1337◎唯1083信鈔
*安居院法印*聖覚作
【1】 ◎^それ生死をはなれ仏道をならんとおもはんに、 二つのみちあるべし。 一つには↓聖道門、 二つには↓浄土門なり。
^↑聖道門といふは、 この娑婆世界にありて、 行をたて功をつみて、 今生に証サトリをとらヲヒラクナリんとはげむなり。 いはゆる*真言をおこなふともがらは、 即身に大覚ダイニチの位にニヨライトナルナリのぼらんとおもひ、 *法華をつとむるたぐひは、 今生に*六根の証をえんとねがふなり。 まことに教の本意しるべけれども、 末法にいたり*濁世におよびぬれば、 現身にさとりをうること、 億々の人のなかに一人もありがたし。
^これによりて、 今の世にこの門をつとむる人は、 即身のコノミニテ 証サトリにおいてヲヒラクナリ は、 みづから*退屈のシリゾキカヾマルこころをおこして、 あるいははるかに慈尊ミロク仏ナリ(*弥勒) の下生トソチヨリを期して、 チウテンヂクニクダリ*五十タマフナリ 六億七千万歳タウドノニシニアルクニナリのあかつきの空をのぞみ、 あるいはとほく後仏の出世ノチノチノホトケノヨニをまちてイデタマフヲイフ、 多生オホクタビタビムマル 曠劫、ハルカナルヨヲキハマリナシ 流転生死ナガレウツリムマレシヌルナリの夜の雲にまどへり。
^あるいはわづかに*霊山・リヤウジユセンハシヤカノマシマストコロナリ *補陀落のクワンオムノジヤウドナリ霊地1338をスグレテヨキねがひトコロトイフ、 あるいはふたたび天カミ上サムガ・イテンナリ 人間のヒトヽムマルヽヲイフ 小報をチヰサキクワホのぞむ1084。ウトイフコトナリ*結縁まことにたふとむべけれども、 速証トクサトリすでにヲヒラクトイフむなしきに似たり。 ねがふところなほこれ三界のうち、 のぞむところまた輪廻のメグリメグル報なり。 なにのゆゑか、 *そこばくの*行業・慧解サトリサをトルめぐらしてこの小報をのぞまんや。 まことにこれ大聖シヤカニヨライナリ(*釈尊) を去ることとほきにより、 理ふかく、ホフモンハフカシトイさとりフコトナリ すくなきがいたすところか。
【2】 ^二つに↑浄土門といふは、 今生の行業を回向して、 *順次生コノツギニムマレにムトナリ浄土に生れて、 浄土にして菩薩の行を具足して仏に成らんと願ずるなり。 この門は末代の機にかなへり。 まことにたくみなりとす。 ただし、 この門にまた二つのすぢわかれたり。 一つには↓諸行往生、 二つには↓念仏往生なり。
【3】 ^↑諸行往生といふは、 あるいは父母に孝養し、 あるいは師長に奉事し、ツカヘタテマツルナリあるいは五戒・八戒をたもち、 あるいは布施・ヒトニモノヲトラスルヲイフ 忍辱をシノビハヅル行ヲイフじ、 乃至マダモノヲイハムトオモフトキイフコトバナリ 三密・シンゴンナリ*一乗の行ホフクヱキヤウナリ をめぐらして、 浄土に往生せんとねがふなり。 これみな往生をとげざるにあらず。 一切の行はみなこれ浄土の行なるがゆゑに。
^ただこれはみづからの行をはげみて往生をねがふがゆゑに、 自力の往生となづく。 行業もし*おろそかならば、 往生とげがたし。 かの阿弥陀仏の本願にあらず。 摂取の光明のワアミダニヨライ照らさ1339ざるところなり。
【4】 ^二つに↑念仏往生といふは、 阿弥陀の名号をとなへて往生をねがふなり。 これはかの仏の本願に順ずるシタガフトナリ1085がゆゑに、 正定の業となづく。 ひとへに弥陀の願力にひかるるがゆゑに、 他力の往生となづく。
^▼そもそも、 名号をとなふるは、 なにのゆゑにかの仏の本願にかなふとはいふぞといふに、 そのことのおこりは、 阿弥陀如来いまだ仏に成りたまはざりしむかし、 法蔵比丘と申しき。 そのときに仏ましましき。 世自在王仏と申しき。
