一〇(959)、源空聖人私日記

ぐゑんしやうにんにち

それおもひみれば、 ぞくしやう美作みまさかくに廳官ちやうくわんうるし時国ときくにそくなり。 おなくに久米くめ南条なむでう稲岡いなおかしやうたむじやうなり。 *長承ちやうしようねん みづのとうし しやうにんはじめて胎内たいないでたまふしときふたつはたてんよりしてくだる。 奇異きい瑞相ずいさうなり。 権化ごんくゑ再誕さいたむなり。 ものたなごゝろあはせ、 ものみゝおどろかすと

夫以、俗姓者美作国廳官漆間時国之息。同国久米南条稲岡庄誕生之地也。長承二年 癸丑 聖人始出↢胎内↡之時、両幡自↠天而降。奇異之瑞相也。権化之再誕也。見者合↠掌、聞者驚↠耳 

*保延ほうえん七年しちねん かのととり はるころ慈父じふうちため殺害せちがいせられおはりぬ。 しやうにんしやうねんさいにして、 けう小箭こやをもてくゐようてきあひだる。 くだんきずをもてそのかたきる、 すなわちそのしやうあづかりしよ明石あかしぐゑんないしやなり。 これによてかくおはりぬ。 そのときしやうにんおなじくにうちだい院主ゐんじゆくわんがく得業とくごふ弟子でしりたまふ。

保延七年 辛酉 春比、慈父為↢夜打↡被↢殺害↡畢。聖人生年九歳、以↢破矯小箭↡射↢凶敵之目間↡。以↢件疵↡知↢其敵↡、即其庄預所明石源内武者也。因↠茲逃隠畢。其時聖人、同国内菩提寺院主観覚得業之弟子成給。

天養てんやうねん きのとうし はじめて登山とうざんとき得業とくごふくわんがくじやういはく、 だいしやう文殊もんじゆざう一体ゐちたいしんじやうすと。 ぐゑんがく西塔さいたう北谷きただにほふばうぜん得業とくごふ消息せうそくたまふてあやしみたまふにせうきたれり、 しやうにん十三じふさんとしなり。

天養二年 乙丑 初登山之時、得業観覚状云、進↢上大聖文殊像一体↡。源覚西塔北谷持法房禅下、得業消息見給奇給小児来、聖人十三歳也。

しかふしてのち十七じふしちさいにて天台てんだい六十ろくじふくわんこれをはじむ。

然後十七歳天臺六十巻読↢始之↡。

きう0960あん六年ろくねん かのえむま 十八じふはちさいにはじめてしやういとまこちしやうして遁世とむせいせむとす。

久安六年 庚午 十八歳始師匠乞↢請暇↡遁世。

法華ほふくゑしゆぎやうときげんさち眼前がんぜんはいしたてまつる、 ¬華厳くゑごむ¼ らんときじやきたる。 しんしやうにんこれをおそおどろきたまふ。 そのゆめにみらく、 われはこのしやうにんよるきやうろんたまふに、 とうみやうなしといゑどもしちうちひかりあてひるのごとし。 しん 法蓮ほふれんばうなり、 しやうにん同法どうほふ おなじくそのひかりらる。 真言しんごんけうしゆせむとしてだうぢやうりてさうじやうしんくわんくわんず、 ぎやうこれをあらはす。

法華修行之時普賢菩薩眼前奉↠拝、¬華厳¼ 披覧之時蛇出来。信空上人見↠之怖驚給。其夜夢、我者此聖人夜経論見、雖↠無↢灯明↡室内有↠光如↠昼。信空 法蓮房也、聖人之同法 同見↢其光↡。修↢真言教↡入↢道場↡観↢五相成身之観↡、行顕↠之。

じやう西門せいもんゐんにして説戒せちかいしちにちあひだ小蛇せうじやきたりてちやうもんす。 だい七日しちにちあたりて唐垣からがきうへにしてそのじやおはりぬ。 とき人人ひとびとあてるやう、 そのかしられてなかよりあるいは天人てんにんのぼるをる、 あるいはてうづとる。 説戒せちかいちやうもんのゆへに、 蛇道じやだうほうはなれてじきてんじやうしやうずるか。

