一四(230)、浄土宗略要文
▲浄土宗略要文第十四 源空
一 聖浄二門
一に道綽禅師の意は聖道・浄土の二門を立てて一代の聖教を判じ、 ならびに聖道を捨てて浄土に帰す文
一ニ○道綽禅師ノ意ハ立テヽ↢聖道・浄土ノ二門ヲ↡判ジ↢一代ノ聖教ヲ↡、并ニ捨テヽ↢聖道ヲ↡帰↢浄0231土ニ↡之文
¬安楽集¼ (巻上) にいはく、 「問ひていはく、 一切衆生にみな仏性あり。 遠劫よりこのかた多仏に値ふべし。 なにによりてかいまに至るまで、 なほみづから生死に輪回して火宅を出でざるや。
◇¬安楽集¼云、「◇問曰、一切衆生ニ皆有↢仏性↡。遠劫ヨリ以来応↠値フナル↢多仏ニ↡。何ニ因カ至マデ↠今ニ、仍自輪↢回シテ生死ニ↡不ヤ↠出↢火宅ヲ↡。
答へていはく、 大乗の聖教によるに、 まことに二種の勝法を得て、 もつて生死を排はざるによる。 ここをもつて火宅を出でず。 何者をか二となす。 一にはいはく聖道、 二にはいはく往生浄土なり。
◇答曰、依ルニ大乗ノ聖教ニ↡、良ニ由↠不ルニ↧得↢二種勝法↡、以排ハ↦生死ヲ↥。是以不↠出↢火宅↡。何者ヲカ為↠二。一ニハ謂聖道、二ニハ謂往生浄土ナリ。
その聖道の一種は、 今の時に証しがたし。 一には大聖を去ること遥遠なるによる。 二には理は深く解は微なるによる。 このゆゑに ¬大集月蔵経¼ にいはく、 わが末法の時の中の億々の衆生行を起し道を修せども、 いまだ一人も得るものあらずと。
◇其ノ聖道ノ一種ハ、今時ニ難↠証シ。一由↧去ルコト↢大聖ヲ↡遥遠↥。二ニハ由↢理深ク解微ナルニ↡。◇是ノ故¬大集月蔵経¼云、我ガ末法ノ時ノ中ノ億々ノ衆生起シ↠行ヲ修ドモ↠道、未 ズ ト↠有↢一人モ得者↡。
当今は末法、 これ五濁悪世なり。 ただ浄土の一門のみありて、 通入すべき路なり。 このゆゑに ¬大経¼ にいはく、 若有衆生、 たとひ一生悪を造れども命終の時に臨みて、 十念相続してわが名字を称して、 もし生れずんば正覚を取らじと。
◇当今ハ末法、是五濁悪世ナリ。唯有テ↢浄土一門ノミ↡、可↢通入↡路ナリ。◇是故¬大経ニ¼云、若有衆生、縦令一生造ドモ↠悪臨テ↢命終ノ時↡、十念相続シテ称シテ↢我ガ名字ヲ↡、若不ンバ↠生者不↠取↢正覚↡。
また一切衆生すべてみづから量らず。 もし大乗に拠らば、 真如実相第一義空かつていまだ心を措かず。 もし小乗を論ずれば、 見諦修道に修入し、 乃至那含・羅漢、 五下を断じ五上を除く、 道俗を問ふことなく、 いまだその分あらず。 たとひ人天の果報あるとも、 みな五戒・十善のためによくこの報を招く。 しかるに持ち得るものはなはだ希なり。
◇又復一切衆生都不↢自量↡。◇若拠ラバ↢大乗ニ↡、真如実相第一義空曽未↠措カ↠心ヲ。◇若論ズレバ↢小乗ヲ↡、修↢入シ見諦修道ニ↡、乃至那含・羅漢、断↢五下ヲ↡除↢五上↡、無ク↠問↢道俗↡、未↠有↢其ノ分↡。◇縦有トモ↢人天ノ果報↡、皆為ニ↢五戒・十善ノ↡能招ク↢此報↡。然ニ持得者甚希ナリ。
もし起悪造罪を論ぜば、 なんぞ暴風駛雨に異ならん。 ここをもつて諸仏の大悲勧めて浄土に帰せしむ。 たとひ一形悪を造るとも、 ただよく意を繋けて専精につねによく念仏すれば、 一切の諸障自然に消除して、 さだめて往生を得。 なんぞ思量せずしてすべて去る心なからんや」 と。
◇若論ゼバ↢起悪造罪↡、何ゾ異ナラン↢暴風駛雨ニ↡。是以諸仏ノ大悲勧テ帰シム↢浄土ニ↡。縦使一形造トモ↠悪、但能繋テ↠意ヲ専精ニ常ニ能ク念仏スレバ、一切ノ諸障自然ニ消除シテ、定得↢往生↡。◇何ゾ不シテ↢思量↡都無ヤ↢去ル心↡也。」
二 出世本意
