0900◎選択註解鈔第二
◎第三 本願章
一 上の章に正雑二行を分別して、 而も雑行を選捨てゝ正行を選取が故に、 ▲今の章には其の正行の中に、 正業の念仏を以て弥陀の本願とし、 往生の正業とする義を顕すなり。 凡此書に三経の要文を挙て一宗の義趣を明せり、 其中に当章以下の四段は、 ¬大経¼ の文を引けり。
一 「▲弥陀如来不↧以↢余行↥為↦ 往生◗本願↡、 唯以↢念仏↡為↢ 往生◗本願↡之文」 と云は、 ¬大経¼ の十八の願を指也。
是に依て、 彼願文を引也。 ▲¬観念法門¼ の摂生増上縁の文、 并に ▲¬礼讃¼ の後序の文、 同彼願文を引き釈する文なるが故に、 是を加へらる。
十六の章段の中には、 この章正宗なり。 「選択本願念仏集」 と云へる題目、 此章の意を顕はすが故なり。 余の所談は皆此章を助成するなり。
一 ¬大経¼ (巻上) の文に 「▲十方衆生」 と云は、 善人悪人・有智無智・有罪無罪・男女老少、 一切有情を摂する言也。
「▲至心信楽欲生」 と云は三信なり。 ¬観経¼ に説0901ところの▲三心則是也。 所謂至心は是至誠心、 是真実心なり。 信楽は深心、 これ深信の心也。 欲生は廻向発願心、 これ願往生の心なり。
「▲乃至十念」 と云は行体を顕はす。 名号を称する事、 上一形を尽し下十念にいたるまで、 みな往生の因なり。
因願にはかくのごとく十念と説たるを、 願成就の文には 「▲乃至一念」 と説り。 是易行の中の易行を顕はすことば也。 故に和尚此意を得て 「▲下至十声一声等」 (礼讃) と釈し、 聖人又当章の私釈に 「乃至」 の言を料簡するに、 「▲上尽一形下至十声一声等」 の義也と釈せり。
されば往生の為には又別の因なし、 至心・信楽・欲生の心を以て乃至一念せん者、 皆悉往生すべし。
一 ¬観念法門¼ の文の中に、 「▲称我名号」 の句と 「▲↓乗我願力」 の句とは本経に見えざる言也。 而に是を加へらるゝ事は、 ¬経¼ (大経巻下) に 「乃至一念」 と云へるは隠顕の義あれども、 顕には称名の念数也。 則次上の十七の願に 「▲不悉咨嗟称我名者」 (大経巻上) と云へるは名号なるが故に、 今 「乃至十念」 と云へるは名号の法体なる事を顕はして、 称我名号と引るゝ也。
↑乗我願力と云は、 至心・信楽・欲生と云へるは自力の信に非ず、 他力真実の信心なる事を顕す言也。 罪悪生死の凡夫、 一称一念に報土の往生を遂る事は、 仏願の強縁に託するが故なりと知べし。
一0902 ¬往生礼讃¼ の文にも 「▲称我名号」 の句あり、 是も其の義 ¬観念法門¼ の釈に同じ。
「▲彼仏今現在成仏」 と云へる以下は、 願成就の義を引釈せらるゝ也。 乃至十念の行者、 往生せずは正覚を取じと誓給しに、 既に正覚を成じ給ぬるは、 衆生の往生決定するが故なりと顕すなり。
一 「▲総とは四弘誓願是也」 と云は、 一切の諸仏皆通じて此四の願を発すが故に 「総」 と云也。 ▼一には衆生無辺誓願度、 二には煩悩无辺誓願断、 三には法門无尽誓願知、 四には无上菩提誓願証也。 此四の中に、 初の一は利他の願、 後の三は自利の願也。 此四弘願成就すれば、 自利々他円満して无上菩提を得也。
是総願の上に因位の願楽に依て、 仏々各々に発しまします所の願を別願と云也。
一 「▲五十三仏」 と云は、 一々の名 ¬大経¼ の上に説が如し。
一 「▲棄↠国◗捐↠ 王、 行 作↢↓沙門↡。 号 曰↢法蔵↡」 と云は、 弥陀如来の因位は法蔵比丘、 法蔵比丘の前は国王也。 故に国をすて王をすて沙門と成となり。
「↑沙門」 と云は梵語也、 此には勤息と云。 勤ツトメ善息ヤム悪の義なり。
