◎1031六要鈔 第二 新本
二 Ⅱ ⅱ 行
【1】 ◎△当巻大文第二に行を明かす。 中において五となす。
◎当巻大文第二ニ明ス↠行ヲ。於テ↠中ニ為ス↠五ト。
▽一は題目、 ▽二は標挙、 題の後の一行、 ▲第一巻のごとし。 かれは総じて経名を標し、 これは別して願名を標す。 ▽以下の諸巻また当巻に同じ。
一者題目、二者標挙、題ノ後ノ一行、如シ↢第一巻ノ↡。彼ハ総ジテ標シ↢経名ヲ↡、此ハ別シテ標ス↢願名ヲ↡。以下ノ諸巻又同ジ↢当巻ニ↡。
▽三は正釈、 文の初めより下終り下に ¬安楽集¼ に 「これまた聖教による▲」 といふ文を引くに至るまでこれなり。 広く諸文を引き少しきわたくしの釈を加ふ。
三者正釈、自↢文ノ初↡下終至マデ↧下ニ引ニ↦¬安楽集ニ¼云↣「此レ亦依ト↢聖教ニ↡」文ヲ↥是ナリ。 広ク引キ↢諸文ヲ↡少シキ加フ↢私ノ釈ヲ↡。
▽四は総結、 「斯乃」 より下 「之大行也可知」 といふに至るまで二行余これなり。
四者総結、従↢「斯乃」↡下至マデ↠云ニ↢「之大行也可知ト」↡二行余是ナリ。
▽五には重釈、 次に 「言他力者」 といふより下巻の終りに至るまでこれなり。
五者重釈、次ニ従↠云↢「言他力者ト」↡下至マデ↢巻ノ終ニ↡是ナリ。
二 Ⅱ ⅱ a 題目
【2】 △初めに題目の中に、 二を分つこと▲前に準ず。 題に就きて、 ▲第一には 「教」 といひ 「一」 といふ。 この巻の題には 「▲行」 といひ 「▲二」 といふ。 次第知るべし。 ▲撰号は▲前のごとし。
初題目ノ中ニ、分コト↠二ヲ準ズ↠前ニ。就テ↠題ニ、第一ニハ云ヒ↠「教ト」云フ↠「一ト」。此ノ巻ノ之題ニハ云ヒ↠「行ト」云フ↠「二ト」。次第応シ↠知。撰号ハ如シ↠前ノ。
二 Ⅱ ⅱ b 標挙
【3】 △二に標挙の中に、
二ニ標挙ノ之中ニ、
「▲諸仏称名の願」 とは、 これ第十七の願なり。 これすなはち*往生の行たる*名号を説く願なるがゆゑに当巻にこれを出だす。 おほよそ*四十八願の中においてこの願至要なり。 もしこの願なくば名号の徳なんぞ十方に聞えん。 聞きて信行するはこの願の力なり。 もしこの願なくば超世の願意、 諸仏なんぞ証せん。 証によりて信を立つるはまたこの願の恩なり。
「諸仏称名ノ願ト」者、是第十七ノ願也。是則説ク↧為ル↢往生ノ行↡之名号ヲ↥願ナルガ故ニ当巻ニ出ス↠之ヲ。凡ソ於テ↢四十八願ノ之中ニ↡此ノ願至要ナリ。若シ無クハ↢此ノ願↡名号ノ之徳何ゾ聞ヘン↢十方ニ↡。聞テ而信行スルハ此ノ願ノ之力ナリ。若シ無ハ↢此ノ願↡超世ノ願意、諸仏何ゾ証セン。依テ↠証ニ立ルハ↠信ヲ又此ノ願ノ恩也。
「▲浄土真実の行」 とは、 往生の行の中に、 仏の*本願なるがゆゑにまさしく*念仏をもつてその生因となす、 ゆゑに 「真実」 といふ、 これ*称名なり。 余は本願にあらず、 ゆゑに真実にあらず。
「浄土真実ノ行ト」者、往生ノ行ノ中ニ、仏ノ本願ナルガ故1032ニ正ク以テ↢念仏ヲ↡為ス↢其ノ生因ト↡、故ニ云フ↢「真実ト」↡、是称名也。余ハ非ズ↢本願ニ↡、故ニ非ズ↢真実ニ↡。
「▲選択本願の行」 とは、 その意また同じ。 念仏はまさしくこれ*選択本願、 余は選択本願の行にあらず。 ゆゑに念仏をもつて真実の行といひ、 選択の行といふ。
「選択本願ノ行ト」者、其ノ意又同ジ。念仏ハ正ク是選択本願、余ハ非ズ↢選択本願ノ之行ニ↡。故ニ以テ↢念仏ヲ↡云ヒ↢真実ノ行ト↡、云フ↢選択ノ行ト↡。
二 Ⅱ ⅱ c 正釈
【4】 △三に正釈の中に就きて、 文を分ちて二となす。 ▽文の初めより下「之願也▲」 に至るまでは、 まづ行体を標しかねて願名を挙ぐ。 ▽「▲諸仏称名の願」 といふより下はまさしく諸文を引く。
三ニ就テ↢正釈ノ中ニ↡、分テ↠文ヲ為ス↠二ト。自↢文ノ初↡下至マデハ↢「之願也ニ」↡、先ヅ標シ↢行体ヲ↡兼テ挙グ↢願名ヲ↡。従↠云↢「諸仏称名ノ願ト」↡下ハ正ク引ク↢諸文ヲ↡。
二 Ⅱ ⅱ c イ 行体願名
【5】 △「▲つつしんで按ず」 と言ふは発端の詞。 「▲往相の回向」 は▲前の巻に述ぶるがごとし。
言「謹按ズト」者発端ノ之詞。「往相ノ回向ハ」如シ↢前ノ巻ニ述ルガ↡。
「▲もろもろの*善法を摂す」 とは、 「玄義」 (玄義分) にいはく、 「▲無量寿とはこれ法、 覚とはこれ人。 人法並して彰す、 ゆゑに阿弥陀仏と名づく。」 以上 法は所覚の法、 覚は能覚の人。 その所覚の法はすなはちこれ*八万四千の法門、 *因行・果徳法として備はらざることなし。 もろもろの善法を摂する義知るべし。
「摂スト↢諸ノ善法ヲ↡」者、「玄義ニ」云、「無量寿ト者是法、覚ト者是人。人法並シテ彰ス、故ニ名ク↢阿弥陀仏ト↡。」 已上 法ハ所覚ノ法、覚ハ能覚ノ人。其ノ所覚ノ法ハ乃チ是八万四千ノ法門、因行・果徳無シ↢法トシテ不ルコト↟備ハラ。摂スル↢諸ノ善法ヲ↡之義応↠知。
「▲もろもろの*徳本を具す」 とは、 ¬大経¼ の上にいはく、 「▲一切の仏を供養し、 もろもろの徳本を具足す。」 以上 *饒王の徳を讃じて順求してこれを得。 *慈恩の ¬*西方要決¼ にいはく、 「諸仏の願行この果の名を成ず、 ただよく号を念ずればつぶさに衆徳を包ぬ。」 以上
「具スト↢諸ノ徳本ヲ↡」者、¬大経ノ¼上ニ云ク、「供↢養シ一切ノ仏ヲ↡、具↢足ス衆ノ徳本ヲ↡。」 已上 讃ジテ↢饒王ノ徳ヲ↡順求シテ得↠之ヲ。慈恩ノ¬西方要决ニ¼云ク、「諸仏ノ願行成ズ↢此ノ果ノ名ヲ↡、但能ク念ズレバ↠号ヲ具ニ包ヌ↢衆徳ヲ↡。」 已上
「▲*真如」 とらは、
「真如ト」等者、
¬*唯識論¼ (巻九) にいはく、 「真はいはく真実、 虚妄にあらざることを顕す。 如はいはく如常、 変易なきことを表す。」 以上
¬唯識論ニ¼云ク、「真ハ謂ク真実、顕ス↠非コトヲ↢虚妄ニ↡。如ハ謂ク如常、表ス↠無コトヲ↢変易↡。」 已上
▼¬*起信論¼ にいはく、 「いはゆる心性不生不滅なり。 一切の諸法はただ妄念によりてしかも*差別あり。 もし心念を離るればすなはち一切境界の相なし。 このゆゑに一切の法は、 もとよりこのかた言説の相を離れ、 名字の相を離れ、 心縁の相を離る。 畢竟平等にして変移あることなし。 破壊すべからず、 ただこれ一心なり。 ゆゑに真如と名づく。」 以上
¬起信論ニ¼云ク、「所謂心性ハ不生不滅ナリ。一切ノ諸法ハ唯依テ↢妄念ニ↡而モ有リ↢差別↡。若シ離ルレバ↢心念ヲ↡即無シ↢一切境界ノ之相↡。是ノ故ニ一切ノ法ハ、従↠本已来離レ↢言説ノ相ヲ↡、離レ↢名字ノ相ヲ↡、離ル↢心縁ノ相ヲ↡。畢竟平1033等ニシテ無シ↠有コト↢変移↡。不↠可↢破壊ス↡、唯是一心ナリ。故ニ名ク↢真如ト↡。」 已上
この真如の理、 言説名字の相に離るといへども、 いまこの名号すなはち真如法性の正体たる義宛然なり。
此ノ真如ノ理、雖↠離ルト↢言説名字ノ之相ヲ↡、今此ノ名号即為ル↢真如法性ノ正体↡之義宛然ナリ。
¬*浄土論¼ に*依報の相を説きていはく、 「▲かの無量寿仏の国土の荘厳は*第一義諦妙境界の相なり。」 以上
¬浄土論ニ¼説テ↢依報ノ相ヲ↡云ク、「彼ノ無量寿仏ノ国土ノ荘厳ハ第一義諦妙境界ノ相ナリ。」 已上
¬*論の註¼ の上に本論の 「真実功徳相」 の文を解していはく、 「▲二種の功徳あり。 一は*有漏心より生じて*法性に順ぜず。 いはゆる*凡夫*人天の諸善、 人天の果報、 もしは因もしは果、 みなこれ*顛倒なり。 みなこれ虚偽なり。 このゆゑに不実の功徳と名づく。 ◆二は菩薩の智慧清浄の業より起りて仏事を荘厳す。 法性によりて清浄の相に入る。 この法顛倒せず、 虚偽ならず。 名づけて真実の功徳となす。」 以上
¬論ノ註ノ¼上ニ解シテ↢本論ノ「真実功徳相ノ」文ヲ↡云ク、「有リ↢二種ノ功徳↡。一者従↢有漏心↡生ジテ不↠順ゼ↢法性ニ↡。所謂凡夫人天ノ諸善、人天ノ果報、若ハ因若ハ果、皆是顛倒ナリ。皆是虚偽ナリ。是ノ故ニ名ク↢不実ノ功徳ト↡。二者従リ↢菩薩ノ智恵清浄ノ業↡起テ荘↢厳ス仏事ヲ↡。依テ↢法性ニ↡入ル↢清浄ノ相ニ↡。是ノ法不↢顛倒セ、↡不↢虚偽ナラ↡。名テ為ス↢真実ノ功徳ト↡。」 已上
また同じき下に (論註) 往生の義を釈していはく、 「▲かの浄土はこれ阿弥陀如来清浄本願*無生の生なり、 *三有虚妄の生のごとくにはあらず。 ◆なにをもつてかこれをいふとならば、 それ法性清浄畢竟*無生なり。 生といふはこれ得生の者の情ならくのみ。」 以上
又同キ下ニ釈シテ↢往生ノ義ヲ↡云ク、「彼ノ浄土ハ是阿弥陀如来清浄本願无生ノ之生ナリ、非ズ↠如クニハ↢三有虚妄ノ生ノ↡也。何ヲ以テカ言フトナラバ↠之、夫レ法性清浄畢竟无生ナリ。言↠生ト者是得生ノ者ノ之情ナラク耳。」 已上
また名号の功徳を嘆じて (論註巻下) いはく、 「▲かの阿弥陀如来の至極無生清浄宝珠の名号を聞きて、 これを濁心に投ぐれば、 念々の中に罪滅心浄にして、 すなはち往生を得。」 以上
又嘆ジテ↢名号ノ之功徳ヲ↡云ク、「聞テ↢彼ノ阿弥陀如来ノ至極无生清浄宝珠ノ名号ヲ↡、投レバ↢之ヲ濁心ニ↡、念々ノ之中ニ罪滅心浄ニシテ、即得↢往生ヲ↡。」 已上
真如・法性・第一義諦・*涅槃・無生、 みなこれ一法の異名なり。
真如・法性・第一義諦・涅槃・無生、皆是一法ノ之異名也。
「▲功徳の宝海」 とは、 いま名号の功徳甚深殊勝なるを嘆じて 「宝」 と称す、 広大なるを 「海」 に喩ふ。
「功徳ノ宝海ト」者、今嘆ジテ↢名号ノ功徳甚深殊勝ナルヲ↡称す↠「宝ト」、広大ナルヲ喩フ↠「海ニ」。
¬論¼ (浄土論) にいはく、 「▲よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ。」 以上
¬論ニ¼云ク、「能ク令ム↣速ニ満↢足セ功徳ノ大宝海ヲ↡。」 已上
¬註¼ (論註巻上) にいはく、 「▲わが成仏せん時、 われに値遇せん者をして、 みなすみやかに無上大宝を満足せしめん。」 以上
¬註ニ¼云ク、「使↧ メン 我ガ成仏セン時、値↢遇セン我ニ↡者ヲシテ、皆速ニ満↦足セ無上大宝1034ヲ↥。」 已上
*智光の ¬疏¼ (無量寿経論釈巻一) にいはく、 「仏身所有の不共の功徳、 数塵沙に過ぎて測量すべからず。 ゆゑに海のごとしと喩ふ。」 以上
智光ノ¬疏ニ¼云ク、「仏身所有ノ不共ノ功徳、数過テ↢塵沙ニ↡不↠可↢測量ス↡。故ニ喩フ↠如ト↠海ノ。」 已上
「▲大悲の願より出でたり」 とは、
「出タリト↢於大悲ノ願↡」者、
問ふ。 *浄影 (大経義疏巻上) のいはく、 「四十八願、 義要はただ三、 文別に七あり。 義要に三とは、 一には*摂法身の願、 二には*摂浄土の願、 三には*摂衆生の願。 四十八の中に、 十二と十三とおよび第十七とはこれ摂法身、 第三十一と第三十二とはこれ摂浄土、 余の四十三はこれ摂衆生なり。 文別に七とは、 初めの十一願を摂衆生となす。 次に両願あり、 これその第二に摂法身となす。 次に三願あり、 これその第三に重ねて摂衆生。 次に一願あり、 これその第四に重ねて摂法身。 次に十三あり、 これその第五に重ねて摂衆生。 次に両願あり、 これその第六に摂衆生となす。 下に十六あり、 これその第七に重ねて摂衆生なり。」 以上
問。浄影ノ云ク、「四十八願、義要ハ唯三、文別ニ有↠七。義要ニ三ト者、一ニハ摂法身ノ願、二ニハ摂浄土ノ願、三ニハ摂衆生ノ願。四十八ノ中ニ、十二ト十三ト及ビ第十七トハ是摂法身、第三十一ト第三十二トハ是摂浄土、余ノ四十三ハ是摂衆生ナリ。文別ニ七ト者、初ノ十一願ヲ為ス↢摂衆生ト↡。次有リ↢両願↡、是其ノ第二ニ為ス↢摂法身ト↡。次ニ有リ↢三願↡、是其ノ第三ニ重テ摂衆生。次ニ有リ↢一願↡、是其ノ第四ニ重テ摂法身。次ニ有リ↢十三↡、是其ノ第五ニ重テ摂衆生。次ニ有リ↢両願↡、是其ノ第六ニ為ス↢摂衆生ト↡。下ニ有リ↢十六↡、是其ノ第七ニ重テ摂衆生ナリ。」 已上
*義寂・*憬興ともにまたこれに同じ。 しかれば大悲の言は摂衆生の義なり。 摂法身においてなんぞ 「大悲」 といふ。
義寂・憬興共ニ又同ジ↠之ニ。然者大悲ノ之言ハ摂衆生ノ義ナリ。於テ↢摂法身ニ↡何ゾ云フ↢「大悲ト」↡。
答ふ。 解するに二義あり。
答。解スルニ有リ↢二義↡。
一にいはく、 摂法身なりといへどももつぱらこれ大悲なり。 しかるゆゑは、 なんぞ仏意においてその名聞を求めん。 咨嗟の願によりて仏の*証誠あり。 仏の証誠によりて衆生帰信す。 ゆゑに仏讃を願ずるはしかしながら利益のためなり。 ゆゑに大悲といふ。
一ニ云ク、雖↢摂法身ナリト↡専ラ是大悲ナリ。所↢以然ル↡者、何ゾ於テ↢仏意ニ↡求メン↢其ノ名聞ヲ↡。依テ↢咨嗟ノ願ニ↡有リ↢仏ノ証誠↡。依テ↢仏ノ証誠ニ↡衆生帰信ス。故ニ願ズルハ↢仏讃ヲ↡併ラ為ナリ↢利益ノ↡。故ニ云フ↢大悲ト↡。
一にいはく、 義寂影を引きをはりて (大経義記巻中) いはく、 「これまた多く願相に従へて説く。 もし委細に論ぜば一々に具足す。」 以上 大師また義寂師の意に同じく、 諸願三に亘りて簡ぶところなきか。
一ニ云ク、義寂引キ↠影ヲ已テ云ク、「此レ亦多ク従ヘテ↢願相ニ↡而説ク。若シ委細ニ論ゼバ一々ニ具足ス。」 已上 大師又同ク↢義寂師ノ意ニ↡、諸願亘テ↠三ニ無↠所↠簡ブ歟。
摂法身とは、 「玄義」 (玄義分) にいはく、 「▲一々に願じていはく、 もしわれ仏を得たらんに、 十方の衆生わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜん、 下十念に至るまで、 もし生ぜずといはば正覚を取らじ。 ◆いますでに成仏したまへり。 すなはちこれ*酬因の身なり。」 以上
摂法身ト者、「玄義ニ」云ク、「一々ニ願ジテ言ク、若シ我レ得ランニ↠仏ヲ、十方ノ衆生称シテ↢我ガ名号ヲ↡願ゼン↠生ゼント↢我ガ国ニ↡、下1035至マデ↢十念ニ↡、若不トイハヾ↠生ゼ者不↠取↢正覚↡。今既ニ成仏シタマヘリ。即是酬因ノ之身也。」 已上
摂浄土とは、 ¬礼讃¼ にいはく、 「▲四十八願の荘厳より起りて、 諸仏の刹に超えてもつとも精たり。」 以上
摂浄土ト者、¬礼讃ニ¼云ク、「四十八願ノ荘厳ヨリ起テ、超テ↢諸仏ノ刹ニ↡最モ為リ↠精。」 已上
摂衆生とは、 「散善義」 にいはく、 「▲四十八願をもつて衆生を摂受したまふ。」 以上
摂衆生ト者、「散善義ニ」云ク、「四十八願ヲモテ摂↢受シタマフ衆生ヲ↡。」 已上
¬法事讃¼ (巻下) にいはく、 「▲四十八願慇懃に喚ばひたまふ、 仏の願力に乗じて西方に往く。」 以上
¬法事讃ニ¼云ク、「四十八願慇懃ニ喚タマフ、乗ジテ↢仏ノ願力ニ↡往ク↢西方ニ↡。」 已上
もしこの義によらば、 四十八願一々にみな大悲の誓願たらくのみ。
若シ依ラバ↢此ノ義ニ↡、四十八願一々ニ皆為ラク↢大悲之誓願↡耳。
「▲称揚」 といふは、 「称」 ¬玉篇¼ にいはく、 「歯証の切、 遂なり。 歯陵の切、 讃なり。」 以上 いま讃の義を用ゐる。 また (玉篇) いはく、「揚、 与章の切。」 ¬広韻¼ にいはく、 「音揚、 飛挙なり、 明なり。」 以上
