1337ゆい1083しんしょう

*あんいん法印ほういん*聖覚せいかくさく

 

【1】 ^それしょうを​はなれ仏道ぶつどうを​なら​ん​と​おもは​ん​に、 ふたつ​の​みち​ある​べし。 ひとつ​にはしょうどうもんふたつ​にはじょうもんなり。

 ^しょうどうもんといふは、 このしゃかいに​ありて、 ぎょうを​たてこうを​つみ​て、 こんじょうしょうサトリを​とらヲヒラクナリん​と​はげむ​なり。 いはゆる*真言しんごんを​おこなふ​ともがら​は、 即身そくしん大覚だいかくダイニチくらいニヨライトナルナリのぼら​ん​と​おもひ、 *ほっを​つとむる​たぐひ​は、 こんじょう*六根ろっこんしょうを​え​ん​と​ねがふ​なり。 まことにきょうほんしる​べけれ​ども、 末法まっぽうに​いたり*じょくに​および​ぬれ​ば、 現身げんしんに​さとり​を​うる​こと、 億々おくおくひとの​なか​に一人いちにんも​ありがたし。

^これ​によりて、 いまに​このもんを​つとむるひとは、 即身そくしんコノミニテ しょうサトリにおいてヲヒラクナリ  は、 みづから*退屈たいくつシリゾキカヾマルこころ​を​おこし​て、 あるいは​はるかにそんミロク仏ナリ(*弥勒)しょうトソチヨリして、 チウテンヂクニクダリ*じゅうタマフナリ ろくおく七千しちせん万歳まんざいタウドノニシニアルクニナリの​あかつき​のそらを​のぞみ、 あるいは​とほくぶつしゅっノチノチノホトケノヨニを​まちてイデタマフヲイフしょうオホクタビタビムマル 曠劫こうごうハルカナルヨヲキハマリナシ てんしょうナガレウツリムマレシヌルナリよるくもに​まどへ​り。

^あるいは​わづかに*りょうぜんリヤウジユセンハシヤカノマシマストコロナリ *らくクワンオムノジヤウドナリれい1338スグレテヨキねがひトコロトイフ、 あるいは​ふたたびてんカミじょうサムガイテンナリ 人間にんげんヒトヽムマルヽヲイフ しょうほうチヰサキクワホのぞむ1084ウトイフコトナリ*結縁けちえんまことに​たふとむ​べけれ​ども、 そくしょうトクサトリすでにヲヒラクトイフむなしき​にたり。 ねがふ​ところ​なほ​これ三界さんがいの​うち、 のぞむ​ところ​またりんメグリメグルほうなり。 なにの​ゆゑ​か、 *そこばくの*ぎょうごう慧解えげサトリサトルめぐらし​て​このしょうほうを​のぞま​ん​や。 まことに​これだいしょうシヤカニヨライナリ(*釈尊)る​こと​とほき​に​より、 ふかく、ホフモンハフカシトイさとりフコトナリ すくなき​が​いたす​ところ​か。

【2】 ^ふたつ​にじょうもんといふは、 こんじょうぎょうごうこうし​て、 *じゅんしょうコノツギニムマレムトナリじょううまれ​て、 じょうにしてさつぎょうそくし​てぶつら​ん​とがんずる​なり。 このもん末代まつだいに​かなへ​り。 まことに​たくみなり​と​す。 ただし、 このもんに​またふたつ​の​すぢ​わかれ​たり。 ひとつ​にはしょぎょうおうじょうふたつ​には念仏ねんぶつおうじょうなり。

【3】 ^しょぎょうおうじょうといふは、 あるいは父母ぶもきょうようし、 あるいはちょう奉事ぶじし、ツカヘタテマツルナリあるいはかい八戒はっかいを​たもち、 あるいは布施ふせヒトニモノヲトラスルヲイフ 忍辱にんにくシノビハヅルぎょうヲイフじ、 ないマダモノヲイハムトオモフトキイフコトバナリ 三密さんみつシンゴンナリ*いちじょうぎょうホフクヱキヤウナリ を​めぐらし​て、 じょうおうじょうせん​と​ねがふ​なり。 これ​みなおうじょうを​とげ​ざる​に​あらず。 一切いっさいぎょうは​みな​これじょうぎょうなる​がゆゑに。

^ただ​これ​は​みづから​のぎょうを​はげみ​ておうじょうを​ねがふ​がゆゑに、 りきおうじょうと​なづく。 ぎょうごうもし*おろそかなら​ば、 おうじょうとげ​がたし。 かの弥陀みだぶつ本願ほんがんに​あらず。 摂取せっしゅこうみょうワアミダニヨライらさ1339ざる​ところ​なり。

【4】 ^ふたつ​に念仏ねんぶつおうじょうといふは、 弥陀みだみょうごうを​となへ​ておうじょうを​ねがふ​なり。 これ​は​かのぶつ本願ほんがんじゅんずるシタガフトナリ1085がゆゑに、 正定しょうじょうごうと​なづく。 ひとへに弥陀みだ願力がんりきに​ひかるる​がゆゑに、 りきおうじょうと​なづく。

^そもそも、 みょうごうを​となふる​は、 なにの​ゆゑに​かのぶつ本願ほんがんに​かなふ​と​は​いふ​ぞ​といふ​に、 その​こと​の​おこり​は、 弥陀みだ如来にょらいいまだぶつり​たまは​ざり​し​むかし、 法蔵ほうぞう比丘びくもうし​き。 その​とき​にぶつましまし​き。 ざいおうぶつもうし​き。

