一四(230)、浄土宗略要文

じょうしゅうりゃく要文ようもんだいじゅう  源空げんくう

一 聖浄二門

いちどうしゃくぜんこころしょうどうじょうもんてて一代いちだい聖教しょうぎょうはんじ、 ならびにしょうどうててじょうもん

道綽禅師テヽ↢聖道・浄土二門↡判↢一代聖教↡、并テヽ↢聖道↡帰↢浄0231↡之文

¬安楽あんらくしゅう¼ (巻上) にいはく、 「ひていはく、 一切いっさいしゅじょうにみなぶっしょうあり。 遠劫おんこうよりこのかたぶつふべし。 なにによりてかいまにいたるまで、 なほみづからしょうりんしてたくでざるや。

¬安楽集¼云、「問曰、一切衆生皆有↢仏性↡。遠劫ヨリ以来応↠値ナル↢多仏↡。何マデ↠今輪↢回シテ生死↡不↠出↢火宅↡。

こたへていはく、 だいじょう聖教しょうぎょうによるに、 まことにしゅしょうぼうて、 もつてしょうはらはざるによる。 ここをもつてたくでず。 何者なにものをかとなす。 いちにはいはくしょうどうにはいはくおうじょうじょうなり。

答曰、依ルニ大乗聖教↡、良由↠不ルニ↧得↢二種勝法↡、以排↦生死↥。是以不↠出↢火宅↡。ナニヲカ為↠二。一ニハ謂聖道、二ニハ謂往生浄土ナリ

そのしょうどう一種いっしゅは、 いまときしょうしがたし。 いちにはだいしょうること遥遠ようおんなるによる。 にはふかさとりなるによる。 このゆゑに ¬だいじゅう月蔵がつぞうきょう¼ にいはく、 わが末法まっぽうときうち億々おくおくしゅじょうぎょうおこどうしゅせども、 いまだ一人いちにんるものあらずと。

聖道一種、今時難↠証。一由↧去ルコト↢大聖↡遥遠↥。二ニハ由↢理深解微ナルニ↡。故¬大集月蔵経¼云、我末法億々衆生起↠行ドモ↠道、未↠有↢一人得者↡。

当今とうこん末法まっぽう、 これじょくあくなり。 ただじょう一門いちもんのみありて、 つうにゅうすべきみちなり。 このゆゑに ¬だいきょう¼ にいはく、 にゃくしゅじょう、 たとひいっしょうあくつくれども命終みょうじゅうときのぞみて、 じゅうねん相続そうぞくしてわがみょうしょうして、 もしうまれずんばしょうがくらじと。

当今末法、是五濁悪世ナリ。唯有↢浄土一門ノミ↡、可↢通入↡路ナリ是故¬大経¼云、若有衆生、縦令一生造ドモ↠悪臨↢命終時↡、十念相続シテシテ↢我名字↡、若不ンバ↠生者不↠取↢正覚↡。

また一切いっさいしゅじょうすべてみづからはからず。 もしだいじょうらば、 真如しんにょ実相じっそう第一だいいちくうかつていまだしんかず。 もし小乗しょうじょうろんずれば、 見諦けんたい修道しゅどうしゅにゅうし、 ないごんかん五下ごげだんじょうのぞく、 道俗どうぞくふことなく、 いまだそのぶんあらず。 たとひ人天にんでんほうあるとも、 みなかいじゅうぜんのためによくこのほうまねく。 しかるにたもるものはなはだまれなり。

又復一切衆生都不↢自量↡。若拠ラバ↢大乗↡、真如実相第一義空曽未↠措↠心若論ズレバ↢小乗↡、修↢入見諦修道↡、乃至那含・羅漢、断↢五下↡除↢五上↡、無↠問↢道俗↡、未↠有↢其分↡。縦有トモ↢人天果報↡、皆為↢五戒・十善↡能招↢此報↡。然持得甚希ナリ

もしあく造罪ぞうざいろんぜば、 なんぞ暴風ぼうふう駛雨しうことならん。 ここをもつて諸仏しょぶつだいすすめてじょうせしむ。 たとひいちぎょうあくつくるとも、 ただよくこころけてせんしょうにつねによく念仏ねんぶつすれば、 一切いっさいしょしょうねんしょうじょして、 さだめておうじょう。 なんぞりょうせずしてすべてこころなからんや」 と。

若論ゼバ↢起悪造罪↡、何ナラン↢暴風駛雨↡。是以諸仏大悲勧シム↢浄土↡。縦使一形造トモ↠悪、但能繋↠意専精念仏スレバ、一切諸障自然消除シテ、定得↢往生↡。シテ↢思量↡都無↢去心↡也。」

