1065報恩ほうおんこう私記しき

 

【1】 まず*総礼そうらい

  0063総礼ソウライ

 稽首けいしゅ天人てんにんしょぎょう
  弥陀みだせんりょうぞくそん
  ざいみょう安楽あんらくこく
  りょうぶっしゅにょう (*十二礼)

 「稽首天人所恭敬 阿弥陀仙両足尊
 在彼微妙安楽国 无量仏子衆囲繞」

  つぎに*三礼さんらい
  つぎに*如来にょらいばい
  つぎに*表白ひょうびゃく

  ツギ三礼サムライ  ツギ如来唄ニヨライバイ
  ツギヘウビヤク

 うやまひて大恩だいおんきょうしゅしゃ如来にょらい極楽ごくらく*のう弥陀みだ*善逝ぜんぜいしょうさんじょうさんみょうでん*八万はちまんじゅう顕密けんみつ聖教しょうぎょう観音かんのんせいぼんしょうじゅ念仏ねんぶつ伝来でんらいしょだいとうそうじては仏眼ぶつげんしょしょうじんせつげん現前げんぜん一切いっさい三宝さんぼうにまうしてまうさく、 弟子でし*ぜんいとすじはし1066に、 たまたま*なん人身にんじんはりつらぬ曠海こうかいなみうえに、 まれに西さい (印度) ぶっきょううききへり。

 ウヤマヒテマウシテ大恩ダイオン教主ケウシユシヤ如来ニヨライ極楽ゴクラク能化ノウクヱ弥陀ミダ善逝ゼンゼイシヨウサンジヤウサム妙典メウデン八万ハチマンジフ顕密ケンミツシヤウゲウクワンオムセイボムシヤウジユ念仏ネムブチ伝来デンライシヨダイトウソウジテハ仏眼ブチゲン所照シヨセウヂンセチゲン現前ゲンゼン一切イツサイ三宝サムボウ↡而マウサク弟子デシゼンイトスヂハシタマタツラヌナン人身ニンジンハリ↡、クワウカイナミウヘマレヘリ西サイ仏教ブチケウウキキ↡。

ここに祖師そししょうにん (*親鸞)どうによりて、 法蔵ほうぞういん本誓ほんぜいく、 かんむね渇仰かつごうきもめいず。 しかればすなはち、 ほうじてもほうずべきはだい仏恩ぶっとんしゃしてもしゃすべきはちょうとくなり。 ゆゑに観音かんのんだい頂上ちょうじょうには*ほん弥陀みだあんじ、 だいしょうそん (*弥勒)宝冠ほうかんにはしゃ*しゃいただきたまふ。 たとひ万劫まんごうとも、 一端いったんをもほうじがたし。 しかじ、 *みょうがんねんじてかの本懐ほんがいじゅんぜんには。 いま、 つのとくげて、 まさに*はいすすめんとす。

ココリテ祖師ソシ聖人之化ダウ↡、法蔵ホフザウイン本誓ホンゼイ↡、クワンムネ渇仰カチガウメイキモシカレバスナハホウジテモキハホウダイ仏恩ブチオンシヤシテモキハシヤチヤウ遺徳ユイトクナリカルガユヘクワンオムダイチヤウ0064ジヤウニハアンホン弥陀ミダ↡、ダイシヤウソンホウクワンニハイタヾキタマフシヤシヤ↡。タトトモ万劫マンゴフ↡、ガタホウ一端ヰチタンヲモ↡。ネムジテミヤウグワンジユンゼンニハホンクワイ↡。イマゲテミツトク↡、マサスヽメントオモフハイ↡矣。

ひとつにはしんしゅうこうぎょうとくさんじ、
ふたつには本願ほんがん相応そうおうとくたんじ、
つにはめつやくとくじゅつす。
してふ、 三宝さんぼう哀愍あいみん納受のうじゅしたまへ。

ヒトツニハサン真宗シンシユコウギヤウトク↡、フタツニハタンホングワン相応サウオウトク↡、ミツニハジユチメチヤクトク↡。シテ三宝サンボウ哀愍アイミンナフジユシタマヘ矣。

