0643◎尊0603号真像銘文 本
一 尊号銘文
Ⅰ ¬大経¼
ⅰ 第十八願文
【1】 ◎^↓¬*大無量寿経¼言「▲↓設我得仏 ↓十方衆生 ↓至心信楽 ↓欲生我国 ↓乃至十念 ↓若不生者 不取正覚 ↓唯除五逆 誹謗正法」 (上) 文
^「↑大無量寿経言」 といふは、 如来の四十八願を説きたまへる経なり。
^「↑設我得仏」 といふは、 もしわれ仏を得 になり たらんときといふ御ことばなり。
^「↑十方衆生」 といふは、 十方のよろづの衆生といふなり。
^「↑至心信楽」 といふは、 「至心」 は真実と申すなり、 真実と申すは如来の御ちかひの真実なるを至心と0604申すなり。 煩悩具足の衆生は、 もとより真実の心なし、 清浄の心なし、 濁悪邪見のゆゑなり。 「信楽」 といふは、 如来の本願真実にましますを、 *ふたごころなくふかく信じて疑はざれば、 信楽と申すなり。 この 「至心信楽」 は、 すなはち十方の衆生をしてわが真実なる誓願を信楽すべしとすすめたまへる御ちかひの至心信楽なり、 凡夫自力のこころにはあらず。
^「↑欲生我国」 といふは、 他力の0644至心信楽のこころをもつて、 安楽浄土に生れんとおもへとなり。
^「↑乃至十念」 と申すは、 如来のちかひの*名号をとなへんことをすすめたまふに、 遍数の定まりなきほどをあらはし、 時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、 乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。 如来より御ちかひをたまはりぬる0605には、 尋常のヨノツネトイフ時節をとりて臨終の称念をまつべからず、 ただ如来の至心信楽をふかくたのむべしとなり。 この真実信心をえんとき、 摂取不捨の心光に入りぬれば、 正定聚の位に定まるとみえたり。
^「↑若不生者不取正覚」 といふは、 「若不生者」 はもし生れずはといふみことなり。 「不取正覚」 は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。 このこころは、 すなはち至心信楽をえたるひと、 わが浄土にもし生れずは、 仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり。
^この本願の*やうは、 ¬*唯信抄¼ によくよくみえたり。 「唯信」 と申すは、 すなはちこの真実信楽をひとすぢにとるこころを申すな0606り。
^「↑唯除五逆誹謗正法」 といふは、 「唯除」 といふはただ除くといふことばなり。 五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。 このふたつの罪のおもきことをしめして、 十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。
一 Ⅰ ⅱ 第十七願成就文
【06452】 ^又言「▲↓其仏本願力 ↓聞名欲往生 ↓皆悉到彼国 ↓自致不退転」 (大経・下) と。
^「↑其仏本願力」 といふは、 弥陀の本願力と申すなり。
^「↑聞名欲往生」 といふは、 「聞」 といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり。 ^「欲往生」 といふは安楽浄刹に生れんとおもへとなり。
^「↑皆悉到彼国」 といふは、 御ちかひのみなを信じて生れんとおもふ人は、 みなもれずかの浄土に到ると申す御ことなり。
^「↑自致不退転」 といふは、 「自0607」 はおのづからといふ、 おのづからといふは衆生のはからひにあらず、 しからしめて不退の位にいたらしむとなり、 自然といふことばなり。 ^「致」 といふは、 いたるといふ、 むねとすといふ、 如来の本願のみなを信ずる人は、 自然に不退の位にいたらしむるをむねとすべしとおもへとなり。 ^「不退」 といふは、 仏にかならず成るべき身と定まる位なり。 これすなはち正定聚の位にいたるをむねとすべしと説きたまへる御のりなり。
一 Ⅰ ⅲ 第十一願成就文
【3】 ^又言「▲↓必得超絶去 往生安養国 ↓横截五悪趣 悪趣自然閉 ↓昇道無窮極 ◆↓易往而無人 ↓其国不逆違 自然之所牽」 (大経・下) 抄出
^「↑必得超絶去往生安養国」 といふは、 「必」 はかならずといふ、 かならずとい0646ふは定まりぬといふこころなり、 また自然といふこころなり。 「得」 はえたりといふ。 「超」 はこえてといふ。 「絶」 はたちすてはなるといふ。 「去」 はすつといふ、 ゆくといふ、 さるといふなり。 娑婆世界をたちすてて、 *流転生死をこえはなれてゆきさるといふなり。、 安養浄土に往生をうべしとなり。 ▲「安養」 といふは、 弥陀をほめたてまつるみことと*みえたり、 すなはち安楽浄土なり。
^「↑横截五悪趣悪趣自然閉」 といふは、 「横」 はよこさまといふ、 よこさまといふは如来の願力を信ずるゆゑに行者のはからひにあらず、 五悪趣を自然にたちすて四生をはなるるを横といふ、 他力と申すなり。 これを▲横超といふなり。 横はヨコサマ竪にタヽサマ対0609することばなり、 超は迂にメグル 対することばなり。 竪はたたさま、 迂はめぐるとなり。 竪と迂とは自力聖道のこころなり、 横 と超はすなはち他力真宗の本意なり。 ^「截」 といふはきるといふ、 *五悪趣のきづなをよこさまにきるなり。 「悪趣自然閉」 といふは、 願力に帰命すれば五道生死をとづるゆゑに自然閉といふ なり。 「閉」 トヅトイフはとづといふなり。 本願の業因にひかれて自然に 安楽に生るるなり。
^「↑昇道無窮極」 といふは、 「昇」 はのぼるといふ、 のぼるといふは無上涅槃にいたる、 これを昇といノボルトイフ ふなり。 「道」 は大涅槃道なり。 「無窮極」 といふはきはまりなしと0647なり。
^「↑易往而無人」 といふは、 「易往」 はゆきやすしとなり、 本0610願力に乗ずれば本願の実報土に生るること疑なければ、 ゆきやすきなり。 「無人」 といふはひとなしといふ、 人なしといふは真実信心の人はありがたきゆゑに実報土に生るる人まれなりとなり。 しかれば、 *源信和尚は、 「▲報土に生るる人はおほからず、 化土に生るる人はすくなからず」 (*往生要集・下意) とのたまへり。
^「↑其国不逆違自然之所牽」 といふは、 「其国」 はそのくにといふ、 すなはち安養浄刹なり。 「不逆違」 はさかさまならずといふ、 たがはずといふなり。 「逆」 はさかさまといふ、 「違」 はたがふといふなり。 真実信をえたる人は、 大願業力のゆゑに、 自然に浄土の業因たがはずして、 かの業力にひかるるゆゑにゆきやすく、 無上大涅槃にのぼるにきはまりなしとのたまへるなり。 しかれば、 「自然之所牽」 と申すなり。 他0611力の至心信楽の業因の自然にひくなり、 これを 「牽」 といふなり。 「自然」 といふは、 行者のはからひにあらずとなり。
