09990557みょうしょう ほん

 

【1】 ひそかに​おもんみれ​ば、 *人身にんじんうけがたくぶっきょうあひ​がたし。 しかるに​いま、 *へんしゅうなれども人身にんじんを​うけ、 末代まつだいなれどもぶっきょうに​あへ​り。 しょうを​はなれ​て*ぶっに​いたら​ん​こと、 いま​まさしく​これ​とき​なり。 このたび​つとめ​ず​して、 もしさんに​かへり​なば、 まことにたからやまり​て、 を​むなしく​して​かへら​ん​が​ごとし。 なかんづくに、 じょうの​かなしみ​は​まなこ​の​まへ​に​みて​り、 ひとり​として​も​たれ​か​のがる​べき。 三悪さんまくヂゴクガクヰチフシヤウノきょうヒノアナ は​あし​の​した​に​あり、 仏法ぶっぽうぎょうぜ​ずは​いかでか​まぬかれ​ん。 みな​ひと​こころ​を​おなじく​して、 ねんごろに仏道ぶつどうを​もとむ​べし。

【2】 しかるに仏道ぶつどうにおいて​さまざま​のもんあり。 いはゆるけんぎょうみっきょうだいじょう小乗しょうじょうごんきょうじっきょう*きょう*ろん、 その*はっしゅうしゅうに​わかれ、 その千差せんじゃ万別まんべつなり。 いづれ​もしゃ一仏いちぶつせつなれば、 やくみな甚深じんじんなり。 せつの​ごとくぎょうぜ​ば​ともにしょうづ​べし、 きょうの​ごとくしゅせ​ば​ことごとくだいべし。

ただし1000とき末法あっぽうに​および、 *こんに​なり​て、 かのしょぎょうにおいて​は、 そのぎょうじょうじゅしてぶっを​え​ん​こと​はなはだ0558かたし。 いはゆるしゃくそんめつにおいて、 しょう像末ぞうまつさんあり。 その​うち​しょうぼう千年せんねんの​あひだ​はきょうぎょうしょうつ​ともにそくし​き、 像法ぞうぼう千年せんねんの​あひだ​は教行きょうぎょうあり​と​いへどもしょうの​ひと​なし、 末法あっぽう万年まんねんの​あひだ​はきょうのみ​あり​て行証ぎょうしょうは​なし。

いまは​すなはち末法まっぽうの​はじめ​なれば、 ただしょしゅうきょうもんは​あれども、 まことにぎょうを​たてしょうを​うる​ひと​は​まれなる​べし。 されば智慧ちえを​みがき​煩悩ぼんのうだんぜ​ん​こと​も​かなひがたく、 こころ​を​しづめ​てぜんじょうしゅせ​ん​こと​も​ありがたし。

【3】 ここ​に念仏ねんぶつおうじょう一門いちもん末代まつだい相応そうおう要法ようぼうけつじょうおうじょうしょういんなり。 このもんにとりて、 また専修せんじゅ雑修ざっしゅもんあり。

専修せんじゅといふは、 ただ弥陀みだ一仏いちぶつがんし、 ひとすぢに称名しょうみょう念仏ねんぶついちぎょうを​つとめ​て他事たじを​まじへ​ざる​なり。

雑修ざっしゅといふは、 おなじく念仏ねんぶつもうせ​ども、 かねてぶつさつをもねんじ、 また一切いっさいぎょうごうをも​くはふる​なり。

この​ふたつ​の​なか​には、 専修せんじゅをもつてけつじょうおうじょうごうと​す。 その​ゆゑは弥陀みだ本願ほんがんぎょうなる​がゆゑに、 *しゃくそんぞくほうなる​がゆゑに、 *諸仏しょぶつ証誠しょうじょうぎょうなる​がゆゑなり。

おほよそ弥陀みだ如来にょらいさん諸仏しょぶつ*ほん1001なれば、 おんじつじょうぶつにて​ましませ​ども、 しゅじょうおうじょうけつじょうせ​んがために、 しばらく法蔵ほうぞう比丘びくと​なのり​て、 そのしょうがくじょうじ​たまへ​り。

かの*こうゆいの​むかし、 ぼんおうじょうの​たね0559を​えらびさだめ​られ​し​とき、 布施ふせかい忍辱にんにくしょうじんとうの​もろもろ​の​わづらはしきぎょうをば​えらび​すて​て、 称名しょうみょう念仏ねんぶついちぎょうをもつて​その本願ほんがんと​し​たまひ​き。 「念仏ねんぶつぎょうじゃもしおうじょうせずは、 われ​もしょうがくら​じ」 とちかひ​たまひ​し​に、 そのがんすでにじょうじゅして、 じょうぶつより​このかた​いまに十劫じっこうなり。

如来にょらいしょうがくすでにじょうじ​たまへ​り、 しゅじょうおうじょうなんぞうたがは​ん​や。

これ​によりてしゃくそんは​このほうを​えらび​て*なんぞくし、 諸仏しょぶつしたを​のべ​て​これ​を証誠しょうじょうし​たまへ​り。

かるがゆゑに一向いっこうみょうごうしょうする​ひと​は、 そんおんこころ​に​かなひ、 諸仏しょぶつほんじゅんずる​がゆゑにおうじょうけつじょうなり。

しょぎょうは​しからず。 弥陀みだせんじゃく本願ほんがんに​あらず、 しゃくそんぞくきょうに​あらず、 諸仏しょぶつ証誠しょうじょうほうに​あらざる​がゆゑなり。

