0943◎選択註解鈔第四
◎第九 四修章
一 上の章は安心、 ▲この章は作業なり。 安心のうへの作業なるが故に、 上下次第を成ずるなり。
問て云く、 安心・起行・作業と云ふ、 つねの次第なり。 なんぞ起行をあかさゞるや。
答て云く、 起行といふは五念門なり。 五念門と云は礼拝・讃嘆・観察・作業・廻向なり。 しかるに深心の就行立信のなかに▲五種の行をあげたり。 その五種の行とかの五念門といさゝかことなれども、 その義大略同。
又四修のなかにもその心あり。 則第二の无余修に 「▲所謂専◗称↢ 彼◗仏名↡専念専想、 専◗礼↢讃 彼◗仏及◗一切◗聖衆等↡、 不↠雑↢余業↡」 と云ひ、 又第三の無間修に 「▲所謂相続 恭敬礼拝、 称名讃嘆、 憶念観察、 廻向発願、 心心相続 不↧以↢余業↡来◗間↥」 といふ、 これなり。 故に前後の文にゆづりて、 別して起行の章を立てざるなり。
一 ▲¬礼讃¼ の文につらぬる所の四修は、 一には恭敬修、 二には无余修、 三には无間修、 四には長時修也。
長時修と云は、 三修のおはりに 「▲誓 不↢中止↡、 即◗是長時修0944 」 といへる、 これなり。
三修のおはり、 第三の无間修に二種の釈あり。 はじめの釈は 「▲不↧以↢余業↡来◗間↥」 といへり、 これ間断なき義なり。 「余業」 と云は雑行なり、 されば雑行をまじへずして専修なるべしといふなり。 後の釈◗「▲不↧以↢貪嗔煩悩↡来◗間◗」 といへり、 これ間雑なき義なり。 これは懺悔念仏の心なり。
二重の釈のなかには、 はじめの釈は下根の行用なり、 のちの釈は上根の用心なり。 ▽¬要訣¼ の釈も、 はじめの釈のこゝろをのべたり。
一 ▲¬要訣¼ の釈には、 一には長時修、 二には恭敬修、 三には无間修、 四には无余修と次第せり。 次第にさだめなし、 をのをの一義をあらわすなり。 一々の義理も言においていさゝか加減あれども、 その心一也。
一 ▲恭敬修のなかに、 恭敬の体にをいて五をいだせり。
そのなかに 「▲有縁の聖人」 と云は、 いま 「有縁」 とさすは弥陀の教なり。 「聖人」 と云は智行具足の人なり。 これは総じて浄土の法門弘通の人をさすなり。
しもに 「▲有縁の善知識」 といふは師範なり。 これは別して相承の師にあたれり。
「▲同縁の伴」 と云は同行なり。 和尚の余処の釈にも、 ¬法事讃¼ (巻下) には 「▲同行相親 願 莫↠退 」 といひ、 ¬般舟讃¼ には 「▲同行相親 莫↢相離↡ 」 と云へり。 或は敬重ををしへ、 或は親近をすゝむ。 をのを0945の一端をしめすなり。
「▲三宝」 といふは仏宝・法宝・僧宝なり。 これにをいて多種あり、 同体・別相・住持なり。
「▲同体」 といふは、 尽虚空遍法界の一切の三宝は三身同証して一体一身なるを、 同体の三宝と云なり。
「▲別相」 と云は、 内証は同じけれども各別体をしめして弥陀・釈迦・薬師・弥勒とも証するを別相の三宝と云なり。
この同体・別相は、 ともに冥の三宝なり。 凡夫の眼見の境界◗あらざるがゆへに 「▲為↢浅行◗者↡不↠果↢依◗修↡ 」 と云なり。
「▲住持の三宝」 と云は顕の三宝なり、 行者のためにしたしく依怙となる体なり。 「▲与↢今◗浅識↡作↢大因縁↡」 と云は此心なり。
「▲雕↠檀」 と云は木像なり。 「▲繍↠綺◗」 と云は画像なり。 「▲鏤↠玉◗」 といふは又形像なり。 「▲図↠繒◗」 と云はまた画像なり。 「▲磨↠石」 と云は石仏なり。 「▲削↠土◗」 と云は土仏なり。
「▲三乗の教旨」 といふは、 一代の結経、 諸宗の聖教、 経教まちまちなれども、 総じていふに三乗の道を明すがゆへなり。 これ法相宗の心なり。 「三乗」 と云は、 上の▲教相の章に載するがごとし。
「▲名句所詮」 と云は、 「名句」 と云は経典の偈頌等なり。 経典の詮ずるところは衆生の解悟の縁を生ずとなり。
「▲聖僧」 と云は小乗の学者、 これ声聞僧なり。 「▲菩薩」 といふは大乗◗行人なり。 「▲破戒の流」 と云ふは末代无0946戒の比丘なり。 三宝をうやまふとき、 破戒をえらびて敬重すべきに非ずといへども、 末世には持戒の人まれなれば、 破戒の比丘までも敬重すべしと云なり。
一 「▲三◗者无間修。 謂◗常◗念仏 作↢往生◗心↡。 於↢一切◗時↡心◗恒◗思◗巧◗」 といふは、 心々相続して間断なきなり。 ¬礼讃¼ の釈に、 この修にをきて二の釈あるなかに、 △はじめの釈の心は今の釈に同じ。
一 「▲諸余◗業行不↠令↢雑起↡。 所作之業、 日別◗須↧ ベ シ修↢ 念仏誦経↡不↞留↢余課↡耳」 といふは、 「諸余の業行」 といひ、 「余課」 といふ、 みな雑行をあげて念仏のほかにこれを加へざれと云なり。
一 私の釈に四修をつらぬるに、 二に 「▲慇重修」 といへるは恭敬修なり。 恭敬と慇重と、 そのことばことなれども、 その心同じきなり。
一 「▲例 如↣彼◗精進◗通↢ 於余◗五度↡」 といふは、 檀・戒・忍・禅・智の五度はその体定れり。 精進と云は別の法なし、 余の五度を退転懈怠せずして勇猛精進に修するは、 すなはち精進波羅蜜なり。 故に例知するなり。
第十 化讃章
一 ▲当章より以下の二段は、 又 ¬観経¼ の心なり。 上の三心・四修は、 念仏を信行す0947る安心・作業なり。 その念仏を聞経に対して讃嘆するなり。 ▲所引の文は下品上生の文なり。
