0711◎法華問答 上
◎天臺一家の宗義のほかに、 また近代 ¬法華¼ 等を信ずるともがらあり。 みづから称して法花宗と号す。
・第一問答
かの義にいはく、 ¬法花¼ 以前の諸教に得益あることなし。 爾前の教は方便の説なるがゆへに、 一切衆生の開示悟入、 かぎりて ¬法花¼ にあり。 かるがゆへに ¬法花¼ 第一 「方便品」 にいはく、 「如我昔所願、 今者已満足、 化一切衆生、 皆令入仏道」 といへり。 ¬法花¼ 以前の諸教に、 曽てこの文なし。 また ¬無量義経¼ (説法品) にいはく、 「四十余年いまだ真実をあらはさず」 といへり。 この二経の文をみるに、 ¬法花¼ 以前の四十余年の説、 得益あるべからず。
しかるに ¬観経¼ 等の爾前の教によりて宗をたてゝ、 大乗と号して念仏往生をすゝむ、 この義はなはだ不可なり。
大乗といふは、 三乗の異なきを一乗ともなづけ、 大乗ともなづくるなり。 「方便品」 (法華経巻一) にいはく、 「十方仏土の中には、 たゞ一乗の法のみありて、 二つもなくまた三つもなし。 仏の方便の説をば除く」 といへり。
しかるに ¬観経¼ の説相をみるに、 中三品の機、 かの土に生じて四諦の法をきゝて小果を証す。 かる0712がゆへにしりぬ、 かの土はすなはち方便の土なり、 なんぞ大乗といはん。
しかのみならず、 ¬法花¼ の文をもて浄土の宗義を校するに、 念仏はこれ无間の業なるべしといふ。
かくのごときの謗法邪見の悪義、 いかんがこれを会釈すべきや。
答。 この義、 文にそむき理にそむく。 まづ理にそむくといふは、 仏は機に随ひて法をとくこと不同なり。 かるがゆへに半満の教異、 二蔵の宗別に、 衆生の性欲不同なるがゆへに、 執法おのおの異なり。 この義をもてのゆへに、 如来或は人・天・二乗の法をとき、 或は菩薩涅槃の因をとく。 或は漸或は頓、 大小・権実、 宜ヨロシキに随ひてこれをとくこと不同なり。 しかりといへども、 縁にしたがふものみな解脱を蒙る。 もし汝が所立のごとく、 ¬法花¼ 以前の諸経に得益なしといはゞ、 四十余年の説経みな虚説なり。
つぎに文にそむくといふは、 諸経の説相ことごとくみな序・正・流通の三段あり。 もし得益なくは、 なにをもてか流通とせん。 たゞし爾前の教の中にをひて、 二乗の作仏をあかさず。 当分得益、 ならびに菩薩の授記、 経釈分明なり。
天臺は 「菩薩処々得入」 (止観巻七上) と釈す。 ¬法花¼ 「譬喩品」 にいはく、 「われむかし、 仏に随ひてかくのごときの法をきゝ、 もろもろの菩薩の授記作仏をみたり。 しかるにわれらこの事にあづからずして、 はなはだみづから感傷す」 と0713いへり。 大師この文を釈して 「文句」 (法華文句巻上 釈譬喩品) に いはく、 「たゞこれ方等教のなかに、 大乗の実智をきゝしと。 いまとことならず。 かるがゆへに如是法といふなり。 授記といふは、 たゞこれ方等のなかの菩薩に記をあたふ。 二乗はこの事にあづからずして、 はなはだみづから感傷す」 といへり。 かくのごときの経釈、 爾前の得益にはあらずや。
大師、 妙の字を釈していはく、 「この妙とかの妙と、 妙義ことなることなし」 (法華玄義巻二上) といへり。 「この妙」 といふは ¬法花¼ なり、 「かの妙」 といふは ¬華厳¼ なり。 大師のこゝろ、 二経の義またくこれおなじ。
ひくところの ¬無量義経¼ の文の始終をみるに、 かの ¬経¼ (無量義経説法品) にいはく、 「衆生の性欲不同にして種々に説法す。 方便力をもて四十余年いまだ真実をあらはさず。 このゆへに、 衆生の得道を差別して、 とく无上菩提を成ずることをえず。 善男子、 たとへば水のよくけがれをあらふがごとし。 もしは井もしは池、 もしは江もしは河、 渓・渠・大海、 ことごとくよくもろもろの垢穢をあらふ。 善男子、 水の性はこれひとつなれども、 江・河・池・渓・渠・大海、 おのおの別異なり。 その法性といふは、 またかくのごとし」 といへり。
すでにこのゆへに、 衆生の得道差別なりといふ。 これすな0714はち爾前の教の得益にあらずや。
つぎに念仏无間の業といふ義、 いづれの経いづれの論をひきて、 かくのごときの悪義をたつるや。 もともこれをあはれむべし。 謗法のとが罪業阿鼻にあり。 おほよそ念仏往生をあかすこと、 浄土の三経一論にかぎらず、 自余の諸経緒論のなかにこれをとくこと称計すべからず。
¬法花¼ 七 (巻六) 「薬王品」 にいはく、 「もし如来滅後の後の五百歳のなかに、 もし女人ありて、 この経典をきゝて説のごとく修行すれば、 こゝにをひて命終して、 すなはち安楽世界にゆきて、 阿弥陀仏・大菩薩衆に囲遶せられて、 住処は蓮花のなか宝座の上に生ぜん」 といへり。
¬観音授記経¼ (意) にいはく、 「たゞ一向にもはら阿弥陀仏を念じて、 往生するもののみありて、 つねに弥陀現在して滅したまはずとみたてまつる」 といへり。
¬坐禅三昧経¼ にいはく、 「極楽の教主弥陀尊は、 念仏のもろもろの衆生に随順して、 毎日千遍住処に来りたまふ。 踊躍歓喜したまふことたとへなし」 といへり。
¬華厳経¼ (晋訳巻七浮言品) にいはく、 「また光明をはなつを見仏となづく。 かのひかりを覚悟して命終するもの、 念仏すればかならず仏をみたてまつる。 命終の後に仏前に生ず」 といへり。 またいはく、 「願くは、 われ命終らんとするときに臨んで、 ことごとく一切のもろもろの障を除き、 面にマノアタリかの阿弥陀仏を見たてま0715つりて、 すなはち安楽国に往生することをえしむ」 (般若訳華厳経巻四〇行願品) といへり。
¬十往生経¼ にいはく、 「もし衆生ありて、 阿弥陀仏を念じて往生を願ずるものは、 かの仏すなはち二十五の菩薩をつかはして行者を擁護して、 もしは行もしは坐もしは住もしは臥、 もしは昼もしは夜、 一切のところに悪鬼神をして、 そのたよりをえしめざるなり」 といへり。
¬随求陀羅尼経¼ にいはく、 「浄土の因行は退転せざれば、 決定して上々品に往生して、 廬遮那仏に値遇す」 といへり。
¬尊勝陀羅尼経¼ (意) にいはく、 「毎日二十一遍これを誦すれば、 阿弥陀仏の国に往生す」 といへり。
¬起信論¼ (真諦訳) にいはく、 「もし人、 もはら西方安楽世界の阿弥陀仏を念じたてまつりて、 所修の善根を回向して、 かの世界に生ぜんと願求すれば、 すなはち往生することをえしむ」。
¬金剛経¼ (伝大師頌金剛経) の発願の文にいはく、 「かみは四重の恩を報じ、 しもは三塗の苦をすくひ、 もし見聞することあらんものは、 ことごとく菩提心を発して、 この一報をつくして、 同く極楽国に生ぜん」 といへり。
¬宝性論¼ (巻一信功徳品 巻四信功徳品) にいはく、 「このもろもろの功徳によりて、 願くは、 命終のときにをひて、 弥陀仏の无辺身の功徳を見たてまつることをえん。 われ及び余の信者も、 すでにかの仏を見たてまつりをはりなば、 願じて離垢眼をえて无上菩提を証せん」 と0716いへり。
¬摂論¼ (真諦訳緒論釈巻一五) にいはく、 「所生の善、 この願によりて、 ことごとく弥陀内得の浄眼を見たてまつりて正覚を成ぜん」 といへり。
¬十住毘婆娑論¼ (巻五易行品意) にいはく、 「易行道といふは、 いはくたゞ信仏の因縁をもて浄土に生ぜんと願じて、 仏の願力に乗ずれば、 すなはちかの清浄の土に往生することをえて、 仏力住持して、 すなはち大乗正定の聚にいる。 正定といふはすなはちこれ阿毘跋致なり。 たとへば水路の乗船はすなはちたのしきがごとし」 といへり。
智者大師のいはく、 「八万法蔵の妙の肝心、 一代聖教の結経なり。 衆生の出離には要の法なり。 弥陀来迎して往生することをう」 といへり。
妙楽のいはく、 「諸経にほむるところおほく弥陀にあり。 かるがゆへに西方をもてしかも一准とす」 (輔行巻二) といへり。