【2】 だいいちしんしゅうこうぎょうとくさんずといふは、 ぞくしょう*ながおかの丞相しょうじょう 内麿うちまろこう末孫ばっそんさき*こう太后たいごうぐうの大進だいしん*有範ありのり息男そくなんなり。 よういにしえ壮年そうねんむかし*じょういえでて*台嶺たいれいまどりたまひしよりこのかた、 *ちんしょうをもつてはんとして、 顕密けんみつ両宗りょうしゅうきょうぼうしゅうがくす。 *とうかすみのうちに*三諦さんたい一諦いったいみょううかがそう1067あんつきまえ*瑜伽ゆが瑜祇ゆぎ観念かんねんらす。 とこしなへに*めいひて*だいしょう奥蔵おうぞうつたへ、 ひろしょしゅうこころみて甚深じんじん義理ぎりきわむ。

第一ダイヰチサンズトイフ真宗シンシユコウギヤウトク↡者、ゾクシヤウ長岡ナガオカ丞相シヨウジヤウ 内麿ウチマルコウ 末孫バチソンサキクワウタイ后宮ゴグ大進ダイシン有範息男ソクナム也。ヨウイニシヘ壮年サウネンムカシデヽジヤウイヱ↡、リタマヒシヨリ臺嶺タイレイマド已来コノカタ、以↢チンクワシヤウハン↡、シユガク顕密ケンミチリヤウシユ教法ケウボフ↡。トウカスミウチウカヾ三諦サムタイ一諦ヰチタイメウ↡、草庵サウアンツキマヘラス瑜伽ユガ瑜祇ユギクワンネム↡。トコシナヘフテメイツタ大小ダイセウアフ↡、ヒロコヽロミ諸宗シヨシユキハ甚深ジムジム義理ギリ↡。

しかれども*色塵しきじんしょうじん猿猴えんこうこころなほいそがはしく、 *愛論あいろん*見論けんろん*こうおもいいよいよかたし。 *断惑だんわくしょうどんじょうじがたく、 *そくじょうかく末代まつだいおよびがたし。

シカレドモ色塵シキヂンシヤウヂン猿猴ヱンコウコヽロナヲイソガハシク愛論アイロン見論ケンロンカウオモヒイヨイヨカタ断惑ダンワクシヨウドムガタジヤウソクジヤウカク末代マチダイガタオヨ

よりてしゅつぶっあつらへ、 しき神道しんとういのる。 しかるあひだ宿しゅくいんこうにして、 ほんちょう念仏ねんぶつがん黒谷くろだにしょうにん (*源空)えっしたてまつりてしゅつ要道ようどう問答もんどうさずくるにじょういっしゅうをもつてし、 しめすに念仏ねんぶついちぎょうをもつてす。

リテアツラシユチブチ↡、イノシキ神道シンタウ↡。シカアヒダ宿因シフインカウニシテタテマツリテエチ本朝ホンテウ念仏ネムビチグワン黒谷クロダニシヤウニンモンダウシユチ要道エウダウ↡。サヅクルニテシジヤウ一宗ヰチシユ↡、シメスニテス念仏ネムビチヰチギヤウ↡。

しかりしよりこのかた、 しょうどうなんぎょうもんさしおきてじょうぎょうどうし、 たちまちにりきしんあらためてひとへにりきがんじょうず。 ぎょう化他けた*どうしゃく遺誡ゆいかいまもり、 専修せんじゅ専念せんねん*善導ぜんどうふうまかす。 見聞けんもん道俗どうぞくずいいたし、 遠近おんごん*緇素しそみな発心ほっしんす。

シカ以降コノカタサシヲキテシヤウダウナンギヤウモンクヰジヤウギヤウダウ↡、タチマチアラタメテリキシムヒトヘジヨウリキグワン↡。ギヤウクヱマモダウシヤク遺誡ユイカイ↡、専修センジユ専念センネムマカ善導ゼンダウ0065古風コフ↡。見聞ケンモン道俗ダウゾクイタズイ↡、遠近オンゴン緇素シソミナ発心ホチシム

ここに祖師そし (親鸞)西さい (印度)きょうもんひろめんがためにはるかに*東関とうかんそうくわだてたまふ。 しばらく*常州じょうしゅうつくやまきたほとりとうりゅうし、 せんじょうたいしてまつ相応そうおう要法ようぼうしめす。

コヽ祖師ソシタメヒロメンガ西サイ教文ケウモンハルカクハダテタマフトウクワンソウ↡。シバラトウリウジヤウシウツクヤマキタホトリ↡、タイシテ貴賎クヰセンジヤウシメマチ相応サウオウ要法エウボフ↡。

