三(43)、阿弥陀経釈
▲阿弥陀経釈 第三
黒谷作
まさにこの ¬経¼ を釈すに、 略して五意あり。 一には↓所依の教を辨ず、 二には↓かさねて二行を釈す、 三には↓経の来意、 四には↓釈名、 五には↓入文解釈なり。
将ニ釈ニ↢此¬経¼↡、略有↢五意↡。一ニハ辨↢所依ノ教↡、二ニハ重テ釈↢二行↡、三ニハ経ノ来意、四ニハ釈名、五ニハ入文解釈也。
・辨所依教
一に↑所依の教を辨ずとは、 すなはちこれ決定往生極楽所依の教なり 云々。 それ説くところの往生極楽の旨、 経論その数はなはだ多くして、 勝計すべからず。 しばらくそのなかに要を取りて詮を抽するに、 「三部経」 に過ぐることなし。 いはく ¬無量寿経¼・¬観経¼・¬阿弥陀経¼ なり。 なにをもつてこれを知るとならば、 略して六文あり。 一には↓善導の疏文、 二には↓天台の ¬十疑¼ の文、 三は↓慈恩の ¬要決¼ の文、 四は↓迦才の ¬浄土論¼ の文、 五は↓智景の疏文、 六は↓恵心の ¬往生要集¼ の文なり。
一0044ニ辨↢所依ノ教ヲ↡者、即是決定往生極楽所依ノ教也 云云。夫所ノ↠説往生極楽之旨、経論其ノ数甚多クシテ、不↠可↢勝計↡。且其ノ中ニ取↠要ヲ抽ルニ↠詮ヲ、無↠過コト↢「三部経ニ」↡。謂ク¬無量寿経¼・¬観経¼・¬阿弥陀経¼也。以↠何知↠之者、略シテ有↢六文↡。一ニハ善導ノ疏文、二ニハ天臺¬十疑¼ノ文、三ハ慈恩ノ¬要決¼文、四ハ迦才ノ¬浄土論¼文、五ハ智景ノ疏文、六ハ恵心ノ¬往生要集¼文也。
一に↑善導の疏文とは、 善導 (散善義) 専修正行を釈する文にいはく、 「▲一心にもつぱら ¬無量寿経¼・¬観経¼・¬阿弥陀経¼ 等を読誦すべし」 と 云々。 今この文による、 西方の学者、 ただもつぱらこの ¬経¼ を読誦すべし 云々。
一ニ善導ノ疏文者、善導釈↢専修正行ヲ↡文ニ云ク、「一心ニ専ラ可↣読↢誦¬無量寿経¼・¬観経¼・¬阿弥陀経¼等ヲ↡。」云云 今依↢此文ニ↡、西方ノ学者、唯専ラ可↣読↢誦此¬経¼↡ 云云。
二に↑天台の ¬十疑¼ の文とは、 かの ¬十疑¼ のなかに、 第四の疑に 「問ひていはく、 浄土これ同なり、 十方浄土を求むべし。 なんぞひとへに弥陀を念ずるや。 答へていはく、 凡夫は智なし、 あへてみづからもつぱらにせず、 もつぱら仏語を用ゆ。 ゆゑにひとへに阿弥陀仏を念ず。 いかんが仏語を用る。 ▲釈迦大師一代の説法、 処々の聖教に、 ただ衆生を勧めて専心にひとへに阿弥陀仏を念じて、 西方極楽世界に生ずることを求めしむ。 ¬無量寿経¼・¬観経¼・¬往生論¼ 等のごとし。 数十余部の経論等の文、 慇懃に指授して西方浄土に生ぜよと勧む。 ゆゑにこれをもつてひとへに念ず。
二ニ天臺ノ¬十疑¼文ト者、彼¬十疑ノ¼中ニ、第四疑ニ「問曰、浄土是同ナリ、求ベシ↢十方浄土ヲ↡。何ゾ偏ニ念ズルヤ↢弥陀ヲ↡。答曰、凡夫ハ無↠智、不↢敢テ自ラ専↡、専ラ用ユ↢仏語ヲ↡。故ニ偏ニ念↢阿弥陀仏↡。云何用ル↢仏語↡。釈迦大師一代ノ説法、処処ノ聖教ニ、唯勧テ↢衆生ヲ↡専心ニ偏ニ念ジテ↢阿弥陀仏↡、求シム↠生コトヲ↢西方極楽世界ニ↡。如シ↢¬無量寿経¼・¬観経¼・¬往生論¼等ノ↡。数十余部経論等ノ文、慇懃ニ指授シテ勧ム↠生ト↢西方浄土ニ↡。故ニ是ヲ以テ偏ニ念也。
▲また阿弥陀仏に別して大悲の四十八願ありて、 衆生を接引したまふ。 また ¬観経¼ にのたまはく、 阿弥陀仏に八万四千の相あり、 一々の相に八万四千の好あり。 一々の好より八万四千の光明を放ちたまふ。 一々の光明あまねく法界を照らして、 念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。 もし念ずることあれば、 機感相応して決定して生ずることを得」 と 云々。 今この文による、 学者・行者、 三経一論を学すべし 云々。
又阿弥陀仏ニ別シテ有↢大悲四十八願↡、接↢引タマフ衆生ヲ↡。又¬観経ニ¼云、阿弥陀仏ニ有↢八万四千相↡、一一ノ相ニ有↢八万四千ノ好↡。一一ノ好ヨリ放タマフ↢八万四千光明ヲ↡。一一ノ光明遍ク照シテ↢法界↡、念仏ノ衆生ヲ摂取0045シテ不↠捨。若有レ↠念コト者、機感相応シテ決定シテ得↠生。」云云 今依↢此文↡、学者・行者可↠学↢三経一論↡ 云云。
三に↑慈愍の ¬要決¼ の文とは、 かの ¬要決¼ (西方要決) に長時等の四修を釈するなか、 恭敬修を釈していはく、 「▲二には恭敬修。 この修に五あり。
三ニ慈愍ノ¬要決¼文ト者、彼ノ¬要決ニ¼釈スル↢長時等ノ四修ヲ↡中、釈↢恭敬修ヲ↡云、「二ニハ者恭敬修。此ノ修ニ有↠五。
◆一に有縁の聖人を敬ふ。 いはく行住坐臥に西方に背かず、 涕唾便利、 西方に向かはず。
一敬フ↢有縁ノ聖人ヲ↡。謂ク行住坐臥ニ不↠背↢西方↡、涕唾便利、不↠向↢西方↡也。
◆二は有縁の像教を敬ふ。 いはく西方弥陀の像変を造り、 広く作ることあたはず。 ただ一仏二菩薩を作るもまた得たり。 教とは ¬弥陀経¼ 等を五色の袋に盛りて、 みづからも読み他にも教へよ。 この経像を室のなかに安置して、 六時に礼讃して、 華香をもつて供養し、 ことに尊重を生ずべし。
二ハ敬↢有縁像教↡。謂ク造リ↢西方弥陀ノ像変ヲ↡、不↠能↢広作コト↡。但作モ↢一仏二菩薩ヲ↡亦得タリ。教ト者¬弥陀経¼等ヲ五色ノ袋ニ盛テ、自モ読ミ教ヨ↠他ニモ。此之経像ヲ安↢置シテ室ノ中ニ↡、六時ニ礼讃シテ、華香ヲ以供養シ、特ニ生ズベシ尊重ヲ↡。
◆三に有縁の善知識を敬ふ。 いはく浄土の教を演ぶるもの、 若干由旬よりこのかたは、 並びてすべからく敬重し親近供養すべし。 別学のものをば総じて敬心を起せ。 おのれと同じからざればただ深く敬ふことを知れ。 もし軽慢を生ぜば、 罪を得ること窮りなし。 ゆゑにすべからく総じて敬ふべし。 すなはち行障をば除く。
三ニ敬↢有縁ノ善知識ヲ↡。謂ク演↢浄土ノ教↡者、若干由旬ヨリ已来ハ、並テ須ク↢敬重シ親近供養ス↡。別学之者ヲバ総起↢敬心↡。与↠己不レバ↠同但知レ↢深ク敬コトヲ↡也。若生↢軽慢↡、得↠罪無↠窮。故須↢総ジテ敬フ↡。即除↢行障ヲバ↡。
◆四に同縁の伴を敬ふ。 いはく同修業のものなり。 みづから障重くして独り業成らずといへども、 かならず良朋によつてまさによく行を作す、 危きを扶け厄を救ふ。 助力しあひ資け、 同伴善縁深くあひ保重すべし。
四ニ敬↢同縁ノ伴ヲ↡。謂ク同修業ノ者。自雖↢障重シテ独業不ト↟成、要ズ籍テ↢良朋ニ↡方能作↠行、扶ケ↠危キヲ救フ↠厄。助力相資、同伴善縁深ク相保重スベシ。
◆五に三宝を敬ふ。 同体・別相ならびに深く尊敬すべし。 つぶさに録するにあたはず」 と 云云。
五ニ敬↢三宝↡。同体・別相並ニ合↢深ク尊敬↡。不↠能↢具ニ録↡。」云云
今の文、 西方の行者もつぱら弥陀の像を敬ひ、 もつぱら ¬阿弥陀経¼ 等を読誦すべし。 このなかの 「等」 とは、 意 ¬寿¼・¬観¼ 二経を指す 云々。 これをもつてこれを案ずるに、 慈恩の御意、 往生極楽の業には、 もつぱら弥陀を念じ、 もつぱらこの ¬経¼ を読誦すべし 云々。 ただしこの ¬要決¼ の文に先達の諍ひあり 云々。 他宗の章疏目録のなかに、 多くは慈恩の御作なり 云々。
今文、西方ノ行者専ラ敬↢弥陀ノ像ヲ↡、専可↣読↢誦¬阿弥陀経¼等ヲ↡。此ノ中ノ等ト者、意指↢¬寿¼・¬観¼二経ヲ↡ 云云。以↠之案↠之、慈恩ノ御意、往生極楽之業ニハ、専ラ念↢弥陀↡、専可↣読↢誦此¬経¼↡ 云云。但此¬要決¼文有↢先達ノ諍↡ 云云。他宗ノ章疏目録ノ中ニ、多クハ慈恩御作 云云。
四に↑迦才の ¬浄土論¼ とは、 かの ¬論¼ のなかに▲十二経七論を引く、 往生極楽の証となす。 十二経とは、 一は ¬無量寿経¼、 二は ¬観無量寿経¼、 三は ¬小阿弥陀経¼、 その次に余の往生経を引く 云々。 七論とは、 一は ¬往生論¼、 二は ¬起信論¼、 その次に余論を引く 云々。 今この文による 云々。
四0046ニ迦才ノ¬浄土論ト¼者、彼¬論ノ¼中ニ引ク↢十二経七論ヲ↡、為ス↢往生極楽ノ証ト↡。十二経ト者、一ハ¬無量寿経¼、二ハ¬観無量寿経¼、三¬小阿弥陀経¼、其ノ次ニ引↢余往生経↡ 云云。七論者、一ハ¬往生論¼、二ハ¬起信論¼、其次ニ引↢余論↡ 云云。今依↢此文↡ 云云。
五に↑智景の疏文とは、 意迦才に同じ。 今また申すべからず 云々。
五ニ智景ノ疏文者、意同ジ↢迦才ニ↡。今亦不↠可↠申 云云。
六に↑恵心の ¬往生要集¼ の文とは、 かの ¬往生要集¼ のなかに、 また前の天台の ¬十疑¼・迦才の ¬浄土論¼ の文を引きて、 往生極楽の証となす。 これをもつてこれを案ずるに、 往生極楽の経論、 その数ありといへども、 この 「三部経」 をもつてその要とす 云々。
六ニ恵心ノ¬往生要集ノ¼文者、彼ノ¬往生要集ノ¼中ニ、亦引テ↢前天臺ノ¬十疑¼・迦才ノ¬浄土論ノ¼文ヲ↡、為ス↢往生極楽ノ証ト↡。以↠之案↠之、往生極楽ノ経論、雖↠有↢其ノ数↡、以テ↢此「三部経ヲ」↡為↢其ノ要ト↡也 云云。
次に天竺には天親・覚親、 同じく ¬無量寿経¼ によりて論を作り自他の往生を勧む、 振旦には恵遠・曇巒、 あるいは ¬寿経¼ によりあるいは ¬観経¼ によりて、 念仏し讃を造りおのおの往生極楽を遂ぐ。 西方の後学、 その跡を遂ふべし 云々。 次に諸宗おのおの所依の経論ある由 云々。
次ニ天竺ニハ天親・覚親、同依↢¬無量寿経¼↡作↠論勧↢自他往生↡、振旦ニハ恵遠・曇巒、或ハ依リ↢¬寿経ニ¼↡或ハ依テ↢¬観経ニ¼↡、念仏シ造↠讃ヲ各遂グ↢往生極楽ヲ↡。西方ノ後学、可↠遂↢其跡ヲ 云云。次ニ諸宗各有↢所依ノ経論↡之由 云云。
・重釈二行
↑かさねて二行を釈すとは、 これすなはち ¬往生要集¼ によりて念仏・諸行の行相を決釈す、 しばらく諸行をば置く、 念仏の一行につきて、 かの ¬集¼ に十門を立てて念仏往生を明かす。 そのなかの第一念仏証拠のなかに、 念仏をもつて諸行に対するに、 三番の問答あり。
重釈ト↢二行↡者、此即依テ↢¬往生要集¼↡決↢釈ス念仏・諸行ノ行相ヲ↡、且置↢諸行ヲバ↡、付↢念仏一行ニ↡、彼¬集ニ¼立テヽ↢十門ヲ↡明ス↢念仏往生ヲ↡。其中ノ第一念仏証拠ノ中ニ、以テ↢念仏ヲ↡対↢諸行ニ↡、有↢三番ノ問答↡。