一 「▲作衆悪業」 といふ、 十悪を指なり。 十悪は上の▲三心の章にのするがごとし。
問て云く、 「作衆悪業」 といへる、 ひろく諸悪に渡るべし、 随て当所の釈も 「▲造作衆悪」 (散善義) と釈せり。 経釈ともに十悪といはず、 なんぞ十悪をさすといふべきや。
答て云く、 今の文に 「作衆悪業」 と云へるは、 十悪なりと心得ることは、 当品のくらゐを辨成するに、 「▲即◗是造↢ 十悪↡軽罪の凡夫なり」 (散善義) と釈するが故なり。 されば下輩の三品は如↠次十悪・破戒・五逆の機なるがゆへに、 軽・次・重の罪人なり。 此故に下の二の重罪に対するに、 今 「作衆悪業」 と云へるは十悪なりと心得るなり。
是則、 十悪は衆罪の根本なるがゆへに、 十悪をさして衆悪といふに相違なきなり。
一 「▲方等経典」 と云は、 別して一経をさすにあらず、 総じて大乗経をさすなり。 「方等」 は方広なり、 方広は大乗也。 すなはち十二部経のなかのそのひとつなり。
一 「▲十二部経」 と云は、 一代の諸経なり。 一切経のなかより別して十二部経をえらぶにはあらず。 諸経の説相を料簡するに十二部を出ざるなり。 されば十二部経と0948云は、 たゞ一切の経をさすなり。
その 「十二部」 といふは、 一には修多羅、 こゝには法本といふ。 長行なり。
二には祇夜、 こゝには重頌といふ。 長行所説の法門をかさねて頌をもて宣説するなり。
三には伽陀、 こゝには諷誦といふ。 二、 三、 四、 五の句なり。
四には和伽羅、 こゝには記別といふ。 成仏の記等をさづくる、 これなり。
五には優陀那、 こゝには无問自説といふ。 請によらずして説所の経教なり。
六には尼陀那、 こゝには戒といふ。 戒行をとける、 これなり。
七には曰陀伽、 こゝには本事と云ふ。 弟子の宿生の事をとくなり。
八には阿婆多、 こゝには譬喩といふ。 たとへをもて法門を顕はすなり。
九には舎陀伽、 こゝには本生といふ。 仏の因行をとける、 これなり。
十には毘仏略、 こゝには方広といふ。 大乗の義なり。
十一には阿浮陀、 こゝには希有といふ。 未曾有の法門を説なり。
十二には優婆提舎、 こゝには論義といふ。 問答をまうけて法門を論説することなり。
一代の経教多しと云へども、 所説の義理は此十二部を出ざるなり。 此中に大小乗を分別するとき、 大乗には十二部を具し、 小乗には第十の方広を闕して余の十一部有なり。
「▲首題名字」 と云ふは題目なり、 名詮自性の謂あるがゆへに、 首題の名字をとなふれば、 部々の諸経を読誦修習する功徳にひとしきなり。
一0949 「▲然 望↢ 仏◗願意↡者」 といふは、 第十八の願をさすなり。 すなはち念仏なり。
一 「▲雑散の業を」 といふは雑行なり。 雑善なるがゆへに 「雑」 といひ、 餐受の心浮散する義につきて 「散」 といふ。 かるがゆへに雑散の業といふなり。
一 「▲如↢此◗経↡及◗諸部◗中、 処々◗広◗歎 勧 令↠ 称↠名、 将◗為↢要益↡也」◗云は、 この ¬経¼ と云は ¬観経¼ なり。 「諸部」 といふは、 別しては ¬大経¼ ・¬小経¼ をさす、 総じては傍依の諸経をさすなり。
第十一 讃嘆章
上の章には十二部経に対して念仏を讃嘆す、 ▲今の章には雑善に対して念仏を讃嘆す。 所嘆の念仏は同じといへども、 相対の法その名ことなり。 又かみは化仏の讃嘆なり、 今は釈尊の讃嘆なり。 故に二の経文によりて二の章段をたつるなり。
一 ひくところの▲経文は流通の文なり、 ▲¬疏¼ の釈もすなはち当所の釈なり。 ¬経¼ と釈とを引合せて心得べし。
¬疏¼ の文に、 「▲一 明↣専↢念 弥陀仏◗名↡」 といふは、 「▲若念仏者」 の文をさすなり。
「▲二 明↠讃↢ 能念之人↡」 といふより 「人中最勝人也▲」 といふにいたるまでは、 「▲是人中分陀利華」 の義を釈するなり。
「▲四 明↧専↢念 弥陀◗名↡者、 即◗観音・勢至常随影護、 亦如↦ 親友知識↥也」 といふは、 「▲観世音菩薩0950・大勢至菩薩為↢其勝友↡」 の心を解する。
「▲五 明↧今生既◗蒙↢ 此◗益↡、 捨命◗即◗入↦諸仏之家↥」 といふより 「道場の座あに賖ならんや」 といふにいたるまでは、 「▲当坐道場生諸仏家」 の文を釈するなり。
経釈の文段かくのごとし。
一 「▲分陀利」 といふは梵語なり、 こゝには翻じて白蓮華といふ。 華のなかには蓮花最勝なり、 淤泥に染せられざるがゆへなり。 色の中には白色最勝なり、 変壊の色にあらざるがゆへなり。
故に此花をもて念仏の行者にたとふることは、 白蓮花の衆花にすぐれたるがごとく、 念仏の行者の、 諸善の行人にすぐれたることをあらはすなり。
又法華と念仏と体ひとつなること、 この釈をもてしるべし。 かの ¬経¼ (法華経) には蓮華をもて妙法にたとへて 「妙法蓮花」 といひ、 この ¬経¼ には蓮華をもて行者にたとへて 「▲是人中分陀利花」 といふ。 所行の法と能念の人と、 たとふるところの詮ひとつなるなり。
一 「▲捨命◗即◗入↢諸仏之家↡。 即◗浄土是也」 といふは、 弥陀の浄土なり。 「▲生諸仏家」 とゝきたるを釈しあらはすなり。
これすなはち真身観には観仏三昧の益をとくとして 「▲捨身他世生諸仏前」 (観経) ととき、 流通の文には経名をあぐとして 「▲浄除業障生諸仏前」 (観経) と云り。 これみな弥陀の浄土をさすことあきらかなり。 弥陀は諸仏0951の本師、 極楽は十方の本土なるがゆへに、 諸仏の家といふなり。