^法蔵比丘すでに菩提心をおこして、 *清浄の国土をしめて衆生を利益せんと*おぼして、 仏のみもとへまゐりて申したまはく、 「われすでに菩提心をおこして清浄の仏国をまうけんとおもふ。 願はくは仏、 わがためにひろく仏国を荘厳する無量の妙行ををしへたまへ」 と。 そのときに世自在王仏、 二百一十億の諸仏の浄土の人天の善悪、 国土の粗アラシ妙をことごとくこれを説き、 ことごとくこれを現じたまひき。
^法蔵比丘これをきき、 これをみて、 悪をえらびて善をとり、 粗をすてアラクワルキナリて妙をタエニヨキコトねがふ。 たとへば三悪道ある国土をば、 これをえらびてとらず、 三悪道なき世界をば、 これをねがひてすなはちとる。 自余ノコリノのグワ願もンヲエラこれにビトルコトカなずらへてクノゴトシトイフコトバナリこころを得1340べし。 このゆゑに、 二百一十億の諸仏の浄土のなかより、 すぐれたることをえらびとりて極楽世界を建立しツクリタツルトイフたまへり。
^たとへば柳の枝に桜のはなを咲かせ、 *二見の浦に*清見が関をならべたらんがごとし。 これを1086えらぶこと一期の*案にあらず、 *五劫のあひだ思惟したまへり。
^かくのごとく微妙厳浄のヨクヨキカザリキヨキトナリ国土をまうけんと願じて、 かさねて思惟したまはく、 国土をまうくることは衆生をみちびかんがためなり。 国土妙なりといふとも、 衆生生れがたくは、 大悲大願の意趣にコヽロノオモムキたがひなんとす。
^これによりて往生極楽の別因をベチノタネ 定めんとするに、 一切の行みなたやすからず。 孝養父母をとらんとすれば、 不孝のものは生るべからず。 読誦大乗キヤウヲヨムヲイフをナリもちゐんとすれば、 文句をしらざるものはのぞみがたし。 布施・ヒトニモノヲトラセ持戒を因と定めんとすれば、 慳ヲシム貪・ムサボル破戒のともがらはもれなんとす。 忍辱・シノブルコヽロナリ 精進をモハラスヽム 業ナリとワイせんとすれば、 瞋オモノイカリ 恚・コヽロノイカリ 懈怠のオコタルコヽロナリたぐひはすてられぬべし。 余の一切の行、 みなまたかくのごとし。
^これによりて一切の善悪の凡夫ひとしく生れ、 ともにねがはしめんがために、 ただ阿弥陀の三字の名号をとなへんを往生極楽の別因とベチノタネ せんと、 ^五劫のあひだふかくこのことを思惟しをはりて、 まづ第十七に諸仏にわが名字を称揚トナヘラレ1341せられんホメラレムトイフといふ願をおこしたまへり。 この願ふかくこれをこころうべし。 名号をもつてあまねく衆生をみちびかんとおぼしめすゆゑに、 *かつがつ名号をほめられんと誓ひたまへるなり。 しからずは、 仏の御こころに名誉をホメラルヽナリねがふべからず。 諸仏にほめられてなにの要かあらん。
^1087「▲如来尊号甚分明 | 十方世界普流行 |
但有称名皆得往 | 観音勢至自来迎」 (*五会法事讃) |
といへる、 このこころか。
^さてつぎに、 第十八に念仏往生の願をおこして、 十念のものをもみちびかんとのたまへり。 まことにつらつらこれをおもふに、 この願はなはだ弘深なり。ヒロクフカシトナリ名号はわづかに三字なれば、 *盤特がホトケノミデシともがらナリグチノヒトナリキなりともたもちやすく、 これをとなふるに、 行アルク住タヽル座ヰル臥フスをえらばず、 時トキ処トコロ諸縁をヨロヅノコトナリきらはず、 在家オトコオムナ出ソウ 家アマ、 若男ワカキオトコ若女、ワカキオムナ 老オイタル少、オサナキ 善悪の人をもわかず、 なに人かこれにもれん。
^「▲彼仏因中立弘誓 | 聞名念我総迎来 |
不簡貧窮将富貴 | 不簡下智与高才 |
不簡多聞持浄戒 | 不簡破戒罪根深 |
1342但使回心多念仏 | 能令瓦礫変成金」 (五会法事讃) |
このこころか。 ^これを念仏往生とす。