二に善導和尚の意、 釈尊出世の本意ただ念仏往生を説く文
0232二ニ善導和尚意、云↣釈尊出世ノ本意唯説↢念仏往生ヲ↡之文
¬法事讃¼ (巻下) にいはく、 「▲如来五濁に出現して、 随宜の方便をもつて郡萌を化す。 あるいは多聞にして得度すと説き、 あるいは小解して三明を証すと説く。 あるいは福恵ならびに障を除くと教え、 あるいは禅念して坐して思量せよと教ふ。 種々の法門みな解脱すれども、 念仏して西方に往くに過ぎたることなし。 上一形を尽し十念・三念・五念に至るまで、 仏来迎したまふ。 ただに弥陀の弘誓の重きがために、 凡夫をして念ずればすなはち生ぜしむことを致す」 と。
¬法事讃¼云、「如来出↢現シテ於五濁ニ↡、随宜ノ方便を以化↢郡萌↡。或説↢多聞ニシテ而得度スト↡、或説↣小解証スト↢三明↡。或教↢福恵双除ト↟障、或教フ↢禅念シテ坐シテ思量セヨト↡。種種法門皆解脱スレドモ、無↠過タルコト↣念仏往クニ↢西方ニ↡。上尽シ↢一形ヲ↡至マデ↢十念・三念・五念ニ↡、仏来迎シタマフ。直ニ為↢弥陀弘誓ノ重ガ↡、致ス↠使コトヲ↢凡夫ヲシテ念レバ即チ生ゼ↡。」
三 正雑二行
三に善導和尚正雑二行を立てて、 雑行を捨てて正行に帰する文
三ニ○善導和尚立テヽ↢正雑二行↡、捨テヽ↢雑行↡帰スル↢正行ニ↡之文
¬観無量寿経の疏¼ の第四巻 (散善義) に上品上生の三心のなかの深心を釈していはく、 「就行立信といふは、 しかるに行に二種あり。 一には正行、 二には雑行なり。
◇¬観無量寿経ノ疏¼第四巻ニ釈シテ↢上品上生ノ三心ノ中ノ深心ヲ↡云ク、「◇曰↢就行立信↡者、然ニ行ニ有↢二種↡。一ニハ者正行、二ニハ者雑行。
正行といふは、 もつぱら往生経によりて行を行ずるもの、 これを正行と名づく。 何者かこれなるや。 一心にもつぱらこの ¬観経¼・¬弥陀経¼・¬無量寿経¼ 等を読誦し、 一心に専注してかの国の二報荘厳を思想し観察し憶念し、 もし礼するにはすなはち一心にもつぱらかの仏を礼し、 もし口に称すにはすなはち一心にもつぱらかの仏を称し、 もし讃嘆供養するにはすなはち一心にもつぱら讃嘆供養する、 これを名づけて正となす。
◇言↢正行↡者、専依テ↢往生経ニ↡行ズル↠行ヲ者、是ヲ名↢正行↡。◇何者カ是ナル也。一心ニ専読↢誦此¬観経¼・¬弥陀経¼・¬無量寿経¼等ヲ↡、一心ニ専注シテ思↢想観↣察憶↤念彼ノ国ノ二報荘厳ヲ↡、若礼スルニハ即一心ニ専礼↢彼仏ヲ↡、若シ口ニ称ニハ即一心ニ専称↢彼仏ヲ↡、若讃嘆供養ニハ即一心ニ専讃嘆供養スル、是ヲ名為↠正。
またこの正のなかにまた二種あり。 一には一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、 行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるは、 これを正定の業と名づく、 かの仏願に順ずるがゆゑに。 もし礼誦等に依らばすなはち名づけて助業となす。 この正助二行を除きて以外の自余の諸善をばことごとく雑行と名づく。
◇又就↢此ノ正ノ中ニ復有↢二種↡。◇一ニハ者一心ニ専念ジテ↢弥陀ノ名号ヲ↡、行住坐臥ニ不↠問↢時節ノ久近↡念念ニ不ル↠捨者、是名↢正定之業ト↡、順ズルガ↢彼ノ仏願ニ↡故ニ。◇若シ依ラバ↢礼誦等ニ↡即名テ為↢助業ト↡。◇除テ↢此ノ正助二行↡已外自余ノ諸善ヲバ悉名↢雑0233行ト↡。
もし前の正助二行を修すれば、 心つねに親近し憶念して断ぜざるを、 名づけて無間となす。 もし後の雑行を行ずれば、 すなはち心つねに間断す、 回向して生ずることを得べしといへども、 すべて疎雑の行と名づく」 と。