一 ¬▲大阿弥陀経¼ は ¬大経¼ の同本異訳の経なり。 「▲選択」 と云言◗彼 ¬経¼ より出たり、 是を取て今の書の題目とせらるゝ也。
「▲二十四願経」 と云は、 彼の ¬大阿弥陀0903経¼ を指也。 四十八願の内二願を一段に説て、 二十四願と説たる也。
一 「▲或 有↧以↢↓布施↡為↢往生◗行↡之土↥。 或 有↧以↢↓持戒↡為↢往生◗行↡之土↥。 或 有↧以↢↓忍辱↡為↢往生行↡之土↥。 或 有↧以↢↓精進↡為↢往生行↡之土↥。 或 有↧以↢↓禅定↡為↢往生◗行↡之土↥。 或 有↧以↢↓般若↡ ↓信↢第一義↡等是也 為↢往生◗行↡之土↥」 と云は、 如↠次六度の行なり。
所謂 「↑布施」 と云は無貪を性とす。 物を以て人に与る也。
「↑持戒」 と云は不放逸を性とす。 身口意を守て悪を制する也。
「↑忍辱」 と云は無瞋を性とす。 違背の境に於て安忍する也。
「↑精進」 と云は、 善法を行じて懈怠なきを性とす。 余の五波羅蜜を行ずる事勇猛にして間断なき、 則是也。
「↑禅定」 と云は静慮なり。 心の散乱なきを性とす。
「↑般若」 と云は智恵也。 無痴を以て性とす。 智に多種あり、 註に 「↑信第一義」 と云は、 其一を挙也。 第一義は空なり。 されば畢竟空寂の理を達する空智を指也。
一 「▲或 有↧以↢菩提心↡為↢往生◗行↡之土↥」 と云は、 菩提心に於て諸宗の所談各別なるが故に、 種々の不同あり。 然ども大意は度衆生・願作仏の心なり。 則前に云所の 「四弘誓願」 なり。
菩提心の相は下の▲念仏付属の章に是を明せり。
一 「▲或 有↧以↢六念↡為↢往生◗行↡之土↥」 と云は、 六念と云は、 一には念仏、 二に0904は念法、 三には念僧、 四には念戒、 五には念捨、 六には念天也。
此中に、 初の三は常の如く是念三宝也。 念戒と云は、 諸仏の戒を念ずるなり。 念捨と云は、 諸仏・菩薩の作難きを善作し、 捨し難を善捨し給へる意を念ずる也。 念天と云は、 最後身の菩薩を念ずる也。 最後身の菩薩と云は、 補処の菩薩也。 補処の菩薩は都率天に住するが故に念天と云也。
一 「▲如↠是◗往生◗行種々不同◗して、 不↠可↢具◗述↡。 即◗今は選↢捨 前◗布施・持戒、 乃至孝養父母等◗諸行↡、 選↢取◗専称仏号↡。 故◗云↢撰択↡也」 と云は、 正く選択本願の義を顕也。
されば弥陀の本願は専称仏号也。 専称仏号の外は往生の正因に非ず。 此義を成ずるを、 此宗の所詮とする也。
一 「▲弥陀一仏◗所有◗四智・↓三身・↓十力・↓四无所畏↓等◗一切◗内証◗功徳、 相好・光明・説法・利生等◗一切◗外用◗功徳、 皆悉◗摂↢在◗阿弥陀仏◗名号之中↡」 と云は、 「四智」 と云は、 一には大円鏡智、 大悲に依ては常に衆生を縁じ、 大智に依ては恒に法性に順ずる智也。 二には平等性智、 一切の法の自他平等なるを観ずる智也。 三には妙観察智、 諸法の自相・共相を観ずる智也。 四には成所作智、 有情を利して種々に三業を変化する智なり。
「↑三身」 と云は、 一には法身、 真如法界の妙理、 凝然不変の功徳也。 二0905には報身、 修因感果の妙智、 境智冥合の真身也。 此に又二種あり。 自受用身・他受用身なり。 自受法楽の故に自証の極れるを自受用身と云、 化他の為に対機説法するを他受用身と号するなり。 三には応身、 随縁感見の身、 凡夫示同の体なり。 此に又二種あり。 八相成道するを応身と云、 無而忽有なるを化身と云なり。
「↑十力」 と云は、 一には処非処智力、 二には業異熟智力、 三には静慮解脱智力、 四には根上下智力、 五には種種勝解智力、 六には種々界智力、 七には遍趣行智力、 八には宿住随念智力、 九には死生智力、 十には漏尽智力也。
