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抑十悪・五逆の輩も、 五障・三従の女人も、 たゞもろもろの雑行のこゝろをうちすてゝ一すぢに弥陀の本願を信じ、 阿弥陀如来後生たすけたまへとふかくたのまむ人は、 みなことごとく極楽に往生すべき事、 さらさらうたがひあるべからず。 これすなはち我らが一念の往生さだまりたるこゝろなりとおもふべし。 このうへにはたゞ行住座臥に後生をやすくたすめまします弥陀如来の御恩のありがたさたふとさをおもひまいらせて念仏申べし。 このほかには別の子細あるべからざるものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

[このごろは 八十地やそぢにあまる ふゆくれて
はるをもまたぬ をいらくのや]

明応七年九月廿八日

八十四歳

右此如「御文」可有信心決定候。 能々此通門徒中可有勧化事肝要候。

  御判

御判も上様の御はん也。
上様の以御筆直うつし申候也。 正本侍加州本光寺候也。