此有↢五念門↡。其第四観察門念仏門也

助念じょねん方法ほうほうしちあり。 そのしちとは 。 しばらく第七だいしち総結そうけつようぎょう (要集巻中) に 「ひていはく、 かみ諸門しょもんのなかに」 とう

助念方法有↠七。其。且第七総結要行「問、上諸門中」等

このはすなはちいまの ¬きょう¼ のこころたり。 これはすなはちるい善根ぜんごんをもつて念仏ねんぶつじょじょうするなり。 かの ¬しゅう¼ のこころ念仏ねんぶつたすくるをもつて、 けつじょうおうじょうごうとなす 能助のうじょしたがはば、 しょぎょうおうじょうといふべし。 いまはしばらく所助しょじょしたがひて、 これをもつてまた念仏ねんぶつもんとなす。

即似タリ↢今¬経¼意↡。此即以↢異類善根↡助↢成スル念仏↡也。彼¬集¼意以↠助↢念仏↡、為↢決定往生。随↢能助↡者、可↠謂↢諸行往生↡。今↢所助↡、以↠此亦為↢念仏門↡。

さん念仏ねんぶつしょぎょうとにやくして、 おのおの三品さんぼんつとは、 いまのもんのなかにだいしんおよび造像ぞうぞうとうのもろもろの善根ぜんごんきょうじゅんずれば、 おのおのこれいちおうじょうごうなり。 しかればすなはちこのもんだいしんのもろもろの善根ぜんごんやくして、 おのおの三品さんぼんて、 おうじょうかすなり。 いはゆるしばらくだいしんにつきて、 じょうぼんあり、 ちゅうぼんあり、 ぼんあり。 じょうぼん発心ほっしんをもつて、 じょうぼんごうとなす。 ないぼん発心ほっしんをもつて、 ぼんごうとす だいしんすでにしかなり、 造像ぞうぞうとうまたかくのごとし。

約↢念仏諸行トニ↡、各立↢三品↡者、今菩提心及造像等之諸善根レバ↢余経↡、各往生業也。然↢菩提心善根↡、各↢三品↡、明↢往生↡也。謂↢菩提心↡、有↢上品↡、有↢中品↡、有↢下品↡。以↢上品発心↡、為↢上品業↡。乃至以↢下品発心↡、為↢下品 。菩提心已ナリ、造像等亦如↠是

ゆゑにりぬ、 このもんしょぎょうにつきて三品さんぼんわかつといふこと、 これまたわたくしのにあらず。 ¬おうじょうようしゅう¼ のなかにこれらのもんきて、 またしょぎょうおうじょうしょうとなす。 ゆゑにまたこのつくる。 しかのみならず善導ぜんどうの ¬かんぎょうしょ¼ に 「復有ぶう三種さんしゅしゅじょう (観経) もんしゃくするに、 ほぼこのたり

、此付↢諸行↡分↢三品↡云事、↢私↡。¬往生要集¼中↡、↢諸行往生↡。故↢此↡。加之善0314導¬観経¼釈↢「復有三種衆生」文↡、粗見タリ↢此義↡

念仏ねんぶつやくして、 三品さんぼんつるは、 ¬おうじょうようしゅう¼ のなかにこの三品さんぼんもんきて、 念仏ねんぶつおうじょうしょうとなす。 そのこころこれにおなじ。 これすなはちたん念仏ねんぶつおうじょうなり。

約↢念仏↡、立↢三品↡者、¬往生要集¼中↢此三品↡、為↢念仏往生証拠↡。其意同↠之但念仏往生義也。

ふ。 念仏ねんぶつ一法いっぽうにつきて、 いかんぞ三品さんぼんわかつ。

問。付↢念仏一法、何分↢三品↡。

こたふ。 これにしばらくさんあり。 いちには返数へんじゅしょうやくす、 にはせつじょうたんやくす、 さんには観念かんねん浅深せんじんやくす。

答。此有↢三義↡。一ニハ↢返数多少↡、二ニハ↢時節長短↡、三ニハ↢観念浅深↡。

いち返数へんじゅやくしてわかつとは、 善導ぜんどうしゃく (観念法門意) にいはく、 「毎日まいにち三万さんまんべんじょうぼんごう」 と。 これをもつてこれをあんずるに、 まんちゅう一万いちまんなり。 これすなはち返数へんじゅしょうやくして三品さんぼんわかなり。 ぼんこれにじゅんずべし。

シテ↢返数↡分者、善導云、「毎日三万返上品業。」↠之ルニ↠之、二万中、一万ナリ也。約↢返数多少↡分↢三品↡義也。九品准ベシ↠之

せつやくすとは、 源信げんしんそう ¬弥陀みだきょう¼ のなかにかの ¬きょう¼ の七日しちにち念仏ねんぶつをもつてじょうぼんとす。 かれによりてこれをじゅんぜば、 あるいはじゅうにち念仏ねんぶつをもつて上々じょうじょうぼんとするべし。 これすなはち一往いちおうせつごんやくして三品さんぼんわかつなり。 ぼんこれにじゅんず。

↢時節↡、源信僧都¬弥陀経¼中以↢彼¬経¼七日念仏↡為↢上品↡。彼因准↠之、或以↢十日念仏↡可↠為↢上々品↡。一往約シテ↢時節久近↡分↢三品↡也。九品准↠之

さん観念かんねん浅深せんじんやくすとは

↢観念浅深↡者

これをもつてこれをあんずるに、 いまのもん念仏ねんぶつにつきて三品さんぼんつるなり。 これによりてこれをあんずるに、 いま三輩さんぱいもんに、 たん念仏ねんぶつあり、 じょ念仏ねんぶつあり、 またしょぎょうおうじょうあり。 ぶつ一音いっとんをもつてほう演説えんぜつす、 しゅじょうるいしたがひておのおの ぶつごんなり。 いましばらくさんつくる。 つぎにこのさんにつきて、 ぼうしょうろんじ、 たん念仏ねんぶつをもつてしょうとし、 ぼうとす。 なにをもつてのゆゑに。 ぶつ本願ほんがんじゅんずるがゆゑに。 ぜんもんによるがゆゑに

