巻上

1043ほん0075がんしょうにん親鸞しんらんでん じょう

 

 出家学道

【1】 第一段

^それしょうにん (*親鸞)ぞくしょう藤原ふじわらうじ*あまつ児屋こやねのみことじゅういっびょうえいたいしょっかん *かまこのない大臣だいじん 玄孫げんそんこのえのたいしょう大臣だいじん ぞう大臣だいじん じゅいち*内麿うちまろこう ながおかの大臣だいじんごうし、 あるいはかんいんの大臣だいじんごうす。 ぞうしょういちだいじょう大臣だいじん*房前ふさざきこうのまごだいごんしききょう*たてのそくなり 六代ろくだい後胤こういんひつのさいしょう*ありくにのきょう*だいまご*こう太后たいごうぐうの大進だいしん*有範ありのりなり也 

^しかあればちょうていつかへ​て*霜雪そうせつをもいただ*0076さんわしえいをもひら発  く​べかり​しひとなれども、 興法こうぼういんうち​にきざ萌  し、 *しょうえんほか​にもよおし​し​によりて、 *さいはるころ、 はくじゅさん*のりつなのきょう ときじゅ四位しいじょうさきの若狭わかさのかみ*しらかわのじょうこう近臣きんしんなりしょうにん (親鸞) よう さきのだいそうじょう *えんちんしょうこれ​なり、 *ほうしょう殿どののそく*月輪つきのわ殿どののちょうけい ぼうへ​あひし​たてまつり​て、 鬢髪びんぱつ剃除ていじょし​たまひ​き。 *範宴はんねんしょうごんのきみごうす。

^それよりこ自爾以来のかた、 しばしば*南岳なんがく天台てんだい玄風げんぷうとぶらひて、 ひろく*三観さんがんぶつじょうたっし、 とこしなへに*りょうごんかわりゅうたた1044へ​て、 ふかく*きょうえんにゅうあきら明  なり。

 吉水入室

【2】 だいだん

 ^**建仁けんにんだいいちれきはるの​ころ しょうにん (親鸞) じゅうさい 隠遁いんとんこころざしに​ひか​れ​て、 *源空げんくうしょうにん*吉水よしみず禅房ぜんぼうたづまゐたまひ​き

^これ是  すなは即  くだり、 ひとつたなく​して、 なんぎょうしょうまよひやすき​によりて、 ぎょうだいどうに​おもむか​ん​0077となり。 しんしゅう紹隆しょうりゅうたいしょうにん (源空)、 ことにしゅう淵源えんげんつくし、 きょう理致りちを​きはめ​て、 これ​を​のべたま給  ふ​に、 たちどころにりきせっしょう旨趣しいしゅ受得じゅとくし、 あく飽  まで*ぼんじきにゅう真心しんしんけつじょうし​ましまし​けり

 六角夢想

【3】 だいさんだん

 ^*建仁けんにん三年さんねん *みずのとのい がついつかのひ*とらときしょうにん (親鸞) そうげ​ましまし​き。

^*かの彼   ¬¼ に​いはく、 ^*六角ろっかくどう*救世くせさつ顔容げんよう端厳たんごんしょうそうかたちげんして、 *びゃくのう袈裟けさちゃくぶくせ​しめ、 広大こうだいびゃくれんたんして、 善信ぜんしん (親鸞)ごうみょうし​て​のたまはく、 「*ぎょうじゃ宿しゅくほうせつ女犯にょぼん じょうぎょくにょしんぼん いっしょうけんのうしょうごん りんじゅう引導いんどうしょう極楽ごくらくといへ文  救世くせさつぜん0078しんに​のたまはく、 「これこれ是  わが我  誓願せいがんなり也  善信ぜんしんこの誓願せいがん旨趣しいしゅ宣説せんぜつして、 一切いっさいぐんじょうに​きか​しむ​べし」 とうん1045ぬん

^その​とき善信ぜんしんゆめうち​に​あり​ながら、 どうしょうめんにして東方とうぼうを​みれ​ば、 *峨々ががたる岳山がくざんあり。 その高山こうざん千万せんまんおくじょうくんじゅうせ​り​と​みゆ。 その​ときごうみょうの​ごとく、 このもんの​こころ​を、 かのやまに​あつまれ​るじょうたいし​てき​きか​しめ​をはる​と​おぼえ​て、 ゆめさめ​をはり​ぬ​と云々うんぬん

^つらつ倩  この此  ろくひらき​てかの彼  そうあんずる​に、 ひとへにしんしゅうはんじょうずい念仏ねんぶつこうひょうなり也  しかあ然者ればしょうにん (親鸞)のちときおおせ​られ​て​のたまはく、 ^ぶっきょうむかし西天さいてん (印度) よりおこて、 きょうろんいまとう (日本)つたはる。 これ是  ひとじょうぐうたい (*聖徳太子)広徳こうとくやまより​も​たかくうみより​も​ふかし。 わが吾  ちょう欽明きんめい天皇てんのう*ぎょに、 これ​を​わたさ​れ​し​によりて、 すなはちじょうしょうきょうろんとうこの此  とき時  らいす。 儲君ちょくん (聖徳太子) もし厚恩こうおんほどこし​たまは​ずは、 ぼんいかでか0079ぜいに​あふ​こと​をん。 救世くせさつは​すなはち儲君ちょくんほんなれば、 *すいしゃく興法こうぼうがんを​あらはさ​んがためにほん尊容そんようを​しめす​ところ​なり。

^そもそ抑  また又  だいしょうにん 源空げんくう もしけいしょせ​られ​たまは​ずは、 われ​また又  配所はいしょおもかん​や。 もし​われ配所はいしょに​おもむか​ずば、 なに​によりて​かへん群類ぐんるいせん。 これなほ猶  きょうおんなり。

