三(713)、 三心料簡および御法語
一
▲一 三心料簡の事。
¬疏¼ の第四に付く。 仰ぎていはく、 まづ浄土には悪の雑る善は永くもつて生ずべからずと知るべし。 これをもつて 「義分」 (玄義分) には、 「▲定即息慮以凝心。 散即廃悪以修善。 廻之二行求願往生」 と。 文 また 「散善義」 にいはく、 「▲上輩上行上根人。 求生浄土断貪瞋」 と。 文
付ク↢¬疏¼第四ニ↡。仰云、先ヅ浄土ニハ悪ノ雑ル善ハ永ク以不可生知ルベシ。是以者「義分ニハ」、「定即息慮以凝心。散即廃悪以修善。廻之二行求願往生。」文 又「散善義ニ」云、「上輩上行上根人。求生浄土断貪瞋。」文
しかればすなはちいまこの至誠心のなかに嫌ふところの虚仮の行とは、 余善・諸行なり。 三業に精進してねんごろなりといへども、 内に貪瞋・邪偽等の血毒雑るゆゑに、 雑毒の善と名づけ雑毒の行と名づけて、 往生すべからずといふなり。 これをもつて ¬礼讃¼ の専雑二つの行の得失のなかに雑修の失をいはく、 「▲貪瞋・諸見煩悩来りて間断す」 と。 ゆゑにこれらの雑行を廻して、 ただちに報仏の浄土に生れんと欲ふは、 もつとも不可なりと嫌ふ道理なり。
然則今此至誠心ノ中所ノ↠嫌之虚仮ノ行ト者、余善・諸行也。三業精進雖モ↠懃ト、内ニ貪瞋・邪偽等ノ血毒雑ル故ニ、名ケ↢雑毒之善ト↡名テ↢雑毒之行ト↡、云往生不可也。是以¬礼讃ノ¼専雑二ノ行得失中ニ雑修ノ失云、「貪瞋・諸見煩悩来テ間断。」故ニ廻シテ↢此等雑行ヲ↡、直ニ欲フ↠生ト↢報仏ノ浄土ニ↡者、尤不可ト嫌フ道理也。
しかるに身口の二業をもつて外となし、 意業をもつて一つを内とせんとは僻事なり。 すでに (散善義) 「▲雖起三業」 といふ、 あに意業を除かんや。 また虚仮とは狂惑のものといふ事僻事なり。 すでに (散善義) 「▲苦励身心」 といひ、 また (散善義) 「▲日夜十二時急走急作、 如炙頭然者」 といふ。 文 いかんぞ仮名の行人かくのごとからんや、 まさしくこれ雑行のものなり。
然ニ以テ↢身口ノ二業ヲ↡為↠外、以↢意業ヲ↡一ヲ為ムト↠内者僻事也。既云↢「雖起三業ト」↡、豈除↢意業ヲ↡乎。又虚仮ト者狂惑ノ者ト云事僻事。既云↢「苦励身心ト」↡、又云↢「日夜十二時急走急作、如炙頭然者」↡。文 云何仮名之行人如ラム↠此哉、正是雑行ノ者也。
次に選び取るところの真実とは、 本願の功徳すなはち正行念仏なり。 これをもつて 「義分」 (玄義分) にありていはく、 「▲弘願といふは ¬大経¼ に説くがごとし。 一切善悪の凡夫生ずることを得るもの、 みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁とせざるはなきなり」 と。 云々 これをもつていまの文 (散善義) に 「▲まさしくかの阿弥陀仏因中に菩薩の行を行じたまひし時に、 乃至一念一刹那も、 三業の所修、 みなこれ真実心のなかに作すによるべし」 と。 云々 阿弥陀仏因中真実心中作によるべし行こそ、 悪雑はらざる善なるがゆゑに、 真実といふなり。
次所選取之真実ト者、本願ノ功徳即正行念仏也。是以在「義分」云、「言0714弘願者如↢¬大経¼説↡。一切善悪凡夫得↠生者、莫不皆乗阿弥陀仏大願業力為増上縁也。」云々 是以今ノ文ニ「正ク由ベシ↧彼阿弥陀仏因中ニ行↢菩薩行ヲ↡時ニ、乃至一念一刹那モ、三業ノ所修、皆是真実心ノ中ニ作スニ↥。」云々 由ベシ↢阿弥陀仏因中真実心中作ニ↡行コソ、悪不↠雑ハラ之善ナルガ故、云↢真実ト↡也。