一 「▲到↠ 彼◗長時◗聞↠法◗歴事供養◗」 といふは、 聖道は成仏を期し、 浄土は往生を願ずるにつきて、 往生ののち聞法修行して成仏すべき義を釈するなり。
▲しかれども、 長遠の修行とをからず速に極果にいたるべきがゆへに、 「▲道場の座あに賖ならんや」 といふなり。 この義、 上の正雑二行の章にこれを弁ぜしがごとし。
一 私の釈の中に 「▲問◗曰、 既◗以↢念仏↡名↢ 上々↡者、 何◗故◗不↠ 説↢上々品◗中↡至↢ 下々品↡而説↢念仏↡乎」 といふは、 この問の心は、 さきに能念の行者を嘆じて上々人といへば、 所念の法も上々の法なりと聞へたり。 然者、 尤も上々品の中に説べし、 なんぞ下々品の中に説やと問なり。
答の心は、 念仏の行九品にわたる上、 下々品にかぎらず上々品にもこれあり、 自余の諸品にもこれあり。 いかにいわんや、 下々品は五逆の重罪なるがゆへに、 かの重罪を滅することは念仏の力なれば、 能治・所治相応するによりて、 下々品にこれをとくなりといふなり。
問ていはく、 この問に不審あり。 念仏は下三品にこれをとけり、 なんぞ下々品にこれをとくやといふや。
答ていはく、 最上品なるべき法をなんぞ最下品にとくやといはんがために、 かくのごとく問するなり。 最極をあぐと心得ぬれば、 相違なきなり。
一0952 「▲為↢極悪最下◗人↡而説↢極善最上◗法↡」 といふは、 「極悪最下の人」 は五逆なり、 「極善最上の法」 は念仏なり。 高山の水は深谷にくだる能あり、 最上の法は最下にかうぶらしむる功あるなり。
一 「▲例 如↧彼◗无明淵源之病、 非↢ 中道↓府蔵之薬↡即◗不↞ 能↠治 」 といふは、 天臺には三観をもて三惑を破するとき、 仮観をもて見思の惑を破し、 空観をもて塵沙の惑を破し、 中道観をもて无明の惑を破するがゆへに、 三観の中には中道観最勝なり。 三惑のなかには无明の惑最重なれば、 深観をもて重惑を破するゆへに、 かれをひきてこれを証するなり。 やまひをもて惑にたとへ、 薬をもて観に比するなり。
「↑府蔵」 といふは六腑・五臓なり。 諸根を成立するは六腑・五臓なれば、 人身にとりては府蔵を肝要とす。 さればいま府蔵といふは肝要といふ心なり。
一 ¬六波羅蜜経¼ には五蔵をたてゝ、 そのなかに陀羅尼蔵のみ重罪を消滅すといへるゆへに、 ▲¬二教論¼ にはこれをひきて、 真言の諸教にすぐれたることを証せり。 しかるに今はこれをひきて、 念仏をかの陀羅尼蔵にひとしめて、 念仏の力の重罪を滅する例証とするなり。
問ていはく、 今所引の文には、 重罪消滅の徳をば陀羅尼蔵にをきて説がゆへに、 これを妙醍醐にたとへて最第一とせり。 念仏の徳をば0953いまの文のなかにこれをとくことなし。 なんぞこれをひきて自由に醍醐の妙薬に准じて五逆を滅する准拠とするや。
答て云く、 もとよりいまの文は例証なり。 かの ¬経¼ に総持の徳を嘆ずるをひきて、 念仏にひとしむるなり。 そのゆへは、 かの ¬経¼ には五蔵をときて、 その四蔵には五逆◗滅する徳をとかず、 陀羅尼の五逆を滅する功をあかせり。 いまの ¬観経¼ には定散・念仏をときて、 定散には五逆を滅する力をあかさずして、 念仏の五逆を滅することをとけり。 またくいまの説相とおなじ。
されば陀羅尼も五逆を滅し、 念仏も五逆を滅す。 その徳おなじきがゆへに、 ともに妙醍醐なりと例知するなり。
滅罪の功力につきて、 陀羅尼を妙醍醐にたとふるは、 弘法大師の解釈なり。 いままたその功用おなじきによりて、 これも妙醍醐なりと比するは、 釈家聖人の料簡なり。 かれこれともに文のよんどころをえたるものなり。
所引の文につきて、 「▲第三には法宝といふは」 といふより 「彼が為に諸の陀羅尼蔵を説く▲」 と云にいたるまでは、 経文なり。 「▲この五蔵は、 譬ば乳・酪・生蘇および妙醍醐のごとし」 といふより 「速に涅槃安楽法身を証す▲」 といふにいたるまでは、 大師の釈なり。
一 「▲素纜」・「毘尼」・「阿毘曇」 の三蔵は、 かみの▲教相の章に註するがごとし。
「▲般若」 といふは、 こゝには智恵といふ、 これ空恵をあかせる教なり。
「▲陀羅尼」 とい0954ふは、 こゝには総持といふ、 これ真言なり。
一 「▲修↢静慮↡」 といふは定なり。 すなはち契経にとくところこれなり。
一 「▲習↢威儀↡」 といふは律なり。 これ律蔵にあかすところなり。 「▲一味和合」 といふは僧の儀を明すなり。 ¬倶舎¼ の性相に、 「四人已上和合せるを僧と名づく」 といへる、 これなり。
一 「▲分↢別◗性相↡、 修環研覈 究↢竟 甚深↡」 といふは恵なり。 もろもろの論蔵には世出世の諸法をあかして深義を決判す。 これを習学して智解をひらかしむるなり。
一 「▲離↢於我法執著◗分別↡」 といふは般若の徳をあかすなり。 畢竟皆空と達しぬれば執著をはなるゝなり。
一 「▲或◗有↢滅↠ 軽◗而不↟滅↠重◗」 といふは、 あるひは 「▲小戒力微 不↠消↢五逆之罪↡」 (散善義) といひ、 あるいは十二部経の首題名字をきける功用、 たゞ千劫の極重悪業を滅するがごとき、 これなり。
一 「▲或◗有↢消↠ 一◗而不↟消↠二◗」 といふは、 布施は慳貪を治し、 忍辱は嗔恚を治する等これなり。