「↑四無畏」 と云は、 一には等正覚無畏、 二には漏永尽無畏、 三には説障法無畏、 四には説出苦道無畏也。
「↑等」 と云は、 大悲・三念住を等取する也。 大悲と云は大慈悲也。 三念住と云は、 一には順境に縁じて歓喜を生ぜざる念住、 二には違境に縁じて憂戚を生ぜざる念住、 三には双◗順違境を縁じて歓戚を生ぜざる念住なり。
已上十力・四无畏・大悲・三念住を合て仏の十八不共法と云。 此十八の法は、 二乗・三乗はこれを具せず、 只仏のみ是を具し給が故に不共法と云也。 諸仏皆此功徳を具せり。 而に阿弥陀如来の具し給処◗是等の功徳、 悉名号の中に摂在すと云也。
一 「▲極楽界◗中◗既◗無↢三悪趣↡。 当↠ ベ シ知、 是則◗成↢就 無三悪趣之願◗也」 と云は、 「三悪趣0906」 と云は、 地獄・餓鬼・畜生也。
此三悪の果報は、 十悪の因に依て是を感ず。 而に極楽には十悪の悪因、 其の業無が故に、 三悪の苦果をば名をだにも聞ざるなり。 されば三悪道無らんと誓給し願成就して、 今は地獄・餓鬼・畜生の諸難無也。
一 「▲三十二相」 と云は仏の相也。 ▲¬往生要集¼ に明すが如し。
一 「▲念仏之人皆以◗往生。 ▲以↠ 何◗得↠知。 即◗念仏往生◗願成就◗文、 云↧ ↓諸有衆生、 ↓聞↢ 其◗名号↡↓信心↓歓喜、 ↓乃至一念◗↓至心◗廻向。 ↓願↠ 生↢ 彼◗国↡、 則◗得↢往生↡住↦ 不退転↥是也」 と云は、 十八の願の成就せる相なり。 念仏往生の益、 此文◗至極せり。
「↑諸有衆生」 と云は、 十方衆生なり。 「↑聞其名号」 と云は、 南无阿弥陀仏を聞也。 「↑信心」 と云は至心也。 「↑歓喜」 と云は信楽也。
「↑乃至一念」 と云は、 乃至十念の願なほ一念に至極する事を顕はす也。 「↑至心廻向」 と云、 如来他力の廻向なり。
「↑願生彼国」 と云は、 欲生の心なり。 此三信を発すれば、 如来利他の廻向に依て即往生を得と云也。
一 「▲凡◗↓四十八願荘↢厳◗浄土↡。 花池・宝閣無↠非↢ 願力↡。 何◗於↢其◗中↡独◗可↣疑↢惑◗念仏往生◗願↡乎」 と云は、 四十八願皆徒◗発給はず。 一々の願悉成就すれば、 第十八の願孤成就せざるべきに非ず。 随て阿弥陀仏成仏已来既に十劫なれば、 如来の願既に成ぜり。 衆生の往生疑べからずと也。
「↑四十八願荘厳浄土」 と云は、 「▲金縄界道0907非工匠」 なるが故に巧匠の所作に非ず。 四十八願荘厳より起なるが故に願力を以て建立せる也。 故に七宝蓮花の池の有様、 百宝荘厳の楼閣の拵、 併ら願に答て成就せる也。
一 「▲如↠是◗五神通及以↓光明・寿命↓等◗願◗中、 一々◗置↢下至之言↡。 是則従↠多至↠少、 以↠下対↠上之義也。 例↢ 上八種之願↡、 今此願乃至者即是下至なり」 と云は、 「五神通」 の願は、 第五の宿命通の願、 第六の天眼通の願、 第七の天耳通の願、 第八の他心通の願、 第九の神足通の願也。
「↑光明寿命の願」 と云は、 第十二の光明无量の願、 第十三の寿命无量の願也。 「↑等」 と云は、 第十四の声聞无量の願を等取する也。
是を総じて八種の願と云也。 此八種の願に皆下至の言あり、 此下至の言は、 十八の願の乃至の言と其の義同と云なり。
第四 三輩章
一 上の章には、 念仏の一行、 往生の正業なる義を成じおはりぬ。 ▲いまの章には、 三輩の機根、 ともにかの念仏を一向専念して往生することをあかすなり。
一 上輩の文に 「▲捨家棄欲」 と云は、 「捨家」 は出家遁世するなり、 「棄欲」 と云は、 五欲を離るゝ也。 五欲と云は、 色・声・香・味・触に著する心なり。
