0944見聞集

 

*般舟讃文
 浄土五会念仏略法事儀讃
 涅槃経
 或人夢
 聖覚法印表白文
 御念仏之間用意聖覚返事

 

般舟讃文

(何)期今日至宝国実是娑婆本(師力)
◗(若)非本師知識勧弥陀浄土云何(入)
(得)免娑婆長劫難特蒙知識釈(迦恩)
◗(種)種思量巧方便巽得弥陀弘(誓門)

 

0945浄土五会念仏略法事儀讃

五会念仏梁渓沙門法照大暦元年夏四月中起自南岳弥陀台般舟

¬浄土五会念仏略法事儀讃¼一巻云
       南岳沙門法照於上都章敬寺浄土院述

 

それ如来にょらいきょうもうけたまふにこうりゃくこんしたがふ、 つひに実相じっそうせしめんとなり。 しんしょうんものには、 たれかよくこれをあたえんや。 しかるに念仏ねんぶつ三昧ざんまいは、 これしんじょうじんみょう禅門ぜんもんなり。 弥陀みだ法王ほうおうじゅう八願はちがんみょうごうをもつて、 ぶつとなして願力がんりきことにしてしゅじょうしたまふ。

如来マウケタマフニ↠教広略コン、終セシメムトナリ↢実相↡。↢真无生ニハタレアタエム↢於此。然念仏三昧无上深妙禅門ナリ矣。以↢弥陀法王四十八願名号↡、シテ↠仏コトニシテ↢願力シタマフ↢衆生↡。

このゆへに五会ごえこえじょうながる、 浄教じょうきょうあまねくみょうかいうるおす。 ゆゑに ¬ごんぎょう¼ にのたまはく、 「三賢さんげんない一切いっさい諸仏しょぶつじょうだいまでに、 みな念仏ねんぶつ念法ねんぽう念僧ねんそうはなれずしてしょうぜり」 と。

所以コノユヘニ五会コヱナガ↢常宮↡、浄教普ウルオオス↢沙界↡。故¬華厳経¼云、「三賢乃至一切諸仏无上菩提マデニ、皆シテ↠離↢念仏・念法・念僧↡而生ゼリ。」

ゆゑに ¬ほっ¼・¬ゆい¼ とうきょうに、 おんじょうごんをもつてぶつをなすことあり。 また声名しょうみょうもんしょきょうたいたりといふ、 あにいまの学者がくしゃこんようはらうてそうをなし、 しゅきょうはるかにしてもんとするにおなじからんや。 しきかたりてはすなはち真色しんしきて、 しょうろんじてすなはちぼんしょういとふ、 しょう無為むいごうしてぎょうをば失道しつどうしょうせるは、 すなはちてんつい邪山じゃせんなり、 まことにかなしむべし。

¬法華¼・¬維摩¼等、有↧以↢音声語言↡而スコト↦仏事↥。又声名句文リト云↢諸教タイ↡、ジカラムヤ↧今之学者、紫金之ヨウハラハチウテ↢有相↡、珠之教ハルカシテ為↦文字↥。カタテハ↢无色↡則↢真色↡、論ジテ↢无声↡乃イト↢梵声↡、生号シテ↢無為↡行0946ヲバセルハシチ↡、即テンクツガヘリオツ邪山ナリマコト↠悲シム矣。

いまはすなはちしからず、 また ¬金剛こんごう般若はんにゃ¼ にのたまはく、 「ろくまんぎょう一切いっさい善法ぜんぽう仏因ぶついんにあらずといふことなし、 これはこれしゃさん諸仏しょぶつじょうたいなり真言しんごんなり、 これをもつてしんきょうをなしてぎょうすべし」 と。 いま ¬だいりょう寿じゅよう¼ によりて五会ごえ念仏ねんぶつ

則不↠然マタ¬金剛般若¼云、「六度万行一切善法、无↠非トイフコト↢仏因↡、此釈迦三世諸仏誠諦ナリ真言ナリ、是シテ↢信敬↡可↢依行↡。」今依↢¬大无量寿経¼↡五会念仏。

ふていはく。 五会ごえ念仏ねんぶつでていづれのもんにかある。 こたへていはく。 ¬だいりょう寿じゅきょう¼ (巻上意) にのたまはく、 しょうふうときおこりて五会ごえおんじょういだす、 みょうきゅうしょうねんにあひす、 みなことごとく念仏ねんぶつ念法ねんぽう念僧ねんそうなり。 それこえくものはじん法忍ぼうにん退転たいてんじゅうして仏道ぶつどうるにいたる」 と。

問曰。五会念仏出在何文。答曰。¬大无量寿経¼云、 「清風時オコ↢五会音声↡、微妙キウシヤウ自然、皆悉念仏・念法・念僧ナリ↠音↢深法忍↡、住シテ↢不退転↡至↠成ルニ↢仏道↡。」

また五会ごえ念仏ねんぶつしゃくせば、 とはこれかずなり、 とはしゅうなり、 かのしゅおんじょうかんよりきゅういたるまで、 ただ仏法ぶっぽうそうねんじて、 さらに雑念ざつねんなし。 ねんはすなはち念仏ねんぶつ不二ふにもんなり、 しょうはすなはちじょう第一だいいちなり。

又釈セバ↢五会念仏↡、五カズナリ集会ナリ、彼五種音声、従クワンマデキウイソガシ、唯念↢仏法僧↡、更↢雑念↡。念則无念仏不二門也、声則无常第一義也。

ゆゑにひねもすにぶつねんずればつねにしんしょうじゅんじ、 ひねもすにしょうがんずればつねにみょうをしてしんおこさしめん。 かくのごときのものあればかならずまさにてんくだすべし、 ほうち、 六種ろくしゅ震動しんどうし、 四華しけしげりて、 金剛こんごうほうしょうがくすべきものなり。 ゆゑに ¬かんぎょう¼ (意) にのたまはく、 「もし念仏ねんぶつするものは、 まさにるべし、 これにんちゅうふん陀利だりなり、 づけて希有けうとす。 かんおんだいせいしょうとなりたまふ、 まさにどうじょうして諸仏しょぶついえしょうずべし」 と。

終日ヒネモスレバ↠仏↢真性↡、終日レバ↠生使メム↢妙理↡発↞心。有レバ↢如↠此↡必クダ↢天魔↡、↢法↡、六種震動、四華シゲ、金剛宝座正覚可キモノ也。故¬観経¼曰、「若念仏スル、当↠知人中芬陀利華ナリ、名↢希有↡。観世音・大勢至リタマフ↢勝友↡、当↧坐シテ↢道場↡生↦諸仏↥。」

これをもつて如来にょらいつねに三昧さんまいかいなかにおいて細綿もうまんみてげてのたまはく、 ちちおうにいはく、 ªおういまぜんしてただまさに念仏ねんぶつすべし、 あにおなじくねんはなれてねんもとめ、 しょうはなれてしょうもとめんや。 相好そうごうはなれて法身ほっしんもとめ、 もんはなれてだつもとめんや。

如来常↢三昧海ゲテ細綿マウマンミテ↡謂、父王曰、王今坐禅シテ但当↢念仏↡、レテ↠念モト↢乎无念↡、離レテ↠生モト↢於无生↡乎。離レテ↢相好モト↢乎法身↡、離レテ↢文字↡求メムヤ↢乎解脱↡。

それかくのごとくするものはすなはち断滅だんめつけんじゅうして謗仏ほうぶつきょうせり、 法業ほうごうじょうけんつ。 およそどうしゅすることあらんものはつつしんでそしらざるべし、 うやまはざるべし、 また観仏かんぶつ三昧ざんまいは、 これかいのもののまもり失道しつどうのもののたより煩悩ぼんのうぞくなか大勇だいゆう猛将みょうしょうしゅりょうごんおうひゃくせん三昧ざんまいしょ出生しゅっしょうところなり、 またもろもろの三昧さんまいははづく、 またもろもろの三昧さんまいおうづく、 また諸仏しょぶつともにいんするところのじょうづく、 また如来にょらいぜんづく、 じょうどうとうぜんにあらず、 まことにるべしº と。

ソレクスル↠是則住シテ↢断滅見思↡謗仏クヰセリ、成↢櫃ヒツ法業0947↢无間↡矣。凡ラムモノハ↠修コト↠道↠不ツヽシンデソシ↡、可↠不ウヤマ↠歟、又観仏三昧破戒マモリ、失道依、煩悩ゾク中大ミヤウ将、首楞厳王百千三昧所出生ナリ、亦名↢諸三昧母↡、亦名↢諸三昧王↡、亦名↢諸仏共所印可定↡、亦名↢如来禅↡、非↢二乗外道等↡、マコト可↠知矣。

第一だいいち平声びょうしょうゆるねんず      南无阿弥陀仏
だいびょうこえげてゆるねんず  南无阿弥陀仏
第三だいさんゆるにあらずきゅうにあらずねんず 南无阿弥陀仏
だいはやうやくきゅうねんず     南无阿弥陀仏
だい四字しじてんじてきゅうねんず     阿弥陀仏

第一平声ユルクワン       南无阿弥陀仏
第二ゲテ↠声ユル    南无阿弥陀仏
第三ユルキウ    南无阿弥陀仏
第四ヤウヤキウ        南无阿弥陀仏
第五四字ジテキウ       阿弥陀仏

    宝鳥賛 依↢¬阿弥陀経¼↡

あるいは散善さんぜん波羅はらみつき、 あるいはじょうにゅう深禅じんぜんく。
あるいはじょうしゅぎょうき、 あるいはじょうだいいnく。
   これを略出りゃくしゅつ

或説↢散善波羅蜜↡弥陀仏或説↢定慧入深禅↡弥陀仏
或説↢長時修苦行↡弥陀仏或説↢无上菩提弥陀仏

     略出之

    維摩賛 依↢¬維摩経¼↡

仏国ぶっこく清浄しょうじょうなることこころによりてげんず。 種々しゅじゅしょうごんしんうちよりしょうぜり。
あしゆびをもてあんずれば、 三千さんぜんかい虚空こくしょうかいだいす。
毘耶離びやりじょうほうじょうしつに、 ひとりの居士こじありゆいごうす。
やまいたくしてげんじてしつあり。 国主こくしゅおうことごとく来遇らいぐうしたまふ。

0948仏国清浄ナルコト↠心現難思議維摩詰種種荘厳心ウチヨリゼリ難思議維摩詰
アシユビヲモテアンズレバ↠地三千界難思議維摩詰虚空性海坐↢華台難思議維摩詰
耶離城ホウヂヤウシチ難思議維摩詰↢一リノ居士コジ↡号ユイ難思議
タクシテヤマヒジテ↠身而有↠シチ已後依前如 国主王子悉来遇シタマフ

