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▼*文明十歳孟春下旬中之十日比かとよ、 河内国茨田の郡中振郷山本之内出口の村中の番と云所より上洛して、 当0378国宇治郡小野庄山科野村西中路に住所をかまへて、 其後程へて先新造に馬屋をつくり、 其年は春夏秋冬無幾程打暮しぬ。 然れば愚老が年齢つもりて今は六十四歳ぞかし。 先師には年二つまされり、 更以其いき甲斐もなき身也。 而間くるゝ月日の立行ほどなさをつらつら案ずるに付ても、 仏法も世間も何事に至までも、 祖師開山之御恩徳の深事雨山のごとくして、 たとへを取るに物なし。 依之余の事にせめて詠歌にもよそへて加様に思つゞけゝり。
ふる年も くるゝ月日の 今日までも
なにかは祖師の 恩ならぬ身や
と思ひなぞらへても、 我身の今までも久く命のながらへたる事の不思議さを又思ひよせたり。
六十地あまり おくりむかふる 命こそ
春にやあはん 老の夕ぐれ
と打ずさみければ、 無程はや天はれ、 あくる朝の初春にもなりぬ。 正月一日の事なれば、 上下万民祝言以下事すぎて後、 俄に天くもり雨ふりて、 なる神おびたゞしくなりわたりければ、 年始とはいひながら人々もみな不思議の神哉と思ける折節、 風度心にうかむばかりに、 とりあへず発句を一つはじめけり。 其句にいはく、
あらたまる 春になる神 初哉
とひとり発句をしてぞありける中にも、 又案じ出す様は、 愚老は当年しかと六十五歳になりければ、 祖父玄康は六十五歳ぞかし。 然れば豫も同年なり。 不思議に今までいきのびたる命かなと思へば、 親にも年はまされり、 祖父には同年なれば、 一はうれしきおもひ、 又は冥加と云、 旁以誠に命果報いいじとも可謂歟。 これにつけても加様に口ついでにかた腹いたくもつゞけたり。
祖父の年と 同じよはひの 命まで
ながらふる身ぞ うれしかりける
と0379心ろ一に思つゞけて行く程に、 何となく正月も二日すぎ、 五日にもなりぬれば、 竺一撿挍当坊へはじめて年始の礼にきたりけるついでに、 祝言已後に、 さても正月一日の神のなりける不思議さをかたり侍べりしに、 其時件の発句を云出しければ、 やがて撿挍当座にわきを付けり。
うるほふ年の 四方の梅がへ
とぞ付け侍べりき。
其後兎角する程に、 *正月十六日にもなりしかば、 春あそびにやとて、 林の中にあるよき木立の松をほりて庭にうへ、 又地形の高下を引なほしなんどして過行ほどに、 三月頃かとよ、 向所を新造につくりたてゝ、 其後打うゞきせゝり造作のみにて、 四月初比より摂州・和泉の境に位置し古坊をとりのぼせ、 寝殿まねかたに作りなしけるほどに、 兎角して*同四月廿八日にははや柱立をはじめて、 昨日今日とするほどに、 無何八月比は如形周備の体にて庭までも数寄の路なれば、 ことごとくなけれども作り立ければ、 折節九月十二日夜の事なるに、 あまりに月くまなくおもしろかりければ、 なにとなく東の山を見て、 か様に思案もなくうかむばかりにつらねたり。
小野寺や ふもとは山科 西中野村
ひかりくまなき 庭の月影
と、 我ひとり打詠ぜしばかりなり。 さる程に春夏もさり秋もすぎ、 冬にもなりぬれば、 過にし炎天の比之事を思出でしに付ても、 万づ春之比より冬之此比に至るまで、