中輩の文に 「▲奉0908事斎戒」 と云は、 斎と戒とを持つなり、 「斎」 と云は不過中食なり、 「戒」 と云は八戒なり。 八戒と云は、 一には不殺生、 二には不偸盗、 三には不邪婬、 四には不妄語、 五には不飲酒、 六には脂粉◗身◗塗 得ず、 七には歌舞唱伎◗及◗往◗観聴 得ず、 八には高広大牀◗上 得ず也。
「▲起立塔像」 と云は、 塔婆を起立し仏像を造立するなり。 起塔の言の中には造寺も有べし。 造像の言の中には画像も有べし。
「▲飯食沙門」 と云は、 飯食を以て僧に供養するなり。
「▲懸繒燃灯」 と云は、 堂塔に幡蓋を懸、 仏前に灯明を備ふる也。
「▲散花焼香」 と云は、 一枝の花を仏壇に供し、 一捻の香を道場に献ずる也。
下輩の文に 「▲仮使不能作諸功徳」 と云は、 上の上中二輩に云所の諸善を作ること能はずと云也。
「▲若聞深法」 と云は、 名号の功徳を指なり。
「▲歓喜信楽不生疑惑」 と云は、 三信具足、 明信仏智の心なり。 詮る所、 様々の行体は皆諸機の不同なり。 往生の行は三輩共に念仏也。
一 ▲¬観念法門¼ の文は上の三輩の文を引也。 意は、 三輩と分つことは根性の不同にして、 上・中・下の差別あることを示すなり。 仏の勧め給ことは専修一行にありと云事を顕すなり。
一 「▲此等◗三義殿最難↠知」 と云は、 「殿最」 と云は勝劣の義也。
一0909 「▲依↢若◗今善導↡以↠初◗為↠正◗」 と云は、 廃立・助正・傍正の三義の中に、 廃立の義を以て正義とすとなり。 是則、 諸行を廃して念仏を立する一向専修の義なり。
一 ¬往生要集¼ の文に 「▲若◗如↠説◗行、 当↢ 理上々↡」 と云は、 観念の念仏を本として、 深を上として次第に浅を中下とする意なり。
第五 利益章
一 上の章には、 三輩共に念仏を以往生する事を明す。 ▲今の章には、 其念仏の利益の无上殊勝なる事◗顕也。
一 所引の▲今の文は流通の文なり。
「▲彼仏名号」 と云は、 南無あみだ仏なり。 「▲歓喜踊躍」 と云は、 至心信楽の意也。
「▲乃至一念」 と云は、 十念の利生のなほ易行に至極する所を顕すなり。 是十八の願成就の文に云所の 「▲一念」 なり。 則下の私の釈に、 「▲是指↣上◗念仏◗願成就之中◗所↠↠云◗一念◗与↢下輩之中◗所↠↠明◗一念↡也」 と云へる、 其意なり。
而彼の文共に功徳の相をとかざるを、 今流通の文に 「▲大利」 と嘆じ 「▲無上の功徳」 と讃ずる也。 則同じき願成就の文には 「▲即得往生」 (大経巻下) と云へるを、 今は大利无上の功徳と説り。
されば往生を大利と云と見たり。 往生と云へる其詞狭し、 只得生の一益を顕すが故なり。 大利と云へるは其詞広し、 往生も成仏も此0910詞にこもるべきなり、 乃至現世の利益までも此中に摂在すべきなり。
此 ¬経¼ (大経) の上巻に釈尊出世の元意を説に、 「▲恵以真実之利」 と説は念仏の事なり。 則今の大利と其義同かるべし。 真実の利なるがゆへに大利なり、 大利なるが故に無上の功徳なり、 無上の功徳なるがゆへに超絶法と云也。
一 所引の ▲¬礼讃¼ の釈は初夜の文なり。 文言今の経文に同じ。 但し 「▲皆当得生彼」 の文は経文に無し。 「▲為得大利則是具足無上功徳」 (大経巻下) の文に当れり。
されば往生は則大利也と意得べき也。 随前に云が如く、 今の 「▲一念」 と云は願成就の 「一念」 (大経巻下) を指すがゆへに、 彼願文に 「即得往生」 (大経巻下) と説たれば、 其願の意なる事を顕さんが為に皆当得生彼と釈する也。
