0919◎▲大般涅槃経要文
・寿命品
¬大般涅槃経¼巻第一
◎「寿命品」第一 (北本巻一寿命本) にのたまはく、 「かくのごとくわれ聞けり、 ある時仏拘尸那城力士生地阿利羅跋提河の辺の娑羅双樹の間にましましき。 乃至
◎「寿命品」第一言、「如是我聞、一時仏在拘尸那城力士生地阿利羅跋提河辺娑羅双樹間。乃至
(北本巻二寿命本) すなはち純陀のために偈を説きてのたまはく、 ª一切もろもろの世間に生くるものみな死に帰す。 寿命無量なりといへどもかならずまさに尽くることあるべし。 それ盛なるものはかならず衰ふることあり、 合會は別離あり、 壯年なれどもひさしく停らず、 盛なる色病に侵さる。 命は死のために呑まれ、 法常のものあることなし。 諸王自在を得れども勢力等双なけむ。 一切みな遷動す。 寿命もまたかくのごとし。 衆苦輪際なし、 流転して休息なけむ。 三界みな無常なり、 諸有楽あることなし。 本性の相に近くことあれば、 一切みな空無なりº」 と。
即為ニ↢純陀↡而説テ↠偈ヲ言ハク、
一切諸ノ世間ニ 生ル者皆帰ス↠死ニ 寿命雖モ↢無量↡ナリト 要必當ベ ニシ↠有ル↠尽コト
夫盛ナルモノハ必ズ有リ↠衰コト 合會ハ有リ↢別離↡ 壯年サカムナルトシナレドモ不↢久シク停ラ↡ 盛ナル色病ニ所↠侵サ
命ハ為ニ↠死ノ所↠呑マ 無シ↠有コト↢法常ノ者↡ 諸王得レドモ↢自在ヲ↡ 勢力無ケム↢等双
一切皆遷ウツリ動スオゴク 寿命モ亦如シ↠是ノ 衆苦輪無シ↠際 流転シテ無ケム↢休息↡
三界皆无常ナリ 諸有無シ↠有コト↠楽 有レバ↠近クコト↢本性ノ相ニ↡ 一切皆空无ナリ」
・師子吼品1
第四 (北本巻二七師子吼品) にのたまはく、 「師子吼菩薩まうさく、 ª世尊、 少欲・知足、 何の差別かあるやº と。
第四ニ言ハク、「師子吼菩薩言サク、世尊、少欲・知足有ルヤ↢何ノ差別カ↡。
ª善男子、 少欲は求めず取らず、 知足は少を得る時、 心に悔恨せず。 少欲は少しき所欲あり、 知足はただ法のために心に事へて愁悩せざるなり。
善男子、少欲者不↠求メ不↠取ラ、知足者得ル↠少之時、心ニ不↢悔恨ウラミセ↡。少欲者少シキ有リ↢所欲↡、知足者但為ニ↠法ノ事ヘテ↠心ニ不ルナリ↢愁ウレエ悩セ↡。
善男子、 欲は三あり。 一には悪欲、 二には大欲、 三には欲欲なり。
善男子、欲者有リ↠三。一ニ者悪欲、二ニ者大欲、0920三ニ者欲欲ナリ。
悪欲は、 もし比丘ありて心に貪欲を生ず、 一切大衆の上首となりて一切僧をしてわが後に随逐せしめんと欲ふ、 もろもろの四部をしてことごとくみなわれを供養し恭敬し讃歎し尊重せしめんと、 われを先として四衆のために法を説かしめむ、 みな一切わが語を信受せしめん、 亦国王・大臣・長者、 みなわれを恭敬せしめん、 われおほきに衣服・飲食・臥具・医薬・上妙の屋宅を得しめんと。 生死のための欲、 これを悪欲と名づく。
悪欲者、若シ有テ↢比丘↡心ニ生ズ↢貪欲ヲ↡、欲フ↫為リテ↢一切大衆ノ上首ト↡令メムト↪一切僧随↩逐セ我ガ後ニ↨、令メムト↰諸ノ四部悉ク皆供↢養シ恭↣敬シ讃↤歎シ尊↯重セ於↟我、令メム↧我ヲ先トシテ為ニ↢四衆ノ↡説カ↞法ヲ、皆令メム↣一切信↢受セ我ガ語ヲ↡、亦令メム↣国王・大臣・長者、皆恭↢敬我ヲ↡、令メムト↣我大ニ得↢衣服・飲食・臥具・医薬・上妙屋宅ヲ↡。為ノ↢生死ノ↡欲、是ヲ名ク↢悪欲ト↡。
いかんが大欲、 もし比丘ありて欲心を生ず、 いかんがまさに四部の衆ことごとくみなわれ初住地乃至十住を得、 阿耨多羅三藐三菩提を得たり、 阿羅漢果乃至須陀洹果を得、 われ四禅乃至四無礙智を得たりと知らしめて、 利養をなすべし、 これを大欲と名づく。
云何ガ大欲、若シ有テ↢比丘↡生ズ↢於欲心↡、云何当ニシ↮令メテ↫四部之衆悉ク皆知ラ↪我得↢初住地乃至十住ヲ↡、得タリ↢阿耨多羅三藐三菩提ヲ↡、得↢阿羅漢果乃至須陀洹果ヲ↡、我得タリト↩四禅乃至四無智ヲ↨、為ス↭於利養ヲ↬、是ヲ名ク↢大欲ト↡。
欲欲は、 もし比丘ありて、 梵天・魔天・自在天・転輪聖王、 もしは刹利、 もしは婆羅門に生れてみな自在を得むと欲ふ、 利養のためにするがゆゑに、 これを欲欲と名づく。
欲欲者、若シ有テ↢比丘↡、欲フ↧生レテ↢梵天・魔天・自在天・転輪聖王、若シハ刹利、若ハ婆羅門ニ↡皆得ムト↦自在ヲ↥、為ニスルガ↢利養ノ↡故ニ、是ヲ名ク↢欲欲ト↡。
もしこの三種の悪欲のために害せられざるは、 これを少欲と名づく。 欲は名づけて二十五愛とす。 かくのごときの二十五愛あることなき、 これを少欲と名づく。 いまだ来らざる所欲の事を求めざる、 これを少欲と名づく。 得て著せざる、 これを知足と名づく。 恭敬を求めざる、 これを少欲と名づく。 得て積聚せざる、 これを知足と名づく。
若シ不ル↧為ニ↢是ノ三種悪欲之↡所レ↞害セ者、是ヲ名ク↢少欲ト↡。欲者名テ為↢二十五愛ト↡。無キ↠有コト↢如キノ↠是ノ二十五愛↡、是ヲ名ク↢少欲ト↡。不ル↠求メ↢未ダル↠来ラ所欲之事ヲ↡、是ヲ名ク↢少欲ト↡。得而不ル↠著セ、是ヲ名ク↢知足ト↡。不ル↠求メ↢恭敬ヲ↡、是ヲ名ク↢少欲ト↡。得テ不ル↢積聚セ↡、是ヲ名ク↢知足ト↡。
善男子、 また少欲あり知足と名づけず、 知足あり少欲と名づけず、 亦少欲亦知足あり、 知足ならず少欲ならざるあり。 少欲はいはく須陀洹なり、 知足はいはく辟支仏なり、 少欲知足はいはく阿羅漢なり、 不少欲不知足はいはゆる菩薩なり。
善男子、亦有リ↢少欲↡不↠名ケ↢知足ト↡、有リ↢知足↡不↠名↢少欲ト↡、有リ↢亦少欲亦知足↡、有リ↧不↢知足ナラ↡不ル↦少欲ナラ↥。少欲者謂ク須陀洹ナリ、知足者謂辟支仏ナリ、少欲知足者謂ク阿羅漢ナリ、不少欲不知足者所ル↠謂ハ菩薩ナリ。
善男子、 少欲知足にまた二種あり。 一は善、 二は不善なり。 不善はいはゆる凡夫なり、 善は聖人・菩薩なり。 一切聖人、 道果を得といへどもみづから称説せず、 称説せざるゆゑに心悔恨せず、 これを知足と名づく。
善男子0921、少欲知足ニ復有リ↢二種↡。一者善、二者不善ナリ。不善者所ル↠謂ハ凡夫ナリ、善者聖人・菩薩。一切聖人、雖モ↠得↢道果ヲ↡不↢自ラ称説セ↡、不ル↢称説セ↡故ニ心不↢悔恨セ↡、是ヲ名ク↢知足ト↡。
善男子、 菩薩摩訶薩大乗大涅槃経を修習して仏性を見んと欲ふ、 このゆゑに少欲知足を修習すº と。 乃至
善男子、菩薩摩訶薩修↢習シテ大乗大涅槃経ヲ↡欲フ↠見ト↢仏性ヲ↡、是ノ故ニ修↢習スト少欲知足ヲ↡。乃至
▲また涅槃は名づけて洲渚とす。 なにをもつてのゆゑに。 四大の暴河漂ふことあたはざるがゆゑに。 なんらをか四とする。 乃至
又涅槃者名テ為↢洲渚ト↡。何以故ニ。四大ノ暴河不ルガ↠能↠漂フコト故。何等ヲカ為ル↠四ト。乃至
また次に善男子、 出家の人に四種の病あり、 このゆゑに四沙門果を得ず。 なんらか四病、 いはく四悪欲なり。 一には衣のための欲、 二には食のための欲、 三には臥具のための欲、 四には有のための欲なり。 これを四悪欲と名づく。 これ出家の病なり。 四の良薬ありてよくこの病を療す。 いはく糞掃衣はよく比丘衣悪欲をなすを治す、 乞食はよく食悪欲をなすを破す、 樹下はよく臥具の悪欲を破す、 身心寂静なるはよく比丘の有のための悪欲を破す。 この四薬をもつてこの四病を除く、 これを聖行と名づく。 かくのごときの聖行、 すなはち名づけて少欲知足とすることを得るなり。 乃至
復次ニ善男子、出家之人ニ有リ↢四種ノ病↡、是ノ故ニ不↠得↢四沙門果ヲ↡。何等カ四病、謂ク四悪欲ナリ。一ニハ為ノ↠衣ノ欲、二ニハ為ノ↠食ノ欲、三ニハ為ノ↢臥具ノ↡欲、四ニハ為ノ↠有ノ欲ナリ。是ヲ名ク↢四悪欲ト↡。是出家ノ病ナリ。有テ↢四ノ良薬↡能ク療ス↢是ノ病ヲ↡。謂ク糞掃衣ハ能ク治ス↣比丘為スヲ↢衣悪欲ヲ↡、乞食ハ能ク破ス↠為スヲ↢食悪欲ヲ↡、樹下ハ能ク破ス↢臥具ノ悪欲ヲ↡、身心寂静ナル能ク破ス↢比丘ノ為ノ↠有ノ悪欲ヲ↡。以テ↢是ノ四薬ヲ↡除ク↢是ノ四病ヲ↡、是ヲ名ク↢聖行ト↡。如キノ↠是ノ聖行、則チ得ルナリ↣名テ為コトヲ↢少欲知足ト↡。乃至
▲一切覚者を名づけて仏性とす。 十住の菩薩は名づけて一切覚とすることを得ざるがゆゑに、 このゆゑに見るといへども明了ならず。 善男子、 見に二種あり。 一には眼見、 二には聞見なり。 ◆諸仏世尊は眼に仏性を見す、 掌のうちにおいて阿摩勒菓を観るがごとし。 十住の菩薩仏性を聞見すれどもことさらに了々ならず。 十住の菩薩はただよくみづからさだめて阿耨多羅三藐三菩提を得んことを知りて、 一切衆生ことごとく仏性ありと知ることあたはず。
一切覚者ヲ名テ為↢仏性ト↡。十住ノ菩薩ハ不ルガ↠得↣名テ為コトヲ↢一切覚ト↡故ニ、是ノ故ニ雖モ↠見ト而不↢明了ナラ↡。善男子、見ニ有リ↢二種↡。一ニ者眼見、二ニ者聞見ナリ。諸仏世尊ハ眼ニ見ス↢仏性ヲ↡、如シ↧於テ↢掌ノ中ニ↡観ルガ↦阿摩勒菓ヲ↥。十住ノ菩薩聞↢見スレドモ仏性ヲ↡故ニ不↢了了ナラ↡。十住ノ菩薩ハ唯能ク自ラ知リ↣定テ得ムコトヲ↢阿耨多羅三藐三菩提↡而、不↠能ハ↠知コト↣一切衆生悉ク有ト↢仏性↡。
◆善男子、 また眼見あり、 諸仏如来なり、 十住の菩薩は仏性を眼見し、 また聞見あり、 一切衆生乃至九地までは仏性を聞見す、 菩薩はもし一切衆生ことごとく仏性ありと聞けども、 心に信を生ぜざれば聞見と名づけずº と。 乃至
善男子、復有リ↢眼見↡、諸仏如来ナリ、十住0922ノ菩薩ハ眼↢見シ仏性ヲ↡、復有リ↢聞見↡、一切衆生乃至九地マデハ聞↢見ス仏性ヲ↡、菩薩ハ若シ聞ケドモ↣一切衆生悉ク有ト↢仏性↡、心ニ不レバ↠生ゼ↠信ヲ不ト↠名ケ↢聞見ト↡。乃至
◆師子吼菩薩摩訶薩まうさく、 ª世尊、 一切衆生は如来の心相を知ることを得ることあたはず、 まさにいかんが観じて知ることを得るべきやº と。
師子吼菩薩摩訶薩言、世尊、一切衆生ハ不↠能ハ↠得コト↠知コトヲ↢如来ノ心相ヲ↡、当ベ ニキ↢云何ガ観ジ而得ル↟知コトヲ邪ト。
