0699蓮如上人一語記(実悟旧記)

 

行頭の「」が太いオレンジの条は、 ¬御一代記¼・¬空善聞書¼ に見られないもの。

(1)

一 蓮如上人仰られ候。 本尊は掛やぶれ、 聖教は読破れと、 対句に仰られ候。

(2)

一 他流には、 名号よりは木像と云なり。 当流には、 木像よりは絵像、 絵像よりは名号と云なり。

(3)

一 御本寺北殿にて法敬坊に対し蓮如上人仰られ候。 われは何事をも当機をかゞみておぼしめし、 とをあるものを一にするやうに、 かろがろとして理を叶やうに御沙汰候。 これを人がかんがへぬと仰られ候。 「御文」 等をも近年は御詞すくなにあそばされ候。 今は物を聞うちにも退屈し、 物をきゝおとす間、 肝要の事をやがて知るやうにあそばされ候のよし仰られ候由候。

(4)

一 蓮如上人御言に、 兼縁と云人、 あまた小名号を申し入し時、 信心をやるぞやるぞと仰られ候。 信心の体名号にて候。 仰今思ひ合候由領解仕り、 歓喜の泪をながすと 云云

(5)

一 蓮如上人仰に、 堺の日向は万貫持たれども、 死たるが仏にはなり候まじ。 大和の了妙は帷一をもきかね候へども、 此度仏になるよと仰られ候。

(6)

一 蓮如上人へ久宝寺の法性申され候。 一念に後生御助0700候へと弥陀を賴奉るばかりにて往生一定と存候。 かやうにて御入候かと申され候へば、 ある人わきより、 それはいつも事にて候、 別の不審なることなど候はでと申され候へば、 蓮如上人仰られ候。 それぞとよ、 わろきとは。 めづらしきことをきゝたく思ひ知り度く思也。 信の上にてはいくたびも心中の趣、 かやうに申さるべきよし仰られ候。

(7)

一 蓮如上人仰られ候。 一向に不信のよし申候人はよく候。 ことばにて安心のとほり申候て、 口は同じことにて、 まぎれてむなしくなるべきことを悲く思召候由を仰られ候。

(8)

一 聖人の御流は阿弥陀如来の御流也。 されば 「御文」 (四帖九) には 「阿弥陀如来の仰られける」 と 云々

(9)

一 蓮如上人、 あるとき順誓と法敬に対せられ仰られ候。 今此弥陀をたのめと云ことを御教候人しりがたきと仰られ候。 順誓、 存ぜぬと申され候。 今御をしへ候一人を云べし。 鍛冶・番匠なども物ををしふるに物出すものなり。 一大事のことなり。 何ぞ物をまひらせよ。 いふべきと仰られ候そのとき、 順誓、 中々なになりとも進上いたすべきと申され候。 蓮如上人仰られ、 此ことを御をしへ候人は阿弥陀如来にて候。 阿弥陀如来の我を頼めとの御をしへにて候由仰られ候。

(10)

一 法敬坊、 上人へ申され候。 あそばされ候御名号焼申候が、 六体の仏になり玉ひ申候。 不思議なる御事と申され候。 前々住上人、 其ときおほせられ候。 それは不思議にてもなし。 仏の仏に御なり候は不思議にてもなく候。 悪人凡夫の弥陀を頼む一念にて仏になるこそ不0701思議よと仰られ候よしに候。

(11)

一 朝夕、 如来・聖人の御用にて候間、 冥加のかたを深く の↠存 し、 前々住上人被仰候よしに候。

(12)

一 前々住上人仰られ候。 「かむとはしるとも、 呑とはしらすな」 と云事があるぞ。 妻子を帯し魚鳥を服し、 罪障の身也と云て、 さのみ思のまゝには有間敷と 云々

(13)

仏法には无我と仰られ候。 我と思ふことはいさゝかあるまじきことなり。 我はわろしと思人なし。 これ聖人の御罰なりと御詞候。 他力の御しんにて候。 ゆめゆめ我と云ことはあるまじく候。 无我と云こと、 前々住上人も度々仰られ候。

(14)

一 「日比しるところを善知識にあひてとへば得分ある也」 (浄土見聞集意) 。 しれることを問へば得分あるといへるが殊勝のことばなりと、 蓮如上人仰られ候。 しらざるところを問ばいかほど殊勝なることあるべきぞと、 仰ごとにてさふらふ由しに候。

(15)

一 聴聞を申も大略我が為とは不↠思、 やゝもすれば法門の一つをもきゝ覚へ、 人にうり心あるぞとの仰事にて候。

(16)

一 一心に賴奉る機は、 如来のよくしろしめす也。 弥陀のたゞしろしめすやうに心中を持べし。 冥加を恐しく存べきことにて候との義に候。

0702(17)

一 前住上人仰られ候。 前々住より御相続の義は別義なき也。 唯弥陀頼む一念の義より外、 別義なく候。 これよりほか御存なく候。 いかやうの御誓言もあるべしと也。

(18)

一 同く仰られ候。 凡夫往生は、 唯頼む一念にて仏にならぬ事あらば、 いかなる御誓言も仰らるべし。 証拠は南无阿弥陀仏也。 十方の諸仏の証人で候。

(19)

一 蓮如上人仰られ候。 物をいへいへと仰られ候。 物を申さぬ者はをそろしきと仰られ候。 信不信ともに、 たゞ物をいへと仰られ候。 物を申せば心底もきこへ、 又人にもなをさるゝなり。 唯物を申せと仰られ候由し候。

(20)

一 人のこゝろゑのとをり申されけるに、 わが心はたゞかごに水をいれ候やうに、 仏法の御座敷にてはありがたくもたふとくも存じ候が、 やがてもとの心の中にまかりなり候と申さるゝ所に、 前々住上人仰られ候。 そのかごを水につけよ、 我が身を法にまかせ是をしんごんすれば、 うれしゐ心根が身の内心のそこにたゑぬによつて、 忘るゝ心も常にありがたい御ことを物なりと 云々

(21)

一 万事信なきによりわろきなり。 善知識のわろきと仰らるゝは、 信のなきことをくせ事と仰られ候事に候。

(22)

一 聖教を拝見申も、 うかうかとおがみ申はその詮なし。 蓮如上人は、 たゞたゞ聖教をばくれくれと仰られ候。 又 「百反もこれをみれば義理おのづからうる」 と申事0703もあれば、 こゝろをとゞむべき也。 聖教は句面のごとくこゝろうべし。 そのうへに師伝口業はあるなり。 まわして私にして会釈することしかるべからざるなりと 云々

(23)

一 前々住上人仰られ候。 他力信心他力信心とみれば、 あやまりなきよし仰られ候。

(24)

一 我ばかりと思ふは、 独覚心なること、 あさましきこと也。 信あらば仏の御慈悲をうけとり申うへは、 わればかりと思ことはあるまじく候。 触光柔軟の願あり候ときは、 心もやはらぐべき事也。 されば縁覚のさとりなるゆへに、 仏にならざる也。

(25)

一 一句一言も申ものは、 我れと思て物を申也。 信の上はわれはわろしと思ひ、 又報謝と思ひ、 ありがたさのあまりを人にも申すことなるべし。

(26)

一 信もなくて、 人に信をとれよとれよと申は、 我が物もゝたずして人に物をとらすべきと云こゝろなり。 人、 承引あるべからずと、 前住上人順誓申されしとて仰られ候儀、 「自信教人信」 (礼讃) と候ときは、 まづ我信心を決定して、 人にも教へ申しなば仏恩になるとのことに候。 自身の安心決定して人にも教へば、 則 「大悲伝普化」 (礼讃) の道理なる由し、 同く仰られ候。

(27)

一 蓮如上人仰られ候。 聖教よみの聖教よまずあり、 聖0704教よまずの聖教よみあり。 一文字もしらねども、 人に聖教をよませ聴聞させて信をるは、 聖教よまずの聖教よみ也。 聖教をばよめども、 よろこびもせず法義もなきは、 聖教よみの聖教よまず也と仰られ候と 云々
 「自信教人信」 (礼讃) の道理也と仰られ事に候。

(28)

一 聖教よみの、 仏法を申たてたることはなく候。 尼入道のたぐひのたうとやありがたやと申され候をきゝては、 人が信をとると、 前々住上人仰られ候よしに候。 何もしらねども、 仏の加備力の故に尼入道などのよろこばるゝをきゝては、 人、 信をとる也。 聖教をよめども、 名聞がさきに立て心に法義なき故に、 人の信用なき也。

(29)

一 蓮如上人仰られ候。 当流には、 総体、 世間機わろし。 仏法の上より何事もあひはたらくべきことなる由仰られ候と 云々

(30)

一 同仰られ候。 世間にて時宜しかるべきよし吉人也と云とも、 信なくは心をゝくべき也。 便りにもならぬ也。 仮令片目はつぶれ腰をひき候やうなるものなりとも、 信心あらん人をばたのもしく思べき也と仰られ候由に候。

(31)

一 君を思は我を思也。 善知識の仰に随て信をとれば、 極楽にまひるなり。

(32)

一 久遠劫より久き仏は阿弥陀仏也。 かりに果後の方便に依て誓願を儲玉ふ也。
 願力不思議のあらはれも南无阿弥陀仏、 凡夫往生の証拠も南无阿弥陀仏なり。

(33)

一 前々住上人仰られ候。 弥陀を頼める人は、 南无阿弥0705陀仏に身をばまるめたること也と仰られ候と 云々。 いよいよ冥加を存ずべき由候。

(34)

一 法眼丹後とも蓮応、 衣装とゝのへられ、 前々住上人の御前伺候ひしとき、 仰られ候。 衣のゑりを御たゝきありて、 南无阿弥陀仏よと仰られ候。 又前々住上人御畳をたゝかれ、 南无阿弥陀仏にもたれたるよし仰られ候き。 南无阿弥陀仏に身をばまるめると仰られ候とは符合申候。