    五会賛 依↢¬无量寿経¼↡ 釈法照

第一だいいちとき平声びょうしょうれ。 だいごくみょうにしてしょうおんぶ。
第三だいさん盤旋ばんせんしてがくそうするがごとく、 だいはかならず用力ゆうりきしてぎんず。
だいこうしょうにただすみやかにねんず。 この五会ごえきてしょうさとる。
   これを略抄りゃくしょう

第一平声弥陀仏第二極妙ニシテ↢清音弥陀仏
第三盤旋バンセンシテソウスルガ↠楽弥陀仏第四シテ↢用力ギムナク弥陀仏
第五高声スミヤカ弥陀仏↢此五会サト↢无生弥陀仏

     略抄之

    浄土楽賛 依¬称讃浄土経¼ 釈法照

如来にょらい尊号そんごうはなはだぶんみょうなり。 十方じっぽうかいにあまねくぎょうす。
ただ称名しょうみょうするものありてみなくことを観音かんのんせいみづから来迎らいこうしたまふ。

如来尊号甚分明ナリ浄土楽十方世界流行浄土楽
但有↢称名スルモノ↡皆↠往コトヲ浄土楽観音・勢至自来迎タマフ浄土楽

弥陀みだ本願ほんがんことにしゅせり。 慈悲じひ方便ほうべんしてぼんいんし、
一切いっさいしゅじょうみなだつす。 みなしょうすればすなはちつみしょうじょすることを

弥陀本願コト起殊セリ慈悲方便シテ↢凡夫
一切衆生皆度脱スレバ↠名即得↢罪消除スルコトヲ

ぼんもし西方さいほういたることをつれば、 昿劫こうごう塵沙じんじゃつみ滅亡めつもうす。
ろく神通じんずうざいて、 ながろうびょうのぞじょうはなる。
   これを略抄りゃくしょう

0949凡夫若得ツレバ↠到コトヲ↢西方昿劫ヂンツミホロブマウ
↢六神通↡得↢自在ノゾ↢老病↡離↢无常

     略抄之

    雑六根賛 依¬大般若経¼ 釈法照

  じょうらくじょうらく、   瞻見せんけん心空しんくうりょうけん

  我浄楽我浄楽瞻見心空了世間我浄楽

眼根げんこん観見かんけんするにつねに清浄しょうじょうなり。 色界しきかいきたることなくしてもとよりこれくうなり。
しきしょうもとよりこのかたしょうなし。 きたることなくることなくこれ真空しんくうなり。
こん観見かんけんするにつねに清浄しょうじょうなり。 しょうかいきたることなくしてもとよりこれくうなり。
しょうしょうもとよりこのかたしょうなし。 きたることなくることなくこれ真空しんくうなり。

観↢見スルニ眼根↡常清浄ナリ我浄楽色界无シテ↠来本ヨリナリ我浄楽
色性本ヨリ↢障↡我浄楽无↠来无↠去是真空ナリ
観↢見スルニ↡常清浄ナリ我浄楽声界无シテ↠来本ヨリナリ
声性本ヨリ无↢障↡我浄楽无来无去是真空ナリ我浄楽

こん観見かんけんするにつねに清浄しょうじょうなり。 香界こうかいきたることなくしてもとよりこれくうなり。
こうしょうもとよりこのかたしょうなし。 きたることなくることなくこれ真空しんくうなり。
舌根ぜっこん観見かんけんするにつねに清浄しょうじょうなり。 かいきたることなくしてもとよりこれくうなり。
しょうもとよりこのかたしょうなし。 きたることなくることなくこれ真空しんくうなり。

観↢見スルニ鼻根↡常清浄ナリ我浄楽香界无シテ↠来本ヨリナリ我浄楽
香性本ヨリ无↢障↡我浄楽无来无去是真空ナリ我浄楽
観↢見スルニ舌根↡常清浄ナリ我浄楽界无↠来本ヨリ是空ナリ
味性本ヨリ无↢障↡我浄楽无来无去是真宗ナリ我浄楽

しんこん観見かんけんするにつねに清浄しょうじょうなり。 身香しんこうきたることなくしてもとよりこれくうなり。
そくしょうもとよりこのかたしょうなし。 きたることなくることなくこれ真空しんくうなり。
こん観見かんけんするにつねに清浄しょうじょうなり。 法界ほうかいきたることなくしてもとよりこれくうなり。
ほうしょうもとよりこのかたしょうなし。 きたることなくることなくこれ真空しんくうなり。

観↢見スルニ身根↡常清浄ナリ我浄楽ソク香無来本ヨリナリ我浄楽
0950触性本ヨリ无↢障↡我浄楽无来无去是真空ナリ我浄楽
観↢見意根↡常清浄ナリ我浄楽法界无来本是空ナリ我浄楽
法性本无↢障↡我浄楽无来无去是真空

妄想もうぞう眼根げんこんしきえんじててんじ、 もうちょうかいしょうかぶりてく。
もうしゅうこうしたあじぜんし、 妄識もうしきしんじんれてうつる。
妄想もうぞうなみぐるにつねにもつにゃくし、 煩悩ぼんのうたけほのおとこしなへにしょうねんす。
これがために三界さんがいごく輪還りんげんして、 しょうろうびょうつねにる。
   これを略抄りゃくしょう

マウ眼根縁↠色転努力マウ耳界カブ↠声努力
シユ鼻香シタゼン↠味努力妄識マウシキレテ↢意塵ウツ努力
妄想グルニナミニヤク努力煩悩タケホノヲトコシナヘ焼燃難識
輪↢還シテ三界努力生老病死苦常難識

     略抄之

    正法楽賛 依¬仏本行経¼ 依浄土楽知

  しょうぼうらくしょうぼうらく、   しょうぼう不思議ふしぎ
しゃ如来にょらいいんときりゃっこうぎょう不思議ふしぎなり。
とん身財しんざいててみょうほうもとむ。 ただぶつぶつとのみすなはちよくりたまへり。
  しょうぼうらくしょうぼうらく、   しょうぼうのう超出ちょうしゅつけん

  正法楽正法楽  正法不思議
釈迦如来因地正法楽歴劫苦行不思議ナリ正法楽
トンテヽ↢身財↡求↢妙法正法楽唯仏ノミ↠仏乃能タマヘリ正法楽
  正法楽正法楽正法能超出世間正法楽

じょうぶつよりじゅう余九よくねん、 かのくに経行きょうぎょうてんあそびて、
あまねくしゅじょうすすめてねんごろに念仏ねんぶつせしむ。 またおしへてかいたもちおよびぜんしゅす。
  しょうぼうらくしょうぼうらく、   しょうぼうのう超出ちょうしゅつけん

成仏ヨリ四十余九年正法楽彼国経行アソビテ↢五天正法楽
0951メテ↢衆生ネムゴロ念仏セシム正法楽亦教ヘテ↠戒↠禅正法楽
  正法楽正法楽正法能超出世間正法楽

はん以後いご一千いっせんねんほうきょうでんしてこのけんいたる。
しゅじょううたたどくして、 ぎょうがくによりてじょうどうしててんしょうずることをしめす。
            しょうぼうのう超出ちょうしゅつけん

涅槃已後一千年法教流伝シテ↢此間
衆生 タヽシテ↢行学示成道果シテ示生↠天
正法能超出世間正法楽

しゅじょうぶつしたがひて西方さいほういたじんごうおのづからしょうもうす。
如来にょらい願力がんりきをもつてまのあたり加被かびしたまふ。 聞法もんぼうどうしてしんじょうしょうす。
なにものをかこれをづけてしょうぼうとする。 もしこのどうならばこれしんしゅうなり。
好悪こうあくこのときにすべからくけっちゃくすべし。 一々いちいちになんぢくはしくしてもうりょうすることなかれ。
            しょうぼうのう超出ちょうしゅつけん

衆生随↠仏レバ↢西方微塵業自消亡セウマウホロブ
如来願力ヲモテマノアタ加被カビシタマフ聞法悟道シテ↢真常
何者ヲカ↠之為↢正法道理ナラバ是真宗ナリ
好悪コノ↢決択一一ナンヂクハシクシテマウリヨウスルコト
正法能超出世間

かいぜんしょうぼうづく。 念仏ねんぶつじょうぶつこれしんしゅうなり。
仏言ぶつごんらざるをどうづく。 はちいんけんくうとすればなり。
            しょうぼうのう超出ちょうしゅつけん

持戒坐禅名↢正法念仏成仏是真宗ナリ
ルヲ↠取↢仏言↡名↢外道ハチ因果レバナリ↠空
正法能超出世間

禅律ぜんりついまこれしょうぼうなり。 念仏ねんぶつ三昧ざんまいこれしんしゅうなり。
けんしょうりょうしんすなはちこれぶつなり。 いかんぞどう相応そうおうせざらん。
            しょうぼうのう超出ちょうしゅつけん

禅律如イマ是正法ナリ念仏三昧是真宗ナリ
0952見性了心便是仏ナリ如何道理不ラム↢相応
正法能超出世間

念仏ねんぶつ声々しょうしょう仏種ぶっしゅくだす。 ぜんかい真功しんこうをもつてなり。
なんぢもししゅせずしてすなはちぶつすといはば、 たとへばにんのむなしくかぜおおふがごとし。
   略抄りゃくしょう

念仏声声↢仏種坐禅持戒テナリ↢真功
汝若シテ↠修便作仏ストイハバタトヘバゴトウヘタルオホフガ↟風

     略抄

    西方楽賛 依¬阿弥陀経¼

西方さいほう進道しんどうしゃすぐれたることは、 よくおよびじゃなきによつてなり。
じょうぶつするにもろもろの善業ぜんごうわずらはず。 だいたんして弥陀みだねんずるをもつてなり。
  西方楽さいほうらく西方楽さいほうらく、   西方さいほうじょう不思議ふしぎ

西方進道タルコトハ↢娑婆西方楽テナリ↠无キニ↢五欲及邪魔↡
成仏スルニワヅラ↢諸善業諸仏子華台端坐シテズルヲモテナリ↢弥陀
  西方楽西方楽西方浄土不思議莫著人間楽

じょくしゅぎょう退転たいてんおおし。 念仏ねんぶつして西方さいほうかんにはしかず。
かしこにいたればねんしょうがくりて、 かい還来げんらいしてしんりょうをなす。

五濁修行↢退転↡西方楽↣念仏シテカムニハ↢西方西方楽
レバ↠彼自然↢正覚諸仏子還↢来シテ苦海↡作シムリヤウ莫著人間楽

まんぎょうなかきゅうようにして迅速じんそくたるは、 じょうもんぎたるはなし。
ただほんこんきたまふのみにあらず。 十方じっぽう諸仏しょぶつもともにつたしょうしたまふ。