以↠之ルニ↠之、今付↢念仏↡立↢三品↡也。依↠之案↠之、今三輩、有↢但念仏義↡、有↢助念仏義、有↢諸行往生義↡。仏以↢一音↡演↢説法↡、衆生随↠類各得↠解 。仏意多含也。今且↢三解↡。次付↢此三義↡、論↢傍正↡、以↢但念仏↡為↠正、余為↠傍。以↠何。准↢仏本願↡故。依ルガ↢前後多文↡故

つぎちゅうはい造像ぞうぞうにつきて、 どうきょうならびに法縁ほうえんをもつてしゃくすべし。 がんしょうおうじょう ちゅうはいにまたしょぎょうおよび助念じょねんならびに但念たんねんあり

↢中輩造像↡、以↢道鏡并志法縁↡可↠釈。二願生往生 。中輩亦有↢諸行及助念并但念↡

入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 中輩文

にはちゅうはいの 「一向いっこう専念せんねんりょう寿仏じゅぶつ (大経巻下) もんちゅうはいにまたしょぎょうおうじょう助念じょねんおうじょうたん念仏ねんぶつおうじょうよしあり

0315ニハ中輩「一向専念無量寿仏」文。中輩亦有↢諸行往生・助念往生・但念仏往生之由↡

入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 下輩文

にははいにまたさんあり。 さきのごとくはいの 「一向いっこう専念せんねん (大経巻下) もんじょうはいれいしてるべし、 べつにこれをしゃくせず おうじょうごうしゅするに、 さんこころあり。 いちにはたん念仏ねんぶつには助念じょねんさんにはたんしょぎょうなり。 ちょうもん人々ひとびとおのおのおんこころまかせて、 修行せしめたまふべし。 ただしどう愚意ぐい善導ぜんどうによる じょう正宗しょうしゅうおはりぬ。

ニハ下輩亦有↠三。如↠前下輩「一向専念」文、例シテ↢上輩↡可↠知、別不↠釈↠之 。修↢往生↡、有↢三意↡。一ニハ但念仏、二ニハ助念、三ニハ但諸行也。聴聞人人各↢御心↡、可↧令↢修行↡給↥。但導師愚意者依↢善導。已上正宗了

入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 無上功徳文

ろくずうのはじめに、 「それかのみょうごうくことをることありて、 かんやくしてない一念いちねんせん。 まさにるべし、 このひとはすなはちこれじょうどくそくす」 とは、 このもんこころあり。 いちにはらいには助念じょねんおよびしょぎょうはいしてたん念仏ねんぶつかす、 さんには一念いちねんげてじゅうねんとうきょうす、 には信心しんじん不為ふいほうしょうず。

流通、「其有↠得↠聞↢彼名号↡、歓喜踊躍乃至一念。当↠知、此人則是具↢足無上功徳↡」者、此有↢四意↡。一ニハ来意、二ニハシテ↢助念及諸行↡明↢但念仏↡、三ニハ↢一念↡況↢十念等↡、四ニハ↢信心不為誹謗↡。

いちらいとは、 かみ正宗しょうしゅうは、 まさしく時会じえしゅじょうのために念仏ねんぶつおうじょうほうくなり。 いまのずうとは、 ただとうだいやくるのみにあらず、 のちひゃくさいまた念仏ねんぶつおうじょうほうくなり。 とおみょうどううるおとう

来意者、上正宗、正為↢時会衆生↡説ナリ↢念仏往生↡也。今流通者、非当時獲ノミニ↢大利益↡、後五百歳説↢念仏往生↡也。遠沾↢妙道↡等

にはこれはかみ助念じょねんおよびしょぎょうはいしてたん念仏ねんぶつかすゆゑとは、 かみ本願ほんがんがんじょうじゅもんたん念仏ねんぶつかすといへども、 かみ来迎らいこう願等がんとうのなかおよびつぎ三輩さんぱいもん助念じょねんおうじょうしょぎょうおうじょうかす。 これによりてもろもろのおうじょうぎょうじゃ但念たんねん助念じょねんしょぎょうにおいて、 もういだきていまだけっせず。 ゆゑにずういたりて、 はじめには助念じょねんしょぎょうもんはいし、 たん念仏ねんぶつおうじょうかず。

ニハシテ↢上助念及諸行↡明↢但念仏↡故者、上本願願成就雖↠明↢但念仏↡、上来迎願等中及三輩文明↢助念往生・諸行往生↡。依↠之諸往生行者、於↢但念・助念・諸行↡、懐↢疑網↡未↠決。故至↢流通↡、初ニハ↢助念・諸行二門↡、明↢但念仏往生↡。

いはく 「それかのぶつみょうごうくことをることありて」 と。 善導ぜんどうしゃく (礼讃) いはく、 「それかの弥陀みだぶつみょうごうくことをることありて、 かんして一念いちねんいたるものみなまさにかしこにとくしょうすべし」 と。

「其有↠得↠聞↢彼仏名号↡。」 善導釈云、「其有↠得↠聞↢彼弥陀仏名0316号↡、歓喜至↢一念↡皆当↠得↢生彼↡。」

このまたわたくしのこころにあらず、 すなはち善導ぜんどうおんこころなり。 この ¬きょう¼ の三輩さんぱいのなかに助念じょねんおよびしょぎょうき、 のちずうのなかでこれをはいしてただ念仏ねんぶつかす。

