◎蓮如上人御一代記聞書 本
(1)
^*
(2)
^朝の勤行で、 ¬*
月かげのいたらぬさとはなけれども
ながむるひとのこころにぞすむ
月の光の届かないところは一つとしてないが、 月はながめる人の心にこそやどる。
という歌とを引きあわせてお話しになりました。 ^そのありがたさはとても言葉に表すことができません。 蓮如上人が退出された後で、 *
(3)
^勤行のとき蓮如上人が、 ご*
(4)
^「ª*
(5)
^蓮如上人は、 「ご本尊は破れるほど掛けなさい、 お聖教は破れるほど読みなさい」 と、 対句にして仰せになりました。
(6)
^「※南無というのは帰命のことであり、 帰命というのは弥陀を信じておまかせする心である。 また、 南無には発願回向の意味もある。 発願回向というのは、 弥陀を信じておまかせするものに、 ただちに弥陀の方からこの上なくすばらしい善根功徳をお与えくださることである。 それがすなわち南無阿弥陀仏である」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(7)
^
(8)
^*
(9)
^「¬*
(10)
^「¬安心決定鈔¼ に、 ª※弥陀の大悲が、 迷いの世界につねに沈んでいる*
(11)
^十月二十八日の*
(12)
^「お聖教を十分に学び覚えたとしても、 *
(13)
^*明応三年十一月、 *
(14)
^「人を教え導こうとするものは、 まず自分自身の信心を決定した上で、 お聖教を読んで、 そのこころを語り聞かせなさい。 そうすれば聞く人も信心を得るのである」 と仰せになりました。
(15)
^「弥陀におまかせして救われることがたしかに定まり、 そのお救いいただくことをありがたいことだと喜ぶ心があるから、 うれしさのあまりに念仏するばかりである。 すなわち仏恩報謝である」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(16)
^ご子息の*
(17)
^十二月六日に、 蓮如上人が山科の*
(18)
^「ときとして、 おこたりなまけることがある。 これでは往生できないのではなかろうかと疑い嘆くものもあるであろう。 けれども、 すでに弥陀をひとたび信じておまかせし、 往生が定まった後であれば、 なまけることの多いのは恥しいことであるが、 このようになまけることの多いものであっても、 お救いいただくことは間違いない。 そのことをありがたいことだ、 ありがたいことだと喜ぶ心を、 弥陀の本願のはたらきにうながされておこる心というのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(19)
^「すでにお救いいただいた、 ありがたいことだと念仏するのがよいのでしょうか、 それとも、 間違いなくお救いいただく、 ありがたいことだと念仏するのがよいのでしょうか」 とお尋ねしたところ、 蓮如上人は、 「どちらもよい。 ただし、 仏になるべき身に定まったという正定聚の利益においては、 すでにお救いいただいたと喜ぶ心であり、 浄土に往生して必ず仏のさとりを開くという滅度の利益においては、 お救いいただくことに間違いはない、 ありがたいことだと喜ぶ心である。 どちらも仏になることを喜ぶ心であって、 ともによいのである」 と仰せになりました。
(20)
^*明応五年一月二十三日に、 蓮如上人は、 摂津富田の教行寺より京都山科の本願寺に戻られて、 「今年から、 信心のないものには会わないつもりである」 と、 きびしく仰せになりました。 そして、 *
(21)
^四月九日に、 蓮如上人は、 「安心を得た上で、 ご法義を語るのならよい。 安心に関わりのないことを語るべきではない。 弥陀を信じておまかせする心を十分に人にも語り聞かせなさい」 と、 わたくし空善に対して仰せになりました。
(22)
^四月十二日に、 蓮如上人は堺の信証院へ出向かれました。
(23)
^七月二十日に、 蓮如上人は京都山科の本願寺に戻られ、 その日のうちに、 ¬高僧和讃¼ の、
五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて
ながく生死をすてはてて 自然の浄土にいたるなれ
さまざまな濁りに満ちた悪世に生きるわたしたちこそ、 決して壊れることのない他力の信心ただ一つで、 永久に迷いの世界を捨てて、 阿弥陀仏の浄土に往生するのである。
を引いてご法話をされ、 さらに次の、
金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ
弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける
決して壊れることのない他力の信心が定まるそのときに、 弥陀の光明はわたしたちを摂め取り、 永久に迷いの世界を離れさせてくださる。
の和讃についてもご法話をされました。 そして、 「この※二首の和讃のこころを語り聞かせたいと思って、 京都に戻ってきた」 と仰せになり、 「ª自然の浄土にいたるなりº ªながく生死をへだてけるº とお示しくださっている。 何とまあ、 うれしく喜ばしいことではないか」 と、 繰り返し繰り返し仰せになりました。
(24)
^「ª南無º の ª無º の字を書くときには、 親鸞聖人の書き方を守って、 ª旡º の字を用いている」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 そして、 「南旡阿弥陀仏」 を*
(25)
十方無量の諸仏の 証誠護念のみことにて
自力の大菩提心の かなはぬほどはしりぬべし
すべての世界の数限りない仏がたは、 真実の言葉で本願他力の救いをお示しになり、 お護りくださる。 そのお言葉によって、 自力でさとりを求めてもさとりを開くことはできないと知られるのである。
という一首のこころを聴聞させていただきたいのです」 と、 順誓が申しあげたとき、 蓮如上人は、 「※仏がたはみな弥陀に帰して、 本願他力の救いをお示しになるのを役目とされているのである」 と仰せになりました。
^また、 上人は仰せになりました。
「※世のなかにあまのこころをすてよかし
この濁った世において、 出家して尼になりたいなどという心は捨てるがよい。 牝牛の角は曲がっているけれども、 それはそれでよいのである。
という歌がある。 これはご開山聖人のお詠みになった歌である。 このように外見の姿かたちはどうでもよいことであり、 ただ弥陀におまかせする信心が大切であると心得なさい。 世間にも ª頭は剃っていても心を剃っていないº という言葉がある」 と。
(26)
^鳥辺野をおもひやるこそあはれなれ
ゆかりの人のあととおもへば
*
という歌がある。 これも親鸞聖人のお詠みになった歌である。
(27)
^明応五年九月二十日、 蓮如上人は、 ご開山聖人の御影像をわたくし空善に下され、 ご安置することをお許しになりました。 そのありがたさはとてもいい尽せないほどでした。
(28)
^同じ年の十一月、 報恩講期間中の二十五日に、 ご開山聖人の御影像の前で蓮如上人が ¬*
(29)
^*明応六年四月十六日、 蓮如上人は京都山科の本願寺に戻られました。 その日、 厚めの紙一枚に丁寧に包まれているご開山聖人の*
(30)
^「¬高僧和讃¼ に、
諸仏三業荘厳して 畢竟平等なることは
衆生虚誑の身口意を 治せんがためとのべたまふ
仏がたのすべての行いがまことで清らかであり、 まったく平等であるのは、 衆生の嘘やいつわりの行いを破ってお救いになるためであると、 *
というのは、 仏がたはみな弥陀一仏に帰して、 衆生をお救いになるということである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(31)
^「信心を得て、 その後信心が続くというのは、 決して別のことではない。 最初におこった信心がそのまま続いて尊く思われ、 その信心が生涯貫くのを、 ª憶念の心つねにº とも ª仏恩報謝º ともいうのである。 だから、 弥陀におまかせする信心をいただくことが何よりも大切なのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(32)
^朝夕に ª正信偈和讃º をおつとめして念仏するのは、 往生の因となると思うか、 それともならないと思うか」 と、 蓮如上人が僧たち一人一人にお尋ねになりました。 これに対して、 「往生の因となると思う」 というものもあり、 また、 「往生の因とはならないと思う」 というものもありましたが、 上人は、 「どちらの答えもよくない。 ª正信偈和讃º は、 衆生が弥陀如来を信じておまかせし、 この信心を因として、 このたび浄土に往生させていただくという道理をお示しくださったものである。 だから、 そのお示しをしっかりと聞いて信心を得て、 ありがたいことだ、 ありがたいことだと親鸞聖人の御影像の前で喜ぶのである」 と、 繰り返し繰り返し仰せになりました。
(33)
^「南無阿弥陀仏の六字は、 この上なくすばらしい善根功徳をそなえたものであるから、 他宗では、 この名号を称えて、 その功徳をさまざまな仏や菩薩や神々に差しあげ、 名号の功徳を自分のもののようにするのである。 けれども、 浄土真宗ではそうではない。 この六字の名号が自分のものであるなら、 これを称えてその功徳を仏や菩薩に差しあげることもできるだろうが、 名号はわたしたちが阿弥陀仏からいただいたものである。 だから、 わたしたちは、 ただ仰せのままに浄土に往生させてくださいと弥陀を信じておまかせすれば、 ただちにお救いいただくのであり、 そのことをありがたいことだ、 ありがたいことだと喜んで、 念仏するばかりである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(34)
^*
(35)
^順誓が蓮如上人に、 「信心がおこったそのとき、 罪がすべて消えて往生成仏すべき身に定まると、 上人は*
(36)
^「¬正像末和讃¼ に、
真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば
不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる
真実信心の*
とある。 弥陀におまかせする信心も、 また、 尊いことだ、 ありがたいことだと喜んで念仏する心も、 すべて弥陀よりお与えくださるのであるから、 わたしたちが、 ああしようかこうしようかとはからって念仏するのは自力であり、 だから退けられるのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(37)
^無生の生とは、 極楽浄土に生れることをいうのである。 浄土に生れるのは、 迷いの世界を生れ変り死に変りし続けるというような意味ではなく、 生死を超えたさとりの世界に生れることである。 だから、 極楽浄土に生れることを無生の生というのである。
(38)
^「回向というのは、 弥陀如来が衆生をお救いくださるはたらきをいうのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(39)
^「※信心がおこるということは、 往生がたしかに定まるということである。 罪を消してお救いくださるのであろうとも、 罪を消さずにお救いくださるのであろうとも、 それは阿弥陀如来のおはからいである。 わたしたちが罪についてあれこれいうことは無意味なことである。 弥陀は、 信じておまかせする衆生を※もとよりめあてとしてお救いくださるのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(40)
^「※身分や地位の違いを問わず、 このようにみなさんと同座するのは、 親鸞聖人も、 すべての世界の信心の人はみな兄弟であると仰せになっているので、 わたしもその通りにするのである。 また、 このように膝を交えて坐っているからには、 遠慮なく疑問に思うことを尋ねてほしい、 しっかりと信心を得てほしいと願うばかりである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(41)