一 「▲若◗約↢ 念仏↡分↢別 三輩↡、 此◗有↢二◗意↡。 一 随↢観念◗浅深↡而◗分↢別◗之↡、 二 以↢念仏◗多少↡而◗分↢別之↡」 と云は、 同く念仏を行ずれども、 観念の深をば上輩とし、 次第に浅をば中輩・下輩とする義なり。 二には同く念仏を称すれども、 多く唱るをば上品の業とし、 次第に少きをば中品・下品の業とする義なり。
此両義は一往観念の浅深に依、 行業の多少に付て三輩九品を立なり。
然れども 「▲若不生者、 不取正覚」 (大経巻上) と云へる願文には、 九品の差別もなし。 「▲善悪凡夫得生者」 (玄義分) と云へる0911釈の如きは、 善人も悪人も共に得生の益を得る事は同かるべし。
然れば、 上に引ところの ¬観念法門¼ の釈にも 「▲根性不同 有↢上・中・下↡」 と云て、 三輩はたゞ機の差別なり。 浄土には三輩あるべからずと見たり。 三輩と九品とは開合の異なれば、 三輩なくは九品も有べからざる也。
¬註論¼ (巻下) にも 「▲本◗則◗三々之品、 今無↢一二之殊↡」 と云へる、 此意なり。
娑婆にしては、 機に善悪あり行に強弱あるが故に差別を立たれども、 往生の後は、 純一の報土にして無生の証悟を得るときは、 其の殊異有べからずと意得べきなり。
一 「▲浅深◗者如↢上◗所↟引。 若◗如↠説◗行、 理当↢ 上々↡是也」 と云は、 上の三輩往生の章に引ところの ▲¬往生要集¼ の文を指也。
一 「▲次◗多少◗者、 下輩◗文◗中◗既◗有↢十念乃至一念◗数↡。 上中両輩准↠ 此◗随 増 」 と云は、 「乃至」 と説が故に、 「一念」 を下品として次第に辺数の増するを以て中品、 上品とも立る意なり。
一 ¬観念法門¼ の文は、 「▲日別念仏一万遍」 と云より 「皆是上品上生人」 と云までなり。 「▲当↠シ知、 三万已上は是上品上生◗業」 と云已下は、 私の釈なり。
如此観念の浅深、 念数の多少に付て品位の高下を立る事は、 上根の往生に於て、 志深くは同く念仏す0912とも、 弥陀の依正二報の荘厳をも意に懸て常に欣求の心を発し、 又行住坐臥に称名を心に入て懈怠無らんは、 仏法を行ずる本意なるべきに依て如是釈せらるゝ也。
雖然、 根性劣機にして観念も心に懸けられず、 称名も懈怠の心有ども、 念々相続し信心絶えずして一心帰命の志実有らば、 往生の益は彼上根の人にも差別有べからざるなり。
第六 特留念仏章
一 上の章には、 一念を以無上大利の功徳とする事を明しつ。 ▲今は一念の利益、 法滅百歳の時まで及ぶ事を明して、 況や法滅以前、 末法最初の衆生、 必ず此法に依て往生の益を得べきことを明す也。
一 「▲末法万年◗後余行悉◗滅、 特◗留↢念仏↡之文」 と云は、 正像二千年の後は末法なり。 其の万年の後は諸経皆滅して、 戒定慧の三学名をだにも聞べからず。
而に万年の後百歳の間、 尚念仏は留て衆生を利益すべき也。
一 「▲当来之世」 と云は、 末法万年の後なり。
「▲経道滅尽」 と云は、 諸教修行の道悉滅尽すと云也。
「▲我以↢慈悲↡哀愍◗」 と云は、 釈尊慈悲を垂給となり。
「▲特留此経」 と云は、 唯此の ¬大経¼ ばかりを留るとなり。 ¬大経¼ を留るとなり。 ¬大経¼ を留むと云は、 念仏を留る也。 下0913の釈に 「▲此◗経◗止住◗と云は、 念仏◗止住なり」 と云へる、 其意也。
「▲止住百歳」 と云は、 万年の後百歳留べしと云也。
「▲其有衆生」 と云は、 法滅百歳の時の機を指すなり。
「▲値此経者」 と云は、 此 ¬大経¼ に値◗者はと云也。 是も念仏を聞かん者と云意也。 ¬礼讃¼ に 「▲爾時聞一念」 と云へる、 其の意也。
「▲随↢意◗所願↡皆可↢得度↡」 と云は、 往生を得べしと也。 ¬礼讃¼ の文に 「▲皆当得生彼」 と云へる、 その義◗顕也。