(35)

一 前々住上人仰られ候。 仏法の上には毎事に付てそらをそろしき事と存ずべく候ふ。 万に付てあるまじき事と存じ候へのよし折々仰られ候と 云々

(36)

一 同仰に、 仏法には明日と申ことあるまじく候。 仏法のことはいそげいそげと仰られ候。 今日の日はあるまじきと思へとも仰られ候。 なにごともかきいそぎ物を御さた候よしに候。 ながたれたることを御きらひ候由候。 仏法のうへにては、 明日のことを今日するやうにいそぎたること、 一段よき心得と 云々

(37)

一 同仰に云、 聖人の御影を申は大事のことなり。 昔は御本尊より外は御座なきことなり。 信なくは必御罰をかうぶるべき由し仰られ候。

(38)

一 時節到来と云事、 用心をもしその上に事の来候を、 時節到来とは云べし。 無用心にして事の出来候を、 時節到来と云はいはれぬこと也。 聴聞を心懸てのうへの宿善・无宿善とも云事なり。 たゞ信心きくにきはまる0706ことなるよし仰のよし候。

(39)

一 前々住上人、 法敬に対し仰られ候。 まきたてと云もの知たるかと。 法敬答 云々

(40)

一 何ともして人になをされ候やうに心中をもつべし。 わが心中を同行の中へうち出してをくべし。 としたる人の云事を心用せず腹立する也。 あさましきこと也。 唯人にいはるゝやうに心中をもつべきのよしに候。

(41)

一 ある人の、 前々住上人へ申され候。 一念の所は決定にて候。 やゝもすれば、 善知識の御事をおろかに存ずる心候由申され候へば、 仰られ候。 尤信のうへは仰宗の心あるべきなり。 さりながら凡夫心にてはなきか、 さやうの心中のおこらんときは勿体なき事と思ひすつべしと仰られ候と 云々

(42)

一 蓮如上人、 兼縁に対せられ仰られ候。 たとひ木の皮をきるいろめなりとも、 なわびそ。 弥陀を頼む一念をよろこぶべきよし仰られ候。

(43)

一 前々住上人仰られ候。 上下老若にあらず、 後生は油断にて仕損ずべきよし仰られ候。

(44)

一 同上人御口中をわづらはせ候をりふし、 ああと御目をふさぎ玉ひ候。 定めて御口中御煩とみなみな存候所に、 やゝありて仰られ候。 人の信のなきことを思召ば、 身をきりさくやうにかなしきよと仰られ候由候。

(45)

一 同仰云、 われは人の機をかゞみて、 人にしたがひて仏法を御きかせ候由仰られ候。 何にも人のすくやう0707のことなどを申させられ、 うれしやと存候処に、 又仏法のことを仰られ候也。 色々御方便候て、 人に法を御きかせ候ひつるよしに候。

(46)

一 同仰られ候。 人の仏法を信じてわれによろこばせんと思へり。 それはわろし。 信をとれば自身の徳となる。 去りながら信をとらば、 恩にも御受あるべきと仰られ候。 又きゝたくもなきことなりとも、 まことに信をとるならば、 きこしめすべき由仰られ候。

(47)

一 同仰に、 まことに一人なりとも、 信をとるべきならば、 身命を捨よ。 それはすたらぬと仰られ候。

(48)

一 あるときは仰られ候。 御門徒の心得をなをすときこしめして、 老のしはをいへいてと仰られ候。

(49)

一 ある御門徒衆に御たづね候。 そなたの坊主の心得のなをりたるをうれしく存ずるかと御尋ね候へば、 申され候。 まことに心得をなをされ、 法義を心に懸られ候。 一段ありがたく嬉敷存候よし申され候。 其とき仰に、 われはなをうれしく思よと仰られ候。

(50)

一 おかしき事、 態をもさせられ、 仏法に退屈仕り候者の心をもくつろげ、 其気をもうしなはして、 又仏法を仰られ候。 誠に善巧方便、 有難き御事と 云々

(51)

 あしきひとをも御たらし候て、 其人の心に御随ひ候て、 これを仏法の縁にとり、 御よりなされ候て、 法をき0708かせ玉ふなりと仰られ候と 云々

(52)

一 天王寺土塔会、 前々住上人御覧候て仰られ候。 あれほどおほき人ども地獄へをつべしと、 不便に思召つるよし仰られ候。 又其中に御門徒の人は仏になるべしと仰られ候。 これありがたき仰に候。

(53)

一 前々住上人御法談已後、 仰られ候。 四、 五人の御兄弟へ仰られ候。 五人は五人ながら意巧に聞くもの也、 能く能く談合すべき由仰候。

(54)

一 たとひなきことなりとも、 人申候はゞ、 当座は領掌すべし。 当座に詞を返れば、 ふたゝび人とはいはざる也。 人云事をばたゞふかく用心すべきなり。 これに付てある人、 相互にあしき事を申すべしと、 契約候へし処に、 則一人のあしざまなることを申ければ、 われはさやうにあるまじきと存じつれども、 人の申間かやうに候と申され候。 返答あしきとの事候。 さなきことなりとも、 当座はさぞと申べきことなり。

(55)

一 一宗の繁昌と申は、 人多く集り、 いきをひの大きなることにてはなく候。 一人なりとも、 信を取が、 一宗繁昌で候。 しかれば 「専修正行の繁昌は遺弟の念力」 (報恩講私記) 等と 云々

(56)

一 前々住上人仰られ候。 心に入て申さんと思ふ人はあり、 信をとらんずると思人なし。 されば極楽はたのしむときゝて、 まひらんとねがひのぞむひとは仏にならず、 弥陀をたのむ人は仏になると仰られ候。 有難次第也と 云々

(57)

一 「御文」 は如来の直説と存ずべきのよし候。 形をみれ0709ば法然、 詞をきけば弥陀の直説と云へり。

(58)

一 蓮如上人御病中に、 慶聞坊に、 なにぞ物をよめと仰られ候。 「御文」 をよみ申べきかと申され候。 さらばよみ申せと仰られ、 三通を二度づゝ六返よませられ候て、 仰られ候は、 わが作たるものなれども、 殊勝なるよと仰られ候。

(59)

一 順誓申されしと 云々。常にはわがまへにてはいはずして、 かげにて後言を云とて腹立する事也。 我はさやうには存ぜず候。 我まへにて申しにくゝは、 かげにてなりとも我わろきこと申されよ。 きゝて心中をなをすべきよし申され候よし候。

(60)

一 前々住上人仰られ候。 仏法のためと思召し候へば、 なにたる御辛労をも御辛労とは思召されぬよし仰られ候。 御心まめにて、 何事もみさいに御沙汰候よしに候。

(61)

一 法にはあらめなるがわろし。 世間には微細なるといへども、 仏法にはみさいに心をもち、 こまかにこゝろをはこぶべきよし仰られ候。

(62)

一 とほきはちかき道理、 近きは遠き道理也。 「灯台もとくらし」 とて、 仏法を不断聴聞申身は、 御用をあひ著て、 いつもごとゝ思ひ、 法義にをろそか也。 遠々の人は、 仏法をきゝたく大切にもとむる心ろあり。 仏法は大切にもとむる心よりきくもの也。 あさましき次第0710也、 おどろくべしと 云々

(63)

一 ひとつことを聞て、 いつも珍敷くはじめたるやうに、 信のうへはあるべき也。 たゞめづらしきことをきゝたく思也。 一事をいくたび聴聞申すとも、 珍敷始たる様に可↠ こと有也。

(64)

一 道宗は、 たゞ一つ御詞をいつも聴聞申が、 はじめたるやうにありがたきよし申され候。

(65)

一 念仏申すも、 人の名聞げにおもはれ候はんと思てたしなむが大義なる し、 ある人申され候。 常惑の心中にはかはり候ことに候。

(66)

一 同行同侶の目をはぢて冥慮をおそれず、 たゞ冥見をおそろしく存ずべきこと候。

(67)

一 たとひ正義たりとも、 しげからん事をば停止すべきよし候。 まして世間の義停止候はん事しかるべく候。 いよいよ増長すべきは信心にて候よし候。

(68)

一 蓮如上人仰云、 仏法にはまひらせごゝろわろし。 これをして御心に叶はんと思ふ心也。 仏法のうへはなにごとも報謝と存ずべきこと也と候。

(69)

一 人の身には眼・耳・鼻・舌・身・意の六賊ありて善心を奪。 これは諸行のこと也。 念仏はしからず。 仏智の心をうるゆへに、 貪瞋痴煩悩をば仏の方より刹那にけし玉ふ也。 故 「貪瞋煩悩中、 能生清浄願往生心」 (散善義) と云へり。 「正信偈」 には 「譬如日光覆雲」 (行巻) 等と云へり。

(70)

一 一句一言を聴聞するにも、 たゞ得手えてに法をきく也0711。 たゞよくきゝ、 心中のとをりを同行にあひ談合すべきこと也と 云々

(71)

一 前々住上人仰られ候。 神にも仏にも馴ば、 手ですべきことを足でするぞと仰られ候。 如来・上人・善知識にもなれ申ほど御心易く思也。 なれ申ほどいよいよ渇仰の心をふかくはこぶべきことなるよし仰られ候よしと。

(72)

一 口とはたらきとはにするもの也。 こゝろねなりがたきもの也。 涯分、 こゝろのかたをたしなみ申べきことなりと 云々

(73)

一 衣装等にいたるまで、 我物と思ひ沓たゝくること浅間敷こと也。 悉く聖人の御用仏物にて候間、 前々住上人はめしものなんど御足にあたり候へば、 御いたゞき候由に候。

