蓮如上人和歌集成

 

蓮如上人自筆和歌

一   (夢の記を示したる御文に二首)

 (1) かきをきし 筆のあとこそ あはれなれ むかしをおもふ 今日の夕暮

 (2) かきとむる 筆の跡こそ あはれなれ わがなからんのちの かたみともなれ

(応仁二年四月廿四日)

 (3) くる春も おなじ木ずゑを ながむれば いろもかわらぬ やぶかけの梅

 (4) 年つもり 五十有余を おくるまで きくにかわらぬ 鐘や久宝寺

(文明二歳二月廿八日)

三   (賀州二俣坊にて)

(日くれければかやうにくちずさみけり)

 (5) 月かげの いたらぬところは なけれども ながむる人の こゝろにぞすむ

 

(弥陀の大悲は信ずる機を摂取しましますものなりとて)

 (6) つくづく おもひくらして 入あひの かねのひゞきに 弥陀ぞこひしき

(文明三年七月十六日)

四   (御さらへの章の御文の奥に)

 (7) のちの代の しるしのために かきおきし のりのことの葉 かたみともなれ

(文明第五 十二月八日)

五   (多屋内方へまいらせたる御文の奥に二首)

 (8) たのめたゞ 弥陀のちかひの ふかければ いつゝのつみは ほとけとぞなる

 (7) のちの代の しるしのために かきおきし のりのことの葉 かたみともなれ

(文明第五 十二月八日)

六   (河内国にて)

(親と同年にあたり初春をむかへて)

 (9) たらちをと 同年まで いける身も あけぬる春も はじめなりけり

 

(猶々同じまよふ心なりと我身をいませめて)

◗(10) 年つもり おやと同く ながらへば 月日をねがふ 身ぞおろかなる

◗(11) おやのとしと おなじきいきば なにかせん 月日をねがふ 身ぞおろかなる

(于時文明八年六月二日)

七   (草木国土悉皆成仏の道理を示して)

◗(12) 草木も 仏に成と きく時は 心ある身は たのもしき哉

(文明九年後正月十二日書之)

八   (年齢のつもりしことを記したる御文に)

(祖師開山之御恩徳の深事を思ひて)

◗(13) ふる年も くるゝ月日の 今日までも なにかは祖師の 恩ならぬ身や

 

(久く命のながらへたる不思議さを思ひて)

◗(14) 六十地あまり おくりむかふる 命こそ 春にやあはん 老の夕ぐれ

 

(祖父玄康と同年なることを案じ出して)

◗(15) 祖父の年と 同じよはひの 命まで ながらふる身ぞ うれしかりける

 

(初春に鳴神なりわたりければ)

◗(16) あらたまる 春になる神 初哉 うるほふ年の 四方の梅がへ

 

(なにとなく東の山を見て)

◗(17) 小野寺や ふもとは山科 西中野村 ひかりくまなき 庭の月影

 

九   (有馬紀行)

(田之池をうちながめて)

◗(18) 音に聞 ます田の池を いま見れば つゝみのかたち それとのみしる

 

(湯山之御所坊と云ふ宿へ下着して)

◗(19) 岩坂や 七坂八たうげ こえすぎて ありまの山の 湯にぞつきけり

 

(前の歌に続けて、 又云)

◗(20) さかこえて ゑにし有馬の 湯舟には けふぞはじめて 入ぞうれしき

 

(水のおと事外かしましきあひだ)

◗(21) ふる雨に にたるとおもふ 湯山の をとかしましき やどの谷川

 

(古への湯山へ入りし事を思出して二首)

◗(22) 年をへて 又ゆの山に 入身こそ 薬師如来に ゑにしふかけれ

◗(23) 老の身の 命いまゝで ありま山 又湯に入らん 事もかたしや

 

(あまりにかま倉谷のおもしろかりしままに)

◗(24) ゆの山を いづるけしきの 道すがら かまくら谷の をもしろきかな

 

(湯山を出ける時に加様に案じけり)

◗(25) 日数へて 湯にやしるしの 有馬山 やまひもなをり かへる旅人

(文明十五年九月十七日)

十   (中央 「法印権大僧都大和尚位兼寿」、 右 「詠歌云」、 左 「又云」 とあり二首)

◗(26) 七十地に 身はみつしほの にしの海 ふなぢをてらせ 山のはの月 (右)

◗(27) なき跡に 我をわすれぬ 人もあらば たゞ弥陀たのむ こゝろをこせよ (左)

 

十一   文明十七 始而郭公なきけるをきゝて

◗(28) あか月の ねざめの枕 おどろきて なくほとゝぎす かずかずのこゑ

愚詠

十二  (中央 「南無阿弥陀仏」、 右 「弘誓強縁多生雖値真実浄信億劫叵獲。遇獲信心遠慶宿縁 」 とあり左に一首)

◗(29) 七十地に 年はひとつも あまれども いつをかぎりの 世にはすままし

(花押)

十三  (紀州紀行)

(かい寺の池のていを見て)

◗(30) いづみなる したての池を 見るからに 心すみぬる かい寺の宮

 

(河なべにて河水ながれけるを見て)

◗(31) 河なべの 瀬々の浪もや 水たかく とをくながれて ながをなりけり

 

(清水の浦々をながめて)

◗(32) 音に聞 清水浦に 舟にのり 岩間がくれに 見ゆる島々

 

(藤白たうげにてけしきを見わたして)

◗(33) 藤白の 島や小島を ながむれば たゞ布引の しろきはま松

 

(清水浦に一宿せし夜に)

◗(34) 此島に 名残をおしみ 又かへり 月もろともに あかす春のよ

 

(清水浦に名残は猶ある心地にて)

◗(35) わきいづる 清水浦を けさははや ながめてかへる 跡の恋しさ

 

