鼻根を観見するにつねに清浄なり。 香界来ることなくしてもとよりこれ空なり。
香性もとよりこのかた障礙なし。 来ることなく去ることなくこれ真空なり。
舌根を観見するにつねに清浄なり。 味界来ることなくしてもとよりこれ空なり。
味性もとよりこのかた障礙なし。 来ることなく去ることなくこれ真空なり。
観↢見スルニ鼻根ヲ↡常ニ清浄ナリ | 我浄楽 | 香界无シテ↠来本ヨリ是空ナリ | 我浄楽 |
香性本ヨリ来タ无↢障↡ | 我浄楽 | 无来无去是真空ナリ | 我浄楽 |
観↢見スルニ舌根ヲ↡常ニ清浄ナリ | 我浄楽 | 味界无↠来本ヨリ是空ナリ |
味性本ヨリ来タ无↢障↡ | 我浄楽 | 无来无去是真宗ナリ | 我浄楽 |
身根を観見するにつねに清浄なり。 身香来ることなくしてもとよりこれ空なり。
触性もとよりこのかた障礙なし。 来ることなく去ることなくこれ真空なり。
意根を観見するにつねに清浄なり。 法界来ることなくしてもとよりこれ空なり。
法性もとよりこのかた障礙なし。 来ることなく去ることなくこれ真空なり。
観↢見スルニ身根ヲ↡常ニ清浄ナリ | 我浄楽 | 触香無来本ヨリ是空ナリ | 我浄楽 |
0950触性本ヨリ来タ无↢障↡ | 我浄楽 | 无来无去是真空ナリ | 我浄楽 |
観↢見ニ意根↡常ニ清浄ナリ | 我浄楽 | 法界无来本リ是空ナリ | 我浄楽 |
法性本リ来タ无↢障↡ | 我浄楽 | 无来无去是真空リ |
妄想の眼根色を縁じて転じ、 妄聴に耳界声を被りて牽く。
妄臭の鼻香舌味を染し、 妄識の身意塵に触れて遷る。
妄想の波を騰ぐるにつねに没溺し、 煩悩の猛き焔とこしなへに焼燃す。
これがために三界の獄を輪還して、 生老病死の苦つねに煎る。
これを略抄す
妄想ノ眼根縁↠色転ジ | 努力 | 妄聴ノ耳界被テ↠声ヲ牽ク | 努力 |
妄臭ノ鼻香舌染シ↠味ヲ | 努力 | 妄識身触レテ↢意塵ニ↡遷ル | 努力 |
妄想ノ騰グルニ↠波ヲ常ニ没溺シ | 努力 | 煩悩ノ猛キ焔鎮ニ焼燃ス | 難識 |
為ニ↠此ガ輪↢還シテ三界ノ獄ヲ↡ | 努力 | 生老病死ノ苦常ニ煎ル | 難識 |
略抄之
正法楽賛 依¬仏本行経¼ 依浄土楽知
正法楽正法楽、 正法不思議。
釈迦如来因地の時、 歴劫の苦行不思議なり。
頓に身財を捨てて妙法を求む。 ただ仏と仏とのみすなはちよく知りたまへり。
正法楽正法楽、 正法能超出世間。
正法楽正法楽 | | 正法不思議 |
釈迦如来因地ノ時 | 正法楽 | 歴劫ノ苦行不思議ナリ | 正法楽 |
頓ニ捨テヽ↢身財ヲ↡求ム↢妙法ヲ↡ | 正法楽 | 唯仏ト与ノミ↠仏乃能ク知タマヘリ | 正法楽 |
正法楽正法楽 | | 正法能超出世間 | 正法楽 |
成仏より四十余九年、 かの国に経行し五天に遊びて、
あまねく衆生を勧めてねんごろに念仏せしむ。 また教へて戒を持ちおよび禅を修す。
正法楽正法楽、 正法能超出世間。
成仏ヨリ四十余九年 | 正法楽 | 彼国ニ経行シ遊ビテ↢五天ニ↡ | 正法楽 |
0951普ク勧メテ↢衆生ヲ↡懃ニ念仏セシム | 正法楽 | 亦教ヘテ持チ↠戒ヲ及ビ修ス↠禅ヲ | 正法楽 |
正法楽正法楽 | | 正法能超出世間 | 正法楽 |
涅槃以後一千年、 法教流伝してこの間に到る。
衆生うたた読して、 行学によりて示成道果して天に生ずることを示す。
正法能超出世間。
涅槃已後一千年 | | 法教流伝シテ到ル↢此間ニ↡ |
衆生転読シテ依テ↢行学ニ↡ | | 示成道果シテ示生ズ↠天ニ |
| | 正法能超出世間 | 正法楽 |
衆生仏に随ひて西方に到、 微塵の故業おのづから消亡す。
如来願力をもつてまのあたり加被したまふ。 聞法悟道して真常を証す。
▲なにものをかこれを名づけて正法とする。 もしこの道理ならばこれ真宗なり。
好悪この時にすべからく決択すべし。 一々になんぢ細しくして朦朧することなかれ。
正法能超出世間。
衆生随テ↠仏ニ到レバ↢西方ニ↡ | | 微塵ノ故業自ラ消亡スホロブ | |
如来願力ヲモテ親リ加被シタマフ | | 聞法悟道シテ証ス↢真常ヲ↡ |
何者ヲカ名テ↠之為ル↢正法ト↡ | | 若箇ノ道理ナラバ是真宗ナリ |
好悪今時ニ須ベ クシ↢決択ス↡ | | 一一ニ子細シクシテ莫レ↢朦朧スルコト↡ |
| | 正法能超出世間 | |
◆持戒坐禅を正法と名づく。 念仏成仏これ真宗なり。
仏言を取らざるを外道と名づく。 撥無因果の見を空とすればなり。
正法能超出世間。
持戒坐禅ヲ名↢正法ト↡ | | 念仏成仏是真宗ナリ |
不ルヲ↠取↢仏言ヲ↡名↢外道ト↡ | | 撥无因果ノ見ヲ為レバナリ↠空ト |
| | 正法能超出世間 | |
◆禅律いまこれ正法なり。 念仏三昧これ真宗なり。
見性了心すなはちこれ仏なり。 いかんぞ道理相応せざらん。
正法能超出世間。
禅律如何是正法ナリ | | 念仏三昧是真宗ナリ | |
0952見性了心便チ是仏ナリ | | 如何ゾ道理不ラム↢相応セ↡ |
| | 正法能超出世間 |
念仏は声々に仏種を下す。 坐禅持戒は真功をもつてなり。
なんぢもし修せずしてすなはち作仏すといはば、 たとへば飢人のむなしく風を掩ふがごとし。
略抄
念仏ハ声声ニ下ス↢仏種ヲ↡ | | 坐禅持戒ハ用テナリ↢真功ヲ↡ | |
汝若不シテ↠修便作仏ストイハバ | | 喩ヘバ若シ↢飢ウヘタル人ノ空ク掩フガ↟風ヲ |
略抄
西方楽賛 ▲依¬阿弥陀経¼
西方の進道は娑婆に勝れたることは、 五欲および邪魔なきによつてなり。
成仏するにもろもろの善業を労はず。 華台に端坐して弥陀を念ずるをもつてなり。
西方楽西方楽、 西方浄土不思議。
西方ノ進道ハ勝タルコトハ↢娑婆ニ↡ | 西方楽 | 縁テナリ↠无キニ↢五欲及ビ邪魔↡ | |
成仏スルニ不↠労ハ↢諸ノ善業ヲ↡ | 諸仏子 | 華台ニ端坐シテ念ズルヲモテナリ↢弥陀ヲ↡ |
西方楽西方楽 | | 西方浄土不思議 | 莫著人間楽 |
◆五濁の修行は退転多し。 念仏して西方に往かんにはしかず。
かしこに到れば自然に正覚を成りて、 苦海に還来して津梁をなす。
五濁ノ修行ハ多シ↢退転↡ | 西方楽 | 不↠如カ↣念仏シテ往カムニハ↢西方ニ↡ | 西方楽 |
到レバ↠彼ニ自然ニ成テ↢正覚ヲ↡ | 諸仏子 | 還↢来シテ苦海ニ↡作ス↢津梁ヲ↡ | 莫著人間楽 |
◆万行の中に急要にして迅速たるは、 浄土門に過ぎたるはなし。
ただ本師金口の説きたまふのみにあらず。 十方諸仏もともに伝へ証したまふ。
万行之中ニ為ルハ↢急要ニシテ | 西方楽 | 迅速↡无シ↠過タルハ↢浄土門ニ↡ |
不ズ↢但本師金口ノ説タマフノミニ↡ | 諸仏子 | 十方諸仏モ共ニ伝ヘ証シタマフ | 莫著人間楽 |
◆この界に一人仏名を念ずれば、 西方にすなはち一つの蓮生ずることあり。
ただし一生つねに不退なれば、 一華還りてこの間に到りて迎ふ。
以上これを略抄す
此界ニ一人念レバ↢仏名ヲ↡ | 西方楽 | 西方ニ便チ有↢一ノ蓮生コト↡ | 西方楽 |
0953但使シ一生常ニ不退ナレバ | 西方楽 | 一華還テ到テ↢此間ニ↡迎フ | 莫著人間楽 |
已上略抄之
般舟三昧楽 ▲依¬般舟三昧経¼ 慈愍和尚
今日道場の諸衆等、 恒沙昿劫より総じて経来れり。
この人身を度るに値遇しがたし。 たとへば優曇華のはじめて開くがごとしと。
今日道場ノ諸衆等 | 恒沙昿劫ヨリ総ジテ経来レリ |
度ルニ↢此人身ヲ↡難シ↢値遇シ↡ | 喩ヘバ若シト↢優曇華ノ始テ開クガ↡
|