【4】 されば*善導ぜんどうしょうの ¬*おうじょう礼讃らいさん¼ の​なか​に、 くはしくぎょう得失とくしつを​あげ​られ​たり。

まづ専修せんじゅとくを​ほめ​て​いはく、 「もし​よくかみの​ごとく念々ねんねん相続そうぞくして、 ひつみょうイノチオハルヲと​するカギリトスルモノハもの​は、 じゅうは​すなはちじゅうながらうまれ、 ひゃくは​すなはちひゃくながらうまる。 なにをもつてのゆゑに。 雑縁ぞうえんなく​してしょうねんる​がゆゑに1002ぶつ本願ほんがん相応そうおうする​がゆゑに、 きょうせざる​がゆゑに、 ぶつずいじゅんする​がゆゑに」 といへり。

雑縁ぞうえんなく​してしょうねんる​がゆゑに」 といふは、 ぞうぎょう雑善ぞうぜんを​くはへ​ざれ​ば、 その​こころ散乱さんらんせず​していっ0560しんしょうねんじゅうす​となり。

ぶつ本願ほんがん相応そうおうする​がゆゑに」 といふは、 弥陀みだ本願ほんがんに​かなふ​といふ。

きょうせざる​がゆゑに」 といふは、 しゃくそんの​をしへ​にたがは​ず​となり。

ぶつずいじゅんする​がゆゑに」 といふは、 諸仏しょぶつの​みこと​に​したがふ​となり。

 つぎ​に雑修ざっしゅしつを​あげ​て​いはく、 「もしせんて​て雑業ぞうごうしゅせ​ん​と​する​もの​は、 ひゃくの​とき​に​まれにいちせんの​とき​に​まれにさん

なにをもつてのゆゑに。 雑縁ぞうえん乱動らんどうしてしょうねんうしなふ​に​よる​がゆゑに、 ぶつ本願ほんがん相応そうおうせざる​に​よる​がゆゑに、 きょうそうする​がゆゑに、 ぶつじゅんぜ​ざる​がゆゑに、 ねん相続そうぞくせざる​がゆゑに、 憶想おくそう間断けんだんする​がゆゑに、 がんいんじゅう真実しんじつならざる​がゆゑに、 とんしん諸見しょけん煩悩ぼんのうきたり​て間断けんだんする​がゆゑに、 ざんして​とが​を​くゆる​こと​なき​がゆゑに、

また相続そうぞくして仏恩ぶっとん念報ねんぽうせざる​がゆゑに、 しんきょうまんしょうじ​てごうぎょうを​なす​と​いへども、 つね​にみょう相応そうおうする​がゆゑに、 にんみづからおおひ​てどうぎょうぜんしき親近しんごんせざる​がゆゑに、 ねがひ​て雑縁ぞうえんに​ちかづき​て、 おうじょう正行しょうぎょう1003しょうしょうする​がゆゑに」 といへり。

雑修ざっしゅの​ひと​は弥陀みだ本願ほんがんに​そむき、 しゃ所説しょせつに​たがひ、 諸仏しょぶつ証誠しょうじょうに​かなは​ず​と​きこえ​たり。

 なほ​かさねてぎょう得失とくしつはんじ​て​いはく、 「こころを​もつぱらに​して​なす​もの​は、 じゅうは​すなはちじゅうながらうまる。 ぞう0561しゅしてしんいたさ​ざる​もの​は、 せんの​なか​に​ひとり​も​なし」 といへり。

雑修ざっしゅの​ひと​のおうじょうしがたき​こと​を​いふ​に、 はじめ​には、 しばらくひゃくの​とき​にいちを​ゆるし、 せんの​とき​にさんぐ​と​いへども、 のち​には​つひに千人せんにんの​なか​に​ひとり​も​ゆか​ず​とさだむ。 *三昧さんまい発得ほっとくにん、 ことば​をつくし​てしゃくし​たまへ​り。 もつとも​これ​をあおぐ​べし。

【5】 おほよそ 「一向いっこう専念せんねんりょう寿じゅぶつ」 といへる​は、 ¬*だいきょう¼ のじょうせつなり。 しょぎょうを​まじふ​べから​ず​と​みえ​たり。

一向いっこうせんしょう弥陀みだぶつみょう(*散善義)はんずる​は、 しょう (善導)しゃくなり。 念仏ねんぶつを​つとむ​べし​と​きこえ​たり。

この​ゆゑに*源空げんくうしょうにんこの​むね​を​をしへ、 *親鸞しんらんしょうにんその​おもむき​を​すすめ​たまふ。 *いちりゅうしゅうさらに​わたくし​なし。 まことに​このたびおうじょうを​とげ​ん​と​おもは​ん​ひと​は、 かならず一向いっこう専修せんじゅ念仏ねんぶつぎょうず​べき​なり。

 しかるに*うるはしく一向いっこう専修せんじゅに​なる​ひと​は​きはめて​まれなり。 「かたき​が​なか​に1004かたし」 といへる​は、 ¬きょう¼ (大経・下)もんなれば、 まことに*ことわりなる​べし。

その​ゆゑ​をあんずる​に、 いづれのぎょうにても、 もとより​つとめ​きたれ​るぎょうを​すてがたく​おもひ、 ごろこうを​いれ​つるぶつさつを​さしおきがたく​おもふ​なり。

