0113しふとくでんゑのことば 黒谷くろだにぐえんしやうにん ゐちのまき

  だい一段いちだん

ふしておもんみれば、 諸仏しよぶちにいづる、 ときをまちをはかる。 時機じきそれあひそむけば、 感応かんおうもともあらはれがたし。 すゝみて故事こじをとぶらへば、 西天さいてんくもくらし。 しやくそんゑんじやくのつきとをくへだゝる。 しりぞきてたうをかへりみれば、 東漸とうぜんつゆあたゝかなり。 弥陀みだ辺方へんぱうのはな、 にほひをはちす。 かのざいしやうにもれたるはこれうらみなれども、 いまめち遺法ゆいほふにまうあへる、 またたれりとす。 いはんやまた、 そん教門けうもんにいりて、 ゐちしゆしやうをえたり。 仏恩ぶちをんきもにめいじてほうじがたく、 けうみなもとにかへりてしやしがたし。 これによりて、 いさゝかそのほまれをのべて、 かのとくをあらはさんとなり。

こゝに如来によらいめちせん八十はちじふねん人王にんわう七十しちじふだい嵩徳しゆとくゐんぎよにあたりて、 美作みまさかのくに久米くめ南条なんでう稲岡いなをかしやう一人ゐちにんあふりやう使 うる時国ときくにがう あり。 年来ねんらいのあひだ、 けうのなきことをうれへて、 夫婦ふふこゝろをひとつにして、 仏神ぶちしんにいのる ことにくわんおむ云云うんうん。 あるとき、 秦氏はたうぢ ゆめにかみそりをのむとみてくわいにんす。 みるところのゆめををとにかたる。 をとのいはく、 なんぢがはらめるとこ0114ろの、 さだめてなむにしてかいたるべきへうなりと 云云うんうん。 そののち、 はゝひとへに仏法ぶちぽふくゐして、 出生しゆちしやうのときにいたるまで、 ぎよちうのたぐひをくはず。

*長承ちやうしようねん みづのとのうし ぐわち七日なぬかのむまのときにおぼへずしてたんじやうす。 ときに奇異きい瑞相ずいさうおほし。 しりぬ、 権化ごんくゑ再誕さいたんなりといふことを。 むかしそんたんじやうには、 珍妙ちんめうのはちす、 みあしをうけてしちぎやうぜしめ、 いましやうにんしゆちたいには、 れいのはた、 てんにひるがへりてりふくだりけり。 みるひと、 たなごゝろをあはせ、 きくもの、 みゝをおどろかさずといふことなし。 四五しごさい以後いご、 そのせい成人せいじんのごとし。 どうたう卓礫たくらくせり。 またやゝもすれば、 にしのかべにむかふくせあり。 ひとこれをあやしむ。

  だいだん

*保延ほうえん七年しちねん かのとのとり はるのころ、 ちゝ時国ときくにかたきのためにがいせさる。 ときにしやうにんさい。 そのかたきは、 伯耆はうきのかみみなもとのながあきらなむしゃどころさだあきらなり あかしのぐゑんないしゃがうす。 ほりかはのいんざい滝口たきぐち殺害せちがいしゆは、 さだあきら、 いなをかのしやうしふとしてねんぐゑちをふといへども、 しきしやうたりながら、 これを軽蔑けいべちして面謁めんえちせざるこんなり。 ちゝのがいせらるゝ、 はゝいだきて、 たけのなかにかくる。 さいせう小矢こやをもてさだあき0115らをいる。 そののあひだにあたりぬ。 くだんのきずをしるしとして、 のがるべきかたなきがゆへに、 すなはち逐電ちくでんしをはりぬ。 見聞けんもんしん感嘆かんたんせずといふことなし。

  だい三段さんだん

時国ときくにふかききずをかうぶりて、 かぎりになりにければ、 さい幼童いふどうにしめしていはく、 われはこのきずにてまかりなんとす。 しかりといふとも、 ゆめゆめかたきをうらむることなかれ。 これせんのむくひなり。 なを報答ほうたうをおもふならば、 てん无窮むぐにして、 世々せゝ生々しやうじやうにたゝかひ、 在々ざいざい所々しよしよにあらそひて、 りんたゆることあるべからず。 おほよそしょうあるものはをいたむ、 われこのきずをいたむ、 ひとまたいたまざらんや。 われこのいのちをおしむ、 ひとあにおしまざらんや。 わがにかへてひとのおもひをしるべきなり。 むかし、 はからずしてものゝいのちをころすひと、 しやうにそのむくひをうといへり。 ねがはくは、 こむじやう妄縁まうえんをたちて、 かの宿しふをわすれん。 しゆをやすめずは、 いづれのにかしやうのきづなをはなれん。 なんぢもし成人せいじんせば、 わうじやう極楽ごくらくをいのりて自他じたびやうどうやくをおもふべしといひをはりて、 こゝろをたゞしくし、 西方さいはうにむかひて、 かうしやう念仏ねむぶちしつゝ、 ね0116ぶるがごとくにしてをはりぬ。

  だいだん

葬送さうそう中陰ちういんのあひだ、 念仏ねむぶち報恩ほうをんのいとなみふたごゝろなし。 廟塔べうたうをたてゝしよう逸韻いちいんをうちならし、 本尊ほんぞんあんじて鷲嶺じゆれい真文しんもん開題かいだいす。 仏庭ぶちていにちかづく道俗だうぞくずいのなみだをもよほし、 法筵ほふえんにのぞむ老少らうせう渇仰かちがうのいろふかゝりけり。

  だいだん

*おなじきとしのくれ、 当国たうごくだい院主いんじゅきやうばう得業とくごふくわんがく寵愛てうあいして弟子でしとす。 はじめて仏書ぶちしよをさづくるに、 せいはなはだ*ぎよくにしていちきゝて二度にどとふことなし。 こゝにくわんがく、 そのしゆんなることをかんじて、 等侶とうりよにかたりていはく、 このちごのりやうをみるに、 たゞびとにあらず。 おしきかな、 いたづらに辺国へんごくにをかんことはといひて、 上洛すべきにさだむ。

  だい六段ろくだん

くわんがく得業とくごふめいによりて、 叡山えいざむにのぼるべきになりければ、 母儀ぼぎにいとまをこひていはく、 むかししやくそんじふにしてわうをいで、 つゐにしやうがくをなりましましき。 いま小質せうしちじふさむにして叡山えいざむにのぼり、 はじめて学窓がくそうにいりなんとす。 ぼむしやうことなり0117といへども、 そのこゝろざしひとし。 これひとへにしんしゆちしやうしようだいだいのためなり。 さらになごりおしとおもひたまふべからず。 「てん三界さむがいちう恩愛をんあいのうだんをんにふ無為むゐ真実しんじち報恩ほうをんしや」 なれば、 これ孝道かうだうのはじめなり。 されば、 かはのかみおほ定基さだもとしゆちののち大唐だいたうこくにわたりしにも、 らうだうにいますとかきゝ。 さこそおぼつかなくも、 おもひをきけめども、 はゝいとまをとらせてければ、 ばんたうをもこゝろづよくしのぎて、 つゐに円通ゑんづうだいがうをえ、 本朝ほんてうまでもをあげき。 ふるきためしみゝにあり、 ゆめゆめこゝろよはくおもひたまふべからずなど、 さまざまにかきくどきのたまへば、 はゝことはりにおぼえけれども、 なをわかれのなみだにのみぞむせびける。

かたみとて はかなきおやの とゞめてし このわかれさへ またいかにせん

得業とくごふのいはく、 このことはりは、 くわんがくこそまうさまほしくはんべりつるを、 おとなしくありありしくおほせられはんべれば、 それにつけてもかしこくぞ、 学問がくもんのよしをもおもひよりけるとおぼえはんべり。 いにしへ、 しんゑいこういとけなくして ¬法華ほふくゑきやう¼ 翻訳ほんやくのむしろにして、 はん人天にんでんせふのことばかきわづらひたまひける、 さかしらおもひあはせられて、 あはれにこそはんべれとて、 なみだぐみけり。 た0118らちめもをわけたるみどりごにいさめられはんべりぬれば、 ましてのちのすくはれん。 おひゆくすゑもいつしかたのもしくおぼゆるなかにも、 なを有為うゐのかなしみしのびがたく、 しやうのわかれまよひやすくして、 たちはれんなごりのみぞ、 せんかたなかりける。

  だい七段しちだん

久安きうあん三年さむねん ひのとの ゑんりやく西塔さいたうのきたゞにほふばう源光ぐゑんくわうのもとへをくりつかはす登山とうざむのとき、 つくりみちにて月輪つきのわ殿どのぎょしゆちさむくわいしければ、 かたはらへたちよるに、 番頭ばんとうをもて、 これはいづくよりいづかたへおもむくひとぞとたづねさせられければ、 せうにしたがへるそう美作みまさかのくにより学問がくもんのために叡山ゑいざむへなんのぼるなりとぞこたへまうしける。 さらなり、 学問がくもんのこゝろざしずいしおもひたまひはんべり。 よくよくけいさんぎやうあるべし。 いかにもたゞびとにあらじ。 容貌ようばうていたらくしやさうあり、 再覲さいきん大切たいせちなりなどりよぐわい約諾やくだく芳言はうげんにをよぶ。 その因縁いんえん、 ほとほとゆかしくぞおぼえけれ。

  だい八段はちだん

垂髪すいはちにあひそへてをくるじやうにいはく、 しんじやうだいしやう文殊もんじゆざう一体ゐちたい云云うんうんしよじやうらん0119ところに文殊もんじゆざうはみえず。 せう ときに十三じふさむさい 一人ゐちにん来入らいじふせり。 ときに源光ぐゑんくわう文殊もんじゆざうといふは、 しりぬ、 このちごのりやうほうすることばなんめりと。 すなはちその容顔ようがんをみるに、 かうべくぼくしてかどあり、 まなこにしてひかりあり。 みなこれ抜粋ばちすいそうびんしようさうなり。

  だいだん

源光ぐゑんくわうのいはく、 われはこれどむ浅才せんさいなり。 このどう*提撕ていぜいにたへず。 すべからくごふ碩学せきがくにうけて、 円宗ゑんしゆあふをきはむべしと。 すなはち徳院どくいんじやくわうゑんにつけて、 法文ほふもんをならはしむ。 かのじやあはくわんぱくだい後胤こういんかはかみ重兼しげかねちやくなむせうごん資隆すけたか朝臣あそん長兄ちやうきやうりうくわんりちはくくわうかく法橋ほふけう弟子でしゐちめいしやう緇徒しとしゆんじんなり。 じや、 このちごの神情しんぜい感悦かんえちして、 ことにもてあいぐわんす。 どうをしへをうけてしるところ、 日々ひびにおほし。

 

0120しふとくでんのゑのことば くろだにのぐえんしやうにん

  だい一段ゐちだん

おなじきとしなつのころ、 しやうにんしゆちのいとまきこえんとて、 ひよしのやしろにまうでたまひけるに、 ひとびとあまただいをさぐりてうたよみ、 れんなどしつゝ、 なごりおしみけるに、 社頭しやとうのなつのつきといふことをしやうにんみたまひける。

しめのうちに つきはれぬれば なつのよも あきをぞこむる あけのたまがき

諸人しよにんもてなし、 めであひけり。 おなじき仲冬ちうとうしゆち登壇とうだん受戒じゆかい、 ときにじふさい

  だいだん

あるとき、 にまうしていはく、 すでにしゆち受戒じゆかいほんをとげをはりぬ。 いまにをいては、 あとはりんそうにのがれんとおもふと。 これをきゝて、 すゝめこしらへていはく、 たとひ遁世とんせいすべしといふとも、 六十ろくじふくわんかくしてのち、 そのこゝろざしにしたがふべしと。 こたへていはく、 われいま閑居かんきよをねがふことは、 ながくみやうののぞみをやめて、 しづかに仏法ぶちぽふ修学しゆがくせんとなり。 貴命くゐめいほんなりといひて、 十六じふろくさいのはる、 はじめて本書ほんしよをひらく。 十八じふはちさいのあきにいたるまで、 さんねんのあひ0121だに六十ろくじふくわんぐえんさくをきはむ。 恵解えげてんしようにして、 ほとほとのさづくるにこへたり。 いよいよ感悦かんえちして、 まげて講説かうぜちをつとめ、 まさに大業だいげふをとげて、 円宗ゑんしゆとうりやうたるべしと。 度々どどねんごろにすゝむれども、 さらにしようだくのいろなかりけり。

  だい三段さんだん

くだんのじやのありさま、 しんしゆちえうにわづらひて、 つらつらこれをあんずるに、 いかにもたやすくこんしやうをいづべからず。 もし度々どどしやうをあらためば、 隔生きやくしやう即忘そくまうのゆえに、 さだめて仏法ぶちぽふをわすれなん。 しかじ長命ぢやうみやうほふをうけて、 そんしゆちにあひたてまつらんにはとおもひて、 いのちながきものをあんずるに、 蛇身じやしんはなを鬼神くゐじんにもまされりとて、 蛇身じやしんをうけんとするに、 住所じゆしよまたやすからず。 大海だいかい中夭ちうえうあるべし。 すべからくいけにすまんとおもふたまひつゝ、 これをたづぬるに、 遠江とをたうみのくに笠原かさはらしやうにひとつのいけあり、 さくらいけとがうす。 りやうにかのいけをこひうくるに、 左右さうなくゆるしてければ、 水底しゐていをしめんとおもひさだめぬ。 さて、 ちかひにまかせて、 死期しごにいたりてみづをこひて、 たなごゝろにいれてをはりぬ。 しかるにかのいけ、 かぜふかずしてにはかにおほなみたちて、 いけのなかのち0122りことごとくはらひあぐ、 ひとみなもあやにみけり。 ことのありさまをしかじかとちゆしてりやうにしめす。 そのにちをかぞふれば、 かのじや逝去せいきよなり。 のちにしやうにんおほせられけるは、 智恵ちえあるがゆえに、 しやうのいでがたきことをしり、 道心だうしんあるがゆえに、 ぶちしゆちにあはんことをねがふ。 しかりといへども、 いまだじやう法門ほふもんをしらざるゆえに、 かくのごときのげうぢゆするなり。 われそのとき、 この法門ほふもんをたづねえたらましかば、 しんしんはしらず教訓けうくんしはんべりなまし。 そのゆえは、 極楽ごくらくわうじやうののちは、 十方じふぱうこくこゝろにまかせて経行きやうぎやうし、 一切ゐちさい諸仏しよぶち、 おもひにしたがひてやうせん。 なんぞあながちに、 穢土えどにひさしくしよすることをねがはんやと 云々うんうん。 かのじやはるかにそんさんのあかつきをして、 じふ六億ろくおく七千しちせん万歳まんざいのそらをのぞむ。 いとたうとくも、 またをろかにもはんべるものかな。

  だいだん

よりいさむれども、 いかにも遁世とんせいのいろふかゝりければ、 じやそのこゝろざしのうばひがたきことをしりていはく、 なんぢしからばくろだにのげんばうとすべし。 かのげんばうえいは、 真言しんごんだいじようりちとにをきてはたうさふ英髦えいぼうなりと0123 云々うんうん。 すなはちえいしやうにんしちにいたりて、 つぶさにかの素意そいじゆちす。 えいこれをきゝてずいしていはく、 なんぢ少年せうねんにしてしゆちのこゝろをおこせり。 まことにこれ法然ほふねんだうしやうにんなりといひて、 すなはち法然ほふねんをもて房号ばうがうとす。 いみなはぐゑん、 これはじめの源光ぐゑんくわうのはじめのと、 のちのえいののちのとをとるなり。 それくろだにのていたらく、 深谷しんこくながれきよく、 人跡じんせきみちかすかなり。 しかのみならず、 四季しき感興かんけう一処ゐちしよにそなへ、 ろくじやう懺悔さんぐえ三業さんごふをひそむ。 しやうにんこのてうしようなることをよみして、 うんこゝろながくつながれぬ。 ときにしやうねん十八じふはちさい久安きうあん六年ろくねんぐわちじふにちより、 こゝにぢゆしてえいしやうにん奉仕ぶじし、 みちかいせいぐえちいくばくならず、 しゆだいじよう一身ゐちしん兼学けんがくす。 そののち一切ゐちさいきやうろん、 うへをしのびて日々にちにちにひらく、 ひらくごとにもんをそらにす。 自他じたしゆしやうしよ、 ねぶりをわすれて夜々ややにみる、 みるにしたがひて義理ぎりをえたり。 またこんでんにちかんしよてんにとり、 まなこにあてずといふことなし。

  だいだん

あるとき、 法華ほふくえ三昧ざんまいしゆぎやうだうじやうに、 びやくざうすなわちげんず。 しやうにんひとりこれをみたまふ。 にんこれをみず。 また ¬華厳くえごんぎやう¼ らんのとき、 青蛇せいじやつくえのうへにわだかま0124る。 しんこれをおどろきたまふ。 そののゆめに、 われはこれ華厳くえごんしゆ竜神りうじんなり、 おそるゝことなかれと 云々うんぬん

  だい六段ろくだん

あんきやうくわんをみたまふに、 とうみやうなくして室内しちないをてらすこと、 ひるのごとし。 かくのごときの光明くわうみやう照耀せうようすること、 つねのことなり。 にんみるところにあらず。 しやうにんひちにてこれらのどくしたまへり。 ざいしやうのあひだろうなし。 門弟もんていめちにひらきみると 云々うんうん

  だい七段しちだん

真言しんごん教門けうもんにいりてだうじやうくわんしゆしたまふに、 さうじやうしん観行くわんぎやう、 たちまちにあらわれけり。

  だい八段はちだん

ほうぐえんぐわんねんしやうにんしやうねんじふのはる、 つらつら天臺てんだい一心ゐちしんさんぐわん法門ほふもんあんずるに、 ぼんとくたやすからず。 ぼんしゆちをだにもゆるさば、 たとひせうじようの ¬しや¼・¬しや¼ なりともがくせんとおもひたまひて、 ほふのためにしやうえいしやうにんにいとまをこひて、 しゆぎやうにいでたまふ。 まづ嵯峨さが清涼しやうりやうしちにち参篭さんろうす。 これすな0125はちこくれいぢやう厳重げんてう本尊ほんぞんにましませば、 十方じふぱうじやうにきらはるゝ罪悪ざいあくしゆじやうさん諸仏しよぶちにすてらるゝしやうぼん、 このたびてんほんぐえんをつくし、 りん迷倒めいたうをたゝんことをしやうのためなり。

  だいだん

嵯峨さがより*なんざうしゆんそう ぞうそうじやうばうにゆきたまふ。 そうすなはちいであひて対面たいめんす。 ときにしやうにん法相ほふさうしゆ法門ほふもん自解じげをのべたまふに、 ざうしゆんしばしばきゝてをうちていはく、 われらが師資ししさうじようせる、 いまだこのぞんぜず。 ぜんはたゞびとにあらず、 もしこれぶちきやうがいか、 不可ふか思議しぎ不可ふか思議しぎといひて、 甘心かんしんのあまりゐちのあひだやうをのべんと。 はたして毎年まいねんもつををくりけり。

  だい十段じふだん

まただい三論さんろんしゆめいしやう法印ほふいんくわんにあひて、 かの法門ほふもん自解じげをのぶるに、 めいしやうちやうじゆしてあせをくだしてものいはず。 ずいのあまり、 文櫃ふみひつがふをとりいでゝいはく、 しゆしやうしよぞくすべきじんなし。 貴禅くゐぜんゆゝしくこの法門ほふもんたちせり。 ことごとくぞくしをはりぬと 云々うんうん。 またきやう法橋ほふけうにあふて、 華厳くえごんしゆ法門ほふもん自解じげをのぶるに、 きやうはじめは悔慢くえまんしてかうしやう問答もんだふす。 のちには、 したをまきて0126ものいはず。 もん自解じげしゆ相伝さうでんにこえたるを感嘆かんたんして、 華厳くえごんしゆしやうしよはくにおほせてくろだににえおくる。 しやうげうはくにおほすることは、 とうぢくの法蘭ほふらんのふるきためしをしたひけるにやとおぼゆ。 西天さいてん仏教ぶちけうかんにわたりしはじめなり。 せうじようかいはなかのがはのせうしやうしやうにん 実範じちぱん にしたがひて、 鑑真がんじんくわしやうかいをうけたまふ。 実範じちぱん受者じゆしや神情しんぜいかんじていはく、 あゐよりいでゝあゐよりもあをしと 云々うんうん

 

0127しふとくでんのゑのことば くろだにのぐえんしやうにん さん

  だい一段ゐちだん

しやうにん、 みづからじやうもんにいる*らんしやうをかたりてのたまはく、 われむかししゆちだうにわづらひて、 しんしよくやすからず。 ねん心労しんらうののち、 ¬わうじやう要集えうしふ¼ (巻上) らんするに、 じよにいわく、 「それわうじやう極楽ごくらくけうぎやうは、 じよく末代まちだい目足もくそくなり。 道俗だうぞく貴賎くゐせん、 たれかくゐせざらんもの。 たゞし顕密けんみち教法けうぼふ、 そのもんひとつにあらず。 事理じり業因ごふいん、 そのぎやうこれおほし。 利智りちしやうじんのひと、 いまだかたしとせず。 がごときぐわんのもの、 あにあへんや。 このゆへに念仏ねむぶち一門ゐちもんによりて、 いさゝかきやうろん要文えうもんをあつむ。 これをひらきこれをしゆするに、 さとりやすくぎやうじやすし」 と 云々うんうん

じょりゃくしてゐちあうをのぶ。 まさしく念仏ねんぶち一門ゐちもんによると 云々うんうんもんにいりてくはしくさぐるに、 このしふ十門じふもんをたつ。 そのなかにえん穢土えどごんじやう極楽ごくらくしようとう三門さんもんは、 ぎやうたいにあらず、 しばらくこれををく。 のこるところの七門しちもんは、 念仏ねむぶちじよじやうなり。 だい一門ゐちもんは、 すなはちしやうしゆ念仏ねむぶちなり。 これをもて、 このしゆしやういんとす。 このゆえに、 ¬わうじやう要集えうしふ¼ を先達せんだちとして、 じやうもんにいれるなりと 云々うんうん0128

そののち、 くろだにの報恩ほうをんざうにいりて、 一切ゐちさいきやうらん へん云々うんうん のとき、 光明くわうみやうの ¬観経くわんぎやう¼ をひらきたまふに、 極楽ごくらくこく高妙かうめうほうとさだめてわうじやうぶんしやうぼんはんぜられたる義理ぎりをみるに、 奇異きいのおもひやうやくうごきて、 べちしてまたかのしよ三遍さんべんらんしたまふに、 だいへんにいたるまでは、 いまだそのしゆをえず。 これすなはち、 本宗ほんしゆ執心しふしんをさしはさみて、 しやうだう教相けうさうになづむゆえなり。 だい三遍さんべんにいたりて、 つぶさに本宗ほんしゆ執情しふぜいをすてゝ一心ゐちしんしやうきやくのとき、 ふかくじやうしゆをえたり。 たゞししんわうじやうはすでにけちぢやうしをはりぬ。

のためにこのほふづうせんとおもふたまふに、 もしぶちにかなふやいなや、 心労しんらうにゆめにみらく、 うん*靉靆あいたいとして日本にちぽんこくにおほへり。 くものなかよりりやうのひかりをいだす。 ひかりのなかよりひやくぽうじきのとりとびちる。 くものなかにそうあり、 かみはすみぞめ、 しもは金色こんじきぶくなり。 とふていはく、 これたれとかせん。 そうこたえていはく、 われはこれ善導ぜんだうなり、 専修せんじゆ念仏ねむぶちほふをひろめんとす。 かるがゆへに、 そのしようとならんがためにきたれるなりと 云々うんうん善導ぜんだうはすなはちこれ弥陀みだ化身くえしんなれば、 詳覈しやうきやくぶちにかなひけりとよろこびたまふ。

