0025◎正信偈註
◎▲正信偈百二十句、 行数六十。 これ三朝高祖の解釈によりて、 ほぼ一宗大綱の要義を述ぶ。
0005正信偈百二十句、行数六十。是依↢三朝高祖解釈↡、粗述↢一宗大綱要義↡。
▲偈の初の句より 「无過斯」▲ に至るまで四十四句二十二行は、 これ ¬大経¼ の意。
自↢偈初句↡至↢「无過斯」↡四十四句二十二行、是¬大経¼意。
▲「印度」 以下四句二行は、 総じて三朝の祖師同じく浄土の教をあらわす意を標す。 ▲「釈迦」 以下一十二句六行の文は、 これ龍樹の讃、 その初の四句は、 ¬楞伽経¼ による、 次の八句は、 これ ¬十住毘婆娑論¼ による。 ▲次の十二句六行の文は、 これ天親の讃、 ¬浄土論¼ による。 ▲次の十二句六行の文は、 これ鸞師の讃、 ¬論の註¼ による。 ▲次の八句四行の文は、 これ綽公の讃、 ¬安楽集¼ による。 ▲次の八句四行の文は、 これ大師の讃。 ▲次の八句四行の文は、 これ恵心の讃、 ¬要集¼ による。 ▲次の八句四行の文は、 これ源空聖人の讃、 ¬選択集¼ による。 ▲次の四句は、 これ総結なり。
「印度」以下四句二行、総 標↧三朝祖師同顕↢浄土教↡意↥。「釈迦」以下一十二句六行之文、是龍樹讃、其初四句、依↢¬楞伽経¼↡、次之八句、是依↢¬十住毘婆娑論¼↡。次十二句六行之文、是天親讃、依↢¬浄土論¼↡。次十二句六行之文、是鸞師讃、依↢¬論註¼↡。次之八句四行之0026文、是綽公讃、依↢¬安楽集¼↡。<次之八句四行之文、是大師讃。次之八句四行之文、是恵心讃、依↢¬要集¼↡。次之八句四行之文、是源空聖人讃、依↢¬選択集¼↡。次之四句、 是総結也。
▲問ふ。 「正信偈」 とは、 これなんの義ぞや。
問。「正信偈」者、是何義 乎。
▲答ふ。 「正」 とは傍に対し邪に対し雑に対す。 「信」 とは疑に対す、 いまこれ行に対す。 所行の法につきて能信の名を挙ぐ。
答。「正」者対↠傍↠対邪対↠雑。「信」者対↠疑、今是対↠行。就↢所行法↡挙↢能信名↡。
▲¬大経¼ の意の中に、
¬大経¼意中、
▲帰命无量寿如来 南无不可思議光
▲この一行二句は、 まづ寿命・光明の尊号を挙げて帰命の体となす。
此一行二句者、先挙↢寿命・光明尊号↡為↢帰0027命体↡。
願文 (大経巻上) にいはく、 「▲たとひわれ仏を得たらんに、 光明よく限量ありて、 下百千億那由他の諸仏の国を照さざるに至らば、 正覚を取らじ」 と。 文
願文云、「設我得↠仏、光明有↢能限量↡、下至↠不↠照百千億那由他諸仏国↡者、不取↢正覚↡。」 文
「▲たとひわれ仏を得たらんに、 寿命よく限量ありて、 下百千億那由他劫に至らば、 正覚を取らじ」 と。 文
「設我得仏、寿命有↢能限量↡、下至↢百千億那由他劫↡者、不↠取↢正覚↡。」 (大経巻上) 文
和讃-「▲超世无上ニ摂取シ
選択五劫思惟シテ
光明・寿命ノ誓願ヲ
大悲ノ本トシタマヘリ」
善導-「▲南无といふはすなはちこれ帰命なり、 またこれ発願廻向の義なり。 阿弥陀仏といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得」 (玄義分) と。
善導-「言南无者即是帰命、亦是発願廻向之義。言阿弥陀仏者即是其行。以斯義故必得往生。」 文
▲法0028蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立无上殊勝願 超発希有大弘誓
五劫思惟之摂受
▲この三行半は、 これ法蔵の発心・見土・思惟等の相を明す。
此三行半者、是明↢法蔵発心・見土・思惟等相↡。
▲¬経¼ (大経巻上) にいはく、 「国を棄て王を捐てて行じて沙門と作り、 号して法蔵といふ。 高才勇哲にして、 世と超異せり。 世自在王如来の所に詣でて 乃至 ここに世自在王仏、 すなはちために広く二百一十億の諸仏の刹土の天人の善悪、 国土の麁妙をを説きて、 その心願に応じてことごとく現じてこれを与へたまふ。 時にかの比丘、 仏の所説、 厳浄国土を聞きて、 みなことごとく覩見して无上殊勝の願を超発す。 その心寂静にして志所著なし。 一切世間によく及ぶ者なし。 五劫を具足して、 思惟し荘厳仏国の清浄の行を摂取す」 と。 已上
¬経¼云、「棄↠国捐↠王行 作↢沙門↡、号 曰↢法蔵↡。高才勇哲、 与世超異。詣↢世自在王如来所↡ 乃至 於是世自在王仏、即為広説↢二百一十億諸仏刹土天人之善悪、国土之麁妙↡、応↢其心願↡悉現 与↠ 之。時彼比丘聞↢仏所説、厳浄国土↡、皆悉覩見 超↢発无上殊勝之願↡。其心寂静 志无↢所著↡。一切世間无↢能及者↡。具↢足 五劫↡、思惟摂↢取荘厳仏国清浄之行。」已上
▲重0029誓名声聞十方
▲この一句は、 三誓偈の中の第三行の意、 すなはち 「われ仏道を成らんに至るに、 名声十方に超えて、 究竟して聞ゆるところなくは、 誓ひて正覚を成らじ」 (大経巻上)といへる 一行、 すなはちこれ第十七願成就の意なり。
此一句者、三誓偈中第三行意、即云↧「我至↠成↢仏道↡、名声超↢十方↡、究竟 靡↠ 所↠聞、誓不↞成↢正覚↡」一行、即是第十七願成就意也。
▲普放无量无辺光 无无対光炎王
清浄歓喜智慧光 不断難思无称光
超日月光照↓塵刹 一切群生蒙光照
▲この三行六句は、 つぶさに十二光仏の名を挙げてその利益を嘆ず。
此三行六句、具挙↢十二光仏之名↡嘆↢其利益↡。