^だいしょうにんすなはち*せいしんたいまた*観音かんのんすいしゃくなり。 この​ゆゑに​われさつ1046引導いんどうじゅんじ​て、 如来にょらい本願ほんがんを​ひろむる​にあり。 しんしゅうこれによ因茲 りてこうじ、 念仏ねんぶつこれによ由斯 りてさかなり也 

^これ*しかしながら、 しょうじゃきょうに​より​て、 さらに*まい今案こんあんを​かまへ​ず、 かのだいじゅうがん、 ただ0080*いちぶつみょう専念せんねんする​に​たれ​り。 いまぎょうじゃあやまり​て*きょうつかふる​こと​なかれ、 ただちに本仏ほんぶつ (*阿弥陀仏)あおぐ​べし」 と云々うんぬん

^かるがゆゑにしょうにん親鸞しんらんかたわら​に皇太こうたい (聖徳太子)あがめ​たまふ。 けだこれ斯  仏法ぶっぽうずうの​おほいなるおんしゃせ​んがため​なり。

 蓮位夢想

【4】 だいだん

 ^*けんちょう八年はちねん ひのえたつ がつここぬかのひとらときしゃくの*れんそうげ​に​いはく、 しょうとくたい親鸞しんらんしょうにんらいし​たてまつり ましまして​のたまはく、 ^きょうらいだい弥陀みだぶつ 妙教みょうきょうずうらいしょうじゃ じょくあくあくかいちゅう けつじょう即得そくとくじょうかく」 。

^しかれば、 祖師そししょうにん (親鸞) 弥陀みだ如来にょらいしんにて​まします​といふ​こと​あきらかなり。

 

康永第二載 応鐘仲旬比終画図篇訖

0081 選択付属

【5】 だいだん

 ^*黒谷くろだに先徳せんどく 源空げんくう ざいの​むかし、 矜哀こうあいあまある或  とき恩許おんきょこうぶり​て*製作せいさく見写けんしゃし、 あるとき真筆しんぴつくだし​てみょうき​たまは​す。

^すなはち ¬けんじょう方便ほうべんしん文類もんるい¼ のろくにのたまはく、 親鸞しんらんしょうにんせんじゅつ^しかるに禿とくしゃくのらんけん1047にんかのとのとりれきぞうぎょうて​て本願ほんがんし、 げんきゅうきのとのうしとし恩恕おんじょこうぶり​て ¬せんじゃく¼ (*選択集)く。 おなじきとししょ中旬ちゅうしゅんだいにち、 ªせんじゃく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅうº の内題ないだい、 ならびに ª南無なも0082弥陀みだぶつ おうじょうごう 念仏ねんぶつほんº と ªしゃくのしゃくくうº と、 くう (源空)真筆しんぴつをもつて​これ​をか​しめたまひ、

すなはち「顕浄土方便化身土文類」六云、 親鸞聖人選述 「然愚禿釈親鸞、 建仁 暦、 棄雑行兮帰本願。 元久 歳、 蒙恩恕兮書¬選択¼。 同年初夏仲旬第四日、 選択本願念仏集内題字、 南无阿弥陀仏往生之業念仏為本与釈綽空、 以空真筆令書之。

^おなじきくう真影しんねいもうあずかり、 図画ずがし​たてまつる。 おなじきねんうるう七月しちがつじゅんだいにち真影しんねいめいは、 真筆しんぴつをもつて ª南無なも弥陀みだぶつº と ªにゃくじょうぶつ 十方じっぽうしゅじょう しょうみょうごう 下至げしじっしょう にゃくしょうじゃ しゅしょうがく ぶつこん現在げんざいじょうぶつ とう本誓ほんぜいじゅうがん不虚ふこ しゅじょうしょうねん必得ひっとくおうじょうº (*礼賛)真文しんもんと​をか​しめたまひ、

同日、 空之真影申預、 奉図画。 同二年閏七月下旬第九日、 真影銘以真筆令書南无阿弥陀仏与若我成仏十方衆生称我名号下至十声若不生者不取正覚彼仏今現在成仏当知本誓重願不虚衆生称念必得往生之真文。

^またゆめげ​に​より​て、 しゃくくうあらため​て、 おなじきひつをもつてか​しめたまひ​をはり​ぬ。 ほんしょうにん (源空) 今年こんねんしちしゅんさん御歳おんとしなり。

又依夢告、 改綽空字、 同日以御筆令書名之字訖。 本師聖人今年七順三御歳也。

^¬せんじゃく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅう¼ は、 ぜんじょう博陸はくりく 月輪つきのわ殿どの兼実かねざねほうみょうえんしょう 教命こうめいに​より​てせんじゅうせ​しめたまふ​ところ​なり。 しんしゅう簡要かんよう念仏ねんぶつおう、 これ​にしょうざいせ​り。 る​ものさとりやすし。 まことに​これ希有けうさいしょうもんじょう甚深じんじん宝典ほうでんなり。

¬選択本願念仏集¼者、 依禅定博陸 月輪殿兼実法名円照  之教命所令選集也。 真宗之簡要、 念仏之奥義、 摂在于斯。 見者易諭。 誠是希有最勝之華文、 無上甚深之宝典也。

^としわたわたり、 そのきょうこうぶる​のひと千万せんまんなり​と​いへども、 しんといひといひ、 この見写けんしゃる​のともがら、 はなはだ​もつて​かたし。 しかるに​すでに製作せいさく書写しょしゃし、 真影しんねい1048す。 これ専念せんねんしょうごうとくなり、 これけつじょうおうじょうちょうなり。