これ​すなはち、 念仏ねんぶつぎょうずれ​ば諸善しょぜんは​その​なか​に​ある​こと​を​しら​ず、 弥陀みだすれ​ば諸仏しょぶつおん0562こころ​に​かなふ​と​いふ​こと​をしんぜ​ず​して、 如来にょらいどくうたがひ、 念仏ねんぶつの​ちから​を​あやぶむ​がゆゑなり。

 おほよそかいぜんの​つとめ​も*てんぎょう*誦呪じゅじゅぜんも、 そのもんり​てぎょうぜ​ん​に、 いづれ​もやくむなしかる​まじけれ​ども、 それ​は​みなしょうにんしゅぎょうなる​がゆゑに、 ぼんにはじょうじがたし。

われら​も過去かこにはさんごうしゃ諸仏しょぶつの​みもと​にして、 だいだいしんおこし​て仏道ぶつどうしゅせ​しか​ども、 りきかなは​ず​して​いま​までてんぼんと​なれ​り。 いま​このにて​そのぎょうしゅせ​ば、 ぎょうごうじょうぜ​ず​して​さだめてしょうでがたし。

されば善導ぜんどうしょうしゃく (散善義) に、 「わがさいより​このかた、 と​ともにどうがんおこし​てあくだんじ、 さつどうぎょうじ​き。 は​ことごとくしんみょうしま​ず。 どうぎょうくらいに​すすみ​て、 いんまどかにじゅくす。 しょうしょうせ​る​もの*だいじんえ​たり。 しかるに​われらぼんない今日こんにちまで、 ねん1005としてろうす」 といへる​は​この​こころ​なり。

しかれば、 仏道ぶつどうしゅぎょうは、 よくよくきょうと​の分限ぶんげんを​はかり​て​これ​をぎょうず​べき​なり。 すべからく末法まっぽう相応そうおうぎょうし​て、 けつじょうおうじょうの​のぞみ​を​とぐ​べし​となり。

【6】 そもそも、 この念仏ねんぶつは​たもちやすき​ばかり​にてどくぎょうより​もれつならば、 おなじく​つとめ​ながら​も​その*いさみ​なかる​べき​に、 ぎょうじやすく​してどくしょぎょうに​すぐれ0563しゅしやすく​して*しょうぜんに​すぐれ​たり。 弥陀みだ諸仏しょぶつほん念仏ねんぶつしょきょう肝心かんじんなる​がゆゑなり。

これ​によりて、 ¬だいきょう¼ には一念いちねんをもつてだいじょうどくき、 ¬*小経しょうきょう¼ には念仏ねんぶつをもつて善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんと​する​むね​をき、 ¬*かんぎょう¼ には念仏ねんぶつぎょうじゃを​ほめ​てにんちゅうふん陀利だりに​たとへ、 ¬*般舟はんじゅきょう¼ には 「さん諸仏しょぶつみな*弥陀みだ三昧ざんまいに​より​てしょうがくを​なる」 (意)けり。

この​ゆゑに善導ぜんどうしょうしゃく (*定善義) に​いはく、 「自余じよ衆善しゅぜん すいみょうぜん にゃく念仏ねんぶつしゃ ぜんきょう」 といへり。 こころ​は、 「自余じよの​もろもろ​のぜんも、 これぜんづく​と​いへども、 もし念仏ねんぶつに​たくらぶれ​ば、 まつたく​ならべ​たくらぶ​べき​に​あらず」 となり。

また​いはく、 「念仏ねんぶつ三昧ざんまい のうちょうぜつ じつ雑善ぞうぜん とくるい(散善義) といへり。 こころ​は、 「念仏ねんぶつ三昧ざんまいのうぜんえ​すぐれ1006て、 まことに雑善ぞうぜんをもつて​たぐひ​と​する​こと​をる​に​あらず」 となり。

 ただじょういっしゅうのみ念仏ねんぶつぎょうを​たふとむ​に​あらず。 しゅうこうまた​おほく弥陀みだを​ほめ​たり。

天台てんだいだい (*智顗)しゃく (*摩訶止観) に​いはく、 「若唱にゃくしょう弥陀みだ そくしょう十方じっぽうぶつ どくしょうとう 但専たんせん弥陀みだ 法門ほうもんしゅ」 といへり。 こころ​は、 「もし弥陀みだとなふれ​ば、 すなはち​これ十方じっぽうぶつとなふる​とどくまさに​ひとし。 ただ​もつぱら弥陀みだをもつて法門ほうもんあるじと​す」 となり。

また*おんだいしゃく (*西方要決) に​いはく、 「諸仏しょぶつがんぎょう じょうみょう 但能たんのう念号ねんごう ほう衆徳しゅとく0564といへり。 こころ​は、 「諸仏しょぶつがんぎょう、 このじょうず。 ただ​よくみなねんずれ​ば、 つぶさに​もろもろ​のとくぬ」 となり。

おほよそしょしゅうにん念仏ねんぶつを​ほめ西方さいほうを​すすむる​こと、 げ​て​かぞふ​べから​ず。 しげき​がゆゑに​これ​をりゃくす。 ゆめゆめ念仏ねんぶつどくを​おとしめ​おもふ​こと​なかれ。

【7】 しかるに​ひと​つね​に​おもへらく、 つたなき​もの​のぎょうずるほうなれば念仏ねんぶつどくおとる​べし、 たふとき​ひと​のしゅするきょうなればしょきょうまさる​べし​と​おもへ​り。 そのしからず。 こんの​もの​の​すくは​る​べきほうなる​がゆゑに、 ことにさいじょうほうと​は​しら​るる​なり。