一0955 「▲↓九品の配当◗是一往◗義。 乃至 若◗約↠ 品◗即九々八十一品也」 と云ふは、 行者◗根性不同にして、 善悪二機あひわかれたることを釈するなり。
「↑九品の配当」 といふは、 上々は読誦大乗、 上中は解第一義、 上下は発菩提心、 中上は修行諸戒、 中々は持八戒斎、 中下は孝養父母、 下上は十悪軽罪、 下中は破戒次罪、 下々は五逆重罪なり。 かくのごとく、 上中二輩には世戒行の三福をあて、 下輩の三品には軽・次・重の罪業をもたするは、 一往の義なりといふなり。
「▲五逆◗廻心通↢於上々↡」 といふは、 五逆は下々品の悪業なれども下中にも下上にも通ずべし、 乃至上上品の読誦大乗の機にも通ずべしとなり。
「▲読誦◗妙行亦通↢於下々↡」 といふは、 逆次に通ずべき義、 さきに准じてこゝろうべし。 いはゆる読誦は上々品の善業なれども、 上中にも上下にも通ずべし、 乃至下々品の五逆重罪の機にも通ずべしとなり。
「▲十悪軽罪破戒次罪各通↢上下↡」 といふは、 十悪は下上品の悪なれば、 上といふは中下已上の六品をさし、 下といふは下中・下々をさすなり。 破戒は下中の悪なれば、 上といふは下上以前の七品をさし、 下といふは下々をさすなり。
「▲解第一義、 発菩提心亦通↢於上下↡」 といふは、 解第一義は上中の善なれば、 上といふは上々をさし、 下といふはしもの七品をさすなり。 発菩提心は上下の善なれば、 上といふは0956上々・上中をさし、 下といふはしもの六品をさすなり。
かくのごとく一々にたがひに通ずれば、 九品にまた九品あるなり。 かるがゆへに 「▲一法に各有↢九品↡。 若約↠ 品◗即◗九々八十一品也」 といふなり。
一 ▲迦才の釈をひくことは、 かみに善悪の業因たがひに通じて、 九品に限らず八十一品なるべきことを釈しつれども、 いまの釈のごとくとくならば、 なを八十一品にも限らず千差万別なる義をあらはすなり。
「▲衆生起行」 といふより 「莫起封執▲」 といふにいたるまでは、 かの師の釈なり。 すなはちその所造 ¬浄土論¼ の文なり。 「▲其◗中◗念仏◗是即◗勝行 」 といふ已下は私の釈なり。 これすなはち千殊万別の行のなかに、 念仏すぐれたることをあらはすなり。
一 「▲故◗引↢ 芬陀利↡、 以◗為↢其◗喩↡」 といふは、 当章にひくところの 「▲若◗念仏 者、 当↠ ベ シ知。 此◗人◗是人中◗芬陀利華 」 の文の心なり。
「▲念仏◗行者 観音・勢至、 如↢ 影◗与↟ ト ノ形暫 不↢捨離↡ 」 といふは、 「▲観世音菩薩・大勢至菩薩、 為↢ 其◗勝友↡」 の文の心なり。
一 「▲流↢五種◗嘉誉↡」 といふは、 芬陀利の五種の名に合ぬるところの五種の名なり。 いはゆる好人・妙好人・上々人・希有人・最勝人なり。
「▲蒙↢ 二尊◗影護↡」 といふは、 「二0957尊」 といふは、 いまは観音・勢至をさすなり。 かの二菩薩、 勝友となることをいふなり。
「▲此◗是現益也」 といふは、 いまのいふところの嘉誉と影護とらさすなり。
「▲往↢生 浄土↡、 乃至成仏、 此◗是当益也」 といふは、 「▲当坐道場生諸仏家」 の心を釈するなり。
一 ▲¬安楽集¼ の文をひきて始終の両益をあげたるは、 これも雑善に約対して念仏を嘆ずる文なるがゆへにこれをひくなり。 文の心みやすし。
このなかに ▲¬授記経¼ の入涅槃の義をひきのせたるは、 始益をあかさんがためなり。 いまは入不入の義を論ずるにはあらず。 その義をば ¬疏¼ の 「玄義」 に ▲¬大品経¼ をひきて報身常住の義をもやぶらず、 入涅槃の文もさまたげなき義を成ぜり。 おほよそいまの文のごときんば、 入涅槃の期あるべからず。
そのゆへは 「▲一向◗専↢念 阿弥陀仏↡往生 者、 常◗見↢弥陀現在 不↟滅 」 といへば、 入涅槃とみるは諸行往生の機見なりと聞へたり。 しかるに諸行は本願にあらざるがゆへに往生せずなりと心得れば、 決定往生の機は念仏の行人なり。 しかれば、 一切みな現在してみたてまつるべき義分明也。
第十二 念仏付属章
一0958 上の章には雑善に約対して念仏を讃嘆す。 かるがゆへに、 ▲いまの章にはかの雑善をば釈尊付属せず、 たゞ念仏をもて阿難に付属する義を立するなり。
一 ▲所引の経文はこれも流通の文なり。 ▲¬疏¼ の文もすなはち当所の釈なり。
「▲望仏本願」 といふは、 第十八の願をさすなり。 「▲一向専称」 といふは、 雑行をまじへざることばなり。 されば十八の願の心は一向を本とし、 専称をさきとするなり。
一 私の釈に、 ▲定善十三観・▲三福・▲九品等の善をあげて、 何も殊勝の利益あるべきことを釈せらるゝは、 文に 「▲定散両門の益をとく」 といへるを釈するなり。 かの両門の益のすぐれたることを顕して、 如此定散も殊勝の法なれども、 それをば付属せず、 「▲実非雑善為比類」 (散善義) の念仏の一行をもて付属すと顕さんがためなり。
これすなはち諸行は本願に非ず、 念仏は本願なるがゆへなり。 当章のしたの釈に 「▲釈尊所↤以不↣付↢属 諸行↡者、 即◗是非↢ 弥陀◗本願↡之故也。 亦所↣以付↢属 念仏↡者、 即◗是弥陀◗本願 之故也」 と云へるは、 この心なり。