↢私↡、即善導御意也。此¬経¼三輩説↢助念及諸行↡、後流通中廃シテ↠之唯明↢念仏↡。

そのだい ¬かんぎょう¼ にる。 ¬かんぎょう¼ のなかには、 まづひろえんとうじ、 じゅうさんじょうぜん三福さんぷくぼんごうきてしょぎょうおうじょうかす。 そのつぎぶつこのほうをもつて、 ぞくしたまふもん (観経) にいはく、 「ぶつなんげたまはく、 なんぢよくこのたもて」 とうと。

次第似↢¬観経¼↡。¬観経¼中ニハ、先逗↢機縁↡、説↢十三定善・三福九品之業↡明↢諸行往生↡。其仏以↢此↡、付属タマ、「仏告↢阿難↡、汝好持↢是語↡」等

善導ぜんどうしゃく (散善義) していはく、 「仏告ぶつごうなんより汝好にょこう是語ぜご以下いげは、 まさしく弥陀みだみょうごうぞくして、 だいずうすることをかす。 じょうらいじょうさんりょうもんやくくといへども、 ぶつ本願ほんがんのぞむるに、 こころしゅじょうをして一向いっこうにもつぱら弥陀みだぶつしょうせしむるにあり」 と。

善導釈云、「従↢仏告阿難↡汝好持是語已下、正明↧付↢属弥陀名号↡、流↦通於遐代↥。上来雖↠説↢定散両門之益↡、望↢仏本願↡、意在↣衆生一向専称↢弥陀仏名↡。」

これすでにかくのごとく、 いまの ¬きょう¼ まかくのごとし。 かみにはえんとうじてしばらくじょ念仏ねんぶつおうじょうおよびしょぎょうおうじょうむねくといへども、 ぶつ本願ほんがんじゅんずるゆゑに、 ずうはじめにいたりてしょぎょうはいしてたん念仏ねんぶつするなり。 じょぎょうなほこれをはいす、 いはんやたんしょぎょうをや

如↠此、今¬経¼如↠此。上ニハジテ↢機縁↡且雖↠説↢助念仏往生及諸行往生之旨↡、准↢仏本願↡故、至↢于流通↡廃シテ↢諸行↡帰スル↢但念仏↡也。助行↠之、況但諸行

さんかみ念仏ねんぶつおうじょうくに、 こころ三品さんぼんくに、 一念いちねんぐ、 いはんやじゅう念等ねんとうもんは、 ただぼん一念いちねんおうじょうかすのみにあらず、 一念いちねんげてじゅう念等ねんとうきょうし、 ねて上中じょうちゅうぼんおうじょうかす。 ゆゑに一念いちねんなほおうじょうす、 いはんやじゅうねんをや。 じゅうねんなほおうじょうす、 いはんやねんをや。 一日いちにちなほおうじょうす、 いはんや一月いちがつをや。 一月いちがつなほおうじょうす、 いはんや三月さんがついちしゅんをや。 いちなほおうじょうす、 いはんや一年いちねんをや。 一年いちねんなほおうじょうす、 いはんやいっしょうをや

三上説↢念仏往生↡、説↢意三品↡、挙↢一念↡、況十念等文者、只非↠明↢下品一念往生↡、挙↢一念↡況↢十念等↡、兼明↢上中二品往生↡。所以一念往生、況十念哉。十念往生、況多念哉。一日往生、況一月哉。一月往生、況三月・一夏・九旬哉。一夏往生、況一年哉。一年尚往生、況一生

しょう信心しんじん不為ふいほうといふは、 たん念仏ねんぶつおうじょうもんかくのごとし。 たれのひとかこれをきてやくかんせざらん。 しかるにあるひとこれをきてほうをなす。 まさにるべし、 このひとこうのなかにだいごくすべし。 ゆゑに ¬しょうよう諸仏しょぶつどくきょう¼ (巻下) にいはく、 「それ弥陀みだぶつみょうごうどく讃嘆さんだんしょうようすることをしんぜず、 しかもほうすることあるものは、 こうのなかにまさにごくしてつぶさにしゅくべし」 と。

云↢生信心不為誹謗↡者、但念仏往生文義如↠此。誰人聴↠之不↢踊躍歓喜↡。然0317人聴↠之為↢誹謗↡。当↠知、此五劫可↠堕↢大地獄↡。故¬称揚諸仏功徳経¼云、「其有↧不↠信↤讃↢嘆称揚↣コトヲ阿弥陀仏名号功徳↡、而謗毀スルコト↥者、五劫之中↧堕シテ↢地獄↡具受↦衆苦↥。」

いはく、 まさにごくすべしいまだいづれのごくといはず、 つぶさにしゅくといひていまだなんともかず。 もしは等活とうかつごくさいけんか、 もしは衆合しゅごうごくりょうぜん合来ごうらいちょうもん人々ひとびと有智うち無智むちにゃくなんにゃくにょせんじょうねがはくはおのおの信心しんじんしょうじてほうをなさざることを

云、当↠堕↢地獄↡未↠謂↢何地獄↡、具クト↢衆苦↡云↠説↢何トモ↡。若等活地獄砕刺磨眷苦歟、若衆合地獄両山合来苦歟 。御聴聞人人、有智・無智、若男若女、貴賎・上下、願各各生↢信心↡不↠為↢誹謗

しかればすなはちりょうこうのなかにおいて、 たまたまにはじめてこれをくことをかばすなはちやくかんすべし、 なんぞきょうおもひをなさん、 いかんしてまたほうせんや 設満せつまん大千だいせんこれをしゃくすべし。