二 出世本意

善導ぜんどうしょうこころしゃくそんしゅっほんただ念仏ねんぶつおうじょうもん

0232善導和尚意、云↣釈尊出世本意唯説↢念仏往生↡之文

¬ほうさん¼ (巻下) にいはく、 「如来にょらいじょくしゅつげんして、 ずい方便ほうべんをもつて郡萌ぐんもうす。 あるいはもんにしてとくすとき、 あるいはしょうしてさんみょうしょうすとく。 あるいはふくならびにさわりのぞくとおしえ、 あるいは禅念ぜんねんしてしてりょうせよとおしふ。 種々しゅじゅ法門ほうもんみなだつすれども、 念仏ねんぶつして西方さいほうくにぎたることなし。 かみいちぎょうつくじゅうねん三念さんねんねんいたるまで、 ぶつ来迎らいこうしたまふ。 ただに弥陀みだぜいおもきがために、 ぼんをしてねんずればすなはちしょうぜしむことをいたす」 と。

¬法事讃¼云、「如来出↢現シテ於五濁↡、随宜方便を以化↢郡萌↡。或説↢多聞ニシテ而得度スト↡、或説↣小解証スト↢三明↡。或教↢福恵双除↟障、或教↢禅念シテシテ思量セヨト↡。種種法門皆解脱スレドモ、無↠過タルコト↣念仏往クニ↢西方↡。↢一形↡至マデ↢十念・三念・五念↡、仏来迎シタマフ。直為↢弥陀弘誓↡、致↠使コトヲ↢凡夫ヲシテレバ↡。」

三 正雑二行

さん善導ぜんどうしょうしょうぞうぎょうてて、 ぞうぎょうてて正行しょうぎょうするもん

善導和尚立テヽ↢正雑二行↡、捨テヽ↢雑行↡帰スル↢正行↡之文

¬かんりょう寿じゅきょうしょ¼ のだいかん (散善義) じょうぼん上生じょうしょう三心さんしんのなかの深心じんしんしゃくしていはく、 「じゅぎょう立信りっしんといふは、 しかるにぎょうしゅあり。 いちには正行しょうぎょうにはぞうぎょうなり。

¬観無量寿経疏¼第四巻シテ↢上品上生三心深心↡云、「曰↢就行立信↡者、然有↢二種↡。一ニハ者正行、二ニハ者雑行。

正行しょうぎょうといふは、 もつぱらおうじょうきょうによりてぎょうぎょうずるもの、 これを正行しょうぎょうづく。 何者なにものかこれなるや。 一心いっしんにもつぱらこの ¬かんぎょう¼・¬弥陀みだきょう¼・¬りょう寿じゅきょう¼ とう読誦どくじゅし、 一心いっしんせんちゅうしてかのくにほうしょうごんそう観察かんざつ憶念おくねんし、 もしらいするにはすなはち一心いっしんにもつぱらかのぶつらいし、 もしくちしょうすにはすなはち一心いっしんにもつぱらかのぶつしょうし、 もし讃嘆さんだんようするにはすなはち一心いっしんにもつぱら讃嘆さんだんようする、 これをづけてしょうとなす。

言↢正行↡者、専依↢往生経↡行ズル↠行、是名↢正行↡。何者ナル也。一心専読↢誦此¬観経¼・¬弥陀経¼・¬無量寿経¼等↡、一心専注シテ思↢想観↣察憶↤念彼二報荘厳↡、若礼スルニハ即一心専礼↢彼仏↡、若ニハ即一心専称↢彼仏↡、若讃嘆供養ニハ即一心専讃嘆供養スル、是名為↠正。

またこのしょうのなかにまたしゅあり。 いちには一心いっしんにもつぱら弥陀みだみょうごうねんじて、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがせつごんはず念々ねんねんてざるは、 これを正定しょうじょうごうづく、 かの仏願ぶつがんじゅんずるがゆゑに。 もし礼誦らいじゅとうらばすなはちづけて助業じょうごうとなす。 このしょうじょぎょうのぞきて以外いげ自余じよ諸善しょぜんをばことごとくぞうぎょうづく。

又就↢此復有↢二種↡。ニハ者一心専念ジテ↢弥陀名号↡、行住坐臥不↠問↢時節久近↡念念↠捨者、是名↢正定之業↡、順ズルガ↢彼仏願↡故ラバ↢礼誦等↡即名為↢助業↡。↢此正助二行↡已外自余諸善ヲバ悉名↢雑0233↡。

もしさきしょうじょぎょうしゅすれば、 しんつねに親近しんごん憶念おくねんしてだんぜざるを、 づけてけんとなす。 もしのちぞうぎょうぎょうずれば、 すなはちしんつねに間断けんだんす、 こうしてしょうずることをべしといへども、 すべてぞうぎょうづく」 と。