◆まさしくまれに浄土の教を聞くことに値ひ、 まさしく念仏の法門開くるに値ふ。
まさしく弥陀の弘誓喚ふに値ひ、 まさしく大衆信心回するに値ふ。
正ク値ヒ↣希ニ聞コトニ↢浄土ノ教ヲ↡ | 正ク値フ↢念仏ノ法門開クルニ↡ |
正ク値ヒ↢弥陀ノ弘誓喚ウニ↡ | 正ク値フ↢大衆信心迴スルニ↡ |
◆まさしく今日経によりて讃ずるに値ひ、 まさしく絜を結びて華台に上るに値ふ。
まさしく道場の魔事なきに値ひ、 まさしく病悩なくしてよく来れるに値ふ。
正ク値ヒ↢今日依テ↠経ニ賛ズルニ↡ | 正ク値フ↣結テ↠絜ヲ上ルニ↢華台ニ↡ |
正ク値ヒ↣道場ノ无ニ↢魔事↡ | 正ク値ヘリ↧无シテ↢病悩↡能ク来レルニ↥ |
◆まさしく七日の功成就することに値ふ。 四十八願かならずあひ携ふ。
あまねく道場の同行者を勧む。 ゆめゆめ回心せよ 帰去来
正ク値フ↢七日ノ功成就コトニ↡ | 四十八願要ズ相携フ |
普ク勧ム↢道場ノ同行者ヲ↡ | 努力回心セヨ帰去来 |
◆借問ふ家郷はいづれの処にかある。 極楽池の中の七宝の台なり。
かの仏因中に弘誓を立てたまふ。 名を聞きてわれを念ぜば総じて迎来す。
借問フ家郷ハ何ノ処ニカ在ル | 極楽池ノ中ノ七宝ノ台ナリ |
彼ノ仏因中ニ立タマフ↢弘誓ヲ↡ | 聞テ↠名念ゼバ↠我総ジテ迎来ス |
◆貧窮と富貴とを簡ばず、 下智と高才とを簡ばず。
多聞と浄戒を持てるを簡ばず、 破戒と罪根深きとを簡ばず。
不↠簡バ↣貧窮ト将ヲ↢富貴↡ | 不↠簡↣下智ト与ヲ↢高才↡ |
不↠簡バ↣多聞ト持ルヲ↢浄戒ヲ↡ | 不↠簡↢破戒罪根深トヲ↡ |
◆ただ回心して念仏多ければ、 よく瓦礫を変じて金となさしむ。
語を現前の諸大衆に寄す。 同縁にて去く者はやくあひ尋ねよ。
但使回心シテ多レバ↢念仏↡ | 能ク令ム↢瓦礫ヲ変ジテ成サ↟金ト |
寄ス↢語ヲ現前ノ諸大衆ニ↡ | 同縁ニテ去ク者早ク相尋ネヨ |
◆借問ふ、 いづれの処をあひ尋ねて去くべき。 報へて弥陀の浄土の中と道ふべし。
借問ふ、 何によりてかかしこに生ずることを得る。 報へて道ふべし念仏おのづから功を成ずと。
借問フ相↢尋テ何ノ処ヲ↡去クベキ | 報ヘテ道フベシ↢弥陀ノ浄土ノ中ト↡ |
借問フ何ニ縁テカ得ル↠生コト↠彼ニ | 報ヘテ道フベシ念仏自ラ成ズト↠功ヲ |
◆借問ふ、 今生の罪障多し。 いかんぞ浄土はあひ容ることを肯ぜん。
報へて道ふべし称名して罪消滅すること、 たとへば明灯を闇の中に入るるがごとしと。
借問フ今生ノ多シ↢罪障↡ | 如何ゾ浄土ハ肯ゼム↢相容ルコトヲ↡ |
報ヘテ道フベシ称名シテ罪消滅スルコト | 喩ヘバ若シト↣明灯ヲ入ルガ↢闇ヤミノ中ニ↡ |
◆借問ふ、 凡夫生ずることを得るやいなや。 いかんぞ一念に闇の中に明ならむ。
報へて道ふべし疑を除きて多く念仏すれば、 弥陀決定してみづから親迎したまふ。
以上略抄
借問フ凡夫得ルヤ↠生否ヤ | 如何ゾ一念ニ闇ノ中ニ明ナラム |
報ヘテ道フベシ除テ↠疑ヲ多ク念仏スレバ | 弥陀決定シテ自ラ親迎シタマフシタシクムカヘタマフナリ |
已上略抄
▲新无量寿観経賛 法照述
十悪五逆の愚人に至る。 永劫に沈淪して久塵にあり。
一念弥陀の号を称得すれば、 かしこに至りて還りて法性身に同ず。
十悪五逆ノ至ル↢愚人ニ↡ | 永劫ニ沈淪シテ在リ↢久塵ニ↡ |
一念称↢得スレバ弥陀ノ号ヲ↡ | 至テ↠彼ニ還テ同ズ↢法性身ニ↡ |
0955△涅槃経
・聖行品1
¬涅槃経¼ 十二巻 (南本巻一二聖行品) にのたまはく、 「善男子、 愛に二種あり。 一には善愛、 二には不善愛なり。 不善愛は凡愚の善を求むるなり。 法愛はもろもろの菩薩善を求むるなり。 法愛はまた二種あり、 不善と善となり。 二乗を求むるは名づけて不善とす。 大乗を求むるはこれを名づけて善とするなり」 と。 文
¬涅槃経¼十二巻言、「善男子、愛ニ有リ↢二種↡。一ニ者善愛、二ニ者不善愛ナリ。不善愛者凡愚之求ムルナリ↠善ヲ。法愛者諸ノ菩薩求ムルナリ↠善ヲ。法愛者復有リ↢二種↡、不善ト与ナリ↠善。求ル↢二乗ヲ↡者名テ為↢不善ト↡。求ル↢大乗ヲ↡者是ヲ名テ為ルナリ↠善ト。」 文
・聖行品2
また (南本巻一二聖行品) のたまはく、 「▲実諦は一道清浄なり、 二あることなきなり」 と。 文
又云、「実諦者一道清浄ナリ、無キ↠有コト↠二也。」 文
・聖行品3
また (南本巻一二聖行品) のたまはく、 「▲真実といふはすなはちこれ如来なり、 如来はすなはちこれ真実なり、 真実はすなはちこれ虚空なり、 虚空はすなはちこれ真実なり、 真実はすなはちこれ仏性なり、 仏性はすなはちこれ真実なり」 と。 文
又云ハク、「言ハク↢真実ト↡者即是如来ナリ、如来者即是真実ナリ、真実者即是虚空ナリ、虚空者即是真実ナリ、真実者即是仏性ナリ、仏性者即是真実ナリ。」 文
・聖行品4
¬涅槃経¼ 十三巻 (南本巻一三聖行品) にのたまはく、 「善男子、 常はすなはちこれ如来なり、 如来はすなはちこれ僧なり、 僧はすなはちこれ常なり。 この義をもつてのゆゑに、 因より法を生ずるを名づけて常とせざるは、 これもろもろの外道なり。 一法として因より生ぜざることあることなし。 善男子、 このもろもろの外道仏性・如来および法を見ず、 このゆゑに外所ならくのみ。 言説ことごとくこれ妄語なり。 真諦あることなきはもろもろの凡夫人なり。 乃至 まさに知るべし、 その実これ常にあらざるなり。
¬涅槃経¼十三巻言、「善男子、常者即是如来ナリ、如来ハ即是僧ナリ、僧ハ即是常ナリ。以ノ↢是ノ義ヲ↡故ニ、従↠因生ズルヲ↠法ヲ不ルハ↢名テ為↟常ト、是諸ノ外道ナリ。無シ↠有コト↣一法トシテ不ルコト↢従↠因生↡。善男子、是ノ諸ノ外道不↠見↢仏性・如来及法ヲ↡、是ノ故ニ外所耳。言説悉ク是妄語ナリ。無キハ↠有コト↢真諦↡諸ノ凡夫人ナリ。乃至 当ニ↠知ル、其ノ実非ル↢是常ニ↡也。
▲善男子、 一切有為はみなこれ無常なり。 虚空無為、 このゆゑに常とす。 仏性無為なり、 このゆゑに常とす。 虚空はすなはちこれ仏性なり、 仏性はすなはちこれ如来なり、 如来はすなはちこれ無為なり、 無為はすなはちこれ常なり、 常はすなはちこれ法なり、 法はすなはちこれ僧なり、 僧はすなはち無為なり、 無為はすなはちこれ常なり。 乃至
善男子、一切有為皆是无常ナリ。虚空无為、是ノ故ニ為↠常ト。仏性无為ナリ、是ノ故ニ為↠常ト。虚空者即是仏0956性ナリ、仏性者即是如来ナリ、如来者即是无為ナリ、无為者即是常ナリ、常者即是法ナリ、法者即是僧ナリ、僧ハ即无為ナリ、无為者即是常ナリ。乃至
▲善男子、 悪に二種あり。 一は阿羅漢、 二は人中なり。 人中に三種の悪あり。 一は一闡提、 二は誹謗方等経典、 三は犯四禁。 乃至 ▲無畏地に住して、 二十五三昧を得ん。 乃至
善男子、悪ニ有リ↢二種↡。一者阿羅漢、二者人中ナリ。人中ニ有リ↢三種ノ悪↡。一者一闡提、二者誹謗方等経典、三者犯四禁。乃至 住シテ↢无畏地ニ↡、得ム↢二十五三昧ヲ↡。乃至
▲善男子、 たとへば牛より乳を出す、 乳より酪を出す、 酪より生蘇を出す、 生蘇より熟蘇を出す、 熟蘇より醍醐を出す、 醍醐最上なり、 もし服することあれば、 衆病みな除こる、 所有の諸薬ことごとくその中に入るがごとし。
善男子、譬バ如シ↧従↠牛出ス↠乳、従↠乳出ス↠酪、従↠酪出ス↢生蘇ヲ↡、従↢生蘇↡出ス↢熟蘇ヲ↡、従↢熟蘇↡出ス↢醍醐ヲ↡、醍醐最上ナリ、若シ有レ↠服コト者、衆病皆除コル、所有ノ諸薬悉ク入ルガ↦其中ニ↥。