慈雲法師のいはく、 「浄土の弥陀をひとたび耳根にふるれば、 すなはち大乗成仏の種子をくだす。 きかず信ぜざらんは、 あに大なる失にあらずや」 といへり。
霊芝のいはく、 「一代弥陀の教観を准知するに、 みなこれ円頓一仏乗の法にして、 すなはち摩訶衍なり」 (観経義疏巻上) といへり。
おほよそ弥陀の名号は、 一声くちにとなふれば、 八十億劫の生死の重罪を滅して、 一念の心に无上大利の功徳をうるなり。 ¬観経¼ にいはく、 「声をしてたえざらしめて、 十念を具足して南无阿弥陀仏を称するに、 念0717々のうちにをひて八十億劫の生死の罪を除く」 といへり。
¬无量寿経¼ (巻下) にいはく、 「それかの仏の名号をきくことをえて、 歓喜踊躍し乃至一念せんものあらん。 まさにしるべし、 このひとは大利をうとす。 すなはちこれ无上の功徳を具足するなり」 といへり。
釈尊、 諸経のうちにゑらびてひとり浄土の教をとゞめたまふ。 止住すること百歳せんと。 同き ¬経¼ (大経巻下) にいはく、 「当来の世に経道滅尽せんに、 われ慈悲哀愍をもて、 ひとりこの経をとゞめて止住すること百歳せん。 それ衆生ありてこの経にまうあふものは、 こゝろの所願に随てみな得度すべし」 といへり。
¬思益経¼ (巻四授不退転天子記品意) にいはく、 「劫焼のとき江河まづ滅す、 大海のちに竭すカハク 。 法滅のとき小乗教まづ滅し、 大乗教のちに滅す」。
しかるに浄土の教は、 大小乗の色の経巻、 ことごとくみな滅して後、 百歳止住す。 もししからば、 大乗が中の大乗といふべきなり。 もし汝が所立のごときんば、 釈尊あに 「我以慈悲哀愍、 特留此経」 (大経巻下) といはんや。 しかるに天臺大師は、 法花三昧をえて ¬法花の疏¼ (法華玄義巻一下) をつくり、 光宅を破して 「余者望風」 といふ。 光宅、 七度生じて七度 ¬法花の疏¼ をつくるといへども、 ¬経¼ の深意をしらず。 いはんや、 相伝なくしてわづかに経文ばかりを自見して、 諸経の明文にくらくして、 漢家・本朝の高徳・祖師の釈を破して0718、 あまさへ念仏无間の業といふ。 この義を存ぜんもの、 出離を求るにはあらずして、 阿鼻の罪業をまねかん歟。
もし法花の深意をしらば、 もはら弥陀をたふとぶべし。 ゆへいかんとなれば、 弘法大師 ¬法華経¼ の題号を釈していはく、 「一乗妙法蓮花経は、 観自在の密号なり。 浄妙国土にしては弥陀となづけ、 五濁世界にしては観音となづく (法華経開題意) といへり。
またいはく、 「むかし霊山にありては法花となづく。 いま西方にありては弥陀と名けたてまつる。 娑婆にしては称して観世音とす。 三世の利益同く一体なり」 といへり。
伝教大師のいはく、 「はじめ妙法蓮花経より、 をはり作礼而去の文にいたるまで、 一々の文字は殊妙の理なり。 みなこれ西方の阿弥陀仏也」 といへり。
かくのごとくの釈をみるに、 法花と弥陀とまたく一体異名なり。 もししからば、 法花を信ぜんものは、 もはら弥陀をたふとむべし。 弥陀を信ぜんものは、 もとも法花をたふとむべし。 弥陀を信じて法花をそしり、 法花を信じて弥陀をそしらんは、 たとへば流をくみて、 みなかみを濁すが如し。 いはんや、 天臺大師の解釈にそむきて、 相伝なくして別義をたてゝ、 しかも法花宗と号す。 かくのごときの義、 目あらんともがら信用にあらず。
そもそも大師の本地をとぶらへば、 薬王菩薩の化身、 四十二品无明を断ず。 等覚无垢の0719薩埵、 入重玄門の大聖、 むかし霊山にありては法花の聴衆、 いま晨州にいでゝは、 また法花の深意をさとる。 一代聖教を高覧あること十五遍、 しかるにこの一事にをひて、 霊山の法花、 西方の阿弥陀、 各別なるにをひては、 あやまて一体と釈せらるべからず。 かくのごときの大聖たりといへども、 臨終にのぞんで西方往生の素懐をとげたまへり。
かの ¬別伝¼ (智者大師別伝意) にいはく、 「この妙法花は本迹二門にして、 その理深遠なり。 さとりがたく入がたし。 且くおきて論ぜず。 すなはち西方にまうでゝ、 仏にまうあひたてまつりて、 さとりをひらかん。 四十八願をもて浄土を荘厳す。 なを往生することをうるなり。 いはんやわれ戒恵薫修す、 なんぞ生ずることをえざらん」。 已上
これによりて天臺の往生、 都率・西方にあらそひあり。 しかれば、 妙楽これを会していはく、 「しかるに大師生存にはつねに都率に生ぜんと願じて、 臨終にはすなはち観音の来迎すといふ。 まさにしるべし、 軌物、 機にしたがひ縁に随て、 化をまうくること一准なるべからず」 (輔行巻一) 已上
伝文といひ妙楽の釈といひ、 天臺の西方往生、 たれかこれをあらそはん。 もし汝が所立のごときは、 極楽虚説ならば、 大師あに西方往生をとげられんや。
・第二問答
難0720じていはく、 諸経論の文ならびに人師の疏釈をひきて、 念仏往生の義をたつといへども、 なをもてあきらかならず。 ひく所の諸経、 みなこれ爾前の教なり。 爾前の教は方便の説なるがゆへに、 方便の教を所依としてつくる所の菩薩の論、 人師の釈、 みなこれ方便の説に属すべし。 たとひ ¬法花¼ についてつくる疏釈たりといふとも、 諸師の意楽まちまちなるがゆへに、 ¬法花¼ に合せばこれを用ゆべし。 経文に合せずしては依用すべからず。 たとひ大師の解釈たりといふとも、 義によりて取捨あるべし。
たゞしひく所の 「即往安楽世界の阿弥陀」 (法華経巻六薬王品) は、 汝が所立の西方極楽世界の阿弥陀にあらず、 己身の阿弥陀なり。 「安楽世界」 といふは、 法身の所居を安楽世界となづくるなり。
つぎに念仏无間の業といふは、 直に念仏を无間の業といふにあらず。 念仏の行者、 法花を毀謗す。 かるがゆへに能修の機に約して、 所修の念仏を无間の業と名るなり。
浄土の祖師善導和尚、 往生の行にをひて正雑二行をたてゝ、 念仏の一行を正行とし、 自余の諸善をことごとく雑行となづく。 しかるに ¬観経¼ の説相をみるに、 九品往生のむねをあかす。 上品上生には読誦大乗の受法とす。 しからば、 読誦大乗のなかに ¬法花¼ もるべからず。 もししからば、 なんぞ ¬法花¼ を雑行に摂せん。
しかのみならず、 雑行に於ては、 初は 「一0721二、三五の往生をゆるす」 (礼讃意) といへども、 後には 「千中无一」 (礼讃) と結す。 あまさへ雑行について十三の失をいだす。 ことごとくこれ謗法なり。 しかるに ¬法花¼ はこれ三世の諸仏の出世の本懐、 一切衆生の成仏の直道なり。 なんぞ雑行に摂して不生といはんや これ一の謗法。
つぎに三心を釈するに、 回向心のなかに二河白道のたとへをして、 異学・異見・別解・別行のものを群賊悪獣にこれをたとふ。 別解・別行の中に ¬法花¼ をもらすべからず。 これまた第一の謗法なり これ二の謗法。
つぎに和国の然上人の ¬選択集¼ に善導の ¬疏¼ の五種の正行をひきて、 五種の雑行に相対して第一に読誦大乗をいだす。 文にいはく、 「第一に読誦大乗といふは、 上の ¬観経¼ 等の往生浄土の経を除て已外の、 大小乗の顕密の諸経に於て受持読誦する。 ことごとく読誦雑行となづく」。 已上 すでに大小乗の顕密の諸経といふ、 このなかに ¬法花¼ もるべからず これ三の謗法。
つぎに聖道難証の義を立せんがために、 初には顕大・権大をひきて 「歴劫迂回の行」 (選択集) とし、 後には 「是に准じて是を思ふに、 密大及び実大を存ずべし」 (選択集) と釈して、 ¬法花¼ をもて歴劫迂回の行に准ぜしめて 「応↠存」 といふ。 ¬法花¼ はこれ速疾頓悟の教なり、 証をとることたなごゝろをかへすが如し。 かくのごときの速疾頓悟の教にをひて、 これを歴劫迂回の行に准ずる0722こと、 これまた謗法なり これ四の謗法。
