0859しゅう0233しょう

 

(1)

一 本願ほんがんしょうにん (*親鸞)おおせ​に​のたまはく、

 来迎らいこうしょぎょうおうじょうに​あり、 りきぎょうじゃなる​がゆゑに。 りんじゅうまつ​こと来迎らいこうたのむ​こと​は、 しょぎょうおうじょうの​ひと​に​いふ​べし。 真実しんじつ信心しんじんぎょうにんは、 摂取せっしゅしゃの​ゆゑに正定しょうじょうじゅじゅうす。 正定しょうじょうじゅじゅうする​がゆゑに、 かならずめついたる。 かるがゆゑにりんじゅうまつ​こと​なし、 来迎らいこうたのむ​こと​なし。 これ​すなはちだいじゅうはちがんの​こころ​なり。 りんじゅうを​まち来迎らいこうを​たのむ​こと​は、 しょぎょうおうじょうちかひ​ましますだいじゅうがんの​こころ​なり。

(2)

一 また​のたまはく、

 「是非ぜひしら​ずじゃしょうも​わか​ぬ このにて しょうしょうも​なけれ​ども みょうにんを​このむ​なり」 (*正像末和讃)おうじょうじょうの​ため​には​ただ信心しんじんを​さき​と0860す、 その​ほか​をば​かへりみ​ざる​なり。 おうじょうほど​の一大いちだいぼんの​はからふ​べき​こと​に​あらず、 ひとすぢ0234如来にょらいに​まかせ​たてまつる​べし。 すべてぼんに​かぎら​ず、 しょ*ろくさつを​はじめ​としてぶっ思議しぎを​はからふ​べき​に​あらず、 ましてぼんせんをや。 *かへすがへす如来にょらいおんちかひ​に​まかせ​たてまつる​べき​なり。 これ​をりきし​たる信心しんじん発得ほっとくぎょうじゃといふ​なり。 されば*われと​してじょうへ​まゐる​べし​とも、 またごくへ​ゆく​べし​とも、 さだむ​べから​ず。

しょうにん *黒谷くろだに*源空げんくうしょうにんおんことば​なり おおせ​に、 「源空げんくうが​あら​ん​ところ​へ​ゆか​ん​と​おもは​る​べし」 と、 たしかに​うけたまはり​し​うへは、 たとひごくなり​とも、 しょうにん*わたらせたまふ​ところ​へ​まゐる​べし​と​おもふ​なり。

このたび​もしぜんしきに​あひ​たてまつら​ずは、 われらぼんかならずごくに​おつ​べし。 しかるに​いましょうにん (源空)どうに​あづかり​て、 弥陀みだ本願ほんがんを​きき摂取せっしゅしゃの​ことわり​を​むね​に​をさめ、 しょうの​はなれがたき​を​はなれ、 じょううまれがたき​を*いちじょうする​こと、 *さらに​わたくし​の​ちから​に​あらず。 たとひ弥陀みだぶっし​て念仏ねんぶつする​がごくごうたる​を、 いつはり​ておうじょうじょう業因ごういんぞ​としょうにんさずけ​たまふ​に*すかさ​れ​まゐらせ​て、 われごくに​おつ​といふとも、 さらに​くやしむ​おもひ​ある0861べから​ず。

そのゆゑは、 めいに​あひ​たてまつら​で*やみ​なましか​ば、 *けつじょう悪道あくどうへ​ゆく​べかり​つるなる​がゆゑに​となり。 しかるにぜんしきに​すかさ​れ​たてまつり​て悪道あくどうへ​ゆか​ば、 ひ0235とり​ゆく​べから​ず、 と​ともに​おつ​べし。 されば​ただごくなり​といふとも、 しょうにんの​わたらせたまふ​ところ​へ​まゐら​ん​と​おもひかため​たれ​ば、 *善悪ぜんあくしょうじょ、 わたくし​のさだむる​ところ​に​あらず​といふ​なり​と。 これりきを​すて​てりきする​すがた​なり。

(3)

一 また​のたまはく、

 *こうみょうしょう *善導ぜんどうおんこと ​の ¬*だいりょう寿じゅきょう¼ のだいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうがんの​こころ​をしゃくし​たまふ​に、 「善悪ぜんあくぼんとくしょうしゃ まくかいじょう弥陀みだぶつ 大願だいがん業力ごうりき ぞうじょうえん(*玄義分) と​いへ​り。

