0677◎一0661念多念*文意
一 釈一念証文
Ⅰ 標挙
【1】 ◎^*一念を*ひがごととおもふまじき事。
一 Ⅱ 釈文
ⅰ 釈往生礼讃文
^「▲↓恒願ツネニネガフベシ ↓一切ヨロヅノヒトトイウフコヽロ 臨終時オハリニノゾマムトキ↓勝縁勝境↓悉現前」コトゴトクマヘニアラワレタマヘトナリ(*礼讃) といふは、
^↑「恒ツネニ」 はつねにといふ、 「願」ネガヘト はねがふといふなり。 いまつねにといふは、 たえぬこころなり、 をりにしたがうて、 ときどきもねがへといふなり。 いまつねにといふは、 常の義ツネナリトイフにはあらず。 常といふは、 つねなること、 ひまなかれといふこころなり。 ときとしてたえず、 ところとしてへだてずきらはぬを常といふなり。
^「↑一切ヨロヅノヒト臨終時」トイフコヽロナリといふは、 極楽をねがふよろづの衆生、 *いのちをはらんときまでといふことばなり。
^「↑勝縁スグレタルコト勝境」カタチナリといふは、 仏をもみたてまつり、 ひかりをもみ、 異香メデタキカをもかぎ、 善知識のすすめにもあはんとおもへとなり。
^「↑悉現前」コトゴトクマヘニアラワレタマヘトナリといふは、 さまざまのめでたきことども、 めのまへにあらはれたまへとねがへとなり。
一 Ⅱ ⅱ 釈本願成就文
a 挙文
【2】 ^¬*無量寿経¼ (下) のなかに、 あるいは 「▲↓諸有衆生 ↓聞其名号 ↓信心歓喜0678 乃至0662一念 ↓至心回向 ↓願生彼国 ↓即得往生 住不退転」 と説きたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b 随釈
イ 所有衆生
^「↑諸有衆生」 といふは、 十方のよろづの衆生と申すこころなり。
一 Ⅱ ⅱ b ロ 聞其名号
^「↑聞其名号」 といふは、 本願の名号をきくとのたまへるなり。 きくといふは、 本願をききて疑ふこころなきを 「聞」キクトイフといふなり。 またきくといふは、 信心をあらはす御のりなり。
一 Ⅱ ⅱ b ハ 信心二句
^「↑信心歓喜乃至一念」 といふは、 「信心」 は如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。 ^*「歓喜」 といふは、 「歓」 は身をよろこばしむるなり、 「喜」 はこころによろこばしむるなり。 うべきことを*えてんずとかねてさきよりよろこぶこころなり。 ^「乃至」 は、 おほきをもすくなきをも、 ひさしきをもちかきをも、 さきをものちをも、 みなかねをさむることばなり。 ^「*一念」 といふは信心をうるときのきはまりをあらはすことばなり。
一 Ⅱ ⅱ b ニ 至心回向
^「↑至心回向」 といふは、 ^「至心」 は真実といふことばなり、 真実は阿弥陀如来の御こころなり。 ^「回向」 は本願の名号をもつて十方の衆生にあたへたまふ御のりなり。
一 Ⅱ ⅱ b ホ 願生彼国
^「↑願生彼国」 といふは、 「願生」 はよろづの衆生、 本願の報土へ生れんとねがへとなり。 「彼国」 はかのくにといふ、 安楽国ををしへたまへるなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ 即得二句
(一)随文正釈
(Ⅰ)直釈
^▲「↑即得往生」 といふは、 「即」 はすなはちといふ、 ときをへず、 日をもへだてぬなり。 ^▽また 「即」 は0679つくといふ、 その位に定まりつくといふことばなり。 ^「得0663」 はうべきことをえたりといふ。 ^真実信心をうれば、 すなはち無礙光仏の御こころのうちに摂取オサメトしてリタマフ捨てトナリ たまはざるなり。 ^摂はをさめたまふ、 取はむかへとると申すなり。 をさめとりたまふとき、 ↓すなはち、 とき・日をもへだてず、 正定聚ワウジヤウスベキの位ミトサダマにルナリつき定まるを 「往生を得」 とはのたまへるなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (一)(Ⅱ)引証
(ⅰ)正引
(a)列文
(イ)必至滅度願文
[一]大経
【3】 ^しかれば、 必至滅度の誓願 (第十一願) を ¬*大経¼ (上) に説きたまはく、 「▲↓設我得仏 国中人天 不住定聚 必至滅度者 不取正覚」 と願じたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (一)(Ⅱ)(ⅰ)(a)(イ)[二]寿会
^また ¬経¼ (如来会・上) にのたまはく、 「▲↓若我成仏 国中有情 若不決定 成等正覚 証大涅槃者 不取菩提」 と誓ひたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (一)(Ⅱ)(ⅰ)(a)(ロ)必至滅度成就文
