二十四(600)、 諸人伝説の詞 一
▲諸人伝説の詞 第二十四 付御歌
一
隆寛律師のいはく、 法然上人のゝ給はく、 源空も念仏のほかに、 毎日に ¬阿弥陀経¼ を三巻よみ候き。 一巻は唐、 一巻は呉、 一巻は訓なり。 しかるを、 この ¬経¼ に詮ずるところ、 たゞ念仏申せとこそとかれて候へば、 いまは一巻もよみ候はず、 一向念仏を申候也と。
隆寛 毎日に ¬阿弥陀経¼ 四十八巻よまれきすなはち心えて、 やがて ¬阿弥陀経¼ をさしをきて念仏三万遍を申しきと。 ¬進行集¼ よりいでたり云云
0601二
乗願上人のいはく、 ある人問ていはく、 色相観は ¬観経¼ の説也。 たとひ称名の行人なりといふとも、 これを観ずべく候か、 いかん。
上人答ての給はく、 源空もはじめはさるいたづら事をしたりき。 いまはしからず、 但信の称名也と。 ¬授手印決答¼ よりいでたり
三
又人目をかざらずして往生の業を相続すれば、 自然に三心は具足する也。 たとへば、 葦のしげきいけに十五夜の月のやどりたるは、 よそにては月やどりたりとも見へねども、 よくよくたちよりて見れば、 あしまをわけてやどる也。 妄念のあしはしげゝれども、 三心の月はやどる也。 これは故上人のつねにたとへにおほせられし事也と。 かの ¬二十八問答¼ よりいでたり
四
ある時又の給はく、 あはれこのたびしおほせばやなと。
その時乗願申さく、 上人だにもかやうに不定げなるおほせの候はんには、 ましてその余の人はいかゞ候べきと。
その時上人、 うちわらひての給はく、 蓮台にのらんまでは、 いかでかこのおもひはたえ候べきと。 ¬閑亨問答集¼ よりいでたり
五
○信空上人のいはく、 ある時上人の給はく、 浄土の人師おほしといへども、 みな菩提心をすゝめて、 観察を正とす。 たゞ善導一師のみ菩提心なくして、 観察をもて称0602名の助業と判ず。 当世の人、 善導の心によらずは、 たやすく往生をうべからず。 曇鸞・道綽・懐感等、 みな相承の人師なりといへども、 義においては、 いまだかならずしも一準ならず、 よくよくこれを分別すべし。 このむねをわきまへずは、 往生の難易において存知しがたき物也と。
六
○ある時問ていはく、 智慧のもし往生の要事となるべくは、 正直におほせをかぶりて修学をいとなむべし。 又たゞ称名不足あるべからずは、 そのむねを存ずべく候。 たゞいまのおほせを如来の金言と存ずべく候。
答ていはく、 往生の業は、 これ称名といふ事、 釈文分明也。 有智・无智をきらはずといふ事、 又顕然也。 しかれば、 往生のためには称名足ぬとす。
学問をこのまんとおもはんよりは、 たゞ一向念仏して往生をとぐべし。 弥陀・観音・勢至にあひたてまつらん時、 いづれの法文か達せざらん。 かのくにの荘厳、 昼夜朝暮に甚深の法門をとく也。
念仏往生のむねをしらざらん程は、 これを学すべし。 もしこれをしりなば、 いくばくならざる智慧をもとめて、 称名のいとまをさまたぐべからず。
七
○ある時問ていはく、 人おほく持斎をすゝむ。 この条いかん。
答ての給はく、 尼法師の食の作法は、 もともしかるべしといへども、 当世は機すでにおとろへたり、 食0603すでに減じたり。 この分斉をもて一食せば、 心ひとへに食事をおもひて念仏しづかならじ。 ¬菩提心経¼ にいはく、 「食菩提をさまたげず、 心よく菩提をさまたぐ」 といへり。 そのうゑは、 自身をあひはからふべきなりと。
八
○ある時問ていはく、 往生の業においてはおもひさだめおはりぬ。 たゞし一期の身のありさまをば、 いかやうにか存じ候べき。
答ての給はく、 僧の作法は、 大小の戒律あり。 しかりといへども、 末法の僧これにしたがはず。 源空これをいましむれども、 たれの人かこれにしたがふ。 たゞ詮ずるところは、 念仏の相続するやうにあひはからふべし。 往生のためには、 念仏すでに正業也。 かるがゆへにこのむねをまぼりて、 あひはげむべきなり。
九
ある人問ていはく、 つねに廃悪修善のむねを存じて念仏すると、 つねに本願のむねをおもひて念仏すると、 いづれかすぐれて候。
答ての給はく、 廃悪修善はこれ諸仏の通誡なりといへども、 当世のわれら、 ことごとく違背せり。 もし別意の弘願に乗ぜずは、 生死をはなれがたきものか。