その義なにをもつて知ることを得。 次の釈 (散善義) に 「▲およそ施為趣求するところ、 またみな真実なり」 と。 文 この真実をもつて施すとは、 何者に施すやといへば、 深心の二種の釈 (散善義) の第一の 「▲罪悪生死の凡夫」 といへる、 この衆生に施すなり。 造悪の凡夫すなはちこの真実によるべき機なり。 いかんが知ることを得。 第二の釈 (散善義) に 「▲阿弥陀仏四十八願摂受衆生」 等と 云々。 かくのごとく心得べきなり 云々。
其義以何得↠知。次ノ釈ニ「凡所施為趣求、亦皆真実。」文 此ノ以↢真実ヲ↡施ト者、施↢何者ニ↡云ヘバ、深心ノ二種ノ釈ノ第一ノ「罪悪生死凡夫ト」云ヘル、施↢此衆生ニ↡也。造悪之凡夫即可キ↠由ル↢此真実ニ↡之機也。云何得↠知。第二ノ釈ニ「阿弥陀仏四十八願摂受衆生」等 云々。如此可↠得↠心也 云々。
深心 (散善義意) のなかに 「▲反修余善」 といふ事、 余善をもつていふ事は余行をもつて往生すべしと答へんとするにあらず。 難破の言なれば指南とするべからざるなり。
深心ノ中ニ「反修余善」云事、以余善云事以↢余行ヲ↡可ト↢往生為↡非ズ↠為↠答ヘムト。難破ノ言ナレバ不↠可↢指南ト↡也。
五種の正行のなかの観察門の事は、 十三定善にはあらず。 散心念仏の行者の極楽の有様をあひ像て欣慕なる心なり。
五種ノ正行中ノ観察門事ハ、非↢十三定善ニハ↡。散心念仏ノ行者ノ極楽ノ有様ヲ相像テ欣慕ナル心也。
回向発願心 (散善義) の始に、 「▲真実深信心中回向」 といふ事、 これは三心のなかに回向といふ心なり。 過去・今生の諸善は、 三心以前の功徳を取り返して極楽に回向せよといふなり。 まつたく三心の後に諸善を行ずるといふにはあらざるなり 云々。
廻向発願心ノ始ニ、「真実深信心中廻向」云事、此ハ三心ノ中ニ回向云心也。過去・今生諸善者、三心已前ノ功徳ヲ取返シテ極楽ニ廻向セヨト云也。全三心ノ後ニ非↠云↢行諸善↡也 云々。
白道の事、 雑行のなかの願往生の心は白道なれども、 貪瞋水火のために損ぜらる。 なにをもつて知ることを得。 釈 (散善義) にいはく、 「▲もろもろの行業を廻してただちに西方へ向へとなり」 と。 云々 諸行往生の願生の心の白道と聞こえたり。
白0715道事、雑行ノ中ノ願往生ノ心ハ白道ナレドモ、為↢貪瞋水火ノ↡被↠損ゼ。以何得↠知。釈云、「廻↢諸行業↡直向↢西方↡也。」云々 諸行往生ノ願生ノ心ノ白道ト聞タリ。
次に専修正行の願生の心をば、 願力の道と名づく。 なにをもつて知ることを得となれば、 「▲仰蒙釈迦発遣指南西方、 又藉弥陀悲心招喚、 今信順二尊之意、 不顧水火二河、 念々無遺、 乗願力道、 捨命以後得生彼国」 (散善義) と。 文 以下の文これなり。 正行のもの、 願力の道に乗ずるがゆゑに、 まつたく貪瞋水火損害せず。
次専修正行ノ願生ノ心ヲバ、名ク↢願力ノ道ト↡。以何得レバ↠知、「仰蒙釈迦発遣指南西方、又藉弥陀悲心招喚、今信順二尊之意、不顧水火二河、念々无遺、乗願力道、捨命已後得生彼国。」文 已下文是也。正行ノ者、乗↢願力ノ道ニ↡故、全ク不↢貪瞋水火損害セ↡。
これをもつて譬喩のなか (散善義) にいはく、 「▲西岸の上に人りて喚ひていはく、 汝一心正念にただちに来れ。 われよく汝を護らん。 すべて水火の難に堕すことを畏れざれ」 と。 云々 合喩のなか (散善義) にいはく、 「▲西岸の上に人ありて喚ふといふは、 すなはち弥陀の願意に喩ふるなり」 と。 云々 専修正行の人は貪瞋煩悩を恐るべからざるなり、 本願力の白道に乗ぜり、 あに火焔・水波に損ぜらるべけんや 云々。
是以譬喩ノ中ニ云、「西岸ノ上ニ有人喚言、汝一心正念直ニ来レ。我能護ラム↠汝ヲ。衆ニ不↠畏↠堕↢於水火難ニ↡。」云々 合喩ノ中ニ云、「言↢西岸ノ上有人喚↡者、即喩↢弥陀願意ニ↡也。」云々 専修正行ノ人ハ不可恐貪瞋煩悩也、乗ゼリ↢本願力ノ白道ニ↡、豈ニ容ケン↠被↠損ゼ↢火焔・水波ニ↡哉 云々。
