1077◎嘆徳文
【1】 ◎それ▼*親鸞聖人は浄教西方の先達、 真宗末代の明師なり。 博覧内外に渉り、 修練顕密を兼ぬ。 初めには俗典を習ひて切瑳す。 これはこれ、 *伯父業吏部の学窓にありて、 *聚螢映雪の苦節を抽んづるところなり。 後には円宗 (*天台宗) に携はりて研精す。 これはこれ、 貫首鎮和尚 (*慈鎮) の禅房に陪りて、 大才諸徳の講敷を聞くところなり。 これによりて*十乗三諦の月、 観念の秋を送り、 *百界千如の花、 薫修歳を累ぬ。
◎夫0867親鸞聖人者浄教西方之先達、真宗末代之明師也。博覧渉リ↢内外ニ↡、修練兼ヌ↢顕密ヲ↡。初ニハ習テ↢俗典ヲ↡兮切瑳ス。此ハ是在テ↢伯父業吏部之学窓ニ↡、所↠抽ル↢聚蛍映雪之苦節ヲ↡也。後ニハ携テ↢円宗ニ↡兮研精ス。此ハ是陪テ↢貫首鎮和尚之禅房ニ↡、所↠聞ク↢大才諸徳之講敷ヲ↡也。依テ↠之ニ十乗三諦之月、観念ノ送リ↠秋ヲ、百界千如之花、薫修累ヌ↠歳ヲ。
ここにつらつら*出要を窺ひて、 この思惟をなさく、 「定水を凝らすといへども識浪しきりに動き、 心月を観ずといへども妄雲なほ覆ふ。 しかるに一息追がざれば千載に長く往く、 なんぞ浮生の交衆を貪りて、 いたづらに仮名の修学に疲れん。 すべからく勢利を抛ちてただちに出離を悕ふべし」と。
爰ニ倩窺テ↢出要ヲ↡、作ク↢是ノ思惟ヲ↡、雖モ↠凝ト↢定水ヲ↡識浪頻ニ動キ、雖モ↠観ト↢心月ヲ↡妄雲猶覆フ。而ニ一息不バ↠追ガ千載ニ長ク往ク、何ゾ貪テ↢浮生之交衆ヲ↡、徒ニ疲ン↢仮名之修学ニ↡。須 ベシ クト↧抛ヽ↢勢利ヲ↡直ニ悕フ↦出離ヲ↥。
しかれども機教相応、 凡慮明らめがたく、 すなはち近くは*根本中堂の本尊に対し、 遠くは枝末諸方の霊崛に詣でて、 解脱の径路を1078祈り、 真実の知識を求む。 ことに歩みを*六角の精舎に運びて、 百日の懇念を底すところに、 親り告げを*五更の孤枕に得て、 数行の感涙に咽ぶあひだ、 幸ひに*黒谷聖人 (源空) *吉水の禅室に臻りて、 はじめて弥陀覚王*浄土の秘扃に入りたまひしよりこのかた、 *三経の冲微、 *五祖の奥賾、 一流の宗旨相伝誤つことなく、 二門の教相稟承由あり。
然而機教相応、凡慮難ク↠明メ、迺チ近ハ対シ↢根本中堂之本尊ニ↡、遠ハ詣ヽ↢枝末諸方之霊崛ニ↡、祈リ↢解脱之径路ヲ↡、求ム↢真実之知識ヲ↡。特ニ運テ↢歩ヲ於六角之精舎ニ↡、底ス↢百日之懇念ヲ↡之処ニ、親得テ↢告於五更之孤枕ニ↡、咽ブ↢数行之感涙ニ↡之間、幸ニ臻テ↢黒谷聖人吉水之禅室ニ↡、始テ入シヨリ↢弥陀覚王浄土之秘扃ニ↡爾降三0868経之冲微、五祖之奥*賾、一流之宗旨相伝無ク↠誤コト、二門之教相稟承有リ↠由。
ここをもつて仰ぐところは 「▲即得往生住不退転」 (*大経・下) の誠説、 あたかも平生業成の安心に住し、 馮むところは 「▲歓喜踊躍乃至一念」 (大経・下) の流通、 これすなはち無上大利の勝徳なり。 よりて自修の去行をもつて兼ねて化他の要術とす。 時に尊卑多く礼敬の頭を傾け、 *緇素挙りて崇重の志を斉しくす。
是ヲ以テ所↠仰グ者「即得往生住不退転」之誠説、宛モ住シ↢平生業成之安心ニ↡、所↠*憑ム者「歓喜踊躍乃至一念」之流通、此乃チ无上大利之勝徳ナリ。仍テ以テ↢自修之去行ヲ↡兼テ為↢化他之要術ト↡。于時ニ尊卑多ク傾ケ↢礼敬之頭ヲ↡、緇素挙テ斉クス↢崇重之志ヲ↡。
【2】 就中に、 一代蔵を披きて経・律・論・釈の簡要を擢んでて、 六巻の鈔を記して ¬*教行信証之文類¼ と号す。 かの書に攄ぶるところの義理、 甚深なり。 いはゆる凡夫有漏の諸善、 願力成就の報土に入らざることを決し、 如来利他の真心、 安養勝妙の楽邦に生ぜしむることを呈す。 ことに仏智信疑の得失を明かし、 盛んに浄土報化の往生を判ず。