ゆゑ​いかんとなれば、 くすりをもつてやまいする​に、 かろきやまい1007をば​かろきくすりをもつて​つくろひ、 おもきやまいをば​おもきくすりをもつて​いやす。 やまいを​しり​てくすりを​ほどこす、 これ​をりょうヨキクスシと​なづく。 如来にょらいは​すなはちりょうの​ごとし。 *かがみ​てほうあたへ​たまふ。

しかるにじょうこんにはしょぎょうさずけ、 こんには念仏ねんぶつを​すすむ。 これ​すなはち、 *かいぎょう*まつたく、 智慧ちえも​あら​ん​ひと​は、 たとへばやまいあさき​ひと​の​ごとし。 かからん​ひと​をばしょぎょうの​ちから​にても​たすけ​つ​べし。 智慧ちえも​なく悪業あくごうふかきまつぼんは、 たとへばやまいおもき​もの​の​ごとし。 これ​をば弥陀みだみょうごうの​ちから​に​あらず​して​は​すくふ​べき​に​あらず。 かるがゆゑに罪悪ざいあくしゅじょうの​たすか0565ほうと​きく​に、 ほうの​ちから​の​すぐれ​たる​ほど​は、 ことに​しら​るる​なり。

されば ¬*せんじゃくしゅう¼ の​なか​に、 「極悪ごくあくさいひとの​ため​に、 しかも極善ごくぜんさいじょうほうく。 れいせ​ば、 かのみょう淵源えんげんやまいちゅうどうぞうくすりに​あらざれ​ば​すなはちする​こと​あたは​ざる​が​ごとし。 いま​このぎゃく重病じゅうびょう淵源えんげんなり。 また​この念仏ねんぶつ霊薬れいやくヨキクスリノぞうキハマリナリなり。 このくすりに​あらず​は、 なんぞ​このやまいせ​ん」 といへる​は、 この​こころ​なり。

 そもそも、 弥陀みだ如来にょらいやくの​ことに​すぐれ​たまへる​こと​は、 煩悩ぼんのうそくぼん*かいほううまるる​がゆゑなり。

善導ぜんどうしょうしゃく (*法事讃・下) に​いはく1008、 「一切いっさいぶつかいごんじょう ぼん乱想らんそうなんしょう 如来にょらいべっ西方さいほうこく じゅうちょうじゅう万億まんおく」 と​いへり。 こころ​は、 「一切いっさいぶつは​みな*いつくしく​きよけれ​ども、 ぼん乱想らんそうおそらくはうまれがたし。 如来にょらいべっし​て西方さいほうこくを​さし​たまふ。 これ​よりじゅうまんおくぎ​たり」 となり。

ことに*しゅく*ほうしょうじょうも​たへに​して​すぐれ​たり。 *密厳みつごん*ぞう宝刹ほうせつも​きよく​して​めでたけれ​ども、 乱想らんそうぼんは​かげ​をも​ささ​ず、 ばくの​われら​は​のぞみ​を​たて​り。

しかるに弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんは、 じゅうあくぎゃくも​みなせっして、 きらは​るる​もの​も​なく、 すて​らるる​もの​も​なし。 あんにょうじょう謗法ほうぼう闡提せんだいも​おなじくうまれ​て、 もるる​ひと​も​なく、 のこる​ひと​も​なし。 諸仏しょぶつじょうに​きらは​れ0566たるしょう女人にょにんは、 かたじけなく*もんみょうおうじょうやくに​あづかり、 けんほのおに​まつは​る​べきぎゃく罪人ざいにんは、 すでに滅罪めつざいとくしょうツミヲケシテムマルしょうヽコトヲウルを​あらはす。

さればちょうがんとも​なづけ、 *不共ふぐしょうともごうす。 かかるしゅしょうほうなる​がゆゑに、 これ​をぎょうずれ​ば諸仏しょぶつさつように​あづかり、 これ​をしゅすれ​ば諸天しょてん善神ぜんじん加護かごを​かうぶる。 ただ​ねがふ​べき​は西方さいほうじょうぎょうず​べき​は念仏ねんぶついちぎょうなり。

 

みょうしょう ほん

 

1009みょう0567しょう まつ

 

【8】 う​て​いはく、 念仏ねんぶつぎょうじゃ*神明しんめいつこうまつら​ん​こと、 いかが​はんべる​べき。

 こたへ​て​いはく、 りゅう所談しょだんは​しら​ず、 親鸞しんらんしょうにんかんの​ごとき​は、 これ​を​いましめ​られ​たり。

いはゆる ¬*教行きょうぎょうしょう文類もんるい¼ のろく (化身土巻)しょきょうもんき​て、 仏法ぶっぽうせ​ん​もの​は、 その*天神てんじん地祇じぎつこうまつる​べから​ざるむねはんぜ​られ​たり。 このの​ごとき​は念仏ねんぶつぎょうじゃに​かぎら​ず、 そうじて仏法ぶっぽうぎょうぶつ弟子でしに​つらなら​ん​ともがら​は、 これ​につこふ​べから​ず​と​みえ​たり。

しかれども、 ひと​みな​しからず、 さだめてぞんずる​ところ​ある​か。 それ​を是非ぜひする​には​あらず。 しょうにん (親鸞)いちりゅうにおきて​は、 もつとも​その所判しょはんを​まもる​べき​ものを​や。