言↢「称揚ト」↡者、「称」¬玉篇ニ¼云、「歯証ノ切、遂也。歯陵ノ切、讃也。」 已上 今用ル↢讃ノ義ヲ↡。又云ク、「揚、与章ノ切。」¬広韻ニ¼云ク、「音揚、飛挙也、明也。」 已上
「▲称名」 といふは、 これ称念にあらず。 いまかの名号を称揚する義なり。
言↢「称名ト」↡者、此レ非ズ↢称念ニ↡。今称↢揚スル彼ノ名号ヲ↡義也。
「▲咨嗟」 といふは、 憬興 (述文賛巻中) のいはく、 「咨とは讃なり、 嗟とは嘆なり。」 以上 ¬広韻¼ にいはく、 「咨は即夷の切、 嗟なり、 謀なり。」 ¬玉篇¼ にいはく、 「子祇の切、 謀なり、 嗟なり。」 ¬広韻¼ にいはく、 「嗟、 子邪の切、 咨なり、 嘆なり、 痛惜なり。」
言↢「咨嗟ト」↡者、憬興ノ云、「咨ト者讃也、嗟ト者嘆也。」 已上 ¬広韻ニ¼云ク、「咨ハ即夷ノ切、嗟也、謀也。」¬玉篇ニ¼云ク、「子祇ノ旨夷反切、謀也、嗟也。」¬広韻ニ¼云、「嗟、子邪ノ切、咨也、嘆也、痛惜也。」
二 Ⅱ ⅱ c ロ 引文
・ 願文
【6】 △初めに願文の中に、
初ニ願文ノ中ニ、
「▲設我得仏」 はすなはちこれ願なり。 弘誓心堅く、 成仏決定す。 しかりといへども因にありて極果を欣求す。 こと聊爾にあらず、 ゆゑにしばらく 「設」 といふ。
「設我得仏ハ」即是願也。弘誓心堅ク、成仏决定ス。雖↠然ト在テ↠因ニ欣↢求ス極果ヲ↡。縡非ズ↢聊爾ニ↡、故ニ且ク云フ↠「設ト」。
「▲諸仏」 といふは、 問ふ。 報化の中にはこれなんの身ぞや。 答ふ。 報化に亘るべし、 証誠の仏のごとし。
言↢「諸仏ト」↡者、問。報化ノ之中ニハ是何ノ身ゾヤ耶。答。可シ↠亘↢報化ニ↡、如シ↢証誠ノ仏ノ↡。
「▲不取正覚」 はすなはちこれ誓なり。 願の首尾を合してこれを*誓願といふ。 諸願かくのごとし。
「不取正覚ハ」即是誓也。合シテ↢願ノ首尾ヲ↡謂フ↢之ヲ誓願ト↡。諸願如シ↠斯ノ。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・ 重誓願文
【7】 ▲次の文は重誓の願の文なり。
次ノ文ハ重誓ノ願ノ之文也。
六八の願の上に重ねてこの誓あり。 このゆゑにこの偈を重誓の偈といふ。 しかるに十一行の偈文の中に、 いまの所引は第三行と第八行となり。
六八ノ願ノ上ニ重テ有リ↢此ノ誓↡。是ノ故ニ此ノ偈ヲ云フ↢重誓ノ偈ト↡。而ニ十1036一行ノ偈文ノ之中ニ、今ノ之所引ハ第三行ト与 ト ↢第八行↡也。
問ふ。 この二行を引くその要いかん。
問。引ク↢此ノ二行ヲ↡其ノ要如何。
答ふ。 十一行の中に、 初めの一行は総じて六八の願決定して満足せんことを望む。 次の二行は別して次いでのごとく衆生の苦を済ひ、 名十方に聞えんことを望欲す。 義寂 (大乗義記巻中) のいはく、 「三種の果を望む。 一には満願の果を望み、 二には大施の果を望み、 三には名聞の果を望む。」 以上 この三誓によりて、 この偈をまた名づけて三誓の偈といふ。
答。十一行ノ中ニ、初ノ一行ハ総ジテ望ム↢六八ノ願决定シテ満足センコトヲ↡。次ノ二行ハ別シテ如ク↠次ノ望↧欲ス済ヒ↢衆生ノ苦ヲ↡名聞エンコトヲ↦十方ニ↥。義寂ノ云ク、「望↢三種ノ果ヲ↡。一ニハ望ミ↢満願ノ果ヲ↡、二ニハ望ミ↢大施ノ果ヲ↡、三ニハ望ム↢名聞ノ果ヲ↡。」 已上 依ッッテ↢此ノ三誓ニ↡、此ノ偈ヲ又名テ云フ↢三誓ノ偈ト↡。
▲第三行を引くことは、 いま咨嗟の願の意を宣説せんと欲するに、 いまの偈これ当願の意たるがゆゑに。
引クコトハ↢第三行ヲ↡、今欲スルニ↣宣↢説セント咨嗟ノ願ノ意ヲ↡、今ノ偈是為ガ↢当願ノ意↡故ニ。
▲第八行を引くことは、 十一行の内に、 第四行の下はその仏徳を挙げて順求する中に、 仏の*自行化他の功徳を嘆ずるに、 その重々あり。 いまの文は重ねて化他の徳を挙ぐ、 これ最要なり。 寂の意のごときは、 第四行より第十行に至るまでは七種の果を望む。 いまその中において五に無畏方便の果を求むる文なり。
引コトハ↢第八行ヲ↡、十一行ノ内ニ、第四行ノ下ハ挙テ↢其ノ仏徳ヲ↡順求スル之中ニ、嘆ズルニ↢仏ノ自行化他ノ功徳ヲ↡、有リ↢其ノ重々↡。今ノ文ハ重テ挙ク↢化他之徳ヲ↡、是最要也。如↢寂ノ意ノ↡者、自↢第四行↡至マデハ↢第十行ニ↡望ム↢七種ノ果ヲ↡。今於テ↢其ノ中ニ↡五ニ求ムル↢無畏方便ノ果ヲ↡文ナリ。
「▲説法師子吼」 とは、 これすなはち無畏の徳なり。 ¬*大論¼ の七 (大智度論初品) にいはく、 「また師子の四足の獣の中に独歩無畏にしてよく伏するがごとく、 一切の仏もまたかくのごとし。 九十六種の*外道の中において一切降伏す、 ゆゑに人師子と名づく。」 以上 梵には迦羅といふ。 ここには無畏といふ、 または師子といふ。 その法蔵を開きて功徳の宝を施したまふ。 これすなはちもろもろの善法を摂しもろもろの徳本を具するがゆゑなり。
「説法師子吼ト」者、是則无畏ノ徳也。¬大論ノ¼七ニ云ク、「又如ク↢師子ノ四足ノ獣ノ中ニ独歩无畏ニシテ能ク伏スルガ↡、一切ノ仏モ亦如シ↠是ノ。於テ↢九十六種ノ外道ノ中ニ↡一切降伏ス、故ニ名ク↢人師子ト↡。」 已上 梵ニハ云フ↢迦羅ト↡。此ニハ云フ↢無畏ト↡、又ハ云フ↢師子ト↡。開テ↢其ノ法蔵ヲ↡施シタマフ↢功徳ノ宝ヲ↡。是則摂シ↢諸ノ善法ヲ↡具スルガ↢諸ノ徳本ヲ↡故也。
問ふ。 経 (大経巻上) には 「法蔵」 といひ、 いまは 「宝蔵」 といふ、 いかん。 答ふ。 所覧の本その異あるか。 また 「法」 はすなはち法、 「宝」 はこれ喩に寄す、 法喩違せず。 その義失なし。
問。経ニハ云ヒ↢「法蔵ト」↡、今ハ云フ↢「宝蔵ト」↡、如何。答。所覧ノ之本有↢其ノ異↡歟。又「法ハ」即法、「宝ハ」是寄ス↠喩ニ、法喩不↠違セ。其ノ義无シ↠失。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・ 願成就文
【8】 ▲次に願成就の文に就きて、
次ニ就テ↢願成就ノ文ニ↡、
「▲十方」 といふは、
言↢「十方ト」↡者、
問ふ。 ¬弥陀経¼ の中には説きて 「▲六方」 となし、 いまは 「十方」 といふ、 差別いかん。
問。¬弥陀経ノ¼中ニハ説テ為シ↢「六方ト」↡、今ハ云フ↢「十方1037ト」↡、差別如何。
答ふ。 これ開合の異なり、 彼此爽ふことなし。 ¬阿弥陀経¼ には合して 「六方」 となし、 いまこの ¬大経¼ には開して 「十方」 となす。 ¬*称讃浄土¼ にはまた 「▲十方」 と説く。
答。是開合ノ異ナリ、彼此無シ↠爽コト。¬阿弥陀経ニハ¼合シテ為シ↢「六方ト」↡、今此ノ¬大経ニハ¼開シテ為↢「十方ト」↡。¬称讃浄土ニハ¼又説ク↢「十方ト」↡。
このゆゑに慈恩の ¬弥陀経の疏¼ (通賛疏巻下) に六方の証誠を釈していはく、 「¬称讃浄土経¼ には十方諸仏といふ、 ここには略して六方を挙ぐ。」 以上
是ノ故ニ慈恩ノ¬弥陀経ノ疏ニ¼釈シテ↢六方ノ証誠ヲ↡云ク、「¬称讃浄土経ニハ¼云フ↢十方諸仏ト↡、此ニハ略シテ挙グ↢六方ヲ↡。」 已上
高祖の解釈、 またもつて宜しきに随ふ。
高祖ノ解釈、又以テ随フ↠宜シキニ。
¬礼讃¼ にいはく、 「▲十方の如来*舌を舒べて証したまふ、 もつぱら名号を称して西方に至ると。」 以上
¬礼讃ニ¼云ク、「十方ノ如来舒テ↠舌ヲ証シタマフ、専ラ称シテ↢名号ヲ↡至ルト↢西方ニ↡。」 已上
¬法事讃¼ (巻上) にいはく、 「▲十方恒沙の仏舌を舒べて、 われ凡夫の*安楽に生ぜんことを証したまふ。」 以上
¬法事讃ニ¼云ク、「十方恒沙ノ仏舒テ↠舌ヲ、証シタマフ↣我レ凡夫ノ生ゼンコトヲ↢安楽ニ↡。」 已上
また (法事讃巻上) いはく、 「▲十方恒沙の諸仏ともに釈迦を讃じて舌を舒べてあまねく三千に覆ひて往生を得ることの謬にあらざることを証したまふ。」 以上
又云、「十方恒沙ノ諸仏共ニ讃ジテ↢釈迦ヲ↡舒テ↠舌ヲ遍ク覆テ↢三千ニ↡証シタマフ↧得コトノ↢往生ヲ↡非ザルコトヲ↞謬ニ。」 已上
また (法事讃巻上) いはく、 「▲十方恒沙のもろもろの世尊、 慈悲巧方便を捨てずして、 ともに弥陀弘誓の門を讃じたまふ。」 以上
又云ク、「十方恒沙ノ諸ノ世尊、不シテ↠捨↢慈悲巧方便ヲ↡、共ニ讃ジタマフ↢弥陀弘誓ノ門ヲ↡。」 已上
¬般舟讃¼ にいはく、 「▲十方の如来舌を舒べて定めて九品を判じて還帰することを得と証したまふ。」 以上
¬般舟讃ニ¼云、「十方ノ如来舒テ↠舌証シタマフ↧定テ判ジテ↢九品ヲ↡得ト↦還帰スルコトヲ↥。」 已上
これらの諸文みな十方と判ず。
是等ノ諸文皆判ズ↢十方ト↡。
¬法事讃¼ (巻下) にいはく、 「▲六方の如来みな釈迦の出現はなはだ逢ひがたきことを讃嘆したまふ。」 以上
¬法事讃ニ¼云ク、「六方ノ如来皆讃↢嘆シタマフ釈迦ノ出現甚難コトヲ↟逢。」 已上
また (法事讃巻下) いはく、 「▲六方の如来不虚を証したまふ。」 以上
又云、「六方ノ如来証シタマフ↢不虚ヲ↡。」 已上
また (法事讃巻下) いはく、 「▲六方の諸仏信心を護念したまへ。」 以上
又云ク、「六方ノ諸仏護↢念シタマヘ信心ヲ↡。」 已上
これらの諸文、 みな六方といふ。
是等ノ諸文、皆云↢六方ト↡。
また ¬礼讃¼ にいはく、 「△十方の如来舌を舒べて証したまふ。」 あるいは六方といふ、 異本の不同なり。
又¬礼讃ニ¼云ク、「十方ノ如来舒テ↠舌ヲ証シタマフ。」或ハ云フ↢六方ト↡、異本ノ不同ナリ。
「▲*↓威↓神功徳」 といふは、 ¬観経¼ の中に仏の功徳を説きていはく、 「▲ために阿弥陀仏の*十力威徳を説き、 広くかの仏の光明神力を説き、 また*戒・*定・*慧・*解脱・*解脱知見を讃ず。」 以上
言↢「威神功徳ト」↡者、¬観経ノ¼中ニ説テ↢仏ノ功徳ヲ↡云ク、「為ニ説キ↢阿弥陀仏ノ十力威徳ヲ↡、広ク説キ↢彼ノ仏ノ光明神力ヲ↡、亦讃ズ↢戒・定・*恵・解脱・解脱知見ヲ↡。」 已上
これに就きてこれを思ふに、 「↑威」 とは十力威徳、 これはこれ如来不共の勝徳、 自在の妙用。 一々の名義▽下に至りてつまびらかにすべし。 「↑神」 とは光明神力。 滅罪生善・抜苦与楽等の利益、 これすなはち十二光仏の功能、 戒等はすなはちこれ*五分法身の功徳ならくのみ。 これわたくしの料簡なり。 智者思択せよ。
就テ↠之ニ思ニ↠之ヲ、「威ト」者十力威徳、此ハ是如来不共ノ勝徳、自在ノ妙用。一々ノ名義至1038テ↠下ニ可シ↠詳ニス。「神ト」者光明神力。滅罪生善・抜苦与楽等ノ之利益、是則十二光仏ノ功能、戒等ハ乃チ是五分法身ノ功徳而已。是私ノ料簡ナリ。智者思択セヨ。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・ 諸仏称嘆文
【9】 ▲次の文は摂聖の徳を讃嘆する文の初めなり。 いはく上の*三輩に摂凡の徳を讃じ、 いまこの文に至りて摂聖の徳を嘆ず。
次ノ文ハ讃↢嘆スル摂聖ノ之徳ヲ↡文ノ之初也。謂ク上ノ三輩ニ讃ジ↢摂凡ノ徳ヲ↡、今至テ↢此ノ文ニ↡嘆ズ↢摂聖ノ徳ヲ↡。
憬興 (述文賛巻下) のいはく、 「凡小をして欲生の意を増さしめんと欲す、 ゆゑにすべからくかの国土の勝れたることを顕すべし。」 以上
憬興ノ云ク、「欲ス↠令ント↣凡小ヲシテ増サ↢欲生ノ之意ヲ↡、故ニ須ク↠顕ス↢彼ノ国土ノ之勝タルコトヲ↡。」 已上
義寂 (大経義記巻下) 初めこの文より終り 「四維・上下亦復如是▲」 (大経巻下) に至るまで、 取りて一科となして釈していはく、 「自下は仏土の荘厳功徳成就を観ずることを顕示す。 まづ直説をもつて略して讃じ、 後に偈頌をもつて広く讃ず。 直説の讃の中に、 威神功徳は二事をもつて顕す。 一は十方の諸仏同じく称嘆したまふがゆゑに、 二は十方の菩薩みなかの所に詣でて道化を受くるがゆゑに。」 以上
義寂初従↢此ノ文↡終リ至マデ↢「四維・上下亦復如是ニ」↡、取テ為シテ↢一科ト↡釈シテ云ク、「自下ハ顕↣示ス観ズルコトヲ↢仏土ノ荘厳功徳成就ヲ↡。先以テ↢直説ヲ↡略シテ讃ジ、後ニ以テ↢偈頌ヲ↡広ク讃ズ。直説ノ賛ノ中ニ、威神功徳ハ以テ↢二事ヲ↡顕ス。一者十方ノ諸仏同ク称嘆シタマフガ故ニ、二者十方ノ菩薩皆詣デヽ↢彼ノ所ニ↡受ルガ↢道化ヲ↡故ニ。」 已上
その中にいままた諸仏称嘆の文これなり。 これすなはち当願成就の意なり。 またこの文においてその二の意あり。 ▲初めの八字は釈迦の讃嘆、 ▲「十方」 以下は諸仏の讃嘆なり。
其ノ中ニ今又諸仏称嘆ノ之文是也。是則当願成就ノ之意ナリ。又於テ↢此ノ文ニ↡有リ↢其ノ二ノ意↡。初ノ之八字ハ釈迦ノ讃嘆、「十方」以下ハ諸仏ノ讃嘆ナリ。
問ふ。 「▲於彼」 の二字下の東方に属するその言便を得。 これによりて浄影は於彼の下は大聖の往詣といふ。 なんぞいま上に属する。
問。「於彼ノ」二字属スル↢下ノ東方ニ↡得↢其ノ言便ヲ↡。依テ↠之ニ浄影ハ云フ↢於彼ノ下ハ大聖ノ往詣ト↡。何ゾ今属スル↠上ニ。
答ふ。 影の釈はしかなり。 ただし憬興師この二字をもつて上の句の末に属す。 いま興の意によりて引用することかくのごとし。
答。影ノ釈ハ然也。但シ憬興師以テ↢此ノ二字ヲ↡属ス↢上ノ句ノ末ニ↡。今依テ↢興ノ意ニ↡引用コト如シ↠此ノ。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・ 大聖往詣偈中文
【10】▲次の文はすなはちこれかの偈の中の文なり。
次ノ文ハ即是彼ノ偈ノ中ノ文ナリ。
浄影の意によるに、 かの偈の中に、 仏の讃嘆を明かし、 往覲の益を挙ぐるに、 その五の益を明かす。 一には神通の益、 二には受記の益、 三には不退の益、 四には起願の益、 五には供仏の益なり。 いまの偈は第三に不退の益を明かす経文なり。 ここによりていまの一四句偈をもつて上の住正定聚の義に合す。 憬興また同じくいまの諸句の中にこの偈の意を引く。 仏の讃嘆の中に名号の称歎これその最要なり、 これすなはちもつぱら当願の意たるがゆゑなり。
依ニ↢浄影ノ意ニ↡、彼ノ偈ノ之中ニ、明シ↢仏ノ讃嘆ヲ↡、挙ニ↢往覲ノ益ヲ↡、明ス↢其ノ五ノ益ヲ↡。一ニハ神通ノ益、二ニハ受記ノ益、三ニハ不退ノ益、四ニハ起願ノ益、五ニハ供仏ノ益ナリ。今ノ偈ハ第1039三ニ明ス↢不退ノ益ヲ↡之経文也。因テ↠茲ニ以テ↢今ノ一四句偈ヲ↡合ス↢上ノ住正定聚ノ之義ニ↡。憬興又同ク今ノ諸句ノ中ニ引ク↢此ノ偈ノ意ヲ↡。仏ノ讃嘆ノ中ニ名号ノ称歎是其ノ最要ナリ、是則専ラ為ガ↢当願ノ意↡故ナリ。
問ふ。 いまいふところの 「▲本願力」 とはいづれの願を指すや。
問。今所ノ↠言之「本願力ト」者指↢何ノ願ヲ↡乎。
答ふ。 第十七を指して本願力といふ。
答。指シテ↢第十七ヲ↡云フ↢本願力ト↡。
問ふ。 六八願の中に、 第十八をもつて仏の本願とすること自他ともに許す、 さらに異義なし。 第十七の願なんぞその言に関らん。
問。六八願ノ中ニ、以テ↢第十八ヲ↡為コト↢仏ノ本願ト↡自他共許、更ニ無シ↢異義↡。第十七ノ願何ゾ関ラン↢其ノ言ニ↡。
