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南无なもわあ弥陀みだぶちまうすはいかなるこゝろにてさふらふや。 然者しかればなに弥陀みだをたのみてほうわうじやうをばとぐべくさふらふらん。 これをこゝろべきやうは、 まづ南无なもわあ弥陀みだぶちろくのすがたをよくよくこゝろわけて、 弥陀みだをばたのむべし。 そもそも南无なもわあ弥陀みだぶちたいは、 すなはちわれらしゆじやうしやうたすけたまへとたのみまうすこゝろなり。 すなはちたのむしゆじやうわあ弥陀みだぶちのよくしろしめして、 すでにじやうだいどくをあたへましますなり。 これをしゆじやうかうしたまへるといへるはこのこゝろなり。 されば弥陀みだをたのむわあ弥陀みだぶちのたすけたまふほふなるがゆへに、 これをほふ一体ゐちたい南无なもわあ弥陀みだぶちといへるはこのこゝろなり。 これすなはちわれらがわうじやうのさだまりたるりき信心しんじむなりとはこゝろうべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

八十三歳

*明応六年五月廿五日書之訖