五(930)、十八条法語
一
▲或人念仏之不審を、 故聖人◗奉↠問曰、 第二十願は大網の願なり。 「▲係念」 (大経巻上) といふは、 三生の内にかならず果ハタシ遂トグルすべし。 仮令通計するに、 百年の内に往生すべき也 云云。 これ九品往生の義、 意コヽロ釈なり。 極大遅者をもてキワメテオホキニオソキモノナリ三生に出ざるこゝろ、 かくのごとく釈せり。
又0931 ¬阿弥陀経¼ の 「▲已発願」 等は、 これ三生之証也と。
二
又云、 ¬阿弥陀経¼ 等は浄土門の出世の本懐なり、 ¬法華経¼ 者聖道門の出世の本懐なり 云云。 望ところはことなり、 疑◗に足ざる者也。
三
又云、 我安置するところの一切経律論は、 これ ¬観経¼ 所摂のオサムルナリ法也。
四
又云、 地蔵等の諸の菩薩を蔑如すべからアナヅルコトナカレトナリず。 往生以後、 伴侶たるべきがゆへなりと。
五
又云、 近代の行人、 観法をもちゐるにあたはず。 もし仏像等を観ぜむは、 運慶・康慶が所造にすぎじ。 もし宝樹等を観ぜば、 桜梅・桃李之花菓等にすぎじ。 しかるに 「▲彼仏今現在成仏」 (礼讃) 等の釈を信じて、 一向に名号を称すべき也と云り。 たゞ名号をとなふる、 三心おのづから具足する也と云り。
六
又云、 念仏はやうなきをもてなり。 名号をとなふるほか、 一切やうなき事也と云り。
七
又云、 諸経の中にとくところの極楽の荘厳等は、 みなこれ四十八願成就の文也。 念仏を勧進するところは、 第十八の願成就◗文なり。 ¬観経¼ の 「▲三心」、 ¬小経¼ (巻下) の 「▲一心不乱」、 ¬大経¼ の願成就の文の 「▲信心歓喜」 と、 同◗流通の 「▲歓0932喜踊躍」 と、 みなこれ至心信楽之心也と云り。 これらの心をもて、 念仏の三心を釈したまへる也と 云云。
八
又云、 「玄義」 (玄義分意) に云く、
「▲釈迦の要門は定散二善なり。 定は慮を息て心を凝すなり、 散は悪を廃して善を修すなりと。 ◆弘願は ¬大経¼ の説のごとし。 一切善悪の凡夫生を得」
「釈迦要門定散二善。 定者息↠慮凝↠心なり、 散者廃↠悪修↠善なりと。 弘願者如↢¬大経¼ 説↡。 一切善悪凡夫得↠生」
といへり。 豫◗ごときはさきの要門にたえず、 よてひとへに弘願を憑也と云り。
九
又云、 導和尚、 深心を釈せむがために余の二心を釈したまふ也。 ¬経¼ の文の三心をみるに、 一切行なし。 深心の釈にいたりて、 はじめて念仏の行をあかすところ也。
一〇
又云、 往生の業成就、 臨終・平生にわたるべし。 本願の文に別にえらばざるがゆへにと云り。 恵心のこゝろ、 平生の見にわたる也と云へり。
一一
又云、 往生の業成は、 念をもて本とす。 名号を称するは、 念を成ぜむがため也。 もし声◗はなるゝとき、 念すなわち懈怠するがゆへに、 常恒に称唱すればすなわち念相続す。 心念の業、 生をひくがゆへ也。
一二
又云、 称名の行は、 常途念仏のとき不浄をはゞかるべからず、 相続を要とするがゆへに。 如意輪の法は、 不浄をはゞからず、 弥陀・観音一体不二也。 これをおも0933ふに、 善導の別時の行には、 清浄潔斉をもちゐる、 尋常の行、 これにことなるべき歟。 恵心の 「▲不↠論↢時処諸縁↡」 (要集巻下) 之釈、 永観の 「不↠論↢身浄不浄↡」 (往生拾因) 之釈、 さだめて存ずるところある歟と 云。
一三
又云、 善導は第十八の願、 一向に仏号を称念して往生すと云り。 恵心のこゝろ、 観念・称念等みなこれを摂すと云り。 もし ¬要集¼ のこゝろによらば、 行者においては、 この名をあやまちてむ歟と。
一四
