一二(200)、類聚浄土五祖伝
▲類聚浄土五祖伝第十二
・曇鸞
第一位 ▼曇鸞法師 六伝
・曇鸞 続高僧伝
一 ¬続高僧伝¼ 第七 (巻六) 解義篇 にいはく、 「釈の曇鸞、 あるいは巒につくる。 その氏を詳にせず、 雁門の人なり。 家五台山に近し。 神述霊怪にして民聴に逸る。
一 ¬続高僧伝¼第七 解義篇 云、「釈ノ曇鸞、或ハ為ル↠巒ニ。未↠詳ラカニ↢其ノ氏ヲ↡、雁門ノ人ナリ也。家近シ↢五台山ニ↡。神述霊怪ニシテ逸スグシル↢于民聴ニ↡。
時いまだ志学ならざるに、 すなはち往きて尋ぬ。 備に遣蹤を覿て、 心神歓悦して、 すなはち出家す。 内外の経籍、 つぶさに文理を陶く。 四論の仏性においていよいよ窮め研くところなり。 ¬大集経¼ を読むに、 その詞義深密にしてもつて開悟しがたきことを恨みて、 よりて注解す。 文言半ばを過ぎてすなはち気疾を感ず。
時未ダルニ↢志学ナラ↡、便往テ尋ヌ焉。備ニ覿テ↢遣蹤ヲ↡、心神歓悦シテ、便即出家ス。内外ノ経籍、具ニ陶ク↢文理ヲ↡。而於テ↢四論ノ仏性ニ↡弥所ナリ↢窮0201研ク↡。読ニ↢¬大集経ヲ¼↡、恨テ↣其詞義深密ニシテ難コトヲ↢以開悟↡、因テ而注解ス。文言過テ↠半バヲ便感ズ↢気疾ヲ↡。
しばらく筆功を停め、 あまねく医療を行ず。 行きて汾州秦陵の故墟に至るに、 城の東門に入るときの、 上*青霄に望むに、 たちまちに天門の洞開けるを見る、 六欲の階位上下の重復歴然として斉しく覩る。 これによりて疾癒えぬ。
権ク停↢筆功ヲ↡、周ク行ズ↢医療ヲ↡。行テ至ルニ↢汾州秦陵ノ故墟ニ↡、入ルトキノ↢城東門ニ↡、上望ムニ↢青霄ソラニ↡、忽ニ見ル↢天門洞開ケルヲ↡、六欲ノ階位上下ノ重復歴然トシテ斉シク覩。由テ↠斯ニ疾ヒ癒ヌ。
前作を継がんと欲し、 顧てしかもいひていはく、 命はこれ危脆にしてその常を定めず、 *本草の諸経つぶさに正治を明かす。 長年神仙往々に間出す。 心願の指すところ、 この法を修習せんと。 果剋すでにおはりて、 まさに仏教を崇めんに、 また善からずんや。
欲↠継ント↢前作ヲ↡、顧テ而モ言テ曰ク、命ハ惟危脆 モロシ 不↠定↢其ノ常ヲ↡、本草ノ諸経具ニ明ス↢正治ヲ↡。長年神仙往々ニ間出ス。心願ノ所↠指ス、修↢習ス斯法ヲ↡。果剋既ニ已テ、方ニ崇メンニ↢仏教ヲ↡、不ンヤ↢亦善↡乎。
江南の陶隠居といふもの、 方術の帰するところ広博弘瞻なり、 海内宗重すと承く。 つひに往きてこれに従はんと。 すでに梁朝に達する時大通のなかなり。 すなはち名を通していはく、 北国の虜僧曇鸞ことさらに来りて奉謁す。 時に所司*細作をせんことを疑ひて推勘す、 異詞あることなし。 事をもつて奉聞す。 帝のいはく、 これ国を覘ふものにあらず、 重雲殿に引入すべしと。 よりて千の迷道に従す。
承ク↢江南ノ陶隠居ト云者、方術ノ所↠帰スル広博弘瞻ナリ、海内宗重スト↡。遂ニ往テ従↠之ニ。既達↢梁朝ニ↡時大通ノ中也。乃通シテ↠名ヲ云ク、北国ノ虜僧曇鸞故ニ来テ奉謁マミスユル。時ニ所司疑テ↠為ンコトヲ↢細作ヲ↡推勘ス、無シ↠有コト↢異詞↡。以↠事奉聞ス。帝ノ曰ク、斯非↢覘↠国ヲ者ニ↡、可シト↣引↢入ス重雲殿ニ↡。仍テ従ス↢千ノ迷道↡。
帝まづ殿隅において、 縄床に却きて坐す、 衣るに袈裟をもつてし、 覆ふに衲帽をもつてす。 巒、 殿の前に至りて*顧望するに承対のものなし。 高座を施張し、 几払を安ずるありて、 まさしく殿のなかにありてかたはらに余座なきを見る。 ただちに往きてこれに升りて、 仏性の義を竪つ。 三たび帝に命じていはく、 大檀越仏性の義深し、 略してすでに標叙す、 疑あれば問を賜へと。 帝衲帽を却けてすなはちもつて数関往復す。 よりていはく、 今日晩れなんと向す、 明けてすべからくあひ見ゆべしと。 巒座より下る。 よりて前みてただちに出でる。 誥曲重沓二十余門なれども、 一つも錯誤なし。
帝先ヅ於↢殿隅ニ↡、却テ↢坐ス縄床ニ↡、衣ルニ以シ↢袈裟ヲ↡、覆フニ以ス↢衲帽ヲ↡。巒至テ↢殿ノ前ニ↡顧望スルニ無シ↢承対ノ者↡。見↪有テ↧施↢張シ高座ヲ↡、安ズル↦几払ヲ↥、正ク在テ↢殿ノ中ニ↡傍ニ無ヲ↩余座↨。俓ニ往テ升テ↠之ニ、竪ツ↢仏性ノ義ヲ↡。三ビ命ジテ↠帝ニ曰ク、大檀越仏性ノ義深シ、略シテ已ニ標叙ス、有バ↠疑賜ヘ↠問ヲ。帝却ケテ↢衲帽ヲ↡便チ以テ数関往復ス。因テ曰ク、今日向ス↠晩レナント、明須クシ↢相ヒ見ユ↡。巒従↠座下ル。仍テ前テ直ニ出ル。誥曲重沓廿余門ナレドモ、一モ無↢錯アヤマリ 誤アヤマリ。
帝きはめて嘆訝していはく、 この千の迷道は、 従来旧侍せるもの往還するに疑阻す、 いかんぞ一たび度してつひにすなはち迷ふことなきや。 明且大極殿に引入して、 帝階を降り礼接して来れるゆゑを問ふ。 巒いはく、 仏法を学せんと欲するに年命の促滅することを恨む。 ゆゑに来ること遠く、 陶隠居に造りてもろもろの占術を求むと。 帝のいはく、 これ世に傲る隠遁のものなり。 このごろしばしば徴せどもつかず、 往きてこれに造るべしに任すと。 巒尋いで書を致して問を通ず。
帝極テ嘆訝シテ曰ク、此ノ千ノ迷道ハ、従来旧侍セルモノ往還スルニ疑フ 阻ヲス、如何ゾ一ビ度シテ遂乃チ無ヤ↠迷コト。明且引↢入テ大極0202殿ニ↡、帝降リ↠階礼接シテ問フ↣所↢由ヲ来ル↡。巒曰、欲ニ↠学ント↢仏法ヲ↡恨ム↢年命ノ促滅コトヲ↡。故ニ来コト遠ク、造テ↢陶隠居ニ↡求ト↢諸ノ占術ヲ↡。帝ノ曰ク、此傲ルヲゴル↠世ニ隠遁ノ者ナリ。比屡徴セドモ不↠就カ、任ス↢往テ造ルベシ↟之ニ。巒尋イデ致シテ↠書ヲ通ズ↠問ヲ。
陶すなはち答へていはく、 去る月耳に音声を聞きて、 この辰眼に文字を受くるなり。 まさに頂礼して歳積もるによりて、 ゆゑに真往をして礼儀せしめ、 まさにしばらく藤蒲を整払し、 花水を具陳して、 襟を端し思を斂め、 警錫を佇聆するなり。 山所に屆るにおよびて、 接対欣然として、 すなはち仙法十巻をもつて、 もつて遠意に酬ゆ。
陶乃チ答テ曰、去ル月耳ニ聞テ↢音声ヲ↡、茲辰眼ニ受ナリ↢文字ヲ↡。将ニ由テ↢頂礼シテ歳積ニ↡、故ニ使メ↢真往ヲシテ礼儀セ↡、正ニ爾整↢払藤蒲ヲ↡、具↢陳シテ花水ヲ↡、端シ↠襟ヲ斂メ↠思ヲ、佇↢聆警錫ヲ↡也。及テ↠屆ルニ↢山所ニ↡、接対欣然トシテ、便チ以テ↢仙法十巻ヲ↡、用テ酬↢遠意ニ↡。
還りて浙江に至るに、 鮑郎子神といふものあれば、 一鼓して浪を湧せば、 七日にしてすなはち止まる。 波の初に値ひて度ることを得るに由なし。 巒すなはち廟の所に往きて、 情をもつて祈告す。 かならず所請のごとくならばまさにために廟を起つべしと。 須臾に神郎形を見す、 状二十のごとし。 来りて巒に告げていはく、 もし度らんと欲はば、 明且まさに得べし、 願はくは言を食まざることと。 明晨に至るにおよんで涛なほ鼓怒す。 わずかに船裏に入れば、 怗然として安静り、 期によりて帝に達して、 つぶさに由縁を述ぶ。 勅ありて江神のためにさらに霊廟を起つ、 よりてすなはち辞して魏境に還る。
還テ至ルニ↢浙江ニ↡、有バ↢鮑郎子神トイフ者↡、一鼓シテ湧セバ↠浪ヲ、七日ニシテ便チ止マル。値テ↢波初ニ↡無↠由↠得↠度。巒便チ往テ↢廟ノ所ニ↡、以↠情ヲ祈告ス。必如ナラバ↢所請ノ↡当ニ↢為ニ起ツ↟廟ヲ。須臾ニ神郎見ス↠形ヲ、状如シ↢二十ノ↡。来テ告↠巒ニ曰、若欲ハ↠度ント者、明且当ニシ↠得、願ハ不コト↠食マ↠言ヲ。及デ↠至ルニ↢明晨ニ↡涛猶鼓怒ス。纔ニ入レバ↢船裏ニ↡、怗然トシテ安静リ、依テ↠期ニ達シテ↠帝ニ、具ニ述ブ↢由縁ヲ↡。有テ↠勅為ニ↢江神ノ↡更ニ起↢霊廟ヲ↡、因テ即辞シテ還ル↢魏境ニ↡。
名山に往きて方によりて修治せんと欲して、 行きて洛下に至るに中国の三蔵菩提留支に逢ひぬ。 巒往きて啓していはく、 仏法のなかにすこぶる長生不死の法のこの土の仙術に勝れたるものありやと。 留支地に唾はきていはく、 これいかにといふ言や、 あひ比ぶるにあらざるなり。 この方にいづれの処か長生の不死の法あらん。 たとひ長年を得て少時死せずとも、 つひにはさらに三有に輪廻するのみと。 すなはち ¬観経¼ をもつてこれを授けていはく、 これ大仙の方なり、 これによりて修行せば、 まさに生死を解脱することを得べしと。
欲シテ↧往テ↢名山ニ↡依テ↠方ニ修治セント↥、行テ至ルニ↢洛下ニ↡逢ヒヌ↢中国ノ三蔵菩提留支ニ↡。巒往テ啓シテ曰ク、仏法ノ中ニ頗ル有↧長生不死ノ法ノ勝ル↢此土ノ仙術ニ↡者↥乎。留支唾テ↠地ニ曰ク、是何ニト云言歟、非↢相ヒ比↡也。此ノ方ニ何ノ処有ラン↢長生ノ不死ノ法↡。縦ヒ得テ↢長年ヲ↡少時不トモ↠死、終ニハ更ニ輪↢廻三有ニ↡耳。即以↢¬観経ヲ¼↡授テ↠之曰ク、此大仙ノ方ナリ、依↠之修行セバ、当ニ↠得↣解↢脱コトヲ生死ヲ↡。
巒尋ね頂受して、 齎むところの仙方みな火もつてこれを焼く、 自行化他流靡弘広なり。 魏の主これを重くして、 号して神巒とす。 勅を下して并州の大巌寺に住せしむ。 晩にまた汾州の北山石壁の玄中寺に移住す。 時に介山の陰に往して、 徒を聚め業をほしいままに、 いま巒公巌と号するこれなり。
巒尋頂受シテ、所ノ↠齎ム仙方並火ヲ以焼ク↠之ヲ、自行化他流靡弘広0203ナリ。魏主重シテ↠之ヲ、号シテ為↢神巒ト↡焉。下シテ↠勅ヲ令ム↠住↢并州ノ大巌寺ニ↡。晩ニ復移↢住ス汾州ノ北山石壁ノ玄中寺ニ↡。時ニ往テ↢介山之陰ニ↡、聚メ↠徒ヲ蒸ニ↠業ヲ、今号スル↢巒公巌ト↡是也。
魏の興和四年をもつて、 疾によりて平遥の山寺に卒す。 春秋六十有七。 終に至る日に臨みて、 幡花・幢蓋、 高く院宇に映し、 香気蓬勃して、 音声繋鬧なり。 寺に預登するもの、 ならびに同じくこれを矚る。 事をもつて上聞す。 勅してすなはち汾西の秦陵が文谷に葬す。 塼塔を営建し、 ならびにために碑を立つ、 いまならびに存ぜり。
以↢魏ノ興和四年ヲ↡、因テ↠疾ニ卒ス↢于平遥ノ山寺ニ↡。春秋六十有七。臨テ↢至ル↠終ニ日ニ↡、幡花・幢蓋、高ク映シ↢院宇ニ↡、香気蓬勃シテ、音声繋鬧ナリ。預↢登スル寺ニ↡者、並ニ同ク矚ル↠之ヲ。以↠事ヲ上聞ス。勅シテ乃チ葬ス↢于汾西ノ秦陵ガ文谷ニ↡。営↢建シ塼塔ヲ↡、並為ニ立ツ↠碑ヲ、今並ニ存ゼリ焉。
しかも巒は神于高遠にして機変方なく、 言晤思はざるに動きて事と会す。 心を調へ気を練り、 病に対して縁を識り、 名、 魏都に満ちて、 もつて方軌とす、 よりて気論を出調す。 また著作王邵、 文に随ひてこれを注す。 また浄土の十二偈を撰びて礼す、 龍樹の偈の後に続く。 また ¬安楽集¼ 両巻を撰して、 等しく広く世に流ふ。 よりてみづから号して有魏の玄簡大士となすといへり」 と。
然モ巒ハ神于高遠ニシテ機変無↠方、言晤不ニ↠思動テ与↠事会ス。調ヘ↠心ヲ練↠気ヲ、対↠病ニ識↠縁ヲ、名満テ↢魏都ニ↡、用テ為↢方軌ト↡、因テ出↢調気論↡。又著作王邵、随テ↠文注ス↠之ヲ。又撰テ↢礼浄土ノ十二偈ヲ↡、続ク↢龍樹ノ偈ノ後ニ↡。又撰テ↢¬安楽集¼両巻ヲ↡、等ク広ク流フ↢於世ニ↡。仍自ラ号シテ為スト↢有魏ノ玄簡大士ト↡云ヘリ。」
・曇鸞 安楽集
二 ¬安楽集¼ 道綽 の下にいはく、 「▲曇巒法師、 康存の日つねに浄土を修す。 ◆またつねに世俗の君子ありて、 来りて法師を呵していはく、 十方の仏国はみな浄土たり、 法師なんぞすなはち独り意を西に注むる。 あに偏見の生ずるにあらずやと。 ◆法師対へていはく、 われすでに凡夫なり、 智恵浅短にしていまだ地位に入らず、 念力すべからく劣なるべし。 草を置きて牛を引くがごときは、 つねにすべからく心を槽櫪に繋ぐべし。 あにほしいままにしてまつたく所帰なきことを得んやと。 ◆また難者紛紜すといへども法師独り決す。
