0811◎恵信1029尼消息
1031
(1)
◎^**去年の十二月一日の御文、 同二十日あまりに、 たしかにみ候ひぬ。 なによりも殿 (*親鸞) の御往生、 なかなかはじめて申すにおよばず候ふ。
^*山を出でて、 *六角堂に百日篭らせたまひて、 後世をいのらせたまひけるに、 九十五日の*あか月、 *聖徳太子の文を結びて、 示現にあづからせたまひて候ひければ、 やがてそのあか月出でさせたまひて、 後世のたすからんずる*縁にあひまゐらせんと、 たづねまゐらせて、 *法然上人にあひまゐらせて、 また六角堂に百日篭らせたまひて候ひけるやうに、 また百か日、 降るにも照るにも、 いかなる*たいふにも、 まゐりてありしに、 ただ後世のことは、 よき人にもあしきにも、 おなじやうに、 *生死出づべき道をば、 ただ一すぢに仰せられ候ひしを、 うけたまはりさだ1032めて候ひしかば、 「▼上人のわたらせたまはんところには、 人はいかにも申せ、 たとひ悪道にわたらせたまふべしと申すとも、 世々生々にも0812*迷ひければこそありけめ、 とまで思ひまゐらする身なれば」 と、 やうやうに人の申し候ひしときも仰せ候ひしなり。
^▼さて常陸の*下妻と申し候ふところに、 *さかいの郷と申すところに候ひしとき、 夢をみて候ひしやうは、 堂供養かとおぼえて、 東向きに御堂はたちて候ふに、 *しんがくとおぼえて、 御堂のまへには*たてあかししろく候ふに、 たてあかしの西に、 御堂のまへに、 鳥居のやうなるによこさまにわたりたるものに、 仏を掛けまゐらせて候ふが、 一体は、 *ただ仏の御顔にてはわたらせたまはで、 ただひかりのま中、 仏の*頭光のやうにて、 まさしき御かたちはみえさせたまはず、 ただひかりばかりにてわたらせたまふ。
^いま一体は、 まさしき仏の御顔にてわたらせたまひ候ひしかば、 「これはなに仏にてわたらせたまふぞ」 と申し候へば、 申す人はなに人ともおぼえず、 「あのひかりばかりにてわたらせたまふは、 あれこそ法然上人にてわたらせたまへ。 *勢至菩薩にてわたらせたまふぞかし」 と申せば、 「さてまた、 いま一体は」 と申せば、 「あれは*観音にてわたらせたまふぞかし。 あれこそ善1033信の御房 (親鸞) よ」 と申すとおぼえて、 うちおどろきて候ひしにこそ、 夢にて候ひけりとは思ひて候ひしか。
^さは候へども0813、 さやうのことをば人にも申さぬときき候ひしうへ、 尼 (*恵信尼) がさやうのこと申し候ふらんは、 *げにげにしく人も思ふまじく候へば、 *てんせい、 人にも申さで、 上人 (法然) の御ことばかりをば、 殿に申して候ひしかば、 「夢には*しなわいあまたあるなかに、 これぞ実夢にてある。 上人をば、 所々に勢至菩薩の化身と、 夢にもみまゐらすることあまたありと申すうへ、 勢至菩薩は*智慧のかぎりにて、 *しかしながら光にてわたらせたまふ」 と*候ひしかども、 *観音の御事は申さず候ひしかども、 心ばかりはそののち*うちまかせては思ひまゐらせず候ひしなり。 かく御こころえ候ふべし。
^されば御りんずはいかにもわたらせたまへ、 疑ひ思ひまゐらせぬうへ、 おなじことながら、 *益方も御りんずにあひまゐらせて候ひける、 親子の契りと申しながら、 ふかくこそおぼえ候へば、 うれしく候ふ、 うれしく候ふ。
^*またこの国は、 去年の作物、 ことに損じ候ひて、 あさましきことにて、 おほかたいのち生くべしともおぼえず候ふなかに、 ところどもかはり候ひぬ。 一ところならず1034、 益方と申し、 またおほかたはたのみて候ふ人の領ども、 みなかやうに候ふうへ、 おほかたの世間も損じて候ふあひだ、 なかなかとかく申しやる0814かたなく候ふなり。