^「*
(42)
^ある日の夕暮れどき、 多くの人が取り次ぎも頼まずにやって来ました。 慶聞坊がそれをとがめて、 「何ごとか、 すぐに退出しなさい」 と荒々しく叱りつけたところ、 蓮如上人がそれをお聞きになって、 「そのように叱るかわりに信心について語り聞かせて帰してやってほしいものだ」 と仰せになりました。 そして上人が、 「信心のことは東西に走り回ってでも話して聞かせたいことである」 と仰せになると、 慶聞坊は涙を流し、 「間違っておりました」 とお詫びして、 信心についてご法話をされました。 その場にいた人々はみな感動して、 とめどなく涙があふれ出たのでした。
(43)
^明応六年十一月、 この年蓮如上人は山科本願寺の報恩講においでにならないことになったので、 実如上人が*
(44)
^*明応七年の*夏より、 蓮如上人はまたご病気になられたので、 五月七日、 「この世でお別れのご挨拶をするために親鸞聖人の御影前にお参りしたい」 と仰せになって、 京都山科の本願寺にお戻りになりました。 そしてすぐに、 「信心を得ていないものにはもう会わない。 信心を得たものには呼び寄せてでも会いたい、 ぜひとも会おう」 と仰せになりました。
(45)
^※新しい時代の人は、 昔のことを学ばなければならない。 また、 古い時代の人は、 昔のことをよく伝えなければならない。 口で語ることはその場限りで消えてしまうが、 書き記したものはなくならないのである。
(46)
^*
(47)
^「自分の心のおもむくままにしておくのではなく、 心を引き締めなければならない。 そうすると仏法はきづまりなものかとも思うが、 そうではなく、 阿弥陀如来からいただいた信心によって、 心のなごむものである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(48)
^法敬坊は九十の年までご存命でありました。 その法敬坊が、 「この年になるまで仏法を聴聞させていただいたが、 もう十分聞いた、 これまでだと思ったことはない。 仏法を聴聞するのに飽きた、 足りたということはないのである」 といわれました。
(49)
^山科の本願寺で蓮如上人のご法話があったとき、 あまりにもありがたいお話であったので、 これを忘れるようなことがあってはならないと思い、 六人のものがお座敷を立って御堂に集まり、 ご法話の内容について話しあいをしたところ、 それぞれの受け取り方が異なっていました。 そのうちの四人は、 ご法話の趣旨とはまったく違っていました。 聞き方が大切だというのはこのことです。 聞き誤りということがあるのです。
(50)
^蓮如上人がおいでになったころ、 上人のもとに、 熱心に法を聞こうとする人々も大勢集まっていた中で、 「この中に、 信心を得たものが何人いるであろうか。 一人か二人か、 いるであろうか」 などと仰せになり、 集まっていた人々はだれもかれも驚いて、 「肝をつぶしました」 といったということです。
(51)
^法敬坊が、 「ご法話を聞くときには、 何もかも同じように聞くのではなく、 聴聞はかどを聞け」 といわれました。 これは、 肝心かなめのところをしっかりと聞けということです。
(52)
^¬報恩講私記¼ に 「憶念称名いさみありて」 とあるのは、 称名は喜びいさんでする念仏だということである。 信心をいただいた上は、 うれしさのあまりいさんで称える念仏なのである。
(53)
^御文章について、 蓮如上人は、 「お聖教というものは、 意味を取り違えることもあるし、 理解しにくいところもある。 だが、 この*
(54)
^「浄土真宗のみ教えを、 この年になるまで聴聞し続け、 蓮如上人のお言葉を承っているが、 ただ、 わたしの愚かな心が、 そのお言葉の通りにならない」 と、 法敬坊はいわれました。
(55)
^実如上人がたびたび仰せになりました。 「ª仏法のことは、 自分の心にまかせておくのではなく、 心がけて努めなければならないº と蓮如上人はお示しになった。 愚かな自分の心にまかせていては駄目である。 自分の心にまかせず、 心がけて努めるのは阿弥陀仏のはたらきによるのである」 と。
(56)
^浄土真宗のみ教えを聞き知っている人はいるけれども、 自分自身の救いとして聞くことができる人はほとんどいないという言葉がある。 これは、 信心を得るものがきわめて少ないという意味である。
(57)
^蓮如上人は、 「仏法のことを話しても、 それを世間のことに引き寄せて受け取る人ばかりである。 しかし、 それにうんざりしないで、 もう一度仏法のことに引き寄せて話をしなさい」 と仰せになりました。
(58)
^どのような人であっても、 自分は悪いとは思っていない。 そう思っているものは一人としていない。 しかしこれはまったく親鸞聖人からお叱りを受けた人のすがたである。 だから、 一人ずつでもよいから、 自分こそが正しいという思いをひるがえさなければならない。 そうでないと、 長い間、 *
(59)
皆ひとのまことの信はさらになし
ものしりがほの風情にてこそ
まことの信心を得た人はきわめて少ない。 それなのに、 だれもかれもがよくわかっているような顔をしている。
という蓮如上人の歌を、 紙に書いて
(60)
^法敬坊は、 *
(61)
^*
(62)
^*
(63)
^仏法に深く帰依した人がいました。 「仏法は、 若いうちに心がけて聞きなさい。 年を取ると、 歩いて法座に行くことも思い通りにならず、 法話を聞いていても眠くなってしまうものである。 だから、 若いうちに心がけて聞きなさい」 と。
(64)
^阿弥陀如来は、 衆生を調えてくださる。 調えるというのは、 衆生のあさましい心をそのままにしておいて、 そこへ真実の心をお与えになり、 立派になさることである。 人々のあさましい心を取り除き、 如来の智慧だけにして、 まったく別のものにしてしまうということではないのである。
(65)
^わが妻わが子ほど
(66)
^慶聞坊がいわれました。 「信心を得てもいないのに、 信心を得たような顔をしてごまかしていると、 日に日に地獄が近くなる。 うまくごまかしていたとしても、 その結果はあらわれるのであり、 それで地獄が近くなるのである。 ちょっと見ただけでは信心を得ているのかいないのかがわからないが、 いつまでも命があると思わずに、 今日を限りと思い、 み教えを聞いて信心を得なさいと、 仏法に深く帰依した昔の人はいわれたものである」 と。
(67)
^一度の※心得違いが一生の心得違いとなり、 一度の心がけが一生の心がけとなる。 なぜなら、 一度心得違いをして、 そのまま命が尽きてしまえば、 ついに一生の誤りとなって、 取り返しがつかなくなるからである。
(68)
^今日ばかりおもうこころを忘るなよ
さなきはいとどのぞみおほきに
今日を限りの命だと思う心を忘れてはならないぞ。 そうでないと、 この世のことにますます欲が多くなるから。
*
(69)
^他流では、 名号よりも絵像、 絵像よりも木像という。 だが浄土真宗では、 木像よりも絵像、 絵像よりも名号というのである。
(70)
^山科本願寺の
(71)
^*
(72)
^蓮如上人は、 「堺の
(73)
^*
(74)
^蓮如上人は、 「なかなか信心を得ることができないと口に出して正直にいう人はよい。 言葉では信心を語って、 口先は信心を得た人と同じようであり、 そのようにごまかしたまま死んでしまうような人を、 わたしは悲しく思うのである」 と仰せになりました。
(75)
^浄土真宗のみ教えは、 阿弥陀如来が説かれたものである。 だから、 御文章には、 「阿弥陀如来の仰せには」 とお書きになっている。
(76)
^蓮如上人が法敬坊に、 「今いった、 弥陀を信じてまかせよということを教えてくださった人を知っているか」 とお尋ねになりました。 法敬坊が、 「存じません」 とお答えしたところ、 上人は、 「では今から、 これを教えてくださった人をいおう。 だが、 鍛冶や建築などの技術を教わる際にも、 お礼の品を差し出すものである。 ましてこれはきわめて大切なことである。 何かお礼の品を差しあげなさい。 そうすればいってあげよう」 と仰せになりました。 そこで法敬坊が、 「もちろん、 どのようなものでも差しあげます」 と申しあげると、 上人は、 「このことを教えくださったお方は阿弥陀如来である。 阿弥陀如来が、 われを信じてまかせよと教えてくださったのである」 と仰せになりました。
(77)
^法敬坊が蓮如上人に、 「上人のお書きになった六字のお名号が、 火事にあって焼けたとき、 六体の仏となりました。 まことに不思議なことでございます」 と申しあげました。 すると上人は、 「それは不思議なことでもない。 六字の名号はもともと仏なのだから、 その仏が仏になられたからといって不思議なことではない。 それよりも、 罪深い*
(78)
^「日々の食事は、 阿弥陀如来、 親鸞聖人のおはたらきによって恵まれたものである。 だから目には見えなくてもつねにはたらきかけてくださっていることをよくよく心得ておかなければならない」 と、 蓮如上人は折にふれて仰せになったということです。
(79)
^蓮如上人は、 「※ª噛むとはしるとも、 呑むとしらすなº という言葉がある。 噛みしめ味わうことを教えても、 鵜呑みにすることを教えてはならないという意味である。 妻子を持ち、 魚や鳥の肉を食べ、 罪深い身であるからといって、 ただそれを鵜呑みにして、 思いのままの振舞いをするようなことがあってはならない」 と仰せになりました。
(80)
^「仏法では、 *
(81)
^「¬*
(82)
^「仏法を聴聞しても、 多くのものは、 自分自身のためのみ教えとは思っていない。 どうかすると、 教えの一つでも覚えておいて、 人に説いて聞かせ、 その見返りを得ようとすることがある」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(83)
^「疑いなく信じておまかせするもののことは、 阿弥陀如来がよくご存じである。 阿弥陀如来がすべてご存じであると心得て、 身をつつしまなければならない。 目には見えなくてもつねに如来がはたらきかけてくださっていることを恐れ多いことだと心得なければならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(84)
^実如上人は、 「わたしが蓮如上人より承ったことに、 特別な教えがあるわけではない。 ただ阿弥陀如来におまかせする信心、 これ一つであって、 他に特別な教えはないのである。 この他に知っていることは何もない。 このことについては、 どのような誓いをたててもよい」 と仰せになりました。
(85)
^実如上人は、 「凡夫の往生は、 ただ阿弥陀如来におまかせする信心一つでたしかに定まる。 もし信心一つで仏になれないというのなら、 わたしはどのような誓いをたててもよい。 このことの証拠は、 南無阿弥陀仏の六字の名号である。 すべての世界の仏がたがその証人である」 と仰せになりました。
(86)
^蓮如上人は、 「仏法について語りあう場では、 すすんでものをいいなさい。 黙りこんで一言もいわないものは何を考えているのかわからず恐ろしい。 信心を得たものも得ていないものも、 ともかくものをいいなさい。 そうすれば、 心の奥で思っていることもよくわかるし、 また、 間違って受けとめたことも人に直してもらえる。 だから、 すすんでものをいいなさい」 と仰せになりました。
(87)
^蓮如上人は、 「おつとめの節も十分に知らないで、 自分では正しくおつとめをしていると思っているものがいる」 と、 おつとめの節回しが悪いことを指摘して、 慶聞坊をいつもお叱りになっていたそうです。 これにこと寄せて、 蓮如上人は、 「仏法をまったく知らないものについては、 ご法義を誤って受け取っているということすらいえない。 ただ悪いだけである。 だから、 悪いと叱ることもない。 けれども、 仏法に心を寄せ、 多少とも心得のあるものがご法義を誤って受け取るのは、 まことに大きなあやまちなのである」 と仰せになったとのことです。
(88)