おほよそ神明しんめいにつきて*権社ごんしゃ*実社じっしゃどうあり​と​いへどもないしょうは​しら​ず、 まづどうボムブニの​おもてドウジタマフオモは​みなテハトイフ これりんほう、 なほ​またじゅうしゅどうの​うち​なり1010仏道ぶつどうぎょうぜ​ん​もの、 これ​をことと​す​べから​ず。

ただし​これ​につかへ​ず​とも、 もつぱら​かの神慮しんりょには​かなふ​べき​なり。 これすなはちこう同塵どうじんヒカリヲヤハラゲテチリニマジハルハ結縁けちえんエンヲムスブハジメはじめ八相はっそうじょうどうツヰニブチダウヲナルハもつシユジヤウヲをはりリヤクスルオなるハリナリトイフゆゑに、 すいしゃく0568ほんは、 *しかしながらしゅじょうえんむすび​て​つひに仏道ぶつどうら​しめ​ん​が​ため​なれば、 真実しんじつ念仏ねんぶつぎょうじゃに​なり​て​このたびしょうを​はなれ​ば、 神明しんめいことに​よろこび​を​いだき、 権現ごんげんさだめてみ​をふくみ​たまふ​べし。 一切いっさい*じん*みょうどう念仏ねんぶつの​ひと​をようす​といへる​は​この​ゆゑなり。

【9】 う​て​いはく、 念仏ねんぶつぎょうじゃは、 諸仏しょぶつさつようにも​あづかり、 諸天しょてん善神ぜんじん加護かごをも​かうぶる​べし​といふは、 じょうおうじょうせ​しめ​ん​が​ため​に​ただ信心しんじんしゅし​たまふ​か、 また*こんじょうたいをも​まもり​て​もろもろ​の所願しょがんをもじょうじゅせ​しめ​たまふ​か。 あきらかに​これ​を​きか​ん​と​おもふ。

 こたへ​て​いはく、 かのぶつ心光しんこう、 この​ひと​をしょうしてて​ず​とも​いひ、 六方ろっぽう諸仏しょぶつ信心しんじんねんす​ともしゃくすれ​ば、 信心しんじんを​まもり​たまふ​こと​はぶつほんなればもうす​に​およば​ず。 しかれども、 まこと​の信心しんじんを​うる​ひと​は、 げんにも​そのやくに​あづかる​なり。

いはゆる善導ぜんどうしょうの ¬*観念かんねん法門ぼうもん¼ に、 ¬*観仏かんぶつ三昧ざんまいきょう¼・¬*じゅうおうじょうきょう¼・¬*じょう三昧さんまいきょう¼・¬*般舟はんじゅ三昧ざんまいきょう¼ とうしょきょうき​て、 一心いっしん弥陀みだ1011おうじょうを​ねがふ​もの​には、 諸仏しょぶつさつかげ​の​ごとくに​したがひ、 諸天しょてん善神ぜんじんちゅうしゅマモリ マモルし​て、 一切いっさいさいワザハヒしょうサハリおのづから*のぞこり、 もろもろ​の​ねがひ​かならず​みつ​べき0569しゃくし​たまへ​り。

 されば弥陀みだぶつは、 げんしょうやくともに​すぐれ​たまへる​を、 じょうさんきょうにはしょうやくばかり​をけ​り、 きょうには​おほくげんやくをも​あかせ​り。

かの ¬*金光こんこう明経みょうきょう¼ は*ちんこっみょうでんなり。 かるがゆゑに、 このきょうよりきいだす​ところのぶつさつをば、 こくぶつさつと​す。 しかるに*正宗しょうしゅう*ほんの​うち、 「寿じゅりょうほん」 をき​たまへる​は、 すなはち西方さいほう弥陀みだ如来にょらいなり。 これ​によりて弥陀みだぶつをば、 ことに*息災そくさい延命えんめいこくぶつと​す。

*かの天竺てんじく (印度)*しゃこくといふくにあり。 そのくにしゅ疫癘えきれいおこり​て、 ひと​ごと​に​のがるる​もの​なかり​し​に、 月蓋がつがいちょうじゃしゃ如来にょらいに​まゐり​て、 「いかに​して​かこのやまいを​まぬかる​べき」 ともうし​しか​ば、 「西方さいほう極楽ごくらくかい弥陀みだぶつねんじ​たてまつれ」 とおおせ​られ​けり。 さていえに​かへり​て、 をしへ​の​ごとくねんじ​たてまつり​けれ​ば、 弥陀みだ観音かんのんせい三尊さんぞんちょうじゃいえきたり​たまひ​し​とき、 しゅ疫神やくじんまのあたり​ひと​のに​みえ​て、 すなはちこくで​ぬ。 とき​に​あたり​て、 くにの​うち​のやまいことごとく​すみやかに1012やみ​にき。

その​ときげんじ​たまへ​り​し三尊さんぞんぎょうそうを、 月蓋がつがいちょうじゃえんだんごんをもつて*うつし​たてまつり​けり。 そのぞうといふは、 いま​の*善光ぜんこう如来にょらいこれ​なり。 *霊験れいげんまことにげんちょうなり。

また​わがちょうには、 *嵯峨さが天皇てんのう御時おんとき0570てんてり、 あめくだり、 やまいおこり、 いくさいでき​てこくおだやかなら​ざり​し​に、 いづれのぎょうの​ちから​にて​か​このなんは​とどま​る​べき​と、 でんぎょうだい (*最澄)ちょくもんあり​しか​ば、 「*七難しちなんしょうめつほうには南無なも弥陀みだぶつに​しかず」 とぞもうさ​れ​ける。