若修スレバ↢前正助二行↡、心常親近憶念シテルヲ↠断、名為↢無間↡也。若行ズレバ↢後雑行↡、即心常間断、雖↠可↢回向シテ得↟生コトヲ、衆名↢疎雑之行↡也。」

四 二行得失

善導ぜんどうしょうしょうぞうぎょう得失とくしつはんずるもん

善導和尚判↢正雑二行得失↡之文

¬おうじょう礼讃らいさん¼ にいはく、 「もしよくかみのごとく念々ねんねん相続そうぞくして、 ひつみょうとなすものは、 じゅうはすなはちじっしょうし、 ひゃくはすなはち百生ひゃくしょうす。 なにをもつてのゆゑに。 雑縁ぞうえんなくしょうねんるがゆゑに、 ぶつ本願ほんがん相応そうおうすることをるがゆゑに、 きょうせざるがゆゑに、 ぶつずいじゅんするがゆゑに。

¬往生礼讃¼云、「若能如↠上念念相続シテ、畢命為↠期、十十生、百則百生。何以故。無↢外雑縁↡得↢正念↡故、与↢仏本願↡得↢相応コトヲ↡故、不↠違↠教故、随↢順仏語↡故。

もしせんてて雑業ぞうごうしゅせんとほっするものは、 ひゃくまれいちんや、 せんまれさんんや。 なにをもつてのゆゑに。 すなはち雑縁ぞうえん乱動らんどうしてしょうねんしっするによるがゆゑに、 ぶつ本願ほんがん相応そうおうせざるがゆゑに、 きょうそうするがゆゑに、 ぶつじゅんぜざるがゆゑに、 ねん相続そうぞくせざるがゆゑに、 憶想おくそう間断けんだんするがゆゑに、 がんおんじゅう真実しんじつならざるがゆゑに、 貪瞋とんじん諸見しょけん煩悩ぼんのうきたりて間断けんだんするがゆゑに、 ざんさんしんあることなきがゆゑに」 と。

若欲↣捨↠専ント↢雑業↡、百時ンヤ↢一二↡、千時得↢三五↡。何以故。乃由↣雑縁乱動シテスルガ↢正念↡故、与↢仏本願↡不↢相応↡故、与↠教相違スルガ故、不↠順↢仏語↡故、係念不↢相続↡故、憶想間断スルガ故、回願不↢慇重真実ナラ↡故、貪瞋・諸見煩悩来間断スルガ故、無↠有↢慚愧・懺悔心↡故。」

また (礼讃) いはく、 「このごろみづから諸方しょほう道俗どうぞく見聞けんもんするに、 ぎょうどうにして専雑せんぞうことなることあり。 ただこころをもつぱらにしてなさしむるものは、 じゅうはすなはちじっしょうす。 ぞうしゅして不至ふししんのものは、 せんちゅういちもなし。 これぎょう得失とくしつなり、 さきにすでにべんずるがごとし」 と。

又云、「餘比日自見↢聞スルニ諸方道俗↡、解行不同ニシテ専雑有↠異。但使↢専↠意作↡、十即十生。修シテ↠雑不至心、千中無↠一。二行得失ナリ、如↢前ズルガ↡。」

五 念仏往生

善導ぜんどうしょうこころ、 「さんきょう」 ともにただ念仏ねんぶつおうじょうかすもん

善導和尚意、「三部経」共唯明↢念仏往生↡之文

¬かんぎょうしょ¼ の第三だいさん (定善義) にいはく、 「自余じよしゅぎょうはこれぜんづくといへども、 もし念仏ねんぶつすればまつたくきょうにあらざるなり。 このゆゑにしょきょうのなかに処々しょしょひろ念仏ねんぶつどくさんじたり。 ¬りょう寿じゅきょう¼ のじゅうはちがんのなかのごときは、 ただもつぱら弥陀みだみょうごうねんじてしょうずることをかす。

¬観経疏¼第三云、「自余衆行雖↠名↢↡、若比スレバ↢念仏↡者全非↢比校↡也。是諸経処処広讃タリ↢念仏功徳↡。キハ¬無量寿経¼四十八願中↡、唯明0234↧専念ジテ↢弥陀名号↡得↞生コトヲ

また ¬弥陀みだきょう¼ のなかのごとき、 一日いちにち七日しちにちもつぱら弥陀みだみょうごうねんじてしょうずることをと。 また十方じっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつ不虚ふこ証誠しょうじょうしたまふと。

又如↢¬弥陀経¼中↡、一日七日専念ジテ↢弥陀名号↡得↠生。又十方恒沙諸仏証↢誠不虚↡也。

またこの ¬きょう¼ のじょうさんもんのなかに、 ただ専念せんねんみょうごうとくしょうひょうす。 このれいいちにあらず。 ひろ念仏ねんぶつ三昧ざんまいあらわしおはりぬ」 と。