^法蔵ほうぞう比丘びくすでにだいしんを​おこし​て、 *清浄しょうじょうこくを​しめ​てしゅじょうやくせん​と*おぼし​て、 ぶつの​みもと​へ​まゐり​てもうし​たまはく、 「われ​すでにだいしんを​おこし​て清浄しょうじょう仏国ぶっこくを​まうけ​ん​と​おもふ。 ねがはくはぶつ、 わが​ため​に​ひろく仏国ぶっこくしょうごんするりょう妙行みょうぎょうを​をしへ​たまへ」 と。 その​とき​にざいおうぶつひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつじょう人天にんでん善悪ぜんあくこくアラシみょうを​ことごとく​これ​をき、 ことごとく​これ​をげんじ​たまひ​き。

 ^法蔵ほうぞう比丘びくこれ​を​きき、 これ​を​み​て、 あくを​えらび​てぜんを​とり、 を​すてアラクワルキナリみょうを​タエニヨキコトねがふ。 たとへばさん悪道まくどうあるこくをば、 これ​を​えらび​て​とら​ず、 さん悪道まくどうなきかいをば、 これ​を​ねがひ​て​すなはち​とる。 自余じよノコリノグワがんンヲエラこれ​にビトルコトカなずらへ​てクノゴトシトイフコトバナリこころ​を1340べし。 この​ゆゑに、 ひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつじょうの​なか​より、 すぐれ​たる​こと​を​えらび​とり​て極楽ごくらくかいこんりゅうツクリタツルトイフたまへ​り。

^たとへばやなぎえださくらの​はな​をか​せ、 *ふたうら*きよせきを​ならべ​たらん​が​ごとし。 これ​を1086えらぶ​こといち*あんに​あらず、 *こうの​あひだゆいし​たまへ​り。

^かくのごとくみょうごんじょうヨクヨキカザリキヨキトナリこくを​まうけ​ん​とがんじ​て、 かさねてゆいし​たまはく、 こくを​まうくる​こと​はしゅじょうを​みちびか​んがため​なり。 こくたえなり​といふ​とも、 しゅじょううまれ​がたく​は、 だい大願だいがんしゅコヽロノオモムキたがひ​な​んとす。

^これ​によりておうじょう極楽ごくらく別因べついんベチノタネ さだめ​んとする​に、 一切いっさいぎょうみな​たやすから​ず。 きょうよう父母ぶもを​とら​んとすれ​ば、 きょうの​もの​はうまる​べから​ず。 読誦どくじゅだいじょうキヤウヲヨムヲイフナリもちゐ​んとすれ​ば、 もんを​しら​ざる​もの​は​のぞみ​がたし。 布施ふせヒトニモノヲトラセかいいんさだめ​んとすれ​ば、 けんヲシムどんムサボルかいの​ともがら​は​もれ​な​んとす。 忍辱にんにくシノブルコヽロナリ しょうじんモハラスヽム ごうナリワイせ​んとすれ​ば、 しんオモノイカリ コヽロノイカリ だいオコタルコヽロナリたぐひ​は​すて​られ​ぬ​べし。 一切いっさいぎょう、 みな​また​かくのごとし。

 ^これ​によりて一切いっさい善悪ぜんあくぼんひとしくうまれ、 ともに​ねがは​しめ​んがため​に、 ただ弥陀みださんみょうごうを​となへ​ん​をおうじょう極楽ごくらく別因べついんベチノタネ せん​と、 ^こうの​あひだ​ふかく​この​こと​をゆいし​をはり​て、 まづだいじゅうしち諸仏しょぶつに​わがみょうしょうようトナヘラレ1341せ​られ​んホメラレムトイフといふがんをおこし​たまへ​り。 このがんふかく​これ​を​こころう​べし。 みょうごうをもつて​あまねくしゅじょうを​みちびか​ん​と​おぼしめす​ゆゑに、 *かつがつみょうごうを​ほめ​られ​ん​とちかひ​たまへ​る​なり。 しからずは、 ぶつおんこころ​にめいホメラルヽナリねがふ​べから​ず。 諸仏しょぶつに​ほめ​られ​て​なにのようか​あら​ん。

^1087如来にょらい尊号そんごうじんぶんみょう十方じっぽうかいぎょう
 たん称名しょうみょうかい得往とくおう観音かんのんせい来迎らいこう(*五会法事讃)

といへる、 この​こころ​か。

 ^さて​つぎ​に、 だいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうがんを​おこし​て、 じゅうねんの​もの​をも​みちびか​ん​と​のたまへ​り。 まことに​つらつら​これ​を​おもふ​に、 このがんはなはだじんなり。ヒロクフカシトナリみょうごうは​わづかにさんなれば、 *盤特はんどくホトケノミデシともがらナリグチノヒトナリキなりとも​たもち​やすく、 これ​を​となふる​に、 ぎょうアルクじゅうタヽルヰルフスを​えらば​ず、 トキしょトコロ諸縁しょえんヨロヅノコトナリきらは​ず、 ざいオトコオムナしゅっソウ アマにゃくなんワカキオトコにゃくにょワカキオムナ ろうオイタルしょうオサナキ 善悪ぜんあくひとをも​わか​ず、 なにびとか​これ​に​もれ​ん。

^ぶついんちゅうりゅうぜいもんみょうねんそう迎来こうらい
 けんびんしょう富貴ふきけん下智げち高才こうざい
 けんもんじょうかいけんかい罪根ざいこんじん
 1342たん使しん念仏ねんぶつのうりょうりゃくへんじょうこん(五会法事讃)