一 「▲此◗経◗所詮全◗有↢念仏↡。 ↓其◗旨見↠ 前◗」 と云は、 此経の所説、 文言多と云へども念仏を以経の宗致とすと也。
「↑其旨見↠ 前◗」 と云は、 上の本願の章・三輩◗章・利益の章等を指也。 本願の章には念仏を本願とすと云ひ、 三輩の章には三輩共に念仏を以て往生すと云、 利益の章には一念を无上大利の功徳と云へる、 皆是此経の所詮全念仏に有義也。
一 「▲而◗説↢菩提心◗行相↡者広◗在↢菩提心経等↡」 と云は、 ¬荘厳菩提心経¼ 并に ¬心地観経¼・¬思益経¼ 等の菩提心を説ける経を指なり。
一 「▲又説↢ 持戒◗行相↡者広◗在↢大小◗戒律↡」 と云は、 大乗戒を説るは ¬梵網経¼ なり。 小乗戒を明せるは ¬十誦律¼・¬四分律¼ 等也。
一 ▲四重の相対の釈は、 一々に総別を対判して、 諸経滅尽の後、 特留念仏の益有べ0914き事を成也。
▲所謂聖道・浄土◗対比すれば、 聖道成仏の教は先滅して、 浄土往生の教は特に留る。
▲往生におひて十方浄土の往生あり、 西方浄土の往生あり。 其中に十方浄土往生の教は先滅して、 西方往生の教は特に留る。
▲十方往生の教の内に都率の往生もこもりたれども、 古今の行者、 都率・西方をば一双として共に欣求するが故、 別して西方に対◗比論する也。 所謂都率の教は先滅して、 西方の教は特に留る。
▲往生の行に於て、 又諸行往生、 念仏往生の二義あり。 其中に諸行は先滅して、 念仏は特に留る。
されば 「▲此経の止住と云は只念仏の止住なり」 と云也。
一 「▲例 如↧彼◗¬観無量寿経◗¼中、 不↣ 付↢属◗定散之行↡、 唯孤◗付↦属 念仏之行↥」 と云は、 ¬観経¼ の流通の文に 「▲仏告↢ 阿難↡、 汝好◗持↢是◗語↡。 持↢ 是語↡者、 即是持↢ 无量寿仏◗名↡」 と云文を指也。 此文の意は、 念仏付属の章に見えたり。
一 「▲広◗可↠通↢於正像末法↡。 挙↠後◗勧↠今◗」 と云は、 「後」 とは百歳の時也。 「今」 と云は正末法を指て、 其中に正像の二時を摂する也。
一 「▲善導の釈に云、 ↓弘誓多門 四十八、 ↓偏ヘニ標↢ 念仏↡最◗為↠親。 ↓人能◗念↠ 仏◗仏還◗念。 専心◗想↠ 仏◗仏知↠ 人◗」 と云へるは、 ¬法事讃¼ の上巻の釈なり。
「↑弘誓多門四十八」 と云」 は、 弥陀の本願を指也。
「↑偏標念仏最為親」 と云は、 四十八願の中に第十八0915の念仏往生の願、 これ本願なれば尤も親と云也。
「↑人能念仏々還念専心想仏々知人」 と云は、 行者仏を念ずれば仏又行者を念じ給ふ。 是則、 「▲彼此三業不相捨離」 の義なり。
第七 摂取章
一 ▲当章より始て下の念仏付属の章に至までの五段は、 ¬観経¼ の意なり。 但中間の四修の章は ¬観経¼ の文に非ず。 然れども三心・四修は安心・起行なるが故に、 一双の法門なるに依て三心の次に置るゝ也。
一 所引の ▲¬観経¼ の文は真身観の文なり。 ▲¬疏¼ の釈も是同当所の釈也。 経と釈とを引合て意得べし。
¬疏¼ の文に今の経文を釈するに、 「▲従↢無量寿仏↡下至↢摂取不捨↡已来、 正◗明↧観↢身◗別相↡光益↦ 有縁↥」 と云は、 弥陀の光明、 念仏の衆生を摂取し給事を明す。 「有縁」 と云は、 弥陀有縁の衆生なり。 是則念仏の行者也。
日想・水想より始て宝地・宝樹・宝池・宝楼等の依報を観じ、 其後正報を観ずるに取て形像を観ずるを像観といひ、 次に浄土の真実の仏相を観ずるを真身観と名。 是を観仏三昧と云。 されば定善の中には此観正宗なり。
而如此観じ入て弥陀の相好・光明を観ずれば、 其光明の徳は念仏の衆生を摂取して捨給はざる利益を知也。 是0916観仏の所詮なり。