◆ª善男子、 一切衆生は実に如来の心相を知ることあたはず、 もし観察して知ることを得んと欲はば二の因縁あり。 一には眼見、 二には聞見なり。 ◆もし如来所有の身業を見たてまつらん、 まさに知るべし、 これすなはち如来とするなり、 これを眼見と名づく。 もし如来所有の口業を観ぜん、 まさに知るべし、 これすなはち如来とするなり、 これを聞見と名づく。
善男子、一切衆生ハ実ニ不↠能ハ↠知コト↢如来ノ心相ヲ↡、若シ欲ハ↢観察シ而得ムト↟知コトヲ者有リ↢二ノ因縁↡。一ニ者眼見、二ニ者聞見ナリ。若シ見タテマツラム↢如来所有ノ身業ヲ↡、当ニシ↠知ル、是レ則チ為ル↢如来ト↡也、是ヲ名ク↢眼見ト↡。若シ観ゼム↢如来所有ノ口業ヲ↡、当ニシ↠知ル、是則為ル↢如来ト↡也、是ヲ名ク↢聞見ト↡。
◆もし色貌を見ること一切衆生のともに等しきものなけん、 まさに知るべし、 これすなはち如来とするなり、 これを眼見と名づく。 もし音声微妙最勝なるを聞かん、 衆生所有の音声には同じからじ、 まさに知るべし、 これすなはち如来とするなり、 これを聞見と名づく。
若シ見コト↢色貌ヲ↡一切衆生ノ無ケム↢与ニ等シキ者↡、当ニシ↠知ル、是則為ル↢如来ト↡也、是ヲ名ク↢眼見ト↡。若シ聞カム↢音声微妙最勝ナルヲ↡、不↠同ジカラ↢衆生所有ノ音声ニハ↡、当ニシ↠知ル、是則チ為ル↢如来ト↡也、是ヲ名ク↢聞見ト↡。
◆もし如来所作の神通を見んに、 衆生のためとやせん、 利養のためとやせん、 もし衆生のためにして利養のためならず、 まさに知るべし、 これすなはち如来とするなり、 これを眼見と名づく。 もし如来を観ずるに他心智をもつて衆生を観ずる時、 利養のために説き、 衆生のために説かん、 もし衆生のためにして利養のためにせず、 まさに知るべし、 これすなはち如来とするなり、 これを聞見と名づくº」 と。 略出
若シ見ムニ↢如来所作ノ神通ヲ↡、為ム↠為トヤ↢衆生ノ↡、為ム↠為トヤ↢利養ノ↡、若シ為ニシテ↢衆生ノ↡不ハ↠為ナラ↢利養ノ↡、当ニシ↠知ル、是則チ為ル↢如来↡也、是ヲ名ク↢眼見ト↡。若シ観ズルニ↢如来ヲ↡以テ↢他心智ヲ↡観ズル↢衆生ヲ↡時、為ニ↢利養ノ↡説キ、為ニ↢衆生ノ↡説カム、若シ為ニシテ↢衆生ノ↡不↠為ニセ↢利養ノ↡、当ニシ↠知ル、是則チ為ル↢如来ト↡也、是ヲ名クト↢聞見ト↡。」略出
・如来性品
¬大般涅槃経¼ の巻第十 「如来性品」 第四の七 (北本巻一〇如来性品) にのたまはく、 「その時に世尊すなはち偈を説きてのたまはく、 ª▽本有今無、 本無今有、 三世の有法にこの處あることなしº と。
¬大般涅槃経¼巻第十「如来性品」第四之七ニ言ク、「爾ノ時ニ世尊即説テ↠偈ヲ言ハク、
0923本有今無 本無今有 三世有法 無有是處
迦葉菩薩仏にまうしてまうさく、 ª世尊、 もし一切衆生仏性あらば、 仏、 衆生となんの差別かましますや、 かくのごとき説は多く過咎あり。 もしもろもろの衆生みな仏性あり、 なんの因縁のゆゑに舍利弗等、 小涅槃をもつてして般涅槃とする、 縁覺の人、 中涅槃においてして般涅槃する、 菩薩の人、 大涅槃においてして般涅槃す。 かくのごときらの人、 もし同じき仏性なり、 なんがゆゑぞ如來の涅槃に同じからずして般涅槃するやº と。
迦葉菩薩白シテ↠仏ニ言サク、世尊、若シ一切衆生有ラ↢仏性↡者、仏與↢衆生↡有マスヤ↢何ノ差別カ↡、如キ↠是ノ説者多ク有リ↢過咎↡。若シ諸ノ衆生皆有リ↢仏性↡、何ノ因縁ノ故ニ舍利弗等以テ↢小涅槃ヲ↡而般涅槃トスル、縁覺之人於テ↢中涅槃↡而般涅槃スル、菩薩之人於↢大涅槃ニ↡而般涅槃ス。如キ↠是ノ等ノ人、若シ同ジキ仏性ナリ、何ガ故ゾ不↠同カラ↢如來ノ涅槃ニ↡而般涅槃スルヤ。
ª善男子、 諸仏世尊に得たまふところの涅槃は、 もろもろの聲聞・縁覺の得るところにはあらず。 この義をもつてのゆゑに、 大般涅槃を名づけて善有とす。 世にもし仏ましまさずは、 二乘二涅槃を得ることなからましº と。
善男子、諸仏世尊ニ所ノ↠得タマフ涅槃ハ、非ズ↢諸ノ聲聞・縁覺ノ所ニハ↟得ル。以ノ↢是ノ義ヲ↡故ニ、大般涅槃ヲ名テ爲↢善有ト↡。世ニ若シ無サズハ↠仏、非シ↠無カラ↣二乘得コト↢二涅槃ヲ↡。
迦葉またまうさく、 ªこの義いかんぞº と。
迦葉復言サク、是ノ義云何ゾ。
仏のたまはく、 ª無量無邊阿僧祇劫に、 いまし一仏ましまして世に出現して三乘を開示したまふ。 善男子、 なんぢが言ふところのごとし、 菩薩二乘差別なくは、 われまづこの如來密藏大涅槃の中においてすでにその義を説きたまへり、 善有あることなし。 なにをもつてのゆゑに。 もろもろの阿羅漢ことごとくまさにこの大涅槃を得べきがゆゑに。 この義をもつてのゆゑに、 大般涅槃畢竟樂あり、 このゆゑに名づけて大般涅槃とすº と。
仏言、無量無邊阿僧祇劫ニ、乃シ有シテ↢一仏↡出↢現シテ於↟世開↢示シタマフ三乘ヲ↡。善男子、如シ↢汝ガ所ノ↟言フ、菩薩二乘無ク↢差別↡者、我先於テ↢此ノ如來密藏大涅槃ノ中ニ↡已ニ説キタマヘリ↢其ノ義ヲ↡、無シ↠有コト↢善有↡。何ヲ以ノ故ニ。諸ノ阿羅漢悉ク當ニキガ↠得↢是ノ大涅槃ヲ↡故ニ。以ノ↢是ノ義ヲ↡故ニ、大般涅槃有リ↢畢竟樂↡、是ノ故ニ名テ爲↢大般涅槃ト↡。
迦葉まうさく、 仏説のごときは、 われいまはじめて差別の義を知る、 無差別の義、 なにをもつてのゆゑに一切菩薩・聲聞・縁覺、 未來の世にみなまさに大般涅槃に歸すべしº と。
迦葉言サク、如キ↢仏説ノ↡者、我今始テ知ル↢差別之義ヲ↡、無差別ノ義、何ヲ以ノ故ニ一切菩薩・聲聞・縁覺、未來之世ニ皆當ニシ↠歸ス↠於↢大般涅槃↡。
ªたとへば衆流大海に歸するがごとし、 このゆゑに聲聞・縁覺の人、 ことごとく名づけて常とす、 これ無常にあらず。 この義をもつてのゆゑに、 また差別ありまた差別なしº と。
譬バ如シ↢衆流歸スルガ↟於↢大海↡、是ノ故ニ聲聞・縁覺之人、悉ク名テ爲↠常ト、非ズ↢是无常ニ↡。以ノ↢是ノ義ヲ↡故ニ、亦有リ↢差別↡亦無シト↢差別↡。
迦葉まうさく、 ªいかんが性差別あるº と。
迦葉0924言サク、云何ガ性差別アルト。
仏ののたまはく、 ª善男子、 聲聞は乳のごとし、 縁覺は酪のごとし、 菩薩の人は生熟蘇のごとし、 諸仏世尊はなほ醍醐のごとし。 この義をもつてのゆゑに、 大涅槃の中に四種の性を説きて差別ありº と。
仏ノ言ハク、善男子、聲聞ハ如シ↠乳ノ、縁覺ハ如シ↠酪ノ、菩薩之人如シ↢生熟蘇ノ、諸仏世尊ハ猶如シ↢醍醐ノ↡。以ノ↢是ノ義ヲ↡故ニ、大涅槃ノ中ニ説キ↢四種ノ性ヲ↡而有リ↢差別↡。
迦葉またまうさく、 ª一切衆生の性相いかんぞº と。
迦葉復言ク、一切衆生ノ性相云何ゾ。
仏ののたまはく、 ª善男子、 牛のごとし、 新しく乳血を生ず、 いまだ凡夫の性を別たず、 もろもろの煩惱を雜することまたかくのごとしº」 と。 略抄
仏ノ言ハク、善男子、如シ↠牛ノ、新シク生ズ↢乳血ヲ↡、未ズ ダ↠別タ↢凡夫之性ヲ↡、雜スルコト↢諸ノ煩惱ヲ↡亦復如シト↠是ノ。」略抄
・大衆所聞品
また (北本巻一〇大衆所聞品) のたまはく、 「ª一切の江河はかならず回曲あり。 一切の叢林はかならず樹木と名づく。 一切の女人はかならず諂曲多し。 一切自在なるはかならず安楽を受くº と。
又言、
「一切ノ江河ハ 必ズ有リ↢廻曲↡ 一切ノ叢林ハ 必名ク↢樹木ト↡
◗一切ノ女人ハ 必多シ↢諂曲↡ 一切自在ナルハ 必受ク↢安楽ヲ↡
その時に文殊師利菩薩摩訶薩、 すなはち座より起ちひとへに右の臂を袒ぎ右の膝を地に著けて、 前んで仏足を礼して偈を説きてまうさく、 ª一切の河かならず回曲あるにあらず。 一切の林ことごとく樹木と名づくるにあらず。 一切の女かならず諂曲を懐くにあらず。 一切自在なる、 かならず楽を受けず。
爾ノ時ニ文殊師利菩薩摩訶薩、即チ座ヨリ起チ偏ニ袒ギ↢右ノ臂ヲ↡右ノ膝ヲ著ケテ↠地ニ、前ムデ礼↢仏足ヲ↡而説テ↠偈ヲ言サク、
◗非ズ↣一切ノ河 必ズ有ルニ↢廻曲↡ 非ズ↣一切ノ林 悉ク名クルニ↢樹木ト↡
◗非ズ↣一切女 必懐クニ↢諂曲ヲ↡ 一切自在ナル 不↢必受ケ↟楽ヲ
仏の所説の偈、 その義余あり、 やや哀愍を垂れてその因縁を説きたまへ。 なにをもつてのゆゑに。 世尊、 この三千大千世界において渚あり、 拘耶尼と名づく、 その渚に河あり、 端直にして曲らず、 娑婆耶と名づく、 たとへば縄墨のごとし、 ただちに西海に入る。 この河の相のごとき、 余経の中において仏いまだかつて説きたまはず。 乃至 一切の女人かならず諂曲を懐くこと、 これまた余あり。 なにをもつてのゆゑに。 また女人あり、 よく戒を持ち功徳成就せりº」 と。 略抄
仏ノ所説ノ偈、其ノ義有リ↠余、唯垂テ↢哀愍ヲ↡説キタマフ↢其ノ因縁ヲ↡。何ヲ以ノ故ニ。世尊、於テ↢此ノ三千大千世界ニ↡有リ↠渚、名ク↢拘耶尼ト↡、其ノ渚ニ有リ↠河、端直ニシテ不↠曲ラ、名ク↢娑婆耶ト↡、喩ヘバ如シテ↢縄墨ノ↡、直ニ入ル↢西海ニ↡。如キ↢是ノ河ノ相ノ↡、於テ↢余経ノ中ニ↡仏未ズ ダ↢曽テ説キタマハ↡。乃至 一切ノ女人必ズ懐クコト↢諂曲0925ヲ↡、是亦有リ↠余。何ヲ以ノ故ニ。亦有リ↢女人↡、善ク持チ↠戒ヲ功徳成就セリト。」略抄
・聖行品1
十三巻 (北本巻一四聖行品) にのたまはく、 「外道の法の中に常楽我浄を摂取することあたはず。 善男子、 まさに知るべし、 心法必定して無常なり。 また次に善男子、 心性異なるがゆゑに名づけて無常とす。 いはゆる声聞の心性異なり、 縁覚の心性異なり、 諸仏の心性異なり。 一切外道の心に三種あり。 一には出家の心、 二には在家の心、 三には在家遠離の心。 楽相応の心異なり、 苦相応の心異なり、 不苦不楽相応の心異なり、 貪欲相応の心異なり、 瞋恚相応の心異なり、 愚痴相応の心異なり。 一切外道の心相また異なり、 いはゆる愚痴相応の心異なり、 疑惑相応の心異なり、 邪見相応の心異なり、 進止威儀その心また異なり。」 略出
十三巻言、「外道ノ法ノ中ニ不↠能ハ↣摂↢取スルコト常楽我浄ヲ↡。善男子、当ニシ↠知ル、心法必定シテ无常ナリ。復次ニ善男子、心性異ナルガ故ニ名テ為↢无常ト↡。所ル↠謂ハ声聞ノ心性異ナリ、縁覚ノ心性異ナリ、諸仏ノ心性異ナリ。一切外道ノ心ニ有リ↢三種↡。一ニ者出家ノ心、二ニ者在家ノ心、三ニ者在家遠離ノ心。楽相応ノ心異ナリ、苦相応ノ心異ナリ、不苦不楽相応ノ心異ナリ、貪欲相応ノ心異ナリ、瞋恚相応ノ心異ナリ、愚痴相応ノ心異ナリ。一切外道ノ心相亦異ナリ、所↠謂愚痴相応ノ心異ナリ、疑惑相応ノ心異ナリ、邪見相応ノ心異ナリ、進止威儀其ノ心亦異ナリ。」略出