渉年渉日、 蒙共教誨之人雖千万、 云親云疎、 獲此見写之徒甚以難。 爾既書写制作、 図画真影。 是専念正業之徳也、 是決定往生之徴也。

^よつて悲喜ひきなみだおさへてらいえんしるす」 と云々うんぬん

仍抑悲喜之涙註由来之縁」 云々

0083 信行両座

【6】 だいろくだん

 ^おほよそ源空げんくうしょうにんざいしょうの​いにしへ、 りきおうじょうむねを​ひろめたまし​に、 あまねく​これ​にこぞり、 ひとことごとく​これ​にし​き。

^*きんせいきゅうまつりごとおもくするみぎりにも、 まづ先  *黄金おうごん樹林じゅりんはなぶさに​こころ​を​かけ、 *三槐さんかい九棘きゅうきょくみちを​ただしく​するいえにも、 ​ただちにじゅう八願はちがんつきを​もてあそぶ。 しかのみならず*戎狄じゅてきともがら*黎民れいみんたぐい、 これ​をあおぎ、 これ​をとうとび​ず​といふ​こと​なし。 せん*ながえを​めぐらし、 門前もんぜん*いちを​なす。 じょうずい*昵近じっきん*緇徒しとそのかずあり、 すべてさんびゃくはちじゅうにん云々うんぬん。 しかり​と​いへども、 まのあたり​その*を​うけ、 ねんごろに0084そのおしえを​まもるやから、 はなはだ​まれなり。 わづかにりくはいに​だに​も​たら​ず。

^善信ぜんしんしょうにん (親鸞)、 ある​ときもうし​たまはく、 ^なんぎょうどうさしおき​てぎょうどううつ移  り、 しょうどうもんのがれ​てじょうもんり​し​より​このかた、 *芳命ほうめいを​かうぶる​に​あらず​より​は、 あに豈  しゅつだつりょういんたくわへ​ん​や。 よろこ喜  の​なか​のよろこ悦  、 なにごと​かこれにし如之 かん。 しかるに同室どうしつよしみむすび​て、 ともにいっおしえあおともがら、 これ​おほし​と​いへども、 真実しんじつほう1049とくしょう信心しんじんじょうじ​たら​ん​こと、 自他じたおなじく​しりがたし。 かるがゆゑに、 かつは*当来とうらいしんたる​ほど​をも​しり、 かつは*しょうおもいいでとも​しはんら​んがために、 おん弟子でしさんじゅうみぎりにして、 *しゅつごんつかうまつり​て、 面々めんめんしゅをもこころみ​ん​と​おもふ所望しょもうあり」 と云々うんぬん

^だいしょうにん (源空) のたまはく、 「この此  じょうもつと尤  しかる可然べしすなは即  みょうにち人々ひとびと来臨らいりんの​ときおおせ​られいだす​べし」 と。

^しかるに翌日よくじつしゅうの​ところ​に、 しょうにん 親鸞しんらん のたまはく、 「今日こんにち0085*しん退たい*ぎょう退たい御座みざりょうほうに​わかた​る​べき​なり。 いづれのに​つき​たまふ​べし​とも、 おのおのしめたま給  へ」 と。

^そのときさんびゃくにん門侶もんりょみなその其  こころざるあり。 とき于時法印ほういんだいしょう*聖覚せいかくならび  しゃくの*信空しんくうしょうにん法蓮ほうれん、 「しん退たい御座みざくべ可著 」 と云々うんぬん

^つぎ​にしゃ*法力ほうりき 熊谷くまがい直実なおざねにゅうどう さんしてもうし​て​いはく、 「善信ぜんしんの御房おんぼう執筆しゅひつなにご何事 ぞや」 と。 善信ぜんしんしょうにんのたまはく、 「しん退たいぎょう退たいを​わけ​らるるなり也  」 と。 法力ほうりきぼうもうし​て​いはく、 「しから然者 法力ほうりきもる​べから​ず、 しん退たいに​まゐる​べし」 と云々うんぬん。 よつて​これ​を0086せ​たまふ。

^ここ​にひゃくにんもんぐんす​と​いへども、 さらに一言いちごんを​のぶるひとなし。 これ​おそらくはりき迷心めいしんかかはり​て、 金剛こんごう真信しんしんくらき​が​いたす​ところ​か。 ひとみないんの​あひだ1050執筆しゅひつしょうにん 親鸞しんらん みょうせ​たまふ。

^やや​しばらく​あり​てだいしょうにんおおせら被仰れてのたまはく、 「源空げんくうしん退たいに​つらなりはんる​べし」 と。 その​とき*門葉もんようあるい 或   屈敬くっけいを​あらはし、 あるい 或   *うっいろをふくめり。

 信心諍論

【7】 だいしちだん

 ^しょうにん 親鸞しんらん のたまはく、 ^いにしへわが我  だいしょうにん 源空げんくう 御前おんまえに、 *しょうしんぼう*勢観せいかんぼう*念仏ねんぶつぼう以下いげひとび人々 おほかり​しとき時  *はかりなきじょうろんを​しはんこと事  あり​き。

^そのゆゑは、 「しょうにん信心しんじん善信ぜんしん (親鸞)信心しんじんと、 いささか​も​かはる​ところ​ある​べから​ず、 ただひとつ 一   なり」 ともうし​たり​し​に、 この​ひとびと​とがめ​て​いはく、 「善信ぜんしんぼう0087しょうにん信心しんじんと​わが信心しんじんと​ひとし​ともうさ​るる​こと事  ​いはれ​なし。 いかでか​ひとしかる​べき」 と。

^善信ぜんしんもうし​て​いはく、 「などか​ひとし​ともうさ​ざる​べき​や。 そのゆゑはじん博覧はくらんに​ひとしから​ん​とももうさ​ば​こそ、 まことに*おほけなく​も​あら​め、 おうじょう信心しんじんに​いたり​ては、 ひと一  たびりき信心しんじんの​ことわり​を​うけたま給  はり​し​より​このかた、 まつたく​わたくし​なし。 しかれば、 しょうにん信心しんじんりきより​たまはら​せたまふ、 善信ぜんしん信心しんじんりきなり。 かるがゆゑに​ひとしく​して​かはる​ところ​なし​ともうなり也  」 ともうし​はんべり1051し​ところ​に、