◇若修スレバ↢前ノ正助二行↡、心常親近シ憶念シテ不ルヲ↠断、名為↢無間ト↡也。若行ズレバ↢後ノ雑行↡、即心常ニ間断ス、雖↠可ト↢回向シテ得↟生コトヲ、衆テ名↢疎雑之行ト↡也。」
四 二行得失
四に善導和尚正雑二行の得失を判ずる文
四ニ善導和尚判↢正雑二行ノ得失ヲ↡之文
¬往生礼讃¼ にいはく、 「もしよく上のごとく念々相続して、 畢命を期となすものは、 十はすなはち十生し、 百はすなはち百生す。 なにをもつてのゆゑに。 外の雑縁なく正念を得るがゆゑに、 仏の本願と相応することを得るがゆゑに、 教に違せざるがゆゑに、 仏語に随順するがゆゑに。
○¬往生礼讃¼云、「若能如↠上ノ念念相続シテ、畢命ヲ為↠期ト者ハ、十ハ即チ十生シ、百ハ則百生ス。何以ノ故。無ク↢外ノ雑縁↡得ガ↢正念↡故、与↢仏ノ本願↡得ガ↢相応コトヲ↡故、不ガ↠違↠教ニ故、随↢順仏語ニ↡故。
もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは、 百時に希に一二を得んや、 千時に希に三五を得んや。 なにをもつてのゆゑに。 すなはち雑縁乱動して正念を失するによるがゆゑに、 仏の本願と相応せざるがゆゑに、 教と相違するがゆゑに、 仏語に順ぜざるがゆゑに、 係念相続せざるがゆゑに、 憶想間断するがゆゑに、 回願慇重真実ならざるがゆゑに、 貪瞋・諸見の煩悩来りて間断するがゆゑに、 慚愧・懺悔の心あることなきがゆゑに」 と。
◇若欲↣捨↠専ヲ修ント↢雑業↡者ハ、百時ニ希ニ得ンヤ↢一二ヲ↡、千時ニ希ニ得↢三五ヲ↡。◇何以ノ故。乃由ガ↣雑縁乱動シテ失スルガ↢正念ヲ↡故、与↢仏ノ本願↡不↢相応↡故、与↠教相違スルガ故、不↠順↢仏語↡故、係念不↢相続↡故、憶想間断スルガ故、回願不↢慇重真実ナラ↡故、貪瞋・諸見ノ煩悩来テ間断スルガ故、無↠有↢慚愧・懺悔ノ心↡故。」
また (礼讃) いはく、 「余このごろみづから諸方の道俗を見聞するに、 解行不同にして専雑異なることあり。 ただ意をもつぱらにしてなさしむるものは、 十はすなはち十生す。 雑を修して不至心のものは、 千中に一もなし。 これ二行の得失なり、 前にすでに辨ずるがごとし」 と。
又云、「○餘比日自見↢聞スルニ諸方ノ道俗ヲ↡、解行不同ニシテ専雑有↠異。但使↢専↠意作↡者ハ、十即十生。修シテ↠雑ヲ不至心ノ者ハ、千中無↠一。此二行ノ得失ナリ、如↢前ニ已ニ辨ズルガ↡。」
五 念仏往生
五に善導和尚の意、 「三部経」 ともにただ念仏往生を明かす文
五ニ善導和尚ノ意、「三部経」共ニ唯明ス↢念仏往生ヲ↡之文
¬観経疏¼ の第三に (定善義) にいはく、 「自余の衆行はこれ善と名づくといへども、 もし念仏に比すればまつたく比校にあらざるなり。 このゆゑに諸経のなかに処々に広く念仏の功徳を讃じたり。 ¬無量寿経¼ の四十八願のなかのごときは、 ただもつぱら弥陀の名号を念じて生ずることを得と明かす。
¬観経疏¼第三ニ云、「○自余ノ衆行ハ雖↠名↢是善ト↡、若比スレバ↢念仏ニ↡者全ク非↢比校ニ↡也。是ノ故ニ諸経ノ中ニ処処ニ広讃タリ↢念仏ノ功徳ヲ↡。◇如キハ¬無量寿経¼四十八願中↡、唯明0234↧専念ジテ↢弥陀ノ名号ヲ↡得↞生コトヲ。
また ¬弥陀経¼ のなかのごとき、 一日七日もつぱら弥陀の名号を念じて生ずることを得と。 また十方恒沙の諸仏不虚を証誠したまふと。
◇又如キ↢¬弥陀経¼中↡、一日七日専念ジテ↢弥陀名号↡得↠生。又十方恒沙ノ諸仏証↢誠不虚ヲ↡也。