第一の問ひ (要集巻下) にいはく、 「▲一切の善業みな利益あり、 おのおの往生を得。 なんがゆゑぞただ念仏の一門を勧む。 ◆答ふ。 今念仏を勧むることは、 余の種々の妙行を遮すとにはあらず。 ただこれ、 男女・貴賎、 行住座臥を簡ばず、 時処所縁を論ぜず、 これを修するに難からず、 乃至臨終に往生を願求するに、 その便宜を得ること念仏にはしかず。
第一ノ問ニ曰、「一切ノ善業皆有リ↢利益↡、各得↢往生ヲ↡。何ガ故ゾ唯勧↢念仏ノ一門ヲ↡。答。今勧コトハ↢念仏↡、非↣是遮トニハ↢余ノ種種ノ妙行↡。只是、男女・貴賎、不↠簡↢行住座臥ヲ↡、不↠論↢時処所縁↡、修ルニ↠之不↠難、乃至臨終ニ願0047↢求スルニ往生ヲ↡、得ルコト↢其ノ便宜ヲ↡不↠如↢念仏ニハ↡。
◆ゆゑに ¬木槵経¼ にのたまはく、 難陀国の波瑠璃王、 使をもつて仏にまうしてまうさく、 ただ願はくは世尊、 慈愍を垂れて要法を賜ひ、 われをして日夜にやすく修行することを得しめよ、 未来世のなかに衆苦を遠離せんと。
故¬木槵経¼云、難陀国ノ波瑠璃王使以テ白↠仏言、唯願ハ世尊、垂テ↢慈愍ヲ↡賜↢要法↡、使↣我日夜ニ易ク得↢修行コトヲ↡、未来世ノ中ニ遠↢離セン衆苦↡。
◆仏大王に告げたまはく、 もし煩悩・報障を滅せんと願ずれば、 まさに木槵子一百八を貫きて、 もつてつねにみづから随へて、 もしは行もしは住、 もしは坐臥、 つねに心を至し分散の意なく、 仏陀・達磨・僧伽の名を称へて、 一つの木槵子を過ぐ。 もしは十、 もしは二十、 もしは百千、 乃至百万せよ。
仏告ク↢大王ニ↡、若願↠滅ント↢煩悩・報障ヲ↡者、当ニ貫テ↢木槵子一百八ヲ↡、以テ常ニ自随テ、若ハ行若ハ住、若ハ坐臥、恒常ニ至↠心無↢分散意↡、称↢仏陀・達磨・僧伽ノ名ヲ↡、過↢一ノ木槵子↡。若ハ十、若ハ二十、若ハ百千、乃至百万。
◆もしよく二十万遍を満ち、 身心乱れずもろもろの諂曲なくば、 捨命して第三炎摩天に生ずることを得、 衣食自然にしてつねに安楽を受く。
若能満↢二十万遍↡、身心不↠乱無↢諸諂曲↡者、捨命得↠生↢第三炎摩天↡、衣食自然ニシテ常受↢安楽↡。
◆もしまたよく一百万遍を満てば、 まさに百八の結業を除断し、 生死の流を背き、 涅槃の道に趣き、 無上の果を獲べし」 と。 略鈔
若復タ能ク満↢一百万遍↡者、当ニ↧除↢断シ百八ノ結業ヲ↡、背↢生死流ヲ↡、趣↢涅槃道↡、獲↦無上果↥。」略鈔
感禅師の意またこれに同じ。 以上↓難易の意
感禅師ノ意亦同ジ↠之ニ。已上難易意也
次にまたいはんや釈 (要集巻下意) にいはく、 「▲もろもろの聖教のなかに、 多くの念仏をもつて往生の業とする文はなはだ多し。 略して十文を出す。
次亦況ヤ釈ニ云、「諸ノ聖教ノ中ニ、多ノ以テ↢念仏ヲ↡為↢往生ノ業ト↡文甚多シ。略出↢十文↡。
◆一は ¬占察経¼ の下巻にのたまはく、 もし人他方の現在の浄国に生ぜんと欲すれば、 まさにかの世界の仏の名字に随ひ、 意を専らにし誦念して一心不乱なるべし。 上のごとく観察すれば、 決定してかの仏の浄国に生ずることを得。 善根増長して、 すみやかに不退を成ずと 云々。
一ハ¬占察経ノ¼下巻云、若人欲↠生↢他方現在浄国↡者、応↧当ニ随↢彼世界ノ仏之名字↡、専↠意誦念シテ一心不乱↥。如ク↠上観察者、決定シテ得↠生↢彼仏浄国↡。善根増長シテ、速ニ成↢不退↡ 云云。
▲二は ¬双巻経¼ の三輩の業浅深ありといへども、 しかも通じてみな一向専念無量寿仏といふ。
二ハ¬双巻経ノ¼三輩之業雖↠有↢浅深↡、然モ通ジテ皆云↢一向専念無量寿仏↡。
◆三は四十八願のなかに念仏の一門において別して一願を発してのたまはく、 乃至十念、 若不生者、 不取正覚と。
三ハ四十八願ノ中ニ於↢念仏一門↡別シテ発↢一願↡云、乃至十念、若不生者、不取正覚。
◆四は ¬観経¼ にのたまはく、 極重悪人無他方便、 唯称弥陀得生極楽と。
四ハ¬観経¼云、極重悪人無他方便、唯称弥陀得生極楽。
◆五は同じき ¬経¼ にのたまはく、 もし心を至して西方に生ぜんと欲すれば、 まさに一つの丈六の像の池水の上にましますを観ずべしと。
五ハ同¬経¼云0048、若欲↣至シテ↠心ヲ生↢西方ニ↡者、当ニシ↠観↣於一丈六ノ像ノ在スヲ↢池水ノ上ニ↡。
◆六は同じき ¬経¼ にのたまはく、 光明遍照、 十方世界、 念仏衆生、 摂取不捨と。
六ハ同¬経¼云、光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨。
◆七は ¬阿弥陀経¼ にのたまはく、 小善根の福徳因縁をもつて、 かの国に生ずることを得べからず。 ◆舎利弗、 もし善男子・善女人ありて、 阿弥陀仏を説くを聞きて、 名号を執持すること、 もしは一日乃至七日一心にして乱れざれば、 その人命終の時に臨みて、 阿弥陀仏もろもろの聖衆とその前に現じてまします、 この人終る時に、 心顛倒せずすなはち往生を得と 云々。
七ハ¬阿弥陀経¼云、不↠可↧以↢小善根福徳因縁↡、得↞生↢彼国↡。舎利弗、若有↢善男子・善女人↡、聞テ↠説↢阿弥陀仏↡、執↢持スルコト名号↡、若一日乃至七日一心ニシテ不↠乱、其ノ人臨↢命終ノ時ニ↡、阿弥陀仏与↢諸聖衆↡現ジテ↢在ス其前ニ↡、是人終時、心不↢顛倒↡即得↢往生↡ 云云。
◆八は ¬般舟経¼ にのたまはく、 阿弥陀仏のたまはく、 わが国に来生せんと欲せば、 つねにわが名を念ぜよ。 しばしばつねに専念して休息あることなかれ。 わが国に来生することを得と。
八ハ¬般舟経¼云、阿弥陀仏言タマハク、欲↣来↢生我国↡者、常念↢我名↡。数数常ニ専念シテ莫↠有↢休息↡。得↣来↢生我国↡。
◆九は ¬鼓音声経¼ にのたまはく、 もし四衆ありてよくまさしくかの仏の名号を受持し、 この功徳をもつて、 終らんと欲する時に臨みて、 阿弥陀すなはち大衆とこの人の所に往き、 それをして見ることを得しめ、 見おはりて生ずることを得と。
九ハ¬鼓音声経¼云、若有↢四衆↡能正受↢持シ彼ノ仏ノ名号↡、以↢此功徳↡、臨↢欲↠終時↡、阿弥陀即与↢大衆↡往↢此人ノ所↡、令↢其得↟見、見已得↠生。
◆十に ¬往生論¼ に、 仏の依正の功徳を観念するをもつて往生の業とす」 と 云々。
十¬往生論¼、以↣観↢念スルヲ仏ノ依正功徳↡為↢往生ノ業ト↡。」云云
今この文を案ずるに、 もろもろの聖教のなかに念仏往生の業、 その文はなはだ多し。 布施等の諸行をもつて往生の業とすることは、 その文すなはち少し 云々。 これすなはち↓少分・多分の意なり。 今念仏往生を勧むるは、 多分の意による 云々
今案↢此文↡、諸ノ聖教ノ中ニ念仏往生ノ業、其ノ文甚多シ。以テ↢布施等ノ諸行ヲ↡為コトハ↢往生ノ業↡、其ノ文即少シ 云云。此即少分・多分ノ意也。今勧↢念仏往生↡者、依↢多分ノ意ニ↡ 云云。
次にまた問ひて (要集巻下) いはく、 「▲余行にいづくんぞ勧進の文なからんや。」 問の意は 云々。 次に答へて (要集巻下) いはく、 「▲その余の行法は、 ↓ちなみにかの法の種々の功能を明かす。 そのなかにおのづから往生の事を説く。 ただちに往生の要を辨じたまふに、 多く念仏といふがごとくにあらず。 いかにいはんや仏みづから説きて常念我名とのたまふをや。 また↓仏の光明余行の人を摂取すと言はず。 ◆これ等の文分明なり。 かさねて疑を生ずるべきか。」
次ニ復問曰、「余行寧無↢勧進ノ文↡耶。」問意者 云云。次答曰、「其余ノ行法ハ、因ミニ明↢彼法種種功能↡。其中ニ自説↢往生ノ事↡。不↠如↧直ニ辨タマフニ↢往生之要↡、多ク云↞念仏↥。何況ヤ仏自説テ言↢常念我名↡乎。亦不↠言ハ↣仏ノ光明摂↢取スト余行ノ人ヲ↡。此等ノ文0049分明ナリ。可↢重生↠疑乎。」
今この答の文を案ずるに、 三の意あり。 一にはその余の行法乃至多くは念仏にありとは 云々。 二にいかにいはんや仏みづからすでに常念我名とのたまはふをやとは 云々。 三に仏の光明余行の人を摂取すといはずとは 云々。
今案↢此答ノ文ヲ↡、有↢三ノ意。一ニハ其ノ余行法乃至多クハ有↢念仏ニ↡者 云云。二ニ何況ヤ仏自既ニ言↢常念我名↡乎者 云云。三ニ不↠云↣仏ノ光明摂↢取スト余行ノ人ヲ者 云云。
第三に (要集巻下) 「▲問ふ。 諸経の所説機に随ひて万品なり。 なんぞ管見をもつて一文を執せんや。」 この問の意は 云々。 次に答へて (要集巻下意) いはく、 「▲馬鳴菩薩の ¬大乗起信論¼ にいはく、 信心成就すべきこと難し、 意退するもの、 まさに知るべし、 如来に勝方便ましまして信心を摂護したまふ。 随ひて専心念仏の因縁をもつて、 願に随ひて他方の仏土に往生す。 ◆修多羅の説のごとし。 もし人もつぱら阿弥陀仏を念じて、 所作の善業を回向して、 かの世界に生ぜんと願求すれば、 すなはち往生を得。 以上 ◆あきらかに知りぬ、 契経に多く念仏をもつて往生の要とす。 もししからずは、 四依の菩薩↓すなはち理尽にあらず」 と云々。
第三ニ「問。諸経ノ所説随↠機万品ナリ。何ゾ以↢管見↡執↢一文↡乎。」此問意者 云云。次ニ答曰、「馬鳴菩薩¬大乗起信論¼云、信心難↠可↢成就↡、意退者、当ニ↠知、如来有↢勝方便↡摂↢護信心↡。随テ以↢専心念仏ノ因縁ヲ↡、随↠願往↢生他方仏土ニ↡。如↢修多羅ノ説↡。若人専念↢阿弥陀仏↡、所作善業廻向シテ、願↣求スレバ生↢彼世界ニ↡、即得↢往生↡。 已上 明ニ知契経ニ多ク以↢念仏↡為↢往生ノ要↡。若不↠爾者、四依ノ菩薩即非↢理尽↡。」云云
↑すなはち理尽にあらずとは、 仏はあまねく機縁に逗ず、 念仏・諸行の往生を説くといへども、 いまだ委しく念仏・諸行を分別せず。 四依の論師後に出世して、 仏の正意を捜し往生の業を述ぶる日、 諸行往生を出さずして、 念仏往生を出す。 今↓如来随宜の諸行を指し置きて、 四依理尽の念仏の行によると 云々。
即非↢理尽↡者、仏ハ者普逗↢機縁↡、雖↠説↢念仏・諸行ノ往生ヲ↡、未ダ↣委ク分↢別念仏・諸行↡。四依ノ論師後ニ出世シテ、捜↢仏ノ正意↡述↢往生ノ業ヲ↡之日、不シテ↠出↢諸行往生ヲ↡、出ス↢念仏往生ヲ↡。今指シ↢置テ如来随宜ノ諸行ヲ↡、依ト↢四依理尽之念仏ノ行ニ↡ 云云。
この三番の問答のなかに、 問は三といへども、 答の文を案ずるにすべて六義あり。 一には↑難易の義、 二は↑多分・少分の義、 三は↑因明・直辨の義、 四は*本願・非本願の義、 五は↑光明摂取・不摂取の義、 六は↑如来随宜・四依理尽の義なり。 一に難易の義とは 云々。 余の五は次第に釈すべし 云々。