於↢上西門院↡説戒七箇日之間、小蛇来聴聞。当↢第七日↡於↢唐垣上↡其蛇死畢。于↠時有↢人人↡見様、其頭破中或見↢天人登↡、或見↢蝶出↡。説戒聴聞之故、離↢蛇道之報↡直生↢天上↡歟。

高倉たかくら天皇てんわうぎよかいたまひき。 そのかいさうじよう南岳なむがくだいよりつたふるところいまえず、 けん流布るふかいこれなり。 しやうにん所学しよがく宗宗しゆしゆしやうにんかへ弟子でしおはりぬ。

高倉天皇御宇得↠戒。其戒之相承、自↢南岳大師↡所↠伝于↠今不↠絶、世間流布之戒是也。聖人所学之宗宗師匠四人、還成↢弟子↡畢。

まことだいくわんしよなりといゑども三反さんべんこれをけんするときもんにおいては明明めいめいにしてくらからず、 またぶんみやうなり。 しかりといゑども廿にじふこうをもて、 一宗いちしゆ大綱たいかうることあたはず。

雖↢大巻書↡三反披↢見之↡時、於↠文者明明不↠暗、義又分明也。雖↠然以↢廿余之功↡、不↠能↠知↢一宗之大綱↡。

しかふしてのち諸宗しよしゆけうさううかゞふ、 顕密けんみちあうさとる。 八宗はちしゆほか仏心ぶちしむだるとうしゆぐゑんあきらかなり。

然後窺↢諸宗之教相↡、悟↢顕密之奥旨↡。八宗之外明↢仏心・達磨等宗之玄旨↡。

こゝにだい三論さんろんしゆ先達せんだちしやうにんそのところゆいしゆじゆちす。 先達せんだちそうじものいはずしてち、 うちりて文函ふんばこじふがふいだしていはく、 わが法門ほふもんにおいてはおもひなく、 ながくなんぢにぞくせしむと 。 このうへしよう讃嘆さんだんするに羅縷らるするにいとまあらず。

醍醐寺三論宗之先達、聖人往↠于↢其所↡述↢意趣↡。先達総不↠言起↠座、入↠内取↢出文函十余合↡云、於↢我法門↡者無↢余念↡、永令↣付↢属于↟汝 。此上称美讃嘆不↠遑↢羅縷↡。

またざうしゆんそうふて法相ほふさう法門ほふもんだんぜしときざうしゆんいはく、 なんぢまさに直人たゞびとにあらず、 権者ごんじや化現くゑげんなり。 0961深遠じむおんなることぎやうさう炳焉へいえんなり。 われゐちあひだやういたすべきむね契約けいやくせりき。 よて毎年まいねんやうもちおくる、 こんいたす。 すでにほんおはぬ。

又値↢蔵俊僧都↡而談↢法相法門↡之時、蔵俊云、汝方非↢直人↡、権者之化現也。智慧深遠形相炳焉也。我一期之間可↠致↢供養↡之旨契約。仍毎年贈↢供養物↡、致↢懇志↡。已遂↢本意↡了。

しゆちやうじやけう先達せんだちずい信伏しんぷくせざるはなし。

宗之長者、教之先達、無↠不↢随喜信伏↡。

すべて本朝ほんてうわたるところのしやうげうないでん目録もくろく、 みな一見ゐちけんくわへられおはぬ。 しかりといゑどもしゆつみちわづらいて身心しんしむやすからず。

総本朝所↠渡之聖教乃至伝記・目録、皆被↠加↢一見↡了。雖↠然煩↢出離之道↡身心不↠安。

そもそもはじめ曇鸞どむらんだうしやく善導ぜんだうかむさくよりりようごむ先徳せんどくの ¬わうじやう要集えうしふ¼ にいたるまで、 あううかゞふことへんすといゑども、 拝見はいけんせしときわうじやうなほやすからず。 だい三反さんべんとき乱想らんさうぼむ称名しようみやうゐちぎやうにしかず、 これすなわちぢよくわれ依怙えこなり。 末代まちだいしゆじやうしゆつかいせしめおはぬ。 いはむやしん得脱とくだちにおいてをや。

抑始自↢曇鸞・道綽・善導・懐感御作↡至↠于↢楞厳先徳 ¬往生要集¼↡、雖↧窺↢奥旨↡二反↥、拝見之時者往生猶不↠易。第三反之時、乱想之凡夫不↠如↢称名之一行↡、是則濁世我等依怙。末代衆生之出離令↢開悟↡訖。況於↢自身得脱↡乎。