またこの ¬経¼ の定散の文のなかに、 ただ専念名号得生を標す。 この例一にあらず。 広く念仏三昧を顕しおはりぬ」 と。
◇又此¬経ノ¼定散ノ文ノ中ニ、唯標↢専念名号得生↡。◇此ノ例非↠一ニ也。◇広顕シ↢念仏三昧ヲ↡竟。」
六 名号本願
六に弥陀如来、 ただ名号をもつて往生の本願となしたまへる文
六ニ弥陀如来、唯以↢名号ヲ↡為タマヘル↢往生ノ本願ト↡之文
¬往生礼讃¼ にいはく、 「▲¬無量寿経¼ にいふがごとし。 もしわれ成仏せんに、 十方の衆生、 わが名号を称すること下十声に至るまで、 もし生ぜずは正覚を取らじ」 と。
¬往生礼讃¼云、「如↢¬無量寿経ニ¼云↡。若我成仏センニ、十方ノ衆生、称シ↢我ガ名号↡下至↢十声↡、若不↠生者不↠取↢正覚↡。」
善導和尚釈して (礼讃) いはく、 「▲かの仏いま現に世にましまして成仏したまふ。 まさに知るべし、 本誓の重願虚しからず、 衆生称念すればかならず往生を得」 と。
善導和尚釈シテ云、「彼ノ仏今現ニ在シテ↠世ニ成仏シタマフ。当↠知、本誓ノ重願不↠虚カラ、衆生称念スレバ必得↢往生ヲ↡。」
七 念仏利益
七に念仏利益の文
七ニ○念仏利益ノ文
¬無量寿経¼ の下巻にいはく、 「仏弥勒に語りたまはく、 それかの仏の名号を聞くことを得、 歓喜踊躍して乃至一念せん。 まさに知るべし、 この人は大利を得たりとなす。 すなはちこれ無上の功徳を具足するなり」 と。
◇¬無量寿経ノ¼下巻云、「仏語↢弥勒ニ↡、其有↠得↠聞↢彼ノ仏ノ名号ヲ↡、歓喜踊躍シテ乃至一念セン。当↠知、此ノ人ハ為↠得リト↢大利ヲ↡。則是具↢足スルナリ無上ノ功徳↡。」
善導の ¬礼讃¼ にいはく、 「それかの弥陀仏の名号を聞くことを得ることありて、 歓喜して一念に至らんに、 みなまさにかしこに生ずることを得べし」 と。
◇善導ノ¬礼讃¼云、「其有テ↠得↠聞コトヲ↢彼ノ弥陀仏ノ名号ヲ↡、歓喜シテ至ンニ↢一念ニ↡、皆当ニ↠得↠生↠彼ニ。」
わたくしにいはく、 一念すでに無上の功徳なり。 まさに知るべし、 十念はすなはち十の無上、 百念はすなはち百の無上功徳なり。 知るべし。
私ニ云、○一念既ニ無上ノ功徳ナリ。当↠知、十念ハ即チ十ノ無上、百念ハ即百ノ無上功徳也。応↠知。
八 特留念仏
八に末法万年の後、 余行ことごとく滅する時、 釈迦如来ことに慈悲をもつて念仏を留めて往生せしむる文
0235八ニ○末法万年ノ後、余行悉ク滅スル時、釈迦如来特ニ以↢慈悲ヲ↡留テ↢念仏ヲ↡往生シムル之文
¬無量寿経¼ の下巻にいはく、 「当来の世に経道滅尽せんに、 われ慈悲をもつて哀愍して、 ことにこの経を留めて止住すること百歳ならん。 それ衆生ありてこの経に値ふものは、 意の所願に随ひてみな得度すべし」 と。
◇¬無量寿経ノ¼下巻云、「当来ノ之世ニ経道滅尽センニ、我以↢慈悲↡哀愍シテ、特留↢此経↡止住スルコト百歳ナラン。其有テ↢衆生↡値↢此ノ経ニ↡者ハ、随テ↢意ノ所願↡皆可↢得度ス↡。」
善導和尚の ¬礼讃¼ にいはく、 「万年に三宝滅せんに、 この ¬経¼ 住すること百年せん。 その時に聞きて一念せんもの、 みなまさにかしこに生ずることを得べし」 と。
○善導和尚ノ¬礼讃ニ¼云、「万年ニ三宝滅センニ、此ノ¬経¼住コト百年セン。爾ノ時ニ聞テ一念センモノ、皆当↠得↠生↠彼ニ。」
九 多善根
九に念仏をもつて多善根とし、 諸行をもつて少善根とする文
九ニ○以↢念仏ヲ↡為↢多善根ト↡、以↢諸行↡為ル↢少善根ト↡之文
