0699◎唯0683信鈔文意
一 釈題号
【1】 ◎^「*↓唯↓信↓抄」 といふは、
^「↑唯」 はただこのことひとつといふ、 ふたつ*ならぶことをきらふことばなり。 また 「唯」 はひとりといふこころなり。
^「↑信」 はうたがひなきこころなり、 すなはちこれ真実の信心なり、 虚仮はなれたるこころなり。 ▽虚はむなしといふ、 仮はかりなるといふことなり。 虚は実ならぬをいふ、 仮は真ならぬをいふなり。 本願他力を*たのみて自力をはなれたる、 これを 「↓唯信」 といふ。
^「↑鈔」 は0684すぐれたることをぬきいだしあつむることばなり。 このゆゑに 「唯信鈔」 といふなり。
^また 「↑唯信」 は、 これこの他力の信心のほかに余のこと*ならはずとなり。 すなはち本弘誓願なるがゆゑなればなり。
二 釈引文
Ⅰ 第一文
ⅰ 本文
【2】 ^「▲・如来尊号甚分明 ・十方世界普流行 ・但有称名皆得往 ・観音勢至自来迎」 (*五会法事讃)
二 Ⅰ ⅱ 釈文
a 正釈
イ 釈第一句
^「・▲↓如来↓尊号↓甚分明」、 このこころは、
^「↑如来」 と申すは無礙光如来なり。
^「↑尊号0700」 と申すは南無阿弥陀仏なり。 ^「尊」 はたふとくすぐれたりとなり。 ^▲「号」 は仏に成りたまうてのちの御なを申す、 名はいまだ仏に成りたまはぬときの御なを申すなり。 この如来の尊号は、 *不可称不可説不可思議にましましてすゆへに、 一切衆生をして無上大般涅槃にいたらしめたまふ大慈大悲のちかひの御ななり。 この仏の御なは、 よろづの如来の名号にすぐれ0685たまへり。 これすなはち誓願なるがゆゑなり。
^「↑甚分明」 といふは、 ^「甚」 ははなはだといふ、 すぐれたりといふこころなり。 ^「分」 はわかつといふ、 よろづの衆生ごとにとわかつこころなり。 ^「明」 はあきらかなりといふ。 十方一切 の衆生をことごとく わかちたすけみちびきたまふこと、 あきらかになり。 わかちあわれみたまふことすぐれたまへりとなり。
二 Ⅰ ⅱ a ロ 釈第二句
^「・▲↓十方世界普流行」 といふは、 ^「普」 はあまねく、 ひろく、 きはなしといふ。 ^「流行」 は十方微塵世界にあまねくひろまりて、 仏教をすすめ行ぜオコナフトマフスナリしめたまふなり。 しかれば、 大 乗の聖人・小 乗の聖人・善 人・悪 人・の一切凡夫、 みなともに自力の智慧をもつては大0686涅槃にいたることなければ、 ▲無礙光仏の御かたちは、 智慧のひかりにてましますゆゑに、 この仏如来の*智願海にすすめ入れたまふなり。 一切諸仏の智慧をあつめたまへる御かたちなり。 光明は智慧なりとしるべしとなり。
二 Ⅰ ⅱ a ハ 釈第三句
^0701「・▲但有称名皆得往」ミナムマルヽコトヲウといふはトマフスナリ、 ^「但有」 はひとへに御なをとなふる人のみ、 みな 極楽浄土に往生すとのたまへるなり。 かるがゆゑに 「称名皆得往」 と いふのたまへるなり。
二 Ⅰ ⅱ a ニ 釈第四句
^「・▲観音勢至↓自↓来↓迎」 といふは、 ^南無阿弥陀仏は智慧の名号なれば、 この不可思議 の智慧光仏の御なを信受して憶念すれば、 観音・勢至はかならずかげのかたちにそへるがごとくなり。 この無礙光仏は観音とあらはれ、 勢至としめす。 ▲ある経には、 観音を*宝応声菩薩となづけて*日天子としめす。 これは よろづの衆生の無明の黒闇クラキヤミノヨナリをはらはしむ。 勢至を*宝吉祥菩薩となづけて*月天子0687とあらはる。 生死の長夜ナガキヨトをイフ照らして智慧をひらかしめんと むる なり。
^「自来迎」 といふは、 「↑自」 はみづからといふなり。 弥陀無数の化仏・無数の化観音・化大勢至等の無量無数の聖衆みづからつねに、 ときをきらはず、 ところをへだてず、 ↓真実信心をえたるひとにそひたまひてまもりたまふゆゑに、 みづからと申すなり。
^また 「↑自」 はおのづからといふ。 おのづからといふは自然といふ。 自然といふはしからしむといふ。 しからしむといふは、 行者の*はじめて*ともかくもはからはざるに、 過去・今生・未来の一切の罪を 善に転ず じ かへなすといふなり。 転ずといふ0688は、 つみをけしうしなはずして善と に かへなすをいふなり。、 よろづの水大海にいればすなわちうしほとなるがごとし。もとめざるに一切の功徳善根を仏のちか 弥陀の願力 ひを信ずる人ゆへに 如来の功徳を得しむるがゆゑに、 しからしむ0702といふ。 はじめて 功徳をえむとはからはざれば自然といふなり。