万行之中ルハ↢急要ニシテ西方楽迅速ジンソク↡无↠過タルハ↢浄土門
本師金口タマフノミニ諸仏子十方諸仏ツタシタマフ莫著人間楽

このかい一人いちにんぶつみょうねんずれば、 西方さいほうにすなはちひとつのはちすしょうずることあり。
ただしいっしょうつねに退たいなれば、 いっかえりてこのけんいたりてむかふ。
   じょうこれを略抄りゃくしょう

此界一人念レバ↢仏名西方楽西方便有↢一コト西方楽
0953但使一生常不退ナレバ西方楽一華還↢此間↡迎莫著人間楽

     已上略抄之

    般舟三昧楽 依¬般舟三昧経¼ 慈愍和尚

今日こんにちどうじょう諸衆しょしゅとう恒沙ごうじゃ昿劫こうごうよりそうじてきたれり。
この人身にんじんはかるにぐうしがたし。 たとへばどんのはじめてひらくがごとしと。

今日道場諸衆等恒沙昿劫ヨリジテレリ
ハカルニ↢此人身↡難↢値遇タトヘバシトドムクガ

まさしくまれにじょうきょうくことにひ、 まさしく念仏ねんぶつ法門ほうもんひらくるにふ。
まさしく弥陀みだぜいよばふにひ、 まさしく大衆だいしゅ信心しんじんするにふ。

マレコトニ↢浄土↢念仏法門開クルニ
↢弥陀弘誓ヨバウニ↢大衆信心迴スルニ

まさしく今日こんにちきょうによりてさんずるにひ、 まさしくちぎりむすびてだいのぼるにふ。
まさしくどうじょう魔事まじなきにひ、 まさしくびょうのうなくしてよくきたれるにふ。

↢今日依↠経ズルニ↣結チギリノボルニ↢華台
↣道場↢魔事↡ヘリ↧无シテ↢病悩↡能レルニ

まさしく七日しちにちこうじょうじゅすることにふ。 じゅう八願はちがんかならずあひたずさふ。
あまねくどうじょうどうぎょうしゃすすむ。 ゆめゆめしんせよ 帰去来いざさはかえんなん

↢七日コウ成就コトニ四十八願タズサ
↢道場同行者努力ユメユメ回心セヨ帰去来イザヽハカエムナム

借問きょうはいづれのところにかある。 極楽ごくらくいけなか七宝しっぽううてななり。
かのぶついんちゅうぜいてたまふ。 みなきてわれをねんぜばそうじて迎来こうらいす。

借問キヤウニカ極楽池七宝ナリ
仏因中タマフ↢弘誓↠名念ゼバ↠我総ジテ迎来カウライ

びんふうとをえらばず、 下智げち高才こうざいとをえらばず。
もんじょうかいたもてるをえらばず、 かい罪根ざいこんふかきとをえらばず。

エラ↣貧窮↢富貴↡不↠簡↣下智↢高才↡
不↠エラ↣多聞ルヲ↢浄戒不↠簡↢破戒罪根深トヲ

ただしんして念仏ねんぶつおおければ、 よくりゃくへんじてこがねとなさしむ。
ことば現前げんぜんしょ大衆だいしゅす。 同縁どうえんにてものはやくあひたづねよ。

但使回心シテレバ↢念仏↡↢瓦礫ジテ↟金
↢語現前諸大衆同縁ニテタヅネヨ

借問ふ、 いづれのところをあひたづねてくべき。 こたへて弥陀みだじょうなかふべし。
借問ふ、 なにによりてかかしこにしょうずることをる。 こたへてふべし念仏ねんぶつおのづからこうじょうずと。

借問↢尋クベキコタヘテフベシ↢弥陀浄土
借問テカ↠生コト↠彼コタヘテフベシ念仏自ズトコウ

借問ふ、 こんじょうざいしょうおおし。 いかんぞじょうはあひることをがえんぜん。
こたへてふべし称名しょうみょうしてつみしょうめつすること、 たとへばみょうとうあんなかるるがごとしと。

借問今生↢罪障↡如何浄土ガエムゼムルコトヲ
コタヘテフベシ称名シテ罪消滅スルコトタトヘバゴトシト↣明灯ルガアンヤミ

借問ふ、 ぼんしょうずることをるやいなや。 いかんぞ一念いちねんあんなかみょうならむ。
こたへてふべしうたがいのぞきておお念仏ねんぶつすれば、 弥陀みだけつじょうしてみづから親迎しんごうしたまふ。
   じょう略抄りゃくしょう

借問凡夫得ルヤ↠生イナ如何一念アンナラム
コタヘテフベシ↠疑念仏スレバ弥陀決定シテ親迎シタマフシタシクムカヘタマフナリ

     已上略抄

    新无量寿観経賛 法照述

じゅうあくぎゃくにんいたる。 永劫ようごう沈淪ちんりんしてじんにあり。
一念いちねん弥陀みだみなしょうとくすれば、 かしこにいたりてかえりてほっしょうしんどうず。

十悪五逆↢愚人永劫沈淪シテ↢久塵
一念称↢得スレバ弥陀↠彼↢法性身

 

0955涅槃経

・聖行品1

¬はんぎょう¼ じゅうかん (南本巻一二聖行品) にのたまはく、 「善男ぜんなんあいしゅあり。 いちには善愛ぜんあいには善愛ぜんあいなり。 善愛ぜんあいぼんぜんもとむるなり。 法愛ほうあいはもろもろのさつぜんもとむるなり。 法愛ほうあいはまたしゅあり、 ぜんぜんとなり。 じょうもとむるはづけてぜんとす。 だいじょうもとむるはこれをづけてぜんとするなり」 と。

¬涅槃経¼十二巻言、「善男子、愛↢二種↡。一善愛、二不善愛ナリ。不善愛ボムムルナリ↠善。法愛菩薩求ムルナリ↠善。法愛復有↢二種↡、不善ナリ↠善。求↢二乗↢不善↡。求↢大乗ルナリ↠善。」

・聖行品2

また (南本巻一二聖行品) のたまはく、 「実諦じったい一道いちどう清浄しょうじょうなり、 あることなきなり」 と。

又云、「実諦一道清浄ナリ、無↠有コト↠二也。」

・聖行品3

また (南本巻一二聖行品) のたまはく、 「真実しんじつといふはすなはちこれ如来にょらいなり、 如来にょらいはすなはちこれ真実しんじつなり、 真実しんじつはすなはちこれくうなり、 くうはすなはちこれ真実しんじつなり、 真実しんじつはすなはちこれぶっしょうなり、 ぶっしょうはすなはちこれ真実しんじつなり」 と。

又云ハク、「言ハク↢真実即是如来ナリ、如来即是真実ナリ、真実即是虚空ナリ、虚空者即是真実ナリ、真実即是仏性ナリ、仏性即是真実ナリ。」

・聖行品4

¬はんぎょう¼ じゅう三巻さんかん (南本巻一三聖行品) にのたまはく、 「善男ぜんなんじょうはすなはちこれ如来にょらいなり、 如来にょらいはすなはちこれそうなり、 そうはすなはちこれじょうなり。 このをもつてのゆゑに、 いんよりほうしょうずるをづけてじょうとせざるは、 これもろもろのどうなり。 一法いっぽうとしていんよりしょうぜざることあることなし。 善男ぜんなん、 このもろもろのどうぶっしょう如来にょらいおよびほうず、 このゆゑにしょならくのみ。 言説ごんせつことごとくこれもうなり。 真諦しんたいあることなきはもろもろのぼんにんなり。 まさにるべし、 そのじつこれじょうにあらざるなり。

¬涅槃経¼十三巻言、「善男子、常即是如来ナリ、如来即是僧ナリ、僧即是常ナリ。以↢是↡故、従↠因生ズルヲ↠法ルハ↢名↟常外道ナリ。無↠有コト↣一法トシテルコト↢従↠因生↡。善男子、是外道↠見↢仏性・如来及法↡、是外所ナラクノミ。言説悉妄語ナリ。無キハ↠有コト↢真諦↡諸凡夫人ナリ↠知、其実非↡也。

善男ぜんなん一切いっさい有為ういはみなこれじょうなり。 くう無為むい、 このゆゑにじょうとす。 ぶっしょう無為むいなり、 このゆゑにじょうとす。 くうはすなはちこれぶっしょうなり、 ぶっしょうはすなはちこれ如来にょらいなり、 如来にょらいはすなはちこれ無為むいなり、 無為むいはすなはちこれじょうなり、 じょうはすなはちこれほうなり、 ほうはすなはちこれそうなり、 そうはすなはち無為むいなり、 無為むいはすなはちこれじょうなり。

善男子、一切有為皆是无常ナリ。虚空无為、是↠常。仏性无為ナリ、是↠常。虚空即是仏0956ナリ、仏性即是如来ナリ、如来即是无為ナリ、无為即是常ナリ、常即是法ナリ、法即是僧ナリ、僧即无為ナリ、无為即是常ナリ

善男ぜんなんあくしゅあり。 いち阿羅あらかんにんちゅうなり。 にんちゅう三種さんしゅあくあり。 いち一闡いっせんだいほう方等ほうどうきょうてんさんぼんきん 無畏むいじゅうして、 じゅう三昧ざんまいん。

善男子、悪↢二種↡。一阿羅漢、二人中ナリ。人中↢三種悪↡。一一闡提、二誹謗方等経典、三犯四禁。シテ↢无畏地↡、↢二十五三昧↡。

善男ぜんなん、 たとへばうしよりにゅういだす、 にゅうよりらくいだす、 らくよりしょういだす、 しょうよりじゅくいだす、 じゅくよりだいいだす、 だいさいじょうなり、 もしぶくすることあれば、 しゅびょうみなのぞこる、 しょしょやくことごとくそのなかるがごとし。

善男子、譬↧従↠牛出↠乳、従↠乳出↠酪、従↠酪出↢生蘇↡、従↢生蘇↡出↢熟蘇↡、従↢熟蘇↡出↢醍醐↡、醍醐最上ナリ、若↠服コト、衆病コル、所有諸薬悉↦其中↥。

善男ぜんなんぶつもまたかくのごとし。 ぶつよりじゅう二部にぶきょういだす、 じゅう二部にぶきょうよりしゅ多羅たらいだす、 しゅ多羅たらより方等ほうどうきょういだす、 方等ほうどうきょうより般若はんにゃ波羅はらみついだす、 般若はんにゃ波羅はらみつよりだいはんいだす、 だいのごとし。 だいといふはぶっしょうたとふ、 ぶっしょうはすなわちこれ如来にょらいなり。 善男ぜんなん、 かくのごときののゆゑに、 きて如来にょらいしょどくりょうへん不可ふかしょうとのたまへり」 と。