答ふ。 十七・十八さらにあひ離せず、 *行信・*能所・*機法一なり。 総じてこれをいヘば四十八願みなこれ本願、 別してこれをいへば第十八をもつてその本願とすること、 たれかもつて諍をなさん。 願王たるがゆゑに。
答。十七・十八更ニ不↢相離セ↡、行信・能所・機法一也。総ジテ而言ヘバ↠之ヲ四十八願皆是本願、別シテ而言ヘバ↠之ヲ以テ↢第十八ヲ↡為コト↢其ノ本願ト↡、誰カ以テ成サン↠諍ヲ。為ガ↢願王↡故ニ。
ただしいまの経文至要たるがゆゑに、 十七・十八両願ともに存じ、 所行・能信ともにもつて周備す。 ▲第一の句は第十七を指す、 これ名号なるがゆゑに。 ▲第二・第三の両句は第十八を指す、 これ信心を明かし往生を説くがゆゑに。 ▲第四の一句は第十一を指す、 不退を明かすがゆゑに。 いま当巻に引くことは口称を本となす、 第十七の意なり。
但シ今ノ経文為ガ↢至要↡故ニ、十七・十八両願倶ニ存ジ、所行・能信共ニ以テ周備ス。第一ノ句者指ス↢第十七ヲ↡、是名号ナルガ故ニ。第二・第三ノ之両句者指ス↢第十八ヲ↡、是明シ↢信心ヲ↡説クガ↢往生ヲ↡故ニ。第四ノ一句ハ指ス↢第十一ヲ↡、明スガ↢不退ヲ↡故ニ。今引クコトハ↢当巻ニ↡口称ヲ為ス↠本ト、第十七ノ意ナリ。
総じてこれをいふ時、 この文もつぱら十八の願の意たること置きて論ぜず。
総ジテ言フ↠之ヲ時、此ノ文専為コト↢十八ノ願ノ意↡置テ而不↠論ゼ。
問ふ。 いふところの▲不退はこれなんの位ぞや。
問。所ノ↠言フ不退ハ是何ノ位ゾヤ耶。
答ふ。 もし摂凡に約せばこれ処不退、 もし摂聖に約せばこれ行不退なり。 また*平生業成の義を存じ、 また*護念不退の意による。 隠にまた*即得往生*現生不退の義あるべきものなり。
答。若シ約セバ↢摂凡ニ↡是処不退、若シ約セバ↢摂聖ニ↡是行不退ナリ。又存ジ↢平生業成之義ヲ↡、又依ル↢護念不退ノ之意ニ↡。隠ニ又可↠有↢即得往生現生不退ノ之義↡者也。
問ふ。 いまの偈頌はこれ摂聖の益を明かす、 なんのゆゑにか摂凡に約する義あらんや。
問。今ノ偈頌ハ是明ス↢摂聖ノ益ヲ↡、何ノ故ニカ有ンヤ↧約スル↢摂凡ニ↡義↥耶。
答ふ。 摂聖の益を明かすその意凡夫小聖欲生の心を勧めんがためなり。 ゆゑに摂聖の中にこの文ありといへども、 その意もつぱら摂凡の益にあり、 凡夫人を摂するは仏の本意なるがゆゑに。
答。明ス↢摂聖ノ益ヲ↡其ノ意為ナリ↠勧ンガ↢凡夫小聖欲生ノ之心ヲ↡。故1040ニ摂聖ノ中ニ雖ヘドモ↠有ト↢此ノ文↡、其ノ意専在リ↢摂凡之益ニ↡、摂スルハ↢凡夫人ヲ↡仏ノ本意ナルガ故ニ。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『如来会』二文
【11】▲次に ¬宝積¼ の文の中に、
次ニ¬宝積ノ¼文ノ中ニ、
▲初めの四句は ¬無量寿経¼ の重誓の偈の中の第一行の意、 ▲次の三句は第二行の意、 ▲次の四句は前に引くところの第八行の意なり。
初ノ之四句ハ¬無量寿経ノ¼重誓ノ偈ノ中ノ第一行ノ意、次ノ之三句ハ第二行ノ意、次ノ之四句ハ前ニ所ノ↠引ク之第八行ノ意ナリ。
その文の中に就きて、 「▲今対如来」 とは*世饒王仏を指す、 「▲発弘誓」 とは四十八願。
就テ↢其ノ文ノ中ニ↡、「今対如来ト」者指ス↢世饒王仏ヲ↡、「発弘誓ト」者四十八願。
「▲↓十力無等尊」 とは無上仏果の位を指す。
「十力无等尊ト」者指ス↢无上仏果ノ位ヲ↡。
「△↑十力」 といふは仏の不共の徳、 ¬*倶舎論¼ の第二十七に見えたり。 いま文を出さず、 ほぼ大綱を示す。
言↢「十力ト」↡者仏ノ不共ノ徳、見タリ↢¬倶舎論ノ¼第二十七ニ↡。今不↠出サ↠文ヲ、粗示ス↢大綱ヲ↡。
一には処非処智力、 是の処を是の処と知り非処を非処と知る。 この智通じて一切の情と非情との境を縁ず。
一ニハ処非処智力、是ノ処ヲ知リ↢是ノ処ト↡非処ヲ知ル↢非処ト↡。此ノ智通ジテ縁ズ↧一切ノ情ト与 ト ↢非情↡之境ヲ↥。
二には業の異熟智力、 この智一切の種類業因所感の異熟を分別す。
二ニハ業ノ異熟智力、此ノ智分↢別ス一切ノ種類業因所感ノ之異熟ヲ↡也。
三には等持等至智力、 いはゆる実のごとくもろもろの三昧静慮の相を知るなり。
三ニハ等持等至智力、所謂如ク↠実ノ知ル↢諸ノ三昧静慮ノ相ヲ↡也。
四には根上下智力、 いはく有情の信等の諸根上下の相を知るなり。 信等といふは、 信・進・念・定および恵これなり。
四ニハ根上下智力、謂ク知ル↢有情ノ信等ノ諸根上下ノ相ヲ↡也。言↢信等ト↡者、信・進・念・定及ビ恵是也。
五には種々勝解力、 いはく有情の勝意楽の別を知る。
五ニハ種々勝解力、謂ク知ル↢有情ノ勝意楽ノ別ヲ↡。
六には種々界智力、 もろもろの有情の前際無始所成の志性随眠および諸法の種々の相を知るなり。
六ニハ種々界智力、知ル↢諸ノ有情ノ前際無始所成ノ志性随眠及以ビ諸法ノ種々ノ相ヲ↡也。
七には遍趣行智力、 いはく実のごとく生死の因果を知る。
七ニハ遍趣行智力、謂ク如ク↠実ノ知ル↢生死ノ因果ヲ↡。
八には宿住随念智力、 いはく実のごとく自他宿住の諸事を知るなり。
八ニハ宿住随念智力、謂ク如ク↠実ノ知ル↢自他宿住ノ之諸事ヲ↡也。
九には死生智力、 もろもろの有情の未来世の此死生彼を知る。
九ニハ死生智力、知ル↢諸ノ有情ノ未来世ノ之此死生彼ヲ↡。
十には漏尽智力、 いはく漏尽身の所得の智なり。
十ニハ漏尽智力、謂ク漏尽身ノ所得ノ智也。
【12】▲次の文は同じき ¬経¼ の願成就の文、 文の意見つべし。
次1041文ハ同キ¬経ノ¼願成就ノ文、文ノ意可シ↠見ツ。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『大阿弥陀経』文
【13】▲次の文は ¬大阿弥陀経¼ の文、
次ノ文ハ¬大阿弥陀経ノ¼文、
挙ぐるところの経名はこれ梵語なり。 ¬貞元の録¼ (巻二九) にいはく、 「¬阿弥陀経¼ 二巻、 註にいはく、 上巻の題にいはく、 ¬仏説請仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経¼、 また ¬無量寿経¼ と名づく。」 以上 「諸」 と 「請」 と、 「那」 と 「耶」 と、 本に異あるか。
所ノ↠挙ル経名ハ是梵語也。¬貞元ノ録ニ¼云ク、「¬阿弥陀経¼二巻、註ニ云ク、上巻ノ題ニ云ク、¬仏説請仏阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経¼、亦名↢¬无量寿経¼↡。」 已上 「諸ト」「請ト」、「那ト」「耶ト」、本ニ有↠異歟。
この願は十七・十八両願の意を含容す。 いわゆる▲初めより 「之善」 といふに至るまでは第十七の意、 ▲「諸天」 以下は第十八の意なり。
此ノ願ハ含↢容ス十七・十八両願ノ之意ヲ↡。所謂自↠初至マデハ↠言フニ↢「之善ト」↡第十七ノ意、「諸天」以下ハ第十八ノ意ナリ。
「▲*蜎飛」 といふは、 畜生蠢々の種類なり。 「蜎」 ¬玉篇¼ にいはく、 「於犬於沿二の切。 蜀の貌蠕。」 ¬広韻¼ にいはく、 「而兌の切、 虫動。」
言↢「蜎飛ト」↡者、畜生蠢々ノ之種類也。「蜎」¬玉篇ニ¼云、「於犬於沿二ノ切、蜀ノ貌蠕。」¬広韻ニ¼云ク、「而兌切、虫動。」
問ふ。 ¬大経¼ (巻上) にはただ 「▲十方衆生」 といひて畜類に及ばず、 相違いかん。
問。¬大経ニハ¼只云テ↢「十方衆生ト」↡不↠及バ↢畜類ニ↡、相違如何。
答ふ。 たれかいふ十方衆生の言畜類に及ばずとは。 畜は至心信楽に関らずといへどもこれまた随分の益なきにあらず。 ゆゑに ¬大経¼ (巻上) にいはく、 「▲もし三途勤苦の処にありても、 この光明を見れば、 みな休息することを得てまた苦悩なし。 寿終の後に、 みな解脱を蒙る。」 以上。
答。誰カ謂フ十方衆生ノ之言不トハ↠及バ↢畜類↡。畜ハ雖↠不↠関カラ↢至心信楽ニ↡、是又非ズ↠无ニ↢随分ノ之益↡。故ニ¬大経ニ¼云ク、「若シ在テモ↢三途勤苦之処ニ↡、見レバ↢此ノ光明ヲ↡、皆得テ↢休息スルコトヲ↡无↢復苦悩↡。寿終ノ之後ニ、皆蒙ル↢解脱ヲ↡。」 已上
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『平等覚経』文
【14】▲次に ¬覚経¼ の文、 説相大略 ¬宝積経¼ に同じ。
次ニ¬覚経ノ¼文、説相大略同ジ↢¬宝積経ニ¼↡。
▲「令我名聞」 とらは、 十七の願の意、 ▲「来生我国」 とらは、 十八の願の意。
「令我名聞ト」等者、十七ノ願ノ意、「来生我国ト」等者、十八ノ願ノ意。
▲「前世為悪」 とらは、 また聞名の益を説く。
「前世為悪」等者、又説ク↢聞名ノ之益ヲ↡。
▲「阿闍世王太子」 以下は、 聞経の益を説きて宿命の事を述ぶ。
「阿闍世王太子」以下ハ、説テ↢聞経ノ之益ヲ↡述ブ↢宿命ノ事ヲ↡。
▲「如是人」 の下六言の偈は、 また聞名の徳、 ▲「非有是」 の下はあるいはその功徳によりて経を聞くことを説き、 あるいはその宿善によりて法を聞くことを説きて、 あるいは*憍慢・*蔽*懈怠の機は、 この法を信じがたき等の義趣を説くこと、 しかしながら ¬大経¼ に同じ。 その文見つべし。
「如是人ノ」下六言ノ偈者、又聞名ノ徳、「非有是ノ」下ハ或ハ説キ↧因テ↢其ノ功徳ニ↡聞コトヲ↞経ヲ、或ハ説テ↧因テ↢其ノ宿善ニ↡聞コトヲ↞法ヲ、或ハ説コト↧憍慢・蔽懈1042怠ノ機ハ、難キ↠信ジ↢此ノ法ヲ↡等ノ之義趣ヲ↥、併ラ同ジ↢¬大経ニ¼↡。其ノ文可シ↠見ツ。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『悲華経』文
【15】▲次に ¬悲華¼ の文、
次ニ¬悲*華ノ¼文、
文相のごときは十八の願か。 しかるに名号得生の益を説く。 ゆゑにいまこれを引く。
如キ↢文相ノ↡者十八ノ願歟。而ニ説ク↢名号得生ノ之益ヲ↡、故ニ今引ク↠之ヲ。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ○ 私釈(称名破満)
【16】▲次にわたくしの釈の中に、
次ニ私ノ釈ノ中ニ、
▲「称名」 以下 「志願」 といふに至るまでの十八字は、 ¬論の註¼ の下に ▲「如彼名義欲如実修行相応」 (浄土論) の論文を釈する文意なり。
「称名」以下至マデノ↠言フニ↢「志願ト」↡十八字者、¬論ノ註ノ¼下ニ釈スル↢「如彼名義欲如実修行相応ノ」之論文ヲ↡之文意也。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『十住毘婆娑論』九文
【17】▲次に ¬十住毘婆沙論¼ の文に就きて、
次ニ就テ↢¬十住毘婆沙論ノ¼文ニ、
問ふ。 所引の文名号の徳にあらず、 ただ菩薩登地の益を説く、 なんぞこれを引くや。
問。所引ノ文非ズ↢名号ノ徳ニ↡、唯説ク↢菩薩登地ノ之益ヲ↡、何ゾ引↠之ヲ耶。
答ふ。 下に引くところの 「▽仏法に無量の門あり」 とらは、 難易の道を明かして称名易行の徳を讃嘆す。 以上の文は、 当用にあらずといへども前後を明かさんがためにくはしくこれを引くか。 はたまた二行同じく欣趣するところともに不退位、 すなはちこれ*初地なり。 いま初地見道の相を明かす、 もつともこれ要須なり、 ゆゑに広くこれを引く。
答。下ニ所ノ↠引ク之「仏法ニ有ト↢无量ノ門↡」等者、明シテ↢難易ノ道ヲ↡讃↢嘆ス称名易行ノ之徳ヲ↡。已上ノ文者、雖↠非ト↢当用ニ↡為ニ↠明ンガ↢前後ヲ↡委ク引ク↠之ヲ歟。将又二行同ク所↢欣趣スル↡共ニ不退ノ位、即是初地ナリ。今明ス↢初地見道ノ之相ヲ↡、最モ是要須ナリ、故ニ広ク引ク↠之ヲ。
この中に 「▲*般舟三昧」 といふは、 ¬般舟讃¼ にいはく、 「▲梵語には般舟と名づく、 ここには翻じて常行道と名づく。 ▲西国の語、 ここには翻じて名づけて定とす。 乃至 ▲また立定見諸仏と名づくなり。」 以上 また ¬止観¼ (巻二上) には仏立三昧と名づく。
此ノ中ニ言↢「般舟三昧ト」↡者、¬般舟讃ニ¼云ク、「梵語ニハ名ク↢般舟ト↡、此ニハ翻ジテ名ク↢常行道ト↡。西国ノ語、此ニハ翻ジテ名テ為↠定ト。乃至 亦名ク↢立定見諸仏ト↡也。」 已上 又¬止観ニハ¼名ク↢仏立三昧ト↡。
「▲六波羅蜜」 といふは、 いわゆる六度。 一には檀那、 ここには*布施といふ。 二には尸羅、 ここには翻じて*戒となす。 三には羼提、 ここには*忍辱といふ。 四には毘梨耶、 ここには*精進といふ。 五には禅那、 ここには*禅定という。
言↢「六波羅蜜ト」者、所謂六度。一者檀那、此ニハ云↢布施ト↡。二者尸羅、此ニハ翻ジテ為ス↠戒ト。三者羼提、此ニハ云フ↢忍辱ト。四ニハ毘梨耶、此ニハ云フ↢精進ト↡。五者禅那、此ニハ云フ↢禅定ト↡。
「▲諸忍」 といふは、 ¬仁王経¼ の中には説きて五忍となす。 浄影の ¬観経の義疏¼ (巻本) に釈していはく、 「一は伏忍、 種姓解行の位の中にあり、 諸法を学観してよく煩悩を伏す、 ゆゑに名づけて伏となす。 二は信忍、 初・二・三地無生の理において信心決定するを名づけて信忍となす。 三は順忍、 四・五・六地相を破し如に入りて無生に趣順するを名づけて順忍となす。 四には無生忍、 七・八・九地実を証し相を離るるを無生忍と名づく。 五には寂滅忍、 十地以上相を破し畢竟じて冥心寂に至りて大涅槃を証するを寂滅忍と名づく。」 以上
言↢「諸忍ト」↡者、¬仁王経ノ¼中ニハ説テ為ス↢五忍ト↡。浄影ノ¬観経ノ義疏ニ¼釈シテ云ク、「一者伏忍、在リ↢於種姓解行ノ位ノ中ニ↡、学↢観シテ諸法ヲ↡能ク伏ス↢煩悩ヲ↡、故ニ名1043テ為↠伏ト。二者信忍、初・二・三地於テ↢無生ノ理ニ↡信心決定スルヲ名テ為↢信忍ト↡。三者順忍、四・五・六地破シ↠相ヲ入テ↠如ニ趣↢順スルヲ無生ニ↡名テ為ス↢順忍ト↡。四ニハ無生忍、七・八・九地証シ↠実ヲ離ルヽヲ↠相ヲ名ク↢無生忍ト↡。五ニハ寂滅忍、十地已上破シ↠相ヲ畢竟ジテ冥心至テ↠寂ニ証スルヲ↢大涅槃ヲ↡名ク↢寂滅忍ト↡。」 已上
「▲初果を得るがごとし」 とは、 これ声聞の須陀洹を得るに況してかの菩薩の*歓喜地を得ることを顕す。 初果・初地通別二惑所断異なりといへども、 断道同じきがゆゑに。 「▲須陀洹」 とは、 すなはち↓四果の中にその初果なり。
「如ト↠得ルガ↢初果↡」者、是況シテ↣声聞ノ得ルニ↢須陀洹ヲ↡顕ス↣彼ノ菩薩ノ得ルコトヲ↢歓喜地ヲ↡。初果・初地通別二惑所断雖↠異ナリト、断道同ガ故ニ。「須陀洹ト」者、即四果ノ中ニ其ノ初果也。
▼↑*四果といふは、 一には*須陀洹、 ここには預流といふ。 初めて聖の流に預るゆゑに預流といふ。 この位に頓に*三界の八十八使の*見惑を断ず。 次下に 「▲見諦所断の法を断ず」 といふは、 すなはちこれ見惑なり。 この見惑とは八十八使、 いはく四諦において三界に異あり、 欲に三十二、 色と無色とおのおの二十八、 合して八十八使の数を成ず。