◆善男子、 仏もまたかくのごとし。 仏より十二部経を出す、 十二部経より修多羅を出す、 修多羅より方等経を出す、 方等経より般若波羅蜜を出す、 般若波羅蜜より大涅槃を出す、 醍醐のごとし。 醍醐といふは仏性に喩ふ、 仏性はすなわちこれ如来なり。 善男子、 かくのごときの義のゆゑに、 説きて如来所有の功徳無量無辺不可称計とのたまへり」 と。 文
善男子、仏モ亦如シ↠是ノ。従↠仏出ス↢十二部経ヲ↡、従↢十二部経↡出ス↢修多羅ヲ↡、従↢修多羅↡出ス↢方等経ヲ↡、従↢方等経↡出ス↢般若波羅蜜ヲ↡、従↢般若波羅蜜↡出ス↢大涅槃ヲ↡、猶↢如シ醍醐ノ↡。言↢醍醐↡者喩↠於↢仏性↡、仏性者即是如来ナリ。善男子、如ノ↠是ノ義ノ故ニ、説テ言ヘリト↢如来所有功徳无量无辺不可称計ト。」 文
・梵行品1
第十四巻 (南本巻一四梵行品) にのたまはく、 「善男子、 慈はすなはちこれ一切菩薩無上の道なり、 道はすなはちこれ慈なり、 慈はすなはち如来なり。 善男子、 慈はすなはちこれ諸仏世尊無量の境界なり、 無量の境界すなはちこれ慈也。 まさに知るべし、 この慈すなはちこれ如来なり」 と。 文
第十四巻言、「善男子、慈者即是一切菩薩无上之道ナリ、道ハ即是慈ナリ、慈ハ即如来ナリ。善男子、慈者即是諸仏世尊无量ノ境界ナリ、无量ノ境界即是慈也。当ニ↠知ル、是ノ慈即是如来ナリト。」 文
・梵行品2
第十五巻 (南本巻一五梵行品) にのたまはく、 「もろもろの衆生を見るに闇より闇に入る、 もろもろの衆生ありて闇より明に入る、 もろもろの衆生明より闇に入るあり、 もろもろの衆生明より明に入るありと、 これを名づけて見とす」 と。 文
第十五巻言、「見ルニ↢諸ノ衆生ヲ↡従↠闇入ル↠闇ニ、有テ↢諸ノ衆生↡従↠闇入ル↠明ニ、有リ↢諸ノ衆0957生従↠明入ル↟闇ニ、有リト↢諸ノ衆生従↠明入ル↟明ニ、是ヲ名テ為ト↠見ト。」 文
・梵行品3
また (南本巻一五梵行品) のたまはく、 「ª世尊、 それ道は非色非不色、 不長不短、 非高非下、 非生非滅、 非赤非白、 非青非黄、 非有非無なり。 いかんぞ如来説きて菩提を得べしとのたまふや。 涅槃もまたかくのごとしº と。 仏ののたまはく、 ªかくのごとしかくのごとしº と。
又云ハク、「世尊、夫道者非色非不色、不長不短、非高非下、非生非滅、非赤非白、非青非黄、非有非无ナリ。云何ゾ如来説テ言フヤ↠可シト↠得↢菩提↡。涅槃モ亦復如シト↠是ノ。仏ノ言ハク、如シ↠是ノ如シト↠是ノ。
▲善男子、 道に二種あり。 一は常、 二は無常なり。 菩提の相にまた二種あり。 一は常、 二は無常なり。 涅槃もまたしかなり。 外道の道を名づけて無常とす。 内道の道はこれを名づけて常とす。 声聞・縁覚所有の菩提を名づけて無常とす。 菩薩・諸仏所有の菩提をこれを名づけて常とす。 外の解脱は名づけて無常とす。 内の解脱はこれを名づけて常とす。
善男子、道ニ有リ↢二種↡。一者常、二者无常ナリ。菩提之相ニ亦有リ↢二種↡。一者常、二者无常ナリ。涅槃モ亦爾ナリ。外道ノ道ヲ名テ為↢无常ト↡。内道ノ道者名テ↠之ヲ為↠常ト。声聞・縁覚所有ノ菩提ヲ名テ為↢无常ト↡。菩薩・諸仏所有ノ菩提ヲ名テ↠之ヲ為↠常ト。外ノ解脱者名テ為↢无常ト↡。内ノ解脱者名テ↠之ヲ為↠常ト。
◆善男子、 道と菩提とおよび涅槃、 ことごとく名づけて常とす。 一切衆生はつねに無量の煩悩のために覆はる、 慧眼なきがゆゑに見ることを得ることあたはず。 しかるにもろもろの衆生欲見のためのゆゑに戒・定・慧を修す、 修行をもつてのゆゑに、 道・菩提および涅槃を見、 これを菩薩と名づく。 道・菩提・涅槃道の性相を得、 実に不生滅なり、 この義をもつてのゆゑに投持すべからず。 乃至
善男子、道ト与↢菩提↡及以涅槃、悉ク名テ為↠常ト。一切衆生ハ常ニ為ニ↢无量ノ煩悩ノ↡所↠覆ハ、无↢慧眼↡故ニ不↠能↠得↠見。而ニ諸ノ衆生為↢欲見↡故修↢戒・定・慧ヲ↡、以ノ↢修行↡故ニ、見↢道・菩提及以涅槃ヲ↡、是名ク↢菩薩ト↡。得↢道・菩提・涅槃道之性相ヲ↡、実ニ不生滅、以ノ↢是義↡故ニ不↠可↢投ナグ持↡。乃至
◆道は色像見るべきことなしといへども、 称量して知るべし、 しかるに実に用ゆるあり。 乃至 衆生の心のごときはこれ色にあらずといへども、 非長、 非短、 非麁、 非細、 非縛、 非解、 非見の法にしてまたこれ有なり」 と。 文
道者雖モ↠无ト↢色像可キコト↟見ル、称量シテ可シ↠知ル、而ニ実ニ有リ↠用ユル。乃至 如キハ↢衆生ノ心ノ↡雖モ↠非ズト↢是色↡、非長、非短、非麁、非細、非縛、非解、非見ノ法ニ而亦是有ナリト。」 文
・梵行品4
第十六巻 (南本巻一六梵行品) にのたまはく、 「迦葉 乃至 偈頌をもつて仏を讃歎したてまつる。
第十六巻言、「迦葉 乃至 以↢偈頌ヲ↡而讃↢歎シタテマツル仏ヲ↡。
大慈衆生を愍じたまふゆゑにいまわれ帰依す。 よく衆の毒箭を抜くゆゑに大医王と称す。
世医の療治するところ差ゆといへども還りてまた生ず。 如来治したまふところは畢竟じてまた発せず。
世尊甘露薬をもつてもろもろの衆生に施したまふ。 衆生すでに服しおはりて死せずまた生ぜず。
如来いまわれがために大涅槃を演説したまふ。 衆生秘蔵を聞きてすなはち不生滅を得んと。
0958大慈愍ジタマフ↢衆生ヲ↡ 故ニ今我帰依ス 善ク抜ク↢衆ノ毒箭ヲ↡ 故ニ称ス↢大医王ト↡
世医ノ所↢療治スル↡ 雖↠差ユト還テ復生ズ 如来所↠治シタマフ者 畢竟ジテ不↢復発セ↡
世尊甘露薬ヲ 以テ施シタマフ↢諸ノ衆生ニ↡ 衆生既ニ服シ已リテ 不↠死セ亦不↠生ゼ
如来今為ニ↠我ガ 演↢説シタマフ大涅槃ヲ↡ 衆生聞テ↢秘蔵ヲ↡ 即得ムト↢不生滅ヲ↡
すなはち阿耨多羅三藐三菩提心を発することを得ん。 まさに知るべし、 この人はすなはちこれ衆生の真の善知識なり、 悪知識にあらず。 これわが弟子なり、 魔の眷属にあらず。 これを菩薩と名づく世間にあらずとなり。 乃至
則便チ得ム↠発スルコトヲ↢阿耨多羅三藐三菩提心ヲ↡。当ニシ↠知ル、是ノ人ハ則チ是衆生ノ真ノ善知識ナリ、非ズ↢悪知識ニ↡。是我ガ弟子ナリ、非ズ↢魔ノ眷属ニ↡。是ヲ名ク↢菩薩ト↡非ズト↢世間ニ↡也。乃至
あるいはのたまはく、 如来比丘十種の肉を食することを聴さず。 なんらか十とする。 ▼人・蛇・象・馬・驢・狗・師子・猪・狐・獼猴なり、 その余はことごとく聴すと。 あるいはのたまはく、 一切聴さず」 と。 乃至
或ハ言ハク、如来不↠聴サ↣比丘食コトヲ↢十種ノ肉ヲ↡。何等カ為ル↠十ト。人・蛇・象・馬・驢・狗・師子・猪・狐・獼猴ナリ、其ノ余ハ悉ク聴スト。或ハ言ク、一切不ト↠聴サ。」乃至
・梵行品5
第十七巻 (南本巻一七梵行品) にのたまはく、 「▲その時に王舎大城に阿闍世王あり。 その性弊悪にしてよく殺戮を行ず。 口の四悪、 貪・恚・愚痴を具してその心熾盛なりと。 乃至 しかるに眷属のために現世の五欲の楽に貪著せるがゆゑに、 父の王辜なきに横に逆害を加ス↢。
第十七巻言、「爾時ニ王舎大城ニ阿闍世王アリ。其ノ性弊悪ニシテ善ク行ズ↢殺戮ヲ↡。具シテ↢口ノ四悪、貪・恚・愚痴ヲ↡其ノ心熾盛ナリト。乃至 而ニ為ニ↢眷属ノ↡貪↢著セルガ現世ノ五欲ノ楽ニ↡故ニ、父ノ王无キニ↠辜横ニ加ス↢逆害ヲ↡。
◆父を害するによりてすでに心に悔熱を生ず。 乃至 心悔熱するがゆゑに遍体に瘡を生ず。 その瘡臭穢にして附近すべからず。 すなはちみづから念言すらく、 われいまこの身すでに華報を受けたり、 地獄の果報まさに近きて遠からずとす。 乃至