はじめにほうをなすのともがら*りゃくきょうこくのごとくなりしかども、 つひにがいせしめしのやから*とうちくおなじ。 みな邪見じゃけんひるがえしてことごとくしょうしんけ、 ともにへんじゅうめてかえりて弟子でしとなる。 おほよそおしえくるのしゅ当国とうごくあまり、 えんむす1068しん諸邦しょほうてり。

ハジメニハウ↡之トモガラゴトクナリシカドモグワリヤクキヤウコク↡、ツヰムル改悔ガイクヱ↡之ヤカラオナタウチク↡。ミナヒルガヘシテ邪見ジヤケンコトゴトシヤウシン↡、トモメテ偏執ヘンジフカヘリテ弟子デシ↡。オホヨクルヲシヘシユアマ当国タウゴク↡、ムスヱンシンテリ諸邦シヨハウ↡。

謗法ほうぼう闡提せんだいともがらなりといへども、 かのきょうくもの、 かくはなあざやかに、 愚痴ぐち放逸ほういつたぐいなりといへども、 その*諷諫ふうかんるもの、 わくしょうくもる。 たとへば木石ぼくせきえんちてしょうじ、 りゃく*せんりてたまをなすがごとし。 甚深じんじんぎょうがん不可ふか思議しぎなるものか。

イヘド謗法ハウボフ闡提センダイトモガラナリト↡、教化ケウクヱモノカクハナアザヤカニイヘド愚痴グチ放逸ハウイチタグヒナリト↡、カンモノワクシヤウクモタトヘゴト木石ボクセキチテヱンシヤウグワリヤクリテセンスガタマ甚深ジムジム行願ギヤウグワン不可フカ思議シギナルモノ歟。

まさにいま念仏ねんぶつしゅぎょうようまちまちなりといへども、 りきしんしゅうこうぎょうはすなはちこん (親鸞)しきよりおこり、 *専修せんじゅ正行しょうぎょうはんじょうはまた*遺弟ゆいてい*念力ねんりきよりじょうず。 ながれんで本源ほんげんたずぬるに、 ひとへにこれ祖師そし (親鸞)とくなり。 すべからく仏号ぶつごうしょうしておんほうずべし。

マサイマ念仏ネムブチシユギヤウエウイヘドマチマチナリトリキ真宗シンシユコウギヤウスナハオココムシキ↡、専修センジユ正行シヤウギヤウハンジヤウマタジヤウ遺弟ユイテイ念力ネムリキ↡。ンデナガレタヅヌルニホングヱン↡、ヒトヘコレ祖師ソシトク也。スベカラベ  シヨウシテ仏号ブチガウホウオン↥。

じゅにいはく、

ジユイハ

 にゃくしゃかん念仏ねんぶつ
  弥陀みだじょう何由がゆけん
  心念しんねんこうへんよう
  じょうじょうごうほうおん (*般舟讃)
   念仏ねんぶつ

ニヤクシヤクワン念仏ネムブチ 弥陀ミダジヤウ何由ガユケン
心念シムネムカウグヱヘンヤウ   ジヤウジヤウゴフホウオン
 念仏

 何期がご今日こんにち宝国ほうこく
  じつしゃほんりき
  にゃく1069ほんしきかん
  弥陀みだじょううんにゅう (般舟讃)

 「何期ガゴ今日コムニチ宝国ホウコク  ジチシヤホンリキ
0066ニヤクホンシキクワン  弥陀ミダジヤウウンニフ

   南無なもみょうちょうらいそんじゅう讃嘆さんだん祖師そし聖霊しょうりょう

 南无ナモクヰミヤウチヤウライ尊重ソンヂウ讃嘆サンダン祖師ソシ聖霊シヤウリヤウ

【3】 だい本願ほんがん相応そうおうとくたんずといふは、 念仏ねんぶつしゅぎょうひとこれおおしといへども、 専修せんじゅ専念せんねんともがらはなはだまれなり、 あるいは*しょう唯心ゆいしんしずみていたづらにじょうしんしょうおとしめ、 あるいはじょうさん*しんまよひてあたかも*金剛こんごう真信しんしんくらし。

ダイタンズトイフホングワン相応サウオウトク↡者、念仏ネムブチシユギヤウヒトイヘドオホシトコレ専修センジユ専念センネムトモガラハナハマレナリアルヒシヅミテシヤウ唯心ユイシムイタヅラオトシジヤウシンシヨウ↡、アルヒマドヒテヂヤウサンアタカモクラ金剛コムガウ真信シンシン↡。

