1014蓮如上人御自言

 

1015栄玄聞書

(1)

一 蓮如上人吉崎殿に御座の時、 加州河北三番山すなごさか道乗と申ひと 是照護院の門徒なり 本尊を望み申され候。 本尊名号を以て、 身を七重八重にまとひたりとも、 信をえずは仏けにはなり候まじく候と、 真桂 これ照護寺なり いはれ候と、 蓮如上人直に仰られ候。

(2)

一 山科殿に御仏事候つるに、 蓮如上人へ法敬坊申上られ候。 仏法の繁昌とみえ申候。 其故は戸障子まで、 もてのほかそこね申ほど、 諸人群集申され候と申上られ候へば、 仰られ候。 信心決定の人の、 一人づゝもいでくるこそ仏法繁昌よと仰られ候と 云云

(3)

一 山科殿御建立候て以後、 七、 八年の時分までは、 御流中絶のやうに候き。 あるとき蓮如上人仰られ候。 各法儀はいかゞ意得られ候と、 人々御尋なされ候へば、 或は四、 五年さきにわれらのかみをそりおとし候と、 申上られ候人もあり。 あるひは本尊名号を望申安置仕候と、 こたへ申さるゝ人もあり。 然にいまは、 安心のひとゝほりをみなするするとこゝろえられ候事は、 これひとへに 「御文」 聴聞のゆへに候と、 京都に御取ざたにて候よし候。

(4)

一 蓮如上人仰られ候。 一念の安心のことはりよりほかに、 めづらしき事をきかうと思ふも、 いはうと思ふも1016、 みな冥加につきたるしるしと仰られ候。

(5)

一 蓮如上人、 山科御南殿 これは御てん也 にて御法談に、 仏けにならうと思ふものは仏けにはなるまじいぞと仰られ候ところに、 御前に禅門の祗候つるが、 この御掟を承りて肝をつぶし、 御縁の上よりころびをち絶入と 云云。 聴聞衆も何事ぞとさわぎ相尋るところに、 かの禅門の申されけるは、 但今の御掟に、 仏けにならうと思ふものは仏けにはなるまじいぞと仰られ候。 しかれば、 我等は今までは必ず仏にならうずると存候き、 驚入存候と申され候。 このよし蓮如上人聞召し、 法義にはさやう驚くがほんぢやぞと仰られ候。 我方たより仏けにならうと思ふは、 凡夫のはららひ、 あてがいにてはなきか、 たゞ仏におなじやらうずることのたうとやとよろこべと仰られ候。

(6)

一 蓮如上人、 つねづね仰られ候。 三人まづ法義になしたきものがあると仰られ候。 その三人とは、 坊主と年寄としよりをとなと、 この三人さへ在所々にして仏法本付き候はゞ、 余のすえずえの人はみな法義になり、 仏法繁昌であらうずるよと仰られ候。

(7)

一 吉崎殿にて蓮如上人の御前に坊主衆祗候折節、 仰られ候。 かねをたゝきかどかどを念仏を申てあるくものは、 念仏を置てあるくものぢやほどに、 かまへて各よするなえと仰られ候。 いづれも畏て候と、 申上られ候処に、 その念仏をうるものと云は各のが事よと仰られ候。 真実の信もなくてあらうずる坊主分は、 かねをたゝき念仏を置てあるくものとおなじ事なりと仰られ候。

1017(8)

一 山科殿にて、 蓮如上人奥の御座敷に御坐候き。 次の間には法敬坊詞公ありしおりふし、 御庭へ烏きたりてしばらくありしを、 蓮如上人御覧ぜられ候は、 鷺がきたよと御意候き。 ときに法敬坊やがて誠に鷺がまいり候と申されしとなり。 しかれば御感の御気色のよし候。 如此善知識の仰をば、 烏とも鷺とも御意のごとくに心得申候ことなるよし候。

(9)