(ふけいの浦に一宿して)

◗(36) いづみなる ふけゐ浦の 浪風に 舟こぎいづる のあさだち

(文明十八 三月十四日)

十四

長享二 極月廿六日は節分あくれば立春なり。 折節空かきくもり雪いたくふりつもり、 日も暮るになりしかば、 我身の年月のつもることを降雪におもひあはせてかやうにづゞけ侍りき

◗(37) 老の身の 七十地あまり けふすぎて 雪ふりつもる としのゆふぐれ

法印七十四歳 (花押)

十五

(右 「法印権大僧都兼寿 年暮ぬればはや蔓八十になるべき事を 」 とあり続けて二首)

◗(38) 仏にも 祖師にもよはひ おなじくて 八十地にみてる あくる初春

◗(39) 我なくは 誰も心を ひとつにて 南無阿弥陀仏と たのめみな人

 

十六

(中央 「法印権大僧都大和尚位兼寿」、 右 「古在東山霊地雖立一流宗義今卜山科林窓欲遂安養往生同弥勒慈尊暁待畢命為期夕」 とあり左に二首)

◗(40) 仏にも 祖師にもよはひ おなじくて いける八十地の 年ぞたふとき

◗(41) 極楽へ 我行なりと きくならば いそぎて弥陀を たのめみな人

明応元年 満八十歳

十七  明応四年極月

◗(42) 春夏は 日ながけれど いつのまに 秋冬くらす ほどのちかさよ

◗(43) なにとてか 冬の日数の たちたるに 風あたたかなりし けふの日没かな

◗(44) 老の身の むかしがたりを おもふにも たゞ何事も 夢の世のなか

◗(45) つれなさや 今年の冬も はや暮て 八十にいまは ふたつあまれり

◗(46) 年暮て 老の命ももろともに さゆる月夜と にしにゆかばや

◗(47) 八十あまり 弥陀をたのみし たふとさに ころもの袖は 涙なりけり

◗(48) 弥陀たのむ 我身の心の たふとさに いつもなみだに ぬるゝ袖かな

◗(49) 年は暮 八十にあまる 老楽の いつをかぎりの 世にはすままし

明応四年極月 日  八十一歳 (花押)

十八  (右 「明応五年 正月二日法印権大僧都 明応四年豫八十一歳也又此冬節は八十二歳に候間如此詠歌云 」 とあり続けて三首)

◗(50) 春立て 又や年へむ 老楽の 花にはえにし 我身なるらむ

◗(45) つれなさや 今年の冬も 打暮て 八十にいまは ふたつあまれば

◗(51) 弥陀たのむ 心ひとつの たふとさに いつもうれしき 涙なるかな

明応五年 正月二日  八十二歳

十九

◗(52) 三吉野の こゝろとゞまる 河つらに すみても見ばや こゝにいひがゐ

 

二〇

◗(53) 年暮て 老の齢を かぞふれば 八十地に三とせ あまるつれなさ

◗(54) 弥陀たのむ 心ばかりの たふとさに なみだもよほす 墨染の袖

◗(40) 仏にも 祖師にもよはひ おなじくて いける八十地の かずぞたふとき

◗(55) 我なしと きかばやがても 一むきに 南無阿弥陀仏と たのめみな人

 

二一

◗(56) 八十三 命ながらふ しるしには 弥陀をたのまむ 心をこせよ

◗(57) 我後は たれも心を ひとむきに 弥陀のちかひを ふかくたのめよ

◗(58) 我跡に のこらむ人は みなともに 弥陀を信じて ふかくたのめよ

 

二二

(中央 「法印権大僧都大和尚位兼寿」、 右 「古在東山霊地雖立一流宗義今卜山科林窓欲遂安養往生同弥勒慈尊暁待畢命為期夕」 とあり左に二首)

◗(59) 八十地あまり 身はみつしほの 西の海 船路をてらせ 山端の月

◗(39) 我なくは たれも心を ひとむきに 南無阿弥陀仏と たのめみな人

 

二三

◗(60) 南無といふ 二字の内には 弥陀をたのむ 心ありとは 誰もしるべし

◗(61) ほれぼれと 弥陀をたのまむ 人はみな 罪は仏に まかすべきなり

◗(62) 真実の 信心ならでは 後の世の たからとおもふ 物はあらじな

 

二四

◗(63) ほとけには 花たてまつる こゝろあれや つゐにめぐみの 春のゆふぐれ

◗(64) 五月雨は つゐにぞあがる けふの日の 空もくれゆく 雲のよそほゐ

 

二五  (信因称報の義を示した御文の奥に)

◗(39) 我なくは たれも心を ひとつにて 南無阿弥陀仏と たのめみな人

 

「御文章」 「和歌集」 等収載和歌

二六  応仁二年四月仲旬御文の奥によませ給ける

◗(65) かきをきし ふみのことばに のこりけり むかしがたりは きのふけふにて

(応仁二年四月仲旬)

二七  同年四月廿二日夜御夢御覧じける記の奥に

 (2) かきとむる ふでのあとこそ あはれなれ わがなからんのちの かたみともなれ

 (1) かきをきし ふでの跡こそ あはれなれ 昔をおもふ けふの夕ぐれ

 

二八  (吉野紀行)

高野山より十津河小田井の道にて

◗(66) 奥吉野 きびしき山の そわづたひ 十津河をつる のながせの水

◗(67) 十津河の 鬼すむ山と きゝしかど すぎにし人の あとゝおもへば

◗(68) これほどに けはしき山の 道すがら のりのゆかりに あらでやはゆく

 

十津河より小田井の道にて

◗(69) 谷々の さかりの紅葉 三吉野の 吉野の山の 秋ぞ物うき

◗(70) 山々の さかしき道を すぎゆけば 河にぞつれて かへる下淵

 

