0974◎選択註解鈔第五
◎第十三 多善根章
一 この章より已下四段は、 ¬阿弥陀経¼ によりて念仏の徳を讃嘆するなり。 上の章には、 念仏の一行、 釈尊付属の法なることをあかしをはりぬ。 ▲今の章には、 その念仏の多善根なる義を釈するなり。
一 ▲所引の経文はその心見やすし。 別の釈をまうくるに及ばず。 ▲和尚の解釈は、 ¬法事讃¼ の下巻の文なり。
「▲極楽无為涅槃界」 といふは、 「涅槃」 は法性なり、 実相なり、 真如なり。 されば極楽は无為法身の理を証する土なりといふなり。
「▲随縁雑善」 といふは、 定散八万の諸行なり。
「▲要法」 と云は、 念仏をさすなり。 ¬観経¼ には 「▲此法之要」 とゝき、 ¬疏¼ (散善義) には 「▲浄土之要」 と釈せるこれなり。
「▲専復専」 と云は、 「専」 は雑に対することばなり。 故に二たび 「専」 といへるは、 一行一心を顕義なり。
「▲坐時即得无生忍」 と云は、 十信外凡の位なり。
「▲証得不退入三賢」 と云は、 「三賢」 は内凡の0975位なり。 三賢といふは、 十住・十行・十廻向の三十心をさすなり。
問て云く、 无生忍は地上の証悟なり、 なんぞ十信の位と可得意哉。
答云く、 のちの益を三賢と釈するが故に、 三賢のさきなれば十信と心得るなり。 无生忍の名はおなじけれども、 地前・地上の忍、 その浅深あるなり。 「序分義」 に ¬経¼ (観経) の 「▲応事即得無生法忍」 の文を釈するに、 「▲因 茲◗喜↡故、 即◗得↢无生之忍↡。 亦名↢喜忍↡、 亦◗名↢悟忍↡、 亦◗名↢信忍↡。 乃至 此多 十信◗中忍也」 といへる、 これなり。
重て問ていはく、 浄土の往生は即悟无生ととく、 これ地上の无生なるべし。 往生の益、 外凡・内凡ならばこれ浅位なり。 念仏の益その功なきに似たり、 いかん。
答て云、 実にはしかなり。 浄土は純一の報土なるがゆへに、 自然に无生のさとりをうること、 もとも地上の深位なるべし。 いまは一往九品の階級をたつるとき、 下輩造悪の機に約して釈するところなり。 ¬観経¼ に下輩の発心をとくに、 花開のゝち无上道心をおこすととくがゆへなり。 発心は十信のくらゐなるが故也。
一 私の釈にひくところの、 ▲龍舒の ¬浄土の文¼ のなかに、 「襄陽」 といふは、 漢土の所の名なり。 「随」 といふは、 代の名なり。 「陳仁稜」 といふは、 人の名なり、 能書の人なり。 「字画清婉」 といふは、 字のかたち優美にして、 いつくしきなり。
「▲今0976◗世に伝 本に脱↢此◗二十一字↡」 といふは、 この字ををとせりといふなり。 諸善をさして少善根とときぬれば、 念仏は多善根なること義として勿論なるうへに、 かの二十一字ある本をもておもふに、 この義いよいよ分明なりと釈成するなり。
第十四 証誠章
一 上の章には、 念仏の多善根なることをあかし、 また▲いまの章には、 その念仏を諸仏証誠することをあらはすなり。
問て云く、 証誠の義をあかさば、 直にもとも ¬阿弥陀経¼ の現文をひくべきなり。 なんぞ経文をひかずして和尚の釈をひき、 しかもこの釈にのするところの経文をひくや。
答ていはく、 和尚の釈にひかれたるを、 その定にて、 ▲¬弥陀経¼ にいふがごとしとひくうへは、 直にひくとおなじことなり。