言↢四果ト↡者、一ニハ須陀洹、此ニハ云フ↢預流ト↡。初テ預ル↢聖ノ流ニ↡故ニ云フ↢預流ト↡。此ノ位ニ頓ニ断ズ↢三界ノ八十八使ノ見惑ヲ↡。次下ニ云↠「断ズト↢見諦所断ノ法ヲ↡」者、即是見惑ナリ。此ノ見惑ト者八十八使、謂ク於↢四諦ニ↡三界ニ有リ↠異、欲ニ三十二、色ト与 ト ↢无色↡各二十八、合テ成ズ↢八十八使之数ヲ↡。
二には*斯陀含、 ここには一来といふ。 *欲界の九品の*修惑の中に前六品を断ず、 後の三品によりてひとたび欲界に来る、 ゆゑに一来といふ。
二ニハ斯陀含、此ニハ云フ↢一来ト↡。欲界ノ九品ノ修惑ノ之中ニ断ズ↢前六品ヲ↡、因テ↢後ノ三品ニ↡一タビ来ル↢欲界ニ↡、故ニ云フ↢一来ト↡。
三には*阿那含、 ここには不還といふ。 後の三品を断じて欲の修惑を尽す、 ゆゑに欲界に還らざるをもつて名となす。
三ニハ阿那含、此ニハ云フ↢不還ト↡。断ジテ↢後ノ三品ヲ↡尽ス↢欲ノ修惑ヲ↡、故ニ以テ↠不ヲ↠還ラ↢欲界ニ↡為ス↠名ト。
四には*阿羅漢、 ここには無生といふ。 *色・*無色二界の修惑を断ず、 生として受くべきなし、 ゆゑに無生といふ。
四ニハ阿羅漢、此ニハ云フ↢无生ト↡。断ズ↢色・无色二界ノ修惑ヲ↡、无シ↢生トシテ可キ↟受ク、故ニ云フ↢无生ト↡。
「▲二十九有」 とは、
「二十九有ト」者、
問ふ。 なんらを指すや。 答ふ。 *二十五有とは四州・四悪趣・六欲ならびに梵王・四禅・四無色・無想・五那含なり。 これ五那含を合して一種となす、 五那含を開してもつて二十九有の数を成ずらくのみ。
問。指↢何等ヲ↡*耶。答。二十五有ト者四州・四悪趣・六欲並ニ梵王・四禅・四無色・无想・五那含ナリ。是五那含ヲ合シテ為ス↢一種ト↡、開シテ↢五那含ヲ↡以テ成ズラク↢二十九有1044ノ数ヲ↡耳。
▲「一毛をもつて百とするがごとし」 とらは、 その文点によりて義理を解すべし。 いふところの文点口伝にあるべし。
「如シト↧以テ↢一毛ヲ↡為ガ↞百ト」等者、依テ↢其ノ文点ニ↡可シ↠解ス↢義理ヲ↡。所ノ↠言フ文点可シ↠在↢口伝ニ↡。
【18】▲「仏法に無量の門あり」 とらは、 つぶさに*難行・*易行の道を挙げて、 まさしく二道の期するところともに不退の位にあることを明かす。 その不退の位、 難行は至りがたく易行は至りやすし、 これ難行に対して念仏を易となす。
「仏法ニ有ト↢无量ノ門↡」等者、具ニ挙テ↢難行・易行ノ之道ヲ↡、正ク明ス↣二道ノ所↠期スル共ニ在コトヲ↢不退ノ之位ニ↡。其ノ不退ノ位、難行ハ難ク↠至リ易行ハ易シ↠至リ、是対シテ↢難行ニ↡念仏ヲ為ス↠易ト。
また易行念仏の中において、 弥陀を念ずるをもつてその本とすることを顕すこと、 かの ¬論¼ の説その意分明なり。
又於テ↢易行念仏ノ之中ニ↡、以テ↠念ズルヲ↢弥陀ヲ↡顕コト↠為コトヲ↢其ノ本ト↡、彼ノ¬論ノ¼之説其ノ意分明ナリ。
▲いはゆるその易行を釈する中に、 ▲まづ東方善徳仏等の十方十仏を挙げて、 次に 「▲阿弥陀等の仏およびもろもろの大菩薩、 名を称して一心に念ずればまた不退転を得」 といふ、
所謂釈スル↢其ノ易行ヲ↡之中ニ、先ヅ挙テ↢東方善徳仏等ノ十方十仏ヲ↡、次ニ云フ↣「阿弥陀等ノ仏及ビ諸ノ大菩薩称シテ↠名ヲ一心ニ念ズレバ亦得ト↢不退転ヲ↡」、
次に▲世自在王仏等の一百余仏を挙げて、 判じて 「▲阿弥陀仏本願かくのごとし、 もし人われを念じ名を称してみづから帰すれば、 すなはち必定に入りて阿耨菩提を得」 といふ、
次ニ挙テ↢世自在王仏等ノ一百余仏ヲ↡、判ジテ云フ↧「阿弥陀仏本願如シ↠是ノ若人念ジ↠我ヲ称シテ↠名ヲ自帰スレバ即入テ↢必定ニ↡得ト↦阿耨菩提ヲ↥」、
▲次に三十行の偈をもつて、 広く弥陀の功徳を讃ず。 いまの所引の偈はすなはちかの偈の文なり。
次ニ以テ↢三十行ノ偈ヲ↡広ク讃ズ↢弥陀ノ功徳ヲ↡。今ノ所引ノ偈ハ即彼ノ偈ノ文ナリ。
▲次に善意等の一百四十余仏を挙げて、 易行道となす。
次ニ挙テ↢善意等ノ一百四十余仏ヲ↡、為ス↢易行道ト↡。
問ふ。 かの ¬論¼ の中に、 つぶさに諸仏の名号を挙げて、 その名を称するをもつて易行道となす、 なんぞ弥陀をもつて易行道とする。
問。彼ノ¬論ノ¼之中ニ、具ニ挙テ↢諸仏ノ名号ヲ↡、以テ↠称スルヲ↢其ノ名ヲ↡為ス↢易行道ト↡、何ゾ以テ↢弥陀ヲ↡為ル↢易行道ト↡。
答ふ。 挙ぐるところの名諸仏にわたるといへども、 あるいは 「▲阿弥陀仏本願如是」 といひ、 あるいは 「▲若人念我称名自帰」 といひ、 あるいは 「▲称名一心念亦得不退転」 といふ、 もつぱら弥陀に約す。 これによりてかの弥陀の章においては、 余仏菩薩の章よりも委し。 けだしこれ諸教に讃むるところ多く弥陀にあるがゆゑなり。
答。所ノ↠挙之名雖↠亘ト↢諸仏ニ↡、或ハ云ヒ↢「阿弥陀仏本願如是ト」↡、或ハ云ヒ↢「若人念我称名自帰ト」↡、或ハ云フ↢「称名一心念亦得不退転ト」↡、専ラ約ス↢弥陀ニ↡。依テ↠之ニ於↢彼ノ弥陀ノ章ニ↡者、委シ↠自モ↢余仏菩薩ノ之章↡。蓋シ是諸教ニ所↠讃ル多ク在ルガ↢弥陀ニ↡故也。
問ふ。 かの ¬論¼ の所判難行に対する時、 易行の益、 これ此土所得の不退なりとやせん、 これ他土所得の不退なりとやせん、 はたまたいはゆる往生・不退、 同なりや異なりや。
問。彼ノ¬論ノ¼所判対スル↢難行ニ↡時、易1045行ノ之益、是為ン↢此土所得ノ不退ナリトヤ↡、是為ン↢他土所得ノ不退ナリトヤ↡、将又所ノ↠言往生・不退、同ナリヤ耶異ナリヤ耶。
答ふ。 ▽総じて三義あり。 ▽一にいはく、 此土の不退なり。 これすなはち行においてその難易を論じ、 機において精進・儜弱を分つといへども、 至るところともにこれ*阿惟越致すなはちこれ不退なり。 このゆゑに此土の不退ならくのみ。
答。総ジテ有リ↢三義↡。一云、此土ノ不退ナリ。是則於テ↠行ニ論ジ↢其ノ難易ヲ↡、於テ↠機ニ雖↠分ツト↢精進・儜弱ヲ↡、所↠至ル共ニ是阿惟越致即是不退ナリ。是ノ故ニ此土ノ不退而已。
二にいはく、 他土の往生なり。 しかるゆゑは、 弥陀の本願はもとこれ往生なり。 弥陀の益往生たらば、 諸仏また同じ。 論文すでに 「△阿弥陀等仏および諸大菩薩称名一心念亦得不退転」 といふ。 ゆゑに知んぬ、 いま不退転といふは、 これ往生して不退を得るを指すなり。
二ニ云、他土ノ往生ナリ。所↢以然ル↡者、弥陀ノ本願ハ本是往生ナリ。弥陀ノ之益為ラ↢往生↡者、諸仏又同ジ。論文既ニ云フ↢「阿弥陀等仏及ビ諸大菩薩称名一心念亦得不退転ト」↡。故ニ知ヌ、今言↢不退転ト↡者、是指↣往生シテ得ルヲ↢不退ヲ↡也。
三にいはく、 余仏の益は此土の不退、 弥陀の益は浄土の往生なり。 余仏の益不退たるべきことは、 その義第一の義に同じかるべし、 弥陀の益往生たるべきことは、 その義第二の義に同じかるべし。
三ニ云、余仏ノ之益ハ此土ノ不退、弥陀ノ之益ハ浄土ノ往生ナリ。余仏之益可コトハ↠為↢不退↡、其ノ義可シ↠同カル↢第一ノ之義ニ↡、弥陀ノ之益可コトハ↠為↢往生↡、其ノ義可シ↠同カル↢第二之義ニ↡。
問ふ。 今家の意、 三義の中にいづれの義によるや。
問。今家ノ之意、三義ノ之中ニ依↢何ノ義ニ↡耶。
答ふ。 △第一の義をもつて ¬論¼ の正意となす、 ゆゑにこれを用ゐるべし。
答。以テ↢第一ノ義ニ↡為↢¬論ノ¼正意ト↡、故ニ可シ↠用↠之ヲ。
▼問ふ。 ¬論¼ の正意たることその義いかん。
問。為コト↢¬論ノ¼正意↡其ノ義如何。
答ふ。 かの ¬論¼ の所説、 称名の利益、 不退転をもつてその所期とすること、 諸文分明なり。
答。彼ノ¬論ノ¼所説、称名ノ利益、以テ↢不退転ヲ↡為コト↢其ノ所期ト↡、諸文分明ナリ。
いはくその文 (十住論巻五易行品) にいはく、 「▲称名一心念、 亦得不退転。」 以上
謂ク其ノ文ニ云ク、「称名一心念、亦得不退転。」 已上
またいはく、 「▲称名自帰、 即入必定。」 以上
又云ク、「称名自帰、即入必定。」 已上
弥陀の章にいはく、 「▲人よくこの仏の無量力功徳を念ずれば、 ↓即の時必定に入るこのゆゑにわれ常に念ず。」 以上
弥陀ノ章ニ云ク、「人能ク念ズレバ↢是ノ仏ノ无量力功徳ヲ↡、即ノ時入ル↢必定ニ↡是ノ故ニ我常ニ念ズ。」 已上
十仏の章にいはく、 「▲もし人疾く不退転地を得んと欲はば、 恭敬の心をもつて、 執持して名号を称すべし。」 以上
十仏ノ章ニ云ク、「若シ人欲↣疾ク得ント↢不退転地ヲ↡者、応シ↧以テ↢恭敬ノ心ヲ↡、執持シテ称ス↦名号ヲ↥。」 已上
またいはく、 「▲もし菩薩↓この身において阿惟越致地に至ることを得て、 阿耨菩提を成ぜんと欲はば、 まさにこの十方の諸仏を念じて、 その名号を称すべし。」 以上
又云、「若シ菩薩欲↧於テ↢此ノ身ニ↡得テ↠至コトヲ↢阿惟1046越致地ニ↡、成ゼント↦阿耨菩提ヲ↥者、応シ↧当ニ念ジテ↢是ノ十方ノ諸仏ヲ↡、称ス↦其ノ名号ヲ↥。已上
あるいは↑即時といひ、 あるいは↑此身といふ。 これ此土の不退をもつて本となす、 種々の異義等ありといへども、 今家の意、 料簡かくのごとし。 長行・偈頌多くの文ありといへども、 ほぼこの趣を得て ¬論¼ の意を解すべし。
或ハ云ヒ↢即時ト↡、或ハ云フ↢此身ト↡。是以テ↢此土ノ不退ヲ↡為ス↠本ト、雖↠有ト↢種々ノ之異義等↡、今家ノ之意、料簡如シ↠此ノ。長行・偈頌雖↠有ト↢多ノ文↡、粗得テ↢此ノ趣ヲ↡可シ↠解ス↢¬論ノ¼意ヲ↡。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『浄土論』文
【19】▲次に ¬浄土論¼。
次ニ¬浄土論¼。
▲「我依」 とらは、 ▽偈の前の ¬註¼ (論註巻上) にいはく、 「▲次に*優婆提舎の名を成ず、 また上を成じ下を起す偈。」 以上
「我依ト」等者、偈ノ前ノ¬註ニ¼云ク、「次ニ成ズ↢優婆提舎ノ名ヲ↡、又成ジ↠上ヲ起ス↠下ヲ偈。」 已上
また▽偈の後にいはく、 「▲この一行いかんぞ優婆提舎の名を成ずる、 いかんぞ上の三門を成じ下の二門を起す。 偈に我依修多羅、 与仏教相応といふ。 *修多羅はこれ仏経の名。 われ仏経の義を論じて、 経と相応す、 仏法の相に入るをもつてのゆゑに優婆提舎と名づく。 名を成じをはりぬ。 ◆上の三門を成じ下の二門を起す。」 以上
又偈ノ後ニ云、「此ノ一行云何ゾ成ズル↢優*波提舎ノ名ヲ↡、云何ゾ成ジ↢上ノ三門ヲ↡起ス↢下ノ二門ヲ↡。偈ニ言フ↢我依修多羅、与仏教相応ト↡。修多羅ハ是仏経ノ名。我論ジテ↢仏経ノ義ヲ↡、与↠経相応ス、以ノ↠入ルヲ↢仏法ノ相ニ↡故ニ名ク↢優*婆提舎ト↡。名ヲ成ジ竟ヌ。成ジ↢上ノ三門ヲ↡起ス↢下ノ二門ヲ↡。」 已上
これらの義趣、 次下の 「何所依」 以下 「函蓋相称」 に至るまで、 ▲下にこれを引かる。 よりていまこれを略す、 よろしくかの文を見るべし。
是等ノ義趣、次下ノ「何所依」以下至マデ↢「函蓋相称ニ」↡、下ニ被↠引↠之ヲ。仍今略ス↠之ヲ。宜クシ↠見ル↢彼ノ文ヲ↡。
▲「観仏」 とらは、 ¬論¼ に二十九句の荘厳を明かす。 その中に、 如来八種の功徳荘厳の内、 第八の荘厳*不虚作住持功徳荘厳の文なり。
「観仏ト」等者、¬論ニ¼明ス↢二十九句ノ荘厳ヲ↡。其ノ中ニ、如来八種ノ功徳荘厳ノ之内、第八ノ荘厳不虚作住持功徳荘厳ノ文也。
¬註¼ (論註巻上) にいはく、 「▲この四句を荘厳不虚作住持功徳成就と名づく。 ◆仏もとなんがゆゑぞこの荘厳を起したまふ。 ある如来を見れば、 ただ*声聞をもつて僧となして、 仏道を求むる者なし。 あるいは仏に値ひてしかも*三塗を免れざるあり。 *善星・*提婆達多・*居迦離等これなり。 また人仏の名号を聞きて*無上道心を発せども悪の因縁に遇ひて、 退して声聞・*辟支仏地に入る者、 かくのごときら空しく過ぐる者、 退没の者あり。 ◆このゆゑに願じていはく、 われ成仏せん時、 われに値遇せん者をしてみなすみやかに疾く無上大宝を満足せしめん。」 以上
¬註ニ¼云ク、「此ノ四句ヲ名ク↢荘厳不虚作住持功徳成就ト↡。仏本何ガ故ゾ起シタマフ↢此ノ荘厳ヲ↡。見レバ↢有ル如来ヲ↡、但以テ↢声聞ヲ↡為シテ↠僧ト、无シ↧求ル↢仏道ヲ↡者↥。或ハ有リ↧値テ↠仏ニ而モ不ル↞免レ↢三途ヲ↡。善星・提婆達多・居迦離等是也。又人聞テ↢仏ノ名号ヲ↡発セドモ↢无上道心ヲ↡遇テ↢悪ノ因縁ニ↡、退シテ入ル↢声聞・辟支仏地ニ↡者、有リ↢如↠是ノ等空ク過ル者、退没ノ者↡。是ノ故ニ願ジテ言ク、使1047シメン↧我レ成仏セン時、値↢遇セン我ニ↡者ヲシテ皆速ニ疾ク満↦足セ无上大宝ヲ↥。」 已上
▲「又曰菩薩」 とらは、 ¬論の註¼ の意によるに、 解義分の中に分ちて十重となす。 その中に第十*利行満足の章の終りの文なり。 くはしく知らんと欲わば、 ▲¬註¼ の文を看るべし。
「又曰菩薩ト」等者、依ニ↢¬論ノ註ノ¼意ニ↡、解義分ノ中ニ分テ為ス↢十重ト↡。其ノ中ニ第十利行満足ノ章ノ終ノ文也。欲↢委ク知ント↡者、可シ↠看↢¬註ノ¼文ヲ↡。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『論註』四文
【20】次に▲「論註曰」 とらは、 かの ¬註¼ の最初に ¬論¼ の大意を標する発端の釈なり。 鸞師深く ¬十住論¼ の意を得て難易の道を判ず、 その文少しき異なれども、 その義おほいに同じ。
次ニ「論註曰ト」等者、彼ノ¬註ノ¼最初ニ標スル↢¬論ノ¼大意ヲ↡発端ノ釈也。鸞師深ク得テ↢¬十住論ノ¼意ヲ↡判ズ↢難易ノ道ヲ↡、其ノ文少シキ異ナレドモ、其ノ義大ニ同ジ。
「▲五濁世」 とは、 五濁悪世在滅を分たず。 「▲無仏時」 とは、 滅後の時を指す、 これすなはちつぶさに時処の難を挙ぐ。 「▲五三」 といふは、 少々と称する詞、 内外典の中に多くその例あり。
「五濁世ト」者、五濁悪世不↠分↢在滅ヲ↡。「无仏時ト」者、指ス↢滅後ノ時ヲ↡、是則具ニ挙グ↢時処ノ之難ヲ↡。言「五三ト」者、称スル↢少々ト↡詞、内外典ノ中ニ多ク有リ↢其ノ例↡。
問ふ。 五種の難大意いかん。
問。五種之難大意如何。
答ふ。 澄或の ¬註十疑¼ にいはく、 「前の四種の難は凡を非し小を斥ふ、 一の難は大乗の行ただ自にして他なし。 おほきに外縁を欠く。 ゆゑにまた難なり。」 以上
答。澄*或ノ¬註十疑ニ¼云ク、「前ノ四種ノ難ハ非シ↠凡ヲ斥フ↠小ヲ、一ノ難ハ大乗ノ行唯自ニシテ无シ↠他。大ニ闕ク↢外*縁ヲ↡。故亦難也。」 已上
▲「外道」 とらは、 同じき ¬註¼ (註十疑論) にいはく、 「わが仏の正法、 小乗にはすなはち無常・無我・寂滅法印あり。 大乗にはすなはち一実相印あり。 これによりて行ずればかならず聖果に登る。 外道はすなはちしからず。 迷惑邪見所説の法、 その相善に似てしかも実に善にあらず。 邪をもつて正を乱る、 人甄し分つことあたはず、 深く障道を成ず。」 以上