(74)

一 王法をば額にあてよ、 仏法を内心に深く蓄よとの仰候。 仁義を云事も、 はし々にあるべきことなるよし候。

(75)

一 蓮如上人御若年の比、 御迷惑のことにて候ひし。 たゞ御代にて仏法を仰たてられんと思召候御念力一にて御繁昌候。 御一身御辛労のゆへに候。

(76)

一 御病中に蓮如上人仰られ候。 御代に仏法とも御再興あらんと思召御念力一にて、 加様に今皆々心易くあることは、 此法師が冥加に叶に由てのこと也と御0712自証と 云々

(77)

一 前々住上人、 昔はこぶくめをめされ候。 白小袖とて御心易めされ候事も御入なく候。 いろいろ御かなしかりける御事ども、 をりをり御物語候。 いまいまの者はさやうの事を承り候て、 冥加を存べきの由くれぐれ仰られ候由候。

(78)

一 よろづ御迷惑候て、 油をめされ候はんにも御自由ならず候間、 やうやう京の黒木を少宛御たき、 それにて聖教など御覧候よし候。 又少は月の光にても聖教をあそばされ候。 御足をも大がい水にて御洗候。 又二、 三日も御膳まいり候はぬこと候よしうけたまわりおよび候。

(79)

一 人をも甲斐甲斐しくめしつかはれ候はであるゆへ、 幼童のきやうほうをも御ひとり御洗ひ候などゝ仰られ候よし候。

(80)

一 存如上人召つかはれ候小者を、 御雇候てめしつかはれ候由候。 存如上人は人五人めしつかはれ候。 蓮如上人御隠居のときも、 人五人めしつかはれ候。 当時は御用にて心のまゝなること、 そらおそろしく、 身もいたくかなしく存ずべき事にて候。

(81)

一 前々住上人仰られ候。 昔は仏前に祗候の人は、 元は紙絹に輪をさゝれ著候。 今は白小袖にて、 結句きがへを所持候。 已に其比は禁裏には御迷惑にて質をおかれて御用辨ぜられ候と、 引言に御沙汰候。

(82)

一 又仰られ候。 御悲み候て、 京にて古き綿わたを御とり候。 御一人ひろげ候事有。 又御衣はかたの破れたるを0713めされ候。 白き御小袖は美濃絹のわろきを求め、 やうやう一つめされ候由を仰られ候。 当時はかやうのことをもしり候はで、 あるべきやうにみなみな存候ほどに、 冥加につき申べし。 一大事与之仰候。

(83)

一 同行・善知識にはよくよくちかづくべし。 「親近せざるは雑修の失也」 と ¬礼讃¼ (意) にあらはせり。 悪き者に近付ば、 それには成らじと思へども、 悪き事時々にあり。 唯仏法者にはなれちかづくべきよし仰事候。 「善人の敵とはなるとも、 悪人を友とすることなかれ」 と云事有。

(84)

一 「きればいよいよかたく、 仰げばいよいよたかし」 (論語意) と云事あり。 物をきりてみてかたきとしるなり。 本願を信じて殊勝なるほども知る也。 信心おこりぬれば、 たふとくありがたく、 悦びも増長する也と 云々

(85)

一 凡夫の身にて後生をたすかることは、 たゞ易きとばかり思へり。 「難中之難」 (大経巻下) とあれば、 輒くおこしがたき信なれども、 仏智より易往に成就し玉ふこと也。 「往生ほどの一大事、 凡夫のはからふべきことにあらず」 (執持鈔) といへり。 前住上人仰られ候。 後生一大事と存ずる人には御恩あるべき由仰られ候と 云々

(86)

 「蓮華の上に坐せいでは、 安堵の思ひあるべからず」 (和語灯巻五意) と黒谷上人の御詞候。 水鳥も上はたのしき様なれども、 足をはたらかさゞることなし。 信の上はいよいよ讃談・談合をのづから油断あるまじく候。 讃嘆0714・談合を仏法の恵命仰られ候。

(87)

一 仏説に信謗あるべきよしときをき玉へり。 信ずる者ばかりにて謗る人なくは、 説きおき玉ふこといかゞとも思べきに、 はや謗ずるものある上は、 信ぜんに於ては必往生決定との仰候。 ¬歎異抄¼ に有。

(88)

一 同行の前にてはよろこぶ也、 これ名聞也。 信の上は一人居てよろこぶ法也。

(89)

一 仏法には世間のひまを闕てきくべし。 世間のひまをあけて法をきくべきやうに思事、 あさましきこと也。 仏法には明日と云事はあるまじき由仰候。 「たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退に叶なり」 と、 ¬和讃¼ (浄土和讃) にあそばされ候。

(90)

一 法敬申され候と 云々。 人よりあひ、 雑談ありしなかばに、 ある人ふと座敷をたゝれ候。 座の人いかにとゝひければ、 一大事の急用ありとてたゝれけり。 そののち、 先日はいかにふと御立候やと問ければ、 申されけるは、 仏法の物語、 約束申たる間、 あるもあられずしてまかりたち候よし申され候。 法義には加様にこそ心をかけ候べきことなるよし申され候と申候。

(91)

一 仏法をあるじとし、 世間を客人とせよといへり。 仏法の上より、 世間の事は時にしたがひはたらくべきこと也と 云々

(92)

一 前々住上人へ、 南殿にて存覚御作分の聖教ちと不審なる所の候しを、 いかゞとて、 兼縁、 前々住上人へ御目に懸られ候へば、 仰られ候。 名人のせられ候ものを0715ばそのまゝにてをくこと也。 これが明誉也と仰られしと。

(93)

一 前々住上人へあるひと申され候。 開山の御時のこと申され候。 これはいかやうの子細にて候と申されければ、 仰られ候。 われもしらぬこと也。 なにごともなにごともしらぬことをも、 開山のめされ候やうに御沙汰候と仰られ候。

(94)

一 総体、 人にをとるまじきと思心あり。 此心にて世間には物をし習なり。 仏法には无我にて候うへは、 人にまけて信をとるべき也。 理をまげて情ををるこそ、 仏の御慈悲なりと 云々

(95)

一 一心とは、 弥陀をたのめば如来の仏心と一になし玉ふがゆへに、 一心也といへり。

(96)

一 ある人申され候と 云云。 我は井の水をのむも、 仏法の御用なれば、 水の一口も、 如来・聖人の御用と存候由申され候 云云

(97)

一 蓮如上人御病中に仰られ候。 御自身なにごともおぼしめし立候ことの、 なりゆくほどのことはあれども、 ならぬと云ことなし。 さりながら人の信なきことばかりをかなしく御なげき思召候由仰られ候由と。

(98)

一 同仰に、 なにごともおぼしめすまゝに御沙汰あり。 聖0716人の御流をも御再興候て、 本堂・御影堂をもたてられ、 御住持をも御相続ありて、 大坂殿を御建立ありて御隠居候。 しかれば我は 「功成名遂て身退は天の道なり」 (老子) と云ことも、 御身の上なるべきよし仰られ候と 云云

(99)

 御病中にたびたび仰られ候と 云云。 慶聞坊に仰られ候、 「賊縛の比丘は草繋を脱、 乞食の沙門は鵝珠を死後にあらはす」 と云戒文をたびたび仰られ、 滅後に不思議をあらはさるべきの仰に候。

(100)

一 敵の陣に火をとぼすを、 火にてなきとは思はず。 いかなる人なりとも、 御ことばのとほりをよみ申、 御詞をよみ申さば、 信仰し、 承るべきこと也と 云云

(101)

一 蓮如上人、 折々仰られ候。 仏法の義をばよくよく人にとへ。 物をば人に問ひ申せとの由仰られ候。 誰に問申べきよしうかゞひ申ければ、 仏法だにもあらば、 上下をいはず問べし。 仏法はしりそふもなきものがしるぞと仰候と 云云

(102)

一 蓮如上人、 无紋の物をきることを御嫌候。 殊勝さうにみゆるとの仰候。 又黒き衣を著し候を御きらひ候。 墨のくろき衣をきて、 御前へまひれば仰られ候。 衣紋たゞしき殊勝の御僧の御出候と、 仰られ候て、 いやわれは殊勝にもなし、 弥陀の本願殊勝なるよし仰られ候。

(103)

一 大坂殿にて紋のある御小袖をめされ、 御座の上に掛られてをかれ候よし候。

(104)

一 御膳まひり候時には、 御合掌ありて、 如来・聖人の御用にて食ふよと仰られ候由候。

0717(105)

一 人はあがりあがりてをちばをしらぬなり。 たゞつゝしみて不断そらおそろしきことゝ、 毎事に付て心をもつべき由し仰候。

(106)

一 往生は一人一人のしのぎなり。 一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。 余所事のやうに思こと、 且は我身をしらぬことなりと、 円如仰候き。

(107)

一 大坂殿にて、 ある人、 前々住上人に申さられ候。 今朝あかつきより老者にて候がまひられ候。 神変なる事なる由し申され候へば、 やがて仰られ候。 信だにあれば辛労とは思はぬ也。 信の上は仏恩報謝と存、 あひ働くは、 苦労とは思はぬ也と仰られしと 云云。 老者は田上の了宗なりと 云々

(108)

一 南殿にて人々よりあひ候とき、 仰にの玉はく、 心中をなにかとあつかひおもひ捨て、 一心に弥陀をうたがひなく頼むばかりで、 往生は仏のかたよりさだめましますぞ。 其支証は南无阿弥陀仏よ。 このうへは何事をあつかふべきぞと仰られ候由候。 不審などを申にも、 多き事を只一言にてはらりと不審もはれ申候しと 云云

(109)

