1383◎安1111心決定鈔 本
・総標
【1】 ◎浄土真宗の行者は、 まづ本願のおこりを存知すべきなり。
・十八願肝要
弘誓は四十八なれども、 第十八の願を本意とす。 余の四十七は、 この願を信ぜしめんがためなり。
・¬礼讃¼
・願文を引く
【2】 この願を ¬*礼讃¼ に釈したまふに、 「▲若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」 といへり。
・釈文和解
この文のこころは、 「十方衆生、 願行成就して往生せば、 われも仏に成らん。 衆生往生せずは、 われ正覚を取らじ」 となり。 かるがゆゑに、 仏の正覚は、 われらが往生するとせざるとによるべきなり。
・詰問
しかるに十方衆生いまだ往生せざるさきに、 正覚を成ずることは、 こころえがたきことなり。
・一念同時
しかれども、 仏は衆生にかはりて願と行とを円満して、 われらが往生をすでに*したためたまふなり。
十方衆生の願行円満して、 往生成就せしとき、 *機法一体の南無阿弥陀仏の正覚1384を成じたまひしなり。 かるがゆゑに仏の正覚のほかは凡夫の往生はなきなり。
十方衆生の往生の成就せしとき、 仏も正覚を成るゆゑに、 仏の正覚成りしとわれらが往生の成就せしとは同時なり。
・ただちに法義を明かす
仏の方より1112は往生を成ぜしかども、 衆生がこのことわりをしること不同なれば、 すでに往生するひともあり、 いま往生するひともあり、 *当に往生すべきひともあり。 機によりて三世は不同なれども、 弥陀のかはりて成就せし*正覚の一念のほかは、 さらに機よりいささかも添ふることはなきなり。
・譬喩を示す
たとへば日出づれば刹那に十方の闇ことごとく晴れ、 月出づれば法界の水同時に影をうつすがごとし。 月は出でて影を水にやどす、 日は出でて闇の晴れぬことあるべからず。 かるがゆゑに、 日は出でたるか出でざるかをおもふべし、 闇は晴れざるか晴れたるかを疑ふべからず。 仏は正覚成りたまへるかいまだ成りたまはざるかを分別すべし、 凡夫の往生を得べきか得べからざるかを疑ふべからず。
・衆生に親疎あること
「▲衆生往生せずは仏に成らじ」 (*大経・上意) と誓ひたまひし*法蔵比丘の、 十劫にすでに成仏したまへり。 *仏体よりはすでに成じたまひたりける往生を、 *つたなく今日までしらずしてむなしく流転しけるなり。
・¬般舟讃¼ を引く
かるがゆゑに ¬*般舟讃¼ には、 「▲おほきにすべからく1385↓慚愧すべし。 釈迦如来はまことにこれ慈悲の父母なり」 といへり。
・慚愧の二字を釈す
「↑慚愧」 の二字をば、 天にはぢ人にはづとも釈し、 自にはぢ他にはづとも釈せり。
・総じて二尊に約す
なにごとをおほきにはづべしといふぞといふに、 弥陀は*兆載永劫のあひだ無善の凡夫にかはりて願行1113をはげまし、 釈尊は*五百塵点劫のむかしより*八千遍まで世に出でて、 かかる不思議の誓願をわれらにしらせんとしたまふを、 いままできかざることをはづべし。
・別して弥陀に約す
機より成ずる*大小乗の行ならば、 法は妙なれども、 機がおよばねばちからなしといふこともありぬべし。 いまの他力の願行は、 行は仏体にはげみて功を無善のわれらにゆづりて、 謗法・闡提の機、 *法滅百歳の機まで成ぜずといふことなき功徳なり。 このことわりを*慇懃に告げたまふことを信ぜず、 しらざることをおほきにはづべしといふなり。
・別して釈迦に約す
「▲三千大千世界に、 芥子ばかりも釈尊の身命をすてたまはぬところはなし」 (*法華経・意)。 みなこれ他力を信ぜざるわれらに信心をおこさしめんと、 かはりて難行苦行して縁をむすび、 *功をかさねたまひしなり。 この広大の御こころざしをしらざることを、 おほきにはぢはづべしといふなり。
・方便を明かす
このこころをあらはさんとて、 「▲種々の方便をもつて、 われらが↓無上の信心を発起す」 (般舟讃) と釈せり1386。
・凡夫左右なきを明かす
↑無上の信心といふは、 他力の三信なり。 つぎに 「▲種々の方便を説く、 *教文ひとつにあらず」 (般舟讃) といふは、 *諸経随機の得益なり。 凡夫は*左右なく他力の信心を獲得することかたし。 しかるに自力の成じがたきことをきくとき、 他力の易行も信ぜられ、 聖道の信心をきくに浄土の修しやすきこと1114も信ぜらるるなり。
・行信法体にかえること
おほよそ仏の方よりなにのわづらひもなく成就したまへる往生を、 われら煩悩にくるはされて、 ひさしく流転して不思議の仏智を信受せず。 かるがゆゑに三世の衆生の帰命の念も*正覚の一念にかへり、 十方の有情の称念の心も正覚の一念にかへる。 さらに機において一称一念もとどまることなし。
・名体不二の行体
【3】 名体不二の弘願の行なるがゆゑに、 名号すなはち正覚の全体なり。 正覚の体なるがゆゑに、 十方衆生の往生の体なり。 往生の体なるがゆゑに、 われらが願行ことごとく具足せずといふことなし。
・¬玄義分¼ を引きたもうこと