一 蓮如上人、 法敬坊に対し无我がよいぞと仰られ候。 法敬坊、 无我とはなにと心得申べきとうかゞひ申され候へば、 無我とは我のなきことよと仰られ候。 時にまた法敬坊、 我のなき事とはなにと心得申べきと申上られ候へば、 蓮如上人御感なされ、 よう問た、 仏法をばそのごとくねんごろにきく事よと仰られ候。 しかれば我といふは、 仏法の道理をわれはよく知り心得たりと思ひ、 同行もまた仏法しるまじきとおもはれまじきほどに、 参り下向をしても、 別にきかうづる事もあらばこそと思ひて、 法流辺へとをざかり不沙汰することを我といふなり。 たゞ仏法には我のなきがよきぞと、 かたく仰られ候。

(10)

一 蓮如上人、 山科殿にて仰られ候。 御身はひとにくしと思召たることさらさらこれなく候。 愚痴にして不信なるものを御覧じては、 死せば必悪道に沈むべきこと一定と思召候へば、 なを不敏に思召のよし仰られ候。 但しこゝろにくき者が二人あるぞと仰られ候。 其故は、 親に不孝なるものと邪義を申ものと、 此ふたりはにく1018う思召よし仰られ候。 云云。 此由京都にも御取沙汰には、 御本寺様へ怨をなし申す武士侍よりも、 邪義を申す御開山の御法流を申みだらかし候ひとは、 以の外の法敵のよし候。 武士は弓矢を引はもとより其家の習ひにて候。 それさへ後には結句上様を崇敬申され、 仰に随ひ申され候。 久き聖人の御門徒とありながら、 御意をそむき邪義をいひ、 御一流を申みだらかし候こと、 武士の法敵よりもなを重罪にて候よし、 光応寺蓮淳御物語候よし、 受徳寺栄玄直に慥に承り候つるとなり。

(11)

一 蓮如上人、 山科殿にて実如上人へ御家督の義仰られ候ところに、 実如上人再三御斟酌なされ候き。 時に蓮如上人仰には、 これほどに御家督の義仰られ候に、 かたく御斟酌候こと、 誠に世間にしては御親不孝にて候、 仏法におひては師匠の命をそむかせられ候と御意候。 実如上人御返事には、 一向御身体も御文盲の義にて候あひだ、 天下の御門徒のものをなにとして御勧化あらうずると、 仰られ候ところに、 蓮如上人仰には、 御文盲についての御斟酌ならば、 それをば御調法あらうずるほどに、 御領掌なされ候へと仰られ候により、 すでに御領掌の事に候。 しかれば蓮如上人五帖の 「御文」 被遊候て、 実如上人へまいられ、 これに御判を居られて、 天下の尼入へ御免あられ候へ、 これにすぎて仏法の義とては別にはおりやるまじいぞと仰られ候。 これによりて実如上人御代にて、 京・田舎ともに 「御文」 いよいよ肝要と仰いだされ候。

(12)

蓮如上人、 明応七年の夏比より御煩にて、 明応八年の三月廿五日に御往生にて候。 しかれば廿五日三日まへに、 法敬坊に 「御文」 よませ申され候て、 御聴聞なされ候。 一段御感じなされ候。 おれがつくりたるものなれども、 まずは殊勝なるよなと仰られ候。 おれが聞様1019に門徒の者が聞くことならば、 みな信をえられうづるぞと仰られ候。

(13)

一 蓮如上人仰られ候。 かやうにみなみな申言葉までも、 みな弥陀のいはせらるゝ事ぢやぞと仰られ候。

(14)

一 蓮如上人は関東に五年御在国と候。 そのゆへは御開山の御下向ありて御辛労なされ候その御跡を、 御冥加のために御覧ぜらるべきとの御事とて、 御下向なされ候。

(15)