これすなはち ¬経¼ のごとくひきのするならば、 六方の文をつぶさにひくべきがゆへに、 その文広博なり。 いま和尚の所引は 「▲六方◗各◗有↢恒河沙等◗諸仏↡」 といふて、 文をば省略して、 しかもその義つぶさに存ずるがゆへに、 ことばのたくみなるをとりて、 ひきのせらるゝなり。
各々の仏名は、 いまその詮なし。 段々の重説は、 合して一段にひくに相違なきがゆへなり。 そのうへ、 経のことばの略せるところをさぐり、 仏意を決して甚深の義をのべらるゝこと、 今師の釈のな0977らひなり。 これによりて、 かの釈の所引にまかせて、 ひきのせらるゝなり。
一 所引の ¬観念法門¼ の文に 「▲若 仏在世、 若◗仏滅後、 一切↓造罪◗凡夫」 といふは、 ¬経¼ には在世・滅後のことばなけれども、 義をもてこのことばをのせられたり。 いはゆる経文に、 ▲已発願・今発願・当発願の機みな往生すべしとときたれば、 在世・滅後の機もるべからざるなり。
¬経¼ (小経) に 「▲善男子・善女人」 とときたるは、 機は造罪の凡夫なれども、 所信の法につきて善男・善女といふなり。 その機は悪人なりとしることは、 流通に▲五濁悪世の衆生のために難信の法をとくといふがゆへに、 かのこゝろによりて 「↑造罪の凡夫」 といふなり。
上尽百年の言も ¬経¼ にはなけれども、 これも義としてあるべきゆへなり。 このゆへに、 いまの釈にも 「▲上尽百年」 といひ、 ¬法事讃¼ (巻下) にも 「▲長時起行倍皆然」 と釈するなり。
「▲十声三声一声等」 もこのことばなしといへども、 本願の文の 「▲乃至」 (大経巻上) のことばによりて、 上尽一形下至十念一念とこゝろえつれば、 この義かならずあるべきがゆへなり。
諸仏の舒舌を釈するに、 「▲一出↠口 已後終◗不 還↢ 入◗口↡、 自然◗壊爛 」 といふは、 この言も ¬経¼ にはみゑざれども、 証誠の仏意を決了する和尚の釈、 もとも甚深なり。
一0978 ▲¬礼讃¼ の二文ならびに ▲¬疏¼ の釈、 ▲¬法事讃¼ の文等、 そのこゝろみな ¬観念法門¼ の釈におなじ。
¬五会讃¼ の文に 「▲万行之中」 といふは、 諸善をさす言なり。 「▲為急要」 といふは、 念仏を嘆ずる言なり。
「▲本師金口説」 といふは、 釈尊誠諦の説なり。 「▲十方諸仏」 といふは、 六方の諸仏なり。
六方・十方は、 開合の異なり。 開するときは十方とす、 四方と四維と上下となり。 合するときは六方とす、 四維を四方に摂するなり。 ¬阿弥陀経¼ には 「六方」 ととき、 ¬大経¼ (巻下意) には 「▲十方世界諸仏如来、 皆共讃嘆」 ととけり。 かるがゆへに和尚、 処々の解釈にあるひは十方と釈し、 あるひは六方と判ず。 いづれもひとつなることをあらはすなり。
十方と釈する文は、 当章にひくところの 「散善義」 の深心のしたの▲就人立信の釈、 ならびにおなじき釈のかみに 「▲決定 深↣信◗¬弥陀◗経◗¼中◗、 十方恒沙◗諸仏証勧 一切凡夫決成 得↟生 」 といへる釈、 また 「玄義」 (玄義分) の別時門に 「▲十方◗各◗如恒河沙等◗諸仏、 各出↢ 広長◗舌相◗遍◗覆↢三千大千世界↡、 説↢ 誠実◗言↡」 といへる釈、 また ¬法事讃¼ の上巻の召請の讃に 「▲十方恒沙◗仏舒↠舌、 証↣ 我凡夫◗生↢ 安楽↡」 といへる等これなり。