▲憬興師 (述文賛) 釈していはく、 「无量光仏 算数にあらざるがゆゑに。 无辺光仏 縁として照さざることなきがゆゑに。 无光仏 人法としてよく障ふることあることなきがゆゑに。 无対光仏 もろもろの菩薩の及ぶところにあらざるがゆゑに。 炎王光仏 光明自在にしてさらに上となることなきがゆゑに。 清浄光仏 无貪の善根よりして現ずるがゆゑに、 また衆生の貪濁の心を除くなり。 貪濁の心なきがゆゑに清浄といふ。 歓喜光仏 无瞋の善根よりして生ずるがゆゑに、 よく衆生の瞋恚盛心を除くがゆゑに。 智慧光仏 无痴の善根の心より起る、 衆生の無明品心を除くがゆゑに。 不断光仏 仏の常光つねに照益をなすがゆゑに。 難思光仏 もろもろの二乗の測度するところにあらざるがゆゑに。 无称光仏 また余乗等の堪説するところにあらざるがゆゑに。 超日月光仏 日応じてつねに照すこと周からずして、 娑婆一耀の光なるがゆゑに」 と。 一々の勝徳かくのごとし。
憬興師釈云、「无量光仏 非↢ 算数↡故。无辺0030光仏 无↢縁 不↟ 照故。无光仏 无↠有↢人法而能障 ↡故。无対光仏 非↢諸菩薩之所↟及故。炎王光仏 光明自在 更无↠為↠ 上故。清浄光仏 従↢无貪善根↡而現 故、亦除↢衆生貪濁之心↡也。无↢貪濁之心↡故云↢清浄↡。歓喜光仏 従↢无瞋善根↡而生故、能除↢衆生瞋恚盛心↡故。智慧光仏 従↢无痴善根心↡起、除↢衆生無明品心↡故。不断光仏 仏之常光恒為↢照益↡故。難思光仏 非↣諸二乗所↢測度↡故。无称光仏 亦非↣余乗等所↢堪説↡故。超日月光仏 日応恒照 不↠周、 娑婆一耀之光 故。」一々勝徳如↠此。
▲またこの中に 「↑塵刹」 といふは、 ¬経¼ (大経巻上) にいはく、 「いまし東方恒沙の仏刹を照す。 南西北方・四維・上下もまたかくのごとし」 と。 已上 すでに十方微塵刹土なんぞ遺余あらん。 これをもつていまの讃に 「照塵刹」 といふ。
又此中言↢「塵刹」↡者、¬経¼云、「乃照↢東方恒沙仏刹↡。南西北方・四維・上下亦復如↠是。」已上 既十方微塵刹土何有↢遺余↡。是以今讃云↢「照塵刹」↡。
▲本願名号正定業
▲この一句は、 十七願の意なり。 いはゆる 「▲たとひわれ仏を得たらんに、 十方世界の无量の諸仏、 ことごとく咨嗟して、 わが名を称せずは、 正覚を取らじ」 と。 (大経巻上)
此一句者、十七願意。所謂「設我得↠仏、十方世界无量諸仏、不↣悉咨嗟、称↢我名↡者、不0031↠取↢正覚↡。」
▲至心信楽願為因 成等覚証大涅槃
必至滅度願成就
▲この三句は、 十一願の意なり。 いはゆる 「▲たとひわれ仏を得たらんに、 国中の人天、 定聚に住し、 かならず滅度に至らずは、 正覚を取らじ」 と。 (大経巻上)
此三句者、十一願意。所謂「設我得↠仏、国中人天、不↧住↢定聚↡、必至↦滅度↥者、不↠取↢正覚↡。」
▲如来所以興出世 唯説弥陀本願海
五濁悪時群生海 応信如来如実言
▲この二行四句は、 これ如来出世の本懐を示して、 如来の実語を信受すべきことを勧む。 いはゆる 「▲如来↓無蓋の大悲をもつて三界を矜哀して、 世に出興したまふゆゑは、 道教を↓光闡して群萌を拯ひ恵むに↓真実の利をもつてせんと欲してなり」 (大経巻上) と。 已上
此二行四句、是示↢如来出世本懐↡、勧↠応↣ 信↢受如来実語↡。所謂「如来以↢無蓋大悲↡矜↢哀 三界↡、所↣以出↢興 於世↡、光↢闡 道教↡欲↧ 拯↢群萌↡恵 以↦ 真実之利↥。」已上
義0032寂 (大経義記巻上) のいはく、 「▲↑無蓋といふは、 なほし無上のごとし。 さらにすでに余の悲の上を覆蓋することなきがゆゑなり」 と
義寂云、「言↢無蓋↡者、猶↢無上↡。更已無↣余悲覆↢蓋 上↡故」
この文の中にまた 「↑光闡」 とは、 教法人を利するを名づけて道教となす。 理を証して物を益するをもつて真実となす 「↑真実利」 とは これ名号を指す、 すなはちこれ仏智なり
此文中亦 「光闡」者、教法利↠ 人名為↢道教↡。証↠理益↠ 物以為↢真実↡ 「真実利」者 指此名号、即是仏智
▲能発一念↓喜↓愛心 ↓不断煩悩得涅槃
↓凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味
▲この二行四句は、 これ煩悩罪障の凡夫、 ただ一念の真実信心をもつて、 その証益を得ることを明す。
此二行四句者、是明↧煩悩罪障凡夫、唯以↢一念真実信心↡、得↦ 其証益↥。
▲「能発」 とらは、 信心の相を明す。 「↑喜」 はいはく歓喜、 「↑愛」 はいはく愛楽、 これすなはち信楽なり。
「能発」等者、明↢信心相↡。「喜」謂歓喜、「愛」謂愛楽、是則信楽。
▲↑「不断」 とらは、 ¬論の註¼ の下にいはく、 「荘厳清浄功徳成就とは、 かの世界の相を観ずるに、 三界の道に勝過するがゆゑに。 これいかんが不思議なる。 凡夫人の煩悩成就せるありてまたかの浄土に生ずることを得、 三界の繋業、 畢竟じて牽かず。 すなはちこれ煩悩を断ぜずして↓涅槃分を得るなり」 と。 已上
「不断」等者、¬論註¼下云、「荘厳清浄功徳成就者、観↢彼世界相↡、勝↢過三界道↡故。此云何不思議。有↢凡夫人煩悩成就↡亦得↠生↢ 彼浄土↡、三界繋業、畢竟 不↠牽。則是不↠断↢煩悩↡得↢ 涅槃分↡。」已上
▲問ふ。 いまの ¬註¼ の釈は 「↑涅槃の分を得」 といふ、 いま分といはず、 いかん。
問0033。今¬註¼釈云↠「得↢涅槃分↡」、今不↠云↠分、如何。
▲答ふ。 分は初生に約す、 究竟に約せばよろしくこの字を略すべし、 あるいはまた七言の字数を調へんがためにこれを除くに失なし。
答。分約↢初生↡、約↢究竟↡宜シ↠略↢此字↡、或又為↠調↢七言字数↡除↠之無↠失。