つぎに ¬寿経¼ の三輩と ¬観経¼ の九品をひきあはせて得失を判ずる中にいはく、 「諸行は廃のためにしかもこれをとく、 念仏は立のためにしかもこれをとく」 (選択集)。 しかのみならず、 念仏のほか自余の諸行を捨・スツル 閉・トヅル 閣・サシオク抛とナゲウツ所々にこれを釈す。 かくのごときの義立、 いかでか謗法の罪をのがれん。
¬法花¼ の二 (譬喩品) 長者偈 にいはく、 「もし人信ぜずしてこの経を毀謗すれば、 すなはち一切世間の仏種を断ずと。 乃至 この人の罪報、 汝いままたきく。 その人、 命終して阿鼻獄に入て一劫を具足す」。 已上
この経を信ぜずして毀謗するものは、 必定して阿鼻に堕在すべきこと、 現文分明なり。 近代念仏修行の人、 ¬法花¼ を信ぜずして、 あまさへ雑行のもの往生すべからずといふ。 かくのごときの義、 ¬観経¼ の説相にもそむくと 云々。
¬涅槃経¼ (北本巻二六徳王品 南本巻二四徳王品) にいはく、 「信不具なるゆへに一闡提となづく」。 已上
しりぬ、 ¬法花¼ を信ぜざるものはすなはち謗法なり、 また不信はすなはち闡提なり。 かるがゆへに、 かみは 「若人不信」 といひ、 しもは 「則断一切世間仏種」 といふ。 あきらかにしりぬ、 ¬法花¼ を信ぜざるものは、 すなはち謗法と闡提と二罪業なり。 かるがゆへに罪業阿鼻にあり。 この義をもてのゆへに、 念仏无間の業となづくるなり、 いかん。
答0723。 ひくところの 「若人不信」 の文は、 総じて仏法を信ずることなきものを不信といふなり。 余経を信じて ¬法花¼ を信ぜざるを 「不信」 といふにはあらず。 ¬法花¼ の七 (巻六) 嘱累品 にいはく、 「もし衆生ありて信受せざらんものは、 まさに如来余の深法のなかにおひて示教利喜すべし」。 已上 ¬法花¼ を信ぜざるものは、 余教のなかにをひて示教利喜すべしといふ文分明なり。 この文を見ながら、 ¬法花¼ を信ぜざるものは謗法なりといひ、 ¬法花¼ 以前の教に得益なしといふ、 不足言なり。 ¬法花¼ のほかに深法ありといふこと、 たれかこれをあらそはん。
いふところの深法といふは、 すなはちこれ浄土の教をさすなり。 ゆへいかんとなれば、 弥陀の本願、 釈迦の留教、 諸仏の証誠、 かぎりて浄土の教にあり。 ¬无量寿経¼ の巻下にいはく、 「无量寿仏を念じたてまつり、 その国に生ぜんと願じて、 もし深法をきゝて歓喜せん」 と。 いまだ諸教のなかにをひてかくのごときの説をきかず。
この義をもてのゆへに、 天臺は 「一代聖教の結経」 と判ず。 妙楽は 「多在弥陀」 (輔行巻二) と讃ず。
慈雲法師は 「浄土の弥陀をひとたび耳根にふるれば、 すなはち大乗成仏の種子をくだす」 と釈す。
元暁の釈には 「両尊出世の本意、 四輩入道の要門、 耳に経名をきゝて、 すなはち一乗にいりてしかも退することなし。 口に仏号を誦してすなはち三界をい0724でゝしかもかへらず」 (小経疏)。
慈恩の ¬西方要決¼ いはく、 「不了之教、 涅槃之会に釈通し、 浄土の一門は双林に更に疑決なし。 諸仏の舒舌を引成して、 この二義によるがゆへに方便にあらず」。 已上
恵心の釈には、 「しかるに信受をすゝむ、 願生を成ぜんとする。 これ仏の本懐なり。 軽爾すべからず」 (小経略記)。 已上
この義をもてのゆへに、 浄土の教を深法となづくるなり。
つぎに不信を闡提といふ。 総じて仏法の信なくして因果をやぶるを闡提と名るなり。¬涅槃経¼ (北本巻二六徳王品 南本巻二四徳王品) にいはく、 「一闡をば信となづけ、 提をば不具と名く。 信不具なるがゆへに一闡提となづく」。 已上
しかるにわれら ¬法花¼ ついて出離をもとめずといへども、 至心に念仏を行じて、 しかも ¬法花¼ を謗ぜず。
汝が所説のごとく、 ¬法花¼ を信ぜざるものを謗法・闡提といはゞ、 ¬涅槃経¼ (北本巻三三迦葉品 南本巻三一迦葉品) にいはく、 「蟻子を殺害しては、 なをし殺罪をうるなり。 一闡提をころすは、 殺罪あることなし」。 已上 もししからずは、 余法を信じて ¬法花¼ を信ぜざるものをころしたらば、 蟻子を害するよりも殺罪なしといふべき歟。 もしこの義を存ぜば、 これすなはち闡提なり、 因果をしらざるがゆへに。
つぎに和尚・上人両師の御釈をひきて謗法といふこと、 不足言なり。 これすなはち、 文にまよひ義にくらきがゆへなり。 両師ともにことごとく諸行往生をゆるす。
「玄0725義」 (玄義分) 序題門 にいはく、 「こゝろによりて勝行ををこす。 門八万四千にあまれり。 漸頓すなはち所宜にかなふ。 縁にしたがふものは、 みな解脱を蒙る」。 已上
同き 「玄義」 (玄義分) にいはく、 「定散ひとしく回向すれば、 速に无生身を証す」 といへり。 定散のほかにいかなる行ありてか不生といはん。
¬法事讃¼ (巻下) にいはく、 「如来五濁に出現して、 随宜に方便して群萌を化す。 或は多門をときてしかも得度せしめ、 或は少解をときて三明を証す。 或は福恵ならべて障を除くとをしへ、 或は禅念して坐して思量せよとをしふ。 種々の法門みな解脱すれども、 念仏して西方にゆくにすぎたるはなし」 といへり。
¬般舟讃¼ にいはく、 「或は人・天・二乗の法をとき、 或は菩薩涅槃の因をとく。 或は漸或は頓、 空有・人法ならべて除かしむることをあかす。 根性利なるものはみな益を蒙る、 鈍根无智にしては開悟しがたし」。 已上 諸行往生の文しげきをおそれて略す
おほよそ諸行往生を許すこと、 善導一師にかぎらず。 道綽禅師は 「万行往生」 (安楽集巻下意) といひ、 恵感禅師は 「諸行往生」 (群疑論巻五) といふ。 恵心またこれに同じ。
念仏等の五種の正行は、 もはら西方の業なるがゆへに正行となづく。 五種のほかに自余の諸行は、 或は人天に及び三乗に通じ、 或は十方の浄土に通ずる行なるがゆへに雑行といふ。
おほよそ大小乗の経論のなかに純雑の0726二門をたつ。 その例一つにあらず。 大乗にはすなはち八蔵のなかに雑蔵をたつ。 七蔵はこれ純、 一蔵はこれ雑蔵なり。 小乗にはすなはち四阿含のなかにしかも雑含をたつ。 三阿含はこれ純、 一阿含はこれ雑なり。 律にはすなはち二十の犍度をたてゝ、 もて戒行をあかす。 そのなかに、 まへの十九は純、 のちの一はこれ雑犍度なり。
もし汝が所難のごとく、 雑行をたつるをもて謗法といはば、 大小乗のなかに純雑をたつる、 みなこれ謗法といふべきや。 謗法といふは、 汝が所立のごとく、 真言は亡国、 禅は天魔の所行、 念仏は无間の業といふ、 かくのごときの説ことごとく謗法なり。 いかでか三悪道をのがれん。
¬大論¼ (大智度論巻一初品) にいはく、 「自法を愛染するが故に他人の法を毀呰すれば、 持戒の行人なりといへども地獄の苦をまぬかれず」。 已上
つぎに十三の得失といふは、 念仏は本願の行なるがゆへに、 「仏の本願と相応するがゆへに」 (礼讃) といふなり。 余善は本願にあらず、 故に 「仏の本願に不相応」 (礼讃) といふ。 「教に違せざるがゆへ」 (礼讃) といふは、 浄土の三経のなかに処々に念仏をあかして、 もて勝行とす。 余善はしからず、 故に不違教故といふ。 念仏はこれ十方恒沙の諸仏の証誠なるがゆへに、 「随順仏語」 (礼讃) といふ。
「貪嗔・諸見来て間断せず」 (礼讃意) といふは二義あり。
一義にいはく、 ¬観仏0727経¼ (巻一〇観仏密行品意) の六喩のこゝろによらば、 「念仏は煩悩のために染せられず」 云々。
一義にいはく、 貪嗔は煩悩濁なり、 諸見は見濁なり。 ¬倶舎¼ (玄奘訳巻一二 世品意) にいはく、 「煩悩濁は在家の善を損じ、 見濁は出家の善を損ず」。
「在家の善」 といふは、 造像・起塔・供仏・施僧等これなり。 「出家の善」 といふは、 四諦・十六行相等の観法なり。 これすなはち事と理との二善なり。 しかるにまさに理観に住せんとすれば諸見きおひをこる。 もし事の善を修せんと欲すれば貪嗔生ずるによりて念仏を修す。 財宝をもちゐざれば貪瞋こゝろにをこらず。 観法をもちゐざれば諸見をこることなし。