^この願成就を、 釈迦如来説きたまはく、 「▲↓其有衆生 生彼国者 皆悉住於 正定之聚 所以者何 彼仏国中 無諸邪聚 及不定聚」 (大経・下) とのたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (一)(Ⅱ)(ⅰ)(b)和読
(イ)因願
[一]大経
^これらの文のこころは、 「↑たとひわれ仏を得たらんに、 国のうちの人天、 定聚にも住して、 かならず滅度に至らずは、 仏に成らじ」 と誓ひたまへるこころなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (一)(Ⅱ)(ⅰ)(b)(イ)[二]寿会
^またのたまはく、 「↑もしわれ仏に成らんに、 国のうちの有情、 もし決定して↓等マコト正覚ノホトケニを成りてナルベキミトナレルナリ 大マコ涅トノ槃ホトをケナリ 証せサトルナリずは、 仏に成らじ」 と誓ひたまへるなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (一)(Ⅱ)(ⅰ)(b)(ロ)成就
^かくのご0680とく法蔵菩薩誓ひたまへるを、 釈迦如来、 五濁のわれらがために0664説きたまへる文のこころは、 「↑それ衆生あつて、 *かの国に生れんとするものは、 みなことごとく正定の聚カナラズホトケニナルベキミトナレルトナリに住す。 ゆゑはいかんとなれば、 かの仏国のうちには▽もろもろの邪聚ジリキザフおよびギヤウザフシユノヒトナリ 不定聚ジリキノネムブチシヤナリはなければなり」 とのたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (一)(Ⅱ)(ⅱ)結会
(a)結合
^この二尊の御のりをみたてまつるに、 「↑すなはち往生す」 とのたまへるは、 正定聚の位に定まるを 「不退転ホトケニナルに住マデトイフす」 とはのたまへるなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (一)(Ⅱ)(ⅱ)(b)会名
^この位に定まりぬれば、 かならず無上大涅マコトノホトケナリ槃にいたるべき身となるがゆゑに、 「↑等ホトケ正覚ニナルベキを成る」ミトサダマレルヲイフナリとも説き、 「阿毘跋致ホトケニナルベキにいたるミトナルトナリ 」 とも、 「阿惟越致にいたる」 とも説きたまふ。 「▲即時入必定」 とも申すなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)引文助顕
(Ⅰ)大経
(ⅰ)標横超金剛心
【4】 ^▲この真実信楽は他力横超の金剛心なり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅰ)(ⅱ)正引釈
(a)挙文
^しかれば、 念仏のひとをば ¬大経¼ (下) には 「▲↓次如↓弥勒ネムブチノヒトハミロクノ」ゴトクホトケニナルベシトナリと説きたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅰ)(ⅱ)(b)釈義
(イ)弁二種金剛心
^▲↑弥勒は、 竪の金剛心の菩薩なり。 竪と申すはたたさまと申すことばなり。 これは聖道自力の難行道の人なり。 ▲横はよこさまにといふなり、 超はこえてといふなり。 これは、 仏の大願業力の船に乗じぬれば、 生死のロクダウニマド大海フヲダイをカイトタトフルよこさまにダイカイこえてハウミナリ 、 真実報土の岸につくなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅰ)(ⅱ)(b)(ロ)正釈文義
^「↑次↓如弥勒」 と申すは、 「次」 はちかしといふ、 つぎにといふ。 ちかしといふは、 弥勒は0681大涅槃にいたりたまふべきひとなり。 このゆゑに 「弥勒のごとし」 とのたまへり。 念仏信心の人も大涅槃にちかづくとなり。 つぎにといふは、 釈迦仏のつぎに、 *五0665十六億七千万歳をへて妙覚のマコトノホトケ位ナリ にいたりたまふべしとなり。
^「↑如」 はごとしといふ。 ごとしといふは、 他力信楽のひとは、 この世のうちにて不退の位にのぼりて、 かならず大般涅槃のさとりをひらかんこと、 弥勒のごとしとなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅱ)浄土論
(ⅰ)挙文