善男子、仏亦如↠是。従↠仏出↢十二部経↡、従↢十二部経↡出↢修多羅↡、従↢修多羅↡出↢方等経↡、従↢方等経↡出↢般若波羅蜜↡、従↢般若波羅蜜↡出↢大涅槃↡、猶↢如 ゴト 醍醐↡。言↢醍醐↡喩↠↢仏性↡、仏性者即是如来ナリ。善男子、如↠是、説ノタマヘリト↢如来所有功徳无量无辺不可称計。」

・梵行品1

だいじゅうかん (南本巻一四梵行品) にのたまはく、 「善男ぜんなんはすなはちこれ一切いっさいさつじょうどうなり、 どうはすなはちこれなり、 はすなはち如来にょらいなり。 善男ぜんなんはすなはちこれ諸仏しょぶつそんりょうきょうがいなり、 りょうきょうがいすなはちこれなり。 まさにるべし、 このすなはちこれ如来にょらいなり」 と。

第十四巻言、「善男子、慈即是一切菩薩无上之道ナリ、道即是慈ナリ、慈即如来ナリ。善男子、慈即是諸仏世尊无量境界ナリ、无量境界即是慈也。当↠知、是慈即如来ナリト。」

・梵行品2

だいじゅうかん (南本巻一五梵行品) にのたまはく、 「もろもろのしゅじょうるにあんよりあんる、 もろもろのしゅじょうありてあんよりみょうる、 もろもろのしゅじょうみょうよりあんるあり、 もろもろのしゅじょうみょうよりみょうるありと、 これをづけてけんとす」 と。

第十五巻言、「ルニ↢諸衆生↡従↠闇入↠闇、有↢諸衆生↡従↠闇入↠明↢諸0957生従↠明入↟闇、有リト↢諸衆生従↠ミヤウ↟明、是↠見。」

・梵行品3

また (南本巻一五梵行品) のたまはく、 「ªそん、 それどうしきしきちょうたんこう非下ひげしょうめつしゃくびゃくしょうおう非有ひう非無ひむなり。 いかんぞ如来にょらいきてだいべしとのたまふや。 はんもまたかくのごとしº と。 ぶつののたまはく、 ªかくのごとしかくのごとしº と。

又云ハク、「世尊、ソレ非色非不色、不長不短、非高非下、非生非滅、非赤非白、非青非黄、非有非无ナリ。云何如来説ノタマフヤ↠可シト↢菩提↡。涅槃亦復 マタ シト↠是。仏ノタマハク、如↠是シト↠是

善男ぜんなんどうしゅあり。 いちじょうじょうなり。 だいそうにまたしゅあり。 いちじょうじょうなり。 はんもまたしかなり。 どうどうづけてじょうとす。 内道ないどうどうはこれをづけてじょうとす。 しょうもん縁覚えんがくしょだいづけてじょうとす。 さつ諸仏しょぶつしょだいをこれをづけてじょうとす。 だつづけてじょうとす。 ないだつはこれをづけてじょうとす。

善男子、道↢二種↡。一常、二者无常ナリ。菩提之相亦有↢二種↡。一者常、二者无常ナリ。涅槃亦爾ナリ。外道↢无常↡。内道↠之↠常。声聞・縁覚所有菩提為↢无常↡。菩薩・諸仏所有菩提↠之↠常。外解脱為↢无常↡。内解脱↠之為↠常

善男ぜんなんどうだいとおよびはん、 ことごとくづけてじょうとす。 一切いっさいしゅじょうはつねにりょう煩悩ぼんのうのためにおおはる、 げんなきがゆゑにることをることあたはず。 しかるにもろもろのしゅじょう欲見よくけんのためのゆゑにかいじょうしゅす、 しゅぎょうをもつてのゆゑに、 どうだいおよびはん、 これをさつづく。 どうだいはんどうしょうそうじつしょうめつなり、 このをもつてのゆゑにとうすべからず。

善男子、道↢菩提↡及以涅槃、悉為↠常。一切衆生↢无量煩悩オホ、无↢慧眼↡故不↠能↠得↠見。而衆生為↢欲見↡故修↢戒・定・慧↡、以↢修行↡故、見↢道・菩提及以涅槃↡、是名↢菩薩↡。得↢道・菩提・涅槃道之性相↡、実不生滅、以↢是義↡故不↠可↢トウナグ↡。

どう色像しきぞうるべきことなしといへども、 称量しょうりょうしてるべし、 しかるにじつもちゆるあり。 しゅじょうしんのごときはこれしきにあらずといへども、 ちょうたん非麁ひそさいばくけんほうにしてまたこれなり」 と。

道者雖↠无↢色像可キコト↟見、称量シテ↠知、而↠用ユルキハ↢衆生↡雖↠非ズト色↡、非長、非短、非麁、非細、非縛、非解、非見シテ亦是有ナリト。」

・梵行品4

だいじゅう六巻ろっかん (南本巻一六梵行品) にのたまはく、 「しょう じゅをもつてぶつ讃歎さんだんしたてまつる。

第十六巻言、「迦葉 以↢偈頌讃↢歎シタテマツル↡。

だいしゅじょうみんじたまふゆゑにいまわれす。 よくしゅ毒箭どくせんくゆゑにだいおうしょうす。
世医せいりょうするところゆといへどもかえりてまたしょうず。 如来にょらいしたまふところはひっきょうじてまたほっせず。
そんかんやくをもつてもろもろのしゅじょうしたまふ。 しゅじょうすでにぶくしおはりてせずまたしょうぜず。
如来にょらいいまわれがためにだいはん演説えんぜつしたまふ。 しゅじょうぞうきてすなはちしょうめつんと。

  0958ミンジタマフ↢衆生↡ 故今我帰依     善↢衆毒箭↡  故↢大医王
  世医所↢レウスル↡  雖↠ユトマタ   如来所↠治シタマフ  畢竟ジテ↢復発
  世尊甘露薬    以シタマフ↢諸衆生↡ 衆生既リテ   ↠死↠生
  如来今為↠我   演↢説シタマフ大涅槃↡  衆生聞↢秘蔵↡   即得ムト↢不生滅

すなはちのく多羅たらさんみゃくさんだいしんほっすることをん。 まさにるべし、 このひとはすなはちこれしゅじょうしんぜんしきなり、 あくしきにあらず。 これわが弟子でしなり、 眷属けんぞくにあらず。 これをさつづくけんにあらずとなり。

則便↠発スルコトヲ↢阿耨多羅三藐三菩提心↡。当↠知、是衆生善知識ナリ、非↢悪知識↡。弟子ナリ、非↢魔眷属↡。是↢菩薩↡非ズト↢世間↡也。

あるいはのたまはく、 如来にょらい比丘びく十種じっしゅにくじきすることをゆるさず。 なんらかじゅうとする。 にんじゃぞう師子ししちょこうなり、 そのはことごとくゆるすと。 あるいはのたまはく、 一切いっさいゆるさず」 と。

ハク、如来ユル↣比丘食コトヲ↢十種↡。ナン↠十ニンジヤザウ・師子・チヨナリ、其ユルスト。或、一切ユル。」

・梵行品5

だいじゅう七巻しちかん (南本巻一七梵行品) にのたまはく、 「そのとき王舎おうしゃだいじょうじゃおうあり。 そのしょうへいあくにしてよく殺戮せつろくぎょうず。 くちあくとん愚痴ぐちしてそのこころじょうなりと。 しかるに眷属けんぞくのためにげんよくらくとんじゃくせるがゆゑに、 ちちおうつみなきにおうぎゃくがい↢。

第十七巻言、「爾時王舎大城阿闍世王アリ。其ヘイニシテ殺戮セチロク↡。具シテ↢口四悪、貪・恚・愚痴↡其ナリト↢眷属↡貪↢著セルガ現世五欲↡故、父王无キニツミ↢逆害↡。

ちちがいするによりてすでにしんねつしょうず。 しんねつするがゆゑに遍体へんたいかさしょうず。 そのかさしゅうにしてごんすべからず。 すなはちみづから念言ねんごんすらく、 われいまこのすでにほうけたり、 ごくほうまさにちかづきてとおからずとす。

↠害スルニ↠父↢悔ネチ↡。 心悔熱スルガ遍体↠瘡。其シユニシテ不↠可↢チカヅク↡。スナワチミヅカラ念言スラク身已ケタリ↢華報↡、地獄果報将チカヅキテトホカラ

大臣だいじん日月にちがつしょうづく らんづく
蔵徳ぞうとく 末伽梨まかりしゃ離子りしづく
ひとりしんありづけて実徳じっとくといふ せん毘羅びらせんづく
ひとりしんありしっ知義ちぎづく 阿嗜多あぎたきんきん婆羅ばらづく
大臣だいじんづけて吉徳きっとくといふ 婆蘇ばそせん
けんにゃけんづく 加羅から鳩駄迦くだか旃延せんえん

大臣名↢日月称↡   名ラン
0959徳        名末伽梨マカリシヤ離子リシ
有↢一臣↡名曰実徳  名セン毘羅ビラセン
有↢一臣↡名シチ知義チギ  名阿嗜多ワギタキムキム婆羅バラ
大臣名曰吉徳    婆蘇バソセン
ケンニヤケン   加羅カラ鳩駄迦クダカ旃延センエン

・梵行品6

だいじゅう八巻はっかん (南本巻一八梵行品) にのたまはく、 「善男ぜんなん、 わがいふところのごとし。 じゃためはんらず。 かくのごときのみつ、 なんぢいまだすことあたはず。

第十八巻言、「善男子、如↢我。為↢阿闍世↠入↢涅槃↡。如↠是密義、汝未↠能↠解コト

なにをもつてのゆゑに。 われ ªためº とふは一切いっさいぼん、 ªじゃおうº はあまねくおよび一切いっさいぎゃくつくるものなり。

↠為一切凡夫、阿闍世王及一切造↢五逆↡者ナリ

また ªためº といふはすなはちこれ一切いっさい有為ういしゅじょうなり。 われつひに無為むいしゅじょうのためにじゅうせず。 なにをもつてのゆゑに。 それ無為むいしゅじょうにあらざるなり。 ªじゃº はすなはちこれ煩悩ぼんのうとうそくせるものなり。

又復為トイフ即是一切有為衆生ナリ↧為↢无為衆生↡而住↠世。何无為↢衆生↡也。阿闍世即是具↢足セル煩悩等モノナリ

また ªためº といふはすなはちこれぶっしょうざるしゅじょうなり。 もしぶっしょうば、 われつひにためにひさしくじゅうせず。 なにをもつてのゆゑに。 ぶっしょうるものはしゅじょうにあらざるなり。 ªじゃº はすなはちこれ一切いっさいいまだのく多羅たらさんみゃくさんだいしんほっせざるものなり。