^ある人が思っている通りをそのままに打ち明けて、 「わたしの心はまるで篭に水を入れるようなもので、 ご法話を聞くお座敷では、 ありがたい、 尊いと思うのですが、 その場を離れると、 たちまちもとの心に戻ってしまいます」 と申しあげたところ、 蓮如上人は、 「その篭を水の中につけなさい。 わが身を仏法の水の中にひたしておけばよいのだ」 と仰せになったということです。
^「※何ごとも信心がないから悪いのである。 よき師が悪いことだといわれるのは、 他でもない。 信心がないことを大きな誤りだといわれるのである」 とも仰せになりました。
(89)
^お聖教を拝読しても、 ただぼんやりと字づらを追っているだけでは何の意味もありません。 蓮如上人は、 「ともかく繰り返し繰り返しお聖教を詠みなさい」 と仰せになりました。 世間でも、 書物は百遍、 繰り返して読めば、 その意味はおのずと理解できるというのだから、 ※このことはよく心にとどめておかなければなりません。 お聖教はその文面にあらわれている通りにいただくべきものです。 その上で、 師のお言葉をいただかなければならないのです。 自分勝手な解釈は、 決してしてはなりません。
(90)
^蓮如上人は、 「お聖教を拝読するときには、 その一言一言が*
(91)
^自分だけがと思いあがって、 自分一人のさとりで満足するような心でいるのは情ないことである。 信心を得て阿弥陀仏のお慈悲をいただいたからには、 自分だけがと思いあがる心などあるはずがない。 *
(92)
^仏法について少しでも語るものは、 みな自分こそが正しいと思って話をしている。 けれども、 信心をいただいたからには、 自分は罪深いものであると思い、 仏恩報謝であると思って、 ありがたさのあまりに人に話をするものなのである。
(93)
^実如上人が順誓に、 「ª自分が信心を得てもいないのに、 人に信心を得なさいと勧めるのは、 自分は何もものを持たないでいて、 人にものを与えようとするようなものである。 これでは人が承知するはずがないº と、 蓮如上人はお示しになった」 と仰せになりました。 そして、 「¬*
(94)
^蓮如上人は、 「聖教読みの聖教読まずがあり、 聖教読まずの聖教読みがある。 たとえ文字一つ知らなくても、 人に頼んで聖教を読んでもらい、 それを他の人々にも聴聞させて信心を得させるのは、 聖教読まずの聖教読みである。 どれほど聖教を読み聞かせることができても、 聖教の真意を読み取ることもなく、 ご法義を心得ることもないのは、 聖教読みの聖教読まずである」 と仰せになりました。
^「※これは、 ª
(95)
^「人前で聖教を読み聞かせるものが、 仏法の真意を説きひろめたというためしはない。 文字も知らない*
(96)
^蓮如上人は、 「浄土真宗のみ教えを信じるものは、 どんなことでも、 世俗的な心持ちで行うのはよくない。 仏法にもとづいて、 何ごとも行わなければならないのである」 と仰せになりました。
(97)
^蓮如上人は、 「世間では、 何でもうまくこなしてそつがない人を立派な人だというが、 その人に信心がないならば、 気をつけなければならない。 そのような人は頼りにならないのである。 ※たとえ、 片方の目が見えず歩くのがままならないような人であっても、 信心を得ている人をこそ、 頼りに思うべきである」 と仰せになりました。
(98)
^「君を思うはわれを思うなり」 という言葉がある。 主君を大切に思ってしたがうものは、 おのずと出世するので、 自分自身を大切にしたことになるという意味である。 これと同じように、 よき師の仰せにしたがって信心を得れば、 自分自身が極楽へ往生させていただくことになるのである。
(99)
^阿弥陀仏は、 はかり知れない昔からすでに仏である。 本来、 仏であるにもかかわらず、 人々を救うためのてだてとして法蔵菩薩となって現れ、 四十八の*
(100)
^蓮如上人は、 「弥陀を信じておまかせする人は、 南無阿弥陀仏にその身を包まれているのである」 と仰せになりました。 目に見えない仏のおはたらきをますますありがたく思わなければならないということです。
(101)
^*
(102)
^蓮如上人は、 「仏法を聞く身となった上は、 凡夫のわたしがすることは一つ一つが恐ろしいことなのだと心得なければならない。 すべてのことについて油断することのないよう心がけなさい」 と、 折にふれて仰せになりました。 また、 「仏法においては、 明日ということがあってはならない。 仏法のことは、 急げ急げ」 とも仰せになりました。
(103)
^蓮如上人は、 「今日という日はないものと思いなさい」 と仰せになりました。 上人は、 どのようなことでも急いでおかたづけになり、 長々と時間をかけることをおきらいになりました。 そして、 仏法を聞く身となった上は、 明日のことも今日するように、 急ぐことをおほめになったのです。
(104)
^蓮如上人は、 「親鸞聖人の御影像をいただきたいと申し出るのはただごとではない。 ※昔は、 *道場にご本尊以外のものを安置することはなかったのである。 だから、 もし信心もなく御影像を安置するのであれば、 必ず聖人のお叱りを受けることになるであろう」 と仰せになりました。
(105)
^「時節到来という言葉がある。 あらかじめ用心していて、 その上で事がおこった場合に、 時節到来というのである。 何一つ用心もしないで事がおこった場合は、 時節到来とはいわないのである。 信心を得るということも同じであり、 あらかじめ仏法を聴聞することを心がけた上で、 信心を得るための縁がある身だとか、 ない身だとかいうのである。 とにもかくにも、 信心は聞くということに尽きるのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(106)
^蓮如上人が法敬坊に、 「まきたてということを知っているか」 とお尋ねになりました。 法敬坊が、 「まきたてというのは、 畑に一度種をまいただけで、 何一つ手を加えないことです」 とお答えしたところ、 上人は、 「それだ。 仏法でも、 そのまきたてが悪いのである。 一通りみ教えを聞いただけで、 もう十分と思い、 自分の受け取ったところを他の人に直されたくないと思うのが、 仏法についてのまきたてである。 心に思っていることを口に出して、 他の人に直してもらわなければ、 心得違いはいつまでたっても直らない。 まきたてのような心では信心を得ることはできないのである」 と仰せになりました。
(107)
^蓮如上人は、 「どのようにしてでも、 自分の心得違いを他の人から直してもらうように心がけなければならない。 そのためには、 心に思っていることを同じみ教えを信じる仲間に話しておくべきである。 ※自分より目下のものがいうことを聞き入れようとしないで、 決って原を立てるのは、 実に情ないことである。 ※だれからでも心得違いを直してもらうよう心がけることが大切なのである」 と仰せになりました。
(108)
^ある人が蓮如上人に、 「信心はたしかに定まりましたが、 どうかすると、 よき師のお言葉をおろそかに思ってしまいます」 と申しあげました。 それに対して聖人は、 「信心をいただいたからには、 当然よき師を崇め敬う心があるはずである。 だが、 凡夫のどうしようもない性分によって、 師をおろそかにする思いがおこったときは、 恐れ多いことだと反省し、 その思いを捨てなければならない」 と仰せになりました。
(109)
^蓮如上人は蓮悟さまに、 「※たとえ木の皮を身にまとうような貧しい暮しであっても、 それを悲しく思ってはならない。 ただ弥陀におまかせする信心を得た身であることを、 ありがたく喜ぶべきである」 と仰せになりました。
(110)
^蓮如上人は、 「※身分や年齢の違いにかかわらず、 どんな人も、 うかうかと油断した心でいると、 大切なこのたびの浄土往生ができなくなってしまうのである」 と仰せになりました。
(111)
^蓮如上人が歯の痛みで苦しんでおられたとき、 ときおり目を閉じ、 「ああ」 と声をお出しになりました。 みなが心配していると、 「人々に信心のないことを思うと、 この身が切り裂かれるように悲しい」 と仰せになったということです。
(112)
^蓮如上人は、 「わたしは相手のことをよく考え、 その人に応じて仏法を聞かせるようにしている」 と仰せになりました。 どんなことであれ、 相手が好むようなことを話題にし、 相手がうれしいと思ったところで、 また仏法についてお話しになりました。 いろいろと巧みな手だてを用いて、 人々にみ教えをお聞かせになったのです。
(113)
^蓮如上人は、 「人々は仏法を信じることで、 このわたしを喜ばせようと思っているようだが、 それはよくない。 信心を得れば、 その人自身がすぐれた功徳を得るのである。 けれども、 人々が信心を得てくれるのなら、 喜ぶばかりか恩にも着よう。 聞きたくない話であっても、 本当に信心を得てくれるのなら、 喜んで聞こう」 と仰せになりました。
(114)
^蓮如上人は、 「たとえただ一人でも、 本当に信心を得ることになるのなら、 ※わが身を犠牲にしてでもみ教えを勧めなさい。 それは決して無駄にはならないのである」 と仰せになりました。
(115)
^あるとき蓮如上人は、 ご門徒がみ教えの心得違いをあらためたということをお聞きになって、 大変お喜びになり、 「老いた顔の皺がのびた」 と仰せになりました。
(116)
^蓮如上人があるご門徒に、 「あなたの師がみ教えの心得違いをあらためたが、 そのことをうれしく思うか」 とお尋ねになったところ、 その人は、 「心得違いをすっかりあらためられ、 ご法義を大切にされるようになりました。 何よりもありがたくうれしく思います」 とお答えしました。 上人はそれをお聞きになって、 「わたしは、 あなたよりももっとうれしく思うぞ」 と仰せになりました。
(117)
^蓮如上人は、 ※能狂言のしぐさなどを演じさせて、 ご法話を聞くことに退屈しているものの心をくつろがせ、 疲れた気分をさっぱりとさせて、 また新たにみ教えをお説きになるのでした。 実に巧みな手だてであり、 本当にありがたいことです。
(118)
^*
蓮如上人御一代記聞書 本
蓮如上人御一代記聞書 末
(119)
^ご法話をされた後で蓮如上人は、 四、 五人のご子息たちに、 「法話を聞いた後で、 四、 五人ずつが集まって、 話しあいをしなさい。 五人いれば五人とも、 決って自分に都合のよいように聞くものであるから、 聞き誤りのないよう十分に話しあわなければならない」 と仰せになりました。
(120)
^たとえ事実でないことであっても、 人が注意してくれたときは、 とりあえず受け入れるのがよい。 その場で反論すると、 その人は二度と注意してくれなくなる。 人が注意してくれることは、 どんなことでも心に深くとどめるようにしなければならない。 このことについて、 こんな話がある。 二人のものが、 お互いに悪い点を注意しあおうと約束した。 そこで、 一人が相手の悪い行いを注意したところ、 相手のものは、 「※わたしはそうは思わないが、 人が悪いというのだからそうなのでしょう」 といいわけをした。 こうした返答の仕方が悪いというのである。 事実でなくても、 とりあえず 「たしかにそうだ」 と返事をしておくのがよいのである。
(121)
^一宗の繁昌というのは、 人が多く集まり、 勢いが盛んなことではない。 たとえ一人であっても、 まことの信心を得ることが、 一宗の繁昌なのである。 だから、 ¬*
(122)
^蓮如上人は、 「仏法を*
(123)
^すすんで聖教を求め、 持っている人の子孫には、 仏法に深く帰依する人が出てくるものである。 一度でも仏法に縁があった人は、 たとえふだんは大まかであったとしても、 何かの折にははっと気がつきやすく、 また仏法に心を寄せるようになるものである。
(124)
^蓮如上人の*
(125)
^ご病床にあった蓮如上人が、 *
(126)
^順誓が、 「世間の人は、 自分の前では何もいわずに、 陰で悪口をいうといって腹を立てるものである。 だが、 わたしはそうは思わない。 面と向かっていいにくいのであれば、 わたしのいないところでもよいから、 わたしの悪いところをいってもらいたい。 それを伝え聞いて、 その悪いところを直したいのである」 といわれました。