二
一 「定善」 のなかに、 「▲自余衆行雖名是善、 若比念仏者全非比挍也」 といふ事。 諸行と念仏と比挍する時に、 念仏は勝れ余行は劣なりといへば、 いよいよ諍論絶えざる事なり。 ただ念仏は本願の行なり、 諸善は本願の行にあらざるなりといふ時、 真言・法花等の甚深微妙の行も、 まつたく比挍にあらざるなり。 この旨を存ずること、 比挍の義をばいふべきなり。
一 「定善」中ニ、「自余衆行雖名是善、若比念仏者全非比挍也」云事。諸行与念仏比挍スル之時ニ、云ヘバ↢念仏勝レ余行劣ナリト↡、弥諍論不絶事也。只念仏ハ本願之行也、諸善ハ非本願行也ト云時、真言・法花等ノ甚深微妙ノ行モ、全非↢比挍↡也。存コト↢此旨ヲ↡、可↠云↢比挍義ヲバ↡也。
三
一 無智者も三心具すといふ事。
一 无智者モ三心具ト云事。
一向の心にて念仏申して、 疑なく往生せんと思へば、 すなはち三心具足なり 云々。
一0716向ノ心ニテ念仏申シテ、無疑往生セント思ヘバ、即三心具足也 云々。
わたくしにいはく、 一向の心とは至誠心なり。 疑なくとは深心なり。 往生してんと思ふ心は回向発願心なり。
私云、一向ノ心ト者至誠心也。无疑ト者深心也。往生シテムト思フ心ハ廻向発願心也。
四
一 余行はしつべけれども、 せずと思ふは専修の心なり。 余行めでたけれども、 身にかなはねばえせずと思ふは、 修せねども雑行の心なり 云々。
一 余行ハシツベケレドモ、セズト思ハ専修ノ心也。余行自出タケレドモ、身ニカナハネバエセズト思ハ、修セネドモ雑行心也 云云。
五
一 造悪の機の念仏の事。
一 造悪ノ機ノ念仏事。
悪を造る身なるがゆゑに、 念仏を申すなり。 悪を造らん料に念仏申すにあらずと心得べきなり 云々。
造↠悪ヲ身ナルガ之故、念仏ヲ申也。造ラム↠悪ヲ料ニ非↢念仏申ニ↡可↠得↠心也 云々。
六
一 善悪の機の事。
一 善悪ノ機事。
念仏申さんものは、 ただ生れつきのままにて申すべし。 善人は善人ながら、 悪人は悪人ながら、 もとのままにて申すべし。 この念仏に入るがゆゑに、 はじめて持戒・破戒なにくれといふべからず、 ただ本体ありのままにて申すべしと 云々。
念仏申サム者ハ、只生レ付ノマヽニテ申ベシ。善人ハ乍↢善人、悪人ハ乍↢悪人↡、本ノマヽニテ申スベシ。此ノ入↢念仏↡之故ニ、始テ持戒・破戒ナニクレト云ベカラズ、只本体アリノマヽニテ申ベシト 云云。
これにつきて問ひていはく、 もと聖道門の人の持戒なるが浄土門に帰する時、 持戒・持斎を捨てて専修念仏を修する、 すなはち破戒に成ずる過いかん。 答ふ。 念仏の行者、 悪を犯さんと欲する時に思ふ。 念仏を申すはこの罪滅すべしと存じて罪を犯すは、 まことに悪義なり。 ただ真言に調伏の法といふ事あるに、 兼ねて後調の法を憑むゆゑなりといふ事あり。 そのやうに罪を犯さんとして、 兼ねて本願の滅罪の力を憑む、 まつたく苦しからざる事なり 云々。
付之問云、本ト聖道門ノ人ノ持戒ナルガ帰スル↢浄土門ニ↡之時、捨テヽ↢持戒・持斎ヲ↡修スル↢専修念仏ヲ↡、即成ズル↢破戒ニ↡過如何。答。念仏ノ行者、欲スル↠犯ト↠悪ヲ之時ニ思フ。念仏ヲ申ハ此罪滅スベシト存ジテ犯ハ↠罪ヲ、誠ニ悪義也。但真言ニ有ルニ↢調伏之法ト云事↡、兼テ憑ム↢後調之法ヲ↡故也云事アリ。其様ニ犯ムトシテ↠罪ヲ、兼テ憑ム↢本願之滅罪ノ力ヲ↡、全ク不苦事也 云々。
七
一 悪機を一人置きてこの機の往生したるは、 いはれたる道理なりけりと知る程に習ひたるを、 浄土宗を善く学したるとはいふなり。 この宗は悪人を手本として善人までも摂するなり、 聖道門は善人を手本として悪人をも摂するなり 云々。