又復為トイフ即是不↠見↢仏性↡衆生ナリ。若↢仏性↡、シク↟世。何。見↢仏性モノ非↢衆生↡也。阿闍世即是一切未↠発↢阿耨多羅三藐三菩提心ナリ

また ªためº といふはづけてぶっしょうとす。 ªじゃº はづけてしょうとす、 ªº はあだづく。 ぶっしょうしょうぜざるをもつてのゆゑにすなはち煩悩ぼんのうあだしょうず。 煩悩ぼんのうあだしょうずるがゆゑにぶっしょうず。 煩悩ぼんのうしょうぜざるをもつてのゆゑにすなはちぶっしょうる。 ぶっしょうるをもつてすなはちだいはつはんあんじゅうすることをん。 これをしょうづく。 このゆゑにづけてじゃとすと。

又復為トイフ↢仏性↡。阿闍世↢不生↡、世アダ。以↠不ルヲ↠生↢仏性↡故煩悩アダ。煩悩アダズルガ↠見↢仏性↡。以↠不ルヲ↠生↢煩悩↡故↢仏性↡。以↠見↢仏性↡則↣安↢住スルコトヲ大般涅槃↡。是↢不生↡。是0960↢阿闍世↡。

善男ぜんなん、 ªじゃしょうづく、 しょうはんづく、 ªº はほうづく。 ªためº はぎょうづく。 八法はっぽうをもつてぎょうぜられざるゆゑに、 りょうへんそうこうはんらず。 このゆゑにわれじゃのためにといふ、 りょう億劫おくこうはんらずと。

善男子、阿闍↢不生↡、不生↢涅槃↡、世↢世法↡。為↢不行↡。以↢世八法↡不↠所↠行故、无量无辺阿僧祇劫↠入↢涅槃↡。是↠為ニト↢阿闍世↡无量億劫↠入↢涅槃↡。

善男ぜんなん如来にょらいみつ不可ふか思議しぎなり。 ぶつほう衆僧しゅそうまた不可ふか思議しぎなり。 さつ摩訶まかさつまた不可ふか思議しぎなり。 だいはんぎょうまた不可ふか思議しぎなり。

善男子、如来密語不可思議ナリ。仏・法・衆僧亦不可思議ナリ。菩薩摩訶薩亦不可思議ナリ。大涅槃経亦不可思議ナリ

そのときそんだいどうじゃおうのために月愛がつあい三昧ざんまいる。 三昧さんまいりおはりてだいこうみょうはなつ。 そのひかり清涼しょうりょうにして、 きておうかさてらすにすなはちえぬ。

爾時世尊大悲導師、為↢阿闍世王↡入↢月愛三昧↡。入↢三昧↡已↢大光明↡。其光清涼ニシテ、往スニ↢王↡即エヌ

おうのいはまく、 ª耆婆ぎば、 かのてんちゅうてんなんの因縁いんねんをもつてこのこうみょうはなちたまふやº と。

ハマク、耆婆、彼天中天以↢何因縁ハナチタマフヤト↢斯光明↡。

耆婆ぎばこたへていはまく、 ªいまこの瑞相ずいそうはまさに大王だいおうのためにすとやせん。 おうひかりをもつていはく、 りょう身心しんしんりょうするものなきがゆえゑにこのひかりはなつ。 ひかりをしておうす。 しかしてのちこころおよぶº と。

耆婆答ハマク、今是瑞相↠為ストヤ↢大王↡。以↢王↡言、世キガ↣良医レウ↢治スルモノ身心↡故ハナ↢此↡。光ヲシテ↢王身↡。然シテ↠心

おうのいはまく、 ª耆婆ぎば如来にょらいそんまたたてまつらんとおもふをやº と。

ハマク、耆婆、如来世尊亦タテマツラムト

耆婆ぎばこたへていはまく、 ªたとへばもし一人いちにんしてしちあらん、 このしちなかやまいへば、 父母ぶもこころびょうどうならざるにあらざれども、 しかるにびょうにおいてこころすなはちへんじゅうなり。

耆婆答マク、譬如一人シテラム↢七子↡、是七子中ヘバ↠病、父母之心非ラザレドモルニ↢平等ナラ↡、然↢病子↡心則偏重ナリ

大王だいおう如来にょらいもまたしかなり。 もろもろのしゅじょうにおいてびょうどうならざるにあらず、 しかるに罪者ざいしゃにおいてこころすなはちへんじゅうなり。 放逸ほういつのものにおいてすなはち慈悲じひねんしょうず。 ほういつのものはこころすなはち放捨ほうしゃす。 なんづけて放逸ほういつのひととする。 いはくろくじゅうさつなり。

大王、如来亦爾ナリ。於↢諸衆生↡非ルニ↢平等ナラ↡、然↢罪者↡心則偏重ナリ。於↢放逸↡則生↢慈悲↡。ハウ心則放捨。何等↢不放逸ヒト↡。謂六住菩薩ナリ

大王だいおう諸仏しょぶつそんもろもろのしゅじょうにおいて、 しゅしょうろうしょうちゅうねんひんせつ日月にちがつ星宿しょうしゅく上巧じょうぎょうせん僮僕どうぼく婢使ひしみそなはさず、 ただしゅじょう善心ぜんしんあるものをみそなはす。 もし善心ぜんしんあればすなはちねんせしむ。 大王だいおうまさにるべし、 この瑞相ずいそうはすなはちこれ如来にょらい月愛がつあい三昧ざんまいりたまふ、 はなちたまふところのこうみょうなりº と。

大王、諸仏世尊於↢諸衆生↡、ミソナハ↢種姓・老少中年・貧富・時節・日月星宿・上巧下賎・僮僕ドウボク婢使ヒシ↡、タヾミソナハ↧衆生有↢善心↡↥。若レバ↢善心↡則使↢慈念↡。大王当↠知、是0961瑞相即是如来入リタマフ↢月愛三昧↡、所↠放タマフ光明。

おうすなはちひてまうさく、 ªなんらかづけて月愛がつあい三昧ざんまいとするº と。

王即問マフサク、何等ルト↢月愛三昧↡。

耆婆ぎばこたへていはく、 ªたとへばつきひかりよく一切いっさい優鉢うは羅華らけをしてかいせんみょうならしむるがごとし。 月愛がつあい三昧ざんまいもまたかくのごとし。 よくしゅじょうをして善心ぜんしんかいせしむ、 このゆゑにづけて月愛がつあい三昧ざんまいとす。

耆婆答、譬↣月ムルガ↢一切優鉢羅華開ヒラクヒラクセンアキラカニナラ↡。月愛三昧亦復如↠是。能↢衆生ヲシテ善心開敷↡、是↢月愛三昧↡。

大王だいおう、 たとへばつきひかりよく一切いっさいぎょうひとをしてこころかんしょうぜしむるがごとし。 月愛がつあい三昧ざんまいもまたかくのごとし。 よくはんどうしゅじゅうせしむればこころかんしょうぜん、 ゆゑにまた月愛がつあい三昧ざんまいづくるなりº と。

大王、譬↤月ムルガ↣一切行路之人ヲシテ↢歓喜↡。月愛三昧亦復如↠是。能ムレ↣修↢習涅槃道ゼム↢歓喜↡、故復名クルナリト↢月愛三昧↡。

そのときぶつもろもろの大衆だいしゅげてのたまはく、 ª一切いっさいしゅじょうのく多羅たらさんみゃくさんだいちかづく因縁いんねんたるもの、 ぜんさきとせず。 なにをもつてのゆゑに。 じゃおう耆婆ぎばことばずいじゅんせずは、 来月らいげつ七日しちにちひつじょうして命終みょうじゅうして阿鼻あびごくせん。 このゆゑにちかづきたり、 ぜんにしくことなしº と。

爾時仏告↢諸大衆↡言マハク、一切衆生↢阿耨多羅三藐三菩提チカヅク因縁↡サキ↢善友↡。何。阿闍世王↣随↢順耆婆、来月七日必定シテ命終シテセム↢阿鼻獄↡。是チカヅキタリ↠日シトクコト↢善友↡。

ぶつのたまはく、 ª大王だいおういかないかな、 われいまなんぢかならずよくしゅじょう悪心あくしん破壊はえすることをらんº と。

仏言、大王、カナカナラム↣汝必破↢壊衆生悪心↡。

ªそん、 もしわれあきらかにしゅじょうのもろもろの悪心あくしん破壊はえすることあたはずは、 われつねに阿鼻あびごくにありてりょうこうのうちにもろもろのしゅじょうのためにのうけしむるに、 もつてとせずº と。

世尊、若アキラカ↠能↣破↢壊コト衆生悪心、使ムルニ↢阿鼻地獄↡无量劫↢諸衆生↦苦悩↥、↢以↟苦

そのとき摩伽陀まかだこくりょう人民にんみん、 ことごとくのく多羅たらさんみゃくさんだいしんほっす。 かくのごときらのりょう人民にんみん大心だいしんほっするをもつてのゆゑに、 じゃおうしょじゅうざいすなはちはくなることをおうおよびにんこうきゅう采女さいにょことごとくみなおなじくのく多羅たらさんみゃくさんだいしんほっせり。

摩伽陀国无量人民、悉↢阿耨多羅三藐三菩提心↡。以↣如↠是无量人民発スルヲ↢大心↡故、阿闍世王所有重罪即↢微薄ナルコトヲ↡。王及夫人、後宮采女サイニヨ悉皆同ジクセリ↢阿耨多羅三藐三菩提心↡。

そのときじゃおう耆婆ぎばかたりていはく、 ª耆婆ぎば、 われいまにいまだせざるにすでに天身てんしんたり。 たんみょうてて長命ちょうみょうじょうしんててじょうしんたり。 しょしゅじょうをしてのく多羅たらさんみゃくさんだいしんほっせしむº と。