この​こころ​か。 ^これ​を念仏ねんぶつおうじょうと​す。

【5】 ^*りゅうじゅさつの ¬*十住じゅうじゅう毘婆びばしゃろん¼ の​なか​に、 「^仏道ぶつどうぎょうずる​になんぎょうどうぎょうどうあり。 なんぎょうどうといふは、 ろく*かち​より​ゆか​ん​が​ごとし。 ぎょうどうといふは、 かいじゅんぷうたる​が​ごとし。 なんぎょうどうといふは、 1088じょくに​ありて退たいくらいに​かなは​ん​と​おもふ​なり。 ぎょうどうといふは、 ただぶつしんずる因縁いんねん ˆをもつてˇ の​ゆゑにじょうおうじょうする​なり」 といへり。 ^なんぎょうどうといふはしょうどうもんなり、 ぎょうどうといふはじょうもんなり。

^わたくし​に​いはく、 じょうもんり​てしょぎょうおうじょうを​つとむるひとは、 かいウミノミチ ふね​にり​ながらじゅんぷうず、 を​おし、 ちから​を​いれ​てしおを​さかのぼり、 なみま​を​わくる​に​たとふ​べき​か。

【6】 ^つぎ​に念仏ねんぶつおうじょうもんにつき​て、 専修せんじゅ雑修ざっしゅぎょうわかれ​たり。

^専修せんじゅといふは、 極楽ごくらくを​ねがふ​こころ​を​おこし、 本願ほんがんを​たのむしんを​おこす​より、 ただ念仏ねんぶついちぎょうを​つとめ​て​まつたくぎょうを​まじへ​ざる​なり。 きょうしゅをもダラニナリ たもた​ず、 ぶつさつをもねんぜず、 ただ弥陀みだみょうごうを​となへ、 ひとへに弥陀みだ一仏いちぶつねんずる、 これ​を専修せんじゅと​なづく。

^雑修ざっしゅといふは、 念仏ねんぶつを​むね​と​す​と​いへども、 また1343ぎょうをもならべ、 ぜんをも​かね​たる​なり。

^このふたつ​の​なか​には、 専修せんじゅを​すぐれ​たり​と​す。 そのゆゑは、 すでに​ひとへに極楽ごくらくを​ねがふ。 かのきょうしゅ (阿弥陀仏)ねんぜ​ん​ほか、 なにの​ゆゑか他事たじを​まじへ​ん。 電光でんこうイナビカリちょうアシタノツユ いのち、 しょうクサノナヽリ泡沫ほうまつミヅノアワ 、 わづかにいっ勤修ごんしゅを​もち​て、 たちまちにしゅきょうフル サト を​はなれ​んとす。 あに​ゆるくしょぎょうを​かね​ん​や。 諸仏しょぶつさつ結縁けちえんは、 随心ずいしんコヽロニぶつシタガヒの​あしたテホトケハクヤウストイフす​べし、 *だいしょうきょうてん義理ぎりは、ホフモンノサタヲスルヲイフ ひゃっぽうみょうもんヨロヅノホフトイフ の​ゆふべ1089を​まつ​べし。 いちゴクラクナリねがひ一仏いちぶつアミダホトケねんナリずる​ほか​は、 そのようある​べから​ず​といふ​なり。

^念仏ねんぶつもんり​ながら、 なほぎょうを​かね​たるひとは、 その​こころ​を​たづぬる​に、 おのおの本業ほんごうモトセシコトしゅうヲイフナリて​すて​がたく​おもふ​なり。 あるいはいちじょうホフクヱキヤウナリたもち三密さんみつシンゴンシユぎょうナリ ずるひと、 おのおの​そのぎょうこうし​てじょうを​ねがは​ん​と​おもふ​こころ​を​あらため​ず、 念仏ねんぶつに​ならべ​て​これ​を​つとむる​に、 なにの*とが​か​あら​ん​と​おもふ​なり。 ただちに本願ほんがんじゅんシタガフぜるぎょう念仏ねんぶつを​つとめ​ず​して、 なほ*本願ほんがんに​えらば​れ​ししょぎょうを​ならべ​ん​こと​の​よし​なき​なり。

^これ​によりて善導ぜんどうしょうの​のたまはく (*礼讃) 、 「せんて​てぞうに​おもむく​もの​は、 せんの​なか​に一人いちにんうまれ​ず。 もし専修せんじゅの​もの​は、 ひゃくひゃくながらうまれ、 せんせんながらうまる」 (意) といへり。

^1344極楽ごくらく無為むいはんがい随縁ずいえん雑善ぞうぜんなんしょう
 故使こし如来にょらいせん要法ようぼうきょうねん弥陀みだせんせん(*法事讃・下)

といへり。 ^*随縁ずいえん雑善ぞうぜんと​きらへる​は、 本業ほんごうしゅうする​こころ​なり。

^たとへば​みやづかへ​を​せん​に、 主君しゅくんに​ちかづき、 これ​を​たのみ​て​ひとすぢにちゅうせつつくす​べき​に、 まさしき主君しゅくんしたしみ​ながら、 かねて​またうとく​とほきひとに​こころざし​をつくし​て、 このひと主君しゅくんに​あひ​て​よき​さま​に​いは​ん​こと​をもとめ​ん​が​ごとし。 ただちに1090つかへ​たら​ん​と、 しょうマサルれつオトルあらはに​しり​ぬ​べし。 しんある​と一心いっしんなる​と、 てんはるかに​ことなる​べし。

【7】 ^これ​につきてひとうたがいを​なさ*く、 「たとへばひとありて、 念仏ねんぶつぎょうを​たて​て毎日まいにち一万いちまんべんを​となへ​て、 その​ほか​は終日ひめもすに​あそび​くらし、 よもすがら​ねぶり​をら​ん​と、 また​おなじく一万いちまんもうし​て、 その​のちきょうをも​よみぶつをもねんぜ​ん​と、 いづれ​か​すぐれ​たる​べき。 ¬*ほっ¼ に ª即往そくおう安楽あんらく↡ºスナワチアンラクニユクトもんあり。 これ​を​よま​ん​に、 あそび​たはぶれ​に​おなじから​ん​や。 ¬*やく¼ にははちさつ*引導いんどうあり。 これ​をねんぜ​ん​は、 むなしく​ねぶら​ん​にる​べから​ず。 かれ​を専修せんじゅと​ほめ、 これ​を雑修ざっしゅと​きらは​ん​こと、 いまだ​その​こころ​を​え​ず」 と。