かくのごとく心得ぬれば、 文に当りて釈する時は、 定善を讃ずるには 「▲随↢ 其◗所↟堪 修↢ 十三観↡可↠得↢往生↡。 其◗旨見↠ 経◗。 敢 无↢疑慮↡ 」 といひ、 散善を嘆ずるには一々の善のしたに 「▲縦◗雖↠无↢ 余行↡、 以↢孝養・奉事↡為↢往生◗業↡」 ともいひ、 「▲縦◗雖↠无↢ 余行↡、 以↢四无量0959心↡為↢往生◗業↡」 ともいへるは、 をのをのその行を釈するときの一往◗義なり。
仏の本願を尋れば、 たゞ念仏の一行のみ往生の業なりと知らるゝなり。 此心をえて能々文をみるべきなり。
一 「▲初◗三福 者、 経◗曰、 一 者孝↢養◗父母↡、 奉↢事◗師長↡、 慈心 不↠殺、 修↢十善業↡。 二 者受↢持◗三帰↡、 具↢足◗衆戒↡、 不↠犯↢威儀↡。 三 者発↢菩提心↡、 深↢信◗因果↡、 読↢誦◗大乗↡、 勧↢進◗行者↡」 といふは序の散善顕行縁◗文なり。
「一 者」 といへるは世福、 「二 者」 といへるは戒福、 「三 者」 といへるは行福なり。 その一々の義しもに釈するがごとし。 この三福を開して九品の業とす。 その義また▲しもに一々に合するがごとし。
一 「▲世間◗孝養 者如↢孝経等◗説↡」 といふは、 かの書には天子・諸侯・卿大夫・士・庶人の五等を立て、 各その品秩によりてふるまふべき様を明せり。 さればいづれも分に随ひて父の業をつぎ、 ことにをいて義を行はみな孝行なり。 そのなかに父母に孝するをもてその根本とす。
孝の字におほくの義あり、 孝は好なり、 順なり、 畜なり、 和なり。 好と云は 「孝は人の高行」 といへる義なり、 順といふは随順の義なり、 畜といふは財産をたくはへて親を養育する義なり、 これすなはちいまの0960孝養のことばに叶へり。 和と云は、 かほをやわらかにして父母に向ひて其意を悦ばしむるなり。
一 「▲出世◗孝養◗者如↢律◗中◗生縁奉事仕◗法↡」 といふは、 ¬四分律¼ の中に此ことを明せり。
孝順養育の義は外典とおなじ。 たゞしその報をあかすに得脱の益をいだせり。 むかしの慈童女が因縁のごとき、 これなり。
かの因縁といふは、 過去に波羅奈国に慈童女といふものあり。 はやく父にをくれてたゞ母のみあり。 慈童、 たきゞをうりて三十銭をえて母にあたへたりし功徳によりて、 六十万歳の快楽をえたり。 又あやまりて母のかみをぬきたりしとがにおりて、 地獄にいりて鉄輪をいたゞきゝ。 慈童、 そのとき罪業のむなしからざることをゝそれて、 忽に道念をおこし、 一切衆生の所受の苦を我身にうけんと誓願せしかば、 すなはち苦報をあらためて都率に生ずとみへたり。
このこと、 律の中に ¬雑法蔵経¼ の説をひきて、 父母にすこしきの不善をなせば大苦報をうけ、 さきの供養をなせば无量の幅をうることを明せるに、 此因縁をのせたり。
一 「▲教↢ 仁・義・礼・智・信等↡師也」 といふは、 世間の五常ををしふる師なり。 この五常は儒教にこれをあかせり。
儒教と云は孔子の教なり。 この五は人のつねに0961行べき道なるがゆへに五常といふなり。 「仁」 は仁恵の心、 仁慈の徳なり。 「義」 は厳律の義、 正理の道なり。 「礼」 は礼譲の行、 恭敬の義なり。 「智」 は照了の徳、 才儇の明なり。 「信」 は誠信の徳、 廉直の心なり。
一 「▲教↢ 聖道・浄土二門等↡師也」 といふは、 聖道といふは真言・天臺等の八宗・九宗なり。 浄土といふは浄土宗也。 或は他力の信心を相承する師範、 或経釈の義理を指授する、 ともに師長なり。
一 「▲慈心不殺◗者、 是四无量心◗中◗初◗慈无量也。 即◗挙↢↓初◗一↡摂↢↓後◗三↡也」 といふは、 「四无量心」 といふは、 一には慈无量心、 二には悲无量心、 三には喜无量心、 四には捨无量心なり。 慈无量心といふは无量の衆生を哀みて楽をあたふる心なり。 悲无量心といふは一切の衆生を悲て苦をぬく心なり。 喜无量心と云は上の抜苦与楽の二種の心成就するによりて歓喜する心なり。 捨无量心といふは无量の衆生にをきてかの抜苦与楽の心を発すこと平等にして怨親の差別なきなり。
されば 「↑はじめのひとつ」 といふは慈无量心なり、 「↑のちの三」 といふは悲无量心・喜无量心・捨无量心なり。
一 「▲天臺 即◗有↢四教◗菩提心↡。 謂◗蔵・通・別・円是也」 といふは、 四教の機各々その0962教を楽求して自乗の菩提を期する心なり。 そのなかに、 前◗三教の菩提心はこの宗の本意にあらず、 円教の菩提心をもて真実とす。
その心にをきて↓縁事・↓縁理の心あり。 この二の心、 ともに四弘誓願をもてその体とすれども事理の差別あるなり。 四弘誓願といふは、 上の▲本願の章に記するがごとし。
↑縁事の心といふは、 暫く衆生と仏とを別にし、 煩悩と菩提とを即せずして、 衆生を度して仏道をえしめんと思、 煩悩を断じて仏果をえんとねがふこゝろなり。
↑縁理の心といふは、 一切の諸法は本来寂滅なり、 有无にあらず断常をはなれたり、 煩悩即菩提・生死即涅槃なり。 されば衆生として度すべきところもなく、 菩提としてもとむべきところもなしと観ず。 しかれども衆生この不縛不脱の法の中にをきてしかも自縛をなし、 しかも自ら脱をもとむ。 これにをきて大慈悲を発し四弘を発して上求・下化の願を成就するなり。
「▲具◗如↢止観◗説↡」 と云は、 此事委は彼の第一巻に見たり。
一 「▲真言 即◗有↢三種◗菩提心↡。 謂◗↓行願・↓勝義・↓三摩地是也」 といふは、 真言の行者この三の心をおこして菩提を得なり。