又此¬経¼定散、唯標↢専念名号得生↡。例非↠一也。広顕↢念仏三昧↡竟。」

六 名号本願

ろく弥陀みだ如来にょらい、 ただみょうごうをもつておうじょう本願ほんがんとなしたまへるもん

弥陀如来、唯以↢名号↡為タマヘル↢往生本願↡之文

¬おうじょう礼讃らいさん¼ にいはく、 「¬りょう寿じゅきょう¼ にいふがごとし。 もしわれじょうぶつせんに、 十方じっぽうしゅじょう、 わがみょうごうしょうすることしもじっしょういたるまで、 もししょうぜずはしょうがくらじ」 と。

¬往生礼讃¼云、「如↢¬無量寿経¼云↡。若成仏センニ、十方衆生、称↢我名号↡下至↢十声↡、若不↠生者不↠取↢正覚↡。」

善導ぜんどうしょうしゃくして (礼讃) いはく、 「かのぶついまげんにましましてじょうぶつしたまふ。 まさにるべし、 本誓ほんぜいじゅうがんむなしからず、 しゅじょうしょうねんすればかならずおうじょう」 と。

善導和尚釈シテ云、「彼仏今現シテ↠世成仏シタマフ。当↠知、本誓重願不↠虚カラ、衆生称念スレバ必得↢往生↡。」

七 念仏利益

しち念仏ねんぶつやくもん

念仏利益

¬りょう寿じゅきょう¼ のかんにいはく、 「ぶつろくかたりたまはく、 それかのぶつみょうごうくことをかんやくしてない一念いちねんせん。 まさにるべし、 このひとだいたりとなす。 すなはちこれじょうどくそくするなり」 と。

¬無量寿経¼下巻云、「仏語↢弥勒↡、有↠得↠聞↢彼名号↡、歓喜踊躍シテ乃至一念セン。当↠知、此為↠得リト↢大利↡。則是具↢足スルナリ無上功徳↡。」

善導ぜんどうの ¬礼讃らいさん¼ にいはく、 「それかの弥陀みだぶつみょうごうくことをることありて、 かんして一念いちねんいたらんに、 みなまさにかしこにしょうずることをべし」 と。

善導¬礼讃¼云、「↠得↠聞コトヲ↢彼弥陀仏名号↡、歓喜シテンニ↢一念↡、皆当↠得↠生↠彼。」

わたくしにいはく、 一念いちねんすでにじょうどくなり。 まさにるべし、 じゅうねんはすなはちじゅうじょうひゃくねんはすなはちひゃくじょうどくなり。 るべし。

云、一念既無上功徳ナリ。当↠知、十念無上、百念即百無上功徳也。応↠知。

八 特留念仏

はち末法まっぽう万年まんねんのちぎょうことごとくめっするときしゃ如来にょらいことに慈悲じひをもつて念仏ねんぶつとどめておうじょうせしむるもん

0235末法万年後、余行悉スル時、釈迦如来特以↢慈悲↡留↢念仏↡往生シムル之文

¬りょう寿じゅきょう¼ のかんにいはく、 「当来とうらいきょうどう滅尽めつじんせんに、 われ慈悲じひをもつて哀愍あいみんして、 ことにこのきょうとどめてじゅうすることひゃくさいならん。 それしゅじょうありてこのきょうふものは、 こころ所願しょがんしたがひてみなとくすべし」 と。

¬無量寿経¼下巻云、「当来之世経道滅尽センニ以↢慈悲↡哀愍シテ、特留↢此経↡止住スルコト百歳ナラン↢衆生↡値↢此、随↢意所願↡皆可↢得度↡。」

善導ぜんどうしょうの ¬礼讃らいさん¼ にいはく、 「万年まんねん三宝さんぼうめっせんに、 この ¬きょう¼ じゅうすることひゃくねんせん。 そのとききて一念いちねんせんもの、 みなまさにかしこにしょうずることをべし」 と。

善導和尚¬礼讃¼云、「万年三宝滅センニ、此¬経¼住コト百年セン。爾一念センモノ、皆当↠得↠生↠。」

九 多善根

念仏ねんぶつをもつて善根ぜんごんとし、 しょぎょうをもつてしょう善根ぜんごんとするもん

以↢念仏↢多善根↡、以↢諸行↡↢少善根↡之文

¬弥陀みだきょう¼ にいはく、 「しょう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんをもつてかのくにしょうずることをべからず。 しゃほつ、 もし善男ぜんなんぜん女人にょにんありて、 弥陀みだぶつくことをきて、 みょうごうしゅうすること、 もしは一日いちにち、 もしはにち、 もしは三日さんにち、 もしはにち、 もしはにち、 もしは六日ろくにち、 もしは七日しちにち一心いっしんらんならんに、 そのひと命終みょうじゅうときのぞみて、 弥陀みだぶつもろもろの大衆だいしゅげんにそのまえにまします。 このひとおわときこころ顛倒てんどうせず、 すなはち弥陀みだぶつ極楽ごくらくこくおうじょうすることを」 と。