「外道ト」等者、同キ¬註¼云、「我ガ仏ノ正法、小乗ニハ則有リ↢无常・无我・寂滅法印↡。大乗ニハ則有リ↢一実相印↡。依テ↠之ニ行ズレバ必登ル↢聖果ニ↡。外道ハ則不↠然ラ。迷惑邪見所説ノ之法、其ノ相似テ↠善ニ而モ実ニ非ズ↠善ニ。以テ↠邪ヲ乱ル↠正ヲ、人不↠能↢甄シ分コト↡、深ク成ズ↢障道ヲ↡。」 已上
「▲声聞の自利大慈悲を障ふ」 とは、 ¬十住論¼ (巻五易行品) にいはく、 「▲もし声聞地および辟支仏地に堕する、 これを菩薩の死と名づく。 すなはち一切の利を失す。」 以上 ¬荘厳論¼ (荘厳経論巻六随修品) にいはく、 「つねに地獄に処すといへども大菩提を障へず、 もし自利の心を起すはこれ大菩提の障なり。」 以上 大乗の諸経に多くこの説あり。 つぶさに挙ぐるに遑あらず。
「声聞ノ自利障ト↢大慈悲ヲ↡」者、¬十住論ニ¼云ク、「若シ堕スル↢声聞地及ビ辟支仏地ニ↡、是ヲ名ク↢菩薩ノ死ト↡。則失ス↢一切ノ利ヲ↡。」 已上 ¬荘厳論ニ¼云ク、「雖↣恒ニ処スト↢地獄ニ↡不↠障↢大菩提ヲ↡、若シ起スハ↢自利ノ心ヲ↡是大菩提ノ障ナリ。」 已上 大乗ノ諸経ニ多ク有リ↢此1048ノ説↡。不↠遑アラ↢具ニ挙ニ↡。
「▲無顧の悪人他の勝徳を破す」 とは、 同じき ¬註¼ (註十疑論) にいはく、 「濁世の悪人、 修道の者を見ては人の美むるを成ずることあたはず、 かへりて毀破の言を宣ぶ。」 以上 ¬漢書¼ の註にいはく、 「江淮の間、 いはく小児子詐多くして狡獪なるを無顧と名づく。」 以上 かの身子が乞眼の縁に逢ひて菩薩の行を退せしがごとき、 これその類なり。
「无顧ノ悪人破スト↢他ノ勝徳ヲ↡」者、同キ¬註ニ¼云ク、「濁世ノ悪人、見テハ↢修道ノ者ヲ↡不↠能↠成コト↢人ノ之美ヲ↡、反テ宣ブ↢毀破之言ヲ↡。」 已上 ¬漢書ノ¼註云、「江淮ノ之間、謂ク小児子多シテ↠詐狡獪ナルヲ名ク↢无顧ト↡。」 已上 如キ↧彼ノ身子ガ逢テ↢乞眼ノ*縁ニ↡退センガ↦菩薩ノ行ヲ↥、是其ノ類也。
「▲顛倒の善果よく梵行を壊す」 とは、 同じき ¬註¼ (註十疑論) にいはく、 「人天の果は無漏の善にあらず、 しばらく楽にして還りて苦なり、 顛倒となす。 梵行は浄行なり。」
「顛倒ノ善果能ク壊スト↢梵行ヲ↡」者、同¬註¼云、「人天之果ハ非ズ↢无漏ノ善ニ↡、暫ク楽ニシテ還テ苦ナリ、為ス↢顛倒ト↡。梵行ハ浄行也。」
また ¬論の註¼ (巻上) にいはく、 「▲人天の果報、 もしは因もしは果、 みなこれ顛倒なり、 みなこれ虚偽なり。」 以上
又¬論ノ註ニ¼云、「人天ノ果報、若ハ因若ハ果、皆是顛倒ナリ、皆是虚偽ナリ。」 已上
「定善義」 にいはく、 「▲人天の楽はなほし電光のごとし。 *須臾にすなはち捨つ、 還りて三悪に入りて長時に苦を受く。」 以上
「定善義ニ」云ク、「人天ノ之楽ハ猶シ如シ↢電光ノ↡。須臾ニ即捨ツ、還テ入テ↢三悪ニ↡長時ニ受ク↠苦ヲ。」 已上
かの妙荘厳王の本事のごときこれその類なり。
如キ↢彼ノ妙荘厳王ノ本事ノ↡是其ノ類也。
「▲ただこれ自力にして他力の持つなし」 とは、 ¬十疑¼ にいはく、 「譬へば跛たる人の歩により行くときは、 一日に数里を過ぎず、 きわめておほいに辛苦するがごときを自力といふなり。 易行道とは、 いはく仏語を信ずるがゆゑに、 念仏三昧を行じて浄土に生ぜんと願ずれば、 弥陀の願力の摂持するに乗じて、 決定して往生すること疑はざるなり。 人水路に船の力によるがゆゑに、 須臾にすなはち千里に至るがごときを他力といふ。」 以上
「唯是自力ニシテ無ト↢他力ノ持ツ↡」者、¬十疑ニ¼云、「譬如キヲ↧跛タル人ノ歩ヨリ行トキハ、一日ニ不↠過↢数里ヲ↡、極テ大ニ辛苦スルガ↥謂↢自力ト↡也。易行道ト者、謂ク信ズルガ↢仏語ヲ↡故ニ、行ジテ↢念仏三昧ヲ↡願ズレバ↠生ゼント↢浄土ニ↡、乗ジテ↢弥陀ノ願力ノ摂持スルニ↡、決定シテ往生スルコト不↠疑也。如キヲ↧人水路ニ因ガ↢船ノ力ニ↡故ニ、須臾ニ即至ルガ↦千里ニ↥謂フ↢他力ト↡。」 已上
▲「易行道とはいはくただ」とらは、
「易行道ト者謂ク但ト」等者、
問ふ。 上に述ぶるがごときは、 難易の二道所行異なりといへども、 所期の益ともにこれ不退なり。 その不退とは、 同じくこの土において得るところの益なり。 しかるにいまの文のごときは、 不退といふは往生の後得るところの益たること、 その文炳然なり、 いかん。
問。如↢上ニ述ルガ↡者、難易ノ二道所行雖↠異ナリト、所期之益共ニ是不退ナリ。其ノ不退ト者、同ク於テ↢此ノ土ニ↡所ノ↠得ル益也。而ニ如↢今ノ文ノ↡者、言↢不退ト↡者為コト↢往生ノ後所ノ↠得ル之益↡、其ノ文炳然ナリ、如何。
答ふ。 もとより△三義あり、 諸師の意、 おのおの一義を存ず。 いはんやまた生後の義を存ずといへども、 現生不退の益を遮するにあらず。 位いまだ不退の地に至らずといへども、 ▲蒙光触者心不退の義、 *摂取不捨、 ▲横超断四流、 あにもつて空しからんや。 これらの明文虚説にあらずは、 不退の義なんぞ成ぜざらんや。 三不退にあらず、 処不退にあらず、 ただこれ信心不退の義なり。
答。本ヨリ有リ↢三義↡、諸師ノ之意、各存ズ↢一義ヲ↡。況又雖↠存ズト↢生後ノ之義ヲ↡、非ズ↠遮スルニ↢現生不退ノ之1049益ヲ↡。位雖↠未 ズ ダト↠至↢不退ノ之地ニ↡、蒙光触者心不退ノ義、摂取不*捨、横超断四流、豈以テ空カランヤ耶。此等ノ明文非↢虚説ニ↡者、不退ノ之義何ゾ不↠成ゼ乎。非ズ↢三不退ニ↡、非ズ↢処不退ニ↡、只是信心不退ノ義也。
「▲蓋上衍之極致」 といふは、 流布の本 「衍」、 いまは 「衎」 の字たり、 異本あるか。 「衍」 ¬宋韻¼ にいはく、 「易浅の切、 達なり、 また大衍易の数なり。」 いま衍といふはこれらの訓にあらず、 これ梵語なり。 ここには乗の義となす、 摩訶衍とはこれ大乗なるがゆゑに。 「衎」 ¬玉篇¼ にいはく、 「口且の切、 衎は楽なり。」 ¬広韻¼ にいはく、 「苦旰の切、 楽なり。」 また (広韻) いはく、 「空旱の切、 信の言なり。」 いま衍を用ゐることは、 上はすなはち上乗、 衎はすなはち信の言、 この論説を信じて安楽に生ずべき義ならくのみ。
言↢「蓋上衍之極致ト」↡者、流布ノ本「衍」、今ハ為リ↢「*衎ノ」字↡、有↢異本↡歟。「*衍」¬宋韻¼云、「易浅切、達也、又大衍易ノ数也。」今言↠衍ト者非ズ↢此等ノ訓ニ↡、是梵語也。此ニハ為ス↢乗ノ義ト↡、摩訶衍ト者是大乗ナルガ故。「衎」¬玉篇ニ¼云、「口且ノ切、*衎ハ楽也。」¬広韻ニ¼云ク、「苦*旰ノ切、古按切曰晩也楽也。」又云、「空旱切、信ノ言也。」今用コトハ↠*衍者、上ハ即上乗、*衎ハ即信ノ言、信ジテ↢此ノ論説ヲ↡可キ↠生↢安楽ニ↡之義而已。
「▲風航」 といふは、 「航」 ¬玉篇¼ にいはく、 「可当の切、 船なり。」 ¬広韻¼ にいはく、 「洪郎の切、 船なり。」
言↢「風航ト」↡者、「航」¬玉篇ニ¼云、「可当ノ切、船也。」¬広韻¼云、「洪郎ノ切、船也。」
▲「無量寿はこれ安楽」 とらは、 論の名義を解す。
「無量寿ハ是安楽ト」等者、解ス↢論ノ名義ヲ↡。
「▲王舎城および舎衛国にましまして」 とは、 つぶさに三経の説処を挙ぐらくのみ。 この文によらば鸞師の意、 いまこの ¬論¼ をもつてもつて三部通申の論となす。 義寂・宗暁同じく三部通申の義による。 智昇・智光ともに ¬大経¼ 別申の義を存ず。
「在テト↢王舎城及ビ舎衛ニ↡」者、具ニ挙グラク↢三経ノ之説処ヲ↡耳。依ラ↢此ノ文ニ↡者鸞師ノ之意、今以テ↢此ノ¬論ヲ¼↡以テ為ス↢三部通申ノ之論ト↡。義寂・宗暁同ク依ル↢三部通申ノ之義ニ↡。智昇・智光共ニ存ズ↢¬大経¼別申ノ之義ヲ↡。
【21】▲「また所願軽からず」 とらは、 論の偈の第一行の文を釈す、 文意見つべし。
「又所*願不↠軽」等者、釈ス↢論ノ偈ノ之第一行ノ文ヲ↡、文意可シ↠見ツ。
「▲督」 の字の註は、 ¬広韻¼ の詞なり、 同詞 (広韻) にまたいはく、 「察なり、 目痛し、 また姓。」 また ¬玉篇¼ にいはく、 「都谷の切、 正なり、 目痛。」 これらの訓の中に、 いまの釈正と勧との義に叶ふべきか。
「督ノ」字ノ註者、¬広韻ノ¼詞也、同詞ニ又云ク、「察也、目痛シ、又姓。」又¬玉篇ニ¼云ク、「都谷ノ切、正也、目痛也。」此等ノ訓ノ中ニ、今ノ釈可↠叶↢正ト勧トノ義ニ↡耶。
次に 「間雑」 の下 「帰命」 の上に 「▲乃至」 といふは、 ▲「我」 の一字に就きて一の問答を設くる三行余の文これなり。
次ニ「間*雑ノ」之下「帰命ノ」之上ニ言↢「乃至1050ト」↡者、就テ↢「我ノ」一字ニ↡設クル↢一ノ問答ヲ↡之三行余ノ之文是也。
「相応故」 の下 「天親今」 の上に 「▲乃至」 といふは、 ▲¬小経¼ の説によりて阿弥陀如来の名義を解し、 また▲光照に就きて一の問答ありてその利益を顕し、 また▲一仏諸仏世界を主領する広狭を弁じて、 その小乗・大乗所談の差別を明かす等、 十一行余の文これなり。
「相応故ノ」下「天親今ノ」上ニ言↢「乃至ト」↡者、依テ↢¬小経ノ¼説ニ↡解シ↢阿弥陀如来ノ名義ヲ↡、又就テ↢光照ニ↡有テ↢一ノ問答↡顕シ↢其ノ利益ヲ↡、又弁ジテ↧一仏諸仏主↢領スル世界ヲ↡広狭ヲ↥、明ス↢其ノ小乗・大乗所談ノ之差別ヲ↡等、十一行余ノ之文是也。
「之意也」 の下 「問曰」 の上に 「▲乃至」 といふは、 「▲その安楽の義つぶさに下の観察門の中にあり」 といふ十一字なり。
「之意也ノ」下「問曰ノ」之上ニ言↢「乃至」↡者、云フ↣「其ノ安楽ノ義具ニ在ト↢下ノ観察門ノ中ニ↡」十一字也。
「問曰」 とらは、 二の問答あり。 ▲初めの問答の意は、 「願生」 の言に就きて不生の義を顕し、 ▲次の問答は、 往生の義に就きて一異の意を顕す。 註家もとこれ*四論の碩徳なり、 ゆゑに ¬*中論¼ の↓八不の法門によりてこの釈あり。
「問曰」等者、有リ↢二ノ問答↡。初ノ問答ノ意ハ、就テ↢「願生ノ」言ニ↡顕シ↢不生ノ義ヲ↡、次ノ問答者、就テ↢往生ノ義ニ↡顕ス↢一異ノ意ヲ↡。註家本是四論ノ碩徳ナリ、故ニ依テ↢¬中論ノ¼八不ノ法門ニ↡有↢此ノ釈↡也。
↑八不といふは、 ¬中観論¼ の 「観因果品」 (巻一観因縁品) にいはく、 「常ならずまた断ならず、 一ならずまた異ならず、 来らずまた去らず、 *生ならずまた滅ならず。」 以上
言↢八不ト↡者、¬中観論ノ¼「観因果品ニ」云ク、「不↠常ナラ亦不↠断ナラ、不↠一ナラ亦不↠異ナラ、不↠来ラ亦不↠去ラ。」 已上
「▲この義一異を観ずる門なり」 とは、 八不の中に就きてしばらくその一異を明かす。
「是ノ義観ズル↢一異ヲ↡門ナリト」者、就テ↢八不ノ中ニ↡且ク明ス↢其ノ一異ヲ↡。
「▲論の中に委曲なり」 とは、 かの ¬論¼ を指すなり。 あるいはまた連読して観一異門論と読むべしといふ一義あり、 これ所説の法門に就きて ¬十二門論¼ および ¬中観論¼ この名を得べしと 云々。
「論ノ中ニ委曲ナリト」者、指↢彼ノ¬論ヲ¼↡也。或又連読シテ有リ↧云フ↠可ト↠読↢観一異門論ト↡之一義↥、是就テ↢所説ノ法門ニ↡¬十二門論¼及ビ¬中観論¼可ト↠得↢此ノ名ヲ↡ 云云。
「我依」 の四句の偈の▲前▲後に 「乃至」 といふは、 これ△優婆提舎の名を成じ、 また△上を成じ下を起すことを解する釈、 上にこれを出だし訖りぬ。
「我依ノ」四句ノ偈ノ之前後ニ言↢「乃至ト」↡者、是成ジ↢優*波提舎ノ之名ヲ↡、又解スル↢成ジ↠上ヲ起スコトヲ↟下ヲ之釈、上ニ出シ↠之ヲ訖ヌ。
問ふ。 この 「我依修」 の一四句偈、 ▲上にすでにこれを引く、 当巻の中に重ねてこれを引かるる、 繁重の失遁れがたし、 いかん。
問。此ノ「我依修ノ」一四句偈、上ニ既ニ引ク↠之ヲ、当巻ノ之中ニ重テ被ル↠引之ヲ、繁重之失難シ↠遁レ、如何。
答ふ。 まことにもつてしかなり。 ▼ただしこの文体もとよりただこれ文集の体なり。 よりて当用の時繁重を憚らざることこの文に限らず。 余処にまた重引の例あり。 みな準拠すべし。 ただいささかその差別なきにあらざるか。 いはく上の所引は、 龍樹・天親鉤鎖してこれを引く。 よりてただ ¬論¼ に限る。 いまの所引は ¬註¼ を引く時 ¬論¼ を載せずはその義顕れがたし、 このゆゑにこれを引く。 本論と ¬註¼ と所引別なり。
答。誠ニ以テ爾也。但シ此ノ文体自↠元只是文集ノ体也。仍テ当用ノ時不ルコト↠憚ラ↢繁重1051ヲ↡不↠限↢此ノ文ニ↡。余処ニ又有リ↢重引之例↡。皆可シ↢準拠ス↡。但聊非ル↠无ニ↢其ノ差別↡歟。謂ク上ノ所引ハ、龍樹・天親鉤鎖シテ引ク↠之ヲ。仍テ唯限ル↠¬論ニ¼。今ノ所引者引ク↠¬註ヲ¼之時不ズ↠載セ↠¬論ヲ¼者其ノ義難シ↠顕シ、是ノ故ニ引ク↠之ヲ。本論与↠¬註¼所引別也。
▲「*十二部経の中に」 とらは、
「十二部経ノ中ニ」等者、
問ふ。 「十二部」 とはその相いかん。
問。「十二部ト」者其ノ相如何。
答ふ。 十二の名義、 諸典にこれを解す。 その中にしばらく*戒度律師の ¬正観記¼ (巻下) の説を出だす、 かの記の文 (下) にいはく、 「いま ¬大論¼ によりて略して梵語を出だす。 一には修多羅、 ここには法本といふ、 また契経といふ。 二には祇夜、 ここには重頌といふ。 三には和伽羅那、 ここには授記といふ。 四には伽陀、 ここには孤起偈といふ。 五には優陀那、 ここには無問自説といふ。 六には尼陀那、 ここには因縁という。 七には阿波陀那、 ここには譬喩といふ。 八には伊帝曰多伽、 ここには本事といふ。 九には闍陀伽、 ここには本生といふ。 十には毘仏略、 ここには方広といふ。 十一には阿浮陀達摩、 ここには未曽有といふ。 十二には優婆提舎、 ここには論義といふ。 最初の修多羅は、 名に通別あり。 通はすなはち十二部みな修多羅といふ。 別はすなはち十二部の中に第一これなり。」 以上 いま直説といふすなはち第一なり。
答。十二ノ名義、諸典ニ解ス↠之ヲ。其ノ中ニ且ク出ス↢戒度律師ノ¬正観記ノ¼説ヲ↡、彼ノ記ノ文ニ云ク、「今依テ↢¬大論ニ¼↡略シテ出ス↢梵語ヲ↡。一ニハ修多羅、此ニハ云↢法本ト↡、亦云フ↢契経ト↡。二ニハ祇夜、此ニハ云フ↢重頌ト↡。三ニハ和伽羅那、此ニハ云フ↢授記ト↡。四ニハ伽陀、此ニハ云フ↢孤起偈ト↡。五ニハ優陀那、此ニハ云↢無問自説ト↡。六ニハ尼陀那、此ニハ云↢因縁ト↡。七ニハ阿波陀那、此ニハ云↢譬喩ト↡。八ニハ伊帝曰多伽、此ニハ云フ↢本事ト↡。九ニハ闍陀伽、此ニハ云↢本生ト↡。十ニハ毘仏略、此ニハ云↢方広ト↡。十一阿浮陀達摩、此ニハ云↢未曽有ト↡。十二ニハ優婆提舎、此ニハ云↢論義ト↡。最初ノ修多羅ハ、名ニ有↢通別↡。通ハ則十二部皆云フ↢修多羅ト↡、別ハ乃十二部ノ中ニ第一是也。」 已上 今云フ↢直説ト↡即第一也。
「摂多」 の下 「願名」 の上に 「▲乃至」 といふは、 ▲「偈」 の字の釈なり。
「摂多ノ」之下「願名ノ」之上ニ言↢「乃至ト」↡者、「偈ノ」字ノ釈也。
