0471(189)
▼南无阿弥陀仏の体はすなはちこれ願行具足のいはれなりとしるべし。 また機法一体ともこれをまふすなり。 夫衆生ありて南无と帰命すれば、 すなはちこれ願のこゝろなり。 抑帰命といふは衆生の阿弥陀仏をたのみ後生たすけたまへとまふすこゝろなり。 すでに南无と帰命するところにおひて、 やがて願も行も機も法も一体に具足するいはれなるがゆへなればなり。 これによりて善導大師は、 「南无といふはすなはちこれ帰命なり、 またこれ発願廻向の義なり」 (玄義分) と釈す。 されば南无と帰命するところに、 すなはち願も行も具足せしむる道理なりとこゝろうべきものなり。 されば衆生の阿弥陀仏に後生たすけたまへとまふすこゝろは、 われらもおなじく阿弥陀仏とならんとねがひまふすこゝろなりとおもふべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。
豫が身体によそへてかくのごとくをかしきことをつらねはんべり。
老が身は 六字のすがたに なりやせん
願行具足の 南无阿弥陀仏なり
右今度寒中法敬坊・空善両人来臨之間、 為↠其願行具足のいはれ書↢記之↡者也。 能々可↠知↠之。
*明応七年十二月十五日
八十四歳
御判
法敬坊
両人中へ
空善