【5】 ^¬浄土論¼ (*論註・下) にいはく、 「▲*経言 ª若人但聞彼国土 清浄安楽 剋念願生 亦得往生 即入正定聚º ◆此是国土名字為仏事 安可思議」 とのたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅱ)(ⅱ)和読
^この文のこころは、 「ªもしひと、 ひとへにかの国の清浄安楽なるを聞きて、 *剋念エテトイしフ て生れんと願ふひとと、 またすでに往生を得たるひとも、 すなはち正定聚に入るなりº。 これはこれ、 かの国の名字をナトイフナリ 聞くに、 さだめて仏事をなす。 いづくんぞ思議すべきオモヒハカルベカラズや」トイフ とのたまへコヽロモオヨバズ るなり。コトバモオヨバレズシルベシトナリ
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅱ)(ⅲ)略釈
^安楽浄土の不可称コトバモオヨバズトナリ 不可説トキツクスベカラズトナリ不可思議の徳を、 もとめず、 しらざるに、 信ずる人に得しむとしるべしとなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅲ)浄土文
(ⅰ)挙文
【6】 ^また*王日休のいはく (*龍舒浄土文)、 「▲*↓念仏衆生↓便↓同弥勒」 (意) といへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅲ)(ⅱ)釈義
^「↑念仏衆生」 は、 金剛の信心をえたる人なり。
^「↑便」 はすなはちといふ、 たより0682といふ。 信心の方便によりて、 すなはち正定聚の位に住せヰルトイフナリしめたまふがゆゑにとなり。
^「↑同」 はおなじきなりといふ。 念仏の人は無上涅槃にいたること、 弥勒におなじきひとと申すなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅳ)観経
(ⅰ)挙文
【06667】 ^また ¬経¼ (*観経) にのたまはく、 「▲↓若念仏者 ↓当知此人 是人中 分陀利華」 とのたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅳ)(ⅱ)釈義
(a)直釈文義
^「↑若念仏者」 と申すは、 もし念仏せんひとと申すなり。
^「↑当知此人是人中分陀利華」 といふは、 まさにこのひとはこれ、 人中の分陀利華なりとしるべしとなり。 これは如来のみことに、 分陀利華を念仏のひとにたとへたまへるなり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅳ)(ⅱ)(b)別挙五種嘉誉嘆
(イ)約能譬
^この華は、 人中の上上華スグレタルハナ なり、 好ヨキ華なり、 妙好華メデタキヨキスなり、グレタルハナナリト 希有華マレニアリガなり、タキハナトナリ 最勝華ヨロヅノハナニなりとスグレタリトナリほめたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅳ)(ⅱ)(b)(ロ)約所譬
^光明寺のゼンダウクワシヤウ和尚ノミエダウノナヽリ(*善導) の御釈 (*散善義) には、 念仏の人をば、 ▲上上人・好人・妙好人・希有人・最勝人とほめたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅴ)観念法門
(ⅰ)挙文
【8】 ^また現生コノヨニテ護念マモリタの利益マフトナリ ををしへたまふには、 「▲↓但有専念 阿弥陀仏衆生 ↓彼仏心光 ↓常照是人 ↓摂護不捨 ↓総不論照摂 余雑業行者 ↓此亦是 現生護念 増上縁」 (*観念法門) とのたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅴ)(ⅱ)釈義
(a)正釈
^この文のこころは、 「↑但有専念阿弥陀仏衆生」 といふは、 ひとすぢに弥陀仏を信じたてまつると申す御0683ことなり。
^「↑彼仏心光」 と申すは、 「彼」 はかれと申す。 「*仏心光」 と申すは、 無礙光仏の御こころと申すなり。
^「↑常照是人」 といふは、 「常」 はつねなること、 ひまなくたえずといふなり。 「照」 はてらすといふ。 ときをきらはず、 ところをへだてず、 ひまなく真実信心のひとをばつねにてらしまもりたまふなり。 かの仏心につねにひまなくまもりたまへば、 弥陀0667仏をば不断光仏と申すなり。 ^「*是人」 といふは、 「是」 ヨシトイフは非に対アシキナリ することばなり。 真実信楽のひとをば是人と申す。 虚ムナシク 仮カリナリ疑惑のウタガヒマドものフトイフをば非人といふ。 非人といふは、 ひとにあらずときらひ、 わるきものといふなり。 是人はよきひとと申す。