因テ↠害スルニ↠父ヲ已ニ心ニ生ズ↢悔熱ヲ↡。乃至 心悔熱スルガ故ニ遍体ニ生ズ↠瘡ヲ。其ノ瘡臭穢ニシテ不↠可↢附近チカヅクス↡。尋自念言スラク、我今此身已ニ受ケタリ↢華報ヲ↡、地獄ノ果報将ス ニ↢近キテ不ト↟遠カラ。乃至
▲大臣日月称と名づく 富闌那と名づく
蔵徳 末伽梨舎離子と名づく
一の臣あり名づけて実徳といふ 那闡邪毘羅肱子と名づく
一の臣あり悉知義と名づく 阿嗜多翅金欽婆羅と名づく
大臣名づけて吉徳といふ 婆蘇仙
尼犍陀若犍子と名づく 加羅鳩駄迦旃延」
大臣名ク↢日月称↡ 名ク↢富闌那↡
蔵0959徳 名末伽梨舎離子
有↢一ノ臣↡名曰実徳 名那闡邪毘羅肱子
有↢一臣↡名悉知義 名阿嗜多翅金欽婆羅
大臣名曰吉徳 婆蘇仙
名尼犍陀若犍子 加羅鳩駄迦旃延」
・梵行品6
第十八巻 (南本巻一八梵行品) にのたまはく、 「▲善男子、 わがいふところのごとし。 阿闍世の為に涅槃に入らず。 かくのごときの密義、 なんぢいまだ解すことあたはず。
第十八巻言、「善男子、如シ↢我ガ所ノ↟言フ。為ニ↢阿闍世ノ↡不↠入ラ↢涅槃ニ↡。如ノ↠是ノ密義、汝未ズダ↠能ハ↠解コト。
◆なにをもつてのゆゑに。 われ ª為º と言ふは一切凡夫、 ª阿闍世王º はあまねくおよび一切五逆を造るものなり。
何ヲ以ノ故ニ。我言フ↠為ト者一切凡夫、阿闍世王者普ク及一切造ル↢五逆ヲ↡者ナリ。
◆また ª為º といふはすなはちこれ一切有為の衆生なり。 われつひに無為の衆生のために世に住せず。 なにをもつてのゆゑに。 それ無為は衆生にあらざるなり。 ª阿闍世º はすなはちこれ煩悩等を具足せるものなり。
又復為トイフ者即是一切有為ノ衆生ナリ。我終ニ不↧為ニ↢无為ノ衆生ノ↡而住セ↞於↠世。何ヲ以ノ故ニ。夫无為者非ル↢衆生ニ↡也。阿闍世者即是具↢足セル煩悩等ヲ↡者ナリ。
◆また ª為º といふはすなはちこれ仏性を見ざる衆生なり。 もし仏性を見ば、 われつひにために久しく世に住せず。 なにをもつてのゆゑに。 仏性を見るものは衆生にあらざるなり。 ª阿闍世º はすなはちこれ一切いまだ阿耨多羅三藐三菩提心を発せざるものなり。 乃至
又復為トイフ者即是不↠見↢仏性ヲ↡衆生ナリ。若シ見バ↢仏性ヲ↡、我終ニ不↢為ニ久シク住セ↟於↟世。何ヲ以ノ故ニ。見ル↢仏性ヲ↡者ハ非↢衆生ニ↡也。阿闍世者即是一切未ダル↠発↢阿耨多羅三藐三菩提心ヲ↡者ナリ。乃至
◆また ª為º といふは名づけて仏性とす。 ª阿闍世º は名づけて不生とす、 ª世º は怨に名づく。 仏性を生ぜざるをもつてのゆゑにすなはち煩悩の怨生ず。 煩悩の怨生ずるがゆゑに仏性を見ず。 煩悩を生ぜざるをもつてのゆゑにすなはち仏性を見る。 仏性を見るをもつてすなはち大般涅槃に安住することを得ん。 これを不生と名づく。 このゆゑに名づけて阿闍世とすと。
又復為トイフ者名テ為↢仏性ト↡。阿闍世者名テ為↢不生ト↡、世者名ク↠怨ニ。以ノ↠不ルヲ↠生ゼ↢仏性ヲ↡故ニ則チ煩悩ノ怨生ズ。煩悩ノ怨生ズルガ故ニ不↠見↢仏性ヲ↡。以ノ↠不ルヲ↠生ゼ↢煩悩ヲ↡故ニ則チ見ル↢仏性ヲ↡。以テ↠見↢仏性ヲ↡則チ得ム↣安↢住スルコトヲ大般涅槃ニ↡。是ヲ名ク↢不生ト↡。是ノ故0960ニ名テ為ト↢阿闍世ト↡。
◆善男子、 ª阿闍は不生に名づく、 不生は涅槃に名づく、 ª世º は世法に名づく。 ª為º は不行に名づく。 世の八法をもつて行ぜられざるゆゑに、 無量無辺阿僧祇劫に涅槃に入らず。 このゆゑにわれ阿闍世のためにといふ、 無量億劫に涅槃に入らずと。
善男子、阿闍者名ク↢不生ニ↡、不生者名ク↢涅槃ニ↡、世ハ名ク↢世法ニ↡。為者名ク↢不行ニ↡。以テ↢世ノ八法ヲ↡不↠所↠行故ニ、无量无辺阿僧祇劫ニ不↠入ラ↢涅槃ニ↡。是ノ故ニ我言フ↠為ニト↢阿闍世ノ↡无量億劫ニ不ト↠入ラ↢涅槃ニ↡。
◆善男子、 如来の密語不可思議なり。 仏・法・衆僧また不可思議なり。 菩薩摩訶薩また不可思議なり。 大涅槃経また不可思議なり。
善男子、如来ノ密語不可思議ナリ。仏・法・衆僧亦不可思議ナリ。菩薩摩訶薩亦不可思議ナリ。大涅槃経亦不可思議ナリ。
◆その時に世尊大悲導師、 阿闍世王のために月愛三昧に入る。 三昧に入りおはりて大光明を放つ。 その光清涼にして、 往きて王の身の瘡を照すにすなはち愈えぬ。 乃至
爾時ニ世尊大悲導師、為ニ↢阿闍世王ノ↡入ル↢月愛三昧↡。入↢三昧ニ↡已テ放ツ↢大光明ヲ↡。其ノ光清涼ニシテ、往テ照スニ↢王ノ身ノ瘡ヲ↡即愈エヌ。乃至
◆王のいはまく、 ª耆婆、 かの天中の天なんの因縁をもつてこの光明を放ちたまふやº と。
王ノ言ハマク、耆婆、彼ノ天中天以テ↢何ノ因縁ヲ↡放チタマフヤト↢斯ノ光明ヲ↡。
◆耆婆答へていはまく、 ªいまこの瑞相はまさに大王のためにすとやせん。 王の光をもつていはく、 世に良医の身心を療↢治するものなきがゆえゑにこの光を放つ。 光をして王の身を治す。 しかして後心に及ぶº と。
耆婆答テ言ハマク、今是ノ瑞相ハ将セニム↠為ストヤ↢大王ノ↡。以テ↢王ノ光ヲ↡言ク、世ニ无キガ↣良医ノ療↢治スルモノ身心ヲ↡故ニ放ツ↢此ノ光ヲ↡。光ヲシテ治ス↢王身ヲ↡。然シテ後及ブ↠心ニ。
◆王のいはまく、 ª耆婆、 如来世尊また見たてまつらんと念ふをやº と。
王ノ言ハマク、耆婆、如来世尊亦見タテマツラムト念ヲ耶。
◆耆婆答へていはまく、 ªたとへばもし一人して七子あらん、 この七子の中に病に遇へば、 父母の心平等ならざるにあらざれども、 しかるに病子において心則偏重なり。
耆婆答テ言マク、譬バ如一人而有ラム↢七子↡、是ノ七子中ニ遇ヘバ↠病ニ、父母之心非ラザレドモ↠不ルニ↢平等ナラ↡、然ニ於テ↢病子ニ↡心則偏重ナリ。
◆大王、 如来もまたしかなり。 もろもろの衆生において平等ならざるにあらず、 しかるに罪者において心則偏重なり。 放逸のものにおいてすなはち慈悲の念を生ず。 不放逸のものは心すなはち放捨す。 何等か名づけて不放逸のひととする。 いはく六住の菩薩なり。
大王、如来モ亦爾ナリ。於テ↢諸ノ衆生ニ↡非ズ↠不ルニ↢平等ナラ↡、然ニ於テ↢罪者ニ↡心則偏重ナリ。於テ↢放逸ノ者ニ↡則生ズ↢慈悲ノ念ヲ↡。不放逸ノ者ハ心則放捨ス。何等カ名テ為ル↢不放逸ノ者ト↡。謂ク六住ノ菩薩ナリ。
◆大王、 諸仏世尊もろもろの衆生において、 種姓・老少中年・貧富・時節・日月星宿・上巧下賎・僮僕・婢使を観さず、 ただ衆生善心あるものを観す。 もし善心あればすなはち慈念せしむ。 大王まさに知るべし、 この瑞相はすなはちこれ如来月愛三昧に入りたまふ、 放ちたまふところの光明なりº と。
大王、諸仏世尊於テ↢諸ノ衆生ニ↡、不↠観サ↢種姓・老少中年・貧富・時節・日月星宿・上巧下賎・僮僕・婢使ヲ↡、唯観ス↧衆生有↢善心↡者ヲ↥。若シ有レバ↢善心↡則使ム↢慈念セ↡。大王当ニ↠知ル、是0961ノ瑞相即是如来入リタマフ↢月愛三昧ニ↡、所ノ↠放タマフ光明。
◆王すなはち問ひてまうさく、 ªなんらか名づけて月愛三昧とするº と。
王即問テ言サク、何等カ名テ為ルト↢月愛三昧ト↡。
◆耆婆答へていはく、 ªたとへば月の光よく一切優鉢羅華をして開敷し鮮明ならしむるがごとし。 月愛三昧もまたかくのごとし。 よく衆生をして善心開敷せしむ、 このゆゑに名づけて月愛三昧とす。
耆婆答テ言ク、譬バ如シ↣月ノ光能ク令ムルガ↢一切優鉢羅華開ヒラク敷シヒラク鮮明アキラカニナラ↡。月愛三昧亦復如シ↠是ノ。能ク令ム↢衆生ヲシテ善心開敷セ↡、是ノ故ニ名テ為↢月愛三昧ト↡。