六方といへる釈は、 下巻の▲唱讃の釈等これなり。
¬般舟讃¼ の釈にも、 一処には 「▲六方◗如来慈悲極、 同心同勧 往↢ 西方↡」 といひ、 一処には 「▲十方如来舒↠ 舌0979◗証、 定↢判 九品↡得◗還帰 」 と判ぜり。 いまひくところの ¬礼讃¼ の釈も十方・六方は異本の不同なり。
詮ずるところ、 六方といへばとて減ずるにあらず、 十方といふによりて増すべきにあらず。 おなじことなるむねをしめさんがために、 処々の釈一准ならざるなり。 たゞ恒沙の諸仏、 一仏ももれず証誠すとこゝろうべきなり。
第十五 護念章
一 上の章には諸仏の証誠をあかし、 ▲この章には諸仏の護念をあかす。 証誠・護念相続して、 上下次第を成ずるなり。 これすなはち ¬経¼ (小経) に六方の証誠をとくとき、 一々に 「▲当↠ ベ シ信↢是◗称讃 不可思議◗功徳↡、 一切諸仏◗所↢ 護念↡経 」 ととくによりて、 証誠と護念とあひはなるべからざるがゆへなり。
一 所引の文は、 これも ¬阿弥陀経¼ の文をひくに、 たゞちに ¬経¼ をばひかず。 「▲観念法門にいはく」 といふて、 かの書にひきのせられたる定にその文をひきて、 ¬経¼ と釈との意を顕なり。 「故名護念経」 と云までは、 ¬経¼ を引とみえたり。 「▲護念意者」 と云よりは和尚、 仏意をえて護念の義を釈せらるゝなり。
次に所引の ¬礼讃¼ の文も ¬阿弥陀経¼ によれる釈なり。 これに二重の釈あり。
初重に 「▲証↢誠◗此◗事、 故◗名0980↢護念経↡」 と釈して、 第二重に 「▲次下の文に云」 といふて、 いまの釈をまふけたり。 かるがゆへに、 初重は六方証誠の段にあたれり。 第二重はおくの 「▲皆為↢一切諸仏↡共◗所↢護念↡」 (小経) の文にあたれり。 これいまの所引の文なり。
そのなかに、 「▲若◗称↠ 仏◗往生 者」 といへるは、 すなはち ¬経¼ の 「▲聞↢ 是◗諸仏◗所説名及◗経名↡者」 のこゝろなり。
「▲常◗為↢六方恒沙等◗諸仏↡之所↢護念↡」 といふは、 「▲皆為↢一切諸仏↡共◗所↢護念↡」 の文にあたれるなり。
一 問ていはく、 私の釈のなかに、 また ▲¬礼讃¼ と ▲¬観念法門¼ とをひきて、 かの両部にひくところの諸経の文をいだせり。 これさきにひくところの二文の一具の文なり。 しかれば、 もとも ¬礼讃¼ の文をばさきの ¬礼讃¼ の文にひきくはへ、 ¬観念法門¼ の文をばさきの ¬観念法門¼ の文にひき具すべし。 しかるに一具の文をひききりてわたくしの釈のなかにひくは、 いかなるゆへぞや。
答ていはく、 一具の文なりといへども、 かみの二文は六方諸仏の護念をあかすがゆへに、 六方諸仏の証誠についてきたれる章なれば、 これを本としてひくなり。 私の釈にひき具するところの釈は、 たゞ総じて仏・菩薩乃至諸天等の護念をあかすがゆへに、 別してこれをひくなり。
一0981 ¬礼讃¼ にひくところの ¬十往生経¼ の文に 「▲彼仏即◗遣↢ 二十五◗菩薩↡、 擁↢護◗行者↡」 といへるは、 この菩薩は極楽の聖衆なり。 その一一の名字は ▲¬往生要集¼ にみえたり。 いまこれを略す。
