二三(1027)、法語(黒田聖への書)
○末代の衆生を往生極楽の機にあてゝみるに、 行すくなしとてうたがふべからず、 一念・十念たりぬべし。
◇罪人なりとてうたがふべからず、 罪根ふかきおもきらわず1028といへり。
◇時くだれりとてうたがふべからず、 法滅已後の衆生なほ往生すべし、 いはむや近来コノゴロおやトイフ 。
◇わが身わるしとてうたがふべからず、 自身はこれ煩悩を具足せる凡夫なりといへり。
◇十方に浄土おほけれども、 西方をねがふ十悪・五逆の衆生むまるゝがゆへなり。
◇諸仏の中に弥陀に帰したてまつるは、 三念・五念にいたるまで、 みづからきたりてむかへたまふがゆへに。
◇諸行の中に念仏をもちゐるは、 かの仏の本願なるがゆへに。
◇いま弥陀の本願に乗じて往生しなむには、 願として成ぜずといふ事あるべからず。 本願に乗ずる事は、 たゞ信心のふかきによるべし。
◇うけがたき人身をうけて、 あひがたき本願にまうあひ、 おこしがたき道心をおこして、 はなれがたき輪廻の里をはなれ、 むまれがたき浄土に往生せむことは、 よろこびの中のよろこびなり。
◇罪は十悪・五逆のものむまると信じて、 少罪おもおかさじとおもふべし。 ▲罪人なほむまる、 いはむや善人おや。
◇行は一念・十念むなしからずと信じて、 无間ヒマナクに修すべし。 一念なほむまる、 いかにいはむや多念おや。
◇阿弥陀仏は、 不取正覚の御ことば成就して現にかのくににましませば、 さだめて命終には来迎したまはむずらむ。 釈尊は、 よきかなや、 わがおしえにしたがひて、 生死をはなれむと知見したまはむ。 六方の諸仏は、 よろこばしきかな、 わ1029れらが証誠を信じて、 不退の浄土に生ぜむとよろこびたまふらむ。
◇天をあふぎ地にふしてよろこぶべし。 このたび弥陀の本願にまうあえる事を、 行住坐臥にも報ずべし。 かの仏の恩徳を、 たのみてもなほたのむべきは乃至十念の御言、 信じてもなほ信ずべきは必得往生の文なり。 黒谷聖人源空 ▽