もし雑行を修するもの、 煩悩をこるといへども、 行のなかの起悪微細にしてわきまへがたし。 そのとがをしらざるがゆへに懺悔のこゝろなし。 念仏を行ずるものはつねに懺悔を修す。 「念々称名常懺悔」 (般舟讃) といへり。 正行を行ずるものは仏恩を報ず。 ¬経¼ (礼讃) にいはく、 「自も信じ人を教て信ぜしむること、 難が中にうたゝ更に難し。 大悲を伝て普く化す、 まことに仏恩を報ずるになる」 と。 已上 雑行を修するは心に軽慢を生ず。
「名利と相応す」 (礼讃) と0728いふは、 正行を修するものは、 ひとへに仏の大願をたのむ。 雑行を修するものは、 こゝろに三学ありと念じて貴己等仏の見ををこす。 故に慢挙を生ずるなり。
「人我自らおほふ」 (礼讃) といふは、 正行を修するものは、 自機を知て貢高を生ぜず、 善友に親近す。 雑行を修するものは、 自の三学をたのみて心に高慢をいだく。 故に名利と相応す。
かくのごとく得失を判ずること、 たゞこれ仏説にまかす。 なんぞ謗法といはん。
但し千中无一の釈に至て、 能別の言を置て 「不至心者千中无一」 (礼讃) といふ。 それ実には正行たりといふとも、 至心なくは生ぜず。 しかりといへども、 雑行は至心具足しがたし、 正行は至心具足しやすし。 故に雑行の失を出して 「不至心者」 等といふなり。
つぎに群賊・悪獣の喩をもて謗法といふ義、 これまた不足言なり。 文にいはく、 「或はゆくこと一分二分するに群賊よばひかへすといふは、 別解・別行・悪見人等みだりに見解を説てたがひにあひ惑乱し、 及び自ら罪を作て退失するにたとふ」 (散善義) 。 すでに 「別解別行悪見人等」 といふは、 何ぞ謗法といはん。 別解・別行の人、 われらが往生の大益を失するがゆへに群賊にたとふ。 「悪獣いつはる」 (散善義) といふは、 衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大にたとふ。 悪獣を別解・別行にたとふるにあらず。
凡そ二河白道のたとへは、 ¬大論¼・¬涅槃経¼ 等によりてこの喩をつくる。 ¬大論¼ (大智度論巻三七習相応品意) にいはく、 「貪愛瞋憎深くしてそこなし。 水火の二河またほとりなし。 中路の白道微少なりといへども、 信心決定して西0729の岸に至る」。 已上
群賊・悪獣の喩は ¬涅槃経¼ による。 異学・異見の行体を群賊・悪獣にたとふるにあらず。 また汝が所説のごとく、 念仏无間の業といふ。 かくのごときの謗法・邪見の輩を群賊に喩るなり。
つぎに西方浄土はもはら一乗の土にあらず。 ¬観経¼ の中三品の機、 かの土に生じて小果を証す。 故に一乗の土にあらずと。 この義、 また難にあらざるなり。
¬法花¼ (巻一方便品) にいはく、 「十方仏土中、 唯有一乗法」 といへり。 西方浄土、 なんぞ十方浄土にもれん。 故に ¬无量寿経¼ (巻下) にいはく、 「一乗を究竟して彼岸にいたる」。 已上 ¬浄土論¼ にいはく、 「大乗善根界」 といへり。 ¬智論¼ (大智度論巻三八往生品) にいはく、 「一乗清浄无量寿世界」。 已上 これらの現文、 一乗の土にあらずや。
但し中三品の機、 かの土に生じて後に四諦の法をきゝて小果を証すること、 本願によるがゆへにしばらく小果を証するなり。 例せば、 花光如来の土は純に一乗の土なりといへども、 本願によりて三乗の法をとくがごとし。 ¬法花¼ の二 「譬喩品」 にいはく、 「花光如来、 また三乗をもて衆生を教化す。 舎利弗、 かの仏の出時、 悪世にあらずといへども、 本願をもてのゆへに三乗の法をとく」。 已上 ¬疏¼ (法華文句記巻六上釈譬喩品) にいはく、 「土浄唯一なれども、 願にこたえて三をとく」 といへり。 一乗の土に於て三乗の法をとくこと、 所難不足なり。
・第三問答
た0730づねていはく、 離垢世界には三乗の法のみありて、 機あることなし。 西方浄土には機法ともにあり。 例同ずべからず、 いかん。
答。 花光如来の土、 また機法ともにあり。 ¬経¼ (法華経巻二) の次下 「譬喩品」 にいはく、 「花光如来、 十二劫をすぎて堅満菩薩に阿耨多羅三藐三菩提をさづく。 もろもろの比丘につげたまはく、 この堅満菩薩、 つぎにまさに作仏すべし。 号して花足安行多陀阿訶度・阿羅訶・三藐三仏陀といはん」。 已上
¬玄賛¼ (巻五譬喩品) にいはく、 「三乗ありといへども、 菩薩の類おほきがゆへに大宝といふ」。 已上 ¬経¼ に 「告諸比丘」 といひ、 釈に 「唯有三乗」 といふ。 明に知花光如来の土に機法ともにこれあり。 たれかこれをあらそはん。
¬涅槃経¼ (北本巻二七獅子吼品 南本巻二五獅子吼品) にいはく、 「一乗といふは、 名て仏性とす。 この義をもてのゆへに、 われ一切衆生ことごとく仏性ありととく。 一切衆生に悉く一乗あり。 无明おほふをもてのゆへに、 みることうることあたはず」。 已上 しからば、 いかなる衆生ありてか、 浄土に生じてまた灰断の情あらん。
つぎに上人の ¬選択¼ をひきて謗法といふ、 これ又所難とするにたらず。 ¬選択集¼ のなかに諸行往生をあかすこと、 その文一つにあらず。 ¬選択集¼ の末 付属章 にいはく、 はじめ日想観より、 をはり雑想観にいたるまで、 具さに十三観をひきをはり0731て、 「たとひ余行なしといふとも、 或は一或は多、 その所堪にしたがひて十三観を修して往生することをうべし。 そのむね ¬経¼ にみえたり。 あへて疑慮することなかれ」。
つぎしもに、 はじめ孝養父母より、 をはり読誦大乗、 勧進行者に至るまで、 散善の行ことごとくこれをひきて往生をゆるす。 読誦大乗を釈していはく、 「願くは西方の行者、 おのおのその意楽に随て、 或は法花を読誦してもて往生の業とし、 あるひは華厳を読誦してもて往生の業とす。 乃至 これすなはち浄土宗の ¬観无量寿経¼ のこゝろなり」 (選択集)。
しばらく不堪の機に対して、 ひとへに念仏をすゝめんがために 「捨閉」 等といへり。 しかりといへども、 またく不捨不閉、 本願にあらず。 故に 「捨閉」 等といふなり。
おほよそ浄土の三経の説相をみるに、 ¬寿経¼ の三輩のなかに、 念仏と諸行と雑することをとく。 ¬観経¼ には一行一行におのおの九品往生のむねをあかす。 ¬阿弥陀経¼ には諸行をとかず、 たゞ一日七日の執持名号をもて 「得生彼国」 ととく。 つぎしもに 「不可以少善根福徳因縁得生彼国」 ととく。
かくのごとく三経の説相によりて、 廃立・助正・傍正の三義を立す。 しかも廃立の一義をもて謗法といはば、 ¬阿弥陀経¼ の小善根不生の文、 いかんが謗法といはん。
十方恒沙の証誠、 たゞかぎりて念仏にあり。 念仏はまさ0732しく弥陀如来の本願の行なるがゆへに、 行じやすく修しやすし。 故に機の堪不堪を論ぜず、 ひとへに念仏往生をすゝむるなり。
つぎに 「歴劫迂回の行」 (選択集) のこと、 おほよそ浄土宗の大綱は、 聖道・浄土の二門をたてゝ、 聖道門をすてゝ浄土門に帰するを本意とす。 その聖道門といふは、 此土の入聖得果なるがゆへに難行難証なり、 故に難行道となづく。 浄土門は、 かの土の入聖得果なるがゆへに易行易往なり、 故に易行道となづく。
¬十住毘婆娑論¼ (巻五易行品意) にいはく、 「菩薩阿毘跋致を求るに二種の道あり。 一にはいはく難行道、 二にはいはく易行道なり。 難行道といふは、 いはく五濁の世无仏の時にをひて阿毘跋致を求るを難とす。 乃至 たとへば陸路の歩行はすなはちくるしきがごとし。 易行道といふは、 いはくたゞ信仏の因縁をもて浄土に生ぜんと願ずれば、 仏の願力に乗じて、 すなはちかの清浄の土に往生することをう。 仏力住持して、 すなはち大乗正定の聚にいる。 正定はすなはちこれ阿毘跋致なり。 たとへば水路の乗船はすなはちたのしきが如し」。 已上