一 ▲¬観経¼ の文は、 普観の 「▲无量寿仏化身无数。 与↢観世音・大勢至↡常◗来↢至◗此◗行人之所↡」 の文のこゝろをとりてひくなり。
問ていはく、 観音・勢至の護念はしかなり。 二十五の菩薩の護念は ¬観経¼ にその文なし。 なんぞ 「▲与↢前◗二十五◗菩薩等↡囲繞す」 といへるや。
答ていはく、 実に現文にはなけれども、 義としてあるべきによりて、 かくのごとくひきのせらるゝなり。 そのゆへは、 観音・勢至は二十五菩薩の上首なり。 かの二菩薩あらば、 余の聖衆も定あるべし。 したがひて、 ¬十往生経¼ に護念の益をとくに、 かの二十五の菩薩をつらねたり。 しりぬ、 今の ¬経¼ にも文は略せりといへども、 かならずあるべきがゆへに、 かくのごとくひくなり。
例せば、 かみの章に▲天臺の ¬十疑¼ をひきて、 文は ¬阿弥陀経¼ にありといへども、 義は他経にも通ずる義を成ずるがごとし。
一 ¬観念法門¼ にひくところの ▲¬観経¼ の文は、 流通の文なり。 いはゆる 「▲観世音菩薩・大勢至菩薩、 為其勝友」 の文のこゝろなり。
一0982 おなじき所引の ¬般舟経¼ の文のなかに、 「▲一切諸天」 といふは、 総じて三界の天衆なり。
「▲四天大王」 といふは、 多聞・持国・増長・広目なり。 護法護持の大将なるがゆへに、 ことに護念するなり。
「▲八部」 といふは、 いまいふところの諸天と 「竜神」 とに、 夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽をくはへて、 総じて八部といふなり。
「▲除↠ 入↢三昧道場↡」 といふは定善入観のほかといふこゝろなり。 これ口称念仏の益をあらはさんがためなり。
第十六 名号付属章
一 第十三多善根の章より当章にいたるまでの四段は、 ¬弥陀経¼ をひくにとりて、 かみの三段は正宗の文なり。 ▲いまは流通の文をひきて、 名号付属の義を釈するなり。
一 標章に 「▲付↢属 舎利弗等↡之文」 といへる 「等」 の字に二種のこゝろあり。
一には目連・迦葉等の諸大声聞、 文殊・常精進等の諸大菩薩を等取するなり。 これらの菩薩・声聞は、 ともに一会の同聞衆として、 みな仏法護持の大法将なるがゆへなり。
一には未来の衆生を等取するなり。 ¬法事讃¼ に ¬経¼ (小経) の正宗の 「▲衆生々者皆是阿毘跋致」 といへる文にあたりて告命を釈するに、 「▲釈迦如来告↢ 身子↡、 即0983◗是普◗告↢苦◗衆生↡」 (法事讃巻下) といへば、 流通の文もその義おなじかるべきがゆへなり。
このふたつの義は異義にあらず、 并べて可存之也。
一 問て云、 いまの所引の経文はたゞ一経の説時をはりて、 在座の衆の歓喜信受して退散することをとくばかりなり。 付属の義におきては、 文もなし、 こゝろもみえず、 いかんがこれをこゝろうべきや。
答ていはく、 三経にをのをの付属の文あり。 ¬大経¼ には 「▲仏語↢ 弥勒↡、 其◗有↠ 得↠ 聞↢ 彼◗仏◗名号↡」 の文なり。 ¬観経¼ には 「▲持↢ 是◗語↡者、 即◗是持↢ 无量寿仏名↡」 の文なり。 ¬阿弥陀経¼ には、 いまの所引の文これなり。 この文のなかに付属の義を含せるなり。