「↑行願」 の菩提心といふは、 一切の衆生をみること己身のごとくして平等に利益せんと思心なり。
「↑勝義」 の菩提心と云は、 一切の諸法は自性なしと観じて本不生際を達するなり。
「↑三摩地」 の菩提心と云は、 一0963切衆生は普賢の心を含蔵して、 その心のかたちは月輪のごとくして、 そのなかに三十七尊歴然としてこの心城に住せりと観ずるなり。 ¬菩提心論¼ にこの菩提心を嘆じていはく、 「もし人仏恵を求めて菩提心を通達すれば、 父母所生の身をもて速に大覚の位を証す」 といへり。
この三種の菩提心の中に、 行願と勝義との二種の菩提心は如↠次天臺に云ふところの縁事・縁理の心にあたれり。 三摩地の菩提心は密宗不共の所談、 最上勝妙の菩提心なり。
「▲具◗如↢菩提心論◗説◗」 といふは、 かの論を ¬菩提心論¼ と云へる、 ひとへにこの三種の菩提心をとけるがゆへなり。 龍猛菩薩の造なり、 龍猛といふは龍樹なり。
一 「▲又有↢善導所釈◗菩提心↡。 具 如↢↓疏◗述↡ 」 といふは、 「序分義」に云く、 「▲言↢発菩提心↡者、 此明↧衆生◗欣心趣↠ 大、 不↠可↣ 浅◗発↢小因↡、 自↠非↣広◗発↢ 弘心↡、 何◗能◗得↦ 与↢菩提↡相会↥。 ◆唯◗願 我◗身、 身同↢虚空◗心斉↢ 法界↡、 尽↢ 衆生◗性↡。 我以↢身業↡恭敬供養礼拝、 迎送来去運度 令↠ 尽、 我以↢口業↡讃嘆説法、 皆受↢ 我◗化↡言、 下◗得道 者、 令↠ 尽。 又我以↢意業↡入定観察、 分↢身 法界↡応↠ 機◗而度、 无↢ 一 不 尽。 ◆我発↢此◗願↡。 運々増長 猶◗如↢虚空↡、 无↢処 不↟ 遍、 行流无尽 徹↢窮 後際↡、 身无↢疲倦↡心◗无↢ 厭足↡。 ◆又言↢菩提↡即◗是仏果之名。 又言↠心◗者0964即◗是衆生能求之心。 故 云↢発菩提心↡也」 と云へり。 この二重の釈は、 はじめの釈は下化衆生のこゝろ、 下の釈は上求菩提の心なり。
又 「散善義」 に云く、 「▲唯発↢ 一念↡厭苦楽生 諸仏◗境界、 速◗満↢ 菩薩◗大悲願行↡、 還↢入◗生死↡、 普◗度↢衆生↡。 故◗名↢発菩提心↡也」 といへり。
これも三福のなかの菩提心なれば、 まづは聖道の菩提心なり。 しかれども、 「還入生死普度衆生」 と云へるは廻入向利の廻向の心なれば、 浄土の菩提心に通ずる義あるなり。
「↑如↢疏◗述↡ 」 といふは、 これらの釈をさすなり。
一 「▲意気博遠にして詮測沖邈なり」 といふは、 広大甚深なりと云こゝろなり。 心は諸宗に通じ一代にわたりて一切をかぬとなり。
一 「▲世間の因果とは即六道の因果也」 といふは、 「六道」 といふは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天なり。 「因果」 といふは善悪の因果なり。 上・中・下品の十悪は、 如↠次地獄・餓鬼・畜生の因なり。 この因によりて所得の果はすなはちかの三悪道なり。 下・中・上品の十善は、 如↠次修羅・人・天の因なり。 この因によりて得所の果は則三善道の果報なり。
一 「▲出世の因果といふは即四聖の因果也」 と云は、 「四聖」 といふは四乗なり、 ▲教相の章にし0965るすがごとし。 「因」 といふは四聖の善因なり。 謂声聞の修因は四諦、 縁覚の修因は十二因縁、 菩薩の行因は六度、 仏乗の修因は三観なり。 三観といふは空・仮・中の三諦なり。
一 「▲即◗是五種法師之中◗挙↢転読・読誦二師↡、 顕↢受持等◗三師↡」 といふは、 読誦のことばのなかに五種の行を摂する義を釈するなり。
「五種」 といふは、 一には受持、 二には転読、 三には諷誦、 四には解説、 五には書写なり。 このなかに転読・諷誦といふは、 つねにいふところの読誦の行なり。 文をよむを読といひ、 そらに誦するを誦といふなり。
一 「▲若◗約↢ 十種◗法行↡者、 即◗是挙↢披読・諷誦◗二種◗法行↡、 顕↢ 余◗書写・供養等◗八種◗法行↡也」 といふは、 これも読誦のことばのなかに、 ↓十種の法行を摂する義を釈するなり。
「↑十種の法行」 といふは、 一には書写、 二には供養、 三には受持、 四には開演、 五には施他、 六には聴聞、 七には披読、 八には諷誦、 九には思惟、 十には修習なり。
一 「▲而◗於↢一代◗所説↡、 有↢已結集◗経↡、 有↢未結集◗経↡」 といふは、 在世の説教はたゞ仏の言詞をのべ給ひしばかりなり。 文にあらはして経巻をなすにをよばず、 在0966座の機はたゞちにその言説をきゝて得約しき。 しかるに如来滅後に未来の衆生を利せんがために記しをきたるを経といふ。 かくのごとく記しをくを結集といふなり。 結集の人は阿難なり。
一 「▲就↢ 翻訳将来之経↡而◗論↠ 之◗者」 といふは、 「翻訳」 といふは、 天竺のことばを唐土のことばにやはらぐるをいふなり。 「将来」 といふは、 天竺より唐土へわたるをいふなり。
総じていはんときは、 このことばゝ唐土より日本へわたるをもいふべきなり。 しかれども、 いまは西天より震旦に到来するなり。
一 「▲貞元入蔵録」 といふは書の名なり。 「貞元」 は唐土の年号なり。 貞元年中に一切経の首題・巻数を記せられし目録なり。