¬阿弥陀経¼云、「不↠可↧以↢少善根福徳因縁↡得↞生コトヲ↢彼国↡。舎利弗、若有↢善男子・善女人↡、聞↠説コトヲ↢阿弥陀仏↡、執↢持スルコト名号↡、若一日、若二日、若三日、若四日、若五日、若六日、若七日、一心不乱ナランニ、其人臨↢命終↡、阿弥陀仏与↢諸大衆↡現在↢其前↡。是人終時、心不顛倒、即得↣往↢生阿弥陀仏極楽国土↡。」

善導ぜんどう (法事讃巻下) このもんしゃくしていはく、 「極楽ごくらく無為むいはんかいなり。 随縁ずいえん雑善ぞうぜんおそらくはしょうじがたし。 ゆゑに如来にょらいをして要法ようぼうえらび、 おしへて弥陀みだねんずることもつぱらにしてまたもつぱらならしむ。 七日しちにちしちしんけんに、 じょうぎょうもますますみなしかなり。りんじゅうしょうじゅはなちてげんじたまふ、 身心しんしんやくして金蓮こんれんす」 と。

善導釈シテ↢此文↡云、「極楽無為涅槃ナリ。随縁雑善恐クハ難↠生。故使↧如来ヲシテ選↢要法↡、教コト↢弥陀↡専ニシテナラ↥。七日七夜心無間、長時起行マス皆然ナリ。臨0236聖衆持↠花ジタマフ、身心踊躍シテ↢金蓮↡。」

十 六方護念

じゅう六方ろっぽう諸仏しょぶつひとしく念仏ねんぶつぎょうじゃねんしたまふもん

六方諸仏等護↢念シタマフ念仏行者↡之文

¬観念かんねん法門ぼうもん¼ にいはく、 「また ¬弥陀みだきょう¼ にくがごとし。 もしなん女人にょにんありて、 七日しちにちしち、 およびいっしょうつくして、 一心いっしんにもつぱら弥陀みだぶつねんじておうじょうがんずれば、 このひと、 つねに六方ろっぽうごうしゃとうぶつともにきたりてねんすることを。 ゆゑにねんぎょうづく。 ねんこころは、 またもろもろのあくじんをして便たよりをしめず、 またおうびょうおうおう厄難やくなんあることなく、 一切いっさいさいしょうねんしょうさんす。 しんのぞく」 と。

¬観念法門¼云、「又如↢¬弥陀経¼説↡。若有↢男子・女人↡、七日七夜、及シテ↢一生↡、一心専念ジテ↢阿弥陀仏↡願ズレバ↢往生↡者、此人、常得↢六方恒河沙等仏共来護念コトヲ↡。故名↢護念経↡。護念者、亦不↠令↢諸悪鬼神ヲシテ得↟便リヲ、亦無↣横病・横死、横有コト↢厄難↡、一切災障自然消散。除↢不至心↡。」

¬おうじょう礼讃らいさん¼ にいはく、 「¬じゅうおうじょうきょう¼ にのたまはく、 もししゅじょうありて弥陀みだぶつねんじておうじょうがんずれば、 かのぶつすなはちじゅうさつつかはして、 ぎょうじゃようしたまふ。 もしはぎょうもしは、 もしはじゅうもしは、 もしはちゅうもしは一切いっさいとき一切いっさいところに、 あく悪神あくしんをしてその便たよりをしめず。

¬往生礼讃¼云、「¬十往生経¼云、若有↢衆生↡念ジテ↢阿弥陀仏↡願↢往生↡者、彼仏即遣ハシテ↢二十五菩薩↡、擁↢護タマフ行者↡。若行若坐、若住若臥、若昼若夜、一切時一切、不↠令↣悪鬼・悪神ヲシテ得↢其便↡也。

また ¬かんぎょう¼ にのたまふがごとし。 もし弥陀みだぶつしょうねんして、 かのくにおうじょうせんとがんずれば、 かのぶつすなはちしゅぶつしゅかんおんせいさつつかはして、 ぎょうじゃねんせしめたまふと。 またさきじゅうさつとう百重ひゃくじゅうせんじゅうぎょうじゃにょうして、 行住ぎょうじゅう座臥ざがはず、 一切いっさいしょ、 もしはちゅうもしは、 つねにぎょうじゃはなれたまはず。