【5】 ^*龍樹菩薩の ¬*十住毘婆沙論¼ のなかに、 「^▲仏道を行ずるに難行道・易行道あり。 ◆難行道といふは、 陸路を*かちよりゆかんがごとし。 ◆易行道といふは、 海路に順風を得たるがごとし。 難行道といふは、 五1088濁世にありて不退の位にかなはんとおもふなり。 易行道といふは、 ただ仏を信ずる因縁 ˆをもつてˇ のゆゑに浄土に往生するなり」 といへり。 ^難行道といふは聖道門なり、 易行道といふは浄土門なり。
^わたくしにいはく、 浄土門に入りて諸行往生をつとむる人は、 海路にウミノミチ ふねに乗りながら順風を得ず、 櫓をおし、 ちからをいれて潮路をさかのぼり、 なみまをわくるにたとふべきか。
【6】 ^つぎに念仏往生の門につきて、 ↓専修・↓雑修の二行わかれたり。
^↑専修といふは、 極楽をねがふこころをおこし、 本願をたのむ信をおこすより、 ただ念仏の一行をつとめてまつたく余行をまじへざるなり。 他の経・呪をもダラニナリ たもたず、 余の仏・菩薩をも念ぜず、 ただ弥陀の名号をとなへ、 ひとへに弥陀一仏を念ずる、 これを専修となづく。
^↑雑修といふは、 念仏をむねとすといへども、 また余1343の行をもならべ、 他の善をもかねたるなり。
^この二つのなかには、 専修をすぐれたりとす。 そのゆゑは、 すでにひとへに極楽をねがふ。 かの土の教主 (阿弥陀仏) を念ぜんほか、 なにのゆゑか他事をまじへん。 電光イナビカリ朝露のアシタノツユ いのち、 芭蕉クサノナヽリ泡沫のミヅノアワ 身、 わづかに一世の勤修をもちて、 たちまちに五趣の古郷フル サト をはなれんとす。 あにゆるく諸行をかねんや。 諸仏・菩薩の結縁は、 ▲随心コヽロニ供仏シタガヒのあしたテホトケハクヤウを期ストイフすべし、 *大小経典の義理は、ホフモンノサタヲスルヲイフ 百法明門ヨロヅノホフトイフ のゆふべ1089をまつべし。 一土をゴクラクナリねがひ一仏をアミダホトケ念ナリずるほかは、 その用あるべからずといふなり。
^念仏の門に入りながら、 なほ余行をかねたる人は、 そのこころをたづぬるに、 おのおの本業をモトセシコト執しヲイフナリてすてがたくおもふなり。 あるいは一乗をホフクヱキヤウナリたもち三密をシンゴンシユ行ナリ ずる人、 おのおのその行を回向して浄土をねがはんとおもふこころをあらためず、 念仏にならべてこれをつとむるに、 なにの*とがかあらんとおもふなり。 ただちに本願に順シタガフぜる易行の念仏をつとめずして、 なほ*本願にえらばれし諸行をならべんことのよしなきなり。
^これによりて善導和尚ののたまはく (*礼讃) 、 「▲専を捨てて雑におもむくものは、 千のなかに一人も生れず。 ▲もし専修のものは、 百に百ながら生れ、 千に千ながら生る」 (意) といへり。
^1344「▲極楽無為涅槃界 | 随縁雑善恐難生 |
故使如来選要法 | 教念弥陀専復専」 (*法事讃・下) |
といへり。 ^*随縁の雑善ときらへるは、 本業を執するこころなり。
^たとへばみやづかへをせんに、 主君にちかづき、 これをたのみてひとすぢに忠節を尽すべきに、 まさしき主君に親しみながら、 かねてまた疎くとほき人にこころざしを尽して、 この人、 主君にあひてよきさまにいはんことを求めんがごとし。 ただちに1090つかへたらんと、 勝マサル劣オトルあらはにしりぬべし。 二心あると一心なると、 天地はるかにことなるべし。
【7】 ^これにつきて人疑をなさ*く、 「たとへば人ありて、 念仏の行をたてて毎日に一万遍をとなへて、 そのほかは終日にあそびくらし、 よもすがらねぶりをらんと、 またおなじく一万を申して、 そののち経をもよみ余仏をも念ぜんと、 いづれかすぐれたるべき。 ¬*法華¼ に ª即往↢安楽↡ºスナワチアンラクニユクト の文あり。 これをよまんに、 あそびたはぶれにおなじからんや。 ¬*薬師¼ には八菩薩の*引導あり。 これを念ぜんは、 むなしくねぶらんに似るべからず。 かれを専修とほめ、 これを雑修ときらはんこと、 いまだそのこころをえず」 と。