しかるに祖師そししょうにん (親鸞)しんしんぎょうおのれをわすれてすみやかにぎょうじょう願海がんかい憶念おくねん称名しょうみょういさみありてとこしなへにだんへん光益こうやくあずかる。 にそのしょうあらわし、 ひとかのどくることしょうすべからず。 しかのみならず来問らいもんせんたいしてもつぱらりきおうようしめし、 面謁めんえつ道俗どうぞくこしらへてひとへに善悪ぜんあくぼんしょういんかす。

シカルニ祖師ソシシヤウニンシム信楽シンゲウワスレテヲノレスミヤカクヰギヤウジヤウグワンカイ↡、憶念オクネム称名シヨウミヤウリテイサミトコシナヘアヅカダンヘンクワウヤク↡。アラハシヨウ↡、ヒトルコトドクカラシヨウ↡。加之シカノミナラズタイシテ来問ライモン貴賎クヰセンモハシメリキ往之エウ↡、コシラヘテ面謁メンエチ道俗ダウゾクヒトヘアカ善悪ゼンマクボムシヤウイン↡。

ゆゑに善導ぜんどうだいのいはく (*定善義)、 「こんえん、 あひすすめてちかひてじょうしょうぜしむるは、 すなはちこれ諸仏しょぶつ本願ほんがんこころかなふなり」 と。 またいはく (礼讃)、 「だいでん普化ぷけ しんじょうほう仏恩ぶっとん」 と。

所以ソ ヘ善導ゼンダウダイノタマハク、「コムヱンアヒスヽメテチカヒテシヤウゼシムルハジヤウ↡、スナハコレカナ諸仏シヨブチホムグワンコヽロ↡也」。マタイハ、「ダイデンクヱシンジヤウホウ仏恩ブチオン」。

しかれば祖師そししょうにん金剛こんごう信心しんじんほっしてしんしょういんじょうとくし、 本願ほんがんみょうごうぎょうしてしゅ*往益おうやくじょじょうす。 あに本願ほんがん相応そうおうとくにあらずや、 むしろ仏恩ぶっとんほうじん1070つとめにあらずや。

シカ祖師ソシシヤウニンホチシテ金剛コムガウ信心シンジムヂヤウトクシンシヤウイン↡、ギヤウシテホングワンミヤウガウジヨジヤウシユ往益ワウヤク↡。アニアラホングワン相応サウオウトク↡乎、ムシアラ仏恩ブチオン報尽ホウジンツトメ↡哉。

またつねにもんかたりていはく、 「信謗しんぼうともにいんとなりておなじくおうじょうじょうえんじょうず」 と。 まことなるかなやこのごんうたがふものもかならずしんり、 ほうずるものもつひにじょうひるがえす。 まことにこれぶつ相応そうおうどう、 そもそもまた*しょう広大こうだいしきなり。

マタツネカタリテモンノタマハク信謗シンバウトモリテインオナジクジヤウズトワウジヤウジヤウヱン↡。マコトナルカナゴンウタガモノカナラシンハウズルモノツヰヒルガヘジヤウマコトコレブチ相応サウオウ化導クヱダウソモソモマタシヨウクワウダイシキ也。

あくあくかいいまじょうもつじょうてんやから、 もししょうにんかんけたてまつらずんば、 いかでかじょうだいさとらん。 すでにいっしょうしょうねんけんふるひて、 たちまちにみょうごういんり、 かたじけなく*三仏さんぶつだい願船がんせんじょうじて、 まさにはん*じょうらくがんいたりなんとす。 弥陀みだなん本誓ほんぜいしゃ慇懃おんごんぞくあおがずんばあるべからず。 諸仏しょぶつじょうじつ証明しょうみょう祖師そし (親鸞) *矜哀こうあいいんにゅうたのまずんばあるべからず。

アクアクカイイマジヤウモチジヤウテンヤカラケタテマツラシヤウニンクワン0067クヱ↡、イカデサトラムジヤウダイ↡。スデフルヒテヰチシヤウシヨウネムケン↡、タチマチミヤウクワゴフイン↡、カタジケナジヨウジテ三仏サムブチダイグワンセン↡、マサイタリナント涅槃ネチハンジヤウラクガン↡。弥陀ミダナン本誓ホンゼイシヤ慇懃オンゴンゾクカランバアフ諸仏ショブチジヤウジチ証明シヨウミヤウ祖師ソシ矜哀コウアイ引入インニフカラタノ