^だいしょうにんまさしく0088おおせら被仰 て​のたまはく、 「信心しんじんの​かはる​ともうす​は、 りきしんにとりて​のこと事  なり也  。 すなはち智慧ちえ各別かくべつなるゆゑにしんまた又  各別あくべつなり。 りき信心しんじんは、 善悪ぜんあくぼんともにぶつの​かた​より​たまはる信心しんじんなれば、 源空げんくう信心しんじん善信ぜんしんぼう信心しんじんも、 *さら更  に​かはる​べから​ず、 ただ​ひとつ​なり。 わが​かしこく​てしんずる​に​あらず。 信心しんじんの​かはりあう​て​おはしまさ​んひとび人々 は、 わが​まゐら​んじょうへ​は*よも​まゐり​たまは​じ。 よくよく​こころえ​らる​べきこと事  なり也  」 と云々うんぬん

^ここ​に面々めんめんしたを​まき、 くちぢ​て​やみ​に​けり。

 入西鑑察

【8】 だいはちだん

 ^おん弟子でし*にゅう西さいぼうしょうにん 親鸞しんらん 真影しんねいうつし​たてまつら​ん​と​おもふ​こころざし​ありて、 *ごろ来  を​ふる​ところ​に、 しょうにんその​こころざし​ある​こと​を*かがおおせ​られ​て​のたまはく、 「*じょうぜんほっきょう しちじょうへんきょじゅう うつさ​しむ0089べし」 と。

^にゅう西さいぼう鑑察かんさつむねずいして、 すなはち​かのほっきょう召請ちょうしょうす。 じょうぜん*左右さうなく​まゐり​ぬ。 すなはち尊顔そんげんかひ​たてまつり​てもうし​て​いはく、 「きょどくれいを​なんかんずる​ところ​なり。 そのゆめうち​にはいし​たてまつる​ところ​のしょうそう面像めんぞう、 いまかひ​たてまつる容貌ようぼう、 すこし​も​たがふ​ところ​なし」 と​いひ​て1052、 たちまちにずい感歎かんたんいろふかく​して、 みづから​そのゆめかたる。

^そうにんらいじゅうす。 一人いちにんそうのたまはく、 「この*そう真影しんねいうつさ​しめ​ん​と​おもふ​こころざし​あり。 ねがはくは*ぜんふでを​くだす​べし」 と。 じょうぜんひ​て​いはく、 「かのそうたれびと人  ぞや0090」 。 くだんそういはく、 「*善光ぜんこう本願ほんがん御房おんぼうこれ​なり」 と。 ここ​にじょうぜんたなごころあわひざまずきて、 ゆめの​うち​に​おもふやう様  、 さてはしょうじん弥陀みだ如来にょらいに​こそ​と、 よだち​てぎょうそんじゅうを​いたす。 また、 「*ぐし​ばかり​をうつさ​れ​ん​にり​ぬ​べし」 と云々うんぬん。 かくのごとく問答もんどう往復おうふくしてゆめさめ​をはり​ぬ。

^しかるに​いま​このぼうに​まゐり​て​み​たてまつる尊容そんようゆめうち​のしょうそうに​すこし​も​たがは​ず​とて、 ^ずいのあまりなみだながす。 しかれば、 「ゆめに​まかす​べし」 とて、 いま​もぐし​ばかり​をうつし​たてまつり​けり。 そう*にん三年さんねんがつ二十はつなり也 

^つらつら​このずいを​おもふ​に、 しょうにん (親鸞)弥陀みだ如来にょらい来現らいげんといふ​こと*炳焉へいえんなり。 しかれば​すなはち、 ずうしたまふ教行きょうぎょう、 おそらくは弥陀みだ直説じきせつと​いひ​つ​べし。 あきらかに無漏むろとうを​かかげ​て、 とほく*じょく迷闇めいあんらし0091あまねくかんほうを​そそぎ​て、 はるかにかつ凡惑ぼんわくうるおさ​んがたなりあおぐ​べし、 しんず​べし。

 

康永二歳 十月仲旬比、 依発願終画図之功畢。 而間頽齢覃八旬算、 両眼朦朧。 雖然憖厥詞、 如形染紫毫之処、 如向闇夜不辨筆点。 仍散々無極、 後見招恥辱者也而已。

大和尚位宗昭 七十四
画工康楽寺沙弥円寂

 

巻下

1053ほん0092がんしょうにん親鸞しんらんでん 

 師資遷謫

【9】 だいいちだん

 ^じょうしゅうこうぎょうに​より​て、 しょうどうもん廃退はいたいす。 これ是  くう (源空)しょなり​とて、 たちまちにざいせ​らる​べき​よし、 *南北なんぼく碩才せきさいいきどおり​まうし​けり。

^けんしん文類もんるい」 のろくに​いはく、 ^ひそかに​おもんみれ​ば、 しょうどうしょきょう行証ぎょうしょうひさしくすたれ、 じょうしんしゅうしょうどういまさかんなり。

「顕化身土文類」六云、 「窃以、 聖道諸教行証久廃、 浄土真宗証道今盛。

^しかるにしょしゃくもんきょうくらく​してしんもんら​ず、 らく儒林じゅりんぎょうまどひ​てじゃしょうどうわきまふる​こと​なし。 ここ​をもつて、 興福こうぶくがくじょう天皇てんのう いみな尊成たかひら*ばのいんごうす きんじょう いみな為仁ためひと*つちかどのいんごうす 聖暦せいれきじょうげんひのとのうとし仲春ちゅうしゅん上旬じょうじゅんこう奏達そうたつす。