◆大王、 たとへば月の光よく一切行路の人をして心に歓喜を生ぜしむるがごとし。 月愛三昧もまたかくのごとし。 よく涅槃道を修習せしむれば心に歓喜を生ぜん、 ゆゑにまた月愛三昧と名づくるなりº と。 乃至
大王、譬バ如シ↤月ノ光能ク令ムルガ↣一切行路之人ヲシテ心ニ生ゼ↢歓喜ヲ↡。月愛三昧モ亦復如シ↠是ノ。能ク令ムレ↣修↢習セ涅槃道ヲ↡者心ニ生ゼム↢歓喜ヲ↡、故ニ復名クルナリト↢月愛三昧ト↡。乃至
◆その時に仏もろもろの大衆に告げてのたまはく、 ª一切衆生阿耨多羅三藐三菩提に近づく因縁たるもの、 善友を先とせず。 なにをもつてのゆゑに。 阿闍世王は耆婆の語に随順せずは、 来月の七日必定して命終して阿鼻獄に堕せん。 このゆゑに日に近づきたり、 善友にしくことなしº と。 乃至
爾時ニ仏告テ↢諸ノ大衆ニ↡言マハク、一切衆生為ル↢阿耨多羅三藐三菩提近ヅク因縁↡者、无ズ↠先ト↢善友ヲ↡。何ヲ以ノ故ニ。阿闍世王者不↣随↢順セ耆婆ノ語ニ↡者、来月ノ七日必定シテ命終シテ堕セム↢阿鼻獄ニ↡。是ノ故ニ近ヅキタリ↠日ニ、莫シト↠若クコト↢善友ニ↡。乃至
▲仏のたまはく、 ª大王、 善いかな善いかな、 われいまなんぢかならずよく衆生の悪心を破壊することを知らんº と。
仏言、大王、善イ哉善哉、我今知ラム↣汝必ズ能ク破↢壊衆生ノ悪心ヲ↡。
◆ª世尊、 もしわれあきらかに衆生のもろもろの悪心を破壊することあたはずは、 われつねに阿鼻地獄にありて無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむるに、 もつて苦とせずº と。
世尊、若シ我審ニ不↠能ハ↣破↢壊コト衆生ノ諸ノ悪心ヲ↡者、使ムルニ↧我常ニ在テ↢阿鼻地獄ニ↡无量劫ノ中ニ為ニ↢諸ノ衆生ノ↡受ケ↦苦悩ヲ↥、不↢以テ為↟苦ト。
◆その時に摩伽陀国の無量の人民、 ことごとく阿耨多羅三藐三菩提心を発す。 かくのごときらの無量の人民大心を発するをもつてのゆゑに、 阿闍世王の所有の重罪すなはち微薄なることを得。 王および夫人、 後宮采女ことごとくみな同じく阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。
爾ノ時ニ摩伽陀国ノ无量ノ人民、悉ク発ス↢阿耨多羅三藐三菩提心ヲ↡。以ノ↣如キ↠是等ノ无量ノ人民発スルヲ↢大心ヲ↡故ニ、阿闍世王ノ所有ノ重罪即得↢微薄ナルコトヲ↡。王及夫人、後宮采女悉皆同ジク発セリ↢阿耨多羅三藐三菩提心ヲ↡。
◆その時に阿闍世王耆婆に語りていはく、 ª耆婆、 われいまにいまだ死せざるにすでに天身を得たり。 短命を捨てて長命を得、 無常の身を捨てて常身を得たり。 諸衆生をして阿耨多羅三藐三菩提心を発せしむº と。 乃至
爾時ニ阿闍世王語テ↢耆婆ニ↡言ク、耆婆、我今ニ未ザダルニ↠死セ已ニ得タリ↢天身ヲ↡。捨テ↠於↢短命↡而得↢長命ヲ↡、捨↢无常ノ身ヲ↡而得タリ↢常身ヲ↡。令ムト↣諸衆生ヲシテ発0962セ↢阿耨多羅三藐三菩提心ヲ↡。乃至
◆諸仏の弟子、 この語を説きおはるに、 すなはち 乃至 偈頌をもつて讃歎していはく、
諸仏ノ弟子、説キ↢是語↡已ニ、即乃至 以↢偈頌↡而讃歎シテ言ク、
▲諸仏つねに軟語をして衆のためのゆゑに麁を説きたまふ。 麁語および軟語みな第一義に帰せん。
諸仏常ニ軟ヤハラカナル語コトバヲシテ 為ノ↠衆ノ故ニ説キタマフ↠麁ヲ 麁語及軟語 皆帰セム↢第一義ニ↡
◆このゆゑにわれいま世尊に帰依したてまつる。 如来の語一味なること大海の水のごとし。
是ノ故ニ我今者 帰↣依シタテマツル於↢世尊↡ 如来ノ語一味ナルコト 猶↢如大海ノ水ノ↡
◆これを第一諦と名づく。 ゆゑに無無義の語にして如来いま説きたまふところの種々無量の法、
是ヲ名ク↢第一諦ト↡ 故ニ无无義ノ語ニシテ 如来今所ノ↠説キタマフ 種種无量ノ法
◆男女大小聞きて同じく第一義を獲ん。 無因また無果、 無生また無滅なり。
男女大小聞キテ 同ジク獲ム↢第一義ヲ↡ 无因亦无果 无生亦无滅
◆これを大涅槃と名づく。 聞くもの諸果を破せむ。 如来一切のためにつねに慈父母となりたまへり。
名ク↢是ヲ大涅槃ト↡ 聞ノ者破セム↢諸果ヲ↡ 如来為ニ↢一切ノ↡ 常ニ作リタマヘリ↢慈父母ト↡
◆まさに知るべしもろもろの衆生みなこれ如来の子なりと。 世尊大慈悲は衆のために苦行を修したまへり。
当ニシ↠知ル諸ノ衆生 皆是如来ノ子ナリト 世尊大慈悲 為ニ↠衆ノ修シタマヘリ↢苦行ヲ↡
◆人の鬼魅に著はされて狂乱して所作多きがごとし。 われいま仏を見ることを得。 得るところの三業の善、
如シ↧人ノ著サレテ↢鬼魅ニ↡ 狂乱シテ多キガ↦所作↥ 我今得↠見↠仏 所ノ↠得三業ノ善
◆願はくはこの功徳をもつて無上道に回向す。 われいま供養するところの仏・法および衆僧、
願ハ以テ↢此ノ功徳↡ 迴↢向ス无上道ニ↡ 我今所ノ↢供養↡ 仏・法及衆僧
◆願はくはこの功徳をもつて三宝つねに世にましまさん。 われいままさに得べきところの種々のもろもろの功徳、
願ハ以テ↢此ノ功徳ヲ↡ 三宝常ニ在サム↠世ニ 我今所ノ↠当ベニキ↠得 種種ノ諸ノ功徳
◆願はくはこれをもつて衆生の四種の魔を破壊せんと。 乃至
願ハ以テ↠此ヲ破↢壊セムト 衆生ノ四種ノ魔ヲ↡乃至
▲その時に、 世尊阿闍世王を讃めたまはく、 ª善いかな善いかな、 もし人ありてよく菩提心を発せん、 まさに知るべし、 この人すなはち諸仏大衆を荘厳すとす。
爾ノ時ニ、世尊讃マハク↢阿闍世王ヲ↡、善哉善哉、若シ有テ↠人能ク発セム↢菩提心↡、当ニシ↠知ル、是ノ人則チ為↣荘↢厳ス諸仏大衆ヲ↡。
◆大王、 なんぢ昔すでに毘婆尸仏において、 はじめて阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。 これよりこのかたわが出世に至るまで、 その中間においていまだかつてまた地獄に堕して苦を受けず。
大王、汝昔已ニ於テ↢毘婆尸仏ニ↡、初テ発シキ↢阿耨多羅三藐0963三菩提心ヲ↡。従↠是已来至ルマデ↢我出世ニ↡、於テ↢其ノ中間ニ↡末ズダ↧曽テ復堕シテ↢地獄ニ↡受ケ↥苦ヲ。
◆大王まさに知るべし、 菩提の心いましかくのごとき無量の果報あり。 大王、 今より以往につねにまさに菩提の心を勤修しき。 なにをもつてのゆゑに。 この因縁によりてまさに無量の悪を消滅することを得べきがゆゑにº」 と。 乃至
大王当ニ↠知ル、菩提之心乃有リ↢如キ↠是ノ无量ノ果報↡。大王、従↠今已往ニ常ニ当ニ勤↢修シキ菩提之心↡。何ヲ以ノ故ニ。従↢是ノ因縁↡当ニシ↠得↣消↢滅ヲ无量ノ悪ヲ↡故ニト。」乃至
・迦葉品
第三十四 (南本巻三四迦葉品) にのたまはく、 「▲迦葉菩薩仏にまうしてまうさく、 ª世尊、 一切衆生みな煩悩よりして果報を得。 煩悩といふはいはゆる悪世、 悪煩悩より生ずるところの煩悩なればまた名づけて悪とす。 かくのごときの煩悩すなはち二種あり。 一は因、 二は果なり。 因悪なるがゆゑに果悪なり、 果悪なるがゆゑに子悪なり。 縦婆果のその子苦きがゆゑに、 華・果・茎・葉一切苦きがごとし。 毒樹のその子毒なるがゆゑに、 果また毒なるがごとし。 因また衆生なれば、 果また衆生なり。 因また煩悩なれば、 果また煩悩なり。 煩悩の因果すなはちこれ衆生なり、 衆生すなはちこれ煩悩の因果なり」 と。 文
第四言、「迦葉菩薩白シテ↠仏ニ言ク、世尊、一切衆生皆従↢煩悩↡而得↢果報ヲ↡。言↢煩悩↡者所ル↠謂ハ悪世従↢悪煩悩↡所ノ↠生煩悩ナレバ亦名テ為↠悪ト。如ノ↠是ノ煩悩則有リ↢二種↡。一ハ因、二果ナリ。因悪ナルガ故ニ果悪ナリ、果悪ナルガ故ニ子悪ナリ。如シ↢縦婆果ノ其ノ子苦キガ故ニ、華・果・茎・葉一切苦キガ↡。猶↢如毒樹ノ其ノ子毒ナルガ故ニ、果亦毒ナルガ↡。因亦衆生ナレバ、果亦衆生ナリ。因亦煩悩ナレバ、果亦煩悩ナリ。煩悩ノ因果即是衆生ナリ、衆生即是煩悩ノ因果ナリト。」 文