一0717 悪機ヲ一人置テ此ノ機ノ往生シタルハ、謂ハレタル道理ナリケリト知ル程ニ習タルヲ、浄土宗ヲ善ク学タルトハ云也。此宗ハ悪人ヲ為↢手本ト↡善人マデモ摂ス也、聖道門ハ善人為↢手本ト↡悪人ヲモ摂也 云々。
八
一 行者の生ずるところは心と行とによる事。
一 行者ノ生所ハ依ル↢心ト行トニ↡事。
但念仏は極楽国に生じ、 但余行は懈慢国に生ずるなり。 しかるに念仏・余善兼行のものにまた二あり。 念仏の方に心重くは余行を雑ふとも極楽に生じ、 余行の方に心重きは念仏を助くとも懈慢に生ずべし 云々。
但念仏ハ生↢極楽国ニ↡、但余行ハ生↢懈慢国ニ↡也。然ニ念仏・余善兼行ノ者ニ亦有↠二。念仏ノ方ニ心重ハ雑トモ↢余行ヲ↡生↢極楽ニ↡、余行ノ方ニ心重キハ助トモ↢念仏ヲ↡生ベシ↢懈慢ニ↡ 云々。
九
一 わが身に三心を具することを知る事。
一 知ル↣我身ニ具コトヲ↢三心↡事。
¬大経¼ の説のごとく、 歓喜踊躍の心すでに発したらば、 三心具せりと知るべき瑞なり。 歓喜とは、 往生決定と思ふゆゑに喜ぶ心なり。 往生を不定に歎く位は、 いまだ三心を発さざるものなり。 三心を発さざるゆゑ歓喜の心なし、 これすなはち疑を致すゆゑに歎く也 云々。
如↢¬大経ノ¼説ノ↡、歓喜踊躍ノ心既ニ発タラバ、可↠知ル↢三心具セリト↡瑞也。歓喜ト者、往生決定ト思故ニ喜ブ心也。往生ヲ不定ニ歎ク位ハ、未↠発↢三心ヲ↡也之者也。不↠発↢三心↡故无シ↢歓喜ノ心↡、是則致疑故歎也 云々。
十
一 一法に万機を摂する事。
一 一法ニ摂万機事。
第十八願 (大経巻上) に 「十方衆生」 といふ、 十方に漏れたる衆生なし、 わが願の内に十方を込めんとなり。 法照禅師 (五会法事讃巻本) いはく、 「かの仏因中に弘誓を立つ、 名を聞きてわれを念ぜば総べて来迎す、 貧窮と富貴とを簡ばず、 下智と高才とを簡ばず、 多聞と浄戒を持つを簡ばず、 破戒と罪根深きを簡ばず、 ただ廻心して多く念仏せしれば、 よく瓦礫して変じて金とならしむ」 と。 云々 この文の心は、 我身の貧窮にて功徳を造らぬも、 下知にて法門を知らぬも、 破戒にて罪障を犯すといへども、 すなはち廻心して多く念仏すればと思ふべしと 云々。
第十八願ニ云↢「十方衆生ト」↡、无シ↧漏タル↢十方ニ↡之衆生↥、我願ノ内ニ込メムト↢十方ヲ↡也。法照禅師云、「彼仏因中立↢弘誓↡、聞名念我総来迎、不簡貧窮将富貴、不簡下智与高才、不簡多聞持浄戒、不簡破戒罪根深、但使廻心多念仏、能令瓦礫変成金。」云々 此文ノ心ハ、我身ノ貧窮ニテ不モ↠造↢功徳ヲ↡、下0718知ニテ不モ↠知↢法門ヲ↡、破戒ニテ雖↠犯ト↢罪障↡、便廻心多念仏スレバト思ベシト 云々。
十一
一 無智を本となす事。
一 无智ヲ為本事。
いふこころは、 聖道門は智恵を極めて生死を離れ、 浄土門は愚痴に還りて極楽に生る。 ゆゑに聖道門に趣く時には、 智恵を瑩き禁戒を守り、 心性を浄むるをもつて宗となす。 しかるを浄土門に入りての日、 智恵をも憑まず戒行をも護らず、 心器をも調へず、 ただ甲斐なく無智者になりていふに、 本願を憑みて往生を願ふなり 云々。 この状を御自筆に書きて、 禅勝房が田舎下する京つとに取らせむとてたまひたりと 云々。 またいはく、 源空が念仏申すも、 一文不通の男女に斉くして申すぞ。 まつたく年来修学したる智恵をば、 一分も憑まざるなり。 しかれどもかく知りたればまたくるしからぬぞと 云々。