・聖行品2
十四巻 (北本巻一四聖行品) にのたまはく、 「善男子、 諸仏世尊の語に二種あり。 一には世語、 二には出世の語なり。 善男子、 如来もろもろの声聞・縁覚のために世語を説きたまふ、 もろもろの菩薩のために出世の語を説きたまふ。 善男子、 このもろもろの大衆にまた二種あり。 一には小乗を求む、 二には大乗を求む。 われむかし波羅奈城にして、 もろもろの声聞のために法輪を転ず。 いまはじめてこの拘尸那城にして、 もろもろの菩薩のために大法輪を転じたまふ。
十四巻言ハク、「善男子、諸仏世尊ノ語ニ有リ↢二種↡。一ニ者世語、二ニハ出世ノ語ナリ。善男子、如来為ニ↢諸ノ声聞・縁覚ノ↡説キタマフ↢於世語↡、為ニ↢諸ノ菩薩ノ↡説キタマフ↢出世ノ語ヲ↡。善男子、是ノ諸ノ大衆ニ復有リ↢二種↡。一者求ム↢小乗ヲ↡、二者求ム↢大乗ヲ↡。我於テ↢昔日波羅奈城ニ↡、為ニ↢諸ノ声聞ノ↡転ズ↠于↢法輪↡。今始テ於テ↢此ノ拘尸那城ニ↡、為ニ↢諸ノ菩薩ノ↡転ジタマフ↢大法輪ヲ↡。
また次に善男子、 また二人あり。 中根・上根なり。 中根の人のために波羅奈にして、 法輪を転ず。 上根の人の人中の象王迦葉菩薩等のためにこの拘尸那城にして、 大法輪を転ず。 善男0926子、 極下根のものには如来つひにために法輪を転ぜず、 極下根のものはすなはち一闡提なり。
復次ニ善男子、復有リ↢二人↡。中根・上根ナリ。為ニ↢中根ノ人ノ↡於テ↢波羅奈ニ↡、転ズ↠於↢法輪↡。為ニ↢上根ノ人ノ人中ノ象王迦葉菩薩等ノ↡於テ↢此ノ拘尸那城ニ↡、転ズ↢大法輪ヲ↡。善男0926子、極下根ノ者ニハ如来終ニ不↣為ニ転ゼ↢法輪ヲ↡、極下根ノ者ハ即一闡提ナリ。
また次に善男子、 仏道を求むるもの、 また二種あり。 一には中精進、 二には上精進なり。 波羅奈にして、 中精進のために法輪を転じたまふ。 いまこの間、 拘尸那城にして、 上精進のために大法輪を転じたまふ。 乃至
復次ニ善男子、求ムル↢仏道ヲ↡者、復有リ↢二種↡。一ニ者中精進、二ニハ上精進ナリ。於テ↢波羅奈ニ↡、為ニ↢中精進ノ↡転ジタマフ↠於↢法輪↡。今於テ↢此間拘尸那城ニ↡、為ニ↢上精進ノ↡転ジタマフ↢大法輪ヲ↡。乃至
▼善男子、 悪に二種あり。 一には阿修羅、 二には人中なり。 人中に三種の悪あり。 一には一闡提、 二には誹謗方等経典、 三には犯四重禁なり。
善男子、悪ニ有リ↢二種↡。一ニ者阿修羅、二ニ者人中ナリ。人中ニ有リ↢三種ノ悪↡。一ニ者一闡提、二ニ者誹謗方等経典、三ニ者犯四重禁ナリ。
善男子、 この地のうちに住せるもろもろの菩薩等、 つひにかくのごとき悪の中に堕することを畏れず、 また沙門・婆羅門・外道邪見・天魔波旬を畏れず、 また二十五有を受くることを畏れず。 このゆゑにこの地を無所畏と名づく。
善男子、住セル↢是ノ地ノ中ニ↡諸ノ菩薩等、終ニ不↠畏レ↠堕コトヲ↢如キ↠是ノ悪ノ中ニ↡、亦復不↠畏レ↢沙門・婆羅門・外道邪見・天魔波旬ヲ↡、亦復不↠畏レ↠受コトヲ↢二十五有ヲ↡。是ノ故ニ此ノ地ヲ名ク↢無所畏ト↡。
善男子、 菩薩摩訶薩▼無畏地に住して、 二十五三昧を得て二十五有を壊す。
善男子、菩薩摩訶薩住シテ↢无畏地ニ↡、得テ↢二十五三昧ヲ↡壊ス↢二十五有ヲ↡。
善男子、 無垢三昧を得てよく地獄を壊す、 無退三昧を得ることありてよく畜生を壊す、 心楽三昧を得ることあればよく餓鬼を壊す、 歓喜三昧を得ることあればよく阿修羅を壊す、 日光三昧を得ることあればよく弗婆提を断つ、
善男子、得テ↢无垢三昧ヲ↡能ク壊ス↢地獄ヲ↡、有テ↠得コト↢无退三昧ヲ↡能ク壊ス↢畜生ヲ↡、有レバ↠得コト↢心楽三昧ヲ↡能ク壊ス↢餓鬼ヲ↡、有レバ↠得コト↢歓喜三昧ヲ↡能ク壊ス↢阿修羅ヲ↡、有レバ↠得コト↢日光三昧↡能ク断ツ↢弗婆提ヲ↡、
月光三昧を得ることあればよく瞿邪尼を断つ、 熱炎三昧を得ることあればよく鬱単越を断つ、 如幻三昧を得ることあればよく閻浮提を断つ、 一切法不動三昧を得ることあればよく四大天処を断つ、 難伏三昧を得ることあればよく三十三天処を断つ、
有レバ↠得コト↢月光三昧ヲ↡能ク断ツ↢瞿邪尼ヲ↡、有レバ↠得コト↢熱炎三昧ヲ↡能ク断ツ↢鬱単越ヲ↡、有レバ↠得コト↢如幻三昧ヲ↡能ク断ツ↢閻浮提ヲ↡、有レバ↠得コト↢一切法不動三昧ヲ↡能ク断ツ↢四大天処ヲ↡、有レバ↠得コト↢難伏三昧ヲ↡能ク断ツ↢三十三天処ヲ↡、
悦意三昧を得ることあればよく炎摩天を断つ、 青色三昧を得ることあればよく兜術天を断つ、 黄色三昧を得ることあればよく化楽天を断つ、 赤色三昧を得ることあればよく他化自在天0927を断つ、 白色三昧を得ることあればよく初禅を断つ、
有レバ↠得コト↢悦意三昧ヲ↡能ク断ツ↢炎摩天ヲ↡、有↠得↢青色三昧↡能ク断ツ↢兜術天ヲ、有↠得↢黄色三昧ヲ↡能ク断ツ↢化楽天ヲ↡、有レバ↠得コト↢赤色三昧↡能ク断ツ↢他化自在天0927ヲ↡、有レバ↠得コト↢白色三昧ヲ↡能ク断ツ↢初禅ヲ↡、
種々の三昧を得ることあればよく大梵王を断つ、 双三昧を得ることあればよく二禅を断つ、 雷音三昧を得ることあればよく三禅を断つ、 注雨三昧を得ることあればよく四禅を断つ、 如虚空三昧を得ることあればよく無想を断つ、
有レバ↠得コト↢種種ノ三昧ヲ↡能ク断ツ↢大梵王ヲ↡、有バ↠得コト↢双三昧↡能ク断ツ↢二禅ヲ↡、有レバ↠得コト↢雷音三昧ヲ↡能ク断ツ↢三禅ヲ↡、有バ↠得コト↢注雨三昧ヲ↡能ク断ツ↢四禅ヲ↡、有レバ↠得コト↢如虚空三昧ヲ↡能ク断ツ↢無想↡、
照鏡三昧を得ることあればよく浄居阿那含を断つ、 無礙三昧を得ることあればよく空処を断つ、 常三昧を得ることあればよく識処を断つ、 楽三昧を得ることあればよく不用処を断つ、 我三昧を得ることあればよく非想非々想処の有を断つ。
有↠得↢照鏡三昧ヲ↡能ク断ツ↢浄居阿那含ヲ↡、有↠得コト↢无三昧ヲ↡能ク断ツ↢空処ヲ↡、有↠得↢常三昧ヲ↡能ク断ツ↢識処ヲ↡、有レバ↠得コト↢楽三昧ヲ↡能ク断ツ↢不用処ヲ↡、有↠得↢我三昧↡能ク断ツ↢非想非非想処ノ有ヲ↡。
善男子、 これを菩薩二十五三昧を得二十五有を断つと名づく。 善男子、 かくのごとき二十五三昧を諸三昧の王と名づく」 と。 乃至
善男子、是ヲ名ク↧菩薩得↢二十五三昧ヲ↡断ツト↦二十五有ヲ↥。善男子、如キ↠是ノ二十五三昧ヲ名クト↢諸三昧ノ王ト↡。」乃至
・梵行品1
十五巻 (北本巻一五梵行品) にのたまはく、 「なんらをか名づけて授記経とすると。 経律にあるがごとし。 如来説きたまふ時、 もろもろの大人のために仏の記莂を受く。 なんぢ阿逸多は未来王あるべし、 名づけて蠰佉といはん。 まさにこの世にして仏道を成るべし、 号して弥勒といはん。 これを授記経と名づく。 なんらをか名づけて伽陀経とするやと。 修多羅およびもろもろの戒律を除きて、 その余の説あり、 四句の偈なり。 いはゆる ª諸悪作ることなし、 諸善奉行すべし。 みづからその意を浄くする、 これ諸仏の教なりº」 と。
十五巻言、「何等ヲカ名テ為ルト↢授記経ト↡。如シ↠有ガ↢経律ニ↡。如来説タマフ時、為ニ↢諸ノ大人ノ↡受ク↢仏ノ記莂ヲ↡。汝阿逸多ハ未来有ルベシ↠王、名テ曰ハム↢蠰佉ト↡。当ニシ↧於↢是ノ世↡而成ル↦仏道ヲ↥、号シテ曰ハムト↢弥勒ト↡。是ヲ名ク↢授記経ト↡。何等ヲカ名テ為ル↢伽陀経ト↡也ト。除キテ↢修多羅及諸ノ戒律ヲ↡、其ノ余ノ有リ↠説、四句之偈ナリ。所ル↠謂ハ
諸悪莫シ↠作コト 諸善奉行スベシ 自浄クスル↢其ノ意ヲ↡ 是諸仏ノ教ナリト」
・梵行品2
十七巻 (北本巻一七梵行品) にのたまはく、 「▲迦葉またまうさく、 ª世尊、 第一義諦をまた名づけて道とす、 また菩提と名づく、 また涅槃と名づくº」 と。 乃至
十七巻言、「迦葉復言、世尊、第一義諦ヲ亦名テ為↠道ト、亦名ク↢菩提ト↡、亦名ク↢涅槃ト↡。」乃至
・徳王品1
巻第二十五 「高貴徳王菩薩品」、 第十の五 (北本第二五徳王品) にのたまはく、 「▲善男子、 第一真実の善知識は、 いはゆる菩薩・諸仏なり。 世尊、 なにをもつてのゆゑに。 つねに三種の善調御をもつてのゆゑに。 なんらか三とする。 一には畢竟軟語、 二には畢竟呵責、 三には軟語呵責なり。 この義をもつてのゆゑに、 菩薩・諸仏すなはちこれ真実の善知識なりと。 乃至
巻0928第二十五「高貴徳王菩薩品」、第十之五言、「善男子、第一真実ノ善知識者、所ル↠謂ハ菩薩・諸仏ナリ。世尊、何ヲ以ノ故ニ。常ニ以ノ↢三種ノ善調御ヲ↡故ニ。何等カ為ル↠三ト。一ニ者畢竟軟語ヤハラカナルコトバ、二ニ者畢竟 呵イサカヒ責セム 、三ニ者軟語呵責ナリ。以ノ↢是ノ義ヲ↡故ニ、菩薩・諸仏即是真実ノ善知識也ト。乃至
善男子、 いかんが菩薩五事を除断する。 いはゆる五陰、 色・受・想・行・識所なり。 陰といふはその義いかん。 いはくよく衆生をして生死相続せしむ、 重担を離れずして分散聚合して三世に摂せらる、 その義理を求むるに了不可得なり。 このもろもろの義をもつてのゆゑに名づけて陰とす。 菩薩摩訶薩色陰を見るといへどもその相を見ず。 なにをもつてのゆゑに。 十色の中においてその性を推求するにことごとく不可得なり、 世界のためのゆゑに説きてのたまはく、 陰受をなすに百八あり、 受陰を見るといへどもはじめに受相なし。 なにをもつてのゆゑに。 受は百八なりといへども理定実なし。 このゆゑに菩薩受陰を見ず。 想・行・識等もまたかくのごとし。
善男子、云何ガ菩薩除↢断スル五事ヲ↡。所ル↠謂ハ五陰、色・受・想・行・識所ナリ。言フ↠陰ト者其ノ義何ンゾ。謂ク能ク令ム↢衆生ヲシテ生死相続セ↡、不シテ↠離レ↢重担ニナフヲ↡分散聚合シテ三世ニ所ル↠摂セ、求ムルニ↢其ノ義理ヲ↡了不可得ナリ。以ノ↢是ノ諸ノ義ヲ↡故ニ名テ為↠陰ト。菩薩摩訶薩雖モ↠見ト↢色陰ヲ↡不↠見↢其ノ相ヲ↡。何ヲ以ノ故ニ。於テ↢十色ノ中ニ↡推↢求スルニ其ノ性ヲ↡悉ク不可得ナリ、為ノ↢世界ノ↡故ニ説テ言ハク、為スニ↢陰受ヲ↡有リ↢百八↡、雖モ↠見ト↢受陰ヲ↡初ニ無シ↢受相↡。何ヲ以ノ故ニ。受ハ雖モ↢百八ナリト↡理無シ↢定実↡。是ノ故ニ菩薩不↠見↢受陰ヲ↡。想・行・識等モ亦復如シ↠是ノ。