▲一に 「相の多少を明す」 と云は、 「▲无量寿仏◗有↢八万四千◗相↡」 と云文を指也。
▲二 「好の多少を明す」 と云は、 「▲一々◗好◗復有↢八万四千随形好↡」 と云文を指也。
▲三に 「光の多少を明す」 と云は、 「▲一々◗好◗復有↢八万四千◗光明↡」 と云文の意なり。
▲四に 「光照の遠近を明す」 と云は、 「▲一々光明遍照十方世界」 の文を牒するなり。
▲五に 「光の及ぶところの処、 偏に摂益を蒙ることを明す」 と云は、 「▲念仏◗衆生、 摂取 不↠捨 」 の文に当り。
問云、 弥陀の相好・光明、 皆八万四千を以て数とする事、 其故有りや。
答云、 故へ有。 凡そ仏の相好・光明に限らず、 依報の荘厳までも皆八万四千也。 謂弥陀如来は相も八万四千也、 好も八万四千也、 光明も八万四千也。
地下の七宝の金幢は百宝の所成なり。 一々の宝珠に千の光明有、 其の一々の光は八万四千色なり。
願力所成の華座には八万四千の葉あり。 一々の葉に八万四千の脈あり、 一々の脈より放つところの光明も八万四千なり。
其の華座の上へに四柱の法幢あり、 其幢の上に宝幔あり、 又五百億の宝珠あり。 其宝珠に八万四千の光あり、 其光又八万四千の異種の金色を成せり。
観音の相を説に、 眉間の光明も八万四千なり。 十指の端にも八万四千の画あり、 其の画に又八万四千の色あり、 其色に又八万四千の光あり。
如此皆八万四千なる事は、 衆生の煩悩八万四千なるに依て、 所治の煩悩に対せんが為0917に、 能治の教門も八万四千なり。
今弥陀の相好・光明八万四千なる事は、 彼八万四千の教門の利益を弥陀一仏の功徳に備へて、 八万四千の塵労門を対治することを表するなり。
一 ▲三縁の釈は共に念仏の徳を挙る也。
「▲親縁」 と云は親近の義也。 されば 「近縁」 も同事なれども、 三業に仏を念じて、 仏の三業を行者の三業と相離せざるを親縁とし、 ▲此念に依て見仏の益を得を近縁と云也。
所↠云の見仏は、 三昧発得せば此益有べし、 三昧発得せずは見仏の益を得がたし。 但し肉眼を以て見ずと云へども、 願楽の心、 実あらば仏の方よりは念に応じて来現し給ふべし。 ¬経¼ (観経) には 「▲常来至此行人之所」 と説、 釈には 「▲篭々常在行人前」 (法事讃巻上) とも云が如し。
「▲増上縁」と云は増勝の義也。 是れ正き往生の益なり。
一 「▲是◗故◗諸経◗中◗処々◗広◗讃↢念仏◗功徳↡」 と云は、 総じて云はゞ 「諸教所讃多在弥陀」 (輔行巻二) なるが故に、 広く一代の諸経に亘るべし。 別して云はゞ浄土所依の経を指なり。 今正く三経を引は此義なり。
「▲此例非↠ 一◗也」 と云は、 諸経にも通ずる義也。
一 三経を引に於て、 ¬無量寿経¼ の文に 「▲唯明専念名号得生」 と云は、 十八の願の意なり。
¬弥陀経¼ の文に二重あり。 初に 「▲一日七日専念↢ 弥陀◗名号↡得↠生 」 と云0918は、 釈尊弥陀の名号を讃嘆し給へるを指なり。 「▲我見↢是◗利↡故◗説↢此言↡」 (小経) と云へる、 是なり。
次に 「▲又十方恒沙◗諸仏証↢誠 不虚↡也」 と云は、 諸仏同心に釈迦の所説を証し給へるを指也。 「▲彼◗諸仏等◗亦称↢讃◗我不可思議の功徳↡」 と云へる、 是也。
¬観経¼ の文に 「▲定散文中」 と云へるは、 定善の文には真身観の所説の今の 「摂取不捨」 の説、 専是 「唯標専念」 の説也。 散善の文には下三品の念仏并に又流通の文、 是なり。 是等の文を指て 「▲唯標専念名号得生」 と云り。
一 ▲¬観念法門¼ の文は、 是も上の経文の意なり。