これによりておのおの本願ほんがんたもみょうごうとなへて、 いよいよそんかいかなひ、 仏恩ぶっとんいただとくなひて、 ことに一心いっしん懇念こんねんあらわすべし。

リテコレオノオノタモホングワントナヘテミヤウガウ↡、イヨイヨカナソンクワイ↡、イタヾ仏恩ブチオンニナヒテトク↡、コトアラハスベシ一心ヰチシム懇念コンネム↡。

じゅにいはく、

ジユイハ

 そん説法せっぽう将了しょうりょう
  慇懃おんごんぞく弥陀みだみょう
  じょくぞうほう
  道俗どうぞく相嫌そうけんようもん (*法事讃・下)
   1071念仏ねんぶつ

ソン説法セチポフシヤウレウ 慇懃オンゴンゾク弥陀ミダミヤウ
ヂヨクゾウハウ  道俗ダウゾク相嫌サウケン用聞ヨウモン
 念仏

 まんぎょうちゅうきゅうよう
  迅速じんそく無過むかじょうもん
  たんほんこんせつ
  十方じっぽう諸仏しょぶつでんしょう (*五会法事讃)

マンギヤウチウ急要キウヨウ 迅速ジンソククワジヤウモン
タンホンコムセチ  十方ジフパウ諸仏シヨブチデンシヨウ

   南無なもみょうちょうらいそんじゅう讃嘆さんだん祖師そし聖霊しょうりょう

 南无ナモクヰミヤウチヤウライ尊重ソンヂウ讃嘆サンダン祖師ソシ聖霊シヤウリヤウ

【4】 だいさんめつとくじゅつすといふは、 しゃくそんきょうもう三界さんがいおおふ。 なほまつかい群類ぐんるいすくひ、 こん (親鸞)ほうはいそそぎ、 とおじょうもつじょくらん遺弟ゆいてい湿うるおす。 かのざいをいへばすなはちじっさい*けんしゅうみっきょう鑽仰さんごうせずといふことなし。 そのぎょうへばまたろくじゅうねん自利じり利他りた満足まんぞくせずといふことなし。 ざいしゅっ*四部しぶくんじゅうすることさかんなるいちことならず。 だいじょう小乗しょうじょう三輩さんぱいぶくすることかぜなびくさのごとし。 つひにすなはち*らくかえりて草庵そうあんめたまふ。

第三ダイサムジユチストイフメチヤクトク↡者、シヤクソンオホ教網ケウマウ三界サムガイ↡。ナヲスクマチカイ群類グンルイ↡、コムソヽホフハイ↡、トヲ湿ウルヲヂヤウモチヂヨクラン遺弟ユイテイ↡。ヘバザイスナハジフサイケン宗・密教ミチケウトイフコト鑽仰サンガウ↡。ブラヘバギヤウクヱマタロクジフネン自利ジリ々他ヽタ0068トイフコト満足マンゾク↡。ザイシユチ四部シブ群集グンジフスルコトコトナラサカリナルイチ↡。ダイジヨウセウジヨウ三輩サムパイ帰伏クヰブクスルコトゴトナビカゼクサ↡。ツヰスナハカヘリテ花洛クワラクメタマフ草庵サウアン↡。

しかるあひだ、 んじ*こうちょうだいみずのえいぬおうしょうじゅう八日はちにち前念ぜんねん命終みょうじゅうごうじょうあらわしてねんそくしょうかいげたまひき。 ああ、 *禅容ぜんようかくれていづくにかます。 きゅうじっしゅうほしへだつ。 遺訓ゆいくんえていくそばくのほどぞ。 きゅうせき*いっぴゃく1072ねんしもした

シカアヒダインコウチヤウダイミヅノヘイヌワウシヨウジフ八日ハチニチアラハシテ前念ゼンネムミヤウジユゴフジヤウゲタマヒキネムソクシヤウクワイ↡。噫呼 アヽ 禅容ゼンヨウカクレテイヅクニカヘダキフジフクワイツキ↡。遺訓ユイクンエテイクバクホドシタ旧跡キウセキヰチピヤクネンシモ↡。