かるがゆゑに 「玄義」 (*玄義分) にいはく、 「▲いまこの ¬観経¼ のなかの十声の称仏には、 すなはち十願ありて十行具足せり。 いかんが具足せる。 ª南無º といふはすなはちこれ帰命、 またこれ発願回向の義なり。 ª阿弥陀仏º といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得」 といへり。
*下品下生の1387*失念の称念に願行具足することは、 さらに機の願行にあらずとしるべし。 法蔵菩薩の五劫兆載の願行の、 凡夫の願行を成ずるゆゑなり。 阿弥陀仏の凡夫の願行を成ぜしいはれを領解するを、 三心ともいひ、 三信とも説き、 信心ともいふなり。 阿弥陀仏は凡夫の願行を名に成1115ぜしゆゑを口業にあらはすを、 南無阿弥陀仏といふ。
・領解のこと
かるがゆゑに領解も機にはとどまらず、 領解すれば仏願の体にかへる。 名号も機にはとどまらず、 となふれば*やがて弘願にかへる。
・第十八願をもって上を結ぶ
かるがゆゑに▼浄土の法門は、 第十八の願をよくよくこころうるほかにはなきなり。
・¬定善義¼ を引いて、 名号本願、 一なるを示す
【4】 「▲如無量寿経 四十八願中 唯明専念 弥陀名号得生」 (*定善義) とも釈し、 「▲又此経 定散文中 唯標専念 *弥陀名号得生」 (定善義) とも釈して、 *三経ともにただこの本願をあらはすなり。 第十八の願をこころうるといふは、 名号をこころうるなり。 名号をこころうるといふは、 阿弥陀仏の衆生にかはりて願行を成就して、 凡夫の往生、 機にさきだちて成就せしきざみ、 十方衆生の往生を正覚の体とせしことを領解するなり。
・信念相続のこと
かるがゆゑに▼念仏の行者、 名号をきかば、 「あは、 はやわが往生は成就しにけり。 十方衆生、 往生成就せずは正覚取らじと誓ひたまひし法蔵菩薩の正覚の*果名なるがゆゑに1388」 とおもふべし。
また弥陀仏の形像ををがみたてまつらば、 「あは、 はやわが往生は成就しにけり。 十方衆生、 往生成就せずは正覚取らじと誓ひたまひし法蔵*薩埵の成正覚の御すがたなるゆゑに」 とおもふべし。
また▼極楽といふ名をきかば、 「あは、 わが往生すべきところを成就したまひにけり。 衆生往生せずは正覚取らじ1116と誓ひたまひし法蔵比丘の成就したまへる極楽よ」 とおもふべし。
機をいへば、 仏法と世俗との二種の善根なき*唯知作悪の機に、 仏体より恒沙塵数の功徳を成就するゆゑに、 われらがごとくなる愚痴・悪見の衆生のための楽のきはまりなるゆゑに極楽といふなり。
・自力の機執を捨つること
▼本願を信じ名号をとなふとも、 *よそなる仏の功徳とおもうて*名号に功をいれなば、 などか往生をとげざらんなんどおもはんは、 かなしかるべきことなり。 *ひしとわれらが往生成就せしすがたを南無阿弥陀仏とはいひけるといふ信心おこりぬれば、 *仏体すなはちわれらが往生の行なるがゆゑに、 一声のところに往生を決定するなり。
阿弥陀仏といふ名号をきかば、 やがてわが往生とこころえ、 わが往生はすなはち仏の正覚なりとこころうべし。 弥陀仏は正覚成じたまへるかいまだ成じたまはざるかをば疑ふとも、 わが往生の成ずるか成ぜざるかをば疑ふ1389べからず。 一衆生のうへにも往生せぬことあらば、 ゆめゆめ仏は正覚成りたまふべからず。 ここをこころうるを第十八の願を*おもひわくとはいふなり。
・超世不共
【5】 まことに往生せんとおもはば、 衆生こそ願をもおこし行をもはげむべきに、 願行は菩薩のところにはげみて、 *感果はわれらがところに成ず。 世間・出世の因果の1117ことわりに超異せり。 和尚 (善導) はこれを 「▲*別異の弘願」 (玄義分) とほめたまへり。
・本願名号不二のこと
衆生にかはりて願行を成ずること、 *常没の衆生を*さきとして善人におよぶまで、 一衆生のうへにもおよばざるところあらば、 大悲の願満足すべからず。
面々衆生の機ごとに、 願行成就せしとき、 仏は正覚を成じ、 凡夫は往生せしなり。
かかる不思議の名号、 ▲もしきこえざるところあらば正覚取らじと誓ひたまへり。
われらすでに阿弥陀といふ名号をきく。 しるべし、 われらが往生すでに成ぜりといふことを。 きくといふは、 ただ*おほやうに名号をきくにあらず、 本願他力の不思議をききて疑はざるをきくとはいふなり。 御名をきくも本願より成じてきく。 一向に他力なり。 たとひ凡夫の往生成じたまひたりとも、 その願成就したまへる御名をきかずは、 いかでかその願成ぜりとしるべき。
かるがゆゑに名号をききても形像を拝しても1390、 わが往生を成じたまへる御名ときき、 「われらを*わたさずは仏に成らじと誓ひたまひし法蔵の誓願むなしからずして、 正覚成じたまへる御すがたよ」 とおもはざらんは、 きくともきかざるがごとし、 みるともみざるがごとし。
・信後相続のこと
¬*平等覚経¼ (四) にのたまはく、 「▲浄土の法門を説くを聞きて歓喜踊躍し、 *身の毛いよたつ」 といふは、 *そぞろによろこぶにあらず。 わが1118*出離の行をはげまんとすれば、 *道心もなく智慧もなし。 *智目・行足かけたる身なれば、 ただ三悪の*火坑にしづむべき身なるを、 願も行も仏体より成じて、 機法一体の正覚成じたまひけることのうれしさよとおもふとき、 歓喜のあまりをどりあがるほどにうれしきなり。