^「↑摂護不捨」 と申すは、 「摂」 はをさめとるといふ。 ^「護」 はところをへだてず、 ときをわかず、 ひとをきらはず、 信心ある人をばひまなくまもりたまふとなり。 まもるといふは、 異学・コトゴトヲナ異見のラヒマナブヒトナリともがらにやぶられず、 別解・ネムブチヲシ別行のナガラジリキノものにコヽロナルモノナリ*さへられず、 天魔*波旬にをかされず、 悪鬼・アシキオニナリ悪神なやますことなしとなり。 ^「不捨」 といふは、 信心のひとを、 智慧光仏ミダニヨライナリの御こころムゲクワウニヨライにナリをさめまもりて、 心光のうちに、 ときとして捨てたまはずとしらしめんと申す御のりなり。
^「↑総不論照摂余雑業行者」 といふは、 「総」 はみなといふなり。 「不論」 はいはずといふこころなり。 「照0684摂」 はてらしをさむと。 「余の雑業」 といふは、 もろもろの善業なり。 雑行を修し、 雑修をこのむものをば、 すべてみなてらしをさむといはずと、 まもらずとのたまへるなり。 これすなはち本願の行者にあらざるゆゑに、 摂取のオサメトル 利益にあづからざるなりとしるべしとなり。 この世にてまもらずとなり。
^「↑此亦是現生護念」 といふは、 この世にてまもらせたまふとなり。 本願業力は、 信心のひとの強0668縁なるがゆゑに、 増上縁スグレタルガウと申すエントナリ なり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅴ)(ⅱ)(b)引経結嘆
^信心をうるをよろこぶ人をば、 ¬経¼ (*華厳経・*入法界品) には 「*諸仏とひとしきひと」 (意) と説きたまへり。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅵ)往生要集
(ⅰ)挙文
【9】 ^*首楞厳院の*源信和尚のたまはく、 「▲我亦在彼 摂取之中 煩悩障眼 雖不能見 大悲無倦 常照我身」 (*往生要集・中) と。
一 Ⅱ ⅱ b ヘ (二)(Ⅵ)(ⅱ)和読
^この文のこころは、 「われまたかの摂取のミダニヨライなかにオサメトラレあれどマイラセタリも、 煩トシルベシ 悩まなこを*さへて、 みたてまつるにあたはずといへども、 大悲*ものうきことなくして、 つねにわが身を照らしたまふ」 とのたまへるなり。
一 Ⅱ ⅲ 釈付属流通文
【10】 (註:この段は 「^▲↓其有得聞 彼仏名号 ↓歓喜踊躍 乃至一念 ↓当知此人 ↓為得大利 ↓則是具足 無上功徳」 (大経・下) の釈。)
^「↑其有得聞彼仏名号」 (大経・下) といふは、 本願の名号を信ずべしと、 釈尊説きたまへる御のりなり。
^「↑歓喜踊躍乃至一念」 といふは、 「歓ミニヨロコバシム喜」コヽロヲヨロコバシムトナリはうべきことをえてんずと、 さきだちてかねてよろこぶこころなり。 ^「踊」オドル は天にをどる0685といふ、 「躍」オドル は地にをどるといふ。 よろこぶこころのきはまりなきかたちなり。 慶楽するありさまをあらはすなり。 ▲慶はうべきことをえてのちによろこぶこころなり、 楽はたのしむこころなり。 これは正定聚の位をうるかたちをあらはすなり。
^「▽乃至」 は、 称名の遍数の定まりなきことをあらはす。 ^「▲*一念」 は功徳のきはまり、 一念に万徳ことごとくそなはる、 よろづの善みなをさまるなり。
^「↑当知此人」 といふは、 信心のひとをあらはす御のりなり。
^「↑為得大利」ホトケニナルベキリヤクヲといふは、ウルベキトシルベシトナリ無上涅槃をさとる0669ゆゑに、 「↑則是具足無上功徳」 とものたまへるなり。 「則」 といふは、 すなはちといふ、 のりと申すことばなり。 ^如来の本願を信じて一念するに、 かならずもとめざるに無上の功徳を得しめ、 しらざるに広大の利益を得るなり。 自然にさまざまのさとりをすなはちひらく法則なり。 法則といふは、 *はじめて行者のはからひにあらず、 もとより不可思議の利益にあづかること、 自然のありさまと申すことをしらしむるを、 法則コトノサとはダマリタいふルアリサなり。マトイフコヽロナリ△一念信心をうるひとのありさまの自然なることをあらはすを、 法則とは申すなり。
一 Ⅱ ⅳ 追釈無邪定不定文
【11】 ^¬経¼ (大経・下) に 「▲無諸邪聚及不定聚」 といふは、 「無」 はなしといふ。 「諸」 はよろづのことといふことばなり。 「邪聚」 といふは、 雑行雑修・万善0686諸行のひと、 報土にはなければなりといふなり。 「及」 はおよぶといふ。 ^「不定聚」 は、 自力の念仏、 疑ウタガフ惑マドフトの念仏の人は、 報土になしといふなり。 正定聚の人のみ真実報土に生るればなり。