かの遺恩ゆいおんおもんずる門葉もんよう、 そのしんみょうかろんずる*後昆こうこん毎年まいねんろんぜず*りょうぜつとおしとせず、 *きょうかんせんくもしのぎておうしゅうよりあゆみをはこび、 *隴道ろうとう万程ばんていおくりて諸国しょこくより群詣ぐんけいす。 びょうどうひざまずきてなみだぬぐひ、 こつはいしてはらわたつ。 にゅうめつとしはるかなりといへども、 往詣おうげいこぞりていまだえず。

オモクス遺恩ユイオン門葉モンエウカロクスシンミヤウコンロン毎年マイネントヲシトセ遼絶レウゼチ↡、シノギテ境関キヤウクワンセンクモ奥州アウシウハコアユミオクリテ隴道レウダウ万程バンテイ諸国シヨコク群詣グンケイヒザマヅキテ廟堂ベウダウノゴナミダハイシテ遺骨ユイコチハラハタ入滅ニフメチトシイヘドハルカナリト往詣ワウゲイコゾリテイマ

あわれなるかなや、 恩顔おんがんじゃくめつけむりしたまふといへども、 真影しんねい眼前がんぜんとどめたまふ。 かなしきかなや、 徳音とくいんじょうかぜへだたるといへども、 じつみみそこのこす。 えらきたまふところのしょじゃく万人ばんじんこれをひらいておお西方さいほう*真門しんもんり、 ずうしたまふところの教行きょうぎょう遺弟ゆいていこれをすすめてひろ*片域へんいき群萌ぐんもうす。 おほよそそのいちりゅうはんじょうはほとんどざいちょうせり。

アハレナルカナ恩顔オンガンイヘドクヱシタマフトジヤクメチケムリ↡、トヾメタマフ真影シンエイ眼前ガンゼン↡。カナシキカナ徳音トクインイヘドヘダヽルトジヤウカゼ↡、ノコジチミヽソコ↡。トコロエラキタマフシヨジヤク万人バンジンヒラキテコレオホ西方サイハウ真門シンモン↡、トコロヅウシタマフケウギヤウ遺弟ユイテイスヽメテコレヒロ片域ヘンヰキ群萌グンマウ↡。オホヨ一流ヰチリウハンジヤウホトヾテウクワセリザイ↡。

つらつら平生へいぜいどうあんじ、 しずかにとう得益とくやくおもふに、 祖師そししょうにん (親鸞)直也ただびとにましまさず、 すなはちこれごん再誕さいたんなり。 すでに弥陀みだ如来にょらい応現おうげんしょうし、 また曇鸞どんらんしょう*後身こうしんともごうす。 みなこれゆめのうちにげをまぼろしまえずいしゆゑなり。 いはんやみづからのりて親鸞しんらんとのたまふ、 はかりぬ、 曇鸞どんらんげんなりといふことを。

ツラツラアン平生ヘイゼイ化導クヱダウ↡、シヅカオモフニタウ得益トクヤク↡、祖師ソシシヤウニンマシマサ直也 タヾ ビト↡、スナハコレ権化ゴンクヱ再誕サイタン也。スデシヨウ弥陀ミダ如来ニヨライ応現オウゲン↡、マタガウ曇鸞ドムランクワシヤウシントモ↡。ミナコレユメナカツゲマボロシマヘズイユヘ也。イハンミヅカナノリテノタマ親鸞シンラン↡、ハカリヌ曇鸞ドムラン化現クヱゲントイフコトヲ

しかればすなはちしょうにんしゅじゅう念仏ねんぶつのゆゑに、 おうじょう極楽ごくらくのゆゑに、 宿命しゅくみょうつうをもつておん報徳ほうとくこころざしかんがみ、 方便ほうべんりきをもつてえんえんみちびきたまは1073ん。 ねがはくはてい*芳契ほうけい宿しゅくいんによりて、 かならず最初さいしょ*いんじょうやくれたまへ。 よりておのおのりきして仏号ぶつごうとなへよ。

シカレバスナハシヤウニン修習シユジフ念仏ネムブチユヘワウジヤウ極楽ゴクラクユヘチテ宿シフミヤウツウカガオン報徳ホウトクココロザシ↡、0069方便ハウベンリキミチビキタマハムヱンヱン↡。ネガハクハリテテイ芳契ハウケイ宿因シフイン↡、カナラレタマヘ最初サイシヨ引接インゼフヤク↡。リテオノオノクヰシテリキトナヘヨ仏号ブチガウ↡。