^誓願真実の信心をえたるひとは、 摂取不捨の御ちかひにをさめとりてまもらせたまふによりて行人のはからひにあらず、 金剛の信心をうる となる ゆゑに 正定聚のくらゐに住すといふ。 このこゝろになれば憶念 の心自然なるにおこるなり。 この信心のおこることも、 釈迦の慈父・弥陀の悲母の方便によりて おこるなり无上の信心を発起せしめたまふとみえたり。 これ自然の利益なりとしるべしとなり。
^「来迎」 といふは、 ▼「↑来」 は浄土へきたらしむといふ、 これすなはち若不生者のちかひをあらはす御のりなり。 穢土をすてて真実 の報土にきたらしむとなり、 すなはち他力をあらはす御ことなり。
^▼また 「↑来」 はかへるといふ。 かへるといふは、 願海に入りぬるによりてかならず大涅槃0689にいたるを、 *法性のみやこへかへると申すなり。 法性のみやこといふは、 法身と申す如来のさとりを自然にひらく 也、 さとりひらくときを、 法性のみやこへかへるといふ まふす なり。 これを、 真如実相を証すとも申す いふ 、 無為法身ともいふ、 滅度に至るともいふ、 法性の*常楽を証すとも いふ、 无上覚にいたるとも申すなり。 このさとりをうれば、 すなはち大慈大悲きはまりて*生死海にかへり入りて†よろづの有情をたすくるを、 *普賢の徳に帰せしむと申す いふ也 。 この利益におもむくを 「来」 といふ。 これを法性のみやこへかへると申す いふ なり。
^「↑迎」 といふはむかへたまふといふ、 まつといふこころなり。
二 Ⅰ ⅱ b 追演
イ 述皆得往義
^選択0703不思議0690の本願、 無上智慧の尊号 、 无上智慧の信心をききて、 一念も疑ふこころなきを ければ ↑真実信心といふなり。 金剛心ともなづく。 この信楽 心 をうるときかならず摂取して捨てたまはざれば、 等正覚にいたりて補処の弥勒におなじくして无上覚をなるべしといへり、すなはち↓正定聚の位に定まるなり。 このゆゑに信心やぶれず、 かたぶかず、 みだれぬこと金剛のごとくなるがゆことなりと。 しかればゑに、 金剛の信心とは申いふすなり。 これを 「迎」 といふなり。
^¬*大経¼ (下) には、 「▲願生彼国 即得往生 住不退転」 とのたまへり。 ^「願生彼国」 は、 かのくににうまれんとねがへとなり。 ^▲「即得往生」 は、 信心をうればすなはち往生すといふ。 すなはち往生すといふは不退転に住するをいふ。 不退転に住すといふはすなはち↑正定聚の位に定まるとのたまふ御のりなり 、 成等正覚ともいへり。 これを 「即得往生」 とは申いふすなり。 ^「即」 はすなはちといふ。 すなはちといふは、 と0691きをへず、 日をへだてぬをいふなり。
二 Ⅰ ⅱ b ロ 述普流行義
^↑おほよそ十方世界にあまねくひろまることは、 法蔵菩薩の四十八 の大願のなかに、 第十七の願に、 「▲十方無量の諸仏にわがなをほめられん、 となへられん」 と誓ひたまへる、 一乗大智海の誓願 を成就したまへるによりてなり。 ¬*阿弥陀経¼ の証誠護念のありさまにてあきらかなり。 証誠護念の御こころは、 ¬大経¼ にもあらはれたり。 また すでに *称名の本願は選択の正因たること、 この0704悲願にあらはれたり。
二 Ⅰ ⅲ 叙謝
^この文のこころはおもふほどは申さず。 これにておしはからせたまふべし。
二 Ⅰ ⅳ 作者
^この文は、 後善導*法照0692禅師と申す聖人の御釈なり。 この和尚をば*法道和尚と、 *慈覚大師はのたまへり。 また ¬伝¼ にカウソウデンナリは*廬山の*弥陀和尚とも申す、 *浄業和尚とも申す。 *唐朝の*光明寺の*善導和尚の化身なり、 このゆゑに後善導と申すなり。
二 Ⅱ 第二文
ⅰ 本文
【3】 ^「▲・彼仏因中立弘誓 ・聞名念我・総迎来 ・不簡貧窮将富貴 ・不簡下智与高才 ・不簡多聞持浄戒 ・不簡破戒罪根深 ・但使回心多念仏 ・能令瓦礫変成金」 (五会法事讃)
二 Ⅱ ⅱ 釈文
a 釈第一句