 ^1345いま​また​これ​をあんずる​に、 なほ専修せんじゅを​すぐれ​たり​と​す。 そのゆゑは、 もとよりじょくぼんなり、 こと​に​ふれ​て​さはり​おほし。 弥陀みだこれ​を*かがみてぎょうどうを​をしへ​たまへ​り。 終日ひめもすに​あそび​たはぶるる​は、 *散乱さんらんぞうコヽロノチリの​もの​ミダルトイフなり。 よもすがら​ねぶる​は、 *睡眠すいめんぞうネブルトイフの​もの​なり。 これ​みな煩悩ぼんのうしょなり。 たち​がたくぶくシタガフルナリがたし。 あそび​やま​ば念仏ねんぶつを​となへ、 ねぶり​さめ​ば本願ほんがんを​おもひ​いづ​べし。 専修せんじゅぎょうに​そむか​ず。

^一万いちまんべんを​となへ​て、 その​のち​にきょうコトヨノホトケぶつコトホトケヲねんタモチオモフせん​は、 *うちきく​ところ​たくみなれ​ども、 念仏ねんぶつたれ​か一万いちまんべんに​かぎれ​とさだめ​し。 しょうじんコノミスヽム ならば、 終日ひめもすに​となふ1091べし。 念珠ねんじゅズヾナリを​とら​ば、 弥陀みだみょうごうを​となふ​べし。 本尊ほんぞんに​むかは​ば、 弥陀みだぎょうぞうに​むかふ​べし。 ただちに弥陀みだ来迎らいこうを​まつ​べし。 なにの​ゆゑかはちさつ示路じろミチシルベナリまた​ん。 もつぱら本願ほんがん引導いんどうを​たのむ​べし。 わづらはしく*いちじょうのう*かる​べから​ず。

^ぎょうじゃ*こんじょうじょうちゅうあり。 じょうこんの​もの​は、 よもすがら、 ひぐらし念仏ねんぶつもうす​べし。 なにの​いとま​にかぶつねんぜ​ん。 ふかく​これ​を​おもふ​べし、 みだりがはしくうたがふべからず。

【8】 ^つぎ​に念仏ねんぶつもうさ​ん​には、 三心さんしんす​べし。 ただみょうごうを​となふる​こと​は、 たれ​のひと一念いちねんじゅうねんこうを​そなへ​ざる。 しかはあれども、 おうじょうする​もの1346は​きはめて​まれなり。 これ​すなはち三心さんしんせ​ざる​によりて​なり。

^¬*かんりょう寿じゅきょう¼ にいはく、 「三心さんしんしゃミツノコヽロヲグスルモノひっしょうこくカナラズカノゴクラクといへり。ニムマルトイフナリ 善導ぜんどうしゃく (礼讃) にいはく、 「コノミツノコ三心さんしんヽロヲグスレバ 必得ひっとくおうじょうカナラズムマルヽナリ  若少にゃくしょう一心いっしんモシシンジムカケヌレバ そくとくしょうスナワチムマレズトイフナリいへり。 三心さんしんの​なか​に一心いっしんかけ​ぬれ​ば、 うまるる​こと​をず​と​いふ。 の​なか​に弥陀みだみょうごうを​となふるひとおほけれ​ども、 おうじょうするひとの​かたき​は、 この三心さんしんせ​ざる​ゆゑなり​と​こころう​べし。

【9】 ^その三心さんしんといふは、 ひとつ​にはじょうしん、 これ​すなはち真実しんじつの​こころ​なり。 おほよそ仏道ぶつどうる​には、 まづ​まことの​こころ​を​おこす​べし。 その​こころ​まこと​ならず​は、 その​みち​すすみ​がたし。 弥陀みだぶつの、 むかしさつぎょうを​たて1092じょうを​まうけ​たまひ​し​も、 ひとへに​まこと​の​こころ​を​おこし​たまひ​き。 これ​によりて​かのくにうまれ​ん​と​おもは​ん​も、 また​まこと​の​こころ​を​おこす​べし。

^その真実しんじつしんといふは、 真実しんじつの​こころ​を​すて、 真実しんじつの​こころ​を​あらはす​べし。 まことに​ふかくじょうを​ねがふ​こころ​なき​を、 ひとに​あう​ては​ふかく​ねがふ​よし​を​いひ、 内心ないしんには​ふかくこんじょうみょうじゃくクルワサルながら、 そうにはウエノフルマイ *を​いとふ​よし​を​もてなし、 ほかには善心ぜんしんあり、 たふとき​よし​を​あらはし​て、 うちにはぜんの​こころ​も​あり1347放逸ほういつホシキマヽニこころフルマウトイフナリあるオモフなりサマナリ。 これ​を虚仮こけの​こころ​と​なづけ​て、 真実しんじつしんに​たがへるそうと​す。 これ​を​ひるがへし​て真実しんじつしんをば​こころえ​つ​べし。

^この​こころ​を​あしく​こころえ​たるひとは、 よろづ​の​こと​ありのまま​ならず​は、 虚仮こけに​なり​なんず​とて、 にとりて​はばかる​べく、 *はじがましき​こと​をもひとに​あらはし​しら​せ​て、 かへりて放逸ほういつざんハヂナシの​とが​を​まねか​んとす。