(127)
^蓮如上人は、 「仏法のためと思えば、 どんな苦労も苦労とは思わない」 と仰せになりました。 上人はどんなことでも心をこめてなさったことです。
(128)
^「※仏法については、 大まかな受けとめ方をするのはよくない。 世間では、 あまり細かすぎるのはよくないというが、 仏法については、 細部に至るまで心を配り、 細やかに心をはたらかせなければならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(129)
^遠いものがかえって近く、 近いものがかえって遠いという道理がある。 「灯台もと暗し」 というように、 いつでも仏法を聴聞することができる人は、 尊いご縁をいただきながら、 それをいつものことと思い、 ご法義をおろそかにしてしまう。 反対に、 遠く離れていてなかなか仏法を聴聞することができない人は、 仏法を聞きたいと思って、 真剣に求める心があるものである。 仏法は、 真剣に求める心で聞くものである。
(130)
^信心をいただいた上は、 同じみ教えを聴聞しても、 いつも目新しくはじめて耳にするかのように※思うべきである。 人はとかく目新しいことを聞きたいと思うものであるが、 同じみ教えを何度聞いても、 いつも目新しくはじめて耳にするかのように受け取らなければならない。
(131)
^*
(132)
^「念仏するにも、 よい評判を求めているかのように人が思うかもしれないので、 人前では念仏しないように気をつけているが、 これは実に骨の折れることである」 と、 ある人がいいました。 普通の人とは違った尊い心がけです。
(133)
^ともに念仏する仲間の目を気にして、 目には見えない仏の心を恐れないのは、 愚かなことである。 何よりも、 仏がすべてをお見通しになっていることを恐れ多く思わなければならない。
(134)
^「たとえ正しいみ教えであっても、 わずらわしく理屈を並べることはやめなければならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 まして、 世間のことばかりを話し続けてやめないというのはよくありません。 ますます盛んに勧めなければならないのは、 信心のことなのです。
(135)
^蓮如上人は、 「仏法では、 功徳を仏に差しあげようとする心はよくない。 それは自分の力で功徳を積み、 仏のお心にかなおうとする自力の心である。 仏法では、 どんなことも、 仏恩報謝のいとなみと思わなければならないのである」 と仰せになりました。
(136)
^人間には、 眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚器官があって、 これらがちょうど六人の盗賊のように、 人間の善い心を奪い取ってしまうのである。 だがそれは、 自分の力でさまざまな行を修める場合のことである。 他力の念仏の場合はそうではない。 仏の*
(137)
^わずか一言のみ教えであっても、 人はとかく自分に都合のよいように聴聞するものである。 だから、 ひたすらよく聞いて、 心に受けとめたままを念仏の仲間とともに話しあわなければならない。
(138)
^蓮如上人は、 「神に対しても仏に対しても、 馴れてくると手ですべきことを足でするようになる。 阿弥陀如来・親鸞聖人・よき師に対しても、 馴れ親しむにつれて気安く思うようになるのである。 だが、 馴れ親しめば親しむほど、 敬いの心を深くしなければならないのは当然のことである」 と仰せになりました。
(139)
^口に念仏し身に礼拝するのはまねをすることができても、 心の奥底はなかなかよくなるものではない。 だから、 力の及ぶ限り、 心をよくするよう努めなければならないのである。
(140)
^衣服などでも、 自分のものだと思って踏みつけ粗末にするのは、 情ないことです。 何もかもすべて親鸞聖人のおはたらきによって恵まれたものなのですから、 蓮如上人は、 着物などが足に触れたときには、 うやうやしくおしいただかれたとお聞きしています。
(141)
^蓮如上人は、 「表には※王法を守り、 心の奥深くには仏法をたもちなさい」 と仰せになりました。 また、 「世間の倫理も正しく守りなさい」 と仰せになりました。
(142)
^蓮如上人は、 お若いころ大変苦労されました。 ただひとえに、 ご自身の生涯のうちに浄土真宗のみ教えをひろめようと願われた志一つで、 このように浄土真宗が栄えるようになったのです。 すべては上人のご苦労によるものです。
(143)
^ご病床にあった蓮如上人が、 「わが生涯のうちに浄土真宗をぜひとも再興しようと願った志一つで、 浄土真宗が栄えるようになって、 みんながこのように安らかに暮せるようになった。 これもわたしに、 目に見えない仏のおはたらきがあったからなのである」 と、 ご自身をほめて仰せになりました。
(144)
^蓮如上人は、 お若いころ粗末な綿入れの白衣を着ておられました。 白無地の小袖なども気軽に着られることはなかったそうです。 このようにいろいろと貧しい暮しをされたことを折にふれてお話しになり、 そのたびに 「今の人々はこういう話を聞いて、 目に見えない仏のおはたらきをありがたく思わなければならない」 と繰り返し仰せになりました。
(145)
^蓮如上人は、 お若いころ何ごとにも苦労ばかりで、 灯火の油を買うだけのお金もなく、 かろうじて安い薪を少しずつ取り寄せて、 その火の明りでお聖教をお読みになったそうです。 また、 ときには月の光でお聖教を書き写されることもありました。 足もたいていは冷たい水で洗われました。 また、 二、 三日もお食事を召しあがらなかったこともあったとお聞きしています。
(146)
^「若いころは思い通りに人を雇うこともできなかったので、 赤ん坊のおむつも、 わたしの手で洗ったものだ」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(147)
^蓮如上人は、 父上の*
(148)
^蓮如上人は、 「昔、 仏前に参る人は、 襟や袖口だけを布でおおった紙の衣を着ていたものであるが、 今では白無地の小袖を着て、 おまけに着替えまで持ってくるようになった。 ※世の中が乱れていたころは、 宮中でも困窮して、 いろいろな品を質にお出しになり、 ご用立てされたほどである」 と例をあげて、 贅沢に走ることを注意されました。
(149)
^蓮如上人は、 「昔は貧しかったので、 京の町から古い綿を取り寄せて、 自分一人で広げ用いたこともあった。 また、 着物も肩の破れたのを着ていた。 白の小袖は美濃絹の粗末なものを求めて、 どうにか一着だけ着ることができた」 と仰せになりました。 このごろは、 上人のこうしたご苦労も知らないで、 だれもが豊かな暮しを当たり前のように思っていますが、 このようなことでは仏のご加護もなくなってしまうでしょう。 大変なことです。
(150)
^念仏の仲間やよき師には、 十分に親しみ近づかなければならない。 ª念仏者に親しみ近づかないのは、 *
(151)
^「ª*きればいよいよかたく、 仰げばいよいよたかしº という言葉がある。 実際に切りこんでみて、 はじめてそれが堅いとわかるのである。 これと同じように、 阿弥陀仏の*本願を信じて、 そのすばらしさもわかるのである。 信心をいただいたなら、 仏の本願がますます尊く、 ありがたく感じられ、 尊ぶ心もいっそう増すのである」 と仰せになりました。
(152)
^「*
(153)
^「念仏の教えを信じる人もいれば謗る人もいると、 *
(154)
^念仏の仲間がいる前でだけ、 ご法義を喜んでいる人がいるが、 これは世間の評判を気にしてのものである。 信心をいただいたなら、 ただ一人いるときも、 喜びの心が湧きおこってくるものである。
(155)
^「仏法は世間の用事を差しおいて聞きなさい。 世間の用事を終え、 ひまな時間をつくって仏法を聞こうと思うのは、 とんでもないことである。 仏法においては、 明日ということがあってはならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 このことは ¬*
たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり
たとえ世界中に火が満ちているとしても、 ひるまず進み、 仏の御名を聞き信じる人は、 往生成仏すべき身に定まるのである。
と示されています。
(156)
^*
(157)
^「※仏法を主とし、 世間のことを客人としなさい」 という言葉がある。 仏法を深く信じた上は、 世間のことはときに応じて行うべきものである。
(158)
^蓮悟さまが、 蓮如上人のおられる*
(159)
^蓮如上人に対して、 ある人がご*
(160)
^「概して人には、 他人に負けたくないと思う心がある。 世間では、 この心によって懸命に学び、 物事に熟達するのである。 だが、 仏法では*
(161)
^一心というのは、 凡夫が弥陀を信じておまかせするとき、 仏の不思議なお力によって、 凡夫の心を仏の心と一つにしてくださるから一心というのである。
(162)
^ある人が、 「井戸の水を飲むことも仏法のおはたらきによって恵まれたものだから、 一口の水でさえ、 阿弥陀如来・親鸞聖人のおかげだと思っている」 といいました。
(163)
^ご病床にあった蓮如上人が、 「わたしのことで思い立ったことは、 ただちに成しとげることができなくても、 ついに成就しなかったということはない。 だが、 人々が信心を得るということ、 このことばかりは、 わたしの思い通りにならず、 多くの人がまだ信心を得ていない。 そのことだけがつらく悲しく思われるのである」 と仰せになりました。
(164)
^蓮如上人は、 「わたしはどんなことも思った通りにしてきた。 浄土真宗を再興し、 京都山科に本堂・御影堂を建て、 本願寺住職の地位も譲り、 大坂に御堂を建てて、 隠居の身となった。 ¬*
(165)
^「夜、 敵陣にともされている火を見て、 あれは火でないと思うものはいない。 それと同じように、 どんな人が申したとしても、 蓮如上人のお言葉をその通りに話し、 上人の書かれたものをそのまま読んで聞かせるのであれば、 それは上人のお言葉であると仰ぎ、 承るべきである」 といわれました。
(166)
^蓮如上人は、 「ご法義のことは、 詳しく人に尋ねなさい。 わからないことは何でも人によく尋ねなさい」 と、 折にふれて仰せになりました。 「どういう人にお尋ねしたらよろしいのでしょうか」 とおうかがいしたところ、 「ご法義を心得ているものでありさえすれば、 だれかれの別なく尋ねなさい。 ご法義は、 知っていそうにもないものがかえってよく知っているのである」 と仰せになりました。
(167)
^蓮如上人は無地のものを着ることをおきらいになりました。 「紋のない無地のものを着るといかにも僧侶らしくありがたそうに見えてしまう」 という仰せでありました。 また、 墨染めの黒い衣を着ることもおきらいになりました。 墨染めの黒い衣を着て訪ねて来る人がいると、 「身なりの正しいありがたいお坊さまがおいでになった」 とからかって、 「いやいや、 わたしのようなものは、 全然ありがたくない。 ただ弥陀の本願だけがありがたいのである」 と仰せになりました。
(168)
^蓮如上人は、 小紋染めの小袖をつくらせて、 大坂御坊の居間の衣掛けに掛けておかれたそうです。
(169)
^蓮如上人は、 お食事を召しあがるときは、 まず合掌されて、 「阿弥陀如来と親鸞聖人のおはたらきにより、 着物を着させていただき、 食事をさせていただきます」 と仰せになりました。
(170)
^「人は上がることばかりに気を取られて、 落ちるところのあることを知らない。 ひたすら行いをつつしんで、 たえず、 恐れ多いことだと、 何ごとにつけても気をつけるようにしなければならない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(171)