又云、 第十九の願は、 諸行之人を引入して、 念仏之願に帰せしめむと也。
一五
又云、 真実心といふは、 行者願往生之心なり。 矯飾なく、 表裏なき相応の心也。 雑毒虚仮等は、 名聞利養の心也。
¬大品経¼ (巻一序品) に云く、 「利養名聞を捨よと。」 文
¬大品経¼ 云、 「捨↢利養名聞↡。」 文
¬大論¼ にこの文を述する下に云く、 「まさに業に雑毒を捨つべしといふは、 一声一念なほこれを具せば、 実心のなき相なり。 内を翻じて外を矯るといふは、 仮令外相不法なれども、 内心真実にして往生を願ずれば、 往生を遂ぐべきなり」 と。 云云
¬大論¼ 述↢此文↡之下云、 「当↣業捨↢雑毒↡者、 一声一念猶具↠之、 无↢実心之↡相也。 翻↠内矯↠外者、 仮令外相不法、 内心真実願↢往生↡者、 可↠遂↢往生↡也。」 云云
深心といふは、 疑慮なき心也。 利他真実 者、 得生之後利他門之相也。 よてくはしく釈せずと。
¬観无量寿経¼ に、 「▲もし衆生あてかの国に生むと願ぜむ者、 三種の心を発ばすなわち往生す。 ◆何等か三とする。 一には至誠心、 二には深心、 三には廻向発願心なり。 三心を具すればかならずかの国に生ず」 といへり。
○¬観无量寿経¼、 「若有↢衆生↡願↠生↢彼国↡者、 発↢三種心↡即便往生す。 何等為↠三。 一者至誠心、 二者深心、 三者廻向発願心なり。 具↢三心↡者必生↢彼国↡」 いへり。 しかればすなわちもとも三心を具すべきなり。
¬往生礼讃0934¼ に 三心を釈しおはるに云く、 「▲この三心を具すればかならず往生を得るなり。 もし一心少ぬれば、 すなわち生を得ずと。」
◇¬往生礼讃¼ 釈↢三心↡畢云、 「具↢此三心↡必得↢往生↡也。 若少↢一心↡、即不↠得↠生。」 然則尤可↠具↢三心↡也。
▲一に至誠心といふは、 ◆真実心なり。 ◆身に礼拝を行ず、 口に名号を唱ふ、 意に相好を想ふ、 みな実心をもてせよとなり。 総じてこれを言に、 厭離穢土、 忻求浄土、 修諸行業、 みな真実心をもてこれを勤修すべし。
◇一至誠心者、 真実心也。 身行↢礼拝↡、 口唱↢名号↡、 意想↢相好↡、 皆用↢実心↡。 総而言↠之、 厭離穢土、 忻求浄土、 修諸行業、 皆以↢真実心↡可↣勤↢修之↡。
外に賢善精進の相を現じ、 内に愚悪懈怠の心を懐けり。 所修の行業、 日夜十二時に間なくこれを行ずれども、 往生を得ず。 外に愚悪懈怠の形を顕し、 内には賢善精進の念に住して、 これを修行せば、一時一念といゑども、 その行虚からず、 かならず往生を得む。 これを至誠心と名く。
◇外現↢賢善精進之相↡、 内懐↢愚悪懈怠之心↡。 所修行業、 日夜十二時无↠間行↠之、 不↠得↢往生↡。 外顕↢愚悪懈怠之形↡、 内住↢賢善精進之念↡、 修↢行之↡者、 雖↢一時一念↡、 其行不↠虚、 必得↢往生↡。 是名↢至誠心↡。
二に深心といふは、 深信の心なり。 これについて二あり。
◇二深心者、 深信之心也。フカクシンズルコヽロナリ 付↠之有↠二。
一には我はこれ罪悪不善の身なり、 无始より已来六道に輪廻して、 往生の縁なしと信ず。
◇一者信↧我是罪悪不善之身、 无始已来輪↢廻六道↡、 无↦往生縁↥。
二には罪人といゑども、 仏願力をもて強縁とすれば、 往生を得と信ず。 疑なく慮なかれとなり。
◇二信↧雖↢罪人↡、 以↢仏願力↡為↢強縁↡、 得↦往生↥。 无↠疑无↠慮。
これについてまた二あり。 一には人に就て信を立つ、 二には行に就て信を立つ。
◇付↠此亦有↠二。 一就↠人立↠信、 二就↠行立↠信。
人に就て信を立つといふは、 出離生死の道多といゑども、 大に分て二あり。 一には聖道門、 二には浄土門なり。