「往生」 の下 「与仏」 の上に 「▲乃至」 といふは、 ▲「説」 と 「総持」 との釈なり。
「往生ノ」之下「与仏」之上ニ言↢「乃至ト」↡者、「説ト」「総持トノ」釈ナリ。
「相称也」 の下に 「▲乃至」 といふは、 五念門の中、 観察以下乃至下巻の解義分の釈十重の中に、 第二の起観生信の内初めの四門なり。
「相称也ノ」下ニ言↢「乃至ト」↡者、五念門ノ中、観察已下乃至下巻ノ解義分ノ釈十重ノ之中ニ、第二ノ起観生信ノ之内初ノ四門也。
▲「云何」 とらは、 第五の回向の釈なり。 中において初めより 「大悲心故」 に至るまでの二十七字は、 本論の文、 ▲「回向有」 の下の四十一字は、 註釈ならくのみ。
「云何ト」等者1052、第五ノ廻向ノ之釈也。於テ↠中ニ自↠初至マデノ↢「大悲心故ニ」↡二十七字ハ、本論ノ之文、「廻向有ノ」下四十一字ハ、註釈而已。
問ふ。 五念の中において回向を引かば、 一段の文つぶさにこれを引くべし。 なんぞ還相回向の釈を略すや。
問。於テ↢五念ノ中ニ↡引カ↢廻向ヲ↡者、一段ノ之文具ニ可シ↠引ク↠之ヲ。何ゾ略ス↢還相回向ノ釈ヲ↡耶。
答ふ。 当巻の初めにいはく、 「▲謹んで往相の回向を按ずるに、 大行あり大信あり。 大行とはすなはち無礙光如来の名を称するなり。」 以上 いま往相に就きて明かすところかくのごとし、 よりてしばらくこれを略す。
答。当巻ノ初ニ云ク、「謹デ按ズルニ↢往相ノ回向ヲ↡、有リ↢大行↡有リ↢大信↡。大行ト者則称スルナリ↢無光如来ノ名ヲ↡。」 已上 今就テ↢往相ニ↡所↠明ス如シ↠此ノ、仍テ且ク略ス↠之ヲ。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『安楽集』四文
【22】▲次の所引の文 ¬安楽集¼ は、 上下二巻、 綽公の述なり。 いまこの集において総じて十二の大門ある中に、 上巻第一大門の内、 また九門あり。 その中に第四に諸経の宗旨の不同を弁ずる次いでに、 ¬*観仏経¼ を引きて三種の益を説く。 ▲その第三の益念仏たるがゆゑに、 いまことさらこれを引く。
次ノ所引ノ文¬安楽集¼者、上下二巻、綽公ノ述也。今於テ↢此集ニ↡総ジテ有ル↢十二ノ大門↡之中ニ、上巻第一大門ノ之内、又有リ↢九門↡。其ノ中ニ第四ニ弁ズル↢諸経ノ宗旨ノ不同ヲ↡之次デニ、引テ↢¬観仏経ヲ¼↡説ク↢三種ノ益ヲ↡。其ノ第三ノ益為ガ↢念仏↡故ニ、今故ラ引ク↠之ヲ。
¬*観仏三昧経¼ は*覚賢三蔵の訳、 これ第一巻 「観地品」 の文、 いまの所引当章を尽す。
¬観仏三昧経ハ¼覚賢三蔵ノ訳、是第一巻「観地品ノ」文、今之所引尽↢当章ヲ↡也。
【23】▲次の所引は下巻の文なり。 第四大門に三番の料簡ある中に、 第三に問答解釈して念仏三昧に種々の利益あることを顕すにその五番あり。 その中に第二番の釈なり。
次ノ所引者下巻ノ文也。第四大門ニ有ル↢三番ノ料簡↡中ニ、第三ニ問答解釈シテ顕スニ↣念仏三昧ニ有コトヲ↢種種ノ利益↡有↢其ノ五番↡。其ノ中ニ第二番ノ釈也。
その初めの文 (安楽集巻下) にいはく、 「▲第二に問ひていはく、 もし常に念仏三昧を修することを勧めば、 余の三昧とよく階降ありやいなや。 ◆答へていはく、 念仏三昧の勝相不可思議なり。 これいかんぞ知らん。」 以上 以下の文言いまの所引のごとし。
其ノ初ノ文ニ云ク、「第二ニ問テ曰ク、若シ勧メバ↣常ニ修スルコトヲ↢念仏三昧ヲ↡、与↢余ノ三昧↡能ク有リヤ↢*階降↡以不ヤ。答テ曰、念仏三昧ノ勝相不可思議ナリ。此レ云何ゾ知ラン。」 已上 已下ノ文言如シ↢今ノ所引↡。
「▲摩訶衍」 とは、 いま ¬大論¼ を指す、 第七巻の文なり。 文の意見やすし。
「摩訶衍ト」者、今指ス↢¬大論ヲ¼↡、第七巻ノ文ナリ。文ノ意易シ↠見。
【24】▲次に引くところの ¬大経の讃¼ は、 第五大門に四番の料簡ある中に、 第一にひろく修道の延促を明かす段に安ずるところの讃、 鸞師の所造、 流通の文の意なり。
次1053ニ所ノ↠引ク之¬大経ノ讃¼者、第五大門ニ有ル↢四番ノ料簡↡中ニ、第一ニ汎ク明ス↢修道ノ延促ヲ↡之段ニ所ノ↠安ズル之讃、鸞師ノ所造、流通ノ文ノ意ナリ。
【25】▲次の所引はまた上巻の文。 第三大門に四番の料簡ある中の、 第四に聖教を引きて証成して信を勧めて生ぜんことを求めしむるに、 始めに ¬観仏三昧経¼ の文を引き、 後に ¬*目連所問経¼ の文を引く。 いまの所引はこれ後の文なり。
次ノ所引ハ者又上巻ノ文。第三大門ニ有ル↢四番ノ料簡↡中ノ、第四ニ引テ↢聖教ヲ↡証成シテ勧メテ↠信ヲ求シムルニ↠生ゼンコトヲ、始ニ引キ↢¬観仏三昧経ノ¼文ヲ↡、後ニ引ク↢¬目連所問経ノ¼文ヲ↡。今ノ之所引ハ是後ノ文也。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『礼讃』五文
【26】▲次に*光明寺の和尚の釈は、 ¬往生礼讃¼ の前序の文なり。
次ニ光明寺ノ和尚ノ釈者、¬往生礼讃ノ¼前序ノ文也。
問ふ。 かの ¬礼讃¼ の中に ¬*文殊般若¼ を引く。 その要何事ぞや。
問。彼ノ¬礼讃ノ¼中ニ引ク↢¬文殊般若ヲ¼↡。其ノ要何事ゾヤ耶。
答ふ。 上につぶさに▲*三心・▲*五念および▲*四修を釈成しをはりて、 かの*安心・*起行・*作業ことごとく称名の一行たる義を結すとして、 かの ¬経¼ の*一行三昧の文を引用すらくのみ。
答。上ニ具ニ釈↢成シ三心・五念及ビ四修ヲ↡已テ、結ストシテ↧彼ノ安心・起行・作業悉ク為ル↢称名ノ一行↡之義ヲ↥、引↢用スラク彼¬経ノ¼一行三昧ノ之文ヲ↡而已。
問ふ。 いまの所引に就きて二の不審あり。
問。就テ↢今ノ所引ニ↡有リ↢二ノ不審↡。
一にいはく、 かの ¬経¼ の説を見るに二重の義あり。 初め (文殊般若経巻下) にいはく、 「仏のたまはく、 *法界一相なり。 縁を法界に繋ぐ、 これを一行三昧と名づく。 まさにまづ般若波羅密を聞きて説のごとく修学すべし、 しかして後よく一行三昧に入りて、 法界のごとく不退・不壊・不思議・無礙・無相を縁ず。」 以上 後の所説はいまの所用なり。 ただ文いささか違す。 この二義を説きてまた結しをはりて (文殊般若経巻下) いはく、 「かくのごときの一行三昧は、 かならず恒沙の仏法界無差別の相を知る。」 以上 かくのごときとらは、 一念法界といひ、 無差別相といふ。 これ ¬経¼ の本意なり。 なんぞ称名に限りて一行といふや。
一云、見ニ↢彼ノ¬経ノ¼説ヲ↡有リ↢二重ノ義↡。初ニ云ク、「仏言ハク、法界一相ナリ。繋グ↢縁ヲ法界ニ↡、是ヲ名↢一行三昧ト↡。当ニ↧先ヅ聞テ↢般若波羅蜜ヲ↡如ク↠説ノ修学ス↥、然シテ後能ク入テ↢一行三昧ニ↡、如ク↢法界ノ↡縁ズ↢不退・不壊・不思議・無・無相ヲ↡。」 已上 後ノ所説者今ノ所用也。但文聊違ス。説テ↢此ノ二義ヲ↡又結シ已テ云ク、「如ノ↠是ノ一行三昧者、要ズ知ル↢恒沙ノ仏法界无差別ノ相ヲ↡。」 已上 如キト↠此ノ等者、云ヒ↢一念法界ト↡、云フ↢无差別相ト↡。是¬経ノ¼本意ナリ。何ゾ限テ↢称名ニ↡云↢一行ト↡耶。
二にいはく、 経説のごとく (文殊般若経巻下) は、 「▲空閑に処してもろもろの乱意を捨てて、 相貌を取らず、 心を一仏に繋けてもつぱら名字を称し、 仏の方所に随ひて端身正向し、 よく一仏を持ちて念々に相続すべし。」 以上 ただ一仏といひて弥陀といはず。 なんぞ相違するや。
二ニ云ク、如↢経説ノ↡者1054、「応シ↧処シテ↢空閑ニ↡捨テヽ↢諸ノ乱意ヲ↡、不↠取↢相貌ヲ↡、繋テ↢心ヲ一仏ニ↡専ラ称シ↢名字ヲ↡、随テ↢仏ノ方所ニ↡端身正向シ、能ク持テ↢一仏ヲ↡念々ニ相続ス↥。」 已上 唯云テ↢一仏ト↡不↠謂↢弥陀ト↡。何ゾ相違スルヤ耶。
答ふ。 まづ初めの疑を決せば、 ¬経¼ に理観・専称の二重あり、 おのおの所用によりてその一義を取る、 なんの相違かあらん。 このゆゑに天台は上の理観に約してかの常行三昧の下においてこれを引く。 今師は下の専称に約してこれを引く。 経に二重を説くこと、 おのおの機縁に被らしむ。
答。先决セバ↢初ノ疑ヲ↡、¬経ニ¼有リ↢理観・専称ノ二重↡、各依テ↢所用ニ↡取ル↢其ノ一義ヲ↡、有ラン↢何ノ相違カ↡。是ノ故ニ天臺ハ約シテ↢上ノ理観ニ↡於テ↢彼ノ常行三昧ノ之下ニ↡引ク↠之ヲ。今師ハ約シテ↢下ノ専称ニ↡引ク↠之ヲ。経ニ説コト↢二重ヲ↡、各被シム↢機縁ニ↡。
次に後の疑を決せば、 経文の中に、 名を指さずといへども、 意は弥陀にあり。 これによりて天台は釈して (止観巻二上) 「ただもつぱら弥陀をもつて法門の主となす」 といひ、 妙楽は (輔行巻二) また 「ゆゑに西方をもつてしかも一準となす」 といふ。 いかにいはんや大師諸仏といふをもつてすでに弥陀に被らしむ、 もつともその意あり。 ¬般舟経¼ (巻下勧助品 一巻本勧助品) の中に 「過去の諸仏この三昧を持ちて」 とら説くといへども、 ▲¬観念法門¼ に阿弥陀の三字を加ふる、 これまたその義なり。
次ニ决セバ↢後ノ疑ヲ↡、経文ノ之中ニ、雖↠不ト↠指サ↠名ヲ意ハ在リ↢弥陀ニ↡。依↠之ニ天臺ハ釈シテ云ヒ↧「但専ラ以テ↢弥陀ヲ↡為スト↦法門ノ主ト↥」、妙楽ハ又云フ↧「故ニ以テ↢西方ヲ↡而モ為スト↦一准ト↥。」何ニ況ヤ大師以テ↠謂ヲ↢諸仏ト↡既ニ被シム↢弥陀ニ↡、尤モ有リ↢其ノ意↡。¬般舟経ノ¼中ニ雖↠説ト↧「過去ノ諸仏持テト↢是ノ三昧ヲ↡」等↥、¬観念法門ニ¼加フル↢「阿弥陀ノ」三字ヲ↡、是又其ノ義ナリ。
問ふ。 ¬文殊般若¼ 二重の問答に就きて、 ▲初重の問の意見つべし。 ▲答の中に 「専称名字」 といふに至るまでは、 これ前の問に対す。 ▲「正由」 以下問に余るか、 いかん。
問。就テ↢¬文殊般若¼二重ノ問答ニ↡、初重ノ問ノ意可シ↠見ツ。答ノ中ニ至マデハ↠云ニ↢「専称名字ト」↡、是対ス↢前ノ問ニ↡。「正由」以下余ル↢于問ニ↡歟、如何。
答ふ。 これ仏意を探りてかくのごとくこれを釈す。 これ仏の密意凡夫往生の直路を開くにあり。 あるいは (般舟讃) 「▲種々の方便を説きて教門一にあらざることは、 ただわれら倒見の凡夫のためなり」 といい、 あるいは (玄義分) 「▲諸仏の大悲は苦者においてす」 といい、 あるいは (般舟讃) 「▲門々見仏して浄土に生ずることを得」 といふ。 処々の解釈みなこの意を帯す。 貴むべし貴むべし。
答。是探テ↢仏意ヲ↡如ク↠此ノ釈ス↠之ヲ。是仏ノ密意在リ↠開ニ↢凡夫往生ノ直路ヲ↡。或ハ云ヒ↧「説テ↢種種ノ方便ヲ↡教門非コトハ↠一ニ、但為ナリト↦我等倒見ノ凡夫ノ↥」、或ハ云ヒ↣「諸仏ノ大悲ハ於スト↢苦者ニ↡」、或ハ云フ↢「門々見仏シテ得ト↟生ズルコトヲ↢浄土ニ↡。」処々ノ解釈皆帯ス↢此ノ意ヲ↡、可↠貴可↠貴。
▲次の問答の中に、 その問の詞においてその意趣を含む。
次ノ問答ノ中ニ、於テ↢其ノ問ノ詞ニ↡含ム↢其ノ意趣ヲ↡。
一には ¬観経¼ に 「▲もし他観するをば名づけて邪観となす」 と説く、 所観の境に違するはこれ邪観なるがゆゑに。 もし弥陀を見るにもし諸仏を見るは、 あに邪にあらずや。
一ニハ¬観経ニ¼説ク↢「若シ他観スルヲバ者名テ為スト↢邪観ト↡」、違1055スルハ↢所観ノ境ニ↡是邪観ナルガ故ニ。若シ見ニ↢弥陀ヲ↡若シ見ルハ↢諸仏ヲ↡、豈非↠邪ニ耶。
二には多仏を見ばその義これ多行三昧に当る。 その理すでに一行三昧にあらず。 答の言の中に 「▲仏々斉しく証して形二別なし」 といふに、 二の難ともに消す、 その義見やすし。
二ニハ見バ↢多仏ヲ↡其ノ義是当ル↢多行三昧ニ↡。其ノ理已ニ非ズ↢一行三昧ニ↡。答ノ言ノ中ニ云ニ↣「仏々斉ク証シテ形無ト↢二別↡」、二ノ難共ニ消ス、其ノ義易シ↠見。
次に 「▲また観経にいふがごとし」 といふは、 一行三昧尊称の義ただ ¬文殊般若経¼ の説のみにあらず。 この ¬観経¼ においてまたその説あり。 これすなはち随他の前には諸行を説くといへども、 随自の後には念仏の義を説く、 この ¬経¼ の説をもつてかの ¬経¼ の意を知る。
次ニ言↣「又如ト↢観経ニ云ガ↡」者、一行三昧尊称ノ之義非ズ↢唯¬文殊般若経ノ¼説ノミニ↡。於テ↢此ノ¬観経ニ¼↡又有リ↢其ノ説↡。是則随他ノ之前ニハ雖↠説ト諸行ヲ、随自ノ之後ニハ説ク↢念仏ノ義ヲ↡、以テ↢此ノ¬経ノ¼説ヲ↡知ル↢彼ノ¬経ノ¼意ヲ↡。
▲「問曰一切諸仏」 とらは、 ¬文殊般若¼ と ¬観経¼ とを相対してこの問を致すなり。 いわゆるすでに 「△仏々斉しく証して形二別なし、 たとひ一を念じて多を見るともなんの大道理にか乖かん」 といふなり、 これ ¬文殊般若¼ の意を述ぶ。 しかるに問の意は、 ¬観経¼ のごときは、 ひとへに西方を歎じて余の九域を簡ふ、 このゆゑに上に▲面を西方に向ふることを勧む、 しかればなんぞ相違の説をもつて一義を成ずるや。 これ問の意趣なり。
「問曰一切諸仏ト」等者、相↢対シテ¬文殊般若ト¼¬観経トヲ¼↡致↢此ノ問ヲ↡也。所謂已ニ云フ↧「仏々斉ク証シテ形无シ↢二別↡縦使ヒ念ジテ↠一ヲ見トモ↠多ヲ乖カント↦何ノ大道理ニカ↥」也、是述ブ↢¬文殊般若ノ¼之意ヲ↡。而ニ問ノ意者、如↢¬観経ノ¼↡者、偏ニ歎ジテ↢西方ヲ↡簡フ↢余ノ九域ヲ↡、是ノ故ニ上ニ勧ム↣面ヲ向フルコトヲ↢西方ニ↡、然者何ゾ以テ↢相違之説ヲ↡成↢一義ヲ↡耶。是問ノ意趣ナリ。
▲答の詞の中に就きて、
就テ↢答ノ詞ノ中ニ↡、
問ふ。 すでに仏々平等の義をもつて判じて平等是一といふ、 なんぞ ▲「若以願行」 とらいふや。
問。既ニ以テ↢仏々平等ノ之義ヲ↡判ジテ云フ↢平等是一ト↡、何ゾ云↢「若以願行ト」等↡耶。
答ふ。 果平等なるがゆゑに勝劣なしといへども、 因差別せるがゆゑにすなはち 「▲本発深重誓願」 といふ。 これをもつて ¬大乗止観¼ の下 (巻四) にいはく、 「もし我執を離れて心体平等を証得する時は、 実に十方三世の異なし。 ただしもと因地にありていまだ我執を離れざる時、 各別に願を発しておのおの浄土を修し、 おのおの衆生を化す、 かくのごときらの業差別不同なり、 浄心に薫ずれば心性別薫の力によりて、 ゆゑにこの十方三世諸仏の依正二報相別なることを現ず。 真如の体にこの差別の相ありといふにはあらず、 この義をもつてのゆゑに一切諸仏、 常同常別なること古今法爾なり。」 以上
答。果平等ナルガ故ニ雖↠无ト↢勝劣↡、因差別セルガ故ニ即云フ↢「本発深重誓願ト」↡。是ヲ以テ¬大乗止観ノ¼下ニ云、「若シ離テ↢我執ヲ↡証↢得スル心体平等ヲ↡之時ハ、実ニ无シ↢十方三世ノ之異↡。但シ本在テ↢因地ニ↡未↠離↢我執ヲ↡時、各別ニ発シテ↠願ヲ各修シ↢浄土ヲ↡、各化ス↢衆生ヲ↡、如↠是ノ等ノ業差別不同ナリ、薫ズレバ↢於浄心ニ↡心性依テ↢別薫ノ之力ニ↡、故ニ現ズ↢此ノ十方三世諸仏ノ依正二報相別ナルコトヲ↡。非1056ズ↠謂ニハ↣真如之体ニ有ト↢此ノ差別之相↡、以ノ↢是ノ義ヲ↡故ニ一切ノ諸仏、常同常別ナルコト古今法爾ナリ。」 已上