就中ニ披テ↢一代蔵ヲ↡兮擢ヽ↢経・律・論・釈之簡要ヲ↡、記テ↢六巻ノ鈔ヲ↡兮号ス↢¬教行信証之文類ト¼。彼ノ書ニ所↠攄ル義理甚深ナリ。所謂決シ↢凡夫有漏之諸善不コトヲ↟入ラ↢願力成就之報土ニ↡、呈ス↢如来利他之真心令ルコトヲ↟生ゼ↢安養勝妙之楽邦ニ↡。殊ニ明シ↢仏智信疑之得失ヲ↡、*判ズ↠感ルコトヲ↢浄土報化之往生ヲ↡。
兼ねてはまた*択瑛法師の釈義について*横竪二出の名を模すといへども、 宗家大師 (*善導) の祖意を探りて、 巧1079みに*横竪二超の差を立つ。 彼此助成して権実の教旨を標し、 漸頓分別して長短の修行を弁ず。 他人いまだこれを談ぜず、 わが師 (親鸞) 独りこれを存す。
兼テハ復就テ↢択瑛法師之釈義ニ↡雖モ↠摸スト↢横竪二出之名ヲ↡、探テ↢宗家大師之祖意ヲ↡、功ニ立ツ↢横竪二超之差ヲ↡。彼此助成シテ標シ↢権実之教旨ヲ↡、漸頓分別シテ弁ズ↢長短之修行ヲ↡。他人未 ズ ダ↠談ゼ↠之ヲ、我ガ師独リ存ス↠之ヲ。
また ¬*愚禿鈔¼ と題するの撰あり、 同じく自解の義を述ぶるの記たり。 かの文にいはく、 「▲賢者の信を聞きて愚禿が心を顕す。 賢者の信は、 内は賢にして外は愚なり。 愚禿が*信は、 内は愚にして外は賢なり」と云々。
又有リ↧題スル↢¬愚禿鈔ト¼↡之選↥、同ク為リ↧述ル↢自解ノ義ヲ↡之記↥。彼ノ文ニ云ク、「聞テ↢賢者ノ信ヲ↡顕ス↢愚禿ガ心ヲ↡。賢者ノ信ハ、内ハ賢ニシテ外ハ愚也。愚禿ガ信ハ、内ハ愚ニシテ外ハ賢也ト。」云々
この釈、 卑謙の言辞を仮りて、 その理、 翻対の意趣を存す。 内に宏智の徳を備ふといへども、 名を碩才道人の聞きに衒はんことを痛み、 外にただ至愚の相を現じて、 身を田夫野叟の類に侔しくせんと欲す。 これすなはちひそかに末世凡夫の行状を示し、 もつぱら下根往生の実機を表するものか。 しかのみならず、 あるいは*二教相望して四十二対の異を明かし、 あるいは*二機比挍して一十八対の別を顕す。 おほむね両典の巨細つぶさに述ぶべからず。
此ノ釈仮テ↢卑謙之言辞ヲ↡、其ノ理存ス↢翻対之意趣ヲ↡。内ニ雖モ↠備ト↢宏智之徳ヲ↡、痛ミ↠衒ンコトヲ↢名ヲ於碩才道人0869之聞ニ↡、外ニ只現ジテ↢至愚之相ヲ↡、欲ス↠侔クセント↢身ヲ於田父野叟之類ニ↡。是則チ窃ニ示シ↢末世凡夫之行状ヲ↡、専ラ表スル↢下根往生之実機ヲ↡者ヲ哉。加之、或ハ二教相望シテ明シ↢四十二対之異ヲ↡、或ハ二機比校シテ顕ス↢一十八対之別ヲ↡。大底両典ノ巨細不↠可ラ↢具ニ述ブ↡。
【3】 そもそも、 空聖人 (源空) 当教中興の篇によりて事に坐せしの刻、 鸞聖人法匠上足のうちとして同科のゆゑに、 たちまちに上都の幽棲を出でてはるかに北陸の遠境に配す。 しかるあひだ*居諸しきりに転じ、 *涼燠しばしば悛まる。
抑空聖人由テ↢当教中興*之篇ニ↡坐セシ↠事ニ之刻、鸞聖人為テ↢法匠上足之内ト↡同科之故ニ、忽ニ出ヽ↢上都之幽棲ヲ↡遥ニ配ス↢北陸之遠境ニ↡。然間居諸頻ニ転ジ、涼燠屡悛ル。
その時、 憍慢貢高の儔、 邪見を翻してもつて正見に赴き、 儜1080弱下劣の彙、 怯退を悔いて▼もつて弘誓に託す。 貴賎の帰投*遐邇合掌し、 都鄙の化導首尾満足す。 つひにすなはち*蓬闕勅免の恩新たに加はりし時、 *華洛帰歟の運ふたたび開けしの後、 九十有回生涯の終りを迎へて、 十万億西涅槃の果を証したまひしよりこのかた、 星霜積りていくそばくの歳ぞ。