そのゆへは、 上に 「▲舎利弗、 汝等皆当↣ ベ シ信↢受◗我◗語及◗諸仏◗所説↡」 (小経) ととき、 釈迦・諸仏の所説名号なることをあらはし、 しもに 「▲当↠ ベ シ知、 我於↢五濁悪世↡行↢ 此◗難事↡、 得↢ 阿耨多羅三藐三菩提↡、 為↢一切世間↡、 説↢此◗難信之法↡。 是◗為↢甚難↡」 とときて、 釈尊凡地の本行なることをあかし、 つぎに 「▲仏説此経已」 とときくだしたる説相、 もとも付属の義にかなへり。
したがひて、 和尚この義趣を解したまへるゆへに、 いまの ¬法事讃¼ の文にこの経文を釈するとき、 弥陀の名号を付属する義を釈せること、 はなはだ ¬経¼ の深意を得たまへるものなり。
一0984 ▲¬法事讃¼ の文は、 いまのぶるところの付属の義を釈するなり。
「▲世尊説法◗時将 ス ◗了 」 といふは、 ¬弥陀経¼ の説時をはるといふばかりにはあらず。 ひろく一代諸経のをはりにこの ¬経¼ をときたまへりとあらはすこゝろなり。 上の文に 「▲如来出↢現 於五濁↡、 随宜◗方便 化↢群萌↡。 或◗説↢多聞 而得度↡、 或◗説↣少解 証↢ 三明↡、 或◗教↢福恵双 除↟ 障、 或◗教↢禅念 坐 思量↡ 」 といへるは、 一代諸経の説時をいだすときこえたり。 そのつぎに 「世尊説法時将了」 といへる、 一代のをはりといふこと分明なり。
かのをはりに釈尊凡地の本行なる念仏を一切世間のためにときて末法に流通するを 「▲慇懃◗付↢属◗弥陀◗名↡」 といふなり。
一 「▲五濁増時多疑謗」 以下は、 末法五濁の世に念仏誹謗のともがらおほかるべきことをあげて、 かつは謗法の果報をあらはし、 かつは懺悔の方法をしめすなり。
「▲如此生盲闡提輩」 といふは、 念仏誹謗の人を生盲闡提にたとへらるゝなり。 かの謗法の人をば无眼人・无耳人となづくるがゆへなり。
「▲毀滅↓頓教↓永沈淪」 といふは、 まさしく謗法の罪苦をあらはすなり。
「↑頓教」 といふはいまの念仏なり、 常没の凡位よりたゞちに報土に生ずるがゆへに頓教と釈するなり。 「玄義」 (玄義分) には 「▲頓教一乗海」 といひ、 ¬般舟讃¼ には 「▲即是頓教菩提蔵」 といへるこれなり。
「↑永沈淪」 とい0985ふは、 苦報の長遠なることをあかすなり。 すなはち下の句に 「▲超↢過 大地微塵劫↡、 未 ズ ↠可↠得↠離↢ 三塗◗身↡」 といへる、 その義なり。
「▲大衆同心、 皆懺↢悔 所有破法◗罪因縁↡」 といふは、 まさしく懺悔をすゝむることばなり。 「破法罪」 といふは、 すなはち謗法罪なり。
問ていはく、 いますゝむるところの懺悔といふは、 いかやうに修すべきぞや。 また念仏の行者かならず懺悔の方法をもちゐるべしや。
答ていはく、 ¬礼讃¼ に三品の懺悔をいだせり。 「▲身◗毛孔◗中 血流、 眼◗中 血出◗者◗名↢上品◗懺悔↡。 ◆中品◗懺悔◗者、 遍身◗熱◗汗従↢毛孔↡出、 眼◗中 血流 者◗名↢中品◗懺悔↡。 ◆下品◗懺悔◗者、 遍身◗徹 熱、 眼◗中 涙出◗者◗名↢下品◗懺悔↡」 といへり。 起行の辺にて修せんときは、 その方法をもちゐるべき。 すなはちいまの ¬礼讃¼ にいだすところの広・要・略の懺悔、 また ¬法事讃¼ にもちゐるところの▲十悪懺悔等これなり。