しかればすなわちためひとためこのぎやう弘通ぐづせしめむとおもふといゑども、 時機じきはかりがたし、 感応かむおうりがたし。 つらつらこのことおもひ、 しばらくしていぬところさうしめす。 うんひろくおほきにそびきて日本にちぽんこくおほへり。 くもなかよりりやうひかりいだす、 ひかりなかよりひやくぽうしきとりさんじて、 虚空こく充満じゆまんせり。 とき高山かうざんのぼりてたちまちにしやうじん善導ぜんだうおがめば、 御腰おむこしよりしも金色こむじきなり、 御腰おむこしよりかみつねのごとし。 高僧かうそういはく、 なんぢせうなりといゑども、 念仏ねむぶちこうぎやう一天ゐちてんみてり。 称名しようみやう専修せんじゆしゆじやうおよぼさむがゆへに、 われここにきたれり。 善導ぜんだうすなわちわれなりと

然則為↠世為↠人雖↠欲↠令↣弘↢通此行↡、時機難↠量、感応難↠知。倩思↢此事↡、暫伏寝之処示↢夢想↡。紫雲広大聳覆↢日本国↡。自↢雲中↡出↢无量光↡、自↢光中↡百宝色鳥飛散、充↢満虚空↡。于↠時登↢高山↡忽拝↢生身之善導↡、自↢御腰↡下者金色也、自↢御腰↡上者如↠常。高僧云、汝雖↠為↢不肖之身↡、念仏興行満↠于↢一天↡。称名専修及↠于↢衆生↡之故、我来↠于↠此。善導即我也

これによてこのほふひろむ。 年年ねんねんだいはんじやうせむ、 流布るふせざるところなけむと。

因↠茲弘↢此法↡。年年次第繁昌、無↧不↢流布↡之所↥。

しやうにんいはく、 わが肥後ひごじやいはく、 ひと智慧ちゑ深遠じむおんなり。 しかるにつらつらしん分際ぶんざいはかるに、 このたびしやうしゆつすべからずと。 もし度度たびたびしやうしやうへだつ、 すなわち妄妄まうまうたるがゆへにさだめて仏法ぶちぽふまうぜるか。 長命ぢやうみやうほうけむにしか0962ずは、 そんしゆつまうあひたてまつらむとおもふ。 これにてわれまさに大蛇だいじやしんけむと。 たゞし大海だいかいぢゆせば、 中夭ちうえうあるべし。

聖人云、我師肥後阿闍梨云、人智慧深遠也。然倩計↢自身分際↡、此度不↠可↣出↢離生死↡。若度度替↠生隔↠生、即妄妄故定妄↢仏法↡歟。不↠如↠受↢長命之報↡、欲↠奉↠値↢慈尊之出世↡。依↠之我将↠受↢大蛇身↡。但住↢大海↡者、可↠有↢中夭↡。

かくのごとくおもさだめて、 遠江とおたうみくに笠原かさはらしやううちさくらいけといふところを、 りやうはなちぶみて、 このいけぢゆせむとせいぐわんおはぬ。 そののち死期しごときいたて、 みづふてたなごゝろうちれておはぬ。 しかるにかのいけかぜかざるになみにわかにて、 いけなかちりことごとくはらぐ。 諸人しよにんこれをて、 すなわちこのよししるしてりやうまふす。 そのにちす、 かのじや逝去せいきよあたれり。

如↠此思定、遠江国笠原庄内桜池云所、取↢領家之放文↡、住↢此池↡誓願了。其後至↠于↢死期時↡、乞↠水入↢掌中↡死了。而彼池、風不↠吹浪俄立、池中塵悉払上。諸人見↠之、即注↢此由↡触↢申領家↡。期↢其日時↡、彼阿闍梨当↢逝去日↡。

このゆへに智慧ちゑあるがゆへにしやうでがたきことをる、 道心だうしむあるがゆへにぶちしゆつまうあはむとぐわんずるところなり。 しかりといゑどもいまだじやう法門ほふもんらざるがゆへに、 かくのごときあくぐわんおこす。