^かやうに候ふほどに、 年ごろ候ひつる*奴ばらも、 男二人、 正月*うせ候ひぬ。 なにとして、 物をも作るべきやうも候はねば、 いよいよ世間たのみなく候へども、 いくほど生くべき身にても候はぬに、 世間を心ぐるしく思ふべきにも候はねども、 身一人にて候はねば、 これらが、 あるいは親も候はぬ*小黒女房の女子、 男子、 これに候ふうへ、 益方が子どもも、 ただこれにこそ候へば、 なにとなく母めきたるやうにてこそ候へ。 いづれもいのちもありがたきやうにこそおぼえ候へ。
^*この文ぞ、 殿の比叡の山に*堂僧つとめておはしましけるが、 山を出でて、 六角堂に百日篭らせたまひて、 後世のこといのりまうさせたまひける九十五日のあか月の御示現の文なり。 御覧候へとて、 書きしるしてまゐらせ候ふ。*
(2)
^「*ゑちごの御文にて候ふ」
^*この文を書きしるしてまゐらせ候ふも、 生きさせたまひて候ひしほどは、 申しても要候は1035ねば申さず候ひしかど、 いまはかかる人にてわたらせたまひけりとも、 御心ばかりにもおぼしめせとて、 しるしてまゐらせ候ふなり。 よく書0815き候はん人によく書かせて、 もちまゐらせたまふべし。
^またあの*御影の一幅、 ほしく思ひまゐらせ候ふなり。 幼く、 *御身の八つにておはしまし候ひし年の四月十四日より、 *かぜ大事におはしまし候ひしときのことどもを書きしるして候ふなり。
^今年は八十二になり候ふなり。 一昨年の十一月より去年の五月までは、 いまやいまやと時日を待ち候ひしかども、 今日までは死なで、 今年の飢渇にや飢死もせんずらんとこそおぼえ候へ。 かやうの便りに、 なにもまゐらせぬことこそ、 心もとなくおぼえ候へども、 ちからなく候ふなり。
^益方殿にも、 この文をおなじ心に御伝へ候へ。 もの書くことものうく候ひて、 別に申し候はず。
「▽*弘長三年癸亥」
二月十日
▼(3)
* ^善信の御房 (親鸞)、 寛喜三年四月▽十四日*午の時ばかりより、 かざ心地すこしおぼえて、 その夕さりより臥して、 大事におはしますに、 腰・膝をも打たせ0816ず、01036 *てんせい、 看病人をもよせず、 ただ音もせずして臥しておはしませば、 御身をさぐれば、 あたたかなること火のごとし。 *頭のうたせたまふこともなのめならず。
^さて臥して四日と申すあか月、 くるしきに、 「*まはさてあらん1037」 と仰せらるれば、 「なにごとぞ、 *たはごととかや申すことか」 と申せば、 「たはごとにてもなし。 臥して二日と申す日より、 ¬大経¼ をよむことひまもなし。 たまたま目をふさげば、 経の文字の一字も残らず、 きららかにつぶさにみゆるなり。
^さてこれこそこころえぬことなれ。 念仏の信心よりほかには、 なにごとか心にかかるべきと思ひて、 よくよく案じてみれば、 この*十七八年がそのかみ、 *げにげにしく*三部経を千部よみて、 *すざう利益のためにとて、 よみはじめてありしを、 これはなにごとぞ、 ª▲自信教人信 難中転更難º (*礼讃) とて、 みづから信じ、 人を教へて信ぜしむること、 まことの仏恩を報ひたてまつるものと信じながら、 名号のほかにはなにごとの不足にて、 かならず経をよまんとするやと思ひかへして、 よまざりしことの、 さればなほもすこし残るところのありけるや。
^人の執心、 自力のしんは、 よくよく思慮あるべしとおもひなし0817てのちは、 経よむことはとどまりぬ。
^さて臥して四日と申すあか月、 ªまはさてあらんº とは申すなり」 と仰せられて、 やがて汗垂りて、 よくならせたまひて候ひしなり。