下渕より河つらの道にて

◗(71) 三吉野の 河つらつゞく いゝがゐの いもせの山は ちかくこそみれ

 

河つらよりして吉野蔵王堂一見の時一年のうかりし事をいまおもひ出て

◗(72) いにしへの 心うかりし 三吉野の けふは紅葉も さかりとぞみる

 

二九  (文明元年か)

◗(73) 五十五の としをむかへて この国の 法にあひぬる 縁ぞうれしき

 

三〇  文明二歳 二月廿日 信証院御判

◗(74) 五十六は 定命なるに 我身なり 信証の証や ちかくなるらむ

◗(75) みな人の 我とおこらぬ 信ぞかし たのむこゝろも 他力なりけり

 

三一  文明二年二月廿八日 御判

◗(76) きけや人 むかしのゑんの あれば只 おのれと信は おこりこそすれ

◗(77) 極楽へ われとゆかんと はからふは 弥陀のちからは たのまざるなり

 

三二  文明三年七月十六日賀州二俣坊にて文の奥に

 (6) つくづくと おもひくらして 入あひの かねのひゞきに 弥陀ぞこひしき

此歌は後醍醐天皇御子八歳の宮御歌なるを、 それは 「君ぞこひしき」 とあり、 これは 「弥陀ぞ恋しき」 とかへられ侍ば可為御詠也。

三三  同年七月十八日二俣坊にて御作の御文奥に

◗(78) あつきに ながるゝあせは なみだにて かな   かきおくふでの あとぞをかしき

 

三四  (亡母のことを記したる御文に三首)

文明第四 十月四日御文に亡母の十三回忌にとあり

◗(79) 十三とみとせを をくる月日は いつのまに 今日めぐりあふ 身ぞあはれなる

 

同時に仏果もおぼつかなき事や侍りけんとて

◗(80) おぼつかな まことのこゝろ よもあらじ いかなるところの 住家なるらん

 

同時 「一子出家七世父母皆往生」 の文、 「還来穢国度人天」 を思召し出て

◗(81) いまははや 五障の雲も はれぬらん 極楽浄土は ちかきかのきし

(文明五年 八月廿八日)

三五  文明五年霜月廿一日吉崎坊にて御文の奥に

◗(82) 五十地に あまる年まで ながらへて この霜月に あふぞうれしき

◗(83) みとせまで 命のながきも 霜月の のりにあひぬる 身こそたふとき

◗(84) のちのとし また霜月に あはんこと いのちもしらぬ わが身なりけり

三六  同年の十二月八日吉崎の坊にて多屋内方へ御文の奥に

 (7) のちの世の しるしのために かきおきし 法のことのは かたみともなれ

 (8) たゞたのめ 弥陀のちかひの ふかければ いつゝのつみは ほとけとぞなる

 

三七  文明六年正月廿日吉崎にて四ヶ年をくらせ給事を

◗(85) 秋さりて 夏もすぎぬる 冬ざれの いまは春べと こゝろのどけし

 

三八  (無常にこころをとどめず信心を決定すべきことを示したる御文の奥に二首)

◗(86) ふしぎなる 弥陀のちかひに あふもなを むかしののりの もよほしぞかし

◗(87) いくたびか さだめてことの かはるらん たのむまじきは こゝろなりけり

(文明六年九月 日)

三九  (十劫正覚の邪偽を誡める御文の奥に)

◗(88) あすみんと おもふこゝろは さくら花 よるはあらしの ふかきものかは

(文明七歳二月廿五日)

四〇  加賀国河北郡二俣坊にて庭の木うへさせ給て

◗(89) うへおける 庭の岩木も かはるなよ 又ふたまたの 春にあふべし

 

四一  吉崎の坊にてしやうこ打て念仏申てとおるをきこしめして

◗(90) おなじくは 弥陀の誓を 知せばや とてもとなふる 人のこゝろに

 

四二  文明八歳林鐘上旬二日の御文の中に

 (9) たらちをと 同年まで いける身も あけにも春も はじめなりけり

 

四三  次に六月二日によみ給へる同御文に

◗(11) おやのとしと おなじくいきば なにかせん 月日をねがふ 身ぞおろかなる

 

四四  文明九年九月十七日の御文の奥に

◗(91) かきおくも ふでにまかする ふみなれば ことばのすゑぞ おかしかりける

 

四五  (教・行・信・証の教相を示したる御文の奥に)

◗(92) みなひとの まことののりを しらぬゆへ ふでとこゝろを つくしこそすれ

(文明九年 十月十七日)

四六  (弥陀如来他力本願のたふとさありがたさのあまりとて三首)

(一念帰命の信心決定のすがたをよみ侍べり)

◗(93) ひとたびも ほとけをたのむ こゝろこそ まことののりに かなふみちなれ

 

(入正定聚の益・必至滅度のこゝろを詠み侍りぬ)

◗(94) つみふかく 如来をたのむ 身になれば のりのちからに 西へこそゆけ

 

(知恩報徳のこゝろを詠み侍べり)

◗(95) 法をきく みちに心の さだまれば 南无阿弥陀仏と となへこそすれ

(文明九年十二月二日)

四七  (年齢のつもりしことを記したる御文に)

(他力本願・弥陀の御恩のありがたき故願力によせて二首)

◗(96) むそあまり おくりしとしの つもりにや 弥陀ののりに あふぞうれしき

◗(97) あけくれは 信心ひとつに なぐさみて ほとけのをんを ふかくおもへば

 

(またあらたまる春にあはんことをうれしくおもひて)

◗(98) いつまでと をくりむかふる たちゆけば いく春やへん 冬のゆふぐれ

 