¬阿弥陀経¼ にいはく、 「少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。 舎利弗、 もし善男子・善女人ありて、 阿弥陀仏を説くことを聞きて、 名号を執持すること、 もしは一日、 もしは二日、 もしは三日、 もしは四日、 もしは五日、 もしは六日、 もしは七日、 一心不乱ならんに、 その人命終の時に臨みて、 阿弥陀仏もろもろの大衆と現にその前にまします。 この人終る時、 心顛倒せず、 すなはち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得」 と。
◇¬阿弥陀経ニ¼云、「不↠可↧以↢少善根福徳ノ因縁ヲ↡得↞生コトヲ↢彼国ニ↡。◇舎利弗、若有↢善男子・善女人↡、聞テ↠説コトヲ↢阿弥陀仏ヲ↡、執↢持スルコト名号ヲ↡、若ハ一日、若ハ二日、若三日、若四日、若五日、若六日、若ハ七日、一心不乱ナランニ、其ノ人臨テ↢命終ノ時ニ↡、阿弥陀仏与↢諸大衆↡現ニ在↢其ノ前↡。是ノ人終ル時、心不顛倒、即得↣往↢生阿弥陀仏ノ極楽国土ニ↡。」
善導 (法事讃巻下) この文を釈していはく、 「極楽は無為涅槃の界なり。 随縁の雑善恐らくは生じがたし。 ゆゑに如来をして要法を選び、 教へて弥陀を念ずることもつぱらにしてまたもつぱらならしむ。 七日七夜心無間に、 長時の起行もますますみなしかなり。臨終に聖衆花を持ちて現じたまふ、 身心踊躍して金蓮に坐す」 と。
◇善導釈シテ↢此文ヲ↡云、「◇極楽ハ無為涅槃ノ界ナリ。随縁ノ雑善恐クハ難↠生ジ。故使↧如来ヲシテ選↢要法ヲ↡、教テ念コト↢弥陀ヲ↡専ニシテ復専ナラ↥。◇七日七夜心無間ニ、長時ノ起行モ倍マス皆然ナリ。臨0236終ニ聖衆持テ↠花ヲ現ジタマフ、身心踊躍シテ坐ス↢金蓮ニ↡。」
十 六方護念
十に六方の諸仏等しく念仏の行者を護念したまふ文
十ニ○六方ノ諸仏等ク護↢念シタマフ念仏ノ行者ヲ↡之文
¬観念法門¼ にいはく、 「また ¬弥陀経¼ に説くがごとし。 もし男子・女人ありて、 七日七夜、 および一生を尽して、 一心にもつぱら阿弥陀仏を念じて往生を願ずれば、 この人、 つねに六方恒河沙等の仏ともに来りて護念することを得。 ゆゑに護念経と名づく。 護念の意は、 またもろもろの悪鬼神をして便りを得しめず、 また横病・横死、 横に厄難あることなく、 一切の災障自然に消散す。 不至心を除く」 と。
◇¬観念法門ニ¼云、「又如↢¬弥陀経ニ¼説↡。若有テ↢男子・女人↡、七日七夜、及ビ尽シテ↢一生ヲ↡、一心ニ専念ジテ↢阿弥陀仏ヲ↡願ズレバ↢往生ヲ↡者、此人、常ニ得↢六方恒河沙等ノ仏共ニ来護念コトヲ↡。故名↢護念経ト↡。護念ノ意ハ者、亦不↠令↢諸ノ悪鬼神ヲシテ得↟便リヲ、亦無ク↣横病・横死、横有コト↢厄難↡、一切ノ災障自然ニ消散ス。除ク↢不至心ヲ↡。」
¬往生礼讃¼ にいはく、 「¬十往生経¼ にのたまはく、 もし衆生ありて阿弥陀仏を念じて往生を願ずれば、 かの仏すなはち二十五菩薩を遣はして、 行者を擁護したまふ。 もしは行もしは坐、 もしは住もしは臥、 もしは昼もしは夜、 一切の時一切の処に、 悪鬼・悪神をしてその便りを得しめず。
○¬往生礼讃¼云、「¬十往生経¼云、若有テ↢衆生↡念ジテ↢阿弥陀仏↡願↢往生↡者、彼ノ仏即遣ハシテ↢二十五菩薩ヲ↡、擁↢護タマフ行者ヲ↡。若ハ行若ハ坐、若ハ住若ハ臥、若ハ昼若ハ夜、一切ノ時一切ノ処ニ、不↠令↣悪鬼・悪神ヲシテ得↢其ノ便ヲ↡也。
また ¬観経¼ にのたまふがごとし。 もし阿弥陀仏を称念して、 かの国に往生せんと願ずれば、 かの仏すなはち無数の化仏、 無数の化観世音・勢至菩薩を遣はして、 行者を護念せしめたまふと。 また前の二十五菩薩等と百重千重に行者を囲遶して、 行住座臥を問はず、 一切時処、 もしは昼もしは夜、 つねに行者を離れたまはず。