於↢無量劫之中↡、適得↠聞↠之、聞者即可↢踊躍歓喜↡、何為↢軽易之思↡、何シテ亦為↢誹謗↡哉 。設満大千火之義可↠釈↠之

入文解釈 正宗分 往生行業 別釈 特留此経文

しち当来とうらいきょうどう滅尽めつじんせんに、 われ慈悲じひ哀愍あいみんをもつて、 ことにこのきょうとどじゅうすることひゃくさいせん」 (大経巻下) とは、 このもんしゃくするにおおくのこころあり。 いちにはらいにはまさしくしょぎょうはいたん念仏ねんぶつかす、 *さんにはしょうどうじょうきょう滅尽めつじんごんやくしておうじょうすすむ、 には十方じっぽうじょうおうじょう極楽ごくらくきょう滅尽めつじんぜんやくしておうじょうすすむ、 には上生じょうしょうおうじょうとのきょう滅尽めつじんごんやくしてまたおうじょうすすむ、 ろくにはしゃ慈悲じひ弥陀みだ本願ほんがんやくしておうじょうすすむ。

「当来之世経道滅尽、我以↢慈悲哀愍↡、特留↢此経↡止住百歳」者、釈↢此↡有↢多意↡。一者来意、二者正廃↢諸行↡明↢但念仏↡、三者約↢聖道・浄土二教滅尽久近↡勧↢往生↡、四ニハ約↢十方浄土・往生極楽二教滅尽前後↡勧↢往生↡、五ニハ約↢上生往生トノ二教滅尽久近勧↢往生↡、六ニハ約↢釈迦慈悲・弥陀本願↡勧↢往生↡。

いちらいとは、 かみ正宗しょうしゅうもんならびにずうはじめのもんたん念仏ねんぶつおうじょうもんともにあらわりょうす。 しかるにいまこのもんこころは、 しょぎょうおうじょう念仏ねんぶつおうじょうきょうろんかんかさじくならべてともにしょうぼう末法まっぽうあいだ流布るふす、 まこと念仏ねんぶつしょぎょうとのりょうぎょう是非ぜひぼうしょうあんにもつてさだめがたし。 あるいはしょぎょうおうじょうきょうしょぎょうおうじょうむねしゅうす、 あるいは念仏ねんぶつおうじょうきょう念仏ねんぶつおうじょうむねしゅうす。 いずれか、 いづれかぶつにあらずはりがたし。

来意者、上正宗五文并流通文、但念仏往生義、文理共。然今此、諸行往生義、念仏往生経論0318、重↠巻↠軸流↢布正法・末法之間↡、誠念仏諸行トノ両行是非傍正、暗難↠定。或見↢諸行往生之経↡執↢諸行往生之旨↡、或見↢念仏往生之経↡執↢念仏往生之旨↡。何是、何非、非↠仏者難↠知

しかるにいままたひゃくねんときたん念仏ねんぶつおうじょうこころげて、 いまときたん念仏ねんぶつおうじょうすすむるなり。 これまたわたくしのにあらず、 じょうようの ¬双巻そうかんぎょうしょ¼ (大経義疏意) にいはく、 「のちをもつていますすむ」 と。 ゆゑにかみぎてこのもんきたるなり。

↢百年之時但念仏往生意↡、勧↢今時但念仏往生↡也。非↢私↡、浄影¬双巻経疏¼云、「以↠後勧↠今。」故文来也。

くはしくかさねしょぎょうはい念仏ねんぶつかすとは、 しょぎょうにつきてりゃくしてじゅうさんあり、 さきもうすがごとし。 いちには布施ふせないじゅうさんぜんやくなり。 ようりてこれをいふに、 じゅうさんのなかにつきて、 かいおうじょうあり、 きょうおうじょうあり。

委重廃↢諸行↡明↢念仏↡者、付↢諸行↡略有↢十三、如↢前申↡。一ニハ布施乃至十三不染利益也。取↠要↠之、付↢十三↡、有↢持戒往生↡、有↢持経往生↡。

かいといふは、 ¬ぶん¼・¬ぶん¼・¬十誦じゅうじゅ¼・¬そう¼・¬梵網ぼんもう¼・¬地持じじ¼・¬纓絡ようらく¼ とうだいしょうきょうかいさんかいないしょうもんそくかいさつ十重じゅうじゅうじゅうはちきょうかいない三聚さんじゅじょうかいたもつなり。 しかるにかのひゃくさいとききょうどう滅尽めつじんす。 これらのかいきょうことごとく滅尽めつじんしなば、 かのときにすでにかいきょうなし。 かいきょうなきがゆゑに受戒じゅかいのものなし。 受戒じゅかいのものなきがゆゑにかいのものなし。 かいのものなきがゆゑにかいのものなし。 かいのものなきがゆゑにただかいしゅじょうのみあり。

云↢持戒↡者、依↢¬四分¼・¬五分¼・¬十誦¼・¬僧祗¼・¬梵網¼・¬地持¼・¬纓絡¼等大小戒経↡、持↢三帰・五戒乃至声聞具足戒、菩薩十重・四十八軽戒乃至三聚浄戒↡也。然百歳経道滅尽戒経悉滅尽ナバ、彼無↢戒経↡。無↢戒経↡故無↢受戒↡。無↢受戒者↡故無↢持戒↡。無↢持戒↡故無↢破戒者↡。無↢破戒者↡故有↢唯無戒衆生↡。

しかりといへどもただじょう弥陀みだみなねんずれば、 つひにおうじょうるなり。 この ¬きょう¼ にかいことばありといへども、 いまだかいぎょうそうかず。 かいぎょうそうくは、 ひろだいしょう戒律かいりつにあり。 かの戒律かいりつまづめっしなば、 かいぎょうなにによりてかこれをしゅせん。 ゆゑに善導ぜんどうしゃくして (礼讃) いはく、 「万年まんねん三宝さんぼうめつとうと。