^1345いままたこれを案ずるに、 なほ専修をすぐれたりとす。 そのゆゑは、 もとより濁世の凡夫なり、 ことにふれてさはりおほし。 弥陀これを*かがみて易行の道ををしへたまへり。 終日にあそびたはぶるるは、 *散乱増コヽロノチリのものミダルトイフなり。 よもすがらねぶるは、 *睡眠増ネブルトイフのものなり。 これみな煩悩の所為なり。 たちがたく伏しシタガフルナリがたし。 あそびやまば念仏をとなへ、 ねぶりさめば本願をおもひいづべし。 専修の行にそむかず。
^一万遍をとなへて、 そののちに他経・コトヨノホトケ他仏をコトホトケヲ持念タモチオモフせんは、 *うちきくところたくみなれども、 念仏たれか一万遍にかぎれと定めし。 精進のコノミスヽム 機ならば、 終日にとなふ1091べし。 念珠ズヾナリをとらば、 弥陀の名号をとなふべし。 本尊にむかはば、 弥陀の形像にむかふべし。 ただちに弥陀の来迎をまつべし。 なにのゆゑか八菩薩の示路をミチシルベナリまたん。 もつぱら本願の引導をたのむべし。 わづらはしく*一乗の功能を*かるべからず。
^行者の*根性に上・中・下あり。 上根のものは、 よもすがら、 ひぐらし念仏を申すべし。 なにのいとまにか余仏を念ぜん。 ふかくこれをおもふべし、 みだりがはしく疑ふべからず。
【8】 ^つぎに念仏を申さんには、 三心を具すべし。 ただ名号をとなふることは、 たれの人か一念・十念の功をそなへざる。 しかはあれども、 往生するもの1346はきはめてまれなり。 これすなはち三心を具せざるによりてなり。
^¬*観無量寿経¼ にいはく、 「▲具三心者ミツノコヽロヲグスルモノ必生彼国」カナラズカノゴクラクといへり。ニムマルトイフナリ 善導の釈 (礼讃) にいはく、 「▲具此コノミツノコ三心ヽロヲグスレバ 必得往生也カナラズムマルヽナリ 若少一心モシシンジムカケヌレバ 即不得生」スナワチムマレズトイフとナリいへり。 三心のなかに一心かけぬれば、 生るることを得ずといふ。 世のなかに弥陀の名号をとなふる人おほけれども、 往生する人のかたきは、 この三心を具せざるゆゑなりとこころうべし。
【9】 ^その三心といふは、 一つには至誠心、 これすなはち真実のこころなり。 おほよそ仏道に入るには、 まづまことのこころをおこすべし。 そのこころまことならずは、 そのみちすすみがたし。 阿弥陀仏の、 むかし菩薩の行をたて1092、 浄土をまうけたまひしも、 ひとへにまことのこころをおこしたまひき。 これによりてかの国に生れんとおもはんも、 またまことのこころをおこすべし。
^その真実心といふは、 不真実のこころをすて、 真実のこころをあらはすべし。 まことにふかく浄土をねがふこころなきを、 人にあうてはふかくねがふよしをいひ、 内心にはふかく今生の名利に着しクルワサルながら、 外相にはウエノフルマイ *世をいとふよしをもてなし、 外には善心あり、 たふときよしをあらはして、 内には不善のこころもあり1347、 放逸のホシキマヽニこころフルマウトイもフナリあるオモフなりサマナリ。 これを虚仮のこころとなづけて、 真実心にたがへる相とす。 これをひるがへして真実心をばこころえつべし。
^このこころをあしくこころえたる人は、 よろづのことありのままならずは、 虚仮になりなんずとて、 身にとりてはばかるべく、 *恥がましきことをも人にあらはししらせて、 かへりて放逸無慚ハヂナシのとがをまねかんとす。
^いま真実心といふは、 浄土をもとめ穢土をいとひ、 仏の願を信ずること、 真実のこころにてあるべしとなり。 かならずしも、 恥をあらはにし、 とがを示せとにはあらず。 ことにより、 をりにしたがひてふかく▼斟酌すハカラフコヽロナリべし。 *善導の釈 (*散善義) にいはく、 「▲不↠得↣外現↢賢善精進之相↡内懐1093↢虚仮↡」 といへり。
