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そもそも十悪じふあくぎやくといふつみふかきひとも、 またしやうさむしよう女人によにんも、 もろもろのざふぎやうをうちすてゝ、 一心ゐちしむわあ弥陀みだ如来によらいにむかひたてまつりてこむしやうをたすけたまへと、 ひしとたのみまうさんひとは、 十人じふにんひやくにんもみなことごとく極楽ごくらくじやうわうじやうすべきこと、 さらにうたがふこゝろつゆちりほどもあるべからず。 このほかにはたゞねてもさめても南无なもわあ弥陀みだぶちとまふすこゝろはなにとしたるこゝろぞといふに、 たとへば一念ゐちねむわあ弥陀みだぶちをたのみたてまつるところに、 なにのわづらひもなくやすくたすけまします弥陀みだ如来によらいおんのありがたさたふとさをおもひまいらせて念仏ねむぶちまうすべし。 これをすなはち弥陀みだ如来によらいおん報謝ほうしや念仏ねむぶちとはまうすこゝろなりとおもふべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

明応七年極月上旬第八日書之