一 山科殿にて霜月廿六日の御非時のうへに、 蓮如上人仰られ候。 この敷居よりそなたのみなみなの中かに、 五人三人ならでは往生はとげられまじきと仰られ候。 若狭の次郎三郎仰には、 いかに口ちに弥陀をばたのむと云とも、 こゝろにまことにたのむ人がなきものぢやほどに、 さてかやうに仰られ候。 おのおの申ごとくに、 まことに弥陀をたのみ申せば、 往生は治定よと仰られ候。

(16)

一 代々善知識は御開山の御名代にて御座候。 蓮如上人大坂殿へ御隠居なされ、 実如上人或時大坂殿へ御下向のとき、 御親子様の御あいだは御私ごとに候、 開山の御来臨と思召候、 蓮如様仰られ、 御盃の御しきだい久く御座候し、 終に実如上人様へまいらせられ候て、 其後蓮如上人へまいり候つると、 年寄衆御物語度々承り候間、 今般御門跡様御内証に背き申候ては、 御罰を蒙るべきとぞんじ候。

1020(17)

一 蓮如上人は ¬安心決定鈔¼ 七部あそばしやぶられ候と、 これもたしかに承候。

(18)

一 実如上人、 大永七年七月五日御斎のうへの御法談に、 一念の安心の通は、 きくたびごとにめずらしからふずると仰られ候。

(19)

一 実如上人、 山科殿にて仰られ候。 述懐といふことは、 よくはよかれ、 あしくはあしかれと、 思あいだには述懐もなきものなり。 いかにも大切に思あいだでなうては、 じゆくわい( 述 懐 )出来ず候。 「御文」 (四帖13) には、 こゝに愚老一身の述懐これあり。 そのいわれは、 我等居住の在所在所の門下のともがらにをいては、 をよそ心中をみをよぶに、 とりつめて信心決定のすがたこれなしとをもいはんべり、 おほきになげきおもふところなり」 と 云云。 又 (四帖15) 「あはれあはれ、 存命のうちにみなみな信心決定あれかしと、 朝夕おもひはんべり。 まことに宿善任せとはいひながら、 述懐の心しばらくもやむことなし」 と 云云。 如是此天下の御門徒へ述懐に思召様とあそばされ候は、 いかにも大切不敏に思召ゆへにて候。 聖人の御勧化のごとく法義たしなむまじきならば、 各他宗になれ。 それならば、 御述懐もあるまじく候と、 実如上人仰られ候。

(20)

一 実如上人御往生のみぎり、 山科殿にて二月一日の御遺言に、 信をとりて極楽へ参り候へ。 極楽にてまたせらるべく候。 あしきことを大ひとりても、 なをる事はあれども、 みながみなになをる事はなきものなり。 たゞ聴聞をし候はでは、 こゝろねのみながみななをると云事はなきものにて候ほどに、 聴聞すべき事肝要にて候よし仰をかれ候。

1021(20)

一 山科殿へ御一家衆四、 五人上洛候て御いとまの時、 実如上人御対面の御座敷にて、 直に御一家衆へ仰られ候。 いかなるこもかけたるようなるところまでも、 家々門々へ御遣罷成候て、 仏法の義を御勧化なされたく思召候へども、 又さすがさようにもなりまいらせぬ御身体にて候ほどに、 一家衆かまへてねんごろに法義すゝめられ候へ、 賴入せられ候へと、 たしかに仰られ候と 云云。 誠に御慈悲のほどを忝きことなり。

(22)

一 実如上人御亭にての御法談に、 山科殿へあるひと三人づれにて参詣候き。 あるときかのひと二人は御堂よりさきに旅宿へかへりて、 法儀の談合せられ候し。 いま一人はおそく宿へかへりて、 二人の仏法談合をきゝて云く、 上様にて聴聞のうへに私に仏法談合はこゝろへがたく候、 そのゆへは御堂にての 「御文」 (二帖六) にも、 「路次・大道われわれの在所なんどにても、 あらはに人をもはゞからずこれを讃嘆すべからず」 と御座候。 もとより聖人の御掟にも、 仏法者気色、 後世者気色みえぬやうにふるまへとこそ仰置れ候へ。 おのおの御分別は御意に御ちがい候と勿体なく候。 たゞ私のとりざたは御無用と申をさへられ候と 云云。 如此仏法をばわがえてにきゝなすおのなり。 これ聴聞のとゞかぬゆへなり。 相構てよくよく聴聞申べきこと肝要の由仰られ候。