云ハ、聖道門ハ極テ↢智恵ヲ↡離レ↢生死ヲ↡、浄土門ハ還↢愚痴↡生↢極楽ニ↡。所以趣↢聖道門ニ↡之時ニハ、瑩↢智恵ヲ↡守↢禁戒ヲ↡、浄ムルヲ↢心性ヲ↡以テ為ス↠宗ト。然ルヲ入テ↢浄土門ニ↡之日、不↠憑↢智恵ヲモ↡不↠護ラ↢戒行ヲモ↡、不↠調↢心器ヲモ↡、只云フニ↢無甲斐成無智者ニ↡、憑テ↢本願ヲ↡願↢往生↡也 云々。書テ↢此ノ状ヲ御自筆ニ↡、禅勝房ガ田舎下スル京ツトニ取ラセムトテ給タリト 云々。又云、源空ガ念仏申モ、一文不通ノ男女ニ斉シテ申スゾ。全年来修学シタル智恵ヲバ、一分モ不↠憑也。然ドモカク知タレバ又クルシカラヌゾト 云々。
十二
一 ¬阿弥陀経¼ の 「一心不乱」 の事。
一 ¬阿弥陀経¼「一心不乱」事。
一心とは、 何事に心を一つにするぞといふに、 一向念仏と申すは、 阿弥陀仏の心とわが心と一つになるなり。 天台の ¬十疑論¼ にいふがごとし。 「世間に慕する人の慕するものをよく受けて機念あひ投くかならずその事を成ずるがごとし」 と。 慕する人とは阿弥陀仏なり、 恋はらるヽものとはわれらなり。 すでに心を一向阿弥陀に発せば、 早く仏の心と一つに成ずるなり。 ゆゑに 「一心不乱」 といふ。 上の 「少善根福徳因縁」 に念をうつさぬなり 云々。
一心ト者、何事ニ心ヲ一ニスルゾト云ニ、一向念仏申スハ、阿弥陀仏ノ心ト我心ト一ニ成也。如↢天臺¬十疑論¼云ガ↡。「如シ↣世間ニ慕スル人ノ能ク受テ慕スル者ヲ機念相 投ヲモムク必成ズルガ↢其事ヲ↡。」慕スル人ト者阿弥陀仏也、恋ラルヽ者トハ我等也。既ニ心ヲ発セバ↢一向阿弥陀ニ↡、早ク仏ノ心ト一ニ成ズル也。故云↢「一心不乱ト」↡。上ノ「少善根福徳因縁ニ」念ヲウツサヌ也 云々。
十三
¬阿弥陀経¼ の 「善男子・善女人」 の事。
¬阿弥陀経¼「善男子・善女人」事。
これは名号を執持するなるゆゑ、 「善男子・善女人」 はといふなり。 下品上生一生十悪の凡夫の最後の一称の時、 善男子と讃へらる。 まことに本機は五濁悪世悪事の衆生なり。 これをもつて ¬観念法門¼ に ¬阿弥陀経¼ のいまの文を釈して 「▲若仏在世、 若仏滅後一切造罪凡夫」 といふ。 云々 思ひ合はすべし。
此ハ執↢持スル名号ヲ↡成ル故、云↢「善男子・善女人ハ」↡也。如シ↢下品上生一生十悪0719ノ凡夫ノ最後ノ一称ノ時、被↟讃↢善男子ト↡。実ニ本機ハ五濁悪世悪事衆生也。是以¬観念法門ニ¼釈¬阿弥陀経ノ¼今ノ文云↢「若仏在世、若仏滅後一切造罪凡夫」↡。云々 可思合。
十四
一 定機の事。
一 定機事。
浄土宗を弘し、 大原において談論せん時に、 法門比に互角の論にて事切れず、 機根比べたらんには源空勝れたりしなり。 聖道門は法門は深しといへどもいまの機には叶はず、 浄土門は浅きに似るともいまの根に叶ひやすしといひし時に、 人みな承伏しきと 云々。
浄土宗ヲ弘シ、於↢大原ニ↡談論セン時ニ、法門比ニ互角ノ論ニテ事不切レ、機根比タラムニハ源空勝タリシ也。聖道門ハ法門ハ難↠深ト今ノ機ニハ不↠叶ハ、浄土門ハ似トモ↠浅今ノ根ニ易↠叶云シ時ニ、人皆承伏シキト 云々。
十五
一 前念命終後念即生の事。
一 前念命終後念即生事。
前念・後念とは、 これに命尽きて後に生を受くは時分なり、 行の念にはあらず。 往生は称名なり、 称名は正定業なり。 しかればすなはち称名して命終するは、 正定のなかにして終はるものなり 云々。
前念・後念ト者、此ニ命尽テ後ニ受ハ↠生ヲ時分也、非↢行ノ念ニハ↡。往生ハ称名ナリ、称名ハ正定業ナリ。然則称名シテ命終スルハ、正定ノ中ニシテ終ハル者也 云々。
十六
一 ¬阿弥陀経¼ の 「難信之法」 の事。
一 ¬阿弥陀経¼「難信之法」事。
これは罪悪の凡夫、 ただ称名によりて往生を得といふ事を、 衆生信ぜざるなり。 これによりて釈迦・諸仏、 切に証成していふなり 云々。
此ハ罪悪ノ凡夫、依↢但称名ニ↡得ト↢往生↡云事ヲ、衆生不信也。依之釈迦・諸仏、切ニ証成云也 云々。
