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南无阿弥陀仏と申はいかなる心にて候や、 又なにと弥陀をばたのみて報土往生をとぐべく候やらむ。 これを心得べきやうは、 まづ南无阿弥陀仏の六字のすがたをよくよくこゝろへて、 弥陀をたのむべし。 抑南无阿弥陀仏の体は、 すなはち我ら衆生の後生たすけたまへとたのみ奉る心なり。 すなはちそのたのむ衆生を阿弥陀仏のしろしめして、 すでに无上大利の功徳をあたへましますなり。 これをすなはち衆生に廻向したまへるといへるはこの心なり。 これによりて弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけまします法なるがゆへに、 機法一体の南无阿弥陀仏といへるはこの心なり。

*明応七年戊午子月五日書之

八十四歳御判

0440老楽の 立居につきての くるしみは
たゞねがはしきは 報土往生