雖↠然唯至誠念↢弥陀↡、遂得↢往生↡也。此¬経¼雖↠有↢持戒之言↡、未↠説↢持戒之行相↡。説↢持戒行相、広在↢大小戒律↡。彼戒律先ナバ、持戒之行何テカ↠之。故善導釈云、「万年三宝滅」等

これをもつてこれをあんずるに、 たとひいまときのわれら、 もつぱらかいぎょうたもたずといへども、 もし一心いっしん念仏ねんぶつせば、 なんおうじょうげざらん。 いはんや今日こんにち随分ずいぶん一戒いっかいかいたもたんをや。 ゆゑにりぬ、 べつ戒品かいぼんたもたずといへども、 もしよく念仏ねんぶつせば、 おうじょう極楽ごくらくぐべしといふことを。 このなかにちょうもんしゅうらい人々ひとびと、 あるいは戒品かいぼんたもち、 あるいはかいたもたず、 かいかいかいも、 一心いっしん念仏ねんぶつしておうじょうすべし。

↠之0319ルニ↠之、設今時我等、専雖↠不↠持↢戒行↡、若一心念仏セバ、何不↠遂↢往生↡。況今日随分↢一戒・二戒↡哉。故、別雖↠不↠持↢戒品↡、若念仏セバ、遂ベシト↢往生極楽↡云事。此聴聞集来人人、或持↢戒品↡、或不↠持↠戒、持戒破戒無戒、一心念仏シテ可↠期↢往生↡。

この ¬きょう¼ にだいしんことばありといへども、 いまだだいしんぎょうそうかず。 しかるにだいしんぎょうそうくは、 ひろく ¬だいしんぎょう¼ とうにあり。 かの ¬きょう¼ まづめっしなば、 だいしんぎょうなにによりてこれをしゅしてかおうじょうしたまはん。

¬経¼雖↠有↢菩提心之言↡、未↠説↢菩提心之行相↡。而説↢菩提心之行相↡者、広在↢¬菩提心経¼等↡。彼¬経¼先ナバ、菩提心之行何シテカ↠之往生ハン

またつぎ読誦どくじゅおうじょうあり。 読誦どくじゅとは、 きょうじゅおうじょうなり。 きょうにつきて、 ¬ごん¼ あり、 ¬ほっ¼ ありおよびしょだいじょうきょうあり。 しかるにいまかのひゃくさいときしゅじょうはこれらのしょきょう滅尽めつじんするがゆゑに、 この ¬きょう¼ をたもたずこの ¬きょう¼ とどまるがゆゑに、 ¬きょう¼ によりて念仏ねんぶつしてすなはちおうじょうべし。 ゆゑに善導ぜんどうしゃくして (礼讃) いはく、 「万年まんねん三宝さんぼうめつとうと。

復次有↢読誦往生↡。読誦者、持経・持呪往生也。付↢持経↡、有↢¬華厳¼、有↢¬法華¼↡及有↢諸大乗経↡。然今彼百歳衆生此等諸経滅尽ルガ、雖↠不↠持↢此¬経¼↡此¬経¼留ルガ、依↠¬経¼念仏シテ即得ベシ↢往生↡。故善導釈シテ云、「万年三宝滅」等

これをもつてこれをあんずるに、 いまときたとひ ¬ごん¼・¬ほっ¼ とうたもたずといへども、 ただよく念仏ねんぶつせばなんぞおうじょうげざらん。 いまちょうもんしゅうらい人々ひとびとおんちゅうに、 あるいは ¬ごん¼ のげんじゅうがんたもひとあり、 あるいはたもたざるひとあり。 あるいは ¬ほっ¼ をたもひとあり、 あるいはたもたざるひとあり。 しょだいじょうきょうまたかくのごとし。 きょうきょうえらばず、 転読てんどく転読てんどくろんぜず、 おうじょうこころざしおんましませばただよく弥陀みだみょうごうねんずべし。

↠之ルニ↠之、今時設雖↠不↠持↢¬華厳¼・¬法華¼等↡、但能念仏セバ↠遂↢往生↡。聴聞集来人人御中、或有↧持↢¬華厳¼普賢十願↡人↥、或有↢不↠持人↡。或有↧持↢¬法華¼↡人↥、或有↢不↠持人↡。諸大乗経如↠此。不↠簡↢持経・不持経↡、不↠論↢転読・不転読↡、往生御坐唯能可↠念↢弥陀名号↡。

つぎじゅにつきて、 じゅとはこれしょ陀羅尼だらになり。 陀羅尼だらににつきて、 ずいあり、 そんしょうあり、 ほうきょういんあり、 こうみょう真言しんごんあり、 およびもろもろの神呪じんじゅあり。 たもてばみなおうじょう。 しかるにかのひゃくさいときにはきょうどう滅尽めつじんといひて、 これらの陀羅尼だらにことごとく滅尽めつじんすべし。 これによりてかのときしゅじょう一人いちにんじゅのものあることなし。 もししかれば、 たとひじゅたもたずといへども、 みな弥陀みだみょうごうねんじてことごとくおうじょう。 たとひいまときのわれらも、 神呪じんじゅたもたずといへども、 もしよく念仏ねんぶつせばなんぞおうじょうせざらん。

↢持呪↡、呪諸陀羅尼也。付↢陀羅尼↡、有↢随求↡、有↢尊勝↡、有↢宝ケウ印↡、有↢光明真言↡、及有↢諸神呪↡。持者皆得↢往生↡。然百歳0320ニハ↢経道滅尽↡、陀羅尼悉滅尽スベシ。依↠之衆生、無↠有コト↢一人持呪↡。若然者、設雖↠不↠持↠呪、皆念↢弥陀名号↡悉得↢往生↡。設今時我等、雖↠不↠持↢神呪↡、若念仏セバ↢往生↡。