^いま真実しんじつしんといふは、 じょうを​もとめ穢土えどを​いとひ、 ぶつがんしんずる​こと、 真実しんじつの​こころ​にて​ある​べし​となり。 かならずしも、 はじを​あらはに​し、 とが​をしめせ​と​には​あらず。 こと​に​より、 をり​に​したがひ​て​ふかくしんしゃくハカラフコヽロナリべし*善導ぜんどうしゃく (*散善義) にいはく、 「とくげん賢善けんぜんしょうじんそうない1093虚仮こけ」 といへり。

【10】^ふたつ​に深心じんしんといふは、 信心しんじんなり。 まづ信心しんじんそうを​しる​べし。 信心しんじんといふは、 ふかくひとの​ことば​を​たのみ​てうたがは​ざる​なり。

^たとへば​わが​ため​に​いかにも​はらぐろかる​まじく、 ふかく​たのみ​たるひとの、 まのあたり​よくよく​み​たらん​ところ​を​をしへ​ん​に、 「その​ところ​には​やま​あり、 かしこ​には​かは​あり」 といひ​たらん​を​ふかく​たのみ​て、 その​ことば​をしんじ​てん​のち、 またひとありて、 「それ​は​ひがごと​なり、 やま​なし​かは​なし」 といふ​とも、 いかにも​そらごと​す​まじきひと1348の​いひ​て​し​こと​なれば、 のち​にひゃくせんにんの​いは​ん​こと​をば​もちゐ​ず、 もと​きき​し​こと​を​ふかく​たのむ、 これ​を信心しんじんといふ​なり。 いましゃ所説しょせつしんじ、 弥陀みだ誓願せいがんしんじ​て​ふたごころなき​こと、 また​かくのごとく​なる​べし。

 ^いま​この信心しんじんにつきてふたつ​あり。 ひとつ​には、 わが罪悪ざいあくしょうぼん曠劫こうごうより​このかた、 つね​にしずみ​つね​にてんして、ロクダウニマドフヲイフ しゅつえんヱドヲイデハナルヽあるトイフ こと​なし​としんず。 ふたつ​には、 けつじょうして​ふかく、 弥陀みだぶつじゅうはちがんしゅじょう摂取せっしゅし​たまふ​こと​をうたがは​ざれ​ば、 かの願力がんりきりて、 さだめておうじょうする​こと​をしんずる​なり。

^ひとつね​に​いはく、 「ぶつがんしんぜざる​には​あらざれ​ども、 わがの​ほど​を​はからふ​に、 ざいしょうの​つもれる​こと​は​おほく、 善心ぜんしんの​おこる​こと​は​すくなし。 こころ​つね1094散乱さんらんし​て一心いっしんを​うる​こと​かたし。 *とこしなへにだいにしてしょうじんなる​こと​なし。 ぶつがんふかし​といふ​とも、 いかでか​このを​むかへ​たまは​ん」 と。

^この​おもひ​まことに​かしこき​にたり、 きょうまんを​おこさ​ずこうオゴルコヽロナリこころ​なし。 しかはあれども、 ぶつ思議しぎりきうたがふ​とが​あり。 ぶついかばかり​の​ちから​まします​と​しり​て​か、 罪悪ざいあくなれば​すくはれ​がたし​と​おもふ​べき。 ぎゃく罪人ざいにんすら、 なほじゅうねんの​ゆゑに​ふかくせつの​あひだ​におうじょうを​とぐ。 いはんやつみ1349ぎゃくに​いたら​ず、 こうじゅうねんに​すぎ​たらん​をや。

^つみふかく​は​いよいよ極楽ごくらくを​ねがふ​べし。 「けんかいカイヲヤブリタルヒト罪根ざいこんじんツミフカキヒト (五会法事ミナムマルトイフ讃) といへり。 ぜんすくなく​は​ますます弥陀みだねんず​べし。 「三念さんねんねんぶつ来迎らいこう(法事讃・下) と​のべ​たり。 むなしく卑下ひげし、ワガミヲイヤシこころフオモフ  こうヨハにゃくクオモフ して、 ぶっ思議しぎうたがふ​こと​なかれ。

 ^たとへばひとありて、 たかきししもに​ありて​のぼる​こと​あたは​ざらん​に、 ちからつよひときしの​うへ​にありてつなを​おろし​て、 このつなに​とりつか​せ​て、 「われきしの​うへ​に​ひきのぼ​せ​ん」 と​いは​ん​に、 ひくひとの​ちから​をうたがひ、 つなよわから​ん​こと​を​あやぶみ​て、 を​をさめ​て​これ​を​とら​ずは、 *さらにきしの​うへ​に​のぼる​ことべから​ず。 ひとへに​その​ことば​に​したがう​て、 *たなごころ​を​のべ​て​これ​を​とら​ん​には、 すなはち​のぼる​こと​をべし。

^仏力ぶつりきうたが1095ひ、 願力がんりきを​たのま​ざるひとは、 だいきしに​のぼる​こと​かたし。 ただ信心しんじんを​のべ​て誓願せいがんつなを​とる​べし。 ^仏力ぶつりきぐうなり、 ざいしょうじんじゅうを​おもし​と​せず。 ぶっへんなり、 散乱さんらん放逸ほういつホシキマヽ もの​をも​すつる​こと​なし。 信心しんじんようと​す、 その​ほか​をば​かへりみ​ざる​なり。

^信心しんじんけつじょうし​ぬれ​ば、 三心さんしんおのづから​そなはる。 本願ほんがんしんずる​こと​まこと​なれば、 虚仮こけムナシクカザルナリこころ​なし。 じょうまつ​ことうたがいなけれ​ば、 こうの​おもひ​あり。 この​ゆゑに三心さんしん1350ことなる​にたれ​ども、 みな信心しんじんに​そなはれ​る​なり。