【10】^二つに深心といふは、 信心なり。 まづ信心の相をしるべし。 信心といふは、 ふかく人のことばをたのみて疑はざるなり。
^たとへばわがためにいかにもはらぐろかるまじく、 ふかくたのみたる人の、 まのあたりよくよくみたらんところををしへんに、 「そのところにはやまあり、 かしこにはかはあり」 といひたらんをふかくたのみて、 そのことばを信じてんのち、 また人ありて、 「それはひがごとなり、 やまなしかはなし」 といふとも、 いかにもそらごとすまじき人1348のいひてしことなれば、 のちに百千人のいはんことをばもちゐず、 もとききしことをふかくたのむ、 これを信心といふなり。 いま釈迦の所説を信じ、 弥陀の誓願を信じてふたごころなきこと、 またかくのごとくなるべし。
^いまこの信心につきて二つあり。 ▲一つには、 わが身は罪悪生死の凡夫、 曠劫よりこのかた、 つねに沈みつねに流転して、ロクダウニマドフヲイフ 出離の縁ヱドヲイデハナルヽあるトイフ ことなしと信ず。 ▲二つには、 決定してふかく、 阿弥陀仏の四十八願、 衆生を摂取したまふことを疑はざれば、 かの願力に乗りて、 さだめて往生することを得と信ずるなり。
^世の人つねにいはく、 「仏の願を信ぜざるにはあらざれども、 わが身のほどをはからふに、 罪障のつもれることはおほく、 善心のおこることはすくなし。 こころつね1094に散乱して一心をうることかたし。 身*とこしなへに懈怠にして精進なることなし。 仏の願ふかしといふとも、 いかでかこの身をむかへたまはん」 と。
^このおもひまことにかしこきに似たり、 憍慢をおこさず高貢のオゴルコヽロナリこころなし。 しかはあれども、 仏の不思議力を疑ふとがあり。 ▼仏いかばかりのちからましますとしりてか、 罪悪の身なればすくはれがたしとおもふべき。 五逆の罪人すら、 なほ十念のゆゑにふかく刹那のあひだに往生をとぐ。 いはんや罪五1349逆にいたらず、 功十念にすぎたらんをや。
^罪ふかくはいよいよ極楽をねがふべし。 「▲不簡破戒カイヲヤブリタルヒト罪根深」ツミフカキヒト (五会法事ミナムマルトイフ讃) といへり。 善すくなくはますます弥陀を念ずべし。 「▲三念五念仏来迎」 (法事讃・下) とのべたり。 むなしく身を卑下し、ワガミヲイヤシこころフオモフ を怯ヨハ弱クオモにフ して、 仏智不思議を疑ふことなかれ。
^たとへば人ありて、 高き岸の下にありてのぼることあたはざらんに、 ちから強き人、 岸のうへにありて綱をおろして、 この綱にとりつかせて、 「われ岸のうへにひきのぼせん」 といはんに、 ひく人のちからを疑ひ、 綱の弱からんことをあやぶみて、 手ををさめてこれをとらずは、 *さらに岸のうへにのぼること得べからず。 ひとへにそのことばにしたがうて、 *たなごころをのべてこれをとらんには、 すなはちのぼることを得べし。
^仏力を疑1095ひ、 願力をたのまざる人は、 菩提の岸にのぼることかたし。 ただ信心の手をのべて誓願の綱をとるべし。 ^▼仏力無窮なり、 罪障深重の身をおもしとせず。 仏智無辺なり、 散乱放逸のホシキマヽ ものをもすつることなし。 信心を要とす、 そのほかをばかへりみざるなり。
^信心決定しぬれば、 三心おのづからそなはる。 本願を信ずることまことなれば、 虚仮のムナシクカザルナリこころなし。 浄土まつこと疑なければ、 回向のおもひあり。 このゆゑに三心1350ことなるに似たれども、 みな信心にそなはれるなり。
【11】^三つには回向発願心といふは、 名のなかにその義きこえたり。 くはしくこれをのぶべからず。 過スギ現三業タルカタニシの善根タルゼントイをめぐらしマツトムルゼントイフてナリ、 極楽に生れんと願ずるなり。