^三部経、 げにげにしく千部よまんと候ひしことは、 **信蓮房の四つの歳、 武蔵の国やらん、 上野の国やらん、 *佐貫と申すところにて、 よみはじめて、 四五日ばかりありて、 思ひかへして、 よませたまはで、 常陸へはおはしまして候ひしなり。
^信蓮房は未の年三月三日の昼生れて候ひしかば、 今年は五十三やらんとぞおぼえ候ふ。
△弘長三年二月十日 恵信 *
(4)
^*御文のなかに、 先年に、 *寛喜三年の四月△四日より病ませたまひて候ひしときのこと、 書きしるして、 文のなかに入れて候ふに、 そのときの日記には、 四月の十一日のあか月、 「経よむことは、 まはさてあらん」 と仰せ候ひしは、 やがて四月の十一日のあか月としるして候ひけるに候ふ。 それを数へ候ふには八日にあたり候ひけるに候ふ。 四月の四日よりは八日にあたり候ふなり。
0818*わか1038さ殿申させたまへ ゑしん
(5)
^もし便りや候ふとて、 *ゑちうへこの文はつかはし候ふなり。 さても*一年、 八十と申し候ひし年、 *大事のそらうをして候ひしにも、 *八十三の歳ぞ*一定と、 ものしりたる人の文どもにも、 おなじ心に申し候ふとて、 今年はさることと思ひきりて候へば、 生きて候ふとき、 *卒都婆をたててみ候はばやとて、 五重に候ふ石の塔を、 丈七さくにあつらへて候へば、 塔師造ると申し候へば、 いできて候はんにしたがひてたててみばやと思ひ候へども、 *去年の飢渇に、 なにも、 益方のと、 *これのと、 なにとなく幼きものども、 上下あまた候ふを、 *殺さじとし候ひしほどに、 ものも着ずなりて候ふうへ、 しろきものを一つも着ず候へば、 (以下欠失)
^一人候ふ。 またおと法師と申し候ひし童をば、 とう四郎と申し候ふぞ。 それへまゐれと申し候ふ。 さ御こころえあるべく候ふ。 けさが娘は十七になり候ふなり。 さて、 ことりと申す女は、 子も一人も候はぬときに、 七つになり候ふ女童をやしなはせ候ふなり。 それは親につきてそれへまゐるべく候ふなり0819。 よろづ尽しがたくて、 かたくて、 とどめ候1039ひぬ。
^あなかしこ、 あなかしこ。
(6)
^便りをよろこびて申し候ふ。 たびたび便には申し候へども、 まゐりてや候ふらん。
^*今年は八十三になり候ふが、 去年・今年は死年と申し候へば、 よろづつねに申しうけたまはりたく候へども、 たしかなる便りも候はず。
^さて生きて候ふときと思ひ候ひて、 五重に候ふ塔の、 七尺に候ふ石の塔をあつらへて候へば、 このほどは仕いだすべきよし申し候へば、 いまはところどもはなれ候ひて、 下人どもみな逃げうせ候ひぬ。 よろづたよりなく候へども、 生きて候ふとき、 たててもみばやと思ひ候ひて、 このほど仕いだして候ふなれば、 これへ持つほどになりて候ふときき候へば、 いかにしても生きて候ふとき、 たててみばやと思ひ候へども、 いかやうにか候はんずらん。 そのうちにも、 いかにもなり候はば、 子どももたて候へかしと思ひて候ふ。
^なにごとも、 生きて候ひしときは、 つねに申しうけたまはりたくこそおぼえ候0820へども、 *はるばると雲のよそなるやうにて候ふこと、 まめやかに親子の契りもなきやうにて1040こそおぼえ候へ。 ことには末子にておはしまし候へば、 いとほしきことに思ひまゐらせて候ひしかども、 みまゐらするまでこそ候はざらめ。 つねに申しうけたまはることだにも候はぬこと、 *よに心ぐるしくおぼえ候ふ。
「**文永元年甲子」
五月十三日