然諸寺釈門、 昏教兮不知真仮門戸、 洛都儒林、 迷行兮無弁邪正道路。 斯以興福寺学徒、  奏達
太上天皇 諱尊成号後鳥羽院 今上 諱為仁号土御門院 聖暦承元 丁卯 歳、 仲春上旬之候。

^しゅじょうしんほうそむし、 忿いかり​を​なしあだむすぶ。 これ​によりて、 しんしゅうこうりゅうたい源空げんくうほっならびにもんはいざいかんがへ​ず、 みだりがはしくざいつみす。 あるいはそうあらた姓名しょうみょうたまひ​ておんしょす。 はその0093ひとつ​なり。

主上臣下、 背法違義、 成忿結怨、 因茲真宗興隆大祖源空法師并門徒数輩、 不考罪科、 猥坐死罪。 或改僧儀賜姓名処遠流、 豫其一也。

^しか1054れば、 すでにそうに​あらずぞくに​あらず。 この​ゆゑに禿とくをもつてしょうと​す。 くう (源空) ならびに弟子でしとう諸方しょほうへんしゅうつみし​てねん居諸きょしょたり」 と云々うんぬん

爾者已非僧非俗。 是故以禿字為姓。 空師并弟子等、 坐諸方辺州経五年之居諸」 云々

^くうしょうにんざいみょうふじいの元彦もとひこ配所はいしょさのくに 幡多はた らんしょうにん (親鸞) ざいみょうふじいの善信よしざね配所はいしょえちごのくに こく この​ほかもんざいざいみな​これ​をりゃくす。

空聖人罪名藤井元彦、 配所土佐国 幡多 鸞聖人罪名藤井善信、 配所越後国 国府 此外門徒、 死罪流罪みな略之。

^皇帝こうてい いみな守成もりなり*どのいんごうす 聖代せいだい*けんりゃくかのとのひつじとし*げつ中旬ちゅうじゅんだい七日しちにち*おかざきのちゅうごんのりみつのきょうをもつてちょくめんこの此  とき時  しょうにんみぎの​ごとく禿とくき​て*奏聞そうもんたま給  ふ​に、 へい*叡感えいかんを​くだし、 しんおほきにほうす。 ちょくめんあり​と​いへども、 *かしこ​にほどこさ​んがために、 なほ​しばらく在国ざいこくたまけり。

0094 稲田興法

【10】だいだん

 ^しょうにん (親鸞) えちごのくにより常陸ひたちのくにえ​て、 かさまのこおり*いなだのごうといふ​ところ​に隠居いんきょし​たまふ。 *幽棲ゆうせいむ​と​いへども道俗どうぞくあと跡  を​たづね、 *ほうづ​と​いへどもせんちまに​あふる。 仏法ぶっぽうずう本懐ほんがいここ​にじょうじゅし、 しゅじょうやく宿しゅくでんたちまちに満足まんぞくす。 この此  ときしょうにんおおせら被仰れてのたまはく、 「*救世くせさつごうみょうけ​しいにし往  ゆめすで既  に​いま◗ごうせ​り」

 弁円済度

【11】だいさんだん

 ^1055しょうにん (親鸞) 常陸ひたちのくににして専修せんじゅ念仏ねんぶつを​ひろめたま給  ふ​に、 おほよそほうともがらすくなく、 しんじゅんやからは​おほし。

^しかるに一人いちにんそう *山臥やまぶし云々うんぬん あり​て、 ややもすれ仏法ぶっぽう*あだを​なし​つつ、 *けっ害心がいしんさしはさ挿で みてしょうにん*よりよ時々 うかがひ​たてまつる。 しょうにん*板敷いたじきやまといふ深山しんざんつね恒  往反おうへんたまける​に、 かの彼  やまにして度々どどあひま相待 と​いへども、 さらに0095*その其  せつを​とげ​ず。 つらつ倩  こと​の*しんあんずる​に、 すこぶ頗  どくの​おもひ​あり。 よつてしょうにんえっせ​ん​と​おもふここつき​て、 *禅室ぜんしつゆき行  たずまうす​に、 しょうにん左右さうなくあひ会  たまひ​けり。

^すなはち尊顔そんげんに​むかひ​たてまつる​に、 害心がいしんたちま忽  しょうめつして、 あまつさへ後悔こうかいなみだきんじがたし。 やや​しばらく​ありて、 あり有  のまま​にごろの*宿しゅくうつじゅつす​と​いへども、 しょうにんまた又  おどろけ​るいろなし。 たちどころにきゅうせんを​きり、 とうじょうをすて、 きんを​とり*かきころもを​あらため​て、 ぶっきょうし​つつ、 つひにかいを​とげ​き。 0096思議しぎなり​しこと事  なり也  。 すなはち*みょうほうぼうこれ是  なりしょうにん (親鸞) これ​を​つけたまき。

 

康永二歳 十一月一日絵師染筆訖

沙門宗昭 七十四 

 

0097 箱根霊告

【12】だいだん

 ^しょうにん (親鸞) 東関とうかんさかいで​て、 *せいみちに​おもむき​ましまし​けり。

^ある或  *ばん1056いんに​およん​ではこけんに​かかり​つつ、 はる行客こうかくあとおくり​て、 やうや漸  人屋じんおく*とぼそに​ちかづく​に、 も​すでに*ぎょうこうに​およん​で、 つきも​はやれいに​かたぶき​ぬ。

^とき于時しょうにんあゆり​つつ*案内あんないし​たまふ​に、 まことに*よわいかたぶき​たるおきなの​うるはしくしょうぞくし​たる​が、 いと*こと​と​なくあひ会  たてまつり​て​いふやう様  ^*しゃびょう0098ちかきところの​ならひ、 *かんなぎども​の終夜よもすがらあそび​しはんる​に、 おきなも​まじはり​つる​が、 いま​なん​いささかよりはんべる​と​おもふ​ほどに、 ゆめにも​あらず、 うつつ​にも​あらで、 *権現ごんげんおおせら被仰れていは、 ªただ只  いま今  われそんきょうを​いたす​べききゃくじんこの此  みちたま給  ふ​べきこと事  あり、 かならず慇懃いんぎんちゅうせつぬきんで、 こと殊  丁寧ていねいきょうおうまうべしº と云々うんぬん