¬*大経¼ に 「▲爾時聞一念」 とも、 「▲聞名歓喜讃」 ともいふは、 このこころなり。
*よそにさしのけてはなくして、 やがてわが往生すでに成じたる名号、 わが往生したる御すがたとみるを、 名号をきくとも形像をみるともいふなり。 このことわりをこころうるを本願を信知すとはいふなり。
・任運の法徳
【6】 念仏三昧において信心決定せんひとは、 身も南無阿弥陀仏、 こころも南無阿弥陀仏なりとおもふべきなり。
ひとの身をば地・水・火・風の四大よりあひて成ず。 小乗には*極微の所成といへり。 身を極微にくだきてみるとも報仏の1391功徳の染まぬところはあるべからず。 されば機法一体の身も南無阿弥陀仏なり。 こころは煩悩・*随煩悩等具足せり。 刹那刹那に生滅す。 こころを刹那に*ちわりてみるとも、 弥陀の願行の遍せぬところなければ、 機法一体にしてこころも南無阿弥陀仏なり。
▼弥陀大悲のむねのうちに、 かの常没の衆生みちみちたるゆゑに、 機法一体1119にして南無阿弥陀仏なり。
われらが*迷倒のこころのそこには法界身の仏の功徳みちみちたまへるゆゑに、 また機法一体にして南無阿弥陀仏なり。 浄土の依正二報もしかなり。 依報は、 宝樹の葉ひとつも極悪のわれらがためならぬことなければ、 機法一体にして南無阿弥陀仏なり。 正報は、 眉間の*白毫相より*千輻輪のあなうらにいたるまで、 常没の衆生の願行円満せる御かたちなるゆゑに、 また機法一体にして南無阿弥陀仏なり。
われらが*道心二法・三業・四威儀、 すべて報仏の功徳のいたらぬところなければ、 南無の機と阿弥陀仏の片時もはなるることなければ、 念々みな南無阿弥陀仏なり。 されば出づる息入る息も、 仏の功徳をはなるる時分なければ、 みな南無阿弥陀仏の体なり。
*縛曰羅冒地といひしひとは、 常水観をなししかば、 こころにひかれて身もひとつの池となりき。 その法に*染みぬれば、 色心*正法それに*なりかへる1392ことなり。
【7】 念仏三昧の領解ひらけなば、 身もこころも南無阿弥陀仏 ˆにˇ なりかへりて、 その領解ことばにあらはるるとき、 南無阿弥陀仏と申すがうるはしき弘願の念仏にてあるなり。
念仏といふは、 かならずしも口に南無阿弥陀仏ととなふるのみにあらず。 阿弥陀仏の功徳、 われらが南無の機において十劫正覚の刹那より*成じいりたまひけるものを、 といふ信心1120のおこるを念仏といふなり。
さてこの領解を*ことわりあらはせば、 南無阿弥陀仏といふにてあるなり。 この仏の心は大慈悲を本とするゆゑに、 愚鈍の衆生をわたしたまふをさきとするゆゑに、 名体不二の正覚をとなへましますゆゑに、 仏体も名におもむき、 名に体の功徳を具足するゆゑに、 なにと*はかばかしくしらねども、 *平信のひともとなふれば往生するなり。 されども*下根の凡夫なるゆゑに、 そぞろに*ひら信じもかなふべからず。 そのことわりをききひらくとき、 信心はおこるなり。
念仏を申すとも往生せぬをば、 「▲名義に相応せざるゆゑ」 (*論註・下) とこそ、 *曇鸞も釈したまへ。 「*名義に相応す」 といふは、 阿弥陀仏の功徳力にてわれらは往生すべしとおもうてとなふるなり。 領解の信心をことばにあらはす1393ゆゑに、 南無阿弥陀仏の六字をよくこころうるを三心といふなり。 かるがゆゑに仏の功徳、 ひしとわが身に成じたりとおもひて、 口に南無阿弥陀仏ととなふるが、 三心具足の念仏にてあるなり。
自力のひとの念仏は、 仏をばさしのけて西方におき、 わが身をば*しらじらとある凡夫にて、 ときどきこころに仏の他力をおもひ名号をとなふるゆゑに、 仏と衆生と*うとうとしくして、 いささか道心おこりたるときは、 往生もちかくおぼえ、 念仏も*ものうく道心もさめたるときは、 往生1121もきはめて不定なり。 凡夫のこころとしては、 道心をおこすこともまれなれば、 つねには往生不定の身なり。 もしやもしやとまてども、 往生は臨終までおもひさだむることなきゆゑに、 口にときどき名号をとなふれども、 *たのみがたき往生なり。 たとへばときどきひとに*見参、 *みやづかひするに似たり。
そのゆゑは、 いかにして仏の御こころにかなはんずるとおもひ、 仏に*追従して往生の御恩をも*かぶらんずるやうにおもふほどに、 *機の安心と仏の大悲とがはなればなれにて、 つねに仏にうとき身なり。 この位にてはまことにきはめて往生不定なり。
念仏三昧といふは、 報仏弥陀の大悲の願行は、 もとより迷ひの衆生の心想のうちに入りたまへり、 しらずして仏体より機1394法一体の南無阿弥陀仏の正覚に成じたまふことなりと信知するなり。 願行みな仏体より成ずることなるがゆゑに、 をがむ手、 となふる口、 信ずるこころ、 みな他力なりといふなり。
・衆生の心と仏の心と一なるのこと
【8】 かるがゆゑに機法一体の念仏三昧をあらはして、 *第八の観には、 「▲諸仏如来 是法界身 入一切衆生 心想中」 (*観経) と説く。