^「往生は一人一人の身に成就する事柄である。 一人一人が仏法を信じてこのたび浄土に往生させていただくのである。 このことを人ごとのように思うのは、 同時に一方で自分自身を知らないということである」 と、 *
(172)
^大坂御坊で、 ある人が蓮如上人に、 「今朝、 まだ暗いうちから、 一人の老人が参詣しておられました。 まことに立派な心がけです」 と申しあげたところ、 上人はすぐさま、 「信心さえあれば、 どんなこともつらいとは思わないものである。 信心をいただいた上は、 すべてを仏恩報謝と心得るのであるから、 苦労とは思わないのである」 と仰せになりました。 その老人というのは、 *
(173)
^山科本願寺の南殿に人々が集まり、 ご法義をどのように心に受けとめるかあれこれと論じあっているところに、 蓮如上人がおいでになって、 「何をいっているのか。 あれこれ思いはからうことを捨てて、 疑いなく弥陀を信じおまかせするだけで、 往生は仏よりお定めくださるのである。 その証拠は南無阿弥陀仏の名号である。 この上、 いったい何を思いはからうというのか」 と仰せになりました。 このように蓮如上人は、 人々が疑問に思うことなどをお尋ねしたときも、 複雑なことをただ一言で、 さらりと解決してしまわれたのです。
(174)
^蓮如上人は、
おどろかすかひこそなけれ村雀
耳なれぬればなるこにぞのる
群がる雀を驚かして追いはらう鳴子の音も、 今では効き目がなくなった。 耳なれた雀たちは、 平気で鳴子に乗っている。
という歌をお引きになって、 「人はみな耳なれ雀になっている」 と折にふれて仰せになりました。
(175)
^「仏法を聞いて、 心の持ちようをあらためようと思う人はいるけれども、 信心を得ようと思う人はいない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(176)
^蓮如上人は、 「※方便を悪いということはあってはならない。 方便によって真実が顕され、 真実が明らかになれば方便は廃されるのである。 方便は真実に導く手だてであることを十分に心得なければならない。 阿弥陀如来・釈尊・よき師の巧みな手だてによって、 わたしたちは真実の信心を得させていただくのである」 と仰せになりました。
(177)
^蓮如上人の御文章は、 凡夫が浄土に往生する道を明らかに映しだす鏡である。 この御文章の他に浄土真宗のみ教えがあるように思う人がいるが、 それは大きな誤りである。
(178)
^「信心をいただいた上は、 仏恩報謝の*
(179)
^蓮如上人は、 「信心をいただいた上は、 尊く思って称える念仏も、 また、 ふと称える念仏も、 ともに仏恩報謝になるのである。 他宗では、 亡き親の*
(180)
^「蓮如上人がご存命のころ、 山科本願寺の南殿であったでしょうか、 ある人が蜂を殺してしまって、 思わず念仏を称えました。 そのとき、 上人が、 ªあなたは今どんな思いで念仏を称えたのかº と、 お尋ねになったところ、 その人は、 ªかわいそうなことだと、 ただそれだけ思って称えましたº と答えました。 すると上人は、 ª信心をいただいた上は、 どのようであっても、 念仏を称えるのは仏恩報謝の意味であると思いなさい。 信心をいただいた上での念仏は、 すべて仏恩報謝になるのであるº と仰せになりました」 と、 このようなことを伝えた人がいました。
(181)
^山科本願寺の南殿で、 蓮如上人は、
(182)
^蓮如上人に対して、 西国から来たという人が、 *
(183)
^蓮如上人は、 「ただいま、 どなたも口では、 安心について受けとめているところを同じように申された。 そのように言葉の上だけで同じようにしているから、 信心が定まった人とまぎれてしまい、 往生することができない。 わたしはそのことを悲しく思うのである」 と仰せになりました。
(184)
^「信心をいただいたからには、 それほど悪いことはしないはずである。 あるいは、 人にいわれたからといって、 悪いことをするようなことはないはずである。 このたび迷いの世界の絆を断ち切って、 浄土に往生しようと願う人が、 どうして悪いと思われるようなことをするであろうか」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(185)
^蓮如上人は、 「仏法は、 簡潔にわかりやすく説きなさい」 と仰せになりました。 また、 法敬坊に対して、 「信心・安心といっても、 聞く人の多くは文字も知らないし、 また、 信心・安心などというと別のもののように思ってしまう。 だから、 わたしたちのような凡夫が弥陀のお力で仏になるということだけを教えなさい。 仰せのままに浄土に往生させてくださいと弥陀を信じておまかせすることを勧めなさい。 そうすれば、 どんな人でもそれを聞いて信心を得るであろう。 浄土真宗には、 これ以外の教えはないのである」 と仰せになりました。 ^¬*
(186)
^「信心を得ていないから悪いのである。 ともかくまず信心を得なさい」 と、 蓮如上人は仰せになりました。 ※上人が悪いことだといわれたのは、 信心がないことを悪いといわれたのです。 このことについて、 次のような話があります。 上人がある人に向かって、 「おまえほど悪いものはいない。 言語道断だ」 と仰せになったところ、 その人は、 「何ごとも上人のお心にかなうようにと思っておりますが、 悪いところがあるのでしょうか」 とお答えしました。 すると上人は、 「まったく悪い。 信心がないのは悪くはないのか」 と仰せになったということです。
(187)
^蓮如上人が、 「どんなことを聞いても、 わたしの心は少しも満足しない。 ^一人でもよいから、 人が信心を得たということを聞きたいものだ」 と独り言をおっしゃいました。 「わたしは生涯を通して、 ただ人々に信心を得させたいと願ってきたのである」 と仰せになりました。
(188)
^「親鸞聖人のみ教えについては、 弥陀におまかせする信心がもっとも大切なのである。 だから、 弥陀におまかせするということを代々の上人がたがお示しになってこられたのであるが、 人々はどのようにおまかせするのかを詳しく知らなかった。 そこで、 蓮如上人は本願寺の住職になられると、 御文章をお書きになり、 ª念仏以外のさまざまな行を捨てて、 仰せのままに浄土に往生させてくださいと疑いなく弥陀におまかせしなさいº と明らかにお示しくださったのである。 だから、 蓮如上人は浄土真宗ご再興の上人といわれるのである」 と仰せになりました。
(189)
^「善いことをしてもそれが悪い場合があり、 悪いことをしてもそれが善い場合がある。 善いことをしても、 自分はご法義のために善いことをしたのだと思い、 自分こそがという我執の心があるなら、 それは悪いのである。 悪いことをしても、 その心をあらためて、 弥陀の本願を信じれば、 悪いことをしたのが、 善いことになるのである」 というお示しがあります。 そういうわけで、 蓮如上人は、 「善いことをしてその功徳を仏に差しあげようとする自力の心が悪い」 と仰せになったのです。
(190)
^蓮如上人は、 「思いもよらない人が過分の贈物を持ってきたときは、 何かわけがあるに違いないと思いなさい。 人からものを贈られると、 うれしく思うのが人の心だから、 何かを頼もうとするときは、 人はそのようなことをするものである」 と仰せになりました。
(191)
^蓮如上人は、 「行く先だけを見て、 自分の足元を見ないでいると、 つまずくに違いない。 他人のことだけを見て、 自分自身のことについて心がけないでいると、 大変なことになる」 と仰せになりました。
(192)
^よき師の仰せではあるが、 これはとうてい成就しそうにないなどと思うのは、 大変嘆かわしいことです。 成就しそうにないことであっても、 よき師の仰せならば、 成就すると思いなさい。 この凡夫の身が仏になるのだから、 そのようなことはあるはずがないと思うほどのことが他に何かあるでしょうか。 そういうわけで、 赤尾の道宗は、 「もし蓮如上人が、 ª道宗よ、 琵琶湖を一人で埋めなさいº と仰せになったとしても、 ªかしこまりましたº とお引受けするだろう。 よき師の仰せなら、 成就しないことがあろうか」 といわれたのです。
(193)
^「ªきわめて堅いものは石である。 きわめてやわらかいものは水である。 そのやわらかい水が堅い石に穴をあけるのである。 ※心の奥底まで徹すれば、 どうして仏のさとりを成就しないことがあろうかº という古い言葉がある。 信心を得ていないものであっても、 真剣にみ教えを聴聞すれば、 仏のお慈悲によって、 信心を得ることができるのである。 ただ仏法は聴聞するということに尽きるのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(194)
^蓮如上人は、 「信心がたしかに定まった人を見て、 自分もあのようにならなくてはと思う人は、 信心を得るのである。 あのようになろうとしても、 なれるはずがないとあきらめるのは嘆かわしいことである。 仏法においては、 命をかけて求める心があってこそ、 信心を得ることができる」 と仰せになりました。
(195)
^「他人の悪いところはよく目につくが、 自分の悪いところは気づかないものである。 もし自分で悪いと気づくようであれば、 それはよほど悪いからこそ自分でも気がついたのだと思って、 心をあらためなければならない。 人が注意をしてくれることに耳を傾け、 素直に受け入れなければならない。 自分自身の悪いところはなかなかわからないものである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(196)
^「世間のことを話しあっている場で、 かえって仏法の話が出ることがある。 そのようなときは、 われ先にものをいわないで人並みに振舞っておきなさい。 どのような考えの人がいるかわからないのだから、 注意をおこたってはならない。 けれども、 念仏の仲間が集まって、 お聖教の講釈を聞いて学ぶときや、 仏法について語りあったりするときに、 少しもものをいわないのは、 大きな誤りである。 仏法について語りあう場では、 心の中をすべて打ち明け、 互いに、 信心を得ているかいないかについて語らなければならない」 と仰せになりました。
(197)
^ある人が*
(198)
^実如上人が善従の逸話を紹介して、 「ある人が善従の住いを訪ねたとき、 まだ履物も脱がないうちから、 善従が仏法について話しはじめた。 側にいた人が、 ª履物さえまだ脱いでおられないのに、 どうしてそのように急いで話しはじめるのですかº というと、 善従は、 ª息を吐いて吸う間もないうちに命が尽きてしまう無常の世です。 もし履物を脱がないうちに、 命が尽きたらどうするのですかº と答えたのであった。 何をおいても、 仏法のことはこのように急がなければならないのである」 と仰せになりました。
(199)
^蓮如上人が善従のことについて、 「まだ*
(200)
^「※東山の大谷本願寺が比叡山の法師たちによって打ち壊されたとき、 蓮如上人は避難されて、 どこにおいでになるのかだれも知らなかったのだが、 善従があちらこちら尋ね捜して、 あるところで上人にお会いすることができた。 そのとき、 上人はたいそうお困りの様子であったので、 ªこのありさまを見ると、 善従もきっと悲しむことであろうº とお思いになったのだが、 善従は上人にお目にかかるや、 ªああ、 ありがたい。 すぐにも仏法は栄えることでしょうº といった。 そしてついにこの言葉通りになったのである。 ª善従は不思議な人だº と蓮如上人も仰せになっていた」 と、 実如上人は仰せになりました。
(201)
^去る*
(202)
^今までの心をあらためようという人が、 「どんなことをまずあらためたらよろしいでしょうか」 とお尋ねしたところ、 「悪いことはすべてあらためなさい。 それも、 心の中をはっきりと表に出して、 あらためるということでなければならない。 どんなことであれ、 人が直すことができたということを聞いて、 自分もそのように直るはずだと思い、 自身の悪いところを打ち明けなかったなら、 直るものではない」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(203)