  だいだん

0129るとき、 くろだにの幽栖いうせいにして、 えいしやうにん ¬わうじやう要集えうしふ¼ をだんぜられけるに、 くわんしようのふたつをたてゝ、 称名しようみやうくわんぶちにいれてくわんぶちすぐれたるよし、 じやうぜられければ、 しやうにんばちにつらなりて、 このしかるべからず、 しようがいへのくわんなり。 されば、 じよにかへりてそのこゝろをうべし、 「念仏ねむぶち一門ゐちもんによる」 (要集巻上) 云々うんうん。 いかんがこのもんせうして、 くわんぶちによるといふをたてんやとのたまふ。 こゝにばうえいはらだちていはく、 せんりやうにんしやうにんくわんぶちすぐれたりとこそおほせられしが、 御房おんばうはいづくより相伝さうでんして称名しようみやうすぐれたりといふをばたてらるゝぞやと。 しやうにんののたまはく、 このでうにをきては貴命くゐめいにしたがひがたし。 そのゆえは、 きやうろんしやうしよをみるに、 ゐちじゆ序題じよだいにかへして料簡れうけんする、 これじちなり。 しかるにさきにのぶるがごとく、 そのもんにむかふに義理ぎりいよいよあきらけし。 よくよくしやうげうをばらんさふらはでと 云々うんうん。 そのときえいしやうにん、 こざかしき小僧せうそうかなとて、 まくらをとりて、 なげうちにしたまふ。 しやうにんかたはらへたちかくれたまひけり。 のちによくよくもんをみるに、 しやうにんりふもんにかなひ、 をふくめり。 くわんぶちはまことに称名しようみやうにあはあらそふべきにあらざりけりとみなをされければ、 にちしやうにんどくくちせらる。 しかれども、 しやうにん固辞こじれいふかし。 そのとき0130をたちをひきて、 まげてこのしよだんじたまふべしと。 このうへは、 禅命ぜんめいにしたがふとて、 になをりて、 このしふのこゝろ、 わうじやう極楽ごくらくしやういんじよく末代まちだい目足もくそく念仏ねむぶちゐちぎやうにありとみへたるよし、 もんをあさがへし、 をわきまへて、 いみじくかうじたまひければ、 えい感涙かんるいにむせび、 所化しよくえ帰伏くゐぶくのおもひあさからざりけり。 あはれにたうとかりしことどもなり。

  だい三段さんだん

かくてえいしやうにん臨終りんじゆのとき、 ゆづりじやうをかきて、 しやうにん本尊ほんぞんしやうげうとうことごとくぞくす。 やゝひさしくありてせいして、 べちしんじやうのことばをのせて、 さきのじやうにあひそふべしと 云々うんうんめいにその沙汰さたはんべりけるかとぞ、 ときのひとまふしあへりける。

  だいだん

諸方しよはう道俗だうぞくくえせんがために、 *じようあんねん きのえむま はるぎやうねんじふにしてくろだにをいでゝよしいづにぢゆしたまふ 感神かんじんいんのひんがしのほとりほくどうのきたのをもて。 それよりこのかた、 ひとへにじやうほふだんじ、 ねんごろに念仏ねむぶちぎやうをすゝめたまふ。 これによりてくわ皁白さうはく遠近えんきん貴賎くゐせんしんにあゆみをはこび、 門前もんぜんいちをなす。 をとひ、 ぎやう0131をたづぬるもの、 済々さいさいえんたり、 煌々くわうくわうえんたり。 したがひつきたてまつるもの、 百川はくせん巨海きよかいくゐし、 鱗介りんかいくゐりようにつくがごとし。

  だいだん

天臺てんだい円頓えんどんさちだいじようかいは、 しやくそんじふだい法葉ほふようさうじよう一身ゐちしんにあり。 このゆえに、 高倉たかくらゐん一日ゐちにちばんのまつりごとをさしをきて、 この一心ゐちしん妙戒めうかいをうけさせたまふ。 へいこう廉中れんちうこう、 ともに戒徳かいとくをたうとび、 おなじく戒香かいかうくんず。 またじやう西さい門院もんいんにして七日しちにち説戒せちかいあり。 そのとき、 からがきのうへにひとつのくちなはあり。 わだかまりてしちにちのあひだ、 さらにうごかずしてちやうもんしきあり。 けちぐわん、 たちまちにす。 かうべわれてぶんになれり。 そのわれたるなかより、 てうのごとくなるものとびさるとみるひともあり。 あるひは天人てんにんのごとくなるすがたにて、 虚空こくにとびのぼるとみるひともありけり。 むかし一人ゐちにんそうあり、 遠堺えんがいにおもむくことあり。 くれにければ、 なかにをあかさんとす。 かしこにひとつのつかあなあり、 かのあなにとゞまりぬ。 そうよもすがら ¬りやうきやう¼ をじゆす。 かのつかのうちにひやく蝙蝠へんぷくありけり。 このきやうちやうもんこうによりて、 すなはちたうてんしやうずと、 ゆめにいりてつげゝり。 せんしようすでにかくのごとし。 されば、 これも説戒せちかいちやうもん0132のちからにこたへて、 蛇身じやしんたちまちにまぬかれててんじやうしやうずるかとおぼゆ。 おほよそ洛中らくちうぐわい近国きんごく遠邦えんぱうざいしゆち、 かうべをかたぶけ、 こゝろざしをもはらにす。 いにしへかみそりをのみしゆめ、 いままさにがふせり。

  だい六段ろくだん

しようねん かのえね じふがつ廿にじふ八日はちにち東大とうだいえんじやうののち、 造営ざうえいあるべきよしぢやうあり。 だいくわんじんのこと、 当世たうせいにおきては、 法然ほふねんしやうにんのほか、 たれのともがらにかあらん。 あらかじめ精選せいせんにあたりて、 そのじんををす。 だいくわんじんたるべきむね、 大辨だいべん行隆ゆきたか朝臣あそんちよく使として禅室ぜんしちにむかひてこれをおほす。 しやうにん退たいしていはく、 貧道ひんだうもとより山門さんもん*交衆けうしゆをやめて、 林叢りんそう幽閑いうかんをよみすることは、 しづかに仏道ぶちだうしゆぎやうして、 じゆんしやうしゆちくわせんがためなり。 もしだいくわんじんしよくせば、 げき万端ばんたんにして、 ぎやうくえなんぞやすからん。 おもへらく、 のためにはひとへにじやうほふをのべ、 のためにはもはら称名しようみやうぎやうしゆしつゝ、 そのいとなみのほか他事たじをまじえじと。 こふ、 天憐てんれんをたれて貧僧ひんそうぐわん叡察えいさちをくだしましませと。 ちよく使そのこゝろざしをくみて、 かのことばをそうす。 かさねておほせくだされていはく、 しからば、 りやうじんきよしまふさるべしと。 しやうにんそのでうにをきては、 は0133やくけいをめぐらすべしと 云々うんうん。 よりてしゆじようばうてうぐえん、 かみのだいにはんべりけるをてうしやうして、 院宣ゐんぜんのおもむきをのぶ。 てうぐえん左右さうなく領状りやうじやうす。 よりてそのむねをそうせらる。 すなはち、 しゆじようばうをもてかのしよくせられけり。 てうぐえん領状りやうじやうまめやかの権者ごんじやかなとぞ、 しやうにんおほせられける。

 

0134しふとくでんのゑのことば くろだにのぐえんしやうにん ほん

  だい一段ゐちだん

やうやく東大とうだいすゝめつくりて、 しゆじようばう入唐にふたうす。 帰朝くゑてうのとき、 極楽ごくらくまん荼羅だら五祖ごそ真影しんえいをわたしたてまつりて、 東大とうだい半作はんさくののきのしたにて、 しやうにんだうとしてやうあるべきよしきこえければ、 興福こうぶく東大とうだいりやうがくしやう*悪僧あくそう、 をのをの三論さんろん法相ほふさうのはたぼこをときまうけて、 かねてかうのかたはらになみゐたり。 大衆だいしゅ*せんしけるは、 説法せちぽふのついでをもて、 あるひは*いんみやう*ないみょうあう、 あるひははちちうぐわんじんをとひかくべし。 こたえんにびうあらば、 悪僧あくそうをはなち、 あはせてじよくにあつべしと。 しかるにしやうにんこきすみぞめのころもに、 かうひがさきつゝ、 いとこともなげなるたいにて入堂にふだうあり。 かさうちぬぎつゝ*礼盤らいばんにのぼりて、 やがて説法せちぽふはじまりぬ。 影像えいざうとう讃嘆さんだんことをはりて、 三論さんろん法相ほふさう法文ほふもんとゞこほりなく問難もんなんにさいぎりて、 べんたまをはく。 つぎに、 しゆちだうにをきては、 じやうにあらずはしやうをはなれがたく、 念仏ねむぶちにあらずはじやうにむまれがたし。 いはんやまちにいたりてをや、 いはんやぼんにおいてをや。 しかれば、 弥陀みだ称名しようみやうゐちぎやう0135諸仏しよぶちおなじくすゝめ、 三国さんごくともにもてあそぶ。 なかんづくに、 しょをつくりしゃくをまうくる。 おほくはすなはちくゐ高僧かうそうしゆ先達せんだちか。 しかれば、 たうぜんなんぞあながちにこれをおとしめん。 いまこゝろみにれいぢやうにひざまづきて、 ほしいまゝにもんしやくし、 をのぶ。 かつはみやうかんをおそれ、 かつわ衆勘しゆかんをおそる。 おおそこの念仏ねむぶちは、 しんずるものは極楽ごくらくにむまれて永劫やうごふ楽果らくくわしようし、 はうずるやからはごくしてぢやうなうをうく。 たれかこれをはうせん、 たれかこれをしんぜざらんとて、 ことばをかざり、 をつくしたまひければ、 しゆひやくにん裹頭くわとう僧綱そうがう已下いげ悪僧あくそうとう袈裟けさをしのけて、 ひたがほになりつゝ、 ずい渇仰かちがふきわまりなし。 あるひはふたゝびしやそんしゆちにあふかとうたがひ、 あるひはたちまちに*富楼ふる弁説べんぜちをきくかとたんず。 そのをの嘲哢てうろう先言せんげん懺悔さんぐえし、 しんじゆん*こふくわいをぞあらましける。 ことをはりて、 あぶらくらにいりましましければ、 面々めんめん*しようしつゝ、 しやうたすけたまえしやうにんとぞ、 おほやうにはいしたてまつりける。 そのなかに、 悪僧あくそう一人ゐちにんしやうにんにたちむかひたてまつりて、 とうていわく、 そもそも念仏ねむぶちはうのものごくすとは、 いづれのきやうせちぞやと。 しやうにん、 とりあえず ¬大仏だいぶち頂経ちやうきやう¼ のせちこれないとこたえたまふ。 またくだんのさう袈裟けさをしのけて、 たなごゝろをあはせつゝしやう0136たすけたまへとらいす。 ほとほと*はなうそやぎてぞみえける。 しかしよりこのかた、 南北なんぼくきやう慢幢まんどうながくくだけて、 西方さいはう一実ゐちじち法輪ほふりん、 とこしなえにてんず、 ゆゝしかりしことなり。 またたうらうがく、 さきだちてずいかんずることありけり。 にちろうしければ、 いよいよれいこぞりてくゐをいたしけり。

つぎに 「さんきやう」 につきたること

¬仏説ぶちせちりやう寿じゆきやう¼ 巻上くわんじやう

まさにこのきやうしやくせんとするに、 たい釈名しやくみやう入門にふもんはんじやく三門さんもんあり。 はじめに、 たいは、 このきやうには能化のうくえこん本末ほんまちをあかし、 所化しよくえわうじやうしゆをとぐ。 乃往ないわうくわのむかし、 おん発心ほちしんのいにしえ、 十善じふぜんわうをなげすてゝ饒王ねうわうぶち宝前ほうぜんにまうで、 かい宝国ほうこくをすてゝ法蔵ほふざふ沙門しやもん尊号そんがうをえたり。 ひゃくをくしやうごんをえらびて十八じふはちぜいをおこし、 ろくせうぎやういんしゆして三身さんしん万徳まんどく仏果ぶちくわしようす。 こうゆいのむかしのみち十劫じふこふらいのいまの妙果めうくわにあらはる。 しゆしよどくのみづ三輩さんぱいしゆぎやうのかげをうかべ、 ほんぐわんわうじやうのつき一向ゐちかう専念せんねんのまどをてらす。 教主けうしゆしやくそんは 「横截わうぜちあく (大経巻下) ととき、 かうくわしやうは 「超断てうだん四流しる (玄義分) しやくす。 きやうのはじめにはなんしやうをうけてしやうごんじやう由序ゆいじよをおこし、 きやうのをはりにはろくぞくをうけて念仏ねむぶちわう0137じやうづうをつのる。 これゐちきやうぐわんぶちくわいなり。 たいかくのごとし。 つぎに題目だいもくは、 「ぶち」 といふはしや教主けうしゆ、 「せち」 といふは如来によらいおん、 「りやう寿じゆ」 といふは極楽ごくらく能化のうくえ、 「きやう」 といふは仏説ぶちせちめい、 「巻上くわんじやう」 といふはじやうりやうくわんあるがゆへなり。

つぎに文段もんだんは、 「もんによ」 といふより 「ぐわんげう欲聞よくもん」 といふにいたるまでは、 序分じよぶんなり。 「仏告ぶちがうなん乃往ないわうくわ」 といふより 「りやくせち之耳しに」 といふにいたるまでは、 しやうしゆなり。 「ぶちろく其有ごう得聞とくもん」 といふよりきやうのをはりにいたるまでは、 これづうぶんなり。 弥陀みだ如来によらいもとさちだうぎやうじたまひしとき、 だんしゆ劫海こうかいををくる。 ¬きやう¼ (悲華経巻九檀波羅蜜品意) にいはく、 「ほどこすところのは、 ゐちごうしやのごとし。 乞眼こちげん婆羅ばらもんのごとく、 飲血をんけちしゆじやうありて身分しんぶんしやうけちをこふに、 ほどこすところのしやうけちだい海水かいしゐのごとし。 噉肉だんにくしゆじやうありて、 身分しんぶんにくをこふに、 ほどこすところのしゝむらはせんしゆせんのごとし。 しかのみならず、 すつるところのしたは、 だいてちせんのごとし。 すつるところのみゝは、 じゆんせんのごとし。 すつるところのはなは、 毘布びふせんのごとし。 すつるところのは、 しや崛山くちせんのごとし。 すつるところのしんは、 三千さんぜん大千だいせんかいしよのごとし」 と 云々うんうん。 しかのみならず、 あるときには肉山にくせん0138なりてしゆじやう食噉じきだんせられ、 あるときには大魚だいぎよとなりて身分しんぶんしゆじやうにあたふ。 さち慈悲じひ、 これをもてしるべしと 云々うんうんしゆじやう貪欲とんよく、 これをもてしるべしと 云々うんうん飲血をんけち噉肉だんにくしゆじやうはなさけなくさちしやうのはだえをやぶり、 じきじやくぼんははゞかりなくさち慈悲じひのしゝむらをじきす。 かくのごとく一劫ゐちこふこふにあらず。 兆載てうさいゐやうごふのあひだ、 だい海水かいしゐをながし、 せんしゆせんのしゝむらをつくす。 すてがたきをよくすて、 しのびがたきをよくしのびてだんまんじ、 波羅はらみつ満足まんぞくす。 忍辱にんにくしやうじんぜんぢやう智恵ちえろく円満えんまんし、 まんぎやうそくすと 云々うんうん。 またおなじききやう十八じふはちぐわんのなかに、 だい十八じふはち念仏ねむぶちわうじやうぐわんにふたつのこゝろあり。 しゆちしやうはこればちなり。 わうじやう極楽ごくらくはこれらくなり。 しやうしゆゐちによくはなれてじやう諸楽しよらく一念ゐちねんによくうく。 もし弥陀みだ念仏ねむぶちぐわんなく、 しゆじやうこのぐわんりきじようぜずは、 五苦ごく逼迫ひちぱくしゆじやう、 いかんしてかかゐをはなるべき。 くわ生々しやうじやう世々せゝ弥陀みだせいぐわんにあはざれば、 いまに三界さんがいかい火宅くわたくにありて、 いまだとくじやうらくほうじやうにいたらず。 くわみなもてかくのごとし。 らいまたむなしくをくるべし。 こむじやうになにのさいわひありてか、 このだいぐわんにあへる。 たとひあふといふとも、 もししんぜずは、 あはざるがごとし。 すでにふかくこれをしんず、 いままさしくこれにあえるな0139り。 たゞし、 たとひこゝろにこれをしんずといふとも、 もしこれをぎやうぜずは、 またしんぜざるがごとし。 すでにこれをぎやうず、 まさしくこれをしんずるなり。 ぐわんりきむなしからず、 ぎやうごふまことあり、 わうじやううたがひなし。 すでにしやうをはなれ、 しゆをはなるべし。 すなはちこれだいばちなり。 つぎにわうじやう極楽ごくらくののち、 身心しんしん諸楽しよらくをうく。 まなこに如来によらい拝見はいけんし、 しやうじゆ瞻仰せんがうす、 みるごとに眼根げんこんらくをます。 みゝに深妙じんめうほふをきく、 きくごとにこんらくをます。 はなにどく法香ほふかうをかぐ、 かぐごとにこんらくをます。 したにほふ法悦ほふえちのあぢはひをなむ、 なむるにしたがひて舌根ぜちこんらくをます。 弥陀みだ光明くわうみやうをかうぶる、 ふるゝごとに身根しんこんらくをます。 こゝろらくきやうえんず、 えんずるごとにこんらくをます。 極楽ごくらくかい一々ゐちゐちきやうがい、 みな離苦りく得楽とくらくのはかりごとなり。 かぜの宝樹ほふじゆをふくもこれらくなり、 でうくえくわじやうらくゐんす。 なみの金岸こんがんをあらふもこれらくなり、 らん廻流えるとくをのぶ。 洲鶴しふかくのさえづるもこれらくなり、 根力こんりき覚道かくだう法門ほふもんなるがゆへに。 塞鴻さいこふのなくもこれらくなり、 念仏ねむぶち法僧ぽふそう妙法めうほふなるがゆへに。 ほうをあゆむもこれらくなり、 てんあなうらをうく。 宝宮ほふぐうにいるもこれらくなり、 天楽てんがくみゝにそうす。 これすなはち弥陀みだ如来によらい慈悲じひおんこゝろに念仏ねむぶちせいぐわんをおこして、 われらしゆじやうをぬきらくをあたふ0140るこゝろなり。 つぎにべちして女人によにんやくしてぐわんをおこしていはく、 「たとひわれぶちをえたらんに、 それ女人によにんありてわがみやうをきゝて、 くわん信楽しんげうし、 だいしんをおこして、 女身によしんえんせん。 みやうじゆののち、 また女像によざうとならば、 しやうがくをとらじ」 (大経巻上) 。 これについてうたがひあり。 かみの念仏ねむぶちわうじやうぐわん男女なんによをきらはず、 来迎らいかう引接いんぜう男女なんによにわたる。 ねん定生ぢやうしやうぐわんまたしかなり。 いまべちにこのぐわんあり、 そのこゝろいかんぞ。 つらつらこのことをあんずるに、 女人によにんはさはりおもし、 あきらかに女人によにんやくせずは、 すなはちしんしやうぜん。 そのゆへは、 女人によにんはとがおほく、 さはりふかくして、 一切ゐちさいのところにきらはれたり。 道宣だうせんきやうをひきていはく、 「十方じふぱうかい女人によにんあるところにはすなはちごくあり」 (浄心誡観巻上) 云々うんうん。 しかのみならず、 うちに*しやうあり、 ほかに*さんしようあり。 しやうといふは、 「ひとつには梵天ぼんてんわうとなることをえず、 ふたつにはたいしやくみつにはわうよつには転輪てんりんじやうわういつゝには仏身ぶちしん (法華経巻四菩提品) 云々うんぬん。 「一者ゐちしやとく梵天ぼんてんわう」 といふは、 色界しきかゐ初禅しよぜんしゆ梵衆ぼんしゆぼんわうなり。 かれなをしやうめちのさかひ、 輪転りんでんのすがたなる。 りやう梵天ぼんてん、 かわるがわるすれども、 またく女身によしんをもて高台かうだいかくにのぼるものなく、 三銖さんしゆのころものくびをかいつくろふものなし。 これなをかたし、 いかにいはんやわうじやうをや。 これをうたがふべきが0141ゆへに、 べち女人によにんわうじやうぐわんをおこす。 「しやたいしやく」 といふは、 欲界よくかいだいてんしゆ八万はちまんのいたゞき、 三十さんじふ三天さんてんしゆなり。 かれまたすいのかたち、 めちのさかひなる。 そこばくのたいしやく、 かはりうつるといえども、 いまだ女身によしんをもてたいしやくほうにのぼるものなし。 「三者さんしやわう」 といふは、 欲界よくかい第六だいろくてん他化たけざいわうなり。 なを業報ごふほうのすがた、 遷変せんぺんのところなる。 ひやくせんわううつりゐるといえども、 いまだ女身によしんわうといふことあらず。 「しや転輪てんりんじやうわう」 といふは、 とう西ざいなんぼくしふわうこんごんどうてちりんわうなり。 そのなかに、 いまだ一人ゐちにんとしてもによ輪王りんわうといふものあらず。 「しや仏身ぶちしん」 といふは、 ぶちになることは、 なんなをかたし、 いかにいわんや女人によにんをや。 大梵だいぼん高台かうだいかくにもきらはれて、 梵衆ぼんしゆぼんのくもをのぞむことなく、 たいしやく柔軟にうなんのゆかにもくだされて、 三十さんじふ三天さんてんのはなをもてあそぶこともなし。 六天ろくてんわうのくらゐ、 しゆ輪王りんわうのあと、 のぞみながくたえてかげをだにもさゝず。 てんじやうてんのなをいやしきしやう有漏うろ果報くわほうじやうしやうめちのつたなきにだにもならず。 いかにいはんやぶちをや。 まふすにはゞかりあり。 おもえばおそれあり。 三惑さんわくとんにつきて二死にしながくのぞこり、 ぢやうこゝにあけて覚月かくげちまさにまどかなり。 四智しちえんみやうのはるのそのに三十さんじふさうのはなあざやかにひらけ、 三身さんしん即一そくゐち0142のあきのそらに八十はちじふ種好しゆかうのつききよくすめり。 くらゐ妙覚めうがく高貴かうくゐのくらゐ、 かい潅頂くわんぢやう法王ほうわうなり。 かたちは仏果ぶちくわ円満えんまんのかたち、 三点さんてんほふしやう円融えんゆう聖容せいようなり。 じちにはなんだにも善財ぜんざいだいゐちぴやく一十ゐちじふじやうにもとめしがごとくし、 雪山せちせんどう四句しくはんをなげしがごとくして、 ぶちにはなるべしとまふしてさふらふに、 ゆるくをこなひ、 おろそかにもとめては、 またくかなふべからずさふらふ。 さればせんじやうまんこれなんなれども、 じやうぶちをさりてたち、 闡提せんだい沙門しやもんなる、 けんごふをむすびておちぬ。 仏道ぶちだうにきらはれ、 ぶちにすてらるゝもの、 あげてかぞふべからず。 いかにいはんや、 女人によにんしよきやうろんのなかにきらはれ、 在々ざいざい所々しよしよひんしゆちせられたり。 さん八難はちなんにあらずは、 おもむくべきかたもなく、 六趣ろくしゆしやうにあらずは、 うくべきかたちもなし。 しかればすなはち、 富楼ふる尊者そんじやじやうぶちのくにゝもろもろの女人によにんなく、 またもろもろの悪道あくだうなしとらいひて、 三悪さんまくだうにひとしめてながく女人によにんのあとをけづり、 天親てんじんさちの ¬わうじやうろん¼ のなかには、 「女人によにんをよび根缺こんけちじようしゆしやうぜず」 といひて、 根缺こんけち敗種はいしゆどうじて、 とをくわうじやうののぞみをたつと 云々うんうん諸仏しよぶちじやうおもひよるべからず。 この日本にちぽんこくに、 たうとくやんごとなきれい霊験れいげんのみぎりに、 みなことごとくきらはると 云々うんうん。 まづ叡山えいざんはこれ0143伝教でんげうだい建立こんりうくわん天皇てんわうぐわんなり。 だいみづから結界けちかいして、 たにをさかひ、 みねをかぎりて女人によにんのかたちをいれず。 ゐちじようのみねたかくたちて、 しやうのくもたなびくことなく、 ゐちのたにふかくたゝへて、 さんしようのみづながるゝことなし。 やくわう霊像れいざうみゝにきゝてまなこにみず、 だい結界けちかいれいとをくみてちかくのぞまず。 かうさん弘法こうぼうだい結界けちかいのみね、 真言しんごん上乗じやうじようはんじやうなり。 三密さんみつぐわちりん、 あまねくてらすといえども、 女人によにん非器ひきのやみをばてらさず。 びやうしゐ、 ひとしくながるといえども、 女人によにん垢穢くえのすがたにはそゝがず。 これらのところにをいて、 なをそのさはりあり。 いかにいはんやしゆちくわ三界さんがいだうじやうにをいてをや。 しかのいならず、 またしやう天皇てんわうぐわん十六じふろくぢやう金銅こんどうしやのみまえに、 はるかにこれを拝見はいけんすといえども、 なをとびらのうちにはいらず。 てん天皇てんわう建立こんりうぢやう石像せきざうろくのまへたかくあふぎてこれを礼拝らいはいすといえども、 なをだんのうえにはさはりあり。 ないこんのくものうえ、 だいのかすみのそこ、 女人によにんはかげをさゝず。 かなしきかな、 ふっつのあしをそなえたりといえども、 のぼらざるほふあり、 ふまざる仏庭ぶちていあり。 はづかしきかな、 ふたつのまなこあきらかなりといへども、 みざるれいあり、 はいせざる霊像れいざうあり。 この穢土えどぐわりやくきやうこくのやま、 泥木でいもくざうぶちにだに0144もさはりあり。 いかにいはんや衆宝しゆぼうがうじやうじやう万徳まんどくきやうぶちをや。 これによりて、 わうじやうにそのうたがひあるべきがゆへに、 このをかゞみてべちしてこのぐわんありと 云々うんうん善導ぜんだうこのぐわんしやくしていはく、 「いまし弥陀みだだいぐわんりきによるがゆへに、 女人によにんぶちみやうがうしようすれば、 まさしくみやうじゆのときすなはち女身によしんてんじてなんとなすことをう。 弥陀みだせふし、 さちをたすけて宝華ほうくえのうえにし、 ぶちにしたがひてわうじやうして、 ぶちだいにいりてしやうしようす。 また一切ゐちさい女人によにんもし弥陀みだ名願みやうぐわんりきによらずは、 千劫せんごふ万劫まんごふごうしやとうこうにも、 つゐに女身によしんてんずることをうべからず。 あるひは道俗だうぞくありていはく、 女人によにんじやうしやうずることをえずといはゞ、 これは妄説まうせちなり、 しんずべからず」 (観念法門ほふもん) と。 これすなはち、 女人によにんをぬきて女人によにんらくをあたふる慈悲じひおんこゝろのせいぐわんしやうなり。  またいはく、 念仏ねむぶちやくもん、 ¬りやう寿じゆ経¼ のにいはく、 「ぶちろくにかたりたまはく、 それかのぶちみやうがうをきくことをえて、 くわんやくしてない一念ゐちねんすることあらん。 まさにしるべし、 このひとはだいをうとす。 すなはちこれじやうどくそくするなり」。 善導ぜんだうの ¬礼讃らいさん¼ にいはく、 「それかの弥陀みだぶちみやうがうをきくことをうることありて、 くわんして一念ゐちねんにいたるもの、 みなまさにかしこにしやうずることをうべし」。 末法まちぽふ万年まんねんののち、 0145ぎやうことごとくみちして、 ことに念仏ねむぶちをとゞめたまふもん、 ¬りやう寿じゆきやう¼ のくわんにいはく、 「当来たうらいきやうだう滅尽めちじんせんに、 われ慈悲じひ哀愍あいみんをもて、 ことにこのきやうをとゞめてぢうすることひやくさいせん。 それしゆじやうありてこのきやうにあふものは、 こゝろのしよぐわんにしたがひてみなとくすべし」。