しかるに真言には、 顕教三劫成仏と談じ、 密教は即身成仏といふ。 天臺には、 三権歴劫の行も一実速疾頓証と判ず。 故に顕大・権大をもて難証の本とす。 真言・法花等は速疾頓悟の教なりといへども、 しかも断証なきにあらず。 浄土はしからず0733、 煩悩を断ぜずして直に報土に生ず。 得生已後かの土におひて五悪趣をきる。
¬大経¼ (巻下) にいはく、 「必ず超絶してすつることをえて安楽国に往生すれば、 横に五悪趣をきりて、 悪趣自然にとづ。 道にのぼるに窮極なし」。 已上
故に断証をからず。 浄土の易行に対して難易の二道を分別せんがために、 初に歴劫迂回の行をあげて真言・法花等を准知応存といふなり。 顕大・権大等の歴劫のごとく、 これを准ずるにあらず。
難易の二道をたつることは ¬十住毘婆娑論¼ によるなり。 かの論のこゝろは得道の遅速をば論ぜず、 総じて此土の入聖得果の行を難行道と名く。 故に真言・仏心・天臺等をことごとくみな難行道に摂するなり。
もし法花を難行道に摂するをもて謗法といはゞ、 天臺大師をも謗法の人といふべきや。 しかるに大師は法花三昧をえて、 しかも臨終に及て ¬法花経¼ を手にとりていはく、 「この ¬妙法花¼ は本迹二門にして、 その理深遠なり。 さとりがたく入がたし。 しばらくをひて論ぜず」 (智者大師別伝意) と。 つぎに ¬観経¼ を手にとりて 「すなはち西方にまうでゝ、 仏にまうあふてさとりをひらかん」 (智者大師別伝意) といへり。
かくのごときの現文に難易の義いよいよあらはなり。 ¬法花¼ を信ぜんものは、 余法をそしり他人のとがをとくべからず。
¬法花¼ を信じて余法をそしり、 他人のとがをとくならば、 ¬孝経¼ をさ0734ゝげておやのかしらをうつが如し。 ¬法花¼ (巻五) 「安楽行品」 にいはく、 ¬如来の滅後、 末法のなかにをひてこの経をとかんと欲せば、 安楽行に住すべし。 もし口に宣説し、 もし経をよまんとき、 ねがひて他人及び経典のとがをとかざれ、 また諸余の法師を軽慢せざれ、 他人の好悪・長短をとかざれ」。 已上
同じき ¬経¼ (法華経巻五安楽行品) の偈の文にいはく、 「もしこの経をとかんと欲せば、 まさに嫉・恚・慢・諂誑・邪偽の心をすてゝ、 つねに質直の行を修すべし。 人を軽蔑せざれ、 また法を戯論せざれ、 他を疑悔して汝は仏をえずといはしめざれ」。 已上
かくのごときの経文をみながら、 諸経論をそしりひとを憍慢し、 あまさへ念仏无間の業といふ、 あに嫉・恚・慢・諂誑・邪偽の心にあらずや。 これすなはち、 しかしながら阿鼻の罪業をまねく歟。
なかんづく ¬法花¼ はこれ多聞強識の人のためにこれをとく。 无智のものゝためにとくべからずとみえたり。 ¬法花¼ の二 (譬喩品) 長者偈 にいはく、 「无智の人のなかにしてこの経をとくことなかれ。 もし利根・智恵明了・多聞強識にありて仏道をもとめんものには、 かくのごときのひとにはすなはちためにとくべし」。 已上
またいはく、 「この法花経は深智のためにとく。 浅識これをきゝて迷惑して解せず」(法華経巻二譬喩品) 。
またいはく、 「諸仏如来のみことばに虚妄なし」 (法華経巻一方便品)。
しかる0735に一文に通ぜざる大俗の、 黒闇をもわきまへざる男女・盲目等に対して、 経の正理をしらず、 をのれが悪見のこゝろにまかせてほしゐまゝにこれをとく。 これによりて諸宗をそしるを要とす。
¬涅槃経¼ (北本巻二二徳王品意 南本巻二〇徳王品意) にいはく、 「悪罵等に於て怖懼なし、 悪知識に於て畏懼の心を生ず。 なにをもてのゆへに。 この悪罵等はたゞよく身を壊してこゝろを壊することあたはず、 悪知識といふは二ともに壊するがゆへに」。 已上
つぎに爾前の経、 所依の論をばもちゐるべからずといふ義、 これまたはなはだ自由なり。 汝が所立、 ことごとく諸経緒論にそむくによりて術計をうしなふゆへなり。 爾前の教の得益に至ては、 かみに汝が信ずるところの ¬法花¼ と ¬無量義経¼ と、 二経をひきて文証とす。 何ぞわづらはしくかさねてこの義を論ぜん。
たとひ爾前の教の得益なしといふとも、 ¬観経¼ の得益にをひては爾前の教に准ずべからず。 かれは此土の入聖得果をあかす、 これはかの土の往生の益をとく。 かれは難行これは易行、 かれは自力これは他力。 所行すでにことなり、 得益なんぞ同じからん。
なかんづく ¬観経¼ は ¬法花¼ と同時の説なり、 爾前の教に摂すべからず。 ¬観経¼・¬法花¼ 同時といふこと、 ¬善見論¼ といひ ¬涅槃経¼ の文といひ分明なり、 たれかこれをうたがはん。
即往安楽世界の阿弥陀は、 西方の阿弥0736陀にはあらず己心の阿弥陀といふ、 これまた不足言なり。 己心の仏は不生不滅・无去无来なり。 あに 「この命終に於てすなはち安楽世界にゆくと、 乃至 生蓮花中」 (法華経巻六薬王品) といはんや。
¬心地観経¼ (巻三報恩品) にいはく、 「法身の体は、 もろもろの衆生にあまねく万徳凝然として性常住なり。 生ぜず滅せず、 去来なく、 一ならず異ならず、 断常にあらず」 と。 已上 しかるに 「こゝにをひて命終して、 すなはち阿弥陀仏のみもとにゆいて、 蓮花の中の宝座のうへに生ず」 といへり。 この文の始終をみるに往生の二字ををとく、 なんぞ己心の弥陀といはん。
法華問答 上
0737法華問答 下
・第四問答
難じていはく、 和尚・上人両師の解釈、 謗法にあらずと。 これを会すといへえども、 いまだその難をのがれず。
¬選択集¼ の第十一の章に、 「雑善◗約対して讃嘆念仏の文」 とこれを題して、 ¬観経¼ の念仏流通の 「若念仏者、 当知、 此人是人中分陀利花」 の文を引て、 同じき経の ¬疏¼ (散善義) に 「念仏三昧の功能超絶して、 実に雑善をもて比類とすることをうるにあらず。 すなはちそのいつゝあり。 乃至 もし念仏するものは、 すなはちこれ人中の妙好人」 の釈、 この二文をひきあはせて、 「わたくしにいはく」 (選択集) の下に 「この ¬経¼ にすでに定散諸善ならびに念仏の行をときて、 しかもそのなかにをひて、 ひとり念仏を標して芬陀利にたとふ。 雑善に対するにあらずは、 いかんがよく念仏の功の余善諸行にこゑたることをあらはさん。 しかればすなはち、 念仏するものはすなはちこれ人中の好人といふは、 これ悪に待してしかも美るところなり。 人中の妙好人といふは、 これ麁悪に待してしかも称するところなり」 (散善義) 。 已上 念仏を讃ぜんがために諸善をことごとく雑行となづく。 あま0738さへ悪に待してしかも実とするところなり。
¬法花¼ これ一大事の因縁、 諸仏出世の本懐、 かぎりてこの ¬経¼ にあり。 しかるに ¬法花¼ を雑行のなかに摂して悪に待し麁悪等に待すといふ。 已上 これすなはち謗法をのがれがたし、 いかん。
答。 この難ことごとく非なり。 文の始終よくこれをみるべし。 「念仏三昧功能超絶」 とは、 念仏はこれ本願の行なるがゆへに、 諸善に超過して 「実非雑善得為比類」 といふことをあらはさんがためなり。 これすなはち勝劣の義なり。 かるがゆへに念仏の行者を芬陀利にたとふ。 芬陀利花は人中の花のなかにすぐれたるがゆへに、 これを人中の好花・上々花・妙好花等となづく。 かるがゆへに、 この花をもて念仏のものにこれをたとふ。 人中の好人・妙好人・希有人等といふなり。 これすなはち念仏の機と諸行の機と相対して、 念仏の機を好人・妙好人となづく。 故に字訓に対せんがために 「待悪」・「待麁悪」 といふなり。 法と法とに相対せば悪の言をなすべからず。 故にかみに法と法とを相対して勝劣を判ずるとき、 実非雑善得為比類といひて悪の字を置ず。
つぎにかみにいはく、 「雑善に待するにあらずは、 いかんがよく念仏の功の余善諸行にこゆることをあらはさん (選択集)。 つぎにしもの後序にいはく、 「それ速に生死をはなれんとおもはゞ、 二種の勝法のなか0739に、 しばらく聖道門をさしをきてえらびて浄土門にいれ」 (散善義)。 すでに二種の法といふ、 いかんが悪となづくる。