^げんいまだめ​をはら​ざる​に、 そう*こつとして影向ようごうたま給  へ​り。 なんぞ​ただびとに​ましまさ​ん。 しんちょくこれ是  炳焉へいえんなり也  感応かんのうもつと最  ぎょうべし」 といひ​て、 ^そんじゅう*くっしょうし​たてまつり​て、 さまざまに飯食ぼんじきよそひ、 いろい色々 ちん調ととのへ​」けり。

 熊野霊告

【13】だいだん

 ^しょうにん (親鸞) きょうかえり​ておうを​おもふ​に、 年々ねんねん歳々せいせいゆめの​ごとし、 まぼろしの​ごとし。

^*ちょうあん洛陽らくようすみか*あとを​とどむる​にものうし​とて、 *ふうよくところどころ​にじゅう1057したまひ0099き。 じょう西にしの洞院とういん*わたり、 これひとつ​のしょうなり也  とて、 しばらくきょめ​たまふ。 このごろ、 いにしへ*けつつたへ、 面受めんじゅとげ遂  もん、 おのおのよしみしたひ、 みちたずね​てさんしゅうし​たまひ​けり。

^そのこ其比 常陸ひたちのくにかの西さいのこおり*おおぶのごうに、 *へいろうなにがし​といふ庶民しょみんありしょうにんの◗おしえしんじ​て、 もつぱ専  ふたごころなかり​き。 しかる而  ある或  ときくだんへいろう*しょら​れ​て*くまけいす​べし​とて、 こと事  の​よし​をたずね​まうさ​んために、 しょうにんへ​まゐり​たる​に、 おおせら被仰れてのたま云  はく

^それ夫  聖教しょうぎょう万差まんじゃなり也  、 いづれ​も相応そうおうすればやくあり。 ただまっ0100ぽういまときしょうどうもんしゅぎょうにおいて​はじょうず​べから​ず。 すなはち ª末法まっぽうちゅう億々おくおくしゅじょう ぎょうしゅどう 未有みう一人いちにん得者とくしゃº (*安楽集・上) といひ、 ªゆいじょう一門いちもんつうにゅうº (同・上)云々うんぬんこれ是  みな経釈きょうしゃく明文めいもん如来にょらい金言きんげんなり也  しかる而  いま今  ゆいじょう真説しんせつについて、 かたじけなくかの彼  *三国さんごく祖師そしおのお各  この此  いっしゅうこうぎょうす。 この​ゆゑに、 禿とくすすむる​ところ、 さらにわたくしなし。

^しかるに一向いっこう専念せんねんおうじょうかんしゅう骨目こつぼくなり也  すなは即  さんぎょう隠顕おんけんあり​と​いへども、 もんとい云文 とい云義 とも共  に​もつて​あきらかなるを哉  。 ¬*だいきょう¼ の三輩さんぱいにも一向いっこうと​すすめ​て、 ずうには​これ​を*ろくぞくし、 ¬*かんぎょう1058¼ のぼんにも​しばらく三心さんしんき​て、 これ​また*なんぞくす、 ¬*小経しょうきょう¼ の一心いっしんつひに諸仏しょぶつこれ​を証誠しょうじょうす。 これによ依之 りて論主ろんじゅ (*天親) 一心いっしんはんじ、 しょう (*善導) 一向いっこうしゃくす。 しかれ然  すなは則  、 いづれのもんに​よるとりて一向いっこう専念せんねん専修   りゅうす​べから​ざる​ぞや。

^*証誠しょうじょう殿でんほんすなはち​いま​のきょうしゅ (阿弥陀仏) なり。 かるが0101ゆゑに、 *とてもかくてもしゅじょう結縁けちえんこころざしふかき​に​より​て*こうすいしゃくとどめ​たまふ。 すいしゃくとどむるほん、 ただ結縁けちえん群類ぐんるいをして願海がんかいいんにゅうせ​ん​と​なり。 しかあればほん誓願せいがんしんじ​て一向いっこう偏  念仏ねんぶつを​こと​と​せんともがら公務くむにも​したがひ、 りょうしゅにも駈仕くしして、 その其  れいを​ふみ、 そのしゃびょうけいせ​ん​こと、 さらにしんほっする​ところ​に​あらず。 しかれば、 すいしゃくにおいて*ない虚仮こけたり​ながら、 あながちに*賢善けんぜんしょうじん威儀いぎひょうす​べから​ず。 ただ唯  ほん誓約せいやくに​まかす​べし、 あなか穴賢しこあなか穴賢しこじんを​かろしむる​に0102あらず、 ゆめゆ努力努力*みょうを​めぐらしたま給  ふ​べから​ず」 と云々うんぬん

^これ​によりてへいろうくま参詣さんけいす。 *みちほう*とりわ別  ととのふるなし。 ただじょうもつぼんじょうに​したがひ​て、 さら更  *じょうをもかいつくろこと事  なし。 行住ぎょうじゅう坐臥ざが本願ほんがんあおぎ、 *ぞう顛沛てんぱいきょうまもに、 はたして*無為ぶいさんちゃくくだんおとこゆめげて 夢告云 いはく証誠しょうじょう殿でんとびらおしひらき​て、 かん1059ただしき俗人ぞくじんおおせられて 被仰云 いはく、 「なんぢ​なんぞわれ我  *忽緒こっしょして汚穢わえじょうにして参詣さんけいする​や」 と。