これを釈するに、 「▲ª法界º といふは*所化の境、 すなはち衆生界なり」 (定善義) といへり。 定善の衆生ともいはず、 道心の衆生とも説かず、 *法界の衆生を所化とす。 「ª法界º といふは、 所化の境、 衆生界なり」 と1122釈する、 これなり。 まさしくは、 こころいたるがゆゑに身もいたるといへり。 ▼弥陀の身心の功徳、 法界衆生の身のうち、 こころのそこに入り満つゆゑに、 「入一切衆生心想中」 と説くなり。 ここを信ずるを念仏衆生といふなり。
・三業の仏身と一なること
また*真身観には、 「▲念仏衆生の三業と、 弥陀如来の三業と、 あひはなれず」 (定善義・意) と釈せり。
仏の正覚は衆生の往生より成じ、 衆生の往生は仏の正覚より成ずるゆゑに、 衆生の三業と仏の三業とまつたく一体なり。 仏の正覚のほかに衆生の往生もなく、 願も行もみな仏体より成じたまへりとしりきくを念仏の衆生といひ、 この信心1395のことばにあらはるるを南無阿弥陀仏といふ。
かるがゆゑに念仏の行者になりぬれば、 いかに仏をはなれんとおもふとも、 微塵のへだてもなきことなり。
仏の方より機法一体の南無阿弥陀仏の正覚を成じたまひたりけるゆゑに、 なにと*はかばかしからぬ*下下品の失念の位の称名も往生するは、 となふるときはじめて往生するにはあらず、 極悪の機のためにもとより成じたまへる往生をとなへあらはすなり。
また ¬大経¼ の▲三宝滅尽の衆生の、 三宝の名字をだにもはかばかしくきかぬほどの機が、 一念となへて往生するも、 となふるときはじめて往生の成ずるにあらず。 仏体より成ぜし願行の*薫修が、 一声称仏のところに1123あらはれて往生の一大事を成ずるなり。
【9】 かくこころうれば、 われらは今日今時往生すとも、 わがこころのかしこくて念仏をも申し、 他力をも信ずるこころの功にあらず。 勇猛専精にはげみたまひし仏の功徳、 十劫正覚の刹那にわれらにおいて成じたまひたりけるが、 *あらはれもてゆくなり。
*覚体の功徳は同時に十方衆生のうへに成ぜしかども、 昨日あらはすひともあり、 今日あらはすひともあり。 *已今当の三世の往生は不同なれども、 弘願正因のあらはれもてゆくゆゑに、 仏の願行のほかには、 別1396に機に信心ひとつも行ひとつもくはふることはなきなり。
念仏といふはこのことわりを念じ、 行といふはこのうれしさを礼拝恭敬するゆゑに、 仏の正覚と衆生の行とが一体にしてはなれぬなり。 したしといふもなほ*おろかなり、 ちかしといふもなほとほし。 一体のうちにおいて*能念・所念を体のうちに論ずるなりとしるべし。
安心決定鈔 本
1397安心1124決定鈔 末
・¬浄土論¼
・標示
【10】 ¬往生論¼ (*浄土論) に 「▲如来浄華衆 正覚華化生」 といへり。
・浄華衆を釈す
他力の大信心をえたるひとを浄華の衆とはいふなり。 これはおなじく正覚の華より生ずるなり。
・正釈
正覚華といふは、 衆生の往生を*かけものにして、 「もし生ぜずは、 正覚取らじ」 と誓ひたまひし法蔵菩薩の十方衆生の願行成就せしとき、 *機法一体の正覚成じたまへる慈悲の御こころのあらはれたまへる*心蓮華を、 正覚華とはいふなり。
・類文を引く
これを*第七の観には 「▲除苦悩法」 (観経) と説き、 下下品には 「▲五逆の衆生を来迎する蓮華」 (観経・意) と説くなり。
・喩意を解す
仏心を蓮華とたとふることは、 凡夫の煩悩の泥濁に染まざるさとりなるゆゑなり。
・生の字を釈す
なにとして仏心の蓮華よりは生ずるぞといふに、 曇鸞この文を、 「▲同一に念仏して別の道なきがゆゑに」 (論註・下) と釈したまへり。 「▲とほく通ずるに、 四海みな兄弟なり」 (論註・下)。 善悪機*ことに、 九品位かはれども、 ともに他力1398の願行をたのみ、 おなじく正覚の体に帰することはかはらざるゆゑに、 「同一念仏して別の道なきがゆゑに」 といへり。
またさきに往生するひとも他力の1125願行に帰して往生し、 のちに往生するひとも正覚の一念に帰して往生す。 心蓮華のうちにいたるゆゑに、 「四海みな兄弟なり」 といふなり。
・仏心顛倒を明かす
【11】 「▲仏身を観るものは仏心を見たてまつる。 仏心といふは大慈悲これなり」 (観経)。 仏心はわれらを愍念したまふこと、 骨髄にとほりて染みつきたまへり。 たとへば*火の炭におこりつきたるがごとし。 はなたんとするともはなるべからず。 摂取の*心光われらを照らして、 身より髄にとほる。 心は三毒煩悩の心までも仏の功徳の染みつかぬところはなし。 機法もとより一体なるところを南無阿弥陀仏といふなり。
・まさしく能所一体を明かす
この信心おこりぬるうへは、 口業には、 たとひときどき念仏すとも常念仏の衆生にてあるべきなり。
*三縁のなかに、 「▲口につねに、 身につねに」 (定善義) と釈する、 このこころなり。 仏の三業の功徳を信ずるゆゑに、 衆生の三業、 如来の仏智と一体にして、 仏の*長時修の功徳、 衆生の身口意にあらはるるところなり。
・聖言
また唐朝 (中国) に*傅大士とて、 ゆゆしく大乗をもさとり、 *外典にも達してたふときひとおはしき。 そのことばに1399いはく、 「朝な朝な仏とともに起き、 夕な夕な仏をいだきて臥す」 (傅大士録・意) といへり。