しかのみならず、 ¬選択集¼ のこゝろ、 所々に諸行を明す。 もし汝が所難のごとく行を悪となづけば、 諸行往生のむねをあかすべからず。 上人、 いかんが善悪の二事にまよひて諸行を悪といはん。 またあに往生をゆるさん。 つぎしもに ¬観音授記¼ をひきて諸行往生の支証とせん。 付属の章にいたりて、 はじめ日観よりをはり下品下生にいたるまで、 定散二善ことごとくみな往生をあかして、 「これすなはち浄土宗の ¬観无量寿経¼ のこゝろ」 (散善義) と結す。 かくのごとく諸行往生をゆるしながら、 あに諸行を悪といはん。 所難とするにたらず。
・第五問答
問ていはく、 ¬観経¼ と ¬法花¼ と同時の説といふこと、 経文にそむき道理に違す。
まづ経文にそむくといふは、 阿闍世逆罪ををこすこと、 提婆・雨行等の教にゆるがゆへに ¬観経¼ に 「随順調達悪友之教」 ととく。 しかるに爾前の ¬経¼ (報恩経巻四悪友品) のなかに 「提婆入滅」 ととく、 もししからば、 ¬法花¼ 以前に入滅せしむる提婆、 ¬法花¼ をとくとき、 よみがへりて阿闍世にすゝめて逆罪をつくらしむべきや これ難。
次に ¬観経¼ には阿闍世太子ととく。 ¬経¼ (観経) にいはく、 「復時王舎城有一太子、 名阿闍世」 と。 已上 ¬法花¼ の同聞衆には 「阿闍世王」 ととく。 ¬経¼ (法華経巻一序品) にいはく、 「韋提0740希子阿闍世王」 と。 已上 この二経の文を考に、 太子はさき、 王はのちなり。 この義によるに ¬観経¼ を ¬法花¼ 同時の説といふべからず これ二の難。
しかるに ¬法花¼ はこれ正直捨方便の教なり。 かくのごときの深法をきゝて、 いかでか悪逆ををこし、 沙門を罵、 父を殺し、 母を害せんと欲せん。 この義をもてしりぬ、 阿闍世は ¬法花¼ 以前に逆罪ををかすといへども、 のちに懺悔せしめて罪を滅することをえて、 ¬法花¼ の座につらなるべし。 かるがゆへにしりぬ、 ¬観経¼ は ¬法花¼ 以前の説なり。 ¬法花¼ 同時ととくこと、 文理ともにそむく。 はなはだもて依用しがたし、 いかん。
答。 たとひ ¬報恩経¼ (巻四悪友品意) に 「提婆入滅す」 ととくといへども、 汝が所立のごときんば、 爾前の教は方便の教といひて、 ひきて提婆が入滅の支証とせん。
¬涅槃経¼ は汝が信ずる所の経なり。 かの ¬観経¼ は ¬法花¼ 同時ととくとみえたり。 これを諍ことなかれ。 ¬涅槃¼ 三十三 (北本巻三四 南本巻三一) 「和尚菩薩品」 にいはく、 「善見太子、 父の喪するをみをはりて、 まさに悔心を生ず。 雨行大臣また種々の悪邪の法をもて、 しかもためにこれをとく。 大王一切の業行すべて罪あることなし。 耆婆またのたまはく、 大王まさにしるべし、 かくのごときの業罪二重をかねたり。 一には父の王を殺害し、 二には須陀を殺す。 かくのごときのつみは、 仏をのぞきてさらに除滅するものなけ0741ん。 善見王ののたまはく、 如来清浄にして穢濁あることなし。 われら罪人いかんがみることをえん。 善男子、 われこの事をしる。 故に阿難につげたまはく、 三月をすぎをはりて、 われまさに涅槃すべし。 善見、 きゝをはりてすなはちわが所に来て、 われために法をとくに、 重罪うすくなることをえて无根の信をうる」。 已上
同◗¬経¼ の二十 (北本巻二〇 南本巻一八) 「梵行品」 にいはく、 「阿闍世王もし耆婆の語に随順せずは、 来月七日に必定して命終して阿鼻地獄に堕せん。 このゆへに阿耨菩提の近因は善友にしくはなし。 阿闍世王また前路にをひて、 舎婆提毘流離ふねに乗じて海にいり、 火にすぎてしかも死す。 瞿迦 離羅 比丘は生身に地にいり、 阿鼻にいたる。 須那刹多は種々の悪をつくり、 しかも仏所にいたりて衆罪滅することをうときく。 この語をきゝをはりて耆婆にかたりていはく、 われ汝と同く一象にのらんと欲す。 たとひわれまさに阿鼻地獄にいるとも、 こひねがはくは、 汝捉持して、 われをして堕せしめざれと。 なにをもてのゆへに、 われむかしかつてきゝて、 これをうるひと地獄にいたらず」 と。 已上
この勘文のごとく、 阿闍世王 ¬法花¼ の序分に同聞衆につらなるといへども、 いまだ正説をきかず。 かるがゆへに逆罪をつくる。 逆罪已後仏所に詣せず。 涅槃の時分にいたりて、 闍王、 耆婆がすゝめて仏所に詣するによりて、 仏ために法をとく0742。 闍王、 法をきゝて滅罪得益すとみる。
もし汝が所説の如く、 闍王の逆罪 ¬法花¼ 以前ならば、 逆罪以後 ¬法花¼ の列座に深法をきゝて後に、 なにの失咎ありてか阿鼻に堕すべきや。 もし ¬法花¼ の座につらなりて正説をきくといへども、 なを以前の逆罪余殃のこりて阿鼻に堕すべしといはゞ、 「一切衆生皆令入仏道」 (法華経巻一方便品) の文に違す。 かるがゆへにしりぬ、 ¬観経¼ は ¬法花¼ 同時の説なり これひとつ。
つぎに ¬観経¼ には 「太子」 ととく、 ¬法花¼ には 「王」 ととく。 この義をもて ¬観経¼ は ¬法花¼ 同時の説にあらずと、 この難また不足言なり。 阿闍世を 「太子」 ととき 「王」 ととくこと、 義に随ひ言便によりて、 王・太子の前後不定なり。
¬観経¼ にいはく、 「有一太子名阿闍世」。 つぎしもにいはく、 「時守門人白言、 大王慎莫害母」 といへり。 阿闍世、 ちゝの王を禁閉すといへども、 なを存在せり、 随ていまだ位にのぼらず。 しかりといへども、 守門のものは耆婆ともに同く 「大王」 といふ。 ¬涅槃経¼ の三十三 (北本巻三四迦葉品 南本巻三一迦葉品) にいはく、 「時に諸の守人、 すなはち太子に告げたてまつる」。 つぎしもにいはく、 「耆婆自らまうさく、 国にありしこのかた、 罪しかもおもしといへども、 いまだ女人にをよばず。 いはんや所生の母をや。 善見太子この語をきゝをはりて、 耆婆のためのゆへにすなはち放捨す」 (北本巻三四迦葉品 南本巻三一迦葉品) といへり。
またいはく、 「善見太0743子、 ちゝの喪するをみをはりて、 まさに悔心を生ず」 (北本巻三四迦葉品 南本巻三一迦葉品)。 已上 ちゝの王喪して後になを 「太子」 といふ。 明かに知ぬ、 王・太子の異説をもて二経の前後を諍ふべからず。
¬善見論¼ (意) にいはく、 「頻婆娑羅王、 寒林城にありて、 時に阿闍世太子、 上茆城にありてまつりごとをなす。 政事によりて阿闍世を王となづく」。 取意
つぎに道理の難を会せば、 阿闍世 ¬法花¼ の序分につらなるといへども、 いまだ正説をきかず、 その中間にをひて逆罪を犯す。 逆罪以後仏所にいたらず、 涅槃の時節にのぞみて、 耆婆がをしへに随て仏所に詣すること、 あに道理にそむかんや。 たゞし ¬法花¼ の同聞衆につらなりてのち、 逆罪を犯すべからずといふ難に至ては、 いまだ正説をきかぬ以前に逆罪を犯す。 所難にあらず。
汝が所説のごとく、 ¬法花¼ 以前に逆罪をつくり、 逆罪以後に ¬法花¼ の座につらなり、 正説をきゝて逆罪滅せずして、 ¬涅槃経¼ に至て阿鼻の罪業を滅し、 はじめて得益せば、 ¬法花¼ に更に益なし。 もしこの義を存ぜば、 これすなはち謗法なり。 ¬法花¼ の得益を失するがゆへに。
なかんづく闍王の逆罪は ¬観経¼ の発起序なり。 仏 ¬観経¼ をとくべき由序のために阿闍世逆罪をつくる歟。 もししからば、 たとひ正説をきゝて逆罪を犯すといふとも、 またこれ咎なし。 闍王、 ¬涅槃経¼ に至てたゞちに逆罪を0744滅して无根の信をえたり。 あに実業の凡夫の逆罪に同じからんや。
・第六問答