一 Ⅲ 結示
^この文どもは、 これ一念の証文なり。 おもふほどはあらはしまうさず。 これにておしはからせたまふべきなり。
二 釈多念証文
Ⅰ 標挙
【12】^*多念をひがごととおもふまじき事。
二 Ⅱ 釈文
ⅰ 本願乃至十念
^*本0670願の文に、 「▲乃至十念」 と誓ひたまへり。 ^すでに十念と誓ひたまへるにてしるべし、 一念にかぎらずといふことを。 △いはんや乃至と誓ひたまへり。 称名の遍数さだまらずといふことを。 この誓願は、 すなはち易往ユキヤスシ易行ギヤウジヤのみちスシトナリ をあらはし、 大慈大悲のきはまりなきことをしめしたまふなり。
二 Ⅱ ⅱ 阿弥陀経
a 正釈文
【13】 ^¬*阿弥陀経¼ (意) に、 「▲一日乃至七日、 名号をとなふべし」 と、 釈迦如来説きおきたまへる御のりなり。
二 Ⅱ ⅱ b 示説意
イ 約能説相
(一)正明
^この ¬経¼ は*無問自説経と申す。 この ¬経¼ を説きたまひしに、 如来に問ひたてまつる人もなし。
二 Ⅱ ⅱ b イ (二)示由
^これすなはち釈尊出世の本懐をあらはさんとおぼしめすゆゑに、 無問自説と申すなり。
二 Ⅱ ⅱ b ロ 約所説事
(一)正明
^弥陀選択の本願、 十方諸仏の*証誠、 諸仏出世のヨニイデタマフトマフス 素懐、マコトノオムコヽロザシナリ 恒沙如来ホトケノオホクマの護念シマスコトカは、ズキワマリナキコトヲゴウガシヤノイシニタトヘマフスナリ諸仏咨嗟ホメタテマツルトナリの御0687ちかひ (第十七願) をあらはさんとなり。
二 Ⅱ ⅱ b ロ (二)挙所顕願
(Ⅰ)引文
【14】^諸仏称名の誓願 (第十七願)、 ¬大経¼ (上) にのたまはく、 「▲設我得仏 十方世界 無量諸仏 不悉↓咨嗟 称我名者 不取正覚」 と願じたまへり。
二 Ⅱ ⅱ b ロ (二)(Ⅱ)和読
^この悲願のこころは、 「たとひわれ仏を得たらんに、 十方世界無量の諸仏、 ことごとく咨嗟して、 わが名を称せずは、 仏に成らじ」 と誓ひたまへるなり。
二 Ⅱ ⅱ b ロ (二)(Ⅲ)釈咨嗟示願意
^「↑咨嗟」 と申すは、 よろづの仏にほめられたてまつると申す御ことなり。
二 Ⅱ ⅲ 散善義
【15】 (註:この段は 「^▲↓一心専念 弥陀名号 ↓行住座臥 不問時節久近 念々不捨者 ↓是名正定之業 順彼仏願故」 (散善義) の釈。)
^「↑一0671心専念」 といふは、 「一心」 は金剛の信心なり。 ^「専念」 は一向専修なり。 一向は、 余の善にうつらず、 余の仏を念ぜず。 専修は、 本願のみなをふたごころなくもつぱら修するなり。 修は、 こころの定まらぬをつくろひなほし、 おこなふなり。 専はもつぱらといふ、 一といふなり。 もつぱらといふは、 余善・他仏にうつるこころなきをいふなり。
^「↑行住座臥不問時節久近」 といふは、 「行」 はあるくなり、 「住」 は*たたるなり、 「座」 はゐるなり、 「臥」 はふすなり。 「不問」 はとはずといふなり。 「時」 はときなり、 *十二時なり。 「節」 はときなり、 十二月、 四季なり。 「久」 はひさしき、 「近」 はちかしとなり。 ときをえらばざれば不浄のときをへだてず、 よろづのことをきらは0688ざれば不問トハズトといふなり。
^「↑是名正定之業順彼仏願故」 といふは、 *弘誓を信ずるを、 *報土の業因と定まるを、 正定の業となづくといふ、 仏の願にしたがふがゆゑにと申す文なり。
二 Ⅱ ⅳ 異学別解名
a 標
【16】^一念多念のあらそひをなすひとをば、 ↓異学・コトゴトヲナ↓別解のラヒマナブナリひとと申すジリキノヒトナリ なり。
二 Ⅱ ⅳ b 釈
^▲↑異学といふは、 聖道・外道におもむきて、 余行を修し、 余仏を念ず、 吉日良辰をえらび、 占ウラ 相サウ 祭祀マツリハをラヘナリこのむものなり。 これは外道なり、 これらはひとへに自力をたのむものなり。
^▲↑別解は、 念仏をしながら他力をたのまぬなり。 ^別といふは、 ひとつなる0672ことをふたつにわかちなすことばなり。 ^解はさとるといふ、 とくといふことばなり。 念仏をしながら自力にさとりなすなり。 かるがゆゑに別解といふなり。
^また助業をこのむもの、 これすなはち自力をはげむひとなり。 自力といふは、 わが身をたのみ、 わがこころをたのむ、 わが力をはげみ、 わがさまざまの善根をたのむひとなり。
二 Ⅱ ⅴ 法事讃
a 上尽等二句