文明十一月正月に山科にて祖師の御恩徳の事を

◗(13) ふるとしも くるゝつきの 今日 けふ までも いづれか祖師そしの をんならぬ

  (類) をくるとし めぐる月日の 今日までも いづれかそしの 恩ならぬ身や

◗(14) 六十あまり をくりむかふる よはひにて はるにやあはん をひのゆふぐれ

 

同年祖父玄康法師と同年の事を思食て山科にて

◗(15) 祖父の年と おなじいのちの よはひまで ながらふる身こそ うれしかりけれ

 

同年 あくる年の  正月朔日に雷のなりけるに

◗(16) あらたまる はるになるかみ はじめかな うるほふとしの 四方よもむめがへ

 

同年九月十二日夜山科にて

◗(17) 小野をのやまや おほやけづゞく 山科やましなの ひかりくまなき にわつきかげ

(文明十一 十二月 日)

四七  文明十三年十一月廿四日の御文の奥に

◗(99) このこと葉 かきをく筆の 跡をみて 法のこゝろの ありもとぞせよ

 

四九  摂州湯山にて

(100) つの国に いまだゝえせぬ 有馬山 わく湯のかずは 神の誓ぞ

 

五〇  文明十六年正月 日

(101) 七十に みてる年まで 老の身の いつをかぎりの 世にはすままし

 

五一

(102) 七十に つもる年まで いける身の かりのやどりを いつかいでなん

 

五二

(103) 七十に はやみつしほの すゑの松 老のとしなみ 又やこえなむ

 

五三  法印権大僧都の銘の脇左右に 二首

◗(26) 七十路に 身もみつしほの にしの海 舟路をてらせ 山の葉の月

◗(27) なき跡に 我をわすれぬ 人もあらば なを弥陀たのむ こゝろをこせよ

 

五四  (文明十六年ころか)

(104) なきあとに われをたづぬる 人あらば 弥陀の浄土に むまれたるといへ

 

五五  文明十七年の年を取つるに正 十一日節分なりければ

(105) ふる年を こへぬるうへに 今日は又 猶一春を かさねてやへん

 

五六  文明十七 始而郭公なきけるをきゝて

◗(28) あか月の ねざめの枕 おどろきて なくほとゝぎす かずかずのこゑ

 

五七

(106) 七十地に 年はひとつも あまれども むかへぞおそき 彼岸のふね

 

五八  七十有余のおりの御歌

(107) 西へゆく 月とつればや 老の身の 七十地すぎて としのつもれば

(108) 七十地に あまるぞ老の としをへて またこの春の はなやみてまし

◗(37) 老の身の 七十地あまり けふすぎて 雪ふりつもる としのゆふぐれ

(109) 我身はや 七十にあまる よはひにて 冬の日数も つもる夕暮れ

(110) 七十に あまる我身の つれなさよ はや此冬も くるゝ年月

(111) かぎりなく 七十あまり 年たけて ながらふ身こそ つれなかりけれ

(112) いつまでと 七十あまり 老らくの いける命の つれなさの身や

 

五九

(113) 七十地に 年はあまりて けふもはや 一夜ばかりの 老のゆふぐれ

 

六〇  文明十八年三月九日

◗(30) いづみなる したての池を 見るからに 心すみぬる かい寺の宮

◗(31) 河なべの 瀬々の浪もや 水たかく とをくながれて ながをなりけり

◗(32) 音に聞 清水浦に 舟にのり 岩間がくれに 見ゆる島々

◗(33) 藤白の 島や小島を ながむれば たゞ布引の しろきはま松

◗(34) 此島に 名残をおしみ 又かへり 月もろともに あかす春のよ

◗(35) わきいづる 清水浦を けさははや ながめてかへる 跡の恋しさ

◗(36) いづみなる ふけ井浦の 浪風に 舟こぎいづる 旅のあさだち

 

六一  延徳二年正月十五日朝いるりのまにて

(114) 此春は みつわくむまで 年つもる 七十あまり 身こそ老ぬれ

 

六二  和泉国堺にての御歌 延徳二 十二月

(115) 七十に あまるよはひの さかひにて 年やこえなん はじめ成けり

(116) 七十に 七のとしの はじめかな 春めずらしき さかひなるらん

(117) 八専も 寒も土用も 波風に みな吹うする 堺なりけり

(118) 七十七 よはひはながき 老の身の 春やむかへん さかひなるかな

(119) えにしあれば 又やくだりて 堺なる 入しほぶろに 年をこそとれ

(120) わきいづる 和泉のさかひ しほぶろに くだりていりし えにしふかさよ

 

六三  延徳三 正月  愚詠

(121) 津の国の むかしながらも けふははや 春といふべき 空のよそほひ

(122) 春くれば 難波のことも いふなみの 海こしみゆる 船の行すゑ

(123) 老らくの としをかさぬる 春くれば 花にあふべき 心こそすれ

(124) いでそむる 空ぞほのかに 三日の月 けふはじめてや 春としらるゝ

(125) けふよりは 雪ふりそむる 山の井の うすがすみてや 見ゆる夕ぐれ

(126) けふははや 日もうすがすむ 空なれば たれも心は のどけからまし

(127) けふははや あくる雲井の 天津空 かへるとつぐる 雁の一こゑ

(128) 七十に としはあまりて この春の 花をあひみん えにしふかさよ

(129) つれなくも 七十七 いける身の 往来もつもる あとはしられじ

(130) つのくにの さかひよりみる 住吉の 神のめぐみに あふぞうれしき

 

六四  延徳三年に

(131) 七十地に あまる我身も 七年を なきてぞつぐる 郭公かな

(132) いつまでか 七十地七つ 年たけて 今日にしらるゝ 秋の七夕

 

六五  延徳四年五月に近松より顕証寺三位蓮潤ほうの花五さきて実の成たるを持参ありしにあそばされける

(133) ほうの木に 実こそなりぬれ 世中に ひろまるものは 弥陀の本願

 