一 「▲問◗曰、 顕密旨異、 何◗顕◗中◗摂↠密◗乎」 といふは、 顕教は釈迦一代の所説、 顕露彰灼の教なり。 密教は大日覚王の自証、 秘密上乗の法なり。 その旨はるかにことなり。 されば読誦大乗といへる大乗のことばゝ、 顕教の大乗をさすならば、 密教をば摂すべからずと難ずるなり。
これは顕密の大乗経、 総じて六百三十七部なりとあぐるに、 すなはち 「▲或◗受↢持読↣誦 遮那・教王及以諸尊法等↡以◗為↢往生◗業↡」 といひつる義を不審するなり。
これをこたふるに 「▲非↠云 ↠摂↢ 顕密之旨↡。 貞元入蔵0967録◗中、 同 編↠之而◗入↢ 大乗経◗限。 故、 摂↢読誦大乗◗句↡也」 といふは、 この答のこゝろ、 顕密の二教に談ずるところの義を、 ひとしめて摂するにはあらず、 たゞ大乗経といふことばに顕密ともに摂すべし。 これすなはち真言の三部経等をも ¬録¼ のなかに、 おなじく顕教の大乗経の烈にいれたるゆへなりとこたふるなり。
一 「▲問◗曰、 爾前◗経◗中◗何◗摂↢ 法花↡乎」 といふは、 「爾前」 といふは法華以前なり。 されば五時のなかに爾前の四味と法華と教旨各別なり。 なんぞひとつにこれを摂するやと問なり。
▲答の心は、 さきのごとく教の浅深をば論ぜず、 たゞ大乗のことばひろく通ずべきがゆへに、 総じて読誦大乗のことばに摂すといふなり。
「▲非↠論↢ 権・実・偏・円等◗義↡」 といふは、 「権」 といふは爾前なり、 方便を帯するがゆへなり。 「実」 と云は法花なり、 方便をすつるがゆへなり。 「偏」 と云は前◗三教なり、 偏有・偏空・偏中に止るがゆへなり。 「円」 と云は円教なり、 円融の三諦を明すが故なり。 円融の三諦といふは、 空・仮・中の三諦たがひに相即して融通する義なり。
一 「▲開↢ 前◗三福↡為↢九品業↡」 といふ以下は、 世戒行の三福をわかちて九品の業とするがゆへに、 序分の文と品々の説とを合せて一々に配当するなり。
この合福の0968義は ¬疏¼ の文にいでたり。 かの釈をまもりて釈せらるゝなり。
「▲上品上生◗中◗言↢慈心不殺↡者、 即当↢ 上◗世福◗中◗第三句↡」 といふは、 世福の文には 「▲一◗者孝↢養◗父母↡、 奉↢事◗師長↡、 慈心 不殺、 修↢十善業↡」 (観経) ととくがゆへに、 「慈心不殺」 は第三の句にあたりたるを、 いまの 「慈心不殺」 とあひおなじと合するなり。
「▲次◗具諸戒行◗者、 即◗当↢上戒福◗中◗第二之句◗具足衆戒↡」 と云は、 戒福の文には 「▲二◗者受↢持◗三帰↡、 具↢足◗衆戒↡、 不↠犯↢威儀↡」 (観経) とゝくがゆへに、 「具足衆戒」 は第二の句に当りたるに、 「具諸戒行」 をもて合するなり。
「▲次◗読誦大乗◗者、 即◗当◗上◗行福◗中◗第三◗句◗読誦大乗↡」 といふは、 行福の文には 「▲三◗者発↢菩提心↡、 深↢信◗因果↡、 読↢誦大乗↡、 勧↢進◗行者↡」 (観経) といふがゆへに、 読誦大乗は第三の句にあたるに、 いまの読誦を合するなり。
「▲次◗修行六念◗者、 即◗上◗第三福◗中◗第三◗句之意也」 といふは、 三福のなかには修行六念の文なし。 しかれども義をもてこれを合するに、 この 「六念」 は大乗の行なるがゆへに 「読誦大乗」 の句に合す。 かるがゆへに 「▲第三福の中の第三句の意也」 と云なり。 まさしき文なきによりて 「意也」 といふなり。
「▲上品中生◗中◗言↢善解義趣◗等↡者、 即◗是上◗第三◗福◗中◗第二・第三◗意也」 といふは、 「善解義趣等」 といへる 「等」 の字には、 「▲於第一義心不驚動、 深信因果不謗大乗」 (観経) の句を摂するなり。 「善解義趣0969於第一義心不驚動」 を一にして、 第三福のなかの第三句の 「読誦大乗」 の句に合し、 「深信因果不謗大乗」 を一にして、 おなじき福のなかの第二句の 「深信因果」 に合する也。
「▲上品下生◗中◗言↢深信因果・発道心等↡者、 即◗是上◗第三福◗第一・第二◗義也」 といふは、 「深信因果」 はおなじき福のなかの第二の句とおなじ。 「発无上道心」 はおなじき第一の句とおなじ。 かるがゆへにかくのごとく釈するなり。
「▲中品上生◗中◗受持五戒◗等 者、 即◗上◗第二◗福◗中◗第二◗句◗意也」 といふは、 「等」 の字には 「▲持八戒斎・修行諸戒」 (観経) の句を等取するなり。 多少ことなりといへども、 みな戒行なるがゆへに、 第二の福のなかの第二の句に云ふ所の 「具足衆戒」 に当るなり。
「▲中品中生◗中◗言↢或一日一夜受持八戒斎等↡者、 又同 上◗第二◗福◗意也」 といふは、 「等」 のことば 「▲持沙弥戒、 具足戒、 威儀无欠」 (観経) の句を摂するなり。 これもかみとおなじく第二の福の心なり。 謂、 八戒・沙弥戒・具足戒はみな第二の 「句の具足衆戒」 に合す。 「威儀无欠」 は同じき第三句の 「不犯威儀」 の心なり。
「▲中品下生のなかに言↢孝養父母・↓行世仁慈等↡者、 即◗上◗初福◗第一・第二◗句◗意也」 といふは、 「孝養父母行世仁慈」 をもて、 総じてかみの世福のなかの 「孝養父母奉事師長」 の句に合するなり。 いまの文には奉事師長はなけれども、 父母と師長とその恩おなじく、 孝養と0970奉事とその儀一なるがゆへに、 一双の世善なれば文に略せりといへども、 あひはなるべからざるなり。
されば ¬疏¼ の釈にも孝養父母の四字を釈するとき、 「▲孝↢養◗父母↡、 奉↢順◗六親↡」 (散善義) といへり。 これ孝養父母のことばのしたに、 二親にかぎらず尊重につかふる義を摂せりとなり。