一 前々住上人、「をどろかすかひこそなけれ村雀 耳なれぬればなるこにぞいる」、 此古歌を御ひきあり折々仰られ候。 たゞ人は皆耳なれ雀也と仰られしと

0718(110)

一 心中をあらためんとまでは思へども、 信をとらんと思人なきなりとの仰候。

(111)

一 蓮如上人仰られ候。 方便をわろしと云ことはあるまじき也。 方便をもて真実をあらはす廃立の義よくよくしるべし。 弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、 真実の信をばうることなるよし仰候と 云云

(112)

一 「御文」 はこれ凡夫往生の鏡也。 しかるを 「御文」 のうへに法門あるべきやうに思人あり。 大なるあやまり也と 云云

(113)

 信の上にわれは信をゑずと申さへ、 仏法の上にてはいつはりと候。 ましてや不信の人の信ある気色、 大名聞也。 ある人の云、 他力の信をば仏智よりたまはりぬるうへは、 卑下すべきことにもあらず。 ましてやいはん、 つのるべきことにもあらずといへりと 云云

(114)

一 信の上は仏恩の称名退転あるまじきこと也。 あるひは心よりたふとく有難存るをば仏恩と思ひ、 たゞ念仏の申し候をば、 それほどに思はざること、 大なる誤なり。 自ら念仏の申され候こそ、 仏智の御もよおし、 仏恩の称名なれと仰ごと候。

(115)

一 蓮如上人仰られ候。 信の上は、 たうとく思て申念仏も、 又ふと申念仏も仏恩に備る也。 他宗には、 親のため又何のためなんどゝ云て念仏をつかふ也。 聖人の御流には弥陀を頼むが念仏也。 その上の称名は、 なにともあれ仏恩になるもの也と仰られ候と 云々

(116)

一 ある人云く、 前々住上人の御とき、 南殿にて、 ある0719人、 見迦に蜂を殺し候に、 思ひよらず念仏申され候。 そのときなにと思て念仏をば申たると仰られ候。 たゞかわいやと存じふと申候と申されければ、 仰られ候。 信の上はなにともあれ、 念仏申は報謝の義と存ずべし。 みな仏恩になると仰られ候と 云云

(117)

一 南殿にて前々住上人、 のれんを打あげられて御出候とて、 南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏と仰られ候て、 法敬このこゝろしりたるかと仰られ候。 なにとも存ぜず候と申され候へば、 仰られ候。 これはわれは御助候、 御うれしやたふとやと申こゝろよと仰られ候と 云々

(118)

一 蓮如上人へ、 ある人安心のとをり申され候 西国の人と云也。 安心の一とほり申され候へば、 申候ごとく心中候はゞ、 それが肝要と仰られ候。

(119)

一 同仰に云、 当時はことばで安心のとをり同じやうに申され候。 しかれば信治定の人に紛れて、 往生を仕損ずべきことをかなしく思召候由し候と 云云

(120)

一 同仰に云、 仏法をばさしよせていへいへと仰られ候。 法敬に対し仰られ候。 信心・安心といはゞ、 愚痴のものはまたもしらぬ也。 信心・安心などゝいへば、 別のやうにも思也。 たゞ凡夫の仏になることを思べし。 たゞ後生助け玉へとみだをたのめと云べし。 何なる愚痴の衆生なりとも、 きゝて信をとるべし。 当流には、 これよりほかの法門はなきなりと仰られ候。 ¬安心決定鈔¼ (巻本) 云、 「浄土の法門は、 第十八の願をよくよくこ0720ゝろうる外にはなき也」 といへり。 然れば、 「御文」 (五帖一) には 「一心一向に仏助玉へと申ん衆生をば、 たとひ罪業は深重なりとも、 必ず弥陀如来はすくひましますべし。 これすなはち第十八の念仏往生の誓願の意なり」 といへり。

(121)

一 信をとらぬによりてわろきぞ。 たゞ信をとれと仰られ候。 善知識のわろきと仰らるゝは、 信のなきことをわろきと仰らるゝ也。 前々住上人、 あるひとを、 言語道断わろきと仰られ候所に、 その申され候。 何事も御意の如と存候と申され候へば、 仰られ候。 ふつとわろきなり。 信のなきはわろくはなきかと仰られ候と 云々

(122)

一 蓮如上人仰られ候。 なにたることをきこしめしても、 御心にゆめゆめ叶はざる也。 一人なりとも人の信をとりたることをきこしめしたきと、 御持言に仰られ候。 御一生は、 人に信をとらせたく思召され候よし仰られしと 云云

(123)

一 聖人の御流には頼む一念の所肝要也。 故にたのむと云ことをば代にあそばしおかれ候へども、 くわしくなにと頼めと云ことをしらざりき。 然ば前々住上人の御代に、 「御文」 (五帖九意) を御作候て、 「雑行をすてゝ、 後生たすけ玉へとも一心に弥陀をたのめ」 と、 あきらかにしらせられ候。 しかれば御再興の上人にてましますもの也。

(124)

一 よきことをしたるがわろきことあり、 わろきことをしたるがよきことあり。 よきことをしても、 われは法義に付てよきことをしたると思ふ、 我と云ことあればわろき也。 あしきことをしても、 心中をひるがへし本願に帰すれば、 わろきことをしたるがよき道理なるよ0721し仰られ候。 蓮如上人は、 まひらせこゝろわろきと仰られ候。

(125)

一 前々住上人仰られ候。 思ひよらぬ者が分に過て出候はゞ、 一子細あるべきと思べし。 人こゝろの習ひにて物を出せばうれしく思ふ程に、 何にぞ用を云べきとては、 人がさやうにするなりと仰られ候由候。

(126)

一 ゆくさきむかひばかりみて、 足もとをみずは、 踏かぶるべきなり。 人の上ばかりみて、 我身の上のことをたしなまずは、 一大事たるべきとの仰に候。

(127)

一 善知識の仰なりとも、 なるまじなんど思は、 大なるあさましきこと也。 なにたることなりとも、 仰ならばなるべきと存ずべし。 この凡夫の身が仏になるうへは、 さてなるまじきと存ることあるべきや。 しかれば道宗申され候。 近江の水海を一人してくめよと仰候とも、 畏りたと申べく候。 仰にて候はゞ、 ならぬことあるべきかと申され候由し候。

(128)

一 「いたりてかたきは石也、 至てやわらかなるは水也、 水よく石を穿つ、 心源もし徹なば菩提の覚道なにごとか成ぜざらん」 といへる古詞あり。 いかに不信也とも、 聴聞にきはまること也と云云

(129)

一 前々住上人仰られ候。 信心決定の人をみて、 あのごとくならでとおもへばなるぞと仰られ候。 あのやうにはなりてこそと思すつること、 あさましきことなり。 仏0722法には身をすてゝのぞみ求る心ろより、 信をばうることなりと 云云

(130)

一 人のわろきことはよくみゆるなり。 わが身のわろきことはおぼへざるものなり。 我身にしられてわろきことあらば、 よくよくわろければこそ身にしられ候と思て、 心中をあらたむべし。 たゞ人の云ことをばよく心用すべし。 我わろきことはおぼへざるものなるよし仰候と 云云

(131)

一 世間の物語などある座敷にては、 結句法義の事を云こともあり。 さやうのときは人なみたるべし。 心には油断あるべからず。 あるひは誦円、 又は仏法の讃嘆など云とき、 一向にものをいはざること大なる違ひ也。 仏法讃嘆とあらんときは、 いかにも心中をのこさず、 相ひ互に信不信の義、 談合すべきことなりと 云云

(132)

一 金森の 善従、 ある人申され候。 この間、 さこそ徒然に御入候つらんと申ければ、 善従申され候。 我身は八十にあまるまで徒然と云ことをしらず。 その故は弥陀の御恩を有難き程を存じ、 和讃・聖教等を拝見申し候へば、 心ろおもしろくも、 たふときこと充満するゆへに、 徒然なることも更になく候と申され候由候。

(133)

一 ある人申され候とて、 前住上人仰られ候し。 ある人、 善の(善従) 宿所へゆき候所に、 はきものをもぬがれ候はぬに、 仏法の事を申かけられ候。 又ある人申され候は、 履さへぬがれ候はぬに、 いそぎかやうにはなにとて仰ぞと、 人申ければ、 その返答に、 いづるいきは入をまたぬ浮世也、 もし履をぬがれぬまに死去候はゞ、 いかゞし候べきと申され候。 たゞ仏法のことをば、 さしいそぎ申べきの由仰候し。

0723(134)

一 前々住上人、 善の(善従) 事を仰られ候し。 いまだ野村殿御坊、 その沙汰もなきとき、 神無森をとをり国へ下向のとき、 輿よりをりられ候て、 野村殿の方をさして、 このとをりにて仏法がひらけ申すべしと申され候し。 人々、 これは年よりてかやうのことを申され候かと申ければ、 終に御坊御建立にて御繁昌候。 不思議のことゝ仰られ候き。 また善は法然の化身也、 世上に人申つると、 同仰られ候き。 かの往生は八月廿五日にて候。

(135)

一 前々住上人、 東山を御出候て、 何方に御座候とも、 人存ぜず候しころ、 善あ(善従) なたこなた尋申されければ、 ある所にて御目にかゝられ候。 一段御迷惑の体にて候つるあひだ、 前々住上人にもさだめて善かなしまれ申べきと思召れ候へば、 善ほかと御目にかゝられ、 あらありがたや、 仏法はひらけ申べきよと申され候。 終にこのことば符合候。 善は不思議の人なりと、 蓮如上人仰られ候由し、 前々住上人仰られ候き。

(136)