たゞし ¬礼讃¼ にいふところの三品の懺悔をあげをはりて、 つぎしもの釈に 「▲此等◗三雖↠有↢ 差別↡、 即是久 ↓種↢ 解脱分◗善根↡人。 致↠使↧ 今生◗敬↠法、 重↠ 人◗不↠惜↢身命↡、 乃至小罪、 若◗懺 即◗能◗徹↠心◗徹↞髄。 ◆能◗如↠此◗懺 者、 不↠問◗久近↡、 諸有◗重障頓◗皆滅尽。 若◗不↠ 如↠ 此↠、 縦使日夜十二時◗急走 衆◗是無↠益。 若↢不↠作◗者↡」 といへり。
↑解脱分の善根を種たる人といふは、 大乗・小乗ともに下品のくらゐなり。 この釈の0986ごとくならば、 凡夫この懺悔を修せんこと成ずべからずとみえたり。
さればこの釈のつぎに 「▲雖↠不↠能↢流涙流血等↡、 但能◗真心徹到 者即◗与↠上同◗」 といへり。 真心徹到といふは、 金剛心なるがゆへに、 念仏の信心堅固にして称名をつとむれば、 別してその功をもちゐざれども、 懺悔を修する義ありといふなり。
¬般舟讃¼ に 「▲念々称名 常◗懺悔、 人能◗念仏 々還 憶 」 といへるも、 このこゝろなり。
一 私の釈には、 ▲八種の選択をあげられたり。 一々の義みな文にありてみつべし。 八種の義、 しかしながら諸行をえらびすてゝ、 念仏をえらびとるになづけたり。 さればこの書のこゝろは、 たゞ専修の義をあらはすなり。
一 「▲計也 夫◗」 といふ以下は、 総結の釈なり。
「▲速◗欲↠ 離↢ 生死↡、 二種◗勝法◗中、 且 閣↢ 聖道門↡選 入◗↢浄土門↡」 といふは、 第一の教相のこゝろなり。
「▲欲↠ 入↢ 浄土門↡、 正雑二行◗中◗」 といふより 「称↠ 名◗必◗得↠生。 依↢ 仏◗本願↡故◗▲」 といふにいたるまでは、 第二の二行の章のこゝろなり。
この二行のなかに選択するところの正宗の念仏をもて、 第三の本願の章の法体とし、 その一法にをのをの種々の利益にしたがへ、 一々の功徳につきて、 しもの諸門をひらくなり。
一0987 善導和尚の徳を嘆ずるに、 「▲時◗人◗諺◗曰、 仏法東行 已来、 未 ズ ↠有↢禅師◗盛 徳↡ 」 といふは、 少康法師の ¬瑞応刪伝¼ に和尚の徳行を讃ずることなり。
「▲絶倫の誉」 といふは、 古今の諸師等のなかにこえたりといふなり。 そのゆへは、 常没流転の未断惑の凡夫、 報仏の浄土にいたるといふこと、 諸師のいまだのべざるところ、 諸宗のいまだ談ぜざるところなり。
これすなはち ¬大経¼ (巻下) の文に 「▲声聞或◗菩薩、 莫↣能◗究↢ 聖心↡」 といひ、 「▲二乗非↠所↠測、 唯仏 独◗明 了◗」 と云へる文をもて案ずるに、 まさしく正意を解することかたきがゆへなり。 しかるに今師ひとり仏意を解して、 衆生のために依怙たり。 これ権化の再誕なるがゆへなり。 このゆへに、 かくのごとく嘆ずるなり。
一 ひくところの ¬疏¼ の証定分の文に 「▲毎夜◗夢◗中◗常◗有↢一◗僧↡而来 指↢授◗玄義◗科文↡」 といふは、 ふたつの文点あり。