これをもつてこれをりぬ、 いまときちょうもん諸衆しょしゅ、 あるいはそんしょうたもひとあり、 あるいはたもたざるひとあり。 あるいはほうきょういんこうみょう真言しんごんたもひとあり、 あるいはたもたざるひとあり。 じゅ不持ふじじゅろんぜず。 もしおうじょうこころざしあらば、 ただぶつみょうねんずべし。

↠之↠之、今時聴聞諸衆、或有↧持↢尊勝↡人↥、或有↢不↠持人↡。或有↧持↢宝篋印・光明真言↡人↥、或有↢不↠持人↡。不↠論↢持呪・不持呪↡。若有↢往生志↡、唯可↠念↢仏名↡。

ゆゑに善導ぜんどうの ¬おうじょう礼讃らいさん¼ にしゃくしていはく、 「万年まんねん三宝さんぼうめっせんに、 この ¬きょう¼ じゅうすることひゃくねんせん。 そのとき一念いちねんかば、 みなまさにかしこにとくしょうすべし」 と。

善導¬往生礼讃¼釈シテ云、「万年三宝滅、此¬経¼住百年。爾時聞↢一念↡、皆当↠得↢生彼↡。」

このもんしゃくするに、 りゃくしてこころあり。 いちにはしょうどうじょうとのきょうじゅうめつぜんには十方じっぽう西方さいほうとのきょうじゅうめつぜんさんにはそつ西方さいほうとのきょうじゅうめつぜんには念仏ねんぶつしょぎょうとのじゅうめつぜんなり。

ルニ↢此↡、略シテ有↢四意↡。一者聖道浄土トノ二教住滅前後、二者十方西方トノ二教住滅前後、三者都率西方トノ二教住滅前後、四者念仏諸行トノ住滅前後也。

一にしょうどうじょうとのきょうじゅうめつぜんとは、 いはくしょうどうもんしょきょうはまづめっす、 ゆゑに 「きょうどう滅尽めつじん」 といふ。 じょうもんのこの ¬きょう¼ はひととどまるゆゑに 「じゅうひゃくさい」 といふなり。 まさにるべし、 しょうどうえん浅薄せんぱくにして、 じょうえん深厚じんこうなり。

聖道浄土トノ二教住滅前後者、謂聖道門諸経先滅、故云↢「経道滅尽」↡。浄土門¬経¼特云↢「止住百歳」↡也。当↠知、聖道機縁浅薄ニシテ、浄土機縁深厚也。

十方じっぽう西方さいほうとのきょうじゅうめつぜんとは、 いはく十方じっぽうじょうおうじょうしょきょうはまづめつす、 ゆゑに 「きょうどう滅尽めつじん」 といふ。 西方さいほうじょうおうじょうのこの ¬きょう¼ はひととどまるゆゑに 「じゅうひゃくさい」 といふなり。まさにるべし、 十方じっぽうじょうえん浅薄せんぱくにして、 西方さいほうじょうえん深厚じんこうなり。

十方西方トノ二教住滅前後者、謂十方浄土往生諸教、故云↢「経道滅尽」↡。西方浄土往生此¬経¼特云↢「止住百歳」↡也。当↠知、十方浄土機縁浅薄ニシテ、西方浄土機縁深厚也。

さんそつ西方さいほうとのきょうじゅうめつぜんとは、 いはく ¬上生じょうしょう¼・¬しん¼ とう上生じょうしょうそつしょきょうはまづめっす、 ゆゑに 「きょうどう滅尽めつじん」 といふ。 おうじょう西方さいほうのこの ¬きょう¼ はひととどまるゆゑに 「じゅうひゃくさい」 といふなり。 まさにるべし、 そつちかしといへどもえんあさし、 極楽ごくらくとおしといへどもえんふかきなり。

都率西方トノ二教住滅前後者、謂¬上生¼・¬心地¼等上生都率諸教先0321、故云↢「経道滅尽」↡。往生西方¬経¼特云↢「止住百歳」↡也。当↠知、都率雖↠近縁浅、極楽雖↠遠縁深也。

念仏ねんぶつしょぎょうとのぎょうじゅうめつぜんとは、 しょぎょうおうじょうしょきょうはまづめっす、 ゆゑに 「きょうどう滅尽めつじん」 といふ。 念仏ねんぶつおうじょうのこの ¬きょう¼ はひととどまるゆゑに 「じゅうひゃくさい」 といふなり。 まさにるべし、 しょぎょうおうじょうえんはもつともあさし、 念仏ねんぶつおうじょうえんははなはだあつきなり。 しかのみならずしょぎょうおうじょうえんすくなく、 念仏ねんぶつおうじょうえんおおし。 またしょぎょうおうじょうちか末法まっぽう万年まんねんときかぎれり、 念仏ねんぶつおうじょうとお法滅ほうめつひゃくさいだいうるおすなり。

念仏諸行トノ二行住滅前後者、諸行往生諸教先滅、故云↢「経道滅尽」↡。念仏往生¬経¼特云↢「止住百歳」↡也。当↠知、諸行往生機縁、念仏往生機縁甚厚也。加之諸行往生、念仏往生諸行往生レリ↢末法万年之時↡、念仏往生↢法滅百歳之代↡也。

ひていはく、 すでに 「我以がい慈悲じひ哀愍あいみんどくきょうじゅうひゃくさい」 といふ。 もししかれば、 しゃくそん慈悲じひをもつてしかも経教きょうきょうとどめたまはば、 いづれのきょういづれのきょうかしかもとどめたまはざらんや。 しかもなんぞきょうとどめずただこの ¬きょう¼ をとどめたまふや。