難じていはく、 ¬涅槃経¼ をひきて ¬観経¼・¬法花¼ の同時の支証とすること、 甚だこの義たちがたし。 ¬涅槃経¼ は一代四十余年の経を捃拾してこれをとく。 故に天臺には ¬涅槃経¼ を名て捃拾経といふ。 なかんづく、 ひく所の 「迦葉菩薩品」 の文は涅槃の当代にあらず。 如来畢竟じて涅槃すべきことをあらはさんがために、 提婆達多、 過去の因縁によりて仏所にをひて不善の心を生じ、 如来を害せんと欲して善見太子と親友となり、 教てちゝを殺さしむ。 その次第をつぶさにこれをとく。 故に涅槃の当代の説にあらず。
ひく所の 「迦葉菩薩品」 (北本巻三四 南本巻三一) のつぎかみにいはく、 「そのときに悪人提婆達多、 また過去の業因縁によりて、 またわが所にして不善の心を生じ、 われを害せんと欲す。 すなはち五通を修す。 ひさしからずして獲得す。 善見太子とともに親友となりて、 太子のためのゆへに現じて種々の神通の事をなす。 非門よりしかもいでゝ門よりしかもいる。 門よりしかもいでゝ非門よりしかもいる。 あるときは示現して馬・牛・羊・男女の身をなす。 善見太子見をはりて、 すなはち愛心・敬信の心を生ず。 この事のためのゆへに、 いつくしく種々の供養の具を設て、 しかもこれを供養す。 またまうしてまうさく、 太子聖人、 わ0745れいま曼陀羅花をみんとおもふ。 時に調婆達多、 すなはち三十三天に往至して、 かの天人に随て、 しかもこれを求索す。 その福つくるがゆへに、 すべてあたふるものなし、 すでに花をえず。 この思惟をなさく、 曼陀羅樹は我々所なし、 もし自らとらんに、 まさになにの罪あるべきや。 すなはちまへにとらんと欲すれば、 すなはち神通をうしなふ。 かへりて己身をみるに、 王舎城にあり、 こゝろに慚愧を生ず、 またみることあたはず。 善見太子またこの念をなさく、 われいままさに如来の所に往至して大衆を求索すべし。 仏聴者、 ためにわれまさにこゝろにしたがひて、 教てすなはち舎利弗等に詔勅せしむべし。 そのときに提婆達多、 すなはちわが所に来てかくのごときの言をなさく、 やゝねがはくは如来、 この大衆をもてわれに付属したまへ。 まさに種々に説法教化して、 それをして調伏せしむべし。 われいま文にをろかなり。 舎利弗聴明多智にして世に信伏せらる。 われなを大衆をもて付属せず。 いはんや、 なんぢ痴人にして、 つばきを食するものをやと。 ときに提婆達多、 またわが所にしてますます悪心を生じて、 かくのごときの言をなさく、 瞿曇、 汝いま大衆を調伏すといふとも、 勢またひさしからずして磨滅をみるべし」。 已上
かくのごときの文、 涅槃の当代にあらず。 また汝がひく所の 「梵行品0746」 (北本巻二〇 南本巻一八) にとく、 「汝きたれ、 耆婆、 われ汝と一象にのらんとおもふ。 われまさに阿鼻地獄にいるべし。 こひねがはくは、 捉持して、 われをして堕せしめざれ」 と。 ¬法花¼ に列座してのち、 なにの失咎ありてか阿鼻にいらん。 怖畏して耆婆と一象にのらんともとめんこと、 かくのごとく ¬法花¼ 以前の説とみる、 いかん。
答。 「迦葉菩薩品」・「梵行品」 の文の始終をみるに、 涅槃以前の説もあり、 涅槃当代の説もあり。 ひとへに涅槃の当代にあらずといふべからず。 すでに 「阿難につげたまはく、 三月を過てすでにまさに涅槃すべしと。 善見きゝをはりて、 すなはちわが所にきたる。 ために法をとく。 重罪うすくなることをえて无根の信をう」 (北本巻三四迦葉品 南本巻三一迦葉品) といへり。 これすなはち法花のをはり、 涅槃に至る時節なり。 ¬法花¼ 以前にをひて 「過三月已当涅槃」 ととくべからず。
¬普賢経¼ にいはく 「諸の比丘に告はく、 三月を去てのちわれまさに涅槃すべし」 ととく。 ¬涅槃経¼ の文と全くこれ同じ。 ¬普賢経¼ はこれ ¬法花¼ の結経なり、 毘舎離国大林精舎重閣講堂にをいてこれをとく。 「告阿難却後三月已吾当涅槃」 の文 ¬法花¼ 以前の説、 たれかこれをあらそはん これひとつ。
同◗¬経¼ (北本巻二〇 南本巻一八) の 「梵行品」 にいはく、 「阿闍王、 夫人といつくしく車乗に属して、 一万二千珠荘の大象、 そのかず五万、 一々の象のうへに三人をのす。 蓋0747・花香・伎楽、 種種の供具を斉持して道にそなへたらずといふことなし。 馬騎にしたがひて十八万あり。 摩訶陀国の所有の人民、 たづねて王にしたがふもの、 そのかず五十八万に満足せり。 そのとき、 拘尸那城の所有の大衆、 十二由旬にみてる。 ことごとくみな、 はるかに阿闍世王と眷属とみちをたづねて、 しかもきたるをみる。 そのとき、 仏もろもろの大衆に告てのたまはく、 一切衆生の阿耨多羅三菩提の近因となることは善友にしくはなし。 なにをもてのゆへに。 阿闍世王、 もし耆婆の語に順ぜずは、 来月七日必定して阿鼻地獄におちん。 このゆへに近因、 善友にしくはなし」 已上これふたつ。
またいはく、 「そのとき、 すなはち沙羅双樹のあひだにいたり、 仏所に至てあふいで如来の三十二相・八十種好を見たてまつる。 なをし微妙の身、 金色のやまのごとし」 (北本巻二〇梵行品 南本巻一八梵行品) 已上これみつ。
かくのごときの経文、 あに涅槃当代ととくにあらずや。
おほよそ ¬観経¼・¬法花¼ 同時の支証をたづぬるに、 阿闍世 ¬法花¼ の同聞衆につらなること、 これ第一の支証なり。 ゆへいかんとなれば、 ¬涅槃経¼ (北本巻二〇梵行品 南本巻一八梵行品) に、 或は 「来月七日必定命終堕阿鼻獄」 ととき或は 「善見王のまうさく、 如来は清浄にして穢濁あることなし。 われら罪人いかんが0748みることをえん」 (北本巻三四迦葉品 南本巻三一迦葉品) ととく。
かくのごときの文をもて、 闍王の逆罪を考るに、 もし ¬法花¼ 以前ならば、 列座の後にいづれの失咎ありてか ¬涅槃経¼ に 「必定命終入阿鼻獄」 ととかん。 また ¬法花¼ の列座ののち、 「如来清浄无有穢濁、 我等罪人云何得見」 とはいふべからず。 明に知ぬ、 闍王の逆罪、 ¬法花¼ の序分以後とみえたり。
おほよそ闍王の懺悔・滅罪・得益、 ことごとくみな ¬涅槃経¼ に至てこれをとく。 故にしりぬ、 闍王、 ¬法花¼ の序分同聞衆につらなるといへども、 いまだ正説をきかず。 正説をきかざるさきに調達悪友の教にしたがひて拘尸那城沙羅双樹にいたる。 その時にをひて逆罪を滅す。 得益を蒙り、 一切衆生に阿耨多羅三藐三菩提心ををこさしむ。 同◗¬経¼ の二十 (北本巻二〇梵行品 南本巻一八梵行品) にいはく、 「そのとき阿闍世王、 耆婆に語てのたまはく、 われいまいまだ死せざるに、 すでに天身をえたり。 短命をすてゝしかも長命をえ、 无常身をすてゝしかも常身をえ、 もろもろの衆生をして阿耨多羅三藐三菩提心ををこさしむ。 すなはちこれ天身・長命・常身、 これ一切の諸仏の弟子」。 已上
¬法花玄義¼ の五 (巻五上) にいはく、 「成道已来四十余年未顕真実、 ¬法花¼ にはじめて真実をあらはす。 相伝していはく、 仏年七十二、 ¬法華経¼ をとく」。 已上
¬善見論¼ (巻二) に0749いはく、 「阿闍世王くらゐにのぼりて八年、 仏涅槃して」。 これ ¬涅槃¼・¬観経¼ 等の三経の説、 符合せり。 よくこゝろをとゞめてこれをみるべしと 云々。
・第七問答
難じていはく、 「過三月已当涅槃」 (北本巻三四迦葉品 南本巻三一迦葉品) の文によりて ¬観経¼ を ¬法花¼ 同時の説といはゞ、 ¬観経¼ の説時、 ¬法花¼ 八巻のすゑにあたる。 もしこの義を存ぜば、 ¬法花¼ 五 (巻四) 「提婆品」 にいはく、 「諸の四衆にいはく、 提婆達多さりてのち、 无量劫をすぎてまさに成仏をうべし。 号して天王如来といはん。 乃至 世界をば天道と名ん」。 已上提婆が記別、 入滅してのち阿鼻にこれををくる、 もし ¬法花¼ 八巻のすゑにいたりて阿闍世逆罪ををかせば、 随順調達とはとくべからず、 いかん。