又如↢¬観経¼云。若称↢念シテ阿弥陀仏↡、願↣往↢生彼国↡者、彼仏即遣ハシテ↢無数化仏、無数化観世音・勢至菩薩↡、護↢念行者↡。復与↢前二十五菩薩等↡百重千重囲↢遶シテ行者↡、不↠問↢行住座臥↡、一切時処、若昼若夜、常不↠離↢行者↡。

いますでにこのしょうやくたのむべきあり。 ねがはくはもろもろのぎょうじゃ、 おのおのすべからくしんおうじょうもとむべし」 と。

今既有↢斯勝益可↟憑。願クハ行者、各須↣至心↢往生↡。」

十一 慇懃付属

じゅういちしゃくそん弥陀みだみょうごうをもつて慇懃おんごんしゃほつぞくしたまふもん

十一釈尊以↢弥陀名号↡慇懃付↢属シタマフ舎利弗↡之文

¬弥陀みだきょう¼ にのたまはく、 「ぶつきょうきおはりて、 しゃほつおよびもろもろの比丘びく一切いっさいけんてんにんしゅとうぶつ所説しょせつきてかん信受しんじゅして、 らいをなしてりぬ」 と。

¬阿0237弥陀経¼云、「仏説↠経已、舎利弗及諸比丘、一切世間天・人・阿修羅等、聞↢仏所説↡歓喜信受シテ、作↠礼而去ヌト。」

善導ぜんどう ¬ほうさん¼ (巻下) にこのもんしゃくしていはく、 「そん説法せっぽうときまさにおわりなんとして、 慇懃おんごん弥陀みだみなぞくしたまふ。 じょくぞうときほうおおし、 道俗どうぞくあひきらひてくことをもちゐず。 しゅぎょうすることあるをては瞋毒しんどくおこし、 方便ほうべん破壊はえしてきおひてあだしょうず。 かくのごときのしょうもう闡提せんだいともがらとんぎょうめつしてなが沈淪ちんりんす。 だいじんこうちょうすとも、 いまださんはなるることをべからず。 大衆だいしゅ同心どうしんにみなあらゆる法罪ほうざい因縁いんねんさんすべし」 と。

善導¬法事讃¼釈↢此文↡云、「世尊説法、時将↠了、慇懃付↢属弥陀名↡。五濁増時多↢疑謗↡、道俗相嫌不↠用↠聞。テハ↠有↢修行↡起↢瞋毒↡、方便破壊シテ生↠怨。如↠此生盲闡提輩、毀↢滅シテ頓教↡永沈淪超↢過ストモ大地微塵劫↡、未↠可↠得↠離↢三塗↡。大衆同心皆懺↢悔スベシ所有破法罪因縁↡。」

十二 光明唯照

じゅう弥陀みだこうみょうぎょうじゃらさず、 ただ念仏ねんぶつぎょうじゃらすもん

十二弥陀光明不↠照↢余行者↡、唯照↢念仏行者↡之文

¬かんりょう寿じゅきょう¼ にいはく、 「りょう寿じゅぶつ八万はちまんせんそうあり。 一々いちいちそうに、 八万はちまんせんずいぎょうこうあり。 一々いちいちこうにまた八万はちまんせんこうみょうあり。 一々いちいちこうみょう、 あまねく十方じっぽうかいらして、 念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしててたまはず」 と。

¬観無量寿経¼云、「無量寿仏有↢八万四千相↡。一一、有↢八万四千随形好↡。一一復有↢八万四千光明↡。一一光明、遍照↢十方世界↡、念仏衆生摂取シテ不↠捨タマハ。」

善導ぜんどうしょうの ¬礼讃らいさん¼ にいはく、 「弥陀みだ身色しんじき金山こんぜんのごとし。 相好そうごうこうみょう十方じっぽうらす。 ただ念仏ねんぶつのみありてこうしょうこうむる。 まさにるべし本願ほんがんもつともこわしとなす」 と。

善導和尚¬礼讃¼云、「弥陀身色如↢金山↡。相好光明照↢十方↡。唯有↢念仏ノミ↡蒙↢光摂↡。当↠知本願最為↠強。」

十三 唯歎念仏

じゅうさん雑善ぞうぜんめず、 ただ念仏ねんぶつぎょうじゃたんずるもん

十三不↠讃↢雑善↡、唯歎ズル↢念仏行者↡之文

¬かんりょう寿じゅきょう¼ にのたまはく、 「もし念仏ねんぶつするものは、 まさにるべし。 このひとはこれにんちゅうふん陀利だりなり。 かんおんさつだいせいさつ、 そのしょうとなりて、 まさにどうじょう諸仏しょぶついえうまるべし」 と。