所以有↢智慧↡故知↠難↠出↢生死↡、有↢道心↡之故値↢仏之出世↡所↠願也。雖↠然未↠知↢浄土法門之↡故、如↠此発↢悪願↡。

われそのとき、 もしこのほふたづたらば、 しんしんかへりみずこの法門ほふもんまふさまし。 しかるにしやうだうほふにおいては、 道心だうしむあらばおんしやうえんし、 道心だうしむなくはしかしながらみやうぢゆせむ。 りきをもてたやすくしやういとふべきものは、 これくゐしようざるなり

我其時、若此法尋得、不↠顧↢信不信↡此法門申。而於↢聖道法↡者、有↢道心↡者期↢遠生之縁↡、無↢道心↡者併住↢名利↡。以↢自力↡輒可↠厭↢生死↡之者、是不↠得↢帰依之証↡也

またしやうにん年来ねんらいきやうろんひらときしや如来によらい罪悪ざいあくしやうぼむ弥陀みだ称名しようみやうぎやう極楽ごくらくわうじやうすべしとひろくこれをきたまふ。 教文けうもんかむがて、 いま念仏ねむぶち三昧ざんまいしゆじやうしゆつ。 そのときなむ北嶺ほくれい碩学せきがくたち、 ともにはう嘲哢てうろうすることきわまりなし。

又聖人年来開↢経論↡之時、釈迦如来、罪悪生死凡夫依↢弥陀称名之行↡可↣往↢生極楽↡弘説↢給之↡。勘↢得教文↡、今修↢念仏三昧↡立↢浄土宗↡。其時南都・北嶺碩学達、共誹謗嘲哢無↠極。

しかるあひだ*ぶんねんころ天台てんだいしゆちう納言なうごん法印ほふいん顕真けんしんしやいと極楽ごくらくねがふて、 大原おほはらやま篭居ろうきよして念仏ねむぶちもんれり。 そのとき弟子でし相模さがみきみまふすがいはく、 法然ほふねんしやうにんじやうしゆりふす、 たづきこしめすべしと。 顕真けんしんいはく、 もともしかるべしと たゞわれ一人ゐちにんのみちやうもんすべからず、 処処しよしよしやしやうあつさだおはりてかの大原おほはら龍禅りうぜんしふして以後いごほふ0963ねんしやうにんこれをしやうず。 左右さうなく来臨らいりむおはぬ。 顕真けんしんえちきわまりなし。 しふ人々ひとびと

然間文治二年之比、天臺座主中納言法印顕真、厭↢娑婆↡忻↢極楽↡、篭↢居大原山↡入↢念仏門↡。其時弟子相模公申云、法然聖人立↢浄土宗義↡、可↢尋聞食↡。顕真云、尤可↠然 。但我一人不↠可↢聴聞↡、処処智者請集定了而彼大原龍禅寺集会以後、法然聖人請↠之。無↢左右↡来臨了。顕真喜悦無↠極。集会之人々、

光明くわうみやうせんそうみやうへん東大とうだい三輪さんろんしゆちやうじやなり
かさでらだちしやうにんじゆかうじやうけい法相ほふさうしゆひとなり
大原おほはらやまほんじやうばうこの人人ひとびと問者もんじやなり
東大とうだいくわんじんしやうにんしゆじようばう重源ちようぐゑん
嵯峨さがわうじやうゐん念仏ねむぶちばう天臺てんだいしゆひとなり
大原おほはら来迎らいかうゐん明定みやうぢやうばう蓮慶れんけい天臺てんだいしゆひと
だいせんながれんくわうばう東大とうだいひと
法印ほふいんだいそうかい天臺てんだいさん東塔とうだう西谷にしだに林泉しむせんばう
法印ほふいん権大ごんだいそうしようしん天臺てんだいさん東塔とうだうひむがしだにほうばう
 ちやうしゆおほよそさんびやくにんなり