「▲前の如く身相等の光」 といふは、 さきの真身観に説くところの相好・光明を指也。
「▲彼◗仏◗心光常◗照↢ 是◗人↡」 と云は、 弥陀の大慈を以て衆生を摂取し給ふなり。 「▲仏心者大慈悲是なり」 (観経) と云が故に、 仏心の体は慈悲なり。 其慈悲に依て衆生を摂せんが為に放つ所の光明なれば、 「心光」 と云也。 此心光を以て常に行者を照し給を 「常照是人」 と云也。
「▲総 不↠論↣照↢摂 余◗雑業◗行者↡」 と云へる言は、 ¬経¼ (観経) に其の文隠たりと云へども、 「▲念仏の衆生を摂取す」 と云へば、 其の余は摂取に預からざる事、 其義顕然なるが故に、 分明に釈し顕して光照の益、 念仏に限る事を釈成するなり。
一 ¬礼讃¼ の釈は日中の文なり。 「▲唯有↢念仏↡ 蒙↢光摂↡」 と云は、 「唯」 の言は余0919を遮するが故に、 光摂の益、 雑行に蒙しめざる事を顕なり。
「▲当↠シ知、 本願最◗為↠強◗」 と云は、 念仏の行者、 本願の強縁を以て摂益に預る事を顕なり。
又 ¬般舟讃¼ に 「▲相好弥多 八万四、 一々◗光明照↢ 十方↡、 不↧為↢余縁↡光普◗照↥、 唯覓↢念仏往生◗人↡」 と云も、 其意相同じ。 「雑業」 と云へると、 「余善」 と云へると、 詞異にして意同じ。 是念仏の外の諸行を指也。
又 ¬礼讃¼ に 「▲彼◗仏◗光明無量 照↢ 十方◗国↡無↠所↢障↡。 唯観↢念仏◗衆生↡、 摂取 不↠捨 」 と云も同事也。 其の故へ ¬観経¼ には摂取不捨の利益を説き、 ¬阿弥陀経¼ には阿弥陀の名義を説けり。
而に摂取の益を説は、 ¬観経¼ にも阿弥陀の名義を顕す意あり。 「▲念仏の衆生を摂取す」 と説たる光明は、 十方国を照て障する所なければ、 無光仏の義に叶へる故なり。 ¬阿弥陀経¼ に 「▲照↢十方◗国↡無所障」 と説たる光明は、 念仏の衆生を照すは摂取の義を含めり。 影略互顕の義なり。 故に 「▲¬弥陀経¼ 及 ¬観経¼ 云」 と云て今の釈を設たり。
されば阿弥陀と云仏号は、 念仏の衆生を摂取して捨たまはざる利益を顕す言なり。 余行の行者をば摂取せず。 摂取せざれば其時は阿弥陀の義も成ずべからずと見えたり。
問云、 今の二文をば何ぞ此書に是を引ざるや。
答云、 先 ¬礼讃¼ の文は両経の意を引故に、 其の ¬観経¼ の意と云は今の真身観の文なれば、 別に引に及ばず。 ¬弥0920陀経¼ の意を引も、 今の ¬観経¼ の摂取不捨の利益に付て ¬弥陀経¼ の文を意得合る文なれば、 二経を離れて別に是を引ざるなり。
次に ¬般舟讃¼ の釈を引れざる事は、 彼書、 聖人在生の時未流布せざりしに依て、 高覧なかりけるゆへなり。
一 「▲所引の文の中に、 言↧自余◗衆善雖↠名↢ 是善↡、 若◗比↢ 念仏↡者全◗非↦ 比挍↥也者、 意◗云、 是約↢ 浄土門の諸行↡而所↢比論↡ 也」 と云は、 念仏の行を真言・止観等の事理の諸善に対比して勝劣を論ずるに非ず。
只往生浄土の門に於て其修行を云に、 諸行と念仏とを相対する時、 念仏は超絶せりと云意なりと示すなり。 是則、 彼は難行なり、 此は易行なり。 彼は本願に非ず、 此は本願なるが故也。
本云
康暦元年 己巳 七月十一日書写之了
此本以賢意本写之。 故存覚聖人御草にて仍悦尋出感得、 此本間加書写了。
応永廿二年六月七日写功了。
松下隠士 光覚(花押)
一交了
初条写置本以外文言点等無元条間、 以或本重而来合候処、 則其謬多之悉改写了。
底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が大幅に補完しているˆ表記は現代仮名遣いにしたˇ。