一 前住上人、 先年大永三、 蓮如上人廿五の御年の三月の始比、 御夢御覧候。 御堂上壇南の方に前々住上人御座候て、 御小袖をめされ候。 前住上人へまひらせられ、 仰られ候。 仏法は讃嘆・談合にきはまる。 能々讃嘆すべき由仰られ候。 誠に夢想とも云べきことなりと仰られき。 然ばその年、 ことに讃嘆を肝要と仰られ候。 それに付て仰られ候。 仏法は一人居てよろこぶ法也。 一人居てさへたうときに、 二人よりあはゞいかほどかありがたかるべき。 仏法をばたゞよりあひよりあひ讃嘆0724申べき由仰られ候。

(137)

一 心中を改候はんと申人、 何をも違候と申され候。 よろづわろきことをうめて、 かやうに申られ候。 いろをたて申出て改べきことなりと 云云。 なにゝせんずる人のなをらるゝをきゝて、 われもなをるべきと思て、 わがとがを申いださぬは、 なをらぬぞと仰られ候と 云云

(138)

一 仏法のとき物を申さぬは、 信のなきゆへ也。 わが心にたくみ案じて申すべきやうに思へり。 よそなるものをたづねいだすやう也。 心にうれしきことはそのまゝなるもの也。 寒むければさむいと云、 熱ければ熱いと、 そのまゝ心のとほり云也。 仏法の座敷にて物を申さぬこと、 不信のいろなり。 又油断と云ことも信のうへのことなるべし。 細々同行によりあひ賛嘆申さば、 油断はあるまじきのよし候。

(139)

一 前々住上人仰られ候。 一心決定のうへ、 弥陀の御たすけありたと云は、 さとりのかたに似てわろし。 たのむ所にてたすけ玉ひ候事は歴然候へども、 御助あろふずと云てしかるべきよし仰られ候と 云云。 一念帰命のとき、 不退の位に住す。 これ不退の密益也、 これ涅槃分なるよし仰候しと 云云

(140)

一 有人 瞻西上人、 摂取不捨のことはりをしりたきとのことなりと云云 雲居寺の阿弥陀に祈誓ありければ、 夢想に、 阿弥陀のかの人の袖をとらへ玉ふに、 にげゝれどもしかととらへてはなしたまはず。 摂取と云は、 にぐる者をとらへてをき玉ふやうなることにて思付たり。 これを引言に仰候き。

(141)

一 前々住上人御病中に、 兼誉・兼縁御礼候て、 あるとき尋申され候。 冥加と云ことはなにとしたることにて0725候と申させたまひければ、 仰られ候。 冥加に叶と云は、 弥陀を頼む事なるよし仰られ候と 云云

(142)

一 仏法の事を申してよろこばれば、 われはそのよろこぶ人よりもなをたうとく思べきなり。 仏智をつたへ申によりて、 かやうに存ぜられ候事と思て、 仏智の御かたをありがたく存ずべしとの義候。

(143)

一 「御文」 をよみて人に聴聞させ候とも、 報謝と存ずべし。 一句一言も信の上より申せば、 人の心用もあり、 また報謝ともなり。

(144)

一 蓮如上人仰られ候。 弥陀の光明は、 たとへばぬれたるものをほすに、 うへよりひて、 したまでひるごとくなること也。 これ日の ら也。 決定の心をこるは、 是則他力の御所作也。 罪障は悉く弥陀の御けしあることなるよし仰候。

(145)

一 信決定の人は誰によらず、 まづみればすなはちたうとくなり候。 これその人のたうときに非ず。 仏智をゑらるゝがゆへなれば、 いよいよ仏智のありがたき理を存ずべきこと也と。

(146)

一 蓮如上人、 御病中のとき仰られ候。 御自身なにごともおぼしめしのこさるゝことなし。 思召すことの成ぬことはなき也。 それに付て、 御往生あるとも御身は思召しのこさるゝことなし。 但御兄弟、 その外誰とも信のなきをかなしく思召し候。 世間にはよみぢのさはり0726と云ことあり。 たゞ信のなきこと、 これを悲く思召し候由仰られ候と 云云

(147)

一 蓮如上人、 あるひは人に御酒をもくだされ候て、 かやうのことをありがたく存ぢさせ候て近付させられ候て、 仏法を御きかせ候。 さればかやうの物をもくだされ候こと、 信をとらせらるべき為と思召せば、 報謝と思召候由被↠仰候と 云云

(148)

一 同仰に云、 こゝろへたとおもふはこゝろゑぬ也。 こゝろへぬと思はこゝろへたるなり。 弥陀の御助あるべきことのたふとさよと思が、 こゝろへたるなり。 さもこゝろへたると思ことはあるまじきこと也と仰候と 云云。 されば ¬口伝鈔¼ (巻上) 云、 「さればこの善悪の機の上にたもつところの弥陀の仏智をつのりとせぬよりほかは、 凡夫のいかでか往生の得分あるべきや」 といへり。

(149)

一 菅生の願性、 坊主の聖教をよまれ候をきゝて、 聖教は殊勝に候へども、 信が御入なく候間、 たふとくも御入なきと申され候。 この事を前々住上人聞召され、 荻生の蓮智を召登せられ、 御前にて不断聖教をもよませられ、 法義の事をも仰聞かせられ、 願生に仰られ候。 蓮智に聖教をも読習はせ、 仏法のことを仰聞せられ候由仰候て、 国へ御下候。 其後は聖教よまれ候へば、 今こそ殊勝に候へとて、 有難がられ候由候。

(150)

一 蓮如上人、 幼少なるものには、 まづ物をよめと仰られ候。 又其後は、 いかに談ともふくせずしては詮あるべからざる由仰られ候。 ちと心もつき候へば、 いかに物を談、 声をよく談知たりと、 義理をわきまへてこそと仰られ候由候。 其後は、 いかに文釈を覚へたりとも、 信がなくはいたづらごとよと仰られ候。

0727(150)

一 心中のとおりを、 ある人、 法敬坊に申され候。 御詞のごとくは覚悟つかまつり候へども、 油断・无沙汰にて、 あさましきこと候と申され候。 その時法敬坊申され候。 それは御詞のごとくにてはなく候。 勿体なき申されごとに候。 御詞には、 油断・不沙汰つかまつる間敷とこそ、 あそばされ候へと申され候と 云云

(152)

一 法敬坊に、 あるひと不審申され候。 これほど仏法に御心をも入られ候法敬坊の尼公の不信なる、 いかゞの義候由、 人申候へば、 法敬坊申され候。 不審はさることなれども、 これほど朝夕 「御文」 をよみ候に、 おどろき申さぬ心中が、 なにか法敬が申分にて聞入候べきと申され候と 云云

(153)

一 順誓申され候。 仏法の物語など申候に、 かげにて申候ときは、 なにたるわろきことをか申候べきと存じ、 脇より汗たり申候。 前々住上人きこしめす所にて申候時は、 わろきことをやがて御なをしあるべきと存じ候間、 こゝろやすく存候て、 物が申され候よし申されと 云云

(154)

一 信のうへは、 さのみわろきことはあるまじく候。 あるひは人のことなど云候とて、 あしきことなどはあるまじく候。 今度生死の結句をきりて、 安楽に生ぜんとをもはんひと、 いかんとしてあしざまなることをすべきやと仰候。

0728(155)

 信をば得ず候てよろこび候はんとおもふこと、 たとへば物をぬうにあとを其まゝでぬえば抜け候やうに、 よろこび候はんと思ふとも、 信をゑずはいたづらごと也。 よろこべ助けたまはんと仰られ候ことにてもなく候。 頼む衆生をたすけたまはんとの本願に候。 「信心にはおのづから名号をば具するもの也」 (信巻) といへり。

(156)

一 前々住上人仰られ候。 不審と一向しらぬとは各別なり。 しらぬことをも不審と申こと、 いはれなく候。 物を分別して、 あれはなにと、 これはいかゞなど云やうなることが不審にて候。 子細もしらずして問申ことを、 不審申まぎらかし候よし仰られ候と 云云

(157)

一 前住上人仰られ候て、 御本寺・御坊をば聖人御存生の御在生の時のやうにおぼしめされ候。 御自身は、 御留主を当座沙汰候。 しかれども御恩を御忘候ことはなく候。 御斎の御法談に仰られ候き。 御斎を御受用候間も、 御わすれ候事は御入なきと仰られ候き。

(158)

一 善如上人・綽如上人両御代のこと、 前住上人仰られ候き。 両御代は威儀を本に御沙汰候し由仰られ候。 然ば今に御影に御入候由仰られ候き。 黄袈裟・黄衣にて候。 然ば前々住上人の御とき、 あまた御流にそむき候本尊以下、 御風呂のたびごとにやかせられ候。 此二の御影をもやかせらるべきにて御取出候つるが、 いかゞ思召候やらん、 表紙に書付を、 よし・わろしと、 あそばされ候て、 とりておかせられ候。 此事を今御思案候へば、 御代々のうちさへかやうに御ちがひ候。 ましてやいわん、 われらしきの者はちがひばかりたるべきあひだ、 一大事と存じ慎めとの御事と、 今思召あはせられ候由仰られき。 又よし・わろしとあそばし候こと0729、 わろしとばかりあそばし候へば、 先代の御事にて候へばと思召し、 かやうにあそばされ候事に候由仰られ候。 又前々住上人御時、 あまた昵近のかたがたちがひ申事候。 いよいよ一大事にと仏法のことをば、 心を留て細々人に問申こゝらふべきの由仰られ候き。

(159)

一 仏法者の少のちがひをみば、 あのうへさへかやうに候と思ひ、 わが身をふかく嗜べきことに候。 しかるを、 あのうへさへ御ちがひ候、 ましてわれらはちがはいではと思る、 大きなるあさましきことなりと 云云

(160)