¬仏説ぶちせちくわんりやう寿じゆきやう¼

まさにこのきやうしやくせんとするに、 たい釈名しやくみやう入門にふもんはんじやく三門さんもんあり。 はじめにたいは、 このきやうさん諸仏しよぶちじやうごふしやういんをあかし、 ぢよくぼんわうじやうどくをとく。 十三じふさんめうくわんをこらし、 さんぎやういんしゆす。 ぜんぢやうみづしづかにしてしやうかげをうかべ、 散善さんぜんはなほころびて薫修うんじゆこのみをむすぶ。 きやうのはじめには、 しばらくずい他意たいやくしてひろくぢやうさんぜんをとき、 きやうのをはりには、 ことにずい自意じいにんをえらびてたゞみやうゐちぎやうをとく。 如来によらい梵音ぼんおん和雅わげのみこえをいだして、 けちぢやうわうじやうびちみやうをゆづり、 なんをくまうのいたゞきをたれてだいづうぞくをうく。 ぶちほんぐわんのこゝろをのぞむに、 しゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちのみなをしようせしむるにあり。 このきやうたいかくのごとし。

題目だいもくは、 「ぶち」 といふは三覚さんがく教主けうしゆ、 「せち」 といふはぢやうさん諸善しよぜん、 「くわん」 といふはしやう0146くわん、 「りやう寿じゆ」 といふは念仏ねむぶち本尊ほんぞん、 「きやう」 といふはこんじちなり。

文段もんだんは、 だいもんやくしてこれをあかす。 いまはしばらくりやくぞんじて、 だんをもてこれをしやくす。 「によもん」 といふより 「うんけん極楽ごくらくかい」 といふにいたるまでは、 これ序分じよぶんなり。 「仏告ぶちがうだいによぎうしゆじやう」 といふよりぼんしやうのをはりにいたるまでは、 これしやうしゆぶんなり。 「せち是其ぜご」 といふより諸天しよてん発心ほちしんにいたるまでは、 得益とくやくぶんなり。 「なんびやくぶち」 といふよりきやうのをはりにいたるまでは、 これづうぶんなり。

¬きやう¼ (観経) にいはく、 「もし念仏ねむぶちするものは、 まさにしるべし。 このひとはこれ人中にんちうふん陀利だりくえなり。 くわんをんさち大勢だいせいさち、 そのしようとなりたまふ。 まさにだうじやうして諸仏しよぶちのまえにしやうずべし」。 おなじききやうの ¬しよ¼ (散善義) にいはく、 「もしよく相続さうぞくして念仏ねむぶちするものは、 このひとはなはだ希有けうなりとす、 さらにものとしてこれにたくらぶべきなし、 かるがゆえにふん陀利だりをひきてたとえとす。 ふん陀利だりといふは、 人中にんちうかうくえとなづく、 また希有けうくえとなづく、 また人中にんちう上々じやうじやうくえとなづく、 また人中にんちう妙好めうかうくえとなづく。 このはな相伝さうでんして蔡華さいくえとなづくる、 これなり。 念仏ねむぶちするものは、 すなはちこれ人中にんちう好人こうにんなり、 人中にんちう妙好めうかうにんなり、 人中にんちう上々じやうじやうにんなり、 人中にんちう希有けうにんなり、 人中にんちうさいしようにんなり。 よつにはもはら弥陀みだのみなをねんずるものには、 すなは0147くわんおんせいつねにしたがひてやうしたまふこと、 またしんしきのごとくなることをあかす。 いつゝにはこむじやうにすでにこのやくをかうぶりぬれば、 いのちをすてゝすなはち諸仏しよぶちのいえにいることをあかす。 すなはちじやうこれなり。 かしこにいたりて、 じやうほふをきゝ、 りやくやうす。 いんまどかにくわまんず。 だうじやう、 あにはるかならんや」。 おなじき ¬きやう¼ (観経) にいはく、 「ぶちなんにつげたまわく、 なんぢ、 よくこのことばをたもて。 このことばをたもてといふは、 すなはちこれりやう寿じゆぶちのみなをたもてとなり」。 おなじききやうの ¬しよ¼ (散善義) にいはく、 「仏告ぶちがうなん汝好によかう是語ぜご」 といふより以下いげは、 まさしく弥陀みだみやうがうぞくして、 だいづうすることをあかす。 かみよりこのかた、 ぢやうさんりやうもんやくをとくといえども、 ぶちほんぐわんのこゝろをのぞむるに、 しゆじやうをして一向ゐちかうにもはら弥陀みだぶちのみなをしようせしむるにあり」。

¬仏説ぶちせちわあ弥陀みだきやう¼

まさにこのきやうしやくせんとするに、 たい釈名しやくみやう入門にふもんはんじやく三門さんもんあり。 はじめにたいは、 はじめには極楽ごくらくしやうほうしやうごんをあかし、 のちには末代まちだいぎやうじやわうじやうぎやうさうをとく。 いわゆるほふしやう真如しんによだいには黄金わうごん瑠璃るりのかゞみかげをうつし、 第一だいゐちたい虚空こくにはまん曼殊まんじゅのはなにほひをはく。 林樹りんじゆ七宝しちぽうにわかれてくわ0148ろいろにかうばしく、 しゐ八徳はちとくをたゝえて風波ふはこえごえにながる。 しゆぎよく宮殿くうでんいらかをならべ、 異花ゐげかくのきをかさぬ。 これほうしやうごんなり。 六十ろくじふ万億まんおくしんりやうは、 金山こんせんのごとくして高々かうかうたり。 八万はちまんせん相好さうがうは、 ぐえつににて明々めいめいたり。 くわんをんにちくわうのごとくしてめんにひざまづき、 せいぐわちりんにひとしくしてけうす。 品々ほんほんげんじやうはほしのごとくしてあゆみあつまり、 彼々ひひさちはなのごとくしてとびきたる。 これしやうぼうしやうごんなり。 七日しちにちしよう念仏ねむぶちじやうぼん信心しんじんのひかりをあらはし、 六方ろくぱう舌相ぜちさう証誠しやうじやうこんわくのやみをはらふ。 弥陀みだぜい六八ろくはちなりといえども、 ぎやうじやえうゐちにあり。 しん信楽しんげうだい十八じふはちぐわんぢう正定しやうじやうじゆだい十一じふゐちぐわんなるがゆえなり。 たいかくのごとし。

題目だいもくは、 「ぶち」 といふは諸仏しよぶちのなかの教主けうしゆしやくそん、 「せち」 といふはしゆのうちの如来によらい巧言げうごんなり。 「わあ弥陀みだ」 といふは仏号ぶちがうをもてきやうとす。 「きやう」 といふはつねなり。 せんしやうけんおなじくとき、 おなじくぎやうず。

文段もんだんは、 「によもん」 といふより 「諸天しよてん大衆だいしゅ」 といふにいたるまでは、 序分じよぶんなり。 「爾時にじ仏告ぶちがうちやうらう」 といふより 「是為ぜゐ甚難じんなん」 といふにいたるまでは、 しやうしゆなり。 「仏説ぶちせちきやう」 といふより 「らいきよ」 といふにいたるまでは、 づうなり。 きやうしやうしゆにつ0149いて、 ¬くわんねん法門ぼふもん¼ にしやくしていわく、 「また ¬弥陀みだきやう¼ にいふがごとし。 六方ろくぱうにをのをのごうしやとう諸仏しよぶちましまして、 みなしたをのべてあまねく三千さんぜんかいにおほひて、 じやうじちのことばをときたまふ。 もしはぶちざいにまれ、 もしはぶちめちにまれ、 一切ゐちさい造罪ざうざいぼん、 たゞししんしてわあ弥陀みだぶちねんじて、 じやうしやうぜんとぐわんずれば、 かみひやくねんをつくし、 しも七日しちにち一日ゐちにちじふしやうさんしやうゐちしやうにいたるまで、 いのちをはらんとするときに、 ぶちしやうじゆとみづからきたりて迎接かうせうして、 すなはちわうじやうをえしむ。 かみのごときの六方ろくぱうとうぶちしたをのべて、 さだめてぼんのためにしようをなしたまふ。 つみみちしてしやうずることをうと。 もしこのしようによりてしやうずることをえずは、 六方ろくぱう諸仏しよぶちののべたまへるした、 ひとたびくちよりいでゝのち、 つゐにくちにかへりいらずして、 ねんらんせん」。 またいはく、 「このひと、 つねに六方ろくぱうごうしやとうぶちともにきたりてねんしたまふことをう。 かるがゆへにねんぎやうとなづく。 ねんのこゝろは、 またもろもろのあく鬼神くゐじんをしてたよりをえしめず、 またわうびやうわう、 よこさまに厄難やくなんあることなし、 一切ゐちさいさいしやうねんしようさんす。 しんをいたさゞらんをばのぞく」 (観念法門)

¬きやう¼ (小経) にいはく、 「ぶちこのきやうをときたまふことをわりて、 しやほちをよびもろもろ0150比丘びく一切ゐちさいけんてんにんしゆとうぶち所説しよせちをきゝてくわん信受しんじゆして、 らいをなしてしかもさりにき」。 ¬ほふさん¼ (巻下) にこのもんしやくしていはく、 「そん説法せちぽふ、 ときまさにをはりなんとして、 慇懃おむごん弥陀みだのみなをぞくす。 ぢよくぞうのときはうするものおほからん、 道俗だうぞくあひきらひてきくことをもちゐじ。 しゆぎやうすることあるをみては瞋毒しんどくをおこす。 方便はうべん破壊はえしてきほひてあだをなす。 かくのごときのしやうまう闡提せんだいのともがら、 とんげう毀滅くゐめちしてながく沈淪ちんりんす。 だいぢんごう超過てうくわすとも、 いまださんをはなるゝことをうべからず。 大衆だいしゅ同心どうしんにみなしよほうざい因縁いんねん懺悔さんぐえせよ」。

つぎに五祖ごそにつきたること。

いままたこの五祖ごそといふは、 まづ曇鸞どんらんほふだうしやくぜん善導ぜんだうぜんかんぜん少康せうかうほふとうなり。 曇鸞どんらんほふは、 りやうぐゐりやうこくさふがくしやうなり。 はじめはいのちながくして仏道ぶちだうぎやうぜんがために、 たう隠居ゐんきよにあひてせんぎやうをならひて、 その仙方せんばうによりてしゆぎやうせんとしき。 のちにだい流支るし三蔵さんざうにあひたてまつりて、 仏法ぶちぽふのなかにちやうせい不死ふしほふの、 このせんぎやうにすぐれたるやさふらふととひたてまつりたまひければ、 三蔵さんざうつばきをはきてこたえたまふやう、 おなじことばをもてい0151ひならふべきにあらず。 このいづれのところにかぢやうしやうほうあらん。 いのちながくしてしばらくしなぬやうなれども、 つゐにかへりてさんりんす。 たゞこのきやうによりてしゆぎやうすべし。 すなはち長生ぢやうしやう不死ふしのところにいたるべしといひて、 ¬観経くわんぎやう¼ をさづけたまえり。 そのときたちまちに改悔がゐくえしんをおこして、 せんぎやうをやきて、 ぎやうくえ一向ゐちかうわうじやうじやうほふをもはらにしき。 ¬わうじやうろんちゆ¼・¬りやくろん安楽あんらく¼ とうのふみ、 これをつくりたまふ。 州へいしふぐえんちうさんびやくにんもんあり。 臨終りんじゆのとき、 そのもんさんびやくにんあつまりて、 みづからはかふをとり、 にしにむかひて、 弟子でしともにこえをひとしくして、 かうしやう念仏ねむぶちしてみやうじゆしぬ。 そのとき道俗だうぞく、 おほくそらのなかに音楽おんがくきく云々うんうん

だうしやくぜんは、 もとは涅槃ねちはんがくしやうなり。 州へいしふ玄忠げんちうにして曇鸞どんらんもんをみて、 発心ほちしんしていはく、 「かの曇鸞どんらんほふとく高遠かうおんなる、 なを講説かうぜちをすてじやうごふしゆして、 すでにわうじやうせり。 いはんやわがしよしよおほしとするにたらんや」 (迦才浄土論) といひて、 すなはち涅槃ねちはん講説かうぜちをすてゝ、 一向ゐちかうにもはら念仏ねむぶちしゆして相続さうぞくしてひまなし。 つねに ¬観経くわんぎやう¼ をかうじて、 ひとをすゝめたり。 州へいしふ晋陽しんやうたいぐえん汶水ぶんしゐさんくえん道俗だうぞく七歳しちさいじやうはことごとく念仏ねむぶちをさとりわうじやうをとげり。 またひとを0152すゝめて、 てい便べん西方さいはうにむかはず、 ぎやうぢゆぐわ西方さいはうをそむかず。 また ¬安楽あんらくしふ¼ くわんこれをつくりたまふ。 おほよそわうじやうじやうけうづうだうしやくをんちからなり。 ¬わうじやうでん¼ とうをみるにも、 おほくだうしやくのすゝめをうけてわうじやうをとげたり。 善導ぜんだうもこのだうしやく弟子でしなり。 しかれば、 終南しゆなんざん道宣だうせんの ¬でん¼ (続高僧伝巻二〇意) にいはく、 「西方さいはう道教だうけうのひろまることは、 これよりおこる」 といへり。 また曇鸞どんらんほふ七宝しちぽうのふねにじようじて空中くうちうにきたれるをみる。 また化仏くえぶちそらにぢゆすること七日しちにち、 そのときてんありて、 来集らいじふのひとびとそでにこれをうく。 かくのごとく不可ふか思議しぎ霊瑞れいずいおほし。 じゆ白雲はくうん西方さいはうよりきたりて、 三道さんだうはくくわうとなりて房中ばうちうをてらす。 しきのひかり、 空中くうちうげんず。 またつかのうえにうんさんげんずることあり。

善導ぜんだうくわしやう、 いまだ ¬観経くわんぎやう¼ をえざるさきに、 三昧さんまいをえたまひけるとおぼえさふらふ。 そのゆえは、 だうしやくぜんにあひて ¬観経くわんぎやう¼ をえてのち、 このきやう所説しよせち、 わが所見しよけんにおなじといえり。 だうくわしやう念仏ねむぶちしたまふには、 くちよりぶちいでたまふ。 どんしやうの ¬さん¼ にいはく、 「善導ぜんだう念仏ねむぶちしたまへば、 ぶちくちよりいでたまふ」 と 云々うんうん。 おなじく念仏ねむぶちをまうすとも、 かまえて善導ぜんだうのごとくくちよりぶちいでたまふばかりまふすべきなり。 「よくによ善導ぜんだう妙在めうざい純熟じゆんじゆく」 とまふして、 たれなりとも念仏ねむぶちをだにもまこ0153とにまふして、 そのこうじゆくしなば、 くちよりぶちはいでたまふべきなり。 だうしやくぜんなれども、 いまだ三昧さんまい発得ほちとくせず。 善導ぜんだう弟子でしなれども、 三昧さんまいをえたまひたり。 しかればだうしやく、 わがわうじやうゐちぢやうぢやうぶちにとひたてまつりたまふべしとのたまひければ、 善導ぜんだうぜんめいをうけてすなはちぢやうにいりてわあ弥陀みだぶちにとひたてまつるに、 ぶちののたまわく、 だうしやくにみつのつみあり、 すみやかに懺悔さんぐえすべし。 そのつみ懺悔さんぐえして、 さだめてわうじやうすべし。 ひとつには、 仏像ぶちざうきやうくわんをばひさしにをきて、 わが房中ばうちうす。 ふたつには、 しゆちのひとをつかふ。 みつには、 造作ざうさくのあひだむしのいのちをころす。 十方じふぱうぶちのまえにして、 第一だいゐちのつみを懺悔さんぐえすべし。 諸僧しよそうのまえにして、 だいのつみを懺悔さんぐえすべし。 一切ゐちさいしゆじやうのまえにして、 第三だいさんのつみを懺悔さんぐえすべしと。 善導ぜんだうすなはちぢやうよりいでゝ、 このむねをだうしやくにつぐる。 だうしやくのいはく、 しづかにむかしのとがをおもふに、 これみなむなしからずといひて、 しんをいたして懺悔さんぐえすと 云々うんうん。 しかれば、 にまさりたるなり。 善導ぜんだうは、 ことに火急くわきうせうしやう念仏ねむぶちをすゝめて、 かずをさだめたまへり。 一万ゐちまんまん三万さんまんまんない十万じふまん云々うんうん

かんは、 法相ほふさうしゆがくしやうなり。 ひろくきやうてんをさとりて、 念仏ねむぶちをばしんぜず、 善導ぜんだうとふ0154ていはく、 念仏ねむぶちしてぶちをみたてまつりてんや。 どうくわしやうこたえていわく、 ぶちじやうごんなんぞうたがはんや。 かんこのことにつきて、 たちまちにさとりをひらき、 しんをおこしてだうじやうにいりて、 かうしやう念仏ねむぶちして、 ぶちをみたてまつらんとぐわんずるに、 さん七日しちにちまでその霊瑞れいずいをみず。 そのときかんぜん、 みづからざいしやうのふかくしてぶちをみたてまつらざることをうらみて、 じきだんじてせんとす。 善導ぜんだうせいしてゆるさず。 のちに ¬ぐんろん¼ 七巻しちかんをつくると 云々うんうんかんはことにかうしやう念仏ねむぶちをすゝめたまえり。

少康せうかうは、 もとはきやうしやなり。 としじふさいにして ¬法華ほふくえ¼・¬りようごん¼ とうきやう五部ごぶをよみおぼえたり。 これによりて、 ¬高僧かうそうでん¼ には読誦どくじゆへんにいれたれども、 たゞきやうしやのみにあらず、 瑜伽ゆが唯識ゆいしきがくしやうなり。 のちにはく馬寺ばじにまうでゝ堂内だうないをみれば、 ひかりをはなつものあり。 これをさぐりとりてみれば、 善導ぜんだう西方さいはう化導くえだうもんなり。 少康せうかうこれをみて、 しんたちまちにくわんして、 ぐわんをおこしていわく、 われもしじやうえんあらば、 このもんふたゝびひかりをはなてと。 かくのごとくちかひをはりてみれば、 かさねてひかりをはなつ。 そのひかりのなかに、 化仏くえぶちさちまします。 くわんやすめがたくして、 つゐにまたちやうあん善導ぜんだうくわしやう影堂えいどうにまうでゝ、 善導ぜんだう真影しんえいをみれば、 くえして仏身ぶちしんとなりて少康せうかうにのたまわく、 なんぢ、 わがけうにより0155しゆじやうやくし、 おなじくじやうしやうずべし。 これをきゝて、 少康せうかうしよしようあるがごとし。 のちにひとをすゝめんとするに、 ひとその教化けうくえにしたがはず。 しかるあひだ、 せんをまうけて、 まづ小童せうどうとうをすゝめて、 念仏ねむぶち一遍ゐちぺんせん一文ゐちもんをあたふ。 のちに十遍じふぺん一文ゐちもん、 かくのごとくするあひだ、 少康せうかうのありくに小童せうどうとうつきてをのをの念仏ねむぶちす。 また小童せうどうのみにあらず、 老少らうせう男女なんによをきらはず、 みなことごとく念仏ねむぶちす。 かくのごとくしてのち、 じやうだうをつくりて、 ちうぎやうだうして念仏ねむぶちす。 所化しよくえにしたがひてだうじやう来集らいじふするともがら、 三千さんぜんにんなり。 また少康せうかうかうしやう念仏ねむぶちするをみれば、 くちよりぶちいでたまふこと、 善導ぜんだうのごとし。 このゆへに、 ときのひと善導ぜんだうとなづけたり。 じやうだうとはたうのならひ、 わあ弥陀みだぶちをすえたてまつりたるだうをば、 みなじやうだうとなづけたるなり。

五祖ごそ御徳おんとくえうをとるにかくのごとし。

 

元徳元年 九月七日書写之畢

執筆善最

 