◇就↠人立↠信者、 出離生死道雖↠多、 大分有↠二。 一聖道門、 二浄土門。
聖道門といふは、 この娑婆世界にして、 煩悩を断じ菩提を証する道なり。
◇聖道門者、 於↢此娑婆世界↡、 断↢煩悩↡証↢菩提↡道也。
浄土門といふは、 この娑婆世界を厭て、 極楽を忻て善根を修する門なり。
◇浄土門者、 厭↢此娑婆世界↡、 忻↢極楽↡修↢善根↡門也。
二門ありといゑども、 聖道門を閣て浄土門に帰するなり。
◇雖↠有↢二門↡、 閣↢聖道門↡帰↢浄土門↡。
しかるにもし人あて多く経論を引て、 罪悪の凡夫往生を得ずといはむ、 この語を聞くといゑども、 退心を生ぜず、 いよいよ信心を増す。
◇然若有↠人多引↢経論↡、 罪悪凡夫不↠得↢往生↡、 雖↠聞↢此語↡、 不↠生↢退心↡、 弥増↢信心↡。
ゆへはいかんとなれば、 罪障の凡夫浄土に往生するは釈尊の誠言なり、 凡0935夫の妄説にあらず。 我すでに仏言を信じて、 深く浄土を忻求す。 たとひ諸仏・菩薩来て、 罪障の凡夫浄土に生れずと言とも、 これを信ずべからず。
◇所以者何、 罪障凡夫往↢生浄土↡釈尊誠言なり、 非↢凡夫の妄説↡。 我已信↢仏言↡、 深忻↢求浄土↡。 設諸仏・菩薩来、 罪障凡夫言↠不↠生↢浄土↡、 不↠可↠信↠之。
何をもてのゆへに。 菩薩は仏弟子なり。 もし実にこれ菩薩ならば、 仏説に乖くべからず。 しかるにすでに仏説に違して、 往生を得じと言ふ。 知ぬ真の菩薩にあらずといふことを。 このゆへに信ずべからずと。
◇何以故。 菩薩仏弟子。 若実是菩薩者、 不↠可↠乖↢仏説↡。 然已違↢仏説↡、 言↠不↠得↢往生↡。 知非↢真菩薩↡。 是故不↠可↠信。
また仏はこれ同体の大悲なり。 実にこれ仏ならば、 釈迦の説に違ふべからず。
◇また仏是同体大悲。 実是仏者、 不↠可↠違↢釈迦説↡。
しかればすなわち ¬阿弥陀経¼ (意) 説く、 「一日七日阿弥陀仏の名号を念ずれば、 かならず往生を得」 といへるは、 六方恒沙の諸仏、 釈迦仏に同く虚からずとこれを証誠したまへり。
◇然則¬阿弥陀経¼説、 「一日七日念↢阿弥陀仏名号↡、 必得↢往生↡」者、 六方恒沙諸仏、 同↢釈迦仏↡不↠虚証↢誠之↡。
しかるに今釈迦の説に背きて、 往生を得じと云ふ。 かるがゆへに知ぬ真の仏にあらずと。 これ天魔の変化なり。 この義をもてのゆへに、 依り信ずべからず。 仏・菩薩の説、 なほもて信ずべからず、 いかにいはむや余の説おや。
◇然今背↢釈迦説↡、 云↠不↠得↢往生↡。 故知非↢真仏↡。 是天魔変化。 以↢是義↡故、 不↠可↢依信↡。 仏・菩薩説、 尚以不↠可↠信、 何況余説哉。
汝等が執するところ、 大小異りといゑども同く仏果を期す。 穢土の修行は聖道の意なり。 我等が修するところの正雑同からず、 ともに極楽を忻ふ。 往生の行業、 浄土門の意なり。 聖道はこれ汝が有縁の行なり、 浄土門は我有縁の行なり。 これをもてかれを難ずべからず、 かれをもてこれを難ずべからず。
◇汝等所↠執、 雖↢大小異↡同期↢仏果↡。 穢土修行聖道意なり。 我等所↠修正雑不↠同、 共忻↢極楽↡。 往生行業、 浄土門意。 聖道者是汝有縁行なり、 浄土門者我有縁行なり。 不↠可↢以↠此難↟彼、 不↠可↢以↠彼難↟此。
かくのごとく信ずる、 これを人に就て信を立つと名く。
◇如↠是信ずる、 是名↢就↠人立↟信。
次に行に就て信を立つといふは、 往生極楽の行、 まちまちなりといゑども二種を出ず。 一には正行、 二には雑行なり。 正行は阿弥陀仏においての親行なり、 雑行は阿弥陀仏においての疎行なり。