^「仏法について話しあうとき、 ものをいわないのは、 信心がないからである。 そういう人は、 心の中でうまく考えていわなければならないように思っているのであろうが、 それはまるでどこかよそにあるものを探し出そうとしているかのようである。 心の中にうれしいという思いがあれば、 それはそのままあらわれるものである。 寒ければ寒い、 暑ければ暑いと、 心に感じた通りがそのまま口にでるものである。 仏法について話しあう場で、 ものをいわないのは、 ※うちに信心がないからである。 ※また、 油断ということも、 信心をいただいた上でいうことである。 しばしば念仏の仲間とともに集まり、 み教えを聞いて喜び語りあうなら、 油断するということはあるはずがないのである」 と、 蓮如上人は仰せになりました。
(204)
^蓮如上人は、 「信心がたしかに定まったのだから、 弥陀のお救いをすでに得たというのは、 現在のこの身でさとりを開いたように聞えるのでよくない。 弥陀を信じておまかせするとき、 お救いくださることは明らかであるけれども、 必ずお救いにあずかるというのがよいのである」 と仰せになりました。 また、 「信心をいただいたとき、 往生成仏すべき身となる。 これは必ず成仏するという利益であり、 表にはあらわれない利益であって、 仏のさとりに至ることに定まったということなのである」 とも仰せになりました。
(205)
^*
(206)
^蓮如上人がご病床にあったとき、 ご子息の蓮淳さま、 蓮悟さまが上人のもとへおうかがいし、 「目に見えない仏のおはたらきにかなうというのは、 どのようなことでしょうか」 とお尋ねすると、 上人は、 「それは、 弥陀を信じておまかせするということである」 と仰せになりました。
(207)
^「人に仏法の話をして、 相手の人が喜んだときは、 自分はその相手の人よりも、 もっと喜んで尊いことだと思うべきである。 仏の智慧をお伝えするからこそ、 このように喜ぶのだと受けとめて、 仏の智慧のおはたらきをありがたく思いなさい」 と、 蓮如上人はお示しくださいました。
(208)
^「人前で御文章を読んで聴聞させるのも、 仏恩報謝であると思いなさい。 一句一言でも、 信心をいただいた上で読み聞かせるのなら、 人も信じて受け取るし、 また仏恩報謝にもなるのである」 と仰せになりました。
(209)
^蓮如上人は、 「弥陀の*
(210)
^「信心がたしかに定まった人はどんな人であれ、 一目その人を見ただけで尊く思えるものである。 だが、 これはその人自身が尊いのではない。 弥陀の智慧をいただいているから尊いのである。 だから弥陀の智慧のはたらきのありがたさを思い知らなければならない」 と仰せになりました。
(211)
^ご病床にあった蓮如上人が、 「わたしは、 もはや何も思い残すことはない。 ただ、 子供たちの中にも、 その他の人々の中にも、 信心のないものがいることを悲しく思う。 世間では、 思い残すことがあると死出の旅路のさまたげになるなどというが、 わたしには今すぐ往生してもさまたげとなるような思いはない。 ただ信心のないものがいることだけを嘆かわしく思うのである」 と仰せになりました。
(212)
^蓮如上人は、 あるときには訪ねて来た人に酒を飲ませたり、 ものを与えたりして、 このようなもてなしをありがたいことだと喜ばせ、 近づきやすくさせて、 仏法の話をお聞かせになりました。 「このようにものを与えることも、 信心を得させるためであるから、 仏恩報謝であると思っている」 と仰せになりました。
(213)
^蓮如上人は、 「ご法義をよく心得ていると思っているものは、 実は何も心得ていないのである。 反対に、 何も心得ていないと思っているものは、 よく心得ているのである。 弥陀がお救いくださることを尊いことだとそのまま受け取るのが、 よく心得ているということなのである。 物知り顔をして、 自分はご法義をよく心得ているなどと思うことが少しもあってはならない」 と仰せになりました。 ですから、 ¬*
(214)
^*
(215)
^蓮如上人は、 年少のものに対しては、 「ともかくまずお聖教を読みなさい」 と仰せになりました。 また、 その後は、 「どれほどたくさんのお聖教を読んだとしても、 繰り返し読まなければ、 その甲斐がない」 と仰せになりました。 そして、 成長して少し物事がわかるようになると、 「どれほどお聖教を読み、 漢字の音などをよく学んだとしても、 書かれている意味がわからなければ、 本当に読んだことにはならない」 と仰せになりました。 さらに、 その後は、 「お聖教の文やその解釈をどれほど覚えたとしても、 信心がなければ何の意味もない」 と仰せになりました。
(216)
^ある人が心に思っていることをそのまま法敬坊に打ち明けて、 「蓮如上人のお言葉の通りには心得ておりますが、 とかく気がゆるみ、 なまけ心が出て、 ただただ情ないことです」 といいました。 すると法敬坊は、 「それは上人のお言葉の通りではありません。 何ともふとどきないい方です。 お言葉には、 ª気をゆるめてはいけない。 なまけてはいけないº と、 示されているではありませんか」 といわれました。
(217)
^ある人が法敬坊に、 「これほど深くあなたは仏法を信じているのに、 ※あなたの母上に信心がないのは、 どういうことでしょうか」 と、 疑問に思っていることを尋ねたところ、 法敬坊は、 「その疑問はもっともなことですが、 朝夕、 どれほど御文章を読み聞かせても、 少しも心を動かさないのですから、 このわたしが教えたくらいのことで、 どうして聞いてくれるでしょうか」 といわれました。
(218)
^順誓が申されるには、 「人々にご法義の話をするのに、 蓮如上人がおられないところで話すときは、 何か間違ったことをいいはしないだろうかと気になって、 脇の下から冷や汗の出る思いがする。 反対に、 上人がお聞きになっているところで話すときは、 間違ったことをいっても、 すぐに直していただけると思うので、 安心して話すことができる」 ということでした。
(219)
^蓮如上人は、 「疑問に思うということと、 少しも知らないということとは、 別のことである。 まったく知らないことを疑問に思うというのは、 間違っている。 物事をだいたい心得ていて、 その上で、 あれは何であろうか、 これはどうであろうかというのが、 疑問に思うということである。 ところが、 人々はわけを少しも知らないで尋ねることを、 疑問に思うといってごまかしている」 と仰せになりました。
(220)
^蓮如上人は、 「山科の本願寺や大坂などの御坊のことは、 親鸞聖人がご在世の時と同じように考えている。 つまりこのわたしは、 しばらくの間、 上人の留守をお預かりしているだけなのである。 そういうことではあるが、 ※聖人のご恩をかたときも忘れたことはない」 と、 お
(221)
^*
(222)
^「仏法に深く帰依した人に、 わずかばかりの間違いがあるのを見つけたときは、 あの方でさえこのように間違いを犯すことがあると思って、 わが身を深くつつしまなければならない。 ところがそれを、 あの方でさえ間違いがあるのだ、 まして、 わたしたちのようなものが間違えないはずがないと思うのは、 大変嘆かわしいことである」 とのことです。
(223)
^「ª仏恩をたしなむº という仰せがあるが、 これは世間で普通にいう、 ものをたしなむなどというようなことではない。 信心をいただいた上は、 仏恩を尊く、 ありがたく思って喜ぶのであるが、 その喜びがふと途切れて、 念仏がなおざりになることがある。 そういうときに、 このような広大なご恩を忘れるのは嘆かわしいことだと恥入って、 仏の智慧のはたらきを思いおこし、 ありがたいことだ、 尊いことだと思うと、 仏のうながしによってまた念仏するのである。 ª仏恩をたしなむº というのはこういうことなのである」 と仰せになりました。
(224)
^「仏法について聞き足りたということがなければ、 それが仏法の不思議を信じることである」 というお言葉があります。 このことについて、 実如上人は、 「たとえば、 世間でも、 自分の好きなことは知っても知っても、 もっとよく知りたいと思うから、 人に問い尋ねる。 好きなことは何度聞いても、 もっとよく聞きたいと思うものである。 これと同じように、 仏法のことも、 何度聞いても聞き足りることはない。 知っても知っても、 もっとよく知りたいと思うものである。 だから、 ご法義のことは、 何度も何度も人に問い尋ねなければならないのである」 と仰せになりました。
(225)
^仏のおかげて与えられたものを世間のことに使うのは、 尊いお恵みを無駄にすることであると恐れ多く思わなければならない。 けれども、 仏法のためであれば、 どれほど使っても、 これで十分だということはないのである。 そしてまた、 仏法のために使うのは、 仏恩報謝にもなるのである。
(226)
^「※人が何の苦労もしないで徳を得る、 その最上のことは、 弥陀を信じておまかせするだけで仏になるということである。 これ以上のことはない」 と仰せになりました。
(227)
^「人はだれでもよいことをいったり、 行ったりすると、 仏法のことであれ世間のことであれ、 自分自身がすでに善人になったと思いこみ、 その思いから、 仏のご恩を忘れ、 自分の心を中心にしてしまう。 そのために、 仏のご加護から見放されてしまい、 世間のことにも仏法のことにも、 悪い心が必ず出てくるようになるのである。 これは本当に大変なことである」 と仰せになりました。
(228)
^*
(229)
^同じく堺の御坊で、 蓮如上人は、 深夜、 蝋燭をともさせて、 お名号をお書きになりました。 そのとき、 「年老いたので、 手も震え、 目もかすんできたが、 お名号を求めているご門徒が、 明日、 *
(230)
^「珍しい食べ物を用意し、 料理してもてなしても、 客がそれを食べなければ無意味である。 念仏の仲間が集まって、 み教えについて語りあっても、 信心を得る人がいなければ、 せっかくのごちそうを食べないのと同じことである」 と仰せになりました。
(231)
^「物事に飽き足りるということはあるけれども、 わたしたち凡夫が仏になるということと、 弥陀のご恩を喜ぶことには、 もはや聞き足りた、 もう十分に喜んだということはない。 焼いてもなくならない貴重な宝は、 南無阿弥陀仏の名号である。 だから、 この宝をわたしたちにお与えくださる弥陀の広大なお慈悲はとりわけすぐれているのであり、 宝である名号をいただいた信心の人を見ただけでも尊く思われるのである。 本当にきわまりのないお慈悲である」 と仰せになりました。
(232)
^「たしかに信心が定まった人は、 仏法のことについては、 わが身を軽くして報謝に努めなければならない。 そして、 仏法のご恩を、 重く大切に敬わなければならないのである」 と仰せになりました。
(233)
^蓮如上人は、 「宿善がすばらしいというのはよくない。 宿善とは阿弥陀仏のお育てのことであるから、 浄土真宗では宿善がありがたいというのがよいのである」 と仰せになりました。
(234)
^他宗では、 仏法にあうことを宿縁によるという。 浄土真宗では、 信心を得ることを宿善が開けたという。 信心を得ることが何より大切なのである。 阿弥陀仏のみ教えは、 あらゆる人々をもらさず救うので、 弘教すなわち広大な教えともいうのである。
(235)
^「み教えについて語るときには、 浄土真宗のかなめである信心、 ただこのこと一つを説き聞かせることが大切である」 と仰せになりました。
(236)
^蓮如上人は、 「*
(237)
^「弥陀を信じておまかせすれば、 南無阿弥陀仏の主になるのである。 南無阿弥陀仏の主になるというのは、 信心を得るということである。 また、 浄土真宗において、 真実の宝というのは南無阿弥陀仏であり、 これが信心である」 と仰せになりました。
(238)