二 ¬安楽集ノ¼ 道綽 下ニ云ク、「曇巒法師、康存之日常ニ修↢浄土ヲ↡。亦毎ニ有テ↢世俗ノ君子↡、来テ呵シテ↢法師↡曰ク、十方ノ仏国ハ皆為↢浄土↡、法師何ゾ乃独リ意ヲ注ムル↠西ニ。豈非↢偏見生ズルニ↡也。法師対曰ク、吾既ニ凡夫ナリ、智恵浅短ニシテ未ダ↠入↢地位ニ↡、念力須クシ↠劣ナル。如↢似ハ置テ↠草ヲ引ガ↟牛ヲ、恒須ク↠繋グ↢心ヲ槽オケ 櫪シキイタニ↡。豈ニ得ンヤ↣縦放ニシテホシイマヽニ 全ク無コトヲ↢所帰↡。雖↢復難者紛ミダリ 紜ガハシスト↡而法師独リ決ス。
◆これをもつて一切の道俗を問ふことなく、 ただ法師と一面にあひ遇ふもの、 もしいまだ正信を生ぜざるをば、 勧めて信を生ぜしむ。 もしすでに正信を生ずるものは、 みな勧めて浄国に帰せしむ。 ◆このゆゑに法師命終の時に臨みて、 寺の傍の左右の道俗、 みな幡花の院に映ずるを見、 ことごとく異香・音楽迎接して往生を遂ぐるを聞くなり」 と。
是ヲ以テ無ク↠問コト一切ノ道俗ヲ↡、但与↢法師↡一面ニ相遇者、若シ未0204ダヲバ↠生↢正信ヲ↡、勧テ令ム↠生ゼ↠信ヲ。若已ニ生ル↢正信ヲ↡者ハ、皆勧メテ帰シム↢浄国ニ↡。是故法師臨↢命終ノ時ニ↡、寺ノ傍ノ左右ノ道俗、皆見↢幡花ノ映ヲ↟院ニ、尽聞↣異香・音楽迎接シテ遂グルヲ↢往生↡也。」
・曇鸞 浄土論
三 ¬浄土論¼ (迦才巻下) 「▼沙門曇巒法師は、 并州汶水の人なり。 魏の末高斉のはじめ、 なほ在り。 神智高遠にして三国知聞す、 ほがらかに衆経を暁め、 人外に独歩せり。 梁国の天子蕭王、 つねに北に向ひて曇巒菩薩を礼す。 天親菩薩の ¬往生論¼ を注解して、 裁して両巻をなし、 法師 ¬無量寿経¼ の奉讃七言の偈百九十五行ならびに問答一巻を撰集して、 世に流行す。
三 ¬浄土論¼「沙門曇巒法師ハ者、并州汶水ノ人也。魏ノ末高斉ノ之初、猶在リ。神智高遠ニシテ三国知聞ス、洞ニ暁↢衆経ヲ↡、独↢歩セリ人外ニ↡。梁国ノ天子蕭王、恒ニ向テ↠北ニ礼ス↢曇巒菩薩ヲ↡。注↢解シテ天親菩薩¬往生論ヲ¼↡、裁シテ成シ↢両巻ヲ↡、法師撰↢集シテ¬無量寿経ノ¼奉讃七言ノ偈百九十五行并ニ問答一巻ヲ↡、流↢行ス於世ニ↡。
道俗等を勧めて往生を決定し、 諸仏を見ることを得しむ。 つねに龍樹菩薩を請じて終の開悟を臨む、 まことに所願のごとし。 この方の報尽る半宵の内に聖僧の像を現じ、 たちまちに室に来入していはく、 われはこれ龍樹菩薩なり。 すなはち説きていはく、 すでに落ちたるの葉はさらに枝に附くべからず、 いまだ束ねざる粟は倉のなかに求むべからず。 白駒隙を過ぐ、 暫時も留むべからず。 すでに去れるもの反しがたし、 いまだ来らざるものいまだ追ふべからず、 現在いまいづくにか在る。 白駒廻るべきことかたし。 法師妙に言旨を達して、 これを知り終を告ぐると。
勧テ↢道俗等ヲ↡決↢定シ往生ヲ↡、得シム↠見コトヲ↢諸仏ヲ↡。恒ニ請テ↢龍樹菩薩ヲ↡臨ム↢終ノ開悟ヲ↡、誠ニ如↢所願ノ↡。此方ノ報尽ル半宵ヨナカ 之内ニ現ジ↢聖僧ノ像ヲ↡、忽ニ来↢入シテ室ニ↡云、我是龍樹菩薩ナリ。便チ説テ曰ク、已ニ落タルノ之葉不↠可↢更ニ附↟枝ニ也、未ダ↠束粟ハ不↠可↢倉ノ中ニ求ム↡也。白駒過グ↠隙ヲ、不↠可↢暫時モ留↡也。已去ル者ハ叵シ↠反シ、未来未ダ↠可↠追、現在今何ニカ在ル。白駒難シ↠可コト↠廻ヘル。法師妙ニ達シテ↢言旨ヲ↡、知↠是告ト↠終。
すなはち半夜の内に使者を発遣して、 あまねく諸村の白衣の弟子および寺内の出家の弟子に告ぐ、 三百余人ばかり一時に雲集す。 法師沐浴して新浄の衣を著す、 手に香炉を執りまさしく西に向ひて坐す。 門徒に教誡して西方の業を索めし、 日はじめて出る時、 大衆声を斉しくして弥陀仏を念ずれば、 すなはち寿終す。
即半夜ノ内ニ発↢遣シテ使者ヲ↡、遍ク告グ↢諸村ノ白衣ノ弟子及ビ寺内ノ出家ノ弟子ニ↡、可↢三百余人↡一時ニ雲集ス。法師沐浴シテ著ス↢新浄ノ衣ヲ↡、手執リ↢香炉ヲ↡正ク向テ↠西ニ坐ス。教↢誡シテ門徒ニ↡索シ↢西方ノ業ヲ↡、日初テ出ル時、大衆斉シテ↠声ヲ念ズレバ↢弥陀0203仏ヲ↡、便即チ寿終ス。
寺の西五里の外に比丘尼寺あり、 ならびにこれ門徒なり。 明相出でて後に堂に集ひて粥を食す、 衆を挙りてみな空の内に微妙の音楽ありて西より来りて東に去るを聞く。 中に智者ありて大衆に告げていはく、 法師和上一生人に教へて浄土の業を修し、 いまこの音声東方に向ふて去るものは、 かならず多くはこれ法師を迎へて来るなるべし。 食しおはりてあひ命じて法師のいへるを覩んと、 庭の前にしてあひ待つ。 いまだ寺の庭を出でざる間に、 また音楽遠く空の中にありて西に向ひて去るを聞く。 尼僧らあひともにかしこに至りてすなはち無常を見る、 これ経論によるにさだめて西方に生ずることを得るなり」 と。
寺ノ西五里之外ニ有リ↢比丘尼寺↡、並是門徒ナリ。明相出デヽ後ニ集テ↠堂ニ食ス↠粥ヲ、挙テ↠衆皆聞ク↧空内ニ有テ↢微妙ノ音楽↡西ヨリ来テ東ニ去ルヲ↥。中ニ有テ↢智者↡告テ↢大衆ニ↡言ク、法師和上一生教テ↠人ニ修シ↢浄土ノ業ヲ↡、今此ノ音声向フテ↢東方ニ↡去ル者ハ、必応シ↧多クハ是迎ヘテ↢法師ヲ↡来ナル↥。食シ訖テ相命ジテ覩ムト↢法師ノ云ルヲ↡、庭前ニシテ相待ツ。未↠出↢寺ノ庭ヲ↡之間ニ、復聞ク↧音楽遠ク在テ↢空中ニ↡向テ↠西ニ而去ルヲ↥。尼僧等相与ニ至テ↠彼ニ乃見ル↢無常ヲ↡、此依ルニ↢経論ニ↡定得↠生コトヲ↢西方ニ↡也。」
・曇鸞 瑞応伝
四 ¬瑞応伝¼ にいはく、 「斉朝の曇巒法師、 家は五台に近し。 ほがらかに解りて諸教に明らかなり。 よりてこの土の仙経十巻を得て、 陶隠居に訪ねて仙術を学せんと欲す。 後三蔵菩提に逢ひて、 問ひていはく、 仏法のなかに長生不死の法のこの土の仙経を得たるに勝れたるありや否やと。 三蔵地に唾はいて警めていはく、 この方いづれの処にか長生不死の法あらん。 たとへば延寿を得るとも年尽してすべからく堕すべし。 すなはち ¬無量寿観経¼ をもて巒に授与していはく、 これ大仙の方なり、 よりてこれを行ずれば、 長く解脱を得て永く生死を離ると。 巒すなはち火を須ゐてつひに仙経を焚く。
四 ¬瑞応伝ニ¼云ク、「斉朝ノ曇巒法師、家ハ近シ↢五台ニ↡。洞カ解テ明ナリ↢諸教ニ↡。因テ得テ↢此土ノ仙経十巻ヲ↡、欲ス↧訪テ↢陶隠居ニ↡学ト↦仙術ヲ↥。後逢テ↢三蔵菩提ニ↡、問曰ク、仏法ノ中ニ有ヤ↢長生不死ノ法ノ勝タル↟得ルニ↢此土ノ仙経ヲ↡否。三蔵唾ハイテ↠地ニ警メテ曰ク、此方何ノ処ニカ有ラン↢長生不死ノ法↡。縦バ得トモ↢延寿ヲ↡年尽テ須ク↠堕ス。即将テ↢¬無量寿観経ヲ¼↡授↢与シテ巒ニ↡曰ク、此大仙方ナリ、依テ而行ズレバ↠之ヲ、長ク得↢解脱ヲ↡永離ル↢生死ヲ↡。巒便須↠火ヲ遂ニ焚ク↢仙経ヲ↡。
たちまち半夜において一りの梵僧の房に入るを見る。 巒に語りていはく、 われはこれ龍樹菩薩なりと。 すなはち偈を説きて、 すでに落ちたる葉はさらに枝に附くべからず、 いまだ来らざる粟は倉のなかに求むべからず。 白駒隙を過ぐるに、 しばらくも駐まるべからず。 すでに去りぬるもの返りがたし、 いまだ来らざるはいまだ追ふべからず、 現在いまなんぞ在る。 白駒廻すべきことかたしと。
忽於↢半夜ニ↡見ル↢一ノ梵僧ノ入ヲ↟房ニ。語↠巒ニ曰ク、我是龍樹菩薩ナリ。便説テ↠偈、已ニ落タル葉ハ不↠可↢更ニ附↟枝、未↠来粟ハ不↠可↢倉ノ中ニ求↡。白駒過↠隙ヲ、不↠可↢暫モ駐マル↡。已ニ去ヌル者叵シ↠返リ、未ルハ↠来ラ未ダ↠可↠追、現在今何ゾ在ル。白駒難シ↠可コト↠廻。
法師すなはち寿の終を知りて、 弟子三百余人を集む。 みづから香炉を執りて西に面して、 門徒に教誡して勧めて西方を崇め、 日のはじめて出る時をもつて、 声を斉へて念仏す。 すなはち寿終して、 寺の西五里に一つの尼寺あり、 空中の音楽の西より来り東に去るを聞く。 須臾にまた西に去り東より来るを聞けり」 と。
法師乃知テ↢寿ノ終ヲ↡、集ム↢弟子三百余人ヲ↡。自0206執テ↢香炉ヲ↡面テ↠西ニ、教↢誡シテ門徒ニ↡勧テ崇↢西方ヲ↡、以↢日初出時ヲ↡、斉↠声ヲ念仏ス。便即寿終シテ、寺ノ西五里ニ有↢一ノ尼寺↡、聞ク↢空中ノ音楽ノ西ヨリ来リ東ニ去ルヲ↡。須臾ニ又聞ケリ↢西ニ去リ東ヨリ来ルヲ↡。」
・曇鸞 新修往生伝
五 ¬新修往生伝¼ (巻上) にいはく、 「釈の曇巒は雁門の人なり。 少くして五台に遊ぶ。 その霊異を感じてみづから誓ひて俗を出で、 三乗頓教、 つぶさに文理を陶く。 また嘗疾を抱きて汾川に行き至り、 にはかに雲陰斗蓋ふを見る、 天門ほがらかに開け、 六欲の階位上下の重復す。 巒まさに瞬目して、 疾すなはち随ひて癒えぬ。 巒これにおいて後仏道に用心して、 つねに及ばざるがごとくす。 蒙を開俗を誘ひき。 遠近を問ふことなし。
五 ¬新修往生伝¼云ク、「釈曇巒ハ雁門ノ人也。少シテ遊↢五台ニ↡。感ジテ↢其霊異ヲ↡自誓テ出デ↠俗ヲ、三乗頓教、具ニ陶ク↢文理ヲ↡。又嘗抱テ↠疾ヲ行↢至汾川ニ↡、俄ニ見ル↢雲陰斗蓋フヲ↡、天門洞ニ開ケ、六欲ノ階位上下ノ重復ス。巒方ニ瞬目シテ、疾乃チ随テ癒ヌ。巒於↠是ニ後用↢心シテ仏道ニ↡、常ニ如ス↠不ガ↠及バ。開キ↠蒙ヲ誘キ↠俗ヲ。無シ↠問コト↢遠近↡。
▼はじめ巒好き術学をなす。 陶隠居長生の法を得と聞きて、 千里これに就く。 陶、 仙経十巻をもつて巒に授く。 巒躍然としてみづから得ておもへらく、 神仙の術それ必然なりと。
初巒好キ為ス↢術学ヲ↡。聞テ↣陶隠居得ト↢長生ノ法ヲ↡、千里就ク↠之ニ。陶以テ↢仙経十巻ヲ↡授ク↠巒ニ。巒躍然トシテ自ラ得テ以為、神仙之術其必然也ト。
◆後に洛下に還りて、 菩提留支に遇ひ、 意すこぶるこれを得て、 支に問ひていはく、 仏道に長生を得ることありや、 つぶさによく老を却けて不死をなしてんか。 支笑ひて対へていはく、 長生不死はわが仏道なりと、 旋りて ¬観無量寿経¼ をもつてこれに授く。 いはく、 なんぢ誦すべし、 これすなはち三界にまた生ずることなし、 六道に往くところなし。 盈虚の消息、 禍福の成敗、 得て朕すことなし、 その寿とするや。 劫石ありて河沙あり。 河沙の数は極まることあるとも、 無量の数は期なからん、 これわが金仙氏の長生なりと。 巒その語を承けて驟く深信を起し、 つひに所学の仙経を焚きて ¬観経¼ をもつぱらにす。
後ニ還テ↢洛下ニ↡、遇↢菩提留支ニ↡、意頗得テ↠之ヲ、問↠支ニ曰ク、仏道ニ有↠得コト↢長生ヲ↡乎、具ニ能ク却ケテ↠老ヲ為テン↢不死ヲ↡乎。支笑テ而対テ曰ク、長生不死ハ吾ガ仏道也、旋テ以↢¬観無量寿経ヲ¼授ク↠之。曰、汝可↠誦ス、此則三界ニ無シ↢復生コト↡、六道ニ無シ↠攸↠往ク。盈虚消息、禍福成敗、無シ↢得テ而朕アトスコト、其ノ為ルヤ↠寿也。有↢劫石↡焉有↢河沙↡焉。河沙ノ之数ハ有トモ↠極コト、無量ノ之数ハ無ラン↠期、此吾ガ金仙氏之長生也。巒承テ↢其ノ語ヲ↡驟ク起↢深信ヲ↡、遂ニ焚テ↢所学ノ仙経ヲ↡而専ス↢¬観経ヲ¼焉。
つねに ¬観経¼ においてその理義を得て、 三福業を修し、 九品をあひ像る。 それ寒暑の変に疾病の来るといへども、 はじめの念を懈らず。 魏王その志の尚きことを憐み、 またその自行化他流靡弘広なることを嘉して、 号して神巒とす。 勅して并州の大巌寺に住せしむ。 いまだいくばくもあらずして汾州の玄中寺に移住す。