この​こころ​は、 善人ぜんにんなれば​とて、 おのれ​が​なす​ところのぜんをもつて、 かの弥陀みだぶつほううまるる​こと、 *かなふ​べから​ず​となり。 悪人あくにんまた*いふ​にやおよぶ。 おのれ​が悪業あくごうの​ちから、 三悪さんまくしゅしょうを​ひく​より​ほか、 あにほうしょういんたらん​や。しかれば、 善業ぜんごうように​たた​ず、 悪業あくごうも​さまたげ​と​なら​ず。

善人ぜんにんおうじょうする​も、 弥陀みだ如来にょらい*別願べつがんちょうだい0862だいに​あらずは​かなひがたし。 *悪人あくにんおうじょう、 また​かけても​おもひよる​べき報仏ほうぶつほうに​あらざれ​ども、 ぶっ不可ふか思議しぎなるどくを​あらはさ​んがため​なれば、 こうが​あひだ​これ​をゆいし、 永劫ようごうが​あひだ​これ​をぎょうじ​て、 か0236かる​あさましき​もの​が、 六趣ろくしゅしょうより​ほか​は​すみか​も​なく、 *うかむ​べきなき​が​ため​に、 *とりわき​むねと​おこさ​れ​たれ​ば、 悪業あくごう卑下ひげす​べから​ず​と​すすめ​たまふ​むね​なり。

されば​おのれ​を​わすれ​てあおぎ​てぶっする​まこと​なく​は、 おのれ​が​もつ​ところの悪業あくごう、 なんぞじょうしょういんたらん。 すみやかに​かのじゅうあくぎゃくじゅう謗法ほうぼう悪因あくいんに​ひか​れ​てさん八難はちなんに​こそ​しづむ​べけれ、 なに​のようにか​たた​ん。

しかれば、 ぜん極楽ごくらくうまるる​たね​に​ならざれ​ば、 おうじょうのために​は​そのようなし。 あくも​また​さき​の​ごとし。 しかれば、 ただ ˆのˇ *しょうとく善悪ぜんあくなり。 かのの​のぞみ、 りきせ​ずは*おもひ​たえ​たり。 これ​によりて 「善悪ぜんあくぼんうまるる​は大願だいがん業力ごうりきぞ」 としゃくし​たまふ​なり。 「ぞうじょうえんと​せ​ざる​は​なし」 といふは、 弥陀みだの​ちかひ​の​すぐれ​たまへる​に​まされる​もの​なし​となり。

(4)

一 また​のたまはく、

 0863*こうみょうみょうごう因縁いんねんといふ​こと​あり。 弥陀みだ如来にょらいじゅう八願はちがんの​なか​にだいじゅうがんは、 「わが​ひかり​きは​なから​ん」 とちかひ​たまへ​り。 これ​すなはち念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅの​ため​なり。 かのがんすでにじょうじゅし​て、 あまねく無礙むげの​ひかり​をもつて十方じっぽうじん0237かいらし​たまひ​て、 しゅじょう煩悩ぼんのう悪業あくごうじょうらし​まします。 されば​この​ひかり​のえんに​あふしゅじょう*やうやくみょう昏闇こんあんうすく​なり​て宿しゅくぜんの​たね​きざす​とき、 まさしくほううまる​べきだいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょう*願因がんいんみょうごうを​きく​なり。

しかれば、 みょうごうしゅうする​こと、 さらにりきに​あらず、 ひとへにこうみょうに​もよほさ​るる​によりて​なり。 これ​によりて、 こうみょうえんに​きざさ​れ​てみょうごういんを​う​といふ​なり。 かるがゆゑにしゅう 善導ぜんどうだいおんこと​なりこうみょうみょうごう せっ十方じっぽう たん使信心しんじんねん(*礼讃) と​のたまへ​り。

たん使信心しんじんねん」 といふは、 こうみょうみょうごうと、 父母ぶもの​ごとくに​て、 を​そだて​はぐくむ​べし​と​いへども、 と​なり​てでく​べき​たね​なき​には、 ちちははと​なづく​べき​もの​なし。 の​ある​とき、 それ​がためにちちと​いひははといふあり。 それ​が​ごとくに、 こうみょうははに​たとへ、 みょうごうちちに​たとへ​て、 こうみょうははみょうごうちちといふ​こと​も、 ほうに​まさしくうまる​べき信心しんじんの​たね​なく​は​ある​べから​ず。