そのときしやうにんじやうしゆ念仏ねむぶちどく弥陀みだほんぐわんむね明明めいめいにこれをきたまふ。 そのときいはく、 くちさだめらるほんじやうばう黙然もくねんとして信伏しんぷくおはぬ。 しふ人人ひとびとことごとくくわんなみだながす、 ひとへに帰伏くゐぶくす。 そのときよりかのしやうにん念仏ねむぶちしゆこうじやうなり。 法蔵ほふざう比丘びくむかしより弥陀みだ如来によらいいまいたるまで、 ほんぐわんおもむきわうじやうさいくらからず。 きたまふときさんびやくにん一人ゐちにんとしてしやうだうじやう教文けうもんうたがふことなし。 ぐゑん0964これをきたまふしとき人人ひとびとはじめて虚空こくむかうてごんいだひとなし。 しふ人人ひとびといはく、 かたちればぐゑんしやうにんじち弥陀みだ如来によらいおうしやくさだおはぬ。 よてしふしるしとて、 くだんてらにしてさんちうだん念仏ねむぶちごむぎようおはぬ。 けちぐわんあした顕真けんしん ¬法華ほふくゑきやう¼ のもん員数ゐんじゆについて、 一人ゐちにんべち弥陀みだぶちつけよと、 かの大仏だいぶちしやうにん教訓けうくんす。 そのときより南无なも弥陀みだぶちきたまへりおはぬ。

其時聖人浄土宗義、念仏功徳、弥陀本願之旨、明明説↠之。其時云、口被↠定本成坊、黙然而信伏了。集会人人悉流↢歓喜之涙↡、偏帰伏。自↢其時↡彼聖人念仏宗興盛也。自↢法蔵比丘之昔↡至↢弥陀如来之今↡、本願之趣、往生之子細不↠昧。説給之時、三百余人、一人無↠疑↢聖道・浄土教文↡。玄旨説↠之時、人人始向↢虚空↡無↧出↢言語↡之人↥。集会人人云、↠見形者源空聖人、実者弥陀如来応跡歟定了。仍集会之験、於↢件寺↡三昼夜不断念仏勤行了。結願之朝、顕真付↢ ¬法華経¼ 之文字員数↡、一人別阿弥陀仏名付、彼教↢訓大仏上人↡。自↢其時↡南无阿弥陀仏之名付給了。

高倉たかくらゐんぎよ*あんぐゑんぐわんねん きのとひつじ しやうにんよわいじふさんよりはじめてじやうもんりてしづかじやうくわんじたまふに、 しよ宝樹ほうじゆげんず、 つぎ瑠璃るりしめす、 後夜ごや殿でんこれをはいす。 弥陀みだ三尊さんぞんつねらいしたまふなり。 またりやうぜんにしてさん七日しちにちだん念仏ねむぶちあひだとうみやうなきに光明くわうみやうあり。 だい五夜ごやせいさちぎやうだう同烈どうれちしてちたまふ。 あるひとゆめのごとくにこれをはいしたてまつる。 しやうにんのたまはく、 猿事さるごとはべるらむや。 にんさらに拝見はいけんにあたはず。

高倉院御宇安元元年 乙未 聖人齢自↢四十三↡始入↢浄土門↡閑観↢浄土↡給、初夜宝樹現、次夜示↢瑠璃地↡、後夜者宮殿拝↠之。阿弥陀三尊常来至也。又霊山寺三七日不断念仏之間、無↢灯明↡有↢光明↡。第五夜勢至菩薩行道同烈立給。或人如↠夢奉↠拝↠之。聖人曰、猿事侍覧。余人更不↠能↢拝見↡。

月輪つきのわぜんぢやう殿でん 兼実けむじちカネザネ ほふみやう円照ゑんせうくゐ甚深じむじむなり。 あるしやうにん月輪つきのわ殿どのさむじやうしたまふ。 退たいしゆつときよりかみたか蓮華れんぐゑみてあゆみたまふ。 くわう赫奕かくやくなり、 おほよそせいさち化身くゑしんなりと。

月輪禅定殿下 兼実 御法名円照、帰依甚深也。或日聖人参↢上月輪殿↡。退出之時、自↠地上高踏↢蓮華↡而歩。頭光赫奕、凡者勢至菩薩化身也。

かくのごときの善因ぜんいんしからしむるに業果ごふくわこれあらたなるところに、 南北なむぼく碩徳せきとく顕密けんみち法灯ほふとう、 あるいはわがしゆはうずとがうし、 あるいはしやうだうそねむとしようす。 こと左右さうせて、 とが縦横じゆわうもとむ。 ややもすれば天聴てんていおどろかしもんかんするあひだりよほかにたちまちにちよくかむかぶりてけいおこなはれおはぬ。