¬観無量寿経¼云、「若念仏スル、当↠知。此人人中分陀利華ナリ。観世音菩0238薩・大勢至菩薩、為↢其勝友↡、当↧坐↢道場↡生↦諸仏↥。」

どうきょうの ¬しょ¼ (散善義) にいはく、 「にゃく念仏ねんぶつしゃよりしもしょう諸仏しょぶついたるこのかたは、 まさしく念仏ねんぶつ三昧ざんまいのうちょうぜつして、 じつ雑善ぞうぜんるいとすることをるにあらざることをあらわす。 すなはちそのあり。 いちには弥陀みだみな専念せんねんすることをかす。 には能念のうねんひとさんすることをかす。 さんにはもしよく相続そうぞくして念仏ねんぶつするものは、 このひとはなはだ希有けうなりとなす、 さらにものとしてもつてこれにならぶべきなし、 ゆゑにふん陀利だりきてたとえとなすといふことをかす。

同経¬疏¼云、「従↢若念仏者↡下至↢生諸仏家↡已来、正顕↣念仏三昧功能超絶シテ、実コトヲ↢雑善ルニ↟為コトヲ↢比類↡。即有↢其五。ニハ明↣専念コトヲ↢弥陀名↡。二ニハ明↣指↢讃能念之人↡。三ニハ明↧若能相続シテ念仏スル、此人甚為↢希有ナリト↡、更無↣物トシテ可↢以方↟之、故引↢分陀利↡為スト云コトヲ↞喩

ふん陀利だりといふは、 にんちゅうこうづけ、 また希有けうづけ、 またにんちゅう上々じょうじょうづけ、 またにんちゅうみょうこうづく。 このはな相伝そうでんしてさいづくるこれなり。 もし念仏ねんぶつするものは、 すなはちこれにんちゅう好人こうにんなり、 にんちゅうみょう好人こうにんなり、 にんちゅう上々じょうじょうにんなり、 にんちゅう希有けうにんなり、 にんちゅうさいしょうにんなり」 と。

言↢分陀利↡者、名↢人中好花↡、亦名↢希有花↡、亦名↢人中上上花↡、亦名↢人中妙好花↡。此花相伝シテ名↢蔡花↡是。若念仏スル、即是人中好人ナリ、人中妙好人ナリ、人中上上人ナリ、人中希有人ナリ、人中最勝人也。」

十四 付属名号

じゅうしゃ如来にょらいぎょうぞくせず、 ただ弥陀みだみょうごうねんずるをもつてなんぞくしたまへるもん

十四釈迦如来不↣付↢属余行↡、唯以↠念ズルヲ↢弥陀名号↡付↢属タマヘル阿難↡之文

¬かんりょう寿じゅきょう¼ にいはく、 「ぶつなんげたまはく、 なんぢ、 よくこのたもて。 このたもてといふは、 すなはちこれりょう寿じゅぶつみなたもつなり」 と。

¬観無量寿経¼云、「仏告↢阿難↡、汝、好持↢是語↡。持↢是語↡者、即是持↢無量寿仏↡。」

どうきょうの ¬しょ¼ (散善義) にこのもんしゃくしていはく、 「仏告ぶつごうなんにょこう是語ぜごより以下いげは、 まさしく弥陀みだみょうごうぞくして、 だいずうせしめたまふことをかす。 じょうらいじょうさんりょうもんやくくといへども、 ぶつ本願ほんがんのぞむるに、 こころしゅじょう一向いっこうにもつぱら弥陀みだぶつみなしょうするにあり」 と。

同経¬疏¼釈↢此文↡云、「従↢仏告阿難汝好持是語↡已下、正明↧付↢属シテ弥陀名号↡、流↦通於遐代↥。上来雖↠説↢定散両門之益↡、望↢仏本願↡、意在↣衆0239生一向スルニ↢弥陀仏↡。」

わたくしにいはく、 このなかに、 「じょう」 とは、 はじ日想にっそうかんよりこのかたじゅう三観さんがんこれなり。 「さん」 とは、 はじめの三福さんぷくごうと、 のちぼんごうとこれなり。 このじょうさんぜんのなかに、 もろもろのおうじょうぎょうくといへども、 ぶつ本願ほんがんはただみょうごうにあり。 ゆゑにしゃ如来にょらい、 ただみょうごうをもつてなん尊者そんじゃぞくしたまふなり。

云、此、「定」者、始自↢日想観↡以来十三観是ナリ也。「散トハ」者、初三福業、後九品是也。此定散二善、雖↠説↢諸往生↡、仏本願唯在↢名号↡。故釈迦如来、唯以↢名号↡付↢属阿難尊者↡也。

十五 必具三心

じゅう念仏ねんぶつぎょうじゃ、 かならず三心さんしんすべきもん

十五念仏行者、必可↠具↢三心↡之文

善導ぜんどうしょうの ¬おうじょう礼讃らいさん¼ にいはく、 「かのくにしょうぜんとほっせば、 ¬かんぎょう¼ にきたまふがごときは、 三心さんしんしてかならずおうじょう。 なんらをかさんとなす。