(23)

一 実如生人仰られ候。 皆 「御文」 を聴聞申に感じ申さぬは、 うかうかと聴聞申かと、 御不審に思召候。 また御1022免なされ候 「御文」 の料紙も表紙もやぶれ候を上まいらせて、 又あたらしく望み申人もをりなければ、 細々 「御文」 を聴聞申こともなきかと、 これも御こゝろもとなく思召候と仰られ候き。

(24)

一 実如上人御代に、 御馬五十疋仙飼たてかわれ候。 其中にもちゞみ栗毛と申御馬、 御秘蔵の名馬にて候。 然ば幡摩の国赤松 是は備前・はりま・みまさか三ヶ国の守護也 このちゞみ栗毛の事を承り及び、 上野 蓮秀と云云 まで度々所望の由申入られ候へども、 蓮秀御耳にもたてられず候。 其故は、 御秘蔵の御馬にて候あひだ、 中々くだされまじきと存ぜられ、 申あげられず候。 赤松方へ上野御返事には、 御馬の事は叶がたきのよし申こされ候。 赤松此よし承祗候申べく候あいだ、 御馬くださるゝやうに御取成し賴入のよし、 かさねて申入候き。 上野御返事には、 以の外御秘蔵にて御座候間、 なりがたくのよし申こされ候。 しかれば赤松上洛のおりふし、 彼の御馬所望ゆへ山科殿へ祗候ありと 云云。 実如上人、 赤松参りたるよしきこしめされ、 御一宗へ怨をなし申ものゝ、 唯今祗候申すこと不思議なる事と思召、 別て御しきだいなされ御本走あり。 夜とともの御酒盃なり。 赤松は上さまの御譏嫌もよく御座候間、 御酒のあいだに、 かの御馬をくださるべきと内存候ところに、 上様にかねて御存知なき事にて候ほどに、 かの御馬をばくだされず候き。 赤松御座敷すぎ中宿へ罷立、 これほど御馬の義望み申に、 くだされず候事、 曲なく存知候とて、 腹立せしめ京へ罷帰られ候き。 このうへは上野も、 私しの分別にても叶がたきとて、 此時に御耳にたてられ候。 実如上人御意には、 上野が不器用とはそのことよと仰られ、 やがて御馬をひかせらるべきにて御座候き。 おとらぬ御馬数十二疋御用意にて候。 其時ちゞみ栗毛ばかりを御主殿の御庭へ引出させられ、 また一度御覧ぜられて、 つ1023かはさるべきよし仰られ候。 この由を円如様きこしめされて、 上人へ御使をもて仰られ候は、 おとらぬ名馬どもあまた御座候に、 いづれなりともつかはされて、 ちゞみ毛をば仙飼し、 御慰に御覧ぜられ候へかしと御申なされ候処に、 実如上人様御返事には、 御年もよられ候へば、 よろづ御たのもしく思召候に、 かやうのこと仰られ候義、 曲もなく思召候。 総じて赤松と申ものは、 御一宗に怨をなし、 幡摩一国の門徒の者に、 念仏をさへこゝろやすく申させぬ者にて候。 幡摩一国の尼入に、 こゝろやすく念仏をも申させ、 仏法をも聴聞させ候はゞ、 たとへば御身をうらるゝともおしからずと、 思召候と御意候。 この仰せを御前の人々承り、 数剋落涙のよし候。 さて御馬をば京へ引こさせられ、 赤松へくだされ候。 赤松悦喜申され候事、 是非なく候。 すなはちこれより、 幡摩一国の仏法こゝろやすくひろまり申候なり。