^「・▲彼仏因中立弘誓」、 このこころは、 ^「彼」 はかのといふ0693。 「仏」 は阿弥陀仏なり。 ^「因中」 は法蔵菩薩と申ししときなり。 ^「立弘誓」 は、 「立」 はたつといふ、 なるといふ。 「弘」 はひろしといふ、 ひろまるといふ。 「誓」 はちかひといふなり。 法蔵比丘、 超世無上のちかひをおこして、 ひろくひろめたまふと申すなり。 超世は、 余の仏の御ちかひにすぐれたまへりとなり。 超はこえたりといふは、 うへなしと申すなり。 如来の弘誓をおこしたまへるやうは、 ▲この ¬唯信0705鈔¼ にくはしくあらはれた せ り。
二 Ⅱ ⅱ b 釈第二句
^「・▲聞名念我」 といふは、 ^「聞」 はきくといふ、 信心をあらはす御のりなり。 ^「名」 は御なと申すなり、 如0694来のちかひの名号なり。 ^「念我」 と申すは、 ちかひ この の御なを憶念せよとなり。 諸仏称名の悲願 (第十七願) にあらはせり。 憶念 といふは、 信心をえたる まことなる ひとは疑なきゆゑに本願をつねにおもひいづるこころのたえぬをいふ ずつねなる なり。
^「・▲総迎来」 といふは、 「総」 はふさねてといふ、 すべてみなといふこころなり。 「迎」 はむかふるといふ、 まつといふ、 他力をあらはすこころなり。 「来」 はかへるといふ、 きたらし る むといふ、 法性のみやこへむかへ率てきたらしめかへらしむといふ 也 。 法性のみやこより、 衆生利益のためにこの娑婆界にきた る りたまふゆゑに、 「来」 をきたるといふなり。 法性のさとりをひらくゆゑに、 「来」 をかへるといふなり。 ¬経¼ には「従如来生」 とのたまへり、 「従如」 といふは真如よりとまふす、 「来生」 といふはきたり生ずといふなり。
二 Ⅱ ⅱ c 釈第三句
^「・▲不簡貧窮将富貴」 といふは、 ^「不簡」 はえらばず といふ、 きらはずといふ こゝろ也。 ^「貧窮」 はまづしく、 *たしなきものなり。 「将」 は0695まさにといふ、 もつてといふ、 *ゐてゆくといふ。 「富貴」 はとめるひと といふ 、 よきひとといふ。 これらをまさにもつてえらばず、 きらはず、 浄土へゐてゆくとなり。
二 Ⅱ ⅱ d 釈第四句
^0706「・▲不簡下智与高才」 といふは、 ^「下智」 は智慧あさく、 せばく、 すくなきものとなり。 ^「高才」 は*才学ひろきもの。 これらをえらばず、 きらはずとなり。
二 Ⅱ ⅱ e 釈第五句
^「・▲不簡多聞持浄戒」 といふは、 ^「多聞」 は聖教をひろくおほくきき、 信ずるなり。 ^「持」 はたもつといふ。 たもつといふは、 ならひまなぶ†こころをうしなはず、 ちらさぬなり。 ^「浄戒」 は大 乗小乗のもろもろの*戒行 法 、 五戒、 八戒、 十善戒、 小乗0696の*具足衆戒、 *三千の威儀、 *六万の斎行、 *¬梵網¼ の五十八戒、 *大乗 の一心金剛法戒、 三聚浄戒、 大乗の具足戒等、 すべて道俗の戒品、 これらをたもつを 「持」 といふ 、 これらの戒品をやぶるを破といふ也。
^かやうのさまざまの 大小の戒品をたもてるいみじきひとびとも、 他力真実の信心をえてのちに真実報土には往生をとぐるなり。 みづからの、 おのおのの戒善、 おのおのの自力の信、 自力の善にては実 の報 の浄土には生れずとなりしるべし。
二 Ⅱ ⅱ f 釈第六句
^「・▲不簡破戒罪根深」 といふは、 ^「破戒」 は上にあらはすところのよろづの道俗の戒品をうけてやぶりすてたるもの、 これらをきらはずとなり。 ^「罪根深」 といふは、 十悪・五逆の悪人、 謗法・闡提の罪人、 おほよそ善根すくなきもの、 悪業おほきもの、 善心あさきもの、 悪心ふかきもの、 かやうのあさましきさまざま0707の罪ふかきひとを 「深」 といふ、 ふかしといふ0697ことばなり。 すべてよきひとあしきひと、 たふときひといやしきひとを、 無礙光仏の御ちかひにはきらはずえらばれず、 これをみちびきたまふをさきとしむねとするなり。 真実信心をうれば実報土に生るとをしへたまへるを、 浄土真宗の正意とすとしるべしとなり。
^「総迎来」 は、 すべてみな浄土へむかへ†率てかへらしむといへるなり。
二 Ⅱ ⅱ g 釈第七句