^*ぜんあく、 *それへの殿人どもは、 もと候ひしけさと申すも、 娘うせ候ひぬ。 いまそれの娘一人候ふ。 *母めもそらうものにて候ふ。 さて、 おと法師と申し候ひしは、 *男になりて、 とう四郎と申すと、 また女の童のふたばと申す女の童、 今年は十六になり候ふ女の童は、 それへまゐらせよと申して候ふなり。 なにごとも御文に尽しがたく候ひてとどめ候ひぬ。 また*もとよりのことり、 *七つ子やしなはせて候ふも候ふ。
1041五月十三日 (花押)
^これはたしかなる便りにて候ふ。 ときに、 こまかにこまかに申したく候へども、 ただいまとて、 この便りいそぎ候へば、 こまかならず候ふ。 またこのゑ0821もん入道殿の御ことばかけられまゐらせて候ふとて、 よろこび申し候ふなり。 この便りはたしかに候へば、 なにごともこまかに仰せられ候ふべし。 あなかしこ。
(7)
^便りをよろこびて申し候ふ。
^さては*去年の八月のころより、 *とけ腹のわづらはしく候ひしが、 ことにふれてよくもなり得ず候ふばかりぞ、 わづらはしく候へども、 そのほかは年の故にて候へば、 いまは*耄れてさうたいなくこそ候へ。 今年は八十六になり候ふぞかし、 *寅の年のものにて候へば。
^またそれへまゐらせて候ひし奴ばらも、 とかくなり候ひて、 ことりと申し候ふ年ごろのやつにて、 三郎たと申し候ひしがあひ具して候ふが、 入道になり候ひて、 さいしんと申し候ふ。 入道めには*ちあるもののなかの、 むまのぜうとかや申して*御家人にて候ふものの娘の、 今年は十やらんになり候ふを、 母は*よにおだしくよく候ひし、 かがと申してつかひ候ひしが、 一年の*温病の年死にて候ふ。 親も候はねば、 ことりも子なきものにて候ふ。 ときにあづけて候ふなり。
^0822それまた、 けさと申し候ひし娘の、 なでしと申し候ひしが、 よによく候ひしも、 温病にうせ候ひぬ。 その母の候ふも、 年ごろ、 頭に腫物の年ごろ候ひしが、 それも*当時*大事にて、 たのみなきと申1042し候ふ。 その娘一人候ふは、 今年は二十になり候ふ。 それとことり、 また*いとく、 また*それにのぼりて候ひしとき、 おと法師とて候ひしが、 *このごろ、 とう四郎と申し候ふはまゐらせんと申し候へば、 父母うちすててはまゐらじと、 こころには申し候ふと申し候へども、 それはいかやうにもはからひ候ふ。
^*かくゐ中に*人にみを入れて代りをまゐらせんとも、 栗沢 (信蓮房) が候はんずれば申し候ふべし。 ただし代りはいくほどかは候ふべきとぞおぼえ候ふ。 これらほどの男は世に*すくなく申し候ふなり。
^また小袖たびたびたまはりて候ふ。 うれしさ、 いまは*よみぢ小袖にて衣も候はんずれば、 申すばかり候はず、 うれし*く候ふなり。 いまは*尼 (恵信尼) が着て候ふものは、 最後のときのことはなしては思はず候ふ。 いまは時日を待つ身にて候へば。
^またたしかならん便に、 小袖賜ぶべきよし仰せられて候ひし。 このゑもん入道の便りは、 たしかに候はんずらん。 また*宰相殿は、 ありつきておはしまし0823候ふやらん。 よろづ*公達のことども、 みなうけたまはりたく候ふなり。 尽しがたくてとどめ候ひぬ。
^あなかしこ、 あなかしこ。
九月七日
^またわかさ殿も、 いまは年すこし寄りてこそおはしまし候ふらめ。 あはれ、 *ゆかし1043くこそ思ひ候へ。 年寄りては、 *いかがしくみて候ふ人も、 ゆかしくみたくおぼえ候ひけり。 かこのまへのことのいとほしさ、 上れんばうのことも*思ひいでられて、 ゆかしくこそ候へ。
^あなかしこ、 あなかしこ。
*ちくぜん
わかさ殿申させたまへ *とひたのまきより
(8)
* 「わかさ殿」
^便りをよろこびて申し候ふ。