◇又如↢¬観経ニ¼云。若称↢念シテ阿弥陀仏ヲ↡、願↣往↢生彼ノ国↡者、彼ノ仏即遣ハシテ↢無数ノ化仏、無数ノ化観世音・勢至菩薩ヲ↡、護↢念行者ヲ↡。復与↢前ノ二十五菩薩等↡百重千重ニ囲↢遶シテ行者ヲ↡、不↠問↢行住座臥ヲ↡、一切時処、若ハ昼若ハ夜、常ニ不↠離↢行者ヲ↡。
いますでにこの勝益の憑むべきあり。 願はくはもろもろの行者、 おのおのすべからく至心に往生を求むべし」 と。
◇今既有リ↢斯ノ勝益ノ可↟憑ム。願クハ諸ノ行者、各須↣至心ニ求ム↢往生ヲ↡。」
十一 慇懃付属
十一に釈尊弥陀の名号をもつて慇懃に舎利弗に付属したまふ文
十一ニ○釈尊以↢弥陀ノ名号ヲ↡慇懃ニ付↢属シタマフ舎利弗ニ↡之文
¬阿弥陀経¼ にのたまはく、 「仏、 経を説きおはりて、 舎利弗およびもろもろの比丘、 一切世間の天・人・阿修羅等、 仏の所説を聞きて歓喜信受して、 礼をなして去りぬ」 と。
◇¬阿0237弥陀経¼云、「仏説↠経已テ、舎利弗及諸ノ比丘、一切世間ノ天・人・阿修羅等、聞↢仏ノ所説↡歓喜信受シテ、作↠礼而去ヌト。」
善導 ¬法事讃¼ (巻下) にこの文を釈していはく、 「世尊の説法、 時まさに了りなんとして、 慇懃に弥陀の名を付属したまふ。 五濁増の時疑謗多し、 道俗あひ嫌ひて聞くことを用ゐず。 修行することあるを見ては瞋毒を起し、 方便破壊して競ひて怨を生ず。 かくのごときの生盲闡提の輩、 頓教を毀滅して永く沈淪す。 大地微塵劫を超過すとも、 いまだ三塗の身を離るることを得べからず。 大衆同心にみなあらゆる破法罪の因縁を懺悔すべし」 と。
◇善導¬法事讃ニ¼釈↢此文ヲ↡云、「◇世尊ノ説法、時将ニ↠了、慇懃ニ付↢属弥陀名ヲ↡。五濁増ノ時多シ↢疑謗↡、道俗相嫌テ不↠用↠聞。◇見テハ↠有ヲ↢修行↡起↢瞋毒↡、方便破壊シテ競テ生↠怨。如ノ↠此生盲闡提ノ輩、毀↢滅シテ頓教ヲ↡永ク沈淪ス。◇超↢過ストモ大地微塵劫ヲ↡、未↠可↠得↠離↢三塗ノ身ヲ↡。大衆同心ニ皆懺↢悔スベシ所有破法罪ノ因縁↡。」
十二 光明唯照
十二に弥陀の光明余の行者を照らさず、 ただ念仏の行者を照らす文
十二ニ○弥陀ノ光明不↠照↢余ノ行者ヲ↡、唯照ス↢念仏ノ行者ヲ↡之文
¬観無量寿経¼ にいはく、 「無量寿仏に八万四千の相あり。 一々の相に、 八万四千随形好あり。 一々の好にまた八万四千の光明あり。 一々の光明、 あまねく十方世界を照らして、 念仏の衆生を摂取して捨てたまはず」 と。
◇¬観無量寿経¼云、「無量寿仏ニ有↢八万四千ノ相↡。一一ノ相ニ、有↢八万四千随形好↡。一一ノ好ニ復有↢八万四千光明↡。一一光明、遍照↢十方世界↡、念仏ノ衆生ヲ摂取シテ不↠捨タマハ。」
善導和尚の ¬礼讃¼ にいはく、 「弥陀の身色は金山のごとし。 相好の光明十方を照らす。 ただ念仏のみありて光摂を蒙る。 まさに知るべし本願もつとも強しとなす」 と。
○善導和尚ノ¬礼讃¼云、「弥陀身色ハ如↢金山↡。相好ノ光明照↢十方↡。唯有↢念仏ノミ↡蒙↢光摂↡。当↠知本願最モ為↠強ト。」
十三 唯歎念仏
十三に雑善を讃めず、 ただ念仏の行者を歎ずる文
十三ニ○不↠讃↢雑善ヲ↡、唯歎ズル↢念仏ノ行者↡之文
¬観無量寿経¼ にのたまはく、 「もし念仏するものは、 まさに知るべし。 この人はこれ人中の分陀利華なり。 観世音菩薩・大勢至菩薩、 その勝友となりて、 まさに道場に坐し諸仏の家に生るべし」 と。