^その爾  ときかの俗人ぞくじんたいして、 しょうにんこつとしてまみえた見給 まふその其  ことばのたまはく、 「かれ彼  善信ぜんしん (親鸞)おしえに​より​て念仏ねんぶつするもの者  なり也  」 と云々うんぬんここ俗人そくじん*しゃくをただしく​して、 ことに敬屈けいくつれいあらわし​つつ、 かさねてぶる​ところ​なし​と​みる​ほどに、 ゆめさめ​をはり​ぬ。 おほよそ奇異きいの​おもひ​を​なす​こと、 いふ​べから​ず。

^こうのちぼうに​まゐり​て、 くはしくこの此  むねもうす​に、 しょうにんそのこと 其事也 なり」 と​のたまふ。 これ此  また又  思議しぎの​こと​なり​かし。

0103 洛陽遷化

【14】だいろくだん

 ^しょうにん (親鸞) *こうちょうさい みずのえいぬ ちゅうとうじゅんこうより、 いささか*れいまします。

^それよりこ自爾以来のかたくちせいを​まじへ​ず、 ただ仏恩ぶっとんの​ふかき​こと​を​のぶ。 こえごんを​あらはさ​ず、 もつぱら称名しょうみょうたゆる​こと​なし。 しかうして*おなじきだい八日はちにち *うまのとき *ほく面西めんさいきょうたまて、 つひに念仏ねんぶついきたえ ましましをはり​ぬ。 とき于時頽齢たいれい*九旬きゅうしゅんみち満  たまふ。

^*禅房ぜんぼうちょうあんよくほとり おしこうみなみ万里までのこうよりひんがし なれば、 はるかにとうみちて、 洛陽らくようひがしやま西にしふもと*とり部野べのみなみほとり*延仁えんにんそうし​たてまつるこつひろひ​て、 おなじきやま0104ふもととり1060きたほとり*大谷おおたにに​これ​を​をさめ たてまつりをはり​ぬ。

^しかる而  しゅうえんにあふ門弟もんていかんを​うけ​しろうにゃく、 おのおのざいの​いにしへ​を​おもひ、 めつの​いま​をかなしみ​て、 れんていきゅうせず​といふ​こと​なし。

 廟堂創立

【15】だいしちだん

 ^*文永ぶんえいねんふゆころ比  ひがしやま西にしふもととり部野べのきた大谷おおたにふんを​あらため​て、 おなじきふもとよりなほ猶  西にし吉水よしみずきたほとりこつわたし​て仏閣ぶっかくて、 影像えいぞうあんず。

^この此  ときあたり​て、 しょうにん (親鸞) 相伝そうでんしゅういよいよこうじ、 遺訓ゆいくんますますさかりなる​こと、 すこぶ頗  ざいむかえ​たり。 すべて門葉もんよう国郡こくぐんじゅうまんし、 ばつりゅう処々しょしょへんして、 いく千万せんまんといふ​こと​を​しら​ず。 その其  *ほんぎょうを​おもく​してかの彼  報謝ほうしゃぬきんづるともがら*緇素しそろうしょう面々めんめんあゆみ​をはこん​で年々ねんねんびょうどうけいす。

^おほよそしょうにんざいしょうの​あひだ、 どくこれ​おほし​と​いへども、 *羅縷らるいとまあらず。 しかしながら​これ​をりゃくする​ところ​なり。

 ^奥書おくがきにいはく

 0105みぎえん図画ずえこころざし、 ひとへにおん報徳ほうとくの​ため​に​してろんきょうげんの​ため​に​せず。 あまつさへ​また*ごうめて*翰林かんりんひろふ。 そのていもつともつたなし、 そのことばこれ​いやし。 *みょう*けん1061け、 いたみ​ありはじあり。 しかり​と​いへども、 ただ後見こうけん賢者けんじゃ取捨しゅしゃたのみ​て、 とうあん*びゅうかえりみる​こと​なし​ならく​のみ。

とき*永仁えいにんだいさんれき*おうしょう*中旬ちゅうじゅんだいてん*晡時ほじいたり​て草書そうしょへんへ​をはり​ぬ

 こう 法眼ほうげん*じょう ごう*康楽こうらく

 ^*りゃくおうさいつちのとのうがつじゅうよっ、 あるほんをもつて​にはかに​これ​を書写しょしゃし​たてまつる。 先年せんねんひつのち一本いっぽんしょところじょう闘乱とうらん0106の​あひだえんじょうきざみしょうしつ行方ゆくえれ​ず。 しかるに​いま*おもんぱからず荒本こうほんしるし、 これ​をとどむる​ものなり

*康永こうえいさいみずのとのひつじじゅう一月いちがつふつふでめ​をはり​ぬ

*桑門そうもん しゃく*そうしょう

 こう だいほうそうしゅん 康楽こうらく弟子でし

 

右縁起画図之志、 偏為知恩報徳不為戯論狂言。 剰又染紫毫拾翰林。 其体尤拙、 厥詞是苟。 付冥付顕、 有痛有恥。 雖然只馮後見賢者之取捨、 無顧当時愚案之誹謬而已。

  執筆法印宗昭

于時永仁第三暦、 応鐘仲旬第二天、 至哺時終草書之篇訖。

画工法眼浄賀 号康楽寺

暦応二歳 四月廿四日、 以或本俄奉書写之。 先年愚草之後、 一本所持之処、 世上闘乱之間炎上之刻、 焼失不知行方。 而今不慮得荒本、 註留之者也耳。

  桑門宗昭

康永二載 十一月二日染筆訖 釈宗昭

画工大法師宗舜 康楽寺弟子

 