じゅにいはく、

ジユイハ

 身心しんしんもうかいとく
  さつしょうじゅかい充満しゅまん
 *自化じけ神通じんずうにゅう彼会ひえ
  おくほんしゃしきおん (般舟讃)
   念仏ねんぶつ

身心シンシムモウ皆得カイトク サチシヤウジユカイシユウマン
クヱ神通ジンヅウニウ  憶本オクホンシヤシキオン
 念仏

 じきにゅう弥陀みだだいちゅう
  見仏けんぶつしょうごんしゅおく
  さんみょう六通ろくつうかいそく
  おくえんどうぎょうにん (法事讃・下)

直入ヂキニウ弥陀ミダダイチウ  見仏ケンブチシヤウゴム数億シユオク
サムミヤウ六通ロクツウカイソク  オクエンドウギヤウニン

   南無なもみょうちょうらいそんじゅう讃嘆さんだん祖師そし聖霊しょうりょう
   南無なもみょうちょうらいだいだいしゃ善逝ぜんぜい
   南無なもみょうちょうらい極楽ごくらくのう弥陀みだ如来にょらい
   南無なもみょうちょうらい*六方ろっぽう証誠しょうじょう恒沙ごうじゃかい
   1074南無なもみょうちょうらい三国さんごく伝灯でんとうしょだいとう
   南無なも自他じた法界ほうかいびょうどうやく
   つぎに 六種ろくしゅこうとう

 南無ナモクヰミヤウチヤウライ尊重ソンヂウ讃嘆サンダン祖師ソシ聖霊シヤウリヤウ
 南無帰命頂礼大慈大悲釈迦善逝
 南無帰命頂礼極楽能化弥陀如来
 南無帰命頂礼六方証誠恒沙世界
 南無帰命頂礼三国伝灯諸大師等
 南無自他法界平等利益
次六種廻向等

0070*応仁二年十月中旬

釈蓮如(花押)

 

延書の底本は本派本願寺蔵蓮如上人書写本(延書)
三礼 三帰礼、 三宝さんぼう礼ともいい、 勤式のはじめに、 主として三宝帰依きえを述べるきょうらいもんのこと。 ¬ごんぎょう¼ 「浄行品」 の文。
如来唄 如来の妙色身を讃詠した文。
八万十二顕密 八万の法門 (仏の教えのすべて)、 じゅうきょうけんぎょうみっきょうのこと。
後長岡丞相 ふじわらの鎌足かまたり五代の孫、 ふじわらの内麿うちまろのこと。
皇太后宮大進 皇太后宮職の第三等官。
三諦一諦 →三諦
瑜伽瑜祇 仏の三密としゅじょうの三密とを相応させる三密加持かじの観法のこと。
色塵声塵 六塵ろくじんの中の二。
痴膠 愚かさのために迷いにとらえられて動きのとれないことをいう。
速成覚位 この身のままで速やかに仏の位に至ること。
東関の斗薮 斗薮は梵語ドゥータ (dhuūta) の漢訳。 頭陀ずだ行のことで、 衣食住に対する貪着を捨て、 山野を巡って辛酸に耐える修行をすること。 ここでは関東地方を巡るというほどの意。
常州筑波山の北の辺 現在の茨城県笠間市稲田町付近。
瓦礫荊棘 瓦礫はかわらと小石、 荊棘はいばらのこと。 ここでは数が多いという意。
稲麻竹葦 ここでは数が多いという意。
諷諫 ここではおだやかに教え導くという意。
 一説には、 金属を平らにする道具で、 やすりのようなものという。
専修正行 もっぱら念仏の正行を修する意で、 自力を離れてただ念仏する浄土真宗の宗義をいう。
遺弟 親鸞聖人滅後の門弟。
念力 信心の力。
金剛の真信 如来回向の信心のこと。 →金剛こんごうしん
三仏菩提の願船 法・報・応の三身の徳をすべてそなえてしゅじょうを救う本願を船に喩えていう。 →三身さんしん
顕宗 けんぎょうのこと。
四部 しゅのこと。
一百余年の霜 読誦どくじゅの際、 現在は 「しちひゃくそうの月」 と読む。
真門 ここでの意は方便真門ではなく、 真実の門。
自化 ¬般舟はんじゅさん¼ の原文には 「自作」 とある。
六方証誠恒沙世界 六方の数限りない世界の諸仏が念仏の法の真実であることを証明すること。 「世界」 は異本には 「世尊」 とある。
底本は真宗大谷派蔵応仁二年蓮如上人書写本