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▼南无阿弥陀仏と申はいかなる心にて候や。 然者何と弥陀をたのみて報土往生をばとぐべく候哉らん。 これを心得べきやうは、 まづ南无阿弥陀仏の六字のすがたをよくよく心得わけて、 弥陀をばたのむべし。 そもそも南无阿弥陀仏の体は、 すなはちわれら衆生の後生たすけたまへとたのみまうすこゝろなり。 すなはちたのむ衆生を阿弥陀仏のよくしろしめして、 すでに无上大利の功徳をあたへましますなり。 これを衆生に廻向したまへるといへるはこのこゝろなり。 されば弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけたまふ法なるがゆへに、 これを機法一体の南无阿弥陀仏といへるはこのこゝろなり。 これすなはちわれらが往生のさだまりたる他力の信心なりとはこゝろうべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。
八十三歳
*明応六年五月廿五日書之訖