六六  法印権大僧都大和尚位兼寿詠歌云

(134) いまははや 八十地にちかき 老の身の いつをかぎりの 世にはすむらむ

又云

(135) 後の世に 我名をおもひ 出しなば 弥陀のちかひを ふかくたのめよ

  (類) のちの世に わが名をおもひ いだしなば ふかくたのめよ 弥陀のちかひを

 

六七

(136) いつまでと 涙つゆけき 墨染めの 八十地にちかき 秋の星合

 

六八  法印権大僧都兼寿 年暮ぬればはや満八十になるべき事を

◗(38) 仏にも 祖師にもよはひ おなじくて 八十地にみてる あくる初春

◗(39) 我なくは 誰も心を ひとつにて 南無阿弥陀仏と たのめみな人

 

六九  (同じころの御歌)

(137) としのかず ねがひし身にも なりにけり やそぢにみてる あくるはつはる

 

七〇

(138) 八十地まで 命ながらふ 老の身の 船路をまつや 彼岸

(139) 八十地まで 命ながらう 老らくの 月の夜船を まつや彼岸

(140) 我なしと きかばやがても みな人は 南無阿弥陀仏と たれもたのめよ

 

七一  法印権大僧都の銘のわきに

◗(40) 仏にも 祖師にもよはひ おなじくて 八十地にみてる 身さへたふとし

  (類) ほとけにも 祖師そしにもよはひ ひとしくて 命ながふる 身こそたふとき

◗(41) 極楽へ 我ゆくなりと きくならば いそぎて弥陀を たのめみな人

 

七二  明応三 十一月廿二日蓮如上人より基綱卿へ御歌

 返し  権中納言基綱卿 姉小路

(141) 八十まで 老を知ざる 君なれば 猶行末や 千世の春秋

 

七三  (明応三年の歌か)

(142) しはせ月 日数つもりし 老の身は 八十地にみてる 冬の暮かな

(143) いく春の 秋の月をも おくる身の 八十地につもる 老のゆふ暮

 

七四  (明応三年の歌か)

(144) 明応三 八月八日の 八の字と 八十地のよはひ おなじかりけり

(145) 八十地まで つもりしとしの しるしには 南无阿弥陀仏と いふほかはなし

(146) をいらくの 春秋おくる しはせ月 やそぢにみてる 冬くれにけり

 

七五  明応五年八月廿五日に芳野飯貝坊へ御下ありて彼坊にてあそばしける

◗(52) 吉野河 こゝろぞのこる 河つらの すみてもみたや こゝにいひがゐ

(147) 名もしるし 浪音たかき 吉野川 千またの里は むかひにぞみる

 

七六  同五年に

(148) 年たけば 八十地に三は あまる身の いつをかぎりの 世にはすまゝし

◗(53) 年くれて 老のよはひを かぞふれば 八十に三とせ あまるつれなさ

(149) 八十地には 三とせはあまる けふまでも いつをかぎりと 命つれなさ

 

七七  六字の尊号の奥に

◗(41) 極楽に 我ゆくなりと きくならば いそぎて弥陀を たのめみな人

◗(60) 南無といふ 二字のうちには 弥陀をたのむ こゝろありとは たれもしるべし

(150) みな人の ひしとたのむと いふならば 弥陀はしりてや すくひたまはむ

◗(62) 真実の 信心ならでは のちの世の たからとおもふ 物はあらじな

◗(54) 弥陀たのむ 心ひとつの たふとさに なみだもよほす 墨染の袖

明応六年五月十八日  八十三歳 御判

七八  (このころの歌か)

(151) 南無といふ 二字の内には をのづから 弥陀をたのみし こゝろあるべし

(152) 阿弥陀仏と まうす御名こそ たふとけれ 人をたすくる ちかひなりけり

 

七九  (信因称報の義を示したる御文の奥に)

明応六年十月十四日御文の奥に

(153) あつらへし ふみのことのは をそくとも けふまでいのち あるをたのめよ

 

同年同月 日御文の奥に

(154) 八十地あまり をくる月日は けふまでも いのちながらふ 身さゑつれなや

 

八〇  八十有余の御歌

(155) 年月の つもりつもりて けふはゝや 八十地あまりの 初春の空

(156) 八十地あまり をくりし年の 春秋を 昨日けふとや おもひぬるかな

(157) 八十地あまり ことしもつれなく いける身の いつをかぎりと まつぞひさしき

(158) 八十地あまり ことしもつれなく いける身の いつとさだめぬ 松風の音

(159) 八十地あまり 春秋をくる 月日こそ けふにしらるゝ 年も暮けり

(160) としつもり 八十地にあまる をひらくの あすともわかぬ ゆふ月のそら

(161) この比は 八十地にあまる 冬くれて 春をもまたぬ おひらくの身や

(162) 年月の つもりしことは しらねども 八十地にあまる 老楽の身や

(163) はるあきを なにとすぎにし ことしかな としは八十地に あまるつれなさ

(164) 西へゆく 月とつればや 老らくの 八十地にとしは あまるさかひに

(165) あはれなり くれゆく年の 日かずかな 老のつもりは 八十地あまれば

(166) 八十地あまり をくり向て 此春の 花にさきだつ 身ぞあはれなる

 

八一  (このころの歌か)

◗(49) このごろは やそぢにあまる をいの身の いつをかぎりと 世にはすまゝし

  (類) 八十地あまり をくりむかふる 老の身の いつをかぎりの 世にはすまゝし

◗(45) つれなやな ことしの年も はやくれて やそぢにいまは ふたつあまれる

八二  (明応七年)正月一日賀州六日講中への御文の奥に  一首

(167) たぐひなき 仏智の一念 うることは 弥陀のひかりの もよをしとしる

 