二 真像銘文
Ⅰ 勢至菩薩
ⅰ ¬首楞厳経¼文
【4】 ^*大勢至菩薩御銘文
^¬*首楞厳経¼言「↓勢至獲↢念仏円通↡ ↓大勢至法王子 与其同倫 五十二菩薩 ↓即従座起 頂礼仏足 而白仏言 ↓我憶往昔 恒河沙劫 ↓有仏出世 名0648無量光 ↓十二如来 相継一劫 ↓其最後仏 名超日月光 ↓彼仏教我 念仏三昧 乃至 ▼↓若衆生心 憶仏 念仏 ↓現前当来 必定見仏 去↠仏不↠遠 不↠仮↢方便↡ 自得心開 ↓如染香人 身有香気 ↓此則名曰 香光荘厳 ▼↓我本因地 以念仏心 入無生忍 今於此界 摂念仏人 帰於浄土」 以上略出
*¬首楞厳経¼ にのたまわく、 「勢至念仏円通を獲たり。 大勢至法王子、 その同倫の五十二菩薩と、 すなはち座より起ち、 仏足を頂礼して仏にまうしてまうさく、 われ往昔の恒河沙劫を憶ふに、 仏ありて世に出でます。 無量光と名づく。 十二の如来、 一劫にあひ継ぎ、 その最後の仏を超日月光と名づく。 かの仏、 われに念仏三昧を教へたまふ。 乃至 もし衆生、 心に仏を憶ひ仏を念ずれば、 現前・当来にかならずさだめて仏を見たてまつらん。 仏を去ること遠からず、 方便を仮らず、 おのづから心開かるることを得ん。 染香人の身に香気あるがごとし。 これすなはち名づけて香光荘厳といふ。 われもと因地にして、 念仏の心をもつて無生忍に入る。 いまこの界において、 念仏の人を摂して浄土に帰せしむ」 と。
^「↑勢至獲*念仏円通」 といふは、 勢至菩薩、 念仏を獲たまふと申すことなり。 「獲エタリ」 といふはうるといふことばなり。 うるといふはすなはち因位のとき*さとりをうるといふ。 念仏を勢至菩薩さとりうると申すなり。
^「↑大勢至*法王子与其同倫」 といふは、 *五十二菩薩と勢至とおなじきともと申す。 法王子とその菩薩とおなじきともと申すを 「与其同倫」 といふなり。
^「↑即従座起頂礼仏足而白仏言」 と申すは、 すなはち座よりたち、 仏の御足を礼して仏にまうしてまうさくとなり。
^「↑我憶往昔」 といふは、 われむかし恒河沙劫の数のとしをおもふといふこころなり。
^「↑有仏出世名無量光」 と申すは、 仏、 世に出でさせたまひしと申す御ことばなり。 世に出でさせたまひし仏は阿弥0613陀如来なりと申すなり。 *十二光仏、 十二度世に出でさせたまふを 「↑十二如来相継アヒツグ一劫」 と申すなり。 「十二如来」 と申すは、 すなはち阿弥陀如来の十二光の御名なり。 「相継一劫」 と0649いふは、 十二光仏の十二度世に出でさせたまふをあひつぐといふなり。
^「↑其最後仏名超日月光」 と申すは、 十二光仏の世に出でさせたまひしをはりの仏を 「超日月光仏」 と申すとなり。
^「↑彼仏教我念仏三昧」 と申すは、 かの最後の超日月光仏の念仏三昧を、 勢至には教へたまふとなり。
^「↑若衆生心憶仏念仏」 といふは、 もし衆生、 心に仏を憶し仏を念ずれば ˆとなりˇ。
^「↑現前当来必定見仏去仏不遠不仮方便0614自得心開」 といふは、 今生にも仏を見たてまつり、 当来にもかならず仏を見たてまつるべしとなり。 仏もとほざからず、 方便をもからず、 自然に心にさとりを得べしとなり。
^「↑如染香人身有香気」 といふは、 かうばしき気、 身にある人のごとく、 念仏のこころもてる人に、 勢至のこころをかうばしき人にたとへまうすなり。 このゆゑに 「↑此則名曰*香光荘厳ネムブチハチヱナリ」 と申すなり。 勢至菩薩の御こころのうちに念仏のこころをもてるを、 *染香人カウバシキカにたとミニソメルガへまうゴトシトイフすなり。
^かるがゆゑに勢至菩薩のたまはく、 「↑我本因地 以念仏心 入無生忍 今於此界 摂念仏人 帰於浄土」 といへり。 「我本因地」 といふは、 われもと*因地にしてといへり。 「以念仏心」 といふは、 念仏の心をもつてといふ。 「入無生忍」 といふは、 無生忍フタイノクラヰにナリ入るとなり。 「今於此界」 といふは0650、 い0615まこの娑婆界にしてといふなり。 「摂念仏人」 といふは、 念仏の人を摂取してといふ。 「帰於浄土」 といふは、 念仏の人 ˆをˇ 摂め取りて浄土に帰せしむとのたまへるなりと。
二 Ⅱ 龍樹菩薩
ⅰ ¬十住毘婆沙論¼文
【5】 ^*龍樹菩薩御銘文
^¬*十住毘婆沙論¼曰「▲↓人能念是仏 無量力功徳 ↓即時入必定 ↓是故我常念 ▲↓若人願作仏 ↓心念阿弥陀 ↓応時為現身 ↓是故我帰命」 (易行品) 文
^「↑人能念是仏無量力功徳」 といふは、 ひとよくこの仏の無量の功徳を念ずべしとなり。
^「↑即時入必定」 といふは、 信ずれば*すなはちのとき必定に入るとなり。 必定に入るといふは、 まことに念ずれ0616ばかならず正定聚の位に定まるとなり。
^「↑是故我常念」 といふは、 われつねに念ずるなり。
^「↑若人願作仏」 といふは、 もし人仏にならんと願ぜば ˆとなりˇ。 「↑心念阿弥陀」 といふ ˆはˇ、 心に阿弥陀を念ずべしとなり。 念ずれば 「↑応時為現身」 とのたまへり。 「応時」 といふはときにかなふといふなり、 「為現身」 と申すは、 信者のために如来のあらはれたまふなり。
^「↑是故我帰命」 といふは、 龍樹菩薩のつねに阿弥陀如来を帰命したてまつるとなり。
二 Ⅲ 天親菩薩
ⅰ ¬浄土論¼二文
【06516】 ^↓*婆藪般豆菩薩 ¬論¼ 曰 「▲↓世尊我一心 ↓帰命尽十方 無礙光如来 ◆↓願生安楽国 ◆↓我依修多羅 真実功徳相 ↓説願偈総持 ↓与仏教相応 ▲↓観彼世界相 勝過三界道 ◆究竟如虚空 広大無辺際」 (浄土論) と。
^又曰 「▲↓観仏本願力 遇無空過者 ↓能令速満足 功徳大宝海」 (浄土論)。
^「↑婆藪般豆菩薩論曰」 といふは、 「婆藪般豆」 は天竺 (印度) のことばなり、 晨旦 (中国) には*天親菩薩と申す。 またいまはいはく、 世親菩薩と申す。 *旧訳には天親、 *新訳には世親菩薩と申す。 「論曰」 は、 世親菩薩、 弥陀の本願を釈しあらはしたまへる御ことを 「論」 といふなり、 「曰」 はこころをあらはすことばなり。 この論をば ¬*浄土論¼ といふ、 また ¬往生論¼ といふなり。
^「↑世尊我一心」 といふは、 「世尊」 は釈迦如来なり。 「我」 と申す いふ は世親菩薩のわが身とのたまへるなり。 ▼「一心」 といふは、 教主世尊の御ことのりをふたごころなく疑なしとなり、 すなは0618ちこれまことの信心なり。