一〇
○ある人問ていはく、 称名の時、 心をほとけの相好にかけん事、 いかやうにか候べき。
答ての給はく、 しからず。 たゞ 「若我成仏、 十方衆生、 称我名号下至十声、 若0604不生者不取正覚。 彼仏今現在世成仏。 当知、 本誓重願不虚、 衆生称念必得往生」 (礼讃) とおもふばかり也。 われらが分斉をもて仏の相好を観ずとも、 さらに如来の観にはあらじ。 たゞふかく本願をたのみて、 口に名号をとなふる、 この一大事のみ仮令ならざる行也。
一一
○ある人問ていはく、 善導、 本願の文を釈し給に、 「至心信楽欲生我国」 (大経巻上) の安心を略し給ふ事、 なに心かあるや。
答ての給はく、 「衆生称念必得往生」 (礼讃) としりぬれば、 自然に三心を具足するゆへに、 このことはりをあらはさんがために略し給へる也。
一二
○ある人問ていはく、 毎日の所作に、 六万・十万の数遍をあてゝ不法なると、 二万・三万の数遍をあてゝ如法なると、 いづれをか正とすべき。
答ての給はく、 凡夫のならひ、 二万・三万をあつといふとも、 如法の義あるべからず。 たゞ数遍のおほからんにしかず、 詮ずるところ、 心をして相続せしめんがため也。 かならずしもかずを沙汰するを要とするにはあらず、 たゞ常念のため也。 数遍をさだめざるは懈怠の因縁なるがゆへに、 数遍をすゝむる也。
一三
ある人問ていはく、 上人の御房の申させ給御念仏は、 念念ごとにほとけの御心にあ0605ひかなひ候らんとおぼへ候。 智者にてましませば、 くはしく名号の功徳をもしろしめし、 あきらかに本願のやうをも御心えあるがゆへにと。
答ての給はく、 なんぢ本願を信ずる事、 まだしかりけり。 弥陀如来の本願の名号は、 木こり・くさかり・なつみ・みづくみのたぐひごときのものゝ内外ともにかけて一文不通なるが、 となふればかならずむまるなんと信じて、 真実に欣楽して、 つねに念仏申を最上の機とす。
もし智慧をもて生死をはなるべくは、 源空なんぞ聖道門をすてゝこの浄土門におもむくべき。 まさにしるべし、 聖道門の修行は智慧をきわめて生死をはなれ、 浄土門の修行は愚痴に返りて極楽にむまると。 已上信空上人の伝説なり、 ¬進行集¼ よりいでたり
一四
信空上人又いはく、 先師法然上人、 あさゆふおしへられし事也。 念仏申にはまたく様もなし、 たゞ申せば極楽へむまるとしりて、 心をいたして申せばまいる事也。 ものをしらぬうゑに道心もなく、 いたづらにそへなき物のゝいふ事也。 さいはん口にて、 阿弥陀仏を一念・十念にても申せかしと候ひし事也。
又御往生のゝち、 三井寺の住心房と申す学生、 ひじりにゆめのうちに問れても、 阿弥陀仏はまたく風情もなくたゞ申す事也と答へられたりと。
大谷の月忌の導師せらるとて、 おほく0606の人のなかにて説法にせられ候きと。 ¬白川消息¼ よりいでたり
一五
辯阿上人のいはく、 故上人の給はく、 われはこれ烏帽子もきざるおとこ也。 十悪の法然房が念仏して往生せんといひてゐたる也。 又愚痴の法然房が念仏して往生せんといふ也。 安房の介といふ一文不通の陰陽師が申す念仏と、 源空が念仏と、 またくかわりめなしと。 ¬物語集¼ にいでたり
一六
ある時問ていはく、 上人の御念仏は、 智者にてましませば、 われらが申す念仏にはまさりてぞおはしまし候らんとおもはれ候は、 ひが事にて候やらん。
その時、 上人気色あしくなりておほせられていはく、 さばかり申す事を用ゐ給はぬ事よ。 もしわれ申す念仏の様、 風情ありて申候はゞ、 毎日六万遍のつとめむなしくなりて三悪道におち候はん。 またくさる事候はずと、 まさしく御誓言候しかば、 それより辯阿は、 いよいよ念仏の信心を思ひさだめたりき。 同 ¬集¼
一七
又人ごとに、 上人のつねにの給ひしは、 一丈のほりをこへんとおもはん人は、 一丈五尺をこへんとはげむべし。 往生を期せん人は、 決定の信をとりてあひはげむべき也。 ゆるくしてはかなふべからずと。 同 ¬集¼
一八
○又上人のゝ給はく、 念仏往生と申す事は、 もろこし・わが朝の、 もろもろの智者た0607ちの沙汰し申さるゝ観念の念仏にもあらず。 又学問をして念仏の心をさとりとほして申す念仏にもあらず。 たゞ極楽に往生せんがために南無阿弥陀仏と申て、 うたがひなく往生するぞとおもひとりて申すほかに別の事なし。