八三  (一念に弥陀をたのむ心をふかくをこすべきものなりとて)

(168) 弥陀みだを きゝうることの あるならば 南无なもわあ弥陀みだぶちと たのめみなひと

(明応七年初夏仲旬第一日)

八四  同年の御文の奥に  三首

◗(60) 南无なもといふ 二字にじのうちには 弥陀みだをたのむ こゝろありとは たれもしるべし

◗(61) ほれぼれと 弥陀みだをたのまん ひとはみな つみはほとけに まかすべきなり

(169) つみふかき ひとをたすくる のりなれば 弥陀みだにまされる ほとけあらじな

 

八五  (報土往生には六字のすがたをこゝろへて弥陀をたのむべきことを示して)

(170) 老楽の 立居につきての くるしみは たゞねがはしきは 報土往生

  (類) 老らくの をきねにつけて くるしみの たゞねがはしきは にしのかのきし

(明応七年戊午子月五日)

八六  同年十一月廿五日御文の奥に

(171) 後の世の そのかたみとも なれよとて 筆をつくして かきぞをきぬる

(172) のちの世の かたみのために なれよとて ふでをつくして かきぞをきける

 

八七  同年十二月十五日願行具足のいはれあそばしける御文

(173) おいは ろくのすがたに なりやせん 願行ぐわんぎやうそくの 南无なもわあ弥陀みだぶちなり

 

八八  (信因称報の義を示したる御文の奥に)

(174) このごろは 八十地やそぢにあまる ふゆくれて はるをもまたぬ をいらくの

 

八九

(明応八年)三月三日には芳野より桜を切り参り北の庭にほりすへて侍りければ花もさきたるを御覧ぜられて御詠歌三首あそばさる

(175) さきつゞく 花みるたびに 猶も又 たゞねがはしき 西の彼岸

(176) 老楽の いつまでかくは 病ぬらん 迎へたまへや 弥陀の浄土へ

(177) 今日までは 八十五に あまる身の 久くいきじと しれやみな人

 

九〇  同年三月十日御坊にて

(178) 八十地五つ 定業きはまる わが身哉 明応八年 往生こそすれ

(179) 我しなば いかなる人も みなともに 雑行すてゝ 弥陀を憑めよ

此後は御歌もなかりき

(以下、 年紀不明分)

九一  (文明十七年か)

(180) かぞふれば つもる月日の やとしまで すみぞなれぬる やましなのさと

 

九二  六字名号のおくに

(181) かきをきし 念仏の功の つもりなば にしの浄土は たれもゆくべき

 

九三  下間上野 法名蓮秀 菊寿といひし時灯台のもとに侍ると聞召てあそばす

(182) よるごとに 柱にそふる 影みれば たれもそへとや 菊寿なるらん

 

九四  下間蔵人自在を進上して後に往生せし時にあそばす

(183) かたみには これをやいはん 蔵人が いのちはさらに 自在ならねば

 

九五  山科南殿の庭にてあそばす 駿河入道善宗慥物語也

(184) この葉ちる 庭の山路を めぐるにも 我身ににたる 老のあわれさ

(185) やま科を 朝たつ空の 道すがら けふにしらるゝ 年も暮けり

 

九六  (三吉野にて詠みける歌)

(186) 春たつと いふよりはやく 三吉野の やまもかすみて けさはみゆらむ

(187) 雪ふれば 春もちかげに みよし野の 花のおもかげ 思いでけり

 

九七  大坂の事をあそばしける歌

(188) 千代やへん 花松うへし 大坂の ひかりはなをも 生玉のみや

(189) みな人に 弥陀をたのめと いふ波の 川をとたてゝ みゆる大坂

(190) 大坂へ のぼらんと思ふ みちよりも 弥陀をたのめる こゝろあるべし

(191) 又舟に のりてぞとをる わたなべの 磯ぎはとをる 大坂の山

 

九八  大坂の事をあそばしける歌

(192) いく玉の 神のめぐみの 志宜の森 よそやことしの 住し大坂

(193) いく玉の 神も久しき このところ よみよかりけり しぎの大さか

(194) いく玉の ひかりかゞやく しぎのもり みちもひろげに みゆる大さか

(195) 老らくの 命のかずます 生玉の ひかりにあへる 春の大坂

(196) みな月の 昔ながらの はらひして いく玉まつる けふの大さか

 

九九  三月三日の浜にて

(197) 住吉の ちかひかはらぬ 海なれば ひくしほみづの ほどのとほさよ

 

一〇〇 (堺を再訪して詠みける歌)

(198) このたびは 不思議に命 ながらへて 又きてみつる 堺なるらむ

 

一〇一 六月十七日に

(199) あすはげに 我たらちをの 日なりけり 昔をおもふ なみだふかさよ

 

一〇二 (郭公につきて詠みける歌)

(200) あさぼらけ 雲井のほかの 郭公 なく一こゑの とをくきこゆる

返し 如宗禅尼

(201) よゐながら あけゆく空の 郭公 雲のいづくに なきてすぐらん

 

一〇三 (弥陀をたのむこころつきて詠みける歌)

(202) あら玉の 年のはじめは いはふとも 南無阿弥陀仏の こゝろわするな

(203) うれしやな たうとやとこそ いはれけれ 南無阿弥陀仏の 口のひまには

(204) 弥陀たのむ 人の心の たふとさに なみだをのごふ 墨染の袖

 

一〇四 六字の名号のおくに  一首

(205) 弥陀たのむ 我身ひとりの たふとさに なみだもよほす ぬるゝ袖かな

 

一〇五 名号の左右にあそばされける

(206) つみふかき 人をたすくる 法なれば たゞ一すぢに 弥陀をたのめよ

(207) 法の師の 筆と心を つくせども まことのみちを しるものはなし

 