^「・▲但使回心多念仏」 といふは、 ^「但使回心」 はひとへに回心せしめよといふことばなり。 ^「回心」 といふは↓自力の心をひるがへし、 すつるをいふなり。 実報土に生るるひとはかならず 无光仏の心中におさめとりたまふゆへに金剛の信心のおこるを、 となるなり。 このゆへに 「*多0698念仏」 と申すなり。 ^「多」 は大のこころなり、 勝のこころなり、 増上のこころなり。 大はおほきなり。 勝はすぐれたり、 よろづの善にまされるとなり りとしるべし 。 増上はよろづのこと 善 にすぐれたるなり。 これすなはち他力本願無上のゆゑなり。
^↑自力のこころをすつといふは、 やうやうさまざまの大小†の聖人・善悪†の凡夫の、 みづからが身をよしとおもふこころをすて、 身をたのまず、 あしきこころを さかしくかへりみず、 またひとをあしよしとおもふこゝろをすてゝ、ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、 無礙光仏の不可思議の本 誓 願、 広大智慧の名号を信楽すれば、 煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。 ▲具縛 といふはよろづ0708の煩悩にしばられたるわれらなり。 煩は身をわづらはす、 悩はこころをなやますといふ。 ▲屠はよろづのいきたるものをころし、 *ほふるものなり、 これは*れふしといふもの0699なり。 沽はよろづのものをうりかふものなり、 これはあき人なり。 これらを下類といふなり。 かやうのあき人・れうし、 さまざまのものはみな、 いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら也。
二 Ⅱ ⅱ h 釈第八句
^「・▲能令瓦礫変成金」 といふは、 ^「能」 はよくといふ。 「令」 はせしむといふ。 「瓦」 はかはらといふ。 「礫」 は*つぶてといふ。 「変成金」 は、 「変成」 はかへなすといふ。 「金」 はこがねといふ。 かはら・つぶてをこがねにかへなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。 れふし・あき人、 さまざまのものはみな、 いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。
如来の御ちかひ 本願 を*ふたごころなく信楽 信ず すれば、 摂取のひかりのなかにをさめとられまゐらせて、 か0700ならず大涅槃のさとりをひらかしめたまふは、 すなはちれふし、 あき人などは、 いし・かはら・つぶて なのごとんどくなるわれらをよくこがねとにかえなさしめんがごとし む とたとへたまへるなり。 あき人・れうしなむどは、 いし・かわら・つぶてのごとくなるを、 如来の摂取のひかりと申すは、 阿弥陀仏の御こころにをさめとりたまふ てすてたまはず、 これひとへにまことの信心のゆゑ なればなり としるべし。
二 Ⅱ ⅲ 叙謝
^文のこころはおもふほどは申しあらはし候はねども、 *あらあら申すなり。 ふかきことはこれにておし よからむ人にも はとは からせたまふべし。
二 Ⅱ ⅳ 作者
^この文は、 *慈愍三蔵と申す0709 天竺の聖人の御釈なり。 震旦 (中国) には恵日三蔵と申すなり。
二 Ⅲ 第三文
ⅰ 本文
【4】 ^「▲・極楽無為涅槃界 ・随縁雑善恐難生 ・故使如来選要法 ・教念弥陀専復専」 (*法事讃・下)
二 Ⅲ ⅱ 釈文
a 釈第一句
^「・▲極楽無為涅槃界」 といふは、 ^「極楽」 と申すはかの安楽 養 浄土なり、 よろづのたのしみつねにして、 くるしみまじはらざるなり。 かのくにをば安養と0701いへり。 *曇鸞和尚は、 「▲ほめたてまつりて安養と申す」 とこそのたまへり。 また ¬論¼ (*浄土論) には、 「▲蓮華蔵世界」 ともいへり、 「▲無為」 ともいへり。 ^「涅槃界」 といふは無明のまどひをひるがへして、 ↓無上涅槃のさ 覚 とりをひらく さとる なり。 「界」 はさかひといふ、 さとりをひらくさかひなり としるべし。
^↑大涅槃と申すに、 その名無量なり、 くはしく申すにあたはず、 *おろおろその名をあらはすべし。 ▲「涅槃」 をば滅度といふ、 無為といふ、 安楽といふ、 常楽といふ、 実相といふ、 法身といふ、 法性といふ、 真如といふ、 一如といふ、 仏性といふ。 仏性すなはち如来なり。 ^この如来、 微塵世界にみちみちたまへり、 すなはち一切群生海の↓心 にみちたまへるなり 、 草木国土ことごとくみな成仏すととけり。