菩薩摩訶薩深く五陰を見る、 これ煩悩を生ずる根本なり。 この義をもつてのゆゑに方便して断ぜしむ。
菩薩摩訶薩深ク見ル↢五陰ヲ↡、是生ズル↢煩悩ヲ↡之根本也。以ノ↢是ノ義ヲ↡故ニ方便シテ令ム↠断ゼ。
いかんぞ菩薩五事を遠離する。 いはゆる五見なり。 なんらをか五とする。 一には身見、 二には辺見、 三には邪見、 四には戒取見、 五には見取なり。 この五見によりて六十二見を生ず、 この諸見によりて生死絶えず。 このゆゑに菩薩これを防ぎて近かず。
云何ゾ菩薩遠↢離スル五事ヲ↡。所ル↠謂ハ五見ナリ。何等ヲカ為ル↠五ト。一ニ者身見、二ニ者辺見、三ニ者邪見、四ニ者戒取見、五ニ者見取ナリ。因テ↢是ノ五見ニ↡生ズ↢六十二見ヲ↡、因テ↢是諸見ニ↡生死不↠絶ヘ。是ノ故ニ菩薩防ギテ↠之ヲ不↠近カ。
いかんが菩薩六事を成就する。 いはく六念処なり。 なんらか六とする。 一には念仏、 二には念法、 三には念僧、 四には念天、 五には念施、 六には念戒なり。 これを菩薩六事を成就すと名づくるなり。 乃至
云何ガ菩薩成↢就スル六事ヲ↡。謂ハク六念処ナリ。何等カ為ル↠六ト。一ニ者念仏、二ニ者念法、三ニ者念僧、四ニ者念天、五ニ者念施、六0929ニ者念戒ナリ。是ヲ名クルナリ↣菩薩成↢就スト六事ヲ↡。乃至
菩薩は一法を守護す。 いかんが菩薩四事に親近する。 いはく四無量心なり。 なんらか四とする。 一には大慈、 二には大悲、 三には大喜、 四には大捨なり。 この四心によりてよく無量無辺の衆生をして菩提心を発せしむ。 このゆゑに菩薩繋心親近せしむ。 いかんが菩薩一実を信順する。 菩薩了知するに一切衆生はみな一道に帰せしめんとなり。 一道はいはく大乗なり。 いはく仏・菩薩衆生のためのゆゑにこれを分ちて三とす。 このゆゑに菩薩不逆に信順するなり」 と。 已上抄出
菩薩ハ守↢護ス一法ヲ↡。云何ガ菩薩親↢近スル四事ニ↡。謂ハク四無量心ナリ。何等カ為ル↠四ト。一ニ者大慈、二ニ者大悲、三ニ者大喜、四ニ者大捨ナリ。因テ↢是ノ四心ニ↡能ク令ム↣無量無辺ノ衆生ヲシテ発セ↢菩提心ヲ↡。是ノ故ニ菩薩繋心親近セシム。云何ガ菩薩信↢順スル一実ヲ↡。菩薩了知スルニ一切衆生ハ皆帰セシメムトナリ↢一道ニ↡。一道者謂ク大乗也。謂ク仏・菩薩為ノ↢衆生ノ↡故ニ分テ↠之ヲ為↠三ト。是ノ故ニ菩薩信↢順スルナリト不逆ニ↡。」已上抄出
・徳王品2
二十七巻 (北本巻二六徳王品) にのたまはく、 「善男子、 一闡は信に名づく、 提は不具に名づく。 不具信のゆゑに一闡提と名づく。 乃至 一闡は定に名づく、 提は不具に名づく。 定不具のゆゑに一闡提と名づく」 と。 抄出
二十七巻言、「善男子、一闡ハ名ク↠信ニ、提ハ名ク↢不具ニ↡。不具信ノ故ニ名ク↢一闡提ト↡。乃至 一闡ハ名ク↠定ニ、提ハ名ク↢不具ニ↡。定不具ノ故ニ名ク↢一闡提ト↡。」抄出
・師子吼品2
二十八巻 (北本巻二八師子吼品) にのたまはく、 「また因あり、 いはく正法を聴くなり。 聴正法といふはこれまた因あり、 いはく善友に近くなり。 善友に近くといふはこれまた因あり、 いはゆる信心なり。 有信心といふはこれまた因あり、 因に二種あり。 一には聴法、 二には思惟の義なり。 善男子、 信心は聴法による、 聴法は信心による。 かくのごとき二法の亦因亦因の因なり、 亦果亦果の果なり。 乃至
二十八巻言、「亦有リ↠因、謂ク聴ナリ↢正法ヲ↡。聴正法トイフ者是亦有リ↠因、謂ク近ヅクナリ↢善友ニ↡。近クトイフ↢善友ニ↡者是亦有リ↠因、所ル↠謂ハ信心ナリ。有信心トイフ者是亦有リ↠因、因ニ有リ↢二種↡。一ニ者聴法、二ニハ思惟ノ義ナリ。善男子、信心者因ル↢於聴法ニ↡、聴法者因ル↠於↢信心ニ↡。如↠是二法ノ亦因亦因ノ因ナリ、亦果亦果ノ果ナリ。乃至
善男子、 因に二種あり。 一には生因、 二には了因なり。 よく法を生ずるはこれを生因と名づく、 灯のよく物を了するがごとし、 ゆゑに了因と名づく。 煩悩諸結これを生因と名づく、 衆生の父母これを了因と名づく。 穀子等のごとしこれを生因と名づく、 地・水・糞等これを了因と名づく。 乃至
善男子、因ニ有リ↢二種↡。一ニ者生因、二ニ者了因ナリ。能ク生ズル↠法ヲ者是ヲ名ク↢生因ト↡、如シ↢灯ノ能ク了スルガ↟物ヲ、故ニ名ク↢了因ト↡。煩悩諸結是ヲ名ク↢生因ト↡、衆生ノ父母是ヲ名ク↢了因ト↡。如シ↢穀子等ノ↡是ヲ名ク↢生因ト↡、地・水・糞クソ等是ヲ名ク↢了因ト↡。乃至
善男子、 たとへば人あり筆・紙・墨あり、 和合すれば字を成じてこの紙の中にもと字あることなし、 もとなきをもつてのゆゑに仮縁して成ずるがごとし。 乃至
善男子、譬ヘバ如シ↧有リ↠人有↢筆・紙・墨↡、和合スレバ成↠字ヲ而是ノ紙ノ中ニ本0930無シ↠有コト↠字、以ノ↢本無ヲ↡故ニ仮縁而成ズルガ↥。乃至
善男子、 たとへば衆生は食によりて命を得、 しかるにこの食の中に実に命あることなし、 もしもと命あらばいまだ食せざる時にも食これ命なるべきがごとし。 善男子、 一切の諸法、 もと性あることなし、 この義をもつてのゆゑにわれこの偈を説かく、 ª△本無今有、 本有今無、 三世の有法にこの処あることなしº と。 善男子、 一切の諸法は因縁のゆゑに生ず、 因縁のゆゑに滅す。 乃至
善男子、譬如シ↣衆生ハ因テ↠食ニ得↠命ヲ、而ニ此ノ食ノ中ニ実ニ無シ↠有コト↠命、若シ本有ラバ↠命未ダル↠食セ之時ニモ食応キガ↢是命ナル↡。善男子、一切ノ諸法、本無シ↠有コト↠性、以ノ↢是義ヲ↡故我説カク↢是ノ偈ヲ↡、
本無今有 本有今無 三世有法 無有是処
善男子、一切ノ諸法ハ因縁ノ故ニ生ズ、因縁ノ故ニ滅ス。乃至
もろもろの菩薩菩提を退転せしむるに、 また六法ありて菩提心を壊す。 なんらか六とする。 一には法を吝む、 二にはもろもろの衆生において不善心を起す、 三には悪友に親近する、 四には精進を勤めざる、 五には自大憍慢なる、 六には世業を営務するなり。 かくのごとき六法すなはちよく菩提の心を破壊す。 乃至
令ムルニ↣諸ノ菩薩退↢転セ菩提ヲ↡、復有テ↢六法↡壊ス↢菩提心ヲ↡。何等カ為ル↠六ト。一ニ者吝ム↠法ヲ、二ニ者於テ↢諸ノ衆生ニ↡起ス↢不善心ヲ↡、三ニ者親↢近スル悪友ニ↡、四ニ者不ル↠勤メ↢精進ヲ↡、五ニ者自大憍慢ナル、六ニ者営イトナム務スルナリ世業ヲ。如キ↠是ノ六法則チ能ク破↢壊ス菩提之心ヲ↡。乃至
善男子、 また五法あり、 菩提心を退す。 なんらか五とする。 一にはこのみて外道にありて出づ、 二には大慈の心を修せざる、 三にはこのみて法師の過罪を求むる、 四にはつねに楽処にして生死にある、 五には十二部経を受持し読誦し書写し解説することを喜ばざる、 これを五法と名づく。 菩提心を退するにまた二法あり、 菩提心を退す。 なんらか二とする。 一には五欲を貪楽する、 二には三宝を恭敬し尊重することあたはざるなり。 かくのごときらの衆の因縁をもつてのゆゑに菩提心を退するなり」 と。 略抄
善男子、復有リ↢五法↡、退ス↢菩提心ヲ↡。何等為ル↠五ト。一ニ者楽ミテ在テ↢外道ニ↡出ヅ、二ニ者不ル↠修セ↢大慈之心ヲ↡、三ニ者好ミテ求ムル↢法師ノ過罪ヲ↡、四ニ者常ニ楽処ニシテ在ル↢生死ニ↡、五ニ者不ル↠喜バ↰受↢持シ読↣誦シ書↤写シ解↯説スルコトヲ十二部経ヲ↡、是ヲ名ク↢五法ト↡。退スルニ↢菩提心ヲ↡復有リ↢二法↡、退ス↢菩提心ヲ↡。何等カ為ル↠二ト。一ニ者貪↢楽スル五欲ヲ↡、二ニ者不ルナリ↠能ハ↤恭↢敬シ尊↣重スルコト三宝ヲ↡。以ノ↢如キ↠是ノ等ノ衆ノ因縁ヲ↡故ニ退スルナリ↢菩提心ヲ↡。」略抄
・師子吼品3
巻第三十一 「師子吼菩薩品」 の第十一の五 (北本巻三一師子吼品) にのたまはく、 「師子吼まうさく、 ª世尊、 経の中に説くがごとし、 もし毘婆舎那よく煩悩を破す、 なんのゆゑぞまた奢摩他を修するやº と。
巻第三十一「師子吼菩薩品」第十一之五言、「師子吼言サク、世尊、如シ↢経ノ中ニ説ガ↡、若シ毘婆舎那能ク破ス↢煩悩ヲ↡、何ノ故ゾ復修スル↢奢摩他ヲ↡邪。
仏ののたまはく、 ª善男子、 なんぢ毘婆舎那煩悩を破すと言はば、 この義しからず。 なにをもつてのゆゑに。 智慧ある時はすなはち煩悩なし、 煩悩ある時はすなはち智慧なし、 いかんして毘婆舎那よく煩悩を破すと言はんや。
仏ノ言ハク、善男0931子、汝言ハ↣毘婆舎那破スト↢煩悩ヲ↡者、是ノ義不↠然ラ。何ヲ以ノ故ニ。有ル↢智慧↡時ハ則無シ↢煩悩↡、有ル↢煩悩↡時ハ則チ無シ↢智慧↡、云何而言ハムヤ↣毘婆舎那能ク破スト↢煩悩ヲ↡。
善男子、 たとへば明なる時は闇なし、 闇なる時は明なきがごとし。 もしあるが説きていはく、 明よく闇を破す、 この処あることなけん。
善男子、譬ヘバ如シ↢明ナル時ハ無シ↠闇、闇ナル時ハ無ガ↟明。若シ有ルガ説キテ言ハク、明能ク破ス↠闇ヲ、無ケム↠有コト↢是ノ処↡。
善男子、 たれか智慧ありたれか煩悩ありて智慧よく煩悩を破すと言ふ。 もしそれなくはすなはち破するところなけん。
善男子、誰カ有リ↢智慧↡誰カ有リ↢煩悩↡而言フ↣智慧能ク破スト↢煩悩ヲ↡。如其無ク者則無ケム↠所↠破スル。
善男子、 もし智慧よく煩悩を破すと言ふは到らんためのゆゑなり、 破到らざるゆゑに破す、 もし破するに到らざるは凡夫なり、 衆生すなはちよく破すべし、 もし到るがゆゑに破せば初の念に破すべし、 もし初の念に破せずは後にまた破せじ、 もし初に到らばすなはち破すべし、 これすなはち到らざらん、 いかんが説きて智慧よく破すと言ふや、 もし到と不到とよく破すと言はば、 この義しからず。 また次に毘婆舎那煩悩を破せば、 ひとりよく破すとせん、 ともにことさらに破すとやせんº と。 乃至