▲「↑凡聖」 とらは、 これ善悪の諸機殊なりといへども、 ひとしく仏願に乗じて同じく報土に生じぬれば、 その差別なきことを顕す。
「凡聖」等者、是顕↧善悪諸機雖↠殊、 斉乗↢仏願↡同生↢ 報土↡、無↦其差別↥。
▲¬論の註¼ の上に、 荘厳性功徳成就を解すと、 性の字を釈す。 いはく、 「また性といふはこれ必然の義、 不改の義なり。 海性の一味にして、 衆流入ぬればかならず一味となりて海水かれに随ひて改まらざるがごとし」 と。 已上
¬論註¼上、解↢荘厳性功徳成就↡、釈↢性字↡。云、「又言↠性是必然義、不改義。如↧海性一味、 衆流入 者必為↢一味↡海水不↦随↠彼改↥。」已上
▲摂取心光常照護 已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
▲この三行六句は、 これ弥陀光摂の益を明す。 貪瞋障蔽これを見ずといへども、 大悲倦からずして、 摂護止むことなし、 心不退を得てかならず往生を得。
此三行六句者、是明↢弥陀光摂之益↡。貪瞋0034障蔽雖↠不↠見↠之、大悲不↠倦、摂護無↠止、得↢心不退↡必得↢往生↡。
「▲問ひていはく、 もし無光如来の光明無量にして、 十方の国土を照すに障するところなしといはば、 この間の衆生なにをもつてか光照を蒙らざる。 光に照さざるところあれば、 あにあるにあらざるや。
「問曰、若言↧無光如来光明無量、 照↢十方国土↡無↞所↢障↡者、此間衆生何以 不↠蒙↢光照↡。光有↠所↠不↠照、豈非↠有↠耶。
▲答へていはく、 は衆生に属す、 光のにはあらざるなり。 たとへば日光四天下に周くしてしかも盲者は見ざるがごとし。 日光の周からざるにはあらず」 と。 已上
答曰、属↢衆生↡、非↢光↡也。譬 如↧日光周↢四天下↡而盲者不↞見。非↢日光不↟周。」已上
▲元照の ¬弥陀経の義疏¼ にいはく、 「まさに知るべし。 われら仏光の中に処してすべて智覚せず、 仏光はつねに摂して、 略むるに厭棄することなし。 盲人の日輪の下に居せるがごとし。 また溷虫の楽ひて穢処に在るがごとし。 膺を撫でてみづから責む、 実に悲痛すべし」 と。 已上 三毒に覆はれて仏光を見ざること、 義盲人の日光を見ざるに同じ。
元照¬弥陀経義疏¼云、「当知。我輩処↢仏光中↡都不↢智覚↡、仏光常摂、略 無↢厭棄↡。 猶↣如盲人居↢ 日輪下↡。又如↣溷虫 楽在↢穢処↡。撫↠膺自責、実可↢悲痛↡。」已上 三毒所↠覆不↠見↢仏光↡、義同↢盲人不↟見↢日光↡。
▲獲信見敬大慶喜 ↓即横超截↓五悪趣
一0035切善悪凡夫人 聞信如来如実言
五種嘉誉「人中好人、人中妙好人、人中上々人、人中希有人、人中最勝人」(散善義)
仏言広大勝解者 是人名分陀白蓮華 利華
▲この三行六句は、 これ念仏真実の行者の信心の勝利を顕す。 聞法の本意は信心を発すにあり、 ゆゑに 「獲信」 といふ。
此三行六句者、是顕↢念仏真実行者信心勝利↡。聞法本意在↠発↢信心↡、故云↢「獲信」↡。
▲「↑即横」 とらは、 「必得超絶去」 (大経巻下) 等の文の意なり。
「必得超絶去 往生安楽国 横截五悪趣 悪趣自然閉(大経巻下)
「即横」等者、「必得超絶去」等文意。
▲「↑五悪趣」 とは、 これ五道なり。 ▲浄影師 (大経義疏巻下) のいはく、 「いまこれ弥陀の浄刹に約対して、 娑婆の五道をひとしく悪趣と名づく。 地獄・鬼・畜は純悪の所向、 名づけて悪趣とする。 娑婆の人天は雑業の所向、 また悪趣と名づく。 もしこの方の修習断除によらば、 まづ見惑を断じて三途の因を離れ、 三途の果を滅す。 後に修惑を断じて人天の因を離れ、 人天の果を絶つ。 漸次の断除なれば、 横截と名づけず。 もし弥陀の浄土に往生することを得ぬれば、 娑婆の五道一時に頓に捨つ、 ゆゑに横截と名づく」 と。 已上 ▲義寂師 (大経義記巻下) いはく、 「もし穢土に就きては、 下の三を悪となし人天を善となす。 いま浄土に対しては五をみな悪と名づく。 一たび往生することを得れば五道頓に去つ、 ゆゑに横截といふ」 と。 已上
「五悪趣」者、是五道也。浄影師云、「今此約↢対 弥陀浄刹↡、娑婆五道斉名↢悪趣↡。地獄・鬼・畜純悪所向、名為↢悪趣↡。娑婆人天雑業所向、亦名↢悪趣↡。若依↢此方修習断除↡、先断↢見惑↡離↢三途因↡、滅↢三途果↡。後断↢0036修惑↡離↢人天因↡、絶↢人天果↡。漸次断除、 不↠名↢横截↡。若得↣往↢生 弥陀浄土↡、娑婆五道一時頓捨、故名↢横截↡」。已上 義寂師云、「若就↢穢土↡、下三為↠悪人天為↠善。今対↢ 浄土↡五皆名↠悪。一得↢ 往生↡五道頓去、故云↢横截↡。」已上
▲弥陀仏本願念仏 ↓邪見軽慢悪衆生
「一代諸教ノ信ヨリモ」(浄土和讃)云々
↓信楽↓受持甚以難 ↓難中之難無過斯
▲この二行四句は、 これ信受甚難なることを明して、 遇法の要益を識知せしめんと欲す。
此二行四句者、是明↢信受甚難↡、欲↠令↣識↢知遇法要益↡。
▲「↑信楽」 とは、 光の ¬記¼ (倶舎論記巻四) に釈していはく、 「信に二種あり。 一には忍許の相、 あるいは信可と名づく、 名異にして義同じ。 二には欲楽の相、 あるいは信楽と名づけ、 あるいは信愛と名づく、 名異にして義同じ」 と。 已上
「信0037楽」者、光¬記¼釈 云、「信有↢二種↡。一忍許相、或名↢信可↡、名異 義同。二欲楽相、或名↢信楽↡、或名↢信愛↡、名異 義同。」已上