^この 一切有情の↑心に 方便法身の誓願を信楽するがゆゑに、 この信心すなはち仏性なり、 この仏性すなはち法性なり、 この法性すなはち法身なり。 ▲しかれば仏について二種の仏身まします、 一には法性法身とまふす、 二には方便法身とまふす。 法性法身 とまふすはいろもなし、 かたちも0710ましまさず。 ▼しかれば、 こころもおよばれず、 ことばもたえたり。 この一如よりかたちをあらはして、 方便法身と申す その御すがたをしめ に して、 ^法蔵比丘となのりたまひて、 不可思議の 四十八の大誓願をおこして あらわしたまふなり。 この誓願の中に、 光明无量の本願、 寿命无量の弘誓を本としてあらはれたまふへる御かたちをば、 世親菩薩 (*天親) は 「▲尽十方無礙光如来」 となづけたてまつりたまへり。 この如来を↓報身とすなわち申す。 誓願の業因に報ひたまへる ひ ゆゑ て に報身如来と申すなり 、 すなわち阿弥陀如来とまふす也。
^↑報と申す いふ は、 たねにむくひたる ゆへなり。 この報身より*応・化等の無量無数の身をあらはして、 微塵世界に無礙の智慧0703光を放たしめたまふゆゑに尽十方無礙光仏と申すひかり の御かたちにて、 かたちもましまさず、 いろもましまさず、 すなわち法性法身におなじくして、無明の闇をはらひ悪業に*さへられず、 このゆゑに無礙光と申すなり。 無礙はさはりなしと申す 有情の悪業煩悩にさえられずと也 。 しかれば、 阿弥陀仏は光明なり、 ▲光明は智慧のかたちなりとしるべし。
二 Ⅲ ⅱ b 釈第二句
^「・▲随縁雑善恐難生」 といふは、 ^「随縁」 は衆生のおのおのの縁にしたがひて、 おのおののこころにまかせて、 もろもろの善を修するを極楽に回向するなり、 ▲すなはち*八万四千の法門なり。 これはみな自力の善根なるゆゑに実報土には生れずと、 きらはるる0704ゆゑに 「恐難生」 といへり。 ^「恐」 はおそるといふ、 真の 実 報土に雑善・自力の善生るといふことをおそるるなり。 ^「難生」 は生れがたしと0711なり。
二 Ⅲ ⅱ c 釈第三句
^「・▲故使如来選要法」 といふは、 ^釈迦如来、 よろづの善のなかより名号をえらびとりて、 五濁悪時・悪世界・悪衆生・邪見無信のものにあたへたまへるなりとしるべしとなり。 これを 「選」 といふ、 ひろくえらぶといふ こゝろなり。 ^「要」 はもつぱらといふ、 もとむといふ、 ちぎるといふなり。 ^「法」 といふは名号なり。
二 Ⅲ ⅱ d 釈第四句
^「・▲教念弥陀↓専復専」 といふは、 ^「教」 はをしふといふ、 のりといふ、 釈尊の教勅なり。 ^「念」 は心におもひさだめて、 ともかくもはたらかぬこころなり。 すなはち選択本願の名号を一向専修なれとをしへたまふ御ことなり。
^「↑専復専」 といふは、 はじめの 「専」 は一行を修すべしとなり。 ^「復」 はまたといふ、 かさぬといふ。 しかれば、 また 「専」 といふは↓一心なれとなり、 一行一心をもつぱらなれとなり。 「専」 は一といふことばなり。 もつぱらといふはふたごころなかれとなり。 ともかくもうつるこころなきを 「専」 といふなり。 この一行一心なるひとを 弥陀「▲摂取してオサメトリタマフトナリ捨てたまはざれば阿弥陀となづけたてまつる」 (*礼讃・意) と、 光明寺の和尚 (善導) はのたまへり。
^この↑一心は横超の↓信心なり。 ^横はよこさまといふ、 超はこえてといふ。 よろづの法にすぐれ0712て、 すみやかに疾く生死 の大海をこえて仏果 无上覚 にいたるがゆゑに超と申すなり。 これすなはち 如来大悲 の誓願0706力なるがゆゑなり。