・四相品1
第四巻 (南本巻四 四相品) にのたまはく、 「ª善男子、 今日よりはじめて聲聞弟子の食肉を聽さず。 もし檀越の信施を受けん時は、 觀ずべし、 この食は子肉の想のごとしº と。 迦葉菩薩また仏にまうしてまうさく、 ª世尊、 いかんぞ如來食肉を聽さざるº と。 ª善男子、 それ食肉は大慈の種を斷ずればなりº と。 迦葉また如來にまうさく、 ªなんがゆゑぞ先に比丘三種の淨肉を食せんことを聽したまふやº と。 ª迦葉、 この三種の淨肉は事に隨ひて漸制す。 乃至
第四巻言、「善男子、從↢今日↡始テ不↠聽↢聲聞弟子食肉↡。若シ受ケム↢檀越信施ヲ↡之時ハ、応シ↠觀ズ、是ノ食ハ如シト↢子肉ノ想ノ↡。迦葉菩薩復白↠仏ニ言ク、世尊、云何ゾ如來不ルト↠聽シ↢食肉ヲ↡。善男子、夫食肉者斷ズレバナリ↢大慈ノ種ヲ↡。迦葉又言サク↢如來ニ↡、何ガ故ゾ先ニ聽シタマフヤ↣比丘食セムコトヲ↢三種ノ淨肉ヲ↡。迦葉、是ノ三種ノ淨肉ハ隨テ↠事ニ漸制ス。乃至
善男子、 かの尼犍の所見に同ずべからず。 如來制したまふところの一切禁戒、 おのおの意々異なることあるがゆゑに、 三種の淨肉を食することを聽す。 異想のゆゑに十種の肉を斷ず。 異想のゆゑに一切ことごとく斷つ。 自死するものに及ぶ。 迦葉、 われ今日よりもろもろの弟子を制す、 また一切の肉を食することを得ざれº となり」 と。 文
善男子、不↠応カラ↠同ズ↢彼ノ尼犍ノ所見ニ↡。如來所ノ↠制シタマフ一切禁戒、各有ルガ↠異↢意意↡故ニ、聽ス↠食コトヲ↢三種ノ淨肉0964ヲ↡。異想ノ故ニ斷ズ↢十種ノ肉ヲ↡。異想ノ故ニ一切悉ク斷ツ。及ブ↢自死スル者ニ↡。迦葉、我從↢今日↡制ス↢諸ノ弟子ヲ↡、不レトナリ↠得↣復食スルコトヲ↢一切ノ肉ヲ↡也。」 文
・四相品2
第五巻 (南本巻五 四相品) にのたまはく、 「善男子、 世間の瘡・疣におよそ二種あり。 一は可治、 二は不可治なり。 およそ可治は医すなはちよく治す、 不可治はすなはち治するにあたはずと。 乃至 閻浮提の因縁生に二あり。 一は有信、 二は無信なり。 有信の人はすなはち可治と名づく。 なにをもつてのゆゑに。 さだめて涅槃を得ん、 瘡疣なきがゆゑに。 このゆゑにわれときて閻浮提のもろもろの衆生を治しおはりぬ。 無信の人は一闡提と名づく、 一闡提は不可治と名づく。 一闡提を除き余はことごとく治しおはりぬ。 このゆゑに涅槃を無瘡疣と名づく。 乃至
第五巻言、「善男子、世間ノ瘡カサ・疣チンニ凡ソ有↢二種↡。一者可治、二者不可治ナリ。凡ソ可治者医則能ク治ス、不可治者則不ト↠能↠治スルニ。乃至 閻浮提ノ因縁生ニ有↠二。一者有信、二者無信ナリ。有信之人ハ則名ク↢可治ト↡。何ヲ以ノ故ニ。定テ得ム↢涅槃ヲ↡、无キガ↢瘡疣↡故ニ。是ノ故ニ我説テ治シ↢閻浮提ノ諸ノ衆生ヲ↡已ヌ。无信之人ハ名ク↢一闡提ト↡、一闡提者名ク↢不可治ト↡。除キ↢一闡提ヲ↡余ハ悉ク治シ已ヌ。是ノ故ニ涅槃名ク↢无瘡疣ト↡。乃至
迦葉、 たとへば醍醐のその性清淨なるがごとし、 如來もまたしかなり。 父母和合するによりて生ずるにあらず。 その性清淨なり。 このゆゑに、 父母あることを示現するは、 もろもろの衆生を化度せんと欲ふゆゑに。 真解脱はすなはちこれ如來なり。 如來と解脱と無二無別なり。 たとへば春月にもろもろの種子を下すに、 暖潤の氣を得てついですなはち出生するがごとし。 乃至
迦葉、譬バ如シ↢醍醐ノ其ノ性清淨ナルガ↡、如來モ亦爾ナリ。非ズ↧因リ↢父母和合スル↡而生ズルニ↥。其ノ性清淨ナリ。所以、示↣現スル有コトヲ↢父母↡者、為ノ↠欲フ↣化↢度セムト諸ノ衆生ヲ↡故ニ。真解脱者即是如來ナリ。如來ト解脱ト无二无別ナリ。譬バ如シ↧春月ニ下スニ↢諸ノ種子↡、得テ↢暖潤ジユンノ氣↡尋デ便チ出生スルガ↥。乃至
▲また解脱は無上上と名づく。 乃至 無上上はすなはち真解脱なり。 真解脱はすなはちこれ如來なり。 乃至
又解脱者名ク↢无上上ト。乃至 无上上者即真解脱ナリ。真解脱者即是如來ナリ。乃至
如來はすなはちこれ涅槃なり。 涅槃はすなはちこれ無尽なり。 無尽はすなはちこれ仏性なり。 仏性はすなはちこれ決定なり。 決定はすなはちこれ阿耨多羅三藐三菩提なり。 乃至 畢竟楽はすなはちこれ涅槃なり。 涅槃はすなはち真解脱なり。 真解脱はすなはちこれ如来なり。」 文
如來者即是涅槃ナリ。涅槃者即是无尽ナリ。无尽者即是仏性ナリ。仏性者即是決定ナリ。決定者即是阿耨多羅三藐三菩提ナリ。乃至 畢竟楽者即是涅槃ナリ。涅槃者即真解脱ナリ。真解脱者即是如来ナリ。」 文
・四依品
第六巻 (南本巻六 四依品) にのたまはく、 「迦葉また仏にまうしてまうさく、 ª世尊、 かくのごときの経典正法滅せん時、 正戒毀せん時、 非法増長の時、 如法の衆生なからん時、 たれかよく聽受し奉持し讀誦せん、 それをして通利せしむ、 供養し恭敬し書写し解説せんと。 やや願はくは如來、 衆生を哀愍して分別廣説してもろもろの菩薩をして聞かしめおはりぬ。 受持すべし、 持ちおはらばすなはち阿耨多羅三藐三菩提心を退せざることを得んº と。
第0965六巻言、「迦葉復白シテ↠仏ニ言ク、世尊、如キノ↠是ノ経典正法滅セム時、正戒毀セム時、非法増長ノ時、无ラム↢如法ノ衆生↡時、誰カ能ク聽受シ奉持シ讀誦セム、令ム↢其ヲシテ通利セ↡、供養シ恭敬シ書写シ解説セムト。唯願ハ如來、哀↢愍シテ衆生ヲ↡分別廣説シテ令メ↢諸ノ菩薩ヲシテ聞カ↡已ヌ。受持スベシ、持チ已ラバ即チ得ム↠不コトヲ↠退セ↢阿耨多羅三藐三菩提心ヲ↡。
その時に、 仏迦葉を讃めたまはく、 ª善いかな善いかな、 善男子、 なんぢいまよくかくのごときの義を問へりº と。
爾ノ時ニ、仏讃タマハク↢迦葉ヲ↡、善哉善哉、善男子、汝今善能ク問ヘリト↢如キノ↠是ノ義ヲ↡。
善男子、 もし衆生ありて熈連河沙のもろもろの如來の所にして菩提心を發せりき、 いましよくこの惡世にしてかくのごときの経典を受持せん、 誹謗を生ぜじと。
善男子、若シ有テ↢衆生↡於テ↢熈連河沙ノ諸ノ如來ノ所ニ↡發セリキ↢菩提心ヲ↡、乃能ク於テ↢是ノ惡世ニ↡受↢持セム如キノ↠是ノ経典ヲ↡、不ト↠生ゼ↢誹謗ヲ↡。
善男子、 もし衆生ありて一恒河沙の諸仏世尊の所にして菩提心を發しき、 しかして後、 いましよく惡世の中にしてこの法を謗ぜじ、 この経典を愛樂せん、 人のために分別廣説することあたはじ。
善男子、若シ有テ↢衆生↡於テ↢一恒河沙ノ諸仏世尊ノ所ニ↡發シキ↢菩提心ヲ↡、然シテ後、乃能ク於テ↢惡世ノ中ニ↡不↠謗ゼ↢是ノ法ヲ↡、愛↢樂セム是ノ経典ヲ↡、不↠能ハ↢為ニ↠人ノ分別廣説コト↡。
善男子、 もし衆生ありて二恒河沙のもろもろの如來の所にして菩提心を發しき、 しかして後、 いましよく惡世の中にしてこの法を謗ぜじ、 まさしく解り信樂し受持し讀誦せん、 また人のためにひろく説くことあたはじと。
善男子、若有テ↢衆生↡於テ↢二恒河沙ノ諸ノ如來ノ所ニ↡發シキ↢菩提心ヲ↡、然シテ後、乃能ク於テ↢惡世ノ中ニ↡不↠謗ゼ↢是ノ法ヲ↡、正シク解リ信樂シ受持シ讀誦セム、亦復不ト↠能ハ↢為ニ↠人ノ廣ク説コト↡。
もし衆生ありて三恒河沙のもろもろの如來の所にして菩提心を發しき、 しかして後、 いましよく惡世の中にしてこの法を謗ぜじ、 受持し讀誦し経卷を書写せん、 他のために説くといへども、 いまだ深義を解らじと。