善導和尚¬往生礼讃¼云、「欲↠生↢彼国↡者、如↢¬観経¼説↡者、具シテ↢三心↡必得↢往生↡。何等ヲカ為↠三。

いちにはじょうしん。 いはゆる身業しんごうにかのぶつ礼拝らいはいし、 ごうにかのぶつ讃嘆さんだんしょうようし、 ごうにかのぶつ専念せんねん観察かんざつす。 およそ三業さんごうおこすにかならず真実しんじつもちゆ。 ゆゑにじょうしんづく。

ニハ者至誠心。所謂身業礼↢拝彼仏↡、口業讃↢嘆称↣揚彼仏↡、意業専↢念観↣察彼仏↡。凡スニ↢三業↡必須↢真実↡。故名↢至誠心↡。

には深心じんしん。 すなはちこれ真実しんじつ深信じんしんなり。 しんはこれ煩悩ぼんのうそくするぼん善根ぜんごんはくしょうにして三界さんがいてんして、 たくでずとしんし、 いま弥陀みだほんぜいがん、 およびみょうごうしょうすることしもじっしょういっしょうとういたるまで、 さだめておうじょうしんして、 ない一念いちねんしんあることなし。 ゆゑに深心じんしんづく。

ニハ者深心。即是真実深信ナリ。信↧知自身是具↢足煩悩↡凡夫、善根薄少ニシテ流↢転シテ三界↡、不↞出↢火宅↡、今信↧知弥陀本弘誓願、及コト↢名号↡下至マデ↢十声一声等↡、定↦往生↥、乃至一念無↠有↢疑心↡。故名↢深心↡。

さんにはこう発願ほつがんしんしょ一切いっさい善根ぜんごんことごとくみなしておうじょうがんず。 ゆゑにこう発願ほつがんしんづく。 この三心さんしんすればかならずしょうずることを。 もし一心いっしんけぬれば、 すなはちしょうずることをず」 と。

ニハ者回向発願心。所作一切善根悉皆回シテ↢往生↡。故名↢回向発願心↡。スレバ↢此三心↡必得↠生也。若少ヌレバ↢一心↡、即不↠得↠生コトヲ。」

十六 不簡下智

じゅうろく下智げちかいとうえらばず、 弥陀みだ本願ほんがんによりてただみょうごうねんずればおうじょうもん

十六不↠簡↢下智・破戒等↡、依↢弥陀本願↡唯念ズレバ↢名号↡得↢往生↡之文

ほっしょうぜんの ¬五会ごえほうさん¼ (巻本) にいはく、 「かのぶついんちゅうぜいつ。 きてわれをねんぜばすべて来迎らいこうせん。 びん富貴ふきとをえらばず、 下智げち高才こうざいとをえらばず、 もんじょうかいたもつをえらばず、 かい罪根ざいごんふかきとをえらばず。 ただしんしておお念仏ねんぶつせしむれば、 よくりゃくをしてへんじてこがねとならしめん」 と。

0240照禅師¬五会法事讃¼云、「彼仏因中立↢弘誓↡。聞↠名念ゼバ↠我来迎セン。不↠簡↣貧窮将↢富貴↡、不↠簡↣下智与↢高才↡、不↠簡↣多聞持↢浄戒↡、不↠簡↢破戒罪根トヲ↡。但使↢回心多念仏↡、能令↢瓦礫ヲシテジテ成↟金。」

十七 時節延促

じゅうしちじょうごうしゅぎょうするせつ延促えんそくもん

十七修↢行スル浄業↡時節延促之文

¬かんぎょうしょ¼ のだい (散善義) にいはく、 「かみいちぎょうつくしも一日いちにちいち一念いちねんとういたる。 あるいは一念いちねんじゅうねんよりいち一日いちにちいちぎょういたる。 たいは、 ひとたび発心ほっしんして以後いごちかひてこのしょうふるまで退転たいてんあることなし。 ただじょうをもつてとなす」 と。

¬観経¼第四云、「↢一形↡下至↢一日・一時・一念等↡。或従↢一念・十念↡至↢一時・一日・一形↡。大意者、一タビ発心シテ已後、誓畢↢此生↡無↠有↢退転↡。唯以↢浄土↡為↠期。」

建仁けんにんねんがつじゅう七日しちにち黒谷くろだにしょうにん伊豆いずさん源延げんえんがためにあつめらるるところの要文ようもんなり。 わたくしにいはく、 がつじゅうにちげんきゅうあらたむ。

建仁四年二月十七日、黒谷上人↢伊豆山源延↠被↠集之要文也。私云、二月廿日改↢元久↡。