おほよそ弥陀みだ*しょうにて、 わざはひ​を​はらひなんを​のぞき​たる​ためし、 こくにも*ほんちょうにも​その​あと​これ​おほし。 つぶさに​しるす​に​いとま​あらず。 さればくに災難さいなんしずめ、 *しょうを​はらは​ん​と​おもは​ん​にも、 みょうごうゆうには​しかざる​なり。

 ただし、 これ​は​ただ念仏ねんぶつやく*現当げんとうを​かね​たる​こと​を​あらはす​なり。 しかり​と​いへども、 *まめやかにじょうを​もとめおうじょうを​ねがは​ん​ひと​は、 この念仏ねんぶつをもつてげんの​いのり​と​は​おもふ​べから​ず。 ただ​ひとすぢにしゅつしょうの​ため​に念仏ねんぶつぎょうずれ​ば、 はからざるにこんじょうとうとも​なる​なり。

これ​によりて ¬*藁幹こうかんきょう¼ といへるきょうの​なか​に、 信心しんじんをもつてだいを​もとむれ​ばげん*しつじょうじゅす​べき​こと​を​いふ​として、 ひとつ​の​たとへ​をけ​る​こと​あり。 「たとへば​ひと1013あり​て、 たねを​まき​ていねを​もとめ​ん。 まつたくわらを​のぞま​ざれ​ども、 いねいでき​ぬれ​ばわらおのづからる​が​ごとし」 といへり。 いねる​もの​は​かならずわらる​が​ごとくに、 後世ごせを​ねがへ​ばげんの​のぞみ​も​かなふ​なり。 わらる​もの​はいね0571ざる​が​ごとくに、 げん福報ふくほうを​いのる​もの​は​かならずしもしょうぜんをばず​となり。

 経釈きょうしゃくの​のぶ​る​ところ​かくのごとし。 ただし、 こんじょうを​まもり​たまふ​こと​は、 もとよりぶつほんに​あらず。 かるがゆゑに、 *前業ぜんごうもし​つよく​は、 これ​をてんぜ​ぬ​こと​も​おのづから​ある​べし。 しょうぜんしめ​ん​こと​は、 もつぱら如来にょらい本懐ほんがいなり。 かるがゆゑに、 けんす​べきごうなり​とも、 それ​をば​かならずてんず​べし。

しかれば、 たとひ​もしこんじょうしょうは​むなしき​にたる​こと​あり​とも、 ゆめゆめおうじょう大益だいやくをばうたがふ​べから​ず。 いはんやげんにも​そのやくむなしかる​まじき​こと​は聖教しょうぎょうせつなれば、 あおい​で​これ​をしんず​べし。 ただ​ふかく信心しんじんを​いたし​て一向いっこう念仏ねんぶつぎょうず​べき​なり。

【10】う​て​いはく、 真実しんじつ信心しんじんを​え​て​かならずおうじょうべし​といふ​こと、 いまだ​その​こころ​を​え​ず。 南無なも弥陀みだぶつといふは、 弥陀みだ本願ほんがんなる​がゆゑにけつじょう1014おうじょう業因ごういんならば、 これ​を*くちに​ふれ​ん​もの、 みなおうじょうす​べし、 なんぞ​わづらはしく信心しんじんす​べし​といふ​や。 また信心しんじんといふは、 いかやうなる​こころ​を​いふ​ぞや。

 こたへ​て​いはく、 南無なも弥陀みだぶつといへる*ぎょうたいおうじょうしょうごうなり。 しかれども、 しんずる​としんぜ​ざる​と​のどうある​がゆゑに、 おうじょうる​とざる​と​の差別しゃべつあり0572。 かるがゆゑに、 ¬だいきょう¼ には三信さんしんき、 ¬かんぎょう¼ には三心さんしんしめし、 ¬しょうきょう¼ には一心いっしんと​あかせ​り。 これ​みな信心しんじんを​あらはす​ことば​なり。

この​ゆゑに、 源空げんくうしょうにんは、 「しょういえにはうたがいをもつてしょと​し、 はんの​みやこ​にはしんをもつてのうにゅうと​す」 (選択集)はんじ、 親鸞しんらんしょうにんは、 「よく一念いちねんあいしんおこせ​ば、 煩悩ぼんのうだんぜ​ず​してはん(正信偈)しゃくし​たまへ​り。 りき信心しんじんじょうじゅしてほうおうじょうべし​といふ​こと、 すでに​あきらかなり。 その信心しんじんといふは、 うたがいなき​をもつてしんと​す。 いはゆるぶつずいじゅんして​これ​をうたがは​ず、 ただきょうを​まもり​て​これ​にせ​ざる​なり。

 おほよそ*無始むしより​このかたしょうに​めぐり​て六道ろくどうしょうを​すみか​と​せ​し​に、 いま​ながきりんの​きづな​を​きり​て無為むいじょうしょうぜ​ん​こと、 しゃ弥陀みだそんだい1015に​よら​ず​といふ​こと​なく、 代々だいだいそうじょう祖師そし先徳せんどくぜんしき恩徳おんどくに​あらず​といふ​こと​なし。