^「↑帰命尽十方無礙光如来」 と申すは、 「帰命」 は南無なり、 また帰命と申すは如来の勅命にしたがふ ひこころたてまつる なり。 「尽十方無礙光如来」 と申すはすなはち阿弥陀如来なり、 この如来は光明なり。 「尽十方」 といふは、 「尽」 はつくすといふ、 ことごとくといふ0652、 十方世界をつくしてことごとくみちたまへるなり。 「無礙」 といふは、 *さはることなしとなり。 さはることなしと申すは、 衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。 「*光如来」 と申すは阿弥陀仏なり。 この如来はすなはち不可思議光仏と申す。 ▼この如来は智慧のかた 相 ちなり、 十方*微塵刹土にみちたまへるなりとしるべしとなり。
^「↑願生安楽国」 といふは、 世親菩薩、 かの無礙光仏 の願行を称念し信じて安楽国に生れんと願ひたまへるなり。
^「↑我依修多0619羅真実功徳相」 といふは、 「我」 は天親論主のわれとなのりたまへる御ことばなり。 「依」 はよるといふ、 修多羅によるとなり。 「修多羅」 は天竺 (印度) のことば、 仏の経典を申すなり。 仏教に大乗あり、 また小乗あり。 みな修多羅と申す。 いま修多羅と申すは大乗なり、 小乗にはあらず。 いまの*三部の経典は▲大乗修多羅なり、 この三部大乗によるとなり。 「真実功徳相」 といふは、 「真実功徳」 は誓願の尊号なり、 「相」 はかたちといふことばなり。
^「↑説願偈総持」 といふは、 本願のこころをあらはすことばを 「偈」 といふなり。 「総持」 といふは智慧なり、 無礙光の智慧を総持と申すなり。
^「↑与仏教相0620応」 といふは、 この ¬浄土論¼ のこころは、 釈尊の教勅、 弥陀の誓願にあひかなへりとなり。
^「↑観彼世界相勝0653過三界道」 といふは、 かの安楽世界を*みそなはすに、 ほとりきはなきこと虚空のごとし、 ひろくおほきなること虚空のごとしとたとへたるなり。
^「↑観仏本願力遇無空過者」 といふは、 如来の本願力をみそなはすに、 願力を信ずるひとは、 むなしくここにとどまらずとなり。
^「↑能令速満足功徳大宝海」 といふは、 「能」 はよしといふ、 「令」 はせしむといふ、 「速」 はすみやかにとしといふ。 よく本願力を信楽する人は、 すみやかに疾く功徳の大宝海を信ずる 者 人のその身に満足せしむるなり。 如来の功徳のきはなくひろくおほきにへだて なる なきことを、 大海の水のへだてなくみちみてるがごとし0621とたとへたてまつるなり。
二 Ⅳ 曇鸞大師
ⅰ 迦才¬浄土論¼文
【7】 ^*斉朝ヨノナナリ *曇鸞和尚真像銘文
^「↓釈曇鸞法師者 并州汶水県人也 ▼↓魏末高斉之初 猶在 ↓神智高遠 ↓三国知聞 ↓洞暁↢衆経↡ ↓独出↢人外↡ ▲↓梁国天子蕭王 ↓恒向↠北 礼↢鸞菩薩↡ ↓註↢解往生論↡ ↓裁↢成ノセナセリ 両巻↡ ^*事出↢↓釈迦才三巻浄土論↡也」 文
*「釈の曇鸞法師は、 并州汶水県の人なり。 魏の末高斉の初、 なほ在しき。 神智高遠にして、 三国に知聞す。 あきらかに衆経を暁ること、 ひとり人外に出でたり。 梁国の天子蕭王、 つねに北に向ひて、 鸞菩薩と礼す。 ¬往生論¼ を註解して両巻に裁り成ず。 事、 釈の迦才の三巻の ¬浄土論¼ に出でたるなり。」
^「↑釈の曇鸞法師は并州の*汶水県の人なり」。 并州はくにの名なり、 汶水県はところの名なり。
^「↑魏末ヨノナナリ高斉之ヨノナナリ 初猶在」 といふは、 「魏末」 といふは晨旦 (中国0654) の世の名なり。 「末」 はすゑといふなり、 *魏の世のすゑとなり。 「高斉之初」 は*斉といふ世のはじめといふ0622なり。 「猶在」 は魏と斉との世になほいましきといふなり。
^「↑神智高遠」 といふは、 和尚 (曇鸞) の智慧すぐれていましけりとなり。
^「↑三国知聞」 といふは、 「三国」 は魏と斉と*梁と、 この三つの世におはせしとなり。 「知聞」 といふは三つの世にしられきこえたまひきとなり。
^「↑洞暁衆経」 といふは、 あきらかによろづの経典をさとりたまふとなり。 「↑独出人外」 といふは、 よろづの人にすぐれたりとなり。
^「↑梁国の天子」 といふは、 梁の世の王といふなり、 *蕭王の名なり。 「↑恒向↠北礼」 といふは、 梁の王、 つねに曇鸞の北のかたにましましけるを、 菩薩と礼したてまつりたまひけるなり。
^「↑註解往生論」 といふは、 この ¬浄土論¼ をくはしう釈したまふを、 ¬註論¼ (論註) と申す論をつくりたまへるなり。 「↑裁成両巻」 といふは、 ¬註論¼ は二巻になしたまふなり。
^「↑釈迦才0623の三巻の浄土論」 といふは、 「釈迦才」 と申すは、 「釈」 といふは釈尊の御弟子とあらはすことばなり。 「*迦才」 は、 浄土宗の祖師なり、 智者にておはせし人なり。 かの聖人 (迦才) の三巻の ¬*浄土論¼ をつくりたまへるに、 この曇鸞の御ことばあらはせりとなり。
二 Ⅴ 善導大師
ⅰ 智栄文
【06558】 ^*唐朝*光明寺*善導和尚真像銘文 にいはく
^↓智栄讃↢善導別徳↡云 「善導阿弥陀仏化身 ↓称↢仏六字↡ ↓即嘆↠仏↓即懴悔 ↓即発願回向 ↓一切善根 荘↢厳浄土↡」 文
^*智栄善導の別徳を讃めたまふていはく、 「善導は阿弥陀仏の化身なり。 仏の六字を称せば、 すなはち仏を嘆ずるなり。 すなはち懴悔するなり。 すなはち発願回向なり。 一切善根浄土を荘厳するなり」 と。
^↑*智栄と申すは、 震旦 (中国) の聖人なり。 善導の*別徳をほめたまうていはく、 「善導は阿弥陀仏の化身な0624り」 とのたまへり。
^「↑称仏六字」 といふは、 南無阿弥陀仏の六字をとなふるとなり。
^「↑即嘆仏」 といふは、 すなはち南無阿弥陀仏をとなふるは、 *仏をほめたてまつる ことばになるとなり。
^また 「↑即懴悔」 といふは、 南無阿弥陀仏をとなふるは、 すなはち無始よりこのかたの罪業を懴悔するになると申すなり。
^「↑即発願回向」 といふは、 南無阿弥陀仏をとなふるは、 すなはち安楽浄土に往生せんとおもふになるなり、 また一切衆生にこの功徳をあたふるになるとなり。
^「↑一切善根荘厳浄土」 といふは、 阿弥陀の三字に一切善根ををさめたまへるゆゑに、 名号をとなふるはすな れば はち浄土を荘厳するになるとしるべしとなりと。 智栄禅師、 善導をほめたまへるなり。
二 Ⅴ ⅱ 「玄義分」文
【9】 ^善導和尚 云 のたまはく 「▲↓言南無者 即是帰命 ↓亦是発願回向之義 ↓言阿弥陀仏者 即是其行 ↓以斯義故 ↓必得往生」 (*玄義分) 文