^さては*今年まであるべしと思はず候ひつれども、 今年は八十七やらんになり候ふ。 寅の年のものにて候へば、 八十七やらん八やらんになり候へば、 いまは*時日を待ちてこそ候へども、 年こそおそろしくなりて候へども、 *しはぶくこ0824と候はねば、 唾など吐くこと候はず。 腰・膝打たすると申すことも当時までは候はず。 ただ犬のやうにてこそ候へども、 今年になり候へば、 あまりにものわすれをし候ひて、 耄れたるやうにこそ候へ。
^さても去年よりは、 よにおそろしきことどもおほく候ふなり。
^また*すかいのものの便りに、 綾の衣賜びて候ひしこと、 *申すばかりなくおぼえ候ふ。 いま1044は時日を待ちて居て候へば、 これをや最後にて候はんずらんとのみこそおぼえ候へ。 当時までもそれより賜びて候ひし綾の小袖をこそ、 最後のときのと思ひてもちて候へ。 よにうれしくおぼえ候ふ。 衣の表も、 いまだもちて候ふなり。
^また公達のこと、 よにゆかしく、 うけたまはりたく候ふなり。 *上の公達の御ことも、 よにうけたまはりたくおぼえ候ふ。 あはれ、 この世にていま一度みまゐらせ、 またみえまゐらすること候ふべき。 わが身は極楽へただいまにまゐり候はんずれ。 *なにごともくらからず、 みそなはしまゐらすべく候へば、 *かまへて御念仏申させたまひて、 極楽へまゐりあはせたまふべし。 なほなほ極楽へまゐりあひまゐらせ候はんずれば、 なにごともくらからずこそ候はんずれ。
^0825またこの便は、 これにちかく候ふ*みこの甥とかやと申すものの便に申し候ふなり。 あまりにくらく候ひて、 こまかならず候ふ。 またかまへてたしかならん便りには、 綿すこし賜び候へ。 *をはりに候ふ、 ゑもん入道の便りぞ、 たしかの便りにて候ふべき。 それもこのところに*まゐることの候ふべきやらんときき候へども、 いまだ披露せぬことにて候ふなり。
^また*くわうず御前の修行に下るべきとかや仰せられて候ひしかども、 これ1045へはみえられず候ふなり。
^またわかさ殿のいまはおとなしく年寄りておはし候ふらんと、 よにゆかしくこそおぼえ候へ。 かまへて、 念仏申して極楽へまゐりあはせたまへと候ふべし。
^なによりもなによりも公達の御こと、 こまかに仰せ候へ。 うけたまはりたく候ふなり。 *一昨年やらん生れておはしまし候ひけるとうけたまはり候ひしは、 それもゆかしく思ひまゐらせ候ふ。
^またそれへまゐらせ候はんと申し候ひし女の童も、 一年の大温病におほくうせ候ひぬ。 ことりと申し候ふ女の童も、 はや年寄りて候ふ。 父は御家人にてむ0826まのぜうと申すものの娘の候ふも、 それへまゐらせんとて、 ことりと申すにあづけて候へば、 *よに無道げに候ひて、 髪なども、 よにあさましげにて候ふなり。 ただの童にて、 いまいましげにて候ふめり。
^けさが娘のわかばと申す女の童の、 今年は二十一になり候ふが妊みて、 この三月やらんに子産むべく候へども、 男子ならば父ぞ取り候はんずらん。 さきにも五つになる男子産みて候ひしかども、 父相伝にて、 父が取りて候ふ。 これもいかが候はんずらん。 わかばが母は、 頭になにやらんゆゆし1046げなる腫物のいでき候ひて、 はや十余年になり候ふなるが、 いたづらものにて、 時日を待つやうに候ふと申し候ふ。
^それに上りて候ひしをり、 おと法師とて童にて候ひしが、 それへまゐらすべきと申し候へども、 妻子の候へば、 よもまゐらんとは申し候はじとおぼえ候ふ。 尼 (恵信尼) がりんずし候ひなんのちには、 栗沢 (信蓮房) に申しおき候はんずれば、 まゐれと仰せ候ふべし。
^また栗沢はなにごとやらん、 *のづみと申す山寺に不断念仏はじめ候はんずるに、 なにとやらん撰じまうすことの候ふべきとかや申すげに候ふ。 *五条殿の御0827ためにと申し候ふめり。