爾時驕慢貢高之儔、翻テ↢邪見ヲ↡以テ赴キ↢正見ニ↡、儜弱下劣之彙、悔テ↢怯退ヲ↡以テ託ス↢弘誓ニ↡。貴賤之帰投遐邇合掌、都鄙之化*導首尾満足ス。遂ニ則チ蓬闕勅免之恩新ニ加シ之時、華洛帰歟之運再開シ之後、迎テ↢九十有廻生涯之終ヲ↡、証シタマヒシヨリ↢十万億西涅槃之果ヲ↡以来星霜積テ兮幾許ノ歳ゾ。
年忌・月忌・本所報恩の勤め懈ることなく、 山川隔たりて数百里、 遠国近国の後弟、 参詣の儀なほ煽りなり。 これしかしながら、 聖人 (親鸞) の弘通、 *冥意に叶ふが致すところなり。 むしろ衆生の開悟、 根熟のしからしむるによるにあらずや。
年忌・月忌・本所報恩之勤無ク↠懈コト、山川隔テ兮数百里、遠国近国後弟、参詣之儀猶煽ナリ。是併ナガラ、聖人之弘通、叶ガ↢冥意ニ↡之所↠致ス也。寧ロ非ズ↣衆生之開悟依ニ↢根熟之令ニ↟然乎。
【4】 おほよそ三段の ¬*式文¼、 称揚足りぬといへども、 *二世の*益物讃嘆いまだ倦まず。 このゆゑに一千言の褒誉を加へて、 重ねて百万端の報謝に擬す。
凡三段之¬式文¼、称揚雖モ↠足ヌト、二世之益物讃嘆未 ズ ダ↠倦マ。是ノ故ニ加テ↢一千言之褒誉ヲ↡、重テ擬ス↢百万端之報謝ニ↡。
しかればすなはち、 蓮華蔵界のうちにして今の*講肆を照見し、 *檀林宝座の上よりこの*梵筵に影向したまふらん。 内証外用さだめて果地の荘厳を添へ、 *上求下化よろしく菩提の*智断を究めましますべし。 重ねて乞ふ、 仏閣基固くして、 はるかに梅怛利耶 (*弥勒) の*三会に及び、 法水流遠くして、 あまねく六趣・四生の群萌を潤さん。 敬ひてまうす。
然バ則チ於テ↢蓮華蔵界之中ニ↡照↢見シ今ノ講肆ヲ↡、自リ↢壇林宝座0870之上↡影↢向シタマフラン斯ノ梵筵ニ↡。内証外用定テ添ヘ↢果地之荘厳ヲ↡、上求下化宜 ベ クシ↠究タマフ↢菩提之智断ヲ↡。重テ乞フ、仏閣基固シテ、遥ニ及ビ↢梅怛梨耶之三会ニ↡、法水流遠シテ、普ク潤サン↢六趣四生之群萌ヲ↡。敬テ白ス。
*寛正二年十二月八日奉書者訖
右筆蓮- 四十七才
延書の底本は本派本願寺蔵版ˆ原漢文対校本のⒷˇ。
伯父業吏部 親鸞聖人の伯父、
日野宗業のこと。 吏部は式部省の唐名で、 宗業が式部大輔であったことからいう。
十乗三諦 天台の観法を指す。 十乗は ¬摩訶止観¼ に説かれる十乗観法 (解脱の境地に至るための十種の観法)、 三諦は空・仮・中の三諦のことで、 この三諦が究極において別々のものではなくて円融しているという道理を観ずる。
百界千如 天台の観心の対象。 千如是のこと。 仏界から地獄界までの十界がそれぞれに十界をそなえているので百界となり、 その百界にそれぞれ十如是 (諸法実相の十のありかた) があるので千如となる。
根本中堂 比叡山延暦寺の本堂。
浄土の秘扃 他力不思議の法門。
三経の冲微 ¬大経¼ ¬観経¼ ¬小経¼ の奥深い教え。
五祖の奥賾 五祖の奥深い教え。 ここでの五祖は曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・懐感禅師・少康法師をいう。
横竪二出 横出と
竪出のこと。 ただし、 択瑛の 「弁横竪二出」 では出は
出離生死の意。 親鸞聖人の二双四重の判釈ではこの出を漸教の意とする。
信 ¬愚禿鈔¼ の原文では 「心」 の字。
蓬闕 ここでは禁庭(宮中)の意。
華洛 花の都、 京都のこと。
冥意 仏意。 仏のおぼしめし。
二世 現在世と当来世の二世。
講肆 報恩講の法座。
智断 知徳 (
智慧を得る徳) と断徳 (
煩悩を断じ尽す徳)。 →
三徳
底本は◎本派本願寺蔵寛正二年蓮如上人書写本。 Ⓐ本派本願寺蔵伝実如上人書写本、 Ⓑ本派本願寺蔵版 と対校。
賾→Ⓑ蹟
憑→Ⓑ馮
判感→Ⓑ盛判
之 Ⓑになし
導→Ⓐ道