そのゆゑは、 われら​が​ありさま​を​おもふ​に、 ごく餓鬼がきちくしょう三悪さんまくを​まぬかれ​ん​こと、 どうとして​は​あるまじき​こと​なり。 じゅうあく三毒さんどくに​まつはれ​て、 とこしなへにりんしょういんを​つみ、 *じん*六欲ろくよくこころ​にみ​て、 ほしいままにさんてんごうを​かさぬ*ひん七聚しちじゅ戒品かいほんひとつ​として​これ​を​たもつ​こと​なく、 ろくしょうどくひとつ​として​こころ​にも​かけ​ず。 あさゆう0573なに​おこす​ところ​は​みな妄念もうねん、 とにもかくにも​きざす​ところ​は​ことごとく悪業あくごうなり。 かかるざいしょうぼんにて​は、 にんちゅうてんじょうほうん​こと​も​なほ​かたかる​べし。 いかに​いはんやしゅっ三界さんがいじょううまれ​ん​こと​は、 おもひよら​ぬ​こと​なり。

 ここ​に弥陀みだ如来にょらい*えん慈悲じひに​もよほさ​れ、 じんじゅうがんおこし​て、 ことに罪悪ざいあくしょうぼんを​たすけ、 ねんごろに称名しょうみょうおうじょうぎょうさずけ​たまへ​り。 これ​をぎょうじ​これ​をしんずる​もの​は、 ながく六道ろくどうしょういきで​て、 *あまつさへ無為むい無漏むろほううまれ​ん​こと​は、 不可ふか思議しぎの​さいはひなり。

しかるに弥陀みだ如来にょらいちょう本願ほんがんおこし​たまふ​とも、 しゃ如来にょらいこれ​をき​のべ​たまは​ず​は、 しゃしゅじょういかでかしゅつの​みち​を​しら​ん。

されば ¬ほうさん¼ (下)しゃくに、 「1016いんしゃぶつかい 弥陀みだみょうがん何時かじもん」 といへり。 こころ​は、 「しゃぶつの​をしへ​に​あらず​は、 弥陀みだようがんいづれの​とき​にか​きか​ん」 となり。

たとひ​また、 しゃくそん西天さいてん (印度)で​て*さんみょうでんき、 *五祖ごそ東漢とうかん (中国)うまれ​て西方さいほうおうじょうを​をしへ​たまふ​とも、 源空げんくう親鸞しんらんこれ​を​ひろめ​たまふ​こと​なく、 だいそうじょうぜんしきこれ​をさずけ​たまは​ず​は、 われら​いかでかしょう根源こんげんを​たた​ん。 まことに*連劫れんごう累劫るいこうを​ふ​とも、 その恩徳おんどくむくひがたき​ものなり。

これ​によりて善導ぜんどうしょうしゃく (観念法門・意) を​うかがふ​に、 「に​しほね0574くだき​ても、 仏法ぶっぽうおんをばほうず​べし」 と​みえ​たり。 これ​すなはち、 仏法ぶっぽうの​ため​にはしんみょうをも​すて財宝ざいほうをもしむ​べから​ざる​こころ​なり。

この​ゆゑに ¬摩訶まかかん¼ (意) の​なか​には、 「一日いちにちに​みたび恒沙ごうじゃしんみょうつ​とも、 なほいっちからほうずる​こと​あたは​じ。 いはんやりょうけんフタツノカタ ニナヒ オフテしてひゃく千万せんまんこうす​とも、 むしろ仏法ぶっぽうおんほうぜ​ん​や」 といへり。 恒沙ごうじゃしんみょうて​ても、 なほいっ法門ほうもんを​きけ​るむくひ​には​およば​ず。 まして*じゅんおうじょうきょうを​うけ​て、 このたびしょうを​はなる​べきと​なり​なば、 いっしんみょうて​ん​は​もの​のかずなる​べき​に​あらず。 しんみょうなほしむ​べから​ず。 いはんや財宝ざいほうをや。

この​ゆゑに*きんおう私訶しかだいぶつつかへ、 ぼんだつ1017珍宝ちんぽう比丘びくつかへ​し ˆにˇ 飲食おんじきぶく臥具がぐやく四事しじようを​のべ​き。 これ​みな念仏ねんぶつ三昧ざんまいほうを​きか​ん​が​ため​なり。 おほよそ仏法ぶっぽうに​あふ​こと​は、 *おぼろげ​のえんにて​は​かなは​ず、 *おろかなる​こころざし​にて​は​とげがたき​こと​なり。

*大王だいおうみょうほうを​もとめ​しきゅう千載せんざいに​いたし、 *じょうたい般若はんにゃを​きき​しひゃくじゅんしろに​いたる。 されば仏法ぶっぽうぎょうずる​には、 いえをも​すてよくをも​すて​てしゅぎょうす​べき​に、 をも​そむか​ず*みょうにも*まつはれ​ながら、 *めでたきじょう仏法ぶっぽうを​きき​て、 ながくりんきょうを​はなれ​ん​こと​は、 ひとへに​はから​ざる​さいはひなり。 まことに​これ、 ほん0575しき恩徳おんどくに​あらず​といふ​こと​なし。 *ちから​のへ​ん​に​したがひ​て、 いかでか報謝ほうしゃの​こころざし​を*ぬきいで​ざらん​や。

¬*じょうごんきょう¼ の​なか​に、 ちょうつこうまつる​にいつつ​の​こと​ある​こと​をけ​り。 「ひとつ​にはきゅうを​いたし、 ふたつ​にはらいきょうようす、 つ​にはそんじゅうちょうだいす、 つ​には教勅きょうちょくあれば敬順きょうじゅんして​たがふ​こと​なし、 いつつ​にはに​したがひ​てほうを​きき、 よく​たもち​て​わすれ​ず」 といへり。