【12】^つぎに本願の文にいはく、 「▲乃至十念 若不生者 不取正覚」 (*大経・上) といへり。
^いまこの十念といふにつきて、 人疑をなしていはく、 「¬法華¼ の ª一念随喜º といふは、 ふかく▼*非権非実の理に達するなり。 いま十念といへるも、 なにのゆゑか十返の名号とこころえん」 と。
^この疑を釈せば、 ¬観無量寿経¼ の*下品下生の人の相を説くにいはく、 「▲五逆・十悪をつくり、 もろもろの不善を具せるもの、 ▲臨終のときにいたりて、 はじめて善知識のすすめによりて、 ▲わづかに十返の名号をとなへて、 ▲すなはち浄土に生る」 といへり。 これさらに1096しづかに観じ、 ふかく念ずるにあらず、 ただ口に名号を称するなり。
^「▲汝若不能念」 (観経) といへり。 これふかくおもはざるむねをあらはすなり。
^「▲応称無量寿仏」 (観経) と説けり。 ただ*あさく仏号をとなふべしとすすむるなり。
^「▲具足十念 称南無無量寿仏 称仏名故 於念々中ネムネムノナカニ 除八十億劫トハチジフハチコフノ 生死之罪」ツミヲケストイフナリ (観経) といへり。
^十念といへるは、 ただ称名の十返なり1351。 本願の文これになずらへてしりぬべし。
^善導和尚はふかくこのむねをさとりて、 本願の文をのべたまふに、 「▲若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」 (礼讃) といへり。 十声といへるは、 口称の義をあらはさんとなり。
【13】^一 つぎにまた人のいはく、 「臨終の念仏は功徳はなはだふかし。 十念に五逆を滅するは、 臨終の念仏のちからなり。 尋常のツネノトキナリ念仏は、 このちからありがたし」 といへり。
^これを案ずるに、 臨終の念仏は功徳ことにすぐれたり。 ただしそのこころを得べし。
^もし人いのちをはらんとするときは、 百苦ヨロヅノク身にルシミ あつまり、 正念みだれやすし。 かのとき仏を念ぜんこと、 なにのゆゑかすぐれたる功徳あるべきや。 これをおもふに、 病おもく、 いのちせまりて、 身にあやぶみあるときには、 信心おのづからおこりやすきなり。
^まのあたり世の人のならひをみるに、 その身*おだしき1097ときは、 医師をも*陰陽師をも信ずることなけれども、 病おもくなりぬれば、 これを信じて、 「この治方をせば病いえなん」 といへば、 まことにいえなんずるやうにおもひて、 口ににがき味はひをもなめ、 身にいたはしき療1352治をもくはふ。 「もしこのまつりしたらば、 いのちはのびなん」 といへば、 たからをも惜しまず、 ちからを尽して、 これをまつりこれをいのる。
^これすなはちいのちを惜しむこころふかきによりて、 これをのべんといへば、 ふかく信ずるこころあり。 臨終の念仏、 これになずらへてこころえつべし。
^いのち一刹那にせまりて存ぜんことあるべからずとおもふには、 後生のくるしみたちまちにあらはれ、 あるいは*火車相ヒノクルマノ現じ、カタチアラハルあるいは*鬼率オニゴクまなこソチナリ に*さいぎる。 いかにしてか、 このくるしみをまぬかれ、 おそれをはなれんとおもふに、 善知識のをしへによりて十念の往生をきくに、 深重のフカクオモキ 信心たちまちにおこり、 これを疑ふこころなきなり。
^これすなはちくるしみをいとふこころふかく、 たのしみをねがふこころ切なるがゆゑに、 極楽に往生すべしときくに、 信心たちまちに発するなり。 いのちのぶべしといふをききて、 医師・陰陽師を信ずるがごとし。
^もしこのこころならば、 最後の刹那にいたらずとも、 信心決定しなば、 一称一念の功徳、 みな臨終の念仏にひとしかる1098べし。