毎ニ於↢¬観経ニ¼↡得テ↢其ノ理義ヲ↡、修0207シ↢三福業ヲ↡、相↢像九品ヲ↡。雖↢夫寒暑之変疾病之来ル↡、不↠懈↢于始ノ念ヲ↡。魏王憐ミ↢其ノ志ノ尚コトヲ↡、又嘉シテ↢其ノ自行化他流靡弘広コトヲ↡、号テ為↢神巒ト↡。勅シテ住シム↢并州ノ大巌寺ニ↡。未ダ↠幾移↢住ス汾州ノ玄中寺ニ↡。
一夕鸞まさに持誦するに、 一りの梵僧の掀昴して来るを見る。 その室に入りていはく、 われは龍樹なり、 所居は浄土なり。 なんぢ浄土の心あるをもつてのゆゑに来りてなんぢに見ゆと。 巒のいはく、 なにをもつてわれに教ふるやと。 樹のいはく、 すでに去れるは反るべからずして失せぬと。 巒所見の勝異をもつて、 かならず死生の期屆ることを知る。
一夕鸞正ニ持誦スルニ、見ル↢一梵僧ノ掀ノキニ 昴アガルシテ而来ルヲ↡。入テ↢其ノ室ニ↡曰ク、吾ハ龍樹也、所居ハ浄土ナリ。以テノ↣汝有ルヲ↢浄土之心↡故ニ来テ見ユ↠汝ニ。巒ノ曰ク、何ヲ以教ル↠我ニ。樹ノ曰、已去ハ不↠可↠反而失セヌ。巒以↢所見ノ勝異↡、必知↢死生之期屆ルコトヲ↡矣。
すなはち弟子数百人を集め、 ことごとく教誡を陳べていはく、 それ四生没々にしてその止まること日なし、 地獄の諸苦もつて懼れざるべからず、 九品の浄業もつて修せざることあるべからずと。 よりて弟子をして声を斉しくし高く阿弥陀仏を唱へしめ、 巒すなはち西に向ひて目を冥ぎ、 頓顙して滅を示す。 この時道俗同じく管絃・絲竹の声西より来るを聞く。 よく久しくしてすなはち寂まりぬ」 と。
即集↢弟子数百人↡、咸陳↢教誡↡言、其四生没々シテ其ノ止コト無↠日、地獄ノ諸苦不↠可↢以不↟懼、九品浄業不↠可↢以不アル↟修。因令↣弟子ヲシテ斉シ↠声ヲ高ク唱ヘ↢阿弥陀仏↡、巒乃西ニ向冥ギ↠目ヲ、頓顙シテ而示↠滅ヲ。是時道俗同聞↢管絃・絲竹之声由↠西而来↡、良久乃寂マリヌ。」
・曇鸞 龍舒浄土文
六 ¬龍舒浄土文¼ (巻五) にいはく、 「曇巒はじめ陶隠居よりして仙経十巻を得。 巒欣然としてみずから得しておもへらく、 神仙かならず致すべしと。 後に僧菩提流支に遇ひて、 問ひていはく、 仏道長生なりか、 よく老を却けて死せざるかと。 支のいはく、 長生不死はわが仏道といひて、 つひに ¬十六観経¼ をもつてこれを与へていはく、 なんぢこれを誦すべき時は、 すなはち三界にまた生ずることなく、 六道にところとして往くことなし。 盈虚の消息、 禍福の成敗、 得て至ることなし、 その寿とするなり。 劫石ありて河沙あり。 河沙の数は限りあれども、 無量の数は窮りなし、 これわが金仙氏の長生なり。 巒深くこれを信じて、 つひに仙経を焚きてもつぱら ¬観経¼ を修す。
六 ¬龍舒浄土文¼云、「曇巒初自リシテ↢陶隠居↡得↢仙経十巻↡。巒欣然トシテ自得シテ以為、神仙必可シト↠致也。後ニ遇テ↢僧菩提流支ニ↡、問云、仏道長生ナリ乎、能却テ↠老ヲ不↠死セ乎。支ノ云、長生不死ハ吾ガ仏道ト云テ也、遂ニ以↢¬十六観経¼↡与テ↠之云、汝可時ハ↠誦↠此ヲ、則三界無↢復生↡、六道無↢攸往コト↡。盈虚消息、禍福成敗、無↢得而至コト↡、其ノ為ル↠寿也。有↢劫石↡焉有↢河沙↡焉。河沙之数ハ有ドモ↠限、無量ノ之数ハ無↠窮、此0208吾ガ金仙氏ノ之長生也。巒深ク信ジテ↠之ヲ、遂ニ焚テ↢仙経ヲ↡而専ラ修↢¬観経¼↡。
寒暑の変りに疾病の来りといへども、 また懈怠せず。 魏主その志の尚きことを憐み、 またその自行化他流伝甚広なるを嘉して、 号して神巒とす。 一日弟子に告げていはく、 地獄の諸苦もつて懼れざるべからず、 九品の浄業もつて修せざるべからず。 よりて弟子をして高声に阿弥陀仏を念ぜしめ、 西に向ひ目を閉じ、 頭を叩きて亡じぬ。 この時道俗同じく管絃・絲竹の声西より来るを聞く、 よく久しくしてすなはち止みぬ。」
雖↢寒暑之変疾病之来ト↡、亦不↢懈怠↡。魏主憐ミ↢其志尚コトヲ↡、又嘉シテ↢其ノ自行化他流伝甚広ヲ↡、号シテ為↢神巒ト↡。一日告↢弟子↡云、地獄ノ諸苦不↠可↢以不↟懼、九品ノ浄業不↠可↢以不↟修。因令↣弟子シテ高声ニ念↢阿弥陀仏↡、向↠西閉↠目ヲ、叩テ↠頭而亡ヌ。是時道俗同聞↢管絃・絲竹ノ之声従↠西而来ヲ↡、良久シテ乃止ミヌ。」
・道綽
第二位 ▼道綽禅師 四伝
・道綽 続高僧伝
一 ¬続高僧伝¼ の第二十四 (巻二〇) 習禅篇 にいはく、 「▼釈道綽、 姓は衛、 并州汶水の人なり。 弱齢にして俗に処し閭里恭譲をもつて名を知る。 十四にして出家して、 経詰を宗師とす。 大涅槃部ひとへに弘伝するところなり、 二十四遍講す。 晩に瓚禅師に事ふ、 空理に修渉して、 すみやかに微績を沾す。 瓚、 清約雅素にして、 恵悟天を開き、 道、 朔方に振ふて、 名を晋土に升ぐ。
一 ¬続高僧伝¼第廿四 習禅篇 云、「釈道綽、姓ハ衛、并州汶水ノ人ナリ。弱齢ニシテ処↠俗ニ閭 サ里ト 以↢恭譲ヲ↡知↠名ヲ。十四ニシテ出家シテ、宗↢師トス経詰ヲ↡。大涅槃部偏ニ所ナリ↢弘伝↡、講ス↢廿四遍↡。晩事フ↢瓚禅師ニ↡、修↢渉シテ空理ニ↡、亟シバシバニ沾↢微績ヲ↡。瓚清約雅素ニシテ、恵悟開↠天ヲ、道振フテ↢朔方ニ↡、升グ↢名ヲ晋土ニ↡。
綽、 神味を稟服し、 歳時を弥積して、 昔の巒法師の浄土の諸業を承けて、 さらに権実を甄簡し、 経論を捜酌し、 これを通衢に会して、 布きてもつて化をなし、 縁数を剋念して幽明を想観す。 ゆゑに霊相潜儀を得、 有情敬することを欣ふ。 つねに▼汶水の石壁谷の玄忠寺にありて、 寺はすなはち斉の時曇巒法師の立つるところなり。 中に巒の碑あり、 つぶさに嘉瑞を陳ぶ事別伝のごとし。
綽稟↢服シ神味ヲ↡、弥↢積シテ歳時ヲ↡、承テ↢昔ノ巒法師浄土ノ諸業ヲ↡、便甄↢簡アラハスニシ権実ヲ↡、捜サグル↢酌経論ヲ↡、会シテ↢之ヲ通衢ニ↡、布テ以成↠化、剋↢念シテ縁数ヲ↡想↢観ス幽明ヲ↡。故ニ得↢霊相潜儀↡、有情欣↠敬スルコトヲ。恒ニ在↢汶水ノ石壁谷ノ玄忠寺ニ↡、寺ハ即斉ノ時曇巒法師ノ之所↠立也。中ニ有↢巒ノ碑↡、具ニ陳ブ↢嘉瑞↡事如↢別伝↡。
綽、 般舟・方等歳序つねに弘む、 九品・十観時を分ちて務を紹ぐ。 むかし行道の際において僧あり、 念定のなかに綽の仏を縁ずるを見る、 珠数あひ量るに七宝の大山のごとし。 また西方の霊相を覩る、 繋縟して陳べがたし。 これによりて盛徳日に増し、 栄誉遠く及ぶ。
綽般舟・方等歳序常ニ弘ム、九品・十観分↠時ヲ紹グ↠務ヲ。嘗於↢行道ノ際ニ↡有↠僧、念定ノ之中0209ニ見↢綽ノ縁ズルヲ↟仏ヲ、珠数相量ルニ如↢七宝ノ大山↡。又覩↢西方ノ霊相ヲ↡、繋縟シテ難↠陳ベ。由↠此盛徳日ニ増シ、栄誉遠ク及ブ。
道俗子女、 赴くもの山に弥てり。 つねに ¬無量寿観¼ を講じて、 二百遍になんなんとす。 自他を導き悟して、 もつて資神の宅とするなり。 詞はすでに明詣にして説くことはなはだ縁に適ふ。 この事引喩、 聴くもの遺抱なく、 人おのおの珠を搯り、 口に仏号を同じくす。 毎時の散席に、 響林谷に弥てり。 あるいは邪見不信のあひ抗毀せんと欲するもの、 綽の相善きを覩るに及びて気を飲みて帰る。 その道物の情を感ずること、 かくのごとくするなり。
道俗子女、赴ク者弥テリ↠山ニ。恒ニ講ジテ↢¬無量寿観ヲ¼、将トス↢二百遍ニ↡。導キ↢悟シテ自他ヲ↡、用テ為↢資神ノ之宅トヤドリ↡也。詞ハ既ニ明詣ニシテ説コト甚適ウ↠縁ニ。此事引喩、聴クモノ無↢遺抱↡、人各オノ搯リツマグリ↠珠ヲ、口同クス↢仏号ヲ↡。毎時ノ散席ニ、響弥テリ↢林谷ニ↡。或ハ邪見不信ノ欲↢相抗毀セント↡者、及テ↠覩ルニ↢綽之相善キヲ↡飲テ↠気ヲ而帰ル。其ノ道感コト↢物ヽ情ヲ↡、為↠若↠此ノ也。
かつて貞観三年四月八日をもつて、 綽命まさに尽きなんとするを知る、 事相を通告す。 聞きて赴くもの山寺に満ち、 ことごとく巒法師の七宝の船の上にあるを見る。 綽に告げていはく、 なんぢ浄土の堂成じぬ、 ただ余報いまだ尽きざるのみと。 ならびに化仏空に住し天花下散するを見る。 男女ら裙襟をもつて承け得たるに、 薄く滑かにして愛しつべし。 また乾地をもつて蓮花を捕ふるに、 萎めざるもの七日、 余の善相に及びてことごとく紀すべからず。 みづから行感ひそかに通ずるにあらず、 たれかよくこれに会はんものや。
曽テ以↢貞観三年四月八日ヲ↡、綽知↢命将ニ↟尽ナント、通↢告ス事相ヲ↡。聞而赴ク者満↢于山寺ニ↡、咸ク見↣巒法師ノ在ヲ↢七宝船ノ上ニ↡。告↠綽ニ云、汝浄土ノ堂成ジヌ、但余報未ダ↠尽耳。并見↢化仏住シ↠空ニ天花下散スルヲ↡。男女等以↢裙襟ヲ↡承ケ得ルニ、薄滑ニシテ可シ↠愛シツ。又以↢乾地ヲ↡捕ニ↢蓮花ヲ↡、不↠萎者七日、及テ↢余ノ善相ニ↡不↠可↢殫ク紀ス↡。自非↢行感倫ニ通ズルニ↡、詎カ能ク会ハン↠此ニ者乎。
▼年七十に登りしめて忽然として齔歯あらたに生ず、 もとのごとくまつたく歴異なし。 しかのみならず報力休建にして容色盛発す。 浄業を談述するに、 理味奔流す。 詞包蘊を吐き、 気醇醴を霑す。 ならびに人を勧めて弥陀仏の名を念ぜしめ、 あるいは麻豆等のものを用ゐて数量をなし、 一たび名を称へるごとにすなはち一粒を度す。 かくのごとくこれに率ひて、 すなはち数百万斛を積むもの、 ならびに事をもつて邀結して、 慮を摂し縁を静かならしめ、 道俗その綏道に嚮ひ、 風を望みて習をなす。
年登メテ↢七十ニ↡忽然トシテ齔歯新ニ生ズ、如↠本全無↢歴異↡。加以報力休建ニシテ容色盛発ス。談↢述浄業ヲ↡、理味奔流ス。詞吐↢包蘊ヲ↡、気霑ス↢醇アツキ 醴イヅミヲ↡。并ニ勧テ↠人ヲ念シメ↢弥陀仏ノ名ヲ↡、或ハ用テ↢麻豆等ノ物ヲ↡而為↢数量↡、毎ニ↢一称↟名ヲ便度↢一粒ヲ↡。如↠是率ツテ↠之ニ、乃積↢数百万斛ヲ↡者、並以↠事ヲ邀結シテ、令↢摂シ↠慮ヲ静カナラ↟縁ヲ、道俗嚮イ↢其綏ヨキ道ニ↡、望↠風ヲ而成↠習ヲ矣。
また年つねに自業として、 もろもろの木欒子を穿ちてもつて数法となして、 もろもろの四衆に遺る。 それをして称念せしめ、 しばしば禎端を呈す。
又年常ニ自業トシテ、穿ツテ↢諸木欒子ヲ↡以為シテ↢数法ト↡、遺ル↢諸ノ四衆ニ↡。教メ↢其0210ヲシテ称念セ↡、縷呈ス↢禎端ヲ↡。
つぶさに行図を叙すに、 ¬浄土論¼ を著すこと両巻。 龍樹・天親を遠談し、 邇くは僧巒・慧遠に及ぶ。 ならびに浄土を遵ひて宗してあきらかに昌言を示す、 文旨要を該ねもろもろの化範に詳なり、 寓県に伝灯して、 歳積みていよいよ新なり。 伝ふるものにはそれ風神を陶瑩し、 学観を研精することを重す。
具ニ叙↢行図ヲ↡、著スコト↢¬浄土論ヲ¼両巻。遠↢談シ龍樹・天親ヲ↡、邇クハ及ブ↢僧巒・慧遠ニ↡。並遵ツテ↢宗シテ浄土ヲ↡明ニ示↢昌言ヲ↡、文旨該ネ↠要ヲ詳カナリ↢諸ノ化範ニ↡。伝↢灯テ寓県ニシテ↡、歳積テ弥イヨ新ナリ。伝フル者ニハ重ス↧其陶↢瑩シ風神ヲ↡、研↦精スルコトヲ学観ヲ↥。
ゆゑにまたその行相を述ぶるに、 綽浄業を宗としてより、 坐するにつねに西に面にす。 晨宵に一たび服して、 鮮絜を体とす。 儀貌充偉にしてならべり、 部焉を推す。 顧眄風生にして、 舒顔引接す。 六時に篤敬して、 初めより行を欠かず。 接唱承拝、 もとよりこのかた絶えることなし。 わづかにも余暇あれば、 口に仏名を誦すこと日に七万をもつて限りとなして、 声々ともに注りて浄業を弘む。 ゆゑに有識を鎔鋳して観門に師訓たることを得、 西の行広く流はることはすなはちその人なり。