0156しふとくでんのゑのことば くろだにのぐえんしやうにん まち

  だいだん

*ぶんねんのころ、 天臺てんだい座主ざすそうじやう顕真けんしん使しやをたてゝ、 しやうにんにしめしていはく、 登山とうざんのついでにかならず見参けんざんをとげて、 まうしうけたまはるべきことはんべり、 音信いんしんせしめたまへと。 よりてあるとき、 さかもとにいたれるよししめしたまふ。 すなはち座主ざすそうじやうざんしつゝ対面たいめんしていはく、 こんいかにしてかしやうしゆちくわしはんべるべきと。 しやうにんこたへてのたまはく、 いかやうにもおんはからひにはすぐべからずと。 またいはく、 そのでう所存しよぞんなきにあらずといへども、 先達せんだちにおはしませば、 もしおもひさだめたまえるむねあらば、 しめしたまへとなり。 そのときにしやうにんののたまはく、 しんのためには、 いさゝかおもひさだめたるむねあり。 はやくわうじやう極楽ごくらくをとげんとなり。 座主ざすのいはく、 にをきてはじゆんわうじやういかにもとげがたくおぼえはんべるによりて、 このもんをいたす。 いかゞたやすくわうじやうをとげんやと。 しやうにんののたまはく、 じやうぶちはかたく、 わうじやうはえやすし。 だうしやく善導ぜんだうとうおんこゝろによらば、 ぶちほんぐわんをあふぎて強縁がうえんとするがゆえに、 ぼんじやうしやう0157ずと 云々うんうん。 そののち、 たがひに言説ごんせちなくしてしやうにんたちましましにけり。 にち座主ざすのいはく、 法然ほふねんばう智恵ちえ深遠じんおんなりといへども、 いさゝか偏執へんじふありと 云々うんうん。 あるひと、 このことをしやうにんにかたる。 しやうにんののたまはく、 わがしらざるをいふには、 かならずしんおこるなりと。 そうじやうまたこれをかへりきゝていはく、 まことにしかなり。 それ顕密けんみちけうにをきてけいをつむといへども、 しかしながらみやうのためにして涅槃ねちはん一道ゐちだうにうとし。 かるがゆえにだうしやく善導ぜんだうとうしやくをうかゞはず。 法然ほふねんばうにあらずは、 たれびとか、 かくのごときのことをいはんとて、 しゆぎやうほふをさしおきつゝ、 やがて大原おほはら隠居いんきよして、 ひやくにちのあひだじやうしやうしよ渉猟せふれふしてのち、 しやうにんにしめしていはく、 われほゞじやう法門ほふもんをえたり。 来臨らいりんしたまはゞ、 精談せいだんすべしと。 そうじやうかねて処々しよしよしやてうしやうしつゝ、 大原おほはらしよう林院りんゐんぢやう六堂ろくだうしふしてしやうにんくちしやうす。 すなはちてうぐえん已下いげ弟子でし三十さんじふにんをあひしてわたりたまひぬ。 しやうにんのかたには、 てうぐえんをはじめとしてだいにゐながれたり。 座主ざすそうじやうのかたにも、 諸宗しよしゆ碩徳せきとく僧綱そうがう已下いげ、 ならびに大原おほはらしやうにんとうまたちやくす。 そのうち、 光明くわうみやう山のそうみやうへん 東大とうだい三論さんろんしゆかうぢやうけい 興福こうぶく法相ほふさうしゆかさだちばう、 これなり。 さんじやうぢゆ僧綱そうがうには、 法印ほふいんだいそうかい 天臺てんだいしゆ法印ほふいんごんだいそうしようしん おなじ法印ほふいん0158じやうげん法印ほふいんじやうねんそう覚什かくじふごんりちせん印西いんせいしやうにん念仏ねむぶちしやうにん 天臺てんだいしゆわうじやういん明定みやうぢやうばう蓮慶れんけい おなじ来迎らいかういんほんしやうばうたん妙覚めうがくしやうにんくら入道にふだう仙心せんしん だいさんぢやうれんばう ちやうらく大和やまと入道にふだう見仏けんぶち さか清浄しやうじやうばう しよう林院りんゐんほふばう さくらもと とう、 かれこれりやうはうさんびやくにんぎやうたいす。 そのときしやうにんのたまはく、 ぐゑん発心ほちしん已後いごしやうだうもん諸宗しよしゆにつきてひろくしゆちだうをとぶらふに、 かれもかたく、 これもかたし。 これすなはちげうにをよび、 ひとどんにして、 けうにあひそうけるゆへなり。 しかればすなはち、 有智うち无智むちろんぜず、 かいかいをきらはず。 時機じき相応さうおうしてじゆんしやうをはなるべき要法えうほふは、 たゞじやう一門ゐちもん念仏ねむぶちゐちぎやうなりと、 一日ゐちにちゐちをきはめ、 ことばをつくしてのべたまふ。 座主ざすそうじやうこれをきゝて、 はじめには問難もんなんをいたすといへども、 のちにはなう信伏しんぶくのいろふかくして、 かつてたい一言ゐちげんにをよばず。 いひぐちとさだめたるほんしやうばう黙然もくねんとしてものいはず。 みなひと感情かんぜいをうごかし、 くゐきやうをいたすほかなし。 そのぎやうようにむかへば、 ぐゑんしやうにん智恵ちえ高妙かうめうなり。 そのじゆちをきけば、 弥陀みだ如来によらい応現おうげんしたまふかとおぼゆ。 論談ろんだんすでにをはりて、 ずいのあまり、 そうじやうみづからかふをとりて入堂にふだうして、 旋遶せんねうぎやうだうしてかうしやう念仏ねむぶちす。 南北なんぼくめいしやう顕密けんみち諸徳しよとく異口いく同音どうおん称名しようみやうすること、 三日さんにちさん0159けんなり、 无余むよなり。 あまさえひとつのほちぐわんあり。 このてらに五箇ごか房舎ばうしやをたてゝだん念仏ねむぶちしゆせん。 これすなはち、 めうぎやう相続さうぞくしてだいにをよぼさんがためなり これわがてうだん念仏ねむぶち最初さいしよなり。 またてうぐえんひとつのげうあり。 わがくにの道俗だうぞくえんちやうていにひざまづかんとき、 そのみやうをとはれんに、 仏号ぶちがうをとなへしめんためにわあ弥陀みだびちみやうをつけんと。 よりてまづわがをば南无なもわあ弥陀みだぶちとつきたまへり。 わあ弥陀みだびちこれよりはじまる。

  だい三段さんだん

じやうげん法印ほふいんよしみづのばうにきたりて、 とひたてまつりていはく、 いかんがしてこのたびしやうをはなるべきと。 しやうにんこたへてのたまはく、 ぐゑんこそたづねまふしたくはんべりつるに、 このめいいかん。 じやうげんのいはく、 けちちやくもんはまことにしかなり。 しゆちだうにをきては、 しや道心だうしんしや遁世とんせいひさしくしてかたく案立あんりふするによるべしと。 しやうにんすこしうちえみてのたまはく、 ぐゑんにをきては弥陀みだほんぐわんじようじてわうじやうす。 そのほかをばしらずと。 じやうげんのいはく、 わが所存しよぞんこれなり。 ひとの義意ぎいをきかんがために、 このうたがひをいたすといひて、 すなはちをたちはんべりぬ。

  だいだん

かう0160みやうへんそうしやうにん所造しよざうの ¬せんぢやくしふ¼ をみて、 よきふみにてはんべるが、 たゞし偏執へんじふなるへんありと 云々うんうん。 そののち、 みやうへんゆめにみたまふやう天王てんわう西門さいもんとおぼしきところにびやうしやかずをしらず平臥へいぐわせり。 一人ゐちにんのひじりありてはちにかゆをいれて、 かひをもてびやうしやのくちぐちにすくひいる。 これたれびとぞととえば、 あるひとぐゑんしやうにんなりといふとみてさめぬ。 そうつらつらこれをあんずるに、 ¬せんぢやくしふ¼ を偏執へんじふのふみなりとしつるを、 ゆめにいりてつげしめすよなとおもふより、 懺悔さんぐえしんやゝすゝみつゝ、 このしやうにんはたゞびとにあらず、 をしりをはかりたるしやにてましましけりと、 いみじくたふとくおぼえけり。 びやうにんとみえつるは、 みやうえんぐえんのやまひにしづめるぢよく濫漫らんまんのわれらにこそ、 かん・なしぜいくわ受用じゆようすることも、 はてにはとゞまりぬ。 たゞおもゆ・かゆなどをすくひいれて、 のんどをうるほすばかりに、 いのちをかけたるびやうしやのごとくに、 末法まちぽふぢよくらんこんぢうぎやくのやまひこうじやうなり。 これをせんこと中道ちうだうざうのくすりにあらずは、 すくひがたし。 しかるにいま、 念仏ねむぶち三昧ざんまいはこれ中道ちうだうゐちじよう霊薬れいやく深妙じんめうだいとんなり。 しかれば、 しやうだう諸教しよけうのなし・かんにをきては、 そのあぢはひしようれちなしといえども、 鈍根どんこん无智むち罪悪ざいあくぼんりやういたりてせんにやくなれば、 かい0161受用じゆようはなはだもてかたし。 かるがゆへに時機じき相応さうおうするにつきて、 ぎやく謗法はうぼふぢうびやうなんるい念仏ねむぶち三昧ざんまいだい甚深じんじんのかゆをすゝめたまひけるなりとがうして、 そののちもはら念仏ねむぶちぎやうしゆしたまひけり。 このそう、 あるときぜんくわうにまうでんとおもひたちたまひけるに、 おなじくはしやうにんえちしてじやう法門ほふもんしんくえちしてこそ如来によらいぜんにもまうでめとおもふたまひて、 しやうにん禅坊ぜんばうにいたりてとひたてまつりていはく、 末代まちだいあくざいぢよくのわれら、 いかにしてかしやうをはなれはんべるべきやと。 しやうにんこたへてのたまはく、 弥陀みだみやうがうしようしてじやうわうじやうする、 これをもてそのかんとするなりと。 そうのいはく、 あんまたかくのごとし、 信心しんじんけちぢやうせんがためにこのもんをいたすなりと。 そうまたとふていはく、 念仏ねむぶちのときこゝろの散乱さんらんするをばいかゞしはんべるべきと。 しやうにんこたえてのたまはく、 そのでうぐゑんもちからをよばず。 欲界よくかいさんぼんこゝろの散乱さんらんすること、 ひとのはなのしやうとくなるがごとし。 いかにもしづめんこと、 かなふべからず。 さればこそ、 たゞりきほんぐわんにまかせてかんかんをおもんぱからず、 しんさんさんをせず。 つみのぢうきやうをとはず、 ぎやうせうをさだめず。 しゆしやうがく誓約せいやくせちならずは、 わうじやうもとげずはあるべからずと、 ゆるゆるとあふぎつゝ、 念仏ねむぶちせんにはすぐべか0162らずとはまふしさふらへ。 当世たうせいのひとみなけう分際ぶんざいをしらず。 ぶちぐわんせふすべきをたのまずして、 このにてたやすくしやういでがたしと卑下ひげのおもひをなす。 まことにりきしゆち一大ゐちだい因縁いんねんなり。 しかれどもりきぐわんせんにのりぬれば、 一念ゐちねんわうてうしてかゐものならずこそおぼえはんべれと。 そうみゝをそばだて、 こゝろをおさめつゝ、 *抃悦へんえちをいだきてかへりたまひにけり。

  だいだん

摂津国つのくにみてくらじまに年来ねんらいすみはんべる一人ゐちにんのおのこあり。 のひとなづけてみゝらうとぞいひける。 天性てんせいもとより*かだましくして、 またするわざもなく、 たゞ*梟悪けうあくをのみことゝして、 をわたるなかだちとす。 あるときしやうにん白河しらかはばう あねが小路こぢ白河しらかわかいばうがうす、 しんしやうにん宿しゆくばうなり にてしう法談ほふだんあり。 くだんのみゝらう、 みやこにのぼりてところどころためらひありくに、 便びんよかりければ、 かの貴房くゐばうにいたりぬ。 えんのしたにはひかくれて、 ひとのしづまるほどをまちけるほど、 しやうにん御房おんばう、 いつものことなれば、 ぼんしゆち要道えうだうじやう一門ゐちもん念仏ねむぶちゐちぎやうにしくはなし。 そのをいへば、 十悪じふあくぎやくぢう謗法はうぼふ闡提せんだいけんかいとう罪人ざいにん、 そのぎやうろんずれば、 じふしやうゐちしやういかなるやうもとなへつべし。 そのしんをいへば、 また一念ゐちねん0163十念じふねんいかなるしやもおこしつべし。 もとより十方じふぱうしゆじやうのためなれば、 いづれのかもれ、 いづれのともがらかすてられん。 十方じふぱうしゆじやうのうちには、 有智うち无智むちざいざいぼんしやうにんかいかいにやくなんにやくによ老少らうせう善悪ぜんあくのひと、 ない三宝さんぼう滅尽めちじんのときのまでみなこもれり。 たゞこのほんぐわんにあひ、 南无なもわあ弥陀みだぶちといふみやうがうをきゝえてんもの、 にやくしやうじやのちかひのゆえに、 弥陀みだ如来によらいへんじよう光明くわうみやうをもてこれを摂取せふしゆしてすてたまはず。 つみをもく、 さはりふかく、 しんくらく、 さとりすくなからんにつけても、 いよいよぶちほんぐわんをあふぐべし。 そのゆへは、 弥陀みだ本誓ほんぜいはもとぼんのためにして、 しやうにんのためにあらずといふもんによりてなり。 あふぐべし、 しんずべしなど、 さまざまわうぎやうだうりき引接いんぜうもんしようみゝぢかにこゝろえやすくのべたまふに、 みゝらう、 さらになにのわざもわすられて、 みゝをそばだてゝちやうもんす。 こゝろにおもふやう、 これほどにわがため、 みゝよりにたふときことはんべらず。 かゝるところにおもひよりけるも、 しかるべくてしやうたすかるべきにて、 ぶちおんをしへにもはんべるらん。 たゞいまはひいでゝ、 かつはおもひきざしつるしゆをもさんじ、 かつはなをもよくたふときことをもとひたてまつらんとおもひつゝ、 もあけにければ、 やをらむなしくはひいで0164ゝ、 ていじやうそんす。 おん弟子でしたちあやしみて、 ことのよしをとふ。 みゝらう、 しかじかとありのまゝにまふしければ、 しやうにんいであひたまひて、 宿しゆくえんもともありがたしとて、 罪悪ざいあくぢうしやうぼんしゆち、 ことに弥陀みだなんぐわんりきによらずはかなひがたしとて、 をとりて、 ねんごろにとききかせたまふ。 みゝらう、 いよいよよろこびをなして退たいしゆちす。 そのゝち、 ふたごゝろなく念仏ねむぶちす。 されどもしやうとくほふなれば、 ひごろのわざすつることもなし。 たゞたのむところは、 かゝる悪業あくごふはげしきなりとも、 念仏ねむぶちせば弥陀みだ如来によらいだいだいいん誓約せいやくをたがえずむかへたむぞときゝししやうにんおんことばばかりなり。 かくて、 としつきをふるに、 あるときかたへのをのこ、 みゝらうあくちやうじたるをや、 そねみおもひけん。 なをちかくむつびけるともだちをかたらひえて、 みゝらうがいせんとたくむ。 さけをくみ、 さかづきをめぐらしてしゐければ、 みゝらう沈酔ちんえいして、 ものをひきかつぎ、 せんをわきまへずふしにけり。 そのとき、 かたきかたなをぬきつゝ、 うへにかづきたるものをひきのけてみるに、 みゝらうにはあらで、 またく金色こんじき仏体ぶちたいなり。 しかのみならず、 しゆちにふのいきのをと、 すなはち南无なもわあ弥陀みだぶち南无なもわあ弥陀みだぶちときこゆ。 こゝにかたき奇異きいのおもひにぢゆして、 まづつるぎををさめてつらつらこれを0165あんずるに、 年来ねんらいのあひだぎやうぢゆぐわしよ諸縁しよえんをきらはず、 念仏ねむぶちしつるゆへに、 このさうげんずるにこそと、 いみじくたうとくおぼえて、 ずいのおもひをきどころなきあまり、 しばしばこれをおどろかすに、 みゝらうこえにつきて睡眠すいめんたちまちにおどろき、 酩酊めいていしやうす。 そのとき、 かたきのをのこいふやう、 なにをかかくしきこえん。 しかじなにがしのぬしがかたらひはんべりつれば、 はかなくぞこをうしなひたてまつらんとてたばかりつるに、 そのすがた金色こんじき仏像ぶちざうあらはれ、 そのいきのきふしかしながら、 念仏ねむぶちこえときこえつればみみもあやにもめづらかにおぼえて、 かつはしやし、 かつはたふとまんがために、 左右さうなくおどろかしつるなり。 われもとよりなんぢにむけてこんなし、 たゞをろかにかたらひをえつるばかりなり。 さらにいきどほりおもふことなかれとて、 慚謝ざんしやのあまり、 あがてもとどりをきりてみせけり。 これをきくに、 いよいよ信力しんりきがうじやうにおぼえて、 みゝらうももとどりきりてけり。 にんこゝろざしをひとつにして、 かたはらにいほりしめつゝ、 しづかに念仏ねむぶちして、 つゐにくわいをとげにけり。 されば、 かへすがへすもじやうしゆしやうは、 善悪ぜんあくをかけて、 ぶちせふせふをおもんぱかることなかれとなり。 このみゝらうは、 ごく罪人ざいにんあくほんといひつべし。 こん道俗だうぞく、 た0166れのともがらかこれにかはるところあらんや。 おほよそこのにをきて、 うちに三毒さんどくをたゝへ、 ほかに十悪じふあくぎやうず。 つくるにがうにやくありといふとも、 三業さんごふみなこれ造罪ざうざいなり。 をかすに浅深せんじんありといふとも、 一切ゐちさいことごとくそれ妄悪まうあくなり。 しかれば、 たれのともがらか罪悪ざいあくしやうをのがれん。 いづれのたぐひか煩悩ぼんなうじやうじゆたいにあらざらん。 つくるもつくらざるも、 みな罪体ざいたいなり。 おもふもおもはざるも、 ことごとく妄念まうねんなり。 しかるに当世たうせいのひとみなおもへり。 わがにさほどの罪業ざいごふなければ、 ほんぐわんにはすくはれなん。 わがこゝろにさほどの妄念まうねんなければ、 わうじやうぐわんははたしつべしと。 このおもひ、 しかるべからず。 そのゆえは、 たとひ身心しんしんともにあく造罪ざうざいなくとも、 念仏ねむぶちをたのまずは、 極楽ごくらくにむまれがたし。 たとひぎやくはう闡提せんだいなりとも、 ぐわんりきじようぜば、 わうじやううたがひなし。 罪業ざいごふ有无うむによるべからず。 ほんぐわんしんしんにあるべきなり。 そもそもかのみゝらうは、 山賊さんぞく海賊かいぞく強盗がうたう窃盗せちたう放火はうくわ殺害せちがい、 かくのごときのあくぎやうをもて朝夕てうせきのうとし、 さいをたすくるさゝえとしけり。 なかんづくに、 殺害せちがいにおきては、 いく千万せんばんといふことをしらざりけるとかや。 かゝるものゝ、 そのわざをしつゝも、 念仏ねむぶちしゆほんぐわんをたのみける、 ことにたふとくもはんべるものかな。

 

0167しふとくでんのゑのことば くろだにのぐえんしやうにん

  だい一段ゐちだん

しやうにん清水せいすいにして説戒せちかいのとき、 じやう法門ほふもんをのべ、 念仏ねむぶちゐちぎやうをすゝめたまふ。 ちやうもんのともがらおほかりけるなかに、 なん興福こうぶくにはんべりけるだいどう、 ねんごろに法筵ほふえんにのぞみてみゝをそばだてけるが、 そののちほふになりて、 しようおんのほとりに草庵さうあんをしめて、 しづかに念仏ねむぶちしつゝわうじやうくわいをとげゝるとなん。 おほよそしやうにん説法せちぽふのみぎりにえんをむすぶ信男しんなん信女しんによしようをあらはしやくをうること、 しようすべきにあらず。

  だいだん

りやうぜんにしてさん七日しちにちだん念仏ねむぶちごんぎやうあり。 そのあひだ、 とうみやういまだかゝげざるほどに、 光明くわうみやう忽然こちねんとして堂中だうちう照耀せうようすることあり。 まただいにち、 をのをのぎやうだうのうしろに大勢だいせいさちおろともにぎやうだうしたまふ。 あるひとこれをはいす。 しやうにんにかくとしめす。 さることはんべるらんとこたへたまふ。 これよりして、 ほゞ大勢だいせい化身くえしんといふことをしりぬ。

  0168だい三段さんだん

しやうにん院宣ゐんぜんによりて白河しらかは法皇ほふわうににまいりて、 ¬わうじやう要集えうしふ¼ (巻上) だんぜられけるに、 「それわうじやう極楽ごくらくけうぎやうは、 じよく末代まちだい目足もくそくなり。 道俗だうぞく貴賎くゐせん、 たれかくゐせざらん」 とはんべりけるより、 そのことゝなくたうとく心肝しんかんめいじければ、 いまはじめてきくことのやうにおぼえて、 ぎやうしんずいのおもひをおなじくし、 だうじやうだう感情かんぜいをさへがたかりけり。 だいじやう天皇てんわう叡感えいかんのあまり、 きやうごんたいふぢはらの隆信たかのぶ朝臣あそんにおほせて、 しやうにん真影しんえいをうつさしめまします。 後代こうだいのかたみにとゞめられんがためときこゆ。 蓮華れんぐえ王院わうゐん法蔵ほふざふにこめられて、 いまにせらると 云々うんうん

  だいだん

建久けんきふ三年さんねんあきのころ、 白河しらかはゐんだいのために、 やさかのやまとの入堂にふだう見仏けんぶち引導いんだうにして七日しちにち念仏ねむぶちごんぎやうしはんべりける。 称名しようみやう先達せんだちしんわあ弥陀みだぶちぎやう結衆けちしゆ見仏けんぶちばう住蓮ぢゆれんばう安楽あんらくばうとうあまたひとびとありけり。 称名しようみやうこうぎやうせられけることは、 こえぶちをなすいはれあれば、 極楽ごくらく宝樹ほうじゆほうのなみのをとかぜのこゑも、 みな苦空くくをとなへじやうらくをしらぶ。 これになずらえて、 ほんぐわんめうをあらはし、 念仏ねむぶち気味きびをまさんがために、 いんをとゝのえしちしやうをたゞしくして、 か0169しやうほうたんずべし。 しかれば、 ちやうもんずいのたぐひ、 入宗にふしゆ方便はうべんとなりぬべし。 やくなどかなからんとて、 しやうにんとりたてたまひけり。 住蓮ぢゆれん安楽あんらくこのにんは、 ときのそうしやうときこゆ。 ゆゝしくたうとかりけるとぞ。

  だいだん

ぼん親王しんわう じやうちう れいくわくりんにましましければ、 もん僧綱そうがうそうじやう行舜ぎやうしゆんそうじやう公胤こういんそうじやう賢実けんじち座主ざす顕真けんしん法印ほふいんげん法印ほふいんくわん法眼ほふげん円豪えんがうとうたうのために ¬だい般若はんにや¼ 転読てんどくありけれども、 さらにそのけんもましまさざりければ、 しやうにんてうしやうしたてまつりて、 しゆち一大ゐちだいだんじましましけり。 その禅命ぜんめいにのたまはく、 このたびいかにしてかしやうをはなるべきと。 しやうにんののたまはく、 わうじやう極楽ごくらくののぞみ、 おん念仏ねむぶちにはしかず。 まさしく 「光明くわうみやうへんじよう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや (観経) とときたまえるうへは、 べちさいあるべからずと。 そののちねんしよう相続さうぞくして、 わうじやうくわいをとげましましけり。

  だい六段ろくだん

しやうにんひちにいはく、 「しやうねん六十ろくじふ有六いふろく建久けんきふねんしやうぐわち一日ひとひのひやまもゝの法橋ほふけう教慶けうけいがもとよりかへりてのち、 ひつじさるのときばかりより恒例がうれいしやうぐわちしちにち0170念仏ねむぶちぎやうす。 そのあひだ、 初日しよにちにあたりてみやうさうすこしきげんず。 だいにち水想しゐさうくわんねんじやうじゆすと 云々うんうん。 すべてしちにちのうち、 水想しゐさうくわんのなかに瑠璃るりさう少分せうぶんこれをみる。 ぐわち四日よかのひのあした、 瑠璃るりふんみやうげんずと 云々うんうん六日むゆかのひ後夜ごや瑠璃るり殿でんさうげんず。 だい七日しちにちのあした、 かさねてまたげんず。 すなはちこの殿でんおもてあらはれてそのさうげんず。 すべて日想にちさう水想しゐさうさう宝樹ほうじゆ宝殿ほうでんくわんをはじめとして、 しやうぐわち一日ひといのひよりぐわち七日なぬかのひにいたるまで三十さんじふ七日しちにちのあひだ毎日まいにちこれらのさうげんず」 (三昧発得記) 云々うんうん