【14】^二 またつぎに世のなかの人のいはく、 「たとひ弥陀の願力をたのみて極楽に往生せんとおもへども、 先世の罪業しりがたし、 いかでかたやすく生る1353べきや。 *業障にしなじなあり。 順後業といふは、 かならずその業をつくりたる生ならねども、 *後後生ノチノチノシヤにもウトイフ果報をひくなり。 されば今生に人界の生をうけたりといふとも、 悪道の業を身にそなへたらんことをしらず、 かの*業がつよくして悪趣の生をひかば、 浄土に生るることかたからんか」 と。
^この義まことにしかるべしといふとも、 疑網ウタガフたちコヽロヲがたくアミニタトフしてルナリ 、 みづから妄見ミダリノをオモヒナリおこすなり。 おほよそ▲業ははかりのごとし、 おもきものまづ牽く。 もしわが身にそなへたらん悪趣の業ちからつよくは、 人界の生をうけずしてまづ悪道におつべきなり。 すでに人界の生をうけたるにてしりぬ、 たとひ悪趣の業を身にそなへたりとも、 その業は人界の生をうけし五戒よりは、 ちからよわしといふことを。
^もししからば、 *五戒をだにもなほさへず。 いはんや十念の功徳をや。 五戒は有漏の業なり、 念仏は無漏の功徳なり。 五戒は仏の願のたすけなし、 念仏は弥陀の本願のみちびくところなり。 念仏の功徳はなほし十善にもすぐれ、 すべて三界の一切の1099善根にもまされり。 いはんや五戒の小善をや。 五戒をだにもさへざる悪業なり、 往生のさはりとなることあるべからず。
【15】^三 つぎにまた人のいはく、 「五逆の罪人、 十念によりて往生すといふは1354、 宿善ムカシノゼにントよるイフ なり。 われら宿善をそなへたらんことかたし。 いかでか往生することを得んや」 と。
^これまた*痴闇にグチノヤミニまどへマドヘルナリるゆゑに、 いたづらにこの疑をなす。 そのゆゑは、 宿善のあつきものは、 今生にも善根を修し悪業をおそる。 宿善すくなきものは、 今生に悪業をこのみ善根をつくらず。 宿業の善悪は、 今生のありさまにてあきらかにしりぬべし。 しかるに善心なし。 はかりしりぬ、 宿善すくなしといふことを。
^われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず、 宿善すくなしといへどもふかく本願を信ぜり。 *逆者の十念すら宿善によるなり。 いはんや尽形イノチツクの称念ルマデトイフ むしろ宿善によらざらんや。 なにのゆゑにか逆者の十念をば宿善とおもひ、 われらが一生の称念をば宿善あさしとおもふべきや。 小智はニジヨウノチヱ菩提トイフ のさまたげといへる、 まことにこのたぐひか。
【16】^四 つぎに念仏を信ずる人のいはく、 「往生浄土のみちは、 信心をさきとす。 信心1100決定しぬるには、 あながちに称念を要とせず。 ¬経¼ (大経・下) にすでに ª▲乃至一念º と説けり。 このゆゑに一念にてたれりとす。 遍数をかさねんとするは、 かへりて仏の願を信ぜざるなり。 念仏を信ぜざる人とておほきに1355あざけりふかくそしる」 と。
^まづ専修念仏というて、 もろもろの大乗の修行をすてて、 つぎに一念の義をたてて、 みづから念仏の行をやめつ。 まことにこれ魔界たよりを得て、 末世の衆生をたぶろかすなり。
^この説ともに得失あり。 *往生の業、 一念にたれりといふは、 その理まことにしかるべしといふとも、 遍数をかさぬるは不信なりといふ、 すこぶるそのことばすぎたりとす。
^一念をすくなしとおもひて、 遍数をかさねずは往生しがたしとおもはば、 まことに不信なりといふべし。 往生の業は一念にたれりといへども、 いたづらにあかし、 いたづらにくらすに、 いよいよ功をかさねんこと要にあらずやとおもうて、 これをとなへば、 終日にとなへ、 よもすがらとなふとも、 いよいよ功徳をそへ、 ますます業因決定すべし。