此ノ三番ノ問答ノ中ニ、問ハ者雖↠三ト、案ルニ↢答文↡全有↢六義↡。一ニハ難易義、二ハ多分・少分ノ義、三ハ因明・直辨ノ義、四ハ本願・非本願ノ義、五ハ光明摂取・不摂取ノ義、六ハ如来随宜・四依理尽ノ義ナリ。一ニ難易義ト者 云云。余五次第ニ可↠釈 云云。
念仏・諸行相対決択の事かくのごとし。 もしこの意によらば、 聴聞集来の人々、 しばらく諸行を置きて念仏を行ぜしめたまふべきか。
念仏・諸行相対決択ノ事如↠此。若依↢此ノ意0050ニ↡、聴聞集来ノ人人、且ク置↢諸行↡可キカ↠令タマフ↠行↢念仏ヲ↡。
・経来意
三に↑経の来意とは、 上の ¬観経¼ のなかに、 始には広く諸行を説きてあまねく機縁に逗じ、 後は諸行を廃す、 ただ念仏の一門なり。 しかるになほかの ¬経¼ の諸行の文は広く、 念仏の文は狭し。 初心の学者迷ひやすく、 是非決しがたし。 ゆゑに今この ¬経¼ 諸行往生を廃し、 また次に但念仏往生を明かす。 念仏行において、 決定の心を生ぜんがためなり 云々。
三経来意ト者、上ノ¬観経ノ¼中ニ、始ニハ広ク説テ↢諸行ヲ↡遍ク逗↢機縁↡、後ハ廃ス↢諸行ヲ↡、只念仏一門ナリ。然ニ猶彼¬経¼諸行ノ文ハ広ク、念仏ノ文ハ狭シ。初心ノ学者易ク↠迷、是非難シ↠決。故ニ今此¬経¼廃↢諸行往生ヲ↡、復次ニ明↢但念仏往生ヲ↡。於↢念仏行ニ↡、為ナリ↠生↢決定ノ心↡ 云云。
・釈名
四に↑釈名とは、 わたくしにいはく、 ある本には釈名の上に科文あり委細の釈なし。 またただ四意あり。 いはく一に来意、 二は専雑、 専にまた二。 一は正定、 二は助行。 三は釈名、 四は入文解釈 云々 「▲仏」 とは娑婆の化主、 三身万徳の釈尊なり。 「▲説」 とは娑婆の化儀、 四辨八音の声教なり。 「▲阿弥陀」 とは極楽の化主、 十方諸仏の所讃なり。 今は世尊、 弥陀引摂の大なることを讃じ、 極楽境界の妙なることを説く、 苦界の衆生に教へ、 安楽の勝果を感ず。 ゆゑに仏の名号をもつて経の別号とす、 所有の衆徳を摂し能化の一身に帰して、 ただ阿弥陀といふなり。 「▲経」 とは 云々。
四釈名ト者、 私云、或本ニハ釈名ノ上ニ有↢科文↡無↢委細ノ釈↡。又但有↢四意↡。謂ク一来意、二ハ専雑、専ニ亦二。一正定、二ハ助行。三ハ釈名、四ハ入文解釈 云云 「仏」トハ者娑婆之化主、三身万徳之釈尊ナリ。「説」トハ者娑婆之化儀、四辨八音之声教。「阿弥陀ト」者極楽之化主、十方諸仏之所讃也。今ハ者世尊讃↢弥陀引摂之大↡、説↢極楽境界之妙コトヲ↡、教↢苦界ノ衆生ニ↡、感↢安楽ノ勝果↡。故以↢仏ノ名号ヲ↡為↢経ノ別号↡、摂↢所有之衆徳↡帰シテ↢能化ノ一身ニ↡、但云↢阿弥陀↡也。「経」者 云云。
・入文解釈
五に↑入文解釈とは、 初 「▲如是我聞」 より 「大衆倶▲」 に至るは、 これ↓序分。 「▲爾時仏告」 より 「是為甚難▲」 に至るを↓正宗とす。 「▲仏説此経」 以下は↓流通と名づく。
五入文解釈者、初従↢「如是我聞」↡至↢「大衆倶」↡、是序分。自↢「爾時仏告」↡至↢「是為甚難」↡為↢正宗↡。「仏説此経」已下ハ名↢流通↡。
・入文解釈 序分
三段かくのごとし、 しばらく↑序分をば置く。
三段如↠此、且置↢序分ヲバ↡。
・入文解釈 正宗分
↑正宗に多くの文段あり、 大いに分ちて二とす。 一は↓極楽依正、 二は↓念仏往生。
正宗有↢多ノ文段↡、大ニ分テ為↠二。一ハ者極楽依正、二ハ念仏往生。
・入文解釈 正宗分 極楽依正
一に↑極楽の依正につきてまた二あり。 一は依報、 二は正報。 依報につきて▲七重の羅網あり、 ▲七重の行樹あり、 また▲七宝の池あり、 ▲黄金の大地あり。 正報につきてまた▲仏あり、 ▲菩薩あり、 ▲声聞あり、 ▲阿鞞跋致の衆生あり、 また▲一生補処の菩薩あり。 これらの依正の功徳前にすでに顕しおはりぬ、 重ねて申し上ぐべからず。
一ニ付テ↢極0051楽ノ依正ニ↡亦有↠二。一依報、二ハ正報。付テ↢依報↡有↢七重羅網↡、有↢七重ノ行樹↡、亦有↢七宝池↡、有↢黄金大地↡。付↢正報↡亦有↠仏、有↢菩薩↡、有↢声聞↡、有↢阿鞞跋致ノ衆生↡、亦有↢一生補処ノ菩薩↡。此等ノ依正ノ功徳前ニ已顕シ了ヌ、重不↠可↢申上↡。
しばらくそのなかにつきて、 「▲多有一生補処」 の文を、 恵心の僧都 (要集巻上) これをもつて 「▲聖衆倶会の楽」 と名づく 云々。 聖衆とは誰ぞや、 すなはちこれ普賢・文殊・弥勒等これなり。
且ク付テ↢其ノ中ニ↡、「多有一生補処ノ」文ヲ、恵心ノ僧都以↠此名↢「聖衆倶会楽」云云。聖衆ト者誰ゾヤ哉、即是普賢・文殊・弥勒等是也。
しかればすなはち普賢は華厳法界円融の法門を掌す。 たとひ賢首・清涼に遇ひたてまつらずといへども、 もし六相・十玄の法門を学せんと欲せば、 極楽に往生すべし。 いはんや祖師智厳大師、 すでに浄土に往生せんか 云々。
然バ則チ普賢ハ者掌↢華厳法界円融ノ法門ヲ↡。設ヒ雖↠不↠奉↠遇↢賢首・清涼ニ↡、若シ欲↠学↢六相・十玄ノ法門↡者、可↣往↢生極楽↡。況ヤ祖師智厳大師、既ニ往↢生浄土↡乎 云云。
文殊はすなはち三論の八不中道・二諦、 方等般若波羅蜜の法門を掌す。 たとひ興皇・嘉祥に値ひたてまつらずといへども、 中・百門の観を学せんと欲せば、 極楽に往生すべし。
文殊ハ者即掌ス↢三論ノ八不中道・二諦、方等般若波羅蜜ノ法門↡。設雖↠不↠奉↠値↢興皇・嘉祥↡、欲↠学↢中・百門ノ観↡者、可↣往↢生極楽↡。
弥勒はすなはち法相の祖師なり。 たとひ玄奘・慈恩に値ひたてまつらずといへども、 五分十支、 五位百法の性相の法門を学せんと欲せば、 また浄土に往生すべし。
弥勒ハ即法相ノ祖師也。設ヒ雖↠不↠奉↠値↢玄奘・慈恩ニ↡、欲↠学↢五分十支、五位百法ノ性相ノ法門↡者、亦可↣往↢生浄土↡。
また ¬楞伽経¼ (魏訳巻九総品意・唐訳巻六偈頌品意) に説きてのたまはく、 「南天竺国のなかに大徳の比丘あり、 龍樹菩薩と名づく。 よく有無の見を破し、 歓喜地を証得し、 極楽に往生す」 と 云々。 今この文によるに、 龍樹菩薩極楽世界に在り。 これをもつてこれを案ずるに、 龍樹はすなはち天台・三論・真言の祖師なり。 もし円密両宗を学せんと欲せば、 また極楽に往生すべし 云々。
又¬楞伽経¼説テ云、「南天竺国ノ中ニ有↢大徳比丘↡、名↢龍樹菩薩↡。能破↢有無ノ見ヲ↡、証↢得歓喜地↡、往↢生極楽↡。」云云 今依↢此文↡、龍樹菩薩在↢極楽世界↡。以↠之案↠之、龍樹ハ即天臺・三論・真言祖師也。若欲↠学↢円密両宗↡者、亦可↣往↢生極楽↡ 云云。
またただこれらの聖衆に会ふのみにあらず、 よくわれら無始よりこのかた父母・師長・朋友・知識・妻子・眷属前だちて去るものあり、 なんぞまたあひ見ることあらざらんや。 これをもつてこれを思ふに、 生々世々の父母・師長・妻子・眷属・朋友・知識とあひ見んと欲せば、 極楽に往生すべきものなり 云々。
又非↣啻会ノミニ↢此等ノ聖衆ニ↡、能我等無始ヨリ已0052来父母・師長・朋友・知識・妻子・眷属有↢前ダテ去ル者↡、盍ザラン↣亦有↢相見↡哉。以↠之思↠之、欲↣相↢見生生世世父母・師長・妻子・眷属・朋友・知識↡者、可↣往↢生極楽↡者也 云云。
・入文解釈 正宗分 念仏往生
二に↑念仏往生、 これにまた二あり。 一は↓念仏往生、 二は↓引証勧進。
二ニ念仏往生、是ニ又有↠二。一ハ念仏往生、二ハ引証勧進。
・入文解釈 正宗分 念仏往生 念仏往生
↑念仏につきてまた二となす。 一は↓修因、 二は*感果。
付↢念仏↡亦為↠二。一ハ修因、二ハ感果。
・入文解釈 正宗分 念仏往生 念仏往生 修因
一は↑修因につきてまた二とす。 一は↓発願、 二は↓念仏。
一ハ付↢修因ニ↡亦為↠二。一発願、二ハ念仏。
・入文解釈 正宗分 念仏往生 念仏往生 修因 発願
一に↑発願とは、 往生の願を発すなり。 往生の願を発すとは、 ¬経¼ (小経) にのたまはく、 「▲衆生聞くものまさに発願してかの国に生ぜんと願ずべし。 ゆゑはいかん。 かくのごときもろもろの上善人とともに一処に会することを得ればなり」 云々。 これすなはち往生の願を発すなり。
一ニ発願ト者、発ナリ↢往生ノ願ヲ↡。発↢往生願↡者、¬経¼云、「衆生聞者応当↢発願願↟生↢彼国↡。所以者何。得↣与如是諸上善人倶会↢一処↡。」云云 是即発↢往生願↡也。
・入文解釈 正宗分 念仏往生 念仏往生 修因 念仏
二に↑念仏は、 また分ちて二とす。 一は↓小善に簡ぶ、 二は↓まさしく念仏を修す。
二ニ念仏者、復分テ為↠二。一ハ簡↢小善↡、二ハ正ク修↢念仏↡。
・入文解釈 正宗分 念仏往生 念仏往生 修因 念仏 簡小善
一は↑▲小善に簡ぶとは、 これすなはち往生の因とするに足らざるもろもろの小善根なり。 大小これ相符の法なり。 常性あることなし 云々。 わたくしにいはく、 ある本には大小は▲上に引く 「極楽無為」 (法事讃巻下) 等の文。 ならびに ▲¬浄土文¼ (龍舒浄土文) のなかに出す 「専持」 等二十一字。 ¬選択に¼ 同じ 云々 しかるに大小の義は諸師異説なり 云々。 今善導による、 雑善をもつて名づけて少善とす 云々。 雑修の義は前々のごとし 云々。
一ハ簡↢小善↡、小善者、是則不ル↠足↠為↢往生ノ因ト↡諸ノ小善根也。大小是相符ノ法也。無↠有↢常性↡ 云云。私云、或本ニハ大小者上引「極楽無為」等文。ニ出↢¬浄土文ノ¼中ニ↡「専持」等二十一字。同↢¬選択ニ¼↡云云 而ニ大小ノ義ハ諸師異説 云云。今依↢善導↡、以↢雑善↡名為↢少善↡ 云云。雑修ノ義如↢前前ノ↡ 云云。
・入文解釈 正宗分 念仏往生 念仏往生 修因 念仏 正修念仏
二に↑正修念仏とは、 これ一心にかの仏名を称念す、 これを名づけて念仏とす 云々。 ¬経¼ (小経) にのたまはく、 「▲↓もし善男子・善女人ありて、 阿弥陀仏を説くを聞きて、 ↓名号を執持すること、 ▽↓もしは一日 乃至 七日、 ↓一心にして乱れず」 と。 云々 これすなはち専修正行、 念仏三昧の文なり。 この文のなかに四意あり。
二ニ正修念仏者、是一心ニ称↢念彼ノ仏名↡、名↠之為↢念仏↡ 云云。¬経¼云、「若有テ↢善男子・善女人↡、聞テ↠説↢阿弥陀仏ヲ↡、執↢持スルコト名号ヲ↡、若一日 乃至 七日、一心不↠乱。」云云 是則専修正行、念仏三昧ノ文也。此文ノ中ニ有↢四意↡。