^「浄土真宗の中に身を置きながら、 み教えを謗り、 悪くいう人がいる。 考えてみると、 他宗からの非難であれば仕方がないが、 同じ浄土真宗の中に、 このような人がいるのである。 それであるのに、 わたしたちは尊いご縁があって、 このみ教えを信じる身となったのだから、 本当にありがたいことだと喜ばなければならない」 と仰せになりました。
(239)
^蓮如上人は、 どのような罪を犯したものであっても、 あわれみ不憫にお思いになりました。 重罪人だからといって、 その人を死刑にしたりすることがあると、 とりわけ悲しんで、 「命さえあれば、 心をあらためることもあるだろうに」 と仰せになるのでした。 ご自身で破門にされたものであっても、 心さえあらためれば、 すぐにお許しになったのです。
(240)
^*
(241)
^*
(242)
^「思案のきわまりというべきは、 五*
(243)
^蓮如上人は、 「わたしが生涯の間行ってきたことは、 すべて仏法のことであり、 いろいろな方法を用い、 手だてを尽して、 人々に信心を得させるためにしてきたことである」 と仰せになりました。
(244)
^同じくご病床にあった蓮如上人が、 「今、 わたしがいうことは、 仏のまことの言葉である。 しっかりと聞いてよく心得なさい」 と仰せになりました。 また、 ご自身がお詠みになった和歌についても、 「三十一文字の歌をつくったからといって、 風雅の思いを詠んだのではない。 すべてみ教えにほかならないのである」 と仰せになりました。
(245)
^「ª三人集まると、 よい知恵が浮かぶº という言葉があるように、 どんなことも集まって話しあえば、 はっとするようなよい考えが出てくるものだ」 と、 蓮如上人が実如上人に仰せになりました。 これもまた仏法の上では、 きわめて大切なお諭しです。
(246)
^蓮如上人が法敬坊順誓に、 「法敬とわたしとは兄弟である」 と仰せになりました。 法敬坊が、 「これはもったいない、 恐れ多いことでございます」 と申しあげると、 上人は、 「信心を得たなら、 先に浄土に生れるものは兄、 後に生れるものは弟である。 だから、 法敬とは兄弟である」 と仰せになりました。 これは、 ¬*
(247)
^蓮如上人は、 山科本願寺南殿の山水の庭園に面した縁側にお座りになって、 「あらかじめ思っていたことと、 実際とは違うものであるが、 その中でも大きく違うのは、 極楽へ往生したときのことであろう。 この世で極楽のありさまを想い浮べて、 ありがたいことだ、 尊いことだと思うのは、 大したことではない。 実際に極楽へ往生してからの喜びは、 とても言葉ではいい表すことができないであろう」 と仰せになりました。
(248)
^「人は、 嘘をつかないようにしようと努めることを大変よいことだと思っているが、 心に嘘いつわりのないようにしようと努める人はそれほど多くはいない。 また、 よいことは、 なかなかできるものではないとしても、 世間でいう善、 仏法で説く善、 ともに心がけて行いたいものである」 と仰せになりました。
(249)
^蓮如上人は、 「¬安心決定鈔¼ を四十年余りの間拝読してきたが、 読み飽きるということのないお聖教である」 と仰せになりました。 また、 「黄金を掘り出すようなお聖教である」 とも仰せになりました。
(250)
^大坂の御坊で、 蓮如上人は集まっていた人々に対し、 「先日、 わたしが話したことは ¬安心決定鈔¼ のほんの一部である。 浄土真宗のみ教えでは、 この ¬安心決定鈔¼ に説かれていることが、 きわめて大切なのである」 と仰せになりました。
(251)
^法敬坊が、 「※ご法義を尊んでいる人よりも、 ご法義を尊いと喜ぶ人の方が尊く思われます」 と申しあげたところ、 蓮如上人は、 「おもしろいことをいうものだ。 ご法義を尊んでいるすがたをあらわにし、 ありがたそうに振舞う人は尊くもない。 ただありがたいと尊んで素直に喜ぶ人こそ、 本当に尊いのである。 おもしろいことをいうものだ。 法敬は道理にかなっていることをいった」 と仰せになりました。
(252)
^これは蓮悟さまの夢の記録です。
*
(253)
^これも蓮悟さまの夢の記録です。
文亀三年十二月二十八日の夜の夢である。 蓮如上人が法衣に袈裟というお姿で襖をあけてお出ましになったので、 ご法話をされるのだ、 聴聞しようと思っていたところ、 衝立に書かれている御文章のお言葉をわたしが読んでいるのをご覧になって、 「それは何か」 とお尋ねになった。 そこで、 「御文章でございます」 と申しあげると、 「それこそ大切である。 心してよく聞きなさい」 と仰せになったのである。
(254)
^これも蓮悟さまの夢の記録です。
*
(255)
^これも蓮悟さまの夢の記録です。
大永三年一月一日の夜の夢である。 山科本願寺の南殿で、 蓮如上人がご法義についていろいろとお話しになった後で、 「地方にはまだ自力の心のものがいるが、 その心を捨てるようきびしく教え導きなさい」 と仰せになったのである。
(256)
^これも蓮悟さまの夢の記録です。
*
^次の夜の夢である。 兄、 *
^夢の数々を書き記したことについてのわたしの思いはこうである。 蓮如上人がこの世を去られたので、 今はその一言の仰せも大切であると思われる。 このように夢の中に現れて仰せになるお言葉も、 ご存命のときと同じ尊い仰せであり、 真実の仰せであると受けとめているので、 これを書き記したのである。 ここに記したことは本当に夢のお告げともいうべきものである。 夢というのは概して妄想であるが、 仏や菩薩の*
(257)
^※蓮如上人は、 「*
(258)
^蓮如上人は、 「仏法について語りあうとき、 念仏の仲間を ª方々º というのは不作法である。 ª御方々º というのがよい」 と仰せになりました。
(259)
^蓮如上人は、 「家をつくるにしても、 頭さえ雨に濡れなければ、 後はどのようにつくってもよい」 と仰せになりました。 何ごとにつけても、 度をこえたことをおきらいになり、 「衣服などに至るまでも、 よいものを着たいと思うのはあさましいことである。 目に見えない仏のおはたらきをありがたく思い、 仏法のことだけを心がけるようにしなさい」 と仰せになりました。
(260)
^蓮如上人は、 「どんな人であっても、 浄土真宗のご法義を喜ぶ家で働くことになったら、 昨日までは他宗の門徒であっても、 今日からは仏法のお仕事をさせていただくのだと心得なければならない。 商売などの仕事もすべて、 仏法のお仕事と心得なければならないのである」 と仰せになりました。
(261)
^蓮如上人は、 「雨の降る日や暑さのきびしいときは、 おつとめを長々としないで、 はやく終えるようにし、 参詣の人々を帰らせるのがよい」 と仰せになりました。 これも上人のお慈悲であり、 人々をいたわってくださったのです。 そのお心は、 仏の*
(262)
^*
(263)
^蓮如上人は、 「ご門徒たちが納めてくれた初物を、 すぐに他宗へあげてしまうのはよくない。 一度でも二度でもこちらでいただいて、 それから他へもあげるのがよい」 と仰せになりました。 このようなお考えは、 他の人の思いもよらないことです。 ご門徒たちが納めてくださったものは、 すべて仏法のおかげであり、 仏のご恩であるから、 おろそかに思うことがあってはなりません。 本当にはっとさせられる仰せです。
(264)
^法敬坊が大坂の御坊へおうかがいしたとき、 蓮如上人は法敬坊に対して、 「わたしが往生しても、 あなたはその後十年は生きるであろう」 と仰せになりました。 法敬坊は不審に思って、 いろいろと申しあげたのですが、 上人は重ねて、 「十年は生きるであろう」 と仰せになりました。 上人が往生されて一年経った時、 なお健在であった法敬坊に、 ある人が、 「蓮如上人が仰せになっていた通りになりましたね。 というのも、 上人がご往生の後、 あなたが一年もご存命であったのは、 上人より命を与えていただいたからなのです」 といいました。 すると法敬坊は、 「本当にそのようでございます」 といって、 手をあわせ、 「ありがたいことだ」 と感謝しました。 このようなわけで、 法敬坊は蓮如上人が仰せになった通り、 十年命をながらえました。 本当に仏のご加護を賜った不思議な人です。
(265)
^蓮如上人は、 「どんなことであれ、 不必要なことをするのは、 仏のご加護を軽視する振舞いである」 と、 何かにつけていつも仰せになったということです。
(266)
^蓮如上人は、 「食事をいただくときにも、 阿弥陀如来・親鸞聖人のご恩によって恵まれたものであることを忘れたことはない」 と仰せになりました。 また、 「ただ一口食べても、 そのことが思いおこされてくるのである」 とも仰せになりました。
(267)
^蓮如上人はお食事のお膳をご覧になっても、 「普通はいただくことのできない、 仏より賜ったご飯を口にするのだとありがたく思う」 と仰せになりました。 それで、 食べ物をすぐに口にされることもなく、 「ただ仏のご恩の尊いことばかりを思う」 とも仰せになりました。
(268)
^これは蓮悟さまの夢の記録です。
*
(269)
^「人々は仏法を好まないから、 仏法に親しむように心がけないのです」 と、 *
(270)
^蓮如上人は、 「仏法を信じない人は、 仏法を病気のようにきらうものである。 ご法話を聞いていて、 ああ気づまりだ、 はやく終ればよいのにと思うのは、 仏法を病気のようにきらっているのではないか」 と仰せになりました。
(271)
^*大永五年一月二十四日、 ご病床にあった実如上人が、 「※蓮如上人がはやくわたしのところに来いと左手で手招きをしておられる。 ああ、 ありがたい」 と、 繰り返し仰せになって、 お念仏を申されるので、 側にいた人々は、 病のためにお心が乱れて、 このようなことをも仰せになるのであろうと心配しました。 ところが、 そうではなくて、 「うとうとと眠ったときの夢で見たのだ」 と、 後で仰せになったので、 人々はみな安心しました。 これもまた尊い不思議なことです。
(272)
^大永五年一月二十五日、 実如上人が弟の蓮淳さま、 蓮悟さまに対して、 蓮如上人が本願寺の地位を譲られてからのことをいろいろお話しになりました。 そして、 ご自身の安心のことをお述べになり、 「弥陀を信じておまかせし、 往生はたしかに定まったと心得ている。 それは、 蓮如上人のご教化のおかげであり、 今日まで自分こそがと思う心を持たなかったことがうれしい」 と仰せになりました。 この仰せは本当にありがたく、 また、 深く驚かされるものです。 わたしも人々も、 このように心得てこそ、 *
(273)
^「¬*
(274)
^親鸞聖人のことをただ 「聖人」 とじかにお呼びすると、 粗略な感じがする。 「この聖人」 と指し示していうのも、 やはり粗略であろう。 「開山」 というのは略するときだけに用いてもよいであろう。 「開山聖人」 とお呼びするのがよいのである。
(275)
^¬嘆徳文¼ に 「以て弘誓に託す」 とあるのを、 その 「以て」 を抜いては読まないのである。
(276)
^蓮如上人が堺の御坊におられたとき、 ご子息の蓮淳さまが訪ねて来られました。 上人はそのとき御堂で、 机の上に御文章を置いて、 一人二人、 五人十人と、 参詣してきた人々に対して、 御文章を読み聞かせておられました。 その夜、 いろいろとお話しになったときに、 上人は、 「近ごろ、 おもしろいことを思いついた。 一人でもお参りの人がいるならば、 いつも御文章を読んで聞かせることにしよう。 そうすれば、 仏法に縁のある人は信心を得るであろう。 近ごろ、 こんなおもしろいことを考え出したのだ」 と、 繰り返し仰せになりました。 蓮淳さまはこのお言葉を聞いて、 「御文章が大切であることがますますわかった」 と仰せになりました。
(277)
^※ある人が、 「この世のことに関心を持つのと同じくらい、 仏法のことに心を寄せたいものです」 といったところ、 蓮如上人は、 「仏法を世間のことと対等に並べていうのは、 粗雑である。 ただ仏法のことだけを深く喜びなさい」 と仰せになりました。 ^また、 ある人が、 「仏法は、 一日一日今日を限りと思って心がけるものです。 一生の間と思うから、 わずらわしく思うのです」 というと、 別の人が、 「わずらわしいと思うのは、 仏法を十分心得ていないからです。 人の命がどれほど長くても、 仏法は飽きることなく喜ぶべきものです」 といいました。