一には 「指↢授◗玄義◗科文↡」 とよみては、 「玄義」 七門の科文をきづくるなり。 これはまさしく経文にあたりて一々の義釈をまふくることはつねのことなり。 依文にさきだちて玄遠の深義をのべらるゝこと、 今家の釈の肝要なり。 まことに如来の指授にあらずは、 たやすくこの義を解しがたし。 されば諸師この ¬経¼ について疏をつくるひとおほしといへども、 いまだ玄義の釈を0988つくりたる師なし。 しかるにいま、 仏の指授によりてこの玄義をのぶとなり。
一には 「指↢授◗玄義科文↡」 とよみては、 玄義も依文も、 義四巻ともに指授すといふこゝろ也。 科文といふは依文の義なるがゆへなり。
さきの義は、 四帖の義理ならびに ¬礼讃¼ ・¬観念法門¼ 等の具書までも、 その義みな甚深なりといへども、 なを玄義の釈の深遠なる気味をまさんとなり。 さればとて、 自余の釈のおろそかなるべきにはあらず。
のちの義は、 玄義・依文の釈、 いづれも仏意に順ず。 用捨あるべからざれば、 ともに仏の指授なりといはんとなり。 これまた玄義の釈のひでざるべきにはあらず。
然れば、 両義ともに相違なきなり。
問ていはく、 玄義の釈をつくること今家の釈にかぎらず。 いはゆる天臺大師、 ¬法華¼ を釈するに ¬玄義¼ 十巻をつくりたまへり。 また嘉祥大師の釈に ¬大乗玄¼・¬三論玄¼ といふ書等あり。 しからば、 めづらしきことにあらず。 なんぞ和尚の釈をひでたる義とせんや。
答ていはく、 他師の釈にをきて、 おほよす玄義の釈なしといふにはあらず、 すなはち天臺の ¬玄義¼ は名・体・宗・用・教の五重玄義をあかせり、 これも玄遠の旨をのべたる義なり。 嘉祥の釈また玄遠の義をあかすをもて玄の名を立たり。 今師の釈もその義違すべからざるなり。
たゞし玄義の釈をまうくること諸師にひで0989たりといふは、 諸師は ¬観経¼ を釈するにとりて、 玄義の釈なきことをいふなり。 和尚はこの ¬経¼ にをきて玄義・依文の二門の釈をつくり給へること、 よく仏意を決了し給へりといふなり。
一 「▲三具◗磑輪道◗辺◗独転◗」 といふは、 転法輪の相を標するなり。
一 「▲忽◗有↢ 一人↡、 乗↢ 白◗駱駝↡来↠ 前、 見 勧◗」 といふは、 「駱駝」 は馬なり、 白馬に乗ずることは表示あり。
釈尊、 王宮をいでゝ檀徳山に入たまひしときは、 白馬に服御し、 梵僧摩騰・法蘭、 仏教を漢土にわたしゝときは、 経巻を白馬におほせたりき。 しからば、 仏法修行・経教伝来の先兆なり。
一 「▲上来諸有霊相◗者、 本心、 為↠ 物◗不↠為↢ 己ヲノレガ身 ミ ↡」 といふは、 夢中の霊相は衆生に信をとらしめて、 みづからの釈義をもて西方の指南とせしめんがためなりといふ。 和尚は弥陀の化現なれば、 所釈仏意に相応すべきことはうたがひなし。 しかれども、 ことに祈請を出して霊瑞を感ずるは、 衆生のためなりといふなり。 是則権化の義を顕也。
一 「▲静◗以 」 といふ已下は、 この書の後序なり。
はじめより 「本迹雖↠異 化導是一◗也▲」 といふにいたるまでは、 まづ高祖の解釈を嘆じ、 かねて本迹の行徳を讃0990ず。
「▲西方指南」 といふは、 指南は先導の義なり。 いまだしらざるところにいたることは、 先導のちからなり。 もしこれをえざれば中途にまよひ、 これをえつれば先途に達するなり。 いまの解釈をえてその義を決了しなば、 かならず西方にいたるべしとなり。