^0656「↑言南無者」 といふは、 「南无」は、 すなはち帰命と申すみこと こと ばなり。 帰命は、 すなはち*釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひて、 召しにかなふと申すことばなり。 このゆゑに 「即是帰命」 とのたまへり。
^「↑亦是発願回向之義」 といふは、 二尊の召しにしたがうて、 安楽浄土に生れんとねがふこころなりとのたまへるなり。
^「↑言阿弥陀仏者」 と申す いふ は、 「即是其行」 と な のたまへり。 即是其行は、 これすなはち法蔵菩薩の選択 の本願なりとしるべしとなり。 安養浄0626土の正定の業因なりとのたまへるこころなり。
^「↑以斯義故」 といふは、 正定の因なるこの義をもつてのゆゑにといへる御こころなり。 「必得往生」 といふは、 かならず往生をえしむといふなり。^「↑必」 はかならずといふ。、 「得」 はえしむといふ。 「往生」 といふは、 浄土に生るといふなり。 かならずといふは、 自然に往生をえのこゝろをあらはす、 しむとなり。 自然といふは、 *はじめてはからはざるここず と ろなり。
二 Ⅴ ⅲ 「観念法門」文一
【10】^又曰 「▲↓言摂生増上縁者 ◆↓如無量寿経 四十八願中説 仏言↓若我成仏 ↓十方衆生 ↓願生我国 ↓称我名字 ↓下至十声 ↓乗我願力 ↓若不生者 不取正覚 ↓此即是願往生行人 ↓命欲終時 ↓願力摂得往生 故名摂生増上縁」 (*観念法門) 文
^「↑言*摂生増上縁者」 といふは、 「摂生」 は十方衆生を誓願にをさめとらせ り た0657まふと申すこころなり。
^「↑如無量寿経四十八願中説」 といふは、 如来の0627本願を説きたまへる釈迦の御のり みこと なりとしるべしとなり。
^「↑若我成仏」 と申すは、 法蔵菩薩誓ひたまはく、 もしわれ仏を得 になり たらんにと説ときとなり。 きたまふ。
^「↑十方衆生」 といふは、 十方のよろづの衆生なり、 すなはちわれらなり。
^「↑願生我国」 といふは、 安楽 養 浄刹に生れんと願へとなり。
^「↑称我名字」 といふは、 われ仏を得になれらんにわがなをとなへられんとなり。
^「↑下至十声」 といふは、 名字をとなへられんこと下十声せんものとなり。 「下至」 といふは、 十声にあまれるもの も 、 一念二念聞名のものをも、 往生にもらさずきらはぬことをあらはししめすとなり。
^「↑乗我願力」 といふは、 「乗」 はのるべしとい0628ふ、 また智なり。 智といふは、 願力にのせたまふとしるべしとなり。 願力に乗じ の せ て安楽 養 浄刹に生れんとししむるとるなり。
^「↑若不生者不取正覚」 といふは、 ちかひを信じたる人もの、 もし本願の実報土に生れずは、 仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。
^「↑此即是願往生行人」 といふは、 これすなはち往生を願ふ人といふ なり。
^「↑命欲終時」 といふは、 いのちをはらんとせんときといふ。
^「↑願力摂得往生」 といふは、 大願業力摂取して往生を得しむといへるこころなり。 すでに尋常のツネノトキナリとき信楽をえたる人と0658いふなり、 臨終のときはじめて信楽決定して摂取にあづかるものにはあらず。 ひごろ、 かの心光に*摂護せらオサメマモリタマフれまゐらせたるゆゑに、 金剛心をえたる人 はなれば正定聚に住するゆゑに、 臨終のときにあらず。 かねて尋常のときよりつねに摂護0629して捨てたまはざれば、 摂得往生と申すなり。 このゆゑに 「摂生増上縁」 となづくるなり。
^またまことに尋常のときより信なからん人は、 ひごろの称念の功によりて、 最後臨終のときはじめて善知識のすすめにあうて信心をえんとき、 願力摂して往生を得るものもあるべしとなり。 臨終の来迎をまつものは、 いまだ信心をかくのごとくなるべしと。 えぬものなれば、 臨終をこころにかけてなげくなり。
二 Ⅴ ⅳ 「観念法門」文二
【11】^又曰 「▲↓言護念増上縁者 乃至 ▲↓但有専念阿弥陀仏衆生 ↓彼仏心光 常照是人 ↓摂護不捨 ↓総不↠論↣照↢摂 余雑業行者↡ 此亦是 ↓現生護念増上縁」 (観念法門) 文
^「↑言0630*護念増上縁者」 といふは、 まことの心信心をえたる人を、 この世にてつねにまもりたまふと申すことばなり。
^「↑但有専念阿弥陀仏衆生」 といふは、 ひとすぢにふたごころなく弥陀仏を念じたてまつると申すなり。
^「↑彼仏心光常照是人0659」 といふは、 「彼」 はかのといふ。 「仏心光」 は無礙光仏の御こころと申すなり。 ^「常照」 はつねにてらすと申す。 つねにといふは、 ときをきらはず、 日をへだてず、 ところを*わかず、 まことの信心ある人をばつねにてらしたまふとなり。 てらすといふは、 かの仏心の光にをさめとりたまふとなり。 ^「仏心光」 は、 すなはち阿弥陀仏の御こころにをさめたまふとしるべし。 ^「是人」 は信心をえたる人なり。 つねにまもりたまふと申すは、 天魔*波旬にやぶられず、 *悪鬼・悪神にみだられず、 摂護不オサメマモリテ捨したステタマハズまふゆゑなり。 「↑摂0631護不捨」 といふは、 をさめまもりてすてずとなり。
^「↑総不論照摂余雑業行者行者」 といふは、 「総」 はすべてといふ、 みなといふ。 すべて雑行雑修の人をばすべてみなてらしさず、をさめまもりたまはずとなり。 てらしまもりたまはずと申すは、 摂取不捨の利益にあづからずとなり。 本願の行者にあらざるゆゑなりとしるべし。 しかれば、 摂護不捨と釈したまはず。
^「↑現生護念増上縁」 といふは、 この世にてまことの信ある人をまもりたまふと申すみことなり。 「増上縁」 はすぐれたる強縁 なりとなり。
二 Ⅵ 聖徳太子
【12】^皇太子聖徳御銘文
^↓¬*御縁起¼ 曰 「▼↓百済国↓聖明王↓太子阿佐礼曰 敬礼救世 大慈観音菩薩 ↓妙教0660流通 東方日本国 ↓四十九歳 ↓伝灯演説」 文
^「▼新羅国聖人日羅礼曰 ↓敬礼救世 観音大菩薩 ↓伝灯東方 ↓粟散王」 文
^「↑御縁起曰」 といふは、 *聖徳太子の御縁起なり。
^「↑*百済国」 といふは、 聖徳太子、 さきの世に生れさせたまひたりける国の名なり。
^「↑*聖明王」 といふは、 百済国に太子 (聖徳太子) の*わたらせたまひたりけるときの、 その国の王の名なり。
^「↑太子阿佐礼曰」 といふは、 聖明王の太子の名なり。 聖徳太子をこひしたひかなしみまゐらせて、 御かたちを金銅にて鋳まゐらせたりけるを、 この和国に聖徳太子生れてわたらせたまふとききまゐらせて、 聖明王、 わがこの*阿佐太子を勅使として、 金銅の救世観音の像をおくりまゐらせしとき、 礼しまゐらすとし0633て誦せる文なり、 「敬礼救世大慈観音菩薩」 と申しけり。