答。 この義、 あにさきにいはずや。 ¬観経¼ をとくこと ¬法花¼ の序分のすゑにあたれり。 「却後三月我当般涅槃」 は、 ¬法花¼ をときをはりて ¬法花¼ の結経 ¬普賢経¼ の説なり。 ¬涅槃経¼ の説、 またこれにおなじ。 逆罪以後、 闍王、 仏所に詣せず。 如来、 闍王をすゝめて仏所に詣せしめんがために、 阿難につげて 「過三月已当涅槃」 といふ。 もししからば ¬観経¼ と ¬涅槃経¼ との中間八ヶ年なり。 ¬善見論¼ にいはく、 「阿闍世位にのぼりて八ヶ年に仏入滅す」 と。 すなはちこの義なり。 故にしりぬ、 提婆が五巻の記別、 またく相違にあらずと 云々。
・第八問答
た0750づねていはく、 ¬観経¼ もし ¬法花¼ 同時の説ならば、 なんがゆへぞ浄土の祖師然上人、 ¬観経¼ をもて爾前の教に摂するや。 ¬選択集¼ にいはく、 「問ていはく、 爾前の経のなかになんぞ ¬法花¼ を接するや」。 かくのごときの現文を見ながら、 末学あに ¬法花¼ 同時の説といはんや、 いかん。
答。 天臺のこゝろ、 浄土の教を方等部に摂して爾前の教となづく。 この義をもてのゆへに、 しばらく他にしたがひて問をなして、 答のなかに自義をたつ。 「答ていはく、 今いふ所の摂といふは、 権実・遍円等の義を論ずるにあらず。 読誦大乗の言、 あまねく已前の大乗の諸教に通ず。 前といふは ¬観経¼ 以前の諸大乗経これなり、 後といふは王宮已後の諸大乗経これなり」 (選択集) 已上
すでに ¬観経¼ 已前の諸大乗経といふ、 なんぞ ¬観経¼ を爾前の教に接するといふや。 ¬弘決¼ (輔行巻六) にいはく、 「あまねく ¬法花¼ 已前の諸経をたづぬるに、 二乗作仏の文及び如来久成の説をあかすことなし。 故に知ぬ、 に方便を帯するによるがゆへに」 となり已上 「二乗作仏」 と 「如来久成」 のむね、 ¬法花¼ にいたりてこれをとく。 故に知ぬ、 「已前」 といふは ¬法花¼ のほかなり。 ¬法花¼ 已前、 ¬観経¼ 已前、 またくそのこゝろこれに同じ。 あやしむにたらず。
・第九問答
たづねていはく、 ¬観経¼ もし ¬法花¼ 同時の説ならば、 天臺あやまてなんぞ爾前の教0751に摂するや。
答。 大師のこゝろもて更にはかりがたし。 もしこゝろみにこれを会せば、 ¬法花¼ はこれ八ヶ年の説、 ¬観経¼ はわづかに一日の説なり。 しかも ¬法花¼ の序分の終りにあたりてこれをとく。 とき短速なるゆへに、 方等部に属して爾前の教に摂する歟。
・第十問答
問。 もし汝が所説のごときんば、 浄土の教をもて出世の本懐とすべきや。
答。 しかなり。
・第十一問答
難じていはく、 出世の本懐かぎりて ¬法花¼ にあり。 ¬経¼ (法華経巻一序品) にいはく、 「一大事の因縁のゆへに世に出現す」。 已上 浄土の三経のなかにかくのごときの文なし。 なんぞたゞほしゐまゝに出世の本懐といふべきや。 かくのごときの義、 はなはだもて依用しがたし、 いかん。
答。 大悲の本懐、 もとより重苦の衆生をさきとす。 ¬涅槃経¼ の七種の衆生、 こゝろこれに同じ。
しかのみならず、 浄土の教を出世の本懐といふ、 その文一つにあらず。 ¬阿弥陀経¼ にいはく、 「舎利弗、 まさにしるべし、 われ五濁悪世におひてこの難事を行じて、 阿耨多羅三藐三菩提をえて、 一切世間のために、 この難信の法をとく。 これを甚難とす」。 已上
¬法事讃¼ (巻下) にこの文を釈していはく、 「如来五0752濁に出現して、 随宜に方便して群萌を化す。 或は多聞をときてしかも得度せしめ、 或は小解をときて三明を証せしめ、 或は福恵ならべてさはりを除くとをしへ、 或は禅念して坐して思量せよとをしふ。 種々の法門みな解脱すれども、 念仏して西方にゆくにすぎたるはなし」。 已上
この経釈、 あに出世の本懐といふにあらずや。 こゝをもて元暁、 ¬阿弥陀経¼ を釈していはく、 「両尊出世の本意、 四輩入道の要門、 耳に経名をきゝて、 すなはち一乗にいりてしかも退することなし。 くちに仏号を称してすなはち三界をいでゝしかもかへらず」 (小経疏)。 已上
恵心の ¬略記¼ (小経略記) にいはく、 「しかるに信受をすゝむるは、 願生を成ぜんがためなり。 これ仏の本懐なり。 軽爾すべからず」。 已上
¬称讃浄土経¼ にいはく、 「また舎利子、 われかくのごときの利益を観ずるに安楽大事の因縁なり、 誠諦の語をとくなり」。 已上
¬秘密四蔵経¼ に、 「諸仏の出世の本懐は、 阿弥陀仏の功徳名号なり」 と。 已上
¬无量寿経¼ の下巻にいはく、 「无量寿仏を念じて、 その国に生ぜんと願じて、 もし深法をきゝて歓喜信楽して、 疑惑を生ぜず、 乃至一念かの仏を念じて、 至誠心をもてその国に生ぜんと願ず」。 已上
これらの経釈、 出世の本懐といふ文分明なり。 たれかこれをうたがはん。
・第十二問答
難じていはく、 ¬法花¼ を出世の本懐といふがごとく、 昔一代の教を方便とす。 いは0753く、 鹿園の誘引、 方等の褒貶、 般若の洮汰、 種々の利益ありといへども、 みなこれ一仏乗の方便たり。 故に一代最頂、 かぎりて ¬法花¼ にあり。 このゆへに出世の本懐とするに足ぬ。 しかるに浄土の教は薄福一機のためにこの教をとく、 なんぞ出世の本懐に属せんや。 所引の ¬阿弥陀経¼ は、 またこれたゞ一機のためにこれをとく。 念仏をすゝむるばかりなり。 もししからば、 出世の本懐といふべからず、 いかん。
答。 文といひ道理といひ、 すでにまへの答のごとし。 なかんづく、 釈尊の悦予・微笑、 これすなはち本意をとぐる相をあらはすとなり。 しかのみならず、 十方恒沙の諸仏の護念証誠、 あに一大事の因縁にはあらずや。 おほよそ諸仏の出世、 もはら重苦の衆生をさきとす。 故に知ぬ、 出世の本懐もはら浄土の教にあり。 ¬華厳¼ (唐訳巻一三光明覚品) の文殊讃仏の偈にいはく、 「一々の地獄中に无量劫をへたり。 衆生を度せんがためのゆへに、 しかもよくこの苦をしのぶ」。 已上
¬涅槃経¼ (北本巻二八迦葉品 南本巻二四迦葉品) にいはく、 「一切衆生の異の苦をうくるは、 ことごとくこれ如来一人の苦なり」。 已上
¬荘厳論¼ (荘厳経論巻六随修品) にいはく、 「菩薩、 衆生を念じてこれを愛すること、 骨髄にとほり、 恒時に利益せんと欲すること、 なをし一子のごときのゆへに」 と。 已上
この義をもてのゆへに、 はじめに ¬无量寿経¼ (巻上 巻下) には、 いまだ五逆をつくらざる機にを0754ひては抑止して 「唯除五逆」 ととき、 後に ¬観経¼ にいたりて、 すでに五逆をつくる機にをひては摂取して往生をゆるす。 これすなはち娑婆の教主釈尊、 種々の方便をもて造悪の衆生をして利益せしむること、 かくのごとし。 浄土の教主弥陀如来は、 毘舎離国にいたりてひかりをのべて、 たちまちに重病の衆生をたすけて、 ことごとく安穏ならしむ。 王宮にをひて空中に住立する、 韋提すなはち无生をう。 まことにしりぬ、 二尊出世の大意、 もとも浄土の教をさきとす。
¬華厳経¼ (晋訳巻五五入法界品) にいはく、 「自在力を顕現すること、 円満修多羅をとかんがためなり」。 已上かの宗のひと、 この文ばかりをもて出世の本懐と号す。 いはんや、 浄土の教にをひて出世の本懐といふ、 ¬秘密四蔵経¼ の文分明なり。 ¬称讃浄土経¼ には 「利益安楽大事因縁」 ととけり。 かの ¬経¼ と ¬阿弥陀経¼ とは同本異訳の経なり、 たれかこれをあらそはん。
出世の本懐にをひて経々の異説所望不同なり。 ¬華厳経¼ のごときんば厚殖善根の上機を化して本懐とす。 ¬法花¼ におひては二乗を化するを本懐とす。 浄土の教にいたりては重苦をすくふを本懐とす。 ¬涅槃経¼ の七種の衆生、 こゝろをとゞめてこれをみるべし。
法華問答 下
底本は◎大谷大学蔵江戸時代中期恵空写伝本。 ただし訓(ルビ)は有国により、 表記は現代仮名遣いとした。