十七
一 無戒の定恵は念仏すべしといふ事。
一 无戒定恵者可念仏云事。
これは無下の義なり。 っとひ戒定恵の三学まつたく具したりといへども、 本願念仏を修せずは、 往生を得べからず。 戒定恵なしといへども、 一向に称名せば、 かならず往生を得べきなり 云々。
此ハ無下ノ義也。縦雖モ↢戒定恵ノ三学全具タリト↡、不↠修↢本願念仏ヲ↡者、不↠可↠得↢往生↡。雖0720无戒定恵、一向称名セバ、必可得往生也 云々。
十八
一 乃至一念即得往生の事。
一 乃至一念即得往生事。
われらは一念の機にあらず、 乃至の機なり 云々。 また 「乃至十念」 もかくのごとし。 われらは十念の機にあらず、 乃至の機なり 云々。 釈 (礼讃意) に 「▲上尽形至十声一声等、 定得往生」 もまたかくのごとし。 われらは下至十声の機にあらず、 上尽形の機なり 云々。
我等ハ非↢一念ノ機ニ↡、乃至ノ機也 云々。又「乃至十念モ」如↠此。吾等ハ非↢十念ノ機ニ↡、乃至機也 云々。釈ニ「上尽形至十声一声等、定得往生モ」又如↠此。吾等ハ非↢下至十声ノ機ニ↡、上尽形機也 云々。
十九
一 五決定をもつて往生すといふ事。
一 以↢五決定↡往生スト云事。
一に弥陀の本願決定なり、 二に釈迦の所説決定なり、 三に諸仏の証誠決定なり、 四に善導の経釈決定なり、 五はわれらが信心決定なり。 この義をもつてのゆゑに往生決定なり 云々。
一弥陀本願決定也、二釈迦所説決定也、三諸仏証誠決定也、四善導経釈決定也、五ハ我等信心決定。以此義故往生決定也 云々。
二〇
一 若存若亡の事。
一 若存若亡事。
本願に乗ずるを存といひ、 本願より下るるを亡といふなり。 乗ずるに二義あり、 下るるに二義あり。 いはく悪業を造る時と、 道心を発す時なり。 造罪の時に下るるとは、 かくのごとく悪を造る身なればさだめて仏意に背くべしと思ふはすなはち下るるなり、 これを亡といふなり。 道心廃る時に下るるとは、 かくのごとく道心を発して念仏申すこそ仏意に叶ふらめと思ふをばすなはち下るるにてあるなり、 これを亡といふなり。
乗ヲ↢本願ニ↡云↠存ト、下↢本願ヨリ↡云↠亡ト也。乗ズル有↢二義↡、下ルヽニ有↢二義↡。謂ク造ル↢悪業ヲ↡之時ト、発ス↢道心ヲ↡之時也。造罪ノ時ニヲルヽトハ者、如↠此造ル↠悪ヲ身ナレバ定可シト↠背ク↢仏意ニ↡思ハ即オルヽ也、此ヲ云↠亡ト也。道心廃ル時ニヲルヽトハ者、如↠此発テ↢道心ヲ↡申念仏コソ叶ラメト↢仏意ニ↡思ヲバ即ヲルヽニテ有也、此云↠亡ト也。
罪を造る時にも乗じたりとは、 罪のつくらるるにつきても、 この本願なからましかばいかがせん。 この本願に乗ずるがゆゑに、 悪を造るといへども決定して往おう生じょうすべしと思おもふは乗じょうじたるなり、 これを存ぞんといふ。 また道心どうしんの発おこらん時ときにも乗じょうじたりとは、 かくのごとき道心どうしんいまに始はじまらず、 われ過去かこ生々しょうしょうにも発おこしけん。 しかれどもいまだ生しょう死じを離はなれざるゆゑ知しりぬ、 道心どうしんはわれを救すくはざりけりと。 ただ仏ぶつの願力がんりきのみしてわれをば助たすけ候そうろふべき。 されば道心どうしんはありもせよなくもあれ、 それをば顧かえりみず、 ただすべからく名みょう号ごうを称となふれば浄じょう土どに生しょうずと思おもふはすなはち乗じょうじたるなり、 これを存ぞんといふ 云々。