^善導和尚は、 「▲ちからの尽きざるほどはつねに称念す」 といへり。 これを不信の人とやはせん。 ひとへにこれをあざけるも、 またしかるべからず。
^一念といへるは、 すでに ¬経¼ (大経・下) の文なり。 これを信ぜずは、 仏語を信ぜざるなり。
^このゆゑに、 一念決定しぬと1101信じて、 しかも一生おこたりなく申すべきなり。 これ*正義とすべし。 ^念仏の要義おほしといへども、 略してのぶる1356ことかくのごとし。
【17】^これをみん人、 さだめてあざけりをなさんか。 しかれども、 ▼信謗ともに因として、 みなまさに浄土に生るべし。 今生ゆめのうちのちぎりをしるべとして、 来世さとりのまへの縁をむすばんとなり。 われおくれば人にみちびかれ、 われさきだたば人をみちびかん。 生々に善友とヨキトモトイフなりてたがひに仏道を修せしめ、 世々に知識としてともに迷執をマドフコヽロナリたたん。
^*本師釈迦尊 | 悲母弥陀仏 |
左辺観世音 | 右辺大勢至 |
清浄大海衆 | 法界三宝海 |
証明一心念 | 哀愍共聴許 |
*草本にいはく
*承久三歳仲秋中旬第四日、 安居院の法印聖覚の作。
*寛喜二歳仲夏下旬第五日かの草本真筆をもつて愚禿釈*親鸞これを書写す。
底本は高田派専修寺蔵親鸞聖人真筆本(信証本)。
真言 ここでは
真言宗の教えのこと。 真言宗では即身成仏を唱え、 父母より生れた肉体のままでただちに仏果 (仏のさとり) を証すると説く。
六根の証 眼・耳・鼻・舌・身・意の六の感覚器官が浄化された六根清浄の境地にいたること。
補陀落 補陀落は梵語ポータラカ (
Potalaka) の音写。
光明山、
海鳥山、
小花樹山などと漢訳する。 インドの南海岸にあるとされる
観世音菩薩の住処。
行業慧解 修行することと、 智慧によって仏法を領解すること。
おろそかならば 不十分であるのなら。
おぼして お思いになって。
二見の浦 三重県度会郡二見町の夫婦岩のある海岸の名勝。
清見が関 平安時代、 駿河庵原郡 (現在の静岡市清水興津清見寺町) の地にあった関のことで、 北に富士山、 南に三保の松原を望むことができる名勝。
案 思案、 考え。
大小経典 大乗・小乗の経典。
本願にえらばれし ここでは本願においてえらびすてられたという意。
く 底本に 「て」 とあるのを改めた。
散乱増 心をかきみだす煩悩が強いこと。
睡眠増 意識がぼんやりして身心の反応がおこりにくい状態。 心の鈍重なこと。 煩悩の一。
一乗の功能 ここでは ¬法華経¼ の功徳、 すぐれたはたらき。
かるべからず たよってはならない。
世をいとふよしをもてなし この世を厭うようなふりをして。
放逸 「ほしきままにふるまふといふなり、 おもふさまなり」 (左訓)
恥がましきことをも 恥さらしなことまでも。
とこしなへに いつまでも変らず。
たなごころをのべて 手をのばして。
非権非実の理 方便 (権) と真実 (実) を差別する立場を超えた絶対真実の教えで、 中道とも実相ともいう。
あさく ¬真宗法要¼ 所収本には 「ふかく」 とある。
おだしきとき 健康で安らかな時。
さいぎる さえぎる。 よぎる。
後後生 先世からみて、 後の後の生、 つまり来世のこと。
業が 底本は 「業力」 とも読める。 業力は果報を引き起す力。
五戒をだにもなほさへず 五戒をすら妨げえない。
逆者 五逆罪をおかした人。
往生の業 浄土へ往き生れるための因となる行為。
本師釈迦尊… 「本師釈迦尊、 悲母弥陀仏、 左辺の観世音、 右辺の大勢至、 清浄なる大海衆、 法界の三宝海、 一心の念を証明して、 哀愍してともに聴許したまへ」
草本にいはく 「草本」 とは書写原本のこと。 原本にあった奥書をそのまま転写したことを示す。