◇¬観無量寿経¼云、「若念仏スル者ハ、当↠知。此人ハ是人中ノ分陀利華ナリ。観世音菩0238薩・大勢至菩薩、為↢其ノ勝友ト↡、当↧坐シ↢道場ニ↡生↦諸仏ノ家ニ↥。」
同経の ¬疏¼ (散善義) にいはく、 「若念仏者より下生諸仏家に至るこのかたは、 まさしく念仏三昧の功能超絶して、 実に雑善を比類とすることを得るにあらざることを顕す。 すなはちその五あり。 一には弥陀の名を専念することを明かす。 二には能念の人を指讃することを明かす。 三にはもしよく相続して念仏するものは、 この人はなはだ希有なりとなす、 さらに物としてもつてこれに方ぶべきなし、 ゆゑに分陀利を引きて喩となすといふことを明かす。
◇同経ノ¬疏ニ¼云、「従↢若念仏者↡下至↢生諸仏家↡已来、正ク顕↣念仏三昧ノ功能超絶シテ、実ニ非コトヲ↢雑善ヲ得ルニ↟為コトヲ↢比類ト↡。即有↢其ノ五。◇一ニハ明↣専念コトヲ↢弥陀ノ名↡。二ニハ明↣指↢讃能念之人↡。三ニハ明↧若能相続シテ念仏スル者ハ、此ノ人甚為↢希有ナリト↡、更無シ↣物トシテ可↢以方↟之、故ニ引↢分陀利ヲ↡為スト云コトヲ↞喩ト。
分陀利といふは、 人中の好花と名づけ、 また希有花と名づけ、 また人中の上々花と名づけ、 また人中の妙好花と名づく。 この花相伝して蔡花と名づくるこれなり。 もし念仏するものは、 すなはちこれ人中の好人なり、 人中の妙好人なり、 人中の上々人なり、 人中の希有人なり、 人中の最勝人なり」 と。
◇言↢分陀利↡者、名↢人中好花↡、亦名↢希有花↡、亦名↢人中ノ上上花↡、亦名↢人中妙好花↡。此ノ花相伝シテ名↢蔡花ト↡是。若念仏スル者ハ、即是人中ノ好人ナリ、人中ノ妙好人ナリ、人中ノ上上人ナリ、人中ノ希有人ナリ、人中ノ最勝人也。」
十四 付属名号
十四に釈迦如来余行を付属せず、 ただ弥陀の名号を念ずるをもつて阿難に付属したまへる文
十四ニ○釈迦如来不↣付↢属余行ヲ↡、唯以↠念ズルヲ↢弥陀ノ名号ヲ↡付↢属タマヘル阿難ニ↡之文
¬観無量寿経¼ にいはく、 「仏、 阿難に告げたまはく、 なんぢ、 よくこの語を持て。 この語を持てといふは、 すなはちこれ無量寿仏の名を持つなり」 と。
◇¬観無量寿経¼云、「仏告↢阿難↡、汝、好ク持↢是ノ語↡。持↢是語↡者、即是持↢無量寿仏ノ名ヲ↡。」
同経の ¬疏¼ (散善義) にこの文を釈していはく、 「▲仏告阿難汝好持是語より以下は、 まさしく弥陀の名号を付属して、 遐代に流通せしめたまふことを明かす。 上来定散両門の益を説くといへども、 仏の本願に望むるに、 意衆生一向にもつぱら弥陀仏の名を称するにあり」 と。
◇同経¬疏ニ¼釈↢此文↡云、「従↢仏告阿難汝好持是語↡已下、正明↧付↢属シテ弥陀ノ名号ヲ↡、流↦通於遐代ニ↥。上来雖↠説ト↢定散両門之益ヲ↡、望↢仏ノ本願ニ↡、意在リ↣衆0239生一向ニ専ラ称スルニ↢弥陀仏ノ名ヲ↡。」
▲わたくしにいはく、 このなかに、 「定」 とは、 始め日想観よりこのかた十三観これなり。 「散」 とは、 初めの三福業と、 後の九品の業とこれなり。 この定散二善のなかに、 もろもろの往生の行を説くといへども、 仏の本願はただ名号にあり。 ゆゑに釈迦如来、 ただ名号をもつて阿難尊者に付属したまふなり。
私ニ云、此ノ中ニ、「定ト」者、始メ自↢日想観↡以来十三観是ナリ也。「散トハ」者、初三福業ト、後ノ九品ノ業ト是也。此ノ定散二善ノ中ニ、雖↠説↢諸ノ往生ノ行ヲ↡、仏ノ本願ハ唯在リ↢名号ニ↡。故釈迦如来、唯以↢名号ヲ↡付↢属阿難尊者ニ↡也。
十五 必具三心
十五に念仏の行者、 かならず三心を具すべき文
十五ニ○念仏ノ行者、必ズ可↠具↢三心ヲ↡之文