故ニ又述ルニ↢其ノ行相ヲ↡、自リ↣綽宗トシテ↢浄業ヲ↡、坐スルニ常ニ面ニス↠西ニ。晨宵ニ一ビ服シテ、鮮絜ヲ為↠体トヲ。儀貌充偉ニシテ并ベリ、部推ス↠焉ヲ。顧眄カヘリミ風生ニシテ、舒顔引接ス。六時篤アツクアマネク敬シテ、初ヨリ不↠欠カ↠行ヲ。接唱承拝、生来タ弗シ↠絶。纔ニモ有レバ↢余暇↡、口ニ誦コト↢仏名ヲ↡日ニ以↢七万↡為シテ↠限、声々相ニ注テツラナル弘ム↢於浄業ヲ↡。故ニ得↧鎔↢鋳シテ有識ヲ↡師↦訓タルコトヲ観門ニ↥、西行広ク流ハルコトハ斯其ノ人ナリ矣。
沙門道撫は名勝の僧なり。 京寺の弘福名を逃れて往赴して、 すでに玄忠に達す。 その行業を同じくして、 浄土を宣通する、 所在いよいよ増す。 いま惰夫ありて、 口づから ¬摂論¼ を伝ずるに、 唯心にして念ぜず、 縁境乖かず。 これをもつて生を招きて、 恐らくは想を継ぎがたからん。 ▼綽、 今年八十有四にして神気明爽なり、 宗紹存ず」 と。
沙門道撫ハ名勝ノ之僧ナリ。京寺ノ弘福逃レテ↠名ヲ往赴シテ、既ニ達ス↢玄忠ニ↡。同↢其ノ行業ヲ↡、宣↢通スル浄土ヲ↡、所在弥イヨ増ス。今有テ↢惰 ダ イデ夫↡、口ヅカラ伝ズルニ↢¬摂論ヲ¼、唯心不↠念、縁境又乖。用テ↠此招テ↠生ヲ、恐難ン↢継想ヒヲ↡。綽、今年八十有四ニシテ而神気明爽ナリアザヤカ 、宗紹存ズ焉。」
・道綽 浄土論
二 ¬浄土論¼ (迦才巻下) にいはく、 「沙門道綽法師は、 またこれ并州晋陽の人なり。 すなはちこれ前の高徳大巒法師三世以下の懸孫の弟子なり。 ¬涅槃経¼ 一部を講じ、 つねに巒法師の智徳高遠なることを嘆詠す。 みづからいはく、 あひ去ること千里にして懸殊なりし。 なほ講説を捨て浄土の業を修して、 すでに往生せらる。 いはんやわが少子が知るところ・解るところ、 多となしてこれをもつて徳とするに足らんかと。 ▼大業五年よりこのかたすなはち講説を捨てて浄土の行を修す、 一向にもつぱら阿弥陀仏を念じて、 礼拝供養相続して無間なり。
二 ¬浄土論¼云、「沙門道綽法師者、亦是并州晋陽人也。乃是前高徳大巒法師三世已下ノ懸孫ノ弟子ナリ。講↢¬涅槃経¼一部↡、毎常嘆↢詠ス巒法師智徳高遠コトヲ↡。自云、相去千里ニシテ懸殊ナリシ。尚捨↢講説↡修シテ↢浄土ノ業ヲ↡、已ニ見ル↢往生セ↡。況我少子ガ所↠知・所↠解、足ンカ↢為シテ↠多ト将テ↠此ヲ為ルニ↟徳ト。従↢大業五年↡已来即捨0211テヽ講説↡修↢浄土行↡、一向ニ専ラ念↢阿弥陀仏ヲ↡、礼拝供養相続シテ無間ナリ。
◆貞観以来有縁を開悟せんがために、 時々 ¬無量寿観経¼ 一巻を敷演し、 并土晋陽・大原・汶水三県の道俗を示誨す、 七才以上、 ならびに弥陀仏を念ずることを解る。 上精進のもの小豆を用ゐて数となして、 弥陀仏を念ずること八十石あるいは九十石を得。 中精進のものは五十石。 下精進のものは二十五石を念ず。 もろもろの有縁を教へて、 西方に向ひて涕唾便利せず、 西方に背きて坐臥せず。 ¬安楽集¼ 両巻を撰して、 見るに世に行ふ。
貞観已来為↣開↢悟センガ有縁↡、時時敷↢演ヒラク シ¬無量寿観経¼一巻ヲ↡、示↢誨ヲシユ并土晋陽・大原・汶水三県ノ道俗↡、七才已上、並ニ解ル↠念コトヲ↢弥陀仏↡。上精進ノ者用テ↢小豆↡為シテ数、念↢弥陀仏↡得↢八十石或九十石↡。中精進者ハ五十石。下精進者ハ念↢廿五石↡。教テ↢諸有縁↡、不↧向↢西方ニ↡涕唾便利↥、不↧背↢西方↡坐臥↥。撰テ↢¬安楽集¼両巻ヲ↡、見ニ行フ↢於世ニ↡。
去りし▼貞観十九年の歳次乙巳四月二十四日に、 ことごとく道俗と別を取る。 三県の内の門徒、 別につきて前後に断たず、 数を記すべきことかたし。 ▼二十七日に至りて玄忠寺において寿終す。 時に白雲あり、 西方より来りて、 変じて三道の日光となる。 おのづから房中において徹照通過すること終訖りてすなはち滅す。
去シ貞観十九年歳次乙巳四月廿四日ニ、悉与↢道俗↡取ル↠別。三県ノ内ノ門徒、就↠別前後ニ不↠断、難↠可↠記↠数。至↢廿七日↡於↢玄忠寺ニ↡寿終。時有↢白雲↡、従↢西方↡来、変為ル↢三道日光ト↡。於↢自房中ニ↡徹照通過スルコト終訖ツテ乃チ滅ス。
後に墳陵に焼く、 時にまた五色の光ありて三道なり、 空中において現ず。 映して日輪を遶る、 繞おはりてすなはち止まる。 また紫雲あり、 三度墳の上において現ず。 終を遺る弟子、 同じくこの瑞を見る。 もし経に准じて断らば、 ならびにこれ諸仏慈善根の力よく衆生をしてかくのごときの事を見せしむるか。 また ¬華厳経¼ の偈の説に准ずるに、 また光明を放つことを見仏と名づく。 この光命終のものを覚悟す。 念仏三昧必見仏、 命終此後仏前に生ずとなり」 と。
後ニ焼ク↢墳陵ニ↡、時ニ復有テ↢五色光↡三道ナリ、於↢空中ニ↡現ズ。映シテ遶↢日輪ヲ↡、繞リ訖テ乃止ル。復有↢紫雲↡、三度於↢墳ノ上ニ↡現ズ。遺ル↠終ヲ弟子、同ク見↢斯ノ瑞ヲ↡。若准ジテ↠経ニ断ラバ、並是諸仏慈善根ノ力能令↣衆生ヲシテ見↢如↠此事↡。又准ルニ↢¬華厳経ノ¼偈説ニ↡、又放↢光明ヲ↡名ク↢見仏ト↡。此光覚↢悟ス命終者ヲ↡。念仏三昧必見仏、命終此後生↢仏前↡也。」
・道綽 瑞応伝
三 ¬瑞応伝¼ にいはく、 「唐朝道綽禅師は并州の人なり。 玄忠寺に ¬観経¼ を講ずること二百遍。 三県の七才、 ならびに然仏を解る。 みづから槵珠を穿ちて人を勧めて念仏せしむ。 語つねに笑を舎し、 かつて面西に背かず。
三 ¬瑞応伝¼云、「唐朝道綽禅師ハ并州人也。玄忠寺講コト↢¬観経¼↡二百遍0212。三県ノ七才、並解↢然仏↡。自穿チテ↢槵珠ヲ↡勧テ↠人念仏セシム。語常ニ舎↠笑ヲ、不↢曾テ面背カ↟西ニ。
善導に語りていはく、 道綽恐らくは往生せざらんや、 願はくは師定に入りて仏に得否を為めよと。 善導入定して仏の百余尺なるを見る。 問ひていはく、 道綽現に念仏三昧を修す、 知らず、 この報身を捨てて往生を得てんやいなやと。 また問ひていはく、 いづれの年月にか生ずることを得んと。 答へていはく、 樹を伐るにしきりに斧を下す、 縁なくはともに語ることなし、 家に還るには苦を辞することなし。 また綽をして懺悔せしめよ。 一には経像を浅処に安居して、 みづからは安穏の房中に居す。 二には功徳を作るに出家の人を使ふ、 十方の僧に対して懺悔すべし。 三には修建するに因る含生を傷損す、 衆生に対して懺悔すべしと。
語テ↢善導ニ↡曰、道綽恐ハ不ンヤ↢往生↡、願師入↠定ニ為メヨ↢仏ニ得否ヲ↡。善導入定シテ見↢仏ノ百余尺ナルヲ。問曰、道綽現ニ修↢念仏三昧↡、不↠知、捨↢此報身↡得テンヤ↢往生ヲ↡否。又問曰、何ノ年月ニカ得ン↠生コト。答曰、伐ルニ↠樹連ニ下↠斧ヲ、無↠縁莫↢共ニ語コト↡、還ニハ↠家莫↠辞コト↠苦。又令↢綽シテ懺悔↡。一者安↢居シテ経像於浅処ニ↡、自居↢安穏房中↡。二者作ルニ↢功徳ヲ↡使フ↢出家ノ人↡、対↢十方僧ニ↡懺悔ベシ。三者因ル↢修建スルニ↡傷↢損含生ヲ↡、対↢衆生↡懺悔スベシ。
また問ひたり、 終らん時いかなる瑞相かある、 人をして見聞せしめんと。 答へていはく、 亡ぜん日われ白毫を放ち遠く東方を照らす、 この光現ぜん時わが国に来生せんと。 果亡日に至りて三道の光ありて、 白毫房内を照らす。 また曇巒法師の七宝の池のなかに見る、 語りていはく、 浄土すでに成ずれども、 余の報いまだ尽きずと、 紫雲墳の上に三度現ず」 と。
又問タリ、終ラン時有↢何ナル瑞相↡、令↢人シテ見聞セ↡。答曰、亡ゼン日我放チ↢白毫↡遠照↢東方↡、此光現ゼン時来↢生セン我国ニ↡。果至テ↢亡日↡三道ノ光アテ、白毫照ス↢房内↡。又見↢曇巒法師ノ七宝池ノ中ニ↡、語曰、浄土已ニ成ズレドモ、余ノ報未↠尽、紫雲墳ノ上ニ三度現ズ。」
・道綽 新修往生伝
四 ¬新修往生伝¼ (巻中) にいはく、 「釈の道綽は并州の人なり。 家を棄ててよりこのかた名師に歴訪す。 後に瓉禅師理行兼著なることを聞きて、 志を畢りしてこれに事ふ。 尋いで石壁谷の玄忠寺に憩ふ、 寺はすなはち後魏の曇巒法師の旧土なり。 巒その寺において久しく浄業を薀む。 その亡日に至りてしきりに祥異あり、 郡人これを奇と、 その事を捃摭してこれを石に刻む。 綽その文を読みて、 いよいよ信を深くす。
四 ¬新修往生伝¼云、「釈ノ道綽ハ并州人ナリ。棄テヨリ↠家已来歴↢訪ス名師ニ↡。後ニ聞↢瓉禅師理行兼著コトヲ↡、畢リシテ↠志ヲ事↠之。尋デ憩フ↢石壁谷ノ玄忠寺ニ↡、寺ハ即後魏ノ曇巒法師ノ旧土也。巒於↢其寺↡久薀ム↢浄業↡。至テ↢其亡日ニ↡畳ニ有↢祥異↡、郡人奇ト↠之、捃↢摭ヒロフ シテ其事ヲ↡刻ム↢之於石ニ↡。綽読↢其文ヲ↡、弥イヨ深ス↠信ヲ。
¬涅槃経¼ を講ずること二十余徧、 つねに巒法師の智徳高遠なるを歎ず。 なほ講説を捨てて浄土の業を修し、 すでに往生を得たまへり。 いわんやわれ小子が解するところ、 なんぞ多としてこれを恃んで徳とするに足らんやと。 すなはち講説を捨てて浄土の行を修す、 一向にもつぱら阿弥陀仏を念ずること、 日別に七万偏を限となし、 礼拝供養相続して無間なり。
講↢¬涅槃経¼↡二十余徧、毎ニ歎↢巒法師智徳高遠ナルヲ↡。尚捨↢講説↡修シ↢浄土業ヲ↡、已ニ得↢往生↡。況我小子ガ所0213↠解スル、何ゾ足↢為↠多ト而恃ンデ↠此ヲ為↟徳ト。即捨↢講説↡修↢浄土行↡、一向専念↢阿弥陀仏↡、日別ニ七万偏ヲ為↠限ト、礼拝供養相続シテ無間ナリ。
有縁を開悟せしめんがために、 つねに ¬観経¼ を講ずること二百余偏。 道俗を示誨するに七歳以上、 阿弥陀仏を念ず。 教ふるに小豆をもつて数となす、 上者は念ずること九十・八十石を得、 中者は念ずること五十石を得、 下者は三十石なり。 もろもろの有縁を教へて、 西方に向ひて大小便利涕唾せず、 西に背きて坐せず。 声々あひ注りて浄土の業を弘む。
為↣開↢悟メンガ有縁ヲ↡、毎ニ講コト↢¬観経¼↡二百余偏。示↢誨スルニ道俗ヲ↡七歳已上、念↢阿弥陀仏↡。教ルニ用↢小豆ヲ↡為↠数ト、上者ハ念コト得↢九十・八十石↡、中者念コト得↢五十石↡、下者三十石ナリ。教テ↢諸有縁↡、不↧向↢西方↡大小便利涕唾セ↥、不↢背テ↠西坐↡。声々相注ツテ弘↢浄土ノ業↡。
つねに仏の空中に住するを見、 天華下散す。 大きさ銭のごとく、 その色鮮白にして、 あまねく虚空に満つ。 大衆手をもつて花を承くるに、 人々みな七日萎まずにあることを得。 また ¬安楽集¼ 両巻を撰して、 見るに世に行はる。
毎見↣仏ノ住↢空中ニ↡、天華下散ス。大サ如↠銭ノ、其色 鮮アザヤカ白ニシテ、遍ク満↢虚空ニ↡。大衆以↠手承↠花ヲ、人人皆得↢七日不ズ↟萎ニ。又撰シテ↢¬安楽集¼両巻↡、見ニ行↢於世ニ↡。
唐の貞観三年四月八日、 道俗をその寺に集めて、 如来の降生を示すなり。 かつ鸞の空中において七宝の船に乗れるを見る。 その上によりて綽を指していはく、 なんぢ浄土において堂宇すでに成ぜり、 ただし惟れば報命いまだ尽きざるのみぞと。 また化仏の化菩薩と飄颻と空にあるを見る。 衆すなはち驚歎して大きに信服を生ず。 それ無種の闡提の人なりといへども、 また率ひこれに服す。 ゆゑをもつて唐のはじめ并・汾の諸郡浄業を重漬すること綽によりて盛んなり。