若シ有テ↢衆生↡於テ↢三恒河沙ノ諸ノ如來ノ所ニ↡發シキ↢菩提心ヲ↡、然シテ後、乃能ク於テ↢惡世ノ中ニ↡不↠謗ゼ↢是ノ法ヲ↡、受持シ讀誦シ書↢写セム経卷ヲ↡、雖モ↢為ニ↠他ノ説クト↡、未ジダト↠解ラ↢深義ヲ↡。
もし衆生ありて四恒河沙のもろもろの如來の所にして菩提心を發しき、 しかして後、 いましよく惡世の中にしてこの法を謗ぜじ、 受持し讀誦し経卷を書写せん、 他のためにひろく十六分の中の一分の義を説かん。 また演説すといへどもまた具足せじ。
若シ有テ↢衆生↡於テ↢四恒河沙ノ諸ノ如來ノ所ニ↡發シキ↢菩提心ヲ↡、然シテ後、乃能ク於テ↢惡世ノ中ニ↡不↠謗ゼ↢是ノ法ヲ↡、受持シ讀誦シ書↢写セム経卷ヲ↡、為ニ↠他ノ廣ク説カム↢十六分ノ中ノ一分之義ヲ↡。雖モ↢復演説スト↡亦不↢具足セ↡。
もし衆生ありて五恒河沙のもろもろの如來の所にして菩提心を發しき、 しかして後、 いましよく惡世の中にしてこの法を謗ぜじ、 受持し讀誦し経卷を書写せん、 人のためにひろく十六分の中の八分の義を説かん。
若シ有テ↢衆生0966↡於テ↢五恒河沙ノ諸ノ如來ノ所ニ↡發シキ↢菩提心ヲ↡、然シテ後、乃能ク於テ↢惡世ノ中ニ↡不↠謗ゼ↢是ノ法ヲ↡、受持シ讀誦シ書↢写セム経卷ヲ↡、為ニ↠人ノ廣ク説カム↢十六分ノ中ノ八分之義ヲ↡。
若シ有テ↢衆生↡於テ↢六恒河沙ノ諸ノ如來ノ所ニ↡發シキ↢菩提心ヲ↡、然シテ後、乃能ク於テ↢惡世ノ中ニ↡不↠謗ゼ↢是ノ法ヲ↡、受持シ讀誦シ書↢写セム経卷ヲ↡、為ニ↠他ノ廣ク説カム↢十六分ノ中ノ十二分ノ義ヲ↡。
もし衆生ありて七恒河沙のもろもろの如來の所にして菩提心を發しき、 しかして後、 いましよく惡世の中にしてこの法を謗ぜじ、 受持し讀誦し経卷を書写せん、 他のためにひろく十六分の中の十四分の義を説かん。
若シ有テ↢衆生↡於テ↢七恒河沙ノ諸ノ如來ノ所↡發シキ↢菩提心ヲ↡、然シテ後、乃能ク於テ↢惡世ノ中ニ↡不↠謗ゼ↢是ノ法ヲ↡、受持シ讀誦シ書↢写セム経卷ヲ↡、為ニ↠他ノ廣ク説カム↢十六分ノ中ノ十四分ノ義ヲ↡。
もし衆生ありて八恒河沙のもろもろの如來の所にして菩提心を發しき、 しかして後、 いましよく惡世の中にしてこの法を謗ぜじ、 受持し讀誦し経卷を書写せん、 また他人を勸めて書写することを得しめん、 みづからよく聽受し、 また他人を勸めて聽受し讀誦し通利することを得しめん、 擁護し堅持せん。 世間のもろもろの衆生を憐愍するがゆゑにこの経を供養せん、 また他人を勸めてそれをして供養し恭敬し尊重し讀誦し禮拜せしめん、 またかくのごとく具足してよくその義味を解し尽さん。
若シ有テ↢衆生↡於テ↢八恒河沙ノ諸ノ如來ノ所ニ↡發シキ↢菩提心ヲ↡、然シテ後、乃能ク於テ↢惡世ノ中ニ↡不↠謗ゼ↢是ノ法ヲ↡、受持シ讀誦シ書↢写セム経卷ヲ↡、亦勸テ↢他人ヲ↡令メム↠得↢書写ヲ↡、自能ク聽受シ、復勸テ↢他人ヲ↡令メム↠得↢聽受シ讀誦シ通利ヲ↡、擁護シ堅持セム。憐↢愍世間ノ諸ノ衆生ヲ↡故ニ供↢養セム是ノ経ヲ↡、亦勸テ↢他人ヲ↡令メム↢其ヲシテ供養シ恭敬シ尊重シ讀誦シ禮拜セ↡、亦復如ク↠是ノ具足シテ能ク解シ↢尽サム其義味ヲ↡。
いはゆる如來は常住不変なり、 畢竟安樂ならん。 ひろく衆生は悉有仏性なることを説かん。 よく如來所有の法藏を知りて、 かくのごときの諸仏等を供養しおはりて、 かくのごときの無上正法を建立して、 受持し擁護せん。
所ル↠謂ハ如來ハ常住不変ナリ、畢竟安樂ナラム。廣ク説カム↢衆生ハ悉有仏性↡。善ク知テ↢如來所有ノ法藏ヲ↡、供↢養シ如キノ↠是ノ諸仏等ヲ↡已テ、建↢立シテ如キノ↠是ノ无上正法ヲ↡、受持シ擁護セム。
もしはじめて阿耨多羅三藐三菩提心を發すことあらん、 まさに知るべし、 この人未來の世にかならずよくかくのごときの正法を建立して、 受持し擁護せん。 このゆゑになんぢいま未來世の中に護法の人を知らざるべからず。 なにをもつてのゆゑに。 この發心のものは、 未來世においてかならずよく無上正法を護持せん。 乃至
若シ有ラム↣始テ發コト↢阿耨多羅三藐三菩提心ヲ↡、当ニ↠知ル、是ノ人未來之世ニ必ズ能ク建↢立シテ如キノ↠是ノ正法ヲ↡、受持シ擁護セム。是ノ故ニ汝今不↠応カラ↠不ル↠知ラ↢未來世ノ中ニ護法之人ヲ↡。何ヲ以ノ故ニ。0967是ノ發心ノ者ハ、於テ↢未來世ニ↡必ズ能ク護↢持セム无上正法ヲ↡。乃至
知法の者あらば、 もしは老もしは少、 ことさらに供養し恭敬し禮拜すべし、 大婆羅門等に事へたてまつるがごとくすべし。 知法の者あらば、 もしは老もしは少、 ことさらに供養し恭敬し禮拜すべし、 また諸天の帝釋に奉事するがごとくすべし。 乃至
有ラバ↢知法ノ者↡、若ハ老若ハ少、故ニ応シ↢供養シ恭敬シ禮拜ス↡、猶↣如クスベシ事ヘタテマツルガ↢大婆羅門等ニ↡。有ラバ↢知法者↡、若ハ老若ハ少、故ニ応シ↢供養シ恭敬シ禮拜ス↡、亦如クスベシ↣諸天ノ奉↢事スルガ帝釋ニ↡。乃至
迦葉菩薩また仏にまうしてまうさく、 ª世尊、 善いかな善いかな、 如來の所説真実にして虚しからず。 われまさに頂受すべし。 たとへば金剛の珍宝異物のごとし。 仏の所説のごとし。 このもろもろの比丘まさに四法に依るべし。 なんらか四とする。 依法不依人、 依義不依語、 依智不依識、 依了義経不依不了義経なり。 かくのごときの四法まさに四種の人にあらずと證知すべしº と。
迦葉菩薩復白シテ↠仏ニ言ク、世尊、善哉善哉、如來ノ所説真実ニシテ不↠虚シカラ。我当ベ ニシ↢頂受ス↡。譬バ如シ↢金剛ノ珍宝異物↡。如シ↢仏ノ所説ノ↡。是ノ諸ノ比丘当ニシ↠依ル↢四法ニ↡。何等カ為ル↠四ト。依法不依人、依義不依語、依智不依識、依了義経不依不了義経ナリ。如ノ↠是ノ四法応シ↤当ニ證↣知ス非ズト↢四種ノ人ニ↡。
仏ののたまはく、 ª善男子、 依法は如來なり、 すなはちこれ大般涅槃なり。 一切の仏法すなはちこれ法性なり。 この法はすなはちこれ如來なり。 このゆゑに常々不変のごとし。 乃至 不依人は、 すなはちこれ声聞なり。 法性はすなはちこれ如來なり。 声聞はすなはちこれ有為なり。 如來はすなはちこれ常住なり。 有為はすなはちこれ無常なり。 乃至 善男子、 これを定義と名づく。
仏ノ言ハク、善男子、依法者如來ナリ、即是大般涅槃ナリ。一切ノ仏法即是法性ナリ。是ノ法者即是如來ナリ。是ノ故ニ如シ↢常常不変。乃至 不依人者、即是声聞ナリ。法性者即是如來ナリ。声聞者即是有為ナリ。如來者即是常住ナリ。有為者即是无常ナリ。乃至 善男子、是名定義。
依義不依語は、 義は名づけて覺了といふ。 覺了の義は不羸劣に名づく。 不羸劣は名づけて滿足といふ。 滿足の義は名づけて如來常住不変といふ。 如來常住不変の義はすなはちこれ法常なり。 法常の義は、 すなはちこれ僧常なり。 これを依義不依語と名づくるなり。 乃至
依義不依語者、義者名曰覺了。覺了義者名不羸ラウ劣。不羸劣者名曰滿足。滿足義者名曰如來常住不変。如來常住不変義者即是法常。法常義者、即是僧常。是名依義不依語也。乃至
依智不依識は、 いはゆる智はすなはちこれ如來なり。 もし声聞ありて、 よく如來の功徳を知ることあたはずは、 かくのごときの識は依り止まるべからず。 乃至
依智不依識者、所言智者即是如來。若有声聞、不能善知如來功徳、如是之識不↠応ラ↢依リ止マル↡。乃至
依了義経不依不了義経は、 不了義はいはく声聞乗は、 仏如來の深密藏処を聞くにことごとく疑怪を生じ、 この藏大智浄より出づるを知らず、 なほ嬰兒の別知するところなきがごとし、 これをすなはち名づけて不了義とするなり。 了義は名づけて菩薩の真実智慧とす。 その自心を隱し無礙の大智なる、 なほ大人の知らざるところなきがごとし、 これを了義と名づく。 乃至