^この↑信心は摂取のゆゑに金剛心となれり る 。 これは ¬大経 念仏往生 ¼ の本願の*三信心なり。 ¬観経¼ の三心にはあらず。この真実信心を、 世親菩薩 (天親) は 「▲願作仏心」 とのたまへり。、 この信楽は仏にならんとねがふこれ浄土の大菩提心なり と申すこころなり。 しかれば▲この願作仏心はすなはち度衆生心なり。 この度衆生心と申すは、 すなはち衆生をして生死の大海をわたすこころなり。 この信楽は衆生をして無上 大涅槃にいたらしむる心なり。 この心信心すなはち大菩提心なり、 大慈大悲心なり。 この信心すなはち仏性なり、 すなはち如来なり。 この信心をうるを↓慶↓喜といふなり。 慶喜するひとは諸仏とひとしきひととなづく。
^▲↑慶は うべきことをえてのちによろこぶといふ こゝろ也 、 信心をえてのちによろこぶなり。 ^↑喜はこころのうちによろこぶこころたえずして 憶念つねなる り をいふ。 うべきことをえてのちに、 身にもこころにも0707よろこぶこころなり。 踊躍するなり。 踊は天におどるといふ、 躍は地におどるといふ、 よろこぶこゝろのきわまりなきかたちをあらわす也。^信心をえたるひとをば、 「▲分陀利華」 (*観経) とのたまへにたとえたまへりり。
^この信心をえがたきことを、 ¬経¼ (*称讃浄土経) には、 「▲*極難信法」 とのたまへ みえたり り。 しかれば、 ¬大経¼ (下) には、 「▲若聞斯経 信楽受持 難中之難 無過此難」 とをしへたまへり。 この文のこころは、 「もしこの経を聞きて信ずること、 難0713きがなかに難し、 これにすぎて難きことなし」 とのたまへる御のりなり。 釈迦牟尼如来は、 五濁悪世に出でてこの難信の法を行じオコナフトて無上涅槃にいたるれりと説きたまふ。
^さてこの智慧の名号を濁悪の衆生にあたへたまふとのたまへり。 十方諸仏の証誠、 恒沙如来の護念、 ひとへに真実信心のひとのためなり。 釈迦は慈父、 弥陀は悲母なり。、 われらがちち・はは、 として種々の方便をして*無上の信心をひらきお おしえ こしたまへるなりとしるべし きとなり。 ^おほよそ過去久遠に、 ▲三恒河沙の諸仏の世に出でたまひしみもとにして、 自力の 大菩提心をおこしき。 恒沙の善根を修せし めしによりて、 いま 大願 業力に*まうあふことを得たり。 他力の三信心をえたらんひとは、 ゆめゆめ余の善根をそしり、 *余の仏聖を*いやしうすることなかれとなり。
二 Ⅳ 第四文(観経)
【5】 ^「▲具三心者必生彼国」 (観経) といふは、 三心を具すればかならずかの国に生るとなり。
^しかれば善導は、 「▲↓具此三心 ↓必得往生也 ↓若少一心 ↓即不得生」 (礼讃) とのたまへり。
^「↑具此三心」 といふは、 三つの心を具すべしとなり。
^「↑必得往生」 といふは、 「必」 はかならずといふ。 「得」 はうるといふ、 うるといふは往生をうるとなり。
^「↑若少一心」 といふは、 「若」 はもし0714といふ、 ごとしといふ。 「少」 はかくるといふ、 すくなしといふ。 一心かけぬれば生 れず るゝものなしといふなり。 一心かくるといふは信心のかくる0710なり、 信心かく るといふは本願真実の三信†心のかくるなり。 ¬観経¼ の三心をえてのちに ¬大経¼ の三信心をうるを、 一心をうるとは申す いふ なり。 このゆゑに ¬大経¼ の三信心をえざるをば、 一心かくると申す いふ なり。 この一心かけぬれば、 真の 実 報土に生れずといふなり。 ¬観経¼ の三心は*定 機散二機の 自力心なり。 *定散 の二善を*回して、 ¬大経¼ の三信をえんとねがふ方便の深心と至誠心としるべし。
^真実の三信心をえざれば 真の報土にむまれざれば、 「↑即不得生」 といふなり。 ^「即」 はすなはちといふ、 ^「不得生」 といふは生るることをえずといふなり。 三信かけぬるゆゑにすなはち報土に生れずとなり。 雑行雑修して定機・散機の人、 他力 三 の信心かけたるゆゑに、 多生曠劫をへて他力の一 三信心 心をえてのちに†真実報土に生るべきゆゑに、 すなはち生れずといふなり。 もし胎0711生辺地に生れても五百歳をへ、 あるいは億千万衆のなかに、 ときにまれに一人、 真まことの報土にはすすむとみえたり。 三信をえんことをよくよくこころえ てねがふべきなり。
二 Ⅴ 第五文(散善義)
【6】 ^「▲不得外現賢善精進之相」 (*散善義) といふは、 浄土をねがふひとは、あらはに、 かしこき0715すがた、 善人のかたちをあらはすこと ふるまはざ なかれ、 精進なるすがたをしめすことなかれとなり。 そのゆゑは 「▲内懐虚仮」 なればなり。 ^「内」 はうちといふ。 こころのうちに煩悩を具せるゆゑに虚なり、 仮なり。 ^「虚」 はむなしくして実ならぬな ず り。 ^「仮」 はかりにして真ならぬな ず り。
