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抑今月廿八日は開山聖人遷化之御正忌として、 往古より毎年をいはず、 此一七ヶ日之念仏勤行その退転なく、 報恩謝徳之忠勤をぬきいづるところなり。 而る だ来集之門葉之類の身上に於て報恩謝徳之懇志をはこぶといへ0406ども、 一念他力の真実信心を心底にをさめざらん輩にをいては、 いかなるたいをつくして報恩謝徳をいたすといふとも、 其 し祖師聖人之御素意にも相叶がたき者也。 此道理を能々分別して、 報謝の志をば各々いたすべし。 たゞ人まねばかりにして、 名門のこゝろをかまへて、 そこばくの大義をおこし、 はるばるの遠路をしのぎ、 此寒天に上洛をいたすといふとも、 誠以 「水入て垢をちず」 といへることはりにあたりて、 以て かいたづら となり。 しかりといへどもたとひ今日までも其こゝろわろくして未安心之人ならば、 則ち当座にをいてその不審をいたし、 その真実の信心をとらんとおもふべし。 たゞ座帯にあつまりて、 无言之体にて悪心をも改悔廻心せずしてたらん輩は、 まことにあさましき次第なり。 此趣を分別して他力金剛の真実信心を獲得せんと思はゞ、 誠以今月聖人の報恩謝徳にもあひかなふべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

文明十三年十一月廿四日

このこと葉 かきをく筆の 跡をみて
法のこゝろの ありもとぞせよ