しかれば、 信心しんじんを​おこし​て0864おうじょうがんする​とき、 みょうごうも​となへ​られ、 こうみょうも​これ​を摂取せっしゅする​なり。 さればみょうごうにつきて信心しんじんを​おこすぎょうじゃなく​は、 弥陀みだ如来にょらい摂取せっしゅしゃの​ちかひじょうず​べから​ず。 弥陀みだ如来にょらい摂取せっしゅしゃおんちかひ​なく​は、 またぎょうじゃおうじょうじょうの​ねがひ、 なに​によりて​かじょうぜ​ん。 されば本願ほんがんみょうごうみょうごう本願ほんがん本願ほんがんぎょう0238じゃぎょうじゃ本願ほんがんといふ、 この​いはれ​なり。

本願ほんがんしょうにん (親鸞)おんしゃく ¬教行きょうぎょうしんしょう¼ (行巻) に​のたまはく、 「徳号とくごう慈父じぶましまさ​ずはのうしょういんけ​なん。 こうみょう悲母ひもましまさ​ずはしょしょうえんそむき​なん。 こうみょうみょうごう父母ぶも、 これ​すなはちえんと​す。 真実しんじつしん業識ごっしき、 これ​すなはち内因ないいんと​す。 ない因縁いんねんごうしてほう真身しんしんとくしょうす」 と​みえ​たり。

これ​を​たとふる​に、 日輪にちりんしゅなかば​に​めぐり​て*しゅうらす​とき、 この​さかひあんみょうたり。 しゅうより​この*なんしゅうに​ちかづく​とき、 すでにくる​が​ごとし。 しかれば、 日輪にちりんづる​によりてくる​ものなり。 の​ひと​つね​に​おもへらく、 け​て日輪にちりんづ​と。 いま​いふ​ところ​は​しから​ざる​なり。 弥陀みだ仏日ぶつにちしょうそくによりてみょうじょうやみすでに​はれ​て、 あんにょうおうじょう業因ごういんたるみょうごう宝珠ほうしゅをば​うる​なり​と​しる​べし。

(5)0865

一 わたくし​に​いはく、

 こん*つたなし​とて卑下ひげす​べから​ず。 ぶつこんを​すくふだいあり。 ぎょうごうおろそかなり​とてうたがふ​べから​ず。 ¬きょう¼ (*大経・下) に 「ない一念いちねん」 のもんあり。 ぶつもうなし、 本願ほんがんあに​あやまり​あら​ん​や。 みょうごう正定しょうじょうごうと​なづくる​こと​は、 ぶつ思議しぎりきを​たも0239て​ばおうじょうごうまさしくさだまる​ゆゑなり。 もし弥陀みだ*みょう願力がんりきしょうねんす​とも、 おうじょうなほじょうならば正定しょうじょうごうと​は​なづく​べから​ず。 われ​すでに本願ほんがんみょうごう*ねんす。 おうじょうごうすでに*じょうべんする​こと​を​よろこぶ​べし。

かるがゆゑにりんじゅうに​ふたたびみょうごうを​となへ​ず​とも、 おうじょうを​とぐ​べき​こと勿論もちろんなり。 一切いっさいしゅじょうの​ありさま、 過去かこ業因ごういんまちまちなり。 またえんりょうなり。 やまいに​をかさ​れ​てする​もの​あり、 つるぎに​あたり​てする​もの​あり、 みずに​おぼれ​てする​もの​あり、 け​てする​もの​あり、 ないじにする​もの​あり、 しゅきょうし​てする​たぐひ​あり。 これ​みなせん業因ごういんなり、 さらに​のがる​べき​に​あらず。 かくのごとき​の*死期しごに​いたり​て、 *一旦いったん妄心もうじんを​おこさ​ん​ほか、 いかでかぼんの​ならひ、 みょうごうしょうねんしょうねんも​おこり、 おうじょうじょう願心がんしんも​あら​ん​や。 平生へいぜいの​ときする​ところの約束やくそく、 もし​たがは​ば、 おうじょうの​のぞみ​むなしかる​べし。