【17】 (註:この段は 「^▲↓上尽一形至↓十念 三念五念仏来迎 ↓直為弥陀弘誓重 致使凡夫念即生」 (*法事讃・下) の釈。)
^「↑上尽一形」 といふは、 「上」 はかみといふ、 すすむといふ、 のぼるといふ、 いのちをはらんまでといふ。 ^「尽」 はつくるまでといふ。 ^「形」 はかたちといふ、 あらはすといふ。 念仏せんこといのちをはらんまで0689となり。
^「↑十念・三念・五念の ものもむかへたまふ」 (意) といふは、 念仏の遍数によらざることをあらはすなり。
二 Ⅱ ⅴ b 直為等一句
イ 正釈
^▲「↑直為弥陀弘誓重」 といふは、 「直」 はただしきなり、 如来の直説といふなり。 諸仏の世に出でたまふ本意と申すを直説といふなり。 ^▲「為」 はなすといふ、 もちゐるといふ、 さだまるといふ、 かれといふ、 これといふ、 あふといふ。 あふといふは、 かたちといふこころなり。 ^「重」 はかさなるといふ、 おもしといふ、 あつしといふ。 誓願の名号、 これをもちゐさだめなしたまふことかさなれりとおもふべきことをしらせんとなり。
二 Ⅱ ⅴ b ロ 引証
(一)略釈文義
(Ⅰ)挙文
【067318】^しかれば、 ¬大経¼ (上) には、 「▲*↓如来↓所以 ↓興出於世 ↓欲↓拯↓群萌 ↓恵以↓真実之利」 とのたまへり。
二 Ⅱ ⅴ b ロ (一)(Ⅱ)釈義
^この文のこころは、 「↑*如来」 と申すは諸仏を申すなり。 「↑所以」 はゆゑといふことばなり。 ^「↑興出於世」 といふは、 仏の世に出でたまふと申すなり。
^「↑欲」 はおぼしめすと申すなり。 「↑拯」 はすくふといふ。 ^「↑群萌」 はよろづの衆生といふ。 「↑恵」 はめぐむと申す。 ^「↑真実之利」 と申すは弥陀の誓願を申すなり。
^しかれば、 諸仏の世々に出でたまふゆゑは、 弥陀の願力を説きて、 よろづの衆生を恵み拯はんと欲しめすを、 本懐とモトノオモヒナリせんとしたまふがゆゑに、 真実之利とは申すなり。 しかれば、 これを諸仏出世の直説と申す0690なり。
二 Ⅱ ⅴ b ロ (二)広釈真利
(Ⅰ)諸善仮門
(ⅰ)総標
^▲おほよそ*八万四千の法門は、 みなこれ浄土の方便の善なり。 これを要門といふ、 これを仮門カリナリマコトナラズとなづけたりトナリ 。
二 Ⅱ ⅴ b ロ (二)(Ⅰ)(ⅱ)示体
^この要門・仮門といふは、 すなはち ¬*無量寿仏観経¼ 一部に説きたまへる定善・散善、 これなり。 定善は十三観なり、 散善は三福九品の諸善ヨロヅノなり。ゼントイフナリこれみな浄土方便の要門なり、 これを仮門ともいふ。
二 Ⅱ ⅴ b ロ (二)(Ⅰ)(ⅲ)釈成
^この要門・仮門より、 もろもろの衆生をすすめ*こしらへて、 本願↓一乗↓円融↓無礙↓真実功徳↓大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、 よろづの自力の善業をば方便の門と申すなり。
二 Ⅱ ⅴ b ロ (二)(Ⅱ)本願真実
(ⅰ)正釈
(a)総釈
^いま▲↑一乗と申すは、 本願なり。 ↑円融と申すは、 よろづの功徳善根みち0674みちて、 かくることなし、 自在なるこころなり。 ↑無礙と申すは、 煩悩悪業にさへられず、 やぶられぬをいふなり。 ▲↑真実功徳と申すは名号なり。 ↓一実真如の妙理、 円満せるがゆゑに、 ↑大宝海にたとへたまふなり。
二 Ⅱ ⅴ b ロ (二)(Ⅱ)(ⅰ)(b)別釈
(イ)釈真実宝海
^▲↑一実真如と申すは無上大涅槃なり。 涅槃すなはち法性なり、 法性すなはち如来なり。 宝海と申すは、 よろづの衆生をきらはず、 さはりなくへだてず、 みちびきたまふを、 大海の水のへだてなきにたとへたまへるなり。
^▲この一如宝海よりかたちをあらはして、 法蔵菩薩となのりたまひて、 無礙のちかひをおこしたまふをたねとして、 阿弥陀仏となりたまふがゆゑに、 報身如来と申す0691なり。 これを尽十方無礙光仏となづけたてまつれるなり。 この如来を、 南無不可思議光仏とも申すなり。
二 Ⅱ ⅴ b ロ (二)(Ⅱ)(ⅰ)(b)(ロ)示全性修起
^▼この如来を、 方便法身とは申すなり。 方便と申すは、 かたちをあらはし、 御なをしめして、 衆生にしらしめたまふを申すなり。 すなはち阿弥陀仏なり。 この如来は光明なり、 光明は智慧なり、 ▲*智慧はひかりのかたちなり。 智慧またかたちなければ不可思議光仏と申すなり。 この如来、 十方微塵世界にみちみちたまへるがゆゑに、 無辺光仏と申す。 しかれば、 世親菩薩 (*天親) は尽十方無礙光如来となづけたてまつりたまへり。
二 Ⅱ ⅴ b ロ (二)(Ⅱ)(ⅱ)引証
(a)挙文