▲「光明名号をもつて」 とらいふは、 六八願の中に、 十二・十三両願の意なり。
言↧「以テト↢光明名号ヲ↡」等↥者、六八願ノ中ニ、十二・十三両願ノ意也。
¬大集経¼ に 「諸仏出世して種々の益あり。 光明・名号・神通・説法なり。 ただその中において、 此土の教主は、 神通・説法その利ことに親し。 浄土の弥陀は光明・名号その益なほ勝れたり」 と説く。
¬大集経ニ¼説ク↧「諸仏出世シテ有リ↢種々ノ益↡。光明・名号・神通・説法ナリ。但於テ↢其ノ中ニ↡、此土ノ教主ハ、神通・説法其ノ利殊ニ親シ。浄土ノ弥陀ハ光明・名号其ノ益猶勝タリト」↥。
▲「但使」 とらは、 十八の願の意。 「▲信心」 といふは至心信楽。 ▲「上尽」 とらは、 乃至十念。 「▲仏願力」 とは、 *若不生者の誓願の意。 「▲易得往生」 はすなはちこれ願力成就のゆゑなり。
「但使ト」等者、十八ノ願ノ意。言↢「信心ト」↡者至心信楽。「上尽ト」等者、乃至十念。「仏願力ト」者、若不生者ノ誓願ノ之意。「易得往生ハ」即是願力成就ノ故也。
▲「亦非」 とらは、 諸仏にまた除障滅罪随分の益あり、 しかるも往生の益はただ弥陀にあり。
「亦非ト」等者、諸仏ニ亦有リ↢除障滅罪随分之益↡、然モ往生ノ益ハ唯在リ↢弥陀ニ↡。
▲「若能如上念々」 とらは、 これ専雑二修の得失を明かす。 ただしいまの所引徳を挙げて失を略す。
「若能如上念々ト」等者、是明ス↢専雑二修ノ得失ヲ↡。但シ今ノ所引挙テ↠徳ヲ略ス↠失ヲ。
「▲如上」 といふは、
言「如上ト」者、
問ふ。 三心・五念・四修、 みなことごとく具足すべきか、 随一の往生これを許すべきや。
問。三心・五念・四修、皆悉ク可↢具足ス↡歟、随一ノ往生可↠許↠之ヲ耶。
答ふ。 一義にいはく、 ことごくこれを具すべし。 もし具せずは往生すべからず。 一義にいはく、 いま上輩求生浄土断貪瞋の機に約す。 一切の行者いまだかならずしもことごとくしからずして、 いはゆる*二河の白道の喩の中に、 すでに (散善義) 「▲水火あひ交はりて常に休息することなし」 といふ。 かくのごときの機においていかでか上のごとくならんや。
答。一義ニ云ク、悉ク可シ↠具ス↠之ヲ。若シ不↠具セ者不↠可↢往生ス↡。一義ニ云ク、今約ス↢上輩求生浄土断貪*嗔ノ機ニ↡。一切ノ行者未シテ↢必シモ悉ク然ラ↡、所謂二河ノ白道ノ喩ノ中ニ、既ニ云フ↣「水火相交テ常ニ无シト↢休息スルコト↡。」於テ↢如ノ↠此ノ機ニ↡争カ如ナラン↠上ノ耶。
「▲念々相続」 は*無間修の義、 「▲畢命為期」 は*長時修の義なり。 ただし自力を励まば念々に続きがたし。 他力の益によらば自然に相続して 「▲十即十生百即百生」 せん。 これ仏願不虚の益を顕す。 これすなはち▲荘厳所求満足功徳成就のゆゑならくのみ。
「念念相続ハ」无間修ノ義、「畢命為期ハ」長時修ノ義ナリ。但シ励マバ↢自力ヲ↡念々ニ難シ↠続キ。依ラバ↢他力ノ益ニ↡自然ニ相続シテ「十即十生百即百生セン」。是顕ス↢仏願不虚ノ之益ヲ↡。是則荘厳所求満足功1057徳成就ノ之故而已。
▲第一の得は、 「外」 とは助業、 正定業の外。 「雑」 とは雑業、 ただ助業のみにあらず、 広く雑行に亘る。 その 「雑」 の言は 「正」 に対し 「専」 に対す、 ともに 「雑」 と称するがゆゑに。 「縁」 とは三あり、 いはく教と人と処となり。
第一ノ得者、「外ト」者助業、正定業ノ外。「雑ト」者雑業、非ズ↢唯助業ノミニ↡広ク亘ル↢雑行ニ↡。其ノ「雑ノ」言者対シ↠「正ニ」対ス↠「専ニ」、共ニ称スルガ↠「雑ト」故ニ。「縁ト」者有リ↠三、謂ク教ト人ト処トナリ。
▲第二の得は、 弥陀仏の本願に順ずる義。
第二ノ得者、順ズル↢弥陀仏ノ本願ニ↡之義。
▲第三の得は、 釈迦如来の教に違せざる義。
第三ノ得者、不ル↠違セ↢釈迦如来ノ教ニ↡義。
▲第四の得は、 六方諸仏の語に随順する義。
第四ノ得者、随↢順スル六方諸仏ノ語ニ↡義。
おのおのその文にあり。 つぶさに述ぶるに遑あらず。
各在リ↢其ノ文ニ↡。不↠遑アラ↢具ニ述ニ↡。
【27】▲「またいはく唯観念仏」 とらは、 同じき六時の中に日没の ¬礼讃¼ の弥陀礼の註、 肝要の文なり。
「又云唯観念仏ト」等者、同キ六時ノ中ニ日没ノ¬礼讃ノ¼弥陀礼ノ註、肝要ノ文也。
¬観経¼ に説きていはく、 「▲光明あまねく十方世界の念仏の衆生を照らして、 摂取して捨てたまはず。」 以上
¬観経ニ¼説テ云ク、「光明遍ク照シテ↢十方世界ノ念仏ノ衆生ヲ↡、摂取シテ不↠捨タマハ。」 已上
¬弥陀経¼ にいはく、 「▲かの仏の光明無量にして、 十方国を照らすに障礙するところなし。 ゆゑに阿弥陀と名づく。」 以上
¬弥陀経ニ¼云ク、「彼ノ仏ノ光明無量ニシテ、照ニ↢十方国ヲ↡无シ↠所↢障スル↡。故ニ名ク↢阿弥陀ト↡。」 已上
二経を引き合はせてその名義甚深の利益を顕す。 いはゆる ¬観経¼ に摂取不捨の益を説くといへども、 いまだ弥陀の名義の徳を顕さず。 ¬阿弥陀経¼ に弥陀の名義の徳を説くといへども、 いまだ摂取不捨の益を顕さず。 このゆゑに ¬小経¼ 所説の徳、 無所障礙の光明は、 摂取不捨の益を施さんがためなることを顕さんがために、 かくのごとく合説す。 その義知るべし。
引↢合テ二経ヲ↡顕ス↢其ノ名義甚深ノ利益ヲ↡。所謂¬観経ニ¼雖↠説ト↢摂取不捨之益ヲ↡、未ダ↠顕↢弥陀ノ名義ノ之徳ヲ↡。¬阿弥陀経ニ¼雖↠説ト↢弥陀ノ名義之徳ヲ↡、未ダ↠顕↢摂取不捨之益ヲ↡。是ノ故ニ為ニ↠顕ンガ↢¬小経¼所説ノ之徳、无所障之光明者、為ナルコトヲ↟施サンガ↢摂取不捨ノ之益ヲ↡、如ク↠此ノ合説ス。其ノ義応↠知。
【28】▲次の三偈は、 共にこれ初夜の ¬礼讃¼ の文、 ¬大経¼ の採集要文の釈なり。
次ノ三偈者、共ニ是初夜ノ¬礼讃ノ¼之文、¬大経ノ¼採集要文ノ釈也。
その中に▲初めの偈は、 本経 (大経巻下) の 「▲如来智慧海」 の一四句偈、 「▲其仏本願力」 の一四句偈を採集する解釈なり。 ¬経¼ には 「如来」 といひ釈には 「弥陀」 といふ。 これ諸仏すなはちこれ弥陀、 弥陀すなはちこれ諸仏なる義を示すなり。
其ノ中ニ初ノ偈ハ、採↢集スル本経ノ「如来智恵海ノ」一四句偈、「其仏本願力ノ」一四句偈ヲ↡之解釈也。¬経ニハ¼云ヒ↢「如来ト」↡釈ニハ云フ↢「弥陀ト」↡。是示ス↢諸仏即是弥陀、弥陀乃是諸仏ナル義1058ヲ↡也。
¬観経¼ には説きて 「▲諸仏如来はこれ法界の身なり」 といひ、 ¬礼讃¼ には釈して 「▲弥陀の身心法界に遍ず」 とらいふ。 みなこの義なり。
¬観経ニハ¼説テ云ヒ↢「諸仏如来ハ是法界ノ身ナリト」↡、¬礼讃ニハ¼釈シテ云フ↧「弥陀ノ身心遍スト↢法界ニ↡」等↥。皆此ノ義也。
▲次の二偈その意見つべし。
次ノ之二偈其ノ意可シ↠見。
【29】▲「またいはく現にこれ生死」 とらは、 同じき発願の文、
「又云ク現ニ是生死ト」等者、同キ発願ノ文、
あるいは観念の時、 あるいは睡眠の時、 心を勧め願を発して仏を称する時、 唱ふべき言なり。 かの ¬書¼ に ¬経¼ を引きてほぼ*五種の増上縁を明かす中に、 当段はこれ*見仏縁を明かす釈なり。
或ハ観念ノ時、或ハ睡眠ノ時、勧メ↠心ヲ発シテ↠願ヲ称スル↠仏ヲ之時、可キ↠唱フ言也。彼ノ¬書ニ¼引テ↠¬経ヲ¼粗明ス↢五種ノ増上縁ヲ↡中ニ、当段ハ是明ス↢見仏縁ヲ↡釈ナリ。
すなはち次下 (礼讃) にいはく、 「▲弥陀仏の身相光明を識らず。 願はくは仏の慈悲弟子に身相、 観音・勢至等の相を示現したまへ。 ◆この語を道ひをはりて一心正念に、 すなはち意に随ひて観に入り、 および睡れ。 あるいはまさしく願を発す時すなはちこれを見ることを得ることあり。 あるいは睡眠の時見ることを得ることあり。 不至心をば除く。 この願このごろおほきに現験あり。」 以上
則次下ニ云ク、「不↠識ラ↢弥陀仏ノ身相光明ヲ↡。願クハ仏ノ慈悲示↢現タマヘ弟子ニ身相、観音・勢至等ノ相ヲ↡。噵ヒ↢此ノ語ヲ↡已テ一心正念ニ、即随テ↠意ニ入リ↠観ニ、及ビ睡レ。或ハ有リ↢正ク発ス↠願ヲ時即得コト↟見コトヲ↠之ヲ。或ハ有リ↢睡眠ノ時得コト↟見コトヲ。除ク↢不至心ヲバ↡。此ノ願此来大ニ有リ↢現験↡。」 已上
【30】▲次の所引等、 しかしながら本文のごとし。
次ノ所引等、併ラ如シ↢本文ノ↡。
▲初めの一の問答は*滅罪縁を明かし、 ▲¬*十往生経¼ および ▲¬観経¼ の説は*護念縁を明かす。
初ノ一ノ問答ハ明シ↢滅罪縁ヲ↡、¬十往生経¼及ビ¬観経ノ¼説ハ明ス↢護念縁ヲ↡。
問ふ。 ¬観経¼ に護念の益を説く文を見ず、 いかん。
問。¬観経ニ¼不↠見↧説ク↢護念ノ益ヲ↡之文ヲ↥、如何。
答ふ。 普観の文 (観経) にいはく、 「▲無量寿仏化身無数なり。 観世音・大勢至と↓常にこの行人の所に来至す。」 以上 この文によるなり。
答。普観ノ文ニ云ク、「无量寿仏化身无数ナリ。与↢観世音・大勢至↡常ニ来↢至ス此ノ行人ノ之所ニ↡。」 已上 依↢此ノ文ニ↡也。
問ふ。 菩薩といへども*二十五を挙げず、 来至といふといへども護念をいはず、 いかん。
問。雖↠言ト↢菩薩ト↡不↠挙↢廿五ヲ↡、雖↠言ト↢来至ト↡不↠謂↢護念ヲ↡、如何。
答ふ。 五々の菩薩は極楽の聖衆、 観音・勢至はその上首を挙ぐ、 かならずこれあるべきこと理在絶言。 また↑常来といふは不離の義、 不離はすなはちこれ護念の義なり。
答。五々ノ菩薩ハ極楽ノ聖衆、観音・勢至ハ挙グ↢其ノ上首ヲ↡、必可コト↠有↠之理在絶言。又云ハ↢常来ト↡不離ノ之義、不離ハ即是護念ノ義也。
▲次に ¬大経¼ の文、 第十八の願取意の文、 *摂生縁を明かす。 摂生といふは、 すなはちこれ往生、 如来摂取衆生の義なり。
次ニ¬大経ノ¼文、第十八ノ願取意ノ之文1059、明ス↢摂生縁ヲ↡。言↢摂生ト↡者、即是往生、如来摂取衆生ノ義也。
問ふ。 第十八の願、 至心等の*三信をもつて要となす、 なんぞ 「至心信楽」 (大経巻上) の句を除きていま 「▲称我名号」 の句を加ふるや。 この句願文にこれなし、 いかん。
問。第十八ノ願、以テ↢至心等ノ三信ヲ↡為ス↠要ト、何ゾ除テ↢「至心信楽」之句ヲ↡今加ル↢「称我名号ノ」句ヲ↡耶。此ノ句願文ニ无シ↠之レ、云何。
答ふ。 ここに深意あり、 いまいふところの称我名号は、 すなはち本経の至心信楽欲生の意を示す。 しかるゆゑは、 至心とらは、 仏の名号を称して往生の益を得る、 これ仏の本願なり。 かくのごとく信知する、 これを至心信楽欲生と名づく。 ゆゑにこの心を発す。 すなはちこれ称我名号の義なり。 この意を顕さんがためにかれを除きてこれを加ふ。 その義知んぬべし。
答。此ニ有↢深意↡、今所ノ↠言之称我名号ハ、則示ス↢本経ノ「至心信楽欲生ノ」之意ヲ↡。所↢以然↡者、至心ト等者、称シテ↢仏ノ名号ヲ↡得ル↢往生ノ益ヲ↡、是仏ノ本願ナリ。如ク↠此ノ信知スル、是ヲ名ク↢至心信楽欲生ト↡。故ニ発ス↢此ノ心ヲ↡。即是称我名号ノ之義ナリ。為ニ↠顕ンガ↢此ノ意ヲ↡、除テ↠彼ヲ加フ↠此ヲ。其ノ義可シ↠知ヌ。
▲次に ¬小経¼ の文、 *証生縁を明かす。 証生といふは、 すなはちこれ証誠、 凡夫の往生を証する義なり。
次ニ¬小経ノ¼文、明ス↢証生縁ヲ↡。言↢証生ト↡者、即是証誠、証スル↢凡夫ノ之往生ヲ↡義也。
▲「いかんが護念と名づくる」 とらいふは、 これ六方の諸仏の証誠を指して護念と名づくるなり。
言↧「云何ンガ名ルト↢護念ト↡」等↥者、是指テ↢六方ノ諸仏ノ証誠ヲ↡名↢護念ト↡也。
▲「次下の文に若称といふ」 等は、 「▲於汝意」 (小経) 以下の文を指す。 これ釈迦・諸仏の証誠に亘る。 下に 「▲なんぢらみなまさにわが語および諸仏の所説を信受すべし」 (小経) と説くがゆゑなり。
「次下ノ文ニ云↢若称ト↡」等者、指ス↢「於汝意」以下ノ之文ヲ↡。是亘ル↢釈迦・諸仏ノ証誠ニ↡。下ニ説クガ↤「汝等皆当ベシニト↣信↢受ス我ガ語及ビ諸仏ノ所説ヲ↡」故也。
問ふ。 五種の増上縁の中の護念と、 いまの護念と同異いかん。
問。五種ノ増上縁ノ之中ノ護念ト、与 ト ↢今ノ護念↡同異如何。
答ふ。 五の中の護念はこれ現生の益、 いまの護念は出世の益なり。 これすなはち六方の諸仏信心を護念すといふがごとし、 今経 ¬小経¼ にいふところの護念、 その意これにあり。
答。五ノ中ノ護念ハ是現生ノ益、今ノ護念者出世ノ益也。是則如シ↠云ガ↣六方ノ諸仏護↢念スト信心ヲ↡、今経¬小経ニ¼所ノ↠云護念、其ノ意在リ↠斯ニ。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・「玄義分」文
【31】▲次に 「又云言弘」 等といふは、
次言↢「又云言弘」等ト↡者、
問ふ。 上来の文はこれ ¬礼讃¼ の釈、 いまの所引はこれ ¬観経義¼ 「玄義」 の文なり。 なんぞ書の名を略して 「又云」 といふや。
問。上来ノ文者是¬礼讃ノ¼釈、今ノ所引者是¬観経義¼「玄義ノ」文也。何ゾ略シテ↢書ノ名ヲ↡言↢「又云ト」↡耶。
答ふ。 上に引くところの初めに 「▲光明寺和尚のいはく」 といひ訖りぬ。 このゆゑにいずれの書の解釈を引くといふとも、 ともに大師の解釈たらば、 さらに相違にあらず。
答。上ニ所ノ↠引ク初ニ云↢「光明寺和尚ノ云1060ト」↡訖ヌ。是故ニ雖フトモ↠引ト↢何ノ書ノ解釈ヲ↡、共ニ為ラ↢大師ノ之解釈↡者、更ニ非ズ↢相違ニ↡。
「▲*弘願」 といふは、 弘願の称、 総じてこれをいはば六八に通ずべし、 余処の釈 (序分義) に 「▲願々みな増上の勝因を発す」 といふがゆゑなり。 別してこれを論ぜば第十八の願なり、 いまの解釈得生の益を明かすがゆゑなり。
言↢「弘願ト」↡者、弘願ノ之称、総ジテ而言ハヾ↠之ヲ可シ↠通ズ↢六八ニ↡、余処ノ釈ニ云ガ↣「願々皆発スト↢増上ノ勝因ヲ↡」故也。別シテ而論ゼバ↠之ヲ第十八ノ願ナリ、今ノ之解釈明スガ↢得生ノ益ヲ↡故也。
「▲*大願業力」 とは、 願と業と力との三、 因と果とにおいてみなその由あり。 大の言は三に亘る、 いはゆる大願は、 *五劫思惟超世無上殊勝の願これなり。 大業は、 すなはちこれ不可思議*兆載永劫六度万行、 願行殊なりといへどもともにこれ因位なり。 大力といふは、 果位の神力、 光明摂取利益衆生これを大力と名づく。
「大願業力ト」者、願ト業ト力トノ三、於テ↢因ト与 トニ↟果皆有リ↢其ノ由↡。大ノ言ハ亘ル↠三ニ、所謂大願ハ、五劫思惟超世无上殊勝ノ願是ナリ。大業ハ、即是不可思議兆載永劫六度万行、願行雖↠殊ナリト共ニ是因位ナリ。言↢大力ト↡者、果位ノ神力、光明摂取利益衆生名ク↢之ヲ大力ト↡。
「▲*増上縁」 とは、これ強縁なり。 「玄義分」 にいはく、 「▲まさしく仏願に託してもつて強縁となるによる。」 以上 ¬法事讃¼ (巻下) にいはく、 「▲まさしく好き強縁に遇はざるによりて、 輪回をして得度しがたきことを致す。」 以上
