0859◎執0233持鈔
▲(1)
◎一 本願寺聖人 (*親鸞) の仰せにのたまはく、
来迎は諸行往生にあり、 自力の行者なるがゆゑに。 臨終まつこと来迎たのむことは、 諸行往生のひとにいふべし。 真実信心の行人は、 摂取不捨のゆゑに正定聚に住す。 正定聚に住するがゆゑに、 かならず滅度に至る。 かるがゆゑに臨終まつことなし、 来迎たのむことなし。 これすなはち第十八の願のこころなり。 臨終をまち来迎をたのむことは、 諸行往生を誓ひまします第十九の願のこころなり。
(2)
一 またのたまはく、
「▲是非しらず邪正もわかぬ この身にて 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり」 (*正像末和讃)。 往生浄土のためにはただ信心をさきと0860す、 そのほかをばかへりみざるなり。 ▼往生ほどの一大事、 凡夫のはからふべきことにあらず、 ひとすぢ0234に如来にまかせたてまつるべし。 すべて凡夫にかぎらず、 補処の*弥勒菩薩をはじめとして仏智の不思議をはからふべきにあらず、 まして凡夫の浅智をや。 *かへすがへす如来の御ちかひにまかせたてまつるべきなり。 これを他力に帰したる信心発得の行者といふなり。 されば*われとして浄土へまゐるべしとも、 また地獄へゆくべしとも、 定むべからず。
故聖人 *黒谷*源空聖人の御ことばなり の仰せに、 「▲源空があらんところへゆかんとおもはるべし」 と、 たしかにうけたまはりしうへは、 たとひ地獄なりとも、 故聖人の*わたらせたまふところへまゐるべしとおもふなり。
このたびもし善知識にあひたてまつらずは、 われら凡夫かならず地獄におつべし。 しかるにいま聖人 (源空) の御化導にあづかりて、 弥陀の本願をきき、 摂取不捨のことわりをむねにをさめ、 生死のはなれがたきをはなれ、 浄土の生れがたきを*一定と期すること、 *さらにわたくしのちからにあらず。 ▲たとひ弥陀の仏智に帰して念仏するが地獄の業たるを、 いつはりて往生浄土の業因ぞと聖人授けたまふに*すかされまゐらせて、 われ地獄におつといふとも、 さらにくやしむおもひある0861べからず。
そのゆゑは、 明師にあひたてまつらで*やみなましかば、 *決定悪道へゆくべかりつる身なるがゆゑにとなり。 しかるに善知識にすかされたてまつりて悪道へゆかば、 ひ0235とりゆくべからず、 師とともにおつべし。 さればただ地獄なりといふとも、 故聖人のわたらせたまふところへまゐらんとおもひかためたれば、 *善悪の生所、 わたくしの定むるところにあらずといふなりと。 これ自力をすてて他力に帰するすがたなり。
(3)
一 またのたまはく、
*光明寺の和尚 *善導の御こと の ¬*大無量寿経¼ の第十八の念仏往生の願のこころを釈したまふに、 「▲善悪凡夫得生者 莫不皆乗阿弥陀仏 ↓大願業力 為↓増上縁」 (*玄義分) といへり。
このこころは、 善人なればとて、 おのれがなすところの善をもつて、 かの阿弥陀仏の報土へ生るること、 *かなふべからずとなり。 悪人また*いふにや及ぶ。 おのれが悪業のちから、 三悪・四趣の生をひくよりほか、 あに報土の生因たらんや。しかれば、 善業も要にたたず、 悪業もさまたげとならず。
善人の往生するも、 弥陀如来の*別願、 超世の大0862慈大悲にあらずはかなひがたし。 *悪人の往生、 またかけてもおもひよるべき報仏・報土にあらざれども、 仏智の不可思議なる奇特をあらはさんがためなれば、 五劫があひだこれを思惟し、 永劫があひだこれを行じて、 か0236かるあさましきものが、 六趣・四生よりほかはすみかもなく、 *うかむべき期なきがために、 *とりわきむねとおこされたれば、 悪業に卑下すべからずとすすめたまふむねなり。
さればおのれをわすれて仰ぎて仏智に帰するまことなくは、 おのれがもつところの悪業、 なんぞ浄土の生因たらん。 すみやかにかの十悪・五逆・四重・謗法の悪因にひかれて三途・八難にこそしづむべけれ、 なにの要にかたたん。