◇次就↠行立↠信者、 往生極楽の行、 雖↠区不↠出↢二種↡。 一者正行、 二者雑行なり。 正行者於↢阿弥陀仏↡之親行也、 雑行者於↢阿弥陀仏↡之疎行也。
まづ正行といふは、 これについて五あり。 一に謂く読誦、 謂く 「三部経」 を読むなり。 二には謂く極楽の依正を観ずるなり。 三には礼拝、 謂く弥陀仏を礼したてまつるな0936り。 四には称名、 謂く弥陀の名号を称するなり。 五には讃嘆供養、 謂く阿弥陀仏を讃嘆し供養したてまつるなり。
◇先正行者、 付↠之有↠五。 一謂読誦、 謂読↢「三部経」↡也。 二謂観↢極楽依正↡也。 三礼拝、 謂礼↢弥陀仏↡也。 四称名、 謂称↢弥陀名号↡也。 五讃嘆供養、 謂讃↢嘆供↣養阿弥陀仏↡也。
この五をもて合して二となす。
◇以↢此五↡合為↠二。
一には一心に弥陀の名号を専念して、 行住座臥時節久近を問ず念念に捨てざるは、 これを正定の業と名く、 かの仏願に順ずるがゆへに。
◇一者一心専↢念弥陀名号↡、 行住座臥不↠問↢時節久近↡念念不↠捨者、 是名↢正定之業↡、 順↢彼仏願↡故。
二には先の五の中に、 称名を除て已外の礼拝・読誦等は、 みな助業と名く。
◇二者先五中、 除↢称名↡已外礼拝・読誦等、 皆名↢助業↡。
次に雑行といふは、 先の五種の正助二行を除て已外のもろもろの読誦大乗・発菩提心・持戒・勧進の行等の一切行なり。
◇次雑行者、 除↢先五種正助二行↡已外諸読誦大乗発菩提心持戒勧進行等一切行也。
この正雑二行について、 五種の得失あり。
◇付↢此正雑二行↡、 有↢五種得失↡。
一には親疎対、 謂く正行は阿弥陀仏に親なり、 雑行は阿弥陀仏に疎なり。
◇一親疎対、 謂正行親↢シタシキ阿弥陀仏↡、 雑行疎↢ウトキ阿弥陀仏↡。
二には近遠対、 謂く正行は阿弥陀仏に近なり、 雑行は阿弥陀仏に遠なり。
◇二近遠対、 謂正行近↢チカシ阿弥陀仏↡、 雑行遠↢トオシ阿弥陀仏↡。
三には有間无間対、 謂く正行は係念間なし、 雑行は係念間断す。
◇三有間无間対、 謂正行係念无↠間、 雑行係念間断。
四には廻向不廻向対、 謂く正行は廻向を用ゐざるにおのづから往生の業となる、 雑行は廻向せざる時は往生の業とならず。
◇四廻向不廻向対、 謂正行不↠用↢廻向↡自為↢往生業↡、 雑行不↢廻向↡時不↠為↢往生業↡。
五には純雑対、 謂く正行は純に往生極楽の業なり、 雑行はしからず、 十方浄土乃至人天の業に通ずるなり。
◇五純雑対、 謂正行純往生極楽業也、 雑行不↠爾、 通↢十方浄土乃至人天業↡也。
かくのごとく信ずるは、 行に就いて信を立つと名く、 これを深心と名く。
◇如↠此信者、 名↢就↠行立↟信、 是名↢深心↡。
三には廻向発願心といふは、 過去及び今生の身口意業に修するところの一切善根、 真実心をもて極楽に廻向して、 往生を忻求するなり。
◇三廻向発願心者、 過去及今生身口意業所↠修一切善根、 以↢真実心↡廻↢向極楽↡、 忻↢求往生↡也。
一六
又云、 善導◗与↢恵心↡相違 義◗事。 善導◗色相等◗観法 観仏三昧と云へり、 称名念仏おば念仏三昧と云へり。 恵心は称名・観法合して念仏三昧と云へり。
一七
又0937云、 余宗の人、 浄土門にその志あらむには、 先 ¬往生要集¼ をもてこれをおしふべし。 そのゆへは、 この書はものにこゝろえて、 難なきやうにその面をみえて、 初心の人のためによき也。 雖↠然◗真実の底の本意は、 称名念仏をもて専修専念の勧進したまへり。 善導と一同也。
一八
又云、 余宗の人、 浄土宗にそのこゝろざしあらむものは、 かならず本宗の意を棄べき也。 そのゆへは、 聖道・浄土の宗義各別なるゆへ也とのたまへり。▽