善男子、若シ言フハ↣智慧能ク破スト↢煩悩ヲ↡為ノ↠到ラム故ナリ、破不ル↠到ラ故ニ破ス、若シ不ル↠到ラ↠破スルニ者凡夫ナリ、衆生則応シ↢能ク破ス↡、若シ到ルガ故ニ破セ者初ノ念ニ応シ↠破ス、若シ初ノ念ニ不ハ↠破セ後ニ亦不↠破セ、若シ初ニ到ラバ便破スベシ、是則不ラム↠到ラ、云何ガ説テ言フヤ↢智慧能ク破スト↡、若シ言ハ↧到ト与↢不到↡而能ク破スト↥者、是ノ義不↠然ラ。復次ニ毘婆舎那破セ↢煩悩ヲ↡者、為ム↢独リ能ク破スト↡、為ムト↢伴ニ故ニ破ストヤ↡。乃至
ª善男子、 一切の諸法に二種の滅あり。 一には性滅、 二には畢竟滅なり。 もし性滅は、 いかんして智慧よく滅すとのたまふや。 もし智慧よく煩悩を滅すと言ふは火の物を焼くがごとし、 この義しからず。 なにをもつてのゆゑに。 物を焼くにすなはち遺燼あるがごとし。 智慧もししからば余燼のあるべし。 斧樹を破するがごとし、 破するところに智慧を見るべし。 もししからばなんぞ慧を見るべきことあらん。 もしよく煩悩離れしめば、 かくのごとき煩悩余処に現ずべし。 乃至
善男子、一切ノ諸法ニ有リ↢二種ノ滅↡。一ニハ性滅、二ニハ畢竟滅ナリ。若シ性滅者、云何而言フヤ↢智慧能ク滅スト↡。若シ言フハ↣智慧能ク滅スト↢煩悩ヲ↡如シ↢火ノ焼クガ↟物ヲ、是ノ義不↠然ラ。何ヲ以ノ故ニ。如シ↣焼クニ↠物ヲ則チ有ルガ↢遺燼↡。智慧若シ爾ラバ応シ↠有ル↢余燼ノ↡。如シ↢斧破スルガ↟樹ヲ、破スル処ニ可シ↠見ル↢智慧ヲ↡。若シ爾ラバ有ラム↢何ゾ可コト↟見ル↠慧ヲ。若シ能ク令メ↢煩悩離レ↡者、如キ↠是ノ煩悩応シ↢余処現ズ↡。乃至
善男子、 菩薩摩訶薩は二法を具足してよくおほきに利益す。 一には定、 二には智なり。 乃至 善男子、 菩薩摩訶薩この二法を修すればよくおほきに利益す。
善男子、菩薩摩訶薩ハ具↢足シテ二法ヲ↡能ク大ニ利益ス。一ニハ定、二ニハ智ナリ。乃至 善男子、菩薩摩訶薩修レバ↢是ノ二法ヲ↡能ク大ニ利益ス。
善男子、 菩薩摩訶薩この二法を修して五根を調摂し衆苦を堪忍す。 乃至
善男子、菩薩摩訶薩修シテ↢是ノ二法ヲ↡調↢トヽノエ摂シ五根ヲ↡堪↢忍タエシノブス衆苦0932ヲ↡。乃至
つねにその心を摂して放逸せしめず、 利養のために非法を行ぜしめず。 客塵煩悩汚すことあたはざるところなり、 諸邪異見惑すところたらず、 つねによくもろもろの悪覚観を遠離す、 久しからずして阿耨多羅三藐三菩提を成就せん、 衆生を成就し利益せんと欲ふがゆゑなり。
常ニ摂シテ↢其ノ心ヲ↡不↠令メ↢放逸セ↡、不↧為ニ↢利養ノ↡行ゼ↞於↢非法↡。客塵煩悩所ナリ↠不ル↠能ハ↠汚コト、不↠為ラ↢諸邪異見ノ所↟惑ス、常ニ能ク遠↢離ス諸ノ悪覚観ヲ↡、不シテ↠久ラ成↢就セム阿耨多羅三藐三菩提ヲ↡、為ノ↠欲フガ↤成↢就シ利↣益セムト衆生ヲ↡故ナリ。
善男子、 菩薩摩訶薩この二法を修するに、 四倒の暴風吹動することあたはざること須弥山のごとし、 四風の吹鼓するところたりといへども動ぜしむることあたはず。 乃至
善男子、菩薩摩訶薩修スルニ↢是ノ二法ヲ↡、四倒ノ暴風不ルコト↠能ハ↢吹フク動スルコト↡如シ↢須弥山ノ↡、雖モ↠為リト↣四風之所↢吹鼓ツヾミスル↡不↠能↠令コト↠動ゼ。乃至
善男子、 もし菩薩摩訶薩ありてよく定時・慧時を知る、 これを菩薩摩訶薩菩提道を行ずと名づくº と。 師子吼まうさく、 ª世尊、 いかんが菩薩時・非時を知るº と。
善男子、若シ有テ↢菩薩摩訶薩↡善ク知リ↢定時・慧時ヲ↡、是ヲ名ク↣菩薩摩訶薩行ズト↢菩提道ヲ↡。師子吼言サク、世尊、云何菩薩知ルト↢時・非時ヲ↡。
ª善男子、 菩薩摩訶薩楽を受くるによりて大憍慢を生ず、 あるいは説法によりて憍慢を生ず、 あるいは精進によりて憍慢を生ず、 あるいは義を解りよく問答する時によりて憍慢を生ず、 あるいは悪知識に親近するによるがゆゑに憍慢を生ず、 あるいは布施所重の物によりて憍慢を生ず、 あるいは世間の善法と功徳とによりて憍慢を生ず、 あるいは世間の豪貴の人に恭敬せらるるによるがゆゑに憍慢を生ず。 まさに知すべし、 その時によろしく智を修せずしてよろしく定を修すべし、 これを菩薩の時・非時を知ると名づく。 もし菩薩勤修精進あれどもいまだ利益涅槃の楽を得ず、 得ざるをもつてのゆゑに悔心を生ず、 鈍根をもつてのゆゑに五情諸根諸垢煩悩の勢力盛なるを調伏することあたはざるがゆゑに、 みづから戒律を疑ひて羸損あるがゆゑに。 まさに知るべし、 その時によろしく定を修せずしてよろしく智を修すべし、 これを菩薩時・非時を知ると名づく。
善男子、菩薩摩訶薩因テ↠於↠受クル↠楽ヲ生ズ↢大憍慢ヲ↡、或因リ↢説法ニ↡而生ズ↢憍慢ヲ↡、或因リ↢精進ニ↡而生ズ↢憍慢ヲ↡、或因リ↢解リ↠義ヲ善ク問答スル時ニ↡而生ズ↢憍慢ヲ↡、或ハ因ガ↣親↢近スルニ悪知識ニ↡故ニ而生ズ↢憍慢ヲ↡、或ハ因リ↢布施所重之物ニ↡而生ズ↢憍慢ヲ↡、或ハ因リ↢世間ノ善法ト功徳トニ↡而生ズ↢憍慢ヲ↡、或ハ因ルガ↣世間ノ豪貴之人ニ所ルニ↢恭敬セ↡故ニ而生ズ↢憍慢ヲ↡。当ニ↠知ル、爾時ニ不シテ↢宜シク修セ↟智ヲ宜シク応シ↠修ス↠定ヲ、是ヲ名ク↣菩薩ノ知ルト↢時・非時ヲ↡。若シ有レドモ↢菩薩勤修精進↡未ダ↠得↢利益涅槃之楽ヲ↡、以ノ↠不↠得故ニ生ズ↠於↢悔心↡、以ノ↢鈍根↡故ニ不ルガ↠能ハ↣調↢伏スルコト五情諸根諸垢煩悩ノ勢力盛ナルヲ↡故ニ、自疑テ↢戒律ヲ↡有ルガ↢羸損↡故ニ。当ニシ↠知ル、爾時ニ不シテ↢宜シク修↟定ヲ宜シク応シ↠修ス↠智ヲ、是ヲ名ク↣菩薩知ルト↢時・非時ヲ↡。
善男子、 もし菩薩定慧の二法平等ならざることあらば、 まさに知るべし、 その時によろしく捨を修すべからず、 二法もし等しくはすなはちよろしくこれを修すべし、 これを菩薩時・非時を知ると名づく。
善男子、若シ有ラ↣菩薩定慧ノ二法不ルコト↢平等ナラ↡者、当ニシ↠知ル、爾時ニ不0933↠宜シクカラ↠修ス↠捨ヲ、二法若シ等シクハ則宜シクシ ↠修ス↠之ヲ、是ヲ名ク↣菩薩知ルト↢時・非時ヲ↡。
善男子、 もし菩薩ありて定慧を修習せんに、 煩悩を起さば、 まさに知るべし、 その時よろしく捨を修すべからず、 よろしく十二部経を読誦し書写し解説し念仏・念法・念僧・念戒・念天・念捨すべし、 これを捨を修すと名づ。 乃至
善男子、若シ有テ↢菩薩↡修↢習セムニ定慧ヲ↡、起サ↢煩悩ヲ↡者、当ニシ↠知ル、爾時不↠宜シクカラ↠修ス↠捨ヲ、宜シク応シ↯読↢誦シ書↣写シ解↤説ス十二部経・念仏・念法・念僧・念戒・念天・念捨ヲ↡、是ヲ名ク↠修スト↠捨ヲ。乃至
善男子、 仏十力の中に業力もつとも深し。 善男子、 もろもろの衆生ありて、 業縁の中において、 心軽くして信ぜざらん、 かれを度せんがためのゆゑにかくのごときの説を作すなり。
善男子、仏十力ノ中ニ業力最トモ深シ。善男子、有テ↢諸ノ衆生↡、於テ↢業縁ノ中ニ↡、心軽クシテ不ラム↠信ゼ、為ノ↠度セムガ↠彼ヲ故ニ作スナリ↢如ノ↠是ノ説ヲ↡。
善男子、 一切の作業に軽あり重あり。 軽重の二業、 またおのおの二あり。 一には決定、 二には不定なり。 善男子、 あるいは人ありていはく、 悪業は果なしと。 もし悪業さだめて果ありといはば、 いかんが気嘘旃陀羅天に生ずることを得ん、 鴦崛摩羅解脱の果を得。 この義をもつてのゆゑに、 まさに知るべし、 作業に定に果を得不定に果を得ることあり、 われかくのごときの邪見を除断せんがためのゆゑに経の中においてかくのごときの語を説けり、 一切の作業果を得ざることなしと。
善男子、一切ノ作業ニ有リ↠軽有リ↠重。軽重ノ二業、復各ノ有リ↠二。一ニ者決定、二ニ者不定ナリ。善男子、或ハ有テ↠人言ク、悪業ハ無シト↠果。若シ言ハ↢悪業定テ有ト↟果者、云何ガ気嘘旃陀羅而得ム↠生コトヲ↠天ニ、鴦崛摩羅得↢解脱ノ果ヲ↡。以ノ↢是ノ義ヲ↡故ニ、当ニ↠知ル、作業ニ有リ↢定ニ得↠果ヲ不定ニ得コト↟果ヲ、我為ノ↣除↢断セムガ如キノ↠是ノ邪見ヲ↡故ニ於ノ↢経ノ中ニ↡説ケリ↢如ノ↠是語ヲ↡、一切ノ作業無シ↠不ルコト↠得↠果ヲ。
善男子、 あるいは重業あり、 軽くなすことを得、 あるいは軽業あり、 重くなすことを得べし。 一切人ただ愚智あるに、 このゆゑにまさに知るべし、 一切業ことごとくさだめて果を得るにあらず、 さだめて得ずといへどもまた得ざるにあらず。
善男子、或ハ有リ↢重業↡、可シ↠得↠作コトヲ↠軽ク、或ハ有リ↢軽業↡、可シ↠得↠作コトヲ↠重ク。非ズ↣一切人唯有ニ↢愚智↡、是ノ故ニ当ニ↠知ル、非ズ↢一切業悉ク定テ得ルニ↟果ヲ、雖モ↠不ト↢定テ得亦非ズ↠不ルニ↠得。
善男子、 一切衆生におよそ二種あり。 一には智人、 二には愚痴なり。 有智の人は智慧の力をもつてよく地獄極重の業をして現世に軽く受けしむ、 愚痴の人は現世の軽業をして地獄にして重く受くº と。
善男子、一切衆生ニ凡ソ有リ↢二種↡。一ニ者智人、二ニ者愚痴ナリ。有智之人ハ以テ↢智慧ノ力ヲ↡能ク令ム↢地獄極重之業ヲシテ現世ニ軽ク受ケ↡、愚痴之人ハ現世ノ軽業ヲシテ地獄ニシテ重ク受ク。
師子吼まうさく、 ª世尊、 もしかくのごときならば、 すなはち清浄梵行および解脱の果を求むべからずº と。
師子吼言ク、世尊、若シ如キナラ↠是ノ者、則不ト↠応ラ↠求ム↢清浄梵行及解脱ノ果ヲ↡。
仏ののたまはく、 ª善男子、 もし一切の業さだめて果を得ば、 すなはち梵行解脱を求むべからず、 不定をもつてのゆゑにすなはち梵行および解脱の果を修せよ。
仏ノ言ハク、善男子、若シ一切ノ業定テ得↠果ヲ者、則不↠応ラ↠求ム↢梵行解0934脱ヲ↡、以ノ↢不定ヲ↡故ニ則チ修セヨ↢梵行及解脱ノ果ヲ↡。
善男子、 もしよく一切悪業を遠離せば、 すなはち善果を得ん、 もし善業を遠らば、 すなはち悪果を得ん。 もし一切の業さだめて果を得ば、 すなはち求めて聖道を修習すべからず、 もし道を修せず、 すなはち解脱なけん。 一切聖人道を修するゆゑは、 定業を壊して軽報を得んためのゆゑなり。 不定の業は果報なきがゆゑに、 もしいっさいの業さだめて果を得ば、 すなはち求めて聖道を修習すべからず、 もし人聖道を修習することを遠離して解脱を得ば、 この処あることなけん。 解脱を得涅槃を得ずは、 またこの処なけん。