一に 「↑もし善男子・善女人ありて」 とは、 これすなはち念仏の行者を明かす。 この文につきて善人を挙ぐるに、 意また悪人を用ゆ。 善導 (観念法門) この文を釈していはく、 「▲もしは仏の在世、 もしは仏の滅後一切造罪の凡夫、 ただよく回心して阿弥陀仏を念じ、 浄土に生ぜんと願ずれば、 すなはち浄土に往生することを得」 と。
一ニ「若有↢善男子・善女人↡」者、是則明↢念仏ノ行者↡。付↢此文↡挙ルニ↢善人↡、意亦用↢悪人↡。善導釈↢此文↡云、「若0053ハ仏ノ在世、若仏ノ滅後一切造罪ノ凡夫、但能廻心シテ念↢阿弥陀仏↡、願↠生↢浄土↡、即得↣往↢生浄土↡。」
次に 「↑執持名号」 とは、 これ正修念仏なり 云々。
次ニ「執持名号」者、此正修念仏也 云云。
次に 「↑若一日乃至七日」 とは、 これすなはち↓念仏三昧を修する時節の延促なり。 文はただ一日・七日を挙ぐといへども、 意は一生乃至十声・三声・一声等の時節を兼ぬ。 ゆゑに善導 (観念法門) この文を釈していはく、 「▲上尽百年、 下至七日・一日、 十声・三声・一声等、 命終らんと欲する時、 仏聖衆とみづから来りて迎接して、 往生を得」 と。 云云 これをもつてこれを案ずるに、 今この ¬経¼ の意、 ただ善人の一日・七日の往生を明かすのみにあらず、 兼ねてまた十悪の軽罪・破戒の次罪・五逆の重罪人の往生を明かす 云々。
次「若一日乃至七日」者、是則修↢念仏三昧↡時節ノ延促ツヾマル也。文ハ但雖↠挙↢一日・七日↡、意兼↢一生乃至十声・三声・一声等時節ヲ↡。故善導釈↢此文↡云、「上尽百年、下至七日・一日、十声・三声・一声等、命欲↠終時、仏与↢聖衆↡自来テ迎接シテ、得↢往生↡。」云云 以↠之案↠之、今此¬経ノ¼意、但非↠明ノミニ↢善人ノ一日・七日往生↡、兼又明↢十悪軽罪・破戒ノ次罪・五逆ノ重罪人ノ往生↡ 云云。
次に 「↑一心不乱」 とは、 念仏の時の心散乱せず、 至誠の信心もつぱら仏名を念ずるなり 云々。 これすなはち往生の修因なり 云々。
次「一心不乱」者、念仏ノ時ノ心不↢散乱↡、至誠信心専念↢仏名↡也 云云。是則往生ノ修因也 云云。
次に 「▲其人臨命終時、 阿弥陀仏与諸聖衆現在其前」 等とは、 文に二の意あり。 一は↓聖衆来迎、 二は↓行者の往生なり。
次ニ「其人臨命終時、阿弥陀仏与諸聖衆現在其前」等ト者、文ニ有↢二ノ意↡。一ハ聖衆来迎、二ハ行者ノ往生也。
一に↑聖衆来迎とは、 念仏の行やうやく成就し、 往生の期すでに至る時、 弥陀如来もろもろの聖衆とともに来りて、 恭しく行者を迎へたまふなり。 この来迎につきて、 ¬観経¼ (意) の文に九品の迎摂の相を説きてのたまはく、 「上品上生は▲無数の化仏仏とともに来る。 上品中生は 云々。 乃至下品下生には▲ただ金蓮華来る」 と。 云云 今この ¬経¼ の来迎は、 九品のなかにはこれなにか。
一ニ聖衆来迎ト者、念仏ノ行漸ク成就シ、往生ノ期既ニ至時、弥陀如来与↢諸聖衆↡倶来テ、恭迎タマフ↢行者↡也。付↢此ノ来迎ニ↡、¬観経ノ¼文ニ説テ↢九品迎摂ノ相ヲ↡云、「上品上生者無数ノ化仏与↠仏共ニ来ル。上品中生 云云。乃至下品下生ニハ但金蓮華来。」云云 今此¬経ノ¼来迎者、九品ノ中ニハ是何哉。
不審もつとも多し。 今もし聖衆の多少によりて品秩を定むれば、 おそらくはこれ上品上生の行相にあひ似るか。 なにをもつてのゆゑに。 ¬経¼ (小経) にのたまはく、 「△其人臨命終時、 阿弥陀仏与諸聖衆」 と。 云々 聖衆の多少をいはず。 ¬称讃浄土経¼ にのたまはく、 「▲臨命終時、 無量寿仏その無量の声聞弟子・菩薩衆と倶に、 前後に囲繞し、 来りてその前に往し、 慈悲をもつて加へ祐して、 心をして乱れざらしむ。 すでに命を捨ておはりて、 仏の衆会に随ひて、 無量寿仏の極楽に生ず」 と。 云々 今この文に準ずるに、 すでに無量の声聞等といへり。 ゆゑに知りぬ、 上品上生に当ると 云々。
不審尤多シ。今若依↢聖衆ノ多少↡定↢品秩↡者、恐ハ是相↢似上品上生0054之行相ニ↡歟。以↠何故。¬経¼云、「其人臨命終時、阿弥陀仏与諸聖衆。」云云 不↠云↢聖衆多少↡。¬称讃浄土経¼云、「臨命終時、無量寿仏与↢其無量ノ声聞弟子・菩薩衆↡倶ニ、前後ニ囲繞シ、来テ往シ↢其ノ前ニ↡、慈悲ヲ以加ヘ祐シテ、令↢心シテ不↟乱。既捨↠命已、随テ↢仏衆会↡、生↢無量寿仏ノ極楽ニ↡。」云云 今準↢此文↡、已云↢無量声聞等↡。故知、当↢上品上生↡ 云云。
また修因の時節を説きて、 「△若一日乃至七日」 と 云々。 ¬観経¼ にまた▲上品の修因の時節を明かす。 時節すでに同じ、 しかのみならず次に往生の修因を明かす事多かれども、 九品のなかには上品を期し、 三品のなかには上生を期せよ。 ゆゑに ¬天台発願文¼ (意) にいはく、 「上々品金剛台」 と。 云々 不空の ¬弥陀儀軌¼ (意) には 「上々品欲往生浄土」 と。 云々 また善導の ¬六時礼讃¼ ならびに ¬観念法門¼ 共に 「▲上品往生阿弥陀仏国」 と。 云々 ゆゑに知りぬ、 今 ¬観経¼ の意、 上々品につきて念仏往生の旨を明かすなり。 これまたわたくしの愚見にあらず。 ある先徳のいはく、 「今はこれ上品の修因を説く」 と 云々。
又説↢修因ノ時節ヲ↡、「若一日乃至七日。」云云 ¬観経¼亦明↢上品ノ修因ノ時節↡。時節已同ジ、加↠之次ニ明ス↢往生修因↡事多レドモ、九品中ニハ期シ↢上品ヲ↡、三品中ニハ期セヨ↢上生ヲ↡。故¬天臺発願文¼云、「上上品金剛台」。云云 不空ノ¬弥陀儀軌ニハ¼「上上品欲往生浄土」。云云 又善導¬六時礼讃¼ ¬観念法門¼共ニ「上品往生阿弥陀仏国。」云云 故知、今¬観経¼意、付↢上上品↡明↢念仏往生之旨↡也。是亦非↢私愚見↡。或先徳云、「今ハ是説↢上品修因↡。」云云
次に↑行者往生とは、 すでに仏迎を得観音の蓮台に乗じて、 すなはち極楽世界の八功徳池のなかに往生するなり。 ¬双巻¼・¬観経¼ に往生を説きおはりて、 蓮華開敷の遅速・聞法得道の利益を明かす。 かれに望むるにはなはだこれを略す。
次行者往生ト者、既得↢仏迎↡乗↢観音ノ蓮台↡、即往↢生極楽世界ノ八功徳池ノ中ニ↡也。¬双巻¼・¬観経ニ¼説↢往生↡已テ、明↢蓮華開敷ノ遅速・聞法得道ノ利益↡。望ルニ↠彼甚略↠之。
次にまた↑修因の時節の延促に約して念仏の浅深を明かすとは、 時節すでに七日なり。 理七品念仏にあり 云々。 これ但念仏につきて品秩を分つ意なり。 ¬双巻¼ に三品あり、 ¬観経¼ に九品あり、 今の ¬経¼ に七品あり。 時節につきて、 あるいは十日、 あるいは九十日等不同あり。 なにをもつてのゆゑに、 今七日につきて念仏の行を明かす。 今これを案ずるに、 その例一にあらず。 もし世俗につきてこれを論ずれば、 七代の種族を七世といひ、 七廟の宝を七宝といひ、 薬に七日薬といふ。 胎内の位に七七を経て成就す 云々。 出世は、 あるいは七仏といひ、 あるいは仏出胎の後十方に七歩行き、 あるいは初果経生の聖者七生に至る 云々。 胎蔵・金剛両部の潅頂、 ともに七日を用ゐる。 方等・法華両経の行法、 また七日を用ゐる。 およそ七日の例勝計すべからず。 所詮七日とは、 法成就の期なるがゆゑなり。
次又約↢修因ノ時節ノ延促ニ↡明↢念仏浅深↡者、時節既七日也。理有↢七品念仏↡ 云云。是付↢但念仏↡分↢品秩↡意也。¬双巻ニ¼有↢三品↡、¬観0055経ニ¼有↢九品↡、今¬経ニ¼有↢七品↡。付↢時節↡、或十日、或九十日等有↢不同↡。以↠何故ニ、今付↢七日↡明↢念仏ノ行↡。今案↠之、其例非↠一。若付↢世俗↡論↠之、七代種族云↠七世ト↡、七廟ノ宝云↢七宝↡、薬ニ云↢七日薬↡。胎内ノ位ニ経↢七七ヲ↡成就ス 云云。出世者、或云↢七仏↡、或仏出胎之後十方七歩行、或初果経生ノ聖者至↢七生↡ 云云。胎蔵・金剛両部ノ潅頂、倶ニ用↢七日↡。方等・法華両経ノ行法、亦用↢七日↡。凡七日ノ例不↠可↢勝計↡。所詮七日ト者、法成就ノ期故也。
次に恵心僧都 (小経略記) 但念仏往生の由を釈しおはりて、 「問ひていはく、 なんがゆゑぞこの ¬経¼ に十六想観を説かず」 と。 この問の意は、 十六想観は、 日想乃至下輩生想なり。 今経なんがゆゑぞかの十六想観を説かず、 なんがゆゑぞ三福の大善を説かず、 この称名念仏を説くやといふなり。 すなはち (小経略記) 「答へていはく、 ↓念を推帳の中に運らし、 証を塵刹の外に決すること、 それ念仏にはしかず。 ゆゑに今経にはかならずしも余観を勧めず。 広略随宜なり。 一例することを得ず」 と。
次ニ恵心僧都釈↢但念仏往生之由ヲ了テ、「問曰、何故ゾ此¬経ニ¼不↠説↢十六想観↡。」此問意者、十六想観者、日想乃至下輩生想也。今経何故不↠説↢彼十六想観↡、何故不↠説↢三福大善↡、説クヤト↢此ノ称名念仏↡云也。即「答曰、運シ↢念ヲ於推ヲモイ帳ウレウ之中↡、決スルコト↢証ヲ於塵刹之外↡、其不↠如↢念仏↡。故今経ニハ不↣要モ勧↢余観↡。広略随宜。不↠得↢一例スルコト↡。」
このなかに↑念を推帳の中に運らし証を塵刹の外に決すとは、 これいづれの事や。 これすなはち ¬史記¼ の高祖の本紀の文に借りて念仏往生の文に潤色するなり。 しかるにかの高祖の本紀の文 (史記意) を案ずるにいはく、
此中ニ運シ↢念於推帳之中↡決↢証於塵刹之外↡者、是何事哉。是則借テ↢¬史記ノ¼高祖ノ本紀文↡潤↢色念仏往生ノ文ニ↡。然ニ案↢彼高祖本紀文↡云、
「漢の高祖楚の項羽と、 共に天下を諍ふ、 高祖つひに項羽を伐ちて天下を取る。 項羽は天下を失ひ、 高祖は天下を得たり。 時に高祖、 列侯・将軍にいはく、 列侯諸将あへて朕に隠ことかれ、 みなその情を言へ。 われ天下を有てるゆゑはいかん、 項羽が天下を失ふゆゑはいかんと。 高起・王陵対へていはく、 陛下は慢にして人を侮る、 項羽は仁にして人を愛す。 しかれども陛下は人を使して城を攻め、 地を略んで降し下すところのものには、 よりてもつてこれを予ふ。 天下と利を同くするなり。 項羽は賢を嫌み能を嫉む。 功あるものはこれを害し、 賢なるものをこれを疑ふ。 戦ひ勝つとも人に功を与へず、 地を得るとも人に利を与へず。 これ天下を失ふゆゑなりと。 高祖いはく、 公はその一を知り、 いまだその二を知らず。 それ籌策を推帳の中に運らし、 勝つことを千里の外に決すること、 われ張子房にしかず。 国家を鎮め百姓を撫して、 餽鑲を給ひ糧道を絶たざること、 われ蕭何にはしかず。 百万の軍を連ね、 戦ひかならず勝ちて攻むとてかならず取ることは、 われ韓信にしかず。 三者はみな人傑なり、 われよくこれを用ゐる。 これわれが天下を取るゆゑなり。 項羽は一りの范増ありてこれを用ゐることあたはず、 それわがために禽ぜらるるゆゑなり」 と 云々。
