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文明九 丁酉 二月廿四日、 尾州鳴戸の紀伊法師、 秘事法門懺悔詞にいはく、

野寺少輔殿、 其方に御座候て、 仏法繁昌推量申候。 乍去其方の仏法と少し相違の様に存候。 其故は ¬華厳経¼ (意) にも、 「三界唯一心 心外無別法 心仏及衆生 是三無差別」 とも、 又 ¬弥陀経義疏論¼ にも、 いまこの仏の本願は僧祗の行をもへず、 一行の劫をもはこばず、 たゞ一念におんこうてんとうのさうをけして凡身をあらためずして仏心を生ず。 これすなはち頓が中の頓也。 又真言・止観の頓は、 頓と名くといへども猶漸也、 断悪を論ずるがゆへなり。 浄土の頓は、 頓が中の頓也、 断常を論ぜざるがゆへなり。 又 ¬浄土論¼ には 「くわほうりにしゆきげんくわ(果報離二種譏嫌過)」 とも、 又自と他と心意凡聖不二とも、 又 ¬法事讃¼ (五会法事讃巻本意) には 「曠劫已来流浪共 随縁六道受輪廻 不遇往生善知識 唯能相勧得廻帰」 とも、 又 ¬和讃¼ (高僧和讃) には 「西路を指授せしかども 自障々他せしほどに 曠劫已来もいたづらに 虚くこそはすぎにけれ」。 又 「信心よろこぶその人を 如来とひとしととき給ふ 大信心は仏性なり 仏性はすなはち如来なり」 (浄土和讃) と。 又 「如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識0355の恩徳も ほねをくだきても報ずべし」 (正像末和讃意)。 思ふほどはことばには出ず候。 これにてよくよくおしはからわせられ候べく候。

源左衛門殿 進之条

野寺同宿 誓珍

如此のとをりをつたへらるゝを以て、 滅後の如来とたのみ申候。 又かくのごとくの理をひとたびうけとり候ひて、 二度他言すまじきとかたく誓文を仕候。 これをもて信心と存おき申候。
秘事法門人数事 美濃国分

平右衛門 たるゐ道善下 了専 福田寺下 伊賀 道善下
左衛門太郎 浄妙寺下 九郎左衛門 平右衛門兄弟道善下
新右衛門 道善下 三郎右衛門 仏光寺下

 成戸順光 秘事法門次第也

序題門云、 「言弘願者如大経説一切善悪凡夫得生者莫不皆乗阿弥陀仏大願業力為増上縁也」 (玄義分) と云て、 大願業力に乗ずるがゆへに、 増上縁となるがゆへに、 信心なくとも仏になるべしと心得て念仏申すべし。

又云、 草木国土悉皆成仏の道理にてある間、 人間衆生は成仏の道理なれば、 うたがひなく成仏すべしと心得べし。

草木も 仏に成と きく時は
心ある身は たのもしき哉

浄順が流にいはく、
 法報応の三身を一体に具足すべしとつたふる也。
まづ法身と者こゝろ也。 報身と者ことば、 応身と者我すがた也。 此0356三身を我心の一体の内に具足するが故に、 絵像・木像の仏を礼するをもて雑行と也。

文明三年之比、 件誓珍・香珍両人、 大外道之者、 おはり境、 みのゝ国脇田江西願寺に、 秘事法門之かいしきをいひて、 其詞云、 勧化をはなれて勧化につけ、 人におしへられぬ信をとれ。 此信を取事は、 おぼろげの縁、 おろかなる志にてはとげがたし。 人におしへられてとる信は、 それは教の方とておかしき法門なり。 これをよくよくこゝろうべし、 しづかに思量すべしといへりと 云々

文明九年後正月十二日書之