^なにごとも申したきことおほく候へども、 あか月、 便りの候ふよし申し候へば、 夜書き候へば、 よにくらく候ひて、 よも御覧じ得候はじとて、 とどめ候ひぬ。
^また針すこし賜び候へ。 この便にても候へ。 御文のなかに入れて賜ぶべく候ふ。 なほなほ公達の御こと、 こまかに仰せたび候へ。 うけたまはり候ひてだになぐさみ候ふべく候ふ。 よろづ尽しがたく候ひて、 とどめ候ひぬ。
^またさいさう殿、 いまだ姫君にておはしまし候ふやらん。
^あまりにくらく候ひて、 いかやうに書き候ふやらん、 よも御覧じ得候はじ。
1047*三月十二日*亥の時
1029(a)
もんぞもやかせ給てや候らんとて申候。 それへまいるべきものは、 けさと申候めのわらは、 としさん十六。 又そのむすめなでしと申候は、 ことし十六。 又九になり候むすめと、 おや子さんにん候也。 又はつね、 そのむすめのいぬまさ、 ことし十二。 又ことりと申おんな、 としさん十四。 又あんとうしと申おとこ。 さて、 けさがことしみつになり候おのこゞは、 人の下人にぐしてうみて候へば、 ちゝをやにとらせて候也。
おほかたは、 人の下人に、 うちのやつばらのぐして候は、 よにところせき事にて候也。
已上、 合、 おんな六人、 おとこ一人、 七人也。
けんちやう八ねんひのえたつのとし七月九日 (花押)
1030(b)
わうごぜんにゆづりまいらせて候し下人どものせうもんを、 せうまうにやかれて候よしおほせられさふらへば、 はじめたよりにつけて申て候しかども、 たしかにや候はざるらんとて、 これはたしかのたよりにて候へば申さふらふ。
まいらせて候し下人、 けさおんな。 おなじきむすめなでし、 めならは、 とし十六。 そのおとゝいぬわう、 めのわらは、 とし九。 又まさおんな、 おなじきむすめいぬまさ、 とし十二。 そのおとゝ、 とし七。 又ことりおんな。 又あんとうし、 おとこ。 已上、 合、 大小八人なり。 これらはことあたらしく、 たれかはじめてとかく申さふらふべきなれども、 げすはしぜんの事も候はんためにて候也。
けんちやう八ねん九月十五日 ゑしん(花押)
わうごぜんへ
又いづもがことは、 にげて候しのちは、 さうたいなき事にて候うへ、 子一人も候はぬうへ、 そらうのものにて候が、 けふともしらぬものにてさふらへども、 *おとゝしそのやうは申て、 物まいらせて候しかば、 さだめて御心へは候らむ、 御わすれ候べからず候。 あなかしこ、 あなかしこ。
(花押)
いまは、 あまりとしより候て、 てもふるへて、 はんなどもうるはしくはしへ候はじ、 さればとて御ふしんはあるべからず候。
(花押)
底本は本派本願寺蔵恵信尼公自筆本ˆ聖典全書と同一ˇ。
去年の十二月一日の御文 弘長二年十一月二十八日に親鸞聖人が示寂し、 十二月一日付で、 そのことを覚信尼公から母の恵信尼公に伝えたその書状。
あか月 暁。
縁 底本は仮名であり、 「上人」 と読む説がある。
たいふ 大風。 「だい事」 (大事) と読む説がある。
迷ひければこそ… 迷ってきたからこそ (悪道におもむくしか道のない) こんな私なのであったのだろうとさえ思っている身ですから。
さかいの郷 現在の茨城県下妻市坂井とされる。 また 「境」 「幸井」 の字を充てる説もある。
しんがく 覚如上人の ¬口伝鈔¼ (12) に 「
試楽」 とあり、 舞楽の予行演習のこと。 転じて宵祭りのことか。
たてあかし たいまつ。
ただ仏の御顔にては… 普通の仏様のお顔ではあらせられず。
げにげにしく人も… 本当のことのように人も思うはずがないでしょうから。
てんせい 全く。 全然。
しなわい 品別。 種類。