「漢高祖与↢楚ノ項羽↡、共諍↢天下ヲ↡、高祖遂ニ伐↢項羽↡取↢天下↡。項羽ハ失↢天下↡、高祖得タリ↢天下↡。時高祖、列侯・将軍曰、列侯諸将0056無シ↢敢テ隠コト↟朕、皆言↢其情↡。吾所↣以有テル↢天下↡者何ン、項羽ガ所↣以失フ↢天下↡者何。高起・王陵対テ曰ク、陛キダハシ下ハ慢ニシテ而侮ル↠人、項羽ハ仁ニシテ愛↠人。然ドモ陛下使シテ↠人攻メ↠城ヲ、略ンデ↠地ヲ所ノ↢降シ下ス↡者ニハ、因テ以豫フ↠之ヲ。与↢天下↡同クスル↠利也。項羽ハ嫌ミ↠賢ヲ嫉 ソネム ↠能ヲ。有ル↠功者ハ害↠之、賢ナル者ヲ疑↠之。戦カヒ勝トモ而不↠与↢人ニ功ヲ↡、得トモ↠地而不↠与↢人ニ利ヲ。此所↣以ニ失↢天下ヲ↡也。高祖曰、公ハ知↢其ノ一↡、未↠知↢其二↡。夫運シ↢籌策ヲ推帳之中ニ↡、決スルコト↢勝コトヲ於千里之外↡、吾不↠如↢張子房↡。鎮メ↢国家↡撫テ↢百姓↡、給ヒ↢餽鑲↡不↠絶↢糧道↡、吾不↠如↢蕭何ニハ↡。連↢百万ノ軍ヲ↡、戦ヒ必勝テ攻トテ必取コトハ、吾不↠如↢韓信ニ↡。三者ハ皆人傑也、吾能ク用ル↠之。此吾ガ所↣以取↢天下↡也。項羽ハ有↢一リノ范増↡而不↠能↠用コト↠此ヲ、其所↢以為↠我所ルヽ↟禽ゼ也。」云云
・入文解釈 正宗分 念仏往生 引証勧進
二に↑引証勧進往生とは、 これにまた二あり。 一は↓来意、 二は↓正引証。
二引証勧進往生者、此亦有↠二。一来意、二正引証。
・入文解釈 正宗分 念仏往生 引証勧進 来意
一に↑来意とは、 仏の所説において、 信不信ありとは 云々。 今経のなかにまた信者あり、 不信者あり。 たとひ自他の証誠を用ゐずといへども、 前の念仏往生の法において敬信して疑なきは、 この証誠を用ゐず。 六方の証誠は二に不信のためにすとは、 五逆・十悪の念仏往生の法において、 疑惑してこれを信ぜず、 ゆゑにこの証誠を用ゐる。
一来意者、於↢仏所説↡、有↢信不信↡者 云云。今経中亦有↢信者↡、有↢不信者↡。設雖↠不↠用↢自他証誠↡、於↢前ノ念仏往生ノ法↡敬信シテ無ハ↠疑、不↠用↢此証誠↡。六方証誠ハ為ニスト↢二ニ不信ノ↡者、於↢五逆・十悪念仏往生之法↡、疑惑不↠信↠之、故用↢此証誠↡。
その疑惑の相とは、 外道の輩は、 仏法においてすべてこれを信ぜず、 いはんや念仏往生の法においてをや。 ゆゑに証誠を用ふべからず。
其疑惑ノ相ト者、外道之輩者、於↢仏法ニ↡都テ不↠信↠之ヲ、況於↢念仏往生法↡哉。故不↠可↠用↢証誠↡。
また次に仏弟子信仰者といへども五逆・十悪・破戒のものの往生においては、 またこれを信ぜず、 ゆゑにこの証誠あり。
復次雖↢仏弟子信仰者↡於↢五逆・十悪・破戒0057者ノ往生↡者、亦不↠信↠之、故有↢此証誠↡。
また次にたとひまた善人なりといへども、 具縛の凡夫いかんがわずかに一日・七日、 一念・十念の力によりて、 たちまち三界の獄を離れ、 菩薩不退の境に入る。 しかればすなはち凡夫の往生は、 あるいはこれ摂引の言、 あるいはこれ別時意趣ならんと。 かくのごとく疑惑して凡夫の往生を信ぜず、 ゆゑにこの証誠あり。
復次設亦雖↢善人↡、具縛ノ凡夫如何僅ニ依↢一日・七日、一念・十念之力↡、忽離↢三界獄↡、入↢菩薩不退ノ境↡。然則凡夫ノ往生者、或是摂引ノ言、或ハ是別時意趣ナラント也。如↠是疑惑不↠信↢凡夫往生↡、故有↢此証誠↡。
また次に五逆・十悪の罪人、 みづからその身において疑をなしていはく、 われらはこれ十悪・五逆の罪人なり、 業障年深し。 たとひ念仏を修すといへども、 いかんぞ極楽に生ずることを得んや。 かくのごとくみづから疑ひて、 あへて往生を信ぜず。 これによりてこの証誠あり。
復次ニ五逆・十悪罪人、自於↢其身↡為↠疑云、我等ハ是十悪・五逆ノ罪人也、業障年深シ。設雖↠修↢念仏↡、如何得↠生↢極楽↡。如↠此自疑テ、敢テ不↠信↢往生↡。依↠之有↢此証誠↡。
また次に念仏往生において、 疑ひてあへてこれを信ぜず。 往生極楽といふは、 読誦大乗等の殊勝の行によるべし。 なんぞ念仏称名の一行によりて往生を得んや。 かくのごとく疑ふゆゑに、 この証誠を用ふ。
復次於↢念仏往生↡、疑テ不↢敢テ信↟之。云↢往生極楽↡者、可↠依↢読誦大乗等之殊勝ノ行ニ↡。何ゾ依↢念仏称名之一行↡得↢往生↡。如↠是疑故、用↢此証誠↡。
かくのごとく人を疑ひ、 法を疑ひ、 行をを疑ひ、 自身を疑ひ、 他身を疑ふ。 このゆゑに証誠あり 云々。
如↠此疑↠人、疑↠法、疑↠行、疑↢自身↡、疑↢他身↡。是故有↢証誠↡ 云云。
・入文解釈 正宗分 念仏往生 引証勧進 正引証
二は↑引証勧進とは、 これにまた五あり。 一は↓自証の知見をもつて勧進し、 二は↓他仏の証を引きて勧進す、 三は↓現当の利益を示して勧め、 四は↓われ仏たるを讃ぜらることを挙げて勧め、 五は↓総結して勧む 云々。
二引証勧進者、此亦有↠五。一以↢自証ノ知見↡勧進シ、二ハ引↢他仏之証↡勧進ス、三ハ示シテ↢現当ノ利益↡勧メ、四ハ挙テ↢我為↠仏所コト↟讃ゼ勧メ、五ハ総結シテ勧ム 云云。
一は↑自証の知見をもつて勧むとは、 われすでに法においてもつとも自在を得たり。 浄土の依正・往生の因果において、 なんの暗き事かあらん。 われあきらかにその勝利を見てこれを説く、 なんぢらなんぞこれを信ぜざらん。 もし信ずる事あらんもの、 発願すべし。 ゆゑに ¬経¼ (小経) に 「▲我見是利故説此言。 応当発願願生彼国」 といふ 云々。 これすなはち釈迦自証の知見をもつて衆生を勧進して、 念仏往生を信ぜしむ 云々。 今聴聞の諸衆、 もし情あらんもの、 すでにこれ教主釈迦大師の証誠勧進なり。 たとひ他仏の勧進を引かずとも、 念仏往生の法においてこれを深く信受すべし、 これにまた願を発したまふべし 云々。
一以↢自証知見↡勧ト者、我已ニ於↠法最得タリ↢自在ヲ↡。於↢浄土之依正・往生之因果↡、有↢何ノ暗キ事↡。我明カニ見↢其ノ勝利↡而説↠之、汝等何ゾ不↠信↠之。若有↢信ズル事↡者、可↢発願↡。故¬経¼云↢「我見是利故説此言。応当発願願生彼国」云云。此則釈迦以↢自証ノ知見↡勧進シテ衆生↡、令↠信↢念仏往生↡ 云云。今0058聴聞ノ諸衆、若有ン↠情者、已ニ是教主釈迦大師之証誠勧進也。設不トモ↠引↢他仏ノ勧進ヲ↡、於↢念仏往生之法↡此ヲ深ク信受ベシ、此ニ亦可↢発シ↠願給↡ 云云。
二は↑他仏を引きて勧進すとは、 他方世界の六方恒沙の諸仏を引きて、 助成し勧進するなり。 助成とは 云々。 もろもろの仏の助成を用ゐて勧進するに、 略して三意あり。 一は↓一仏・多仏、 二は↓共化・不共化、 三は↓一方有縁の衆生に約す。
二引↢他仏↡勧進者、引↢他方世界六方恒沙ノ諸仏↡、助成シ勧進スル也。助成者 云云。用↢諸ノ仏ノ助成↡勧進スルニ、略有↢三意↡。一ハ一仏・多仏、二ハ共化・不共化、三ハ約↢一方有縁衆生↡。
一に↑一仏・多仏とは、 強力よりは衆力と 云々。 上に釈迦みづから自証の知見をもつて独りこれを勧進したまふに、 衆生拒んでなほこれを信ぜず 云々。
一ニ一仏・多仏者、従リハ↢強力↡衆力ト 云云。上ニ釈迦自以↢自証知見↡独勧↢進之↡給フニ、衆生拒ンデオサエテ猶不↠信↠之 云云。
二は↑共化・不共化とは、 ¬唯識論¼ (巻一〇) にいはく、 「もろもろの有情類、 無始時よりこのかた種姓法爾として、 さらにあひ繋属す。 あるいは多、 一に属し、 あるいは一、 多に属す。 ゆゑに所化の生に共不共あり」 と。 云云 今この文に、 あるいは多、 一に属すとは、 多くの衆生一仏に繋属す、 あるいは一属多とは、 一衆生多仏に繋属す。 繋属とはこれ有縁の義なり。 今この意に准じて六方諸仏の証誠を釈せば、 あるいは一衆生東方恒沙の諸仏の名を聞き、 疑惑を断ずるべきことあり、 あるいは二方・三方乃至十方 云々。 共不共の意によりてこれを釈すべし。
二ハ共化・不共化者、¬唯識論¼云、「諸有情類、無始時来種姓法爾トシテ、更相繋属ス。或多属↠一、或一属↠多。故所化ノ生ニ有↢共不共↡。」云云 今此文ニ、或多属↠一者、多衆生繋↢属一仏↡、或一属多ト者、一衆生繋↢属多仏↡。繋属者是有縁ノ義也。今准ジテ↢此意↡釈↢六方諸仏之証誠↡者、或一衆生聞↢東方恒沙諸仏ノ名↡、有↠可↠断↢疑惑↡、或二方・三方乃至十方 云云。依↢共不共ノ意↡可↠釈↠之。
三に↑一方有縁の人に約すとは、 あるいは衆生ただ東方恒沙の諸仏と有縁なるものあり。 ゆゑに東方恒沙の諸仏を引きて証誠とする時疑惑を断じ、 念仏往生において深く信受をなす 云々。 余の五方もかくのごとし、 次第にこれを釈す 云々。
三約↢一方有縁人↡者、或衆生唯有↢東方恒沙諸仏有縁↡也。故引↢東方恒沙諸仏↡為↢証誠↡之時断↢疑惑↡、於↢念仏往生↡深為↢信受↡ 云云。余ノ五方如↠此、次第釈↠之 云云。
三に↑現当来の利益を示して勧むとは、 分ちて二とす。 一は↓仏名・経名に約し三益を挙げて勧む、 二は↓往生の発願に約し三益を挙げて勧む。
三示テ↢現当来利益↡勧者、分テ為↠二。一約↢仏名・経名↡挙テ↢三益↡勧、二ハ約0059↢往生ノ発願ニ↡挙↢三益↡勧。
一に↑仏名・経名に約して三益を挙げて勧むとは、 ¬経¼ (小経) にのたまはく、 「▲もし善男子・善女人ありて、 この諸仏所説の名および経名を聞くもの、 このもろもろの善男子・善女人、 みな一切諸仏のためにともに護念せられ、 みな阿耨多羅三藐三菩提より退転せざることを得。 このゆゑに舎利弗、 なんぢらみなまさにわが語および諸仏の所説を信受すべし」 と。 云々 これすなはちその文なり。 この文につきて二あり。 一に↓仏名、 二に↓経名。