唐貞観三年四月八日、道俗ヲ集↢其寺ニ↡、示↢如来之降生↡也。且見↧鸞於↢空中↡乗↦七宝ノ船↥。由↢其上ニ↡而指↠綽ヲ曰ク、汝於↢浄土ニ↡堂宇已ニ成ゼリ、但シ惟レバ報命未↠尽爾ゾ。復見↧化仏与↢化菩薩↡飄颻在ルヲ↞空ニ。衆乃驚歎シテ大生↢信服↡。雖↢夫無種ノ闡提之人ナリト、亦率イ服ス↠之ニ。以↠故ヲ唐ノ初并・汾ノ諸郡重↢漬ウルフスルコト浄業ヲ↡由↠綽ニ盛ナリ焉。
貞観十九年四月二十四日疾に遇ふ、 道俗省観するもの勝て記すべからず。 二十七日に至りて終らんと欲する時、 また聖衆西方より来ることあり、 両道の白光房に入りて徹照し終訖りてすなはち滅しぬ。 また殯せんと欲する時、 また異光ありて空中に現れぬ、 殯しおはりてすなはち止みぬ。 また紫雲あり、 塔の上において三度現ず。 衆人同じくこの瑞を見る」 と。
貞観十九年四月廿四日遇↠疾ニ、道俗省観スル者不↠可↢勝テ記ス↡。至↢廿七日ニ↡欲↠終ト時、又有↧聖衆従リ↢西方↡来コト↥、両道ノ白光入↠房徹照シ終訖テ乃滅シヌ。又欲↠殯セントシメ 時、復有↢異光↡於↢空中↡現ヌ、殯シ訖テ乃止ヌ。復有↢紫雲↡、於↢塔上↡三度現ズ。衆人同見↢斯瑞ヲ↡。」
・善導
第0214三位 ▼善導禅師 六伝
・善導 続高僧伝
一 ¬続高僧伝¼ の第三十七 (巻二七) 遺身篇 にいはく、 「近ごろ山僧善導といふ者あり、 寰宇に周遊して道津を求訪す。 行きて西河に至りて道綽部に遇ひ、 ただ念仏弥陀の浄業を行ず。 すでに京師に入りて、 広くこの化を行ず。 ¬弥陀経¼ 数万巻を写すこと、 士女奉ふものその数無量なり。 時に光明寺にありて法を説く。
一 ¬続高僧伝¼第三十七 遺身篇 云、「近ゴロ有↢山僧善導ト云者↡、周コト↢遊シテ寰 カド 宇クヘニ↡求↢訪ス道津ヲ↡。行テ至テ↢西河ニ↡遇↢道綽部ニ↡、唯行↢念仏弥陀ノ浄業ヲ↡。既ニ入↢京師 ミヤコ ニ↡、広行↢此化ヲ↡。写コト↢¬弥陀経¼数万巻ヲ↡、士女奉フ者其ノ数無量ナリ。時ニ在↢光明寺ニ↡説↠法ヲ。
人あり導に告げていはく、 いま仏名を念ぜばさだめて浄土に生れんやいなや、 導のいはく、 さだめて生れなんとさだめて生れなんと。 その人礼拝しおはりて、 口に南無阿弥陀仏と誦へ、 声々あひ次ぎて光明寺の門を出でて、 柳の樹の表に上りて、 合掌して西に望みて倒に身を投ぐ、 下りて地に至りてつひに死す、 事台省に聞こゆ」 と。
有↠人告↠導ニ曰、今念ゼバ↢仏名ヲ↡定テ生ンヤ↢浄土ニ↡不ヤ。導ノ曰ク、定テ生ナント定テ生。其人礼拝シ訖テ、口ニ誦↢南無阿弥陀仏ト↡、声々相次テ出デヽ↢光明寺ノ門ヲ↡、上テ↢柳ノ樹ノ表ニ↡、合掌シテ西ニ望テ倒ニ投グ↠身ヲ、下テ至テ↠地ニ遂ニ死ス、事聞ユ↢台省ニ↡。」
・善導 瑞応伝
二 ¬瑞応伝¼ にいはく、 「唐朝の善導禅師、 姓は朱、 泗州の人なり。 少きにして出家す。 時に西方の変相を見る、 嘆じていはく、 いかにしてかまさに質を蓮台に託し神を浄土に棲ましむべしと。 具戒を受くるに及んで、 妙開律師とともに ¬観経¼ を看て、 悲喜こもごもにしてすなはちいはく、 余の行業を修すは迂僻にして成じがたし、 ただこの観門のさだめて生死を超えんと。
二 ¬瑞応伝¼云、「唐朝善導禅師、姓ハ朱、泗州人也。少ニシテ出家ス。時ニ見↢西方変相↡、嘆ジテ曰、何シテカ当ニベシ↧託シ↢質ヲ蓮台ニ↡棲マシム↦神ヲ浄土ニ↥。及↠受↢具戒↡、妙開律師ト共ニ看テ↢¬観経ヲ¼、悲喜交シテ乃曰ク、修ハ↢余行業ヲ↡迂ヨコサマニ僻ニシテ難↠成、唯此観門ノ定テ超ン↢生死↡。
つひに綽禅師の所に至りて、 問ひていはく、 念仏まことに往生を得てんやいなやと。 師いはく、 おのおの一つの蓮花を辨じて行道七日せんに、 萎まずはすなはち往生を得てんと。 また東都の英法師 ¬華厳経¼ を講ずること四十偏、 綽禅師の道場に入りて、 三昧に遊びて嘆じていはく、 みづから恨むらくは多年むなしく文疏を尋ねて身心を労しくするのみ、 なんぞ念仏不可思議なることを期せんと。 禅師のいはく、 経に誠言あり、 仏あに妄語したまはんやと。
遂ニ至↢綽禅師所ニ↡、問曰ク、念仏実ニ得テンヤ↢往生ヲ↡否ヤト。師曰ク、各辨テ↢一ノ蓮花ヲ↡行道七日センニ、不↠萎者即得テント↢往生↡。又東都ノ英法師講コト↢¬華厳経¼↡四十偏、入↢綽禅師道場↡、遊テ↢三昧ニ↡而嘆ジテ曰、自ラ恨クハ多年空ク尋テ↢文疏ヲ↡労↢身心↡耳、何期↢念仏不可思議ナルコト↡。禅師ノ云、経有↢誠言↡、仏豈妄語タマハンヤ。
禅師平生につねに乞食を楽ふ、 つねにみづから責めていはく、 釈迦なほしすなはち分衛したまふ、 善導何人なれば端居して供養を索めん。 乃至沙弥にてもならびに礼を受けず、 ¬弥陀経¼ を写すること十万巻、 浄土変相を画すること三百鋪、 所見の塔廟修葺せざることなし。 仏法東行してよりいまだ禅師のごとく盛なるはなし」 と。
禅師平生ニ常ニ楽フ↢乞食ヲ↡、毎ニ自ラ責テ曰、釈迦0215尚シ乃分衛メグルタマフ、善導何人ナレバ端居シテ索メン↢供養↡。乃至沙弥ニテモ並ニ不↠受↠礼ヲ、写コト↢¬弥陀経¼↡十万巻、画コト↢浄土変相ヲ↡三百鋪、所見ノ塔廟無↠不↢修葺セ↡。仏法東行シテヨリ未ダ↠有↢禅師ノゴトク之盛ナルハ↡矣。」
・善導 新修往生伝
三 ¬新修往生伝¼ (巻中) にいはく、 「釈の善導、 いづこの人といふことを悉にせず。 寰宇に周遊し道津を求訪す。 唐の貞観の中に、 西河の綽禅師方等懺を行じ、 および浄土九品の道場にして ¬観経¼ を講ずるを見る。 導大きに喜びていはく、 これまことの入仏道の津要なり、 余の行業を修すは迂僻にして成じがたし、 ただこの観門のみすみやかに生死を超ふ、 われこれを得たりと。
三 ¬新修往生伝¼云、「釈善導、不↠悉ニ↢何許ノ人ト云コトヲ。周↢遊寰宇ニ↡求↢訪道津ヲ↡。唐貞観ノ中ニ、見↧西河綽禅師行↢方等懺↡、及浄土九品ノ道場ニシテ講ズルヲ↦¬観経¼↥。導大ニ喜テ曰、此真ノ入仏道之津要ナリ、修ハ↢余ノ行業ヲ↡迂僻ニシテ難↠成、惟此ノ観門ノミ速超フ↢生死↡、吾得タリ↠之矣。
ここにおいてあまねく勤めて精苦すること、 頭燃を救ふがごとし。 続けて京師に至り、 四部の弟子を激発して、 貴賎を問ふことなく、 かの屠沽の輩までまた撃悟せしむ。 導、 堂に入るにすなはち▼合掌䠒跪して一心に念仏す。 力の竭くるにあらざれば休まず、 乃至寒冷にもまたすべからく汗を流すべし。 この相状をもつて至誠を表す。 出でてはすなはち人のために浄土の法を説きもろもろの道俗を化し、 道心を発さしめ浄土の行を修す、 暫時も利益のためにせずといふことあることなし。
於↠是篤ク勤テ精苦スルコト、若シ↠救ガ↢頭燃ヲ↡。続テ至↢京師↡、激ハゲマス↢発シテ四部ノ弟子ヲ↡、無↠問↢貴賎↡、彼ノ屠沽ノ輩マデ亦撃悟セシム焉。導入↠堂ニ則合掌䠒跪シテ一心ニ念仏ス。非レバ↢力ノ竭ルニ↡不↠休、乃至寒冷ニモ亦須ク↠流↠汗ヲ。以テ↢此相状ヲ↡表↢於至誠↡。出デヽハ即為↠人ノ説キ↢浄土法ヲ↡化シ↢諸ノ道俗ヲ↡、令↠発サ↢道心ヲ↡修↢浄土行↡、無↠有コト↢暫時モ不コト↟為↢利益↡。
三十余年別の寝処なくして、 しばらくも睡眠せず。 洗浴を除きて外は、 かつて衣を脱がず。 般舟の行道・礼仏の方等、 もつておのが任となす。 戒品を護持して繊毫も犯さず、 かつて目を挙げて女人を視ず。 一切の名利心に念を起すことなく、 綺詞戯笑またいまだこれあることなし。 所行の処には争ふて供養を申ぶ、 飲食・衣服、 四事豊饒なり。 みなみづから入れずならびにもつて回施す。 好食をば大厨に送りて徒衆に供養す、 ただ麁悪を食してわづかに身を支ふることを得。 乳・酪・醍醐、 みな飲噉せず。
三十余年無シテ↢別寝処↡、不↢暫ク睡眠↡。除↢洗浴ヲ↡外ハ、曾テ不↠脱↠衣ヲ。般舟行道・礼仏方等、以テ為ス↢己ガ任タモテト↡。護↢持シテ戒品ヲ↡繊毫モ不↠犯、曾テ不↣挙↠目ヲ視↢女人↡。一切ノ名利無↢心ニ起↟念、綺詞戯笑亦未ダ↢之有↡。所行之処ニハ争ツテ申ブ↢供養↡、飲食・衣服、四事豊饒ナリ。皆不↢自入↡並ニ将テ廻施ス。好食ヲバ送↢大厨ニ↡供↢養ス徒衆ニ↡、唯食テ↢麁0216悪ヲ↡纔ニ得↠支コト↠身ヲ。乳・酪・醍醐、皆不↢飲噉セ↡。
諸有の䞋施もつて ¬阿弥陀経¼ を写すこと十万余巻、 画くところの浄土の変相三百余堵なり。 所在の処に壊たる伽藍および故き塼塔らを見れば、 みなことごとく営造す。 燃灯続明歳につねに絶えず、 三衣瓶鉢人をして持洗せしめず。 始終改むることなくしてもろもろの有縁を化す、 つねにみづから独り行じて衆とともに去らず。 恐らくは人と行かば、 世事を談論して修行の業を妨げてんことを。
諸有ノ 䞋タテマツリ 施ホドコス将テ写↢¬阿弥陀経ヲ¼↡十万余巻、所ノ↠画浄土ノ変相三百余堵ナリカキツク 。所在之処ニ見↢壊タル伽藍及ビ故キ塼カハラ塔等ヲ↡、皆悉営造ス。燃灯続明歳ニ常ニ不↠絶、三衣瓶鉢不↠使↢人シテ持洗↡。始終無シテ↠改コト化ス↢諸ノ有縁↡、毎ニ自ラ独リ行ジテ不↢共ニ↠衆去ラ↡。恐クハ与↠人行カバ、談↢論シテ世事ヲ↡妨テンコトヲ↢修行ノ業ヲ↡。
それしばらくも礼謁を申すことあれば、 聞こしむるに少法を説く。 ある時は同じく道場に預りまのあたり教訓を承くることを得、 あるいはかつて見聞せざるには教義を披尋し、 あるいは▼展転して浄土の法門を授く。 京華諸州の僧尼・士女、 あるいは身を高き嶺より投げあるいは命を深き泉に寄て、 あるいはみづから高き枝より堕し、 身を焚きて供養するもの、 ほぼ四遠に聞こへて百余人になんなんとする。 もろもろの梵行を修して妻子を棄捨するもの、 ¬阿弥陀経¼ を誦して十万より三十万徧に至るもの、 阿弥陀仏を念ずること日に一万五千を得るより十万偏に至るものあり、 および念仏三昧を得浄土に往生するもの、 数を知るべからず。
其有レバ↣暫申コト↢礼謁ヲ↡、聞シムルニ説↢少法ヲ↡。或時ハ得↧同ク預↢道場ニ↡親リ承コトヲ↦教訓ヲ↥、或会テ不ルニハ↢見聞↡披↢尋教義ヲ↡、或ハ展転シテ授↢浄土法門ヲ↡。京華諸州ノ僧尼・士女、或ハ投↢身ヲ高嶺ヨリ↡或寄テ↢命ヲ深泉ニ↡、或自堕↢高枝ヨリ↡、焚テ↠身ヲ供養スル者、略聞ヘテ四遠ニ↡向スル↢百余人↡。諸修↢梵行ヲ↡棄↢捨スル妻子ヲ↡者、誦テ↢¬阿弥陀経ヲ¼↡十万ヨリ至↢三十万徧ニ↡者、念コト↢阿弥陀仏↡日ニ得ヨリ↢一万五千ヲ↡至↢十万偏ニ↡者アリ、及得↢念仏三昧↡往↢生浄土ニ↡者、不↠可↠知↠数。
あるもの導に問ひていはく、 念仏の善浄土に生ずるやと。 対へていはく、 なんぢが所念のごとくなんぢが所願を遂げてんと。 対へおはりて導すなはちみづから阿弥陀仏を念ず。 かくのごとく一声するに、 すなはち一の道の光明ありて、 その口より出づ。 十声より百声に至り、 光またかくのごとし。 ▼導、 人にいひていはく、 この身は厭ふべし、 諸苦逼迫す、 情偽変易してしばらくも休息することなしと。
或問↠導ニ曰、念仏之善生↢浄土↡耶。対曰、如↢汝所念↡遂ゲテン↢汝所願↡。対ヘ已テ導乃自念ズ↢阿弥陀仏↡。如是一声スルニ、則有↢一ノ道ノ光明↡、従↢其口↡出ヅ。十声ヨリ至↢百声ニ↡、光亦如↠此。導謂↠人ニ曰、此身ハ可↠厭、諸苦逼迫ス、情偽変易シテ無↢暫休息↡。
◆すなはち所居の寺の前の柳の樹に登りて、 西に向ひ願じていはく、 願はくは仏の威神しばしばもつてわれを接したまへ、 観音・勢至また来りてわれを助けたまへ、 わがこの心をして正念を失せず驚怖を起さず、 弥陀法のなかにおいてもつて退堕を生ぜざらしめたまへと。 願じおはりてその樹の上において身を投げ自絶す。 時に▼京師の士大夫誠を傾けて帰し信じて、 ことごとくその骨を収めてもつて葬す。 高宗皇帝その念仏するに口より光明出づるを知りたまへり。 また捨報の時に精至りてかくのごとくなるを知りたまふ。 寺額を賜ひて光明となす」 と。