(25)

一 実如上人御法談に、 信を得事は宿善による。 御門徒となり候ては冥加を知れと、 仰られ候のよし、 たしかに玄喜かきをかれ候と 云云

(26)

一 聖教拝見申さば、 上人の御作 に 覚如・存覚の御作の聖教本に候。 法然上人の御作には、 ¬選択集¼ 本・末よりほかは依用申べきは有間敷のよし、 円如様仰られ候つると、 たしかに承り候。

(27)

一 証如上人仰られ候。 細々上洛するものよりも、 事かなはず、 また行歩もかなはぬものゝなかに、 哀れまひ1024らでまひらでとおもひ、 こゝろざしのふかくものがあらふずるよなと仰られ候。 まことに権者の御推量尤ともに候。

(28)

一 証如上人より御一家衆へ御書なされ候に、 法義の事あまりあそばされ候はこれなく候。 其故は、 御開山の御ちのみちを続ぎ、 御本寺様の一家と候て、 法義のあるまじき人にてはなく候ほどに、 さてわざと法義の事あそばされず候。 御億意のよし、 京都にてひとの御物語候。 まことにかくのごとく御一家と候御身体は、 法義なくて候ては、 いよいよ一大事にて候。 涯分御たしなみあるべきこと肝要にて候。 又すえずえ御書なされ候は、 法義のことあろばさるはこれなく候。 兎角に善知識の御調法と御慈悲の至りありがたく候。 此条まで受徳寺栄玄御物語の趣を記置者也

(29)

一 憶念の心とは弥陀をたのむことゝ、 蓮如上人仰られ候つるとうけたまはり候。 此条は興行寺蓮恵きゝ書にあり

(30)

一 開山聖人の御意は、 あらぬところにあるものにて候ぞと、 蓮悟へ蓮如上人御掟のよし候。 此条、 照台寺正勝聞書のものにあり

(31)

一 法敬坊霜月廿七日の夜、 御堂におひて申され候は、 加州の坊主衆の名聞は、 とくに加州へ下てあるべきと申され候。 蓮如上人、 御感なされ候のよし候。 同書にあり

(32)

一 堺衆にをひて、 ある人蓮如上人へ申上られ候おもむきは、 弥陀をばたのみ申候へば、 念仏申されぬと申され候へば、 御掟には、 一切の草木は根から出来するか、 枝葉から出来するかと御掟候へば、 それは根が御座候はでは、 枝葉も御座有間敷か。 それがごとくに一念1025の安心だに治定候はゞ、 念仏はおのずから申されうづると仰られ候なり。 是も照台寺聞書にあり

(33)

一 蓮如上人の仰云く、 仏法の恩をしること、 阿弥陀如来の御恩徳は、 つもりてもつもりてもつくしがたし。 故聖人の御恩徳は、 迷盧八万のいたゞき、 蒼瞑三千の底にすぐれたり。 其外の知識の恩は、 凡夫の心としてはばかるべからず。 同行の恩は、 須弥山の頂きにこへたり。 況や手次坊主の恩は、 申すに及ず。 千両の金をば求るとも、 仏になる恩は報じがたし。 いかに仏法を信ずる人を、 いたづらものなかありといゝさまたぐるとも、 偏執すべからず。 そのゆへは、 をなじく地獄の同心たるべし。 たゞうちかたぶきて仏法をばきくべし。 きけばいよいよかたく、 わうげばいよいよかたし。 仏法をすかざる機は、 よろづ機がひがむべし。 しらざるていにもてなして、 仏法をばかたるべし。 いたづらものは、 きうにをしへてはかなはぬなり。 とにかくに仏法には思案肝要なり。 つとむべし、 つとむべし。

于時元禄第二暦弥生下旬候写之書也

 1026

1027蓮如上人御往生之奇瑞条々

 明応八年三月廿五日

(1)

一 御往生の日より四月二日まで七日、 紫雲たち申こと、 数万人これを拝み申こと、 ありがたき御事なり。

(2)