(年紀及び詠まれた背景が不明のものを、 以下に五十音順にして収載した)

(208) 秋過て 冬きにけりな 神無月 老のなみだや まづ時雨らん

(209) あすもとは なにたのむらん 老らくの けふのゆふべも しらぬ世の中

(210) 阿弥陀仏 たすけたまへの 外はみな おもふもいふも まよひなりけり

(211) 阿弥陀仏と なりしほとけの すがたこそ わが往生の しるしなりけり

(212) あみだ仏 南無とたのまん 人はみな やがて仏に なる身とぞなる

(213) あれをみよ とりべのべの 夕けぶり おくる人とて のこるべきかは

(214) あはれなる 老のやまひの くるしみは ぜんのむくひ むなしからねば

(215) 一念に 阿弥陀をふかく 信ずれば やすく浄土へ むまるとはしれ

(216) 一念に はや往生の ひまをえて うれしき事に ひまもなの身や

(217) 一念に むまれゆくべき 極楽も おもひしらねば うれしさもなし

(218) いつまでか 有為の命の ながらへて 無為の浄土は ねがはしきかな

(219) いつまでか 我身ながらも つれなくて 命ながらふ 今の世の中

(220) いづみなる わくやしみづの くすり風呂ぶろ なを弥陀たのむ 心おこせよ

(221) いづる息 いるをもまたぬ この世なれば いそぎてたのめ 弥陀のちかひを

  (類) いづるいき いるをもまたぬ この世なれば いそぎて弥陀を たのめみな人

(222) うきぐもを はらはゞ夜をも あけぬべし たゞそのよゝに あり明の月

(223) 老が身の のちまでたのみし たらちめの のこりて趾に あるもかなしき

(224) おもふべき 仏のおんを おもはねば あくがふの身ぞ おもはれにける

 

(225) かゝる身を たすけ給へと おもふとき 往生やがて さだまるとしれ

(226) かたみには 六字の御名を とゞめをく なからん世には たれももちゐよ

  (類) かたみには 六字の御名を とゞめをく わがのちの世には これをもちゐよ

  (類) かたみには 六字の御名を のこしをく なからんあとに たれももちゐよ

(227) きのふまで けふまでつくる 罪とがも 弥陀をたのめば たすけまします

(228) くさも木も 年に一の 花さきぬ 人にさかりの なきぞかなしき

(229) ごうしやの こがねのたふの くりきより 南無阿弥陀仏の 一こゑぞます

(230) 極楽は 我人まひる 浄土なれば つゐにやあはむ ひとつところへ

(231) このごろは 経や本書を 人まねに いかなるものも よまざるはなし

 

(232) 桜花 さかぬさきより にほふらん 木の本くらく かすむ夕暮

(233) 寿像とは いのちのかたちと かきたれば いきたるうちに 我をみよかし

(234) 真実の 信心ならでは のちの いま入しほの さかいなりけり

(235) 千秋せんしうの 口には人を いはふとも こゝろのうちには 南無阿弥陀仏

 

(236) たかき山 ふかきうみにも 限りあり 弥陀の功徳を 何にたとへん

(237) たゝばたて おどらばおどれ はるごまの のりの道をば しる人ぞしる

(238) たのませて たのまれ給ふ 弥陀なれば わがはからひの いらぬ成けり

  (類) たのませて たのまれたまふ 弥陀なれば たのむこゝろも われとおこらず

(239) たのめとの をしへののりに ひかれつゝ 弥陀たのむ身と なれるうれしさ

(240) たれとても 六字のこゝろ 知ならば つみの衆生も たすかりぞせん

(241) つみの身を たすけたまへる 弥陀なれば あゝよりほかの ことのはもなし

(242) つみふかき 身とむまれぬるこそ うれしけれ さてこそたのめ 弥陀のちかひを

  (類) つみふかき 身とむまれける うれしさよ さてとぞたのめ みだのちかひを

(243) 露の身の 命とともに きえはてゝ その名ばかりや あとにのこらん

(244) とにかくに おもひしことは ちりあくた なむあみだ仏は ほゝき也けり

(245) 鳥べのに あらそふいぬの こへきけど わが身の上と おもはざりけり

 

(246) ながむれば くもるともなき 秋の夜の 月のひかりに わたる雁がね

(247) ながむれば くもるともなき 春の夜の 月にかすみて かへる雁がね

(248) なきあとに われをこひしと 思なば 弥陀のちかひを たのめみな人

  (類) なきあとに われを恋しと おもひなば 弥陀のたのみし こゝろもつべし

(249) なきあとに われをたづぬる 人もあらば たからとおもふ ものはあらじな

(250) 南無といふ そのふた文字もじに 花さきて やがて仏の 身とぞなりける

(251) ぬししらぬ 心のうちの くもりをも なむあみだ仏の かぜわはらひて

(252) 後の世に われをたづぬる 人あらば 弥陀の浄土に あるとこたへよ

(253) 法のみち たふときことは つきせねば いそぎむかへよ 弥陀の報土へ

(254) のりのみち 筆とこゝろを つくさずは まことの道は たれかおしえん

 

(255) はつ雪に 老のしらがを ならぶれば いづれもおなじ 白妙にみゆ

(256) 春の日の くもるけしきは ときなれや かすむはけふの 花のゆふぐれ

(257) 日にそへて さきぞまされる にはの梅 匂ひにふかき あさぼらけかな

(258) 日々に猶 みどりをそふる 春木立 色こそまされ 庭のふし松

(259) 不思議とも いふばかりなき ちかひかな 不思議不思議 言語道断

(260) ふたつとも みつともさかぬ 花なれば たゞ一乗の ほうがしは哉

(261) ふりにける 

軒端は余所に をとありて 苔よりをつる 玉あられかな

(262) ふりにける 

発願の 廻向といへる そのこゝろ 衆生摂取の すがたなりけり

(263) 郭公 なくとは人の つげしかど けふぞはじめて 聞や初音を

 