▲¬百法論の疏¼ (巻下) にいはく、 「いかなるをか信とする。 実の徳能において深忍楽欲の心浄なるを性となす。 不信を対治して善を楽ふを業となす」 と。 已上
¬百法論疏¼云、「何 為↠信。於↢実徳能↡深忍楽欲心浄 為↠性。対↢治 不信↡楽↠善為↠業。」已上
▲¬唯識論¼ (成唯識論巻六) にいはく、 「忍はいはく勝解、 これすなはち信の因なり。 楽欲はいはく欲、 すなはちこれ信の果なり」 と。 已上
¬唯識論¼云、「忍謂勝解、此即信因。楽欲謂欲、即是信果。」已上
▲これらの文に依して、 信に二義あり。 いはゆる忍許と愛楽とこれなり。 いま 「信楽」 とはすなはちこの二意なり。
依↢此等文↡、信有↢二義↡。所謂忍許愛楽是也。今「信楽」者則此二意。
▲「↑受持」 といふは、 義寂師 (大経義記巻下) のいはく、 「受とは心の領納をなすがゆゑに、 持とは記を得て忘れざるがゆゑに」 と。 已上
言「受持」者、義寂師云、「受者作↢心領納↡故、持者得↠記不↠忘故。」已上
▲「↑難中」 とらは、 ¬経¼ (大経巻下) にいはく、 「もしこの経を聞きて信楽受持すること、 難の中の難なり、 この難に過ぐるなし」 と。 已上
「難中」等者、¬経¼云、「若聞↢斯経↡信楽受持、 難中之難、無↠過↢此難↡。」已上
▲浄影師のいはく、 「前の三に約対してこの経の中の修学もつとも難きことを明す。 余義余法は処々によろしく説くべし。 浄土を開顕して人をして往生せしむるは独りこの一経なり。 これをもつとも難しとなす」 と。 已上 「前三」 といふは、 諸仏の経道、 菩薩の勝法、 聞法能行、 これみな難しとなす。 三に対するに今の ¬経¼ 第一に難し。
浄影師云0038、「約↢対 前三↡明↢此経中修学最難↡。余義余法処々宜説。開↢顕浄土↡教ル↢人 往生↡独此一経。為↢是最難↡。」已上 言「前三」者、諸仏経道、菩薩勝法、聞法能行、是皆為↠難。対↠ 三今¬経¼第一難也。
▲問ふ。 この ¬経¼ を持つ人、 善悪の二機さらに選ぶところなし。 なんぞ 「↑邪見・憍慢」等といふや。
問。持↢此¬経¼↡人、善悪二機更無↠所↠選。何云「邪見・憍慢」等↡耶。
▲答ふ。 念仏の機広く善悪に亘ること置きて論ぜず。 しかりといへどももつぱら障重根鈍をもつて正機とするがゆゑに、 まづ悪人に約す、 善人を除くにはあらず。
答。念仏之機広亘↢善悪↡置而不↠論。雖↠然専以↢障重根鈍↡為↢正機↡故、先約↢悪人↡、非↠除↢善人↡。
▲印度西天之論家 中夏日域之高僧
↓顕大聖興世正意 ↓明如来本誓応機
▲この二行四句は、 総じて三朝の高僧弘教利生の本心を明す。
此二行四句者、総 明↢三朝高僧弘教利生本心↡。
▲↑「顕大」 とらは、 これ釈尊発遣の聖意を顕す。
「顕0039大」等者、是顕↢釈尊発遣聖意↡。
▲↑「明如」 とらは、 これ弥陀済度の仏願を示す。
「明如」等者、是示↢弥陀済度仏願。
「南天竺ニ比丘アラン」(高僧和讃)ト云々
▲釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
龍樹大師出於世 悉能摧破有無見
「本師龍樹菩薩ハ大乗無上」(高僧和讃)ト云々
宣説↓大乗无上法 証歓喜地生安楽
▲この三行六句は、 これ釈尊未来記の説を明す。 ▲¬楞伽経¼ (魏訳巻九総品意) にいはく、 「わが乗↓内証の智は↓妄覚の境界にあらず。 如来滅世の後、 たれぞ持ちてわがために説かん。 未来にまさに人あるべし。 南の大国の中において、 大徳比丘ありて龍樹菩薩と名づけん。 よく有无の見を破して、 人のために↓わが乗大乗無上の法を説きて、 初歓喜地に住して安楽国に往生せん」 と。 已上 この ¬経¼ の文の意、 真言の行人は秘教に約すと謂へり。 真宗の学者は念仏に被らしめんとす。
此三行六句者、是明↢釈尊未来記説↡。¬楞伽経¼云、「我乗内証智妄覚非↢境界↡。如0040来滅世後、誰持為↠我説。未来当↠有↠人。於↢南大国中↡、有↢大徳比丘↡名↢龍樹菩薩↡。能破↢有无見↡、為↠人説↢我乗大乗無上法↡、住↢初歓喜地↡往↢生 安楽国↡。」已上 此¬経¼文意、真言行人謂↠ 約↢秘教↡。真宗学者為↠被↢念仏↡。
▲「↑内証智」 とは、 弥陀の五智なり。
「内証智」者、弥陀五智。
▲「↑妄覚」 とは、 声聞・菩薩如来の智慧海を測らざるなり。
「妄覚」者、声聞・菩薩不↠測↢如来智慧海↡也。
▲「↑わが乗大乗无上の法」 とは、 念仏三昧なり。 龍樹の讃の中に、 多く弥陀を讃じて稽首礼拝す。 ゆゑに真門を指してみづから 「わが乗」 といふ。
「我乗大乗无上法」者、念仏三昧。龍樹讃中、多讃↢弥陀↡稽首礼拝。故指↢真門↡自云↢「我乗」↡。
▲いま 「↑大乗無上の法」 といふは、 すなはちこれ念仏なり。 仏の名号をもつてを説きて大利となし、 また無上の功徳といふがゆゑなり。 なかんづくすでに安楽の往生を説く。 このゆゑに釈尊未来の記の文、 龍樹の出世、 もつぱら弥陀教を弘通せんがためなり。
今言↢「大乗無上法」↡者、即是念仏。仏以↢名号↡説為↢大利↡、又言↢無上功徳↡故也。就↠中既説↢安楽往生↡。是故釈尊未来記文、龍樹出世、専為↣弘↢通弥陀教↡也。
▲顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