智慧のかぎり 智慧ばかり。 智慧そのもの。
候ひしかども観音の御こと 一説に 「候ひしか、 殿観音の御こと」 と読む。
観音の御こと 親鸞聖人が観世音菩薩の化身であるという夢のこと。
うちまかせては… ありふれた普通のお方とは思い申し上げないでおりました。
また… 以下、 原本では紙が切ってあるが、 第三通の後に続くことを数字で示している。 一説には、 別の断簡として文明元年 (1264) のものとする。
奴ばら 使用人。
うせ 「失せ (逃亡)」 とも 「亡せ (死亡)」 とも解釈される。
この文ぞ… 第一紙の前部の余白に書かれていて、 現存しないが第一通と一具にして送られた 「御示現の文」 の添書である。 また 「文ぞ」 は、 一説に 「文書」 と読む。
ª第一通の端裏書に 「恵信御房御筆」 とあり、 覚如上人の筆と推定されているº
ゑちご… 下に 「此御表書は覚信御房御筆也」 また別行に 「此一枚は端の御文のうへにまき具せられたり」 とあり、 今日では、 共に覚如上人の筆かと見られている。
この文 第一通にいう 「御示現の文」 のことか。
御影 親鸞聖人の肖像画。
御身の八つにて… 寛喜三年 (1231) の出来事を記した第三通を指していう。 覚信尼公はこの年に八歳であるから、 その生年が元仁元年 (1224) であることが判明する。
かぜ 風邪。
弘長三年癸亥 1263年。 別筆であり、 覚如上人の筆かと見られている。
ª第三通のはじめに 「此一紙ははしの御文にそへられたり」 と別筆の書込みがあり、 覚如上人の筆かと見られているº
頭のうたせ… 頭痛のはげしさも並ひととおりではありません。
まはさてあらん まあそうであろう。 他に 「真はさてあらん」 (本当はそうであろう) などとする説がある。
たはごととかや… うわごととか申すことでしょうか。 一説に 「ただごととにや」 と読む。
十七八年がそのかみ 十七年前は健保二年 (1214) に相当する。
げにげにしく 誠実に。 もっともらしくとする説もある。
すざう利益 生きとし生けるものの苦を抜き、 楽を与えること。
ª第三通の終りに別筆で 「徳治二年 (1307) 丁未四月十六日 この御うはがきは故上 (覚恵) の御て也 覚如しるす」 「上人の御事ゑちごのあまごぜんの御しるし文」 とあり、 前者は覚如上人の自筆、 後者は覚恵法師の筆であるº
御文 弘長三年 (1263) 二月十日付の第三通を指す。
わかさ殿申させたまへ わかさを覚信尼公の侍女とみる説 (「申させたまへ」 は侍女への披露依頼文)、 わかさを覚信尼公とみる説 (「申させたまへ」 は敬愛の意の慣用表現) がある。
ゑちうへこの文 「ゑちう」 を国名 「越中」 とする説と、 人名とみる説とがある。 また一説に 「ゑちごの文」 (越後の手紙) と読む。
大事のそらう 生命にかかわる大病。
八十三の歳 この消息に日付はないが、 恵信尼公の年齢から弘長四年 (1264) のものであることがわかる。 なお、 同年は二月二十八日に文永と改元。
一定 確定していること。 ここでは死ぬことが定まっているという意。
卒都婆 梵語ストゥーパ (stūpa) の音写。 ここでは墓標のこと。 卒都婆は親鸞聖人のためのものとする説と、 恵信尼公がみずからの寿塔として建てたとする説とがある。
去年 弘長三年 (1263)。
これの 小黒女房の子どもたちと思われる。
殺さじ 「こころざし」 と読む説がある。
はるばると… 娘の覚信尼公は京都にいて、 越後にいる恵信尼公から余りにも遠く隔たっているから、 きめ細やかな親子の情を心ゆくまで交すことが出来ないように思えるという意。
文永元年甲子 覚信尼公の筆かと見られている。