如↠此善因令↠然業果惟新之処、南北之碩徳、顕密之法灯、或号↠謗↢我宗↡、或称↠嫉↢聖道↡。寄↣事於↢左右↡、求↣咎於↢縦横↡。動驚↢天聴↡諷↢諌門徒↡之間、不慮之外忽蒙↢勅勘↡被↠行↢流刑↡了。

しかりといゑどもほどなく帰洛くゐらくおはぬ。 権中ごんちう納言なうごん藤原ふぢはら朝臣あそん光親みつちかぎやうとしてちよくめんせんくださる。 ぬるけんりやくぐわんねん十一じふゐちぐわち廿日はつか帰洛くゐらくしてきよとうざん大谷おほたに別業べちげふめて、 とこしなへ西方さいはうじやう迎接かうせふつ。

雖↠然無↠程帰洛了。権中納言藤原朝臣光親、為↢奉行↡被↠下↢勅免之宣旨↡。去建暦元年十一月廿日、帰洛居卜↢東山大谷之別業↡、鎮待↢西方浄土之迎接↡。

おなじ三年さんねんしやう0965ぐわち三日みっからうびやうそら蒙昧もうまいいたりす。 つところたのむところまことによろこばしきかな、 かうしやう念仏ねむぶち退たいなり。 あるときしやうにん弟子でしにあひかたいはく、 われむかし天竺てんぢくにあて、 しやうもんそうまじわりてつね頭陀づだぎやうじき。 もとはこれ極楽ごくらくかいにあり、 いま日本にちぽんこくきたりて天台てんだいしゆまなぶ、 また念仏ねむぶちすゝむ。 身心しんしむ苦痛くつなし、 蒙昧もうまいたちまちにぶんみやうなり。

同三年正月三日、老病空期↢蒙昧之臻↡。所↠待所↠憑寔悦哉、高声念仏不退也。或時聖人相↢語弟子↡云、我昔有↢天竺↡、交↢声聞僧↡常行↢頭陀↡。本者是有↢極楽世界↡、今来↠于↢日本国↡学↢天臺宗↡、又勧↢念仏↡。身心無↢苦痛↡、蒙昧忽分明。

十一じふゐちにちたつときに、 たんがふしやうして念仏ねむぶちえず。 すなわち弟子でしげていはく、 かうしやう念仏ねむぶちおのおのとなふべしと。 くわんおむせいさちしやうじゆげんじてこのまへにいます、 ¬弥陀みだきやう¼ の所説しよせちのごとし。 ずいなみだる、 渇仰かちがうきもとほる。 じん虚空こくかいしやうごむまなこさいぎり、 転妙てんめう法輪ほふりんおんじやうみゝてり。

十一日辰時、端座合掌念仏不↠絶。即告↢弟子↡云、高声念仏各可↠唱。観音・勢至菩薩・聖衆、現在↢此前↡、如↢ ¬阿弥陀経¼ 所説↡。随喜雨↠涙、渇仰融↠肝。尽虚空界之荘厳遮↠眼、転妙法輪之音声満↠耳。

おなじ廿日はつかいたるまで、 うんじやうはうたなびき、 円円ゑんゑんくもそのなかあざやかなり、 図絵づゑ仏像ぶちざうのごとし。 道俗だうぞく貴賎くゐせん遠近おんごん緇素しそもの感涙かむるいながす、 もの奇異きいす。

至↠于↢同廿日↡、紫雲聳↢上方↡、円円雲鮮↢其中↡、如↢図絵仏像↡。道俗貴賎、遠近緇素、見者流↢感涙↡、聞者成↢奇異↡。

おなじひつじときたなごゝろあはせて、 東方とうばうより西方さいはうことろく弟子でしあやしみてふていはく、 ほとけ来迎らいかうしたまふかと。 しやうにんこたえていはく、 しかなりと。

同日未時、挙↠目合↠掌、自↢東方↡見↢西方↡事五六度、弟子奇而問云、仏来迎たまふ歟。聖人答云、然也。

廿にじふさんにちうんまず、 いよいよひろくおほきにたなびく。 西山にしやま炭売すみうり老翁らうおうたきゞになせふ大小だいせうらうにやくこれをる。

廿三、四日紫雲不↠罷、弥広大聳。西山売↠炭老翁、荷↠薪樵夫、大小老オイタル若見↠ワカキモノ之。

廿にじふにちむまときばかりに、 ぎやうたがはず、 念仏ねむぶちこゑやうやくよはし、 見仏けんぶちまなこねぶるがごとし。 うんそらたなびく、 遠近おんごん人人ひとびときたあつまる、 きやうしちくんず。 見聞けんもん諸人しよにんあふしんず。 臨終りむじゆすでにいたりて、 かくだいでう袈裟けさこれをけて西方さいはうむかふてとなへていはく、 「一一ゐちゐち光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや(観経)ていしやうちうなり。