▲この一行二句は、 判じて難易二道の得失を示す。 その文、 もと ¬十住婆娑¼ (巻五易行品意) に出たり。 いはゆる 「▲難行道とは、 いはく五濁の世無仏の時において阿毘跋致を求むるを難となす。 この難に多途あり。 いまこれを略す。 たとへば陸路の歩行はすなはち苦しきがごとし。 ▲易行道とは、 いはくただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ず、 仏願力に乗じて、 すなはちかの清浄の土に往生することを得。 たとへば水路の乗船はすなはち楽しきがごとし。」
此0041一行二句者、判 示↢難易二道得失↡。其文、源出↢¬十住婆娑¼↡。所謂「難行道者、謂於↢五濁之世無仏之時↡求↢阿毘跋致↡為↠難。此難有↢多途↡。今略↠之。譬如↢陸路歩行則苦↡。易行道者、謂但以↢信仏因縁↡願↠生↢ 浄土↡、乗↢仏願力↡、便得↣往↢生彼清浄土↡。譬如↢水路之乗船則楽↡。」
▲憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
▲この一行二句は、 「▲これよくこの仏の無量力功徳を念ずれば、 即時に必定に入る、 このゆゑにわれつねに念じたてまつる」 (十住論巻五易行品) の文の意なり。
此一行二句者、「是能念是仏、無量力功徳、即時入必定、是故我常念」文意也。
「弥陀大悲ノ恩ヲフカク信ン人」(正像末和讃)ト云々
▲唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩
▲この一行二句は、 総結の釈なり。 易行の法に遇ひて出離心にあり、 他力の仏恩に報謝すべきことを勧む。
此一行二句者、総結釈也。遇↢易行法↡出離0042在↠心、勧↠応↣ 報↢謝他力仏恩↡。
「天親論主ハ一心ニ」(高僧和讃)ト云々
▲天親菩薩造論説 帰命无光如来
▲この一行二句は、 造論の事を標して帰命の意を述ぶ。
此一行二句者、標↢造論事
↡述↢帰命意↡。
▲依修多羅顕真実 光闡横超大誓願
「論主ノ一心トトケルヲバ」(高僧和讃)ト云々
広由本願力廻向 為度群生↓彰一心
▲この二行四句は、 これ所依真実の義を明し、 また横超他力の益を顕す。 ¬論¼ の中に横超の言なしといへども、 三経一論所説の法門体同じきがゆゑに、 かの ¬経¼ (大経巻下) の中にあるいは 「横超」 といひ、 あるいは 「横截」 といふによりて、 いま 「横超」 といふ。 また大師の釈にこの名目あり、 ゆゑに 「横超大誓願」 といふなり。
此二行四句者、是明↢所依真実之義↡、又顕↢横超他力之益↡。¬論¼中雖↠无↢横超之言↡、三経一論所説法門体同 故、依↧彼¬経¼中或↢「横超」↡、或云↦「横截」↥、今云↢「横超」↡。又大師釈有↢此名目↡、故云↢「横超大誓」↡願也。
▲「↑彰一心」 とは、 「我一心」 を指す、 論主の一心、 行者の一心、 その心同じかるべし。 このゆゑに釈して 「為度群生j といふ。
「彰0043一心」者、指↢「我一心」↡、論主一心、行者一心、其心可↠同。是故釈 云↢「為度群生」↡。
▲帰入功徳大宝海 ↓必獲入大会衆数
↓得至↓蓮花蔵世界 ↓即証真如法性身
↓遊煩悩林現神通 入生死園示応化
▲この三行六句は、 ¬論¼ の五の門の中の第二・第三・第五の門の意なり。
此三行六句者、¬論¼五門中第二・第三・第五門意。
▲¬論の註¼ の下にいはく、 「入第二門とは、 阿弥陀仏を讃嘆して、 名義に随順して如来の名を称し、 如来の光明智相によりて修行するをもつてのゆゑに、 大会衆の数に入ることを得。 これを第二門名づく。 如来の名義によりて讃嘆す。 これ第二の功徳の相なり。 入第三門とは、 一心に専念してかしこに生ぜんと作願し、 奢摩他寂静三昧の行を修するをもつてのゆゑに、 蓮花蔵世界に入ることを得。 これを入第三門と名づく。 寂静止を修せんがためのゆゑに、 一心にかの国に生ぜんと願ず。 これ第三の功徳の相なり。 乃至 出第五門とは、 大慈悲をもつて一切苦悩の衆生を観察して、 応化身を示す。 生死の園、 煩悩の林の中に廻入して、 神通を遊戯して教化地に至る。 本願力の廻向をもつてのゆゑに。 これを出第五門と名づく」 と。 已上
¬論註¼下云、「入第二門者、以↧讃↢嘆 阿弥陀仏↡、随↢順 名義↡称↢如来名↡、依↢如来光明智相↡修行↥ 故、得↠入↢ 大会衆数↡。是名↢第二門↡。依↢如来名義↡讃嘆。是第二功徳相。入第三門者、依↧一心専念 作↢願 生↟ 彼0044、修↦ 奢摩他寂静三昧行↥故、得↠入↢ 蓮花蔵世界↡。是名↢入第三門↡。為↠修↢ 寂静止↡故、一心願↠生↢ 彼国↡。是第三功徳相。乃至 出第五門者、以↢大慈悲↡観↢察 一切苦悩衆生↡、示↢応化身↡。廻↢入 生死園↡、煩悩林中↡、遊↢戯 神通↡至↢教化地↡。以↢本願力廻向↡故。是名↢出第五門↡。」已上
▲「↑必獲入大会衆数」 とは、 第二門の益。
「必獲入大会衆数」者、第二門益。
▲「↑得至蓮華蔵世界」 とは、 第三門の益。
「得至蓮華蔵世界」者、第三門益。
▲「↑遊煩悩林現神通」 とは、 第五門の益。 いま第一・第四の両門を除く。
「遊煩悩林現神通」者、第五門益。 今除↢第一・第四両門↡。
▲問ふ。 五門の中にこの三門を挙ぐる何の意かあるや。
問。五門之中挙↢此三門↡有↢何意↡耶。
▲答ふ。 第二門とは、 これ讃嘆門なり。 その讃嘆とは、 名義に随順して如来の名を称する、 これ肝要なるがゆゑに。 第三門とは、 その益蓮花蔵世界なるがゆゑに、 勝益なるにつきていまことさらにこれを出す。 入の四門の中に最要なるをもつてこの二門を挙ぐ。 第五門とは、 これ出の功徳、 還相の廻向、 利益衆生の至極なるがゆゑに。 これらの義によりてこの三門を出す。