(264) みがけたゞ 心のともを たづぬれば よきもあしきも かゞみなりけり

(265) 弥陀たのむ 人の心を たづぬれば なむあみだ仏の うちにこそあれ

(266) 弥陀たのむ 人はつりする 舟なれや つみをつめども しづまざりけり

(267) 弥陀たのむ 人はね覚の 郭公 我名となふる あけぼのゝそら

(268) 弥陀たのむ わが身ばかりは 仏にて 人のこゝろは いかゞあるらん

(269) 弥陀をたゞ こゝろひとつに たのみなば 浄土の往生 うたがひはなし

(270) 弥陀をたゞ たのむこゝろの あるならば 浄土わうじやう 疑ひはなし

(271) 弥陀をたゞ たのむこゝろの はじめより 我とをこらぬ こゝろとぞしれ

(272) みな人の 寿像寿像と いひけれど 後にはつねに なげしにぞすむ

(273) みな人の 法のみちをば とはずとも せめては馬の 物がたりせよ

(274) 皆人の まことの信は さらになし ものしりがほの ふぜいばかりぞ

(275) みな人の みだの誓を たのみなば 西の浄土へ まひるとはしれ

(276) みな人の 弥陀をたのむと いふならば 月の夜舟の のりてわたらん

(277) みな人は 弥陀をたのまん 後の世は 月の舟路の ちかき彼岸

  (類) みな人は 弥陀をたのまん 後の世は 弘誓の舟に のらんとぞきけ

(278) みな人は 弥陀をたのめよ 後の世は まいらむかたは 浄土なるべし

(279) みねの松 谷のかしは木 いかなれば おなじあらしに おとかはりけり

(280) 名号は 如来の御名と 思しに 我往生の すがたなりけり

(281) むまれつく こゝろの罪は そのまゝに あらためたきは たのむ一念

(282) 妄念もうねんの まらうどびとは あらばあれ 南無阿弥陀仏を いゑぬしにして

(283) もえいづる しんゐのほのほ けしかねて われとのり行 火のくるまかな

(284) もろもろの ざふぎやうすてゝ みな人の おなじ心に 弥陀をたのめよ

 

(285) よしあしと おもふこゝろに あらそはで 弥陀をたのみて しやうたすかれ

(286) 世の中に いきはてぬとは しりながら ながいきしては むやくなりけり

(287) 世中の をくれさきだつ 定なさ いまぞ知ぬる 身こそつれなき

 

(288) るりの木に こがね花さく 極楽の なむあみだ仏は あかし也けり

 

(289) わかなをも としをつむにも 此春の 春のはじめの さかひなりけり

(290) わがねがひ 人のおもひも みつしほの ひかれてうかむ 波の下草

(291) 我死せば あはれとおもふ 人あらば 弥陀をたのみて 後生たすかれ

(292) 我なくて のちにあはれと おもひなば 弥陀をたのみて 後生たすかれ

(293) われなくと たれもこゝろを ひとむきに いそぎて弥陀を たのめみな人

(294) われなくは 誰も心を ひとつにて 弥陀をたのまん 身ともなれかし

(295) われなくは 誰もこゝろを ひとむきに 弥陀をたのみて 後生たすかれ

親鸞聖人等和歌-蓮如上人言行録収載-

【親鸞聖人】

  世中に あまの心を すてよかし め牛の角は さもあらばあれ

  鳥辺野を 思やるこそ 哀なれ ゆかりの人の 跡と思へば

【覚如聖人】

  今日ばかり おもふこゝろを わするなよ さなきはいとゞ のぞにおほきに

【存覚聖人】

  今はゝや 一夜の夢と なりにけり 往来あまたの かりのやどやど

 

本集成は、 蓮如上人自筆和歌「御文章」 所収の和歌大阪府願得寺蔵天正八年実悟書写本 (¬真宗聖教全書¼ 第五巻所収)、 大谷大学蔵寛文十年粟津元隅書写本大谷大学蔵浄徳寺版江戸時代刊本をそれぞれ底本とし、 言行録中の和歌についても収載した。
◎大阪府浄照坊蔵蓮如上人自筆御文章
◎大阪府慈願寺蔵蓮如上人自筆
◎石川県本泉寺蔵蓮如上人自筆御文章
◎石川県専光寺蔵蓮如上人自筆御文章
◎真宗大谷派蔵蓮如上人自筆御文章
◎奈良県本善寺蔵蓮如上人自筆御文章、 (10)は(11)の訂正前
◎奈良県本善寺蔵蓮如上人自筆御文章
◎本派本願寺蔵蓮如上人自筆御文章
◎奈良県個人蔵蓮如上人自筆御文章
◎本派本願寺蔵蓮如上人自筆
◎奈良県瀧上寺蔵蓮如上人自筆
◎大阪府願泉寺蔵蓮如上人自筆
◎奈良県個人蔵蓮如上人自筆御文章
◎奈良県本善寺蔵蓮如上人自筆
◎新潟県浄興寺蔵蓮如上人自筆
◎石川県本誓寺蔵蓮如上人自筆
◎大阪府願泉寺旧蔵蓮如上人自筆
◎奈良県本善寺蔵蓮如上人自筆
◎奈良県本善寺蔵蓮如上人自筆
◎奈良県本善寺蔵蓮如上人自筆
◎富山県称念寺蔵蓮如上人自筆
◎福井県教願寺蔵蓮如上人自筆
◎滋賀県善立寺蔵蓮如上人自筆
◎大阪府慈願寺蔵蓮如上人自筆
◎富山県行徳寺蔵蓮如上人自筆御文章
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