「増上縁ト」者、是強縁也。「玄義分ニ」云ク、「正ク由ル↧託シテ↢仏願ニ↡以テ作ニ↦強縁ト↥。」 已上 ¬法事讃ニ¼云ク、「正ク由テ↠不ニ↠遇↢好強縁ニ↡、致ス↧使テ↢輪廻ヲ↡難コトヲ↦得度シ↥。」 已上
問ふ。 増上縁とは強縁に名づくる義、 その証いかん。
問。増上縁ト者名ル↢強縁ニ↡義、其ノ証如何。
答ふ。 ¬*大乗義章¼ の第三に釈していはく、 「増上縁とは、 法の功を起すこと強し、 ゆゑに増上といふ、 法のための縁なるがゆゑに増上縁と名づく。」 以上 また ¬摂論¼ (真諦釈摂論釈巻二) にいはく、 「眼根眼識のために増上縁となるがごとし。」 これ有力増上縁なり。 無力増上縁とは、 有為無為の諸法を生ずるに障礙をなさざるなり。
答。¬大乗義章ノ¼第三ニ釈シテ云、「増上縁ト者、起コト↢法ノ功ヲ↡強シ、故ニ曰↢増上ト↡、為ノ↠法ノ縁ナルガ故ニ名ク↢増上縁ト↡。」 已上 又¬摂論ニ¼云ク、「如シ↧眼根為ニ↢根識ノ↡作ガ↦増上縁ト↥。」此レ有力増上縁也。无力増上縁ト者、生ズルニ↢有為・无為ノ諸法ヲ↡不↠作サ↢障ヲ↡也。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『観念法門』文
【32】▲次の所引の文はともにこれ ¬観念法門¼ の釈、 次いでのごとく摂生・証生の両縁なり。
次ノ所引ノ文者共ニ是¬観念法門ノ¼之釈、如ク↠次ノ摂生・証生ノ両縁ナリ。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『般舟讃』文
【33】▲次に 「又云門々」 といふ以下十句の文とは ¬般舟讃¼ の釈なり。 四句と二句と四句と別の文なり。
次ニ言↢「又云門々ト」↡以下十句ノ文ト者¬般舟讃ノ¼釈ナリ。四句ト二句ト四句ト別ノ文ナリ。
「▲門々」 といふは、 諸教の門なり。 「▲八万四」 とは、 ¬大集¼ の意によるに、 一々の衆生に八万四千の諸行あり。 いはゆる貪欲の行に二万一千、 瞋恚の行に二万一千、 愚痴の行に二万一千、 等分の行に二万一千、 これを八万四千の諸行となす。
言1061↢「門々ト」↡者、諸教ノ門也。「八万四ト」者、依ニ↢¬大集ノ¼意ニ↡、一々ノ衆生ニ有リ↢八万四千ノ諸行↡。所謂貪欲ノ行ニ二万一千、瞋恚ノ行ニ二万一千、愚痴ノ行ニ二万一千、等分ノ行ニ二万一千、是ヲ為ス↢八万四千ノ諸行ト↡。
▲「無明」 とらは、 *十二支に約して滅罪の益を明かす。 異義ありといへども試みに短解を述ぶ。 「無明」 といふは、 総じて*惑障を標す。 ¬倶舎¼ (玄奘訳巻二〇随眠品) の頌にいはく、 「無明は諸有の本なり、 ゆゑに別に一*漏となす。」 以上 「果業因」 とは、 逆に煩悩・業・苦の*三道を挙ぐ。 「利剣」 といふは、 その利用をもつて名号の徳に喩ふ。
「无明ト」等者、約シテ↢十二支ニ↡明ス↢滅罪ノ益ヲ↡。雖↠有ト↢異義↡試ニ述ブ↢短解ヲ↡。言↢「无明ト」↡者、総ジテ標ス↢惑障ヲ↡。¬倶舎ノ¼頌ニ云ク、「無明ハ諸有ノ本ナリ、故ニ別ニ為ス↢一漏ト↡。」 已上 「果業因ト」者、逆ニ挙グ↢煩悩・業・苦ノ三道ヲ↡。言↢「利剣ト」↡者、以テ↢其ノ利用ヲ↡喩フ↢名号ノ徳ニ↡。
▲「微塵」 とらは、 故は*曠劫を差す、 業はこれ*業障。
「微塵ト」等者、故ハ差ス↢曠劫ヲ↡、業ハ是業障。
▲「不覚」 とらは、 頓悟の理を示す。 同じき下の句 (般舟讃) にいはく、 「▲大小僧祇恒沙の劫、 また*弾指須臾の間のごとし。」 以上 ¬往生礼讃¼ の日中の讃にいはく、 「▲心に領納することなくして自然に知る。」 以上 これその謂なり。
「不覚ト」等者、示ス↢頓悟ノ理ヲ↡。同キ下ノ句ニ云ク、「大小僧祇恒沙ノ劫、亦如シ↢弾指須臾ノ間ノ。」 已上 ¬往生礼讃ノ¼日中ノ讃ニ云ク、「无シテ↢心ニ領納コト↡自然ニ知ル。」 已上 是其ノ謂也。
ただし 「覚」 の字の註は 「教の音」、 これに二の音あり、 ¬玉¼ (玉篇) にいはく、 「有楽切、 寤なり、 大なり。」 ¬宋¼ (宋韻) にいはく、 「古孝切、 睡寤、 覚醒といふ、 省なり」 。
但シ「覚ノ」字ノ註者「教ノ*音」、此ニ有リ↢二ノ音↡、¬玉¼云、「有楽切、寤也、大也。」¬宋¼云、「古孝切、睡寤、曰↢覚醒↡、省也。」
二 Ⅱ ⅱ c ロ ○ 私釈(六字釈)
【34】▲「爾者」 以下八行余は、 わたくしに上の 「▲言南無者」 の文の意を得らるる釈なり。
「爾者」以下八行余者、私ニ被ルヽ↠得↢上ノ「言南無者ノ」之文ノ意ヲ↡釈ナリ。
▲「南無」 とらは、
「南無ト」等者、
「▲帰」 の字において、 「至」 ならびに 「説」 の意▼いまだこれを勘へ得ず。 「説」 字の音、 ¬玉篇¼・¬広韻¼、 註に同じ、 三の音いま二の音あり、 「始悦の反」 を略す、 これはこれ常の音、 勿論のゆゑなり。 「告」・「述」・「宣」 の訓、 載せて ¬広韻¼ にあり。
於テ↢「帰」之字ニ↡、「至」並ニ「説ノ」意未ダ↣勘↢得之ヲ↡。「説」字之音、¬玉篇¼・¬広韻¼同ジ↠註ニ、三ノ音今有リ↢二ノ音↡、略ス↢「始悦ノ反ヲ」↡、此ハ是常ノ音、勿論ノ故也。「告」・「述」・「宣ノ」訓、載テ在リ↢¬広韻ニ¼↡。
「▲命」 の字の訓、 ¬玉篇¼ の中に 「教」・「令」・「使」 の註あり、 ¬広韻¼ の中に 「使」・「教」・「召」 の訓を出だす。 「業」・「招引」・「使」・「道」・「信」・「計」 等、 追ってこれを勘ふべし。
「命ノ」字ノ之訓、¬玉篇ノ¼中ニ有リ↢「教」・「令」・「使ノ」註↡、¬広韻ノ¼中ニ出ス↢「使」・「教」・「召ノ」訓1062ヲ↡。「業」・「招引」・「使」・「道」・「信」・「計」等、追テ可↠勘↠之。
「▲必」 の字の註 ¬廣韻¼ の文なり。
「必ノ」字ノ之註¬廣韻ノ¼文也。
二 Ⅱ ⅱ c ロ ・『五会讃』文
【35】▲次に ¬五会讃¼。
次ニ¬五会讃¼。
*法照禅師の述作するところ一巻の書なり。 いまの所引の文はこれ序の初めの詞、 流布の本、 「深妙」 の下 ▲「門矣」 の上に「禅」 の一字あり、 また▲「焉」 あるいは 「為」、 彼此差あり、 異本あるか。 義において違せず。 「度衆生」 に至るまでこれ序の文なり。
法照禅師之所↢述作スル↡一巻ノ書也。今ノ所引ノ文ハ是序ノ初ノ詞、流布ノ之本、「深妙」之下「門矣ノ」之上ニ有リ↢「禅ノ」一字↡、又「焉」或ハ「為」、彼此有リ↠差、有↢異本↡歟。於↠義ニ不↠違セ。至マデ↢「度衆生ニ」↡是序ノ文也。
「▲乃至」 といふは、 序の残るところなほ五十余行あるこれなり。
言↢「乃至ト」↡者、序ノ之所↠残猶有ル↢五十余行↡是也。
次に▲「如来」 とらは、 これ五会念仏を釈する文なり。
次ニ「如来ト」等者、是釈スル↢五会念仏ヲ↡文也。
次に▲「爾大」 とらは、 これ荘厳の文なり。
次ニ「爾大ト」等者、是荘厳ノ文。
問ふ。 荘厳の文は前にあり、 五会の釈は後に居す。 いまの所引の前後なんぞ違せる。
問。荘厳ノ文ハ在リ↠前ニ、五会ノ釈ハ居ス↠後ニ。今ノ之所引前後何ゾ違セル。
答ふ。 所問まことにしかり。 試みにいまこれを推するに、 上には 「▲念仏三昧是真無上深妙禅門」 といひ、 いまは 「▲如来常於三昧海中」 といふ。 上に標するところは念仏三昧、 下に挙ぐるところは諸三昧海、 ゆゑに三昧の中に念仏三昧甚深の義、 鉤鎖相連してその理を成ぜんがためにかくのごとく次第せり。 「爾大」 とらは、 また二尊大悲の弘誓を挙げ、 まさに浄穢斉一の利益を明かして、 その次に諸経の要文を引用す。 このゆゑに能讃・所讃次いでありて、 その由なきにあらず。
答。所問誠ニ爾リ。試ニ今推スルニ↠之ヲ、上ニハ云ヒ↢「念仏三昧是真无上深妙禅門ト」↡、今ハ云フ↢「如来常於三昧海中ト」↡。上ニ所↠標スル者念仏三昧、下ニ所↠挙ル者諸三昧海、故ニ三昧ノ中ニ念仏三昧甚深ノ之義、鉤鎖相連シテ為ニ↠成ゼンガ↢其ノ理ヲ↡如ク↠此ノ次第セリ。「爾大ト」等者、又挙ゲ↢二尊大悲ノ弘誓ヲ↡、方ニ明シテ↢浄穢斉一ノ利益ヲ↡、其ノ次ニ引↢用ス諸経ノ要文ヲ↡。是ノ故ニ能讃・所讃有テ↠次、非ズ↠无ニ↢其ノ由↡。
問ふ。 一巻の文を引くに、 前をもつて後となし、 後をもつて前となす、 その例ありや。
問。引ニ↢一巻ノ文ヲ↡、以テ↠前ヲ為シ↠後ト、以↠後ヲ為↠前ト、有↢其ノ例↡耶。
答ふ。 その例これ多し。 ほぼ少分を挙ぐ。
答。其ノ例多シ↠之レ。粗挙グ↢少分ヲ↡。
¬礼讃¼ の初夜に ¬大経¼ 下巻の要文を採集するに、 ▲三十偈において最前の一礼はこれその奥の文、 ▲第二・▲第三・▲第四の三礼はならびにこれ末後流通の文なり。 この文はこれすなはち十四仏国の菩薩衆等、 みな仏智に乗じてことごとく往生するは、 弥陀の智願深広のゆゑなり。 その義を顕さんがために引き上げてこれを引く。 しかして後また還りて▲初めの偈の文を引く。
¬礼讃ノ¼初夜ニ採↢集スルニ¬大経¼下巻ノ要文ヲ↡、於テ↢三十偈ニ↡最前ノ一礼ハ是其ノ奥ノ文、第二・第三・第四ノ三礼ハ並ニ是末後流通ノ文也。此ノ文ハ是則十四仏国ノ菩薩衆等、皆乗ジテ↢仏智ニ↡悉ク往生スル者1063、弥陀ノ智願深広ノ故也。為ニ↠顕ンガ↢其ノ義ヲ↡引上テ引ク↠之ヲ。然シテ後又還テ引ク↢初ノ偈ノ文ヲ↡。
しかのみならず後夜にまたこの例あり。 「▲↓能令速満足功徳大宝海」 (浄土論) とは、 如来八種の功徳の終りなり。 しかるに菩薩四種の功徳の後においてこれを讃ず。 また 「▲↓雨天楽華衣妙香等供養」 (浄土論) とは、 菩薩四種の功徳の第三なり。 しかるに如来功徳の中に加ふる、 みなその由あり。
加之後夜ニ又有↢此ノ例↡。「能令速満足功徳大宝海ト」者、如来八種ノ功徳ノ終也。而ニ於テ↢菩薩四種ノ功徳ノ之後ニ↡讃ズ↠之ヲ。又「雨天楽華衣妙香等供養ト」者、菩薩四種ノ功徳之第三也。而ニ加ル↢如来功徳ノ之中ニ↡、皆有リ↢其ノ由↡。
問ふ。 その由いかん。
問。其ノ由如何。
答ふ。 ↑能令等の句、 ¬論¼ は能持に約す、 ゆゑに如来に属す。 釈は所持に約す、 ゆゑに菩薩に属す。 ↑雨天等の句、 ¬論¼ は能供により、 釈は所供に拠る。 おのおの一義を存ず。 ともにもつて違せず。 これらの釈、 みなその例なり。
答。能*令等ノ句、¬論ハ¼約ス↢能持ニ↡、故ニ属ス↢如来ニ↡。釈ハ約ス↢所持ニ↡、故ニ属ス↢菩薩ニ↡。雨天等ノ句、¬論ハ¼依リ↢能供ニ↡、釈ハ拠ル↢所供ニ↡。各存ズ↢一義を↡。共ニ以テ不↠違セ。此等之釈、皆其ノ例也。
▲次に同じき七言数首の中に、 「称讃浄土経による」 といふ三首の文は、 浄土楽の讃一十九首、 その中の第九ならびに第十一・第十五なり。
次ニ同キ七言数首ノ之中ニ、云↠「依ルト↢称讃浄土経ニ↡」之三首ノ文者、浄土楽ノ讃一十九首、其ノ中ノ第九並ニ第十一・第十五也。
問ふ。 これらの讃かの ¬経¼ のいづれの文の意によるや。
問。此等ノ之讃依↢彼ノ¬経ノ¼之何ノ文ノ意ニ↡耶。
答ふ。 一文を指さず、 ただ本意を讃ず、 以下の諸讃みなこれに準ずべし。
答。不↠指↢一文ヲ↡、只讃ズ↢本意ヲ↡、以下ノ諸讃皆可シ↠准ズ↠之ニ。
▲次に 「仏本行経による」 三首は、 正法楽の讃、 かの讃に総じて三十二首あり、 いまの所引は第二十九および第三十・第三十一なり。 「▲正法能超出世間」 の句は、 みな毎句の中間にあり。
次ニ「依ル↢仏本行経ニ↡」三首ハ、正法楽ノ讃、彼ノ讃ニ総ジテ有↢三十二首↡、今ノ所引者第二十九及ビ第三十・第三十一ナリ。「正法能超出世間ノ」句ハ、皆在リ↢毎句ノ之中間ニ↡也。
▲次に ¬小経¼ による四首の文は、 西方楽の讃十五首の中、 第二・第三ならびに第十二および第十四、 みな最要の文なり。
次ニ依ル↢¬小経ニ¼↡四首ノ文者、西方楽ノ讃十五首ノ中、第二・第三並ニ第十二及ビ第十四、皆最要ノ文ナリ。
▲次に ¬般舟¼ による二十行は、 すなはちこれ般舟三昧楽の讃、 一行二句をもつて一首となす、 総じて三十八首ある中に、 第十七首以下終りに至るまでなり。 ただしその中において 「不簡下智与高才」 の次、 「不簡多聞持浄戒」 の上の二行四句、 除くところあるなり。
次ニ依ル↢¬般舟ニ¼↡二十行者、即是般舟三昧楽ノ讃、一行二句ヲ以テ為ス↢一首ト↡、総ジテ有ル↢三十八首↡之中ニ、第十1064七首以下至マデナリ↠終。但シ於テ↢其ノ中ニ↡、「不簡下智与高才ノ」次、「不簡多聞持浄戒ノ」上二行四句、有↠所↠除也。
▲次に ¬新無量寿観経¼ の讃、 一四句偈二十八首、 いまその中において、 この一首は第二十七下輩の讃なり。
次ニ¬新无量寿観経ノ¼讃、一四句偈二十八首、今於テ↢其ノ中ニ↡、此ノ一首者、第二十七下輩ノ讃也。
問ふ。 ¬新無量¼ とはいづれの経を指すや。
問。¬新无量ト¼者指↢何ノ経ヲ↡耶。
答ふ。 これ ¬観経¼ を指す、 元照の釈 (観経義疏巻上) にいはく、 「おほよそ両訳あり。 前の本すでに亡ず。 いまの本すなはち*畺良耶舎の訳。」 ▲当巻の下にこれを引き載せらる いま前の本に対して 「新」 と称するところなり、 「新」 の字思ひがたし。 しかるに畺良耶舎の訳の外に古その異訳の本あることを聞くといへども、 欠して世に行ぜず。 ただこの一本世間に流布す。 まさに知んぬ、 ただこの ¬覲経¼ を指すなり。 随ひてこの讃の始終、 みないまの経の意を讃ず。 ただし 「新」 の字に就きて試みに料簡を加ふるに、 いま寿前観後の義によりて、 寿をもつて旧となし、 観をもつて新となして、 その義を示さんがためにかくのごとく題するか。
答。*是指↢¬観経¼↡、元照ノ釈云、「凡有↢両訳↡。前ノ本已ニ亡ズ。今ノ本乃畺良耶舎ノ訳。」 当巻之下ニ被↣引↢載之↡ 今対↢前ノ本ニ↡所↠称スル↠「新ト」也、「新ノ」字難↠思。然而畺良耶舎ノ訳ノ外ニ雖↠聞ト↣古ヘ有コトヲ↢其ノ異訳ノ本↡、*欠シテ不↠行ゼ世ニ。只此ノ一本流↢布ス世間ニ↡。方ニ知ヌ、只指↢此ノ¬覲経ヲ¼↡也。随テ而此ノ讃ノ始終、皆讃ズ↢今ノ経ノ之意ヲ↡。但シ就テ↢「新ノ」字ニ↡試ニ加ニ↢料簡ヲ↡、今依テ↢寿前観後ノ之義ニ↡、以テ↠寿ヲ為シ↠旧ト、以テ↠観ヲ為シテ↠新ト、為ニ↠示ンガ↢其ノ義ヲ↡如ク↠此ノ題スル歟。
六要鈔 第二 新本
延書は底本の訓点に従って有国が行った(固有名詞の訓は保証できない)。
蜎 「えん」 と右傍に註記されている。
生ならず… 底本に欠く。 異本により補う。
底本は ◎本派本願寺蔵明徳三年慈観上人書写本。 Ⓐ本派本願寺蔵文安四年空覚書写本、 Ⓑ興正派興正寺蔵蓮如上人書写本 と対校。
花→Ⓐ華
則→Ⓐ即
恵→Ⓐ慧
華→Ⓐ花
耶→◎Ⓑ那
波→Ⓐ婆
或→ⒶⒷ惑
縁→Ⓑ流
捨→◎Ⓑ摂(◎捨と右傍註記)
衎→◎衍(衎と右傍註記)
衎→◎衍(衎と右傍註記)
旰→◎Ⓑ肝Ⓐ「旰[古按反日晩也]」と右傍註記
衍→◎Ⓐ衎ヲ
衎→Ⓑ衍
願→Ⓑ願[止]
雑→Ⓑ誰
波→Ⓐ婆
階→Ⓑ諧
嗔→Ⓐ瞋
音→Ⓑ字
令 ◎合(令と右傍註記)
欠→Ⓐ闕
是…・也 Ⓐ別筆にて上に貼紙