答。第二門者、是讃嘆門。其讃嘆者、随↢順 名義↡称↢如来名↡、是肝要 故。第三門者、其益蓮花0045蔵世界 故、就↠為↢勝益↡今故出↠之。入四門中以↠為↢最要↡挙↢此二門。第五門者、是出功徳、還相廻向、利益衆生之至極 故。依↢是等義↡出↢此三門。
▲問ふ。 「↑蓮華蔵世界」 とは、 これいづれの土や。
問。「蓮華蔵世界」者、是何土哉。
▲答ふ。 智光の ¬疏¼ (無量寿経論釈巻五) にいはく、 「廬遮那仏蓮華蔵世界に坐すといふがごとし。 いま蓮華蔵世界といふは、 无量寿仏所居の住処、 この世界に准ずるに義に随ひて名となす。 すなはちこれ修行安心の宅なり」 と。 已上 この文のごときは、 極楽と花蔵とこれ一土なり。
答。智光¬疏¼云、「如↠言↣廬遮那仏坐↢蓮華蔵世界↡。今言↢蓮華蔵世界↡者、无量寿仏所居住処、准↢ 此世界↡随↠義為↠名。即是修行安心之宅。」已上 如↢此文↡者、極楽花蔵是一土也。
▲問ふ。 花蔵世界は純菩薩の居、 極楽国土は五乗通入す。 なんぞ一土ならんや。
問。花蔵世界純菩薩居、極楽国土五乗通入。何一土 哉。
▲答ふ。 分ちて両土とすることはしばらく機見に随ふ。 その深旨に達すれば各別の土にあらず。 随ひてすなはち極楽は大乗善根清浄の土なるがゆゑに、 実に二乗・三乗の異なし。 これによりて ¬智論¼ (大智度論巻三八往生品) に 「一乗清浄无量寿仏世界」 といひ、 いまの ¬論¼ にはを説きて 「蓮花蔵世界」 といふ、 名異にして義同じきことその理知んぬべし。
答0046。分為↢ 両土↡且随↢機見↡。達↢ 其深旨↡非↢各別土↡。随則極楽大乗善根清浄土 故、実无↢二乗・三乗之異↡。依↠之¬智論¼云↢「一乗清浄无量寿仏世界」↡、今¬論¼説云↢「蓮花蔵世界」↡、名異 義同 其理応↠知。
▲↑「即証」 とらは、 寂静三昧所入の土なるがゆゑに、 真如法性の証を得るなり。
「即証」等者、寂静三昧所入之土 故、得↢真如法性証↡也。
▲本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼
▲この一行二句は、 朝の崇重を明してその行徳を示す。
此一行二句者、明↢朝崇重↡示↢其行徳↡。
▲迦才の ¬浄土論¼ (巻下) にいはく、 「沙門曇鸞法師は、 州汶水の人なり。 魏の末高斉の初に、 なほ在り。 神智高遠にして、 三国に知聞せらる、 洞かに衆経を暁りて独り人外に出たり。 梁国の天子蕭王、 つねに北に向ひて鸞菩薩と礼す。 ¬往生論¼ を註解して裁して両巻をなす」 と。 已上
迦才¬浄土論¼云、「沙門曇鸞法師者、州汶水人也。魏末高斉之初、猶在。神智高遠、 三国知聞、 洞 暁↢ 衆経↡独出↢人外↡。梁国天子蕭王、恒向↠北礼↢鸞菩薩↡。註↢解 ¬往生論¼↡裁成↢両巻↡。」已上
「本師0047曇鸞和尚ハ菩提流支ノヲシヘ」(高僧和讃)ト云々
▲三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦
▲この一行二句は、 まづ今師の帰法の行状を明す。
此一行二句者、先明↢今師帰法行状↡。
▲¬新修往生伝¼ (巻下) にいはく、 「はじめ鸞好みて述学をなす。 陶隠居長生の法を得たりと聞きて千里にこれに就く。 陶仙経十巻をもつて鸞に授く。 鸞躍然としてみづから得たり。 神仙の術それ必然なりとおもへり。 後に洛下に還りて菩提留支に遇ふ。 意すこぶるこれを得たり。 支に問ひていはく、 仏道に長生を得ることありや、 つぶさによく老を却けて不死をなさんやと。 支笑ひて対へていはく、 長生不死はわが仏道なり。 従へて ¬観無量寿経¼ をもつてこれを授けていはく、 なんぢこれを誦すべし、 すなはち三界にまた生ずることなし、 六道にび往くことなし。 乃至 これわが金0048仙氏の長生なり。 乃至 鸞その語を承けてしばしば深信を起す。 つひに所学の仙経を焚きて ¬観経¼ をもつぱらにす」 と。 已上
¬新修往生伝¼云、「初鸞好為↢述学↡。聞↣陶隠居得↢ 長生法↡千里就↠之。陶以↢仙経十巻↡授↠鸞。鸞躍然 自得。以↢為オモヘリ 神仙之術其必然↡ 也。後還↢洛下↡遇↢菩提留支↡。意頻得↠之。問↠支曰、仏道有↠得↢長生↡乎、具能却↠ 老為↢不死↡乎。支笑曰対曰、長生不死吾仏道也。従 以↢¬観無量寿経¼↡授↠之曰、汝可↠誦↠此、則三界無↢復生↡、 六道無↢往↡。乃至 此吾金0048仙氏之長生也。乃至 鸞承↢其語↡驟起↢深信↡。遂焚↢所学仙経↡而専↢¬観経¼↡。」已上
▲天親菩薩論註解 報土因果顕誓願
往還廻向由他力 正定之因唯信心
↓惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃
↓必至无量光明土 所有衆生皆普化
▲この四行八句は、 ¬論の註¼ の意によりてほぼその意を述ぶ。
此四行八句者、依↢¬論註¼意↡粗述↢其意↡。
▲「論註解」 とは、 上に引くところの迦才師の釈に見えたり。
「論註解」者、見↢上所↠引迦才師釈↡。
▲「↑惑染」 とらは、
「惑染」等者、
▲問ふ。 生死即涅槃の証は、 深悟の機に約す。 惑染の凡夫、 たとひ信心を発すとも、 いかでかその証を得ん、 随ひていまの教には无相離念の義を明さず。 煩悩・菩提不二の悟、 なにをもつてかこれを開かん。
問。生死即涅槃証者、約↢深悟機↡。惑染凡夫、縦発↢ 信心↡、争得↢其証↡、随而今教 不↠明↢无相離念之義↡。煩悩・菩提不二之悟、何以 開↠之。