爾時阿闍世王語↢耆婆↡言、耆婆、ルニ↠死タリ↢天身↡。捨↢短命↡↢長命↡、捨↢无常タリ↢常身↡。令ムト↣諸衆生ヲシテ0962↢阿耨多羅三藐三菩提心↡。

諸仏しょぶつ弟子でし、 このきおはるに、 すなはち じゅをもつて讃歎さんだんしていはく、

諸仏弟子、説↢是語↡已、即 以↢偈頌↡讃歎シテ

諸仏しょぶつつねになんをしてしゅのためのゆゑにきたまふ。 麁語そごおよびなんみな第一だいいちせん。

諸仏常ナンヤハラカナルコトバヲシテ 為↠衆キタマフ↠麁 麁語及軟語 皆帰セム↢第一義

このゆゑにわれいまそん帰依きえしたてまつる。 如来にょらいみこといちなること大海だいかいみずのごとし。

今者 イマ  帰↣依シタテマツル↢世尊↡ 如来ミコト一味ナルコト 猶↢如 ゴトシ 大海

これを第一だいいちたいづく。 ゆゑに無義むぎみことにして如来にょらいいまきたまふところの種々しゅじゅりょうほう

↢第一諦↡ 故无无義ミコトニシテ 如来今所↠説キタマフ 種種无量

男女なんにょだいしょうきておなじく第一だいいちん。 いんまた無果むかしょうまためつなり。

男女大小キテ 同ジク↢第一義↡ 无因亦无果 无生亦无滅

これをだいはんづく。 くものしょせむ。 如来にょらい一切いっさいのためにつねに父母ぶもとなりたまへり。

↢是大涅槃↡ 聞セム↢諸果↡ 如来為↢一切↡ 常リタマヘリ↢慈父母

まさにるべしもろもろのしゅじょうみなこれ如来にょらいなりと。 そんだい慈悲じひしゅのためにぎょうしゅしたまへり。

↠知衆生 如来ナリト 世尊大慈悲 為↠衆シタマヘリ↢苦行

ひと鬼魅きみくるはされてきょうらんしてしょおおきがごとし。 われいまぶつることをるところの三業さんごうぜん

↧人クルハサレテ↢鬼魅↡ 狂乱シテキガ↦所作↥ 得↠見↠仏 所↠得三業

ねがはくはこのどくをもつてじょうどうこうす。 われいまようするところのぶつほうおよび衆僧しゅそう

↢此功徳↡ 迴↢向无上道↡ 我今所↢供養↡ 仏・法及衆僧

ねがはくはこのどくをもつて三宝さんぼうつねににましまさん。 われいままさにべきところの種々しゅじゅのもろもろのどく

↢此功徳↡ 三宝常マシマサム↠世 我今所↠当 種種功徳

ねがはくはこれをもつてしゅじょうしゅ破壊はえせんと。

↠此破↢壊セムト 衆生四種

そのときに、 そんじゃおうめたまはく、 ªいかないかな、 もしひとありてよくだいしんほっせん、 まさにるべし、 このひとすなはち諸仏しょぶつ大衆だいしゅしょうごんすとす。

、世尊讃マハク↢阿闍世王↡、善哉善カナ、若↠人能セム↢菩提心↡、当↠知、是人則↣荘↢厳諸仏大衆↡。

大王だいおう、 なんぢむかしすでに毘婆びばぶつにおいて、 はじめてのく多羅たらさんみゃくさんだいしんほっしき。 これよりこのかたわがしゅっいたるまで、 そのちゅうげんにおいていまだかつてまたごくしてけず。

大王、汝↢毘婆尸仏↡、初シキ↢阿耨多羅三藐0963三菩提心↡。従↠是已来至ルマデ↢我出世↡、於↢其中間↡末↧曽復堕シテ↢地獄↡受↥苦

大王だいおうまさにるべし、 だいしんいましかくのごときりょうほうあり。 大王だいおうきょうよりおうにつねにまさにだいしん勤修ごんしゅしき。 なにをもつてのゆゑに。 この因縁いんねんによりてまさにりょうあくしょうめつすることをべきがゆゑにº」 と。

大王当↠知、菩提之心イマシ↢如↠是无量果報↡。大王、従↠ケフ已往勤↢修シキ菩提之心↡。何。従↢是因縁↡当↣消↢滅无量ユヘニト。」

・迦葉品

だいさんじゅう (南本巻三四迦葉品) にのたまはく、 「しょうさつぶつにまうしてまうさく、 ªそん一切いっさいしゅじょうみな煩悩ぼんのうよりしてほう煩悩ぼんのうといふはいはゆるあくあく煩悩ぼんのうよりしょうずるところの煩悩ぼんのうなればまたづけてあくとす。 かくのごときの煩悩ぼんのうすなはちしゅあり。 いちいんなり。 いんあくなるがゆゑにあくなり、 あくなるがゆゑにあくなり。 しゅ婆果ばかのそのにがきがゆゑに、 きょうよう一切いっさいにがきがごとし。 毒樹どくじゅのそのどくなるがゆゑに、 またどくなるがごとし。 いんまたしゅじょうなれば、 またしゅじょうなり。 いんまた煩悩ぼんのうなれば、 また煩悩ぼんのうなり。 煩悩ぼんのういんすなはちこれしゅじょうなり、 しゅじょうすなはちこれ煩悩ぼんのういんなり」 と。

第四言、「迦葉菩薩白シテ↠仏、世尊、一切衆生皆従↢煩悩↡シテ↢果報↡。言↢煩悩↡悪世従↢悪煩悩↡所↠生煩悩ナレバ亦名↠悪。如↠是煩悩則有↢二種↡。一因、二果ナリ。因悪ナルガ果悪ナリ、果悪ナルガ子悪ナリ。如シユ婆果ニガキガ、華・果・茎・葉一切ニガキガ↡。猶↢如ゴトシ毒樹ナルガ、果亦毒ナルガ↡。因亦衆生ナレバ、果亦衆生ナリ。因亦煩悩ナレバ、果亦煩悩ナリ。煩悩因果即是衆生ナリ、衆生即是煩悩因果ナリト。」

・四相品1

だいかん (南本巻四 四相品) にのたまはく、 「ª善男ぜんなん今日こんにちよりはじめてしょうもん弟子でし食肉じきにくゆるさず。 もし檀越だんおつしんけんときは、 かんずべし、 このじきにくそうのごとしº と。 しょうさつまたぶつにまうしてまうさく、 ªそん、 いかんぞ如來にょらい食肉じきにくゆるさざるº と。 ª善男ぜんなん、 それ食肉じきにくだいたねだんずればなりº と。 しょうまた如來にょらいにまうさく、 ªなんがゆゑぞさき比丘びく三種さんしゅじょうにくじきせんことをゆるしたまふやº と。 ªしょう、 この三種さんしゅじょうにくしたがひて漸制ざんせいす。

第四巻言、「善男子、從↢今日↡始ユル↢聲聞弟子食肉↡。若ケム↢檀越信施↡之↠觀、是シト↢子肉↡。迦葉菩薩復白↠仏、世尊、云何如來不ルトユル↢食肉↡。善男子、ソレ食肉ズレバナリ↢大慈↡。迦葉又マフサク↢如來↡、何ユルシタマフヤ↣比丘食セムコトヲ↢三種淨肉↡。迦葉、是三種淨肉↠事漸制

善男ぜんなん、 かのけん所見しょけんどうずべからず。 如來にょらいせいしたまふところの一切いっさい禁戒きんかい、 おのおの意々いいことなることあるがゆゑに、 三種さんしゅじょうにくじきすることをゆるす。 そうのゆゑに十種じっしゅにくだんず。 そうのゆゑに一切いっさいことごとくつ。 自死じしするものにおよぶ。 しょう、 われ今日こんにちよりもろもろの弟子でしせいす、 また一切いっさいにくじきすることをざれº となり」 と。

善男子、↠応カラ↠同↢彼ケン所見↡。如來所↠制シタマフ一切禁戒、各有ルガ↠異↢意意↡故ユル↠食コトヲ↢三種淨肉0964↡。異想↢十種↡。異想一切悉オヨ↢自死スルモノ↡。迦葉、我從↢今日↡制↢諸弟子↡、不レトナリマタスルコトヲ↢一切↡也。」

・四相品2

だいかん (南本巻五 四相品) にのたまはく、 「善男ぜんなんけんそうえきにおよそしゅあり。 いち可治かじ不可ふかなり。 およそ可治かじすなはちよくす、 不可ふかはすなはちするにあたはずと。 えんだい因縁いんねんしょうあり。 いちしんしんなり。 しんひとはすなはち可治かじづく。 なにをもつてのゆゑに。 さだめてはんん、 瘡疣そうえきなきがゆゑに。 このゆゑにわれときてえんだいのもろもろのしゅじょうしおはりぬ。 しんひと一闡いっせんだいづく、 一闡いっせんだい不可ふかづく。 一闡いっせんだいのぞはことごとくしおはりぬ。 このゆゑにはん瘡疣そうえきづく。

第五巻言、「善男子、世間サウカサエキチン有↢二種↡。一可治、二者不可治ナリ。凡可治医則能、不可治↠能↠治スルニ 閻浮提因縁生有↠二。一者有信、二者無信ナリ。有信之人則名↢可治↡。何。定↢涅槃↡、无キガ↢瘡疣↡故。是我説↢閻浮提衆生↡已。无信之人↢一闡提↡、一闡提↢不可治↡。除↢一闡提↡余。是涅槃名↢无瘡疣↡。

しょう、 たとへばだいのそのしょう清淨しょうじょうなるがごとし、 如來にょらいもまたしかなり。 父母ぶもごうするによりてしょうずるにあらず。 そのしょう清淨しょうじょうなり。 このゆゑに、 父母ぶもあることをげんするは、 もろもろのしゅじょう化度けどせんとおもふゆゑに。 しんだつはすなはちこれ如來にょらいなり。 如來にょらいだつ無二むにべつなり。 たとへばしゅんげつにもろもろのしゅくだすに、 なんにんてついですなはち出生しゅっしょうするがごとし。

迦葉、譬↢醍醐性清淨ナルガ↡、如來亦爾ナリ。非↢父母和合スルズルニ↥。其性清淨ナリ所以コノユヘニ、示↣現スルコトヲ↢父母↡、為↠欲↣化↢度セムト衆生↡故。真解脱即是如來ナリ。如來解脱无二无別ナリ。譬↧春月スニ↢諸種子↡、得ナンニンジユン氣↡ツイ便スナワ出生スルガ↥。

まただつ上上じょうじょうづく。 上上じょうじょうはすなはちしんだつなり。 しんだつはすなはちこれ如來にょらいなり。

又解脱↢无上上 无上上即真解脱ナリ。真解脱即是如來ナリ

如來にょらいはすなはちこれはんなり。 はんはすなはちこれじんなり。 じんはすなはちこれぶっしょうなり。 ぶっしょうはすなはちこれけつじょうなり。 けつじょうはすなはちこれのく多羅たらさんみゃくさんだいなり。 ひっきょうらくはすなはちこれはんなり。 はんはすなはちしんだつなり。 しんだつはすなはちこれ如来にょらいなり。」

如來即是涅槃ナリ。涅槃即是无尽ナリ。无尽即是仏性ナリ。仏性即是決定ナリ。決定即是阿耨多羅三藐三菩提ナリ 畢竟楽即是涅槃ナリ。涅槃即真解脱ナリ。真解脱即是如来ナリ。」

・四依品

だい六巻ろっかん (南本巻六 四依品) にのたまはく、 「しょうまたぶつにまうしてまうさく、 ªそん、 かくのごときのきょうてんしょうぼうめっせんときしょうかいせんときほうぞうじょうとき如法にょほうしゅじょうなからんとき、 たれかよくちょうじゅ奉持ぶじ讀誦どくじゅせん、 それをしてつうせしむ、 ようぎょう書写しょしゃせつせんと。 ややねがはくは如來にょらいしゅじょう哀愍あいみんして分別ふんべつ廣説こうぜつしてもろもろのさつをしてかしめおはりぬ。 じゅすべし、 たもちおはらばすなはちのく多羅たらさんみゃくさんだいしん退たいせざることをんº と。