・合説
これは*聖道の通法門の*真如の理仏をさして仏といふといへども、 *修得の方よりおもへばすこしもたがふまじきなり1126。 摂取の心光に照護せられたてまつらば、 行者もまたかくのごとし。 朝な朝な報仏の功徳を持ちながら起き、 夕な夕な弥陀の仏智とともに臥す。
・自力執心を誡む
*うとからん仏の功徳は、 機にとほければいかがはせん。 真如法性の理は近けれども、 さとりなき機にはちからおよばず。 わがちからもさとりもいらぬ▼他力の願行をひさしく身にたもちながら、 *よしなき自力の執心に*ほだされて、 むなしく流転の故郷にかへらんこと、 かへすがへすもかなしかるべきことなり。
・二尊の悲歎を明かす
釈尊もいかばかりか▼*往来娑婆八千遍の甲斐なきことをあはれみ、 弥陀もいかばかりか*難化能化のしるしなきことをかなしみたまふらん。 もし一人なりともかかる不思議の願行を信ずることあらば、 まことに仏恩を報ずるなるべし。
・文を引いて勧誡す
かるがゆゑに ¬*安楽集¼ (上・意) には、 「▲すでに他力の乗ずべきみちあり。 *つたなく自力にかかはりて、 いたづらに火宅にあらんことをおもはざれ」 といへり。 このことまことなるかな。
自力の*ひがおもひをあらためて、 他力を信ずるところを、 「▲ゆめゆめ1400迷ひをひるがへして本家に還れ」 (礼讃) ともいひ、 「▲帰去来、 魔郷には停まるべからず」 (定善義) とも釈するなり。
・¬法事讃¼
・標挙
【12】また ¬*法事讃¼ (下) に、 「▲極楽無為涅槃界 随縁雑善恐難生 故使如来選要法 教念1127弥陀▽専復専」 といへり。
・総釈
この文のこころは、 「極楽は無為無漏のさかひなれば、 有為有漏の雑善にては、 おそらくは生れがたし。 無為無漏の念仏三昧に帰してぞ、 無為常住の報土には生ずべき」 といふなり。
・随縁雑善を釈す
まづ 「*随縁の雑善」 といふは、 自力の行をさすなり。 真実に仏法につきて、 領解もあり、 信心もおこることはなくして、 わがしたしきものの*律僧にてあれば、 戒は世にたふときことなりといひ、 あるいは、 今生のいのりのためにも、 *真言をせさすれば*結縁もむなしからず、 真言たふとしなどいふ体に、 便宜にひかれて縁にしたがひて修する善なるがゆゑに、 随縁の雑善ときらはるるなり。 この位ならば、 たとひ念仏の行なりとも、 自力の念仏は随縁の雑善にひとしかるべきか。
・自力念仏に簡ぶ
【13】*うちまかせてひとのおもへる念仏は、 こころには浄土の依正をも観念し、 口には名号をもとなふるときばかり念仏はあり、 念ぜずとなへざるときは1401念仏もなしとおもへり。 この位の念仏ならば、 無為常住の念仏とはいひがたし。 となふるときは出で来、 となへざるときは失せば、 またことに無常転変の念仏なり。
・無為の名義を釈す
無為とはなすことなしとかけり。 小乗には*三無為といへり。 そのなかに虚空無為といふは、 虚空は失することもなく、 はじめて出で来ることもなし。 天然なることわりなり。 大乗には真如1128法性等の常住不変の理を無為と談ずるなり。 *序題門に、 「▲法身常住比若虚空」 と釈せらるるも、 かのくにの常住の益をあらはすなり。 かるがゆゑに極楽を*無為住のくにといふは、 凡夫のなすによりて、 失せもし、 出で来もすることのなきなり。
・無為に准例して念仏を示す
念仏三昧もまたかくのごとし。 衆生の念ずればとて、 はじめて出で来、 わするればとて失する法にあらず。 よくよくこのことわりをこころうべきなり。
・念仏の名義を釈す
【14】おほよそ念仏といふは仏を念ずとなり。 仏を念ずといふは、 仏の大願業力をもつて衆生の*生死のきづなをきりて、 *不退の報土に生ずべきいはれを成就したまへる功徳を念仏して、 帰命の本願に乗じぬれば、 衆生の三業、 仏体にもたれて仏果の正覚にのぼる。 かるがゆゑにいまいふところの念仏三昧といふは、 われらが*称礼念すれども自の行にはあらず、 ただこれ阿弥陀仏の行を1402行ずるなりとこころうべし。
・まさしく念仏の法体を明かす
【15】本願といふは*五劫思惟の本願、 業力といふは*兆載永劫の行業、 乃至*十劫正覚ののちの仏果の万徳なり。 この願行の功徳は、 ひとへに未来悪世の無智のわれらがために、 かはりてはげみ行ひたまひて、 十方衆生のうへごとに、 生死のきづなきれはてて、 不退の報土に願行円満せしとき、 機法一体の1129正覚を成じたまひき。
・機の法に帰することを明かす
この正覚の体を念ずるを念仏三昧といふゆゑに、 さらに機の三業にはとどむべからず。
・信受の相を明かす
【16】うちまかせては機よりしてこそ生死のきづなをきるべき行をもはげみ、 報土に入るべき願行をも営むべきに、 *修因感果の道理にこえたる*別異の弘願なるゆゑに、 仏の大願業力をもつて凡夫の往生はしたため成じたまひけることのかたじけなさよと帰命すれば、
・よく所乗を明かす
衆生の三業は*能業となりてうへにのせられ、 弥陀の願力は*所業となりてわれらが報仏報土へ生ずべき乗物となりたまふなり。 かるがゆゑに帰命の心、 本願に乗じぬれば、 三業みな仏体に*もたるといふなり。