しかれば、 きく​ところのほうを​よく​たもち、 そのめいを​すこしも​そむか​ず、 こころざし​を​ぬきいで​てきゅうようを​いたし、 まこと​を​はげまし​てそんじゅうらいきょうす​べき​なり。

 1018これ​すなはち、 木像もくぞうもの​いは​ざれ​ば​みづからぶっきょうを​のべ​ず、 きょうてんくち​なけれ​ば*てづから法門ほうもんく​こと​なし。 この​ゆゑに仏法ぶっぽうさずくるはんをもつて、 めつ如来にょらいと​たのむ​べき​がゆゑなり。 しかのみならず善導ぜんどうしょうは「どうぎょうぜんしき親近しんごんせよ」 (礼讃) と​すすめ、 おんだいは、 「同縁どうえんの​とも​をうやまへ」 (西方要決) とのべられたり。

そのゆゑは、 ぜんしきに​ちかづき​ては​つね​に仏法ぶっぽうちょうもんし、 どうぎょうに​むつび​ては信心しんじんを​みがく​べし​といふ​こころ​なり。 わろから​ん​こと​をば​たがひに​いさめ、 ひがま​ん​こと​をば​もろともに​たすけ​て、 しょうに​おもむか​しめ​ん​が​ため​なり。

かるがゆゑに、 の​をしへ​を​たもつ​は​すなはちぶっきょうを​たもつ​なり、 おんほうずる​は​すなはち仏恩ぶっとんほう0576ずる​なり。 どうぎょうの​ことば​を​もちゐ​ては、 すなはち諸仏しょぶつの​みこと​をしんずる​おもひ​を​なす​べし。 りきの大信心しんじんを​うる​ひと​は、 そのないしょう如来にょらいに​ひとしき​いはれ​ある​がゆゑなり。

 

みょうしょう まつ

 

底本は本派本願寺蔵康正三年蓮如上人書写本ˆ聖典全書と同じˇ。
人身うけがたく 人間に生れることは極めてまれなことであり。
三昧発得の人師 善導ぜんどうだいのこと。 善導大師は阿弥陀仏や浄土のありさまをまのあたり感見する三昧の境地を得た人であるから、 このようにいう。
一流の宗義… 浄土真宗の教義はこのような伝統によっていて、 私見は全く雑えていない。
般舟経 ¬般舟はんじゅ三昧ざんまいきょう¼ のこと。
まつたく 完全であり。 欠けたところがなく。 ª「まつたし」の連用形º
界外の報土 三界さんがいを超出した浄土、 すなわち真実しんじつほう
いつくしく おごそかで立派で。
阿閦 →しゅくぶつ
宝生 金剛界五智如来の一。 南方の月輪に住して平等性智の徳をあらわす。
密厳 密厳国。 大日如来の浄土のこと。 ¬だいじょう密厳みつごんぎょう¼ などに説く。
華蔵 れんぞうかいのこと。
不共の利生 諸仏の救いにもれた女人・悪人を往生させる阿弥陀仏の本願の特異なはたらき。
今生の穢体 身体を指す。
四品 「寿じゅりょうぼん」 「さん品」 「讃歎さんだん品」 「くう品」 の四つの章。
かの天竺… 以下の因縁いんねんは ¬しょう観音かんのんぎょう¼ の説にもとづいたもの。
毘舎離国 毘舎離は梵語ヴァイシャーリー (Vaiśālī) の音写。 ガンジス河の支流ガンダキ河の東岸にあるベーサールがその旧址といわれる。
鋳うつし (三尊の姿を) そのまま鋳造するという意。
嵯峨の天皇 (786-842。 在位809-823)。 書道にすぐれわが国三筆の一人。
七難… ¬七難しちなんしょうめつこくじゅ¼ に七難等の滅除に言及して、 「依正安穏にして念仏を修せん」 とある。
まめやかに 心から。 真剣に。
藁幹喩経 ¬蘇婆そばどうしょうもんぎょう¼ のこと。 ¬藁幹喩経¼ という名称は同経に説かれる譬喩にもとづくもの。
口にふれんものは 口に称える者は。
五篇七聚 比丘びく・比丘尼の戒の総称。 五篇は戒を罪の最も重いものから波羅はら僧残そうざん逸提いつだい提舎だいしゃ突吉ときの五種に類別する称目。 またこれにちゅう蘭遮らんじゃを加え (六聚)、 突吉羅を突吉羅 (悪作)・悪説に分類して七聚とする。
三部の妙典 じょうさんきょうのこと。
五祖 曇鸞どんらんだいどうしゃくぜん善導ぜんどう大師・ほっしょう禅師・しょうこうほっを指す。
連劫累劫をふとも 多数の劫を重ねても。
順次往生 現世の命が終って、 次にただちに浄土に生れること。
斯琴王の… ¬般舟はんじゅ三昧ざんまいきょう¼ の所説による。
大王の妙法を… 釈尊が過去世において国王であった時、 妙法を聞くために私陀しだ仙人に千年の間仕えたことをいう。 ¬法華ほけきょう¼ 「提婆達多品」 の説。
常啼の般若を… 常啼菩薩が般若波羅蜜を求めて、 東方に五百じゅんの距離を旅し、 衆香しゅこうじょうどんかつ菩薩から教えを受けたことをいう。
まつはれながら 心をひかれながら。
ちからの堪へんに… 力の及ぶ限り。