善男子、若シ能ク遠↢離セバ一切悪業ヲ↡、則得ム↢善果ヲ↡、若シ遠ラバ↢善業ヲ↡、則チ得ム↢悪果ヲ↡。若シ一切ノ業定テ得↠果ヲ者、則不↠応カラ↣求テ修↢習ス聖道ヲ↡、若シ不ハ↠修セ↠道ヲ、則チ無ケム↢解脱↡。一切聖人所↢以ハ修スル↟道ヲ、為ノ↧壊シテ↢定業ヲ↡得ム↦軽報ヲ↥故ナリ。不定之業ハ無キガ↢果報↡故ニ、若シ一切ノ業定テ得↠果ヲ者、則チ不↠応ラ↣求テ修↢習ス聖道ヲ↡、若シ人遠↣離シテ修↢習スルコトヲ聖道ヲ↡得↢解脱ヲ↡者、無ケム↠有コト↢是ノ処↡。不↧得↢解脱ヲ↡得↦涅槃ヲ↥者、亦無ケム↢是ノ処↡。
善男子、 もし一切の業さだめて果を得ば、 一世の所作純善の業、 まさに永すでにつねに安楽を受くべし。 一世所作慇重の悪業、 また永くすでに大苦悩業果を受くべし。 もししからばすなはち道を修する解脱涅槃の人なけん。 乃至
善男子、若シ一切ノ業定テ得↠果ヲ者、一世ノ所作純善之業、応シ↣当ニ永ク已ニ常ニ受ク↢安楽ヲ↡。一世所作慇重ノ悪業、亦応シ↣永ク已ニ受ク↢大苦悩業果ヲ↡。若シ爾ラバ則無ケム↢修スル↠道ヲ解脱涅槃ノ人↡。乃至
善男子、 業に二種あり。 定ともつて不定となり。 定業に二あり。 一には報定、 二には時定なり。 あるいは報定ありて時は不定なり、 縁合すればすなはち受く。 あるいは二時に受く。 いはゆる現受・生受・後受なり。
善男子、業ニ有リ↢二種↡。定ト以テ不定トナリ。定業ニ有リ↠二。一ニ者報定、二ニ者時定ナリ。或ハ有リ↢報定↡而時ハ不定ナリ、縁合スレバ則受ク。或ハ二時ニ受ク。所ル↠謂ハ現受・生受・後受ナリ。
善男子、 もし定心に善悪等の業を作す、 作しおはりて深く信心歓喜を生ぜん。 もし誓願を発して三宝を供養す、 これを定業と名づく。
善男子、若シ定心ニ作ス↢善悪等ノ業ヲ↡、作シ已テ深ク生ゼム↢信心歓喜ヲ↡。若シ発シテ↢誓願ヲ↡供↢養ス三宝ヲ↡、是ヲ名ク↢定業ト↡。
善男子、 智者善根深く固くして動じがたし、 このゆゑによく重業をして軽にならしむ。 愚痴の人は不善深ク厚くして、 よく軽業をして重報になさしむ。 この義をもつてのゆゑに、 一切の諸業決定と名づけず。 菩薩摩訶薩は地獄の業なけれども、 衆生のためのゆゑに大誓願を発して地獄の中に生ず。
善男子、智者善根深ク固クシテ難シ↠動ジ、是ノ故ニ能ク令ム↢重業ヲシテ為ラ↟軽ニ。愚痴之人ハ不善深ク厚クシテ、能ク令ム↣軽業ヲ而作サ↢重報ニ↡。以ノ↢是ノ義ヲ↡故ニ、一切ノ諸業不↠名ケ↢決定ト↡。菩薩摩訶薩ハ無ケレドモ↢地獄ノ業↡、為ノ↢衆生ノ↡故ニ発シテ↢大誓願ヲ↡生ズ↢地獄ノ中ニ↡。
善男子、 往昔に衆生寿百年の時、 恒沙の衆生地獄の報を受く。 われこれを見おはりてすなはち大願を発して、 地獄の身を受く。 菩薩その時に、 実にこの業なけれども、 衆生のためのゆゑに地獄の果を受く。 われその時において、 地獄の中にありて無量歳を経て、 もろもろの罪人のために十二部経を広開し分別す。 諸人聞きおはりて悪果報を壊して地獄空しからしむ、 一闡提を除く、 これを菩薩摩訶薩現生にあらず後にこの悪業を受くと名づく。
善男子、往昔ニ衆生寿百年ノ時、恒沙ノ衆生受ク↢地獄ノ報0935ヲ↡。我見↠是ヲ已テ即発シテ↢大願ヲ↡、受ク↢地獄ノ身ヲ↡。菩薩爾ノ時ニ、実ニ無ケレドモ↢是ノ業↡、為ノ↢衆生ノ故ニ↡受ク↢地獄ノ果ヲ↡。我於テ↢爾ノ時ニ↡、在テ↢地獄ノ中ニ↡経テ↢無量歳ヲ↡、為ニ↢諸ノ罪人ノ↡広↢開シ分↣別ス十二部経ヲ↡。諸人聞キ已テ壊テ↢悪果報ヲ↡令ム↢地獄空シカラ↡、除ク↢一闡提ヲ↡、是ヲ名ク↧菩薩摩訶薩非ズ↢現生ニ↡後ニ受クト↦是ノ悪業ヲ↥。
また次に善男子、 この賢劫の中に無量の衆生畜生の中に堕して悪業果を受く。 われこれを見おはりてまた誓願を発して法を説き衆生を度せんと欲ふがためのゆゑなり、 あるいは麞・鹿・羆・鴿・獼猴・竜・金翅鳥・魚・鼈・兎・蛇・牛・馬の身となる。
復次ニ善男子、是ノ賢劫ノ中ニ無量ノ衆生堕シテ↢畜生ノ中ニ↡受ク↢悪業果ヲ↡。我見↠是ヲ已テ復発シテ↢誓願ヲ↡為ノ↠欲フガ↣説キ↠法ヲ度ムト↢衆生ヲ↡故ナリ、或ハ作ル↢麞カモシヽ・鹿カノシヽ・羆クマ・鴿ハト・獼猴・竜・金翅鳥・魚・鼈ウミノカメ・兎ウサギ・蛇・牛・馬之身ト↡。
善男子、 菩薩摩訶薩は実にかくのごときの畜生の悪業なけれども、 大願力をもつて衆生のためのゆゑに現にこの身を受けしむ、 これを菩薩摩訶薩現生にあらざれども後にこの悪業を受くと名づく。
善男子、菩薩摩訶薩ハ実ニ無ケレドモ↢如ノ↠是ノ畜生ノ悪業↡、以テ↢大願力ヲ↡為ノ↢衆生ノ↡故ニ現ニ受ケシム↢是ノ身ヲ↡、是ヲ名ク↧菩薩摩訶薩非ドモ↢現生ニ↡後ニ受クト↦是ノ悪業ヲ↥。
また次に善男子、 この賢劫の中に、 また無量無辺の衆生ありて餓鬼の中に生ず。 乃至 寿命無量百千万歳なり。 そのかみかつて漿水の名を聞かず、 いはんやまた眼に見て飲むことを得んや。 乃至 あるいはまた降雨身に至りて火となる、 これを悪業果報と名づく。
復次ニ善男子、是ノ賢劫ノ中ニ、復有リ↢無量無辺ノ衆生↡生ズ↢餓鬼ノ中ニ↡。乃至寿命無量百千万歳ナリ。初不↣曽聞カ↢漿水之名ヲ↡、況ヤ復眼ニ見而得ム↠飲コトヲ邪。乃至或ハ復降雨至テ↠身ニ成ル↠火ト、是ヲ名ク↢悪業果報ト↡。
善男子、 菩薩摩訶薩は実にかくのごときのもろもろの悪業果なけれども、 衆生を化して解脱を得しめんがためのゆゑに、 誓願を発してかくのごときの身を受く、 これを菩薩摩訶薩現生にあらざれども後にこの悪業を受くと名づく。 乃至 われ賢劫の生において、 乃至 賊劫盗となる。 菩薩実にかくのごときの悪業なけれども、 衆生を度して解脱を得しめんがためのゆゑに、 大願力をもつてかくのごときの身を受く、 これを菩薩摩訶薩現生にあらざれども後にこの悪業を受くと名づく。
善男子、菩薩摩訶薩ハ実ニ無ケレドモ↢如ノ↠是諸ノ悪業果↡、為ノ↠化シテ↢衆生ヲ↡令メムガ↧得↢解脱ヲ↥故ニ、発シテ↢誓願ヲ↡受ク↢如ノ↠是ノ身ヲ↡、是ヲ名ク↧菩薩摩訶薩非↢現生ニ↡後ニ受クト↦是ノ悪業ヲ↥。乃至 我於テ↢賢劫ノ生↡、乃至 作ル↢賊劫盗ト↡。菩薩実ニ無レドモ↢如ノ↠是ノ悪業↡、為ニ↧度シテ↢衆生ヲ↡令メムガ↞得↢解脱ヲ↡、以テ↢大願力ヲ↡受ク↢如ノ↠是ノ身ヲ↡、是ヲ名ク↧菩薩摩訶薩非レドモ↢現生ニ↡後ニ受クト↦是ノ悪業ヲ↥。
善男子、 この賢劫の中にまた辺地に生じて多く貪欲・瞋恚・愚痴をなす、 非法を習行して三宝と後世の果報を信ぜず、 父母・親老・耆旧・長宿を恭敬することあたはず。 善男子、 菩薩その時に実にこの業なけれども、 衆生をして解脱を得しめんがためのゆゑに、 大願力をもつてしてその中に生ず、 これを菩薩摩訶薩現生にあらざれども後にこの悪業を受くと名づく。
善男子、是ノ賢劫ノ中ニ復0936生テ↢辺地ニ↡多ク作ス↢貪欲・瞋恚・愚痴ヲ↡、習↢行シテ非法ヲ↡不↠信ゼ↢三宝ト後世ノ果報ヲ↡、不↠能ハ↣恭↢敬スルコト父母・親老・耆旧フルシフルシ・長宿ヲ↡。善男子、菩薩爾ノ時ニ実ニ無レドモ↢是ノ業↡、為ノ↠令メムガ↣衆生ヲシテ得↢解脱ヲ↡故ニ、以テ↢大願力ヲ↡而生ズ↢其ノ中ニ↡、是ヲ名ク↧菩薩摩訶薩非レドモ↢現生ニ↡後ニ受クト↦是ノ悪業ヲ↥。
善男子、 この賢劫の中にまた女身・悪身・貪身・瞋身・痴身・妬身・慳身・幻身・誑身・纏蓋の身を受く。 善男子、 菩薩その時にまたこの業なけれども、 ただ衆生をして解脱を得しめんがためのゆゑに、 大願力をもつてその中に願生す、 これを菩薩摩訶薩現生にあらざれども後にこの悪業を受くと名づく。
善男子、是ノ賢劫ノ中ニ復受ク↢女身・悪身・貪ムサボリ身・瞋イカル身・痴オロカ身・妬ネタミ身・慳ヲシム身・幻マボロシ身・誑クルウ身・纏シバリ蓋オホフ マトフ之身ヲ↡。善男子、菩薩爾ノ時ニ亦無レドモ↢是ノ業↡、但為ノ↣衆生得シメムガ↢解脱ヲ↡故ニ、以テ↢大願力ヲ↡願↢生ス其ノ中ニ↡、是ヲ名ク↧菩薩摩訶薩非レドモ↢現生ニ↡後ニ受クト↦是ノ悪業ヲ↥。
善男子、 われ賢劫において黄門の身、 無根・二根および不定根を受く。 善男子、 菩薩摩訶薩は実にかくのごときのもろもろの悪身の業なけれども、 衆生をして解脱を得しめんがためのゆゑに、 大願力をもつてその中に願生す、 これを菩薩摩訶薩現生にあらざれども後にこの悪業を受くと名づく。
善男子、我於テ↢賢劫ニ↡受ク↢黄門ノ身、無根・二根及ビ不定根ヲ↡。善男子、菩薩摩訶薩ハ実ニ無レドモ↢如キノ↠是ノ諸悪身業↡、為ノ↠令ムガ↣衆生ヲシテ得↢解脱ヲ↡故ニ、以テ↢大願力ヲ↡願↢生ス其ノ中ニ↡、是ヲ名ク↧菩薩摩訶薩非↢現生↡後ニ受クト↦是ノ悪業ヲ↥。
善男子、 われ賢劫において、 また外道尼乾子の法を習ひ、 その法の無施無祠を信受すれば、 無施祠の報なり、 善悪の業なければ、 無善悪業の報なり。 現在世および未来世なけれども、 無此無彼、 聖人あることなく変化の身なし、 道涅槃なけん。 善男子、 菩薩実にかくのごときの悪業なけれども、 ただ衆生をして解脱を得しめんがために、 大願力をもつてこの邪法を受く、 これを菩薩摩訶薩現生にあらざれども後にこの悪業を受くと名づく。
善男子、我於テ↢賢劫ニ↡、復習ヒ↢外道尼乾子ノ法ヲ↡、信↢受スレバ其法ノ無施無祠ヲ↡、無施祠ノ報ナリ、無ケレバ↢善悪ノ業↡、無善悪業ノ報ナリ。無レドモ↢現在世及未来世↡、無此無彼、無ク↠有コト↢聖人↡無シ↢変化ノ身↡、無ケム↢道涅槃↡。善男子、菩薩実ニ無ケレドモ↢如ノ↠是ノ悪業↡、但為ニ↢衆生ヲシテ令メムガ↟得↢解脱↡、以テ↢大願力ヲ↡受ク↢是ノ邪法ヲ↡、是ヲ名ク↧菩薩摩訶薩非レドモ↢現生ニ↡後ニ受ト↦是悪業ヲ↥。
善男子、 われ念ふに往昔に提婆達多とともに商主たり。 おのおのみづから五百の商人ありて、 利益のためのゆゑに大海の中に至りて珍宝を採取しき、 悪の業縁のゆゑに路にして暴風の船舫を吹破せしに遇へりき、 伴党死尽しき。 その時にわれ提婆達多と不殺の果報、 長寿の縁のゆゑに、 風のために吹かれてともに陸地に至る。 時に提婆達多宝貨を貪惜して大憂苦を生じて、 声を発して啼哭す。 われ時に語りて提婆達多に言はく «すべからく啼哭すべからず» と。 提婆達多すなはちわれに語りて言はまく、 «あきらかに聴きあきらかに聴きたまへ»º」 と。