造ル↠罪ヲ時ニモ乗タリト者、罪ノツクラルヽニ付テモ、此本願ナカラマシカバ何カヾ為セム。乗↢此本願ニ↡之故、難↠造↠悪ヲ決定往生スベシト思フハ乗タル也、此ヲ云↠存ト。又道心ノ発ラム時ニモ乗タリト者0721、如↠此道心不↠始↢于今ニ↡、我過去生々ニモ発シケム。然ドモ未↠離↢生死↡之故知ヌ、道心ハ不ザリケリト↠救↠我ヲ。唯仏ノ願力ノミシテ我ヲバ助ケ候ベキ。サレバ道心ハ有リモセヨ無クモアレ、其ヲバ不顧、唯須ク称↢名号ヲ↡生ト↢浄土ニ↡思ハ即乗タル也、此ヲ云↠存ト 云々。
二一
一 平生へいぜい臨りん終じゅうの事こと。
一 平生臨終事。
平生へいぜいの念仏ねんぶつにおいて往おう生じょう不ふ定じょうと思おもへば、 臨りん終じゅうの念仏ねんぶつもまたもつて不ふ定じょうなり。 平生へいぜいの念仏ねんぶつをもつて決けつ定じょうと思おもへば、 臨りん終じゅうまたもつて決けつ定じょうなり 云々。
於↢平生念仏ニ↡往生不定ト思ヘバ、臨終ノ念仏モ又以不定也。以↢平生ノ念仏ヲ↡決定ト思ヘバ、臨終又以決定也 云々。
二二
一 一念いちねんの信心しんじんの事こと。
一 一念信心事。
信しんを一念いちねんに取とりて、 行ぎょうを一いち形ぎょうに尽つくすべし。 一念いちねんの往おう生じょうを疑うたがはば、 すなはち多た念ねんみな疑ぎ念ねんの念仏ねんぶつなり 云々。
取↢信於一念ニ↡、尽スベシ↢行於一形ニ↡。疑↢一念往生↡者、即多念皆疑念之念仏也 云々。
またいはく、 一いち期ごの終おわりの一念いちねんは一人いちにん往おう生じょうす、 いはんや一いっ生しょうの間あいだ多た念ねんの功こうを積つむ、 あに一度ひとたび往おう生じょうを遂とげざるや。 一念いちねんごとに一人いちにん往おう生じょうの徳とくあり、 いかにいはんや多た念ねんに一いちの往おう生じょうなからんや 云々。
又云、一期ノ終ノ一念ハ一人往生ス、況一生ノ間積↢多念ノ功ヲ↡、豈不↠遂↢一度往生ヲ↡乎。毎一念有↢一人往生ノ徳↡、何況多念ニ無↢一ノ往生↡哉 云々。
二三
一 本願ほんがん成じょう就じゅの事こと。
一 本願成就事。
念仏ねんぶつはわれが所しょ作さなり、 往おう生じょうは仏ぶつの所しょ作さなり。 往おう生じょうは仏ぶつの御おん力ちからにてせしめたまふ物ものを、 わが心こころにとかくせんと思おもふは自じ力りきなり。 ただすべからく称名しょうみょうにつきたる来迎らいこうを待まつべし。
念仏ハ我所作也、往生ハ仏ノ所作也。往生ハ仏ノ御力ニテセシメ給物ヲ、我心ニトカクセムト思ハ自力也。唯須ク↠待ツ↧付タル↢称名ニ↡之来迎ヲ↥。
二四
一 ¬礼讃らいさん¼ の 「若にゃく能のう如にょ上じょう念々ねんねん相続そうぞく」 の事こと。
一0722 ¬礼讃ノ¼「若能如上念々相続」事。
¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ (巻下) には三心さんしん・五ご念ねん・四し修しゅを指さして、 「如にょ上じょう」 といふなり。 これによりてこれをいはば、 三心さんしん・五ご念ねん・四し修しゅのなかには正しょう助じょ二に行ぎょうを明あかし、 これを指さして念々ねんねん相続そうぞくといふなり 云々。
¬往生要集ニハ¼指↢三心・五念・四修ヲ↡、云↢「如上ト」↡也。依之云ハヾ↠之、三心・五念・四修ノ中ニハ明↢正助二行ヲ↡、指↠之云↢念々相続ト↡也 云々。
二五
一 外げの雑縁ぞうえんなし正しょう念ねんを得うるがゆゑにの事こと。
一 无↢外ノ雑縁↡得↢正念↡故事。