(278)
^「僧侶は他の人々までも教え導くことができるのに、 自分自身を教え導くことができないでいるのは、 情ないことである」 と仰せになりました。
(279)
^赤尾の道宗が、 蓮如上人に御文章を書いていただきたいとお願いしたところ、 上人は、 「御文章は落としてしまうこともあるから、 何よりまず信心を得なさい。 信心をいただきさえすれば、 それは落とすことがないのである」 と仰せになりました。 その上で、 上人は次の年に御文章をお書きになって、 道宗にお与えになったのでした。
(280)
^法敬坊が、 「仏法の話をするとき、 み教えを心から求めている人を前にして語ると、 ※力が入って話しやすい」 といわれました。
(281)
^「信心もない人が大切なお聖教を所有しているのは、 幼い子供が剣を持っているようなものだと思う。 どういうことかというと、 剣は役に立つものであるけれども、 幼い子供が持てば、 手を切ってけがをする。 十分、 心得のある人が持てば、 本当に役に立つものとなるのである」 と仰せになりました。
(282)
^蓮如上人は、 「今このときでも、 わたしが死ねと命じたならば、 死ぬものはいるだろう。 だが、 信心を得よといっても、 信心を得るものはいないだろう」 と仰せになりました。
(283)
^大坂の御坊で、 蓮如上人は参詣の人々に対し、 「信心一つで、 凡夫の往生が定まるというのは、 何よりも深遠な、 ※秘事秘伝のみ教えではないか」 と仰せになりました。
(284)
^蓮如上人が御堂を建立されたとき、 法敬坊が、 「何もかも不思議なほど立派で、 ながめなども見事でございます」 と申しあげたところ、 上人は、 「わたしはもっと不思議なことを知っている。 凡夫が仏になるという、 何より不思議なことを知っているのである」 と仰せになりました。
(285)
^蓮如上人が、 善従に掛軸にするためのご法語を書いてお与えになりました。 その後、 上人が善従に、 「以前、 書き与えたものをどのようにしているか」 とお尋ねになったので、 善従は、 「表装をいたしまして、 箱に入れ大切にしまってあります」 とお答えしました。 すると上人は、 「それはわけのわからないことをしたものだ。 いつも掛けておいて、 その言葉通りの心持ちになれよ、 ということであったのに」 と仰せになりました。
(286)
^蓮如上人は、 「わたしの側近くにいて仕え、 いつも仏法を聴聞しているものは、 ※お役目という思いを忘れて法話を聞いたなら、 浄土に往生して仏になるであろう」 と仰せになりました。 これは本当にありがたい仰せです。
(287)
^蓮如上人が僧侶たちに対して、 「僧侶というものは大罪人である」 と仰せになりました。 一同が戸惑っておりますと、 上人は続けて 「罪が重いからこそ、 阿弥陀仏はお救いくださるのである」 と仰せになりました。
(288)
^毎日御文章の尊いお言葉を聴聞させてくださることは、 そのつど宝をお与えになっているということなのです。
(289)
^親鸞聖人がご在世のころ、 高田の*
(290)
^「体が暖かくなると眠くなる。 何とも情ないことである。 だから、 そのことをよく心得て、 体をすずしくたもち、 眠気をさますようにしなければならない。 体を思うがままにしていると、 仏法のことも世間のことも、 ともに怠惰になり、 ぞんざいで注意を欠くようになる。 これは心得ておくべき非常に大切なことである」 と仰せになりました。
(291)
^「信心を得たなら、 念仏の仲間に荒々しくものをいうこともなくなり、 心もおだやかになるはずである。 *
(292)
^蓮如上人が北国のあるご門徒のことについて、 「どうして長い間京都にやって来ないのか」 とお尋ねになりました。 お側のものが、 「あるお方のきびしいお叱りがあったからです」 とお答え申しあげたところ、 上人はたいそうご機嫌が悪くなり、 「ご開山聖人のご門徒をそのように叱るものがあってはならない。 わたしはだれ一人としておろそかには思わないのに。 ªどのようなものが何をいおうとも、 はやく京都に来るようにº と伝えなさい」 と仰せになりました。
(293)
^蓮如上人は、 「ご門徒の方々を悪くいうことは、 決してあってはならない。 ご開山聖人は、 *
(294)
^蓮如上人は、 「ご開山聖人のもっとも大切なお客人というのは、 ご門徒の方々のことである」 と仰せになりました。
(295)
^ご門徒の方々が京都にやって来ると、 蓮如上人は、 寒いときには、 酒などをよく温めさせて、 「道中の寒さを忘れられるように」 と仰せになり、 また暑いときには、 「酒などを冷せ」 と仰せになりました。 このように上人自ら言葉を添えて指示されたのです。 また、 「ご門徒が京都までやって来られたのに、 取り次ぎがおそいのはけしからんことだ」 と仰せになり、 「ご門徒をいつまでも待たせて、 会うのがおそくなるのはよくない」 とも仰せになりました。
(296)
^「何ごとにおいても、 善いことを思いつくのは仏のおかげであり、 悪いことでも、 それを捨てることができたのは仏のおかげである。 悪いことを捨てるのも、 善いことを取るのも、 すべてみな仏のおかげである」 と仰せになりました。
(297)
^蓮如上人は、 ご門徒からの贈物を衣の下で手をあわせて拝まれるのでした。 また、 すべてを仏のお恵みと受けとめておられたので、 ご自身の着物までも、 足に触れるようなことがあると、 うやうやしくおしいただかれるのでした。 「ご門徒からの贈物は、 とりもなおさず親鸞聖人から恵まれたものであると思っている」 と仰せになりました。
(298)
^「仏法においては、 愛するものと別れる悲しみにも、 求めても得られない苦しみにも、 すべてどのようなことにつけても、 このたび必ず浄土に往生させていただくことを思うと、 喜びが多くなるものである。 それは仏のご恩である」 と仰せになりました。
(299)
^「仏法に深く帰依した人に親しみ近づいて、 損になることは一つもない。 その人がどれほどおかしいことをし、 ばかげたことをいっても、 心には必ず仏法があると思うので、 その人に親しんでいる自分に多くの徳が得られるのである」 と仰せになりました。
(300)
^蓮如上人が仏の化身であるということの証拠は数多くあります。 そのことは前にも記しておきました。 上人の詠まれた歌に、
かたみには六字の御名をのこしおく
なからんあとのかたみともなれ
わたしの亡き後にわたしを思い出す形見として、 南無阿弥陀仏の六字の名号を残しておく。
というのがあります。 この歌からも、 上人が弥陀の化身であるということが明らかに知られるのです。
(301)
^蓮如上人はお子さまたちにしばしばご自分の足をお見せになりました。 その足には、
(302)
^蓮如上人は、 「悪い人のまねをするより、 信心がたしかに定まった人のまねをしなさい」 と仰せになりました。
(303)
^蓮如上人は病をおして、 大坂の御坊より京都山科の本願寺へ出向かれました。 その途中、 *
(304)
^「存覚上人は*
(305)
^「存覚上人が ¬六要鈔¼ をお書きになったのは、 ご自身の学識を示すためではない。 親鸞聖人のお言葉をほめたたえるため、 崇め尊ぶためである」 と仰せになりました。
(306)
^存覚上人は次のような辞世の歌をお詠みになりました。
いまははや一夜の夢となりにけり
往来あまたのかりのやどやど
この迷いの世界を仮の宿として、 数えきれないくらい生と死を繰り返してきた。 だが、 今ではそれもただ一夜の夢となってしまった。
この歌について、 蓮如上人は、 「存覚上人はやはり釈尊の化身なのである。 この世界に何度も何度も生れ変って、 人々をお救いになったというお心と同じである」 と仰せになり、 また、 「わたし自身に引き寄せてうかがうと、 この迷いの世界に数えきれないくらい生と死を繰り返してきた身が、 臨終のときを迎えた今、 浄土に往生して仏のさとりを開くことになるであろう、 というお心である」 と仰せになりました。
(307)
^蓮如上人は、 「万物を生み出す力に、 陽の気と陰の気とがある。 陽の気を受ける日向の花ははやく開き、 陰の気を受ける日陰の花はおそく咲くのである。 これと同じように、 *
(308)
^蓮如上人が廊下をお通りになっていたとき、 紙切れが落ちているのをご覧になって、 「阿弥陀仏より恵まれたものを粗末にするのか」 と仰せになり、 その紙切れを拾って、 両手でおしいただかれたのでした。 「蓮如上人は、 紙切れのようなものまですべて、 仏より恵まれたものと考えておられたので、 何一つとして粗末にされることはなかった」 と、 実如上人は仰せになりました。
(309)
^ご往生のときが近くなってきたころ、 蓮如上人は、 「わたしたこの病の床でいうことは、 すべて仏のまことの言葉である。 気をつけてしっかりと聞きなさい」 と仰せになりました。
(310)
^ご病床にあった蓮如上人は、 慶聞坊を呼び寄せて、 「わたしには※不思議に思われることがある。 病のためにぼんやりしているが、 気を取り直して、 あなたに話そう」 と仰せになりました。
(311)
^蓮如上人は、 「世間のことについても、 仏法のことについても、 わが身を軽くして努めるのがよい」 と仰せになりました。 黙りこんでいるものをおきらいになり、 「仏法について語りあう場で、 ものをいわないのはよくない」 と仰せになり、 また小声でものをいうのも 「よくない」 と仰せになりました。
(312)
^蓮如上人は、 「仏法は心がけが肝心。 世間も心がけが肝心」 と、 対句にして仰せになりました。 ^また、 「み教えは言うほどに値うちが出る。 庭の松は*
(313)
^蓮如上人がご存命のころ、 蓮悟さまが堺で模様入りの麻布を買い求めたところ、 上人は、 「そのようなものはわたしのところにもあるのに、 無駄な買物をしたものだ」 と仰せになりました。 蓮悟さまが、 「これはわたしのお金で買い求めたものです」 とお答え申しあげると、 上人は、 「そのお金は自分のものか。 何もかも仏のものである。 阿弥陀如来・親鸞聖人のお恵みでないものは、 何一つとしてないのである」 と仰せになりました。
(314)
^蓮如上人が蓮悟さまに贈物をしたところ、 蓮悟さまは、 「わたしにはもったいないことです」 といって、 お受け取りになりませんでした。 すると上人は、 「与えられたものは素直に受け取りなさい。 そして、 信心もしっかりといただくようにしなさい。 信心がないから仏のお心にかなわないといって、 贈物を受け取らないようだけれども、 それはつまらないことである。 わたしが与えると思うのか。 そうではない。 すべてみな仏のお恵みである。 仏のお恵みでないものがあるだろうか」 と仰せになりました。
蓮如上人御一代記聞書 末
「南無」 といふはすなはちこれ帰命なり、 またこれ発願回向の義なり。 「阿弥陀仏」 といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。
と南無阿弥陀仏の六字の聖教を拝見申すも、 うかうかと拝みまうすはその詮なし。 蓮如上人は、 ただ聖教をばくれくれと仰せられ候ふ。 また百遍これをみれば義理おのづから得ると申すこともあれば、 心をとどむべきことなり。
となっている。 このなか、 「心をとどむべきことなり」 について、 「聖教を拝見申すも、 うかうかと拝みまうすはその詮なし」 ということに対して、 あるいは蓮如上人の 「ただ聖教をばくれくれ」 という言葉に対して、 留意せよという意味とする解釈と、 「聖教を拝見す」 に当っては、 よくよく留意して拝見しなければならないという意味とする解釈とがある。一流の中において仏法を
三月十八日の事か、 善従存如上人 ˆ正月二十四日の事なりˇ 御夢に御覧せられて、 とくこひまゐれと仰せらるると御覧せられけるとぞ御夢想ありけるとぞ仰せられけると云々。
とあり、 病床にある蓮如上人の夢に存如上人が現れて、 「わたしのところへはやく来い」 と仰せになったことを指しているようにも考えられる。