一約↢仏名・経名↡挙↢三益↡勧ト者、¬経¼云、「若有↢善男子・善女人↡、聞↢是諸仏所説名及経名↡者、是諸ノ善男子・善女人、皆為↢一切諸仏↡共所↢護念↡、皆得↠不↣退↢転於阿耨多羅三藐三菩提↡。是故舎利弗、汝等皆当信↢受我語及諸仏所説↡。」云云 是則其文也。付↢此文↡有↠二。一ニ仏名、二ニ経名。
一に↑仏名とは、 上に東方阿仏、 南方日月灯仏、 乃至上方梵音仏の名なり。 これらの六方諸仏の名を聞かば、 おのおの護念不退菩提の益を得るなり。 「護念」 とは、 かの諸仏の名を聞く人、 すなはち諸仏護念の益を得るなり 云々。 「不退転」 とは 云々。 これ現身の利益なり。 「菩提を得」 とは、 護念不退の益を得るのみにあらず、 まさに大菩提の益を得るべきなり。 これをもつてこれを案ずるに、 今これら諸仏の名を説く事は、 ただ念仏往生を証するのみにあらず、 おのおの聴聞の諸衆に現当の二益を得しめんがためのゆゑなり。
一仏名者、上ニ東方阿仏、南方日月灯仏、乃至上方梵音仏名也。聞↢此等ノ六方諸仏ノ名ヲ↡、各得↢護念不退菩提益↡也。「護念」者、聞↢彼ノ諸仏ノ名↡人、即得↢諸仏護念之益↡也 云云。「不退転」者 云云。此現身利益也。「得↢菩提↡」者、非↠得ノミニ↢護念不退之益↡、当ニ↠得↢大菩提之益↡也。以↠之案↠之、今説↢此等諸仏ノ名ヲ↡事者、唯非↠証ノミニ↢念仏往生ヲ↡、各聴聞ノ諸衆ニ為↠令↠得↢現当ノ二益ヲ↡故也。
二に↑経名とは、 すなはちこの ¬阿弥陀経¼ の名なり。 この経名を聞くに、 仏名を聞くがごとく三益あるなり。 三益とは、 一は護念、 二は不退、 三は得菩提なり。
二ニ経名者、即此ノ¬阿弥陀経ノ¼名也。聞クニ↢此ノ経名ヲ↡、如↠聞↢仏名↡有↢三益↡也。三益者、一ハ護念、二ハ不退、三ハ得菩提也。
一に護念とは、 この経名を聞くによりて、 六方恒沙の諸仏おのおのこれを護念す 云々。 二は不退とは、 この ¬経¼ を聞くによりて、 現に不退転を得るなり。 三は得菩提とは、 当来に菩提の妙果を得 云々。 これによりてこれを思ふに、 ¬阿弥陀経¼ の名を聞くことは、 まことに少縁にあらず 云々。
一ニ護念ト者、依↠聞↢此経名↡、六方恒沙ノ諸仏各護↢念之↡ 云云。二ハ不退者、依↠聞↢此¬経¼↡、現ニ得↢不退転↡也。三ハ得菩提者、当来ニ得↢菩提ノ妙果↡ 云云。依↠之思↠之、聞↢¬阿弥陀経ノ¼名ヲ↡、誠ニ非↢少縁ニ↡ 云云。
次に恵心の問に (小経略記) いはく、 「この ¬経¼ には阿弥陀の功徳を説くほかに別体なし、 今文なんがゆゑぞ別に経名を讃ずるや。 答へていはく、 この義しからず。 仏と法とすでに別なり。 ゆゑにおのおの利益あり」 と。 ゆゑに仏とは阿弥陀仏なり、 法とは阿弥陀経の名なり。 阿弥陀仏は人なり、 阿弥陀経とは法なり。 人法格別なり。 ゆゑにおのおの利益あるなり 云々。 次に人法格別の例を出す 云々。
次ニ恵心ノ問曰、「此¬経ニハ¼説↢阿弥0060陀ノ功徳↡外ニ無↢別体↡、今文何故別ニ讃ズルヤ↢経名↡。答曰、此義不↠然。仏与↠法已ニ別也。故各有↢利益↡。」所以ニ仏ト者阿弥陀仏也、法ト者阿弥陀経名也。阿弥陀仏者人也、阿弥陀経ト者法也。人法格別也。故ニ各有↢利益↡也 云云。次ニ出↢人法格別例↡ 云云。
¬略記¼ (小経略記) にいはく、 「下品上生のごときは、 寿終の時、 もろもろの経名を聞かば千劫の罪を除く、 仏名を称するがゆゑに五十億劫の罪を除く。 また ¬大論¼ の第九にいはく、 一りの比丘あり、 ¬阿弥陀経¼ および ¬摩訶般若¼ を誦す。 この人死せんと欲する時、 弟子に語りていはく、 阿弥陀仏かの大衆とともに来る、 すなはち時に身を動かし、 目に見ることを得と、 須臾に命終す。 薪を積みてこれを焼くに、 舌を見れば焼けず。 ¬阿弥陀経¼ を誦するがゆゑに仏みづから来るを見、 ¬般若経¼ を誦するがゆゑに舌焼くべからず。 乃至処々に人ありて罪垢結縛するも、 一心に念仏して信浄くして疑はざれば、 かならず仏を見ることを得、 証虚しからず 云々。 あきらかに知りぬ、 おのおの利益あり」 と。 云々
¬略記¼云、「如↢下品上生↡者、寿終之時、聞バ↢諸ノ経名↡除↢千劫ノ罪↡、称スルガ↢仏名↡故除↢五十億劫ノ罪ヲ↡。又¬大論¼第九云、有↢一ノ比丘↡、誦↢¬阿弥陀経¼及ビ¬摩訶般若ヲ¼↡。是人欲↠死時、語↢弟子ニ↡云、阿弥陀仏与↢彼大衆↡倶ニ来、即時ニ動↠身、目得↠見、須臾ニ命終ス。積薪焼↠之、見レバ↠舌不↠焼。誦↢¬阿弥陀経¼↡故見↢仏自来↡、誦↢¬般若経¼↡故舌不↠可↠焼。乃至処処有↠人罪垢結縛スルモ、一心念仏シテ信浄シテ不↠疑、必得↠見↠仏、証不↠虚也 云云。明知各有↢利益↡。」云云
二に↑発願の利益を挙げて往生を勧むとは、 利益につきて三あり。 一は不退、 二は往生、 三に菩提。 このなかには護念を略す 云々。 一に現に不退転を得るとは、 至誠心をもつて往生の大願を発せば、 菩提において不退の益を得 云々。 二に往生の益とは、 至心発願によりて、 かならず往生を得。 たとひ生死を経ともつひに虚しからず。 かの少しきばかりの金剛地上に堕つともよく牢して入る、 その地厚しといへども留畢することあたはず、 決定して本際に至るがごとし。 まさにすなはち誠心に住するに当りて、 発願も理もまたしかるべし。 ゆゑに知りぬ、 発願もつとも大切なり。 前に信受を勧むることは、 発願のためなり 云々。 聴聞の諸人、 おのおの往生の大願を発さしむべし 云々。 願につきてまた御志の浅深に随ひ、 三品・九品の別あり。 云々。 以上、 現当の利益おはる、 勧進往生すでにおはりぬ
二挙↢発願利益↡勧↢往生↡者、付↢利益↡有↠三。一ハ不退、二往生、三ニ菩提。此中ニハ略↢護念↡ 云云。一現得↢不退転↡者、以↢至誠心↡発↢往生大願↡者、於↢菩提↡得↢不退ノ益↡ 云云。二ニ往生益者、依↢至心発願↡、必得↢往生↡。設ヒ経モ↢生死↡終ニ不↠虚。彼如シ↧少キ許リノ金剛堕トモ↢於地上↡能牢シテ入ル、其ノ地雖↠厚不↠能↢留畢スルコト↡、決定シテ至ガ↦本際ニ↥。方乃当↠住↢誠心ニ↡、発願モ理モ亦応↠然。故知、発願尤モ大切0061也。前ニヨリ勧コトハ↢信受ヲ↡者、為↢発願↡也 云云。聴聞ノ諸人、各可↠令ム↠発↢往生ノ大願↡ 云云。付↠願又随↢御志ノ浅深↡、有↢三品・九品ノ別。 云云。已上、現当ノ利益了、勧進往生已了
四に↑われ諸仏のために讃ぜらるることを挙げて勧むとは 略之云々。
四ニ挙↧我為↢諸仏ノ↡所コトヲ↞讃勧者 略之云云。
五に↑総結して勧むとは 略之云々。
五ニ総結勧者 略之云云。
以上正宗かくのごとし。
已上正宗如↠此。
・入文解釈 流通
三は↑流通とは、 ¬経¼ (小経) にのたまはく、 「▲仏この経を説きおはりて、 舎利弗およびもろもろの比丘、 一切世間の天・人・阿修羅等、 ▽仏の所説を聞きて歓喜信受して、 礼を作して去りにき」 と。 この文につきて三あり。 初に 「仏説此経已」 とは、 ↓結前生後なり。 次に 「舎利弗及諸比丘」 等とは、 ↓聞法奉行の人なり。 次に 「聞仏所説歓喜信受」 とは、 ↓奉行の相なり。
三流通者、¬経¼云、「仏説↢此経↡已、舎利弗及諸ノ比丘、一切世間ノ天・人・阿修羅等、聞↢仏所説↡歓喜信受シテ、作↠礼而去。」付↢此文↡有↠三。初ニ「仏説此経已ト」者、結前生後也。次ニ「舎利弗及諸比丘」等ト者、聞法奉行ノ人也。次ニ「聞仏所説歓喜信受ト」者、奉行ノ相也。
・入文解釈 流通 結前生後
一に↑結前生後とは 云々。
一ニ結前生後者 云云。
・入文解釈 流通 奉行人
二に↑奉行の人とは、 上の念仏往生の法を聞きこれを奉行する人なり。 この奉行の人につきて、 その数はなはだ多し、 ただ一人にあらず 云々。 声聞あり、 菩薩あり、 雑衆あり。 声聞のなかにまた舎利弗あり、 目連あり、 迦葉あり、 阿難あり、 羅云あり、 賓頭盧あり。 菩薩のなかにまた文殊あり、 弥勒あり、 常精進あり。 雑衆のなかにまた天あり、 人あり、 帝釈あり、 阿修羅あり。
二ニ奉行人者、聞↢上ノ念仏往生ノ法↡奉↢行スル之↡人也。付↢此ノ奉行ノ人↡、其数甚多シ、唯非↢一人↡ 云云。有↢声聞↡、有↢菩薩↡、有↢雑衆↡。声聞ノ中ニ亦有↢舎利弗↡、有↢目連↡、有↢迦葉↡、有↢阿難↡、有↢羅云↡、有↢賓頭盧↡。菩薩ノ中ニ亦有↢文殊↡、有↢弥勒↡、有↢常精進↡。雑衆ノ中ニ亦有↠天、有↠人、有↢帝釈↡、有↢阿修羅↡。
ある人これを釈すらく 恵心 (小経略記) 「智恵深利なるものは舎利弗にあひ従ひ、 神通大力なるものはことごとく目連にあひ従ふ。 その余の尊者はおのおの徒衆を掌るところあり。 渇して飲むがごとく、 すべからく妙道を広治すべし。 迦葉・阿難の伝持遠かるべし、 羅云・賓頭盧の守護八万歳に至る。 いはんやまた文殊はこれ三世の諸仏の智母、 十方浄土諸法の首なり。 弥勒はこれ諸仏の長子、 当来の導師なり。 乃至常精進は一切衆生の不請の友にして、 いづれの時・いづれの処にかまさに弘通せざることを得んや。 乃至天竜八部の福力自在にして、 世間を王領してはつねに護助流通するなり」 と。 このなかにしばらく大聖文殊は、 念仏三昧の法文をもつて弘通したまふ。
或ル人釈スラク↠之 恵心「智恵深利者ハ相↢従ヒ舎利弗↡、神通大力ナル者ハ悉ク相↢従目連↡。其余ノ尊者各有↠所↠掌ドル↢徒衆ヲ↡。如↢渇シテ飲↡、須ク↣広治ス↢妙道↡。迦葉・阿難ノ伝持応↠遠カル、羅云・賓頭盧ノ守護至↢八万歳↡。況ヤ復文殊ハ是三世ノ諸仏ノ智母、十方浄土諸法之首ナリ。弥勒ハ是0062諸仏ノ長子、当来ノ導師。乃至常精進ハ為↢一切衆生ノ不請之友↡、何時・何ノ処ニカ方得↠不コトヲ↢弘通↡。乃至天竜八部ノ福力自在、王領シテハ世間↡者常ニ護助流通也」。此中ニ且ク大聖文殊ハ、以↢念仏三昧ノ法文↡弘通シ給フ。
如来滅後千有余年、 法照禅師五臺山において化現竹林寺に入り、 まのあたり普賢・文殊二りの大聖に値ひたてまつり、 すなはち稽首作礼して文殊・普賢の二りの聖者に問ひたてまつりていはく、 末法の凡夫聖を去ること時はるかにして、 知識転劣して、 垢穢もつとも深し。 つねに煩悩塵労のために縛蓋せらされて、 真如実相顕現するに由なく、 仏法懸広して修行無辺なり。 いぶかしもろもろの法門において、 いづれの法門を修してか、 やすく成就することを得疾く成仏することを得、 すみやかに三界を出でて、 郡生を利楽せんや。 いづれの法門を行ずるを、 もつともその要とするや。 やや願はくは大聖、 わがために解説して疑網を断ぜしめたまへと。