^*このこころ0712は△上にあらはせり。 この信心はまことの浄土のたねとなり、 みとなるべしと。 いつはらず、 へつらはず、 実報土のたねとなる信心なり。
しかれば、 いまこの世を如来の御のりに末法悪世とさだめたまへるゆへは、 一切有情まことのこゝろなくして、 師長を軽慢し、 父母に孝せず、 朋友に信なくして、 悪をのみこのむゆへに、 世間・出世みな 「▲心口各異、 言念无実」 (大経・下) なりとをしえたまへり。 「心口各異」 といふは、 こゝろとくちにいふこと、 みなおのおのことなりと。 「言念無実」 といふは、 ことばとこゝろのうちと実なしといふ也。 「実」 はまことゝいふことばなり。 この世のひとは無実のこゝろのみにして、 浄土をねがふひとはいつわり、 へつらいのこゝろのみなりときこえたり。 よをすつるも名のこゝろ、 利のこゝろをさきとするゆへ也。
^しかれば、 われらは善人にもあらず、 賢人にもあらず。 賢人といふは、 かしこくよきひとなり。 精進なる の こころもなし、 懈怠のこころのみにして、 うちはむなしく、 いつはり、 かざり、 へつらふこころのみつねにして、 まことなるこころなき身なりとしるべしとなり。
二 Ⅵ 第六文(唯信鈔)
^「▲斟酌すべし」 (唯信鈔) といふは、 ことのありさまにしたがうて、 はからふべしといふことばなり。
二 Ⅶ 第七文(五会法事讃)
【07137】 ^「▲不簡破戒罪根深」 (五会法事讃) といふは、 もろもろの戒をやぶり、 罪ふかきひとをきらはずとなり。 このやうは、 △はじかみめに くはしくあらは か せり。 よくよくみるべし。
二 Ⅷ 第八文(大経)
【8】 ^「▲乃至十念 若不生者 不取正覚」 (大経・上) といふは、 選択本願 (第十八願) の文0716なり。 この文のこころは、 「▲乃至十念の 御な ちかひの名号をとなへんもの ひと 、 もしわがくにに生れずは、 仏に成らじ」 とちかひたまへる本願なり。 ^「乃至」 は、 かみしもと、 おほきすくなき、 ちかきとほきひさしきをも、 みなをさむることばなり。 *多念にとどまるこころ こゝろをとゞめ をやめ、 *一念にとどまるこころをとどやめめんがために、 未来の衆生をあわれみて、法蔵菩薩のかねて願じまします御ちかひなり。 よくよくよろこぶべし、 慶楽すべき也。
二 Ⅸ 第九文(唯信鈔)
【9】 ^「▲非権非実」中道実相ノオシエナリ (唯信鈔) といふは、 法華宗のをしへなり。 浄土真宗のこころにあらず、 聖道家のこころなり 、 易行道のこゝろにあらず。 かの宗のひとにたづぬべし。
二 Ⅹ 第十文(観経)
【10】^「▲汝若不能念」 (観経) といふは、 五逆・十悪の罪人、 *不浄説法のもの、 *やまふのくるしみにとぢられて、 こころに弥陀を念じ 称念し たてまつらずは、 ただ口に南無阿弥陀仏ととなへよとすすめたまへる御のりなり。 これは称名 口称 を本願と誓ひたまへることをあらはさんとなり。 「▲応称無量寿仏」 (観経) とのべたまへるは、 このこころなり。 「応称」 はとなふべしとなり。
二 Ⅺ 第十一文(礼讃)
【11】^「▲具足十念 称南無無量寿仏 称仏名故 於念々中 除八十億劫生死之罪」 (観経) といふは、 五逆の罪人はその身に罪をもてること、 *十八十億劫の罪をもてるゆゑに、 十念南無阿弥陀仏ととなふべしとすすめたまへる御0717のりなり。 一念に十八十億劫の罪を消すまじきにはあらねども、 五逆の罪のおもきほどをしらせんがためなり。 ^「十念」 といふは、 ただ口に十返を0716となふべしとなり。
^しかれば、 選択本願 (第十八願) には、 「▲若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚」 (礼讃) と申すは、 弥陀の本願 には、 「下至」 といえるは、 「下」 は上に対して、とこゑまでの衆生みなかならず往生すとしらせんとおぼして十声とのたまへるなり。 *念と声とはひとつこころなりとしるべしとなり。 念をはなれたる声なし、 声をはなれたる念なしとなりしるべし。