依了義経不依不了義0968経者、不了義者謂声聞乗ハ、聞↢仏如來深密藏処↡悉生疑怪↡アヤシム、不知是藏出大智浄、猶如嬰兒无所別知、是則名為不了義也。了義者名為菩薩真実智慧。隱其自心无大智、猶如大人无所不知、是名了義。乃至
声聞乗に依るべからず。 大乗の法にすなはち依り止まるべし。 なにをもつてのゆゑに。 如來衆生を度せんと欲ふがためのゆゑに、 方便力をもつて大乗を説きたまふ。 このゆゑに依るべし、 これを了義と名づく。 かくのごとき四依まさに證知すべし。
不応依声聞乗。大乗之法則応依止。何以故。如來為欲度衆生故、以方便力説於大乗。是故応依、是名了義。如是四依応当證知。
また次に依義は、 義は質実なり。 質実は名づけて光明といふ。 光明は不羸劣に名づく」 と。 乃至
復次依義者、義者質スガタ実。質実者名曰光明。光明者名不羸劣。」乃至
周の*昭王二十五年癸丑七月十五日 託摩耶胎時
同二十六年甲寅四月八日 誕生時
同三十四年壬申二月八日 出家時 十九歳
周の*穆王四年癸未三月十五日 成道時 ある説に三十五成道と
同年八月八日 転法輪時
同王五十三年壬申二月十五日 涅槃時
周昭王廿五年癸丑七月十五日 ⊂⊃耶胎時
同廿六年甲寅四月八日 誕生時
同四年壬申二月八日 出家時 十九歳
周穆王四年癸未三月十五日 成道時 或説三十五成道
同年八月八日 転法輪時
同王五十三年壬申二月十五日 涅槃時
0969△或人夢
或人夢。 隠岐◗院の大上天皇にてわたらせおはしましゝとき、 大宮を上に御幸ありとみまいらせ候ほどに、 きたの方より下りに、 よき車にのりたる人の、 すだれあげて御幸にまいりあはせたまふをみまいらすれば、 聖覚法印◗御房にておはしましけるなり。 いかに御幸にはまいりあはせおはしますやらむとおもふほどに、 大上天皇の御車をおさえて法印◗御房をおがみまいらせて、 宣旨にいはく、 釈迦如来のおはしますなりとて、 おがみまいらせよとて、 おがみまいらせおはします。 わがみも人も釈尊のおはしますにこそとて、 みなおがみまいらせ候とみて覚了 。
0970△聖覚法印表白文
法然上人の御前にして、 隆信右京大夫入道 法名戒心、 親盛大和入道 法名見仏、 聖人の御報恩謝徳のために御仏事を修したてまつる、 御導師法印聖覚表白の言葉にいはく、
法然上人之御前ニ而、隆信右京大夫入道 法名戒心、親盛大和入道 法名見仏、為聖人之御報恩謝徳修御仏事、御導師法印聖覚表白言葉曰、
「▲それ根に利鈍あれば教に漸頓あり、 機に奢促あれば行に難易あり。 まさに知るべし、 聖道の諸門は漸教なり、 また難行なり。 浄土の一宗は頓教なり、 また易行なり。 いはゆる真言・止観の行、 猿猴の情学びがたく、 三論・法相の教、 牛羊の眼迷ひやすし。 しかるにわが宗に至りては、 弥陀の本願行因を十念に定め、 善導の料簡器量を三心に決す。 理智精進にあらずといへども専念まことに勤めやすし、 多聞広学にあらずといへども信力なんぞ備はらざらん。
「夫根ニ有レ↢利鈍↡者教ニ有リ↢漸頓↡、機ニ有レ↢奢促↡者行ニ有リ↢難易↡。当ニ↠知ル、聖道ノ諸門ハ漸教也、又難行也。浄土ノ一宗者頓教也、又易行也。所↠謂真言・止観之行、猿猴ノ情難ク↠学ビ、三論・法相之教、牛羊ノ眼易シ↠迷。然ニ至テ↢我宗ニ↡者、弥陀ノ本願定メ↢行因ヲ於十念↡、善導ノ料簡決ス↢器量ヲ於三心↡。雖モ↠非ト↢理智精進ニ↡専念実ニ易シ↠勤メ、雖↠非↢多聞広学ニ↡信力何ゾ不ラム↠備ハラ。
◆いはんや滅罪の功力を論ずれば五逆を称名の十声に消し、 生善の徳用を談ずれば十地を順次の一生に極む。 これによりて濁世の凡夫横に五趣の昏衢を截り、 末代の愚士竪に九品の階級を極む。
況ヤ論ズレバ↢滅罪之功力ヲ↡消シ↢五逆ヲ於称名之十声ニ↡、談ズレバ↢生善之徳用ヲ↡極ム↢十地ヲ於順次之一生↡。依↠之濁世之凡夫横ニ截リ↢五趣之昏衢ヲ↡、末代之愚士竪ニ極ム↢九品之階級ヲ↡。
▲しかるにわが大師聖人釈尊の使者として念仏の一門を弘め、 善導の再誕として称名の一行を勧めたまへり。 専修専念の行これよりやうやく弘まり、 無間無余の勤いまにありてはじめて知りぬ。 しかればすなはち破戒罪根の輩肩を加りて往生の道に入り、 下智浅才の類臂を振ふて浄土の門に赴く。 まことに知りぬ、 無明長夜の大なる灯炬なり、 なんぞ智眼の闇きことを悲しまん。 生死大海の大なる船筏なり、 あに業障の重きことを煩はんや。
然ニ我ガ大師聖人為テ↢釈尊之使者ト↡弘メ↢念仏之一門ヲ↡、為テ↢善導之再誕ト↡勧メタマヘリ↢称名之一行ヲ↡。専修専念之行自↠斯漸ク弘マリ、無間無余之勤在テ↠今ニ始テ知ヌ。然レバ則チ破戒0971罪根之輩加リテ↠肩ヲ入リ↢往生之道ニ↡、下智浅才之類振フテ↠臂ヲ赴ク↢浄土之門ニ↡。誠ニ知ヌ、无明長夜之大ナル灯炬也、何ゾ悲マム↢智眼ノ闇キコトヲ↡。生死大海之大ナル船筏也、豈煩ハムヤ↢業障ノ重コトヲ↡。
◆ここに法主、 さいはひに上人の化導によりておほいにかの仏の本願を信ぜしめり、 浄土の往生あへて疑を残さず、 弥陀の来迎ただもつぱら憑むべきものか。 あに図りきや悠々たる生死今生をもつて最後とし、 漫々たる流転この身をもつて際限とせんといふことを。 つらつら教授の恩徳を思へば、 まことに弥陀の悲願に等しきものか。 骨を粉にしてこれを報ずべし、 身を摧きてこれを謝すべし。 これによりて報恩の斎会眼前に修し、 値遇の願念心中に萌す。 願はくは弥陀如来・善導和尚、 信心を鑑みて哀愍を垂れ、 大師上人、 同学等侶、 懇志を照して随喜を致したまへ。 自他同じく極楽界に往生し、 師弟ともに弥陀仏に奉仕せん。 蓮華初開の時まづ今日の縁を悟り、 引接結縁の夕かならず今日の衆を導かん」 と。
爰ニ法主、幸ニ依テ↢上人ノ化導ニ↡大ニ信ゼシメリ↢彼ノ仏ノ本願ヲ↡、浄土ノ往生敢テ不↠残サ↠疑ヲ、弥陀ノ来迎只専ラ憑ムベキ者歟。豈図リキヤ悠悠タル生死以テ↢今生ヲ↡為↢最後ト↡、漫漫タル流転以テ↢此ノ身ヲ↡為ムトイフコトヲ↢際限ト↡。倩思ヘバ↢教授ノ恩徳ヲ↡、実ニ等シキ↢弥陀ノ悲願ニ↡者歟。粉ニシテ↠骨ヲ可シ↠報ズ↠之ヲ、摧テ↠身ヲ可シ↠謝ス↠之。依テ↠之報恩ノ斎会修シ↢於眼前↡、値遇ノ願念萌ス↢於心中↡。願ハ弥陀如来・善導和尚、鑑ミテ↢信心ヲ↡垂レ↢哀愍ヲ↡、大師上人、同学等侶、照シテ↢懇志ヲ↡致シタマヘ↢随喜ヲ↡。自他同ジク往↢生シ極楽界ニ↡、師弟共ニ奉↢仕セム弥陀仏ニ↡。蓮華初開之時先ヅ悟リ↢今日之縁ヲ↡、引接結縁夕必導カムト↢今日之衆ヲ↡。」
0972△御念仏之間用意聖覚返事
依但馬親王令旨聖覚法印御報状云 承久三年十二月十九日也
「御念仏之間御用意者、一切功徳善根之中念仏最上候。雖十悪・五逆、罪障全不為御障、雖一称十念之力、決定可令往生之由、真実堅固御信受可候也。聊猶予之儀努力努力不可候。或障身懈怠不浄、或恐心散乱妄念、於往生極楽成不定之思、極僻事候、可背仏意也。
重謹言、
御念仏事日日御所作、更不可被障不浄候。念仏本意只常念為要候。不簡行住坐臥、時処諸縁候也。但毎月一日者、特御精進潔斎御念仏事可候也。其外日日御所作者、御手水計可候也。以此旨可令披露給候。恐々謹言。 十二月十九日法印聖覚」
0973安居院法印御入滅年文暦二年 乙未
三月六日 御年七十一
底本は高田派専修寺蔵親鸞聖人真筆。
この一覧は底本にない。 便宜のために仮に作成した。