○たゞし三心ぞ四修ぞなんど申す事の候は、 みな南無阿弥陀仏は決定して往生するぞとおもふうちにおさまれり。 たゞ南無阿弥陀仏と申せば、 決定して往生する事なりと信じとるべき也。
○念仏を信ぜん人は、 たとひ一代の御のりをよくよく学しきはめたる人なりとも、 文字一もしらぬ愚痴鈍根の不覚の身になして、 尼入道の无智のともがらにわが身をおなじくなして、 智者ふるまひせずして、 たゞ一向に南無阿弥陀仏と申てぞかなはんずると。 同 ¬集¼
一九
又上人のゝ給はく、 源空が目には、 三心も南無阿弥陀仏、 五念も南無阿弥陀仏、 四修も南無阿弥陀仏なりと。 ¬授手印¼ にいでたり
二〇
又上人かたりての給はく、 世の人はみな因縁ありて道心をばおこす也。 いはゆる父母・兄弟にわかれ、 妻子・朋友はなるゝ等也。 しかるに源空は、 させる因縁もなくして、 法爾法然と道心をおこすがゆへに、 師匠名をさづけて、 法然となづけ給ひし也。
されば出離の心ざしいたりてふかゝりしあひだ、 もろもろの教法を信0608じて、 もろもろの行業を修す。 およそ仏教おほしといへども、 詮ずるところ、 戒定慧の三学をばすぎず。 いはゆる小乗の戒定慧、 大乗の戒定慧、 顕教の戒定慧、 密教の戒定慧なり。
しかるにわがこの身は、 戒行において一戒をもたもたず、 禅定において一もこれをえず、 智慧において断惑証果の正智をえず。 これによて戒行の人師釈していはく、 「尸羅清浄ならざれば、 三昧現前せず」 といへり。
又凡夫の心は、 物にしたがひてうつりやすし。 たとふるに、 さるのごとし。 ま事に散乱してうごきやすく、 一心しづまりがたし。
无漏の正智、 なにゝよりてかおこらんや。 もし无漏の智剣なくは、 いかでか悪業煩悩のきづなをたゝむや。
かなしきかなかなしきかな、 いかゞせんいかゞせん。 こゝにわがごときは、 すでに戒定慧の三学のうつわ物にあらず。
この三学のほかに、 わが心に相応する法門ありや、 わが身にたへたる修行やあると、 よろづの智者にもとめ、 もろもろの学者にとぶらふしに、 おしふる人もなく、 しめすともがらもなし。
しかるあひだ、 なげきなげき経藏にいり、 かなしみかなしみ聖教にむかひて、 てづからみづからひらきて見しに、 善導和尚の ¬観経の疏¼ (散善義) にいはく、 「一心専念弥陀名号、 行住坐臥不問時節久近0609念念不捨者、 是名正定之業、 順彼仏願故」 といふ文を見えてのち、 われらがごとくの无智の身は、 ひとへにこの文をあふぎ、 もはらこのことはりをたのみて、 念念不捨の称名を修して、 決定往生の業因にそなふべし。
たゞ善導の遺教を信ずるのみにあらず、 又あつく弥陀の弘願に順ぜり。 「順彼仏願故」 の文ふかくたましゐにそみ、 心にとゞめたる也。
そのゝち、 恵心の先徳の ¬往生要集¼ (巻中) の文をひらくに、 「往生之業念仏為本」 といひ、 又恵心の ¬妙行業記¼ の文を見るに、 「往生之業念仏為先」 といへり。
覚超僧都、 恵心僧都にとひての給はく、 なんぢが諸行の念仏は、 これ事を行ずとやせん、 これ理を行ずとやせんと。
恵心僧都こたへての給はく、 心万境にさへぎる。 こゝをもて、 われたゞ称名を行ずる也。 往生の業には称名もともたれり。 これによて、 一生中の念仏そのかずをかんがへたるに、 二十倶胝遍也との給へり。
しかればすなはち源空は、 大唐の善導和尚のおしへにしたがひ、 本朝の恵心の先徳のすゝめにまかせて、 称名念仏のつとめ、 長日六万遍也。 死期やうやくちかづくによて、 又一万遍をくわえて、 長日七万遍の行者なりと。 ¬徹選択¼ にいでたり
二一
禅勝房のいはく、 上人おほせられていはく、 今度の生に念仏して来迎にあづからん0610うれしさよとおもひて、 踊躍歓喜の心のおこりたらん人は、 自然に三心は具足したりとしるべし。 念仏申しながら後世をなげく程の人は、 三心不具の人也。 もし歓喜する心いまだおこらずは、 漸漸によろこびならふべし。 又念仏の相続せられん人は、 われ三心具したりとしるべし。 ¬念仏問答集¼ にいでたり
二二
