(115)
▼さんぬる*文明七歳乙未八月下旬のころ、 豫生年六十一にして、 越前◗国坂北◗郡細呂宜郷のうち吉久名のうち吉崎の弊坊を、 にわかに便船のついでをよろこびて、 海路はるかに順風をまねき、 一日がけにとこゝろざして若狭の小浜に船をよせ、 丹波づたひに摂津国をとをり、 この当国当所出口の草坊にこえ、 一月二月、 一年半年とすぎゆくほどに、 いつとなく三とせの春秋ををくりしことは、 昨日今日のごとし。 この方にをいて居住せしむる不思議なりし宿縁あさからざる子細なり。 しかるにこの三ヶ年のうちをばなにとしてすぐるらんとおぼへはんべりしなり。 さるほどに京都には大内在国によりて、 おなじく土岐大夫なんども在国せるあひだ、 都は一円に公方がたになりければ、 いまのごとくは天下泰平とまふすなり。 命だにあればかゝる不思議の時分にもあひはんべり、 めでたしといふもなをかぎりあり。 しかるあひだ愚老年齢つもりて六十三歳となれり。 いまにをいて余命いくばくならざる身なり。 あはれ人間はおもふやうにもあるならば、 いそぎ安養の往詣をとげ、 すみやかに法性の常楽をもさとらばやとおもへども、 それもかなはざる世界なり。 しかれども一念歓喜の信心を仏力よりもよほさるゝ身になれば、 平生業成の大利をうるうへには、 仏恩報尽のつとめをたしなむときは、 また人間の栄耀ものぞまれず、 山林の閑窓もねがはれず、 あらありがたの他力本願や、 あらありがたの弥陀の御意やとおもふばかりなり。 このゆへに願力によせてかやうにつゞけけり。
六十あまり をくりし年の つもりにや
弥陀の御法に あふぞうれしき
あけくれは 信心ひとつに なぐさみて
ほとけの恩を ふかくおもへば
と0381口ずさみしなかにも、 また善導の釈に、 「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」 (礼讃) の文のこゝろをしづかに案ずれば、 いよいよありがたくこそおぼへはんべれ。 またあるときは念仏往生は宿善の機によるといへるは、 当流の一義にかぎるいはれなれば、 われらすでに无上の本願にあひぬる身かともおもへば、 「遇獲信心遠慶宿縁」 (文類聚鈔) と上人のおほせにのたまへば、 まことに心肝に銘じ、 いとたふとくもおもひはんべり。 とにもかくにも自力の執情によらず、 たゞ仏力の所成なりとしらるゝなり。 もしこのたび宿善開発の機にあらずは、 いたづらに本願にもしあはざらん身ともなりなんことのかなしさをおもへば、 まことにたからの山にいりてむなしくしてかへらんににたるべし。 さればこゝろあらんひとびとはよくよくこれをおもふべし。
さるほどに今年もはや十二月廿八日になりぬれば、 またあくる春にもあひなまし。 かゝるあだなる人間なれば、 あるとおもふもなしとおもふもさだめなし。 されどもまたあらたまる春にもあはんことは、 まことにうれしくめでたくもおもひはんべるものなり。
いつまでと をくる月日の たちゆけば
また春やへん 冬のゆふぐれ
とうち詠じてすぎぬるにはや、 文明九年の冬も十二月廿八日になりぬれば、 愚老も六十三歳なり。 さるほどに改年してまた*文明十一年正月廿九日、 河内国茨田◗郡中振◗郷山本のうち出口中村の番といふところより上洛して、 山城◗国宇治◗郡小野◗庄山科のうち野村西中路に住すべき分にて、 しばらく当所に逗留して、 *そ0382のゝち和泉の堺に小坊のありけるをとりのぼせてつくりをき、 兎角してまづ新造に馬屋をとりたて、 そのまゝ春夏秋冬なにとなくうちくれぬ。 しかれば愚老は年齢つもりていまは六十四歳ぞかし。 前住円兼には年は二つまされり、 しかるあひだくるゝ月日のたちゆくほどなさをつらつら案ずるにつけても、 仏法・世法のなにごとにいたるまでも、 祖師開山の御恩徳ふかきこと雨山のごとくして、 まことにたとへをとるにものなし。 これによりてあまりのことにせめて詠歌にもよそへてかやうにおもひつゞけけり。
ふる年も くるゝ月日の 今日までも
いづれか祖師の 恩ならぬ身や
とおもひなぞらへても、 わが身のいままでひさしくいのちながらへたることの不思議さをまたおもひよせたり。
六十あまり をくりむかへる よはひにて
春にやあはん 老のゆふぐれ