0866かれば、 平生へいぜい一念いちねんによりておうじょうとくさだまれ​る​ものなり。 平生へいぜいの​ときじょうの​おもひ​にじゅうせ​ば、 かなふ​べから​ず。 平生へいぜいの​ときぜんしきの​ことば​の​した​にみょう一念いちねん発得ほっとくせ​ば、 その​とき​をもつてしゃの​をはり、 *りんじゅうと​おもふ​べし。

そもそも、 南無なもみょうみょうの​こころ​はおうじょうの​ため​なれ​ば、 また​これ発願ほつがんなり。 この​こころ​あまねくまんぎょう万善まんぜんを​してじょう業因ごういんと​なせ​ば、 また0240こうあり。 この*のうしん*しょぶっ相応そうおうする​ときかのぶつ*いんまんぎょう果地かじ万徳まんどく、 ことごとく​にみょうごうの​なか​にしょうざいし​て十方じっぽうしゅじょう*おうじょうぎょうたいと​なれ​ば、 「弥陀みだぶつそくぎょう(玄義分)しゃくし​たまへ​り。

またせっしょうざいを​つくる​とき、 ごくじょうごうむすぶ​も、 りんじゅうに​かさねて​つくら​ざれ​ども、 平生へいぜいごうに​ひか​れ​てごくに​かならず​おつ​べし。 念仏ねんぶつも​また​かくのごとし。 本願ほんがんしんみょうごうを​となふれ​ば、 そのぶんにあたりて​かならずおうじょうさだまる​なり​と​しる​べし。

*ほんに​いはく

*りゃく元歳がんさいひのえとらがついつ老眼ろうがんぬぐ禿筆とくひつむ。 これ​ひとへにしゅじょうやくせんがため0867なり。

しゃく*そうしょうじゅうしち

 先年せんねん、 かくのごとく、 ふでめ​て飛騨ひだ*がんぼうあたへ​をはり​ぬ。 しかして、 今年こんねん*りゃくおう三歳さんさいかのえたつじゅうがつじゅうにち、 このしょ随身ずいしんし​てじょうらく。 なか​のひととうりゅうじゅう七日しちにちこく。 よつてとうに​おいて老筆ろうひつせ​て​これ​をとどむ。 やくの​ため​なり。

そうしょうしちじゅういち

 

底本は本派本願寺蔵蓮如上人書写本ˆ聖典全書の底本と同じˇ。
わたらせたまふところ いらっしゃるところ。
一定と期すること (浄土に生まれることが) たしかであると心に待ちもうけること。
やみなましかば 一生を終えてしまったなら。
決定 まちがいなく。 きっと。
善悪の生所 生まれるさきのよしあし。
かなふべからず 思いどおりにならない。 不可能である。
いふにや及ぶ いうまでもない。
別願 他力不思議をもってぼんほうに往生させようと誓った特別の誓願せいがん (第十八願)。 →本願ほんがん
悪人の…あらざれども また悪人のほう往生ということは、 いささかも思いよらないことがらではあるけれども。 「かけても」 はいささかも、 かりそめにもという意。
うかむべき期 (六趣・四生から) 離れ出る機会。
とりわきむねと… (悪人の成仏を) 特別に目当てとして (本願を) おこされたのであるから。
生得の善悪 持って生れた善悪。
おもひたえたり 念願はたたれてしまっている。 あきらめてしまうしかない。
光明名号の因縁 阿弥陀仏が摂取せっしゅの光明を縁とし、 名号を因として、 一切しゅじょうを救うこと。
願因の名号 本願によって往生の因と選び定められた名号。
他州 しゅせんの四方にある四大州の中、 なんせんしゅう以外の他の三洲 (とうしょうしんしゅう西さい牛貨ごけしゅうほっ倶盧くるしゅう) をいう。
南州 しゅせんの南にあるなんせんしゅうのこと。 人間の住む世界をいう。
つたなし 劣っている。
臨終 心の命終のこと。 かくにょ上人は ¬最要さいようしょう¼ において、 身心の二に命終の道理があるとし、 信一念の時を心 (迷情の自力心) の命終とする。
能帰の心 仏智に帰順するしゅじょうの信心。
所帰の仏智 衆生に帰順される仏智。
往生の行体 すべての徳をそなえたみょうごうそのものが浄土に往き生まれるための行であるので、 このようにいう。
本にいはく 「本」 とは書写原本のこと。 原本にあった奥書をそのまま転写したことを示す。