如来滅後千有余年、法照禅師於↢五台山↡入↢化現竹林寺↡、面リ奉↠値↢普賢・文殊二リノ大聖↡、即稽首作礼而問タテマツリテ↢文殊・普賢ノ二ノ聖者↡言ク、末法ノ凡夫去コト↠聖時遥ニシテ、知識転劣シテ、垢穢最モ深シ。恒ニ為↢煩悩塵労↡之所レテ縛蓋↡、真如実相無↠由↢顕現スルニ↡、仏法懸広シテ修行無辺ナリ。未審於↢諸ノ法門↡、修シテカ↢何ノ法門↡、易ク得↢成就スルコトヲ↡疾得↢成仏スルコトヲ↡、速ニ出↢三界↡、利↢楽郡生↡。行↢何ノ法門↡、最為↢其要↡。唯願クハ大聖、為↠我解説シテ令タマヘ↠断↢疑網↡。
文殊ののたまはく、 なんぢ念仏せよ、 今まさしくこれ時なり。 もろもろの修行の門念仏に過ぎたるはなし。 供養・福恵ならび修す、 この二門を修して、 もつてその要とす。 ゆゑはいかん。 われ過去久遠劫のなかにおいて、 仏を想ふによるがゆゑに、 供養によるがゆゑに、 今一切種智を得。 このゆゑに一切のもろもろの般若波羅蜜、 甚深の禅定、 乃至諸仏、 みな念仏より生ず。 ゆゑに知りぬ、 念仏はこれ法の王なり。 なんぢらつねに無上法王を念ずべし、 休息せしむことなかれと。
文殊ノ言ハク、汝念仏スルセヨ、今正是時ナリ。諸修行門無↠過↢念仏↡。供養・福恵双修、修シテ↢此二門↡、以為↢其要↡。所以者何。我於↢過去久遠劫中ニ↡、因ガ↠想フニ↠仏故ニ、因↢供養↡故、今得↢一切種智↡。是故ニ一切ノ諸ノ般若波羅蜜、甚深禅定、乃至諸仏、皆従↢念仏↡而生ズ。故知、念仏ハ是法之王ナリ。汝等常応↠念↢無上法王↡、無↠令↢休息↡。
法照また問ふ。 まさにいかんが念じたてまつるべしと。 文殊師利のたまはくこの世界を去ること、 まさしく西に阿弥陀仏まします、 かの仏の願力不可思議なり。 なんぢらはるかに念じ、 諦観・思惟して間断せしむることなく、 命終に決定してかの国に往生すれば、 永く退転せず、 すみやかに三界を出でて、 疾く成仏することを得。 この語を説きおはりて、 時に二大士、 おのおの金手を舒べて法照の頂を摩で、 授記をなしてのたまはく、 念仏をもつてのゆゑに久しからずして疾く無上菩提を証すべし。 もし善男子・善女人等、 疾く成仏せんと欲せば、 念仏に過ぎたるはなし、 すなはちすみやかに無上菩提を証することを得。 この一形を尽して、 さだめて苦海を超へんと 云々。
法照又問。当ニ↢云何ガ念タテマツル↡。文殊師利言ク去↢此ノ世界↡、正西有↢阿弥陀仏↡、彼仏ノ願力不可思議ナリ。汝等懸カニ念ジ、諦観・思惟シテ無↠令↢間0063断↡、命終ニ決定シテ往↢生彼国↡、永不↢退転↡、速出↢三界↡、疾得↢成仏↡。説↢是ノ語ヲ↡已テ、時ニ二大士、各舒テ↢金手↡摩↢法照ノ頂↡、為↢授記↡言、以↢念仏↡故不シテ↠久疾証スベシ↢無上菩提↡。若善男子・善女人等、欲↢疾ク成仏↡者、無↠過↢念仏↡、即得↣速証コトヲ↢無上菩提↡。尽↢此一形↡、定超ヘント↢苦海↡ 云云。
文殊のごとく、 弥勒もまたしかなり等 云々。 今の道綽・善導すなはちその人なり 云々。
如↢文殊↡、弥勒亦然ナリ等 云云。今道綽・善導即其ノ人也 云云。
奉行の人につきては二意あり。 一は横、 二は竪。 一に横とは、 これらの諸人念仏往生の法を聴聞して後、 おのおの横に所々にしてこれを弘通す。 二に竪とは、 如来滅後、 乃至仏法滅尽して百歳の時までこれを弘通し、 もつて衆生を利す。 そのなかに天竺には天親、 振旦には善導、 一向におのおの浄土門において諸行を廃してひとへに念仏を修す、 自行のみにあらず。 またこの法門によりて、 論を造り疏を作して、 あまねく衆生を利益す 云々。 ゆゑに知りぬ、 念仏往生は、 横に広く竪に久しといふことを 云々。
付↢奉行人↡者二意。一ハ横、二ハ竪。一ニ横者、此等ノ諸人聴↢聞念仏往生ノ法↡之後、各横ニ為↢所所ニ↡弘↢通之↡。二ニ竪者、如来滅後、乃至仏法滅尽シテ百歳ノ時マデ弘↢通之↡、以利↢衆生↡。其中ニ天竺ニハ天親、振旦ニハ善導、一向各於↢浄土門ニ↡廃シテ↢諸行ヲ↡偏ニ修↢念仏ヲ↡、非↢自行ノミニ↡。亦依↢此法門↡、造↠論作テ↠疏ヲ、普利↢益衆生↡ 云云。故ニ知、念仏往生ハ、横広竪久 云云。
・入文解釈 流通 奉行相
三に↑奉行の相とは、 ¬経¼ (小経) にのたまはく、 「△↓聞仏所説↓歓喜信受作礼而去」 の文なり。
三ニ奉行相者、¬経¼云、「聞仏所説歓喜信受作礼而去」文也。
「↑聞仏所説」 とは、 舎利弗等のもろもろの大声聞、 文殊等のもろもろの大菩薩、 釈提桓因等の天・人念仏往生の法門を聞きて、 歓喜信受す 云々。
「聞仏所説ト」者、舎利弗等ノ諸大声聞、文殊等ノ諸大菩薩、釈提桓因等ノ天・人聞↢念仏往生ノ法門↡、歓喜信受 云云。
「↑歓喜信受」 とは、 念仏往生の法を聞きて誹謗すべからず、 深く信受を生ずるなり。 もろもろの大菩薩、 もろもろの大声聞、 なほもつてかくのごとし。 しかるに今人ありて念仏往生を聞きて、 誹謗を生じ信ぜず、 これはこれ極悪闡提なり 云々。
「歓喜信受ト」者、聞↢念仏往生ノ法↡不↠可↢誹謗↡、深生↢信受ヲ↡也。諸ノ大菩薩、諸ノ大声聞、猶以如↠是。然ニ今有テ↠人聞テ↢念仏往生↡、生↢誹謗↡不↠信、此ハ是極悪闡提也 云云。
ゆゑに善導念仏三昧をもつて、 一切解脱の法門に相対して、 出離生死の遅速・勝劣を釈して (法事讃巻下) いはく、 「▲如来出現於五濁、 十二句これを略す ▲衆等廻心皆願往、 手に香華を執りてつねに供養したてまつれ」 と 云々。
故ニ善導以↢念仏三昧↡、相↢対一切解脱ノ法門0064↡、釈↢出離生死ノ遅速・勝劣↡云、「如来出現於五濁、十二句略之 衆等廻心皆願往、手執↢香華↡常供養。」云云
また 「聞仏所説歓喜信受」 の文を釈して (法事讃巻下) いはく、 「世尊説法時将了、 十二句これを略す 衆等廻心皆願往、 手に香華を執りてつねに供養す」 と 云々。
又釈↢「聞仏所説歓喜信受」文↡云、「世尊説法時将了、十二句略之 衆等廻心皆願往、手執↢香華↡常供養。云云
▲世尊説法時将了慇懃付属弥陀名とは、 教主釈迦如来、 念仏往生の法門を説きおはりて、 まさしく但念仏往生の法をもつて、 慇懃に舎利弗等のもろもろの大声聞、 文殊等のもろもろの大菩薩に付属したまふ 云々。
世尊説法時将了慇懃付属弥陀名者、教主釈迦如来、説↢念仏往生法門↡了、正以↢但念仏往生之法↡、慇懃ニ付↢属舎利弗等ノ諸大声聞、文殊等ノ諸大菩薩ニ↡ 云云。
次に▲五濁増時多疑謗とは、 この念仏往生の法において、 人多く疑惑を生じ、 誹謗を生ずるをいふなり。
次五濁増時多疑謗者、於↢此念仏往生之法↡、人多生↢疑惑↡、生ズルヲ↢誹謗↡云也。
次に▲道俗相嫌不用聞とは、 道とは、 比丘・比丘尼・沙弥・沙弥尼・式叉摩尼、 すなはち出家の五衆なり。 俗とは、 優婆塞・優婆夷、 在家の二衆なり。 相嫌不用聞とは、 出家・在家の七衆、 念仏往生の法門において、 あひ嫌ひて聴聞・習学の意なきをいふなり。
次ニ道俗相嫌不用聞者、道ト者、比丘・比丘尼・沙弥・沙弥尼・式叉摩尼、即チ出家ノ五衆也。俗ト者、優婆塞・優婆夷、在家ノ二衆也。相嫌不用聞ト者、出家・在家七衆、於↢念仏往生ノ法門↡、相嫌テ無キヲ↢聴聞・習学之意↡云也。
次に▲修行することあるを見て瞋毒を起し方便破壊して競いて怨を生ずとは、 念仏三昧において、 修行するものあるを見て、 出家・在家の四衆、 おのおの瞋毒を起し、 種々の方便、 種々の善巧をもつてこの法門を破壊し、 競いて怨敵を生ず 云々。 今ある上人、 天王寺等の処々にこの念仏三昧を謗ず 云々。
次ニ見↠有↢修行↡起↢瞋毒↡方便破壊競生↠怨者、於↢念仏三昧↡、見↠有↢修行スル者↡、出家・在家ノ四衆、各起↢瞋毒↡、以↢種種ノ方便、種種ノ善巧↡破↢壊此ノ法門ヲ↡、競イテ生↢怨敵↡ 云云。今或上人、天王寺等処処謗↢此念仏三昧↡ 云云。
次に▲如此生盲闡提輩毀滅頓教永沈淪とは 云々。
次ニ如此生盲闡提輩毀滅頓教永沈淪者 云云。
次に▲大衆同心にみな所有の破法罪の因縁を懺悔せよ 云々。
次ニ大衆同心皆懺↢悔所有破法罪因縁↡ 云云。
次に▲衆等回心生浄土とは 云々。
次ニ衆等廻心生浄土ト者 云云。
次に▲手に香華を執りつねに供養したてまつれ 云々。
次ニ手0065ニ執↢香華↡常供養 云云。
¬阿弥陀経¼ の意、 略してもつてかくのごとし 云々。
¬阿弥陀経ノ¼意、略シテ以如↠此 云云。
・八選択
▲およそ三経の意を案ずるに、 諸行のなかに念仏を選択してもつて旨帰とす。
凡案↢三経ノ意↡、諸行ノ中ニ選↢択念仏↡以テ為↢旨帰↡。
▲まづ ¬双巻経¼ のなかに三選択あり。 一に選択本願、 二は選択讃嘆、 三は選択留経なり。 一に選択本願とは、 念仏はこれ法蔵比丘、 二百一十億のなかにおいて選択したまふところの往生の行なり。 細旨上に見ゆ。 ゆゑに選択本願といふなり。 二に選択讃嘆とは、 上の三輩のなかに菩提心等の余行を挙ぐといへども、 釈迦すなはち余行を讃嘆せず、 ただ念仏のみを讃嘆して (大経巻下) 「▲当知一念無上功徳」 とのたまふ。 ゆゑに選択讃嘆といふなり。 三に選択留経とは、 また上に余行諸善を挙ぐといへども、 釈迦選択してただ念仏の一法を留めたまふ。 ゆゑに選択留経といふなり。
先¬双巻経¼中ニ有↢三選択↡。一ニ選択本願、二ハ選択讃嘆、三選択留経ナリ。一ニ選択本願者、念仏ハ是法蔵比丘、於↢二百一十億之中↡所ノ↢選択シタマフ↡往生之行也。細旨見↠上。故云↢選択本願↡也。二選択讃嘆者、上ノ三輩中雖↠挙↢菩提心等ノ余行ヲ↡、釈迦即不↣讃↢嘆余行ヲ↡、唯念仏ノミヲ而讃嘆シテ云↢「当知一念無上功徳」。故云↢選択讃嘆↡也。三ニ選択留経者、又上ニ雖↠挙↢余行諸善↡、釈迦選択シテ唯留↢念仏一法↡。故云↢選択留経↡也。
▲次に ¬観経¼ のなかにまた三選択あり。 一は選択摂取、 二は選択化讃、 三は選択付属なり。 一に選択摂取とは、 ¬観経¼ のなかに定散諸行を明かすといへども、 弥陀の光明ただ念仏の衆生を照らして、 摂取して捨てたまはず。 ゆゑに選択摂取といふなり。 選択化讃とは、 下品上生の人、 聞経と称仏との二行ありといへども、 弥陀仏念仏を選択して 「▲汝称仏名故諸罪消滅我来迎汝」 (観経) とのたまふ。 ゆゑに選択化讃といふなり。 三に選択付属とは、 また定散諸行を明かすといへども、 ただ独り念仏一行を付属したまふ。 ゆゑに選択付属といふなり。