【11】^三つ​にはこう発願ほつがんしんといふは、 の​なか​に​そのきこえ​たり。 くはしく​これ​を​のぶ​べから​ず。 スギげん三業さんごうタルカタニシ善根ぜんごんタルゼントイを​めぐらしマツトムルゼントイフナリ極楽ごくらくうまれ​ん​とがんずる​なり。

【12】^つぎ​に本願ほんがんもんにいはく、 「ないじゅうねん にゃくしょうじゃ しゅしょうがく(*大経・上) といへり。

^いま​このじゅうねんと​いふ​につきて、 ひとうたがいを​なし​て​いはく、 「¬ほっ¼ の ª一念いちねんずいº といふは、 ふかく*ごんじつたっする​なり。 いまじゅうねんといへる​も、 なにの​ゆゑか十返じっぺんみょうごうと​こころえ​ん」 と。

^このうたがいしゃくせ​ば、 ¬かんりょう寿じゅきょう¼ の*ぼんしょうひとそうく​に​いはく、 「ぎゃくじゅうあくを​つくり、 もろもろ​のぜんせ​る​もの、 りんじゅうの​とき​に​いたり​て、 はじめてぜんしきの​すすめ​に​より​て、 わづかに十返じっぺんみょうごうを​となへ​て、 すなはちじょううまる」 といへり。 これ​さらに1096しづかにかんじ、 ふかくねんずる​に​あらず、 ただくちみょうごうしょうする​なり。

^にょにゃくのうねん(観経) といへり。 これ​ふかく​おもは​ざる​むね​を​あらはす​なり。

^おうしょうりょう寿じゅぶつ(観経)け​り。 ただ*あさく仏号ぶつごうを​となふ​べし​と​すすむる​なり。

^そくじゅうねん しょう南無なもりょう寿じゅぶつ しょうぶつみょう 念々ねんねんちゅうネムネムノナカニ  じょはちじゅう億劫おくこうトハチジフハチコフノ  しょうざいツミヲケストイフナリ (観経) といへり。

^じゅうねんといへる​は、 ただ称名しょうみょう十返じっぺんなり1351本願ほんがんもんこれ​に​なずらへ​て​しり​ぬ​べし。

^善導ぜんどうしょうは​ふかく​この​むね​を​さとり​て、 本願ほんがんもんを​のべ​たまふ​に、 「にゃくじょうぶつ 十方じっぽうしゅじょう しょうみょうごう 下至げしじっしょう にゃくしょうじゃ しゅしょうがく(礼讃) といへり。 じっしょうといへる​は、 しょうを​あらはさ​ん​と​なり。

【13】^一 つぎ​に​またひとの​いはく、 「りんじゅう念仏ねんぶつどくはなはだ​ふかし。 じゅうねんぎゃくめっする​は、 りんじゅう念仏ねんぶつの​ちから​なり。 じんじょうツネノトキナリ念仏ねんぶつは、 この​ちから​あり​がたし」 といへり。

 ^これ​をあんずる​に、 りんじゅう念仏ねんぶつどくことに​すぐれ​たり。 ただし​その​こころ​をべし。

^もしひといのち​をはら​んとする​とき​は、 ひゃっヨロヅノクルシミ あつまり、 しょうねんみだれ​やすし。 かの​ときぶつねんぜ​ん​こと、 なにの​ゆゑ​か​すぐれ​たるどくある​べき​や。 これ​を​おもふ​に、 やまいおもく、 いのち​せまり​て、 に​あやぶみ​ある​とき​には、 信心しんじんおのづから​おこり​やすき​なり。

^まのあたりひとの​ならひ​を​みる​に、 その*おだしき1097とき​は、 くすをも*陰陽おんようをもしんずる​こと​なけれ​ども、 やまいおもく​なり​ぬれ​ば、 これ​をしんじ​て、 「このほうを​せばやまいいえ​なん」 と​いへ​ば、 まことに​いえ​なんずる​やう​に​おもひ​て、 くちに​にがきあじはひ​をも​なめ、 に​いたはしきりょう1352をも​くはふ。 「もし​この​まつり​し​たらば、 いのち​は​のび​なん」 と​いへ​ば、 たから​をもしま​ず、 ちから​をつくし​て、 これ​を​まつり​これ​を​いのる。

^これ​すなはち​いのち​をしむ​こころ​ふかき​によりて、 これ​を​のべ​ん​と​いへ​ば、 ふかくしんずる​こころ​あり。 りんじゅう念仏ねんぶつ、 これ​に​なずらへ​て​こころえ​つ​べし。

^いのちいちせつに​せまり​てぞんぜ​ん​こと​ある​べから​ず​と​おもふ​には、 しょうの​くるしみ​たちまちに​あらはれ、 あるいは*しゃそうヒノクルマノげんじ、カタチアラハルあるいは*そつオニゴクまなこソチナリ  *さいぎる。 いかに​して​か、 この​くるしみ​を​まぬかれ、 おそれ​を​はなれ​ん​と​おもふ​に、 ぜんしきのをしへ​に​より​てじゅうねんおうじょうを​きく​に、 じんじゅうフカクオモキ 信心しんじんたちまちに​おこり、 これ​をうたがふ​こころ​なき​なり。

^これ​すなはち​くるしみ​を​いとふ​こころ​ふかく、 たのしみ​を​ねがふ​こころせつなる​がゆゑに、 極楽ごくらくおうじょうす​べし​と​きく​に、 信心しんじんたちまちにほっする​なり。 いのち​のぶ​べし​と​いふ​を​きき​て、 くす陰陽おんようしんずる​が​ごとし。

^もし​この​こころ​ならば、 さいせつに​いたら​ず​とも、 信心しんじんけつじょうし​なば、 いっしょう一念いちねんどく、 みなりんじゅう念仏ねんぶつに​ひとしかる1098べし。