善男子、我念フニ往昔ニ与↢提婆達多↡倶ニ為リテ↢商主↡。各各自有リテ↢五百ノ商人↡、為ノ↢利益ノ↡故ニ至テ↢大海0937ノ中ニ↡採↢サグリ取トルシキ珍宝ヲ↡、悪ノ業縁ノ故ニ路ニシテ遇ヘリキ↣暴風ノ吹↢破セシニ船舫ヲ↡、伴党死尽シキ。爾時ニ我与↢提婆達多↡不殺ノ果報、長寿ノ縁ノ故ニ、為ニ↠ノ風所テ↠吹カ倶ニ至ル↢陸地ニ↡。時ニ提婆達多貪↢惜オシムシテ宝貨ヲ↡生ジテ↢大憂苦ヲ↡、発シテ↠声ヲ啼サケビ哭ナクス。我時ニ語リテ言ク↢提婆達多ニ↡不↠須クラ↢啼哭ス↡。提婆達多即語リテ↠我ニ言マク、諦ニ聴キ諦ニ聴キタマヘト。」
・師子吼品4
三十三巻 (北本巻三二師子吼品) にのたまはく、 「善男子、 大涅槃経またかくのごとし、 不可思議なり。 善男子、 たとへば大海のごとし、 八の不可思議あり。 なんらか八とする。 一にはようよう深し、 二には深くして底を得がたし、 三には同一醎味なり、 四には潮過限せず、 五には種々の宝蔵あり、 六には大身の衆、 中に生在して居住す、 七には死屍を宿さず、 八には一切の万流・大雨これに投るに不増不減なり。
三十三巻言、「善男子、大涅槃経亦復如シ↠是、不可思議ナリ。善男子、譬ヘバ如シ↢大海ノ↡、有リ↢八不可思議↡。何等為ル↠八ト。一ニ者漸漸深シ、二ニ者深クシテ難シ↠得↠底ヲ、三ニ者同一醎味ナリ、四ニ者潮不↢過限セ↡、五ニ者有リ↢種種ノ宝蔵↡、六ニ者大身ノ衆生在テ↠中ニ居住ス、七ニ者不↠宿サ↢死屍ヲ↡、八ニ者一切ノ万流・大雨投ルニ↠之ニ不増不減ナリ。
善男子、 やうやうに深きに三事あり。 なんらか三とする。 一には衆生の福力なり、 二には風に順ふて行く、 三には河水入るがゆゑに、 乃至不増不減なり。 またおのおの三あり。 この大涅槃微妙経典もまたかくのごとき八不思議まします。
善男子、漸漸ニ深キニ有リ↢三事↡。何等カ為ル↠三ト。一者衆生ノ福力ナリ、二者順フ↠風ニ而行ク、三ニ者河水入ルガ故ニ、乃至不増不減ナリ。亦各有リ↠三。是ノ大涅槃微妙経典モ亦復如キ↠是ノ有ス↢八不思議↡。
一にはやうやく深しといふは、 いはゆる優婆塞戒・沙弥戒・比丘戒・菩薩戒・須陀洹果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果・辟支仏果・菩薩果・阿耨多羅三藐三菩提果なり。 この涅槃経にかくのごとき等の法を説きたまへり、 これをやうやく深しと名づく、 このゆゑにこの経を漸漸深と名づく。
一ニ者漸ク深シトイフハ、所↠謂優婆塞戒・沙弥戒・比丘戒・菩薩戒・須陀洹果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果・辟支仏果・菩薩果・阿耨多羅三藐三菩提果。是ノ涅槃経ニ説キタマヘリ↢如キ↠是等ノ法ヲ↡、是ヲ名ク↢漸ク深シト↡、是ノ故ニ此ノ経ヲ名ク↢漸漸深ト↡。
二には深くして底を得がたしといふは、 如来世尊は不生不滅にましますとなり。 乃至 仏性ありといへども決定を説かず、 このゆゑに深と名づく。
二ニ者深シテ難シトイフハ↠得↠底ヲ、如来世尊ハ不生不滅ニマシマストナリ。乃至 雖モ↠有ト↢仏性0938↡不↠説カ↢決定ヲ↡、是ノ故ニ名ク↠深ト。
三には一味といふは、 一切衆生同じく仏性あり、 みな同じく一乗なり、 同じく一解脱なり、 一因一果なり、 同一甘露なり、 一切まさに常楽我浄を得べし、 これを一味と名づく。
三ニ者一味トイフハ、一切衆生同ジク有リ↢仏性↡、皆同ジク一乗ナリ、同ジク一解脱ナリ、一因一果ナリ、同一甘露ナリ、一切当ニシ↠得↢常楽我浄ヲ↡、是ヲ名ク↢一味ト↡。
四には潮不過限といふは、 かくのごとき経の中に、 もろもろの比丘を制して八不浄物を受畜することを得しめず。 乃至 むしろ身命を失するともつひにこれを犯せず、 これを潮不過限と名づく。
四ニ者潮ウシホ不過限トイフハ、如キ↠是ノ経ノ中ニ、制シテ↢諸ノ比丘ヲ↡不↠得シメ↣受↢畜スルコトヲ八不浄物ヲ↡。乃至 寧ロ失トモ↢身命ヲ↡終ニ不↠犯セ↠之ヲ、是ヲ名ク↢潮不過限ト↡。
五には種々の宝蔵ありといふは、 この経すなはちこれ無量の宝蔵なり。 乃至 無量の三昧なり、 無量の智慧なり、 これを宝蔵と名づく。
五ニ者有トイフハ↢種種ノ宝蔵↡、是ノ経即チ是無量ノ宝蔵ナリ。乃至 無量ノ三昧ナリ、無量ノ智慧ナリ、是ヲ名ク↢宝蔵ト↡。
六には大身の衆生の所居住処といふは、 大身の衆生といふは、 いはく仏・菩薩なり。 大智慧なるがゆゑに大衆生と名づく。 大身のゆゑに、 大心のゆゑに、 大荘厳のゆゑに、 大調伏のゆゑに、 大方便のゆゑに、 大説法のゆゑに、 大勢力のゆゑに、 大徒衆のゆゑに、 大神通のゆゑに、 大慈悲のゆゑに、 常にして変ぜざるがゆゑに、 一切衆生無罣礙のゆゑに、 一切もろもろの衆生を容受するがゆゑに、 これを大身の衆生の所居の処と名づく。
六ニ者大身ノ衆生ノ所居住処トイフハ、大身ノ衆生トイフ者、謂ク仏・菩薩ナリ。大智慧ナルガ故ニ名ク↢大衆生ト↡。大身ノ故ニ、大心ノ故ニ、大荘厳ノ故ニ、大調伏ノ故ニ、大方便ノ故ニ、大説法ノ故ニ、大勢力ノ故ニ、大徒衆故ニ、大神通ノ故ニ、大慈悲故ニ、常ニシテ不ルガ↠変ゼ故ニ、一切衆生无罣ノ故ニ、容↢受スルガ一切諸ノ衆生ヲ↡故ニ、是ヲ名ク↢大身ノ衆生ノ所居之処ト↡。
七には不宿死屍といふは、 死屍は、 いはく一闡提、 犯四重禁、 五無間罪、 誹謗方等、 非法に説法すると、 法として非法を説く、 八種の不浄の物を受畜する、 仏物・僧物意に随ふて用るなり、 あるいは比丘・比丘尼の所にして非法の事をなす、 これを死屍と名づく。 この涅槃経はかくのごとき等を離る、 このゆゑに名づけて不宿死屍とす。
七ニ者不宿死屍トイフハ、死屍者、謂ク一闡提、犯四重禁、五无間罪、誹謗方等、非法ニ説法スルト、法トシテ説ク↢非法ヲ↡、受↢畜スル八種ノ不浄之物ヲ↡、仏物・僧物随フ↠意ニ而用ルナリ、或ハ於テ↢比丘・比丘尼ノ所ニ↡作ス↢非法ノ事ヲ↡、是ヲ名ク↢死屍ト↡。是ノ涅槃経ハ離ル↢如キ↠是ノ等ヲ↡、是ノ故ニ名テ為↢不宿死屍ト↡。
八には不増不減といふは、 無辺際なるがゆゑに、 始終なきゆゑに、 非色のゆゑに、 非作のゆゑに、 常住のゆゑに、 不生滅のゆゑに、 一切衆生ことごとく平等なるがゆゑに、 一切仏性同一性なるがゆゑに、 これを無増減と名づく。
八ニ者不増不減トイフハ、無辺際ナルガ故ニ、无キ↢始終↡故ニ、非色ノ故ニ、非作ノ故ニ、常住ノ故ニ、不生滅ノ故ニ、一切衆生悉ク平等ナルガ故ニ、一切仏性同一性ナルガ故ニ、是ヲ名ク↢无増減ト↡。
このゆゑにこの経にもかの大海のごとく八不思議ましますなり。 乃至
是ノ故ニ此経ニモ如ク↢彼ノ大海ノ↡有スナリ↢八不思0939議↡。乃至
もろもろの衆生のために大苦を受く。 このゆゑに勝なし量あることなし。 如来衆のために苦行を修して、 六度を成就し具足し満ずるなり。 心邪風に処するに傾動せず。 このゆゑによく世に勝れたる大士なり。 衆生常に安楽を得んと欲ふて、 安楽の因を修することを知らず。 如来よく教へて修習せしめたまふこと、 なほ慈父の一子を愛するがごとし。 仏衆生の煩悩の患を見そなはすに、 心苦したまふこと母の病子を念ふがごとし」 と。 略抄
為ニ↢諸ノ衆生ノ↡受ク↢大苦ヲ↡ 是ノ故ニ無シ↠勝無シ↠有コト↠量
如来為ニ↠衆ノ修シテ↢苦行ヲ↡ 成↢就シ具↣足シ満ズルナリ↤六度ヲ↡
心処スルニ↢邪風ニ↡不↢傾カタブキ 動セオゴカス↡ 是ノ故ニ能ク勝レタル↠世ニ大士ナリ
衆生常ニ欲フ↠得⊂⊃↢安楽ヲ↡ 而不↠知ラ↠修スルコト↢安楽ノ因ヲ↡
如来能ク教ヘテ令メタマフコト↢修習セ↡ 猶如シ↣慈父ノ愛スルガ↢一子ヲ↡
仏見スニ↢衆生ノ煩悩ノ患ヲ↡ 心苦シタマフコト如シ↣母ノ念フガ↢病子ヲ↡」 略抄
1・迦葉品1
三十四巻 (北本巻三三迦葉品) にのたまはく、 「▲迦葉菩薩仏にまうしてまうさく、 ª世尊、 如来は知諸根力を具足したまへり、 さだめて善星まさに善根を断ずべしと知ろしめさん、 何の因縁をもつてその出家を聴したまふº と。
三十四巻言、「迦葉菩薩白シテ↠仏ニ言サク、世尊、如来ハ具↢足シタマヘリ知諸根力ヲ↡、定メテ知サム↢善星当ニシト↟断ズ↢善根ヲ↡、以テ↢何ノ因縁ヲ↡聴シタマフ↢其ノ出家ヲ↡。
◆仏ののたまはく、 ª善男子、 われ往昔の初において出家の時、 わが弟難陀と弟阿難・調婆達多・子羅睺羅に従ふ。 かくのごときらの輩、 みなことごとくわれに随ひて家を出で道を修しき。 われもし善星の出家を聴さずは、 その人次にまさに王位を紹ぐことを得べし、 その力自在にしてまさに仏法を壊すべし、 この因縁をもつてわれすなはちその出家修道を聴す。
仏ノ言ハク、善男子、我於テ↢往昔ノ初ニ↡出家ノ時、吾ガ弟難陀ト従フ↢弟阿難・調婆達多・子羅睺羅ニ↡。如キ↠是等ノ輩、皆悉ク随テ↠我ニ出デ↠家ヲ修シキ↠道ヲ。我若シ不ハ↠聴サ↢善星ノ出家ヲ↡、其ノ人次ニ当ニシ↠得↠紹グコトヲ↢王位ヲ↡、其ノ力自在ニシテ当ニシ↠壊ス↢仏法ヲ↡、以テ↢是ノ因縁ヲ↡我便聴ス↢其出家修道ヲ↡。
◆善男子、 善星比丘もし家を出でずはまた善根を断ぜん、 無量世においてすべて利益なけん。 いま出家してすでに善根を断ずといへども、 よく戒を受持して、 耆旧・長宿・有徳の人を供養し恭敬せん、 初禅乃至四禅を修習せん、 これを善因と名づく。 かくのごときの善因よく善法を生ぜん、 善法すでに生ぜばよく道を修習せん、 すでに道を修習せばまさに阿耨多羅三藐三菩提を得、 このゆゑにわれ善星が出家を聴せり。
善男子、善星比丘若シ不ハ↠出デ↠家ヲ亦断ゼム↢善根ヲ↡、於テ↢無量世↡都テ無ケム↢利益↡。今出家シテ已ニ雖モ↠断ズト↢善根ヲ↡、能ク受↢持シテ戒ヲ↡、供↢養シ恭↣敬セム耆旧・長宿・有徳之人ヲ↡、修↢習セム初禅乃至四禅ヲ↡、是ヲ名ク↢善0940因。如ノ↠是ノ善因能ク生ゼム↢善法ヲ↡、善法既ニ生ゼバ能ク修↢習セム道ヲ↡、既ニ修↢習セバ道ヲ↡当ニシ↠得↢阿耨多羅三藐三菩提ヲ↡、是ノ故ニ我聴セリ↢善星ガ出家ヲ↡。