これは他たの大善だいぜんなるを見みて、 わが心こころに怯こう弱にゃくなきをいふなり。 たとひ法ほう勝しょう寺じの九く重じゅうの塔とうを見みるとも、 われは一寸いっすんの塔とうをも立たてずといふ疑ぎ心しんもなし。 また東大とうだい寺じの大仏だいぶつを拝はいすともわれは半寸はんすんの仏ぶつをも拝はいせずといふ卑下ひげの心こころなく、 称名しょうみょうの一念いちねんに無む上じょうの功く得どくを得えて決けつ定じょうして往おう生じょうすべしと思おもひ定さだめたるを、 外げ雑縁ぞうえん得とく正しょう念ねん故こといふなり。 かくのごとく信しんずるものの念仏ねんぶつは、 弥陀みだの本願ほんがんと相応そうおうし、 釈しゃ迦かの教きょうと相そう違いなく、 諸仏しょぶつの証誠しょうじょうに随ずい順じゅんするにてあるなり。 雑ぞう行ぎょうの十じゅう三さんの失しつはこの義ぎをもつて心こころ得うべきなり。
此ハ見↢他ノ大善ナルヲ↡、我心ニ无怯弱云也。仮令ヒ見トモ↢法勝寺ノ九重塔↡、我ハ不ズト↠立↢一寸ノ塔ヲモ↡云フ无↢疑心モ↡。又拝トモ↢東大寺ノ大仏ヲ↡我ハ不↠拝↢半寸ノ仏ヲモ↡云無ク↢卑下心↡、称名ノ一念ニ得↢无上ノ功得ヲ↡決定可シト↢往生す↡思定タルヲ、云フ↢外雑縁得正念故ト↡也。如此信ズル者ノ念仏ハ、与↢弥陀ノ本願↡相応、与↢釈迦教↡无ク↢相違↡、随↢順スル諸仏ノ証誠ニ↡ニテアル也。雑行ノ十三ノ失ハ以↢此義↡可得心也。
二六
一 請用念仏事。
一 請しょう用ゆうの念仏ねんぶつの事こと。
他たの請しょうに趣おもむきて念仏ねんぶつを修しゅするは、 三種さんしゅの利り益やくあり。 一いちには自じ行ぎょう勇ゆう猛みょうなり、 二には旦だん那なの願念がんねんを助たすく、 三さんは能衆のうしゅのために利り益やくをなすなり。 功く徳どくには体用たいゆうの二にあり、 体たいは自みずからに留とどまり用ゆうは他たに施ほどこす。 妙みょう楽らく大だい師し (輔行巻七) のいはく、 「善法ぜんぽうの体たいをもつて人ひとに与あたふべからず」 と。 以上 これは 「願がん以此にし功く徳どく」 の文もんを釈しゃくするところなり 云々。
趣↢他ノ請ニ↡修↢念仏ヲ↡者、有↢三種ノ利益↡。一ニハ自行勇猛也、二ハ助ク↢旦那願念ヲ↡、三ハ為ニ↢能衆↡成↢利益ヲ↡也。功徳ニハ有↢体用ノ二↡、体ハ留リ↠自ニ用ハ施ス↠他ニ。妙楽大師ノ云、「以テ↢善法体ヲ↡不↠可↠与↠人ニ。」已上 此ハ釈スル↢「願以此功徳ノ」文↡之所也 云々。
二七
一 ▼善人ぜんにんなほもつて往おう生じょうすいはんや悪人あくにんをやの事こと。 口く伝でんにこれあり
一 善人尚以往生況悪人乎事。口伝有之
わたくしにいはく弥陀みだの本願ほんがんは自じ力りきをもつて生しょう死じを離はなるべく方便ほうべんあり、 善人ぜんにんのためにをこしたまはず、 極ごく重じゅうの悪人あくにん・無む他た方便ほうべんの輩やからを衰あわれみてをこしたまへり。 しかるを菩ぼ薩さつ・賢げん聖じょうもこれにつきて往おう生じょうを求もとむ、 凡ぼん夫ぶの善人ぜんにんもこの願がんに帰かえりて往おう生じょうを得う。 いわんや在悪ざいあくの凡ぼん夫ぶ、 もつともこの他た力りきを憑たのむべしといふなり。 悪あしく領りょう解げして邪見じゃけんに住じゅうすべからず。 たとへば (選択集) 「▲為い凡ぼん夫ぶ兼けん為い聖しょう人にん」 といふがごとし。 よくよく心こころ得うべし心こころ得うべし。 初はじめに三日さんにち三さん夜や読よむにこれ余あまり、 後のち一日いちにちこれを読よむ、 後のち二夜にや一日いちにちこれを読よむ。▽
私0723云弥陀本願ハ以↢自力ヲ↡可↠離↢生死ヲ↡有↢方便↡、善人ノ為ニヲコシ給ハズ、衰テ↢極重悪人・無他方便輩↡ヲコシ給ヘリ。然ルヲ菩薩・賢聖モ付テ↠之求↢往生ヲ↡、凡夫ノ善人モ帰テ↢此願ニ↡得↢往生ヲ↡。況在悪ノ凡夫、尤可シト↠憑ム↢此他力ヲ↡云也。悪シク領解シテ不↠可↠住↢邪見↡。譬バ如↠云ガ↢「為凡夫兼為聖人ト」↡。能々可得心可得心。初三日三夜読余之、後一日読之、後二夜一日読之。▽