^「↑妙教流通東方日本国」 と申すは、 上宮太子 (聖徳太子)、 仏法をこの和国につたへひろめおはしますとなり。
^「↑四十九歳」 といふは、 上宮太子は四十九歳までぞ、 この和国にわたらせたまはんずると阿佐太子申しけり。 おくられたまへる金銅の救世菩薩は、 *天王寺の金堂にわたらせたまふなり。
^「↑伝灯演説」 といふは、 「伝灯」 は仏法をともしびにたとへたるなり。 「演説」 は、 上宮太子、 仏教を説き0661ひろめましますべしと阿佐太子申しけり。
^また*新羅国より上宮太子をこひしたひまゐらせて、 *日羅と申す聖人きたりて、 聖徳太子を礼したて0634まつりてまうさく、 「↑敬礼救世観音大菩薩」 と申すは、 聖徳太子は*救世観音にておはしますと礼しまゐらせけり。
^「↑伝灯東方」 と申すは、 仏法をともしびにたとへて、 「東方」 と申すはこの和国に仏教のともしびをつたへおはしますと日羅申しけり。
^「↑粟散王」 と申すは、 この国はきはめて小国なりといふ。 「粟散」 といふは、 あはつぶをちらせるがごとく小さき国の王と聖徳太子のならせたまひたると申しけるなりと。
0662尊号0635真像銘文 末
二 Ⅶ 源信和尚
ⅰ ¬往生要集¼文
【13】^*首楞厳院*源信和尚の銘文 のたまはく
^「▲↓我亦在彼 摂取之中 ↓煩悩障眼 ↓雖不能見 ↓大悲無倦 ↓常照我身」 (往生要集・中) 文
^「↑我亦在彼摂取之中」 といふは、 われまたかの摂取のなかにありとのたまへるなり。
^「↑煩悩障眼」 といふは、 われら煩悩にまなこ*さへらるとなり。
^「↑雖不能見」 といふは、 煩悩のまなこにて仏をみたてまつることあたはずといへどもといふなり。
^「↑大悲無倦」 といふは、 大慈大悲の御めぐみ、 *ものうきこ0636とましまさずと申すなり。
^「↑常照我身」 といふは、 「常」 はつねにといふ、 「照」 はてらしたまふといふ。 無礙の光明、 信心の人をつねにてらしたまふとなり。 つねにてらすといふは、 つねにまもりたまふとなり。 「我身」 は、 わが身を大慈大悲ものうきことなくして、 つねにまもりたまふとおもへとなり。 摂取不捨の0663御めぐみのこころをあらはしたまふなり。 「▲念仏衆生摂取不捨」 (*観経) のここ 文 ろを釈したまへるなりとしるべしとなり。
二 Ⅷ 源空上人
ⅰ 隆寛律師文
【14】^日本*源空聖人真影銘にいはく、
^四明山 *権律師 劉官 (*隆寛) 讃 「↓普勧道俗 念弥陀仏 ↓能念皆見 化仏菩薩 ↓明知称名 往生要術 ↓宜哉源空 ↓慕道化物 ↓信珠在心 ↓心照迷境 ↓疑雲永晴 ↓仏光円頂 *建暦壬申三月一日」
*「あまねく道俗を勧めて弥陀仏を念ぜしめたまふ。 よく念ずればみな化仏菩薩を見たてまつる。 あきらかに知りぬ、 称名は往生の要術なることを。 宜きかな源空、 道を慕ひ、 物を化したまふ。 信珠心にあれば、 心迷境を照らし、 疑雲ながく晴れ、 仏光頂に円かなり。 建歴壬申三月一日」
^「↑普勧道俗念弥陀仏」 といふは、 「普勧」 はあまねく0637すすむとなり。 「道俗」 は、 道にふたりあり俗にふたりあり。 道のふたりは、 一つには僧、 二つには比丘尼なり。 俗にふたり は、 一つには仏 法 のみのりを信じ行ずる男なり、 二つには仏 法 のみのりを信じ行ずる女なり。 「念弥陀仏」 と申すは、 尊号を称念するとなり。
^「↑能念皆見化仏菩薩」 と申すは、 「能念」 はよく名号を念ずとなり いふ 、 よく念ずと申す いふ はふかく信ずるなり。 「皆見」 といふは、 化仏・菩薩をみんとおもふ人はみなみたてまつる となり。 「化仏菩薩」 と申すは、 弥陀の化仏、 観音・勢至等の聖衆なり。
^「↑明知称名」 と申すは、 あきらかにしりぬ、 仏のみなをとなふれば 「往生」 すといふことを 「要術」 とすといふ。 往生の0638要には如来のみなをとなふるにす0664ぎたることはなしとなり。
^「↑宜哉源空」 と申すは、 「宜哉」 はよしといふなり。 「源空」 は聖人の御名 御な なり。 「↑慕道化物」 といふは、 「慕道」 は無上道をねがひしたふべしと といふ なり。 「化物」 といふは、 「物」 といふは衆生なり、 「化」 はよろづのものを利益すと まふすなり。
^「↑信珠在心」 といふは、 金剛の信心をめでたき珠にたとへたまふ。 信心の珠をこころにえたる人は、 生死の闇にまどはざるゆゑに、 「↑心照迷境」 といふなり。 心照迷境といふは、信心の珠をもつて、 愚痴の闇をはらひ、 あきらかに照らすとなり。
^「↑疑雲永晴」 といふは、 「疑雲」 は願力を疑ふこころを雲にたとへたるなり。 「永ナガク晴」 ハルヽナリといふは疑ふこころの雲をながく晴らしぬれば安楽浄土へかならず生るるなり。 無礙光仏の摂取不捨の*心光をもつて信心をえたる人0639をつねに照らしまもりたまふゆゑに、 「↑仏光円頂」 といへり。 仏光円頂といふは、 仏心をして のひかり あきらかに信心の人の頂をつねに照らしたまふとほめたまひたるなり、 これは摂取したまふゆゑなりとしるべし。
二 Ⅷ ⅱ ¬選択本願念仏集¼三文
【15】^比叡山*延暦寺 *宝幢院黒谷 日本 源空聖人真像のたまはく、
^¬↓*選択本願念仏集¼ 云 「▲↓南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」 文
^0665又曰 「▲*↓夫速欲離生死 ↓二種勝法中 *且閣聖道門 ↓選入浄土門 ↓欲入浄土門 ↓正雑二行中 且抛諸雑行 ↓選応帰正行 ↓欲修於正行 正助二業中 猶傍於助業 ↓選応専正定 ◆↓正定之業者 即是称仏名 ↓称名必得生 依仏本願故」 文
^又曰 「▲↓当知生死之家 ↓以疑為所止 ↓涅槃之城 ↓以信為能入」 文
^¬↑選択本願念仏集¼ といふは、 聖人 (源空) の御製作なり。
^「↑南無阿弥陀仏往生之業念仏為本」 といふは、 安養浄土 刹 の往生の正因は念仏を本とすと申す御ことなりとしるべし。 正因といふは、 浄土に へ 生れてるゝ 仏にかならず成るたねと申すなり。
^またいはく、 「↑夫速欲離生死」 といふは、 それすみやかにとく生死をはなれんとおもへと いふなり。
^「↑二種勝法中且閣聖道門」 といふは、 「二種勝法」 は、 聖道・浄土の二門なり。 「且閣聖道門」 は、 「且閣」 はしばらくさしおけとなり、 しばらく聖道門をさしおくべしとなり。
^「↑選入浄土門」 といふは、 「選入」 は0641えらびていれとなり、 よろづの善法のなかに選びて浄土門に入るべしとなり。
