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抑今月廿八日は忝も聖人毎年の御正忌として于今退転なく、 その御勧化をうけしやからは、 いかなる卑劣のものまでも、 その御恩をおもんじまふさぬ人これあるべからず。 しかるに豫去文明第三の暦夏の比より、 江州志賀郡大津三井のふもとをかりそめながらいでしよりこのかた、 此当山に幽栖いうせいカスカナをしルスミカめて、 当年文明第五の当月の御正忌にいたるまで存命せしめて、 不思議に当国・加州の同行中にその縁ありて、 同心のよしみをもてかたのごとく両三ヶ度まで報恩謝徳のまことをいたすべき条、 よろこびてもなをよろこぶべきは此時なり。 依之今月廿一日の夜より聖人の知恩報徳の御仏事を加賀・越前の多屋の坊主達の沙汰として勤仕まふさるゝについて、 まづ心得らるべきやうは、 いかに大儀のわづらひをいたされて御仏事を申るといふとも、 当流開山聖人のすゝめましますところの真実信心といふことを決定せし0277むる分なくは、 なにの篇目もあるべからず。 まことにもて 「水いりてあかおちず」 なんどいへる風情たるべき歟。 そのゆへはまづ他力の大信心といへる事を決定してのうへの仏恩報尽とも師徳報謝とも申べき事なり。 たゞ人まねばかりのていはまことに所詮なし。 しかりといへどもいまだ今日までもその信心を決定せしむる分なしといふとも、 あひかまへて明日より信心決定せしめば、 それこそまことに聖人の報恩謝徳にもあひそなはりつべくおぼへはんべれ。 このおもむきをよくよくこゝろゑられて、 この一七ヶ日のあひだの報恩講のうちにおいて、 信不信の次第分別あらば、 これまことに自行化他の道理なり。 別しては聖人の御素懐にはふかくあひかなふべきものなり。

于時文明第五霜月廿一日書之

[五十地に あまる年まで ながらへて
この霜月に あふぞうれしき

みとせまで 命のながきも 霜月の
のりにあひぬる 身こそたふとき

のちのとし また霜月に あはんこと
いのちもしらぬ わが身なりけり]