・他力を成ずることを釈す
仏の願行はさらに他のことにあらず。 一向にわれらが往生の願行の体なるがゆゑに、 仏果の正覚のほかに往生の行を論ぜざるなり。
・自力執心を誡む
このいはれを1403ききながら、 仏の正覚をば、 *おほやけものなるやうにてさておいて、 いかがして*道心をもおこし行をも*いさぎよくして往生せんずるとおもはんは、 かなしかるべき執心なり。
・仏体即行を明かす
仏の正覚すなはち衆生の往生を成ぜる体なれば、 仏体すなはち往生の願なり、 行なり。 この行は、 衆生の念・不念によるべき行にあらず。 かるがゆゑに仏果の正覚のほかに往生の行を論ぜずといふなり。
・他力信心を明かす
この正覚を心に領解するを三心とも信心ともいふ。 この機法一体の正1130覚は名体不二なるゆゑに、 これを口にとなふるを南無阿弥陀仏といふ。
・無為行体を明かす
かるがゆゑに心に信ずるも正覚の一念にかへり、 口にとなふるも正覚の一念にかへる。 たとひ千声となふとも、 正覚の一念をば出づべからず。
また*ものぐさく懈怠ならんときは、 となへず念ぜずして夜をあかし日をくらすとも、 他力の信心、 本願に乗りゐなば、 仏体すなはち長時の行なれば、 さらに*弛むことなく間断なき行体なるゆゑに、 名号すなはち無為常住なりとこころうるなり。 「▲阿弥陀仏すなはちこれその行」 (玄義分) といへる、 このこころなり。
・無為を成じ三業を約す
【17】またいまいふところの念仏三昧は、 われらが称礼念すれども自の行にはあらず、 ただこれ阿弥陀仏の行を行ずるなりといふは、 帰命の心、 本願に乗り1404て、 三業みな仏体のうへに乗じぬれば、 身も仏をはなれたる身にあらず、 こころも仏をはなれたるこころにあらず、 口に念ずるも機法一体の正覚のかたじけなさを称し、 礼するも他力の恩徳の身にあまるうれしさを礼するゆゑに、 われらは称すれども念ずれども機の功を*つのるにあらず、 ただこれ阿弥陀仏の凡夫の行を成ぜしところを行ずるなりといふなり。
【18】仏体、 無為無漏なり。 *依正、 無為無漏なり。 されば名体不二のゆゑに、 名号もまた無為無漏なり。
・重ねて専復専を釈す
かるがゆゑに念仏三昧になりかへりて、 △1131もつぱらにしてまたもつぱらなれといふなり。 専の字、 二重なり。 まづ雑行をすてて正行をとる、 これ一重の専なり。 そのうへに助業をさしおきて正定業になりかへる、 また一重の専なり。 またはじめの専は一行なり、 のちの専は一心なり。 一行一心なるを 「専復専」 といふなり。
この正定業の体は、 機の三業の位の念仏にあらず、 時節の久近を問はず、 行住坐臥をえらばず、 摂取不捨の仏体すなはち凡夫往生の正定業なるゆゑに、 名号も名体不二のゆゑに正定業なり。 この機法一体の南無阿弥陀仏になりかへるを念仏三昧といふ。
かるがゆゑに機の念・不念によらず、 仏の*無礙智より機法一体に成ずるゆゑに、 名1405号すなはち無為無漏なり。 このこころをあらはして極楽無為といふなり。
・念仏三昧を総結す
【19】念仏三昧といふは、 機の念を本とするにあらず、 仏の大悲の衆生を摂取したまへることを念ずるなり。 仏の功徳ももとより衆生のところに機法一体に成ぜるゆゑに、 帰命の心のおこるといふもはじめて帰するにあらず。 機法一体に成ぜし功徳が、 衆生の意業に浮び出づるなり。 南無阿弥陀仏と称するも、 称して仏体に近づくにあらず、 機法一体の正覚の功徳、 衆生の口業にあらはるるなり。 信ずれば仏体にかへり、 称すれば仏体にかへるなり。
・四事
・自力他力
【113220】一 自力・他力、 日輪の事。
自力にて往生せんとおもふは、 闇夜にわがまなこのちからにてものをみんとおもはんがごとし。 さらにかなふべからず。 日輪のひかりをまなこにうけとりて*所縁の境を照らしみる、 これ*しかしながら日輪のちからなり。 ただし、 日の照らす因ありとも*生盲のものはみるべからず、 またまなこひらきたる縁ありとも闇夜にはみるべからず。 日とまなこと因縁和合してものをみるがごとし。
帰命の念に本願の功徳をうけとりて往生の大事をとぐべきものなり。 帰命1406の心はまなこのごとし、 摂取のひかりは日のごとし。 南無はすなはち帰命、 これまなこなり。 阿弥陀仏はすなはち他力弘願の法体、 これ日輪なり。
よつて本願の功徳をうけとることは、 宿善の機、 南無と帰命して阿弥陀仏ととなふる六字のうちに、 万行万善、 恒沙の功徳、 ただ一声に成就するなり。 かるがゆゑにほかに功徳善根を求むべからず。
・四種往生
【21】一 ▲四種往生の事。
四種の往生といふは、 一つには正念往生、 ¬*阿弥陀経¼ に、 「▲心不顛倒即得往生」 と説く、 これなり。
二つには狂乱往生、 ¬観経¼ (意) の下品に説きていはく、 「▲十悪・破1133戒・五逆、 はじめは臨終狂乱して手に虚空をにぎり、 身より白き汗をながし、 地獄の猛火現ぜしかども、 ◆善知識にあうて、 もしは一声、 もしは一念、 もしは十声にて往生す」。