乃登↢所居寺前ノ柳ノ樹ニ↡、西ニ向願ジテ曰ク、願ハ仏ノ威神驟以接タマヘ↠我、観音・勢至亦来助タマヘ↠我ヲ、令↫我ガ此ノ心ヲシテ不↠失↢正念↡不↠起↢驚怖ヲ↡、不↪於↢弥陀法ノ中ニ↡以テ0217生ゼ↩退堕ヲ↨。願ジ畢テ於↢其樹ノ上ニ↡投↠身ヲ自絶ス。時ニ京師ノ士大夫傾テ↠誠ヲ帰ノ信ジテ、咸ク収テ↢其骨ヲ↡以テ葬ス。高宗皇帝知タマヘリ↣其念仏スルニ口ヨリ出ルヲ↢光明↡。又知タマフ↢捨報之時ニ精至如ルヲ↟此。賜テ↢寺額ヲ↡為↢光明ト↡焉。」
・善導 新修往生伝
四 また (新修往生伝巻中) いはく、 「唐の往生の高僧善導、 臨淄の人なり。 幼くしてしのびて州の明勝法師に投りて、 出家して ¬法華¼・¬維摩¼ を誦す。 たちまちにみづから思ひていはく、 教門一道・一途に入るにあらず、 もし機に契はずんは功すなはちいたづらに設けてん。 これにおいて大蔵経に投きて、 手に信せてこれを探る、 ¬無量寿観経¼ を得、 すなはち喜びて十六観を誦習して、 つねに諦かに思惟す。 節を西方に抗げてもつて冥契とし、 恵遠法師の勝躅を欣ひて、 つひに盧山に住してその遺範を観て、 すなはち豁念として思を増す。
四 又云、「唐ノ往生ノ高僧善導、臨淄ノ人也。幼シテ投ツテ↢密ビテ州ノ明勝法師ニ↡、出家シテ誦ス↢¬法華¼・¬維摩ヲ¼↡。忽ニ自ラ思テ曰、教門非↠入ルニ↢一道・一途ニ↡、若不ンバ↠契ハ↠機ニ功即徒ラニ設ケテン。於↠是投イテ↢大蔵経ニ↡、信セテ↠手ニ探ル↠之ヲ、得↢¬無量寿観経ヲ¼↡、便喜テ誦↢習テ於十六観ヲ↡、恒ニ諦ニ思惟ス。抗ゲテ↢節ヲ西方ニ↡以為↢冥契↡、欣テ↢恵遠法師ノ勝躅アト ↡、遂ニ住テ↢盧山↡観テ↢其遺範ヲ↡、乃豁念トシテ増ス↠思ヲ。
それより名徳を歴訪して、 はるかに妙門を求む。 功微くして理深きことは、 いまだ般舟三昧より出でたるものはあらず、 命をその道に畢へといへり。 後に迹を終南の悟真寺に遁れて、 いまだ数載を逾えざるに、 観想疲を忘れすでに深妙を成ず。 すなはち定中においてつぶさに宝閣・瑶池・金座を観るに、 あたかも目前にあり、 涕泗交流して、 身を挙げて地に投ぐ。 すでに勝定を獲、 方に随ひて物を利す。
自後歴↢訪シテ名徳ヲ↡、幽求ム↢妙門ヲ↡。功微シテ理深コトハ、未ダ↠有↧出ル↢般舟三昧ヨリ↡者ハ↥、畢ヘト云ヘリ↢命ヲ其ノ道ニ↡。後ニ遁テ↢迹ヲ終南ノ悟真寺ニ↡、未ダルニ↠逾エ↢数載ヲ↡、観想忘↠疲ヲ已ニ成↢深妙ヲ↡。便於↢定中ニ↡備ニ観ルニ↢宝閣・瑶池・金座ヲ↡、宛モ在リ↢目前ニ↡、涕泗交流シテ、挙テ↠身投グ↠地ニ。既ニ獲↢勝定↡、随↠方ニ利↠物ヲ。
はじめ綽禅師晋陽に開闡すと聞きて、 千里を遠しとせず従ひて津を問はんと欲す。 時に玄冬のはじめに逢ふ、 風落葉を飄して深坑に填ち満つ、 つひに瓶鉢を挈げ遂へて、 中に入りて安坐す。 一心に念仏して、 覚へざるにすでに数日を度る。 すなはち空中に声あつて聞けばいはく、 前み行くことを得べし、 所在遊履また罫礙することなけんと。
初聞テ↢綽禅師晋陽ニ開闡スト↡、欲↧不↠遠↢千里↡従ツテ而問ト↞津。時逢フ↢玄冬之首メニ↡、風飄シテ↢落葉ヲ↡填チ↢満ツ深坑ニ↡、遂ニ挈ゲ↢遂ヘテ瓶鉢ヲ↡、入テ↠中ニ安坐ス。一心ニ念仏シテ、不ルニ↠覚ヘ已ニ度ル↢数日ヲ↡。乃聞ケバ↢空中ニ声アテ↡曰ク、可↠得↢前ミ行コトヲ↡、所在遊履無ン↢復罫クエ礙サワリニスルコト。
つひに坑を出で進程して綽禅師の所に至りて、 夙心を展会す。 ▼綽公すなはち ¬無量寿経¼ を授与す。 道、 巻を披きてこれを詳するに、 このごろ観るところ宛在せり。 よりてすなはち入定して七日起たず。
遂ニ出↠坑アナヲ進程シテ至テ↢綽禅師所ニ↡、展↢会ス夙心ヲ↡。綽公即0218授↢与¬無量寿経ヲ¼↡。道披テ↠巻詳スルニ↠之、比来所↠観宛在セリ。因即チ入定シテ七日不↠起。
▼ある人導に問ひていはく、 弟子念仏す、 往生を得んやいなやと。 導一茎の蓮花を辨ぜしめこれを仏前に置きて行道七日せんに、 花萎悴せずんばすなはち往生を得てんと。 これによりて七日するに、 果然として花萎み黄ばまず。
或人問テ↠導ニ曰、弟子念仏ス、得ンヤ↢往生↡否。導令↠辨ゼ↢一茎ノ蓮花ヲ↡置↢之仏前ニ↡行道七日センニ、花不ンバ↢萎悴↡即得テント↢往生↡。依↠之七日スルニ、果然トシテ花不↢萎黄バマ↡。
▼綽その深く詣れることを歎じてよりて入定してまさに生ずることを得べきかいなかを観たまへと請ず。 導すなはち入定して須臾に報じていはく、 師まさに三つの罪を懺ずべし、 まさに往生すべし。 一には師むかし仏の尊像を安ぜんに簷庸の下に在きて、 みづからは深房に処す。 二には出家人を駆使し策役す。 三には屋宇を営造して虫の命を損傷す。 師よろしく十方仏の前において第一の罪を懺し、 四方僧の前において第二の罪を懺し、 一切衆生の前において第三の罪を懺すべしと。 ◆綽公しずかに往咎を思ひ、 みないはくむなしからずと。 ここにおいて洗心悔謝することおはりて導に見ゆ。 すなはちいはく、 師の罪滅せり。 後にまさに白光ありて照燭すべし、 これ師の往生の相ならんと。
綽歎ジテ↢其深ク詣レルコトヲ↡因テ請↣入定シテ観タマヘト↢当ニ↠得↠生否ヲ↡。導即入定シテ須臾ニ報テ曰、師当ニ↠懺↢三ノ罪ヲ↡、方可↢往生↡。一者師嘗安ゼンニ↢仏尊像ヲ↡在↢簷庸ノ下ニ↡、自ハ処ス↢深房ニ↡。二者駆使シ策↣役出家人ヲ↡。三者営↢造シテ屋宇ヲ↡損↢傷ス虫ノ命ヲ↡。師宣ク於↢十方仏前ニ↡懺↢第一ノ罪ヲ↡、於↢四方僧前↡懺↢第二罪ヲ↡、於↢一切衆生前↡懺ベシ↢第三罪ヲ↡。綽公静ニ思↢往咎ヲ↡、皆曰不ト↠虚ラ。於↠是洗心悔謝スルコト訖テ而見ユ↠導ニ。即曰、師ノ罪滅セリ矣。後当ニ↧有↢白光↡照燭ス↥、是師往生之相ナラント也。
導の化京輩に洽し、 道俗心を帰するもの市のごとし。 後に所住の寺院のなかにおいて浄土の変相を画く、 たちまちに催してすみやかに成就せしむ。 あるひとそのゆゑを問りて、 すなはちわれまさに往生せんとす、 住すること三両夕なるべきのみと。 忽然として微疾ありて室を掩ふ。 怡然して長逝す、 春秋六十九。 身体柔軟にして、 容色常のごとし、 異香・音楽久しくしてまさに歇きぬ。 時に永隆二年三月十四日なり」 と。
導ノ化洽シ↢京輩ニ↡、道俗帰スル↠心ヲ者如↠市ノ。後ニ於↢所住寺院ノ中ニ↡画↢浄土ノ変相↡、忽ニ催シテ令↢速ニ成就↡。或人問ツテ↢其ノ故ヲ↡、則吾将ニ↢往生セント↡、可キ↢住コト三両夕ナル↡而已ト。忽然トシテ微疾アテ掩フ↠室ヲ。怡ヨロコブ然シテ長逝ス、春秋六十九。身体柔軟ニシテ、容色如↠常ノ、異香・音楽久シテ而方歇キヌ。時ニ永隆二年三月十四日。」
・善導 念仏鏡
五 ¬念仏鏡¼ (巻本) にいはく、 「善導闍梨西京寺の内に在りて、 金剛法師と、 念仏の勝劣を校量して、 高座に昇りつひに願を発していはく、 諸経のなかの世尊の説に准ずるに、 然仏の一法浄土に生ずることを得、 一日・七日、 一念・十念阿弥陀仏、 さだめて浄土に生ず。
五 ¬念仏鏡¼云、「善導闍梨在↢西京寺ノ内ニ↡、与↢金剛法師↡、校↢量シテ念仏勝劣ヲ↡、昇↢高座ニ↡遂発シテ↠願言、准ズルニ↢諸経ノ中ノ世尊ノ説ニ↡、然仏ノ一法得↠生↢浄土ニ↡、一0219日・七日、一念・十念阿弥陀仏、定テ生ズ↢浄土ニ↡。
これ真実にして衆生を誑かざれば、 すなはちこの堂のなかの二像を遣はして総じて光を放たさせたまへ、 もしこの念仏の法悪にして浄土に生ぜず衆生を誑惑せば、 すなはち善導をしてこの高座の上においてすなはち大地獄に堕し、 長時に苦を受けて永く出づる期あらざらしめたまへと。 つひに如意杖をもつて一堂のなかの像を指すに、 像みな光を放てり」 と。
此是真実ニシテ不↠誑↢衆生ヲ↡者、則遣シテ↢此堂ノ中ノ二像ヲ↡総放↠光、若此ノ念仏ノ法悪ニシテ不↠生↢浄土ニ↡誑↢惑セバ衆生ヲ↡、即遣↧善導ヲシテ於↢此高座上↡即堕↢大地獄ニ↡、長時ニ受テ↠苦永ク不ラ↦出期アラ↥。遂将テ↢如意杖↡指ニ↢一堂ノ中ノ像ヲ↡、像皆放↠光。」
・善導 龍舒浄土文
六 ¬龍舒浄土文¼ (巻五) にいはく、 「善導貞観の中に、 西河綽禅師の浄土九品道場を見たまふ。 ここにおいて篤く勤め精苦すること、 頭燃を救ふがごとくにす。 つねに禅堂に入り合掌胡跪して一心に念仏す。 力を竭くすにあらざれば休まず、 寒氷といへどもまたもちゐて汗を流してもつて至誠を表すべし。 出でてすなはち衆のために浄土の法門を説き、 暫時も利益のためならざることなし。 三十余年しばらくも睡眠せず。 般舟の行道・礼仏の方等、 もつぱらおのが任となす。
六 ¬龍舒浄土文¼云、「善導貞観ノ中ニ、見タマフ↢西河綽禅師ノ浄土九品道場ヲ↡。於↠是篤ク勤精苦スルコト、若ニス↠救ウガ↢頭燃ヲ↡。毎ニ入↢禅堂ニ↡合掌胡跪シテ一心ニ念仏ス。非レバ↢力ヲ竭スニ↡不↠休、雖↢寒氷ト↡亦須テ↣流シテ↠汗ヲ以テ表ス↢至誠ヲ↡。出デヽ即為↠衆ノ説↢浄土ノ法門↡、無↢暫時モ不コト↟為↢利益↡。三十余年不↢暫睡眠↡。般舟行道・礼仏方等、専ラ為ス↢己ガ任ト↡。
戒品を護持して繊毫も犯さず、 いまだむかしより目を挙げて女人を視ず。 意を名利に絶ちて、 もろもろの戯笑を遠ざかる。 所行の処は身を浄めて供養す、 飲食・衣服余りあれば、 みなもつて回施す。 好食をば大厨に送りて衆に供し、 麁悪をばみづから食す。 乳・酪・醍醐、 みな飲噉せず。 あらゆる䞋施もつて ¬阿弥陀経¼ 十万余巻を写し、 浄土の変相三百余壁を画く。 壊れたる寺および塔を見ては、 みなことごとく修営し、 燃灯続明毎歳に絶えず、 三衣の瓶鉢人をして持洗せしめず。 始終改むることなし。 衆と同じく行かざることは、 恐らくは世事を談じて修行の業を妨げんことを。 展転して浄土の法門を授くるもの、 あげて数ふべからず。
護持シテ↢戒品ヲ↡繊毫モ不↠犯、未↣嘗ヨリ挙テ↠目ヲ視↢女人ヲ↡。絶テ↢意ヲ名利ニ↡、遠ル↢諸ノ戯笑ヲ↡。所行之処ハ浄テ↠身供養ス、飲食・衣服有レバ↠余リ、並以テ廻施ス。好食ヲバ送↢大厨ニ↡供↠衆ニ、麁悪ヲバ自食ス。乳・酪・醍醐、皆不↢飲噉↡。諸有ユル䞋施用テ写↢¬阿弥陀経¼十万余巻ヲ↡、画↢浄土変相三百余壁ヲ↡。見テハ↢壊ル寺及塔ヲ↡、皆悉ク修営シ、燃灯続明毎歳ニ不↠絶、三衣瓶鉢不↠使↢人シテ持洗↡。始終無↠改コト。不コトハ↢与↠衆同ク行カ↡、恐ハ談ジテ↢世事ヲ↡妨ゲンコトヲ↢修行ノ業ヲ↡。展転シテ授ル↢浄土ノ法門ヲ↡者、不↠可↢勝テ数フ↡。
あるひと導に問ひていはく、 念仏の善浄土に生ずるやいなやと。 答へていはく、 なんぢが所念のごとくなんぢが所願を遂げんと。 ここにおいて導▼みづから阿弥陀仏を念ずること一声するに、 すなはち一道の光明ありて、 その口より出づ。 十声よりもつて百声に至る、 光明またかくのごとし。
或人問テ↠導云、念仏之善生↢浄土↡否0220。答云、如↢汝所念↡遂↢汝所願↡。於↠是導自念コト↢阿弥陀仏↡一声スルニ、則有テ↢一道ノ光明↡、従↢其口↡出。十声ヨリ以至↢百声ニ↡、光明亦如↠此。