  だい七段しちだん

りやう寿じゆぶち化身くえしんしゆくわんをん大勢だいせいじやうらいぎやうにんしよ (観経) といへり。 しやうにんつねにしたまふところをあからさまにたちいでゝかへりたまひければ、 わあ弥陀みだ三尊さんぞん木像もくざうにもあらずさうにもあらずして、 かべをはなれいたじきをはなれて、 てんじやうにもつかずしておはしましけり。 それよりのち、 ぢやうげんじたまひけり。

  だい八段はちだん

*ぐえんきうぐわんねん仲冬ちうとうのころ、 山門さんもんしゆのなかより念仏ねむぶちちやうすべきよし、 大衆だいしゅほふして座主ざすそうじやう顕真けんしんにうたへまふす。 これによりて座主ざすしやうにんにそのたづねあり。 そ0171のときしやうにん、 「しやうもん」 ををくらる。 そのじやうにいはく、 「叡山えいざむ黒谷くろだに沙門しやもんぐゑんうやまひてまふす、 たうじゆ三宝さんぼうほふ善神ぜんしん宝前ほうぜんに。 みぎぐゑん壮年さうねんのむかしのは、 ほゞさんくわんのとぼそをうかゞひ、 衰老すいらうのいまのときは、 ひとへにぼんのさかひをのぞむ。 これまた先賢せんけんせきなり。 さらに下愚げぐ行願ぎやうぐわんにあらず。 しかるに近日きんじちぶんしていはく、 ぐゑんひとへに念仏ねむぶちけうをすゝめて教法けうぼふはうず。 諸宗しよしゆこれによりてりようし、 しよぎやうこれによりて滅亡めちばうすと 云々うんうん。 このむねをつたへきくに、 心神しんしんをおどろかす。 つゐにすなはちこと山門さんもんにきこえ、 しゆにをよべり。 炳誡へいかいをくはふべきよし、 くわんしゆにまふされをはりぬ。 このでう、 ひとつには衆勘しゆかんをおそれ、 ひとつには衆恩しゆおんをよろこぶ。 おそるゝところは、 貧道ひんだうをもてたちまちに山洛さんらくのいきどほりにをよばんこと、 よろこぶところは、 謗法はうぼふをけづりてながくくわのそしりをやめんこと、 もし糺断きうだんにあらずは、 いかでか貧道ひんだう愁歎しうたんをやすめんや。 おほよそ弥陀みだほんぐわんにいはく、 唯除ゆいぢよぎやくはうしやうぼふ云々うんうん念仏ねむぶちをつとめんともがら、 いかでかしやうぼふはうぜん。 またしんの ¬しふ¼ には、 一実ゐちじちだうをきゝてげんぐわんかいにいると 云々うんうんじやうをねがはんたぐひ、 あに妙法めうほふをすてんや。 なかんづくにぐゑん念仏ねむぶち余暇よかにあたりて、 天臺てんだいけうしやくをひらきて信心しんじんぎよくせんのながれに0172こらし、 渇仰かちがうのかぜにいたす。 旧執きうしふなをぞんず、 本心ほんしんなんぞわすれん。 たゞみやうかんをたのみ、 たゞ衆察しゆさちをあふぐ。 たゞし老後らうこう遁世とんせいのともがら、 まいしゆちのたぐひ、 あるひは草庵さうあんにいりてかみをそり、 あるひはしようしちにのぞみてこゝろざしをいふついでに、 極楽ごくらくをもてしよとすべし。 念仏ねむぶちをもてしよぎやうとすべきよし、 よりよりもて説諫せちかんす。 これすなはち、 よはひおとろえて研精けんせいにたへざるあひだ、 しばらくなんなんにふもんをいでゝ、 こゝろみにぎやうわうだうをしめすなり。 ぶちなを方便はうべんをまうけたまふ。 ぼんあにしんしやくなからんや。 あへてけう是非ぜひぞんずるにあらず。 ひとへにかんをおもふ。 このでうもし法滅ほふめちえんたるべくは、 きやうこうよろしくちやうにしたがふべし。 もうひそかにまどえり、 衆断しゆだんよろしくさだむべし。 いにしへより化道くえだうをこのまず、 天性てんせいけうをもはらにせず。 このほかに僻説へきせちをもてづうし、 虚誕きよたんをもてろうせば、 もとも糺断きうだんあるべし、 もとも炳誡へいかいあるべし。 のぞむところなり、 ねがふところなり。 これらのさい先年せんねん沙汰さたのときしやうもんしんじをはりぬ。 そののちいまにへんぜず。 かさねてちんずるにあたはずといへども、 厳誡げんかいすでに重畳てうでうのあひだ、 せいじやうまた再三さいさん、 かみくだんのさいゐち一言ゐちげん虚誕きよたんをくはへ、 しやくをまうけば、 ぎやうぢゆぐわ念仏ねむぶち、 そのをうしなひ、 さんざいして現当げんたう0173二世にせしん、 つねにぢうにしづみてながくどくをうけん。 ふしてこふ、 たう諸尊しよそん満山まんざんほふ証明しようみやうけんしたまえ。 ぐゑんうやまひてまふす。 ぐえんきうぐわんねん十一じふゐちぐわち十三じふさんにちぐゑんうやまひてまふす」 (漢語灯巻一〇) とぞかゝしめたまひける。 でうぜんぢやう殿でん大原おほはらだいそうじやう顕真けんしんひちおん消息せうそくををくらる。 そのことばにいはく、 「念仏ねむぶちぎやうのあひだのこと、 ぐゑんしやうにんしやうもん消息せうそくとう山門さんもんろうののちどうじやういかん。 もともしんにさふらふ。 そもそもぶんのごときは、 しやうにん浅深せんじん三重さんぢうのとがによりて炳誡へいかい一決ゐちけちせんにをよぶと 云々うんうん。 ひとつには、 念仏ねむぶちくわんじんそうじてしかるべからず。 これすなはち真言しんごんくわんにあらず。 弥陀みだ念仏ねむぶち権説ごんせちをもて、 さらにわうじやうをとぐべからざるがゆえにと 云々うんうん。 このでうにをきては、 さだめて満山まんざんだんひやうにあらじ。 もしこれゐちりやう邪説じやせちか。 謗法はうぼふをとかんがためにかへりて謗法はうぼふをいたす、 勿論もちろんといひつべし。 ふたつには、 念仏ねむぶちぎやうじやしよぎやうくゐするあまり、 きやうろん焚焼ぼんぜうし、 しやうしよをながしうしなふ。 あるひはまたぜんをもてはさんごふしようし、 犯戒ぼんかいをもてはぼんいんとすと 云々うんうん。 これをきかん緇素しそ、 たれかきやうたんせざらんや。 諸宗しよしゆがく、 もはら鬱陶うちたうするにたれり。 たゞしこのでうにをきては、 ほとほとしんをとらしめがたし。 すでにこれ会昌くわいしやうてんもり大臣だいじんとうのたぐひか0174。 かくのごときのせち過半くわはんまことならずと 云々うんうん。 たしかなるせちについて真偽しんぐゐけちせられんに、 あへてそのかくれあるべからず。 こともしじちならば、 科断くわだんまたかたしとせず。 ひとえにせちをもてとがをしやうにんにかくるでうじん沙汰さたにあらざるか。 みつには、 かくのごときのぎやくざいにをよばずといふとも、 一向ゐちかう専修せんじゆぎやうにんぎやうちやうすべきよしくわんじんでうなをしかるべからず。 このでうにをきては、 進退しんたいあひなかばか。 善導ぜんだうくわしやうのこゝろに、 このむねをのぶるににたり。 しかれども、 しゆ甚深じんじんなり。 ぎやうじやおもふべし。 いましやうにんづうは、 よくしよのこゝろをさぐりて謬訛びうくわなし。 しかるに門弟もんていあうをしらず、 しゆをさとらざるたぐひ、 ほしいまゝに妄言まうごんをはき、 いだりがはしく偏執へんじふをいたすよしきこへあるか。 これはなはだもて不可ふかなりとす。 しやうにんさいぎりてこれをいたむ。 小僧せうそういさめてこれをきんず。 たうすでにはいもんをあつめてしちでうしやうちゆし、 をのをの連署れんしよをとりてながくしようにそのふ。 しやうにんもし謗法はうぼふをこのまば、 禁遏きんあちあにかくのごとくならんや。 ことひろく、 ひとおほし。 ゐちきんすべからず。 こんぐえんすでにたちぬ。 旧執きうしふえふむしろはんすることをえんや。 これをもてこれをいふに、 三重さんぢうさい、 ひとつとして過失くわしちなし。 しゆ鬱憤うちぷん、 なにゝよりてかがうじやうならん。 はやく満山まんざんちやう0175として、 来迎らいかう音楽おんがく庶幾そきすべきか。 そもそも諸宗しよしゆじやうりうほふ、 をのをの自解じげをもはらにしてけうをなんともせず。 ぎやうのつねのならひ、 先徳せんどくじちなり。 これをゐきにとぶらへば、 ぐわちにはすなはちほふしやうべん空有くうじやうろん晨旦しんたんにはまたおん妙楽めうらく権実ごんじちりうなり。 これをわがくにゝたづぬるに、 弘仁こうにん聖代せいだい戒律かいりつ大小さいせうろんあり。 てんりやくぎよには諸宗しよしゆ浅深せんじんだんあり。 はちきほひて定准ぢやうじゆんをなし、 三国さんごくつたえて軌範くゐはんとす。 しかれども、 あらかじめまち邪乱じやらんをかゞみて諸宗しよしゆ討論たうろんをとゞめられしよりこのかた、 宗論しゆろんながくあとをけづり、 仏法ぶちぽふそれがために安全あんぜんたり。 なかんづくにじやう一宗ゐちしゆにをきては、 らいぎやうじやひとえにぜんぢやくじやうしんをおこし、 専修せんじゆ専念せんねんゐちぎやうにまかせて、 しゆたいして執論しふろんをこのまず、 けうして是非ぜひはんぜず。 ひとへにしゆちをかへりみて、 かならずわうじやう直道ぢきだうをとげんとなり。 たゞしけう歎法たんほふのならひ、 いさゝかまたそのこゝろなきにあらざるか。 ぐえんしんそうの ¬わうじやう要集えうしふ¼ のなかに、 三重さんぢう問答もんだふをいだして十念じふねんしようごふさんず。 念仏ねむぶちえう、 このしやくけちじやうせり。 禅林ぜんりん永観ゐやうくわんとくしんにをよばずといえども、 ぎやうじやうごふをつげり。 えらぶところの ¬十因じふいん¼ に、 そのこゝろまたゐちなり。 げんくわんおんぐわんをかんがえ、 しようによ教信けうしんせんしようをひきて、 念仏ねむぶちぎやうにすぐれ0176たることをしようせり。 かのときに諸宗しよしゆのともがら、 がくはやしをなし、 ぜんぢやうみづをたゝふ。 しかりといへども、 しんをもせず、 永観ゐやうくわんをもばちせず、 諸教しよけうめちすることなく、 念仏ねむぶちもさまたげなし。 これすなはち、 すなほにひとうるはしきゆえなり。 しかるにいまげうにをよび、 ときとうじやうしよくしてのうしよともに邪執じやしふよりおこり、 しやうろんろんみなくえんくわにをよぶ。 三毒さんどくうちにもよをし、 四魔しまほかにあらはるゝがいたすところなり。 またあるひとのいはく、 念仏ねむぶちもしづうせられば、 諸宗しよしゆたちまちに滅尽めちじんすべし。 こゝをもて遏妨あちばうすと 云々うんうん。 このことしかるべからず。 過分くわぶんぎやくるいにをきては、 じちによりて禁断きむだんせらるべし。 またくじやうしゆのいたむところにあらず。 末学まちがく邪執じやしふにいたりては、 しやうにん厳禁げんきむもんすでにぶくゐようす。 かれといひこれといひ、 なんぞ仏法ぶちぽふめちにをよばんや。 おほよそ顕密けんみち修学しゆがくみやうによりてめちす、 これ人間にんげんのさだまれるほふなり。 じやう教法けうぼふにをきては、 にあらずにあらず。 後世ごせをおもふひとのほかにたれか習学しゆがくせんや。 念仏ねむぶちぎやうによりてけう滅尽めちじんでうごん誑説わうせちか、 いまだ是非ぜひをわきまえず。 もしこの沙汰さたじやうならば、 念仏ねむぶちぎやうにをきてゐち失隠しちおんすべし。 因果いんぐわをわきまへぐえんをかなしむひと、 あにしやうせざらんや、 むしろきふせざらんや。 こゝに小僧せうそう壮年さうねんのむかしのよりすいのいまにいたるま0177で、 ぎやうおろそかなりといえども、 ほんぐわんをたのむ。 罪業ざいごふをもしといえども、 わうじやうをねがふにものうからずして、 じふくわい星霜せいさうををくり、 いよいよもとめ、 いよいよすゝめて、 ひやく万遍まんべん仏号ぶちがうをとなふ。 きやうねんよりこのかた、 やまひせまり、 いのちもろくして、 くわうせんくゐせんことちかきにあり。 じやうけうしやく、 このときにあたりて滅亡めちばうせんとす。 これをみ、 これをきゝて、 いかでかしのびん。 さんじやくのあきのしも、 きもをさし、 一寸ゐちそんのよるのともしび、 むねをこがす。 てんにあふぎて嗚咽をうえちし、 をたゝきてしうす。 いかにいはんやしやうにん小僧せうそうにをきてしゆちかいたり、 念仏ねむぶち先達せんだちたり。 くゐこれふかし、 そんもともせちなり。 しかるを、 つみなくして濫刑らんけいをまねき、 つとめありて重科ぢうくわしよせられば、 ほふのためにはしんみやうをおしむべからず。 小僧せうそうかはりてつみをうくべし。 よりてはんのとがをすくひて、 じやうけうをまもらんとおもふ。 おほよそ、 その仏道ぶちだうしゆぎやうのひと、 自他じたともに罪業ざいごふをかへりみるべし。 しかるを、 あながちにじやうずい偽論ぐゐろんををかして、 いよいよぎやうめいぢうしやうせんこと、 いたましきかな、 かなしきかな。 こふ、 学侶がくりよのこゝろあらん、 にふしてしふへん ほふいふしてつみをなだめよならくのみ。 *ざいざい、 うやまひてまふす。 十一じふゐちぐわち十三じふさんにち専修せんじゆ念仏ねむぶち沙門しやもん円照えんせうだいそうじやう御房おんばうへ」 とぞはんべりける。

 

0178しふとくでんゑのことば くろだにのぐえんしやうにん ろく

  だい一段ゐちだん

おほよそしやうにんじやう法門ほふもんづうせんあとすくなく、 当世たうせいならびなし。 しんをとぶらひぎやうをたづねて門蹟もんさくにつらなり、 禅扃ぜんけいにちかづくたぐひ、 そのかずをしらず。 あるひは蘭省らんせい鴛鸞えんらんくゐようめいをのがれて、 ぼん三輩さんぱいのうてなにのぞみをかけ、 あるひは荊渓けいけい香象かうざう学窓がくさうをいでゝ、 三心さんしんねんのゆかにあなうらむすぶ。 賢人けんじんもこれにくゐし、 まいもこれをあふぐ。 こゝに一人ゐちにん貴禅くゐぜん ときに範宴はんゑんせうごんのきみ、 いま善信ぜんしんしやうにんこれなり。 いみな親鸞しんらん、 もとちんくわしやうの門弟 叡岳えいがく交衆けうしゆをやめ、 天臺てんだい本宗ほんしゆをさしをきて、 かのもんにいりてそのくえつをうく。 そのせいぎよくにして、 しやうにん甘心かんしんきはまりなし。 ときに建仁けんにんぐわんねん かのとのとり はるのころなり。 今年こんねんしやうにん六十ろくじふさい善信ぜんしんしやうにんじふさい

  だいだん

しちでうしやうもん」 のことばにいはく、

あまねく門人もんにん念仏ねむぶちしやうにんとうにつぐ。

一 いまだゐちもんをうかゞはずして真言しんごんくわんし、 ぶちさちはうじたてま0179つることをちやうすべきこと

みぎりふだうにいたりては、 がくしやうのぶるところなり。 にんきやうがいにあらず。 しかのみならず、 はうしやうぼふ弥陀みだぐわんぢよきやくせり。 そのほうまさにらくすべし。 あにあむのいたりにあらずや。

一 无智むちをもて有智うちのひとにたいし、 べちぎやうのともがらあひてこのみてじやうろんをいたすことをちやうすべきこと

みぎろんはこれしやなり。 にんぶんにあらず。 またじやうろんのところはもろもろの煩悩ぼんなうをこる。 しやこれをおんすることひやくじゆんなり。 いはんや一向ゐちかう念仏ねむぶちぎやうにんにをいてをや。

一 べちべちぎやうのひとにたいして、 愚痴ぐち偏執へんじふしんをもてまさに本業ほんごふ棄置きちし、 しゐてこれをきらふべしといふことをちやうすべきこと

みぎ修道しゆだうのならひ、 をのをのぎやうをつとむるに、 あへてぎやうしやせず。 ¬西方さいはうえうくゑち¼ にいはく、 「べちべちぎやうのものにはそうじてきやうしむをおこせ。 もしきやうまんしやうずれば、 つみをうることきはまりなし」と 。 なんぞこのせいをそむかんや。 しかのみならず、 善導ぜんだうくわしやうおほきにこれをいましめたまへり。 いまだ祖師そしいましめをしらず0180あんのいよいよはなはだしきなり。

一 念仏ねむぶちもんにをいてかいぎやうなしとがうして、 もはら淫酒いんしゆじきにくをすゝめ、 たまたまりちをまもるものをばざふぎやうのひとゝなづけて、 弥陀みだほんぐわんをたのむもの、 造悪ざうあくをおそるゝことなかれととくことをちやうすべきこと

みぎかいはこれ仏法ぶちぽふだいなり。 しゆぎやうまちまちなりといへども、 おなじくこれをもはらにす。 こゝをもて善導ぜんだうくわしやうをあげて女人によにんをみず。 この行状ぎやうじやうのおもむき、 本律ほんりちせいじやうごふるいにすぎたり。 これにしたがはずは、 そうじては如来によらい遺教ゆいけうをうしなひ、 べちしては祖師そし旧跡きうせきにそむく。 かたがたよどころなきものか。

一 いまだ是非ぜひをわきまへざるにんしやうげうをはなれ、 せちにあらずして、 ほしいまゝにわたくしのをのべ、 みだりにじやうろんをくはだてゝ、 しやにわらはれ、 にん迷乱めいらんすることをちやうすべきこと

みぎ无智むち大天だいてん、 このてう再誕さいたむして、 みだりがはしくじやをのぶ。 すでにじふしゆだうにおなじ。 もともこれをかなしむべし。

一 どんをもて、 ことにしやうだうをこのみてしやうぼふをしらず、 種々しゆじゆ邪法じやほふをときて、 无智むち道俗だうぞく教化けうくえすることをちやうすべきこと

みぎ0181さとりなくしてとなるは、 これ ¬梵網ぼんまう¼ の制戒せいかいなり。 あんのたぐひ、 をのれがさいをあらはさんとほちして、 じやうけうをもて芸能げいのうとしてみやうをむさぼり、 檀越だんおちをのぞむ。 おそらくは自由じゆ妄説まうせちをなして、 けんのひとを狂惑わうわくすることを。 誑法わうぼふのとがことにをもし。 このともがら、 国賊こくぞくにあらずや。

一 みづから仏教ぶちけうにあらざる邪法じやほふをときてぶちぼふとし、 いつはりてはんせちがうすることをちやうすべきこと

みぎをのをの一人ゐちにんせちなりといえども、 つもるところ一身いちしん衆悪しゆあくたり。 弥陀みだ教文けうもんをけがし、 しやうあくみやうをあぐ。 ぜんのはなはだしきこと、 これにすぎたるはなきものなり。

ぜんしちでう甄録けんろくかくのごとし、 一分ゐちぶん教文けうもんがくせる弟子でしはすこぶるしゆをしりて、 年来ねんらいのあひだ念仏ねむぶちしゆすといえども、 しやうげうずいじゆんしてあえてひとのこゝろにさかへず。 のきゝをおどろかすことなし。 これによりて、 いまに三十さむじふねん无為ぶゐにしにちぐゑちをわたる。 しかるに近年きんねんにいたりてこのじふねん以後いご无智むちぜんのともがらよりより到来たうらいす。 たゞ弥陀みだじやうごふしちするのみにあらず。 またしや遺法ゆいほふ汚穢わえす。 なんぞへいかいをくはへざらむや。

このしちでうのうち、 たうのあひだ0182さいことおほし。 つぶさにちゆじゆちしがたし。 すべてかくのごときらのはう、 つゝしみてをかすべからず。 このうえなを制法せいほふをそむかんともがらは、 これ門人もんにんにあらず、 くゑんぞくなり、 さらに草庵さうあんにきたるべからず。

こん以後いご、 をのをのきゝをよばんにしたがひて、 かならずこれをふれらるべし。 にんあひともなふことなかれ。 もししからずは、 これどうのひとなり。 かのとがなすがごときは、 同法どうほふをいかりしやうをうらむることあたはず、 ごふとく、 たゞをのれがにあり、 ならくのみ。

このゆえに今日こんにちはうぎやうにんをもよをして、 一室ゐちしちあつめがうみやうす。 わづかにぶんありといえども、 たしかにたれひとのとがとしらず。 愁歎しうたんして年序ねんじよををふ。 もだすべきにあらず。 まづちからのをよぶにしたがひて、 禁遏きんあちのはかりごとをめぐらすところなり。 よりてそのおもむきをろくして門葉もんえふにしめすじやう、 くだんのごとし。

 ぐえんきうぐわんねん十一じふゐちぐわち七日しちにち

沙門しやもんぐゑん

しん かむしやう 尊西そんさい しよう ぐゑん ぎやう西さい しやうれん 見仏けんぶち だうくわん 導西だうさい じやく西せい 宗慶そうけい 西さいえん 親蓮しんれん 幸西かうせい 住蓮じゆれん 西さい 仏心ぶちしむ ぐゑんれん 蓮生れんせい 善信ぜんしん ぎやう
0183じやうひやくにん連署れんしよしおわりぬ。

  だい三段さんだん

あるときしやうにん瘧病ぎやべいことまします。 種々しゆじゆ療方れうはう一切ゐちさいげんなし。 ときに月輪つきのわぜんぢやう殿でんおほきにしうしやうしたまひて、 あんゐんそう聖覚せいかくにおほせてのたまはく、 善導ぜんだうだいえい図絵づゑしてしやうにん貴前くゐぜんにしてやうをのべんとおもふ。 ねがはくは、 しやうおうじてしやうだうにおもむきたまへと 云々うんうん。 かのうけぶみにいはく、 「聖覚せいかく、 かのしやうにん同日どうにちどう瘧病ぎやべいつかまつることあり。 しかりといえども、 なんぞめしにしたがはざらん。 はやくびやうしんをたすけて、 参勤さんきんをいたすべし。 かつはしやう報恩ほうをんのつとめこのことにあるべし。 おなじくは早旦さうたんにことををこなはるべし」 と 云々うんうん。 よりて、 たつの一点ゐちてん説法せちぽふはじまりて、 ひつじのこくにことをはりぬ。 しやうにんならびにだうそく瘧病ぎやべい平復へいふくす。 その講讃かうさんたいにいはく、 それ光明くわうみやうくわしやうは、 「あふぎてほんをたづぬれば、 十八じふはちぐわん法王ほうわうなり。 十劫じふこふしやうがくのとなへ念仏ねむぶちにたのみあり。 ふしてすいしやくをとぶらへば、 専修せんじゆ念仏ねむぶちだうなり。 三昧さんまいしやうじゆのことば、 わうじやうにうたがひなし。 ほんじやくことなりといえども化導くえだうこれひとつなり」 (選択集)。 しかるにわがだいしやうにん、 その遺風ゐふをしたひてこの真宗しんしゆこうず。 こゝにびやう0184ぐえんしきりに厳体げんたい逼迫ひちぱくし、 ぎやくたちまちにしやうしん悩乱なうらんす。 楽邦らくはうをねがふしゆゐきをいとふ庶類しよるい、 たれかこれをうれえざらん、 たれかこれをいたまざらん。 なかんづくにだい法主ほふしゆぜんぢやう太閤たいかふそん、 かの挙動しよどうをきゝて寸心そんしんむねをこがし、 その衰悩すいなうをうれへてしんしよくすでにうみんたり。 これによりて聖像せいざうして平安へいあんをこふ。 丹誠たんせいしちしてかならず哀愍あいみんをたれたまへと 云々うんうん諸天しよてんずいし、 三宝さんぼう納受なうじゆありけるにや。 けいびやくのときにあたりて、 だいえいぜんきやうくんず。 じんぢやうのにほひにあらざりけり。 ことのてい厳重げんてうなり。 そうのいはく、 法印ほふいん ちようけん あめをくだしてをあぐ。 聖覚せいかくはこのことどくなりとぞ、 ときのひと思議しぎのおもひをなしけり。