【067519】 ^¬*浄土論¼ にいはく、 「^▲↓観仏本願力 ↓遇↓無↓空↓過↓者 ↓能↓令↓速↓満↓足 ↓功徳↓大宝海」 とのたまへり。
二 Ⅱ ⅴ b ロ (二)(Ⅱ)(ⅱ)(b)和読
^この文のこころは、 「仏の本願力を観ずるミルナリシルコヽロナリに、 まうあうてむなしくすぐるひとなし。 よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ」 とのたまへり。
二 Ⅱ ⅴ b ロ (二)(Ⅱ)(ⅱ)(c)釈義
^「↑観」 は願力をこころにうかべみると申す、 またしるといふこころなり。 「↑遇」 は*まうあふといふ。 まうあふと申すは、 本願力を信ずるなり。 「↑無」 はなしといふ。 「↑空」 はむなしくといふ。 「↑過」 はすぐるといふ。 「↑者」 モノトイフはひとといふ。 むなしくすぐるひとなしといふは、 信心あらんひと、 むなしく生死にとどまることなしとなり。
^「↑能」 はよくといふ。 「↑令」 はせしむ0692といふ、 よしといふ。 「↑速」 はトクスミヤカニすみやかにといふ、 ときことといふなり。 「↑満」 はみつといふ。 「↑足」 はたりぬといふ。 「↑功徳」 と申すは名号なり。 ^「↑大宝海」 はよろづの善根功徳満ちきはまるを海にたとへたまふ。 ^この功徳をよく信ずるひとのこころのうちに、 すみやかに疾く満ちたりぬとしらしめんとなり。 しかれば、 金剛心のひとは、 しらず、 もとめざるに、 功徳の大宝その身にみちみつがゆゑに、 大宝海とたとへたるなり。
二 Ⅱ ⅴ c 致使等一句
イ 挙文
【20】 (註:この段は 「△上尽一形至十念 三念五念仏来迎 直為弥陀弘誓重 ▲致使凡夫念即生」 (法事讃・下) の釈。)
^「↓致↓使↓凡夫↓念↓即↓生」 といふは、
二 Ⅱ ⅴ c ロ 別釈
(一)総就一句釈
^「↑致」 はむねとすといふ。 むねとすといふは、 これを本とすといふことばなり。 いたるといふ。 いたるといふは、 実報土にいたる0676となり。 「↑使」 はせしむといふ。 ^「↑凡夫」 はすなはちわれらなり。 本願力を信楽するをむねとすべしとなり。 ^「↑念」 は如来の御ちかひをふたごころなく信ずるをいふなり。 ^「↑即」 はすなはちといふ、 ときをへず、 日をへだてず、 正定聚の位に定まるを 「即生」 スナワチムマルトといふなり。 「↑生」 はうまるといふ。 これを 「念即生」 と申すなり。
^△また 「↑即」 はつくといふ。 つくといふは、 位にかならずのぼるべき身といふなり。 世俗のならひにも、 国の王の位にのぼるをば即位といふ。 位といふはくらゐといふ。 これを*東宮の位にゐるひとはかならず王の位につくがごとく、 正定聚の位につくは東宮の位のごとし。 王にのぼるは即位といふ。 これはすなはち無上大涅槃にいたるを申すなり。 信心のひとは正定聚にいたりて、 かならず滅度に至ると誓ひたまへるなり。 これを 「致とす」 といふ。 むねとすと申すは、 涅槃のさとりをひらくをむねとすとなり。
二 Ⅱ ⅴ c ロ (二)別就凡夫釈
(Ⅰ)正釈
^「↑凡夫」 といふは、 無明煩悩われらが身にみちみちて、 欲もおほく、 いかり、 はらだち、 そねみ、 ねたむこころおほくひまなくして、 臨終の一念にいたるまで、 とどまらず、 きえず、 たえずと、 *水火二河のたとへにあらはれたり。 かかるあさましきわれら、 願力の白道を↓一分二分やうやうづつあゆみゆけば、 無礙光仏のひかりの御こころ0677にをさめとりたまふがゆゑに、 かならず安楽浄土へいたれば、 弥陀如来とおなじく、 かの正覚の華に化生して大般涅槃のさとりをひらかしむるをむねとせしむべしとなり。 これを 「致使凡夫念即生」 と申すなり。
二 Ⅱ ⅴ c ロ (二)(Ⅱ)別釈一分二分
^二河のたとへに、 「↑一分二分ゆく」 といふは、 一年二年すぎゆくにたとへたるなり。
二 Ⅱ ⅴ c ハ 通結
^諸仏出世の直説、 如来成道の素懐は、 凡夫は弥陀の本願を念ぜしめて即生するをむねとすべしとなり。
二 Ⅱ ⅵ 往生礼讃
a 前序文
【21】 (註:この段は 「▲今信知弥陀本弘誓願 及称名号下至十声一声等 定得往生 乃至一念 無有疑心」 (礼讃) の釈。)
^「今↓信↓知弥陀本弘誓願 ↓及称名号」 といふは、 如来の0694ちかひを信知すと申すこころなり。
^「↑信」 といふは金剛心なり。 ^「↑知」 といふはしるといふ、 煩悩悪業の衆生をみちびきたまふとしるなり。 また 「知」 といふは観なり。 こころにうかべおもふを観といふ、 こころにうかべしるを 「知」 といふなり。