▲しかれば、 善も極楽に生るるたねにならざれば、 往生のためにはその要なし。 悪もまたさきのごとし。 しかれば、 ただ機 ˆのˇ *生得の善悪なり。 かの土ののぞみ、 他力に帰せずは*おもひたえたり。 これによりて 「善悪凡夫の生るるは↑大願業力ぞ」 と釈したまふなり。 「↑増上縁とせざるはなし」 といふは、 弥陀のちかひのすぐれたまへるにまされるものなしとなり。
(4)
一 またのたまはく、
0863▲*光明・名号の因縁といふことあり。 弥陀如来四十八願のなかに第十二の願は、 「▲わがひかりきはなからん」 と誓ひたまへり。 これすなはち念仏の衆生を摂取のためなり。 かの願すでに成就して、 あまねく無礙のひかりをもつて十方微塵世0237界を照らしたまひて、 衆生の煩悩悪業を長時に照らしまします。 さればこのひかりの縁にあふ衆生、 *やうやく無明の昏闇うすくなりて宿善のたねきざすとき、 まさしく報土に生るべき第十八の念仏往生の*願因の名号をきくなり。
しかれば、 名号執持すること、 さらに自力にあらず、 ひとへに光明にもよほさるるによりてなり。 これによりて、 ▼光明の縁にきざされて名号の因をうといふなり。 かるがゆゑに宗師 善導大師の御ことなり 「▲以光明名号 摂化十方 但使信心求念」 (*礼讃) とのたまへり。
「但使信心求念」 といふは、 光明と名号と、 父母のごとくにて、 子をそだてはぐくむべしといへども、 子となりて出でくべきたねなきには、 父・母となづくべきものなし。 子のあるとき、 それがために父といひ母といふ号あり。 それがごとくに、 光明を母にたとへ、 名号を父にたとへて、 光明の母・名号の父といふことも、 報土にまさしく生るべき信心のたねなくはあるべからず。
しかれば、 信心をおこして0864往生を求願するとき、 名号もとなへられ、 光明もこれを摂取するなり。 されば名号につきて信心をおこす行者なくは、 弥陀如来摂取不捨のちかひ成ずべからず。 弥陀如来の摂取不捨の御ちかひなくは、 また行者の往生浄土のねがひ、 なにによりてか成ぜん。 されば▲本願や名号、 名号や本願、 本願や行0238者、 行者や本願といふ、 このいはれなり。
本願寺の聖人 (親鸞) の御釈 ¬教行信証¼ (行巻) にのたまはく、 「▲徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。 光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。 光明・名号の父母、 これすなはち外縁とす。 真実信の業識、 これすなはち内因とす。 内外因縁和合して報土の真身を得証す」 とみえたり。
これをたとふるに、 日輪、 須弥の半ばにめぐりて*他州を照らすとき、 このさかひ闇冥たり。 他州よりこの*南州にちかづくとき、 夜すでに明くるがごとし。 しかれば、 ▼日輪の出づるによりて夜は明くるものなり。 世のひとつねにおもへらく、 夜の明けて日輪出づと。 いまいふところはしからざるなり。 弥陀仏日の照触によりて無明長夜の闇すでにはれて、 安養往生の業因たる名号の宝珠をばうるなりとしるべし。
(5)0865
一 わたくしにいはく、
根機*つたなしとて卑下すべからず。 仏に下根をすくふ大悲あり。 行業おろそかなりとて疑ふべからず。 ¬経¼ (*大経・下) に 「▲乃至一念」 の文あり。 仏語に虚妄なし、 本願あにあやまりあらんや。 名号を正定業となづくることは、 仏の不思議力をたも0239てば往生の業まさしく定まるゆゑなり。 もし弥陀の*名願力を称念すとも、 往生なほ不定ならば正定業とはなづくべからず。 われすでに本願の名号を*持念す。 往生の業すでに*成弁することをよろこぶべし。