▲答ふ。 凡夫ただちにこの理を証するといふにはあらず、 しかるにいまの名号は万徳の所帰、 仏果の功徳なり。 能信の信心、 また他力より起る、 さらに凡夫自力の信行にあらず。 このゆゑに信を発しその名号を称すれば、 不断煩悩の悪機なりといへども、 法の功能によりてこの理を備ふるなり。
答0049。非↠云↣凡夫直証↢此理↡、而今名号万徳所帰、仏果功徳。能信信心、又起↢他力↡、更非↢凡夫自力信行↡。是故発↠信称↢ 其名号↡、雖↠為↢不断煩悩悪機↡、依↢法功能↡備↢此理↡也。
▲↑「必至」 とらは、 かの土に生じおはりぬれば、 広く衆生を利するに自在を得るなり。
「必至」等者、生↢彼土↡已、 広利↢ 衆生↡得↢自在↡也。
▲↓道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
▲この一行二句は、 綽公の讃。 ¬安楽集¼ によりてその義趣を演ぶ。
此一行二句者、綽公讃。依↢¬安楽集¼↡演↢其義趣↡。
▲「↑道綽」 とらは、 かの ¬集¼ の上巻第三大門に五番ある中の、 第五の文段に ¬月蔵経¼ を引きて聖道門末法の修行得道成じがたきことを証するに、 結して 「唯有浄土一門、 可通入路」 といふ。已上
「道綽」等者、彼¬集¼上巻第三大門有↢五番↡中、第五文段引↢¬月蔵経¼↡証↢ 聖道門末法修行得道難↟ 成、結 云↢「唯有浄土一門可通0050入路」↡。已上
¬月蔵経¼ (大集経巻五五月蔵分閻浮提品意) にいはく、 「▲わが末法の時のうちに、 億々の衆生行を起し道を修すれども、 いまだ一人として得るものあらず」 と。 文
¬月蔵経¼云、「我末法時中、億々衆生起行修道、未有一人得者。」文
道綽この文を釈していはく、 「▲当今は末法にして、 これ五濁悪世なり。 ただ浄土のみありて通入すべき路なり」 と。 文
道綽釈↢此文↡云、「当今末法、是五濁悪世。唯有浄土、可通入路。」文
▲万善自力貶勤修
▲この一句は、 同じき釈 (安楽集巻上) の中に、 あるいは 「一切衆生すべてみづから量らず」 といひ、 あるいは 「しかるに持ち得る者ははなはだ希なり」 といふ。 これ自力の修行を貶する義なり。
此一句者、同釈中、或云↣「一切衆生都 不↢自量↡」、或云↢「然持得者 甚希」↡。是貶↢自力修行↡義也。
▲円満徳号勧専称
▲この一句は、 これ同じき釈 (安楽集巻上) の中に、 あるいは 「ここをもつて諸仏の大悲勧めて浄土に帰せしめたまふ」 といひ、 あるいは 「なんぞ思量せずしてすべて去心なきや」 といふ。 これ專称念仏を勧むる義なり。
此一句者、是同釈中、或云↣「是以諸仏大悲勧帰↢ 浄土↡」、或云↧「何不↢ 思量↡都无↢去心↡也」↥。是勧↢專称念仏↡義也。
▲三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引
▲この一行二句は、 かの ¬集¼ の大門第二の章に三番ある中の第三、 広く問答を施して疑情を釈去する下の釈なり。
此一行二句者、彼¬集¼大門第二之章有↢三0051番↡中第三、広施↢問答↡釈↢去 疑情↡下釈。
▲その文大略 ¬論の註¼ と同じ。 その文 (論註巻下) にいはく、 「▲一には信心淳からず、 若存若亡のゆゑに。 二には信心一ならず、 決定なきがゆゑに。 三には信心相続せず、 余念間つるがゆゑに。 ◆この三句展転してあひ成ず。 信心淳からざるをもつてのゆゑに決定なし。 決定なきがゆゑに念相続せず。 また念相続せざるがゆゑに決定の信を得ず、 ゆゑに心淳からず。 これと相違するを如実修行相応と名づく」 と。
其文大略与↢¬論註¼↡同。其文云、「一者信心不↠淳、若存若亡故。二者信心不↠一、無↢決定↡故。三者信心不↢相続↡、余念間故。此三句展転 相成。以↢信心不↟淳故無↢決定↡。无↢決定↡故念不↢相続↡。亦念不↢相続↡故不↠得↢決定信↡、故心不↠淳。与↠此相違 名↢如実修行相応↡。」
▲一生造悪値弘誓 至安養界証妙果
▲この一行二句は、 上 (安楽集巻上) に 「唯有浄土」 とらいふ同じき章にいはく、 「たとひ一生悪を造れども、 ただよく意を繋けて専精につねによく念仏すれば、 一切の諸障自然に消除して、 さだめて往生を得」 と。 已上 この文の意なり。
此一行二句者、是上云↢「唯有浄土」等↡之同章云、「縦令一生造↠ 悪、但能繋↠意専精常能念仏、一切諸障自然消除、定得0052↢往生↡。」已上 此文意也。
▲↓善導独明仏正意 ↓矜哀↓定散与逆悪
↓光明名号顕因縁 開入本願大智海
↓行者正受金剛心 慶喜一念相応後
↓与韋提等獲↓三忍 ↓即証法性之常楽
▲この四行八句の文は、 大師の讃なり。
此四行八句之文者、大師讃。
▲「↑善導」 とらは、 ¬選択集¼ の意、 諸師多しといへどもひとり今師による。 けだし仏証を請ひて古今を階定し、 明らかに別意弘願の正旨を顕すゆゑなり。 これによりてあるいは弥陀の化身といひ、 あるいは経文を勘へてただちに教主釈尊の再誕といふ。 さらに余師に准ずべからざるものなり。
「善導」等者、¬選択集¼意、諸師雖↠多 独依↢今師↡。蓋請↢仏証↡階↢定古今↡、明顕↢別意弘願正旨↡故也。依↠之或云↢弥陀化身↡、或勘↢経文↡直云↢教主釈尊再誕↡。更不↠可↠准↢余師↡者也。
▲「↑矜哀」 とらは、 所被の機あまねく善悪を兼ぬることを明す。
「矜哀」等者、明↣所被機普兼↢ 善悪↡。
▲「↑定散」 といふは、 ただこれ簡機その受法にあらず、 ゆゑに造逆・造悪の衆生に対して、 定と散とを挙げてもつて善機とす。