とうちずさみければ、 はやほどなく天はれ、 あくる朝の初春にもなりぬ。 正月一日のことなれば、 上下万民祝言以下ことすぎて、 にわかに天くもり雨ふりて、 なる神おびたゞしくなりわたりければ、 年始とはいひながらひとびともみな不思議の神かなといひけるおりふし、 不図こゝろにうかむばかりに、 とりあへず発句を一はじめけり。 その句にいはく、
あらたまる 春になる神 はじめかな
とひとり連歌をしてぞありけるなかにも、 また案じいたすやう、 愚老はかんがふれば当年は六十五歳になりければ、 祖父玄康は六十五歳ぞかし。 しかれば豫もおなじ年なり。 不思議にいままでいきのびたるものかなとおもへば、 親父にも年はまされり、 祖父には同年なれば、 ひとつはうれしくおもひ、 または冥加といひ、 かたがたもてまことにいのち果報いみじともいふべき歟0383。 これにつけてもかくのごとく口のついでに片腹いたくもまたづゞけたり。
祖父の年と おなじいのちの よはひまで
ながらふる身こそ うれしかりけれ
とこゝろひとつにおもひつゞけてゆくほどに、 なにとなく正月も二日すぎ、 五日にもなりぬれば、 竺一撿挍当坊へはじめて年始の礼にきたりけるついでに、 祝言已後まうしいだし、 さても正月一日の神のなりける不思議さをかたりはんべしりに、 そのとき件の発句をいひいだしければ、 やがて撿挍当座に脇をつけけり。
うるほふ年の 四方の梅がへ
とぞつけはんべりき。 そののち兎角するほどに、 *正月十六日にもなりしかば、 春あそびにもやとて、 林のなかにあるよき木立の松をほりて庭にうへ、 また地形の高下をひきなをしなんどしてすぎゆくほどに、 三月はじめのころかとよ、 和泉の堺に小坊のありけるをとりのぼせて、 これを新造と号してつくりをき、 そのゝちうちつゞき造作するほどに、 また摂州・和泉◗堺に立置し古坊をこぼちとり、 寝殿につくりなしけるほどに、 とかくしておなじき*四月廿八日にははや柱立をはじめて、 昨日今日とするほどに、 なにとなく八月ごろはかたのごとく周備の体にて庭までも数寄の路なれば、 ことごとくはなけれどもつくりたてければ、 おりふし九月十二夜のことなるに、 あまりに月おもしろかりければ、 なにとなく東の山をみて、 かやうに思案もなくうかむばかりにつらねけり。
小野山や おほやけづゞく 山科の
ひかりくまなき 庭の月かげ
と0384われひとりうち詠ぜしばかりなり。 さるほどに春夏もさり秋もすぎ冬にもなりぬれば、 すぎにし炎天のころのことどもをおもひいでしにつけても、 よろず春のころより冬のころにいたるまで、 普請作事等に退転なくみなみなこゝろをつくせしこと、 いまにおもひいだすにみなゆめぞかし。 これにつけてもいよいよ豫が年齢つもりて、 いまはかみ・ひげしろくなりて、 身心逼悩して手足合期ならずして、 すでに六十有余のよはひにをよべり。 されば親父にも年齢はまさりたるばかりにて、 さらになにの所詮もなし。 これについても、 あはれ人間は常相なきさかひとは覚悟しながら、 わが機にまかするものならば、 かゝるあさましき世界にひさしくあらんよりは、 早速に法性真如のみやことてめでたき殊勝の世界にむまれて、 无比の楽をうけんことこそ、 まことに本意としてねがはしけれども、 それもかなはぬさかひとて、 昨日もすぎ今日もくらすことのかなしさくちおしさよ。 されば老体の身のならひとして、 ひるはひねもすに万事にうちまぎれ、 夜はまたあけがたの鳥なくころより目はさめて、 そのまゝいねいる夜はまれなり。 これによりて ¬朗詠¼ 詞にこのことをかゝれたり。 そのことばにいはく、
「老眠早 覚 常 残↠夜病力先衰 不↠待↠年 」 といへり。 まことにいまこそこの詩のこゝろに身をもおもひあはせられてあはれなり。 これについていよいよ三国の祖師・先徳の伝来して、 仏法の次第をしらしめたまふこともおもはれ、 別しては上人の勧化にあふ宿縁のほどもことにありがたく、 また六十有余のよはひまでいきのびしことも、 ひとへに仏恩報尽の義もますますこれあるべき歟とおもへば、 なをなを心肝に銘じて、 いとたふとくもまたよろこばしくもおもひはんべるものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。
文明十一 十二月 日