^「↑及称名号」 といふは、 「及」 はおよぶといふ。 およぶといふはかねたるこころなり。 ^「称」 は御なをとなふるとなり。 ▲また称ははかりといふこころなり。 はかりといふはもののほどを定むることなり。 名号を称すること、 十声・一声、 きくひと、 疑ふこころ一念もなければ、 実報土へアンヤウジヤウド生ナリると申すこころなり。
二 Ⅱ ⅵ b 巻末文
^また ¬阿弥陀経¼ の 「▲七日もしは一日、 名号をとなふべし」 となり。
二 Ⅲ 結示
ⅰ 別就当章結示
【22】^これは多念の証文なり。 0678おもふやうには申しあらはさねども、 これにて、 一念多念のあらそひあるまじきことは、 おしはからせたまふべし。
二 Ⅲ ⅱ 通就一部結示
^*浄土真宗のならひには、 *念仏往生と申すなり、 まつたく一念往生・多念往生と申すことなし。 これにてしらせたまふべし。
標号
*南無阿弥陀仏
述由
^▼ゐなかのひとびとの、 文字のこころもしらず、 あさましき愚痴きはまりなき0695ゆゑに、 やすくこころえさせんとて、 おなじことを、 とりかへしとりかへし書きつけたり。 こころあらんひとは、 をかしくおもふべし、 あざけりをなすべし。 しかれども、 ひとのそしりをかへりみず、 ひとすぢに愚かなるひとびとを、 こころえやすからんとてしるせるなり。
年時撰号
*康元二歳丁巳二月十七日
愚禿*親鸞八十五歳これを書く。
底本は真宗大谷派蔵康元二年親鸞聖人真筆本ˆ聖典全書と同一ˇ。
文意 「証文」 とする異本がある。
いのちをはらんときまで 「恒願…」 の句は元来、 臨終迎接を願った文であるが、 親鸞聖人は 「臨終時」 を 「いのちをはらんときまで」 と読むことによって、 平生・臨終を通して摂取不捨の利益の顕現を願う意とした。
歓喜といふは… 親鸞聖人は歓喜を必ず実現すると定まっていることがら (往生成仏の果) を待望してよろこぶ意とし、 慶
▽(慶喜・慶楽) をすでにわが身の上に実現していることがら (現生で正定聚の位に入ること) をよろこぶ意とする。
かの国にうまれんと… 第十一願成就文の 「生彼国者」 は元来、 「かの国に生るれば」 と読まれるべきものであるが、 親鸞聖人はこれを 「かの国に生れんとするものは」 と読みかえて、 他力信心の行者が現生 (この世) で正定聚の位に入ることを示した。
五十六億七千万歳 釈迦の入滅から弥勒菩薩が成仏するまでの年数 (¬菩薩処胎経¼ の説)。
経言 ¬大経¼ の第十八願文および ¬大阿弥陀経¼ ¬平等覚経¼ 等の文を取意して引く。
剋念して ¬論註¼ の当分では 「克念して生ぜんと願ずれば、 また往生を得て、 すなわち正定聚に入る」 と読む。 剋念願生する者が浄土に往生して正定聚に入る義であるが、 親鸞聖人は原文を読みかえて、 剋念願生する者 (此土) と浄土に往生した者 (彼土) との二類の正定聚があることを示した。 剋念は心を専注して一心になること。 ここでは信心の異名。
念仏衆生… ¬龍舒浄土文¼ の原文は 「一念往生便同弥勒」 となっている。
仏心光 大智大悲の仏心をもって念仏の衆生をおさめとる摂取の光明のこと。
是人 「是」 の字は ¬観念法門¼ の原文では単なる指示語であるが、 親鸞聖人はこれを 「非」 に対する語とみて、 真実信楽の人を 「是人」 と讃嘆した。
さへて さえぎって。
ものうきことなくして 飽きることがない。 ここでは見捨てたもうことなくという意
一念 この一念について、 「行巻」 の釈と同じく
行の一念と解する説、 後文に 「一念信心をうるひとの…」 とあることから、
信の一念と解する説とがある。
本願の文 第十八願の文。
たたる 立っている。
弘誓を… 「散善義」 では称名念仏を正定業というが、 念仏往生の弘誓 (本願) を信授したとき、
報土往生の
業因が定まるので、 ここでは信心を
正定業という。
報土の業因 本願に報いて完成された浄土に生れるべきたね (因種)。
如来所以 ¬大教¼ の原文は 「如来、 無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまふ。 世に出興するゆゑは、 道教を光闡して、 群萌を救ひ恵むに真実の利をもってせんと欲してなり」 となっている。 「道教を光闡して」 の語を省略したのは、 道教を出世の本意ではない聖道教とみたためであろう。
如来と申すは… 阿弥陀仏の本願の救いを説くのは、 釈尊だけでなく、 すべての仏の出世の本意であるということを示す。
こしらへて 誘引して。 誘い導いて。
智慧はひかりのかたちなり 「ひかりは智慧のかたちなり」 の意か。
観ずる ここでは観を本願力を信知することの意とする。