  だいだん

¬せんじやくほんぐわん念仏ねむぶちしふ¼ は、 月輪つきのわぜんぢやう博陸はくりく教命かうめいによりて、 ぐえんきうぐわんねん きのえね のはる、 しやうにん撰集せんじふしたまふ。 真宗しんしゆ簡要かんえう念仏ねむぶちあう、 これに摂在せうざいせり。 みるものさとりやすし。 まことにこれ希有けうさいしよう華文くえもんじやう甚深じんじん宝典ほうてんなり。 としをわたりをわたりて、 その教誨けうくえをかうぶるひと、 千万せんばんなりといえども、 しんといひといひ、 この見写けんしやをうるともがら、 はなはだもてかたし。 しかるにぐえんきうねん きのとのうししやうにん御恕おんじよをかうぶりて ¬せんぢやくしふ¼ 書写しよしやしたまふ 撰集せんじふ以後いごこれ最初さいしよなり。 おなじきとし0185初夏そかちうじゆんだいにち、 「せんじやくほんぐわん念仏ねむぶちしふ」 の内題ないだい、 ならびに 」南无なもわあ弥陀みだぶちわうじやうごふ念仏ねむぶちほん」 と、 「しやくしやく外題ぐえだいのしたとをば、 しやうにん真筆しんぴちをもて、 かゝしめたまひて、 これをじゆしたてまつる。 善信ぜんしんしやうにん、 おなじきしやうにん真影しんえいまふしあづかりて図絵づゑす。 允容いんようによりてなり。

  だいだん

またおなじきとしうるふしちぐわちじゆんだいにち、 かの真影しんえいめいは、 これもしやうにん真筆しんぴちをもて 「南无なもわあ弥陀みだぶち」 と 「にやくじやうぶち十方じふぱうしゆじやうしようみやうがう下至げしじふしやうにやくしやうじやしゆしやうがくぶちこん現在げんざいじやうぶちたう本誓ほんぜいぢうぐわん不虚ふこしゆじやうしようねん必得ひちとくわうじやう (礼讃) 真文しんもんとをかゝしめたまふ。 またゆめのつげあるによりて、 しやくをあらためて、 おなじき、 これもしやうにん真筆しんぴちをもてをかきさづけしめたまふ。 それよりこのかた、 善信ぜんしんがう云々うんうん善信ぜんしんしやうにんののたまわく、 すでに製作せいさく書写しよしやし、 真影しんえい図絵づゑす。 提撕ていぜいみゝにあり、 かんきもにめいずとて、 つねにわうをしたひたまひけり。 すべて門侶もんりよこれひろしといへども、 面授めんじゆ芳談はうだんもとも慇懃いんぎんなり、 相続さうぞくせい等倫とうりんにこえたり。 くろだにのりうをくむとしようし、 しやうにんじゆをうくとつのるしよ、 この一宗ゐちしゆにをきてその自義じぎこんず。 ほとほと今案こんあんといひつべし、 あた0186かも往哲わうてちをわすれたるににたり。 こゝにしんしやうにん、 ひとりしようにあゆみてかたくけうをまもる。 りきほち信心しんじん、 もはらせん説諫せちかんにまかせ、 ぼんそくしやうぎやう、 あらかじめ末法まちぽふぢよくあくをはぐゝむ。 念仏ねむぶちわうじやう随脳ずいなうさうじよう心中しんちうにたくはえ、 弥陀みだりき骨目ことぼくけちみやく一身ゐちしんにあり。 えんごんじやう道俗だうぞく、 ねがはくは、 けん連続れんぞくしやうをたのむべし。 崇信しゆしんたんぎやう老少らうせう、 かならず自由じゆ无窮むぐ邪執じやしふをすてよとなり。

  だい六段ろくだん

おんじやう碩学せきがくほふだいそうじやう公胤こういん、 ¬せんぢやくしふ¼ をせんがために、 くわんしよをつくりて、 ¬じやうけちせう¼ とだいす。 かのしよに、 ことに一向ゐちかう専修せんじゆなんじていはく、 「¬法華ほふくえ¼ に即往そくわう安楽あんらくもんあり。 ¬観経くわんぎやう¼ に読誦どくじゆだいじようあり、 ¬法華ほふくえ¼ を転読てんどくして極楽ごくらくわうじやうせんに、 なにのさまたげかあらん。 しかるに読誦どくじゆだいじようはいして、 たゞ念仏ねむぶちぞくす」 と 云々うんうん。 これおほきなるあやまりなりと。 しやうにんこれをひらきつゝ、 こゝにいたりてみはてたまはず。 さしをきていはく、 このなんなり。 まづなんほふ、 すべからくそのしゆをしりてのちになんずべし。 しかるにいまじやうしゆにくらくして僻難へきなんをいたさば、 たれかあへてせられん。 じやうしゆのこゝろは、 ¬観経くわんぎやう¼ ぜんしよだいじようきやうをとりて、 みなことごとくわうじやうのうちに摂入せふにふせり。 そのなかに、 なんぞ0187 ¬法花ほふくえきやう¼ ひとりもれんや。 ¬観経くわんぎやう¼ にあまねく摂入せふにふするこゝろは、 念仏ねむぶちたいしてはいせんがためなりと。 公胤こういんこれをつたへきゝて、 くちびるをとぢてものいはず。

  だい七段しちだん

じゆんとくゐん処胎しよたいのあひだ、 あるとき公胤こういん加持かぢのため、 しやうにん説戒せちかいのためにおなじくさんず。 ぎやうにんさんによりて、 ことにいまだをこなはれざるぜんに、 りよにん一処ゐちしよさんくわいして、 しばしばじやう法門ほふもんだんじ、 かねてしよにわたる。

  だい八段はちだん

公胤こういんばうにかへりてのち、 弟子でしにかたりていはく、 今日こんにち法然ほふねんばう対面たいめんして、 ふたつの所得しよとくあり。 ひとつには、 いまだきかざることをきく。 ふたつには、 もとしれることのひがめるをあらたむ。 まことのくわうさいなりけり。 みたてるところのじやう法門ほふもんしやうすべからず。 かのしやうにんをそしれるは、 おほきなるとがなりといひて、 すなはち ¬じやうけちせう¼ をやきをはりぬ。

  だいだん

そもそも一向ゐちかう専修せんじゆなんずることは、 公胤こういんのみにあらず。 にんまたなんじていはく、 たとひしよぎやうわうじやうをゆるすとも、 わうじやうのさはりとなるべからず。 なんぞあなが0188ちに一向ゐちかう専念せんねんといふや。 おほきなる偏執へんじふなりと 云々うんうんしやうにんこれをきゝてのたまはく、 かくのごとくなんずるものは、 じやうしゆをしらざるものなり。 そのゆえは、 しやくそんは 「一向ゐちかう専念せんねんりやう寿じゆ仏」 (大経巻下) ととき、 善導ぜんだうくわしやうは 「一向ゐちかうせんしよう弥陀みだびちみやう (散善義) しやくしたまへり。 きやうしやくかくのごとし。 ぐえんもしきやうしやくをはなれてわたくしにをたてば、 まことにせむるところのごとし。 もしひと一向ゐちかう専念せんねんなんぜんとおもはゞ、 しやくそん善導ぜんだうなんずべし。 そのとがまたくわがにあらずと 云々うんうん。 またひとなんじていはく、 「諸教しよけう所讃しよさんざい弥陀みだ (輔行巻二) なるがゆへに、 諸宗しよしゆにん、 かたはらに弥陀みだをほめ、 あまねくじやうをすゝむ。 このゆへに前代ぜんだいわうじやうのひとおほし。 このしゆをたてずといふとも、 念仏ねむぶちわうじやうをすゝめんに、 なにの不可ふかかあらん。 ひとへにこれしようなりと 云々うんうんしやうにんきゝてのたまはく、 じやうしゆをたつるこゝろは、 ぼんほうしやうずることをあらはさんためなり。 そのゆえは、 天臺てんだい教相けうさうによらば、 ぼんわうじやうをゆるすといへども、 しんはんずること、 いたりてあさし。 もし法相ほふさうによらば、 しんはんずることふかしといへども、 ぼんわうじやうをゆるさず。 諸宗しよしゆ所談しよだん、 まことにたくみなりといへども、 すべてぼんほうしやうずることをゆるさず。 もし善導ぜんだうくわしやうしやくによりてじやうしゆをたつるとき、 わづかにゐちねん0189ぶちりきによりて、 界内かいないせんぼん、 たちまちにほうしやうずる、 こゝにあきらけし。 このゆえにべちしてじやうしゆをたつと 云々うんうん

  第十段

もしまたひとありて、 いまたつるところの念仏ねむぶちわうじやう、 いづれのけう、 いづれののこゝろぞといはゞ、 こたふべし、 真言しんごんにあらず、 天臺てんだいにあらず、 華厳くえごんにあらず、 三論さんろんにあらず、 法相ほふさうにあらず。 たゞ善導ぜんだうくわしやうのこゝろによりてじやうしゆをたつ。 くわしやうはまさしく弥陀みだ化身くえしんなり。 所立しよりうあふぐべし、 しんずべし。 またくぐゑん今案こんあんにあらずと 云々うんうん。 けだししやうにん黒谷くろだにしようして、 よしみづの草庵さうあんぢゆしたまひしよりこのかた三十さんじふねん、 ひろむるところは弥陀みだじやう法門ほふもん、 つとむるところはほんぐわん称名しようみやうめうぎやうなり。 かみ一人ゐちにん椒房せうばうよりはじめて、 しも国宰こくさい黔主きんしゆにいたるまで、 みなりきわうじやうけうにそみ、 しやうじゆ来迎らいかう瑞雲ずいうんじようぜずといふことなし。 まさにしるべし、 たうにはだうくわしやうこくにはしやうにん、 それじやうしゆぐわんなり。 おほよそしやうにんざいのあひだ、 諸人しよにんれいこれおほし。 あるひとはしやうにんしや如来によらいなりとみる。 あるひとはしやうにん弥陀みだ如来によらいなりとみる、 あるひとはしやうにん大勢だいせいさちなりとみる。 あるひとはしやうにん文殊もんじゆ師利さちなりとみる。 あるひとはしやう0190にんだうしやくぜんなりとみる。 あるひとは善導ぜんだうだいなりとみる。 あるひとはしやうにんおほきなるしやく蓮華れんぐえして念仏ねむぶちしたまふとみる。 あるひとは天童てんどうにんしやうにんねうして管絃くわんぐえん遊戯ゆげしたまふとみる。 あるひとはしやうにん吉水よしみづ禅坊ぜんばうをみれば瑠璃るりにしてすきとほり瑠璃るりのはしをわたせりとみる。 せんをとりてこれをちゆ かくのごときのどく、 ゆめにもうつゝにもこれおほし。 しようすべからず。

  第十一段

しやうにんあるとき月輪つきのわ殿どのさんじて、 じやう法門ほふもん閑談かんだんこくをあたゝめられて退たいしゆちのとき、 ぜんぢやう殿でんていじやうにくづれおりさせたまひて、 しゆ礼拝らいはいしばらくありて、 おほきに蕭然せうぜんとしておどろきおきあがりてのたまはく、 をのをのみずや、 しやうにんじやうたかく蓮華れんぐえをふみてあゆみたまふ。 また頂上ちやうじやう金色こんじきえんくわうあらはれて赫奕かくやくたりと。 ときにかたはらにはんべる戒心かいしんばう きやうたい入堂にふだう隆信たかのぶ本蓮ほんれんばう ちうごんじやじんぐえんにんともにみたてまつらずとけいす。 くゐとしふりたりといへども、 いよいよ仏想ぶちさうをなしたまひけり。

元徳元年十一月七日

釈實円相伝

 

0191しふとくでんゑのことば くろだにのぐえんしやうにん しち

  だい一段ゐちだん

しやうにんじやう真宗しんしゆこうぎやうますますはんじやうし、 貴賎くゐせんじやうくゐいよいよ純熟じゆんじゆくす。 こゝにだいじやう天皇てんわう 鳥羽とばゐんがうす、 いみな尊成たかなりこんじやう つちかどゐんがうす、 いみな為仁ためひと 聖暦せいれき*承元じようぐえん ひのとのうのとし ちうしゆん上旬じやうじゆんのころ、 南北なんぼくがく顕密けんみちとうりやうじやう一門ゐちもんこうしやうだう諸宗しよしゆ廃滅はいめち因縁いんねんこのことにあり。 すべからくその根本こんぽんにつきてしやうにんをつみすべしといふことをせんしつゝ、 奏聞そうもんにをよぶ。 そのうへ門弟もんていのなかにりよじち内々ないないのきこえありければ、 ことのけいくわいおりふしあしくて、 南北なんぼくがくそう左右さうなくちよくきよ、 すでにざいみやうぢやうにをよびて、 はやくおんちよくせんをくださりけり。 しやうにんざいみやうふぢ元彦もとひこおとこ、 配所はいしよ土佐とさのくに はんしゆんじう七十しちじふ。 このほかもんあるひはざい、 あるひはざいざいのひとびと、 じやうもんばう 肥後ひごのくにぜんくわうばうちよう西さい はうのくに好覚かうかくばう 伊豆いづのくに法本ほふほんばう佐渡さどのくに・じやくかくばう幸西かうせい阿波あはのくに、 ぞくしやう物部ものゝべ云々うんうん善信ぜんしんばう親鸞しんらん 越後えちごのくにこく ざいみやうふぢ善信よしざねぜんばう たゞしどうだいそうじやう、 これをまうしあづかる じやうざいていともに八人はちにんぜんしやくばう西さい 摂津つのくににしてちゆす、 佐々木ささきはんぐわん じちみやうをしらず が沙汰さた云々うんうん性願しやうぐわんばう住蓮ぢゆれんばう安楽あんらくばう じやう近江あふみのくにむまぶちにしてちゆす、 二位にゐ法印ほふいんそんちやう沙汰さた云々うんうん じやう0192ざいにん。 このひとびとちゆせらるゝとき、 面々めんめん不可ふか思議しぎずいをあらはす。 あるひはながれいづるところのよりしやう蓮華れんぐえ出生しゆちしやうす。 あるひはくびおちてのち、 がふしやうをあらためて念珠ねんじゆをくることひやくはち念珠ねんじゆをもて三遍さんべん云々うんうん。 あるひはかうべよりひかりをはなち、 おつるところのくびかうしやう念仏ねむぶちじふへんこれをとなふ。 あるひはくちより蓮華れんぐえ出生しゆちしやうす。 種々しゆじゆどくのことらありけりとなん。

  だいだん

承元じようぐえんぐわんねんさんぐわち上旬じやうじゆんのころ、 しやうにんすでに配所はいしよにおもむきましますべきになりければ、 月輪つきのわぜんぢやう殿でんおん沙汰さたとして、 ほふしやう小御こみだうにわたしたてまつりて、 逗留とうりうをなしき。 さんぐわち十六じふろくにちみやこをいでたまふ。 信濃しなののくにの住人じゆにん、 つのおりのじやうしや随蓮ずいれんとう力用りきゆうりやうなりければ、 力者りきしやとうりやうとして、 われもわれもと六十ろくじふにんをんこしにしたがひたすけたてまつる。 すでに進発しんぱちのとき、 しんしやうにんひそかにまふしていはく、 衰邁すいまいをもて遠堺えんがいのたびにいでたまふこと、 たちまちにといきながらわかれなんとす。 あひさることいくそばくぞや。 をのをのてん一涯ゐちがいにあり。 山海さんかいをへだてゝまたながし。 音容いんようともにいまにかぎれり。 さいくわいいづくんぞあひたのまん。 うれふらくは所犯しよぼんなしといへども、 けいせん0193かうぶれり。 あとにとゞまるのため、 ひとりなにのおもてからんといひて、 むねをうちて歎息たんそくす。 しやうにんのたまわく、 よはひすでにはちじゆんにせまれり。 おなじていにありとも、 ながくいきてたれかみん。 たゞし因縁いんねんつきずは、 なんぞまたこむじやうさいくわいなからんや。 えきはこれしやうじやのゆくところなり。 たうにはゐちぎやうじやこくにはえん優婆うばそく謫所たくしよはまた権化ごんくえのすむみぎりなり、 晨旦しんたんにははく楽天らくてん。 わがてうにはかん丞相しようじやうじやう英聖えいせいなをしかなり。 いはんやまちしようをや。 せんしようみゝにあり、 はぢとするにたらず、 うれえとするにをよばず。 このときにあたりて、 へん群衆ぐんしゆくえせんこと莫太ばくだいしやうなり。 たゞしいたむところは、 ぐゑんこうずるじやう法門ほふもんじよくしゆじやうけちぢやうしゆち要道えうだうなるがゆえに、 しゆてんとうさだめてみやうかんをいたさんか。 もししからば、 貧道ひんだうざい弟子でし住蓮ぢゆれん安楽あんらく 斬刑ざんけい かくのごときのこと、 先代せんだいいまだきかず。 ことじやうへんにたへたり。 因果いんぐわのむなしからざること、 いきてじゆせば、 おもひあはすべきなりと 云々うんうん。 またそちをかへりみず、 一人ゐちにん門弟もんていたいして一向ゐちかう専念せんねんをのべたまふ。 おん弟子でし西さい推参すいさんしていはく、 かくのごときのおんしかるべからずおぼえはんべりと。 しやうにんののたまはく、 なんぢ経釈きやうしやくをみずやと。 西さいまふしていはく、 経釈きやうしやくはしかりといへども、 けん0194げんぞんずるばかりなりと。 しやうにんまたのたまはく、 われたとひけいにをこなはるとも、 さらにへんずべからずと 云々うんうん。 そのしきもともじやうなり。 みたてまつる諸人しよにん、 なみだをながしずいせずといふことなし。 またのちにしんしやうにんのいはく、 せんのことばさうせず。 はたしてそのほうあり。 いかんとなれば、 じようきう騒乱さうらんとうじやう静謐せいひちせしとき、 きみは北海ほくかいのしまのなかにましましてねんこゝろをいたましめ、 しんとうのみちのほとりにしてゐちめいをうしなふ。 先言せんげんたがはずしやうよろしくきくべしと 云々うんうん。 おほよそ念仏ねむぶちちやうはい沙汰さたあるごとに、 くゐようきたらずといふことなし。 ひとみなこれをしれり。 羅縷らるにあたはず、 筆端ひちたんにのせがたし。 しかれども、 ぜんのわすれざるはこうなりといふをもてのゆへに、 のためひとのため、 はゞかりあるににたれども、 いさゝかこれをす。

  だい三段さんだん

しやうにんみやこをいでたまふ公全こうぜんりち しやうしんしやうにんこれなり配所はいしよ 肥後ひごのくにと云々うんうん におもむきけるが、 りちのふねはさきにいでけるが、 しやうにんくだらせたまふときゝて、 しばらくをさえてしやうにんのふねにのりうつりて、 恩顔おんがんにむかひて落涙らくるいせんぎやうばんぎやうなり。 しやうにん念仏ねむぶちしてことばもいだしたまわず、 たゞうちゑみたまふばかりなり。 さるほど0195りちのふねよりとくとくとすゝめければ、 なごりおほくてもとのふねにのりてけり。

  だいだん

住蓮ぢゆれん安楽あんらくとうにんは、 物怱ぶちそう沙汰さたにて左右さうなくちゆせられをはりぬ。 そのほかなをざいあるべしときこえけるなかに、 善信ぜんしんしやうにんざいたるべきよしぶんす。 それかのしやうにんは、 いまだ宿老しふらうにをよばずといへども、 提携ていけいにもたへ、 しゆあうをもつたへてせい等倫とうりんにこえ、 とく諸方しよはうにあまねかりければにや。 かねて天聴てんていにそなはり、 さきだちてうんじやうにきこゆ。 まめやかに徳用とくゆうやはたしけん。 君臣くんしんともに猶予ゆよのうへ、 六角ろくかくのさきのちうごん親経ちかつねきやう年来ねんらい一門ゐちもんのよしみをつうぜられけるが、 おりふしはちにてぢやうのみぎりにつらなりて、 まふしなだめられけるによりて、 おんにさだまりにけり。 すなはち配所はいしよえちのくに こく におもむきまします。 かのくわうもんらうもん累代るいだいしやうとう朝廷てうていそう忠臣ぢゆしんにて、 才芸さいげいかんにわたり、 勤労きんらうよせをもし、 内外ないぐえりやうてんをかんがへ、 こんしようせきをとぶらひて、 しよきやうけんをまふしやぶられける。 ゆゝしくきこえけるとなん。

  だいだん

しやう0196にん摂津つのくにきやうのしまに一宿ゐちしうしたまひければ、 そん男女なんによらうにやくまいりあつまりけり。 そのとき念仏ねむぶちのすゝめいよいよひろく、 じやう結縁けちえんかずをしらず。 このしまは、 ろく波羅はらだいしやうこく 清盛きよもりこう 一千ゐちせんの ¬法華ほふくえきやう¼ をいしのおもてにかきて、 おほくののぼりぶねをたすけ、 ひとのなげきをやすめんために、 つきはじめられけり。 いまにいたるまで、 くだるふねにはかならずいしをひろひてをくならひなり。 やくまことにかぎりなきところなり。

  だい六段ろくだん

むろのとまりにつきたまひければ、 遊君いうくんどもまいりあつまりて、 わうじやう極楽ごくらくのみちわれもわれもとたづねまふしけり。 むかしまつ天皇てんわう くわうかう天皇てんわうこれなり 八人はちにんのひめみやを七道しちだうにつかはしけるより、 遊君いうくんいまにたえず。 あるとき天王てんわう別当べちたうそうじやう ぎやうそん 拝堂はいだうのためにくだられけるぐち神崎かんざき遊女いうぢよふねをちかくさしよせければ、 そうおんふねにみぐるしくといひければ、 神楽かぐらをうたひいたしはんべりける。 「有漏うろより無漏むろにかよふしやだにも 睺羅ごらのはゝはありとこそきけ」 と、 そうじやうめでゝさまざまの纏頭てんとうしたまひけり。 なかごろのことにや、 せうしやうしやうにん なかのがはのほんぐわん実範じちぱん ときこえしひと、 かのとまりをこぎすぎたまふことありけるに、 遊女いうぢよふねをさ0197しうかべて、 「くらきよりくらきみちにぞいりぬべき はるかにてらせやまのほのつき」 と、 くりかへしくりかへし三遍さんべんうたひてこぎかへりけるこそ、 あはれにおぼゑはんべれ。 またおなじきとまりのちやうじや、 とねくろやまひにしづみけるとき、 さいのいまやうに、 「なにしにわがのおひにけん おもえばいとこそかなしけれ いまは西方さいはう極楽ごくらくの 弥陀みだのちかひをたのむべし」 とうたひければ、 うんうみにそびき、 音楽おんがくまつにこたへてわうじやうをとげゝり。 いにしえもこのとまりには、 かゝるためしどもはんべれば、 いまもこのしやうにんにみちびかれたてまつらんことうたがひなしとて、 よろこびつゝまいりけるなかに、 しゆぎやうしや一人ゐちにんあり。 とひたてまつりていはく、 じやうとう三心さんしんしさふらふべきやうは、 いかゞおもひさだめはんべるべきと。 しやうにんこたへてのたまはく、 三心さんしんすることは、 たゞべちやうなし。 わあ弥陀みだぶちほんぐわんに、 わがみやうがうしようねんせば、 かならず引接いんぜうせんとおほせられたれば、 けちぢやうして摂取せふしゆさられたてまつるべしと、 ふかくしんじてこゝろにねんじ、 くちにしようするにものうからず。 すでにわうじやううちかためたるおもひをなして、 くわんのしるしには南无なもわあ弥陀みだぶち南无なもわあ弥陀みだぶちととなへゐたれば、 ねん三心さんしんそくのいはれあるなり。 三心さんしんとはたゞほんぐわんをうたがはざる一心ゐちしんをいふな0198り。 わづらはしくみつのこゝろをほかにもとむべきにはあらざるなり。 またざい无智むちのともがらは、 さほどまでおもはねども、 念仏ねむぶちまふすものは、 極楽ごくらくにむまるなればとて、 つねに念仏ねむぶちをだにまふせば、 三心さんしんそくするなり。 さればこそ、 いふにかひなきものどものなかにも、 神妙しんめうわうじやうはすることにてあれ。 たゞうらうらとほんぐわんをたのみて、 南无なもわあ弥陀みだぶちとをこたらずしようすべきなりと。 しゆぎやうしやりやうしつゝ、 ずいふかゝりけり。