問曰、既云↢「我以慈悲哀愍、特留此経止住百歳」↡。若而者、釈尊以↢慈悲↡而タマハヾ↢経教↡、何経何↠留タマハ也。而不↠留↢余経↡唯留タマフ↢此¬経¼乎。

こたへていはく、 たとひいづれのきょうとどむといへども、 べついっきょうさばまたこのなんらじ。 ただしひとりこの ¬きょう¼ をとどめたまふはそのじんあるか。 もし善導ぜんどうしょうこころによらば、 この ¬きょう¼ のなかにすでに弥陀みだ如来にょらい念仏ねんぶつおうじょう本願ほんがんく。 しゃ慈悲じひ念仏ねんぶつとどめんがために、 ことにこの ¬きょう¼ をとどめたまふ。 きょうのなかには、 いまだ弥陀みだ如来にょらい念仏ねんぶつおうじょう本願ほんがんかず、 ゆゑにしゃくそん慈悲じひもつてしかもこれをとどめたまはざるなり。

答曰、縦ドモ↠留↢何経↡、別↢一経↡者不↠避↢此↡。但特タマフハ↢此¬経¼↡有↢其深意↡歟。依↢善導和尚↡者、此¬経¼之中説↢弥陀如来念仏往生本願↡。釈迦慈悲為↠留ンガ↢念仏↡、殊留↢此¬経¼↡。余経之中ニハ、未↠説↢弥陀如来念仏往生本願↡、故釈尊慈悲以不↠留↠之也。

およそじゅうはちがんみな本願ほんがんなりといへども、 こと念仏ねんぶつをもつておうじょうのりとす。 ゆゑに善導ぜんどうしゃくして (法事讃巻上) いはく、 「ぜいもんにしてじゅうはちなれども、 ひとへに念仏ねんぶつひょうしてもつともしんとす。 ひとよくぶつねんずれば、 ぶつかへりてねんじたまふ。 専心せんしんぶつおもへば、 ぶつひとりたまふ」 と。 ゆゑにりぬ、 じゅうはちがんのなかに、 すでに念仏ねんぶつおうじょうがんをもつてしかも本願ほんがんのなかのあるじとなすなり。 これをもつてしゃ慈悲じひことにこの ¬きょう¼ をもつてじゅうすることひゃくさいなり。

四十八願皆雖↢本願ナリト↡、殊↢念仏↡為↢往生↡。故善導釈シテ、「弘誓多門ニシテ四十八ナレドモ、偏標↢念仏↡最為↠親。人能レバ↠仏、仏還タマフ。専心ヘバ↠仏、仏知タマフ↠人。」 、四十八願之中、既以↢念仏往生之願0322↡而↢本願之中↡也。釈迦慈悲特↢此¬経¼↡止住コト百歳也。

れいせばかの ¬かんりょう寿じゅきょう¼ のなかに、 じょうさんぎょうぞくせず、 ただひと念仏ねんぶつぎょうぞくしたまふがごとし。 これすなはちかのぶつがんじゅんずるがゆゑに、 念仏ねんぶついちぎょうぞくするなり。

セバ如↧彼¬観無量寿経¼中、不↣付↢属定散之行↡、唯孤付↦属タマフガ念仏之行↥。ルガ↢彼↡之故、付↢属スル念仏一行↡也。

ひていはく、 ひゃくさいあいだ念仏ねんぶつとどむべきこと、 そのしかるべし。 この念仏ねんぶつぎょうはただかのときかぶらんとやせん、 はたしょう像末ぞうまつつうずとやせん。

問曰、百歳之間可コト↠留↢念仏↡、其理可↠然。此念仏唯為↠被ムトヤ↢彼↡、↠通トヤ↢於正像末之機↡也。

こたへていはく、 ひろしょう像末ぞうまつつうずべし。

答曰、広可↠通↢於正像末↡。

またつぎしょしゅうしょ甚深じんじんかんぎょうあり。 いはく法相ほっそうしゅうじゅう唯識ゆいしきさんしょうさんしょうかん三論さんろんしゅうはっちゅうどうしょう皆空かいくうかんごんしゅうじゅうげん六相ろくそう法界ほっかいえんにゅうかん天台てんだいしゅう一念いちねん三千さんぜん一心いっしん三諦さんたいかんだつしゅう即心そくしんぶつ一念いちねんしょうかん真言しんごんしゅう阿字あじほんしょう三密さんみつ同体どうたいかん

復次↢諸宗諸家甚深理観之行↡。云法相宗五重唯識・三性三無性観、三論宗八不中道・勝義皆空観、華厳宗十玄・六相・法界円融観、天臺宗一念三千・一心三諦観、達磨宗即心是仏・一念不生観、真言宗阿字本不生・三密同体観。

これらのもろもろのかんほうはみなきょうろんによりてこれをこんりゅうす。 しかるにかのときにすでにしょきょうことごとく滅尽めつじんしなば、 のうしょうしょみな塵埃じんかいとなるべし。 はっしゅうしゅうしょうしょことごとく滅尽めつじんしなば、 なにによりてかのときしゅじょうかんしゅせん。 しかりといへどもひとりこの ¬きょう¼ をとどむるゆゑに、 この ¬きょう¼ によりてかんしゅせずといへども、 弥陀みだみなしょうし、 一心いっしんみだれずは、 みなおうじょうすることをべし。