言↢「定散」↡者、只是簡機非↢其受法↡、故対↢造逆・造悪衆生↡、挙↢定与散↡以為↢善機↡。
▲「↑光明」 とは、 ¬礼讃¼ 前序の釈の意なり。 いはゆる 「▲光明・名号摂化十方。 但使信心求念」 と。 文
「光明」者0053、¬礼讃¼前序釈意也。所謂「光明・名号摂化十方。但使信心求念。」 文
▲「↑行者」 とらは、 菩薩等覚の後の心を指すにあらず、 ただ一心念仏の行者、一念慶喜の金剛信心を明す。
「行者」等者、非↠指↢菩薩等覚後心↡、只明↢一心念仏行者、一念慶喜金剛信心↡。
▲「↑与韋提」 とは、 ¬教行証¼ 三末 (信巻) にいはく、 「▲金剛心を獲れば、 すなはち韋提と等しく、 すなはち喜・悟・信の忍を獲得するべし。 これすなはち往相廻向の真心徹到するがゆゑに、 不可思議の本誓によるがゆゑなり。」
「与韋提」者、¬教行証¼三末云、「獲↢金剛心↡者、則与↢韋提↡等、即可↣獲↢得喜・悟・信之忍↡。是則往相廻向之真心徹到 故、籍↢不可思議之本誓↡故也。」
▲「↑三忍」 といふは、 喜忍・悟忍・信忍なり。 喜忍とは、 信心歓喜の相なり。 悟忍とは、 仏智を悟るがゆゑなり。 信忍とは、 信心成就の相なり。
言↢「三忍」者、喜忍・悟忍・信忍也。喜忍者、信心歓喜之相。悟忍者、悟↢仏智↡故。信忍者、信心成就之相。
▲「↑即証」 とらは、 ¬礼讃¼ 前序 (玄義分) の釈にいはく、 「この穢身を捨ててすなはちかの法性の常楽を証する」 意なり。
「即証」等者、¬礼讃¼前序釈云、「捨↢此穢身0054↡即証↢彼法性之常楽↡」意也。
「夫往生極楽之教行、濁世末代之目足也。道俗貴賎、誰不帰」(要集巻上)
▲源信広開一代教 偏帰安養勧一切
▲この一行二句は、 楞厳の讃なり。 諸教の中に選びて安養に帰しひとへに西方を勧むることを標す。
此一行二句者、楞厳讃。標↧諸教中選帰↢安養↡偏勧↦ 西方↥。
▲↓専雑執心判浅深 報化二土正辨立
↓極重悪人唯称仏 ↓我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見 大悲无倦常照我
▲この三行六句は、 別して ¬要集¼ によりてその義趣を弁ず。
此三行六句者、別 依↢¬要集¼↡弁↢其義趣↡。
▲「↑専雑」 とらは、 かの ¬集¼ の下の末に ¬群疑論¼ の問答を引く中に、 雑修の人は執心不牢にして悔慢国に生じ、 専行の人は執心牢固にして極楽国に生ずることを明す。 これ専雑二修の得失を判じ、 また報化二土の得失を辨立するところの文なり。
「専雑」等者、彼¬集¼下末引↢¬群疑論¼問答↡之中、明0055↧雑修人執心不牢 生↢悔慢国↡、専行人執心牢固 生↦ 極楽↥。是判↢専雑二修得失、又所↣辨↢立 報化二土得失↡文也。
▲「↑極重」 とらは、 同じき ¬集¼ の下の本、大門第八念仏証拠門の中に十文を出す内、 四に ¬観経¼ によりて出し釈するところの 「極重悪人無他方便、 唯称弥陀得生極楽」 の要文の意なり。
「極重」等者、同¬集¼下本、大門第八念仏証拠門中出↢十文↡内、四依↢¬観経¼↡所↢出釈↡之「極重悪人無他方便、唯抄弥陀得生極楽」要文意也。
▲「↑我亦」 とらは、 同じき ¬集¼ (要集) の上の末、大門第四正修念仏の章段の中に五門ある内、 中の末第四に観察門を明す、 中において三あり、 一には別相観、 二には総相観、 三には雑略観なり。 その雑略観にかの ¬観経¼ の 「一々光明遍照」 等の文を引きて、 その下に釈するところの 「我亦在彼摂取之中、 煩悩障眼雖不能見、 大悲无倦常照我身。」 文 この文の意なり。
「我亦」等者、同¬集¼上末、大門第四正修念仏章段之中有↢五門↡内、中末第四明↢観察門↡、於↠中有↢三、一 別相観、二 総相観、三 雑略観。其雑略観引↢彼¬観経¼「一々光明遍照」等文↡、其下所↠釈 「我亦在彼摂取之0056中、煩悩障眼雖不能見、大悲无倦常照我身。」 文 此文意也。
▲本師源空明仏経 憐愍善悪凡夫人
▲この一行二句は、 黒谷の讃なり。 これは総じてこれは智解悲心の二徳を称す。
此一行二句者、黒谷讃。是総 是称↢智解悲心二徳↡。
▲真宗教証興片州 選択本願弘悪世
▲この一行二句は、 別して片州弘通の巨益を嘆ず。
此一行二句者、別 嘆↢片州弘通巨益↡。
▲還来生死輪転家 決以疑情為所止
独入寂静无為楽 必以信心為能入
▲この二行四句は、 ¬選択集¼ につきて釈義の要を挙ぐ、 いはゆる 「当知、 生死之家以疑為所止、 信心之城以信為能入」 の文の意なり。
此0057二行四句者、就↢¬選択集¼↡挙↢釈義要↡、所謂「当知、生死之家以疑為所止、涅槃之城以信為能入」之文意也。
▲弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪
道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説
▲この二行四句は、 総じて諸祖拯済の徳を結して、 かれらの説を依信すべきことを勧むらくのみ。
此二行四句者、総 結↢諸祖拯済之徳↡、勧↠ 可↣ 依↢信彼等説↡耳。
⊂ ⊃
⊂ ⊃鍬スキクワ↡之者↥
□商 アキナヒ沽ウル為↠業有↧趨↢世路↡之者↥
四芸能為↠本有↧渡 世□者↥
三定聚者
一正定聚 必入涅槃也 ⊂ ⊃ 二邪定聚 必入悪道 造无間罪人
三不定聚 除□□ 余衆□□
又当流意
□□□聚□□行者二邪定聚 自力有情諸悪人也
⊂ ⊃者也云々
底本は本派本願寺蔵蓮如上人自筆本。 ただし書き下しは有国により、 表記は現代仮名遣いとした。