  だい七段しちだん

しやうにん配所はいしよ土佐とさのくにとさだめられけれども、 讃岐さぬきのくに塩飽しほあきしやうりやうなりければ、 月輪つきのわぜんぢやう殿でんおん沙汰さたにて、 ひそかにかのところへぞうつしたてまつられける。 かのしやうあづかりしよ駿河するがかみ高階たかしな時遠ときとを入道にふだう西仁さいにんがたちに宿しふ教書けうしよのむねなをざりならざれば、 なじかはおろそかにしたてまつるべき、 きらめきもてなしたてまつる。 温室うんしち結構けちこうし、 ぜん調てうしつゝ、 そのあひだの経営けいえいいかにかなとぞふるまひける。 近国きんごくえんぐゐんじやうばうしやう隣郷りんがう男女なんによじふしてそんのごとくにくゐきやうしたてまつりけり。 一向ゐちかう専念せんねんなるべきやうをよみたまひけるうた、

わあ弥陀みだぶちと いふよりほかは つのくにの なにはのことも あしかりぬべし

また法門ほふもんのついでにくちずさみたまひけるにいはく、 「みやうしやうのきづな、 さん鉄網てちまうにかゝる。 称名しようみやうわうじやうのつばさ、 ぼん蓮台れんだいにのぼる」。 時遠ときとを入道にふだう西仁さいにんとひたてまつりていはく、 りきりきといふこといかゞこゝろえはんべるべき。 こたへてのたまはく、 ぐゑん殿てんじやうへまいるべきりやうにてはなけれども、 かみよりせめば二度にどまいりたりき。 これはわがまいるべきしきにてはなけれども、 かみのおんちからなり。 ましてわあ弥陀みだぶちおんちからにて称名しようみやうぐわんにこたへて引接いんぜうせさせたまはんことを、 なにのしんかあらん。 しんのつみをもければ、 无智むちなれば、 ぶちもいかにしてすくひたまはんなどおもはんは、 つやつやぶちぐわんをしらざるひとなり。 かゝる罪人ざいにんをやすやすとたすけんれうにおこしたまへるほんぐわんみやうがうをとなへながら、 ちりばかりもうたがふこゝろあるまじきなり。 十方じふぱうしゆじやうぐわんのなかには、 有智うち无智むちざいざい善人ぜんにん悪人あくにんかいかいなん女人によにん三宝さんぼう滅尽めちじんののちひやくさいまでのしゆじやう、 みなこもれり。 かの三宝さんぼう滅尽めちじんのときの念仏ねむぶちしやにくらぶれば、 たうのわが入道にふだうどのなどはぶちのごとし。 かのときは人寿にんじゆわづかに十歳じふさいかいぢやう三学さんがくをだにもきかず。 いふばかりもなきものどもの来迎らいかうにあづか0200るべきだうをしりながら、 わがのすてられたてまつるべきやうをば、 いかゞしてあんじいだすべき。 たゞ極楽ごくらくのねがはしくもなく、 念仏ねむぶちのまふされざらんのみこそわうじやうのさはりにてはあるべけれ。 かるがゆへにりきほんぐわんとも、 てうぐわんともまふすなりと。 時遠ときとを入道にふだう、 いまこそこゝろえはんべりぬれとて、 をあはせてよろこびけり。

 

0201しふとくでんゑのことば くろだにのぐえんしやうにん はち

  だい一段ゐちだん

おん弟子でしとう、 いざや当国たうごくにきこゆるまつやまみんとてゆきければ、 しやうにんもわたりたまひけり。 眺望てうばうのいとおもしろさに、 ひとびと一首ゐちしゆのうたよみけるに、 しやうにん

いかにして われ極楽ごくらくに むまれまし 弥陀みだのちかひの なきよなりせば

ひとびとこのえいこゝろえられず、 当所たうしよけい、 もしはひなのすまゐなどこそあらはしたくはんべれ。 これはそのもなしとなんじまふしければ、 さもあらばあれ、 けいそのけいをもよほすに、 こゝろのいみじくすめば、 かくいはるゝなりとおほせられければ、 みななきにけり。

  だいだん

しやうにんじやう法門ほふもんこうぎやうにつきて、 諸宗しよしゆ学者がくしや邪幢じやどうをさゝげて吹毛すいぼうざいをうたへ、 ばんじようそん虚名きよめいによりててい断罪だんざいにをよぶ。 しかれども、 とくかいにうるひ、 ぎやうがく一朝ゐちてうにあまねかりしかば、 片州へんしうををへんことぶちみやうかんそのはゞかりありとて、 いそぎめしかへさるべきよしきこえけり。 されども、 やがてその沙汰さた0202なし。 そののち承元じようぐえん三年さむねんはちぐわちのころ、 まづ摂津つのくにかちやまにうつさる。 かしこはしようによしやうにんわうじやうずい幽閑いうかんさうれいなり。 当山たうざん住侶ぢゆりよ念仏ねむぶちしゆし、 諸方しよはうらうにやくじやうくゐしければ、 このところのしやうまた大切たいせちなりとて、 をのづからふたとせのしゆんじゆをぞをくりたまひける。

  だい三段さんだん

当山たうざん一切ゐちさいきやうましまさゞるよしきこえければ、 興隆こうりうのためにとてしやうにんしよきやうろんをわたしたまふに、 ないしゆじやう七十しちじふにん、 むかへたてまつらんために参向さんかうす。 らう住侶ぢゆりよとうずいえちして、 宝蓋ほうがいをさゝげ華香くえかうして、 賞翫しやうぐわんきはまりなかりけり。 あまさへあんゐん法印ほふいん聖覚せいかくくちしやうして、 しやうだうとして開題かいだいやうありけり。 そのことばにいはく、 「いま一代ゐちだい分別ふんべちするにしゆあり。 ひとつにはしやうだう、 ふたつにはじやうなり。 かのしやうだうもんといふは、 智恵ちえをきはめてしやうをはなる。 いまじやうもんといふは、 愚痴ぐちにかへりて極楽ごくらくにむまる。 もんともに一仏ゐちぶち所説しよせちなりといへども、 廃立はいりうしんてん懸隔けんかくなり、 これすなはちだいしやう善巧ぜんげうしやう方便はうべんなり。 じやうけうをもて、 みだりがはしくなんずべからず。 それ愚痴ぐちにかへるといふは、 法蔵ほふざふ比丘びくのむかしのときじやうじゆしゆじやうぐわんをたてたまひしおり、 すべてざいしやうじん0203ぢうのたぐひ、 じよく末代まちだいどむのやから、 しやうじんなからんことをふかくかなしみて、 こうゆいのむろのうちにくわんねんぜん布施ふせかいのわづらはしきもろもろのぎやうをさしをきて、 ぎやうしゆ称名しようみやうをもてほんぐわんとして、 あまねく一切ゐちさい下機げきおうじたまへり。 一念ゐちねんなをとくしやうごふなり、 いはんやねんをや。 ぎやくむねとしやうなり、 いはんやきやうざいのひとをや。 これによりててうせいぐわんとなづけ、 または不共ふぐしやうしようす。 ふかくそのぐわんしんじてみやうがうしようねんすれば、 智恵ちえ愚痴ぐちろんぜず、 かいかいをきらはず、 じふじふながらむまれ、 ひやくひやくながらむまる。 しかのみならず、 しや慇懃おんごんぞく諸仏しよぶちゐち証誠しやうじやうは、 たゞみやうがうにかぎりてくわんぶちつうぜず。 はう立相りうさうして、 あへてふかきことはりをあかさず、 无智むちもんことはり必然ひつぜんなり。 たゞしんじてぎやうずるほかにはなきをもてとす。 たゞしもとより智恵ちえありて弥陀みだないしようゆうどく極楽ごくらく地下ぢげじやうしやうごんとうを、 これをくわんぜんをば、 かならずしもしやせず。 いまろんずるところは、 義理ぎりくわんねんをもてしゆとして、 但信たんしん称名しようみやうぎやうじやをかたくなはしくこれをするをするなり。 かのしやうだうもん先徳せんどく明哲めいてちじやうもんにいりてしゆのこゝろをあきらめて、 そのこゝろをえては、 ほんぐわんあうわうじやうしやうごふ、 しかしながらしよう念仏ねむぶちなりとみひらきたるうへは、 じやう0204きやう所説しよせちくわんぶち三昧ざんまいすらなをもてはいす、 いかにいはんやしゆのふかきくわんにをきてをや。 たゞ称名しようみやうのほかにはその他事たじをわする。 そのたい惘然ばうぜんとして、 すなはち愚痴ぐちににたり。 かるがゆへにじやう愚痴ぐちにかへるとはいふなり。 それ八万はちまん法蔵ほふざふ八万はちまん衆類しゆるいをみちびき、 一実ゐちじち真如しんによ一向ゐちかうせんしようをあらはすところなり。 用明ようめい天皇てんわう儲君ちよくんたんじやう南无なもぶちととなへたまふ。 そのをあらはさずといえども、 こゝろは弥陀みだみやうがうなり。 かくだい伝灯でんとうきやうもんをひきてほうのなみにし、 こうしやうにん念仏ねむぶち常行じやぎやうはこえをたてゝとくをあらはし、 永観ゐやうくわんりちわうじやうしき七門しちもんをひらきて一偏ゐちぺんにつかず、 りやうにんしやうにん融通ゆづ念仏ねむぶちじんみやうだうにはすゝめたまへども、 ぼんののぞみはうとうとし。 こゝにわがだい法主ほふしゆしやうにんぎやうねん十三じふさんより念仏ねむぶちもんにいりて、 あまねくひろめたまふに、 てんのいつくしきたまのかうぶりをにしにかたぶけ、 ぐえちけいのかしこきこがねのかんざしをにしにたゞしくす。 くわうごうのこびたるはだいのあとををひ、 傾城けいせいのことんなきはひやくによをまなぶ。 しかるあひだ、 とめるはをごりてもてあそび、 まづしきはなげきてともとす。 のうはすきをもてかずをしり、 えき念仏ねむぶちをもてとりにし、 ふなばたをたゝくかいじやうには念仏ねむぶちをもてうほをつり、 かせきをまつのもとには念仏ねむぶちをもてひづめをとる。 せち0205ぐえちくわをみるひとは西楼せいろうをかけ、 きんしゆにふけるともがらはにしのゑだのなしをおる。 弥陀みだをあがめざるをばきんとし、 念珠ねんじゆをくらざるをばじよくとす。 花族くわぞく英才えいさいなりといへども、 念仏ねむぶちせざるをばおとしめ、 乞丐こちがいにんなりといへども、 念仏ねむぶちするをばもてなす。 かるがゆえにはちどくしゐのうえには念仏ねむぶちのはちすいけにみち、 三尊さんぞん来迎らいかうのいとなみにはだいをさしをくひまなし。 しかのみならず、 われらが念仏ねむぶちせざるはかのいけのくわうはいなり、 われらがごんせざるはそのくにのしうなり。 くにのにぎはひ、 ぶちのたのしみ、 称名しようみやうをもてさきとす。 ひとのねがひ、 わがねがひ、 念仏ねむぶちをもてもととす。 よりてたうまい*しやうにつかへてかへる念仏ねむぶちをとなへてまくらとし、 たくをいでゝわしる極楽ごくらくねんじてくるまをはす。 これみなしやうにん教誡けうかいくわ宿しゆくぜんにあらずや。 たづねみれば、 弥陀みだはすなはちおうしやう来現らいげん如来によらい受用じゆよう智恵ちえ真身しんしんなり。 みやうがうはまたこうゆい肝心かんじん願行ぐわんぎやうしよじやう総体そうたいなり。 かるがゆへにこれをしんじてしようねんすれば、 念々ねんねん八十はちじふ億劫おくこうしやう罪ざいけんみちし、 声々しやうしやうじやうだいぐゐやくとくす。 このゆえに念仏ねむぶちしゆじやうは、 ゐちにすなはち相好さうがう業因ごふいんをうへ、 現身げんしんにあくまでふくりやうをたくはへて、 愚痴ぐち闇鈍あんどんぼんなれども、 うちにはろくまんぎやうしゆするさちとおなじ。 もししからずは0206、 いかでか有漏うろ穢土えどをいでゝ无為むゐ報国ほうこくにまいりて、 ぼんしやうをすててたゞちにほふしやうしんしようせんや。 さだめてしりぬ、 弥陀みだほんぐわんといふは、 ばんみやうがうゐちぐわんにさだめ、 千品せんぴんしよう十念じふねんにむかへ、 おなじくほうのはちすにたくしやうせしめ、 ともにしやうやくしようとくす。 ぎやくをもきらはず、 謗法はうぼふをもすてず。 しるべし」 とて、 はなをかみとゞこほりなければ、 そう結衆けちしゆなみだをながし、 そでをしぼりけり。 むかしかいじやうわうの ¬だい般若はんにや¼ やうには草木さうもくことごとくなびくなり。 いましやうにん念仏ねむぶちくわんじんには道俗だうぞくみなじやうをねがひけり。

  だいだん

りようがん逆鱗げきりんのいきどほりをやめて、 鳳城ほうせいぐえんぢゆせんをくだされければ、 けん*りやくぐわんねん かのとのひつじ 十一じふゐちぐわちじふ七日しちにち入洛じふらくす。 せんにいはく、 「辨官べんかんくだす。 土佐とさのくにはやくめしかへすべしにんふぢ元彦もとひこおとこ。 みぎくだんの元彦もとひこ、 いんじ承元じようぐえんぐわんねんさんぐわち土佐とさのくにゝはいす。 しかるにいまねんぎやうするところあるによりて、 めしかへさるてへり。 それがしちよくせんをうけたまはる、 くによろしくしようすべし。 せんによりてこれををこなふ。 けんりやくぐわんねんはちぐわちだいつき宿しゆく国実くにざねべん云々うんうん院宣ゐんぜんは、 ごんちうごん藤原ふぢはら光親みつちかきやう あるひは岡崎おかざきちうごん範光のりみつきやう云々うんうん かきくだされけり。 こ0207れによりて、 しやうにんくゐきやうのよしのゝしりければ、 一山ゐちざんみななごりをおしみつゝをくりたてまつりけり。

  だいだん

しやうにん京著きやうちやくののちは、 洛陽らくやう東山とうざん大谷おほたににゐたまひて、 なをじやう法門ほふもんこうぎやういにしへにたがはず、 諸方しよはうくゐいやめずらなり。 よしみづのぜんだいそうじやう えんちんくわしやうこれなりおん沙汰さたにてすえたてまつられけるとぞ。 むかししやくそんたうのくもよりくだりたまひしかば、 人天にんでんだいよろこびおがいたてまつりき。 いましやうにん南海なむかいのなみにさかのぼりたまへば、 道俗だうぞく男女なんによやうをのぶ。 貴賎くゐせんじふすること、 一日ゐちにちゐちのうちに一千ゐちせんにん云々うんうん。 このときひとありて、 法門ほふもんたづねまふしけるに、 おほせられていはく、 けちぢやうわうじやうのひとにとりてにんのしなあるべし。 ひとつには、 威儀ゐぎをそなへ、 くちには念仏ねむぶち相続さうぞくし、 こゝろには本誓ほんぜいをあふぎて威儀ゐぎのふるまひにつきて遁世とんせいさうをあらはし、 三業さんごふしよしゆちえうにそなへたり。 ほかに賢善けんぜんしやうじんさうあれども、 うちに愚痴ぐちだいしんなく、 ぎやうをもかゝず、 せいをもうかゞはず、 しむかたましくしてやうをへつらふこともなく、 みやうもんのおもひもなく、 貪瞋とんじん邪偽じやぐゐもなく、 かんひやくたんもなく、 雑毒ざふどくのけがれもなく、 不可ふかしちもなく、 まことに0208ぐえしやうじん内心ないしん賢善けんぜんに、 内外ないぐえ相応さうおうして一向ゐちかうわうじやうをねがふひともあり。 これけちぢやうわうじやうのひとなり。 かゝるじやうこん後世ごせしや末代まちだいにまれなるべし。 ふたつには、 ほかにたふとくいみじきさうをもほどこさず、 うちにみやうしんもなく、 三界さんがいをふかくうとみていとふこゝろきもにそみ、 じやうをこひねがふこゝろずいにとほり、 ほんぐわんしんしてむねのうちにずいし、 わうじやうをねがひて念仏ねむぶちををこたらず。 ほかにはけんにまじはりてせいをわしり、 ざいにともなひてやうにかたどり、 さいずいちくしてぎやうさらに遁世とんせいのふるまひならず。 しかりといへども、 心中しんちうにはわうじやうのこゝろざしへんもわすれがたく、 しんごふごふにゆづり、 せいのいとなみをわうじやうりやうとあてがひ、 さいくえんぞくしきどうぎやうとたのみて、 よはひの日々にちにちにかたぶくをばわうじやうのやうやくちかづくぞとよろこび、 いのちの夜々ややにおとろふるをば穢土えどのやうやくとをざかるぞとこゝろえ、 いのちのをはらんときをしやうのをはりとあてがひ、 かたちをすてんときをなうのをはりとし、 ぶちはこのときに現前げんぜんせんとちかひて影向やうがうをしばのとぼそにたれ、 ぎやうじやはこのときゆかんとして、 けちくわんおん蓮台れんだいにまつ。 このゆへに、 いそがしきかなわうじやう、 とくこのいのちのはてねかし。 こひしきかな極楽ごくらく、 はやくこのいのちのたゑねかし。 くやしきかなわが0209こゝろ、 しやうのひとやをすみかとして悪業あくごふのためにつかはるゝこと。 うれしきかなわがこゝろ、 无為むゐのみやこにかへりゆきてしやうのあるじとあふがれんこと。 かやうにこゝろのうちをすまして廃忘はいまうすることなく、 たとひえんにあへば、 よろこびもあり、 うれへもあり、 おかしきこともあり、 うとましきこともあり、 はづかしきこともあり、 いとおしきこともあり、 ねたきこともあり、 かやうのことあれども、 これは一旦ゐちたんのゆめのあひだの穢土えどのならひとこゝろえて、 これがためにまぎらかされず、 いよいよいとはしく、 たびのみちにあれたるやどにとゞまりてあかしかねたるこゝちして、 よそめはとりわき後世ごせしやともしられず、 よのなかにまぎれて、 たゞ弥陀みだほんぐわんじようじて、 ひそかにわうじやうするひとなり。 これはまことの後世ごせしやなるべし。 時機じき相応さうおうしたるけちぢやうわうじやうのひとなり。 このにんのこゝろだてを弥陀みだは 「しん (大経巻上) とをしへ、 しやは 「じやうしん (観経) ととき、 善導ぜんだうは 「真実しんじちしん (散善義) しやくしたまへりとぞ。

  だい六段ろくだん

しやうにんあるとき大谷おほたにばうにて、 にしのかたはるかに眺望てうばうしたまひつゝ、 くちずさませたまひけるうた、

しばのとに あさゆふかゝる しらくもを いつむらさきの いろとみなさん

  0210だい七段しちだん

おなじきねんしやうぐわち二日ふつかのひよりらうびやうしよくことにぞうせり。 すべてこの三年さんねんぼく惛暗こんあんとしていろをみ、 こゑをきくこと、 ともにつはびらかならず。 しかるに終焉しうえんにのぞみてこんみやうなること、 むかしにたがはず、 ごんをまじえず、 ひとへにわうじやうのことをだんじ、 かうしやう念仏ねむぶちたゆることなし。 おなじき三日みかのひ、 あるおん弟子でしとひたてまつりていはく、 こんわうじやうけちぢやうか。 こたえてのたまはく、 われもと極楽ごくらくにありしなれば、 さだめてかへりゆくべしと。 あるときまた弟子でしにつげてのたまはく、 われもと天竺てんぢくにありてしやうもんそうにまじはりて、 頭陀づだぎやうじてくえせしめき。 いま粟散ぞくさん片州へんしうのさかひにしやうをうけて念仏ねむぶちしゆをひろむ、 しゆじやうくえのためにこのかいにたびたびきたりき。 十一じふゐちにちのたつのこくに、 しやうにんおきゐで、 かうしやう念仏ねむぶちしたまふ。 きくひとみなくわんのなみだをながす。 弟子でしにつげてのたまはく、 かうしやう念仏ねむぶちすべしと、 わあ弥陀みだぶち顕現けんげんしたまふなり。 このぶちみやうがうしようすれば、 ほんぐわんりきによるがゆへに一人ゐちにんわうじやうせずといふことなしといひて、 念仏ねむぶちどく讃嘆さんだんし、 弥陀みだ本誓ほんぜい宣説せんぜちしたまふこと、 あたかもむかしのごとし。 しやうにんまたのたまはく、 くわんおんせいとうさちしやうじゆ現前げんぜんしたまへり、 をのをのおがみたてまつるや0211いなやと。 弟子でしおがみたてまつらずと 云々うんうん。 これをきゝていよいよ念仏ねむぶちすべしとすゝめたまふ。 またさんしやく弥陀みだざう病牀びやうしやうのみぎにすへたてまつりて、 このぶちはいしたまふべしと。 ときにしやうにんゆびをもてそらをさしてのたまはく、 このぶちのほかにまたぶちおはします、 おがむやと。 すなはちかたりていはく、 おほよそこのじふねんよりこのかた、 念仏ねむぶちこうつもりて、 極楽ごくらくしやうごんをよびぶちさちをみたてまつること、 じやうごうのことなり。 しかれども、 ひとにこれをいはず、 いま終焉しうえんかぎりにあり。 かるがゆへにこれをしめす。 またおん弟子でしとうぶちのみてにしきのいとをかけてこれとりたまへと。 しやうにんのたまはく、 かくのごときのことはこれつねのひとにとりてのことなり。 わがにおきてはしかるべからずとて、 つゐにとりたまはず。 廿日はつかのひのときにうんばうのうへにすいせり。 そのなかにえんぎやうのくもあり。 ざうえんくわうのごとくして、 しきせんくえちなり。 路次ろし往反わうはんのひと、 処々しよしよにこれをみる。 弟子でしまふさく、 このうへにうんまさにつらなれり。 わうじやうのちかづきたまえるかと。 しやうにんきゝてのたまはく、 あはれなるかな、 あはれなるかな。 わがわうじやう瑞相ずいさうはたゞ一切ゐちさいしゆじやうをして念仏ねむぶちしんぜしめんがためなりと。 ひつじのときにあたりて、 ことにをひらきて西方さいはうえみをくりたまふこと六遍ろくぺん。 そのと0212かんびやうのひと、 とひたてまつりていはく、 ぶちのあらはれたまふかと。 こたへてのたまはく、 しかなりと。 おほよそみやうにちわうじやうのよし、 さうのつげによりておどろききたりて終焉しうえんにあふもの、 ろく許輩きよはいなり。 かねてわうじやうのつげをかうぶるひとびと、 さきのごん中辨ちうべんふぢはらの兼隆かねたか朝臣あそんごんりちりうくわん・しらかはのじゆんこうのみやの女房によばう別当べちたう入道にふだう 惟方これかたきやう・あまねんわあ弥陀みだぶち板東ばんどうのあま・陪従べいじゆ信賢のぶかた祇陀ぎだりんきやう一切ゐちさいきやうのたにの住僧じゆそう 大進だいしんのきみはく真清さねきよみづやませふ。 このほかうんをみるひとかずをしらず。 また弥陀みだ三尊さんぞんうんじようじて来現らいげんしたまふをみるひとびと、 しんしやうにんりうくわんりちしようしやうにんわあ弥陀みだぶち定生ぢやうしやうばうせいくわんばう。 また七八しちはちねんさきだちて、 兼隆かねたか朝臣あそんゆめにみる、 しやうにん臨終りんじゆには 「光明くわうみやうへんじよう (観経) 四句しくもんをとなへたまふべしと。 こゝにしやうにん廿にじふ三日さんにち以後いご三日さんにちさん、 あるひはゐち、 あるひははんかうしやう念仏ねむぶち退たいのうへ、 ことに廿にじふにちのとりのこくより廿にじふにちこくにいたるまでは、 かうしやう念仏ねんぶつたいをせめてけんなり、 无余むよなり。 弟子でしろくにん番々ばんばん助音じよいむす。 助音じよいむのひとびとは窮屈きうくちにをよぶといへども、 れいびやうなうみやうなることはどくのことなり。 まさしくさい 廿にじふにちむまのしやうちう にのぞむとき、 年来ねんらいしよかくだいでう袈裟けさをひきかけて、 「光明くわうみやうへんじよう十方じふぱう0213かい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや (観経) もんじゆして、 ほく面西めんさいにして念仏ねむぶちのいきたえたまひをはりぬ。 おんじやうとゞまりてのち、 なを唇舌しんぜちうごかすことじふへんなり。