0965六巻言、「迦葉復白シテ↠仏、世尊、如キノ↠是経典正法滅セムトキ、正戒毀セムトキ、非法増長トキ、无ラム↢如法衆生↡トキ聽受奉持讀誦セム、令↢其ヲシテ通利↡、供養恭敬書写解説セムトヤヽ如來、哀↢愍シテ衆生↡分別廣説シテ↢諸菩薩ヲシテ↡已。受持スベシ、持ラバ↠不コトヲ↠退↢阿耨多羅三藐三菩提心↡。

そのときに、 ぶつしょうめたまはく、 ªいかないかな、 善男ぜんなん、 なんぢいまよくかくのごときのへりº と。

、仏讃タマ↢迦葉↡、善哉善カナ、善男子、汝善能ヘリト↢如キノ↠是↡。

善男ぜんなん、 もししゅじょうありてれんしゃのもろもろの如來にょらいみもとにしてだいしんおこせりき、 いましよくこのあくにしてかくのごときのきょうてんじゅせん、 ほうしょうぜじと。

善男子、若↢衆生↡↢熈連河沙如來↡發セリキ↢菩提心↡、イマシ↢是惡世↡受↢持セムキノ↠是経典↡、↠生↢誹謗↡。

善男ぜんなん、 もししゅじょうありていちごうしゃ諸仏しょぶつそんみもとにしてだいしんおこしき、 しかしてのち、 いましよくあくなかにしてこのほうほうぜじ、 このきょうてんあいぎょうせん、 ひとのために分別ふんべつせつすることあたはじ。

善男子、若↢衆生↡↢一恒河沙諸仏世尊↡發シキ↢菩提心↡、然シテイマシ↢惡世↠謗↢是↡、愛↢樂セム経典↡、↠能↢為↠人分別廣説コト↡。

善男ぜんなん、 もししゅじょうありてごうしゃのもろもろの如來にょらいみもとにしてだいしんおこしき、 しかしてのち、 いましよくあくなかにしてこのほうほうぜじ、 まさしくさとしんぎょうじゅ讀誦どくじゅせん、 またひとのためにひろくくことあたはじと。

善男子、若有↢衆生↡↢二恒河沙如來↡發シキ↢菩提心↡、然シテイマシ↢惡世↠謗↢是↡、正シクサト信樂受持讀誦セム、亦復↠能↢為↠人コト↡。

もししゅじょうありてさんごうしゃのもろもろの如來にょらいみもとにしてだいしんおこしき、 しかしてのち、 いましよくあくなかにしてこのほうほうぜじ、 じゅ讀誦どくじゅきょうかん書写しょしゃせん、 のためにくといへども、 いまだじんさとらじと。

↢衆生↡↢三恒河沙如來↡發シキ↢菩提心↡、然シテイマシ↢惡世↠謗↢是↡、受持讀誦書↢写セム経卷↡、雖↠他クト↡、未サト↢深義↡。

もししゅじょうありてごうしゃのもろもろの如來にょらいみもとにしてだいしんおこしき、 しかしてのち、 いましよくあくなかにしてこのほうほうぜじ、 じゅ讀誦どくじゅきょうかん書写しょしゃせん、 のためにひろくじゅう六分ろくぶんなか一分いちぶんかん。 また演説えんぜつすといへどもまたそくせじ。

↢衆生↡↢四恒河沙如來↡發シキ↢菩提心↡、然シテイマシ↢惡世↠謗↢是↡、受持讀誦書↢写セム経卷↡、為↠他カム↢十六分一分之義↡。雖↢復演説スト↡亦↢具足↡。

もししゅじょうありてごうしゃのもろもろの如來にょらいみもとにしてだいしんおこしき、 しかしてのち、 いましよくあくなかにしてこのほうほうぜじ、 じゅ讀誦どくじゅきょうかん書写しょしゃせん、 ひとのためにひろくじゅう六分ろくぶんなか八分はちぶんかん。

↢衆生0966↢五恒河沙如來↡發シキ↢菩提心↡、然シテイマシ↢惡世↠謗↢是↡、受持讀誦書↢写セム経卷↡、為↠人カム↢十六分八分之義↡。

↢衆生↡↢六恒河沙如來↡發シキ↢菩提心↡、然シテイマシ↢惡世↠謗↢是↡、受持讀誦書↢写セム経卷↡、為↠他カム↢十六分十二分↡。

もししゅじょうありてしちごうしゃのもろもろの如來にょらいみもとにしてだいしんおこしき、 しかしてのち、 いましよくあくなかにしてこのほうほうぜじ、 じゅ讀誦どくじゅきょうかん書写しょしゃせん、 のためにひろくじゅう六分ろくぶんなかじゅうぶんかん。

↢衆生↡↢七恒河沙如來↡發シキ↢菩提心↡、然シテイマシ↢惡世↠謗↢是↡、受持讀誦書↢写セム経卷↡、為↠他カム↢十六分十四分↡。

もししゅじょうありてはちごうしゃのもろもろの如來にょらいみもとにしてだいしんおこしき、 しかしてのち、 いましよくあくなかにしてこのほうほうぜじ、 じゅ讀誦どくじゅきょうかん書写しょしゃせん、 またにんすすめて書写しょしゃすることをしめん、 みづからよくちょうじゅし、 またにんすすめてじょうじゅ讀誦どくじゅつうすることをしめん、 ようけんせん。 けんのもろもろのしゅじょう憐愍れんみんするがゆゑにこのきょうようせん、 またにんすすめてそれをしてようぎょうそんじゅう讀誦どくじゅ禮拜らいはいせしめん、 またかくのごとくそくしてよくその義味ぎみさとつくさん。

↢衆生↡↢八恒河沙如來↡發シキ↢菩提心↡、然シテイマシ↢惡世↠謗↢是↡、受持讀誦書↢写セム経卷↡、亦勸↢他人↡令メム↢書写↡、ミヅカラ聽受、復勸↢他人↡令メム↢聽受讀誦通利↡、ケンセムレンミン世間衆生↡故供↢養セム↡、亦勸↢他人↡令メム↢其ヲシテ供養恭敬尊重讀誦禮拜↡、亦復如↠是具足シテサトツクサム其義味↡。

いはゆる如來にょらい常住じょうじゅうへんなり、 ひっきょう安樂あんらくならん。 ひろくしゅじょうしつぶっしょうなることをかん。 よく如來にょらいしょ法藏ほうぞうりて、 かくのごときの諸仏しょぶつとうようしおはりて、 かくのごときのじょうしょうぼうこんりゅうして、 じゅようせん。

如來常住不変ナリ、畢竟安樂ナラム。廣カム↢衆生悉有仏性↡。善↢如來所有法藏↡、供↢養キノ↠是諸仏等↡已、建↢立シテキノ↠是无上正法↡、受持オウセム

もしはじめてのく多羅たらさんみゃくさんだいしんおこすことあらん、 まさにるべし、 このひとらいにかならずよくかくのごときのしょうぼうこんりゅうして、 じゅようせん。 このゆゑになんぢいまらいなかほうひとらざるべからず。 なにをもつてのゆゑに。 この發心ほっしんのものは、 らいにおいてかならずよくじょうしょうぼうせん。

ラム↣始コト↢阿耨多羅三藐三菩提心↡、当↠知、是人未來之世建↢立シテキノ↠是正法↡、受持オウセム。是汝今カラ↠不↠知↢未來世護法之人↡。何0967發心、於↢未來世↡必護↢持セム无上正法↡。

ほうひとあらば、 もしはろうもしはしょう、 ことさらにようぎょう禮拜らいはいすべし、 だい婆羅ばらもんとうつかへたてまつるがごとくすべし。 ほうひとあらば、 もしはろうもしはしょう、 ことさらにようぎょう禮拜らいはいすべし、 また諸天しょてんたいしゃく奉事ぶじするがごとくすべし。

ラバ↢知法ヒト↡、若老若少、コトサラ↢供養恭敬禮拜↡、猶↣如 ゴト クスベシツカヘタテマツルガ↢大婆羅門等↡。有ラバ↢知法者↡、若老若少、コトサラ↢供養恭敬禮拜↡、亦如クスベシ↣諸天奉↢事スルガ帝釋↡。

しょうさつまたぶつにまうしてまうさく、 ªそんいかないかな、 如來にょらい所説しょせつ真実しんじつにしてむなしからず。 われまさにちょうじゅすべし。 たとへば金剛こんごう珍宝ちんぽうもつのごとし。 ぶつ所説しょせつのごとし。 このもろもろの比丘びくまさにほうるべし。 なんらかとする。 ほう不依ふえにん依義えぎ不依ふえ依智えち不依ふえしきりょうきょう不依ふえりょうきょうなり。 かくのごときのほうまさにしゅひとにあらずとしょうすべしº と。

迦葉菩薩復白シテ↠仏、世尊、善カナカナ、如來所説真実ニシテムナシカラ↢頂受↡。譬↢金剛珍宝異物↡。如↢仏所説↡。是比丘当↠依↢四法↡。何等↠四。依法不依人、依義不依語、依智不依識、依了義経不依不了義経ナリ。如↠是四法↤当證↣知ズト↢四種↡。

ぶつののたまはく、 ª善男ぜんなんほう如來にょらいなり、 すなはちこれ大般だいはつはんなり。 一切いっさい仏法ぶっぽうすなはちこれほっしょうなり。 このほうはすなはちこれ如來にょらいなり。 このゆゑに常々じょうじょうへんのごとし。 不依ふえにんは、 すなはちこれしょうもんなり。 ほっしょうはすなはちこれ如來にょらいなり。 しょうもんはすなはちこれ有為ういなり。 如來にょらいはすなはちこれ常住じょうじゅうなり。 有為ういはすなはちこれじょうなり。 善男ぜんなん、 これをじょうづく。

ノタマハク、善男子、依法如來ナリ、即是大般涅槃ナリ。一切仏法即是法性ナリ。是即是如來ナリ。是↢常常不変。 不依人、即是声聞ナリ。法性即是如來ナリ。声聞即是有為ナリ。如來即是常住ナリ。有為即是无常ナリ 善男子、是名定義。

依義えぎ不依語ふえぎは、 づけてかくりょうといふ。 かくりょうるいれつづく。 羸劣るいれつづけて滿足まんぞくといふ。 滿足まんぞくづけて如來にょらい常住じょうじゅうへんといふ。 如來にょらい常住じょうじゅうへんはすなはちこれほうじょうなり。 ほうじょうは、 すなはちこれそうじょうなり。 これを依義えぎ依語えごづくるなり。