三つには*無記往生、 これは *¬群疑論¼ にみえたり。 このひと、 いまだ無記ならざりしとき、 摂取の光明に照らされ、 帰命の信心おこりたりしかども、 生死の身をうけしより、 しかるべき業因にて無記になりたれども、 往生は他力の仏智にひかれて疑なし。 たとへば1407睡眠したれども、 月のひかりは照らすがごとし。 無記心のなかにも摂取のひかりたえざれば、 ひかりのちからにて▽無記の心ながら往生するなり。 因果の理をしらざるものは、 *なじに仏の御ちからにて、 すこしきほどの無記にもなしたまふぞと難じ、 また無記ならんほどにてはよも往生せじなんどおもふは、 それはくはしく聖教をしらず、 因果の道理にまどひ、 仏智の不思議を疑ふゆゑなり。
四つには意念往生、 これは ▲¬法鼓経¼ にみえたり。 声に出してとなへずとも、 こころに念じて往生するなり。
この四種の往生は、 *黒谷の聖人 (*法然) の御*料簡なり。 世の常にはくはしくこのことをしらずして、 臨終に念仏申さず、 また無記ならんは往生せずといひ、 名号をとなへたらば往生とおもふは、 さることもあらんずれども、 それはなほ1134おほやうなり。
五百の長者の子は、 臨終に仏名をとなへたりしかども往生せざりしやうに、 臨終に声に出すとも帰命の信心おこらざらんものは人天に生ずべしと、 ▲*¬守護国界経¼ にみえたり。 されば、 たださきの四人ながら帰命の心おこりたらば、 みな往生しけるにてあるべし。
天親菩薩の ¬往生論¼ (浄土論) に、 「▲帰命尽十方無礙光如来」 といへり。
ふかき法もあさきたとへにてこころえらるべし。 たとへば1408日は観音なり。 その観音のひかりをば、 *みどり子よりまなこに得たれども、 *いとけなきときはしらず。 すこしこざかしくなりて、 自力にてわが目のひかりにてこそあれとおもひたらんに、 よく日輪のこころをしりたらんひと、 「おのが目のひかりならば、 夜こそものをみるべけれ、 すみやかにもとの日光に帰すべし」 といはんを信じて、 日天のひかりに帰しつるものならば、 わがまなこのひかり*やがて観音のひかりなるがごとし。
帰命の義もまたかくのごとし。 しらざるときのいのちも阿弥陀の御いのちなりけれども、 いとけなきときはしらず。 すこしこざかしく自力になりて、 わがいのちとおもひたらんをり、 善知識、 もとの阿弥陀のいのちへ帰せよと教ふるをききて、 帰命無量寿覚しつれば、 わがいのちすなはち無量寿なりと信ずるなり。 かくのごとく帰命するを 「▲正1135念を得」 (礼賛) とは釈するなり。
すでに帰命して正念を得たらんものは、 たとひ*枷おもくして、 この帰命ののち無記になるとも往生すべし。 すでに ¬群疑論¼ に、 「△無記の心ながら往生す」 といふは、 「摂取の光明に照らされぬれば、 その無記の心はやみて慶喜心にて往生す」 といへり。 また ¬観経¼ の*下三品は、 いまだ帰命せざりしときは地獄の相現じて狂乱1409せしかども、 知識に勧められて帰命せしかば往生しき。 また平生に帰命しつるひとは、 生きながら摂取の益にあづかるゆゑに、 臨終にも心顛倒せずして往生す。 これを正念往生となづくるなり。
また帰命の信心おこりぬるうへは、 「たとひ声に出さずしてをはるともなほ往生すべし」 と ¬法鼓経¼ にみえたり。 これを意念往生といふなり。
さればとにもかくにも他力不思議の信心決定しぬれば、 往生は疑ふべからざるものなり。
・時機相応
【22】一 ▲*¬観仏三昧経¼ にのたまはく、 「長者あり。 一人のむすめあり。 最後の*処分に閻浮檀金をあたふ。 穢物につつみて泥中にうづみておく。 国王、 群臣をつかはして奪ひ取らんとす。 この泥をば踏み行けどもしらずしてかへる。 そののちこの女人取りいだして商ふに、 さきよりもなほ富貴になる」。
これはこれ1136、 たとへなり。 「国王」 といふはわが身の*心王にたとふ。 「宝」 といふは諸善にたとふ。 「群臣」 といふは*六賊にたとふ。 かの六賊に諸善を奪ひ取られて、 *たつ方もなきをば出離の縁なきにたとふ。 「泥中よりこがねを取りいだして富貴自在になる」 といふは、 念仏三昧によりて信心決定しぬれば、 須1410臾に安楽の往生を得るにたとふ。 「穢物につつみて泥中におく」 といふは、 五濁の凡夫、 *穢悪の女人を正機とするにたとふるなり。
・薪火の喩
【23】一 たきぎは火をつけつれば、 はなるることなし。 「たきぎ」 は行者の心にたとふ。 「火」 は弥陀の摂取不捨の光明にたとふるなり。 心光に照護せられたてまつりぬれば、 わが心をはなれて仏心もなく、 仏心をはなれてわが心もなきものなり。 これを南無阿弥陀仏とはなづけたり。
安心決定鈔 末
底本は本派本願寺蔵蓮如上人書写本ˆ聖典全書と同一ˇ。
したためたまふ 整えてくださっている。
当に 将来において。
正覚の一念 阿弥陀仏が正覚を成就した最初の時をいう。
仏体よりは 仏の側では。 仏の立場からは。
つたなく 愚かにも。
五百塵点劫 釈尊が成仏してからすでに
久遠の時を経ていることを示す言葉。 ¬
法華経¼ 「如来寿量品」 の説。
八千遍まで… 釈尊は