理観↢経論↡建↢立↡。然所依経悉滅尽ナバ、能依章疏ルベシ塵埃↡。八宗・九宗章疏悉滅尽ナバ、依テカ↠何衆生修↢理観↡。雖ドモ↠然留↢此¬経¼故、依↢此¬経¼↡雖↠不↠修↢理観↡、称↢弥陀↡、一心↠乱、皆得ベシ↢往生コトヲ↡。

これをもつてこれをおもふに、 いまときのわれら、 たとひ法相ほっそう三論さんろんがくなりといへども、 じゅう唯識ゆいしきしょう皆空かいくうかんをもしゅせず。 たとひごん天台てんだい門人もんにんなりといへども、 法界ほっかいえんにゅう一念いちねん三千さんぜんかんをもしゅせず。 たとひ禅門ぜんもん三密さんみつぎょうじゃなりといへども、 即心そくしんぶつ阿字あじ本空ほんくうかんぜずとも、 なんぞ一心いっしん称名しょうみょうしておうじょうせざらんや。

以↠之思↠之、今時等、設雖↠為↢法相・三論学徒↡、↠修↢五重唯識・勝義皆空ヲモ↡。設雖↠為↢華厳・天臺門人↡、不↠修↢法界円融・一念三千ヲモ↡。設雖↠為↢禅門・三密行者↡、不トモ↠観↢即心是仏・阿字本空↡、何一心称名シテ↢往生↡哉。

これをもつてこれをあんずるに、 いまちょうもん諸衆しょしゅおんちゅうに、 あるいはじゅう唯識ゆいしきしょう皆空かいくうかんしゅするひともあり、 あるいはしゅせざるひともあり。 あるいはごん天台てんだい観門かんもんしゅするひともあり、 しゅせざるひともあり。 あるいは禅門ぜんもん三密さんみつ即心そくしんぶつ阿字あじ本空ほんくうしゅするひともあり、 しゅえざるひともあり。 しょしゅうかんにおいてしゅじゅうするものに、 おうじょう極楽ごくらく沙汰さたおよばず。 たとひかんしゅせずといへども、 本願ほんがんたのみて一心いっしんしょうねんせば、 なんぞおうじょうげざらん。

以↠之ルニ↠之0323、今聴聞諸衆御中、或有↧修スル↢五重唯識・勝義皆空↡人↥、或有↢不↠修人↡。或有↧修スル↢華厳・天臺観門↡人↥、有↢不↠修人↡。或有↧修スル↢禅門・三密即心是仏・阿字本空↡人↥、有↢不↠修人↡。於↢諸宗理観↡於↢修習スル↡、往生極楽不↠及↢沙汰↡。設雖↠不↠修↢理観↡、馮↢本願↡一心称念、何↠遂↢往生↡。

つぎにただみょうごうとなふることさかりなるがゆゑに、 善導ぜんどうしゃくして (礼讃) いはく、 「万年まんねん三宝さんぼうめつ」 と。 こうきょうの ¬もう¼ をくもじゅしっせず、 人口じんこうにあるがゆゑに。 弥陀みだみょうごうしょうするもこれにれいすべし ゆゑにりぬ、 おうじょう極楽ごくらくどうはもつぱら弥陀みだみょうごうねんずるにぎたるはなし

唯唱↢名号↡事盛ルガ、善導釈云、「万年三宝滅。」 始皇焼↢五経¬毛詩¼↡不↠失↠誦、在↢人口↡之故。称↢弥陀名号↡可↠例↠之、往生極楽専無↠過↠念↢弥陀名号

つぎになんがゆゑぞひと念仏ねんぶつぎょうさかりなるや。 いまこの ¬きょう¼ のなかにくはしくこれをたずぬれば、 ぼうしょうにおいてこれをろんぜば、 念仏ねんぶつをもつてしょうとなす、 しょぎょうをもつてぼうとなす。 ゆゑにりぬ、 おうじょうぎょうは、 念仏ねんぶつをもつてしょうとし、 しょぎょうをもつてぼうとす。 しかればすなはちいまぎょうにんぼうててしょうおこなふをなす つぎ玄通げんつうえん、 そのもんべつにあり

独念仏行昌ナルヤ耶。今此¬経¼中尋↠之者、於↢傍正↡論↠之者、以↢念仏↡為↠正、以↢諸行↡為↠傍。故、往生之行者、以↢念仏↡為↠正、以↢諸行↡為↠傍。然則今行人捨↠傍為↠行フヲ↠正 次玄通縁、其文有↠別

そもそもかみには善導ぜんどうどうしゃくおんこころさぐり、 しもに ¬おうじょうようしゅう¼ とうこころによりて、 こと愚意ぐいぬきいでて、 りょうかんきょうもんにおいてようせんきて、 ほぼしゃくしおはりぬ。 もしまんいちぶつかなことあらば、 ねがはくは自他じたともにじょうだいにおいておのおの退たいしめんとす。 もしもんにおいてあやまりあらば、 ねがはくは大衆だいしゅ証誠しょうじょうあおぎよろしく三宝さんぼうしょうけんたのむべし、 あおひねがはくは

抑上ニハ↢善導・道綽御意↡、下↢¬往生要集¼等↡、殊デヽ↢愚意↡、於↢両巻経文↡取↠要↠詮、粗解釈。若↧万コト↢仏意↡事↥、願クハ為↧自他倶帰↢浄土↡於↢菩提↡各令↞得↢不退↡。若於↢文理↡有↠謬、願仰↢大衆御証誠↡宜↠馮↢三宝照見↡、仰乞

 

0324量寿経釈

 

延書は底本の訓点に従って有国が行った。 なお、 訓(ルビ)の表記は現代仮名遣いにしている。
底本は龍谷大学蔵寛永九年刊本 ¬三部経私記¼。
流通 以下に該当する本文なし。
三・四・五・六 同内容の別項目に置き換わっている。