依義不依語者、義者名曰覺了。覺了義者名不ルイラウ劣。不羸劣者名曰滿足。滿足義者名曰如來常住不変。如來常住不変義者即是法常。法常義者、即是僧常。是名依義不依語也。

依智えち不依ふえしきは、 いはゆるはすなはちこれ如來にょらいなり。 もししょうもんありて、 よく如來にょらいどくることあたはずは、 かくのごときのしきとどまるべからず。

依智不依識者、所言智者即是如來。若有声聞、不能善知如來功徳、如是之識↠応トヾマル↡。

りょうきょう不依ふえりょうきょうは、 りょうはいはくしょうもんじょうは、 ぶつ如來にょらいじん密藏みつぞうしょくにことごとくしょうじ、 このぞうだいじょうよりづるをらず、 なほようべっするところなきがごとし、 これをすなはちづけてりょうとするなり。 りょうづけてさつ真実しんじつ智慧ちえとす。 そのしんかく無礙むげだいなる、 なほ大人だいにんらざるところなきがごとし、 これをりょうづく。

依了義経不依不了義0968経者、不了義者謂声聞乗、聞↢仏如來深密藏処↡悉生疑クヱアヤシム、不知是藏出大智浄、猶如嬰兒无所別知、是則名為不了義也。了義者名為菩薩真実智慧。隱其自心无大智、猶如大人无所不知、是名了義。

しょうもんじょうるべからず。 だいじょうほうにすなはちとどまるべし。 なにをもつてのゆゑに。 如來にょらいしゅじょうせんとおもふがためのゆゑに、 方便ほうべんりきをもつてだいじょうきたまふ。 このゆゑにるべし、 これをりょうづく。 かくのごとき四依しえまさにしょうすべし。

不応依声聞乗。大乗之法則応依止。何以故。如來為欲度衆生故、以方便力説於大乗。是故応依、是名了義。如是四依応当證知。

またつぎ依義えぎは、 しつじつなり。 質実しつじつづけてこうみょうといふ。 こうみょう羸劣るいれつづく」 と。

復次依義者、義者シチスガタ実。質実者名曰光明。光明者名不羸劣。」

 

しゅう*しょうおうじゅうねんみずのとうし七月しちがつじゅうにち たく摩耶まやたい
どうじゅう六年ろくねんきのえとらがつ八日はちにち       たんじょう
どうさんじゅうねんみづのえさるがつ八日はちにち       しゅっ じゅうさい
しゅう*穆王ぼくおうねんみずのとひつじ三月さんがつじゅうにち   じょうどう あるせつさんじゅうじょうどう
同年どうねん八月はちがつ八日はちにち             てん法輪ぼうりん
同王どうおうじゅう三年さんねんみづのえさるがつじゅうにち    はん

周昭王廿五年癸丑七月十五日    ⊂⊃耶胎時
同廿六年甲寅四月八日       誕生時
同四年壬申二月八日       出家時 十九歳
周穆王四年癸未三月十五日     成道時 或説三十五成道
同年八月八日           転法輪時
同王五十三年壬申二月十五日    涅槃時

 

0969或人夢

或人あるひと夢。  ゆめにみらく隠岐おきいんだいじょう天皇てんのうにて​わたら​せおはしましゝとき、 大宮おおみやかみゆきあり​と​み​まいら​せそうろうほどに、 きた​の​かたよりくだり​に、 よきくるまに​のり​たるひとの、 すだれ​あげ​てゆきに​まいり​あはせ​たまふ​を​み​まいら​すれ​ば、 聖覚せいかく法印ほういん御房おんぼうにて​おはしまし​ける​なり。 いかにゆきには​まいり​あはせ​おはします​やらむ​と​おもふ​ほどに、 だいじょう天皇てんのうおんくるまを​おさえ​て法印ほういん御房おんぼうを​おがみ​まいら​せ​て、 せんに​いはく、 しゃ如来にょらいの​おはします​なり​とて、 おがみ​まいら​せよ​とて、 おがみ​まいら​せおはします。 わが​み​もひとしゃくそんの​おはします​にこそ​とて、 みな​おがみ​まいら​せそうろうと​み​てさめ了 おわりぬ

 

0970聖覚法印表白文

法然ほうねんしょうにんぜんにして、 りゅうしんきょうだいにゅうどう ほうみょう戒心かいしんしんじょう大和やまとのにゅうどう ほうみょう見仏けんぶつしょうにんおん報恩ほうおん謝徳しゃとくのためにおんぶつしゅしたてまつる、 どう法印ほういん聖覚せいかく表白ひょうびゃくことにいはく、

法然上人之御前シテ、隆信右京大夫入道 法名戒心、親盛大和入道 法名見仏、為聖人之御報恩謝徳修御仏事、御導師法印聖覚表白言葉曰、

それこんどんあればきょう漸頓ぜんとんあり、 奢促しゃそくあればぎょうなんあり。 まさにるべし、 しょうどう諸門しょもんぜんきょうなり、 またなんぎょうなり。 じょういっしゅうとんぎょうなり、 またぎょうなり。 いはゆる真言しんごんかんぎょう猿猴えんこうじょうまなびがたく、 三論さんろん法相ほっそうきょうようまよひやすし。 しかるにわがしゅういたりては、 弥陀みだ本願ほんがんぎょういんじゅうねんさだめ、 善導ぜんどうりょうけんりょう三心さんしんけっす。 理智りちしょうじんにあらずといへども専念せんねんまことにつとめやすし、 もん広学こうがくにあらずといへども信力しんりきなんぞそなはらざらん。

↢利鈍↡↢漸頓↡、機↢奢促↡↢難易↡。当↠知、聖道諸門漸教也、又難行也。浄土一宗頓教也、又易行也。所↠謂真言・止観之行、猿猴ヱンコウ情難↠学、三論・法相之教、牛羊眼易↠迷。然↢我宗、弥陀本願定↢行因於十念↡、善導料簡決↢器量於三心↡。雖↠非↢理智精進↡専念実↠勤、雖↠非↢多聞広学↡信力何ラム↠備ハラ

いはんや滅罪めつざいりきろんずればぎゃく称名しょうみょうじっしょうし、 しょうぜん徳用とくゆうだんずればじゅうじゅんいっしょうきわむ。 これによりてじょくぼんおうしゅこんり、 末代まつだい愚士ぐししゅぼんかいきゅうきわむ。

ズレバ↢滅罪之功力↡消↢五逆於称名之十声↡、談ズレバ↢生善之徳用↡極↢十地於順次之一生↡。依↠之濁世之凡夫横↢五趣之昏衢↡、末代之愚士竪↢九品之階級↡。

しかるにわがだいしょうにんしゃくそん使しゃとして念仏ねんぶつ一門いちもんひろめ、 善導ぜんどう再誕さいたんとして称名しょうみょういちぎょうすすめたまへり。 専修せんじゅ専念せんねんぎょうこれよりやうやくひろまり、 けん無余むよすすめいまにありてはじめてりぬ。 しかればすなはちかい罪根ざいこんともがらかたきしりておうじょうどうり、 下智げち浅才せんざいたぐいただむきふるふてじょうもんおもむく。 まことにりぬ、 みょうじょうだいなるとうなり、 なんぞげんくらきことをかなしまん。 しょう大海だいかいだいなる船筏せんばつなり、 あにごっしょうおもきことをわずらはんや。

大師聖人↢釈尊之使者↡弘↢念仏之一門↡、↢善導之再誕↡勧メタマヘリ↢称名之一行↡。専修専念之行自↠マリ、無間無余之↠今。然レバ破戒0971罪根之キシリテ↠肩↢往生之道↡、下智浅才之フルフテタヾムキ↢浄土之門↡。誠、无明長夜之大ナル灯炬也、何マム↢智眼キコトヲ↡。生死大海之大ナル船筏也、ハムヤ↢業障コトヲ↡。

ここに法主ほうおう、 さいはひにしょうにんどうによりておほいにかのぶつ本願ほんがんしんぜしめり、 じょうおうじょうあへてうたがいのこさず、 弥陀みだ来迎らいこうただもつぱらたのむべきものか。 あにはかりきや悠々ゆうゆうたるしょうこんじょうをもつてさいとし、 漫々まんまんたるてんこのをもつて際限さいげんとせんといふことを。 つらつらきょうじゅ恩徳おんどくおもへば、 まことに弥陀みだがんひとしきものか。 ほねにしてこれをほうずべし、 くだきてこれをしゃすべし。 これによりて報恩ほうおんさい眼前がんぜんしゅし、 ぐう願念がんねんしんちゅうきざす。 ねがはくは弥陀みだ如来にょらい善導ぜんどうしょう信心しんじんかがみて哀愍あいみんれ、 だいしょうにん同学どうがく等侶とうりょこんてらしてずいいたしたまへ。 自他じたおなじく極楽ごくらくかいおうじょうし、 ていともに弥陀みだぶつ奉仕ぶじせん。 れん初開しょかいときまづ今日こんにちえんさとり、 いんじょう結縁けちえんゆうべかならず今日こんにちしゅみちびかん」 と。

法主、幸↢上人化導↡大ゼシメリ↢彼本願↡、浄土往生敢↠残↠疑、弥陀来迎只専ムベキハカリキヤ悠悠タル生死以↢今生↢最後↡、漫漫タル流転以↢此ムトイフコトヲ↢際限↡。ツラツラヘバ↢教授恩徳↡、実シキ↢弥陀悲願ニシテ↠骨↠報↠之、摧↠身↠謝↠之。依↠之報恩斎会修↢於ガン前↡、値遇願念キザ↢於心中↡。願弥陀如来・善導和尚、カヾミテ↢信心↡垂↢哀愍↡、大師上人、同学等侶、照シテ↢懇志↡致シタマヘ↢随喜↡。自他同ジク往↢生極楽界↡、師弟共奉↢仕セム弥陀仏↡。蓮華初開之時先↢今日之縁↡、引接結縁必導カムト↢今日之衆↡。」

 

0972御念仏之間用意聖覚返事

依但馬親王令旨聖覚法印御報状云  承久三年十二月十九日也

「御念仏之間御用意者、一切功徳善根之中念仏最上候。雖十悪・五逆、罪障全不為御障、雖一称十念之力、決定可令往生之由、真実堅固御信受可候也。聊猶予之儀努力努力不可候。或障身懈怠不浄、或恐心散乱妄念、於往生極楽成不定之思、極僻事候、可背仏意也。
重謹言、
御念仏事日日御所作、更不可被障不浄候。念仏本意只常念為要候。不簡行住坐臥、時処諸縁候也。但毎月一日者、特御精進潔斎御念仏事可候也。其外日日御所作者、御手水計可候也。以此旨可令披露給候。恐々謹言。  十二月十九日法印聖覚

 

0973安居院法印御入滅年文暦二年 乙未

三月六日 御年七十一

 

底本は高田派専修寺蔵親鸞聖人真筆。
この一覧は底本にない。 便宜のために仮に作成した。