底本は◎本派本願寺蔵版本。 浄聖全上段の底本○真宗大谷派蔵本願寺聖人伝絵と対校し、 ○にない語句は青の点下線、 表現の異なる場合は赤の点下線(下に細字で○の本文)として示した。 また、 ○が漢文である箇所および◎にない文言が茶色で収録してある。
鎌子 ふじわらの鎌足かまたりのこと。
内麿公 →ふじわらの内麿うちまろ
房前公 →ふじわらの房前ふさざき
真楯 →ふじわらのたて
有国 →日野ひの有国ありくに
五代の孫 有範は有国の六代の孫にあたる。 ここでは有範の父経伊つねただを省いた系図によったと考えられる。
霜雪をも戴き 頭髪が白くなるまで朝廷に仕えるという意。 また、 天皇の側近く仕えるという意。
射山にわしりて 射山は上皇の御所をいう。 上皇に仕えて。
法性寺殿 →ふじわらの忠道ただみち
南岳天台の玄風 南岳大師慧思えし・天台大師智顗ちぎによって説き示された奥深い教え。 天台宗のこと。
楞厳横川の余流 えいざんかわ (しゅりょうごんいんはその中堂の称) に伝えられているげんしんしょうの流れ。
四教円融の義 天台宗の根本的な教え。 蔵・通・別・円の四教を立てて釈尊一代の経説内容を判別し、 その究極である円教の内容をさんたい円融の理で解説する。
建仁第 「建仁第三」とする異本がある。
凡夫直入 凡夫のままで真実しんじつほうに往生せしめられること。
癸亥 「辛酉」 とする異本がある。 辛酉は建仁元年にあたる。
かの記 ¬親鸞しんらん夢記むき¼ を指すか。
行者宿報…  「行者、 宿報にてたとひ女犯すとも、 われ玉女の身となりて犯せられん。 一生のあひだ、 よく荘厳して、 臨終に引導して極楽に生ぜしめん」
垂迹興法の願 人間の姿を現して仏法を興隆させようとする願い。
愚昧の今案 愚かで道理に暗い自分の考え。
一仏名 南無阿弥陀仏のみょうごうを指す。
製作 著作。 ¬せんじゃくしゅう¼ を指す。
紫禁青宮の政 朝廷の行う政治。
黄金樹林の萼 浄土の七宝樹林の華。
三槐九棘の道 三槐は三公さんこう (大臣)、 九棘はきゅうけい (公家) のこと。 ここでは朝廷の大臣と高官の行う政道の意。
轅をめぐらし 訪れるという意。
市をなす 人がたくさん集まるという意。
 きょう
出言つかうまつりて 質問を申しあげて。
正信 底本には 「聖信」 とある。 正信房湛空たんくうのこと。
おほけなくもあらめ 身のほどをわきまえないということもあるだろうが。
さらにかはるべからず 少しも異なったところのあるはずがない。
日ごろをふるところに 日頃を過していたところ。
定禅法橋 伝未詳。 せん阿弥あみぶつ (袴殿。 かがみのえいの作者) と同一人物であるともいわれるが不明。
化僧 教化僧。 あるいはごんの僧の意を含むか。
禅下 定禅法橋のこと。
善光寺の本願の御房 善光ぜんこうの勧進聖で、 阿弥陀仏のしんとみなされていた。
御ぐし 御首、 御頭などと書く。 頭部。
炳焉なり 明らかなさま。
南北の碩才 奈良の興福こうぶくえいざんえんりゃくのすぐれた学者。
岡崎中納言範光卿 式部少輔従三位範兼のりかねの子息。 ただし、 承元元年 (1207) に出家しており、 当時のしゃめん官は藤原光親みつちかであった。
かしこ 越後 (の人々)。
幽棲を占む ひっそりとかくれ住む。
蓬戸を閉づ 幽棲の庵の戸を閉ざす。 人との交際を断つ。
その節をとげず その目的を果たせない。
禅室 ここでは親鸞聖人の住いのこと。
 扉。 戸。
齢傾きたる 年老いた。
こととなく すみやかに。
社廟 (箱根権現の) やしろ
 神に仕える人。
権現 箱根権現のこと。 箱根神社 (神奈川県足柄下郡箱根町) の祭神。 当時、 流布していたほんすいしゃくせつ (日本の神を仏・菩薩の仮*の現れとする説) によって、 権現 (仮の現れという意の称号) と呼ばれた。
長安洛陽 いずれも中国の都。 ここでは転じて京都を指す。
跡をとどむるに懶し 跡を残すのは気が進まない。
扶風馮翊 中国の地名から転じて右京と左京をいう。
口決 (親鸞聖人から) 直接授けられた教え。
所務に駈られて… 領主の従者としての役務によって参詣するという意。 以下にも 「公務にもしたがひ、 領主にも駆使して」 とある。
熊野 本宮ほんぐう新宮しんぐう那智なちの熊野三山。 本宮の証誠しょうじょう殿でんはとくに尊崇された。
証誠殿 くま本宮ほんぐう主殿しゅでんの称。 ここではその祭神を指す。
和光 こう同塵どうじんのこと。
内懐虚仮の身 内に虚仮 (うそいつわり) を懐く身。
冥眦 神が怒ってにらむこと。
道の作法 熊野詣の道中には独特の厳しい作法が定められていた。
不浄をも刷ふ 潔斎けっさい (心身をきよめること) する。
造次顛沛に ちょっとした間にも。 いつも。
無為に 何事もなく。
笏をただしくして 威儀を正して。 笏は礼服や朝服を着用の際、 右手に持つ細長い板。
弘長二歳壬戌仲冬 弘長二歳壬戌は1262年、 仲冬は陰暦十一月の別称。
午時 正午頃。 じゃくの時刻を未時 (午後二時頃) とする史料もある。
九旬 旬は十年の意。
禅房 親鸞聖人の弟、 じんそうの里房であった善法ぜんぽうぼう
冥・顕 冥は目にみえないもの。 顕は目にみえるもの。
中旬第二天 十二日。
晡時 午後四時頃。
慮らず 思いがけず。