「▲行者の目足也」 といふは、 所求のところにたることは目足の功なり。 されば今の釈は往生浄土の目足なりとたとふ。 これすなはち、 菩提の宝所にいたることは、 智目行足を具せずしてはかなはざるに、 念仏は行者の目足として浄土に生ず。 いまの解釈の所詮は、 念仏なるがゆへにかくのごとくいふなり。
「▲於是貧道」 といふより 「云◗帰↢念仏↡」 といふにいたるまでは、 この ¬疏¼ を披覧せられし往時をあかして、 浄土宗にいりたまひし元起をのぶるなり。
「▲自↠其已来」 といふより 「得↢昇降↡也▲」 といふにいたるまでは、 自行化他の行要をしめして、 時機相応の教益をあらはすなり。
「▲浄土之教、 叩↢ 時機↡而◗当↢ 行運↡也」 といふは、 この教は末法のときに益をほどこすべき教なり。 末法の機は、 この教によりて利をうべき機なり。 時と機とあひかなひて巨益あるべしといふなり。
「▲念仏之行、 感↢ 水月↡而得↢昇降↡也」 といふは、 水のぼらずして月をうかべ、 月くだらずして水にうかぶ。 のぼらずくだらずしてしかも昇降をえたる、 これ感応道交のゆへなり0991。 念仏往生のみち、 また如来の本願と行者の信心と、 機感純熟して往生の益をうべきこと、 またかくのごとしといふなり。
「▲而 今」 といふより已下、 巻のをはりにいたるまでは、 この書選集の元由をのべ、 かねて破法のつみをましめらるゝなり。
「▲不↠ 図◗蒙↠ 仰◗」 といふは、 月輪の禅定殿下の教命によりて造進せられしことなり。
「▲憖◗集↢念仏◗要文↡」 といふは、 経釈の文をひくをいふなり。 「▲剰◗述↢念仏◗要義↡」 といふは、 私の料簡をくはへらるゝ義なり。
「▲唯顧↢ 命旨↡不↠顧↢ 不敏↡」 といふは、 「命旨」 は禅閤の仰なり、 「不敏」 は卑下の言ばなり。
「▲恐 為↠ 不↠令↣破法之人 堕↢於悪道↡也」 といふは、 かみの所引の文に、 念仏誹謗の輩はそのつみ深重にして、 大地微塵劫を超過すとも、 三塗の身をはなるゝことをうべからざることをあかすがゆへに、 破法のつみをいましめらるゝなり。
いはゆるこの書は、 経釈の肝要をぬきて、 念仏の深義をのべたり。 これを謗ぜば、 謗法の重罪をまねきて、 地獄の苦報をうくべきがゆへに、 後見をはゞかりたまふなり。
これすなはち、 上には 「▲不敏を顧ず」 といひて卑嫌のことばをのせらるといへども、 いまは破法のつみのをもきことをあらはして、 のぶるところの義趣の仏意に順ぜることを標するなり。 この書には念仏の正義をあかすがゆへに、 これを謗ぜば、 念0992仏を謗ずるにあたるべきがゆへなり。
されば実に後見ををさふるにはあらず。 誹謗正法のつみをつゝしめんがためなり。 ふかく信順の心をぬきんでゝ、 修習のつとめをいたさば、 ことに弘通の根本としてかの素意にかなふべきなり。
此一部五帖、 当寺開山存覚上人御述作也。 雖為一流之秘本、 懇望之間書与釈賢意処也。
*寛正四歳 癸未 八月晦日記之
釈明覚(花押)
底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が大幅に補完しているˆ表記は現代仮名遣いにしたˇ。