ときにしゆんじうまん八十はちじふらふ六十ろくじふろく身体しんたい柔軟にうなんにして容貌ようばうつねのごとし。 とうすでにきえ、 法舟ほふしうまたぼちすと。 かなしみあへることかぎりなし。 音楽おんがくまどにひゞく、 帰仏くゐぶち帰法くゐほふのみゝをそばだて、 きやうしちにみてり。 信男しんなん信女しんによのたもとにくんず。 あるひはうんはいするひと、 あるひはれいかんずるともがら、 しようすべからず。 ひちぼくにひまなく、 ちゆにあたはず。 さんしゆんいかなるころぞ、 しやくそんめちをとなへ、 しやうにんめちをとなふ。 かれはぐわちちうじゆんにち、 これは*しやうぐわちじゆんにちはちじゆんいかなるとしぞ、 しやくそんめちをとなへ、 しやうにんめちをとなふ。 かれもはちじゆんなり、 これもはちじゆんなり。

  だい八段はちだん

ふしておもんみれば、 しやくそんえんじやくのつきにすゝめることゐちぐえち荼毘だびのけぶりことなりといへども、 弥陀みだ感応かんおうにしりぞくこと十日じふじちしやうのかぜこれおなじきをや。 くわんおんすいしやくさいせい方便はうべん善巧ぜんげう、 もてかくのごとし。 かなしきかな、 貴賎くゐせん哀慟あいどうしてかうせるごとし。 弟子でしきやうぜちしてばうのひんがしにうづみたてまつりをはりぬ。

 

0214しふとくでんゑのことば くろだにのぐえんしやうにん

  だい一段ゐちだん

門弟もんていつねのしきにまかせて、 中陰ちういむごんぎやう心肝しんかんをくだき、 まい七日しちにぶちそうのいとなみ傍例ばうれいのごとし。

しよ七日しちにち 動尊どうそんだう信蓮しんれんばうしゆ大宮おほみや入道にふだうぜんだいじゆをさゝげられていはく、 「それおもんみれば、 せんざいしやうのむかし、 弟子でし頓朝とんてうのゆふべ、 一心ゐちしんしやうじんのまことをこらして十重じふぢう清浄しやうじやうかいをうく。 かるがゆへにさいがんにたのみて、 うやまひてじゆをこのみぎりにしゆす。 せう善根ぜんごんをきらふことなかれ、 かならずだい因縁いんねんたらん。 はやく蓮台れんだい妙果めうくわをかざらんがために、 こゝにらう逸韻いちゐんをたゝくところなり。 うやまひてまふす。 けんりやくねんぐわち」 とぞかゝれける。

七日しちにち げんさちだうぶちばうけんりやくねんぐわち三日みかのひ入道にふだう別当べちたう惟方これかたきやうのむすめ、 あはたぐちのぜんのゆめにりうやう、 しやうにん殯葬ひんさうのところにまうでたれば、 八幡はちまん御戸みとをひらくかとおぼゆ。 おんしやうたいとうそのうちにおはしますとみるに、 さてはしやうにん葬送さうそうのところにはあらず。 八幡はちまんなりけりとおもふほどに、 かたは0215らのひとのいはく、 かのおんしやうたいをさして、 あれこそ法然ほふねんしやうにん御房おんばうおんしやうたいよといふ。 これをきゝていよだち、 あせながれてさめぬ。 このゆめまたどくなり。 そもそもじんくわうごうぐわむねん かのとのみ だいさちたんじやうのむかし、 やつのはたふる。 かるがゆへに八幡はちまんだいさちがうす。 しやうにんたんじやうのいま、 ふたつのはたくだる、 もともそのへうあるか。 かのだいさちほんぎやうけうくわしやうみたてまつらんとせいありしかば、 たもとのうへにわあ弥陀みだ如来によらいうつりたまひき。 しかれば、 かれをもてこれをおもふに、 しやうにん弥陀みだ如来によらいおうしやくといふことあきらかなり。

さん七日しちにち ろくさちだう住真ぢゆしんばう弟子でしたん噠噺たちしんをさゝぐ。 義之ぎしがいしずりゐちのおもてにじふぎやう 八十はちじふ余字よじ、 これに一首ゐちしゆのうたをあひそへけり。

にしへよし ゆくべきみちの しるべせよ むかしもとりの あとはありけり

七日しちにち しやうくわんおんだう法連ほふれんばう弟子でしりやうせいぐわんもんにいはく、 「せん末法まちぽふ万年まんねんのはじめにあたりて、 弥陀みだ一教ゐちけうのすぐれたるをひろむ。 智恵ちえけんをひさぐ、 ばくのほこさきときにあらず。 かいぎやうたまをみがく、 摩尼まにのひかりめいす。 そもそもそんりやう逝川せいせんにさきだちてにち遠人えんじん来迎らいかうのくもをのぞむ。 新墳しんふんをつきてりやうさんじゆん遺弟ゆいてい栴檀せんだんのにほひをかぐ。 こゝにじやうたいのことばをかざりて、 ひとえにだいくわをいの0216る。 *掲焉けちえん旨意しいいよいよもてぶくゐようす」 と 云々うんうん

七日しちにち ざうさちだうごんりちりうくわん弟子でしぐえんぐわんもんにいはく、 「彩雲さいうんのきにおほふ、 ちかくみ、 とをくみて来集らいじふす。 きやうしちにみてり、 われもかぎ、 ひともかぎてともにたんす」 と 云々うんうん

ろく七日しちにち しや如来によらいだう法印ほふいんごんだいそう聖覚せいかくだい法主ほふしゆどうぜんだいそうじやうえんじゆをさゝげられていはく、 「ぶちしやうにん存日ぞんじちのあひだ、 よりより法文ほふもんだんじ、 つねにしやうだうにもちゐる。 結縁けちえんのおもひあさからず、 さいぐわんこれふかし。 これによりてろく七日しちにちしんにあたりて、 いさゝかじゆしゆし、 さんだいくわをいのりて、 うやまひてくわしようをならす。 しかのみならず、 ほふをさゝげてわうじやうのいえにをくる。 だちのころもこれなり。 法食ほふじきをとゝのへてくえじやうもんにまうく、 禅悦ぜんえちじきこれなり。 しかればすなはち、 幽霊いふれいかのびやうどうぐわんにこたえてかならずじやうぼん蓮台れんだいわうじやうし、 ぶちこの丹誠たんせいのこゝろざしによりて最初さいしよ引接いんぜう得益とくやくにあづからん、 うやまひてまふす」。

しち七日しちにち 弥陀みだ如来によらいならびにりやうかいまん荼羅だらだう三井みゐそうじやう公胤こういん法主ほふしゆしんぐわんもんにいはく、 「せん廿にじふさいのむかし、 弟子でしじふさいのとき、 かたじけなく師資しし約契やくけいをむすびて、 ひさ0217しくじふ年序ねんじよをつめり。 一旦ゐちたんしやうをへだてゝきうくわいのはらはたたえなんとす。 叡山えいざむ黒谷くろだに草庵さうあん宿しふせしよりとう白河しらかは禅房ぜんばうにうつるにいたるまで、 そのあひだいくおんといひ、 提携ていけいのこゝろざしといひ、 報謝ほうしやのおもひ昊天かうてんきはまりなし。 こゝをもて弥陀みだ迎接かうせうゐちぎやうざうをあらはし、 胎蔵たいざう金剛こんがうりやうしゆあんず。 また ¬妙法めうほふ蓮華れんぐえきやう¼ を摺写しふしやし、 ¬こんくわうみやうきやう¼ を書写しよしやすることをのをのゐち、 もて開眼かいげんし、 もて開題かいだいす。 一心ゐちしんこん三宝さんぼうけんしたまへ、 うやまひてまふす」 とぞかゝれける。

おほよそこのあひだ、 ぶちをいとなみ、 じゆをさゝぐひとざいしゆちかずをしらず。 かのそうじやうしやうだうをのぞまれけることは、 先年せんねん ¬じやうけちせう¼ をやくといへども、 しやうにん厳重げんてうわうじやうをきゝて、 かさねてかのざい懺悔さんぐえせんがためなり。 ぶつきやう講讃かうさんののち、 つぶさに ¬けちせう¼ のぐわんをのべたまひていはく、 公胤こういん今日こんにち参勤さんきんほんは、 ひとへにしやうにん謗難ばうなんせし重罪ぢうざい懺悔さんぐえせんがためなりと 云々うんうん座下ざげちやうしゆずいせずといふことなし。 しかうしてのち建保四年 ひのえね 四月廿六日の、 聖人公胤こういんにつげたまふさうにいわく、 わうじやうごふのなかには、 一日六時剋に一心ゐちしんにして念をみだらざれば、 功験もとも第一なり。 六時にみなをしようするものはわうじやう0218かならずけちぢやうす。 雑善はけちぢやうならず、 専修せんじゆけちぢやうごふなり。 ぐゑんに孝養のために公胤こういんよく説法せちぽふす。 感喜つくべからず。 臨終りんじゆにまづ迎接かうせうせん。 ぐゑんほん大勢だいせいさちなり。 しゆじやうを化せんがためのゆへに、 この界にきたることたびたびなり。

おほよそこのあひだ、 ぶちをいとなみ、 じゆをさゝぐひとざいしゆちかずをしらず。 かのそうじやうしやうだうをのぞまれけることは、 先年せんねん ¬じやうけちせう¼ をやくといへども、 しやうにん厳重げんてうわうじやうをきゝて、 かさねてかのざい懺悔さんぐえせんがためなり。 仏経講讃かうさんののち、 つぶさに ¬けちせう¼ の元起をのべたまひていはく、 公胤こういん今日こんにち参勤さんきんほんは、 ひとへにしやうにんを謗難せし重罪を懺悔さんぐえせんがためなりと 云々うんうん。 座下の聴衆、 ずいせずといふことなし。 しかうしてのち建保けんぽうねん ひのえね ぐわち廿にじふ六日ろくにちしやうにん公胤こういんにつげたまふさうにいわく、 わうじやうごふのなかには、 一日ゐちにちろくこく一心ゐちしんにしてねんをみだらざれば、 功験こうけんもとも第一だいゐちなり。 ろくにみなをしようするものはわうじやう0218かならずけちぢやうす。 雑善ざうぜんけちぢやうならず、 専修せんじゆけちぢやうごふなり。 ぐゑん孝養けうやうのために公胤こういんよく説法せちぽふす。 かんつくべからず。 臨終りんじゆにまづ迎接かうせうせん。 ぐゑんほんしん大勢だいせいさちなり。 しゆじやうくえせんがためのゆへに、 このかいにきたることたびたびなり。

  だいだん

かの公胤こういんそうじやう、 おなじきねんうるふろくぐわち廿はつかのひ禅林ぜんりんへんにしてわうじやうをとげをはりぬ。 種々しゆじゆ瑞相ずいさうこれをしめす。 うんはるかにそびき、 音楽おんがくちかくきこえ、 諸人しよにんをおどろかし、 しんみゝをそばだつ。 をうすること*仙洞せんとう後宮こうきうにをよび、 くゐきやうすること京洛けいらくへんにあまねかりけり。

  だい三段さんだん

ゑんりやく梨本なしもと実相じちさう円融えんゆう房舎ばうしやしやう蓮院れんゐんくわういんだい貴跡くゐせきなり。 をのをのめい一山ゐちさんくわんしゆにのぼり、 みなりやうもん三千さんぜんとうりやうにそなはる。 いづれもやんごとなき高僧かうそう賢哲けんてちなり。 あるひはくゐきやうをいたしてわうじやうこふくわいをちぎり、 あるひはじゆをさゝげてめちだいをいのる。 これみな念仏ねむぶち念仏ねむぶちしやうし、 しやうにんをあがむるゆへなり。 おんをわすれざるともがら、 がいをなんぞかろしとせんや。

しかるにいかなるじや外道ぐえだうしよにか、 しやうにんわうじやうじふねんののち、 堀河ほりかはゐんぎよ*ろく三年さんねんのなつ0219山僧さんそうせんしていはく、 専修せんじゆ念仏ねむぶちちやうはいすべし。 たゞしその根本こんぽんたるによりて、 まづぐゑんのおほたにのふんきやくして、 かのがいをかもがはにながすべしと 云々うんうん奏聞そうもんをふるにちよくきよあり せふしやう猪熊ゐのくまだいじやう大臣だいじん家実いへざね座主ざすじやうだいそうじやうえんろくぐわちじふにち山門さんもん使しやとうおりきたりて、 清水きよみづざか乱僧らんそうにおほせつけて、 廟堂べうだうをこぼちとるところに、 けいしゆしゆすけたいら時氏ときうじ内藤ないとうらうひやうぜう盛政もりまさほふ ほふみやう西仏さいぶち をさしつかはし、 せいをくはえていはく、 たとひちよくめんありといふとも、 武家ぶけにあひふれず、 左右さうなく狼藉らうぜきをいたすでう、 はなはだもて自由じゆなり。 すべからくあひしづまりて穏便おんびん沙汰さたをいたすべしと。 問答もんだふときをうつすあひだ、 晩陰ばんいんにをよびて、 山門さんもん使しや、 さかの乱僧らんそうをのをのかへりをはりぬ。

  だいだん

ここにしんしやうにん妙香めうかうゐんそうじやう 良快りやうくわい にまふしていはく、 こといたりてこうじやうなり。 山僧さんそうのくはだて、 さだめてもだせざらんか。 こたへてのたまはく、 いまのおほせ同心どうしんす。 改葬かいさうもともしかるべしと 云々うんうん。 これによりてしんしやうにんふけ、 ひとしづまりてのち、 がいをいりいだしてになひゆきつゝ、 嵯峨さがそんゐんにかくしをく。 くだんの宇津うつみやいや三郎さぶらう入道にふだう頼綱よりつなほふしゆのためにろくひやくひやう0220引率いんそちしてしようす。 しかうしてのち、 聖棺しやうくわんをになひて洛中らくちうをとほしたてまつるに、 面々めんめんなみだをながし、 各々かくかくにそでをしぼる。 おそらくは双樹さうじゆりんのゆふべのいろかはり、 抜提河ばちだいなみにむせびけんもかぎりあれば、 これにはすぎしとぞみえける。 そうじて但信たんしん念仏ねむぶちぎやうにん一向ゐちかうごん道俗だうぞくおんともするともがら、 せんにんなり。

  だいだん

このことにあひしたがふ僧侶そうりよとうこうぐわいにいだすべからざるむね、 仏前ぶちぜんにしてをのをのせいじやうをたてゝ退たいしゆちしをはりぬ。 そののち、 なをあなぐりもとむべきよしそのきこえあるあひだ、 五箇ごかにちをへてのち、 またそんゐんよりくわうりう来迎らいかうばうえんがもとにうつしをきたてまつる。

  だい六段ろくだん

みやうねんしやうぐわち廿にじふにちのあかつき、 また西山にしやまあは いまの光明くわうみやうこれなり にむかへいれて、 法蓮ほふれんしやうにんしやうしんしやうにんかくわあ弥陀みだぶちとうらいして、 その、 すなはち火葬くわさうしをはりぬ。 そのとき種々しゆじゆ霊瑞れいずいあり。 うん太虚たいきよにみち、 きやう庭前ていぜんにかほる。

  だい七段しちだん

善信ぜんしんしやうにんちよくめんのうへは、 やがてくゐきやうあるべきにてはんべりけるほどに、 しやうにん0221入洛じゆらくののちいくばくならずしてのち、 入滅にふめちのよしきこえければ、 いまはきやうにかへりてもなにかせん、 しかじくんをひろめてめちくえをたすけんにはとて、 いそぎものぼりたまはず、 とうくわんのさかひこゝかしこにおほくの星霜せいさうをぞかさねたまひける。 やゝひさしくありて入洛じふらくでう西にし洞院とうゐんわたりにひとつのしようをしめてすみたまふ。 このときせんしやうにんもちなりとて、 そのせいをむかふるごとに、 声明しやうみやうそうしやうくちし、 緇徒しとぜんをとゝのへて、 月々つきづきにち四夜しや礼讃らいさん念仏ねむぶちとりをこなはれけり。 これしかしながら、 せん報恩ほうをん謝徳しやとくのためなりと 云々うんうん

  だい八段はちだん

諸宗しよしゆ碩才せきさいしやうにんとくくゐすることみぎにのせをはりぬ。 そのほか法印ほふいん明禅めいぜんしやうらうたけけいとしふりたるめいしやうなり。 しかるにしやうにんもちにあたりて、 そのしゆをうかゞひ、 かのくわんくえしんじてつゐにわうじやうをとげき。 臨終りんじゆには 「極重ごくぢう悪人あくにん无他むた方便はうべん (要集巻下) 四句しくもんをとなふと 云々うんうん。 またしや随蓮ずいれん 在所ざいしよでう万里までこうでうおもて しゆちののち、 つねにしやうにん御房おんばうにつかへて、 配所はいしよえもしたがひたてまつりけり。 臨終りんじゆのとき、 随蓮ずいれんをめしてのたまはく、 念仏ねむぶちやうなきをやうとするなり、 たゞひらに称名しようみやうぎやうをもはらにすべしと 云々うんうん随蓮ずいれんひとへに禅命ぜんめいしんじて、 ふたごゝろなく念仏ねむぶち0222けり。 しやうにんわうじやう以後いごさんねんをふるあひだ、 遺弟ゆいていとうのいはく、 念仏ねむぶちはすれども三心さんしんそくせずはわうじやうかなふべからずと 云々うんうん。 こゝに随蓮ずいれんいはく、 しやうにん念仏ねむぶちなきをとす、 たゞひらにぶちしんじて念仏ねむぶちせよとて、 またく三心さんしんのことおほせられざりきと。 かのひとこたえていはく、 それは一切ゐちさいにこゝろうまじきものゝための方便はうべんなり。 ぞんのむねはよなとて、 もんしやくのこゝろゆゝしくまふしきかせけり。 随蓮ずいれんまことにさもやありけんとおほきにしんをおこして、 たれひとにかとはまじとおもひて、 ゐち両月りやうぐわちをふるあひだ、 心労しんらうかぎりなくして念仏ねむぶちもまふされず。 あるのゆめに、 ほふしよう西門さいもんをさしいりてみれば、 いけの蓮華れんぐえいろいろにひらけてよにめでたかりけり。 にしのらうのかたえあゆみよりてみれば、 僧衆そうしゆあまたならびて、 じやう法門ほふもんだんぜらる。 随蓮ずいれんはしをのぼりあがりてみれば、 しやうにんきたなるにみなみむきにゐたまえり。 随蓮ずいれんみつけてまいらせてかしこまる。 しやうにん随蓮ずいれんらんじてまぢかくきたれとおほせられければ、 おそれおそれかたはらにまいりぬ。 随蓮ずいれんぞんずるむねをいまだまふしのべざるさきに、 しやうにんののたまはく、 なんぢこのほどこゝろになげくことあり、 ゆめゆめわづらふことなかれと 云々うんうんこのこと一切ゐちさいにひとにもまふさず。 いかでかしろしめすべきとおも0223ひて、 かみくだんのむねをつぶさにまふしのぶ。 そのときしやうにんのたまはく、 たとへばひがごとをいふものありて、 あのいけの蓮華れんぐえを、 蓮華れんぐえにはあらず、 むめぞさくらぞといはゞ、 なんぢはしんじてんやと 云々うんうん随蓮ずいれんまふしていはく、 げん蓮華れんぐえにてはんべり、 いかにひとまふすとも、 いかでかむめ・さくらとはおもひはんべらんと。 そのときしやうにんのたまはく、 念仏ねむぶちまたかくのごとし。 ぐゑんがなんぢにをしゑしことばをしんぜば、 蓮華れんぐえ蓮華れんぐえといはんがごとし。 ふかくしんじて念仏ねむぶちをまふすべしとなり。 あくじやのむめ・さくらをばゆめゆめしんずべからずと、 おほせらるゝとみてゆめさめをはりぬ。 思議しぎのおもひをなすこときはまりなし。 ひごろのしんことごとくさんじ、 しんたちまちにはれて、 むかしのおんをしえすこしもさうなかりけりとがうしつゝ、 念仏ねむぶちのほかふたごゝろなくしてはちじゆんにをよびてわうじやうくわいをとげにけり。

おほよそしやうにんざいしやうとくぎやうめち化導くえだうしようすべからず。 たれかあんにともしびなくして室内しちないをてらすや。 たれかかくだい袈裟けさでんするや 南岳なんがくだいさうじよう。 たれかこくおんためかいたるか。 たれかせちにをいて真影しんえいをのこすや。 たれかもんのためにくゐきやうせらるゝや。 たれか現身げんしんくわうをはなつや。 たれか現身げんしん三昧さんまい発得ほちとく0224するや。 これみなしやうにん一身ゐちしんとくなり。 はかりしれぬ、 十方じふぱうさん央数あうしゆかいしやうしやうくわしやうこうにあひてはじめてじよう斉入さいにふだうをさとり、 三界さんがい九居くごぜんはちぢやう天王てんわう天衆てんしゆしやうにんたんじやうによりてたちまちにすい退没たいもちをまぬかるといふことを。 かんことなりといへども、 しやうこれおなじきものか。 いはんやまた末代まちだいざいぢよくぼん弥陀みだりきゐちぎやうによりてことごとくわうじやうくわいをとぐる。 しかしながらしやうにん立宗りうしゆこうぎやうのゆへなり。 ぐわんりきをたのみてわうじやうをねがふともがら、 たれかそのおんほうぜざらん。 念仏ねむぶちくゐして極楽ごくらくぐわんずるひと、 なんぞかのとくしやせざらん。 これによりていさゝかでんをひらきて、 ほゞしやうろくするものなり。

 

于時*正安第三年辛丑歳、 従黄鐘中旬九日至太呂上旬五日、 首尾十七箇日、 扶痻忍眠草之。 縡既卒爾、 短慮転迷惑、 䚹謬胡靡期。 俯乞、 披覧之*宏才要加取捨之秀逸耳。

衛門隠倫釈覚如 三十二歳

*元徳元年 十一月書写了

釈実円相伝之

 

底本は本派本願寺蔵元徳元、二年善最書写本。 訓もほぼ底本まま(ごく一部有国補完)。