一 同日より七日まで、 山しな御堂の上には、 いちやうの葉のごとくなる花ふること、 諸人みなこれを拝みたてまつる。

(3)

一 大坂殿に同七日紫雲たち、 大さ二尺ばかりなる花ふりくだる。 自他宗ともにこれを拝申こと。

(4)

一 泉涌寺之長老申さるゝ事。 この蓮如上人の御事は、 一年越後のもの上洛して物語しけるは、 本願寺之聖人は開山の反化にて御坐候ことは一定なり。 夢想に新たに奉↠見のよし申けるが、 其夢想今に相違せずとて、 いよいよ奇特のよし人々に語り申されけり。

(5)

一 ある人二月一日之夜夢に見るやう、 この上人は法然上人の化身にて御坐候あひだ、 必ず廿五日御往生あるべきと見申候て、 同九月に上洛申てこのよしを人々に語りけるが、 たがはず三月廿五日午時に御往生あることは故なし後身にて御坐候をや、 ありがたき御ことなり。

1028(6)

一 御往生の前の暁に対置鳴動めいどうナリウゴけり。 これは権者の御往生の瑞相なり。 聖徳太子・伝教・弘法入定のきざみには大地鳴動したるよし申つたへり。

(7)

一 明応七年の冬比より、 度々明年三月には一定御往生なり、 御前の人々にも今幾ほどもそひ申間敷に、 勿体なきのよし仰出され候き。 御掟にはあひかはらず三月廿五日に御往生候こと、 誠にありがたくも貴も存知たてまつるばかりにて、 冥見いよいよ恐く存たてまつり候。

(8)

一 御病中に於て種々の事ども仰られ候事、 金言ならざる御事一つもなし。 御往生の御跡のことまで御ねんごろに仰出され候。 「乞食の沙門は鷲珠を死期に顕し、 賊縛比丘は王遊に草繋を脱る」 といふ戒文まで仰出され候て、 御往生已後いよいよ仏法不思議の奇特ども顕し申べきこと、 かねて仰出され候御事にてまします。

(9)

一 「功なり名とげて身しりぞくは天の道なり」 (老子) といふことも、 御身の上にひきあてられて、 其時同仰出され候こと、 まことに殊勝不思議の御事なり。

(10)

一 みなみな上下万人仏法の御用を以て過分の振舞申こと、 言語道断の次第なり。 相構相構今より堅く御掟の旨を心中にしかと相持候て、 よろづ仏法世間誤り仕らず斟酌申べきこと数度に及て仰置れ候こと、 権化の善巧ありがたし、 と申も中々おろかなること也。 可↠貴可↠信。

(11)

一 天公武ともこの上人奇特殊勝のことなりと、 この沙汰のみなり。 上下万民結縁を望み申こと。

1029(12)

一 吉野川つら飯がいと申在所に、 与次郎と申男御往生のよし承りて、 三月廿七日に山科殿まで罷上り、 御影堂へ参り、 あくる廿八日の朝御勤の庭より、 すぐに御荼毘所へまひり愁歎申、 立処に害自し畢。 兼て覚悟申けるが、 人々に妻子のことを申置て如↠此はて候こと、 前代未聞の事なり。 哀とも申、 貴とも申、 旁无↠限次第なり。

(13)

一 あるふる入道上洛申て、 御荼毘の火中へ飛いらんとするを、 御番衆再三とりとゞめけり、 是も不思議の振舞あり。 ありがたき事どもなり。

(14)

一 闍維じやゆいの煙の火に白鷺ども充満して、 ひさしく舞遊なり。 白蛇も現じてしばらく不去、 これ併ら御葬送を愁歎申と、 人々申相けり。

 

右已上拾四ヶ条、 加州河北大田受徳寺栄公より恩借候て令書写畢。

 

底本は龍谷大学蔵宝暦七年書写本(¬蓮如上人御自言¼所収)。