◆善男子、 もしわれ善星比丘が出家を聴さずは、 戒を受けてすなはちわれを称して如来十力を具足すとすることを得ざらまし。 乃至 善男子、 如来はよく衆生のかくのごとき上中下根を知ろしめす、 このゆゑに仏具知根力と称せしめたてまつるº と。
善男子、若シ我不ハ↠聴サ↢善星比丘ガ出家ヲ↡、受テ↠戒ヲ則チ不ラマシ↠得↤称シテ↠我ヲ為ルコトヲ↣如来具↢足スト十力ヲ↡。乃至 善男子、如来ハ善ク知ス↢衆生如キ↠是上中下根ヲ↡、是ノ故ニ称セシメタテマツル↢仏具知根力ト↡。
◆迦葉菩薩仏にまうしてまうさく、 ª世尊、 如来はこの知根力を具足したまへり、 このゆゑによく一切衆生、 上中下根、 利鈍の差別、 人に随ひ意に随ひ時に随ふと知ろしめすがゆゑに如来知諸根力と名づけたてまつるº」 と。 乃至略抄
迦葉菩薩白シテ↠仏ニ言サク、世尊、如来ハ具↢足シタマヘリ是ノ知根力ヲ↡、是ノ故ニ能ク知スガ↢一切衆生、上中下根、利鈍ノ差別、随ヒ↠人ニ随ヒ↠意ニ随フト↟時ニ故ニ名ケタテマツルト↢如来知諸根力ト↡。」乃至略抄
・迦葉品2
三十七巻 (北本巻三七迦葉品) にのたまはく、 「もし無明漏を説く、 これを無始無終と名づく。 無明より陰入界等を生ず。 乃至 まづ経の中にこの説をなしてのたまはく、 ªわれ心に従ふて 心によりて身を運ぶ、 ゆゑに身心と名づく。 身、 梵天の辺に至るº と。乃至
三十七巻言、「若シ説ク↢无明漏ヲ↡、是ヲ名ク↢无始无終ト↡。従リ↢无明↡生ズ↢陰入界等ヲ↡。乃至 先於↢経ノ中↡作シテ↢是説ヲ↡言ハク、我従フテ↠心ニ 因テ↠心運ブ↠身ヲ、故ニ名ク↢身心ト↡。 身至ル↢梵天ノ辺ニ↡。 乃至
▼迦葉菩薩仏にまうしてまうさく、 ª世尊、 一切衆生はみな煩悩よりして果報を得。 煩悩といふはいはゆる悪なり。 悪より煩悩は生ずるところなり、 煩悩をまた名づけて悪とす。 かくのごとき煩悩にすなはち二種あり。 一には因、 二には果なり。 因悪なるがゆゑに果悪なり、 果悪なるがゆゑに子も悪なり。 乃至 なほ毒樹のごとし、 その子毒なるがゆゑに果もまたこれ毒なり。 因また衆生なれば果また衆生なり、 因また煩悩なれば果また煩悩なり。 乃至
迦葉菩薩白シテ↠仏ニ言サク、世尊、一切衆生ハ皆従リ↢煩悩↡而得↢果報ヲ↡。言フ↢煩悩ト↡者所ル↠謂ハ悪也。従リ↠悪煩悩ハ所ナリ↠生ズル、煩悩ヲ亦名テ為↠悪ト。如キ↠是ノ煩悩ニ則有リ↢二種↡。一ニハ因、二ニハ果ナリ。因悪ナルガ故ニ果悪ナリ、果悪ナルガ故ニ子モ悪ナリ。乃至 猶如シ↢毒樹ノ↡、其ノ子毒ナルガ故ニ果モ亦是毒ナリ。因亦衆生ナレバ果亦衆生ナリ、因亦煩悩ナレバ果亦煩悩ナリ。乃至
かくのごときの業はさだめて受報の処あり、 十悪の法のごときはさだめて地獄・餓鬼・畜生にあり、 十善の業はさだめて人・天にあり、 十不善法に上中下あり、 上の因縁のゆゑに地獄の身を受く、 中の因縁のゆゑに畜身を受く、 下の因縁のゆゑに餓鬼の身を受くるなり。 人業は十善にまた四種あり。 一には下、 二には中、 三には上、 四には上上なり。 下の因縁のゆゑに欝単越に生ず、 中の因縁のゆゑに弗婆提に生ず、 上の因縁のゆゑに瞿陀尼に生ず、 上上の因縁のゆゑに閻浮提に生ずº」 と。 略抄
如ノ↠是ノ業者有↢定受報ノ処↡、如キハ↢十悪ノ法ノ↡定テ在リ↢地獄・餓鬼・畜生ニ↡、十善之業ハ定テ在リ↢人・天ニ↡、十不善法ニ有リ↢上中下↡、上ノ因縁ノ故ニ受ク↢地獄ノ身ヲ↡、中ノ因0941縁ノ故ニ受ク↢畜身ヲ↡、下ノ因縁ノ故ニ受ルナリ↢餓鬼ノ身ヲ↡。人業ハ十善ニ復有リ↢四種↡。一ニ者下、二ニ者中、三ニ者上、四ニ者上上ナリ。下ノ因縁ノ故ニ生ズ↢欝単越ニ↡、中ノ因縁ノ故ニ生ズ↢弗婆提ニ↡、上ノ因縁ノ故ニ生ズ↢瞿陀尼ニ↡、上上ノ因縁ノ故ニ生ズト↢閻浮提ニ↡。」略抄
・迦葉品3
三十八巻にのたまはく、 「迦葉菩薩品」 (北本巻三八迦葉品) にのたまはく、 「ª善男子、 善欲はすなはちこれ初発道心乃至阿耨多羅三藐三菩提の根本なり。 われ欲を説きて根本とすと。 善男子、 世間に一切苦悩を説くに愛を根本とす、 一切の疾病に宿食を本とす、 一切の断事は闘諍を本とす、 一切の悪事は虚妄を本とするがごとしº と。
三十八巻言、「迦葉菩薩品ニ」 (北本巻三八迦葉品) 言ハク、「善男子、善欲ハ即チ是初発道心乃至阿耨多羅三藐三菩提之根本也。我説テ↠欲ヲ為ト↢根本ト↡。善男子、如シ↧世間ニ説ニ↢一切苦悩ヲ↡愛ヲ為↢根本ト↡、一切ノ疾病ニ宿食ヲ為↠本ト、一切ノ断事ハ闘諍ヲ為↠本ト、一切ノ悪事ハ虚妄ヲ為ルガ↥本ト。
迦葉菩薩仏にまうしてまうさく、 ª世尊、 如来まづこの経の中において一切善法を説きたまふに不放逸を本としたまへり、 いまいまし欲を説きたまふ、 この義いかんぞº と。
迦葉菩薩白シテ↠仏ニ言ク、世尊、如来先於テ↢此ノ経ノ中ニ↡説キタマフニ↢一切善法ヲ↡不放逸ヲ為タマヘリ↠本ト、今乃シ説キタマフ↠欲ヲ、是ノ義云何ゾト。
仏ののたまはく、 ª善男子、 もし生因を言ふに善欲これなり、 もし了因を言ふに不放逸これなり、 世間に一切の果を説くがごときは、 子をその因とす、 あるいはまたあるが説かく、 子を生因とし了因とするなり、 この義またしかなりº」 と。 乃至
仏ノ言ハク、善男子、若シ言フニ↢生因ヲ↡善欲是也、若シ言フニ↢了因ヲ↡不放逸是ナリ、如キ↣世間ニ説クガ↢一切ノ果ヲ↡者、子ヲ為↢其ノ因ト↡、或ハ復有ルガ説カク、子ヲ為↢生因ト↡為ルナリ↢了因ト↡、是ノ義亦爾ナリト。乃至
ª久しく世間において解脱を得たり。 楽んで生死に処することは慈悲のゆゑなり。 天身および人身を現ずと。 慈悲随逐すること犢子のごとし。 如来はすなはちこれ衆生の母なり。 慈心はすなはちこれ小犢子なり。 みづから衆苦を受くること衆生を念ずればなり。 悲愍し念ずる時心悔ひず。 衆生のために地獄に処すといへども、 苦想および悔心を生ぜず。 一切衆生の異の苦を受くるはことごとくこれ如来一人の苦なり。 乃至 如来の慈はこれ大法聚なり。 この慈はまたよく衆生を度したまふ。 すなはちこれ無上の真解脱なり。 解脱はすなはちこれ大涅槃なりº」 と。 已上抄出
久シク於テ↢世間↡得タリ↢解脱ヲ↡ 楽ムデ処スルコトハ↢生死ニ↡慈悲ノ故ナリ
雖モ↠現ズト↢天身及人身ヲ↡ 慈悲随逐スルコト如シ↢犢子ノ↡
如来ハ即チ是衆生ノ母ナリ 慈心ハ即チ是小犢子ナリ
自ラ受クルコト↢衆苦ヲ↡念ズレバナリ↢衆生ヲ↡ 悲愍シ念ズル時心不↠悔ヒ
0942雖モ↧為ニ↢衆生ノ↡処スト↦地獄ニ↥ 不↠生ゼ↢苦想及悔心ヲ↡
一切衆生ノ受クルハ↢異ノ苦ヲ↡ 悉ク是如来一人ノ苦ナリ 乃至
如来ノ慈ハ是大法聚ナリ 是ノ慈ハ亦能ク度シタマフ↢衆生ヲ↡
即是無上ノ真解脱ナリ 解脱ハ即是大涅槃ナリト」已上抄出
業報差別経
¬業報差別経¼ にのたまはく、
¬業報差別経¼言、
「また十業あり、 よく衆生をして多病の報を得しむ。 なんらか十とする。 乃至 十には宿食の因縁いまだ消せずしてまたさらに噉ずる、 この十業をもつて多病の報を得と。 乃至
「復有リ↢十業↡、能ク令ム↣衆生ヲシテ得↢多病ノ報ヲ↡。何等カ為ル↠十ト。乃至 十ニ者宿食ノ因縁未ズ ダ↠消セ而復更ニ噉ズル、以テ↢是ノ十業ヲ↡得ト↢多病ノ報ヲ↡。乃至
また十業あり、 よく衆生をして地獄の報を得しむ。 乃至 十には他人の恩報を知らざる、 この十業をもつて地獄の報を得しむ。 乃至
復有リ↢十業↡、能ク令ム↣衆生ヲシテ得↢地獄ノ報ヲ↡。乃至 十ニ者不ル↠知ラ↢他人ノ恩報ヲ↡、以テ↢是ノ十業ヲ↡得シム↢地獄ノ報ヲ↡。乃至
また十業あり、 よく衆生をして畜生の報を得しむ。 乃至 十には邪淫の事を行ずる。 乃至
復有リ↢十業↡、能ク令ム↣衆生ヲシテ得↢畜生ノ報ヲ↡。乃至 十ニ者行ズル↠於↢邪淫之事↡。乃至
また十業あり、 よく衆生をして餓鬼の報を得しむ。 乃至 四には貪の多き、 五には悪貪、 六には嫉妬、 七には邪見、 八には慳吝して資生に愛著してすなはち命終する。 乃至
復有リ↢十業↡、能ク令ム↣衆生ヲシテ得↢餓鬼ノ報ヲ↡。乃至 四ニ者多キ↠貪ノ、五ニ者悪貪、六ニ者嫉妬、七ニ者邪見、八ニ者慳吝シテ愛↢著シテ資生ニ↡即便命終スル。乃至
また十業あり、 よく衆生をして阿修羅の報を得しむ。 乃至 四には憍慢なる、 五には我慢なる、 六には増上慢なる、 七には大慢なる、 八には邪慢なる、 九には慢慢なる、 十にはもろもろの一切の善根を回して修羅の趣に向ふ。 この十業をもつて衆生をして阿修羅の報を得しめたまふ」 と。 乃至
復有リ↢十業↡、能ク令ム↣衆生ヲシテ得↢阿修羅ノ報ヲ↡。乃至 四ニ者憍慢ナル、五ニ者我慢ナル、六ニ者増上慢ナル、七ニ者大慢ナル、八ニ者邪慢ナル、九ニ者慢慢ナル、十ニ者廻シテ↢諸ノ一切ノ善根ヲ↡向フ↢修羅趣ニ↡。以テ↢是ノ十業ヲ↡令メ⊂⊃↣衆生ヲシテ得↢阿修羅ノ報ヲ↡。」乃至
金光明経 分別三身品
¬金光明経¼ 第二 「分別三身品」 にのたまはく、
¬金光明経¼第二「分別三身品」云、
「この法身においてよく如来種々の事業を顕す。 善男子、 この身と因縁と境と界と処と所と果は本に依る、 難思議がゆゑに。 もしこの義を了れば、 この身すなはちこれ大乗なり、 これ如来性なり、 これ如来蔵なり」 と。 以上
「於0943テ↢此法身ニ↡能顕ス↢如来種種ノ事業ヲ↡。善男子、是身ト因縁ト境ト界ト処ト所ト果依ル↠於↠本、難思議ガ故ニ。若了レバ↢此義ヲ↡、是身即是大乗ナリ、是如来性ナリ、是如来蔵ナリ。」已上
・徳王品3
¬大般涅槃経¼ 巻第二十一 「光明遍照高貴徳王菩薩品」 (北本巻二一徳王品) にのたまはく、 「光明はすなはちこれ念仏なり、 念仏はこれを常住と名づく、 常住の法は因縁に従はず」 と。 以上
¬大般涅槃経¼巻第二十一「光明遍照高貴徳王菩薩品」云、「光明者即是念仏ナリ、念仏者是ヲ名ク↢常住ト↡、常住之法ハ不↠従ハ↢因縁ニ↡。」已上
金光明経 滅業障品
¬金光明経¼ 第三 「滅業障品」 にのたまはく、
¬金光明経¼第三「滅業障品」云、
「法身は一切の諸法を摂蔵す。 一切の諸法には法身を摂せず」 と。 以上
「法身ハ摂↢蔵ス一切ノ諸法ヲ↡。一切ノ諸法ニハ不↠摂セ↢法身ヲ↡。」已上
底本は高田派専修寺蔵親鸞聖人真筆。