その勧化の偈にいはく、 漸々に鶏皮鶴髪と看々と行歩躘踵す。 たとひ饒な金玉堂に満つとも、 衰残老病を免れがたし。 これにまかせて千般快楽すれども、 無常つひにこれ到来す、 ただ径路の修行あり、 ただ阿弥陀仏を念ぜよ。
其勧化ノ偈ニ云、漸々ニ鶏トリ 皮ハタヽキ 鶴シラガ 髪トヲヒタリ看看ト行歩躘踵ス。仮ヒ饒金玉満↠堂ニ、難↠免↢衰残老病ヲ↡。任是千般快楽スレドモ、無常終是到来、唯有↢径路ノ修行↡、但念ヨ↢阿弥陀仏↡。
後に人にいひていはく、 この身は厭ふべし、 われまさに西に帰りなんとすと。 すなはち寺の前の柳の樹に登りて、 身を投げて自絶す。 高宗その念仏の口より光明を出だし、 また捨身の時精の至りてかくのごとくなるを見たまひて、 寺の額を賜ひて光明となす。
後ニ謂テ↠人曰、此ノ身ハ可↠厭、吾将ニ↢西帰ナント↡。乃登テ↢寺前ノ柳ノ樹ニ↡、投↠身ヲ自絶ス。高宗見タマテ↧其ノ念仏ノ口ヨリ出シ↢光明ヲ↡、又捨身ノ時精至如ナルヲ↞此、賜テ↢寺ノ額ヲ↡為↢光明ト↡。
慈雲式懺主の略伝にいはく、 阿弥陀仏の化身なり。 長安に至りて滻水の声を聞く、 すなはちいはく、 念仏を教ふべしと。 三年の後に長安の城中に満ちて念仏す。 後に法照大師といふひとあり、 すなはち善導の後身なり」 と。
慈雲式懺主ノ略伝ニ云、阿弥陀仏ノ化身ナリ。至↢長安↡聞↢滻水声↡、乃曰、可ト↠教↢念仏ヲ↡。三年ノ後ニ満テ↢長安城中ニ↡念仏ス。後ニ有リ↢法照大師ト云人、即善導ノ後身也。」
・懐感
第四位 ▼懐感法師 二伝
・懐感 大宋高僧伝
一 ¬大宋高僧伝¼ の第六 義解篇 にいはく、 「▼釈の懐感は、 いづこの人といふことを知らす。 強棹を秉持し、 精苦して師に従ふ。 義神に入らざればいまだもつて得たりとせず。 四方の同じく好むよりしてつきて霧市す。 ただし仏を念ずること小時にしてただちに安養に生ずることを信ぜず、 疑氷いまだ泮けず。
一 ¬大宋高僧伝¼第六 義解篇 云、「釈懐感、不↠知↢何許人云コトヲ↡也。秉↢持強棹ヲ↡、精苦シテ従↠師ニ。義不レバ↠入↠神ニ未ダ↢以テ為↟得リト。四方ノ同ク好ヨリシテ就テ霧市ス焉。唯シ不↠信↣念コト↠仏ヲ小時シテ逕生コトヲ↢安養ニ↡、疑氷未ダ↠泮ケ。
つひに善導に謁してもつて*猶予を決す。 導のいはく、 子教を伝へて人を度す、 信じて後を講ぜんとやする、 渺茫として詣ることなしとするやと。 感のいはく、 諸仏の誠言信ぜざれば講ぜずと。 導のいはく、 もし所見のごとくならば、 念仏往生せしむること、 あにこれ魔説ならんや。 子もしこれを信じて心を至し念仏せば、 まさに証験あるべしと。
遂ニ謁シテ↢善導ニ↡用テ決↢猶予ヲ↡。導曰、子伝↠教ヲ度ス↠人ヲ、為↢信ジテ後ヲ講トヤ↡、為ルヤ↢渺カスカ茫トシテ無シト↟詣ルコト。感ノ曰、諸仏ノ誠言不レバ↠信不↠講。導曰、若如ナラバ↢所見ノ↡、令ルコト↢念仏往生↡、豈是魔説ナラン耶。子若信ジテ↠之至↠心念仏セバ、当ニ↠有↢証験↡。
よりて道場に入りて三七日するに、 霊瑞を覩ず。 感みづから罪障深きことを恨みて、 食を絶ちて命を畢へんと欲す。 許さず、 つひに精虔にして三年念仏せしめて、 後たちまちに霊瑞を感じ金色の玉毫を見て、 すなはち念仏三昧を証す。
乃入↢道0221場ニ↡三七日スルニ、不↠覩↢霊瑞↡。感自分恨テ↢罪障深コトヲ↡、欲↢絶テ↠食畢↟命ヲ。不↠許、遂ニ令テ↢精虔ニシテ三年念仏セ↡、後忽ニ感↢霊瑞ヲ↡見テ↢金色ノ玉毫ヲ↡、便証ス↢念仏三昧ヲ↡。
宿の垢業重くしてみだりに衆を構ずることを悲恨して、 懺悔発露してすなはち ¬決疑論¼ 七巻を述す すなはち ¬群疑論¼ これなり。 臨終にはたして化仏ありて来迎したまふ、 合掌して西に向ひて往けり」 と。
悲↣恨シテ宿垢業重シテ妄ニ構コトヲ↢衆トガヲ↡、懺悔発露シテ乃述ス↢¬決疑論¼七巻↡ 即¬群疑論¼是也。臨終果シテ有↢化仏↡来迎シタマフ、合掌シテ向↠西往リ矣。」
・懐感 瑞応伝
二 ¬瑞応伝¼ にいはく、 「感法師長安の千福寺に居す。 博く経典を通ずれども、 念仏を信ぜず、 善導和尚に問ひていはく、 念仏の事いづれの門にかあると。 答へていはく、 君よくもつぱら仏を念ぜよ、 まさにみづから証あるべしと。 また問ふ。 すこぶる仏を見るやいなやと。 師のいはく、 言語なんぞ疑ふべきかと。 三七日を遂げて道場に入りたまふに、 いまだその応あらず。 みづから罪の深きことを恨みて、 食を絶ちて命を畢へんと欲す。 師止めて許さず、 三年志をもつぱらにしてつひに仏の金色の玉毫を見ることを得。
二 ¬瑞応伝¼云、「感法師居↢長安千福寺ニ↡。博通ズレドモ↢経典ヲ↡、不↠信↢念仏ヲ↡、問↢善導和尚↡曰、念仏之事在↢何門ニカ↡。答曰、君能ク専念ゼヨ↠仏、当ニ↢自有↟証。又問。頗ル見↠仏否ヤ。師曰、言語何ゾ可↠疑哉。遂ゲテ↢三七日↡入タマフニ↢道場ニ↡、未ダ↠有↢其応↡。自恨テ↢罪ノ深コトヲ↡、欲↢絶↠食畢ト↟命。師止メテ而不↠許、三年専シテ↠志遂得↠見コトヲ↢仏金色玉毫ヲ↡。
三昧を証得して、 すなはちみづから ¬往生決疑論¼ 七巻を造る。 臨終に仏迎す、 合掌して西より来る」 と。
証↢得シテ三昧↡、乃自造↢¬往生決疑論¼七巻ヲ↡。臨終ニ仏迎ス、合掌シテ西ヨリ来。」
・少康
第五位 ▼少康法師 三伝
・少康 大宋高僧伝
一 ¬大宋高僧伝¼ の第二十五 読誦篇 にいはく、 「▼釈の少康は、 俗姓は周、 縉雲仙都山の人なり。 母は羅氏、 よりて夢みらく、 鼎湖峯に遊ぶ、 玉女の手に青蓮をたてまつるを得、 授けていはく、 この花吉祥なり、 なんぢが所に寄りて、 後貴子を生ぜん、 ねんごろにまさに保惜すべしと。 康を生ずる日に及びて、 青光室に満ち、 香芙蕖に似る。
一 ¬大宋高僧伝¼第廿五 読誦篇 云、「釈少康ハ、俗姓ハ周、縉雲仙都山ノ人也。母羅氏、因テ夢ラク、遊ブ↢鼎湖峯ニ↡、得↣玉女ノ手ニ奉ルヲ↢青蓮ヲ↡、授テ曰、此ノ花吉祥ナリ、寄↢於汝ガ所↡、後生ン↢貴子ヲ↡、切ニ当ニ↢保惜ス↡。及↢生↠康ヲ之日ニ↡、青光満↠室、香似↢芙ハチス 蕖ハチスニ↡。
◆繃褓の年におよんで、 眼碧きに唇朱く歯白し、 仏の一相を得たり、 つねに端座して笑を含む。 時に郷中に相を善くする人、 これを目て、 この子恃相の才、 語はずんばわれ知らずといふなり。 年はじめて七歳にして抱きて霊山寺のなかに入りて、 仏の生日に聖容を礼す、 母康に問ひていはく、 識るかいなかと。 たちまちに言を発していはく、 釈迦牟尼仏と。 聞くものみなこれを怪しむ、 けだし生れてよりこのかた言語せざればなり。
迨ンデ↢繃褓ト之年ニ↡、眼碧ニ唇朱ク歯白シ、得タリ↢仏之一相↡、恒ニ端座シテ含↠笑ヲ。時ニ郷中ニ善スル↠相ヲ人也0222、目テ↠之ヲ、此ノ子恃相ノ之才、不ンバ↠語ハ吾弗ト云↠知也。年甫テ七歳ニシテ抱イテ入テ↢霊山寺ノ中ニ↡、仏生日ニ礼↢聖容ヲ↡、母問↠康ニ曰、識カ否。忽発シテ↠言ヲ云、釈迦牟尼仏。聞モノ皆怪シム↠之ヲ、尽シ生ヨリ来タ不レバ也↢言語↡也。
◆これによりて父母それを捨てて出家せしむ。 年十有五にして誦するところの経すでに五部を終ふ。 越周の嘉祥寺において戒を受け、 すなはちこの寺につきて毘尼を学す。 五夏の後、 上元の龍興寺に往きて、 ¬華厳経¼・¬瑜伽論¼ を聴く。
由テ↠是父母捨テヽ↠其ヲ出家セシム。年十有五ニシテ所↠誦之経已ニ終フ↢五部ヲ↡。於テ↢越周ノ嘉祥寺ニ↡受↠戒ヲ、便就テ↢伊ノ寺ニ↡学↢毘尼↡。五夏ノ之後、往テ↢上元ノ龍興寺ニ↡、聴↢¬華厳経¼・¬瑜伽論ヲ¼↡。
◆貞元のはじめ洛京の白馬寺に至る、 殿に物の光を放つを見る、 つひに探り取りていづれの経法とかする、 すなはち善導の西方の化道を行ぜる文なり。 康見て歓喜してこれを呪していはく、 ▼われもし浄土と縁あらば、 惟はくはこの軸の文よりこの光再現せよと。 誓ふところわづかに終りて、 はたしてかさねて閃きて爍く。 中に化仏・菩薩ありて算ふることなし。 ▼つひに長安の善導の影堂の内に之きて、 願はくは善導を見んと乞ふ。 真像化して仏身となり、 康にいひていはく、 なんぢわが施設によりて、 衆生を利楽せば、 同じく安養に生ずと。
貞元ノ初至ル↢于洛京ノ白馬寺ニ↡、殿ニ見ル↢物ヽ放↟光ヲ、遂ニ探グリ取テ為ル↢何ノ経法トカ↡、乃善導ノ行ゼル↢西方ノ化道ヲ↡文也。康見テ歓喜シテ呪テ↠之ヲ曰、我若与↢浄土↡有バ↠縁、惟此ノ軸ノ文ヨリ斯ノ光再現セヨト。所↠誓纔ニ終テ、果シテ重テ閃テ爍クタリ。中ニ有↢化仏・菩薩↡無↠算。遂ニ之イテ↢長安ノ善導ノ影堂ノ内ニ↡、乞↣願ハ見ント↢善導ヲ↡。真像化シテ為↢仏身↡、謂テ↠康ニ曰、汝依テ↢吾施設ニ↡、利↢楽セバ衆生ヲ↡、同生↢安養ニ↡。
◆康所証あるがごとく、 南のかた江陵の果願寺に至りて、 一りの法師に遇ふ。 康にいひていはく、 なんぢ人を化せんと欲はば、 ただちに新定に往きて、 縁かしこにありと。 いひおはりて見えず、 ただ香光のみありて、 西に望みて去りぬ。
康如↠有↢所証↡、南ノ方至テ↢江陵ノ果願寺ニ↡、遇↢一ノ法師↡。謂テ↠康ニ曰、汝欲ハヾ↠化↠人ヲ、径ニ往テ↢新定ニ↡、縁在リト↢於彼ニ。言ヒ訖ツテ不↠見ヘ、止有テ↢香光ノミ、望テ↠西ニ而去ヌ。
◆睦郡に到るにおよんで、 城に入りて乞食して銭を得ては、 小児を誘へ掖きてよく阿弥陀仏を念ぜしむ、 一声にすなはち一銭を付く。 後に月あまりを経るに絯繻の䗳慕ふもの念仏す。 多くはすなはち銭を給す。 かくのごとく一年するに、 およそ男女康を見てはすなはち阿弥陀仏といふ。
洎ンデ↠到↢睦郡ニ↡、入テ↠城ニ乞食シテ得テハ↠銭ヲ、誘ヘ↢掖イテ小児ヲ↡能ク念シム↢阿弥陀仏ヲ↡、一声ニ即付ク↢一銭ヲ↡。後ニ経ルニ↢月余ヲ↡絯繻ノ䗳慕モノ念仏ス。多者即給ス↠銭ヲ。如↠是一年スルニ、凡男女見テハ↠康則云フ↢阿弥陀仏ト↡。
◆つひに烏龍山において浄土の道場を建て、 壇を築くこと三級す、 人を聚めて午夜行道し、 唱讃二十四契、 浄郡を称揚す。 つねに斉日に遇ふ、 所化三千ばかりの人を雲集して座に登り、 男女の弟子をして康の面門に望ましめ、 すなはち高声に阿弥陀仏を唱ふるに、 仏口より出づ、 しきりに十声を誦すに、 十仏珠を連ねたる状のごとし。 告げていはく、 なんぢ仏身を見ればすなはち往生を得てんと。
遂ニ於↢烏龍山↡建↢浄土道場ヲ↡、築クコト↠壇ヲ三級コシス、聚↠人ヲ午夜行道シ、唱讃二十四契、称↢揚ス浄郡ヲ↡。毎ニ遇フ↢斉日0223ニ↡、雲↢集シテ所化三千許人ヲ↡登↠座ニ、令↣男女弟子ヲシテ望↢康面門ニ↡、即高声ニ唱ルニ↢阿弥陀仏↡、仏従↠口出、連ニ誦↢十声ヲ↡、十仏若シ↢連↠珠ヲ状ノ↡。告テ曰、汝見バ↢仏身↡即得テン↢往生ヲ↡。
◆貞元二十一年十月をもつて、 衆に示して嘱累す、 ただ急に浄土を修すことを勧む、 いひおはりて跏趺して、 身より光明を放ちて逝きぬ。 天の色斗変して、 狂風四に起り、 百鳥悲鳴す、 烏龍山や一時に白に変ず。 いま墳塔州東の台子巌に存ず。 歳久しくしてただ方石のみ余れり、 石の傍の土、 相伝して疾を療すと。 州民およそ衆病に嬰れる、 ことごとく香を焚き土を取りて、 服すに随ひて多く差ゆ。 石の四隅車の轍のごとし。
以↢貞元廿一年十月ヲ↡、示↠衆嘱累ス、止勧ム↣急ニ修コトヲ↢浄土ヲ↡、言畢テ跏趺シテ、身ヨリ放テ↢光明ヲ↡而逝ヌ。天色斗変シテ、狂風四ニ起リ、百鳥悲鳴ス、烏龍山也一時ニ変ズ↠白ニ。今墳塔存ズ↢于州東ノ台子巌ニ↡。歳久シテ唯余レリ↢方石ノミ↡、石ノ傍ノ之土、相伝テ療スト↠疾ヲ。州民凡ソ嬰レル↢衆病ニ↡、悉ク焚キ↠香ヲ取テ↠土ヲ、随テ↠服ニ多ク差ユ。石ノ之四隅若シ↢車ノ轍ノ↡。