一 仏恩を嗜と仰られ候ことは、 世間の物を嗜めなど云やうなることにてはなし。 信の上はたうとくありがたく存じよろこび申透間に懈怠申時、 かゝる広大の御恩をわすれ申すことのあさましさよと、 仏智たちかへりて、 ありがたやと思へば、 御もよほしによりて念仏を申也。 たしなみとはこれなる由との義候。

(161)

一 仏法に厭足なければ、 法の不思議をきくと云へり。 前住上人仰られ候。 たとへば世上にわがすきこのむ事をば知ても知ても、 なをよくしりたう思ひ、 人にとひ、 いくたびも数奇たる事をばきゝてもきゝても、 存たきこと也。 仏法のことは、 いくたびもいくたびも人にとひきはめ増進すべきよし仰られ候。

(162)

一 世間へつかふ事は、 法物を徒にすることよと、 おそろしく思ふべし。 さりながら仏法の方へはいかほどものを入れてもあかぬ道理なり。 又報謝にもなるべしと0730

(163)

一 人の辛労もせずして徳とる上品は、 みだを賴てほとけになるにすぎたることなしと仰候と 云云

(164)

一 皆人毎によきことを云もし、 働もすることあれば、 真俗ともそれを、 わがよきものにはやなりて、 その心にて御恩と云ことはうち忘て、 わが心本になるによりて、 冥加につきて、 世間・仏法あしき心必ず必ず出来する也。 一大事のきなりと 云云

(165)

一 堺にてある人、 蓮如上人へ 「御文」 を御所望候に、 そのとき仰られ候。 年もより候に、 むつかしきことを申候。 まづはわろきことを云よと仰られ候て、 後に仰られ候。 仏法だに信ぜば、 いかほどなりともあそばしてたまわるべきよし仰られしと 云云

(166)

一 同堺御坊にて、 前々住上人、 夜更て蝋燭をとぼされ、 名号をあそばされ候。 其とき仰られ候。 御老体にて御手も振ひ、 御目もかすみ候へども、 明日越中へくだり候と申候ほどに、 かやうにあそばされ候。 一日も堪忍失墜にて候間、 御辛労をかへりみられずあそばされ候と仰られ候。 然れば御門徒の為に御身をばすてられ候。 人に辛労をも候はで、 たゞ信をとらせたく思召候よし仰られ候と 云云

(167)

一 重宝の珍物をとゝのへあたへもてなせども、 食せざればその詮なし。 同行よりあひ讃嘆すれども、 信をとる人なければ、 珍物を食せざると同事なりと 云云

(168)

一 物にあくことはあれども、 ほとけになることゝみだの御恩をよろこび、 あきたることはなし。 焼けも失ひ0731もせぬ重物は、 南无阿弥陀仏なり。 然れば、 弥陀の広大の御慈悲殊勝也。 信ある人をみるさへたふとし。 よくよくの御慈悲也と 云云

(169)

一 信決定の身は、 仏法の方へは身をかろくもつべし。 仏法の御恩をおもく敬べしと 云云

(170)

一 蓮如上人仰られ候。 宿善めでたしと云わろし。 御一流には宿善ありがたしと申がよく候由仰られ候と 云云

(171)

一 他宗には法にあふたるを宿縁といひ、 当流には信をとることを宿善と云。 信心をうること肝要なり。 去ばこの御教には群機をもらさぬゆへに、 弥陀の教をば弘教とも云也。

(172)

一 法門を申ば、 当流のこゝろは信心の一義を申開き立ること、 肝要なりと 云云

(173)

一 前々住上人仰られ候。 仏法者は法の威力にて成なり。 威力にてなくはなるべからずと仰られ候。 されば仏法をば、 学匠・物知はいゝたてず。 たゞ一文不知の身も、 信ある人は仏智をくわへさせらるゝ故に、 仏力にて候間、 人が信をとる也。 このゆへに聖教よみとて、 しかもわれはと思はん人の、 仏法をいゝたてたることなしと仰られ候こと候。 たゞなにしらねども、 信心定得の人は仏のいはせらるゝ間、 人が信をとるとの仰候と 云云

0732(174)

一 弥陀をたのめば南无阿弥陀仏の主になるなり。 南无阿弥陀仏の主になると云は、 信をうることなりと 云云。 又、 当流の真実の宝と云は南无阿弥陀仏、 これ一念の信心なりと 云云

(175)

一 一流真宗の内にて法をそしり、 わろさまに云人あり。 これを思に、 他宗・他門のことは是非なし。 一宗のなかにかやうの人もあるに、 われら宿善有て此法を信ずる身のたふとさよとおもふべしと 云云

(176)

一 前々住上人には、 なにものをもあはれみかはゆく思召候。 大罪人とて人を殺候こと、 一段御悲候。 存命もあらば心中をなをすべしと仰られ、 御勘気候ても、 心中だになをり候へば、 やがて御宥免候と 云云

(177)

一 安芸蓮崇、 国をくつがへし、 くせごとに付て、 御門徒をはなされ候。 前々住上人御病中に、 御寺内へまひり御侘言申候へども、 とりつぎ候人なく候し。 そのおりふし、 前々住上人ふと仰られ候。 安芸をなをそうと思よと仰られ候。 御兄弟以下御申には、 一度仏法にあだをなし申人に候へば、 いかゞと御申候へば、 仰られ候。 それぞとよ、 あさましきことを云。 心中だになをらば、 なにたるものなりとも、 御もらしなきことに候と仰られて、 御赦免候て、 その時御前へまひり、 御目にかゝられ候とき、 感涙畳にうかみ候と 云云。 而して御中陰の中に於て、 蓮崇も寺内にてすぎられ候。

(178)

一 奥州に御流のことを申しまぎらかす人候しことをきこしめして、 前々住上人、 奥州の浄祐を御覧候ては、 以外御腹立候て、 さまざま開山上人の御流を申みだすこ0733とのあさましさよ、 にくさよと仰候て、 御歯をくひしめられて、 さてきりきざみてもあくかよあくかよと仰られ候と 云云。 仏法を申みだす者をば、 一がいにあさましきとかたく仰られ候と 云云

(179)

一 思案の頂上と申べきは、 弥陀如来の五劫思惟の本願にすぎたることはなし。 この御思案の道理に同心せば、 ほとけに成べし。 同心とて別なし。 機法一体の道理也と 云云

(180)

一 蓮如上人仰られ候。 御身一生がい御沙汰候事、 みな仏法にて候。 御方便・御調法候て、 人に信をとらせあるべき御ことばかりにて候由仰られ候。 御造作・御普請をさせられ候も、 仏法に候。 人に信をとらせらるべき御方便に候と仰候と 云云

(181)

一 同御病中に仰られ候。 今わが云べきことは金言也。 かまへてかまへて、 よくこゝろゑよと仰候。 又御詠歌の事、 一字につくるにてこそあれ、 これは法門にてあるぞと仰られ候と 云云

(182)

一 「愚者三人に智者一人」 とて、 何事も談合すれば面白きことあるよと、 前々住上人の御申候。 これ又仏法の方にはいよいよ肝要の御言也と 云云

(183)

一 蓮如上人、 法敬に対せられ仰られ候。 法敬と我と兄弟よと仰候。 法敬申され候。 これは冥加もなき御事と申され候。 蓮如上人仰られ候。 信を得つれば、 さきに0734むまるゝものは兄、 後に生るゝものは弟よ。 法敬とは兄弟よと仰られ候と 云云。 「仏因を一同にうれば、 信心一致の上は四海みな兄弟」 (論註巻下意) といへり。

(184)

一 南殿山水の御縁の牀の上にて、 蓮如上人仰られ候。 物のおもふたより大にちがふと云は、 極楽へ参ての事なるべし。 こゝにてありがたやたうとやと思ひ候は、 物の数にてもなきこと也。 極楽へ生ての歓喜は、 ことのはもあるべからずと仰られしと 云云

(185)

一 人はそらごと申さじと嗜を、 随分とこそ思へ。 心に偽りあらじと嗜人は、 さのみ多はなきもの也。 又よきことはならぬまでも、 世間・仏法ともに心にかけたしなみたきこと也と 云云

(186)

一 前々住上人仰られ候。 ¬安心決定鈔¼ のこと、 四十余年が間御覧候へども、 御覧じあかぬと仰られ候。 又こがねをほり出すやうなる聖教なりと仰られ候と 云云

(187)

一 大坂殿にて各へ対せられ仰られ候。 この間申候しことは、¬安心決定鈔¼ のかたはしを仰られ候よし候。 しかれば当流の義は、 ¬安心決定鈔¼ くれぐれ肝要と仰られ候と 云云

(188)

一 法敬申され候。 たうとむ人より、 たうとがる人ぞたうとかりける。 前々住上人仰られ候。 おもしろきことをいふよ。 たうとむ体い、 殊勝ぶりする人はたうとくもなし。 たゞありがたやとたうとがる人こそたうとけれ。 をもしろきことを云よ、 もとものことを申され候との仰事に候と 云云

(189)

一 文亀三 正月十五日の夜、 兼縁夢に云、 前々住上人0735、 兼縁へ御向ありて仰られ候やうは、 いたづらにある事あさましく思召候へば、 稽古かたがた以、 せめて一巻の経をも、 日に一度、 みなみなよりあひ候てよみ申せと仰られけりと 云云。 あまりに人のむなしく月日を送候ことを悲く思召候ゆへとの儀候。

(190)

一 同夢云、 同年極月廿八日の夜、 前々住上人、 御衣・袈裟にて奥の障子をあけられ御出候間、 御法談聴聞申べき心にて候処に、 ついたて障子のやうなるものに、 「御文」 の御詞御入候をよみ申候を御覧じて、 それはなにぞと御尋候間、 「御文」 に候との由申上候へば、 それこそ肝要よ、 信仰してきけと仰られけりと 云云

