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▼去*文明七歳
六十あまり おくりし年の つもりにや
弥陀の御法に あふぞうれしき
あけくれは 信心ひとつに なぐさみて
ほとけの恩を ふかくおもへば
と口ずさみしなかにも、 又善導の釈に、 「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩」 (礼讃) の文の意を静に案ずれば、 いよいよありがたくこそ覚侍れ。 又或時は念仏往生は宿善の機によるといへるは、 当流の一義にかぎるいはれなれば、 我等すでに无上の本願にあひぬる身かともおもへば、 「遇獲信心遠慶宿縁」 (文類聚鈔) と上人の仰にのたまへば、 まことに心肝に銘じ、 いとたふとくも又おぼつかなくも思侍べり。 とにもかくにも自力の執情によらず、 たゞ仏力の所成なりとしらるゝなり。 若このたび宿善開発の機にあらずは、 いたづらに本願にあはざらん事のかなしさをおもへば、 誠に宝の山に入てむなしくかへらんににたるべし。 されば心あらん人々はよくよくこれをおもふべし。 さるほど0372に今年もはや十二月廿八日になりぬれば、 又あくる春にもあひなまし。 あだなる人間なれば、 あるかと思ふもなしとおもふもさだめなし。 されども又あらたまる春にもあはん事は、 誠に目出もおもひ侍べるものなり。
いつまでと をくる月日の たちゆけば
いく春やへし 冬のゆふぐれ
と如此文体之おかしきをかへりみず、 寒天間炉辺にありて、 徒然のあまり老眼をのごひ翰墨にまかせ書之者也。 穴賢、 穴賢。
于時文明第九 丁酉 極月廿九日
愚老六十三歳