【14】^二 また​つぎ​にのなか​のひとの​いはく、 「たとひ弥陀みだ願力がんりきを​たのみ​て極楽ごくらくおうじょうせん​と​おもへ​ども、 せん罪業ざいごうしり​がたし、 いかでか​たやすくうま1353べき​や。 *ごっしょうに​しなじな​あり。 じゅんごうといふは、 かならず​そのごうを​つくり​たるしょうなら​ねども、 *後後ごごしょうノチノチノシヤにもウトイフほうを​ひく​なり。 さればこんじょう人界にんがいしょうを​うけ​たり​といふ​とも、 悪道あくどうごうに​そなへ​たらん​こと​を​しら​ず、 かの*ごうが​つよく​してあくしゅしょうを​ひか​ば、 じょううまるる​こと​かたから​ん​か」 と。

 ^このまことに​しかるべし​といふ​とも、 もうウタガフたちコヽロヲがたくアミニタトフしてルナリ 、 みづから妄見もうけんミダリノオモヒナリおこす​なり。 おほよそごうは​はかり​の​ごとし、 おもき​もの​まづく。 もし​わがに​そなへ​たらん悪趣あくしゅごうちから​つよく​は、 人界にんがいしょうを​うけ​ず​して​まづ悪道あくどうに​おつ​べき​なり。 すでに人界にんがいしょうを​うけ​たる​にて​しり​ぬ、 たとひ悪趣あくしゅごうに​そなへ​たり​とも、 そのごう人界にんがいしょうを​うけ​しかいより​は、 ちから​よわし​といふ​こと​を。

^もし​しからば、 *かいを​だに​も​なほ​さへ​ず。 いはんやじゅうねんどくをや。 かい有漏うろごうなり、 念仏ねんぶつ無漏むろどくなり。 かいぶつがんの​たすけ​なし、 念仏ねんぶつ弥陀みだ本願ほんがんの​みちびく​ところ​なり。 念仏ねんぶつどくは​なほしじゅうぜんにも​すぐれ、 すべて三界さんがい一切いっさい1099善根ぜんごんにも​まされ​り。 いはんやかいしょうぜんをや。 かいを​だに​も​さへ​ざる悪業あくごうなり、 おうじょうの​さはり​と​なる​こと​ある​べから​ず。

【15】^三 つぎ​に​またひとの​いはく、 「ぎゃく罪人ざいにんじゅうねんに​より​ておうじょうす​といふは1354宿しゅくぜんムカシノゼントよるイフ  なり。 われら宿しゅくぜんを​そなへ​たらん​こと​かたし。 いかでかおうじょうする​こと​をん​や」 と。

 ^これ​また*あんグチノヤミニまどへマドヘルナリる​ゆゑに、 いたづらに​このうたがいを​なす。 そのゆゑは、 宿しゅくぜんの​あつき​もの​は、 こんじょうにも善根ぜんごんしゅ悪業あくごうを​おそる。 宿しゅくぜんすくなき​もの​は、 こんじょう悪業あくごうを​このみ善根ぜんごんを​つくら​ず。 宿しゅくごう善悪ぜんあくは、 こんじょうの​ありさま​にて​あきらかに​しり​ぬ​べし。 しかるに善心ぜんしんなし。 はかり​しり​ぬ、 宿しゅくぜんすくなし​といふ​こと​を。

^われら罪業ざいごうおもし​といふ​ともぎゃくをば​つくら​ず、 宿しゅくぜんすくなし​と​いへども​ふかく本願ほんがんしんぜ​り。 *ぎゃくしゃじゅうねんすら宿しゅくぜんに​よる​なり。 いはんやじんぎょうイノチツクしょうねんルマデトイフ むしろ宿しゅくぜんに​よら​ざらん​や。 なにの​ゆゑに​かぎゃくしゃじゅうねんをば宿しゅくぜんと​おもひ、 われら​がいっしょうしょうねんをば宿しゅくぜんあさし​と​おもふ​べき​や。 しょうニジヨウノチヱだいトイフ の​さまたげ​といへる、 まことに​この​たぐひ​か。

【16】^四 つぎ​に念仏ねんぶつしんずるひとの​いはく、 「おうじょうじょうの​みち​は、 信心しんじんを​さき​と​す。 信心しんじん1100けつじょうし​ぬる​には、 あながちにしょうねんようと​せず。 ¬きょう¼ (大経・下) に​すでに ªない一念いちねんº とけ​り。 この​ゆゑに一念いちねんにて​たれ​り​と​す。 遍数へんじゅを​かさね​んとする​は、 かへりてぶつがんしんぜざる​なり。 念仏ねんぶつしんぜざるひととて​おほきに1355あざけり​ふかく​そしる」 と。

 ^まづ専修せんじゅ念仏ねんぶつと​いう​て、 もろもろ​のだいじょうしゅぎょうを​すて​て、 つぎ​に一念いちねんを​たて​て、 みづから念仏ねんぶつぎょうを​やめ​つ。 まことに​これかいたより​をて、 まつしゅじょうを​たぶろかす​なり。

^このせつともに得失とくしつあり。 *おうじょうごう一念いちねんに​たれ​り​といふは、 そのまことに​しかるべし​といふ​とも、 遍数へんじゅを​かさぬる​はしんなり​といふ、 すこぶる​その​ことば​すぎ​たり​と​す。

^一念いちねんを​すくなし​と​おもひ​て、 遍数へんじゅを​かさね​ずはおうじょうしがたし​と​おもは​ば、 まことにしんなり​と​いふ​べし。 おうじょうごう一念いちねんに​たれ​り​と​いへども、 いたづらに​あかし、 いたづらに​くらす​に、 いよいよこうを​かさね​ん​ことように​あらず​や​と​おもう​て、 これ​を​となへ​ば、 終日ひめもすに​となへ、 よもすがら​となふ​とも、 いよいよどくを​そへ、 ますます業因ごういんけつじょうす​べし。