善導和尚の ¬往生礼讃¼ にいはく、 「かの国に生ぜんと欲せば、 ¬観経¼ に説きたまふがごときは、 三心を具してかならず往生を得。 なんらをか三となす。
善導和尚ノ¬往生礼讃¼云、「○欲↠生↢彼国ニ↡者、如↢¬観経ニ¼説ガ↡者、具シテ↢三心ヲ↡必得↢往生↡。何等ヲカ為↠三。
一には至誠心。 いはゆる身業にかの仏を礼拝し、 口業にかの仏を讃嘆称揚し、 意業にかの仏を専念観察す。 およそ三業を起すにかならず真実を須ゆ。 ゆゑに至誠心と名づく。
◇一ニハ者至誠心。所謂身業ニ礼↢拝シ彼仏↡、口業ニ讃↢嘆称↣揚シ彼仏ヲ↡、意業ニ専↢念観↣察ス彼仏ヲ↡。凡ソ起スニ↢三業ヲ↡必須ユ↢真実ヲ↡。故名↢至誠心ト↡。
二には深心。 すなはちこれ真実の深信なり。 自身はこれ煩悩を具足する凡夫、 善根薄少にして三界に流転して、 火宅を出でずと信知し、 いま弥陀の本弘誓願、 および名号を称すること下十声一声等に至るまで、 さだめて往生を得と信知して、 乃至一念も疑心あることなし。 ゆゑに深心と名づく。
◇二ニハ者深心。即是真実ノ深信ナリ。信↧知自身ハ是具↢足煩悩ヲ↡凡夫、善根薄少ニシテ流↢転シテ三界ニ↡、不ト↞出↢火宅ヲ↡、今信↧知弥陀ノ本弘誓願、及ビ称コト↢名号ヲ↡下至マデ↢十声一声等ニ↡、定テ得ト↦往生ヲ↥、乃至一念モ無↠有↢疑心↡。故名↢深心ト↡。
三には回向発願心。 所作の一切の善根ことごとくみな回して往生を願ず。 ゆゑに回向発願心と名づく。 この三心を具すればかならず生ずることを得。 もし一心少けぬれば、 すなはち生ずることを得ず」 と。
◇三ニハ者回向発願心。所作ノ一切善根悉ク皆回シテ願ズ↢往生ヲ↡。故名↢回向発願心ト↡。◇具スレバ↢此ノ三心↡必得↠生也。若少ヌレバ↢一心↡、即不↠得↠生コトヲ。」
十六 不簡下智
十六に下智・破戒等を簡ばず、 弥陀の本願によりてただ名号を念ずれば往生を得る文
十六ニ不↠簡↢下智・破戒等ヲ↡、依テ↢弥陀ノ本願ニ↡唯念ズレバ↢名号ヲ↡得ル↢往生ヲ↡之文
法照禅師の ¬五会法事讃¼ (巻本) にいはく、 「かの仏因中に弘誓を立つ。 名を聞きてわれを念ぜばすべて来迎せん。 貧窮と富貴とを簡ばず、 下智と高才とを簡ばず、 多聞と浄戒を持つを簡ばず、 破戒と罪根の深きとを簡ばず。 ただ回心して多く念仏せしむれば、 よく瓦礫をして変じて金とならしめん」 と。
○法0240照禅師ノ¬五会法事讃ニ¼云、「彼ノ仏因中ニ立↢弘誓↡。聞テ↠名念ゼバ↠我ヲ総テ来迎セン。不↠簡↣貧窮ト将↢富貴↡、不↠簡↣下智ト与↢高才↡、不↠簡↣多聞ト持↢浄戒↡、不↠簡↢破戒ト罪根ノ深トヲ↡。但使↢回心多念仏↡、能令ン↢瓦礫ヲシテ変ジテ成↟金。」
十七 時節延促
十七に浄業を修行する時節延促の文
十七ニ修↢行スル浄業ヲ↡時節延促ノ之文
¬観経の疏¼ の第四 (散善義) にいはく、 「▲上一形を尽し下一日・一時・一念等に至る。 あるいは一念・十念より一時・一日・一形に至る。 大意は、 一たび発心して以後、 誓ひてこの生を畢ふるまで退転あることなし。 ただ浄土をもつて期となす」 と。
¬観経ノ疏ノ¼第四云、「上尽シ↢一形ヲ↡下至↢一日・一時・一念等↡。或ハ従↢一念・十念↡至↢一時・一日・一形↡。大意ハ者、一タビ発心シテ已後、誓テ畢↢此生ヲ↡無↠有↢退転↡。唯以↢浄土↡為↠期ト。」
建仁四年二月十七日、 黒谷上人伊豆山の源延がために集めらるるところの要文なり。 わたくしにいはく、 二月二十日に元久と改む。
建仁四年二月十七日、黒谷上人為ニ↢伊豆山源延ガ↡所ノ↠被↠集之要文也。私云、二月廿日改ム↢元久ト↡。▽