^「↑欲入浄土門」 といふは、 浄土門に入らんと欲はばといふなり。
^「↑正雑0666二行中且抛諸雑行」 といふは、 正雑二行二つのなかに、 しばらくもろもろの雑行をなげすてさしおくべしとなり。
^「↑選応帰正行」 といふは、 選びて正行に帰すべしとなり。
^「↑欲修於正行正助二業中猶傍於助業」 といふは、 正行を修せんと欲はば、 正行・助業二つのなかに助業をさしおくべしとなり。
^「↑選応専正定」 といふは、 選びて正定の業をふたごころなく修すべしとなり。
^「↑正定之業者即是称仏名」 といふは、 正定の業因0642はすなはちこれ仏名をとな称すふるなり。 正定の因といふは、 かならず無上涅槃のさとりをひらくたねと申すなり。
^「↑称名必得生依仏本願故」 といふは、 仏の御名を称するはかならず安楽 養 浄土に往生を得るなり、 仏の本願によるがゆゑなりとのたまへり。
^またいはく、 「↑当知生死之家」 といふは、 「当知」 はまさにしるべしとなり、 「生死之家」 は生死の家といふなり。 「↑以疑為所止」 といふは、 大願業力の不思議 力を疑ふこころをもつて、 六道・四生・二十五有・十二類生 類生といふは一に卵生 二に胎生 三に湿生 四に化生 五に有色生 六に無色生 七に有相生 八に無相生 九に非有色生 十に非無色生 十一に非有相生 十二に非無相生 にとどまるとなり。 いまにひさしく世に迷ふとしるべしとなり。
^「↑涅槃0667之城」 と申す いふ は、 安養浄刹をいふ まふす なり、 これを涅槃のみやことは申すなり。 「↑以信為能入」 といふは、 真実 の信0643心をえたる人ののみ、 如来の本願の実報土によく入るとしるべしとのたまへるみことなり。 信心は菩提のたねなり、 無上涅槃をさとるたねなりとしるべしとなり。
二 Ⅷ ⅲ 聖覚法印文
【16】^法印*聖覚和尚の銘文のたまはく、
^「▼↓夫根有利鈍者 ↓教有漸頓 ↓機有奢促者 ↓行有難易 ↓当知 聖道諸門 漸教也 又難行也 ↓浄土一宗者 頓教也 又易行也 ↓所謂真言止観之行 ↓獼猴情難学 ↓三論法相之教 牛羊眼易迷 ↓然至我宗者 弥陀本願 定行因於十念 善導料簡 決器量於三心 ↓雖非利智精進 専念実易勤 雖非多聞広学 信力何不備 乃至 ▼↓然我大師聖人 ↓為釈尊之使者 弘念仏一門 ↓為善導之再誕 勧称名一行 ↓専修専念之行 自此漸弘 無間無余之勤 在今始知 ↓然則破戒罪根之輩 加肩入往生之道 ↓下智浅才之類 振臂赴浄土之門 ↓誠知▼無明長夜之大灯炬也 何悲智眼闇 ↓生死大海之大船筏也 豈煩業障重」 略抄
「*それ根に利鈍あれば、 教に漸頓あり。 機に奢促あれば、 行に難易あり。 まさに知るべし、 聖道の諸門は漸教なり、 また難行なり。 浄土の一宗は頓教なり、 また易行なり。 いはゆる真言・止観の行、 獼猴の情学びがたく、 三論・法相の教、 牛・羊の眼迷ひやすし。 しかるにわが宗に至りては、 弥陀の本願、 行因を十念に定め、 善導の料簡、 器量を三心に決す。 利智精進にあらずといへども、 専念まことに勤めやすし、 多聞広学にあらずといへども、 信力なんぞ備わらざらん。 乃至 しかるにわが大師聖人、 釈尊の使者として念仏の一門を弘め、 善導の再誕として称名の一行を勧めたり。 専修専念の行、 これよりやうやく弘まり、 無間無余の勤め、 いまにありてはじめて知りぬ。 しかればすなはち、 破戒罪根の輩、 肩を加りて往生の道に入り、 下智浅才の類、 臂を振ひて浄土の門に赴く。 まことに知りぬ、 無明長夜の大灯炬なり、 なんぞ智眼の闇きことを悲しまん。 生死大海の大船筏なり、 あに業障の重きことを煩はんや。」
^「↑夫根有利鈍者」 といふは、 それ衆生の根性に利鈍ありとなり。 「利」 といふはこころのとき人なり、 「鈍」 といふはこころのにぶき人なり。
^「↑教有漸頓」 と0668いふは、 衆生の根性にしたがうて仏教に漸頓ありとなり。 「漸」 はやうやく仏道を修して、 *三祇百大劫をへて仏に成るなり。 「頓」 はこの娑婆世界にして、 この身にてたちまちに仏に成ると申すなり。 これすなはち*仏心・真言・*法華・華厳等のさとりをひらくなり。
^「↑機有奢促者」 といふは、 機に0645奢促あり。 「奢」 はおそきこころなるものあり、 「促」 はときこころなるものあり。 このゆゑに 「↑行有難易」 といふは へり 、 行につきて難あり、 易ありとなり。 「難」 は聖道門自力の行なり、 「易」 は浄土門他力の行なり。
^「↑当知聖道諸門漸教也」 といふは、 すなはち難行なり、 また漸教なりとしるべしとなり。
^「↑浄土一宗者」 といふは、 頓教なり、 また易行なりとしるべしとなり。
^「↑所謂真言止観之行」 といふは、 「真言」 は密教なり、 「止観」 は法華なり。 「↑*獼猴情難学」 といふは、 この世のわれらが人のこころをさるのこころにたとへたるなり。 さるのこころのごとく定まらずとなり。 このゆゑに真言・法華の行は、 修0646しがたく行じがたしとなり。
^「↑三論法相之教牛羊眼易迷」 といふは、 この世の仏われらが法者のまなこを牛・羊のまなこにたとへて、 *三論・法相宗等の聖道自力の教にはまどふべしとのたまへるなり。
^「↑然至我宗者」 といふは、 聖覚和尚ののたまはく、 「わが浄土宗0669は、 弥陀の本願の実報土の正因として、 乃至十声一声称念すれば、 無上菩提にいたるとをしへたまふ。 善導和尚の御をしへには、 三心を具すればかならず安楽に生るとのたまへるなり」 (唯信鈔・意) と、 聖覚和尚ののたまへるなり。
^「↑雖非利智精進」 といふは、 智慧もなく精進の身にもあらず、 鈍根懈怠のものも、 専修専念の信心をえつれば往生すとこころうべしとなり。
^「↑然我大師聖人」 といふは、 聖覚和尚は、 聖人 (源空) をわが大師聖人と仰ぎたのみたまふ御ことばなり。
^「↑為釈尊之0647使者弘念仏一門」 といふは、 源空聖人は釈迦如来の御つかひとして念仏の一門を弘めたまふとしるべしとなり。
^「↑為善導之再誕 勧称名之一行」 といふは、 聖人は*善導和尚の御身として称名の一行を勧めたまふなりとしるべしとなり。
^「↑専修専念之行自此漸弘無間無余之勤」 といふは、 一向専修と申すことはこれより弘まるとしるべしとなり。
^「↑然則破戒罪根之輩加肩入往生之道」 といふは、 「然則」 はしからしめて、 この浄土のならひにて、 破戒・無戒の人、 罪業ふかきもの、 みな往生すとしるべしとなり。
^「↑下智浅才之類振臂赴浄土之門」 といふは、 無智・無才のものは浄土門0648に赴くべしとなり。