^善導ぜんどうしょうは、 「ちから​のき​ざる​ほど​は​つね​にしょうねんす」 といへり。 これ​をしんひとと​や​は​せん。 ひとへに​これ​を​あざける​も、 また​しかるべから​ず。

^一念いちねんといへる​は、 すでに ¬きょう¼ (大経・下)もんなり。 これ​をしんぜず​は、 ぶつしんぜざる​なり。

^この​ゆゑに、 一念いちねんけつじょうし​ぬ​と1101しんじ​て、 しかもいっしょうおこたり​なくもうす​べき​なり。 これ*しょうと​す​べし。 ^念仏ねんぶつようおほし​と​いへども、 りゃくし​て​のぶる1356こと​かくのごとし。

【17】^これ​を​み​んひと、 さだめて​あざけり​を​なさ​ん​か。 しかれども、 信謗しんぼうともにいんとして、 みな​まさにじょううまる​べし。 こんじょうゆめ​の​うち​の​ちぎり​を​しるべ​として、 らいさとり​の​まへ​のえんを​むすば​ん​と​なり。 われ​おくれ​ばひとに​みちびか​れ、 われ​さきだた​ばひとを​みちびか​ん。 生々しょうじょうぜんヨキトモトイフなり​て​たがひに仏道ぶつどうしゅせしめ、 世々せせしきとして​ともにめいしゅうマドフコヽロナリたた​ん。

^*ほんしゃそん悲母ひも弥陀みだぶつ
 へんかんおんへんだいせい
 清浄しょうじょう大海だいかいしゅ法界ほうかい三宝さんぼうかい
 証明しょうみょう一心いっしんねん哀愍あいみんちょう

*草本そうほんに​いはく

 *じょうきゅう三歳さんさい仲秋ちゅうしゅう中旬ちゅうじゅんだいにちあんいん法印ほういん聖覚せいかくさく

*かんさいちゅうじゅんだいにちかの草本そうほん真筆しんぴつをもつて禿とくしゃくの*親鸞しんらんこれ​を書写しょしゃす。

 

底本は高田派専修寺蔵親鸞聖人真筆本(信証本)。
真言 ここでは真言しんごんしゅうの教えのこと。 真言宗では即身成仏を唱え、 父母より生れた肉体のままでただちに仏果 (仏のさとり) を証すると説く。
法華 ここでは天台てんだいほっしゅうの教えのこと。 →天台てんだいしゅう
六根の証 げんぜつしんの六の感覚器官が浄化された六根清浄しょうじょうの境地にいたること。
五十六億七千万歳 釈尊のにゅうめつからろく菩薩が成仏するまでの年数 (¬さつ処胎しょたいきょう¼ の説)。
霊山 りょうじゅせん (しゃくっせん) のこと。
補陀落 補陀落は梵語ポータラカ (Potalaka) の音写。 こうみょうせんかいちょうせんしょうじゅせんなどと漢訳する。 インドの南海岸にあるとされるかんおんさつの住処。
行業慧解 修行することと、 智慧ちえによって仏法をりょうすること。
一乗の行 ここでは天台てんだいしゅうかんの行をいう。
おろそかならば 不十分であるのなら。
清浄の国土をしめて 浄土を建立して。 ¬しんしゅう仮名かな聖教しょうぎょう¼ 所収本には 「しめて」 は 「しめして」 とある。
おぼして お思いになって。
二見の浦 三重県度会わたらい郡二見町の夫婦岩のある海岸の名勝。
清見が関 平安時代、 駿するはら郡 (現在の静岡市清水おき清見寺町) の地にあった関のことで、 北に富士山、 南に三保の松原を望むことができる名勝。
 思案、 考え。
五劫のあひだ思惟 →こうゆい
盤特 しゅはん陀伽だかのこと。
大小経典 大乗・小乗の経典。
本願にえらばれし ここでは本願においてえらびすてられたという意。
 底本に 「て」 とあるのを改めた。
法華 ¬法華ほけきょう¼ のこと。
薬師 ¬本願ほんがんやくきょう¼ のこと。
散乱増 心をかきみだす煩悩ぼんのうが強いこと。
睡眠増 意識がぼんやりして身心の反応がおこりにくい状態。 心の鈍重なこと。 煩悩の一。
一乗の功能 ここでは ¬きょう¼ のどく、 すぐれたはたらき。
かるべからず たよってはならない。
世をいとふよしをもてなし この世を厭うようなふりをして。
放逸 「ほしきままにふるまふといふなり、 おもふさまなり」 (左訓)
恥がましきことをも 恥さらしなことまでも。
とこしなへに いつまでも変らず。
たなごころをのべて 手をのばして。
非権非実の理 方便 (権) と真実 (実) を差別する立場を超えた絶対真実の教えで、 中道とも実相じっそうともいう。
あさく ¬真宗法要¼ 所収本には 「ふかく」 とある。
おだしきとき 健康で安らかな時。
さいぎる さえぎる。 よぎる。
後後生 先世からみて、 後の後の生、 つまり来世のこと。
業が 底本は 「業力」 とも読める。 業力はほうを引き起す力。
五戒をだにもなほさへず 五戒をすら妨げえない。
逆者 五逆罪をおかした人。
往生の業 浄土へ往き生れるための因となる行為。
本師釈迦尊… 「本師釈迦尊、 悲母弥陀仏、 左辺の観世音、 右辺の大勢至、 清浄なる大海衆、 法界の三宝海、 一心の念を証明して、 哀愍してともに聴許したまへ」
草本にいはく 「草本」 とは書写原本のこと。 原本にあった奥書をそのまま転写したことを示す。