廿五日午時許、行儀不↠違、念仏之声漸弱、見仏之眼如↠眠。紫雲聳↠空、遠近人人来集、異香薫↠室。見聞之諸人仰信。臨終已到、慈覚大師之九条袈裟懸↠之向↢西方↡唱云、「一一光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」 。停午之正中也。

さんしゆんいづれのときぞや、 しやくそんめちとなへたまふ、 しやうにんめちとなへたまふ。 かれはぐわちちうじゆん五日いつかなり、 これは正月しやうぐわちじゆん五日いつかなり。 はちじゆんいづれのとしや、 しやくそんめち0966となへたまふ、 しやうにんめちとなへたまふ。 かれもはちじゆんなり、 これもはちじゆんなり。

三春何節哉、釈尊唱↠滅、聖人唱↠滅。彼者二月中句五日也、此者正月下旬五日也。八旬何歳哉、釈尊唱↠滅、聖人唱↠滅。彼八旬也、此八旬也。

おんじやうちやうほふだいそうじやう公胤こういんほふためにこれをしやうだうするとき、 そのゆめげていはく、

園城寺長吏法務大僧正公胤、為法事唱導之時、其夜告夢云、

ぐゑん教益けうやくために 公胤こういんよくほうく かむすなわちくべからず 臨終りむじゆにまづ迎摂かうせふせむと

ぐゑんほんしんは だいせいさちなり しゆじやう教化けうくゑのゆへに このかいきたること度度たびたび

ぐゑん教益けうやく公胤こういんのうせちほふ感即かむそくじん臨終りむじゆせん迎摂かうせふ
ぐゑんほんしんだいせいさちしゆじやう教化けうくゑらいかい度度どど

と。 このゆへにせいらいキタリけんミヘタマフだいしやうにんなづく。 このゆへにせいほめいはまく、 へんくわう智慧ちゑくわうをもてあまねく一切ゐちさいてらすがゆへに。 しやうにんたんじて智慧ちゑ第一だいゐちしようす、 碩徳せきとくゆうをもて七道しちだううるほすがゆへなり。 弥陀みだせいおごかしてさい使つかひとしたまへり、 善導ぜんだうしやうにんつかわしじゆんえんとゝのへたまへり。 さだめて十方じふぱうさん央数あうしゆかいじやうじやうくわしやうあふこうず、 はじめじよう済入さいにふだうさとる。 三界さんがい虚空こくぜんはちぢやう天王てんわう天衆てんしゆしやうにんたむじやうて、 かたじけなくすい退没たいもちく。 いかにいはむや末代まちだいあくしゆじやう弥陀みだ称名しようみやうゐちぎやうてことごとくわうじやうくわいげむ、 ぐゑんしやうにん伝説でんせちこうぎやうのゆへなり。 よてこゝにきたれることはこれを弘通ぐづすゝめむがためなりと。

。此故勢至来見名↢大師聖人↡。所以讃↢勢至↡言、无辺光、以↢智慧光↡普照↢一切↡故。嘆↢聖人↡称↢智慧第一↡、以↢碩徳之用↡潤↢七道↡故也。弥陀動↢勢至↡為↢済度之使↡、善導遣↢聖人↡整↢順縁之機↡。定知十方三世无央数界有情・无情、遇↢和尚↡興↠世、初悟↢五乗済入之道↡。三界・虚空・四禅・八定・天王・天衆、依↢聖人誕生↡、忝抜↢五衰退没之苦↡。何況末代悪世之衆生、依↢弥陀称名之一行↡悉遂↢往生素懐↡、源空聖人伝説興行故也。仍為↤来↠之弘↢通勧↣之↡。

南无なもしや牟尼むにぶち  南无なも弥陀みだ如来によらい
南无なもくわんおむさち 南无なもだいせいさち
南无なもさんゐちじよう妙典めうでん法界ほふかいしゆじやうびやうどうやくせむと。