(191)

一 同夢云、 翌年極月廿九日の夜、 前々住上人仰られ候やうは、 家をばよくは作らでをかしくして、 信心をよくとり念仏申べきよし、 かたく仰られけりと 云云

(192)

一 同夢云、 大永三 正月一日の夜の夢云、 野村殿南殿にて前々住上人仰云、 仏法のこといろいろ仰られ候てのち、 田舎に雑行雑修あるぞ、 かたく申付べしと仰られ候と 云云

(193)

一 同夢云、 大永六 正月五日夜夢云、 前々住上人仰られ候。 一大事にて候。 今の時分がよきときにて候。 こゝをとりはづしては一大事と仰られ候。 かしこまりたりと御うけ申候へば、 たゞそのかしこまりたると云にてはなり候間敷候。 たゞ一大事にて候由仰られしと 云云
蓮誓仰候。 吉崎にて前々住上人に当流0736の肝要のことを習申候。 一流の依用なき聖教やなんどを広く見て、 御流をひがさまにとりなし候ことに候。 さいはいに肝要を抜候聖教に候。 これが一流の秘極なりと、 吉崎にて前々住上人に習申候と、 蓮誓仰候しと 云云
私に云、 夢等をしるすこと、 前々住上人世を去たまへば、 今は其一言をも大切に存候へば、 又かやうに夢に入て仰ごとの金言なることの、 まことの仰とも存ずるまゝ、 是をしるすもの也。 まことにこれは夢想とも申べきことゞもにて候。 総別、 夢は妄想なり、 去ながら権者のうへには瑞夢とてあることなり。 猶以かやうの金言をばしるべしと 云云

(194)

一 仏恩がと申はきゝにくゝ候、 聊爾也。 仏恩をありがたく存ずと申せ、 莫大きゝよく候由候と 云云。 「御文」 がと申も聊爾也。 「御文」 を聴聞申て、 「御文」 有難候と申てよきよしに候。 仏法の方をばいかほども尊敬申べきことゝ 云云

(195)

一 仏法の讃嘆のとき、 同行をかたがたと申は平外也。 御かたがたと申てよきよし仰ごとに候と 云云

(196)

一 前々住上人仰られ候。 家を作とも、 つぶりだにもぬれずは、 なにともかともつくるべし。 万事過分なることを御きらひ候。 衣装等にいたるまでも、 よきものきんとすることあさましきことなり。 冥加を存じ、 たゞ仏法を心にかけよとの仰候と 云云

(197)

一 同仰云、 いかやうの人にて候とも、 仏法の御家に奉公申候はゞ、 きのふまでは他宗にて候とも、 今日ははや仏法の御用とこゝろうべし。 たとひあきなひをし候とも、 仏法の御用とこゝろうべしと仰候と 云云

0737(198)

一 同仰に云、 雨もふり、 又炎天の時分は、 つとめながながしくつかまつり候はで、 はやくして、 人をたゝせ候がよく候由仰られ候。 これも御慈悲にて、 御いたはり候。 大慈大悲の御あはれみに候。 つねづねの仰には、 御身は人に御したがい候て、 仏法を御すゝめ候と仰られ候。 御門徒の身にて御意の如くならざること、 中々あさましきと申もことおろかに候との義候。

(199)

一 将軍家 義尚 よりの儀にて、 賀州一国の一揆、 御門徒をはなさるべきとの義にて、 賀州居住候御兄弟衆をもめしのぼせられ候。 其時前々住上人仰られ候。 賀州の衆を門徒を放すべきと仰いだされんこと、 御身をきらるゝよりもかなしく思召候。 何事も る↠知尼入道の類のことまで思召ば、 何とも御迷わくにきはまると仰候由候。 御門徒を放るゝと申ことは、 一だん善知識の御上にても御かなしく思召候ことに候。

(200)

一 蓮如上人仰られ候。 御門徒衆始て物をまひらせ候を、 他宗に出候義あしく候。 一度も二度も受用せしめ候て、 しかるべきよし仰られ候。 かくのごとくの子細は存もよらぬことにて候。 いよいよ仏法の御用、 御恩をおろそかに存ずべきことにてはなく候。 おどろき入候とのこと候。

(201)

一 法敬坊、 大坂殿へ下られ候処に、 前々住上人仰られ候。 御往生候とも、 十年はいくべしと仰られ候処に、 なにかと申され候。 おしかへし、 いくべしと仰られ候処0738に、 御往生ありて一年存命候処に、 法敬にある人おほせ候。 前々住上人仰られ候はあひ申たるよ。 其故は一年も存命候は、 命を前々住上人より御あたへ候ことにて候と仰候へば、 誠にさやうにて御入候とて、 手を合せ、 ありがたきよしを申され候。 それよりのち、 前々住上人仰られ候ごとく、 十年存命候。 まことに冥加に叶候。 不思議なる人にて候。

(202)

一 毎事に无用なることを仕候義、 冥加なきよし、 条々、 いつも仰られ候由候。

(203)

一 蓮如上人、 物をきこしめすにも、 如来・聖人の御恩をわすれまじと仰られ候。 一くちきこしめしても、 思召出され候よし仰られ候と 云云

(204)

一 御膳を御覧じ候ても、 人のくはぬ飯をくふべきことよと思召候よし仰られ候。 物をすぐにきこしめすことなし。 たゞ御恩のたうとき事をのみ思召候と 云云

(205)

一 享禄二 十二月十八日の夜、 兼縁夢云、 蓮如上人、 人に 「御文」 をあそばし下され候。 其詞に、 梅干の御たとへ候。 梅干のことをいへば、 皆人の口一同にすし。 一味の安心はかやうにかはるまじきこと也。 「同一念仏无別道故」 (論註巻下) のこゝろにて候つるやうにおぼえ候べしと 云云

(206)

一 仏法をすかぬによりて嗜候はぬにと、 空善申され候。 蓮如上人仰られ候。 それは、 このまぬはきらふにてはなきかと仰られ候と 云云

(207)

一 同仰に云、 不信の人は仏法を違例にすると仰られ候。 仏法の御讃嘆あれば、 あら、 きづまりやと思ひ、 と0739くはてよかしと思ふは、 違例をするにてはなきかと仰られ候と 云云

(208)

一 前住様御病中、 正月廿四日に仰られ候。 前住の早々われにこひと、 左の手にて御まねき候。 あらありがたやと、 くりかへしくりかへし仰られ、 御念仏御申候程に、 各御こゝろたがひ候て、 かやうにも仰候やと存候へば、 其義にてはなく候て、 御まどろみ候御夢に御覧ぜられ候よし仰られ候処にて、 みなみな安堵候き。 これまたあらたなる御事なりと 云云

(209)

一 同廿五日、 兼縁に対せられ仰られ候。 前々住上人の、 御世を譲り御申候て以来のことども種々仰られ、 御一心の御安心のとほりを仰られ候。 一念に弥陀を頼み御申候て御往生は一定と思召され候。 それに付て、 前住の御恩にて、 今日まで我と思ふ意をもち候はぬがうれしく候と、 誠に有難くも、 又は驚入申候。 我人、 かやうに心得申候てこそ、 他力の信心決定申たるにてはあるべく候。 いよいよ一大事までの儀候。

(210)

一 ¬嘆徳文¼ に、 親鸞聖人と申せば、 そのおそれあるゆへに、 祖師聖人とよみ候。 又開山聖人とよみ申も、 をそれある子細にて御入候と 云云

(211)

一 たゞ聖人と直に申せば、 聊爾也。 この聖人と申も、 聊爾に候。 開山とは、 略しては申べきかとの事候。 たゞ開山聖人と申してよく候と 云云

0740(212)

一 ¬嘆徳文¼ に、 「以弘誓に託す」 と申ことを、 「以」 を抜てはよまず候と。

(213)

一 蓮如上人、 堺の御坊に御座時、 兼誉御参候。 御堂におひて卓の上に 「御文」 をおかせられて、 一人二人、 乃至五人十人、 まひられ候人々に対し、 「御文」 よませられ候。 その夜、 蓮如上人御物語の時、 此間おもしろきことを思出して候。 堂に於て、 「文」 一人なりとも来られ候人にもよませてきかせ候。 宿縁の人は信をとるべし。 此間をもしろきことを思案し出たると、 くれぐれ仰られ候。 扨は 「御文」 肝要の御ことと、 いよいよ知れ候との事に候。

(214)

一 今生のことを心に入るゝほど、 仏法をよろこびたきことにて候と、 人申べば、 世間に対用してよろこび申はをうやうなり。 仏法をばふかくよろこぶべしと 云云。 又云、 一日一日に仏法はたしなみにて候。 一期と思へば大儀なりと、 人申され候。 又人云、 大儀なると思へば不足なり。 命はいかほどながく候ても、 あかずよろこぶべきことなりと 云云

(215)

一 法敬坊申され候。 仏法を申たるに、 こゝろざしの人を前におきてかたり候へば、 申ちからがありて申よき由まふされ候と 云云

(216)

一 信もなくて大事の聖教を所持の人は、 をさなきものにつるぎをもたせ候やうに思召候。 そのゆへは剣は重宝なれども、 おさなきものもちて候へば、 手を切り見迦をする也。 もちてよく候者は、 もちて重宝になる也と 云云

0741(217)

一 前々住上人仰られ候。 たゞ今なりとも、 わが、 しねといはゞ、 しぬ者はあるべく候。 信をとる者はあるまじく候と仰られ候と 云云

(218)

一 同上人、 大坂殿にて各に対せられて仰られ候。 一念に凡夫の往生をとぐることは秘事・秘曲にてはなきかと仰られしと 云云
 此信を御釈には 「長生不死の神方、 欣浄厭穢の妙述」 (信巻) といへり。