◆漢の乾祐三年に、 天台山の徳韶禅師、 かさねてその塔を建て、 いまに至りて高敞なり、 時に後善導と号す。
漢乾祐三年ニ、天臺山ノ徳韶禅師、重テ建↢其塔↡、至テ↠今高敞サカリ也、時ニ号ス↢後善導ト↡焉。
◆系していはく、 康の述するところの偈讃、 みな鄭衛の声を附会する、 変じて体して作る。 哀にあらず楽にあらず、 怨にあらず怒にあらず、 中に処する曲韻を得たり、 たとへば善医の錫蜜をもつて口に逆ふる薬を塗りて、 嬰児を誘へて口に入るるがごとし。 まことに大権入仮にあらずは、 なんぞよくこの方便を運さんと、 無極を度すものか。 仏を唱へて仏形口よりして出だす、 善導にこれと同じく仏事をなす、 ゆゑに小縁にあらず」 と。
系ツグシテ曰、康ノ所ノ↠述偈讃、皆附↢会スル鄭テヽ衛ノ之声ヲ↡、変ジテ体シテ而作ル。非↠哀ニ非↠楽ニ、不↠怨ニ不↠怒、得タリ↢処スル↠中ニ曲韻ヲ↡、譬ヘバ猶シ↧善医ノ以↢*錫蜜ヲ↡塗ツテ↢逆ル↠口ニ之薬ヲ↡、誘ヘテ↢嬰児ヲ↡之入↞口ニ耳。苟ニ非ハ↢大権入仮ニ↡、何ゾ能運ト↢此方便ヲ↡、度↢無極ヲ↡者乎。唱テ↠仏仏形従↠口而出ス、善導ニ同ク↠此ト作ス↢仏事ヲ↡、故非↢小縁ニ↡哉。」
・少康 新修往生伝
二 ¬新修往生伝¼ (巻下) にいはく、 「釈の少康、 縉雲仙都の人なり。 母は羅氏、 夢に鼎湖の峯に遊びて、 玉女の青蓮花をたてまつりてこれを授くるを得、 かついはく、 この花吉祥なり。 これをなんぢに授く、 まさに貴子を生ずべしと。 康を生ずる日におよびて、 青光室に満ち、 香芙蕖に似る。 年十有五にして ¬法花¼・¬楞厳¼ 等の経五部を誦す、 毘尼を尋ね究めて、 および ¬花厳¼・¬瑜伽¼ の諸論を聴く。
二 ¬新修往生伝¼云、「釈少康、縉雲仙都ノ人ナリ。母ハ羅氏、夢ニ遊テ↢鼎湖ノ峯ニ↡、得↧玉女奉テ↢青蓮花ヲ↡授↞之、且曰ク、此花吉祥ナリ。授↢之ヲ於汝ニ↡、当↠生↢貴子↡。及テ↢生↠康日ニ↡、青光満↠室ニ、香似↢芙蕖ニ↡。年十有五ニシテ誦↢¬法花¼・¬楞厳¼等経五部ヲ↡、尋0224↢究毘尼ヲ↡、及聴↢¬花厳¼・¬瑜伽¼諸論↡。
▼貞元のはじめ洛下の白馬寺に至る、 殿内に文字のしきりに光明を放つを見る、 康測ることあたはず。 前みてこれを探り取るに、 すなはち善導の昔西の方化道をなす文なり。 康いはく、 もし浄土において有縁ならば、 まさにこの文をして光明ふたたび発すべしと。 所願いまだおはらざるに、 はたしてかさねて閃爍す。 康いはく、 劫石は移すべくともわが願易ることなからんと。
貞元ノ初至↢洛下白馬寺ニ↡、見ル↣殿内ニ文字ノ累ニ放ツヲ↢光明↡、康不↠能↠測ルコト。前テ而探リ↢取ルニ之ヲ↡、乃善導ノ昔為↢西ノ方化道ヲ↡文也。康曰、若於↢浄土↡有縁、当ニシ↠使 シ ム此文ヲシテ光明再ビ発↡。所願未ダルニ↠已、果シテ重テ閃爍ス。康曰、劫石ハ可クトモ↠移而我願無ラン↠易ルコト 矣。
つひに長安の善導の影堂に之きて、 大いに薦献を陳す。 まさに薦献を陳ぶる時、 たちまち▼善導の遺像を見れば、 空中に昇りて康にいひていはく、 なんぢわが事によりて有情を利楽せよ、 すなはちなんぢが功同じく安楽に生じてんと。 康その語を聞きて所証あるがごとし、 南のかた江陵の果願寺に適くに、 路にして一りの僧に逢へり。 いひていはく、 人を化せんと欲はば、 まさに新定に往くべしと。 いひおはりて隠す。
遂ニ之イテ↢長安ノ善導影堂ニ↡、大ニ陳ス↢薦 献ヲノベタテマツル↡。方ニ陳ブル↢薦献ヲ↡時、倏見レバ↢善導ノ遺像ヲ↡、昇テ↢於空中ニ↡謂テ↠康ニ曰、汝依↢我事ニ↡利↢楽セヨ有情ヲ↡、則汝ガ之功同ク生テン↢安楽ニ↡。康聞テ↢其語ヲ↡如シ↠有ガ↢所証↡、南ノカタ適クニ↢江陵ノ果願寺ニ↡、路ニシテ逢ヘリ↢一ノ僧ニ↡。謂テ曰、欲ハヾ↠化ト↠人ヲ、当 ベ ニシト往↢新定ニ↡。言訖テ而隠ス。
睦郡に到るにおよんで、 睦人なほ識るものなし、 いまだその化に従はず。 康すなはち銭を丐ふて、 小児を誘らへ掖きてこれを与へて約していはく、 阿弥陀仏まことになんぢが良導なり、 よく一声を念ぜばなんぢに一銭を与へんと。 小児それを務めて銭を得るなり。 品に随ひてこれを念ぜしむ。 後に月あまりを経て絯繻仏を念じて銭を俟つもの比々としてこれなり。 康いはく、 十声を念ぜばすなはちなんぢに銭を与ふべしと。 小児またその約のごとくす。
洎ンデ↠到ルニ睦郡ニ↡、睦人尚無↢識ル者↡、未ダ↠従↢其化ニ↡。康乃丐ツテ↠銭ヲ、誘ラヘ↢掖イテ小児ヲ↡与テ↠之ヲ約シテ曰、阿弥陀仏実ニ汝ガ良導ナリ、能ク念ゼバ↢一声ヲ↡与ヘント↢汝ニ一銭ヲ↡。小児務メテ↠其ヲ得↠銭ヲ也。随↠品ニ念シム↠之ヲ。後ニ経テ↢月余ヲ↡絯繻念テ↠仏ヲ俟ツ↠銭ヲ者比比トシテ而是ナリ。康曰、可↧念ゼバ↢十声ヲ↡乃与フ↦爾ニ銭ヲ↥。小児亦如クス↢其約↡。
かくのごとく一年するに、 長少・貴賎なく、 およそ康を見てはすなはち阿弥陀仏といふ。 このゆゑに念仏の人道路に盈てり。
如↠是一年スルニ、無ク↢長少・貴賎↡、凡ソ見テハ↠康ヲ者則曰↢阿弥陀仏ト↡。以故念仏之人盈テリ道路ニ↡焉。
貞元十年に、 康烏龍山に出でて浄土の道場を建つ、 壇を築くこと三級す、 人を聚めて午夜行道す。 道場の時ごとに、 康みづから座に登りて、 男女をして康に面はしめ、 声を賡いで高く阿弥陀仏を唱へおはりて、 また声を賡いでこれに和す。 康の唱ふる時に至りて、 衆一仏のその口より出づるを見る、 十声を連唱すれば、 すなはち十仏ありて聯珠の状のごとし。 康のいはく、 なんぢ仏を見るやいなやと。 もし仏を見るものはかならず浄土に生じ、 その礼仏の人数千、 またつひに見ざるものあり。
貞元十年ニ、康出↢烏龍山↡建↢浄土道場ヲ↡、築コト↠壇ヲ三級ス、聚テ↠人ヲ午夜行道ス。毎ニ↢道場ノ時↡、康自登テ↠座、令↢男女ヲシテ面ハ↟康ニ、賡イデ↠声ヲ高ク唱↢阿弥陀仏↡已テ、又賡イデ↠声ヲ和ス↠之。至↢康ノ唱ル時ニ↡、衆見↧一仏ノ従↢其口↡出ルヲ↥、連↢唱レバ十声ヲ↡、則有↢十仏↡若シ↢聯0225珠ノ状ノ。康ノ曰、汝見ヤ↠仏否ヤ。如シ見↠仏者ハ決生ジ↢浄土ニ↡、其礼仏ノ人数千、亦有↢竟ニ不↠見者↡。
貞元二十一年十月三日、 道俗に嘱累す。 まさに安養において増進を起し、 心閻浮提において厭離の心を生ずべしと。 またいはく、 なんぢらこの時よく光明を見るは、 まことのわが弟子なりと。 つひに異光数道を放ちて、 奄然として世を棄つ。 塔を入れて台子巌においてす。 天台の徳韶禅師、 かさねてこれを新にす、 いまの人多くその塔を指して後善導となす」 と。
貞元廿一年十月三日、嘱↢累ス道俗ニ↡。当ニシ↧於↢安養ニ↡起シ↢増進ヲ↡、心於↢閻浮提↡生↦厭離ノ心ヲ↥。又曰、汝曹此ノ時能見ハ↢光明ヲ↡、真ノ我弟子ナリ。遂放↢異光数道ヲ↡、奄然トシテ棄ツ↠世ヲ焉。入レテ↠塔ヲ於テス↢台子巌ニ↡。天臺ノ徳韶禅師、重テ新ニス↠之、今之人多ク指シテ↢其塔ヲ↡為↢後善導ト↡焉。」
・少康 龍舒浄土文
三 ¬龍舒浄土文¼ (巻五) にいはく、 「小康、 貞元のはじめに洛下の白馬寺に至る、 殿中に文字のしきりに光明を放つを見る、 探りてこれを取るに、 すなはち善導の西方化道の文なり。 康いはく、 もし浄土に有縁ならば、 まさにこの文をしてふたたび光明を発せしむべしと。 いひといまだおはらざるに、 光すなはち閃きて爍きたり。
三 ¬龍舒浄土文¼云、「小康、貞元ノ初ニ至↢洛下ノ白馬寺ニ↡、見↣殿中ニ文字ノ累ニ放ツヲ↢光明ヲ↡、探テ取ルニ↠之ヲ、乃善導ノ西方化道ノ文也。康曰、若於↢浄土↡有縁ラバ、当ニ↠使メ↣此文シテ再発↢光明↡。言ト未ダルニ↠已、光乃閃テ爍タリ。
つひに長安の善導の影堂に至りて、 大いに薦献を陳ぶ。 善導空中においていはく、 なんぢわが事によりて有情を利楽せよ、 すなはちなんぢの功同じく安養に生ぜんと。 また一りの僧に逢ふ。 いひていはく、 なんぢ人を化せんと欲せば、 まさに新定に往くべしと。 いひおはりて隠れぬ。 新定は今の巌州なり。
遂ニ至テ↢長安善導ノ影堂ニ↡、大ニ陳↢薦献ヲ↡。善導於↢空中ニ↡曰、汝依テ↢吾事ニ↡利↢楽セヨ有情ヲ↡、則汝之功同生ン↢安養ニ↡。又逢↢一ノ僧ニ↡。謂テ曰、汝欲セバ↠化↠人ヲ、当ニ↠往↢新定ニ↡。言訖テ而隠ヌ。新定ハ今ノ巌州也。
かしこに至るに、 人なほ識るものなし。 康すなはち銭を乞ひて、 小児を誘へこれに与へて約していはく、 阿弥陀仏はこれなんぢが本師なり、 よく念ずること一声せばなんぢに一銭を与ふと。 小児務めてその銭を得。 声に随ひこれを念ず。 後月あまりに小児仏を念じて銭を求むるもの衆し。 康すなはちいへり、 念仏十声せばすなはちなんぢに銭を与へんと。 小児これに従ひてかくのごとくすること一年するに、 長少・貴賎となく、 およそ康を見るものはすなはち阿弥陀仏を称ふ、 ゆゑをもつて念仏の人道路に盈てり。
至ルニ↠彼ニ、人尚無↢識ル者↡。康乃乞テ↠銭ヲ、誘ラヘ↢小児ヲ↡与テ↠之ニ約シテ曰、阿弥陀仏ハ是汝ガ本師ナリ、能念コト一声セバ与↢汝ニ一銭ヲ↡。小児務メテ得↢其銭ヲ↡。随ヒ↠声ニ念ズ↠之ヲ。後月余ニ小児念テ↠仏ヲ求ル↠銭ヲ者衆シ。康乃チ云ヘリ、念仏十声セバ乃与ン↢爾ニ銭ヲ↡。小児従↠之ニ如スルコト↠此ノ一年スルニ、無ク↢長少・貴賎ト↡、凡ソ見ル↠康ヲ者ハ則称↢阿弥陀仏ヲ↡。以↠故ヲ念仏之人盈テリ↢於道路ニ↡。
後に康烏龍山において浄土の道場を建つ、 壇を築くこと三級、 人を聚めて午夜に行道す。 康座に升りて、 人をして西に面はしめて、 康まづ阿弥陀仏を唱ふ、 次に衆人これに和す。 康唱ふる時、 衆一仏のその口より出づるを見る、 しきりに十声を唱ふれば、 すなはち十仏ありて聯珠の状のごとし。
後ニ康於↢烏0226龍山ニ↡建↢浄土道場ヲ↡、築クコト↠壇ヲ三級、聚テ↠人ヲ午夜ニ行道ス。康升テ↠座ニ、令メテ↢人シテ面ハ↟西ニ、康先唱↢阿弥陀仏ヲ↡、次ニ衆人和ス↢之ニ。康唱ル時、衆見↧一仏ノ従リ↢其口↡出、連ニ唱レバ↢十声ヲ↡、則有↢十仏↡若↢聯珠ノ状ノ。
康いはく、 なんぢ仏を見るやいなや。 もし仏を見るものは決して浄土に生ずと、 その礼仏の人数千なり、 またつひに見ざるものあり。 後に衆人に嘱ぐ。 まさに安養において増進の心を起すべし、 閻浮提において厭離の心を生ずべしと。 またいはく、 なんぢらこの時によく光明を見るは、 まことのわが弟子なりと。 つひに異光数道を放ちて亡ず」 と。
康云、汝見ヤ↠仏否ヤ。如シ見ル↠仏者ハ決テ生ズ↢浄土ニ↡、其ノ礼仏ノ人数千ナリ、亦有↢竟ニ不↠見者↡。後嘱グ↢衆人ニ↡。当 ベ ニシ↧於↢安養↡起↢増進ノ心ヲ↡、於↢閻浮提ニ↡生ズ↦厭離ノ心ヲ↥。又云、汝等此時ニ能ク見ハ↢光明ヲ↡、真ノ我弟子ナリ。遂ニ放↢異光数道ヲ↡而亡ズ。」
当初空上人 | もろもろの殿のなかより |
浄土の | 五祖の高妙の徳を類聚す |
いま板印に写し雕んで | 世間に弘通す |
流を酌みて源を討ぬるもの | たれかこれを慕玩せざらん |
当初空上人 | 従↢諸殿之中↡ |
類↢聚ス於浄土 | 五祖高妙ノ徳ヲ↡ |
今写↢雕ンデ板印ニ↡ | 弘↢通ス於世間↡ |
酌テ↠流ヲ討ヌル↠源者 | 誰不ラン↣慕↢玩セ此ヲ↡ ▽ |
錫 底本では「食+易」