又いはく、 往生の得否はわが心にうらなへ。 その占の様は、 念仏だにもひまなく申されば、 往生は決定としれ。 もし疎相にならば、 順次の往生はかなふまじとしれ。 この占をしてわが心をはげまし、 三心の具すると具せざるとをもしるべし。 同 ¬集¼
二三
又いはく、 たとひ念仏せん物、 十人あらんがなかに九人は往生あしくて往生せずとも、 われ一人決定して念仏往生せんとおもふべし。 同 ¬集¼
二四
又いはく、 自身の罪悪をうたがひて往生を不定に思はんは、 おほきなるあやまり也。 さればとて、 ふ[て]かゝりてわろからんとにはあらず。 本願の手ひろく、 不思議なる道理を心えんがため也。 されば、 念仏往生の義をふかくもかたくも申さん人は、 つやつや本願の義をしらざる人と心うべし。
源空が身も、 検校・別当どもが位にてぞ往生はせんずる、 もとの法然房にては往生はえせじ。 されば、 としご0611ろならひあつめたる智慧は、 往生のためには要にもたつべからず。 されども、 ならひたりしかひには、 かくのごとくしりたれば、 はかりなき事也。 同 ¬集¼
二五
又いはく、 本願の念仏には、 ひとりだちをせさせて助をさゝぬ也。 助さす程の人は、 極楽の辺地にむまる。 すけと申すは、 智慧をも助にさし、 持戒をもすけにさし、 道心をも助にさし、 慈悲をもすけにさす也。 それに善人は善人ながら念仏し、 悪人は悪人ながら念仏して、 たゞむまれつきのまゝにて念仏する人を、 念仏にすけさゝぬとは申す也。
さりながらも、 悪をあらためて善人となりて念仏せん人は、 ほとけの御心にかなふべし。 かなはぬ物ゆへにと、 あらんかゝらんとおもひて決定心おこらぬ人は、 往生不定の人なるべし。 同 ¬集¼
二六
又いはく、 法爾道理といふ事あり。 ほのをはそらにのぼり、 みづはくだりさまにながる。 菓子のなかにすき物あり、 あまき物あり。 これらはみな法爾道理也。 阿弥陀ほとけの本願は、 名号をもて罪悪の衆生をみちびかんとちかひ給たれば、 たゞ一向に念仏だにも申せば、 仏の来迎は法爾道理にてそなはるべき也。 同 ¬集¼
二七
又いはく、 現世をすぐべき様は、 念仏の申されん様にすぐべし。 念仏のさまたげになりぬべくは、 なになりともよろづをいとひすてゝ、 これをとゞむべし。
いは0612く、 ひじりて申されずは、 めをまうけて申すべし。 妻をまうけて申されずは、 ひじりにて申すべし。 住所にて申されずは、 流行して申すべし。 流行して申されずは、 家にゐて申すべし。 自力の衣食にて申されずは、 他人にたすけられて申すべし。 他人にたすけられて申されずは、 自力の衣食にて申すべし。 一人して申されずは、 同朋とともに申すべし。 共行して申されずは、 一人篭居して申すべし。
衣食住の三は、 念仏の助業也。 これすなはち、 自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、 何事もみな念仏の助業也。 三途へ帰るべき事をする身をだにもすてがたければ、 かへりみはぐゝむぞかし。 まして往生程の大事をはげみて念仏申さん身をば、 いかにもいかにもはぐゝみたすくべし。
もし念仏の助業とおもはずして身を貪求するは、 三悪道の業となる。 極楽往生の念仏申さんがために自身を貪求するは、 往生の助業となるべき也。 万事かくのごとしと。 同 ¬集¼
二八
沙弥道遍かたりていはく、 故上人おほせられていはく、 往生のためには念仏第一なり、 学問すべからず。 たゞし念仏往生を信ぜん程は、 これを学すべしと。 ¬宗要集¼ にいでたり
付御歌
御歌
阿弥陀仏と いふよりほかは つのくにの なにはの事も あしかりぬべし
0613ちとせふる こまつのもとを すみかにて あみだほとけの むかへをぞまつ
いけのみづ 人の心に にたりけり にごりすむ事 さだめなければ
むまれては まづおもひてん ふるさとに ちぎりしともの ふかきま事を
あみだぶつと 申ばかりを つとめにて 浄土の荘厳 見るぞうれしき
しばのとに あけくれかゝる しらくもを いつむらさきの いろと見なさん
つゆの身は こゝかしこにて きへぬとも こゝろはおなじ はなのうてなぞ
阿弥陀仏と 十こゑとなへて まどろまん ながきめぶりに なりもこそすれ
▼月かげの いたらぬさとは なけれども ながむる人の こゝろにぞすむ