(219)

一 御普請・御造作のとき、 法敬申され候。 まことになにも不思議に、 御眺望等も御上手に御座候由申され候へば、 前々住上人仰られ候。 われはなを不思議なることを知候。 凡夫の仏になり候ことを御存知候由仰られ候と 云云

(220)

一 蓮如上人、 善従に御かけ字をあそばされ候て、 くだされ候。 其後、 善に御尋候。 已前かきつかはし候物をばなにとしたると仰られ候。 善申され候。 表補絵か仕候て、 箱に入をき申候由申され候。 其時仰られ候。 それはわけもなきことをしたること。 不断かけをきて、 そのごとくにこゝろねをなせよと云ことにてこそあれと仰候しと 云云

(221)

一 同仰云、 これの内に居て聴聞申身は、 とりはづしたらば仏にならうよと仰られ候と 云云。 まことにありがたき仰に候。

0742(222)

一 同仰に云、 坊主衆等に対せられ仰られ候。 坊主と云者は大罪人也と仰られ候。 其とき皆迷惑申され候。 さて仰られ候。 つみがふかければこそ、 阿弥陀如来は御助けあれと仰られ候と 云云

(223)

一 毎日毎日に、 「御文」 の御金言を聴聞させられ候事は、 宝を御譲り候ことに候と 云云

(224)

一 開山聖人の御代、 高田の顕智上洛のとき、 申され候。 今度は既に御目にかゝるまじきと存候処に、 不思議に御目にかゝり候と申され候。 それはいかんと仰られ候。 舟路に難風にあい、 迷わく仕り候し由申され候へば、 聖人仰られ候。 それならば船にはのらるまじきものをと仰られ候。 其後、 御詞の末へにて候とて、 一期、 船にのられず候。 又茸一酔申され、 御目に遅くかゝられ候時も、 如此仰られしとて、 一期受用なく候しと 云云。 かやうに仰を信じ、 ちがひ申まじく存られ候事、 誠に有難殊勝の覚悟との義候。

(225)

一 身あたゝかなれば、 ねぶりきざし候。 あさましき事也。 その覚悟にて身をも涼しくもち、 眠をさますべき也。 身随意なれば、 仏法・世法ともにおこたり、 ぶさた・油断あり。 此義一大事なりと 云云

(226)

一 信をゑたらば、 同行にあらく物も申まじきなり、 心和ぐべき也。 触光柔軟の願あり。 又信なければ、 我ありて詞もあらく、 諍も必出来する也。 あさましあさまし、 よくよくこゝろふべしと 云云

(227)

一 前々住上人、 北国にさる御門徒の事を仰られ候。 何として久く上洛なきぞと仰られ候。 御前の人申され候0743。 さる御方の御折檻候と申され候。 そのとき、 御機嫌以外あしく候て、 仰られ候。 開山聖人の御門徒をさやうに云者はあるべからず。 御自身さへ聊爾には思召さぬものを、 なにたるものがさやうに云べきぞ、 とくとくのぼれと仰られ候と 云云

(228)

一 同仰云、 御門徒をあしく申こと、 ゆめゆめあるまじく候。 已に開山は御同行・御同朋と御かしづき候に、 聊爾に存ずるはくせごとの由仰られ候き。

(229)

一 御門徒上洛候へば、 前々住上人仰られ候。 寒天には御酒等をかんをよくさせて、 路次のさむさを忘られ候やうにと仰られ候。 又炎天の比は、 酒などひやせと仰られ、 御詞を加られ候。 又御門徒の上洛候を、 おそく申入候ことくせごとゝ仰られ候。 御門徒衆をまたせ、 遅く対面することもくせごとのよし仰られ候と 云云

(230)

一 万事に付て、 よき事を思ひ付るは御恩也、 悪き事だに思ひ付るは御恩也。 捨も取も、 何れも何れも御恩也と 云云

(231)

一 前々住上人は御門徒の進上物をも、 御衣の下にて御拝み候。 又仏物と思召候へば、 御自身のめし物等までも、 御足などにあたり候へば、 御いたゞき候。 御門徒の進上物、 則聖人よりの御あたへと思召候と仰られしと 云云

(232)

一 仏法には、 よろづかなしきも、 かなはぬにつけても0744、 何事に付ても、 後生のたすかるべきことを思ば、 よろこび多きは仏恩也と 云云

(233)

一 仏法者になれ近付て、 損は一もなし。 なにたるおかしきこと、 狂言も、 是非ともに心底には仏法あるべしと思程に、 我方に能多なりと 云云

(234)

一 蓮如上人、 権化の再誕と云事、 其証多し。 別に是をしるせり。 御詠歌にも、 「形見には六字の御名をのこしおく わがなからんあとのかたみともなれ」 と候。 弥陀の化身としられ候事歴然と 云云

(235)

一 蓮如上人、 細々御兄弟衆等に御足を御見せ候。 御わらぢのあとくひ入、 きらりと御入候。 かやうに京・田舎、 御自身は御辛労候て、 仏法を仰せひらかれ候由仰候しと 云云

(236)

一 同仰云、 悪人のまねをすべきより、 信心決定の人のまねをせよと仰候と 云云

(237)

一 蓮如上人御病中に、 大坂殿より御上洛のとき、 明応八 二月十八日、 さんばの浄賢所にて、 前住上人へ対し御申候。 御一流の肝要をば、 「御文」 にくわしくあそばしとゞめられ候間、 今は申まぎらかす者もあるまじく候。 此分をよくよく御こゝろゑあり、 御門徒中へも仰付られ候へと御遺言の由候。 然ば前住上人の御安心も 「御文」 のごとく、 又諸国御門徒も、 「御文」 のごとく信をゑられよとの支証のために、 御判なされ候事と 云云

(238)

一 存覚は大勢至の化身なりと 云云。 しかるに ¬六要鈔¼ (第三意) には 「三心の字訓そのほか、 勘得せず0745」 とあそばし、 「聖人の宏才仰べし」 と 云云。 権化にて候へども、 聖人の御作分を如↠此あそばし候。 まことに聖意はかりがたき旨をあそばし、 自力をすてゝ他力を仰本意にも叶申候ものをや。 かやうのこと明誉にて御入候と 云云

(239)

一 註を御あらはし候あと、 御自身の知解を御あらはし候はんがためにてはなく候。 御詞を褒誉のため、 仰崇のためにて候と 云云

(240)

一 存覚御辞世の御詠歌云、 「今ははや一夜のゆめとなりにけり 往来あまたのかりのやどやど」。 此言を蓮如上人仰られ候と 云云。 さては釈迦の化現也、 往来娑婆のこゝろなりと 云云。 我身にかけてこゝろへば、 六道輪廻めぐりめぐりて、 臨終の夕、 さとりを開べしと云こゝろ也と 云云

(241)

一 陽気・陰気とてあり。 されば陽気をうる華は、 はやくさく也。 陰気とて日影の華はおそく開く也、 かやうに宿善も遅速有。 されば已今当の往生あり。 弥陀の光明にあひて、 はやくひらくる人もあり、 おそくひらくる人もあり。 已今当のこと、 前々住上人仰られしと 云云。 昨日あらはす人もあり、 今日あらはす人もあり、 明日あらはす人もありと仰られしと 云云

(242)

一 蓮如上人、 御廊架御通候て、 紙きれのをちて候つるを御覧ぜられ候。 仏法領の物をあだにするやと仰られ、 両の御手にて御いたゞき候と 云云。 総じて紙0746のきれなんどのやうなる物をも、 御用と仏物と思召候へば、 あだに御沙汰なく候由、 前住上人御物語候き。

(243)

一 蓮如上人、 近年は仰られ候。 ことに御病中に仰られ候、 何事も金言也。 こゝろをとゞめてきくべしよし仰られ候と 云云

(244)

一 御病中に慶聞をめして仰られ候。 御身には不思議なることがあるぞ、 気をとりなをして仰らるべきと仰られ候と 云云

(245)

一 蓮如上人仰られ候。 世間・仏法ともに、 人はかろがろとしたるがよきと仰られ候。 宿徳したるものを御きらひ候。 物を申さぬがわろしと仰られ候。 又微音に物を申をわろしと仰られ候と 云云

(246)

一 同仰云、 仏法と世体とはたしなみによると、 対句に仰られ候。 又法文と庭の松はいふにあがると、 これも対句に仰られ候と 云云

(247)

一 兼縁、 堺にて蓮如上人御存生のとき、 背摺布御買得ありければ、 蓮如上人仰られ候。 さやうの者は我方にもあるものを、 無用の買ごとよと仰られ候。 兼縁、 自物にてとり申たると答御申候所に、 仰られ候。 それは我物よと仰られ候。 ことごとく仏物、 如来・聖人の御用にもるゝことはあるまじく候。

(248)

一 蓮如上人、 兼縁に物をくだされ候を、 冥加なきと固辞候ひければ、 仰られ候。 物をばたゞとりて信をよくとれ。 信なくは冥加なきとて法物を受ぬやうなれども、 それは曲もなきことなり。 わがすると思こと皆御用0747也。 なにごとか御用にもるゝことや候ふべき。

(249)

一 坊主は人をだにも勧化せられ候。 我を勧化せられぬはあさましきこと也と。

(250)

一 道宗、 前々住上人へ 「御文」 申され候へば、 仰られ候。 「文」 はとりおとし候ことも候ほどに、 たゞ心に信をだにもとり候へば、 取おとし候はぬ由仰れし。 又あくる年、 あそばされ、 くだされ候。

(251)

一 開山聖人の一大事の御客人と申は、 門徒衆の事なりと仰候ひしと 云云

維時*享保二 丁酉 歳三月十二日書写之畢

恵翁子

 

底本は大谷大学蔵享保二年恵翁書写本。