ぜんあく いずれにせよ。 ともかく。 ª「ぜんあく」 以下の一段は、 前段に続く追伸であるº
それへの殿人ども そちらへ参りお使いいただく人たち。
母めも… 母親 (けさ) も病身です。
男になり 成人して。
もとよりの もとからいました。
七つ子やしなはせて候ふも候ふ 七歳の子供を養わせております者もおります。 従来 「七つ子やしなはせて候ふ」 と読まれてきたが、 原本は 「七つ子やしなはせて候ふも候ふ」 と判断される。
とけ腹 下痢と吐き気を伴った胃腸病かと思われる。
耄れて… もうろくして、 わけがわからなくなっています。
ちあるもの 血縁関係のある者という意味か。
御家人 一般には鎌倉幕府から本領安堵された武士のことだが、 ここでは武家に仕えている人というほどの意味であろう。
よにおだしくよく候ひし 本当におだやかでよい性格の者でありました。 「よく」 を 「かく」 「うく」 「うへ」 等と読む説がある。
温病 熱病。 はやりやまい。
大事 底本は湮滅して読めない。 ここでは 「大事」 (重い病気のこと) とする説に従った。
いとく 底本は 「い」 に続く二字が不明で、 他に 「こく」 「さく」 「とへ」 等と読む説がある。 使用人の名前と思われる。
それに 京都の覚信尼公のもとへ。
このごろ 底本は 「ろ」 に続く一字が不明。
かく 底本では不明。 「かく」 かと思われる。
人 底本では不明。 「人」 かと思われる。
すく 底本は湮滅して読めない。 「すく」 かと思われる。
よみぢ小袖 死に装束のこと。 「よみぢ」 は黄泉。
く候 底本は湮滅して読めない。 「く候」 かと思われる。
尼が 「あまり」 と読む説がある。
宰相殿 覚信尼公と日野広綱との間に生れた娘で、 実悟師の 「日野一流系図」 に 「字光玉」 とある女性にあたるとされる。
公達 子どもたち。
ゆかしく 何となく慕わしく。 逢いたい。
いかがしくみて候ふ人 あまり感心しないように思っていた人。 どうかと思っていた人。
思ひいでられて 一説に 「とはせられて」 と読む。
ちくぜん 恵信尼公の呼び名であろう。
とひたのまき 恵信尼公の手紙の発信地。 現在の新潟県中頸城郡内で、 諸説があって確定しない。
わかさ殿 端裏書。 下部は欠失している。
時日を待ちてこそ候へ 浄土へ往生させていただく時を待っているばかりです。
すかい 一説に 「すりい」 と読む。 地名と考えられる。
申すばかりなくおぼえ候ふ お礼の申しようもありません。
上の公達 覚信尼公の娘宰相か、 長男覚恵法師のことであろう。
なにごともくらからず… どんなことも明らかにご覧になることができますから。
かまへて 必ず。
みこ 巫女か。
をはりに候ふ 「これが最後です」 と解釈する説、 「尾張におります」 と解釈する説などがある。
まゐる 底本では上の二字が不明。 他に 「かかる」 「かへる」 等と読む説がある。
くわうず御前 覚信尼公の長男で、 後の覚恵法師。 覚如上人の父。
一昨年やらん生れて… 一昨年は文永三年 (1266) にあたる。 この年に覚信尼公の次男唯善が生れている。
よに無道げに候ひて 非常に無作法なようすでありまして。
のづみと申す… 「のづみ」 は、 現在の新潟県中頸城郡板倉町にある山寺薬師を指すという説と、 同県三島郡寺泊町野積であろうとする説とがある。 山寺薬師には、 栗沢信蓮房が不断念仏を行ったという伝承を持つ 「聖の岩窟」 がある。 なお、 不断念仏とは特定の日時を定めて昼夜不断に行う念仏修行のことをいう。
五条殿 親鸞聖人のことか。 ¬御伝鈔¼ (1057頁1行) に、 聖人が京都五条西洞院に居住していた旨の記述がある。