^「↑誠知無明長夜之大灯炬也何悲智眼闇」 といふは、 「誠知0670」 はまことにしりぬといふ。、 弥陀の誓願は無明長夜のおほきなるともしびなり、 なんぞ智慧のまなこ闇しと悲しまんやとおもへとなり。
^「↑生死大海之大船筏也豈煩業障重」 といふは、 弥陀の願力は生死大海のおほきなる船・筏なり。 極悪深重の身なりとなげくべからずとのたまへるなり。
^「倩思↢教授恩徳↡ 実等↢弥陀悲願↡者 (つらつら教授の恩徳を思ふにまことに弥陀悲願に等しきもの)」 といふは、 師主のをしへをおもふに、 弥陀の悲願に等しとなり。 大師聖人 (源空) の御をしへの恩おもくふかきことをおもひしるべしとなり。
^「▼粉骨可報之摧身可謝之」 といふは、 大師聖人の御をしへの恩徳のおもきことをしりて、 骨を粉にしても報ずべしとなり、。 身を摧きても恩徳を報ふべしとなり。 よくよく0649この和尚 (聖覚) のこのをしへを御覧じし ず るべしと。
二 Ⅷ ⅳ 親鸞聖人文
【17】^和朝愚禿釈*親鸞 「*正信偈」 文にいはく、
^「▲本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就 ◆如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言 ◆能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味 ◆摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常*覆真実信心天 譬如日光0671*覆雲霧 雲霧之下明無闇 ◆*獲信見敬得大慶 即横超截五悪趣」 文
^「▲本0650願名号正定業」 といふは、 選択本願の行といふなり。
^「▲至心信楽願為因」 といふは、 弥陀如来回向の真実信心なり、 この信心を阿耨菩提の因とすべしとなり。
^「▲成等覚証大涅槃」 といふは、 「成等覚」 といふは正定聚の位なり。 この位を龍樹菩薩は 「▲即時入必定」 (易行品) とのたまへり、 曇鸞和尚は 「▲入正定之数」 (論註・上意) とをしへたまへり。 これはすなはち弥勒の位とひとしとなり。 ^「証大涅槃」 と申すは、 ▲必至滅度の願 (第十一願) 成就のゆゑにかならず大般涅槃をさとるとしるべし。 「滅度」 と申すは、 大涅槃なり。
^「▲如来所以興出世」 といふは、 諸仏の世に出でたまふゆゑはと申すみのりなり。
^「▲唯説弥陀本願海」 と申す いふ は、 諸仏の世に出でたまふ 御*本懐は、 ひとへに弥陀の願海*一乗のみの 法 りを説かんとなり。 しかれば0651 ¬大経¼ (上) には、 「▲*如来所以 興出於世 欲拯群萌 恵以真実之利」 と説きたまへり。 「如来所以興出於世」 は、 ^「*如来」 と申すは諸仏と申すなり。 「所以」 といふはゆゑといふみことなり。 「興出於世」 といふは世に仏出でたまふと申すみことなり。 「欲拯群萌」 は、 「欲」 といふはおぼしめすとなり。 「拯」 はすくはんと0672なり。 「群萌」 はよろづの衆生をすくはんとおぼしめすとなり。 仏の世に出でたまふゆゑは、 弥陀の御ちかひを説きてよろづの衆生をたすけすくはんとおぼしめすとしるべし。
^「▲五濁悪時群生海応信如来如実言」 といふは、 五濁悪世のよろづの衆生、 釈迦如来の このみことをふか0652く信受すべしとなり。
^「▲能発一念喜愛心」 といふは、 「能」 はよくといふ。 「発」 はおこすといふ、 ひらくといふ。 「一念喜愛心」 は*一念慶喜の真実信心よくひらけ 発すれば 、 かならず本願の実報土に生るとしるべし。 慶喜といふは、 信をえてのちよろこぶこころをいふなり。
^「▲不断煩悩得涅槃」 といふは、 「不断煩悩」煩悩具足せるわれら、 は煩悩をたちすてずしてといふ。 「得涅槃」 と申すは無上大涅槃をさとるをにいたるなりうるとしるべし。
^「▲凡聖逆謗斉回入」 といふは、 *小聖・凡夫・五逆・謗法・無戒・闡提、 みな回心して真実信心海に帰入しぬれば、 衆水の海に入りてひとつ味はひとなるがごとしとたとへたるなり。 これを 「如衆水入海一味」 といふなり。
^「▲摂取心光常照護」 といふは、 信心をえたる人をば、 無礙光仏の心光つねに照らし護りたまふゆゑに、 無0653明の闇はれ、 生死のながき夜すでに暁になりぬとしるべしとなり。 「已能雖破無明闇」 といふはこのこころなり。 信心をうれば暁になるがごりぬとしとしるべし0673。
^「▲貪愛瞋憎之雲霧常覆真実信心天」 といふは、 われらが貪愛・瞋憎を雲・霧にたとへて、 たり、 貪愛のくも瞋憎のきりつねに信心の天に を 覆へるなりとしるべし。
^「▲譬如*日月覆雲霧雲霧之下明無闇」 といふは、 日月の雲・霧に覆はるれども、 闇はれて雲・霧の下あきらか あかき なるがごとく、 貪愛・瞋憎の雲・霧に信心は覆はるれども、 往生にさはりあるべからずとしるべしとなり。
^「▲獲信見敬得大慶」 といふは、 この信心0654をえておほきによろこびうやまふ人といふなり。 ▼*「大慶」 はおほきにうべきことをえてのちによろこぶといふなり。
^「▲即横超截五悪趣」 といふは、 信心をえつ う ればすなはち横に五悪趣をきるなりとしるべしとなり。 ^「即横超」 といふは、 「即」 はすなはちといふ、 信をうる人はときをへず日をへだてずして正定聚の位に定まるを即といふなり。 ▲「横」 はよこさまといふ、 如来の願力なり、 他力を申すなり。 「超」 はこえてといふ、 生死の大海をやすくよこさまに超えて無上大涅槃のさとりをひみやこにいるらくなり と。
^信心を浄土宗の正意としるべきなり。 このこころをえつれば、 「他力には*義のなきをもつて義とす」 と、 本師聖人 (源空) の仰せごとなり。 「義」 といふは、 行者のおのおののはからふこころなり。 このゆゑにおのおののはからふこころをもたるほどをば自力といふ0655なり。 よくよ0674くこの自力のやうをこころうべしとなり。
^*正嘉二歳戊午六月二十八日これを書く。
愚禿親鸞八十六歳
*建長七歳乙卯六月二日
愚禿親鸞八十三歳 書写之
・巻尾
¬華厳経¼言、
▲信 為↢道◗元↡、功徳◗母。 長↢養 一切◗諸 善法↡。断タチ↢除 疑網↡ウタガヒノ、 アミ出↢愛流↡開↢示◗涅槃无上◗道↡ 云云。
▲道は无上道、 元は根ネナリ本なモトナリり。 諸法のはじめ也。 まづ成仏ホトケニせむナラムトとおもふに信心をもちてみなもとゝす、 はじめともすることなり。 よろづの功徳のはゝにておはするなり。 この母に一切のもろもろの善根おも修し、 三宝おも恭敬ツヽシミウし供ヤマウ 養することをやしないたてゝ、 うたがひのこゝろおばながくのぞきすてゝ、 三毒煩悩あいよくのながれをいでゝ无上道にいたるを涅槃をさとるとはまふすなり。 涅槃のさとりをうれば、 すなはち衆生をりやくするゆへに開示すとはまふすなり。 しかれば无上道にいたるとまふすは自利なり、ジリハアミダブチニナリタマヒタルコヽロ 開ヒラキ示すシメス とまふすは利他なりリタハシユジヤウヲリヤクスルコヽロナリとしらせたまふべし。