次ニ¬観経¼中ニ又有↢三選択↡。一選択摂取、二ハ選択化讃、三選択付属ナリ。一ニ選択摂取者、¬観経¼中雖↠明↢定散諸行↡、弥陀光明唯照↢念仏衆生↡、摂取不↠捨。故云↢選択摂取↡也。選択化讃者、下品上生人、雖↠有↢聞経ト称仏トノ二行↡、弥陀仏選↢択シテ念仏ヲ↡云↢「汝称仏名故諸罪消滅我来迎汝」↡。故云↢選択化讃↡也。三ニ選択付属ト者、又雖↠明↢定散諸行↡、唯独付↢属念仏一行↡。故云↢選択付属↡也。
▲次に ¬阿弥陀経¼ のなかに一の選択あり。 いはゆる選択証誠なり。 すでに諸経のなかにおいて多く諸行を説くといへども、 六方の諸仏かの諸行において証誠せず、 この ¬経¼ のなかに至りて念仏往生を説くに、 六方恒沙の諸仏、 おのおの舌を舒べて大千に覆ひ、 誠実の語を説きてこれを証誠したまふ、 選択証誠といふなり。
次ニ¬阿弥陀経¼中ニ有↢一ノ選択↡。所謂選択証誠也。已ニ於↢諸経ノ中↡多雖↠説↢諸行↡、六方ノ諸仏於↢彼ノ諸行↡而0066不↢証誠↡、至↢此¬経ノ¼中ニ↡説クニ↢念仏往生ヲ↡、六方恒沙諸仏、各舒テ↠舌覆↢大千↡、説↢誠実ノ語↡而証↢誠之↡、云↢選択証誠↡也。
▲しかのみならず ¬般舟三昧経¼ (一巻本問事意) のなかにまた一の選択あり。 いはゆる選択我名なり。 弥陀みづから説きてのたまはく、 「わが国に来生せんと欲せば、 つねにわが名を念ぜよ、 休息せしむることなかれ」 と。 ゆゑに選択我名といふなり。
加↠之¬般舟三昧経¼中ニ又有↢一ノ選択↡。所謂選択我名也。弥陀自説テ言、「欲↣来↢生我国ニ↡、常念↢我名↡、莫レト↠令↢休息↡。」故云↢選択我名↡也。
▲本願と摂取と我名と化讃と、 この四はこれ弥陀の選択なり。 讃嘆と留教と付属と、 この三はこれ釈迦の選択なり。 証誠とは六恒沙の諸仏の選択なり。 しかればすなはち釈迦・弥陀および十方如恒沙等の諸仏、 同心に念仏一行を選択したまふ。 余行はしからず。 ゆゑに知りぬ、 三経ともに念仏を選択して、 もつて宗致となすのみ。
本願ト摂取ト我名ト化讃ト、此之四者是弥陀ノ選択也。讃嘆ト留教ト付属ト、此之三者是釈迦ノ選択也。証誠ト者六恒沙諸仏ノ之選択也。然則釈迦・弥陀及十方如恒沙等ノ諸仏、同心ニ選↢択タマフ念仏一行↡。余行ハ不↠爾。故知、三経共ニ選↢択シテ念仏↡、以テ為↢宗致ト↡耳。
・総結 三選之文
▲計りをもんみれば、 それすみやかに生死を離れんと欲せば、 二種の勝法のなかに、 しばらく聖道門を閣きて、 選びて浄土門に入れ。 浄土門に入らんと欲せば、 正雑二行のなかには、 しばらくもろもろの雑行を抛てて選びてまさに正行に帰すべし。 正行を修せんと欲せば、 正助二業のなかには、 なほ助業を傍にして選びてまさに正定を専にすべし。 正定の業はすなはちこれ仏名を称するなり。 名を称すればかならず生ずることを得。 仏の本願によるがゆゑに 云々。
計リ也レバ、夫速欲↠離↢生死↡、二種ノ勝法ノ中ニ、且ク閣テ↢聖道門ヲ↡、選テ入レ↢浄土門↡。欲↠入↢浄土門ニ↡、正雑二行ノ中ニハ、且ク抛↢諸ノ雑行↡選テ応↠帰↢正行↡。欲↠修↢於正行ヲ↡、正助二業ノ中ニハ、猶傍↢於助業ヲ↡選テ応↠専ニス↢正定ヲ↡。正定之業者即是称スルナリ↢仏名↡。称レバ↠名必得↠生コトヲ。依ガ↢仏本願↡故 云云。
そもそも ¬双巻無量寿経¼・¬観無量寿経¼・¬阿弥陀経¼、 浄土の三部妙典、 開白の朝より結願の夕に至るまで、 合して三箇日の間、 一々の文句細々に消釈せずといへども、 管見の及ぶところ、 短慮の量るところ、 あるいは経論の誠説に任せ、 あるいは人師の解釈によりて、 三経の大旨、 念仏の少分、 善導和尚の御意によりて、 要を取り詮を抽きて、 形のごとく解釈たてまつりおはりぬ。
抑¬双巻無量寿経¼・¬観無量寿経¼・¬阿弥陀経¼、浄土ノ三部妙典、自↢開白之朝↡至↢結願之夕↡、合三箇日之間、一一ノ文句細細雖↠不↢消釈↡、管見ノ所↠及、短慮ノ所↠量、或任↢経論之誠説↡、或依↢人師之解釈↡、三経ノ大旨、念0067仏之少分、依↢善導和尚御意↡、取↠要抽↠詮、如↠形奉↢解釈↡了。
この間 誑義・謬言、 さだめて称計するべからざるか。 冥につき顕につき、 その恐また少からず。 冥はすなはち上釈迦・弥陀等の御意に背き、 中は天親・龍樹等の聖言に違い、 下は曇鸞・道綽・懐感等のもろもろの往生浄土宗の人師の御意を失す。 正理に当らず、 まことにもつて遁れがたし。 顕はすなはちあるいは自宗・他宗の碩徳、 当寺・他寺の英才、 乃至見聞来集の緇素・貴賎・道俗・男女、 おのおの御意に乖き、 おのおの御聴叶はざる事、 またもつて疑なき事なり。
此間 誑イツハル義・謬アヤマリ言、定不↠可↢称計↡歟。付↠冥付↠顕、其恐又不↠少。冥ハ則上背キ↢釈迦・弥陀等ノ御意↡、中ハ違↢天親・龍樹等ノ聖言↡、下ハ失↢曇鸞・道綽・懐感等ノ諸ノ往生浄土宗ノ人師ノ御意↡。不↠当↢正理↡、実以難↠遁レ。顕則或自宗・他宗ノ碩ヲヽシ徳、当寺・他寺ノ英才、乃至見聞来集ノ緇素・貴賎・道俗・男女、各乖キ↢御意↡、各不↠叶↢御聴↡事、又以無キ疑事也。
なかんづく義解・称説の道、 表白・唱導の師に同じからず。 経論においては甚深の旨を得、 師資においてはかならず相承あり。 口に如流の辨に応じ、 意に繋蒙の智を生ず。 義精を貫き、 理神を徹す。 経論を講説すること、 縁に赴き機に逗じて、 法門を開闡す。 これによりて自他おのおの恵解を開き、 遠近ことごとく菩提を期す。 しかるに今の愚僧は、 もと天台の余風を習ひ、 玉泉の末流を酌むといへども、 三観・六即においてなほ疑関いまだ披けず、 四教・五時において蒙昧いまだ晴れず。 いかにいはんや異宗・他宗においてをや。
就↠中義解・称説之道、不↠同↢表白・唱導之師↡。於↢経論↡者得↢甚深ノ旨↡、於↢師資↡者必ズ有↢相承↡。口ニ応↢如流之辨↡、意ニ生↢繋蒙之智↡。義貫↠精、理徹↠神。講↢説スルコト経論↡、赴 ワ キ↢于縁ニ↡逗ジテ↢于機↡、開↢闡スヒラク法門ヲ↡。因↠茲自他各開キ↢恵解↡、遠近悉期↢菩提↡。然ニ今ノ愚僧者、本習↢天臺ノ余風↡、雖↠酌↢玉泉ノ末流↡、於↢三観・六即↡尚疑関未↠披、於↢四教・五時↡蒙昧未↠晴。何況ヤ於↢異宗・他宗ニ↡之哉。
ここに善導和尚の往生浄土宗においては、 経論ありといへども習学するに人なく、 疏釈ありといへども讚仰するに倫なし。 しかればすなはち相承血脈の法あることなく、 面授口決の儀にあらず。 ただ浅く仏意を探り、 ほぼ聖訓を窺ひ、 三昧発得の輩に任せて、 一分往生の義を宜ぶ。 愚見まことに敏ならず、 深理なんぞ当るべきや。 いかにいはんや章疏ありといへども魚魯迷ひやすく、 疏釈ありといへども文字見がたし。 善導に遇はずは決智生じがたし、 唐方を訪ねずは遺訓了りがたし。
爰ニ於↢善導和尚往生浄土宗↡者、雖↠有↢経論↡無↠人↢於習学↡、雖↠有↢疏釈↡無↠倫↢讚仰↡。然則無↠有↢相承血脈ノ法↡、非↢面授口決ノ儀ニ↡。唯浅探↢仏意↡、疎窺イ↢聖訓↡、任↢三昧発得之輩↡、宜↢一分往生之義↡。愚見誠不↠敏、深理何可↠当之哉。何況雖↠有↢章疏↡魚魯易↠迷、雖↠有↢疏釈0068↡文字難↠見。不↠遇↢善導↡者決智難↠生、不↠訪↢唐方↡者遺訓難↠了。
しかればすなはち三経講讃の仁に応じて三日の講讃の会を開く事、 たとへば魚鱗の層雲の上に登るがごとし、 なんぞ通尽の力あらん。 たとへば飛禽の潜りて深泥の底に入るがごとし、 なんぞみづから能うことあらん。 おそるべしおそるべし、 恥ずべし恥ずべし。
然則応↢三経講讃之仁ニ↡開↢三日講讃之会↡事、譬バ如↣魚鱗ノ登ガ↢層カサナル雲之上ニ↡、何ゾ有↢通尽ノ力。譬バ似↣飛禽潜入↢深泥之底ニ↡、何有↢自能コト↡。可↠恐可↠恐、可↠恥可↠恥。
しかりといへども法王聖人多年の厚儀、 一旦に背きがたし。 たとひ命を捨つるといへども、 顔色乖きがたし。 いかにいはんや身の恥辱においてをや。 たとひ成仏を期すといへども、 言契忘れがたし。 いかにいはんや世の誹謗においてをや。 ゆゑに今万事を忘れ、 参勤せしむるものなり。 事これすなはち時の意趣なり、 聞く人誹謗を生ずべからず。 このなかにもし一分の道理を聞きて信受することあらん。 もつとも喜ぶところなり。 さだめて多説の非理を聞き、 誹謗の人あらんも、 また辞わざるところなり。 誹謗・讃嘆ももとおのづから夢中の争ひ、 信伏も違逆もまたさらに迷の前の戲なり。 すなはち毀らん人ははやく違縁の縁を結び、 ともに六十万億の身量を解せん。 讃めん人は疾く順縁の縁を契り、 同じく八万四千の相好を見たてまつらん。
雖↠然法王聖人多年之厚儀、一旦ニ難↠背キ。設雖↠捨↠命、顔色難↠乖キ。何況於↢身恥辱↡哉。設雖↠期↢成仏↡、言契難↠忘。何況於↢世ノ誹謗↡哉。故今忘↢万事↡、令↢参勤↡者也。事是則時ノ意趣也、聞人不↠可↠生↢誹謗ヲ↡。此中ニ若聞↢一分ノ道理↡有↢信受スルコト↡、尤所ナリ↠喜。定聞↢多説之非理↡、有ランモ↢誹謗之人↡、又所↠不↠辞ワ也。誹謗・讃嘆モ本自夢中ノ争ヒ、信伏モ違ウラムタガフ逆モ又更ニ迷ノ前ノ戲。則毀ラン人ハ早ク結↢違縁之縁↡、共ニ解↢六十万億之身量↡。讃メン人ハ疾ク契↢順縁之縁↡、同ク見ラン↢八万四千之相好↡。
願はくは法王と愚僧と、 世々に結縁し観音と勢至と、 一会と諸人と、 生々にともに契らんこと釈迦と弥陀とのごとくならん、 乃至鉄囲・沙界同じく摂取不捨の光を蒙り、 有間、 ともに皆蒙解脱の慶を開かん。 仰ぎ願はくは 云々。
願ハ法王ト与↢愚僧↡、世世結縁如↣観音ト与↢勢至↡、一会ト与↢諸人↡、生生ニ共ニ契ンコト如ナラン↢釈迦与ノ↢弥陀↡、乃至鉄囲・沙界同蒙↢摂取不捨之光↡、有間、共ニ開↢皆蒙解脱之慶ヲ↡。仰願 云云。
阿弥陀経釈一巻
本にいはく、 *文治六年二月一日、 東大寺においてこれを講じおはりぬ。 いはゆる源空上人、 能請重賢上人。 以上書本
本云、文治六年二月一日、於東大寺講之畢ヌ。所謂源空上人、能請重賢上人。已上書本
本願・非本願の義 三番の問答の中に見あたらず。
感果 以下に該当する記述なし。