かるがゆゑに臨終にふたたび名号をとなへずとも、 往生をとぐべきこと勿論なり。 一切衆生のありさま、 過去の業因まちまちなり。 また死の縁無量なり。 病にをかされて死するものあり、 ▼剣にあたりて死するものあり、 水におぼれて死するものあり、 火に焼けて死するものあり、 乃至、 寝死するものあり、 酒狂して死するたぐひあり。 これみな先世の業因なり、 さらにのがるべきにあらず。 かくのごときの*死期にいたりて、 *一旦の妄心をおこさんほか、 いかでか凡夫のならひ、 名号称念の正念もおこり、 往生浄土の願心もあらんや。 平生のとき期するところの約束、 もしたがはば、 往生ののぞみむなしかるべし。
し0866かれば、 ▼平生の一念によりて往生の得否は定まれるものなり。 平生のとき不定のおもひに住せば、 かなふべからず。 平生のとき善知識のことばのしたに帰命の一念を発得せば、 そのときをもつて娑婆のをはり、 *臨終とおもふべし。
◆そもそも、 南無は帰命、 帰命のこころは往生のためなれば、 またこれ発願なり。 このこころあまねく万行万善をして浄土の業因となせば、 また0240回向の義あり。 この*能帰の心、 *所帰の仏智に相応するとき、 かの仏の*因位の万行・果地の万徳、 ことごとくに名号のなかに摂在して、 十方衆生の*往生の行体となれば、 「▲阿弥陀仏即是其行」 (玄義分) と釈したまへり。
◆また殺生罪をつくるとき、 地獄の定業を結ぶも、 臨終にかさねてつくらざれども、 平生の業にひかれて地獄にかならずおつべし。 念仏もまたかくのごとし。 本願を信じ名号をとなふれば、 その時分にあたりてかならず往生は定まるなりとしるべし。
*本にいはく
*嘉暦元歳丙寅九月五日、 老眼を拭ひ禿筆を染む。 これひとへに衆生を利益せんがため0867なり。
釈*宗昭五十七
先年、 かくのごとく、 予、 筆を染めて飛騨の*願智坊に与へをはりぬ。 しかして、 今年*暦応三歳庚辰十月十五日、 この書を随身して上洛。 なかの一日逗留、 十七日下国。 よつて灯下において老筆を馳せてこれを留む。 利益のためなり。
宗昭七十一
底本は本派本願寺蔵蓮如上人書写本ˆ聖典全書の底本と同じˇ。
わたらせたまふところ いらっしゃるところ。
一定と期すること (浄土に生まれることが) たしかであると心に待ちもうけること。
やみなましかば 一生を終えてしまったなら。
決定 まちがいなく。 きっと。
善悪の生所 生まれるさきのよしあし。
かなふべからず 思いどおりにならない。 不可能である。
いふにや及ぶ いうまでもない。
別願 他力不思議をもって
凡夫を
報土に往生させようと誓った特別の
誓願 (第十八願)。 →
本願
悪人の…あらざれども また悪人の報土往生ということは、 いささかも思いよらないことがらではあるけれども。 「かけても」 はいささかも、 かりそめにもという意。
うかむべき期 (六趣・四生から) 離れ出る機会。
とりわきむねと… (悪人の成仏を) 特別に目当てとして (本願を) おこされたのであるから。
生得の善悪 持って生れた善悪。
おもひたえたり 念願はたたれてしまっている。 あきらめてしまうしかない。
光明名号の因縁 阿弥陀仏が摂取の光明を縁とし、 名号を因として、 一切衆生を救うこと。
願因の名号 本願によって往生の因と選び定められた名号。
他州 須弥山の四方にある四大州の中、
南贍部洲以外の他の三洲 (
東勝身洲・
西牛貨洲・
北倶盧洲) をいう。
南州 須弥山の南にある
南贍部洲のこと。 人間の住む世界をいう。
つたなし 劣っている。
臨終 心の命終のこと。 覚如上人は ¬最要鈔¼ において、 身心の二に命終の道理があるとし、 信一念の時を心 (迷情の自力心) の命終とする。
能帰の心 仏智に帰順する衆生の信心。
所帰の仏智 衆生に帰順される仏智。
往生の行体 すべての徳をそなえた名号そのものが浄土に往き生まれるための行であるので、 このようにいう。
本にいはく 「本」 とは書写原本のこと。 原本にあった奥書をそのまま転写したことを示す。