▲焼法門誦文 三反
諸 法 従↠縁生 此◗法従↠縁滅 如来説↢ 是因↡是大沙門 説
十悪 一殺 二盗 三婬 四妄語 五綺語ウタヲヨミイロヘコトバヲイフ六悪口 七両舌 八貪 九瞋 十痴
底本は高田派専修寺蔵正嘉二年親鸞聖人真筆本ˆ聖典全書と同一ˇ。 なお、 黄色は「略本」(と重なる部分)を示す。
みえたり 「安養といふは…」 の意は ¬讃弥陀偈¼ にもとづいているので 「みえたり」 という。
脚注を本文に展開した。 ルビは有国。
五十二菩薩 勢至菩薩とともに ¬首楞厳経¼ の会座に列なった菩薩たち。
因地 ここでは勢至菩薩がまだ無生法忍の果を得ていない時の意。
光如来 「無礙光如来」 を通常ならば 「無礙光」 「如来」 と分節するのを親鸞聖人はあえて 「無礙」 「光如来」 と分節している。 「この如来は光明なり」 という旨を強調するためであろう。
三部の経典 ¬大経¼ ¬観経¼ ¬小経¼ の浄土三部経のこと。
みそなはす (天親菩薩が) 御覧になる。
斉朝曇鸞和尚真像銘文 迦才 (七世紀中頃) の ¬浄土論¼ (下) の一節を抄出して、 少々文字を添削したもの。 本山蔵宗祖加点本『論註¼ 奥書にも同文のものが記されているが、 訓点はやや異なる。
振り仮名の体裁で示されていた訓を、 別書きにした。
汶水 通常は 「ぶんすい」 と読む。
魏 (386-534) 鮮卑族の拓跋珪 (道武帝) が平城 (現在の山西省大同) を都にして建てた国。 494年、 洛陽に遷都し、 534年、 内紛によって東魏、 西魏に分裂した。
斉 (550-577) 中国南北朝時代の北朝の一。 550年、 高洋 (文宣帝) が東魏の孝静帝から帝位を奪って建てた。 577年、 北周の武帝に滅ぼされた。 南朝の斉と区別して北斉といい、 また王室が高姓であるため高斉とも呼ばれる。
梁 (502-557) 南朝の一で蕭衍 (武帝) が南斉の禅譲をうけて健康 (現在の南京) を都にして建てた国。 557年、 陳に滅ぼされた。
唐朝 (618-907) 唐国公の李淵 (高祖) が隋の三世恭帝の禅譲を受けて建てた中国の統一王朝。 都は長安。
智栄 伝未詳。 ¬長西録¼ (下) に 「専修浄業記一巻」 の著者として智栄の名が出るが、 同異不明。 法然上人の 「無量寿経釈」 (¬漢語灯録¼ 巻一所収) に善導大師の義を補助するものとして七人を挙げる中の一人。
仏をほめたてまつるになる 本願を信じて念仏すれば仏を讃嘆していることになる。 念仏は讃嘆の徳をもつ行業として私たちに与えられているので、 「…になる」 という。 以下、 懴悔等について 「…になる」 というのも同様の意。
釈迦弥陀の二尊の勅命 釈迦が衆生に浄土往生をすすめ (発遣)、 阿弥陀仏が衆生を浄土へ来れと招きよぶこと (招喚)。
わかず 区別せず。
悪鬼悪神 仏法修行をさまたげ、 衆生を悩害する夜叉・羅刹などの鬼神。
御縁起 阿佐太子の礼讃の文は ¬聖徳太子伝暦¼ および ¬上宮太子御記¼ (¬三宝絵詞¼ よりの抜書) にほぼ同文のものがある。 日羅の礼讃の文は ¬聖徳太子伝暦¼ に同文のもの、 ¬上宮太子御記¼ にほぼ同文のものがある。 なお、 聖徳太子の作と伝えられるものに ¬四天王寺御手印縁起¼ があるが、 これには該当する文は見当らない。
百済国 (4世紀中頃-660) クダラ国。 朝鮮半島の西南部に拠った国。
聖明王 (在位523-554) 百済第二十六代の国王。 538年 (一説には552年)、 日本に仏教を伝えた。 後に新羅と戦って敗死した。
わたらせたまひ 「わたらせたまふ」 は、 おありになる、 いらっしゃるの意。
阿佐太子 ¬日本書紀¼ 推古天皇五年 (597) 四月条にその名がみえる。
新羅国 (4世紀-935) シラギ国。 朝鮮半島の古王国。 4世紀に辰韓諸国を統合して成立。 668年、 朝鮮全土を統一した。 935年、 五十六代で高麗に滅ぼされた。
日羅 (6世紀) ¬日本書紀¼ の記述では、 敏達天皇の要請で来朝した百済の日系官人。
さへらる さえぎられる。
ものうきことましまさず 飽きることがない。 ここでは見捨てたもうことなくの意。
四明山 比叡山の別名。
脚注を本文に展開した。 ルビは有国。
建暦壬申… 建暦壬申は建歴二年 (1212)。 同年三月一日は法然上人示寂後五七日 (三十五日) にあたるので、 「普勧…」 の文はその法要の表白文とみられる。
宝幢院 ここでは西塔 (比叡山三塔の一) の総称。
夫速欲離生死… この文は ¬選択集¼ 十六章の内容を要約したもので、 「三選の文」 また 「略選択¼ などと呼ばれる。 なお、 三選とは、 浄土門を選びとる第一選、 正行を選びとる第二選、 正定業を選びとる第三選を指していう。
且 底本には 「且」 とある。 ¬真宗法要¼ 所収本 (建長本) によって 「且」 と読み改めた。 以下の 「且」 も同じ。
脚注を本文に展開した。 高田派専修寺蔵宗祖真跡 「聖覚法印表白文」。 ルビは有国。
善導和尚の御身 善導大師の後身。 生まれかわり。
和朝 日本。
覆 底本には 「覆」 とある。 ¬真宗法要¼ 所収本 (建長本) によって 「覆」 と読み改めた。
獲信見敬得大慶 この句は本山蔵および専修寺蔵の ¬教行信証¼ では 「獲信見敬大慶喜」 となっている。 また大谷派本願寺蔵本 (坂東本) では 「見敬得大慶喜人」 を抹消して 「獲信見敬大慶人」 と改めている。
如来所以… ¬大経¼ の原文は 「如来、 無蓋の大悲をもって三界を矜哀したまふ。 世に出興するゆゑは、 道教を光闡して、 群萌を拯ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり」 となっている。 「道教を光闡して」 の語を省略したのは、 道教を出世の本意ではない聖道教とみたためであろう。
如来と申すは… 阿弥陀仏の本願の救いを説くのは、 釈尊だけでなく、 すべての仏の出世の本意であるということを示す。
日月 前掲の文では 「日光」 となっている。
大慶は… 親鸞聖人は慶 (慶喜・慶楽) をすでにわが身の上に実現していることがら (現生で正定聚の位に入ること) をよろこぶ意とし、 歓喜を必ず実現すると定まっていることがら (往生成仏の果) を待望してよろこぶ意とする。