叙謝
^この文どものこころは、 おもふほどは申さず、 *よからんひとにたづぬべし。 ふかきことは、 これにてもおしはかりたまふべし。
帰敬
南無阿弥陀仏
^▲ゐなかのひとびとの、 文字のこころもしらず、 あさましき愚痴きはまりなきゆゑに、 やすくこころえさせんとて、 おなじことを、 たびたびとりかへしとりかへし書きつけたり。 こころあらんひとは、 0717をかしくおもふべし、 あざけりをなすべし。 しかれども、 おほかたのそしりをかへりみず、 ひとすぢに愚かなるものを、 こころえやすからんとてしるせるなり。
撰号
0718*康元二歳正月二十七日 愚禿親鸞八十五歳これを書写す。
本云*正嘉元歳丁已八月十九日 愚禿親鸞 八十五歳 書之
底本は◎高田派専修寺蔵康元二年正月二十七日親鸞聖人真筆本(正月二十七日本)ˆ聖典全書上段と同一ˇ。 聖典全書下段の○高田派専修寺蔵鎌倉時代写本と対校し、 ○にない文言は青の点下線、 表現の異なる場合は赤の点下線(下に細字で○の本文)として示した。
ならぶ 「ならふ」 と読む説もある。
ならはず 「ならばず」 と読む説もある。
皆得往 「みな生るることを得とまうすなり」 (左訓)
日天子 太陽を神格化したもの。
黒闇 「くらき闇のよなり」 (左訓)
月天子 月を神格化したもの。
法性のみやこ 人間の虚妄分別を超えた存在 (法) の真実なるありようを法性といい、 それは王者のいる 「みやこ」 のように仏のいます安穏なさとりの領域であるからこのようにいう。
よろずの有情をたすくるを ◎にない。 ○ほか、 下段対校本Ⓒ真宗法要所収本によるか。
称名の本願は… 称名が本願 (第十八願) において選択された往生の正しき業因であることは、 この悲願 (第十七願) にあらわれているという意。
法道和尚 天台宗の転籍には、 五会念仏の創始者、 法照の名を法道と伝えるものがある (安然 ¬金剛界大法対授記¼ 巻六など)。
弥陀和尚・浄業和尚 弥陀和尚は法照の師、 承遠の称。 浄業和尚は問答体の書 ¬臨終正念訣¼(¬龍舒浄土文¼ 巻十二・¬楽邦文類¼ 巻四所収) に答者として出る人物 (碑文資料によって、 善導大師の弟子と推測される浄業和尚との異同不明)。 これらを法照の異名とする説が親鸞聖人在世当時に流布していたか。
唐朝 (618-907) 唐国公の李淵 (高祖) が随の三世恭帝の禅譲を受けて建てた中国の統一王朝。 都は長安。
たしなきもの 苦しみ困っている者。
ゐてゆく 引き連れて行く。
こころ ◎、 ○では 「こと」。 下段対校本Ⓒ真宗法要所収本によるか
三千の威儀 二百五十戒 (比丘の具足戒) を行住坐臥の四威儀に配列して一千とし、 さらにこれを過去、 未来、 現在の三世に繰り返して三千と数えたもの。
六万の斎行 戒を持つ数多くの善行、 または上に列挙した五戒等を総称したものか。
大乗一心金剛法戒 天台宗に相伝する菩薩戒 (円頓戒)。 ¬梵網経¼ に説く十重禁戒・四十八軽戒を内容とする。 その体徳は一心真如であり、 ひとたび得ればながく失うことがないので一心金剛法戒 (「法」 は 「宝」 とも書く) という。
率て ◎にない。 ○ほか、 下段対校本Ⓒ真宗法要所収本によるか。
の ◎にない。 ○ほか、 下段対校本Ⓒ真宗法要所収本によるか。
多念仏 元来は 「多く念仏すれば」 の意。 ここでは念仏の徳の超勝性をあらわす語とする。
無上の信心 阿弥陀仏のこの上ない智慧をたまわった信心。 他力の信心のこと。
余の仏聖 阿弥陀仏以外の仏菩薩等の聖者。
心 ◎、 ○になし。 下段対校本Ⓒ真宗法要所収本によるか。
真実報土に ◎、 ○になし。 下段対校本Ⓒ真宗法要所収本によるか。
定散二機を…ねがふ この一節で回向発願心を釈している (「回向」=「回して」、 「発願」=「ねがふ」) から、 下には深心と至誠心の二心のみをあげている。
回して ここでの 「回」 は回転、 回捨の意。 ひるがえし捨てて。
この箇所は◎上段真跡本と○下段鎌倉時代写本とがまったく異なるため、 上下に併記した。
十八十億劫 八十億劫の十倍の意味。 一念で八十億劫の罪が除かれ、 十念で十八十億劫の罪が除かれる。
よからんひと 浄土の教えをよく知っている人。