衆生教化のために、 この世にすでに八千遍も来生しているという意。 ¬
梵網経¼ の説。
法滅百歳の機 仏法が滅んだ後の百年間、 浄土の経典のみがこの世にとどまる時の衆生。
功 「劫」 とする異本がある。
諸経随機の得益 教化の対象に適応して説かれた方便のさまざまな経典の利益。
左右なく ためらいなく。
正覚の一念にかへり 衆生の信心も称名も、 正覚の一念に成就された南無阿弥陀仏のほかにないと領解することをいう。 ただし、 この表現は、 浄土真宗相承の他の聖教には見られない。
失念 苦しみのために、 仏を憶念する力を失うこと。
弥陀 原文にはこの二字はない。
薩埵 ここでは菩提薩埵の略。 菩薩に同じ。
唯知作悪の機 ただ悪を作ることをのみ知る衆生。
よそなる仏の功徳… 衆生の往生とは無関係に阿弥陀仏の功徳があるように思って。
名号に功をいれなば 称名の功徳を積んだならば。
仏体すなはち… 南無阿弥陀仏という仏体 (名号) には、 衆生を往生させるはたらきがあるということ。
おもひわく 分別し判断する。 ここでは本願のいわれを正しく領解すること。
別異の弘願 「玄義分」 の原文は 「別意の弘願」 となっている。 一般の因果の道理に超えすぐれた他力救済の本願をいう。
さきとして 第一として。
わたさずは 救済しなければ。
身の毛いよたつ 体中の毛が逆立つ。
智目行足 さとりをひらくために必要な智慧の目と修行の足。
大経に… 以下の二句は、 ¬礼讃¼ に ¬大経¼ 要文として引く文。
よそにさしのけてはなくして よそ事とするのではなく、 わが身のことと受けとめてという意。
随煩悩 根本煩悩に附随する第二義的な煩悩。
ちわりて 千々に割って。
道心二法 ¬真宗法要¼ 所収本には 「色心二法」 とある。
染みぬれば なじんだなら。
成じいりたまひけるものを すっかり成就されたのであるなあ。
ことわりあらはせば すじ道をたてていいあらわすと。
平信のひと 深い道理も知らないまま、 教えられた通りにただ信じている普通の信者。
ひら信じ ひたすら信じること。
名義に相応す 名号のいわれにかなう。
しらじら はっきりしているさまを表す語。 「しれじれ」 の転とすれば、 きわめて愚かな、 いたって無知なという意。
かぶらんずるやうに 受けることができるように。
機の安心 衆生の信心。
第八の観 ¬観経¼ に説く
定善十三観の第八観。
像観のこと。
所化の境 教化をほどこす対象。
法界の衆生 全世界の生きとし生けるもの。
あらはれもてゆくなり だんだんとあらわれていくのである。
覚体の功徳 正覚を成就した仏体に具わっている功徳。
能念所念 能念は信ずる心。 所念は信の対象である法。
機法一体の正覚 機は衆生の往生、 法は阿弥陀仏の正覚を指し、 阿弥陀仏の正覚成就のままが衆生の往生成就であるように、 一体不二に成就された仏徳のことをいう。
心蓮華 如来の慈悲心を蓮華に喩えていう。
第七の観 ¬観経¼ に説く
定善十三観の第七観。
華座観のこと。
ことに 「異に」 であろう。
火の炭におこりつきたる 火が炭からおこって、 炭と一体化している様子。
傅大士 名は傅翕 (497-569)。 傅大士とも双林大士とも呼ばれる。 烏傷 (現在の浙江省烏傷) の人。 在俗の仏教信者で、 民衆教化につとめ、 弥勒の下生と称された。 転輪藏 (回転式の書架) を発明したという。
聖道の通法門 聖道門において共通して語られる教え。
真如の理仏 永遠の理法としての法身仏。
修得の方 永劫の修行によって真如の理を体得し、 その徳を実現した報身としての阿弥陀仏の側。
うとからん仏 縁遠い仏、 すなわち諸仏のこと。
難化能化 教化し難いものを導いて教化すること。
律僧 戒律を厳守する僧。
真言 口に真言 (密教における呪句) を唱える行業。
うちまかせて 普通一般の考えに従って。
序題門 「法身…」 の文は実際には 「玄義分」 釈名門にある。
無為住 ¬真宗法要¼ 所収本には 「無為常住」 とある。
生死のきづな 生死流転の迷いの世界につなぎとめる綱。
不退の報土 往生すれば、 証果を得ることに定まり、 再び下位に退転しない報身仏の浄土。
称礼念 口業の称名、 身業の礼敬、 意業の憶念。
別異の弘願 一般の因果の道理にこえすぐれた他力救済の本願をいう。
能業 ¬真宗法要¼ 所収本には 「能乗」 とある。
所業 ¬真宗法要¼ 所収本には 「所乗」 とある。
もたる 保持される。 抱かれる。
いさぎよくして 精進して。 つとめはげんで清浄になして。
弛む 途中でおこたる。
つのる たよりとする。
所縁の境 認識される対象。
無記往生 無記は本来は善でも悪でもない行為をいうが、 ここでは善悪のけじめもつかないような心の状態のままで往生することをいう。
群疑論に… 「無記往生」 は ¬
群疑論¼ 巻七の意によるものであろう。
枷 人の自由を束縛するもの。 転じて往生のさまたげとなる罪のこと。
下三品 九品のうちの下品上生、 下品中生、 下品下生。
観仏三昧経に… ¬往生要集¼ (下) 所引の ¬観仏三昧経¼ 取意の文によっていう。
処分 財産を分け与えること。
たつ方もなき 生活していくことができない。