「↑行世仁慈」 といふは、 仁恵の徳なるがゆへに、 これも孝養父母・奉事師長の徳行をそなへん人は仁慈もあるべければ、 総じて第一・第二の句に合するなり。
¬疏¼ にはこの句を合福せざるは、 すなはち孝養父母の一句をもて第一の句の 「孝養」、 第二の句の 「奉事」 に合すれば、 その二のなかに摂在せることをあらはすなり。
次に下輩の三品をあげて、 結するに 「▲此◗三品、 尋常之時唯造↢悪業↡雖↠不↠求↢往生↡、 臨終之時始 遇↢善知識↡即◗得↢往生↡。 若◗准↢ 上◗三福↡者、 第三◗福◗大乗◗意也」 といふは、 この下三品の行は念仏なり。 しかるにこの念仏を、 もし三福の中に摂せば、 第三の行福のなかの第三句の読誦大乗の句にあたれりといふなり。 かの三福のなかにその文なしといへども、 義をもて配当するがゆへに大乗のこゝろなりと釈するなり。
下三品をば ¬疏¼ には合福せず。 これすなはち十一門の中に、 第六門の法は上・中二輩は善なり、 下輩は悪業なるがゆへに合すべきにあらず。 念仏は第八門の法なるがゆへに定散の烈に0971あらざれば合せざるなり。
いま私の釈に合するは、 定散・念仏ことなれども、 一往九品の業を分別して三福・九品の開合をしめさんがためなり。 されば ¬疏¼ の釈といまの釈と、 をのをの一意を顕すなり。
「▲次◗念仏 者、 専◗称↢ 弥陀仏名↡是也」 といふは、 上に二行あり、 一には定散、 二には念仏と約束せしなかに、 定散はすでにあかしをはりぬ、 この文より念仏をあかすといふなり。 これすなはち 「▲望仏本願」 (散善義) といへる本願の体なり。
一 「▲例 如↣法花◗秀↡ 三説◗上↡。 若◗无↢ 三説↡者、 何◗顕↢ 法華◗第一↡ 」 といふは、 天臺のこゝろ、 已今当の三説のなかにをきて ¬法華¼ 第一なりといふことなり。
かの ¬経¼ (法華経巻一〇) の 「法師品」 の文に、 「我が所説の諸経に而も此の経の中に於て法花最も第一」 といひ、 「已説・今説・当説、 而も其の中に於て此の法花経最も信じ難く解し難しと為」 といへる、 これなり。
一 「▲但◗定散◗諸善皆用◗難↠測◗」 といふ以下は、 かさねて定散の勝利を嘆じて、 しかも付属せざることをあらはし、 念仏はかの二善にすぐれたるがゆへに付属の法たることを釈成するなり。
先定散を讃ずるに種種の巨益をいだせり。 「▲依正之観懸↠鏡◗而照臨◗」 といふは、 序には 「▲当↫ ベ シ得↠ 見↢ 彼◗清浄◗国土↡、 如↪ 執↢ 明鏡↡自◗見↩ 面像↨」 (観0972経) といひ、 正宗には 「▲如↧於↢鏡◗中↡自◗見↦ 面像↥」 (観経) ととくがごとき、 これなり。
「▲往生之願指↠ 掌◗而速疾 」 と云は、 地観には 「▲除↢八十億劫◗生死之罪↡、 捨↠ 身◗他世◗必生↢彼◗国↡」 (観経) といひ、 花座観には「▲滅↢除◗五万劫◗生死之罪↡、 必定 当↠ ベ シ生↢極楽世界↡」 といひ、 真身観には 「△捨身他世◗生↢諸仏◗前↡」 といへるがごとき、 これなり。 必定といふはたな心をさす義なり。 捨身といひ、 命終といふは速疾の義なり。 多生をへざるがゆへなり。
「▲或◗一観之力能◗袪◗多劫之悪 ケン ↡」 といふは、 すなはちひくところの地観・宝楼・花座等にとくところの滅罪益なり。 そのほか像観・観音・勢至等の観にもこれをとけり。
「▲或◗具憶之功終◗得↢ 三昧之勝利↡」 と云は、 地観には 「▲若◗得↢ 三昧↡、 見↢ 彼◗国地↡、 了々分明 」 といひ、 像観には 「▲於↢現身◗中◗得↢念仏三昧↡」 とゝくがごとき、 これなり。
一 「▲然 世◗人若◗楽↢ 観仏等↡不↠ 修◗念仏↡、 是遠 非↠乖↢ 弥陀本願↡、 亦是近 違↢釈尊◗付属↡。 行者宜↢ ベ シ商量↡」 といふは、 かみに観仏の益をときつれども、 つゐにいま結成するに、 一向称名のほか他をまじふべからざる義をのぶるなり。 これ末世下機のためなり。
一 「▲次◗散善の中、 有↢大乗持戒◗行↡」 といふ已下は、 散善のなかにをきて、 ことに四0973ヶの行を嘆じて、 しかもまた付属の行にあらざることをあらはし、 念仏の一行の、 釈尊付属の法、 弥陀撰択の本願なることをしめして、 一向専称の徳を讃ずるなり。
四ヶの行をあげをはりて讃ずる文に、 「▲以↢此◗行殆◗抑↢念仏↡。 ◆倩尋↢ 経◗意↡者、 不↧以↢此◗諸行↡付属流通↥。 唯以↢念仏◗一行↡即◗使↤付↢属流↣通◗後世↡」 といへり。 これ散善の中の四ヶの行みな殊勝の行なりと云へども、 念仏にをよぶべからざる義を結するなり。
一 「▲釈尊所↤以◗不↣付↢属 諸行↡者、 即◗是非↢ 弥陀◗本願↡之故也」 といふ已下は、 釈尊定散を廃して念仏を付属するゆへを釈し、 和尚諸行を廃して念仏を立するよしをあかして、 諸行の機教相応せざるむねをあらはし、 念仏の機法相応せることをあげ、 諸行と念仏とを相対して重々勝劣を明すなり。
これすなはちかの 「▲持是語者、 即是持无量寿仏名」 (観経) の義を釈成し、 「▲一向専称弥陀仏名」 (散善義) の理を決了するなり。
底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が大幅に補完しているˆ表記は現代仮名遣いにしたˇ。